2013年4月21日星期日

王子と姫君

「あれが、帝国都市ヴィキュアですか」
 崖の縁から遠方に臨む城壁と、その中から幾筋も微かに立ち上る生活の煙を見つめ、レヴィはほぅ……と溜息を吐いた。
 始まりは何処からか、もう思い出すことはかなわないが。確かに旅の終わりが近付いている気がして、レヴィは何気なく後ろを振り返る。 麻黄
 少し離れた大木に凭れて目を閉じている神父が目に入り、レヴィはもう一度静かに息を吐いた。
「な、長かった……」
 レヴィより長い長い溜息を吐き、げんなりとした声が下方から聞こえて、レヴィは目を瞬かせると視線をそちらへ移した。
 耳をへにゃりと力無く垂らしたロゼが、レヴィの隣でヴィキュアを眺めながら、あぐらをかいて座っている。
「ロゼ、どうしたんですか?疲れちゃいましたか?」
「ああ。疲れちゃいました……つーかソレと言うのも全部、あのクサレ神父が悪いんだけどな」
「え?」
「本当なら馬車で半月で着くところが、何でだかは言いたくないけど朝になると『腰を打ったから』って苦笑いしてしばらく動けないレヴィが居るってコトが日常的に行われてて、気が付けば二月以上経ってやがるぜチクショウ!」
「ロゼ、舌噛まないですか?」
「ああもう!手を変え品を変えオレが妨害しようとすんのに挙げ句の果てには強行しやがるあのクサレ神父にどう報復するか悩んでるオレには、今のレヴィの笑顔はイタイ……」
 隣にあった岩に突っ伏すように倒れ込むロゼに首を傾げると、レヴィは休んでいるゲイルに声を掛けた。
「ゲイルさん、ロゼが長旅で疲れちゃったみたいです」
 閉じていた目を開けてこちらを一瞥すると、ゲイルが気の無い声で返してくる。
「土壇場で踏み込む度胸のない獣に掛ける言葉は無い」
「だからって目の前で強行するヤツがあるかよ!?オレが起きてんのに気付いて傷付くのはレヴィの方なんだぞ!?」
「ほう。あの状況でこいつの心配が出来る程、お前に余裕があったとは知らなかった」
「………ッこの、クサレ神父!!」
「あの、二人ともいったい何の話を…」
「「何でも無い(ナイッ!)」」
 ゲイルとロゼの息の合った返答に、『仲が良いんですね』と盛大なボケをかましつつ、とりあえずロゼの元気が出たみたいで良かったです、と笑顔で頷くレヴィ。
 そんなレヴィの笑顔に閉口したロゼは、乾いた笑みを張り付かせると、暗雲を背負った肩を力無く落とした。

「腕を」
 街門に着く前にゲイルから言葉を掛けられて、レヴィは不思議に思いながら右手を差し出した。
 ゲイルはレヴィの右手首を取ると、絹糸で編まれた腕輪を巻き付けて、固定していく。
 腕輪の中央に通されたターコイズブルーの水晶に写る自分の顔を覗き込みながら、レヴィはぱちぱちと瞳を瞬かせた。
「ゲイルさん。あの、コレは?」
「虫除けだ」
「虫よけ、ですか……?」
 どういう意味か聞こうと思い顔を上げるが、ゲイルは既に街門の方へと歩みを進めていた。
 レヴィはゲイルの後ろ姿を見つめながら、今更ながらに火照り始めた頬を押さえて、心の中で歓声を上げた。
「ゲイルからモノもらうのが、そんなに嬉しいのか?」
 頬が緩みっぱなしのレヴィに、ロゼが呆れたように声を掛けてくる。
 ケッ、とゲイルの背中に悪態を吐くロゼに、レヴィは満面の笑みで頷くと、右手首を空に翳し、水晶を見つめて眩しそうに目を細めた。
「だって、記憶のある中では、初めての贈り物ですもん!」
「……あっそ」
 曇りの無いレヴィの笑顔に、ロゼもそれ以上何を言うことも出来ず、耳隠しの帽子を深く被り直した。



