夏の闘技大会は、一回戦までがふるい落としだ。
年がら年中、足しげくコロッセオに通う中毒者たちは、したり顔でこう語る。
十六回に分けて行われる、百人規模のバトル・ロワイヤルではまだ甘い。Aを倒したBが、Dと相打つような戦いでは、Cが漁夫の利を得て生き残ることもある。だから、一回戦もふるい落としのうちなのだ。Motivat
自称『通』の男たちは、遠方からやってきた観光客に向かって、このような弁舌をぶつわけだ。
彼らは語る。二回戦からが、本当の闘いなのだと。運だけではなく、確かな力を持って勝ち上がってきた八人の男たち。彼らの闘いこそが、純粋な力と力のぶつかり合いなのだと熱く語った。
それは間違いではなかった。十六人の猛勇たちが、鎬(しのぎ)を削って武を競い合えば、当然の成り行きとして弱者は淘汰される。そして、コロッセオには八人の強者が残るというわけだ。
そこには運や偶然など存在しない。純化された力。濃縮された魔素。磨き上げられた武技。それらを前にして、万に一つも弱者の勝利はあり得ない。
東大陸の武芸者たち。その頂を目指す夏の闘技大会は、分かりやすいほどに分かりやすい。
すなわち、強い者が勝つ。その絶対不変の理の前では、生半可な小細工や小賢しいペテンなど通用するはずもなかった。
灼熱の太陽光線を弾かんばかりに高まった熱狂は、はっきりと感じ取れる振動となってコロッセオを揺らしていた。
第二回戦、黒騎士対キリング。一回戦で鮮やかな勝利を収めた黒騎士は、音に聞こえし重戦士、『皆殺しキリング』を倒すことができるのか。
もしも彼を倒すことができたのならば、黒騎士の実力は本物だ。レベルにして208、重力を自在に操る〈グラビトン・ファイター〉のキリングに、小細工など通用しようはずがない。相手が策を弄せば弄すほど、策ごと叩き潰しにかかる。それが、黒騎士の二回戦目の相手だった。
だが、真っ向から挑んでキリングを倒せるのならば、黒騎士は『本当の』本物だということになる。混沌龍すら倒してのける、勇者の中の勇者ということになる。
一回戦でガルディが倒されても、人々の中の疑念は完全には払拭できていなかった。それほどまでに各国で偽物が湧いて出たし、顔を隠した人物はやはり胡散臭いものだった。
本物の黒騎士という証明は、彼が勝利を手にすることによってなされる。できれば、勝って欲しい。できれば、証明して欲しい。観客たちは疑念を抱えつつも、本物の勇者を見たいという欲求に突き動かされて、黒騎士に惜しみのないエールを送っていた。
(超うるせえ。耳がおかしくなりそうだ)
しかし、当の黒騎士は――貴大は、頭部を覆った兜の下で顔をしかめるばかり。彼はただ一心に、開始の鐘が鳴るのを待ちわびていた。
さっさと始めて、さっさと終わらせる。念仏のようにこの一文を頭の中で繰り返し、貴大は対戦相手の巨漢を見つめる。
「てめえも待ちきれねえようだな。オレもだ。オレも待ちきれねえ。体が勝手に動いちまいそうだぜ」
貴大の視線をどのように勘違いしたのか、キリングは巨大な戦斧を轟々と音を立てて振り回した。
そのパフォーマンスに、大いに湧き上がる観客席。更に勢いを増し、はち切れんばかりとなった歓声に押されるかのように、運営委員会の者が鐘楼へと登る。
『ルール無用。情け容赦無用。互いに全力を尽くすことを誓いますか?』
「おうっ!」
ひょろりとした眼鏡の男の確認に、ドンと胸を叩いて応えるキリングと、静かにうなずく黒騎士。
それを確認した運営委員の男は、魔法の拡声器を再度口元に当て、左手に持った木槌を金色の金に叩きつけた。
『それでは、試合、開始っ!!』
コロッセオにたまった声の渦を裂いて、高く澄んだ鐘の音が響き渡った。と、同時に、黒騎士の姿がかき消えてしまった。
