2013年5月7日星期二

ギルドはかくして生まれた

「まず、僕は正真正銘冒険者ギルドのマスターだよ。と言うか、僕がギルドを創設したんだよ。千年位前にね」
「ええっ!?」
「なんと……」
 ルトは真顔で冒険者ギルドの創設について明かす。僕と巴は驚きを口にしたけど、澪は興味が無いのか特に反応は無かった。狼一号
「真君と同じ異世界人に概念を教わってね。まあ、多少の意図を含めてだけど僕が女神に提案して責任者になったんだ。彼女はギルドをヒューマンが強くなる為のシステムだと至極単純に考えてくれてね、反対はされなかった」
 多少の意図。何だか気になる言葉だな。それに異世界人。やっぱり、僕と勇者二人があの女神の最初の犠牲者じゃなかったんだなあ。
 千年前って言うと。日本は平安か? 藤原道長とかの時代かな。ん? 何か引っかかる。何だろう?
「当時は僕も精力的にギルドの仕組みを考えていて、概念を教わった異世界人、まあ僕の最初の旦那様なんだけど。彼にも色々と話を聞かせてもらって、楽しみながら制度を組んでいった。そうだね、心境を例えるなら今の巴のような状態かな。とにかく彼の概念を知り、学び、再現するのが楽しくて仕方なかった」
 ああ、納得。例が側にいるからか妙にわかる。
 つまりルトは巴が時代劇にハマってしまったように冒険者ギルド作りに没頭したわけか。それで、世界に広がり、基本的には国家の干渉を受けない、ある意味危険な組織が出来たと。女神の後押しとトップの上位竜の手があればヒューマンの反対も最小限だったんだろうな。何せ女神様だし。
「僕の夫になった異世界人は当時エリュシオンで英雄と称えられた剣士でね、僕はその妻であり相棒。女神にも協力を得られたから、一度システムを作ってしまうとヒューマンの社会への浸透は実に早かった。その後、僕は姿を変えながら歴代のギルドマスターで有り続けたって訳だね」
 初代マスターで、現代でもマスターか。それはまた。
「初代マスターはルトの夫じゃなかったのか?」
 旦那さんの方が主導権を持っていそうなのに。彼はマスターになろうとしなかったんだろうか。
「彼はそんな事よりも酒と女に目が無くてね。英雄としての実績を作ってからは仕事らしい仕事はしていなかったな。まあ英雄なんて、その偶像に意味があるのであって、本人は仕事などしようとしない方が特に戦乱を経た後の世の中には都合が良いのかもしれないね」
 平時に英雄は不要と言う事かな。確かに、考えてみると僕が学んだ地球の歴史でも、戦時に活躍した英雄のその後は余り知らない。探せばいるんだろうけど、中にはジャンヌ=ダルクみたいな人もいる。戦後の権力を求める勢力には、人心を集める英雄は邪魔な存在になるのかも。
 そしてルトはもうこの頃から性に奔放らしい。旦那が他の女と関係していて何とも思わないんだな。ん、もしかしてその頃からもう一夫多妻が当たり前なのか?
 聞いても斜め上の答えが返ってきそうだったので、質問は止めておく。大人しく話を聞いていよう。
「世界中に存在して、コミュニティの問題解決に一定に役割を果たす。そして、所属する者にレベルを表示する他多くの機能を持ったカード状のギルド証を与える。……ねえ真君、不思議だと思わなかった?」
「え?」
「下手な魔道具を越える性能のギルドカードにレベルなんて言葉。これらは君の世界ではゲームの中に登場する概念じゃない? どうして、そんな組織を簡単に受け入れる事が出来たの?」
「そ、それは……」
 ゲームみたいな世界だとは確かに思った。でもその前に僕は魔法にも触れているし、レベルや職業と言った用語も聞いている。そんな前提もあって異世界なんだからと、考えてみるとおかしな理由で納得していた。
「異世界だから、とか思ったんじゃない? だから完全に規格外の、言ってしまえば木造建築の中に高層ビルが建っているような状況も、冒険者ギルドなんて言葉一つで納得してしまった」
「……ああ」
「そうなんだよね、何故か異世界から来る真君や他の人は、このギルドの存在を比較的あっさりと受け入れてくれる。君達がいた世界には当然、存在しない組織なのにだ。面白いものだと思うよ」
 うんうんと。ルトは興味深げに何度も頷いている。
「どうも、わからぬ。聞いていれば、お前は異世界人に聞いた情報を基盤にしてギルドのシステムを作ったらしいが、ギルドの運営がしたかった風でも無く、それに冒険者をやりたがっているようにも聞こえん。暇潰しに作るには冒険者ギルドという組織とシステムは些(いささ)か手が込み過ぎているぞ?」
 巴が口を挟む。そうか、言われてみればルトはギルドをこんな風にしたいとか、冒険者になりたかったなど、そんな事まるで言ってない。暇潰しのレベルにしては度が過ぎると思うのは自然だ。
「いや、殆どは単なる楽しみ。暇潰しだよ。僕は凝り性だからね。どうやってギルドを成立させるか、一つ一つを試すだけでも実に有意義だった」
 無駄にスペック高いよな。凝り性で暇潰しになるからってよくもやれるものだ。羨ましいよ。
「じゃが、先程意図と言った。それは何じゃ?」
「耳聡いね。真君に嫌われそうで話したくないんだけど」
 何かえぐい事を考えているんだろうなあ。大体、話したくないとか言う割には話す気満々の顔してる。むしろ僕の反応が見たいんだろうか。
「どうせ話す気なら一度に吐け。後、若を見るな。汚れる」
 巴、ルトは一応お前にとって元は同僚、いや上司みたいな存在なんじゃないのか? それを早くも汚物扱いか。いいぞ、もっとやってくれ。
「はいはい。まあ、そんなに複雑な話でも無いよ。ずっと昔から女神はヒューマンを寵愛していた。だけど、僕は世界を大事にしていた。それだけなんだよ」
「意味がわからん。簡潔に話せ。お前は昔から人に謎掛けのような言葉を掛ける。今は不要じゃ」
「……他者との対話において聞き手に己自身での理解を促すのは非常に有意義なんだけどな。まあ、了解。つまりね、女神の寵愛が過ぎて、ヒューマンが増えるわ驕るわで世界のバランスが崩れる可能性が当時から容易く予見できたんだ。だからその牽制の一つとして作ったんだよ。さっきも言ったけど半分以上は趣味だけど」紅蜘蛛
「ヒューマンが増える事への牽制? でもギルドはヒューマンの成長を促すんだろう? むしろ助長している気がするんだけど」
「それは木を見て森を、って奴だよ。良いかい? ギルドに登録するとカードがもらえる。それには自分のレベルやランクが記載されているわけだけど、本来はただの現状を示すだけの数値でも、階級や数字として示されるとヒューマンって言うのは上を目指したがるんだよね。人間を基にしただけあって欲の強い種族だし」
「……」
 悪かったね、欲が強くて。
「レベルが上がれば強くなる。もちろん、そんな数字は知らなくても魔物を倒したり戦争したりしていれば見えないだけで実は変動はしている。だけど分かりやすい数字になるって言うだけで意気込みがあがるんだよ、彼らは。僕もその意気込みを加速させる為に世界のシステムに干渉してちょっとした仕込みをした。ギルドに登録すると成長速度が上がるようにしてみたんだ。他者から奪った力の吸収効率を上げるというものだけどね。真君に分かりやすく言えば経験値の倍率を上げる、って感じかな」
 数字が出るとやる気が出ると言うのは、確かにあると思う。否定できない。努力が続かない理由には、成果が見えにくいから心が折れると言う場合もある。でも、ルトの言っている事は人の成長の応援であって、そこに何の牽制効果があるんだろう。
「なるほどな、そう言う意図か。迂遠な事をする」
 でも僕の疑問とは別に巴はルトの言いたい事がわかったようだ。人と竜の違い、なのか?
「そうすると、ヒューマンは余計にレベルやランクに固執する傾向が出てくる。レベルは自身の強さを、ランクはギルドが個人に与える恩恵を高めるからね。当然、冒険者の中に高レベルになり名前が売れる者も出てきて、彼らに憧れる若者もギルドに登録するようになる。彼らの中には騎士や王になって繁栄を築いた者もいたね。」
 良い話だよな。努力して、成功する。僕もギルドカードの機能拡張狙いでランクを上げようとか思った事もあるしなあ。レベルが一向に一つも上がらないし、商人稼業に精を出すようになって少し熱も冷めてきているけどさ。
「……素直なんだね、真君は。ちょっと自分の小賢しさが恥ずかしくなるよ。努力の末の成功は良い事だって顔してる」
「悪いか。誰だってそう思う筈だろう?」
「ふふ、続けるね。功名心を煽られ、出世を望み、元手もさして必要無く腕っ節だけで魔力だけで始められる、そんな夢のある冒険者を目指す者は増えた。より強く、より偉く、より豊かにってね。そんな連中、冒険者ギルドが無ければ良く言って何でも屋、ならず者。悪く言えば賊の予備軍。元手が少ないのは生命の危険を背負うからだって事を都合良く解釈し過ぎだ」
「だが、ならず者とてある一定の数をギルドで冒険者として囲えば、性根の悪い連中も過ぎた悪事もやりにくくなるし、多少の治安向上にもなるかもしれぬではないか」
 良い事だよね。話の結論が見えないな。
「そんな効果も少しはあったかもね。ギルドには規則も一応あるから。でも大事なのはね、先ばかりを見たヒューマンが自動的に間引かれていくって事だよ」
 間引、かれる? それってどう言う。物騒な言葉だけど。
「過ぎた欲は身を滅ぼす。ならず者も、何でも屋も、夢見る若者も。成功を目指して強くなり、そしてどこかで階段を踏み外す。レベルだランクだ報酬だと、ギルドの依頼で死にに行く冒険者は実に多い。千年経ってもさして大局的な変化は無いね。中には運良くとか並外れた才覚で上り詰める者もいた。それが成功者だね。彼らの存在は宣伝塔になり、さらなる人々を呼び込んでいく。成功者が失敗者よりも多いなんて事はある程度以上の社会では有り得ないからね、彼らの足元には数え切れない程の骸が転がっている事になる。綺麗に言えば夢の残骸がね」
「そりゃあ、勢い余って失敗する人もいるだろうけど、でも次に活かせばバランスは身につけるし人を間引くなんて効果が本当にあるのか? だって今も世界はヒューマンの国で溢れているじゃないか」
「次、が極端に少ないのが冒険者なんだよね。一度の失敗でそのまま死ぬ事も多々ある。今も世界に魔族をはじめとしてヒューマンに敵対する亜人が存在している事が間引きの効果がある証明だね。何だかんだと言っても数は力。冒険者ギルドが無ければ、今頃世界はもっと平和だったんじゃないかな、ヒューマンと従属する亜人しかいなくなる代わりに」
「だけど、誰もが欲に狂うなんて。彼らだって引き時は弁えるんじゃ」
「そういう判断が出来る者は、成功者だよ。真君。王にならなくともね。ギルドのシステムを上手に利用して、後の収入を確保できて辞めると言うなら十分な成功だ。信じる信じないは勝手だけど、もう少し後少しで判断を誤るのがヒューマンだ。現に冒険者の数は毎日のように登録者がいるのにそんなに増えてはいないんだよ。女神が沈黙している間で言えば、むしろ減っていたくらいだ。荒野だ迷宮だ一攫千金だと夢ばかりを見て面白いように死んでいくのさ」
 そんな。冒険者を支援する体で存在する冒険者ギルドが、実は彼らを煽って間引く意味も持っていた?
「ただ、勘違いはして欲しくない。誰もが真君の言うように、引き時を弁えて自らの成長と将来に謙虚であればギルドはヒューマンに貢献し、違う意味で世界は平和になっていたかもしれない。現実はそうはならず、しかもヒューマン以外の種族まで加入したいと言い出したり予想外の展開も幾つかあったんだけどね。冒険者ギルドは、端的に言ってしまえば、良くも悪くも人の欲望を支援する組織だ。幸い、人の社会に問題が無くなる事は無く、依頼も尽きない。冒険者にならず別の道で身を立てている者だって、目的の為に危険を冒す必要が生じれば、お金で結果を買おうとする事もある。それを冒険者ギルドが請け負う。実に良く出来ているだろう? 間引く、なんて狙いが実現できているのは冒険者がギルドの使い方を誤っているに過ぎないよ」
 少し違うけど、力はただ力だから、使い手がどう在るかが問題だって事かな。結果、千年もの永い間ルトの思惑に乗って数多の冒険者が吸い寄せられては焼かれたんだろう。
「……そうか。世界のシステムに干渉とは、増えた冒険者を利用して冒険者全体と世界の間で簡易かつ変則的な契約を結ぶ事か。つまり成長の上昇速度が本格的に機能するのは冒険者になってしばらく経ってから」
「巴、結構頭良くなったんだ。そうだよ、僕は契約関係にも精通しているからね。少し弄らせてもらったんだ。慣れた頃に成長も順調になるんじゃないかな。その時分が死にやすくもあるから面白いものだよね」
「つまり、レベルが上がると基礎的な力が上昇するわけか。技量や経験、それに才能による補正はレベルには関係無い部分だと。ち、澪の奴に負けておるのは癪じゃが、そんなものなら別に苦労して上げる程のものでも無かったわ」紅蜘蛛赤くも催情粉
「まあ、そうなるね。種族によっても異なるからレベルが上だから勝てないなんて事は無いんじゃない? 単に世界から送られる強者へのご褒美みたいなものだし。善人でも凶悪な魔物でも、同じ力量なら殺せば同等の力が手に入るしね。女神の祝福みたいなどんでん返しもあるから妄信はしない方が良いよ。才能や直感なんて言葉に絶望されて消極的になられてもメリットが無いからレベルに応じてジョブ、なんてシステムも導入したり、ランク上昇によるカード機能の限定解除やカスタマイズと中々頑張ってはいるんだけどねえ。ま、今のところレベルが限界に達したって事は無いから。まだまだ僕の掌の上って訳。ちなみにレベルの最高値は六万五千五百三十五。何でも浪漫がどうとかって旦那が熱弁していたからそうしてみたんだ」
 全部納得出来るかは別にして。ルトのやっている事と言っている事は大体理解できた。今も巴と何か専門用語っぽい意味不明の単語を投げあいながら議論しているみたいだけど、そっちは殆どわからない。
 自制して冒険者出来るなら、普通に応援してくれる場所。
 欲望に忠実に行くと、余程運か才能に恵まれない限り墓場への案内所。
 と言う事らしい。考えて見れば荒野なんて正にそんな感じだったな。あそこに行く時点で間違いなく後者の人種なんだろうが。
 しかし、まあ。言われてみれば実にその通りだよなあ。この世界観に冒険者ギルドは馴染んでいるようにも見えるし、実際に千年も続いている。下手な国家よりも古い。日本に平安時代から延々と姿を残して存在する斡旋組織とか企業は存在しないと思うから、冒険者ギルドが相当な組織だってのは想像出来る。木造建築の中に高層ビル、ね。言い得て妙だなあ。
 例えば商人ギルドでの情報伝達速度は日々工夫されているとは言え、冒険者ギルドのそれには全く及ばない。元々、冒険者ギルドを見た商人の一人が自分たちの互助組織として作り上げたのが商人ギルドだって読んだ覚えがある。確かに、国やら街やら有力者やらに影響を受け癒着なんかもある商人ギルドの方が、組織として人の作った”らしさ”があると思う。
 冒険者ギルドの情報伝達の異常なまでの速さは本当にメールがあるんじゃないかと疑ったくらいだ。荒野の出張所で無ければ巴と澪の存在は数日で世界に広まっていただろう。ツィーゲは、レンブラントさんが裏で動いてくれたんだよな。奥さんや娘さんが大変な時だったって言うのに、本当に頭が下がる。その後の冒険者ギルドでも、巴と澪はその活躍振りから支部長さんの実績にも大きく貢献し、かつ荒野の依頼をも難なくこなす二人の重要性から、きっちりこちらの要求通りに情報を殆ど外に漏らさないでいてくれるようだ。多分、この目の前の竜は巴や澪、それに僕のレベルもきっちりと把握していると思うけどね。まったく、僕のいた世界の情報も普通に知っているかのように話すし、彼は一体どれだけの異世界人と会ってきたんだろうね……? ん? 
 あああああああああああ!!
 そこだ!! そこがさっき引っかかったんだ!!
「ルト!」
「ん、何だい真君。僕とも契約したくなった? 嬉しいなあ」
「違う! お前の最初の旦那の事! 千年前だって言ったよな」
「ああ、言ったね。それがどうしたの?」
「どうしてそんな大昔の人間が冒険者ギルドなんて知っているんだよ! ゲームは愚か、そんな物語だって当時には存在していない筈だ!」
 平安とか藤原道長とか自分で考えておいてどうしてそこに気付かなかったかな、僕は!
「ふむ、そこが気になったの? 説明しても良いんだけど、簡単に浦島太郎っぽく考えておけば楽だしそうしておかない?」
「ぽくって何だよ。結構僕にとって大事な事だから詳細に頼む!」
「ルト、若が望まれておる。説明しても良いと言うなら一から言え」
 もしかしたら、もしかしたらと考えていた可能性の一つが消えるかもしれない瀬戸際なんだ。ここで浦島っぽいのか、で納得できる訳がない!
「うーん。そこまで言うなら……。巴、お前も頼んだんだからちょっと黒板みたいの出してよ。わかる、黒板?」
「馬鹿にするでないわ。ようは説明用に書ける板と筆記具があればいいんじゃろ? しばし待て」
「よろしく。どちらか一人でも良いから最後まで聞いてよ? もし二人とも脱落したら僕はもう真君を襲うからね。約束だよ?」
 何と恐ろしい事を言うのか。しかし二人とは見くびってくれる。ウチには直感担当ではあるが澪と言う第三の天才が……。
 寝てやがりました。道理でさっきから一言も話してないと思ったよ。気持ち良さそうに寝息を立てている澪を見て嘆息する。
 既に一人脱落か。
 最悪、難しい話をしていた巴に投げれば問題は無いだろう。識だって戻ってくるかもしれない。
 巴を待つ間、ルトがお茶と果物を褒めてくれたりしながらの雑談を交わし、僕は彼のするであろう時間の矛盾の話を待った。紅蜘蛛 II(水剤+粉剤)