「 ―― ゲイルさん、どういうコトですか!?」
 城門をくぐり、活気付く町並みに瞳を輝かせる間もなく、レヴィは宿の一室に押し込められていた。
 ロゼは背凭れのある椅子に逆向きに跨りながら、不平を漏らすレヴィと一切取り合わない態度のゲイルをぼんやりと眺めている。
「魔族が教会へ行こうと考える事自体が馬鹿げている」
「それは分かります。教会へ行くことはしませんし、近付かないようにしますっ。でも、街にも出ちゃいけないって、どういうコトですか!?」
「体裁だろ」
「え?」
 それまで傍観者として話に加わっていなかったロゼから声が上がり、レヴィがロゼの方を見やった。
 レヴィを一瞥すると、ロゼは視線を外して気の無い声で続ける。
「レヴィ、今までの街とは違うんだ。ヴィキュアは教会の総本山なんだぞ?そこで神父が魔族を連れてたなんて知れた日にゃ、ソイツの立場が危ういだろ?」
 レヴィは虚をつかれたように目を見開くと、にわかにショックを受けたような表情で、恐る恐るゲイルの様子を窺いながら問い掛ける。
「あの、私がゲイルさんと一緒にいると、迷惑ですか?」
「居ない方が都合は良い」
 にべもなく告げられた予想通りのゲイル台詞と、レヴィのあからさまに青褪めた顔色に、ロゼは苦笑した。
 後味は悪いが、コレもレヴィのため……と心を鬼にする。
「……じゃあ、ゲイルさんと顔を合わせないようにしますから。それじゃ、ダメですか?」
 がたこっ、と背後で音がしてレヴィが驚いて振り返ると、ロゼが危ういバランスを保ちながら、椅子からずり落ちた体勢を立て直していた。
「あー……クソッ!レヴィ、いつも聞き分け良いクセに、どーしてたまにそう意固地になるんだよ!?」
「ロゼ?」
「だから、こんな教会の総本山の聖職者がウロウロしてるヤバイとこで、ノコノコ魔族が出歩いてたら、『狩ってください』って言ってるようなモンだろ!?」
「あ」
 合点が言ったというようにぽむ、と手を叩くレヴィに、ロゼが「にぶちん」と拗ねたように呟く。
「あの、ごめんなさいゲイルさん。私待ってますから。どうぞ行って来てください」
 宿への押し込めは、実は心配されていた為だと分かると、レヴィの表情は一変してほわほわとした笑顔に戻る。
 むしろ心配されていた事が嬉しかったのか、頬が上気している様子が傍目にも明らかだった。
 尻尾が付いてたら振り兼ねんばかりのレヴィの喜びように、オレがレヴィのペットだって言うんなら、レヴィはゲイルのペットだよなと、ロゼは心の中で呟いた。
 だがそれがとてつもなく恐ろしく嫌な考えであったコトに気が付くと、頭を掻きむしって脳内中枢全域に前言撤回を申し立てた。
 ロゼの葛藤など無論歯牙の先にも掛けず、ニコニコと機嫌良さげに見送るレヴィを一瞥し、ゲイルは部屋の扉へ手を掛けて口を開く。 D9 催情剤
「もしお前が、どうしても街に出たいと言うのなら」
「あ、いいえ。私ここでおとなしく……」
「二、三日足腰立たないようにしてやっても良いが」
「ここでおとなしく待っていマスっ!」
「とっとと行きやがれこのセクハラ神父ッ!!」
 ロゼの投げた枕は、閉じられた扉へ音を立ててぶつかり落ちた。

 ※

 部屋に備え付けられている本棚から何冊か拝借して読書をしていたレヴィは、ごそごそと身支度を整えるロゼに気付いて顔を上げた。
「ロゼ、どこかへ行くんですか?」
「ん。ちょっとヤボ用」
 寝台から降りようとするレヴィを見て、ロゼはストップ、と言うように手を翳す。
「あ、レヴィは来ちゃダメだからな。ココで大人しくしてるんだぞ」
 ぷぅっ、と膨らんだレヴィの頬をつつきたい衝動に駆られながらも、ロゼは思わず同行を許してしまいそうな自分の心を叱咤する。
「んな可愛い顔しても、ダメなモンはダメっ」
 つんとそっぽを向くロゼに、レヴィは拗ねたように唇を尖らせた。
「どうしてロゼはいいんですか?」
「この街は慣れてるからさ。それにレヴィほどトロくないし、オレ」
「どういう意味ですか!」
「まんま」
 寝台に座っているレヴィは、立ったロゼより頭一つ分低くて、ロゼはポンポンとレヴィの頭を叩くと軽く笑った。
「すぐ帰ってくるから、そんな顔するなよ。おみやげ買って来るからさ」
 笑顔で頷くレヴィに、単純だなぁと吹き出しつつ、ロゼは最後にもう一度レヴィの頭をよしよしと撫でた。
「んじゃ、行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
 ちょっと新婚っぽい会話に一人胸を躍らせながら、ロゼはとっとと面倒なコトは済ませよう、と足早に宿を後にした。


