2015年8月10日星期一

漆黒の剣

アラムは自宅の薄暗い倉庫の中、しゃがみ込んで、頑丈な箱の中に宝物のように収められた一振りの大剣を見つめていた。

紅玉や青石が象篏され、意匠を凝らした黄金の柄に、同じく宝石を散りばめた見事な漆黒の鞘。鞘の中央には文字が刻まれているが、アラムには読めなかった。おそらく古代文字だろう。三体牛鞭

「まったく読めねぇ」

アラムは大剣を手にした。鞘から剣を引き抜こうとしてみる。

「しかも抜けねぇ」

そこでアラムは肩を揺らして笑った。

「錆びてんのかな。それとも、やっぱり家宝はもとから抜けない造りなのか……」

しかし、幼い頃に夢と希望をどれだけ貰った事か。

「これ、アラム!家宝に触るんじゃない!」

倉庫の入り口で、アラムの祖母が怒鳴った。背も曲がり、杖を着いてはいるが、声にはまだ張りがある。

「何度言ったらわかるんだい。急いで御飯を食べな、出仕に遅れるよ」

「へーい、わかったわかった」

アラムは剣を仕舞い、立ち上がった。



朝食を急いで済ませると、アラムは家を後にした。家から少し行くと、そこには市が立ち、露店には人が大勢集っていた。祭典の最中と言う事で、いつにも増して賑わっている。アラムは西方将軍アルガスの部下となった直後、もともと住んでいた辺境の地から、帝都アルタイン・シュベクに祖母を引き連れて移り住んだのだった。

アラムは大通りの少し先にそびえ建つ、吸い込まれそうな青い空を背景に、くっきりと白い輝きを放つ壮麗な城を見上げた。王城にはフィエナがまだ滞在している。

「このやかましさ、多分城の中まで聞こえてるだろうな……」

外に出たいだろうな、と思ったその時。見上げてばかりいたので人にぶつかってしまった。

「あ……だ、大丈夫ですか?」

アラムの胸に突っ伏したのは女性らしかった。頭から足先まで黒い衣に身を包んでいる。

ややあって、女性は顔を上げた。

「あ」


声を出したのは二人同時だった。

見開かれた群青色の瞳に、アラムは次の言葉が出なかった。

「アラム!」

いるはずの無いフィエナが目の前にいる。

「――なんで……ここにいるんだよ。しかも一人で」

「だって、楽しそうな声が聞こえてくるから……気になるじゃない」

「自分の立場わかってんのか!?騒ぎになるぞ――それに」

アラムは声を潜めた。

「外の空気はお前の体に良くない」

フィエナの体はとても清浄に出来ているらしい。ベリウス・アルタインの空気ですら毒であり、皇帝は愛する娘のために、澄み切った大気の人工惑星を造ったほどだ。

わかってはいるが、聞きたくない、とでも言いたげにフィエナは歩き出した。SEX DROPS

「おい、待てよ」

アラムは慌てて後を追った。

人工惑星や城壁の中で育ったフィエナには、市場が珍しいようだった。きょろきょろと露店を見回しながら、興味を持った店に駆け寄る。

「ねぇ、アラム、来て」

興奮したフィエナが指差したのは、露店に並んだ装飾品の数々だった。

「きれいな宝石!こんなの見た事もないわ」

地面に敷物を敷いて座り込んでいる店主の老人は、フィエナの類まれなる美貌にしばらく呆けていたが、お安くしとくよ、旦那、とアラムに笑顔で声をかけてきた。

店に並んだ装飾品は、アラムにさえも真鍮に質の悪い貴石をはめこんだ安物だとわかった。

「お前が城で身につけてたやつのほうが凄いよ」

言って、アラムはまずい、と後悔した。ここで彼女の正体を知られては。

「女官さんかね。どうりで天人みたいだと思った」

店主は感心したように、目の前にしゃがみ込んで装飾品を手に取るフィエナを眺めた。アラムは内心胸をなでおろした。城に仕える者すら、城の外の者にとっては雲の上の存在だ。ましてや皇女など、こんな場所にいようはずもない。