2013年5月5日星期日

失われた希望

モリガンは、焦っていた。
ヴァンパイア公爵から与えられた策―自我を残した《生きた骸》達に、光の剣を奪わせる。
だが、それはヴァルスの予想外の反撃に因って失敗に終わってしまった。麻黄
―そして、現在。
王女を連れた一行はベオール山を囲む聖なる森を抜け、聖クラウド神殿の目前迄来ていた。
このまま神殿に逃げ込まれれば、最早モリガンの力で王女を捕らえる事は不可能となる。
使命の失敗は、公爵の多大な怒りを買う事になるだろう。
愛する美しき公爵の役に立てないばかりか、役立たずの能無しと見限られるやも知れない。
となれば、モリガンに残された選択肢は唯一つ。
―どんな手を使ってでも、神殿に着く前に王女を捕らえる事。
召還した下級悪魔達を総動員して、モリガンは王女達一行に襲撃を仕掛けた。
だが、彼等は逸早く悪魔の気配に気付いたファルシオンの御陰で襲撃から免れて逃走し。
モリガンは無数の悪魔達を従え、一行を追撃していた。
―その胸に、唯一つの想いを抱いて。

思わず零れる、苦渋の声。
背後から迫るのは、大群となった悪魔達。
恐らくはクレアを神殿に辿り着かせたく無いのだろう、今迄に無い規模の襲撃である。
ファルシオンが察してくれた事で辛うじて囲まれずには済んだが、追撃の手は緩む事が無く
普通の騎馬は素より、一角獣であるファルシオンでさえ振り切れないまま。
既に、聖クラウド神殿は目と鼻の先に迫っていた。
このままでは、神殿に悪魔の大群を引き連れて行く事となってしまう。
幾ら結界に守られた神殿とは言え、この数の悪魔に襲撃されて無傷で防げるとは思えない。
―神殿に着く前に、食い止めなければ。
これ以上、無為な犠牲を増やさない為に……クレアの心を、傷付けない為に。
ヴァルスは羽織っていたマントを外し、クレアの身体に巻き付けて鞍の把手に縛り付けた。
突然のヴァルスの行動に、クレアが驚いた表情を浮かべて顔を向ける。
握っていた手綱を把手を掴むクレアの手共括って、ヴァルスは小さく微笑んだ。
「良いですか、ファルシオンを信じて確り掴まっていて下さい。」
「ヴァルス?」
「姫を頼んだぞ、ファルシオン。」
そう言って首筋を軽く撫でるヴァルスに、ファルシオンが応える様に小さく嘶く。
困惑した眼差しで見つめて来るクレア、その頬にそっと口付けて。
ヴァルスは走るファルシオンの上から一人、飛び降りた。
「ヴァルス!?ヴァルスッ!!」
見る間に遠ざかって行くヴァルスの姿を振り返り、必死で叫ぶクレア。
「お願い、止まって!!ファルシオン!!」
しかし、ファルシオンはクレアの声等全く無視して速度を緩める事無く走り続ける。
本来、ヴァルス以外には鬣に触れる事すら許さないファルシオンである。
幾ら背に乗る事を許したとは言え、ヴァルスの言葉に逆らう様な頼みを聞く筈も無い。
落ちない様に身体を固定された状態では、飛び降りる事もままならず。
ファルシオンの背の上で、クレアは泣きながらヴァルスの名を叫び続けた。
「ヴァルスッ!?」
驚いたのは、仲間の騎士達も同様だった。
思わず馬の踵を返そうとする、ルークブレート。
しかし、それを遮ったのはジーニスの一喝だった。
「駄目だ。儂等は先ず、姫君が無事に神殿へ辿り着く迄護衛せねば。」
「……っ!!」
「姫君を想うヴァルスの行為、無駄にしてはならん。」
上官であり、他ならぬヴァルスの養父でもあるジーニスの言葉に逆らえる筈も無く。
ルークブレートは薄く奥歯を噛み締め、神殿へ顔を向けると馬の鐙を蹴った。

「貴様か、光の剣を操る騎士……。」
忌々し気に舌を打ち、立ち塞がるヴァルスを見据えるモリガン。
―この男さえ、居なければ。
あの非力な人間の王女を捕らえる等と言う使命は、容易く終わる筈だったのだ。
そうすれば、ヴァンパイア公爵にあの様な冷ややかな眼差しを向けられる事も無かった。
全て、目の前の男の所為だと思うと腸が煮え繰り返る様な怒りが沸き上がる。
モリガンの血の様な紅の唇に、艶絶な笑みが浮かんだ。
「唯一人で我等を食い止めようとは、愚かな……その無謀さに免じて、存分に嬲り尽くして
 思い付く限り、最高に無惨な姿で殺してくれる。」
長い爪の生えた白く細い指が、スラリとヴァルスに向けられる。
それを合図に、襲い掛かって来る無数の悪魔達。
ヴァルスは腰の剣を抜き放つと、迫る悪魔の群れを真っ直ぐに睨み付けた。
「……光よ!!」
声と共に、剣の刀身が強い白光を帯びて輝き出す。
その放たれた光だけで、弱い使い魔達は吹き飛ばされ消滅してしまう。
次々と薙ぎ倒されて行く悪魔達、その様子をモリガンは充分に距離を取った場所から無言で
見つめていた。
―どんなに強い力を秘めた剣でも、使い手は所詮只の人間。
この圧倒的な数の差で戦い続ければ、そう時を待たずに疲弊するのは目に見えている。
疲れ果て、剣を振るう力も失せた所で止めを刺せば良い。
その間に王女は神殿に逃げ込んでしまうだろう、だが既にモリガンには如何でも良かった。
―この男が、憎い。
心酔するヴァンパイア公爵の信頼を失い、侮蔑の眼差しを向けられた絶望と屈辱。
それを自分に味わわせた、この男が心底から憎らしい。
最早モリガンには、彼を八つ裂きにする事しか念頭に無かった。
その為に何百、何千の悪魔達を失おうと構わない。
ヴァルスが疲れ果てて膝を付く、その瞬間をモリガンは狂気に満ちた表情で待ち続けた。

漸く神殿に到着したジーニス・アニアス・ルークブレートの三人は、先に神殿へ辿り着いた
ファルシオンの背を見て、目を瞬いた。
「ヴァルスの奴、姫様に何と言う事を……!」
苦々しい呟きを零しながら、アニアスがクレアの身体に括られていた手綱とマントを外して
戒めから解放する。
ジーニスがファルシオンの背からクレアを降ろすと、それを待っていた様にファルシオンは
踵を返し、全速力で神殿の外へ走り去って行った。
「待って!!ファルシオン、私も連れて行って!!」
後を追って駆け出そうとするクレアを、ジーニスが慌てて背後から抱き止める。
しかし、クレアは捕まえる腕を引き剥がそうと必死に抵抗した。
「離してっ!!ヴァルス!!ヴァルスッッ!!!」D9 催情剤
暴れるクレアの身体を必死に捕まえるジーニス、その正面にルークブレートが歩み寄る。

ドスッ!!

鈍い音がすると同時に、力無く崩れ落ちるクレア。
その身体を、ジーニスが確りと抱え上げる。
「ルークブレート!!貴様、姫様を拳で殴る等!!」
「鳩尾に軽く一発入れて気絶させただけだ、そんなに怒るな。」
「魔法で眠らせるとか出来ないのか、この能無しが!!」
「感情の昂ってる相手には、精神魔法は効き難いんだよ。」
目角を立てるアニアスをあしらいながら、ルークブレートがジーニスに顔を向けた。
「ヴァルスが心配です、俺達も早くファルシオンを追いましょう。」
「うむ。アニアス、神殿の者達と共に姫君を休ませて差し上げてくれ。」
「は……はい。」
気を失ったクレアを、駆け付けて来た神殿の者達に託し。
数人の神殿騎士達を共に、再び来た道に馬を駆るジーニスとルークブレート。
その後ろ姿を、見送りながら。
二人がどれ程にヴァルスの身を案じていたかを察したアニアスは一人、唇を噛み締めた。

息が、荒く上がって行く。
幾ら斬れども、薙ぎ払えども、尽きる事無く襲い来る悪魔達の群れ。
戦い始めて、どれ程の時間が経過したのか。
剣を握る手は既に痺れて感覚を失い、振るう腕にも最早殆ど力は入っていない。
―クレアは、無事に神殿へ辿り着いただろうか。
ふと、脳裏を過った考えに気を取られた瞬間。
一匹の悪魔が仕掛けて来た体当たり、その衝撃に握っていた剣が弾き飛ばされる。
「しまっ……!!」
瞬く間に、周りを取り囲む悪魔達。
手を離れて光を失った剣は忽ち砕かれ、無惨な鉄屑と化して地面に散らばった。
悪魔達に手足を拘束され、抵抗する力も尽きたヴァルスの身体が地に押さえ付けられる。
その目の前に、勝ち誇った顔でヴァルスを見下したモリガンが悠々と歩み寄った。
「さぁ……これから、その身に死ぬより辛い苦痛をたっぷりと刻んでやろう。」
狂気に満ちた深紅の瞳が、笑みと共に細められる。
振り上げられる長く伸びた鋭い爪、その光景をヴァルスは何処か他人事の様に眺めていた。

ザンッ……!!

爪が風を切る、鋭い音。
しかし、その残虐な凶器がヴァルスを裂く事は無かった。
「……ファルシオン?」
目の前に散る、真紅の血飛沫。
首筋から吹き出す鮮血が、純白の体毛を見る間に染めて行く。
カラリと乾いた音を立てて地面に落ちる、長い角。
視界を塞いだ身体が崩れ落ち地面に倒れ伏す、その光景を。
ヴァルスの双眸は、瞬き一つせずに映し続けていた。
「ちっ……一角獣か、愚かな真似を。」
忌々し気に呟く、モリガンの声。
ひくり、とヴァルスの喉が鳴った。
虚ろだった瞳が、大きく見開かれる。
「は……。」
発された、息を吐き出す様な微かな声に。
ヴァルスを押さえていた下級悪魔達が、思わずビクリと身を竦ませた。

声に成らない、絶叫。
それは、全てを食らい尽くす凶暴な光の洪水と成って爆発した。
「ギャアァアァァーーーーーッッ!!!」
響き渡る、モリガンの断末魔。
消し飛んで行く、悪魔達。
やがて、溢れた光が完全に消えた時。
押し寄せていた悪魔の大群は、塵一つ残さず消滅していた。
唯一人、生き残ったモリガンが身体を痙攣させながら顔を上げる。
その姿は全身の皮膚が醜く崩れ落ち、最早自力で動く事も出来ない無惨な状態であった。
「馬鹿、な……その力は、剣では、無く……貴様、自身の……?」
溶けた顔から零れ落ちそうな眼球が、肩で息をしているヴァルスの姿を凝視する。
「おのれ……光の、騎士め……貴様、だけは……!」
モリガンは最期の力を振り絞ると、長い爪の生えた手で自らの首を掻き切った。
切り離された首が、大きく裂けた口を開いてヴァルスに襲い掛かる。
「っ……!!」
力を使い果たし蹲っていたヴァルスに、突然の攻撃を避ける術は無く。
首筋に深々と突き刺さる、モリガンの牙。
「これで……貴様は、公爵殿下の操り人形……呪われるが良い……ヒャハハハッ……!!」
狂気じみた笑い声を残し、モリガンの首は砂の様に崩れ落ちた。
ヴァルスの手が、鈍々と首筋に伸びる。
右の首筋に刻まれた牙の痕、その場所が瞬く間に醜く腫れ上がって行く。
―《生きた骸》と化した人々の、それと同じ様に。
力の入らない身体に鞭打って、ヴァルスは立ち上がった。
「ヴァルスッ!!」
神殿の方から響く、名を呼ぶ声と蹄の音。
ルークブレートとジーニス、そして神殿の騎士だろう鎧姿が数人、馬に乗って駆けて来る。
「無事だったか、ヴァ……!」
「来るなっっ!!!」
喉から絞り出す様な、ヴァルスの叫び声に。
駆け寄ろうとしたルークブレートとジーニスは、思わず足を止めた。
「ヴァルス?」
「来るな……俺は……!!」
蒼白な顔で、背後の森へと後ずさるヴァルス。
明らかに普通では無い息子の様子に、眉を顰めるジーニス。
その首筋を押さえる青白い手に、ジーニスは彼の身に起こった事を察して愕然とした。
「お前、まさか……《生きた骸》に……。」
呟かれた言葉に、傍のルークブレートがヴァルスを凝視する。
ヴァルスは力無い表情で、薄く微笑った。
「頼む……このまま、行かせてくれ……俺が、人間で在る内に……。」
背を向けると、木々に凭れる様にして覚束無い足取りで歩き出すヴァルス。
そのまま森の奥深くへ消えて行く後ろ姿を、ルークブレートとジーニスは黙って見送るより
他に無かった。

意識を取り戻したクレアの視界に映ったのは、見慣れない模様の描かれた天蓋。
王宮の自室にあった物にも劣らない豪奢なベッドの上に、クレアは横たわっていた。
「ここは……。」
「御気付きになれましたか、姫様。」
聞き馴染んだ声と共に、傍へと歩み寄る気配に顔を向ける。
「アニアス。」
「この部屋は、王族が聖クラウド神殿を訪れる際に使われる専用の客室だそうです。」
「聖クラウド神殿……。」
そう、確かに自分達はこの神殿を目指していた。
悪魔達に襲われ、追われながらも如何にか無事に辿り着いたのだ。
ここに至る迄の経緯を思い出したクレアは、同時に弾かれた様に身を起こした。
「ヴァルス!!アニアス、ヴァルスは何処!?」
「……………。」
「アニアス……何故、黙っているの?答えて、ヴァルスは……っ!!」
「ヴァルスは、消息不明です。」
躊躇い無く答えを告げた声にアニアスが振り返れば、そこには扉を開けて部屋に入って来る
ルークブレートとジーニスの姿。
「ルークブレートッ!!貴様、姫様の前で!!」
「ここで隠して如何する、直ぐに分かっちまう事だろ。」
「消息不明、って……如何言う事?」挺三天
震える声で問い掛ける、クレア。
ジーニスは彼女の傍に歩み寄ると、肩に手を置いて真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「姫君……ヴァルスの事は、諦めて頂きたい。」
「ジーニス、伯父さま……?」
「我々が駆け付けた時、悪魔の歯牙に掛かったヴァルスは我々を拒絶して姿を消しました。
 恐らくは《生きた骸》と化して人間を襲う前に、自ら命を絶ったでしょう。」
「……嘘。」
「どちらにせよ、我々の知るヴァルスは二度と戻りますまい……ですから、姫君にはさぞや
 辛い事かと思いますが、どうか御諦めを……。」
「嘘……嘘、嘘っ、嘘っっ!!!」
拒絶する様に、悲鳴の様に叫びながら大きく頭を振るクレア。
「ヴァルス、約束したもの!!ずっと、守ってくれるって……側に居てくれるって!!」
そのまま、両手で顔を覆い悲痛な声を上げて泣きじゃくる彼女の姿に。
三人の騎士は、沈痛な面持ちで顔を見合わせた。
無理も無い。
唐突に王と王妃を喪った王女にとって、ヴァルスの存在は唯一の心の支えだったのだ。
それすら奪われたクレアの哀しみと絶望を慰める術等、ある筈も無く。
彼等には、その姿を痛まし気に見つめる事しか出来なかった。