 ゲイルだけでなく、ロゼすら居なくなってしまった宿の一室で、レヴィはふぅと溜息を零す。
 外に出るなとは言われても、眺めるなとは言われてませんし……と心の中で呟きながら読書を中断すると、窓を開けてヴィキュアの街並みを楽しむ事にする。
 ヴィキュアの中心にそびえる宮殿のような建物が、ヴィキュア帝国の教会本部らしい。
 初めは城かと思ったが、ロゼから教会なのだと聞き知って驚いた。
 絵本に出てくるような、自分がイメージしていたお城に良く似た教会を見つめ、レヴィはその場所にいるゲイルを想う。
 こうやってお城を眺めて、王宮の生活や王子様を夢見ていた女の子の物語があったような気がして、レヴィはくすくすと笑った。
 レヴィが窓からヴィキュアの街並みを眺め見ていると、ふと白い鳥が窓枠に降り立ち、羽根を繕い始めた。
 微笑んでその様子を見つめていると、鳥はくるくると咽を鳴らしてレヴィに小首を傾げ、飛び立っていく。
 鳥の軌跡を目で追うと、鳥は大きな弧を描いて宿の前の大通りへ降下していき、一人の男性の横を通り過ぎた。
 再びレヴィのいる窓枠へ戻ってくると、鳥の足に細長い銀の鎖が絡み付いているのに気付いた。
「……ブレスレット?どうしてあなたが持っているんですか?」
 鳥は小首を傾げてレヴィを見上げると、足を小刻みに振り、ブレスレットをその場に残して飛び去った。
「あの、コレ……」
 忘れ物です、と去っていく小鳥に呼び掛けようとして、すぐに無駄である事に気付く。
 レヴィは所在無く置き去られたブレスレットを手に取り、何気無く下の通りを眺めた。
 すると、一人の人物が弱ったように何かを探しながら通りを歩いているのが見える。
 確か、あの鳥が低空を横切った時に、傍にいた男性だった。
「きっとコレを探しているんですよね……」
 持っていたブレスレットを見つめ、もう一度男性へと視線を移す。
 ゲイルが着ていたものより上質そうな、けれど同じ紋章の入った外套を身に纏う男性を見つめ、レヴィは困ったように眉を下げた。
「ゲイルさん達からは、外に出るなって言われてますし……」
 しかも、男性は明らかに教会の関係者の出で立ちである。
「……………」
 レヴィは窓枠にブレスレットを置くと、そっと窓を閉めて部屋の中へ戻った。