達人が見れば、彼がキリングの死角を取るために、弧を描いてコロッセオを駆け抜けたことが分かっただろう。だが、それが見えた者は、決して多くはない。
一回戦を勝ち残った八人と、一万を超える観客の中の一握り。それ以外の者は、黒騎士が動いたことすら知覚できていなかった。
仮にキリングもそうであれば、勝敗はここで決していただろう。彼は自分の身に何が起きたのかもわからないまま、一敗地に伏していたのかもしれない。
だが、彼は〈スカーレット〉の――東大陸最大規模の冒険者グループの元締めだ。その実力や名声は、虚飾や水増しとは無縁のものだった。
「オラアッ!」
振り向きざまに戦斧を一閃。横薙ぎに払われた鋼鉄の斧は、彼の首元にまとわりつこうとしていた黒い影を吹き散らした。
大きく飛び退り、コロッセオの壁まで後退した黒騎士。風を巻いて唸ったキリングの剛撃と、まばたきの間に消え、そして現れた黒騎士の姿に、九割超の観客は、ここでようやく、試合はもう始まっているのだということに気がついた。
試合開始を告げる鐘の音は、まだ余韻にさえも変わっていない。なのに、黒騎士たちはすでに一度目の攻防を終えたという。
まるでこれが決勝戦のようではないか。そう錯覚させるほどに、刹那の攻防は観客に確かな満足感を与えていた。
しかし、薪をくべればくべるほどに燃え盛るのが炎というものだ。なまじ燃料を与えた分、観客たちは大いに高揚し、足を踏み鳴らして大声を張り上げる。
「黒騎士っ!! 黒騎士っ!! 黒騎士っ!! 黒騎士っ!!」
「キリングゥゥゥーーーーっ!! 『皆殺しキリング』ゥゥゥーーーー!!」
刻むような黒騎士コールと、引き伸ばすかのようなキリングコール。
二つの音が混ざり合い、不思議と調和しているのに対して、名を呼ばれた本人たちは、硬い金属音を鳴らしてぶつかり合っていた。
「本物だ! おめえはやっぱり本物だよ! この強さ、この力強さ、間違いねえ!」
歯をむき出して笑うキリングは、重力操作によって軽くなった戦斧を振るう。当たった瞬間のみ重さが増すという扱いにくい重力斧を、キリングは自分の体のように動かしてみせる。
筋肉の鎧をまとった外見から、彼は純粋なパワーファイターだと勘違いされやすい。だが、実際にはレイピアやシャムシールさえも使いこなしてみせるほどの技巧派で、馬鹿正直に敵に大きな獲物を振り下ろす力自慢の戦士とは一線を画していた。
力一つで頂点に立てるほど、冒険者の山は低くはない。心技体、全てを兼ね備えた者が立てる境地が、大国の冒険者ギルドの長というものだった。levitra
「俺の国の騎士団長でも、まともに打ち合えば数合と保たねえ! それをおめえはやってのけている! 誇れ! そして闘え! もっと! もっとだ!!」
内に秘めた獰猛な本能を解放して、キリングは加速度的に手数と一撃の重さを増していく。その猛撃を前に防戦一方な黒騎士は――しかし、どこまでも冷静だった。
(この程度か。もっとやれると思ったんだがな)
仮面の下の冷たい瞳は、客観的にキリングの実力を分析する。
(最初の一撃を防がれるとは思わなかったが、そこまでだったか)
巨岩のように重たい戦斧をショートソード一本で逸らし、貴大は危なげなくキリングの攻撃を避け続ける。
焦れたキリングが、力強く、しかし『雑な』一撃を放つまで。貴大は、暴風のような戦斧の乱撃に身をさらし続ける。
(そろそろか。カウンターで首を狩って終わり。それで二回戦突破だ)
やがてキリングの動きに疲れが見え始めた時、貴大は勝利を確信していた。
一騎当千の〈グラビトン・ファイター〉。巌のごとく鍛え上げられた剛腕にかかれば、貧弱な防御力しか持たない暗殺者など一たまりもないだろう。それは、レベルを限界値まで上げた貴大であろうと同じこと。彼自身、あの戦斧で二回、三回と斬りつけられれば、倒れるのは自分の方だと考えていた。