「アラム、私これ欲しい」

フィエナがアラムにねだったのは、深く青い貴石の嵌め込まれた指輪だった。フィエナの瞳の色に似ている。

「よし、それ買ってやるよ」

「ありがとう。今日の日の記念にするわ」

無邪気に笑みながら、フィエナはその指輪をはめた。あつらえたように彼女の薬指にぴったりだった。

フィエナの笑顔はまるで花がほころぶようだった。つられてアラムも店主も笑った。この笑顔を守りたい、とアラムは一瞬、切に思った。

アラムの心に暖かいものが満ちた、その時。

「お探し申し上げましたよ」

突然その場に出現したかのように、アラムの背後から唐突に声がした。アラムと向かい合っていたフィエナの笑顔が一瞬で凍りつく。

「ユリ……」

さすがにまずいと判断したのだろう、フィエナは名を呼ぶのをやめた。アラムが振り向くと、そこには灰色の外套を羽織り、フードを目深にかぶっているが、紛れもなく東方将軍ユリウスその人がいた。

「ごめんなさい、私……」

「お話は後で。早く城へ戻りましょう」

いつもフィエナと話をする時と打って変わって、ユリウスは厳しい表情だった。心なしか青ざめてさえいる。

「君がそそのかしたのか」

問い詰めるようにアラムに向けた碧色の瞳は、今にも敵を射殺さんばかりの鋭い矢のようだった。

「アラムは全然悪くないのよ、私が一人で――」

「問答無用です。――アラムとか言ったな、戻ったら覚悟しておきたまえ」

フィエナと会ったのはまったくの偶然だったが、自分に非がないわけでは無い。すぐにフィエナを連れ戻そうとしなかった。アラムは厳罰に処される覚悟を決めた。蒼蝿水

決着
「ちくしょう……」

薄暗い鉄格子の中でうずくまり、アラムは呟いた。まだユリウスに殴られた頬が疼く。

「あの野郎……思いっきり殴りやがったな。細腕の割に効いたぜ」

単身で城を抜け出したフィエナとばったり出くわしたアラムは、その場面を東方将軍ユリウスに発見され、激しい叱責を受け、城に帰るなり殴られ、そして牢に入れられたのだった。