光の無い、漆黒の闇に包まれた部屋。
静寂の中で微かに聞こえるのは、啜り泣く少女の哀し気な声。
騎士達が成す術の無いまま部屋を出て行った後も、クレアは横たわったベッドの枕に伏して
泣き続けていた。
『姫……聖王の血を引きし、人間の姫よ……。』
闇の中に響く、声。
人の物とは思えない程の、澄んだ鈴の音の様な声色にクレアが顔を上げる。
泣き腫らして真っ赤になった目を擦り見上げたそこには、美しい女性が宙に浮いていた。
―輝く黄金色の髪と、人には有り得ない濃い青を宿した瞳。
その容姿は、何処かヴァルスに似ている気がした。
「貴女……は?」
『私は、聖霊族の女王……人間の姫よ、私と共においでなさい。』
「……………。」
『そなたの求める者が、そなたの力を必要としています。時間がありません、さあ……。』
差し伸べられる、白い腕。
クレアは吸い寄せられる様に、その手に自分の手を重ねた。
一瞬、宙に浮く様な奇妙な感覚に襲われて思わず目を閉じる。
―そして。
再び目を開けた時、そこは先刻迄居た暗い部屋とは全く別の場所だった。
辺りを見回せば生い茂る木々と草花、頭上を見れば木の葉の間から覗く星空。
夜である筈なのに、今居る場所は酷く明るい。
まるで空間そのものが光り輝いているかの様に、そこは眩い明るさに包まれていた。
「ここは……。」
『我等、聖霊族が住まう森の聖地です……先ずは、その服を。』
女王がフワリと腕を翳せば、クレアの着ていた服が純白の薄いローブへと形を変える。
『この地に、人間の穢れを入れるのは本意ではありませんが……此度は、止むを得ません。
 さ、おいでなさい。』
付いて来る様に促す女王の後を追って、歩き出すクレア。
程無く視界が開け、目の前に小さな湖が現れる。
その中央……一際強い輝きを放つ光の柱の中、祭壇に横たわる人影があった。
「……ヴァルスッ!!」
『御待ちなさい。』
諌める女王の声に、駆け寄ろうとしたクレアが途惑った表情を浮かべて振り返る。
『あの子は、その身に酷い穢れを受けています……我等の力でも浄化出来ない程の、邪悪な
 力に因る呪わしき穢れを。』
「そんな……。」
『今は聖地の封印に因って辛うじて人の身を保ってはいますが、長くは持たないでしょう。
 程無くその身は《生きた骸》と化し、意志を持たぬ悪魔の傀儡と成り果てる。』
「何か、方法は……ヴァルスを助ける方法は、無いんですか!?」
必死の形相で縋る様な眼差しを向けて来る、クレアに。
女王は目を細め、白い手でクレアの胸元を指差した。
『そなたに宿った、聖王の力……その力ならば、あの子の穢れを浄化出来るでしょう。』
「私の、力……?」
『しかし、あの子は既に全身を穢れに侵された身。その上、一度は自らその身を刃で貫いて
 命を絶とうとした。』
「自分で、命を……如何して!?」
『大切な者を傷付ける事が、耐えられなかったのでしょう……しかし、既に《生きた骸》と
 化しつつあった身は、死ねなかった。今のあの子にそなたの浄化の力を使えば、あの子は
 そのまま、消滅するでしょう。』
「……………。」
『あの子に、生きようとする強い意志を取り戻させる事……出来ますか?人間の姫よ。』
問い掛ける女王の言葉に、クレアが蒼白な顔で唇を噛み締める。
ヴァルスを助けたい……しかし、自分の力がヴァルスを消滅させてしまうかも知れない。
何よりも大切な最愛の人をこの手で消す事になる等、想像するだけでも恐ろしかった。
『もう、時間がありません……このまま時が過ぎれば、あの子は人としての生を失います。
 そなたは何もしないまま、変わり果てて行くあの子を眺めているだけで良いのですか?』
女王の透き通った声が、冷たく響き渡る。
再び、横たわるヴァルスへと顔を向けるクレア。
―助けたい。
このまま失う事等、耐えられる筈が無い。
初めて出会った幼い日から、ヴァルスの存在はクレアの全てだった。
立派な大人達に囲まれ大切に守られ育った彼女にとって、唯一人の同年代の少年。
笑ってくれる事、名前を呼んでくれる事、一緒に居られる事……何もかもが、嬉しくて。
ずっと、一緒に居られると思っていた。
何時かは然るべき相手と結婚する事になるのだと、分かっていてさえも。
ヴァルスと離れるなんて事は、絶対に考えられなかった。
両親も、故郷も、全て喪って尚こうして立って歩いて来られたのは、ヴァルスが居たから。
そう……彼の存在は、こんなにも自分を支えてくれていたのだ。
―ならば。
クレアがゆっくりと、湖に足を踏み入れる。
今度は、女王も止めなかった。
腰迄浸かる透明な水を掻く様にして、ヴァルスに歩み寄るクレア。
その水音に気付いたのか、閉じられていた瞼が開いて蒼石の瞳がクレアに向けられた。
「……クレア。」
「ヴァルス……!」
「来るなっ!!」
振り絞る様な声で発された、鋭い拒絶の言葉に。VIVID XXL 
ビクリと肩を竦ませ、湖の直中に立ち尽くすクレア。
「来るな、クレア……俺はもう、生きた人間じゃ無い……。」
醜く腫れ上がった牙の痕を左手で覆いながら、鈍々と身体を起こすヴァルス。
身に纏う聖霊族の簡素な白い服から覗く、最早完全に血の気が失われた青白い肌。
開けた胸元の左側には、自分の手で貫いたと言う刃の傷痕が生々しく刻まれている。
荒い息を付く痛々しい姿に、クレアは唇を噛み締めて再び歩を進め始めた。
「駄目だっ!!来るな、クレア……俺は、お前を……お前を、手に掛けたく無いっ!!」
「だから……一人で、逝ってしまうの?」
怯えた様に身を引くヴァルス、その首筋に腕を回して冷たい身体を抱き寄せるクレア。
「なら、せめて……最期迄、一緒に居させて。その後、私も貴方を追って行くから。」
「クレアッ……!?」
「貴方の居ない世界で、生きる意味なんて無いもの……だから、一緒に逝くわ。」
「……………。」
「好きよ、ヴァルス……貴方が、好き。」
耳元で囁かれた、甘く優しい声に。
目を見開いたヴァルス、その手がクレアの身体を抱き締める様に回され……しかし、実際に
触れる事無く、押し止められる。
「……………駄目だ。」
「ヴァルス。」
「お前は、生きろ……お前は、ラスティアの王女だ。一介の騎士なんかの為に、死んで良い
 身分じゃ無い。」
「私の命は、私の物よ。如何するかは、私が決めるわ。」
「クレアッ!!」
「如何しても、私に生きろと言うなら……貴方も、生きて。」
「な……。」
「どんな姿になっても良いの、貴方さえ生きて側に居てくれるなら……私は、何があっても
 生きて行ける。」
「クレア……。」
「貴方は、私の全て……だからお願い、生きて!!ヴァルス―!!」
ヴァルスの身体を確りと抱き締めるクレア、その全身が淡く光を纏う。
発される光は瞬く間に輝きを増し、湖一帯を飲み込む光の柱となって天を貫いた―。

気が付けば、そこは光の無い漆黒の闇に包まれた部屋の中だった。
ベッドの上で暫し茫然と座り込んでいたクレアは、ふと我に返って辺りを見回す。
「……ヴァルス?」
身に纏うのは神殿で目覚めた時に着ていた夜着では無く、白地の薄いローブ。
夢では無い―クレアは、確かにその手で触れていた筈の愛しい者の姿を求めて立ち上がる。
しかし、静まり返った部屋の中に自分以外の人の気配は無く。
窓を開けてバルコニーへ出れば、眼下には黒々とした広大な森が広がっていた。
「ヴァルス……。」
バルコニーの手摺に手を掛けたまま、力を失った様に座り込む。
無意識の内に、双眸からボロボロと零れ落ちる涙。
愛しい青年が如何なったのか、最早クレアに知る術は無く。
先刻迄居た筈の森を虚ろに見つめ、彼女はただ声も無く泣き続ける事しか出来なかった福潤宝

2013年5月1日星期三

ジャッジメントタイム

一歩足を踏み入れるとギィっと木の板で出来た床が軋む。
 
「ここにストレインがいるのか」
 
室内は薄暗いながらも、所処に明かりが灯されて真っ暗というわけではない。
 
視界を気にしながら智弘は慎重に足を踏み出す。OB蛋白痩身素(3代)
 
手に持つのは兄が残した形見の銃だ。
 
「……これでストレインは殺せないと言っていたな。このカードみたいなのが一体何の役に立つっていうんだろう。団長は戦闘になれば分かると言っていたが」
 
神殺しの武器だと言われたが彼は信じていない。
 
朽ちた教会内を歩き、ストレインの居場所を探す。
 
やがて、彼は礼拝堂へとたどり着く。
 
そこには壊死した片腕を失ったストレインがひとりでいた。
 
「ほぅ、外が騒がしいと思っていたが、最初に来たのはお前か。覚えているぞ、我が左腕を失わさせた人間の弟だな」
 
「お前の左腕をダメにした男の名前は菅野憲司。そして、その兄の意思を継ぎ、お前を殺す男の名前は菅野智弘。どちらも覚えておけよ」
 
「笑わせてくれる。貴様ごときに私が倒されるはずがないだろう?この片腕、失わせたあの男は確か人間にしては強い相手だった。手強かったが、所詮は人間だ。致命打を負えば死ぬ。神と人、その差は圧倒的な差があるのだ」
 
ストレインは身体能力を活性化させ、傷の再生能力を飛躍的にあげる薬の錠剤を多量に摂取しはじめた。
 
自らの命を削りながらも、すべてを破壊するために――。
 
「人間と神族の差?そんなもの、どうでもいいよ。俺はストレインをぶち殺す。それだけが望み、そのためにここにいる」
 
交差する視線、お互いにやる気に満ちていた。
 
ストレインは剣を構えて、智弘は拳銃を向ける。
 
「神殿騎士団によってすでにここは包囲されているぜ。お前に逃げ場所などない」
 
「さっさとお前を殺して神殿騎士共も血祭りにあげればいいいだけだ。人間は脆く弱い生き物だ。さぁ、始めよう」
 
「いいぜ、ストレイン。ジャッジメントタイム、裁きの時間だ。俺がお前を断罪する」
 
智弘は殺意を込めて銃の引き金を引いた。
 
「ストレイン。アンタを殺す。殺してやる!」
 
「殺せるものなら殺して見せろ」
 
突如、周囲を巻き込む爆発が起きて教会内が燃え始めた。
 
燃え盛る炎の中で、ストレインは智弘を剣で切り刻む。
 
智弘は瞬時に判断し、上半身を逸らしてその攻撃を避けた。
 
「正義、正義とほざいたワリにはこの程度か?」
 
ストレインは余裕の笑みで智弘をさらに追い込んでいく。
 
「……何で銃が効かないんだよ」
 
智弘は息を荒くして、空になった弾倉を交換する。
 
彼はストレインに既に数発の銃弾を打ち込んだ。
 
しかし、相手はそれを苦ともしない。
 
再生能力が銃弾の攻撃が致命傷になる前に回復させているのだ。
 
だが、痛みがないわけではないので、若干ながら足は止まる。
 
「これなら神殿騎士団の連中を相手にしていた方が楽しめたな」
 
「ちくしょう。好き勝手にさせるかよっ!!」
 
湧き上がる憎悪が智弘を突き動かしている。
 
悪態つきながら彼はストレインに再び発砲する。
 
「小賢しい。そろそろ……フィナーレにしようか。もう貴様には飽きた」
 
振り下ろされたストレインの剣が智弘を襲う。
 
彼はかろうじて自らの銃を盾にして、その重い一撃を耐える。
 
「ぐっ、ぁああ!!」
 
だが、剣の勢いは防ぎきれずそのまま吹き飛ばされる。
 
燃えさかる祭壇に衝突し、彼はむせかえった。美諾荷葉纖姿
 
炎と煙にまかれ、視界はさえぎられ呼吸もままならない。
 
盾にした拳銃は真っ二つに寸断されてもう使い物にならなかった。
 
智弘の瞳にうつるのは絶望の二文字。
 
「終わりだな。最後にひとつだけ聞かせろ」
 
地面にひれ伏せたの智弘にストレインは剣を首筋に突きつけた。
 
「人間ふぜいがなぜ、この私に牙を向けた?」
 
「アンタが俺の兄貴を殺した。罪のない人たちの命を奪ったアンタを絶対に許せない。だから、俺がアンタを殺す。全ての罪を断罪するために」
 
痛みに苦しみ、うわ言のようにそう答える智弘にストレインは失笑した。
 
「断罪、くだらんな。人ごときが我を断罪する?できぬことを言うな。人間が神を殺すなど不可能。子供の戯言だと知れ」
 
これ以上智弘に興味がなくなったのか、彼は剣を首筋から離した。
 
火災により柱が朽ちていく、教会が崩れるのは時間の問題だろう
 
果てしない闇が広がるのを感じながら智弘はストレインを睨み付けていた。
 
まるで獣のような強く荒々しい闘志を持つ瞳。
 
身体が燃えるように熱い、体力を消耗し、傷だらけになりながらもまだ諦めない。
 
額から流れる血を智弘は拭い去った。
 
「神は死なない。そんなのはやってみなきゃ分からないだろ」
 
自分の血の匂いに震えながら、それでも立ち上がろうとする。
 
その時だった、神宮司から渡されたカードが光を放つ。
 
『――我らが剣、我らが正義。その意思と共に解放する』
 
人ならざる者の声に智弘は自らの意識を集中させる。
 
神殺しのための武器、そう呼ばれる神器がこの世界には8つ存在する。
 
それぞれの望む形に姿を変え、愚かしい邪神を滅するために作られた武器。
 
これは守護騎士にだけ与えられた、神を殺す力――。
 
「――我らが剣、我らが正義。その意思と共に解放する」
 
智弘は復唱すると、残り少ない力で握り締めていたのは一挺の拳銃だった。
 
先ほどの拳銃とは違い、銃身を白銀に彩られたその新たな銃。
 
まるで宝石を施したような装飾銃に魅入られそうになる。
 
「何をしても無駄だ。そんなに死に急ぎたいのか」
 
智弘は例え、希望が潰えても死ぬまでは諦めないと覚悟していた。
 
そのために“彼ら”から託されたこの銃を使用する。
 
「死ぬのはアンタだよ。……この銃に刻み込んでやる」
 
必死の形相で彼はその白銀の拳銃を構えた。
 
「――ストレイン!アンタの名前をなっ!」
 
彼はその名を叫び、全ての想いを込めて引き金をひいた。
 
それは狼の咆哮にも似た発砲音だった。
 
使命感に帯びた弾丸がストレインを貫いたと同時に教会が爆発を起こす。
 
建物を震わせる爆風に身体を持っていかれる智弘。
 
勢いよく地面を転がり、彼はそのまま意識を失った。
 
「……まさ……か。そんな馬鹿な?」
 
その光景を眺めていたストレインは自らの身体に起こった変化に驚愕していた。
 
神殺しの騎士銃で胸を撃ち抜かれ、身体を押さえる手についた鮮血を見る。
 
その血が乾いてくような感覚、まるで身体を毒に浸食されていくようだった。
 
「神殺しだと。私の再生能力が停止した、そんなバカな……こんなはずでは、グフッ」
 
ストレインは吐血すると、倒れこんだ智弘の握り締める拳銃を見つめた。
 
「私の命が終わるというのか……まさかこんな子供に断罪されるとは。視界が闇色に染まる。なるほど……これが……死ぬということか」
 
彼が最後に呟いた言葉、自らの命を持って自らの罪を知る。
 
炎と共に崩壊していく教会、二人の男の姿は暗闇に消えていく。
 
言いようのない憎しみを抱き、戦いに身を投じた少年は兄の仇を討ったのだった。
 
 
 
同時刻、神殿騎士ラルクは神界犯罪人マクスウェルを追い込んでいた。
 
彼のキャスト、『空間転送(テレポート)』には弱点となる回数制限がある。
 
無理やり空間を移動する力のために、消費する力も大きいためだ。
 
前回、ストレインを逃すために使用したためにキャストが使えないのだ。数字減肥
 
だからこそ、彼は転移結界を使わざるを得ない。
 
「お得意のテレポートもできませんよ。どうしますか、降伏するならそれもよし。しないのならば、貴方をここで氷殺します」
 
「ふっ、当然の事を聞くのだな。死なぬよ、ここでは死なぬ」
 
マクスウェルはラルクに対して攻撃をしようとする。
 
だが、それよりも早く彼の剣は氷を放ち、マクスウェルの身体を凍りつかせた。
 
足を凍りつかされ、身動きできない彼にラルクは剣を突きつける。
 
「貴方はシュバルツだ。神界犯罪人としてその罪を断罪する。覚悟はできましたか?」
 
「くっ、足が……。なぜだ、こんなはずが……っ!?」
 
「もう逃げらません。神界犯罪人、マクスウェル。終わりの時間です」
 
首筋に騎士剣を突きたて、彼は静かに言い放った。
 
マクスウェルは顔を強張らせて、冷や汗を浮かべていた。
 
「……逃げるのが得意なマクスウェルもキャストを使えなければ、この程度ですか」
 
「貴様っ!私を殺したところでどうにもならんぞ。シュバルツこそが、この世界を混沌に導き、破壊と再生を行う。その流れは誰にも止められない」
 
「シュバルツの理念、信念。その愚かな存在意義を認めるつもりはありませんよ。いずれ、機会があれば俺達、ガーディアンエイトがシュバルツを滅ぼします」
 
ラルクは守護騎士として神界犯罪人を処刑する。
 
「自らの罪を死を持って償いなさい、それが貴方のできる唯一の贖罪ですよ」
 
そのまま、騎士剣を振りおろしてラルクはマクスウェルを切った。
 
「ぐぅ、うあぁあっ……――」
 
切り裂かれた傷口が凍りついていき、マクスウェルは絶命し倒れこんだ。
 
「エルフィーナ。迷える魂を導いてあげてくれ」
 
彼はそう告げて剣を鞘へと戻し、戦いを終えたラルクは神宮司に連絡をとる。
 
「こちらはラルクです。神宮寺団長、マクスウェルの処刑は終わりました。ストレインの方はどうなりましたか?智弘は、まだ生きていますか?」
 
『分からないが、大きな炎上が起きて教会が燃えている。調べたら中の生命反応はひとつしかない。これから部下に現場へ向かわせるが僕の予想だと、ストレインは死んだよ。まさかの展開だ。智弘には“神殺し”の資格があったらしい』
 