しかし、当たらない。限界まで筋肉を躍動させても、キリングの攻撃は貴大にかすりもしない。
貴大が必死になって避けているからではない。キリング程度(・・)のレベルでは、そもそも、回避を極めた斥候職を捉えることすら不可能だったのだ。
紙のような防御力に反し、上位の斥候職は『回避する盾』と呼ばれるほどに生存能力が高い。避けて、躱して、受け流して。貴大は十二分の余裕を持って、『皆殺しキリング』と対峙していた。キリングの攻撃は、毛先ほどもかすっていなかった。
当たらないのならば、大地ごと爆砕してしまえ。意図と気迫を隠しもせずに気炎を上げたキリングは、大上段に戦斧を振り上げ、燃える瞳で黒騎士を睨みつける。
(ここだ。この大振りを躱して、首を狩る)
一瞬の隙を突き、速やかに敵を絶命させる。それこそが斥候職のファイトスタイルであり、貴大の最も得意とすることであった。
避けて、剣を振る。機械的なまでに効率的な動作は、極めて安定した成果を貴大にもたらしていた。だからこそ、鬼と呼ばれた男を前にしながらも、貴大は絶対的な安心感すら覚えていた。
そこには、致命的なまでの油断があった。
「【グラビトン】!」
「ぐああああっ!?」
全身にのしかかる重圧に、貴大は今大会において初めて、苦悶の声を上げた。
同時に、膝を突く貴大。あまりの『重さ』に彼はとても立ってはいられなかった。
上級スキル【グラビトン】。使用者の半径十メートルを囲む、超重力の檻。十倍にも増した重力は、武器や防具を足かせに変え、空飛ぶ龍ですら地に堕とす。
貴大ですら、【グラビトン】には抗えない。手が、足が、肉が、骨が、彼を地面へと縛り付ける鎖と化している。そのうえ、正体を隠すために身に着けている全身鎧が彼を苛む。黒く、重たい鎧は、その全てが拘束具へと変わっていた。
「これでトドメだ……!」
増大した重力の中、キリングは筋肉に血管を浮かばせて、戦斧を持つ手に力を込める。
戦斧を予め持ち上げていたのも。ことさら隙を強調してみせたのも。疲れた『ふり』をしていたのも。全ては、この一撃のためだったのだ。重力の力を上乗せした、必殺の一撃を確実に叩き込むためだったのだ。
貴大は、事ここに至って、自分がまんまと術中に陥っていたことを悟った。「脳みそまで筋肉でできている」と侮っていた相手に、いいように手玉に取られていたことを悟った。
自分の油断と不明を恥じた貴大は、同時に強い焦燥感を覚えた。このままでは、自分は負ける。重戦士の超重撃を受けて、自分は一撃で敗退してしまう。そうなってしまえば、危険な優勝賞品を手にすることが難しくなってしまう。
「これで、しめえだあああああああああああっ!!」
真っ直ぐに振り下ろされる戦斧。背筋を凍らせる一撃に、迷っている暇などなかった。
「【蜃気ろ」
貴大の小さな呟きすら呑み込んで、コロッセオが爆音を立てて大きく揺れた。
重たく巻き上がった土砂が、泥のように地面へと落下した時、そこに黒騎士の姿はなかった。あるのは大きなクレーターだけ。そして立っているのはキリングだけ。
間違えようもないほどに明確な過程と結果。それを受けて、観客は大きな歓声を上げ、
「……ガハッ」
血を吐いて倒れたキリングに、言葉を失った。
「………………えっ?」
倒れて転移の光に包まれたキリングに代わって、一つの影が立ち上がる。
黒い鎧に、黒い兜。剣まで黒く染めた男の名は、佐山貴大。黒騎士として大衆に知られる人物が――キリングに叩き潰されたはずの人物が、今、勝利を示すかのように剣を掲げた。
「ネズミ、なんだろ?」
常の歓声ではなく、不思議なざわめきに包まれたコロッセオ。その一室で、黒騎士と一人の少女が向き合っていた。
「グランフェリアを離れていたから、【マーキング】の効果は切れているけど……何となくわかる。お前、タカヒロなんだろ?」
誰も寄り付かないような掃除用具置き場で、黒騎士を問い詰めているのは、赤毛の少女。