「今日は厄日かよ。まったく……それにしても、なんか俺、あいつから目の敵にされてないか……?」

アラムを殴りつける彼の碧色の目は、まるで憎悪を宿しいるのかと思われるほど苛烈だった。

「あいつ、やっぱりフィエナが好きなのかな?」

 それだったら合点がいく。だが、フィエナは皇女。雲の上の存在だ。四天王といっても手の届かない相手なのだ。

「立場は同じ、だよな。……俺の事、厳罰に処すとか言ってたけど…まさか死刑じゃねぇだろうな……」

 ――ありえる。俺を殺しかねない目だった。

 アラムが肩をすくめたその時。

「とんだ災難だったな」

 地上へ上がる階段の方から低い声がした。牢の壁に取り付けられた松明の明かりに、地下に降りて来た男の白い外套が反射する。

「兄貴」

 アラムの直属の上司、西方将軍アルガスだった。口元にはからかうような笑みを湛えている。

「助けに来てやったぜ。有難く思いな、馬鹿野郎」

「馬鹿野郎って……」

 不可抗力なんだよ、とアラムは言おうとしたが、殴られてうまく喋れない。

「姫さんから陛下に事情を話してもらった。お前はお咎めなしだ。おまけに姫さんを保護したと言う名目で褒賞をいただいている」

「――要するに、兄貴がうまく立ち回ってくれたって事だよな」

「まあそう言う事だ。早く出ろ」

 アルガスは牢の鍵をアラムに投げてよこした。

「恩に着るぜ」

 アラムは鍵を拾うと立ち上がり、急いで牢の外側に手を回して解錠した。

「しかし派手にやられたなぁ……」

 アルガスは牢の外で腕を組み、気だるそうに壁にもたれながら言った。のんきな目が常日頃より多少鋭い。

「あの貴公子様は女みてぇな細腕してんのに、力が相当あるみてえだった。強いのか?」

「強いさ。戦において一度の敗北も無く、あるのは圧倒的勝利のみときてる。『千暁王』の異名はダテじゃねえぜ」勃動力三体牛鞭

「ふーん。どうりで拳が凄い威力のはずだ。さて、晴れて自由の身だ」

 牢から出て、アラムは伸びをした。

「帰りに褒賞の金子で剣でも新調したらどうだ?安モンだったろ?」

「褒賞、そんなにあるのかよ。やったぜ!――そうだ、剣で思い出した。兄貴は学があるから古代文字読めんだろ?」

 今朝、家の倉庫で眺めていた鞘から抜けない黒い剣の事をアラムは思い出した。鞘には古代文字とおぼしきいくつかの文字が彫られていた。

「ま、少しはな。剣と何の関係があるんだ?」

「俺んちの家宝の剣の鞘にさ、古代文字みたいなのが刻んであるんだよ」

「ほう」

「えーと、こんな文字だ」

アラムは壁に指で文字を書いてみせた。

「兄貴、意味わかるか?」

 アルガスはアラムの指の動きを目で追った後、しばし沈黙し、顎に手をやり、首を傾げ、しまいには苦く笑ったのだった。

「……そりゃお前、家宝にしちゃ、タチの悪い偽物だなァ」

「結構立派なんだぜ、剣は抜けねぇけどよ……」

 言いながら、アラムの声は落胆で声が沈んでいった。言わなければ良かった。

「お前の家にあるはずはあるまいよ。それは『アドゥン・ディクソス』って書いてあんだよ。恐れ多くもやんごとなき御方のみはかし(剣)の銘じゃねぇか」

「アドゥン…ディクソス……」

「破壊の狂王って意味だ」

「なんか物騒な銘だなぁ」

「全てを破壊せずにはいられねぇ、狂える神、アドゥンがその漆黒の刀身には宿ってる。並の人間には到底手に負えん代物だ。剣の持つ破壊衝動に魂を呑まれてしまうからな」

「そんな物騒なもんを……やんごとなき御方って、皇帝陛下だろ?」

「ま、そうだな。その資格があれば」

 アルガスは意味深な笑いを浮かべた。

「え?」

「気にするな――とにかく、そのご大層な剣は王宮の宝物殿に厳重に保管されているはずだ。お前んちなんかの家宝であるはずがねぇだろ、馬鹿が」

 さすがにアラムは不満の吐息をもらした。

「馬鹿馬鹿って……馬鹿にすんなよなっ」




 帰宅し、アラムは再び倉庫に入り、家宝のしまわれた箱を開けた。黄金の柄に漆黒の鞘、象嵌された赤と青の宝石の煌き。

「アドゥン……ディクソス……贋作か……けど、お前にしっくりくる銘だな」

 ――まるで……呼べば応えるかのように。三體牛寶






 帝都アルタイン・シュベクのはるか上空、雲海の上に漂流する、ごくごく小さな浮島『タゲース』に、陽光に白い外套を眩しいほどに輝かせた大男、西方将軍アルガスの姿があった。常に口元に湛えている笑みが、消えている。

挿絵(By みてみん)