「そうですか。彼も“神殺し”になったのですね」
 
ラルクは複雑そうな表情を見せてそう呟いた。
 
それが“白銀の狼”と呼ばれる、世界から恐れられる守護騎士の誕生だった――。玉露嬌 Virgin Vapour

2013年4月28日星期日

王の住まい

「お約束も無く、失礼致します」
イリアス・バートランドは、傍に来る颯爽とした歩みも、目の前で行なわれる美しい形の礼も、ファーガスの好む凛然とした佇まいの薔薇のようで、見ているだけで目が和む。
品のある所作の出来ないフェルナーやハワードとは雲泥の差である。VIVID
近頃では、イリアスがシーゼス家の後継であったなら、と思う事しきりだった。その最中のあの事件である。妃の身内とは言え、フェルナーには絶望を通り越した思いしか持てなかった。
「この後は、特に用も無いので構わぬよ。……その薔薇は、お前の好きな所に活けて置きなさい」
鷹揚に挨拶を受け、最後の言葉は侍従に。
「かしこまりました」
下がれ、と手で示すのに三人の侍従は静かに離れていった。
「殿下が薔薇を切られるとは、お珍しい」
ファーガスは切り花を好まない。土に植えられたそのままの姿を愛でるのを見知っているイリアスは、不思議そうな顔をしていた。
「あまりに不快な事があったので、ついな……薔薇には気の毒な事をしてしまった」
「不快……でございますか。侍従に、メイナード公とお話中と伺いましたが……」
「そうだ。あれと話すと不快な事ばかりだ!」
本当に毎度毎度、顔を合わせると碌な事がない。
私室に向かう足が、先程の遣り取りを思い出し、憤りに大きな音を立てた。
「殿下の害としかならない相手ですから……」
少し後ろを歩きながら頷くイリアスに、その通りだと思いながら声を掛ける。
「……それで、用件は何だね?」
ファーガスの姿に、私室の扉の前に立つ、二人の侍従が恭しく礼をする。そして、それぞれが左右の把手を持って扉を開ける。
中に入りソファに身を落ち着けると、正面の席を示したイリアスは、その席に着きながら口を開いた。
「シーゼス家にて何やら事件が起こったのではありませんか?」
「もう、そなたの耳にまで届いているのか?」
苦々しい思いで唇を歪める。メイナードの言った通り、シーゼス家の緘口令など何の役にも立っていない。
ファーガスは、メイナードと取引きしなかった場合を思うと、ぞっとした。
間違いなく、どこかの貴族の口からこの事は兄王の耳に入っただろう。いや、メイナード自身が入れた筈だ。
だが、取引きが成立した今、どれ程の貴族がこの事を知ろうと、明日には皆口を噤む。兄王の耳まで届く事無く、この話題は消えるのだ。
それが、ファーガスが欲して止まない、メイナードの持つ力だ。
「商いをする者として、情報を得る為周囲にはいつも気を配っておりますので……」
肯定の返事に、溜め息が漏れる。
「そうだ。フェルナーの愚か者が、メイナードの庇護する孤児院を荒らした挙句に、視察に来ていた公爵と諍いを起して手傷を負わせたのだ。挙句に、その事で父親と争ったのか、父にまで手を掛けるという……取り返しの付かぬ事を仕出かしたのだ」
そのせいで、渡さぬように守っていた香辛料の交易権をメイナードに渡す事となってしまった。怒りの治めようがない最悪の出来事だった。
「それで……メイナード公とのお話とは……事を荒立てない代わりの条件を殿下に示された、という訳ですね……」
「ああ。その通りだ。シーゼスとリレステルの家は残るが……フェルナーとハワードを望む方法で罰するだけでは飽きたらず、私にまで痛みを強いる。本当に、忌々しい男だ!」
何故あんな、王族虐めが生きがいのような男が同じ時代に存在するのだ。
膝の上で強く握り締めた拳が震えた。
「シーゼス家とリレステル家の後継者への罰……とは、如何様な物なのでしょうか?」
「後継者から降ろし、貴族の地位も剥奪し、一兵士として北の前線送りだ。……幾らなんでも、貴族が貴族の子弟に科す罰とは思えぬ。過酷に過ぎる!」
二人の首をメイナードに差し出して事が収まれば、と思ってはいた。
そして、それを要求されれば、受け入れるつもりだった。
だが、首を差し出すとは、生涯表舞台に立たせぬよう地方に蟄居が妥当な所だと思っていた。
それが、一般の民と同じように扱う上に、いつ死んでもおかしくない場所に送るなど、遣り過ぎとしか思えなかった。
フェルナーが真実父親を殺したと言うならともかく、シーゼス侯爵はなんとか命を取り留めているのだ。そこまでしなくとも事を収められるだろうに、あの男にはメイナードの一族以外への労りが微塵もない。
自分とその一族。そして、謙り味方となる者以外は、人間扱いするつもりなどないのだ。それはもちろん王家たるヴェルルーニに対しても同様である。
今回の事で、つくづくそれを思い知らされた。
「よろしかったではありませんか」
思わぬ言葉が、涼やかな声音にて耳に届いた。
「何がだ? そなたは、私の話を聞いていないのか?」
ファーガスは怪訝に眉を顰め、イリアスの笑みを浮かべた顔を見遣った。
「殿下は常々、あのお二人の行いに頭を悩ませておられたではありませんか。問題を起こすばかりで、有益な事業を任せても潰してしまう。何一つオーサー様の為にならない、と。……オーサー様が戻られた際、あの二人が変わらず王都に在り、そのお傍に付くようになれば、どのような事を起こしてしまうか分かりません。それを公爵に追求されるのに比べれば、遥かに良かったではありませんか。……公爵は、お二人を処罰するだけで、シーゼス家とリレステル家を潰すとまではされなかったのでしょう? 両家が残るのでしたら、殿下にとってはそう悪い事ではないかと。……もし、殿下が、お二人の行動が目に余るとして罰をお与えになれば、両家との間に軋轢が生じますが、公爵がするなら両家は殿下に牙を向けたりはなさらないでしょう。それどころか、殿下は公爵が両家に多大な傷を付けぬよう、ご自身が痛みを負ってお庇いになられたのです。今回の事で、両家は殿下に返しきれぬ大恩を受ける事となりました。……公爵は今頃、交易権を握りしてやったりと思われているでしょうが、それは違います。殿下が、ご自身とオーサー様の害になる者達を、公爵を使って上手く排除なされたのです」
滔々と淀みなく語られるのに、確かに、そう考えればそうなのだ。
しかし、二人が消える事によりその問題行動に悩まされなくなる以上に、香辛料の交易権をメイナードに許す事が悔しくてならないのだ。
「……メイナードの出してきた条件がそれだけならな。過酷な罰も、それで納得出来ようが……来年早々に、私の香辛料の利は半減するだろうな……」
半減で済めば良いが、最悪潰されかねない。
もっとも、王の目がある故、完全に潰すような真似はしてこないだろうが、こちらを気遣った交易をするとはとても思えない。
そして、最大の輸入相手である南の大陸の国々は、こぞってあの男が香辛料の交易に着手する事を望んでいるのだ。話し合いの場を持つ度その事を持ち出されるのに、ファーガスはほとほとウンザリしていた。
自分達も悪い条件で交易しているとは思わない。
それなのに、相手方が望むのはメイナードなのだ。
納得いかないファーガスに、相手方はその理由に関して言葉を濁すが、その端々に伝わってくるのは信用度が違う、という甚だ腹立たしい物である。強力催眠謎幻水
メイナードは香辛料の国外交易をしていない。それなのに、他の品目の交易を見ている商人達は、ファーガスが揃える者よりもメイナードの揃える者達の方が信用出来ると考えているのだ。
そんな中、フェルナーが危機管理を怠り、騙されて会社を潰した。
ますます商人達の目が厳しくなったのは言うまでもない。
そこに、とうとうあの男が一族を率いて参入するのだ。
商人達がどちらに流れるかなど、誰にでも簡単に察せられるという物だ。
他国の商人達に対しても、王族、と言う肩書きなど、メイナードの家名とあの男の交易実績の前では何の役にも立たない。
「その、香辛料の事なのですが……此度の不祥事により存在を消されるフェルナー・シーゼス殿に、今一度事業を任せる事は不可能でございます。ですが、代わりとしてメイナード公だけを新たに推薦するのも、殿下としては納得行かぬ事かと。……よろしければ、そこに私を加えて推薦して頂けないでしょうか? さすれば、必ずや殿下のご恩に報いさせて頂きます」
「ああ……それは良いな。メイナードだけを推薦しなければならない、と言う条件はなかったしな。……だが、あの一族を相手に、そなたであろうと、あまり利は見込めぬだろうな」
王弟の自分でさえ不利なのだ。
残念だが、商才に長けていようと、今はまだ小身のイリアスが太刀打ちできる相手ではない。
「あの一族を相手に、最初から大きな利を得られるなどとは思っておりません。……それに、下手に目立てば潰されます。ゆっくりと警戒されぬよう大きくして行くつもりでございます。……いくら結束の固いメイナードの一族とは言え、隙がまったく無いなど、そのような事は在り得ぬと思いますので」
「そうだな。メイナードにのみ許すのでは苛立ちが治まらぬ。そなたの名も、兄上に伝えておこう」
「ありがとうございます。必ずや、ご期待に沿うてご覧にいれます!」
深々と頭を下げる姿にゆったりと笑う。
この男ともっと早く知り合っていれば、フェルナーに交易権など与えなかった。
そうすれば一ヶ月前、事業を潰したと兄にもメイナードにも煩く言われる事もなかった筈だ。
しかし、フェルナーに交易権を与えた一年前、その当時のイリアスはまだ家督を継いでいなかった。
年老いた父男爵の補佐をしており、誰も名を知らぬような存在だった。
王族のファーガスとの交流など無く、かと言ってメイナードの傘下でもなかった。どちらにも関わらず、静かに慎ましく暮らしていた。その暮らしぶりは、近年その存在が大きな物となりつつある王都の豪商達の方が、遥かに豊かで華やかな物と言える程だった。
とは言え、イリアスは知性ある才能豊かな青年だ。
たとえ、目立たぬようひっそりと暮らしていても、誰かの目に留まり、多少はその名が人々の間に伝わる物だ。
しかし、まったくその存在が誰の口にも上らなかった所を見ると、本人がわざとそうしていたと考えるのが妥当な所だろう。
経歴を調べてみると、最難関の王立大学を首席で卒業していた。
それだけで有名人となっていてもおかしくないと言うのに、イリアスは自己主張など一切せず、影に消えていた。
下手に目立てば潰されるとの本人の言葉どおり、恐らく、爵位を持つまでは自分に誰の目も当たらぬようにしたかったのだろう。
貴族の権威が強いこのリディエマでは、貴族の家の当主たる証の爵位とは、たとえ最下位の男爵であろうと、身を守るのに有ると無いでは大違いの盾となる。
爵位を得るまでは目立たぬと決めていたのならば、わざと成績を落としておいた方が良いのではないかとも思うが、イリアスの生家、バートランド男爵家はまともな領地と言える物も無いような、あまり裕福ではない貴族だ。授業料免除は欲しかったのだろう。
だが、首席を取っても、彼の前年が女性初のカトリーヌ・ダリューであり、後年がルーク・メイナードである。それらの華々しい存在に挟まれた故、目立たぬよう話題から消えるのは容易かったのだろうと思う。

それが半年前、父男爵が亡くなり家督を継いだ途端、変貌を見せた。
爵位を得たイリアスは、それまで父親が小さく行なっていた商いを手広く行なうよう仕組みを変え、それを見事に成功させた。
そして、丁度その頃ファーガスの前に現れたのだ。
夜会の席にて、ファーガスに近しい誰の縁戚でも無い身でありながら、媚び諂う事無く堂々と話しかけてきた。
その姿と佇まいの美しさに、ファーガスは話を聞く気になった。
そして、己の傍に取り立てたのだ。
フェルナーとハワードはイリアスが小身貴族という事で侮り蔑んでいたが、ファーガスは自分にのみ語ったその野心が気に入った。

『メイナード公の下に付けば、彼の勢力は磐石で、我が身の安泰は約束されましょう。ですが、私がメイナード公となる事は叶いません。その逆に、失礼ですが殿下の周囲は脆弱で不安定です。その側に在れば、我が身の安泰など難しいでしょうが……殿下を脅かす者に勝ちさえすれば、私がメイナード公になれます。そうでございますよね。殿下』

メイナードに与しその末端に加わるよりも、自分に付き、より大きな物を手に入れたい。
メイナードが何百年も掛けて積み上げてきた権力を崩す事は難しい。だが、生涯懸けてでもそれを成し遂げ、自分とオーサーを頂点に据え、己がメイナードのような存在となりたい。

耳に心地良い涼やかな声音で語られるイリアスのその野望に、ファーガスはフェルナーやハワードのような口先だけの物を感じなかった。
自分を真っ直ぐに見つめる、強い意思の宿る赤茶色の瞳に、必ず遣り遂げるのだと信じられる物が見えた。

そして、その後、イリアスはファーガスの期待に充分以上に応えてくれている。
イリアスは、真実メイナードのような経営手腕を持つ男だった。その上、ファーガスを崇め利を運んでくれる姿に心を許すのに、そう時間は掛からなかった。
「……今は、そなたの事業の成長が何より楽しみだ。助力は惜しまぬから、励めよ」
現在は、最も大事にしている薔薇の流通事業もイリアスにほぼ任せている。順調に利を伸ばしていく姿に、大変満足していた。
「お言葉、感謝いたします。……では、図々しくも今一つ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「今すぐ、とは申しませんが……必ず、サイラス・カシュクール侯爵をメイナード公と袂を別たせ、殿下の下に取り込んでください。彼の方の人望とカシュクール家の養蚕技術はオーサー様の為に大きな強みとなります。そして、幾らメイナード公といえど、侯爵を失うのは痛手が大きい筈。親友であり、貴族を束ねるのにその人望をかなり利用されておられるようですので」
「それは、私も考えておる……中々色好い返事が貰えぬが、オーサーを戻す前までには何とかするつもりだ」
メイナード家に逆らう貴族など滅多に居ないが、それでも議会に於いて、稀に反対意見が出たりもする。
現当主のルーク・メイナードが、それまでの当主達よりも、貴族の利ではなく民の利を優先する案を通そうとする事が多いからだ。
その行いに、宰相もメイナードの側に付いていても不満の声が上がった場合、宥め役となるのは主にメイナードの長老達なのだが、近年その中に、サイラス・カシュクールが入っている。
そして、彼は長老達よりも遥かに話を纏める術に長けていた。印度神油
彼は不思議な男で、何故かメイナードの親友と知っていても嫌悪の感情が芽生えないのだ。自然とするりと心に入って来て、楽しく語らいの時間を持ってしまう独特の雰囲気を持っている。
しかも、その奥方シンシアが、どの貴族の家の奥方にも愛されている美顔水の製作者である。
サイラスが訪れたとなると、奥方達はシンシアとより懇意になりたいとこぞって丁重に迎えると言うのに、それを当主達がメイナードの親友だからと邪険にしよう物なら、夫婦関係に亀裂が入りかねない。
どの家にも笑顔で招かれるという物だ。
そして、巧みな話術にいつの間にか、メイナードの言葉に反対した貴族達は 『それくらいなら、民に譲歩するか』 と、意見を変えている。その繰り返しだった。
ある意味、ルーク・メイナードよりも恐ろしい男だとファーガスは見ている。
もし、彼がメイナードから離れてこちらに付けば、多くの貴族がこちらを重要視するようになる。
それが確実視出来るほどの有意な男なのだが、彼は貴族の長の地位に何の魅力も感じておらず、どのような場合も必ずメイナードの意見に従い支えるのだ。
カシュクールはメイナードの一族ではないと言うのに、今に限らずいつの時代の当主達も親交は篤い。両家が権力にまつわる争いを起こした事など一度たりとてなかった。
カシュクールとはいつでも次点の地位で満足している変わった一族でもある。
「流石は殿下。……差し出た真似を……失礼致しました」
「いや、同じ思いでいてくれる事、頼もしく思う。これからも、よき話し相手となってくれ」
今回の事でさらに力を削られてしまうファーガスは、より一層カシュクール侯爵を手にしたい、との思いを強めていた。
「身に余る、光栄に存じます」
頭の良い、己に従順な好青年。メイナードもこうならば言う事が無いのに。
自分は、このリディエマを支配する王家の一員なのだ。皆がこの態度で接しなければならない筈なのに、あの男だけが平気で無礼を働き足蹴にする。
オーサーを王位に即けた暁には、その事必ず後悔させてやるのだ。

メイナードが示した罰を、ファーガスは両家に伝えた。
両家はすぐさま、従う旨を返してきた。
本人達は抵抗するだろう。しかし、救いの手など差し伸べるつもりのないファーガスは、二人の事を考えるのはそれで止めた。

丁度その時、兄の方にも出していた使者が戻り、面会許可が下りた事が伝えられる。

政務の終った時間だな、と思いながらファーガスは知らされた場所へと向かった。

王宮宮殿最北。奥の宮と呼ばれる王の私的空間。

幼い時はファーガスもそこで暮らしていたが、今では暮らす事は許されない。
リディエマで最も優雅で美しく、重厚な歴史ある最高の貴人の住まう場所。そこに住まう夢を捨て切れない場所だった。