先ほど、黒騎士に倒されたキリングの娘、アルティ・ブレイブ=スカーレット=カスティーリャだった。
「親父が倒れた時、首から血が噴き出てた。あの時と一緒だ。『憤怒の悪鬼』の時と。だから、なあ、お前なんだろう?」
「……まあ、そうだけどさ」
三度の問い詰めに、遂に黒騎士は白旗を上げた。上げた両手で兜を外し、貴大はアルティに素顔を晒した。
「やっぱり、お前だったか」
嬉しそうな、とても嫌そうな、複雑な表情を見せるアルティ。
最強と信じていた父親が、ネズミと呼んでいた男に倒された。しかし貴大は、自分を二度も救ってくれた恩人であり、自分では及びもつかないような超人だ。
アルティは、その強さに惹かれ始めている自分を感じていた。キリングを倒してのけるほどの男に、戦士としての魅力を感じていた。K-Y
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しかし、その相手が貴大では、やはり思うところがあるのだろう。男らしくなく、面倒くさがりで、だらしがなく、ひょろりとしている。
自身の理想像とはおよそかけ離れている男に、淡い想いを抱いてしまうというジレンマ。アルティの心中は、自分でも説明がつかないほどに困惑を極めていた。
「すまんな、お前の親父を倒しちまった」
「うっ……」
事もなげに「最強を倒した」と言ってのける貴大に、不覚にもときめいてしまうアルティ。親を倒されて喜んでいるかのような心の動きに、彼女は苦い思いも抱く。
何を言えばいいのか。何を伝えたらいいのか。文句の一つも言ってやろうかと、自分はここに来たはずだ。「親父の敵はオレがとる。首を洗って待ってろ」と、啖呵を切りに来たはずだ。
その一言が出てこない。日常茶飯事で口にしている悪態が、この時に限っては出てこない。
――いや、本当は、ずっと前からそうだ。
『憤怒の悪鬼』から助けてもらった時から。遺跡で命を救われた時から。そして、本当のレベルを伝えられた時から。アルティは、貴大に対して、一種の『やりづらさ』を感じていた。
彼に向かい合うと、本調子ではいられなくなる。歯切れが悪くなり、むやみやたらに戸惑ってしまう。そのくせ、彼が気になって、こそこそと後をつけまわしてしまう。
こんなのは自分じゃないと思いながらも、どうしても止められない。それはどうしてなのか、何度も考えたけれど、しっくりとくる答えはなかった。
だけど、今なら答えがわかるような気がする。アルティは、胸を押さえながら、その答えにそっと手を伸ばそうとして――止めた。
「お前、負けたら承知しねえからな! ぜってー優勝しろよ!」
代わりに出てきたのは、可愛げのない誤魔化しの言葉。
今、本当の気持ちに気がつくのは、何だか怖い気がする。自分はこんなに臆病だったのかと、アルティは愕然としていた。
そんな赤毛の少女の頭に、貴大はぽんと手をのせてお気楽に笑う。
「まあ、言われなくても優勝するつもりだ」
そう言って、兜を被った貴大は、部屋から出ていった。
残されたアルティは、顔を真っ赤にして、胸の中心を右手でぎゅっと握りしめていた。
準決勝にあたる第三試合。ここまで上がってくるのは、いずれも劣らぬ大豪傑だ。
大国の騎士団長。冒険者ギルドの長。高名な武家の長男に、異国から流れてきた戦士たち。ここにいるのが当然だという面子が揃うのが、夏の闘技大会の準決勝だ。
この中の誰が優勝してもおかしくはない。準決勝進出者をもって東大陸四強を決めてもいいほどに、夏の闘技大会に集う戦士は質が高かった。
しかし、それでもあえて、今大会で誰が一番強いかと予想すれば――。
「カウフマン! 『鉄のカウフマン』だっ!!」
最強騎士、ジークムント=フォン・カウフマンの名が挙げられることが多かった。
「【アイゼン・シュピース】!」