 そしていま一人、アルガスと対峙する男の姿がある。東方将軍、ユリウスである。遮る雲の無い、燦燦と照りつける光の下、彼の美しい面は心なしか青ざめていた。

「お前さんは一度ならず、二度、俺を怒らせた。だからこうする事にした」

「異論は無いよ。僕が君だとしても、この方法を取るだろうから」

 浮島『タゲース』には、対峙する二人以外に、兵士が四人、対峙する二人から離れたところに立って、四角形の島の四方を見張っている。他には何もない更地だった。だがその小さな更地の島には役割がある。『タゲース』はアルタイン・シュベクの中にある唯一の無法地帯であり、騎士階級の者が自分の誇りを汚された時などに利用する私的な決闘場であった。決闘を見張る兵士達は、『タゲース』で起こった事は何一つ口外しない。決闘して倒れた者を介抱、または遺体を秘密裏に片付けるだけだ。

「さ、剣を抜きな。もうすぐ合図の時刻だ」

 静寂の中、アルガスが抜刀を促した。二人は共に腰に佩いた剣を抜いた。二つの白刃が鋭い輝きを放つ。アルガスの剣は幅広の大剣、ユリウスのものは細身の剣だった。

 四方に立つ兵士が同時に決闘の開始を告げた。

 白と青を纏う双方が、猛烈な闘気を放ちながら、互いの接点へ向けて走り出した。アルガスの剣からまるで雷のような破裂音が鳴り響く。

 一瞬、だった。アルガスは一迅の風のようにユリウスを通り過ぎた。ユリウスの青い外套に覆われていたアルガスの手元が完全に現れた時、アルガスはすでに己の剣を鞘に収めるところだった。電流の走る剣を鞘に収まるまでに、ユリウスは脇腹を押さえながら地面に片膝を付いた。

「その剣、稲妻か……?凄まじい衝撃だ…さすがは雷神……と言っておこう。君の『ヴァルカヌス』は……この僕に初めて…傷を付けた」

「感謝しな。人目に触れねぇ場所だからよ、まだまだ『千暁王』の通り名は捨てねぇで済むぜ」

「内臓が……飛び出して…しまっている……が…?」

 ユリウスは激しく血を吐きながらとうとう地に伏した。

「再生処置が早ければ、の話だ。命を失えば元も子もねえけどな。そんじゃあな。また会える事を祈ってるぜ」

 呑気に言いながら、後ろを振り返りもせず、アルガスは『タゲース』を去った。外套を風になびかせて。孤高の男に白ほど相応しい色は無い。

「君と言う男は…四天王で一番……だ」

 駆け寄って来た兵士達に介抱されながら瀕死のユリウスは呟いた。そしてとうとう、白目を剥いて意識を失ったのだった。それから数日の間、東方将軍ユリウスは、体調が思わしくないと言う理由で王城への出仕を控える事になった。花痴