奥の宮では貴族や有力者を大勢集めた大規模な夜会や舞踏会・晩餐会などといった物は行なわれない。
王が真に親しくしている者しか招かれない場所である。

王宮宮殿は南に正門があり、広大な庭を少し行くと、まず最初に下級官吏が自由に行き来できる政務の為の建物が並んでいる。
そして、仕切りとなる門を通るとその奥が中央宮殿となり、地位や身分によって立ち入りは厳しくなる。
高官の為の政務の部屋。大小様々な会議場、夜会などに人を招く為のこれまた大小数多くの広間、談話室、食事室、演劇や音楽を鑑賞する舞台などなど用途に合わせた部屋がある。
そこから再び庭園を渡り門を通り、さらに奥の一区画。
最も警備が厳しく、立ち入りを制限される兄の奥の宮からは手前になるが、そこにファーガスの宮がある。
本来そこは何も無い広大な庭だったのだが、王宮外で暮らす事にどうしても馴染めなかったファーガスの言葉を聞き入れてくれた兄の命により、数十年前にファーガスの物として建てられた宮である。

リディエマでは王位継承権を持たない男子の王族は、成人を過ぎると王宮より外に城を持つ事となっている。

ファーガスも、この決まりにより成人を迎えた折に王宮から出された。
女子の王族については、それまでに概ね嫁ぐか、未婚であってもいずれはどこかに嫁いで王宮から出るので、特に決まりはない。なので、現在ブリジットは奥の宮の一角に己の宮を持って暮らしている。
ブリジットは降嫁しない事となっているので、何事も無ければ、生涯を奥の宮で過ごす事となる。

政治に関する権限を何も与えられない王族が、国の施政の中枢たる王宮から出るとなれば、権力からさらに遠ざかる事を意味する。
権力の中枢より王族を排除し、力を弱める。
そして、王位争いを起こさせないよう、王位に欲を抱かせないようにとの貴族達の思惑がそれをさせている。
ファーガスは、その貴族達の思い通りに権力から遠ざかる事を、どうしても受け入れられなかった。
屈辱に耐えながら、憎んでいる兄にこの時ばかりは懇願した。
メイナードを始とする貴族達の意向に唯々諾々として従う兄は、この願いを厳しく突っ撥ねるだろうと覚悟していた。
それでも何度でも掛け合おうと思っていた物を、兄はただ一度の懇願で、簡単に受け入れた。
『私も、弟が近くに居てくれる方が良い』 と、何の憂いも無い暢気な笑みを浮かべて。
あっさり受け入れられた事に正直かなり拍子抜けしたが、ヴェルルーニ王家の直系であるのに、必死で願わなければ王宮に留まる事も出来ない自分。
権力から弾かれる事無く、幼い頃から慣れ親しんだ奥の宮にて生涯過ごす事の出来る兄。
その、玉座に安穏と座れる人間が浮かべる余裕に満ち溢れた笑みに、何の力も手に出来ない惨めな己との差をまざまざと見せ付けられ、怒りに腸が煮えくり返りそうだった。

しかし、兄が認めたところで、メイナードも宰相もその決定に容易く従わなかった。
結局、奥の宮で暮らすことは許されず、奥の宮のすぐ側に新たな宮を建造して暮らす事となった。
奥の宮は広大で、空いている宮など幾らでもある (実際、ファーガスが成人まで使っていた宮はそのまま空けてある) と言うのに、王と他の王族を区別する為、メイナードを中心とした貴族達があえてそうしたのだ。
国の統治者たる王族なのに、住む場所一つ思うようにならない。
必要以上に貴族が力を持ち王族を押さえつけている、このリディエマの現状はファーガスには耐え難き物だった。

いつか、貴族の専横を許す情けない兄の上に立ち、王族に従わぬ貴族達は処分し、この場に戻ってくる。

そう、固く誓う奥の宮の一室。
兄の私室にて、ファーガスは政務を終えた兄と二人きりで向き合って座る。
兄はファーガスよりも少し色の濃い金髪に、同じ空色の瞳をしている。背はファーガスよりも高いが、それ以外は良く似た容姿をしていた。
ただ、目に剣を宿す事の多い自分とは異なり、安楽に暮らす兄はいつでもおっとりとし、柔らかく微笑んでいる。
「……フェルナー・シーゼスの失敗を取り戻すのに……その親族を頼みとせず、メイナード公に任せるのか?」
嫌々ながらも、それを理由にルーク・メイナードに交易権を与えるよう推薦すると、兄は意外そうな顔をした。
それもそうだろう。
兄は、ファーガスに香辛料の交易に関することを任せた後、ファーガスが交易権授与者に、一向にメイナードを推薦してこない事を知っている。恐らく、不仲である事も知っているのだろう。
兄の言う通り、フェルナーの失敗は父親そしてその他のシーゼスの者に交易をさらに励ませ、それで利を上げて何とかするつもりだった。メイナードに頼るつもりなどまったく考えもしない事だった。
「交易に関し……リディエマに、彼の右に出る者は居ませんので……香辛料の流通に不備が出れば民の不満が高まりますので、それを起こさぬ為にも、この度彼を推薦する事と致しました」
「そうか。……何があっても、そなたが彼を推薦してくる事だけはないと思っていたのだがな……やはり、メイナードは甘くないな。そなたですら懐柔し、香辛料の利まで手中にするか……」
「兄上?」
溜め息交じりの兄の残念そうな声音に、怪訝に思い少し首を傾げた。
メイナードの言うがままに生きる兄は、てっきりファーガスがメイナードを推薦してこない事に、不満を抱いているとばかり思っていた。
だが、一度王たる者が弟に任せると言った物を撤回するのも外聞が悪いとし、それで何も言わずにいる物だと思っていたのだ。
それが、この口調では何やら違うように感じてならなかった。
通常国王とは、兄弟であろうと妃や息子、娘であろうと 『陛下』 と呼び掛けなければならない存在だ。
だが、兄はそれを厭い、公式以外の場ではファーガスには兄と呼ぶことを許し、妃や娘に対しても同様に、あまり 『陛下』 と呼ばせない珍しい王である。
「出来れば、メイナードに香辛料の交易はさせたくなかったのだがな。……民の不満を高める訳には行かぬ。彼に交易権を与えよう」田七人参
「……意外なお言葉ですね。私は、兄上は彼に早く香辛料の交易をさせたいとばかり思っているのかと……」
疑問を口に乗せてしまうと、兄はファーガスが見た事のない冷めた目で見返してきた。
「何故そう思うのだ? 政務も国営事業も概ね任せきりだから、そう思われてもおかしくはないが……私はメイナードの上に立つ、ヴェルルーニ家の人間だ。メイナード公を信頼していないとは言わぬが、何もかも譲り、彼の一族を我が王家よりも強くする事など望んではおらぬよ。そして、この事はメイナード公も知っておる事だ。だから、メイナードに任せずそなたに任せた香辛料に関しては、彼は強く出ず身を退いていたのだよ。私を悪戯に刺激しないようにとな。……この国の王は私だ。それがたとえ形だけの物だとしても、メイナードではないのだ」
「そんな……」
そんな事など絶対に思っていない、と思っていた兄の口から語られる言葉に、ファーガスは愕然とするばかりだった。
だから、誰もがメイナードに任せるとばかり思っていた香辛料の交易を、メイナードを弾くファーガスに任せていたなど、こうして実際に聞いていても信じられなかった。
「だが、こうしてそなたが推薦してきた。私は、そなたが推薦した者には交易権を与える事としておる。メイナードは当然その事を知っておる。そこを無視して弾けば、そなたの推薦があるのに何故自分の一族だけ弾くのだと堂々と問うて来るだろう。そして、私はそれに返せる強い言葉は持たぬ王だ。もし 『メイナードの一族にこれ以上力を付けさせるのが不愉快だからだ』 などと本心を返せば、あの一族は私を反抗的な王と見做して首を挿げ替えるよう動くだろう。ブリジットが成人を過ぎておるからな。無理に私が王でなくとも構わないと思っている筈だ」
「…………」
「幼き頃より、玉座に座るのだ、とそればかり教育されてきた。だからこうして座っておるが、操りの糸に絡められておるこの座は少しも良い物とは思えぬ。だからと、私には操りの糸は断ち切れそうもない。……出来たのは、メイナードを嫌っているそなたを使って、重要な交易権をわざと与えぬよう少々意地の悪い事をするくらいだ」
苦笑する姿に、いつも馬鹿にしていた兄に利用されていた事を知った。
そして、それをメイナードも知っていた。
自分だけが知らず、そして愚か者に足を引かれてまんまと渡してしまった。香辛料に関する事を任され、蓄財出来ると安易に喜びフェルナーなどを推薦してしまった事を、心の底から後悔した。
「……鉄道事業も、上手く進められる者が他におらず、結局はメイナードを頼る他なかった。そして、今回の事も……こうなっては、そなたがどれ程嫌おうとあの一族に対抗する術は無い。今日までの年月がそうしてしまっているのだと諦め、あの一族は嫌うのではなく、便利な存在と思え」
「便利な存在?」
到底思える筈のない事を言われ、ファーガスは眉間に皺が寄ってしまった。
「国の繁栄と安定を約束してくれる、使い勝手の良い道具と思え。そう思い、少々の不満は堪えなければ、私のみならずそなたも消されてしまうぞ。そなたは私のたった一人の弟だ。失いたくはない。……あの一族はヴェルルーニの排除ではなく、リディエマの繁栄を望む者達だ。我らが必要以上に反抗しなければ、必ず王家に膝を折る。国の安定の為にな」
だから、その不遜な態度に自尊心が痛もうとも堪えろ。と兄は言いたいようだったが、ファーガスにそれは無理な話だった。
もし、自分が王ならば堪えられたかもしれない。
己の目の前にメイナードが膝を折り、敬意を払う姿を見られるのだから。
でも、王の弟の自分には、あの男は絶対に膝など折らない。王以外のヴェルルーニなど、大事に扱うどころか、嘲笑うだけだ。
堪えられる訳などなかった。


イリアス・バートランドにも許可を貰い、ファーガスはその前から下がった。
結局、兄はなんだかんだと言いつつも、メイナードに屈しているのだ。王たる者が、なんと情け無い事だ。
自分は、そんな戦わずして負けを認めるような、気概のない兄とは違う。
メイナードを崩壊させる事を諦めない。 威哥十鞭王

2013年4月25日星期四

精鋭たち

夏の闘技大会は、一回戦までがふるい落としだ。
 年がら年中、足しげくコロッセオに通う中毒者たちは、したり顔でこう語る。
 十六回に分けて行われる、百人規模のバトル・ロワイヤルではまだ甘い。Aを倒したBが、Dと相打つような戦いでは、Cが漁夫の利を得て生き残ることもある。だから、一回戦もふるい落としのうちなのだ。Motivat
 自称『通』の男たちは、遠方からやってきた観光客に向かって、このような弁舌をぶつわけだ。
 彼らは語る。二回戦からが、本当の闘いなのだと。運だけではなく、確かな力を持って勝ち上がってきた八人の男たち。彼らの闘いこそが、純粋な力と力のぶつかり合いなのだと熱く語った。
 それは間違いではなかった。十六人の猛勇たちが、鎬(しのぎ)を削って武を競い合えば、当然の成り行きとして弱者は淘汰される。そして、コロッセオには八人の強者が残るというわけだ。
 そこには運や偶然など存在しない。純化された力。濃縮された魔素。磨き上げられた武技。それらを前にして、万に一つも弱者の勝利はあり得ない。
 東大陸の武芸者たち。その頂を目指す夏の闘技大会は、分かりやすいほどに分かりやすい。
 すなわち、強い者が勝つ。その絶対不変の理の前では、生半可な小細工や小賢しいペテンなど通用するはずもなかった。

 灼熱の太陽光線を弾かんばかりに高まった熱狂は、はっきりと感じ取れる振動となってコロッセオを揺らしていた。
 第二回戦、黒騎士対キリング。一回戦で鮮やかな勝利を収めた黒騎士は、音に聞こえし重戦士、『皆殺しキリング』を倒すことができるのか。
 もしも彼を倒すことができたのならば、黒騎士の実力は本物だ。レベルにして208、重力を自在に操る〈グラビトン・ファイター〉のキリングに、小細工など通用しようはずがない。相手が策を弄せば弄すほど、策ごと叩き潰しにかかる。それが、黒騎士の二回戦目の相手だった。
 だが、真っ向から挑んでキリングを倒せるのならば、黒騎士は『本当の』本物だということになる。混沌龍すら倒してのける、勇者の中の勇者ということになる。
 一回戦でガルディが倒されても、人々の中の疑念は完全には払拭できていなかった。それほどまでに各国で偽物が湧いて出たし、顔を隠した人物はやはり胡散臭いものだった。
 本物の黒騎士という証明は、彼が勝利を手にすることによってなされる。できれば、勝って欲しい。できれば、証明して欲しい。観客たちは疑念を抱えつつも、本物の勇者を見たいという欲求に突き動かされて、黒騎士に惜しみのないエールを送っていた。
(超うるせえ。耳がおかしくなりそうだ)
 しかし、当の黒騎士は――貴大は、頭部を覆った兜の下で顔をしかめるばかり。彼はただ一心に、開始の鐘が鳴るのを待ちわびていた。
 さっさと始めて、さっさと終わらせる。念仏のようにこの一文を頭の中で繰り返し、貴大は対戦相手の巨漢を見つめる。
「てめえも待ちきれねえようだな。オレもだ。オレも待ちきれねえ。体が勝手に動いちまいそうだぜ」
 貴大の視線をどのように勘違いしたのか、キリングは巨大な戦斧を轟々と音を立てて振り回した。
 そのパフォーマンスに、大いに湧き上がる観客席。更に勢いを増し、はち切れんばかりとなった歓声に押されるかのように、運営委員会の者が鐘楼へと登る。
『ルール無用。情け容赦無用。互いに全力を尽くすことを誓いますか?』
「おうっ!」
 ひょろりとした眼鏡の男の確認に、ドンと胸を叩いて応えるキリングと、静かにうなずく黒騎士。
 それを確認した運営委員の男は、魔法の拡声器を再度口元に当て、左手に持った木槌を金色の金に叩きつけた。
『それでは、試合、開始っ!!』
 コロッセオにたまった声の渦を裂いて、高く澄んだ鐘の音が響き渡った。と、同時に、黒騎士の姿がかき消えてしまった。
 達人が見れば、彼がキリングの死角を取るために、弧を描いてコロッセオを駆け抜けたことが分かっただろう。だが、それが見えた者は、決して多くはない。
 一回戦を勝ち残った八人と、一万を超える観客の中の一握り。それ以外の者は、黒騎士が動いたことすら知覚できていなかった。
 仮にキリングもそうであれば、勝敗はここで決していただろう。彼は自分の身に何が起きたのかもわからないまま、一敗地に伏していたのかもしれない。
 だが、彼は〈スカーレット〉の――東大陸最大規模の冒険者グループの元締めだ。その実力や名声は、虚飾や水増しとは無縁のものだった。
「オラアッ!」
 振り向きざまに戦斧を一閃。横薙ぎに払われた鋼鉄の斧は、彼の首元にまとわりつこうとしていた黒い影を吹き散らした。
 大きく飛び退り、コロッセオの壁まで後退した黒騎士。風を巻いて唸ったキリングの剛撃と、まばたきの間に消え、そして現れた黒騎士の姿に、九割超の観客は、ここでようやく、試合はもう始まっているのだということに気がついた。
 試合開始を告げる鐘の音は、まだ余韻にさえも変わっていない。なのに、黒騎士たちはすでに一度目の攻防を終えたという。
 まるでこれが決勝戦のようではないか。そう錯覚させるほどに、刹那の攻防は観客に確かな満足感を与えていた。
 しかし、薪をくべればくべるほどに燃え盛るのが炎というものだ。なまじ燃料を与えた分、観客たちは大いに高揚し、足を踏み鳴らして大声を張り上げる。
「黒騎士っ!! 黒騎士っ!! 黒騎士っ!! 黒騎士っ!!」
「キリングゥゥゥーーーーっ!! 『皆殺しキリング』ゥゥゥーーーー!!」
 刻むような黒騎士コールと、引き伸ばすかのようなキリングコール。
 二つの音が混ざり合い、不思議と調和しているのに対して、名を呼ばれた本人たちは、硬い金属音を鳴らしてぶつかり合っていた。
「本物だ! おめえはやっぱり本物だよ! この強さ、この力強さ、間違いねえ!」
 歯をむき出して笑うキリングは、重力操作によって軽くなった戦斧を振るう。当たった瞬間のみ重さが増すという扱いにくい重力斧を、キリングは自分の体のように動かしてみせる。
 筋肉の鎧をまとった外見から、彼は純粋なパワーファイターだと勘違いされやすい。だが、実際にはレイピアやシャムシールさえも使いこなしてみせるほどの技巧派で、馬鹿正直に敵に大きな獲物を振り下ろす力自慢の戦士とは一線を画していた。
 力一つで頂点に立てるほど、冒険者の山は低くはない。心技体、全てを兼ね備えた者が立てる境地が、大国の冒険者ギルドの長というものだった。levitra
「俺の国の騎士団長でも、まともに打ち合えば数合と保たねえ! それをおめえはやってのけている! 誇れ! そして闘え! もっと! もっとだ!!」
 内に秘めた獰猛な本能を解放して、キリングは加速度的に手数と一撃の重さを増していく。その猛撃を前に防戦一方な黒騎士は――しかし、どこまでも冷静だった。
(この程度か。もっとやれると思ったんだがな)
 仮面の下の冷たい瞳は、客観的にキリングの実力を分析する。
(最初の一撃を防がれるとは思わなかったが、そこまでだったか)
 巨岩のように重たい戦斧をショートソード一本で逸らし、貴大は危なげなくキリングの攻撃を避け続ける。
 焦れたキリングが、力強く、しかし『雑な』一撃を放つまで。貴大は、暴風のような戦斧の乱撃に身をさらし続ける。
(そろそろか。カウンターで首を狩って終わり。それで二回戦突破だ)
 やがてキリングの動きに疲れが見え始めた時、貴大は勝利を確信していた。
 一騎当千の〈グラビトン・ファイター〉。巌のごとく鍛え上げられた剛腕にかかれば、貧弱な防御力しか持たない暗殺者など一たまりもないだろう。それは、レベルを限界値まで上げた貴大であろうと同じこと。彼自身、あの戦斧で二回、三回と斬りつけられれば、倒れるのは自分の方だと考えていた。
 しかし、当たらない。限界まで筋肉を躍動させても、キリングの攻撃は貴大にかすりもしない。
 貴大が必死になって避けているからではない。キリング程度(・・)のレベルでは、そもそも、回避を極めた斥候職を捉えることすら不可能だったのだ。
 紙のような防御力に反し、上位の斥候職は『回避する盾』と呼ばれるほどに生存能力が高い。避けて、躱して、受け流して。貴大は十二分の余裕を持って、『皆殺しキリング』と対峙していた。キリングの攻撃は、毛先ほどもかすっていなかった。