長槍を一度突き出しただけで、地面には衝撃波の爪痕が生じ、コロッセオの客席を覆うバリアがビリビリと震える。
このような武威を示せるのは、『鉄のカウフマン』の他にはいようはずもなかった。
(こいつだけとは当たりたくなかったけど……やっぱり出てきたか)
銀髪を後ろに撫でつけた、鎧姿の偉丈夫を見つめ、貴大は兜の下で冷たい汗を垂らした。
機械のように精密な槍さばき。天地を引き裂く膂力。神から授かった長槍に、堅実なバルトロアのスキル。武神に愛されているカウフマンの強さは、貴大が以前味わった時よりも、磨きがかかっていた。
「我が国、我が姫に勝利を捧げる! 黒騎士など、何するものかっ!」
(うわわわわっ!?)
空間に穴を空けるような、瞬速の連続突き。微塵の狂いもなく急所を狙ってくる連撃に、貴大はたまらず大きく飛び退いた。
「逃がさんっ!」
(もう、勘弁してくれよ!)
後ろへ、横への何度かのステップ。相手を惑わすその動きに、それでも貼りつくかのように追随する最強騎士。直線的な速さにおいては、貴大にも勝るとも劣らないカウフマンの俊足に、貴大は大いに肝を冷やした。
(倒すつもりで戦えば、勝てると思ったんだが……甘かったか!)
かつて相対した時は、追いすがるカウフマンを殺さないように気をつけていた。いわば、最強の騎士を相手に手加減をしていたのだ。それでも何とかあしらえていたので、貴大は今回の戦いに自信を持っていた。
全力を出せば、中途半端に手を抜くよりも簡単に戦えるだろう。そう考えて、貴大は準決勝へと出向いたのだが――。
「そこだっ!」
「ぐあっ!?」
開始から十分、貴大は押しに押されていた。
そのうえ、とうとう長槍の先端が貴大の肩を捉え、板金ごと彼の骨肉を刺し貫こうとしていた。
これはたまらないと、身をよじって切っ先を逸らす貴大。その動きに合わせて、カウフマンの膝蹴りが貴大の胴体へと叩き込まれる。
「ぐふっ!?」
厚い装甲を貫き、内部の肉体を揺らす衝撃。たまらず体を折る貴大の背中に、今度は肘が振り下ろされる。
「がっ!?」
体の芯まで響く肘鉄に、剣を取り落して倒れ伏す貴大。間髪入れず、彼の心臓目がけて、長槍が突き出される――!
「【見切り】ぃっ!!」
決定打となり得た一撃を寸でのところで躱した貴大は、跳ね上がるように起き上がって、素早く体勢を立て直す。
しかし、神がかった貴大の回避を、カウフマンは意にも介さず攻撃を続行する。先ほどの攻撃が外れることを予想していたかのように、すぐさま槍を地面から引き抜いた騎士は、顔色一つ変えずに突進を開始する。
鉄の国、バルトロアの民は、からくり仕掛けと揶揄されるほどに精確だとされている。細かなところまで決めておいて、その通りに実行されなければ我慢がならないのだと、他国の人間は彼らを評する。
その点で言えば、カウフマンこそが、模範的なバルトロア人なのだろう。勝利を得るために必要な戦術を組み立て、組み合わせ、その通りに体を動かす。先ほど、貴大を叩きのめした連撃など、まさしくそうだ。
一つ一つの動作を的確に実行し、勝利のために淡々と敵を追い詰めていく。それは決まりきった作業にも似ていて、実際に貴大は事務的に処理されそうになった。曲美
これがバルトロアの怖さだと、貴大は思う。これが武神に愛された所以だと、観客たちは思う。黒騎士さえも圧倒するバルトロアの体現者に、コロッセオに集った者たちは気圧されてしまっていた。
だが、その中で唯一、貴大だけが笑っていた。『鉄のカウフマン』に追い詰められて、それでも彼は不敵に笑っていた。
「つええな。やっぱりこのおっさんは苦手だわ。でもな……」
長槍で壁際まで押し込まれながら、眼前に難敵が迫っていながら、それでも彼は笑う。
兜の下で、くつくつと笑って、彼はカウフマンの長槍を――力づくで、弾いてみせた!