2015年8月7日星期五

狼の末裔

今はプリムの部屋となっている客間の寝室に、静かに本を読み聞かせる声が響く。
「……そして戦士はお姫様を救うため、怪物たちの住む森の奥深くへ入っていきました」
 寝台のそばに椅子を置き、そこに腰掛けながら本を開くローゼ。
読んでいるのは、イヴリルに昔から伝わるの物語だ。掛け布から顔と腕だけを出したプリムがわくわくと、初めての話に耳を傾けていた。房事の神油
 眠る前にローゼが本を読んでやるこの時間を、プリムは毎晩楽しみにしてくれている。
今やこの部屋の本棚は、ヴァンが用意してくれた、沢山の子供向けの本で埋め尽くされていた。
「ローゼ、『センシ』って何だ?」
 読み聞かせの最中、分からない単語があれば、すぐにこうして質問が返ってくる。
プリムは利発なので、言葉の覚えが早くて非常に助かっている。
 既に日常会話だけなら支障のない段階まで達しているものの、こうして本を読んでいると、やはり聞き覚えのない単語も出てくるようだ。
 できるだけ簡単な単語を選びながら、プリムに言葉の意味を説明するのは、主にローゼの役目だ。
それでもどうしても分からない時は、サルマーン語でフィーユに説明してもらうようにしていた。
「うん……そうね、戦士は『人のためにたたかう人』のこと、かしら。例えば、ヴァン様みたいな軍人……とか」
「おお、それならヴァンは***なのか」
「え、なあに?」
「エクラム。プリムの国の言葉で、えっと……オオカミ。強いセンシはみんなオオカミの子だ。サルマーンでは、偉いセンシのことをエクラムと呼ぶ」
 聞き取れずに首を傾げると、プリムがゆっくりと分かりやすいように発音して、そう教えてくれた。
「ヴァンはショーグンなの?あの子たち、そう言ってた」
「そうよ、ヴァン様は将軍。とっても偉くて立派な……そう、『エクラム』ね」
 教えられたばかりの、不思議な響きを持つ異国の言葉のを繰返し、そっとローゼは微笑む。
 孤児院の子供たちは、見たこともないヴァンのことを『おじさんしょーぐん』と親しげに呼んで、慕ってくれている。
いつも玩具や贈り物をくれる相手に、会ってみたくて仕方がないようだ。
 顔を見せてやれば良いと思うのに、ヴァンは、怖がらせてしまうと言って、子供たちとの対面を避けている。以前フィーユから聞いた通りだ。
 ローゼは嫁いでしばらくしてから知ったことだが、どうやら夫は、イヴリルの悪鬼イヴィルと言う、恐ろしげな二つ名で、広くその存在を知られているようだ。
 そしてそれは、勇猛果敢な戦いぶりももちろんのこと、顔が怖いと言うのも主な理由であるらしい。
 倒れそうになった花嫁を、咄嗟に支えてくれるような優しい人だ。だからかどうかは自分でもよく分からないが、少なくともローゼは、ヴァンの顔を怖いと思ったことなど一度もない。
 なので結婚式の前、大聖堂に到着した際に耳にした、街の人々の言っていた意味深な言葉はそう言うことだったのかと、その話を聞いてようやく合点がいったのだ。
 ヴァンの身の内から滲み出る威厳や、圧倒的存在感が、周囲に近寄り難い印象を与えてしまっているのかもしれない。
 ローゼからすれば、将軍と言う地位に相応しく、また必要不可欠に思えるそれらの要素も、やはり子供の目には恐ろしく映るのだろうか。
 朗読を止め、プリムにその疑問をぶつけてみる。
「プリムは、ヴァン様が怖い?」
「ううん。何でそんなこと聞く?」
「ほら、最初の頃……。ヴァン様に何か叫びながら、何度も蹴りかかっていたでしょう。だから、そう思ったの。あれ、何て言っていたの?」
「ああ」
 菫色の瞳が気まずげに伏せられ、プリムがその時のことを思い出したように、照れ笑いを浮べる。
 そして、ぽそっと呟いた。
「……『出たな大魔王』って言った」
「だい、……」
 衝撃の一言に、ローゼはしばし言葉を失う。やはり、夫はいわゆる『怖い顔』であるらしい。
 ――――このことは、ヴァン様には教えないほうが良いはず……。
 ああ見えて彼は、繊細な人だ。
この間、道端でおばあさんに道を聞かれ、振り向いた瞬間逃げ出されて落ち込んでいたと、フィーユが嬉しそうに語っていたことを思い出す。