 当たらないのならば、大地ごと爆砕してしまえ。意図と気迫を隠しもせずに気炎を上げたキリングは、大上段に戦斧を振り上げ、燃える瞳で黒騎士を睨みつける。
(ここだ。この大振りを躱して、首を狩る)
 一瞬の隙を突き、速やかに敵を絶命させる。それこそが斥候職のファイトスタイルであり、貴大の最も得意とすることであった。
 避けて、剣を振る。機械的なまでに効率的な動作は、極めて安定した成果を貴大にもたらしていた。だからこそ、鬼と呼ばれた男を前にしながらも、貴大は絶対的な安心感すら覚えていた。
 そこには、致命的なまでの油断があった。
「【グラビトン】!」
「ぐああああっ!?」
 全身にのしかかる重圧に、貴大は今大会において初めて、苦悶の声を上げた。
 同時に、膝を突く貴大。あまりの『重さ』に彼はとても立ってはいられなかった。
 上級スキル【グラビトン】。使用者の半径十メートルを囲む、超重力の檻。十倍にも増した重力は、武器や防具を足かせに変え、空飛ぶ龍ですら地に堕とす。
 貴大ですら、【グラビトン】には抗えない。手が、足が、肉が、骨が、彼を地面へと縛り付ける鎖と化している。そのうえ、正体を隠すために身に着けている全身鎧が彼を苛む。黒く、重たい鎧は、その全てが拘束具へと変わっていた。
「これでトドメだ……!」
 増大した重力の中、キリングは筋肉に血管を浮かばせて、戦斧を持つ手に力を込める。
 戦斧を予め持ち上げていたのも。ことさら隙を強調してみせたのも。疲れた『ふり』をしていたのも。全ては、この一撃のためだったのだ。重力の力を上乗せした、必殺の一撃を確実に叩き込むためだったのだ。
 貴大は、事ここに至って、自分がまんまと術中に陥っていたことを悟った。「脳みそまで筋肉でできている」と侮っていた相手に、いいように手玉に取られていたことを悟った。
 自分の油断と不明を恥じた貴大は、同時に強い焦燥感を覚えた。このままでは、自分は負ける。重戦士の超重撃を受けて、自分は一撃で敗退してしまう。そうなってしまえば、危険な優勝賞品を手にすることが難しくなってしまう。
「これで、しめえだあああああああああああっ!!」
 真っ直ぐに振り下ろされる戦斧。背筋を凍らせる一撃に、迷っている暇などなかった。
「【蜃気ろ」
 貴大の小さな呟きすら呑み込んで、コロッセオが爆音を立てて大きく揺れた。
 重たく巻き上がった土砂が、泥のように地面へと落下した時、そこに黒騎士の姿はなかった。あるのは大きなクレーターだけ。そして立っているのはキリングだけ。
 間違えようもないほどに明確な過程と結果。それを受けて、観客は大きな歓声を上げ、
「……ガハッ」
 血を吐いて倒れたキリングに、言葉を失った。
「………………えっ?」
 倒れて転移の光に包まれたキリングに代わって、一つの影が立ち上がる。
 黒い鎧に、黒い兜。剣まで黒く染めた男の名は、佐山貴大。黒騎士として大衆に知られる人物が――キリングに叩き潰されたはずの人物が、今、勝利を示すかのように剣を掲げた。

「ネズミ、なんだろ?」
 常の歓声ではなく、不思議なざわめきに包まれたコロッセオ。その一室で、黒騎士と一人の少女が向き合っていた。
「グランフェリアを離れていたから、【マーキング】の効果は切れているけど……何となくわかる。お前、タカヒロなんだろ?」
 誰も寄り付かないような掃除用具置き場で、黒騎士を問い詰めているのは、赤毛の少女。
 先ほど、黒騎士に倒されたキリングの娘、アルティ・ブレイブ=スカーレット=カスティーリャだった。
「親父が倒れた時、首から血が噴き出てた。あの時と一緒だ。『憤怒の悪鬼』の時と。だから、なあ、お前なんだろう?」
「……まあ、そうだけどさ」
 三度の問い詰めに、遂に黒騎士は白旗を上げた。上げた両手で兜を外し、貴大はアルティに素顔を晒した。
「やっぱり、お前だったか」
 嬉しそうな、とても嫌そうな、複雑な表情を見せるアルティ。
 最強と信じていた父親が、ネズミと呼んでいた男に倒された。しかし貴大は、自分を二度も救ってくれた恩人であり、自分では及びもつかないような超人だ。
 アルティは、その強さに惹かれ始めている自分を感じていた。キリングを倒してのけるほどの男に、戦士としての魅力を感じていた。K-Y Jelly潤滑剤
 しかし、その相手が貴大では、やはり思うところがあるのだろう。男らしくなく、面倒くさがりで、だらしがなく、ひょろりとしている。
 自身の理想像とはおよそかけ離れている男に、淡い想いを抱いてしまうというジレンマ。アルティの心中は、自分でも説明がつかないほどに困惑を極めていた。
「すまんな、お前の親父を倒しちまった」
「うっ……」
 事もなげに「最強を倒した」と言ってのける貴大に、不覚にもときめいてしまうアルティ。親を倒されて喜んでいるかのような心の動きに、彼女は苦い思いも抱く。
 何を言えばいいのか。何を伝えたらいいのか。文句の一つも言ってやろうかと、自分はここに来たはずだ。「親父の敵はオレがとる。首を洗って待ってろ」と、啖呵を切りに来たはずだ。
 その一言が出てこない。日常茶飯事で口にしている悪態が、この時に限っては出てこない。
 ――いや、本当は、ずっと前からそうだ。
『憤怒の悪鬼』から助けてもらった時から。遺跡で命を救われた時から。そして、本当のレベルを伝えられた時から。アルティは、貴大に対して、一種の『やりづらさ』を感じていた。
 彼に向かい合うと、本調子ではいられなくなる。歯切れが悪くなり、むやみやたらに戸惑ってしまう。そのくせ、彼が気になって、こそこそと後をつけまわしてしまう。
 こんなのは自分じゃないと思いながらも、どうしても止められない。それはどうしてなのか、何度も考えたけれど、しっくりとくる答えはなかった。
 だけど、今なら答えがわかるような気がする。アルティは、胸を押さえながら、その答えにそっと手を伸ばそうとして――止めた。
「お前、負けたら承知しねえからな! ぜってー優勝しろよ!」
 代わりに出てきたのは、可愛げのない誤魔化しの言葉。
 今、本当の気持ちに気がつくのは、何だか怖い気がする。自分はこんなに臆病だったのかと、アルティは愕然としていた。
 そんな赤毛の少女の頭に、貴大はぽんと手をのせてお気楽に笑う。
「まあ、言われなくても優勝するつもりだ」
 そう言って、兜を被った貴大は、部屋から出ていった。
 残されたアルティは、顔を真っ赤にして、胸の中心を右手でぎゅっと握りしめていた。

 準決勝にあたる第三試合。ここまで上がってくるのは、いずれも劣らぬ大豪傑だ。
 大国の騎士団長。冒険者ギルドの長。高名な武家の長男に、異国から流れてきた戦士たち。ここにいるのが当然だという面子が揃うのが、夏の闘技大会の準決勝だ。
 この中の誰が優勝してもおかしくはない。準決勝進出者をもって東大陸四強を決めてもいいほどに、夏の闘技大会に集う戦士は質が高かった。
 しかし、それでもあえて、今大会で誰が一番強いかと予想すれば――。
「カウフマン! 『鉄のカウフマン』だっ!!」
 最強騎士、ジークムント=フォン・カウフマンの名が挙げられることが多かった。
「【アイゼン・シュピース】!」
 長槍を一度突き出しただけで、地面には衝撃波の爪痕が生じ、コロッセオの客席を覆うバリアがビリビリと震える。
 このような武威を示せるのは、『鉄のカウフマン』の他にはいようはずもなかった。
(こいつだけとは当たりたくなかったけど……やっぱり出てきたか)
 銀髪を後ろに撫でつけた、鎧姿の偉丈夫を見つめ、貴大は兜の下で冷たい汗を垂らした。
 機械のように精密な槍さばき。天地を引き裂く膂力。神から授かった長槍に、堅実なバルトロアのスキル。武神に愛されているカウフマンの強さは、貴大が以前味わった時よりも、磨きがかかっていた。
「我が国、我が姫に勝利を捧げる! 黒騎士など、何するものかっ!」
(うわわわわっ!?)
 空間に穴を空けるような、瞬速の連続突き。微塵の狂いもなく急所を狙ってくる連撃に、貴大はたまらず大きく飛び退いた。
「逃がさんっ!」
(もう、勘弁してくれよ!)
 後ろへ、横への何度かのステップ。相手を惑わすその動きに、それでも貼りつくかのように追随する最強騎士。直線的な速さにおいては、貴大にも勝るとも劣らないカウフマンの俊足に、貴大は大いに肝を冷やした。
(倒すつもりで戦えば、勝てると思ったんだが……甘かったか!)
 かつて相対した時は、追いすがるカウフマンを殺さないように気をつけていた。いわば、最強の騎士を相手に手加減をしていたのだ。それでも何とかあしらえていたので、貴大は今回の戦いに自信を持っていた。
 全力を出せば、中途半端に手を抜くよりも簡単に戦えるだろう。そう考えて、貴大は準決勝へと出向いたのだが――。
「そこだっ!」
「ぐあっ!?」
 開始から十分、貴大は押しに押されていた。
 そのうえ、とうとう長槍の先端が貴大の肩を捉え、板金ごと彼の骨肉を刺し貫こうとしていた。
 これはたまらないと、身をよじって切っ先を逸らす貴大。その動きに合わせて、カウフマンの膝蹴りが貴大の胴体へと叩き込まれる。
「ぐふっ!?」
 厚い装甲を貫き、内部の肉体を揺らす衝撃。たまらず体を折る貴大の背中に、今度は肘が振り下ろされる。
「がっ!?」
 体の芯まで響く肘鉄に、剣を取り落して倒れ伏す貴大。間髪入れず、彼の心臓目がけて、長槍が突き出される――!
「【見切り】ぃっ!!」
 決定打となり得た一撃を寸でのところで躱した貴大は、跳ね上がるように起き上がって、素早く体勢を立て直す。
 しかし、神がかった貴大の回避を、カウフマンは意にも介さず攻撃を続行する。先ほどの攻撃が外れることを予想していたかのように、すぐさま槍を地面から引き抜いた騎士は、顔色一つ変えずに突進を開始する。
 鉄の国、バルトロアの民は、からくり仕掛けと揶揄されるほどに精確だとされている。細かなところまで決めておいて、その通りに実行されなければ我慢がならないのだと、他国の人間は彼らを評する。
 その点で言えば、カウフマンこそが、模範的なバルトロア人なのだろう。勝利を得るために必要な戦術を組み立て、組み合わせ、その通りに体を動かす。先ほど、貴大を叩きのめした連撃など、まさしくそうだ。
 一つ一つの動作を的確に実行し、勝利のために淡々と敵を追い詰めていく。それは決まりきった作業にも似ていて、実際に貴大は事務的に処理されそうになった。曲美
 これがバルトロアの怖さだと、貴大は思う。これが武神に愛された所以だと、観客たちは思う。黒騎士さえも圧倒するバルトロアの体現者に、コロッセオに集った者たちは気圧されてしまっていた。
 だが、その中で唯一、貴大だけが笑っていた。『鉄のカウフマン』に追い詰められて、それでも彼は不敵に笑っていた。
「つええな。やっぱりこのおっさんは苦手だわ。でもな……」
 長槍で壁際まで押し込まれながら、眼前に難敵が迫っていながら、それでも彼は笑う。
 兜の下で、くつくつと笑って、彼はカウフマンの長槍を――力づくで、弾いてみせた!
「お前ぐらいの強敵は、ネットにゃゴロゴロいたんだよ!!」
 パリィと呼ばれる防御術で長槍を弾いた貴大は、壁を蹴って大きく飛び上がる。そして、ショートソードを胸の前で横に構え、一つのスキルを発動させる。
「【ミラージュ・ボディ】!」
 途端に、大きなざわめきが観客席で波打った。なんと、剣を構えた黒騎士が、五つの体に分かれたのだ! 
 寸分違わぬ姿の、五人の黒騎士。彼らはてんでバラバラに動きながら、四方八方からカウフマンに襲いかかる。
「うぬ、まやかしかっ!?」
 頭上から飛び込んできた黒騎士を一突き。すると、黒騎士は大きく膨れ上がって、紙切れをまき散らしながら爆裂してしまう。
『残念、ハズレだ』
 耳元で聞こえた声に、カウフマンは鋭く拳を放った。枕を殴るような頼りない手応えと共に、黒騎士はまたもや破裂してしまう。
『まだ三人もいる』
『本物がわかるか?』
『さあ、槍を突き刺せ!』
 舞い散る紙ふぶき。そして反響する黒騎士の言葉に――カウフマンは、冷静な心を取り戻す。
(ガウディ戦での首狩り。キリング戦での透明化。この者はやはり、戦士ではない。影者だ)
 全身を覆う鎧と、『黒騎士』という呼び名。見えるもの、聞こえるものに惑わされ、自分は本質をつかめていなかった。カウフマンはそう思った。
 幻を操る騎士ではなく、影者(かげもの)――暗殺者の類ならば、いくらでも戦いようはある。相手が幻影に隠れるならば、虚実を見切って、本体を叩く。それができるのが、カウフマンという男だった。
『来ないなら、こちらから行くぞ』
(まやかしは『軽い』。存在が希薄で、動作に重さがない)
 これまでの経験と、培ってきた勘から、カウフマンは早くも本体にあたりをつけた。
(一番奥で、ゆったりと構えているのが本体だ。他は紙風船のようなもの)
 そうと決めれば、怒号一閃、カウフマンは強烈な突進を繰り出した。
 一本の槍と化した最強騎士は、行く手を遮る一体の分身を貫いて、そのままの勢いで黒騎士に迫った。
 まさか、いともたやすく見破られるとは思ってもみなかったのだろう。もたつき、初動が遅れた黒騎士は、もはや串刺しにされる運命にあった。
(もらった)
 薄皮一枚まで槍の穂先がめり込んだ時、カウフマンは自分の勝利を確信した。
 だからこそ、本体と信じて疑わなかった黒騎士が、音を立てて破裂した時には――一瞬、動きを止めてしまった。そして、貴大は、その隙を見逃さなかった。
「【首狩り】」
「がっ……!?」
 驚愕に目を見開いたカウフマンは、後ろから聞こえた声に振り返ろうとする。
 しかし、後ろに首を回す前に、彼は転移の光に包まれて消えてしまった。
 結果、その場には、黒騎士だけが残っていた。無数の分身を全て失った黒騎士の『本体』が、剣を左右に払って、付着した血を飛ばしていた。
「【チェンジ・ボディ】。廃人プレイヤーから教わった、俺のとっておきだ」
 黒騎士が高く、剣を掲げた。
 一瞬遅れて、観客から嵐のような拍手と喝さいが巻き起こった。天天素