「有り難うございます、とても助かったりましたよ。細かい物ですから、落としても見つかり難いと思っていたんです。まさか小鳥の悪戯だったとは」
「いいえ。見つかって良かったですね」
 男性からお礼の言葉を受け取りながら、レヴィは結局届けに来てしまった自分に、心の中でゲイルとロゼに謝罪することで目を瞑ろうと思った。
「それじゃあ、私はこれで」
 宿の扉を開けて戻ろうとしたレヴィの手に、後ろから伸ばされた男性の手が重なる。
「何か、お悩みでもあるのですか?」
「え?」
 振り返ると思いの外近くに男性の顔があり、レヴィが驚くよりも先に、相手が「失礼」と重ねていた手を離して一歩距離を取った。
「私の思い過ごしでなければ、先程窓から教会の方角を見ていらっしゃった方ではありませんか?」
「えーと……」
 見られていたことに頬を赤らめながらレヴィが小さく頷くと、男性は「やっぱり」と、淡く笑みを浮かべた。
「貴女がとても、思い詰めていた様子でしたので。声を掛けようか迷っていたんです。そうしているうちに、小鳥に悪戯されてしまったのですが」
 面目ないと柔和に笑う男性に、レヴィも自然と笑みながら首を振る。
「私、そんなに思い詰めている様子でしたか?」
「ええ。もし何かお悩みがあるのでしたら、何かお力になれないかと思いまして。ああ、申し遅れましたね。私はサイラス=フェビアン。教会で司祭をしています」
「私はレヴィって言います」
 優しく包み込む穏やかな風のような、そんなフェビアンの笑顔に、レヴィは次第に警戒を解いていった。
「レヴィさんですか。素敵な名前ですね。……貴女の悩みを、私が聞くことは叶いませんか?貴女の魂は、ひどく迷っているように見えるのです」
 こちらのお礼も兼ねて、とブレスレットを翳すフェビアンに、レヴィは笑って頷いた。
「では、教会へ参りましょうか」
「え?教会へ、ですか……?」
「ええ。ここでは落ち着きませんし、神のお声も届き難いでしょうから」
「えっと……」
 ぎこちなく笑みを浮かべて後退するレヴィに、「どうかされましたか?」とフェビアンが問う。
「……司祭様。私が教会に足を運んでも、大丈夫でしょうか?」
 じっとフェビアンを穴が開くほど見つめ続けるレヴィに、フェビアンは軽く目を見開くと、何故か小さく吹き出した。 挺三天
「司祭様?」
「ああ、すみません。貴女が余りにも可愛らしかったものですから」
 クスクスと笑い、口元を押さえながらフェビアンは頷いた。
「勿論。迷える魂を抱く方を門前払いするほど、教会も鬼門ではありませんよ」
面倒な仕事だと思う。
 繰り返される単調な作業と、代わり映えしない日常。
 そこに自由があるわけでもなく、自由を望めるはずもなく。
 煉瓦造りの壁に凭れ、目深に被った帽子の隙間から、ロゼは街を行き交う人々を眺めた。
  ―― 『私達も、帰る家のある家族に見えるでしょうか』
 そう言って、同じような風景を眺めた淫魔を思い出し、苦笑した。
「帰る場所……か」
 昔は確かに、存在していたような気がする。
 だが今は、帰る場所だと思っていたものはただの幻想で、実際にはストックのように管理されていただけだと知った。
 家族だと思っていたものは、お互いに材料で、何処が相手で、何処が自分か分からない。
 今までダブるようにせめぎ合っていた意識は、ここ数年形を潜めている。
 自分は、相手を侵蝕して生き残ってしまったのだろうか。