「お前ぐらいの強敵は、ネットにゃゴロゴロいたんだよ!!」
パリィと呼ばれる防御術で長槍を弾いた貴大は、壁を蹴って大きく飛び上がる。そして、ショートソードを胸の前で横に構え、一つのスキルを発動させる。
「【ミラージュ・ボディ】!」
途端に、大きなざわめきが観客席で波打った。なんと、剣を構えた黒騎士が、五つの体に分かれたのだ!
寸分違わぬ姿の、五人の黒騎士。彼らはてんでバラバラに動きながら、四方八方からカウフマンに襲いかかる。
「うぬ、まやかしかっ!?」
頭上から飛び込んできた黒騎士を一突き。すると、黒騎士は大きく膨れ上がって、紙切れをまき散らしながら爆裂してしまう。
『残念、ハズレだ』
耳元で聞こえた声に、カウフマンは鋭く拳を放った。枕を殴るような頼りない手応えと共に、黒騎士はまたもや破裂してしまう。
『まだ三人もいる』
『本物がわかるか?』
『さあ、槍を突き刺せ!』
舞い散る紙ふぶき。そして反響する黒騎士の言葉に――カウフマンは、冷静な心を取り戻す。
(ガウディ戦での首狩り。キリング戦での透明化。この者はやはり、戦士ではない。影者だ)
全身を覆う鎧と、『黒騎士』という呼び名。見えるもの、聞こえるものに惑わされ、自分は本質をつかめていなかった。カウフマンはそう思った。
幻を操る騎士ではなく、影者(かげもの)――暗殺者の類ならば、いくらでも戦いようはある。相手が幻影に隠れるならば、虚実を見切って、本体を叩く。それができるのが、カウフマンという男だった。
『来ないなら、こちらから行くぞ』
(まやかしは『軽い』。存在が希薄で、動作に重さがない)
これまでの経験と、培ってきた勘から、カウフマンは早くも本体にあたりをつけた。
(一番奥で、ゆったりと構えているのが本体だ。他は紙風船のようなもの)
そうと決めれば、怒号一閃、カウフマンは強烈な突進を繰り出した。
一本の槍と化した最強騎士は、行く手を遮る一体の分身を貫いて、そのままの勢いで黒騎士に迫った。
まさか、いともたやすく見破られるとは思ってもみなかったのだろう。もたつき、初動が遅れた黒騎士は、もはや串刺しにされる運命にあった。
(もらった)
薄皮一枚まで槍の穂先がめり込んだ時、カウフマンは自分の勝利を確信した。
だからこそ、本体と信じて疑わなかった黒騎士が、音を立てて破裂した時には――一瞬、動きを止めてしまった。そして、貴大は、その隙を見逃さなかった。
「【首狩り】」
「がっ……!?」
驚愕に目を見開いたカウフマンは、後ろから聞こえた声に振り返ろうとする。
しかし、後ろに首を回す前に、彼は転移の光に包まれて消えてしまった。
結果、その場には、黒騎士だけが残っていた。無数の分身を全て失った黒騎士の『本体』が、剣を左右に払って、付着した血を飛ばしていた。
「【チェンジ・ボディ】。廃人プレイヤーから教わった、俺のとっておきだ」
黒騎士が高く、剣を掲げた。
一瞬遅れて、観客から嵐のような拍手と喝さいが巻き起こった。天天素
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