2013年4月23日星期二

夜の狩り

「優里ちゃん」
「はい」
「糸、できたよ」
「ありがたく、頂戴致します」
寛親が作り出した「力」を撚り合せた、幻の「糸」を受け取る。
きちんと念を込めて保持しなければ、儚く消えてしまう実体のない糸だ。印度神油
これを正しく扱うのも、猟犬の役目だ。
自分は生まれつき、目に見えないものが見え、触れる事が出来た。
この資質があるからこそ、猟犬としての適性を見いだされたのだ。
「見事な糸でございますね」
「ありがとー」
寛親がヘラヘラと笑った。
彼は、狩り用のヒメガミ独自の道具を作り出すのが、本当に巧い。
審神者の五堂や、今は引退したお年寄りの狩人曰く、このような能力を持つヒメガミは稀で、寛親ほどの腕であれば希少な存在なのだという。
だが、彼はそれをひけらかさないし、特に誇る様子もない……。
こんな事しか出来ないからね、と言うばかりだ。
「では、お預かり致します」
儚く、しかし強い力を秘めた糸をそっと手のひらに握りしめる。
魔を縛するのに良い道具だ。
それから、長い麻縄と自分の念とで縒り合わせれば、巨大な空間を封じる為の一助となるだろう。
「あ、あとこれもー」
にっこり笑った寛親に、次は小さな光る板のようなものを手渡された。
寛親の作り出した「札」だ。
これを貼られた存在は、常にヒメガミに場所を特定される事になる。
「ありがとうございます。こちらの一枚はわたくしに貼り、残りは魔に貼る為にお預かり致します」
「うん、足りなかったら早めに言ってね。作るのちょっと、時間かかるから」
「はい」
頭を下げ、札の束をレザージャケットの内ポケットに収めた。
一枚だけ、Tシャツの襟元を引っ張り、胸の谷間に差し込む。
ここなら体に完全に吸収されるまでの間、落ちずに保持出来るだろう。
札の効力は、ひと月ほどだ。ちょうど貼り直しの時期だったので助かった……。
「優里ちゃん、刺激的すぎ」
チカが肩をすくめる。
「申し訳ありません。私の肌ですと、貼ってもすぐに落ちてしまうものですから」
「いや、お礼を言うのはチカの方だけどねぇ……ありがたやありがたや……」
何故か拝まれた。
何となく間が持たず、うつむく。
『人前で気軽に胸元を引っ張るのは止そう……』
「おい、何してんだ」
低い声に我に返る。
「あ、おじさま」
「霜園様」
「おう。今日は俺に出てくれって、おにーちゃんに頼まれてな。よろしく」
寛親が明るい笑顔で言った。
「久しぶりだね、おじさまと狩りに出るの」
「まあ、その辺適当に掃除はしてたけどな……もうおっさんだから、お手柔らかに頼むわ」
軽い口調だったが、鍛え上げた全身から、うっすらと蒼い光が漏れ出しているのが解る。
彼は先代の王、伽倻子の筆頭狩人にして、総一郎の父。
未だに凄まじい力を持つヒメガミの一人だ。
老いによる弛みなど、みじんも見せない。
「総ちゃんは?」
「用事らしいよ。来週、フランスの美術館のお偉いさんが来日するから忙しいんだと」
寛親が頷いた。
自分もまた、頷く。
「さてと」
霜園が両手のひらを打ち合わせた。
「行くか。山ン中に逃げたらしいな。生者に取り憑いた赤橙」
優しげな表情を消し、寛親が頷く。
自分もまた頷いた。
霜園が引き連れて来た、屈強な体格の2人の猟犬がずい、と前に歩み出た。
一瞬自分を見て、関心がないように目をそらす。
己の実力に自信があり、自分に嫉妬心も抱いていないタイプの猟犬だ。
『良かった』
無駄な悪意に足を引っ張られ、つまらないしくじりをしなくて済む。
最後に、少しだけ蟠っていた事を、口に出した。強力催眠謎幻水
「本日は、修二様はおいでではありませんよね」
「ああ、置いて来た。生者相手だからな。じゃ、行くかぁ」
霜園が言い、凄まじい勢いで走り出した。
山へ続く、真っ暗な砂利道を駆け上がる。
自分も同じく後を追う。
『良かった、修二様はおいでじゃない』
道を変え、一人藪をかき分けて走る。
虫が飛び込んで来ないように強く口をつぐんだ。
霜園と同じ道を走っても意味がない。
魔を追い立て、狩人の前に引きずり出さねば。
りん、りん、と、幻の鈴の音が耳に響く。
寛親が魔の気配を感じ取り、知らせて来たのだ。確実に、この藪山に恐ろしい魔が居るのだと……。
糸を手に、気配を殺して目を凝らす。
微かなうめき声のような、笑い声のようなものが、じりじりと耳に忍び込んできた。
手強いかもしれない。
貴重なヒメガミの皆だけは、猟犬の長として、無事に生きて返さねば。
***************
五堂は、ボロ車のドアを思い切り閉め、人の気配のない薄ら寒い山を見上げた。
自分の目には、蒼い札を貼られた3匹の猟犬が見える。
元締めは、佐々木霜園だ。
「おっさんが来てるなら、僕は出番無いんじゃないかねぇ」
運動嫌い。
そう思う。
だが一応、狩人をやれと我が儘王子に命令されたので、仕方がない。
入念にストレッチを始めた。
アラフォー男子がいきなり運動をしたりすると、脚の腱をぶっちりしたり、腰をぐっきりしたりとロクな事がないのだ。
それから心臓にも良くないし……。
グズグズと運動を終える。
だが、まだ狩りは終わらないようだ。
もう少しストレッチが必要かもしれない。
あと、ウォームアップも。
激しい運動の前にアミノ酸のサプリを取るのを忘れた。
家に戻って飲んで来るべきか。
「んー」
まだ狩りが続いているようだ。
魔を追い立てる猟犬の気配、ヒメガミが魔の存在を知らしめるために鳴らす鈴の音が、耳に響き渡る。
……。
やはりアミノ酸は必要だろう。
それからプロテインドリンク。持ってくるのを忘れた。
「あ」
足元を見て気づいた。
この靴、よく考えたらスポーツ用ではなかった。ただの革靴だ。
……。
相変わらず、山からは佐々木霜園の獰猛な気がびんびん伝わって来る。
「まだおわんねーのかよぉ……早くしてよー」
肩をすくめた瞬間、目の前にべちゃり、と音を立てて女の子が落ちて来た。
ボロボロのワンピースを着て、全身に網の目のように血管が浮いている女の子だ。
「……魔に毒され度、67%かな」
小首を傾げて人差し指を立てた瞬間、近くの茂みから優里が飛び出して来た。
相変わらず素晴らしいおっぱいだ。
サラシで潰し、ジャケットの中に押し込めているのが最高に良い。
優里が、蒼い糸を手に、躊躇い無く魔に飛びかかる。
凄まじい力とともに振り回される魔の爪を腕で受け止め、蒼い糸を器用に操り、魔の体に巻き付けた。
魔が、咆哮をあげて糸を引きちぎる。
が、優里は顔色ひとつ、変えなかった。
瞬時に糸を復元し、魔の振り下ろした爪を飛び退いてかわす。
大した女だ。
おっぱいだけじゃない。いやおっぱいは大したものなのだが。VIVID
草むらに立つ魔が、天を仰いで絶叫した。
凄まじい赤橙の光が、体から吹き出す。
『やばいなあ、あの子そろそろ、魔と融合しちゃうなぁ』
ぼりぼりと頭をかいた。
優里が、木の枝から飛び降りて来る。
いつの間にあそこに移動したのだろう。
「破!」
気合いとともに、優里が王賜の短剣を一閃させた。
魔の体を包むぬめりのある燐光が、両断される。
そのまま再び、優里が羽衣のように糸を操って、魔の体に巻き付ける。
そして振りほどく事を許さず、蒼く輝く糸の片端を、形の良い唇に咥えた。
魔は、今度は糸を引きちぎれなかった。
優里の吐く息には、おそらく何らかの念が籠っている。
糸がそれを伝い、魔を凄まじい力で縛しているのだ。
糸の放つ光が強くなる。
優里が大きな目をすがめ、口は離さずに、両手で思い切り糸を引いた。
「ぐぎゃああああああ!」
魔が悲痛な声を上げた。
蒼い糸に縛られた何かが、女の肉体からずるりと離れる。
それは、赤橙に光る、実体のない何かだ。
赤橙の魔が、生者の肉体から強引に切り離されたのだ。
『ひゅ〜!すっげー、何あの技……!』
魔のみを縛り上げ、引きずり出すとは。
ヒメガミでもない人間の猟犬が、あれほどの高度な術を行使するのは見た事がない。
「五堂ふぁんっ!」
怒鳴られ、びしっと背筋を正した。
とっくに見つかっていたらしい。
「この魔を祓って……くらはいっ!わたひじゃ、髄石にれきない……!」
優里が糸を咥えたまま、必死に呻く。
「はーい、オッケー、ハニィ!」
うなずいた。
動かない魔なら、走り回って追いかける必要はない。
優里が糸で縛り上げている、生々しく光る塊に歩み寄り、掴んだ部分をぐしゃりと握りつぶした。
硬い。
だが、これで終わりだ。
人間ほどの大きさだった赤橙の塊が、一瞬のうちに霧散する。
「……えっ?!」
美しい唇を糸から放し、優里が声を上げた。
「やったよん」
可愛い猟犬ちゃんに微笑みかけ、手のひらを開いてみせる。
赤橙の髄石が取れた。
ずいぶん大きくて綺麗な石だ。
気取った仕草で一礼し、いつの間にか緩んで開いていた優里の胸の谷間に、髄石を押し込む。
頑張った猟犬ちゃんには、良いボーナスになるだろう……。
自分にもまた、良いボーナスになった。
あの谷間、ぷるんぷるんの素晴らしい押し心地だったから。
呆然としている優里に、そのまま背を向ける。
車に戻り、急いでポンコツ野郎のエンジンをかけた。
『寒空の下でぼけーっとしてたから冷えた!メッチャ腹痛えええ!』
喫緊のインシデントが発生した。早急に対応しなければ。
『サービスエリアかコンビニあったっけ!畜生このクソ田舎めが!』
やっぱり狩りなんか面倒くさい……。
唇を噛み締め、命がけでアクセルを踏み込んだ。蔵八宝

2013年4月21日星期日

王子と姫君

「あれが、帝国都市ヴィキュアですか」
 崖の縁から遠方に臨む城壁と、その中から幾筋も微かに立ち上る生活の煙を見つめ、レヴィはほぅ……と溜息を吐いた。
 始まりは何処からか、もう思い出すことはかなわないが。確かに旅の終わりが近付いている気がして、レヴィは何気なく後ろを振り返る。 麻黄
 少し離れた大木に凭れて目を閉じている神父が目に入り、レヴィはもう一度静かに息を吐いた。
「な、長かった……」
 レヴィより長い長い溜息を吐き、げんなりとした声が下方から聞こえて、レヴィは目を瞬かせると視線をそちらへ移した。
 耳をへにゃりと力無く垂らしたロゼが、レヴィの隣でヴィキュアを眺めながら、あぐらをかいて座っている。
「ロゼ、どうしたんですか?疲れちゃいましたか?」
「ああ。疲れちゃいました……つーかソレと言うのも全部、あのクサレ神父が悪いんだけどな」
「え?」
「本当なら馬車で半月で着くところが、何でだかは言いたくないけど朝になると『腰を打ったから』って苦笑いしてしばらく動けないレヴィが居るってコトが日常的に行われてて、気が付けば二月以上経ってやがるぜチクショウ!」
「ロゼ、舌噛まないですか?」
「ああもう!手を変え品を変えオレが妨害しようとすんのに挙げ句の果てには強行しやがるあのクサレ神父にどう報復するか悩んでるオレには、今のレヴィの笑顔はイタイ……」
 隣にあった岩に突っ伏すように倒れ込むロゼに首を傾げると、レヴィは休んでいるゲイルに声を掛けた。
「ゲイルさん、ロゼが長旅で疲れちゃったみたいです」
 閉じていた目を開けてこちらを一瞥すると、ゲイルが気の無い声で返してくる。
「土壇場で踏み込む度胸のない獣に掛ける言葉は無い」
「だからって目の前で強行するヤツがあるかよ!?オレが起きてんのに気付いて傷付くのはレヴィの方なんだぞ!?」
「ほう。あの状況でこいつの心配が出来る程、お前に余裕があったとは知らなかった」
「………ッこの、クサレ神父!!」
「あの、二人ともいったい何の話を…」
「「何でも無い(ナイッ!)」」
 ゲイルとロゼの息の合った返答に、『仲が良いんですね』と盛大なボケをかましつつ、とりあえずロゼの元気が出たみたいで良かったです、と笑顔で頷くレヴィ。
 そんなレヴィの笑顔に閉口したロゼは、乾いた笑みを張り付かせると、暗雲を背負った肩を力無く落とした。

「腕を」
 街門に着く前にゲイルから言葉を掛けられて、レヴィは不思議に思いながら右手を差し出した。
 ゲイルはレヴィの右手首を取ると、絹糸で編まれた腕輪を巻き付けて、固定していく。
 腕輪の中央に通されたターコイズブルーの水晶に写る自分の顔を覗き込みながら、レヴィはぱちぱちと瞳を瞬かせた。
「ゲイルさん。あの、コレは?」
「虫除けだ」
「虫よけ、ですか……?」
 どういう意味か聞こうと思い顔を上げるが、ゲイルは既に街門の方へと歩みを進めていた。
 レヴィはゲイルの後ろ姿を見つめながら、今更ながらに火照り始めた頬を押さえて、心の中で歓声を上げた。
「ゲイルからモノもらうのが、そんなに嬉しいのか?」
 頬が緩みっぱなしのレヴィに、ロゼが呆れたように声を掛けてくる。
 ケッ、とゲイルの背中に悪態を吐くロゼに、レヴィは満面の笑みで頷くと、右手首を空に翳し、水晶を見つめて眩しそうに目を細めた。
「だって、記憶のある中では、初めての贈り物ですもん!」
「……あっそ」
 曇りの無いレヴィの笑顔に、ロゼもそれ以上何を言うことも出来ず、耳隠しの帽子を深く被り直した。



「 ―― ゲイルさん、どういうコトですか!?」
 城門をくぐり、活気付く町並みに瞳を輝かせる間もなく、レヴィは宿の一室に押し込められていた。
 ロゼは背凭れのある椅子に逆向きに跨りながら、不平を漏らすレヴィと一切取り合わない態度のゲイルをぼんやりと眺めている。
「魔族が教会へ行こうと考える事自体が馬鹿げている」
「それは分かります。教会へ行くことはしませんし、近付かないようにしますっ。でも、街にも出ちゃいけないって、どういうコトですか!?」
「体裁だろ」
「え?」
 それまで傍観者として話に加わっていなかったロゼから声が上がり、レヴィがロゼの方を見やった。
 レヴィを一瞥すると、ロゼは視線を外して気の無い声で続ける。
「レヴィ、今までの街とは違うんだ。ヴィキュアは教会の総本山なんだぞ?そこで神父が魔族を連れてたなんて知れた日にゃ、ソイツの立場が危ういだろ?」
 レヴィは虚をつかれたように目を見開くと、にわかにショックを受けたような表情で、恐る恐るゲイルの様子を窺いながら問い掛ける。
「あの、私がゲイルさんと一緒にいると、迷惑ですか?」
「居ない方が都合は良い」
 にべもなく告げられた予想通りのゲイル台詞と、レヴィのあからさまに青褪めた顔色に、ロゼは苦笑した。
 後味は悪いが、コレもレヴィのため……と心を鬼にする。
「……じゃあ、ゲイルさんと顔を合わせないようにしますから。それじゃ、ダメですか?」
 がたこっ、と背後で音がしてレヴィが驚いて振り返ると、ロゼが危ういバランスを保ちながら、椅子からずり落ちた体勢を立て直していた。
「あー……クソッ!レヴィ、いつも聞き分け良いクセに、どーしてたまにそう意固地になるんだよ!?」
「ロゼ?」
「だから、こんな教会の総本山の聖職者がウロウロしてるヤバイとこで、ノコノコ魔族が出歩いてたら、『狩ってください』って言ってるようなモンだろ!?」
「あ」
 合点が言ったというようにぽむ、と手を叩くレヴィに、ロゼが「にぶちん」と拗ねたように呟く。
「あの、ごめんなさいゲイルさん。私待ってますから。どうぞ行って来てください」
 宿への押し込めは、実は心配されていた為だと分かると、レヴィの表情は一変してほわほわとした笑顔に戻る。
 むしろ心配されていた事が嬉しかったのか、頬が上気している様子が傍目にも明らかだった。
 尻尾が付いてたら振り兼ねんばかりのレヴィの喜びように、オレがレヴィのペットだって言うんなら、レヴィはゲイルのペットだよなと、ロゼは心の中で呟いた。
 だがそれがとてつもなく恐ろしく嫌な考えであったコトに気が付くと、頭を掻きむしって脳内中枢全域に前言撤回を申し立てた。
 ロゼの葛藤など無論歯牙の先にも掛けず、ニコニコと機嫌良さげに見送るレヴィを一瞥し、ゲイルは部屋の扉へ手を掛けて口を開く。 D9 催情剤
「もしお前が、どうしても街に出たいと言うのなら」
「あ、いいえ。私ここでおとなしく……」
「二、三日足腰立たないようにしてやっても良いが」
「ここでおとなしく待っていマスっ!」
「とっとと行きやがれこのセクハラ神父ッ!!」
 ロゼの投げた枕は、閉じられた扉へ音を立ててぶつかり落ちた。