 曖昧だった境界線すら今では見つからなくて、もどかしい気持ちを手のひらに込め、ロゼは弄んでいた石を握り潰した。
「 ―― 報告を」
 凭れていた建物脇の暗がりから、低く端的な声が届く。
「変わらないよ。別に教会に楯突く様子はないし」
 砂になった手の中の石をサラサラと地面へ零し、ロゼは暗がりの声へ向かって事務的な声で返す。
 そう言えばと、もう二月以上前のガーレストキアでのターゲットの行動を思い返す。
「ガーレストキアで、シダー=ガーロンって言う魔術師を捕まえて、教会に連行してた。もう本部には報告が上がってると思うけどさ」
「……………」
 暗がりの相手から苛立った気配と、微かな舌打ちの音が聞こえる。
 常人では聞き取れない音も、聴覚の良いウェアウルフである自分には容易に耳に届いてくる。
 そして同時に、バーサーカーの能力も有している自分は、握力で石を握り潰すこともわけが無くなってしまったのだなと、手に付着した砂を眺めてぼんやりと思った。
「他に報告は」
「ない」
「奴と行動を共にした者がいたら、報告しろと教えたはずだが?」
「……一度、ガーレストキアのエルザに会ってたけど。別に」
「あの淫魔は?」
「 ―― ッ!」
 微かに闇から低い笑い声が聞こえ、周りから不審がられないように神経を張りつめながら、ロゼは声を荒げた。
「アイツは違う!別に、たまたま一緒にいるだけで……ッ」
「ロゼ、お前は面が割れているな」
「え」
「その淫魔にも、なかなか執心しているらしい」
「……………」
「ギュスターヴ以外に不穏分子を置いておく程、教会も甘くは無い。残念だ。気性は荒いが、感情を持つ合成獣(キマイラ)の中で、お前はなかなかの傑作だったのにな」
 闇から手が伸び、ロゼの腕を引いて暗がりへと引きずり込んでいく。
 教会が、ゲイル=ギュスターヴの監視を一人に任せるなんて思う方が間違いだった。
 他の仲間がどんな仕事に就いているかは知らないが、疑り深い教会のこと、監視に監視を付けるのは、考えてみれば当然だったのかも知れない。
 多少強引にでも、さっさとレヴィをゲイルから引き離しておけば良かったと、レヴィの気持ちを考えて躊躇っていた自分に、ロゼは今更ながらに後悔した。
「感情の残ったキマイラ……その感情が徒(あだ)になったか。やはり多少能力に劣っても、キマイラは従順な方が扱いやすい」
 くすぐるように顎を撫でられて、ロゼはかぶりを振って相手の手を突き放した。
「………オレ達は道具じゃない」
「道具だよ。使えなければ、いくらでも補充できる」
 ロゼが睨むと、目の前の教徒は可笑しそうに笑った。
「……レヴィは」
 ざわざわと滾る血の巡りから意識を逸らしながら、ロゼは教徒から視線を外して呟いた。
「大司祭様直々に面会に行かれるらしい。ギュスターヴが珍しく長く連れているからな。それなりの利用価値はあるんだろう」
「 ―― レヴィ!」
 駆け出そうとした首を後ろから捕まれて、首に巻き付けられていた魔力封じの紐が、ブツリと音を立てて切り落とされる。
 全身の血が沸騰するような熱さに、バーサーカーの能力が身の内で暴れ出すのを感じ、ロゼはその場で蹲ると地面を掻いてうめいた。
「ロゼ。お前にはまだ仕事が残っている」
 赤く染まる視界と、朦朧とし始める意識の中、聞くだけで吐き気のする教徒の声が、ねっとりと頭の中に響いていく。
「最後の仕事になるんだ。しっかり働けよ」