 ※

 部屋に備え付けられている本棚から何冊か拝借して読書をしていたレヴィは、ごそごそと身支度を整えるロゼに気付いて顔を上げた。
「ロゼ、どこかへ行くんですか?」
「ん。ちょっとヤボ用」
 寝台から降りようとするレヴィを見て、ロゼはストップ、と言うように手を翳す。
「あ、レヴィは来ちゃダメだからな。ココで大人しくしてるんだぞ」
 ぷぅっ、と膨らんだレヴィの頬をつつきたい衝動に駆られながらも、ロゼは思わず同行を許してしまいそうな自分の心を叱咤する。
「んな可愛い顔しても、ダメなモンはダメっ」
 つんとそっぽを向くロゼに、レヴィは拗ねたように唇を尖らせた。
「どうしてロゼはいいんですか?」
「この街は慣れてるからさ。それにレヴィほどトロくないし、オレ」
「どういう意味ですか!」
「まんま」
 寝台に座っているレヴィは、立ったロゼより頭一つ分低くて、ロゼはポンポンとレヴィの頭を叩くと軽く笑った。
「すぐ帰ってくるから、そんな顔するなよ。おみやげ買って来るからさ」
 笑顔で頷くレヴィに、単純だなぁと吹き出しつつ、ロゼは最後にもう一度レヴィの頭をよしよしと撫でた。
「んじゃ、行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
 ちょっと新婚っぽい会話に一人胸を躍らせながら、ロゼはとっとと面倒なコトは済ませよう、と足早に宿を後にした。


 ゲイルだけでなく、ロゼすら居なくなってしまった宿の一室で、レヴィはふぅと溜息を零す。
 外に出るなとは言われても、眺めるなとは言われてませんし……と心の中で呟きながら読書を中断すると、窓を開けてヴィキュアの街並みを楽しむ事にする。
 ヴィキュアの中心にそびえる宮殿のような建物が、ヴィキュア帝国の教会本部らしい。
 初めは城かと思ったが、ロゼから教会なのだと聞き知って驚いた。
 絵本に出てくるような、自分がイメージしていたお城に良く似た教会を見つめ、レヴィはその場所にいるゲイルを想う。
 こうやってお城を眺めて、王宮の生活や王子様を夢見ていた女の子の物語があったような気がして、レヴィはくすくすと笑った。
 レヴィが窓からヴィキュアの街並みを眺め見ていると、ふと白い鳥が窓枠に降り立ち、羽根を繕い始めた。
 微笑んでその様子を見つめていると、鳥はくるくると咽を鳴らしてレヴィに小首を傾げ、飛び立っていく。
 鳥の軌跡を目で追うと、鳥は大きな弧を描いて宿の前の大通りへ降下していき、一人の男性の横を通り過ぎた。
 再びレヴィのいる窓枠へ戻ってくると、鳥の足に細長い銀の鎖が絡み付いているのに気付いた。
「……ブレスレット?どうしてあなたが持っているんですか?」
 鳥は小首を傾げてレヴィを見上げると、足を小刻みに振り、ブレスレットをその場に残して飛び去った。
「あの、コレ……」
 忘れ物です、と去っていく小鳥に呼び掛けようとして、すぐに無駄である事に気付く。
 レヴィは所在無く置き去られたブレスレットを手に取り、何気無く下の通りを眺めた。
 すると、一人の人物が弱ったように何かを探しながら通りを歩いているのが見える。
 確か、あの鳥が低空を横切った時に、傍にいた男性だった。
「きっとコレを探しているんですよね……」
 持っていたブレスレットを見つめ、もう一度男性へと視線を移す。
 ゲイルが着ていたものより上質そうな、けれど同じ紋章の入った外套を身に纏う男性を見つめ、レヴィは困ったように眉を下げた。
「ゲイルさん達からは、外に出るなって言われてますし……」
 しかも、男性は明らかに教会の関係者の出で立ちである。
「……………」
 レヴィは窓枠にブレスレットを置くと、そっと窓を閉めて部屋の中へ戻った。


「有り難うございます、とても助かったりましたよ。細かい物ですから、落としても見つかり難いと思っていたんです。まさか小鳥の悪戯だったとは」
「いいえ。見つかって良かったですね」
 男性からお礼の言葉を受け取りながら、レヴィは結局届けに来てしまった自分に、心の中でゲイルとロゼに謝罪することで目を瞑ろうと思った。
「それじゃあ、私はこれで」
 宿の扉を開けて戻ろうとしたレヴィの手に、後ろから伸ばされた男性の手が重なる。
「何か、お悩みでもあるのですか?」
「え?」
 振り返ると思いの外近くに男性の顔があり、レヴィが驚くよりも先に、相手が「失礼」と重ねていた手を離して一歩距離を取った。
「私の思い過ごしでなければ、先程窓から教会の方角を見ていらっしゃった方ではありませんか?」
「えーと……」
 見られていたことに頬を赤らめながらレヴィが小さく頷くと、男性は「やっぱり」と、淡く笑みを浮かべた。
「貴女がとても、思い詰めていた様子でしたので。声を掛けようか迷っていたんです。そうしているうちに、小鳥に悪戯されてしまったのですが」
 面目ないと柔和に笑う男性に、レヴィも自然と笑みながら首を振る。
「私、そんなに思い詰めている様子でしたか?」
「ええ。もし何かお悩みがあるのでしたら、何かお力になれないかと思いまして。ああ、申し遅れましたね。私はサイラス=フェビアン。教会で司祭をしています」
「私はレヴィって言います」
 優しく包み込む穏やかな風のような、そんなフェビアンの笑顔に、レヴィは次第に警戒を解いていった。
「レヴィさんですか。素敵な名前ですね。……貴女の悩みを、私が聞くことは叶いませんか?貴女の魂は、ひどく迷っているように見えるのです」
 こちらのお礼も兼ねて、とブレスレットを翳すフェビアンに、レヴィは笑って頷いた。
「では、教会へ参りましょうか」
「え?教会へ、ですか……?」
「ええ。ここでは落ち着きませんし、神のお声も届き難いでしょうから」
「えっと……」
 ぎこちなく笑みを浮かべて後退するレヴィに、「どうかされましたか?」とフェビアンが問う。
「……司祭様。私が教会に足を運んでも、大丈夫でしょうか?」
 じっとフェビアンを穴が開くほど見つめ続けるレヴィに、フェビアンは軽く目を見開くと、何故か小さく吹き出した。 挺三天
「司祭様?」
「ああ、すみません。貴女が余りにも可愛らしかったものですから」
 クスクスと笑い、口元を押さえながらフェビアンは頷いた。
「勿論。迷える魂を抱く方を門前払いするほど、教会も鬼門ではありませんよ」
面倒な仕事だと思う。
 繰り返される単調な作業と、代わり映えしない日常。
 そこに自由があるわけでもなく、自由を望めるはずもなく。
 煉瓦造りの壁に凭れ、目深に被った帽子の隙間から、ロゼは街を行き交う人々を眺めた。
  ―― 『私達も、帰る家のある家族に見えるでしょうか』
 そう言って、同じような風景を眺めた淫魔を思い出し、苦笑した。
「帰る場所……か」
 昔は確かに、存在していたような気がする。
 だが今は、帰る場所だと思っていたものはただの幻想で、実際にはストックのように管理されていただけだと知った。
 家族だと思っていたものは、お互いに材料で、何処が相手で、何処が自分か分からない。
 今までダブるようにせめぎ合っていた意識は、ここ数年形を潜めている。
 自分は、相手を侵蝕して生き残ってしまったのだろうか。
 曖昧だった境界線すら今では見つからなくて、もどかしい気持ちを手のひらに込め、ロゼは弄んでいた石を握り潰した。
「 ―― 報告を」
 凭れていた建物脇の暗がりから、低く端的な声が届く。
「変わらないよ。別に教会に楯突く様子はないし」
 砂になった手の中の石をサラサラと地面へ零し、ロゼは暗がりの声へ向かって事務的な声で返す。
 そう言えばと、もう二月以上前のガーレストキアでのターゲットの行動を思い返す。
「ガーレストキアで、シダー=ガーロンって言う魔術師を捕まえて、教会に連行してた。もう本部には報告が上がってると思うけどさ」
「……………」
 暗がりの相手から苛立った気配と、微かな舌打ちの音が聞こえる。
 常人では聞き取れない音も、聴覚の良いウェアウルフである自分には容易に耳に届いてくる。
 そして同時に、バーサーカーの能力も有している自分は、握力で石を握り潰すこともわけが無くなってしまったのだなと、手に付着した砂を眺めてぼんやりと思った。
「他に報告は」
「ない」
「奴と行動を共にした者がいたら、報告しろと教えたはずだが?」
「……一度、ガーレストキアのエルザに会ってたけど。別に」
「あの淫魔は?」
「 ―― ッ!」
 微かに闇から低い笑い声が聞こえ、周りから不審がられないように神経を張りつめながら、ロゼは声を荒げた。
「アイツは違う!別に、たまたま一緒にいるだけで……ッ」
「ロゼ、お前は面が割れているな」
「え」
「その淫魔にも、なかなか執心しているらしい」
「……………」
「ギュスターヴ以外に不穏分子を置いておく程、教会も甘くは無い。残念だ。気性は荒いが、感情を持つ合成獣(キマイラ)の中で、お前はなかなかの傑作だったのにな」
 闇から手が伸び、ロゼの腕を引いて暗がりへと引きずり込んでいく。
 教会が、ゲイル=ギュスターヴの監視を一人に任せるなんて思う方が間違いだった。
 他の仲間がどんな仕事に就いているかは知らないが、疑り深い教会のこと、監視に監視を付けるのは、考えてみれば当然だったのかも知れない。
 多少強引にでも、さっさとレヴィをゲイルから引き離しておけば良かったと、レヴィの気持ちを考えて躊躇っていた自分に、ロゼは今更ながらに後悔した。
「感情の残ったキマイラ……その感情が徒(あだ)になったか。やはり多少能力に劣っても、キマイラは従順な方が扱いやすい」
 くすぐるように顎を撫でられて、ロゼはかぶりを振って相手の手を突き放した。
「………オレ達は道具じゃない」
「道具だよ。使えなければ、いくらでも補充できる」
 ロゼが睨むと、目の前の教徒は可笑しそうに笑った。
「……レヴィは」
 ざわざわと滾る血の巡りから意識を逸らしながら、ロゼは教徒から視線を外して呟いた。
「大司祭様直々に面会に行かれるらしい。ギュスターヴが珍しく長く連れているからな。それなりの利用価値はあるんだろう」
「 ―― レヴィ!」
 駆け出そうとした首を後ろから捕まれて、首に巻き付けられていた魔力封じの紐が、ブツリと音を立てて切り落とされる。
 全身の血が沸騰するような熱さに、バーサーカーの能力が身の内で暴れ出すのを感じ、ロゼはその場で蹲ると地面を掻いてうめいた。
「ロゼ。お前にはまだ仕事が残っている」
 赤く染まる視界と、朦朧とし始める意識の中、聞くだけで吐き気のする教徒の声が、ねっとりと頭の中に響いていく。
「最後の仕事になるんだ。しっかり働けよ」


 ※       ※       ※


 ……神様 ―― 懺悔します。
 私は、傍にいたい人がいます。
 ずっと、王子様を想ってきたのに。
 王子様は、私のことを待っていてくれているのに。
 それでも私には離れたくない人がいて、王子様の手がかりを見つけたのに、それをひた隠しにしている自分がいるんです。

  ――彼は、貴方を大切にしてくれますか?
 いいえ
  ―― 彼は、貴方を尊重してくれますか?
 いいえ
  ―― 彼は、貴方と対等な立場に在りますか?
 いいえ
  ―― 彼は、貴方に嘘偽り無く接してくれますか?
 いいえ
  ―― 彼は、貴方を愛してくれますか?
 ……………いいえ

 一方的な想いは、お互い苦痛を伴います。
 貴方は、他に目を向けるべきです。
 貴方を必要としてくれている誰かが、いるのではありませんか?
  ―― その、王子様のように。

「 ―― レヴィさん」
「………司祭様……」
「貴女の懺悔が、少し気になりまして」
 レヴィは呆けたように頷くと、フェビアンに手を引かれるまま、懺悔室を後にした。



 かちゃり、と陶器が擦れる音でハッと目を瞬かせ、レヴィは呆けていた意識を取り戻した。
 目の前に置かれたカップに注がれる闇色の液体から、香ばしい香りが漂ってくる。
 いつの間に座っていたのか。しっとりと滑らかに身体を受け止める上等な革張りのソファへ、腰掛けていたことに気が付いた。
 ソファから立ち上がろうとするが、伸びてきた手に肩を軽く押さえられて、レヴィは再びソファにポスンと座り込んだ。
 傍らを見上げると、レヴィを座らせたフェビアンがポットをコルクコースターに置き、柔和に微笑みながら首を傾げている。
「珈琲はお嫌いでしたか?」
「コーヒー……ですか?」
 レヴィの隣に腰掛けると、フェビアンは自分に入れた珈琲を一口啜った。 VIVID XXL
 その様子を眺めながら、レヴィも見よう見まねで目の前のカップを手に取ると、恐る恐る珈琲を口に含む。
 香ばしいと感じたのは一瞬で、口に広がる苦さにレヴィは顔を顰めてむせ込んだ。
「珈琲は初めてですか?」
「はい、紅茶とは違うんですね。にがくてビックリしました」
 素直に感想を述べるレヴィを物珍しそうに眺め、フェビアンが笑みを深くする。
「やはり、貴女はギュスターヴには勿体無いですね」
「え?」
 自然な動作で右手を取られて、ゲイルに贈られた水晶のブレスレットをそっとなぞられる。
「……ギュスターヴは、余程貴女が気に入っているらしい」
「あの、ギュスターヴさんって、どなたですか?」
 レヴィが小首を傾げて見上げると、フェビアンは綺麗に微笑んで頷いた。
「ああ。貴女は確か、ゲイルと呼んでいましたか」
「ゲイル、ギュスターヴ……?」
  ―― ゲイル=ギュスターヴは、世界を壊そうとした、罪人…… ――
 突然意識に上ってきた記憶の断片に、レヴィは息を呑んだ。
 自分は確かに、ゲイル=ギュスターヴと言う名前を耳にしたことがあった。
 だがそれがいつのことなのか、誰からの言葉だったのか思い出せなくて、焦燥を落ち着かせるように、フェビアンに捕らわれていない方の手で、胸元の青いペンダントを握り締める。
 こうすると昔から、悲しい気持ちや不安な気持ちが和らぐからだった。
 君の青い月が輝くようにと、王子様から贈られた、大切な宝物 ―― 。
  ―― 悲しさや寂しさを吸い取ってくれる、魔法の指輪………全て、忘れていく…… ――
 自分の声で語られたはずの言葉の片鱗に触れ、レヴィはぎくりと身を強張らせながら、ペンダントから手を離していく。
 記憶が欠けている。
 どこから、誰から、いつから ―― 解からないまま、ただ警告のように鳴り響く耳鳴りが、レヴィの鼓動を早めていった。
 震えるレヴィの右手を取り、その手首に鎮座する水晶を見つめ、目の前の司祭が軽く溜息を吐いてくる。
「流石、と言うべきか。……聖石一つで、ここまで魔族の気配を消せるとは」
 魔族という言葉に、レヴィはビクリと身体を硬直させると、慌てて右手をフェビアンの手の中から引き戻した。
「あ、あの……っ」
 この世の終わりのように青褪めて身を強張らせるレヴィの様子に、フェビアンが苦笑を零す。
「ああ、そんなに驚かなくても大丈夫ですよ。私以外、貴女の正体に気付いている者はいないようですから」
「え……?」
「その水晶ですよ。聖石、と私達は呼んでいますけれど。その聖石に、魔封じの紋が刻まれている。恐らくギュスターヴが創ったのでしょうね」
「一応、ゲイルさんからもらいましたけど、そんなこと一言も……」
 ふとゲイルの言葉を思い出し、レヴィはぽつりと呟いた。
「……虫よけ」
「『虫除け』?………ギュスターヴが?そんな事を言っていたのですか?」
「えっと、はい」
 レヴィが頷くと、フェビアンはこらえきれないと言うように口元を押さえて、肩を震わせながら笑い出した。
「司祭様?」
「ああ、すみません。ここ暫く彼の姿は見ていませんでしたが、まさかそんなに感情が豊かになっていたとは知りませんでしたよ」
「はあ……」
 フェビアンの笑う理由がいまいちよく分からなくて、レヴィが曖昧に頷いていると、フェビアンはぴたりと笑うのを止めて、「けれど」とレヴィを見つめて呟いた。
「先程の懺悔室でも伝えましたが、貴女にとって辛い選択であっても、ギュスターヴと共に在ることは得策とは言えません」
「どうしてですか?」
「彼は異端者ですから」
「……異端者?」
 フェビアンは頷くと、ゆっくりとレヴィの方へ上体を倒して囁いた。
「彼は創造主を闇へ閉じこめた異端者。神に遣う身でありながら、神を冒涜し、世界の終焉を望む者」
 伸ばされた手が、レヴィの胸元の青い石をそっと撫でてくる。
「彼の側にいては、貴女のルアクが汚れます。せっかく、こんなに澄んだルアクの輝きを持っているのに」
「司祭様は、この石が何なのか分かるんですか……?」
「ええ。これは貴女のルアクの輝き。選ばれた者の証」
「選ばれた者?」
「 ―― 貴女は、王子の花嫁に選ばれたのですよ」 福潤宝
 額に手を当てられたと感じる間もなく、フツリ、とレヴィに意識はそこで途切れていった。