 ※       ※       ※


 ……神様 ―― 懺悔します。
 私は、傍にいたい人がいます。
 ずっと、王子様を想ってきたのに。
 王子様は、私のことを待っていてくれているのに。
 それでも私には離れたくない人がいて、王子様の手がかりを見つけたのに、それをひた隠しにしている自分がいるんです。

  ――彼は、貴方を大切にしてくれますか?
 いいえ
  ―― 彼は、貴方を尊重してくれますか?
 いいえ
  ―― 彼は、貴方と対等な立場に在りますか?
 いいえ
  ―― 彼は、貴方に嘘偽り無く接してくれますか?
 いいえ
  ―― 彼は、貴方を愛してくれますか?
 ……………いいえ

 一方的な想いは、お互い苦痛を伴います。
 貴方は、他に目を向けるべきです。
 貴方を必要としてくれている誰かが、いるのではありませんか?
  ―― その、王子様のように。

「 ―― レヴィさん」
「………司祭様……」
「貴女の懺悔が、少し気になりまして」
 レヴィは呆けたように頷くと、フェビアンに手を引かれるまま、懺悔室を後にした。



 かちゃり、と陶器が擦れる音でハッと目を瞬かせ、レヴィは呆けていた意識を取り戻した。
 目の前に置かれたカップに注がれる闇色の液体から、香ばしい香りが漂ってくる。
 いつの間に座っていたのか。しっとりと滑らかに身体を受け止める上等な革張りのソファへ、腰掛けていたことに気が付いた。
 ソファから立ち上がろうとするが、伸びてきた手に肩を軽く押さえられて、レヴィは再びソファにポスンと座り込んだ。
 傍らを見上げると、レヴィを座らせたフェビアンがポットをコルクコースターに置き、柔和に微笑みながら首を傾げている。
「珈琲はお嫌いでしたか?」
「コーヒー……ですか?」
 レヴィの隣に腰掛けると、フェビアンは自分に入れた珈琲を一口啜った。 VIVID XXL
 その様子を眺めながら、レヴィも見よう見まねで目の前のカップを手に取ると、恐る恐る珈琲を口に含む。
 香ばしいと感じたのは一瞬で、口に広がる苦さにレヴィは顔を顰めてむせ込んだ。
「珈琲は初めてですか?」
「はい、紅茶とは違うんですね。にがくてビックリしました」
 素直に感想を述べるレヴィを物珍しそうに眺め、フェビアンが笑みを深くする。
「やはり、貴女はギュスターヴには勿体無いですね」
「え?」
 自然な動作で右手を取られて、ゲイルに贈られた水晶のブレスレットをそっとなぞられる。
「……ギュスターヴは、余程貴女が気に入っているらしい」
「あの、ギュスターヴさんって、どなたですか?」
 レヴィが小首を傾げて見上げると、フェビアンは綺麗に微笑んで頷いた。
「ああ。貴女は確か、ゲイルと呼んでいましたか」
「ゲイル、ギュスターヴ……?」
  ―― ゲイル=ギュスターヴは、世界を壊そうとした、罪人…… ――
 突然意識に上ってきた記憶の断片に、レヴィは息を呑んだ。
 自分は確かに、ゲイル=ギュスターヴと言う名前を耳にしたことがあった。
 だがそれがいつのことなのか、誰からの言葉だったのか思い出せなくて、焦燥を落ち着かせるように、フェビアンに捕らわれていない方の手で、胸元の青いペンダントを握り締める。
 こうすると昔から、悲しい気持ちや不安な気持ちが和らぐからだった。
 君の青い月が輝くようにと、王子様から贈られた、大切な宝物 ―― 。
  ―― 悲しさや寂しさを吸い取ってくれる、魔法の指輪………全て、忘れていく…… ――
 自分の声で語られたはずの言葉の片鱗に触れ、レヴィはぎくりと身を強張らせながら、ペンダントから手を離していく。
 記憶が欠けている。
 どこから、誰から、いつから ―― 解からないまま、ただ警告のように鳴り響く耳鳴りが、レヴィの鼓動を早めていった。
 震えるレヴィの右手を取り、その手首に鎮座する水晶を見つめ、目の前の司祭が軽く溜息を吐いてくる。
「流石、と言うべきか。……聖石一つで、ここまで魔族の気配を消せるとは」
 魔族という言葉に、レヴィはビクリと身体を硬直させると、慌てて右手をフェビアンの手の中から引き戻した。
「あ、あの……っ」
 この世の終わりのように青褪めて身を強張らせるレヴィの様子に、フェビアンが苦笑を零す。
「ああ、そんなに驚かなくても大丈夫ですよ。私以外、貴女の正体に気付いている者はいないようですから」
「え……?」
「その水晶ですよ。聖石、と私達は呼んでいますけれど。その聖石に、魔封じの紋が刻まれている。恐らくギュスターヴが創ったのでしょうね」
「一応、ゲイルさんからもらいましたけど、そんなこと一言も……」
 ふとゲイルの言葉を思い出し、レヴィはぽつりと呟いた。
「……虫よけ」
「『虫除け』?………ギュスターヴが?そんな事を言っていたのですか?」
「えっと、はい」
 レヴィが頷くと、フェビアンはこらえきれないと言うように口元を押さえて、肩を震わせながら笑い出した。
「司祭様?」
「ああ、すみません。ここ暫く彼の姿は見ていませんでしたが、まさかそんなに感情が豊かになっていたとは知りませんでしたよ」
「はあ……」
 フェビアンの笑う理由がいまいちよく分からなくて、レヴィが曖昧に頷いていると、フェビアンはぴたりと笑うのを止めて、「けれど」とレヴィを見つめて呟いた。
「先程の懺悔室でも伝えましたが、貴女にとって辛い選択であっても、ギュスターヴと共に在ることは得策とは言えません」
「どうしてですか?」
「彼は異端者ですから」
「……異端者?」
 フェビアンは頷くと、ゆっくりとレヴィの方へ上体を倒して囁いた。
「彼は創造主を闇へ閉じこめた異端者。神に遣う身でありながら、神を冒涜し、世界の終焉を望む者」
 伸ばされた手が、レヴィの胸元の青い石をそっと撫でてくる。
「彼の側にいては、貴女のルアクが汚れます。せっかく、こんなに澄んだルアクの輝きを持っているのに」
「司祭様は、この石が何なのか分かるんですか……?」
「ええ。これは貴女のルアクの輝き。選ばれた者の証」
「選ばれた者?」
「 ―― 貴女は、王子の花嫁に選ばれたのですよ」 福潤宝
 額に手を当てられたと感じる間もなく、フツリ、とレヴィに意識はそこで途切れていった。

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