「そうだったの……」
「ん。ヴァンは、イカツイ悪人顔だ。あの時は、ローゼ襲われるかと思って蹴った」
「厳つい悪人顔って……プリム。……そんな言葉、誰に習ったの?」
「フィーユだ!」
 新しい言葉を覚えたのを褒められたと思ったらしく、プリムは掛け布の中で胸を張っているようだ。
語彙が豊富になるのは嬉しいことだ。しかしながら、フィーユが教える言葉は、妙な方向に偏ったものばかりに思えるのだが、気にしすぎだろうか。
 これは一度フィーユと、プリムの言語教育について話し合うべきかもしれないと、ローゼは子を持つ母親のような気持ちになった。
「ヴァン怖くない。プリムとローゼに優しい。けど、フィーユにちょっとだけ怖い」
「まあ」
 的を射たプリムの言葉に、ローゼはよく見ているものだと、くすくす笑い声を上げた。
確かにヴァンは優しいが、幼馴染であるフィーユに対しては遠慮会釈なしなところがある。
 本の読み聞かせを再開しようと、また本なや目を落とすと、ふあぁ……と欠伸の音がした。プリムが眠そうに目を擦っている。
 どうやら今夜は、これでおしまいのようま。
「ランプ、点けたままにしておく?」中絶薬ru486
 本を閉じ、とろんとした表情に問いかけると、こくりと頷いた。
掛け布を肩まで引き上げて整え、頭を撫でてやる。
プリムはうつらうつらとしながら、大切な内緒話をするように、小さな声で囁いた。
「あのねローゼ……。ヴァン、ちょこっとだけ兄上に似てる」
 初めて聞く、プリムの身の上に関する情報に、ローゼは軽く目を見開いた。
プリムが拐われてきた孤児であることを考えると、恐らく既にこの世の人間ではないのだろうが……兄がいるなど初耳だ。
「兄上?プリム、お兄さまがいたの?」
「うん、プリム可愛がって……くれた……。……兄上も、ヴァンみたいに赤い目してて……。オオカミ……エクラム……一緒」
「プリム?」
「二人、……大きくて……やさし……から……リムは、ヴァン……くない……」
 むにゃむにゃと呟きながら、小さな少女は眠りに落ちた。
見計らったかのように、静かに扉を開く音が聞こえる。
「――――ローゼ、プリムは……」
「今、眠ったところです」
 風呂上りらしきヴァンはバスローブ姿で、首にタオルを巻いていた。
プリムがこの家に来てからと言うもの、彼との夜の茶会は中断してしまっている。
 それを少し残念に思うが、ベッドに近づきプリムの寝顔を見て、穏やかに目を細める夫のを見るのも、ローゼは嫌いではない。
 それに子供が屋敷にいることで二人の会話の幅も広がり、むしろ以前より夫との交流が増え、心の距離が縮まったようにも思う。
「今日は少し疲れていたようだな」
「ええ、孤児院で子供たちと走り回っていましたから。とても楽しそうでした。プリムは、木になった果物を、石を投げて落とすのがすごく上手なんですよ。それに足が早いから、追いかけっこで誰も敵わないんです」
 初めは躊躇っていたプリムだが、一緒に遊んでいる内に子供たちと随分仲良くなり、帰りの馬車の中では「また行きたい」と何度もせがんでいた。
 あれだけ嫌がっていたのが嘘のように、次の孤児院訪問を楽しみにしている。
「しっかりしているとは言え、この子もまだ子供だからな。楽しめたなら良かった」
 呟くヴァンの瞳は、正しく保護者のそれだった。
 初対面での印象はあまり良くなかったかもしれないが、あれから数日経った今では、プリムもすっかりヴァンに懐いている。
あどけない声で『ヴァン』と呼び、何かと付き纏いたがるプリムに、ヴァンも満更ではなさそうだ。
『親鳥を追うひな鳥』とフィーユがその様子を揶揄していたが、まさにその通りだと思う。
恐らく知らない人間が見れば、二人が血のつながった父娘と思うに違いない。
「プリムのお兄様、ヴァン様に少し似ているんだそうです」
「俺が、プリムの兄に……?この子は、兄弟がいたのか」
「はい。戦士で、ヴァン様と目の色が同じだと言っていました」
「戦士……エクラムか」
「ご存知なのですか?」
 ローゼは目を瞬いた。
 珍しい銀髪に赤茶の瞳と言う外見的特徴から、彼はサルマーン系の血を引いているのではないか……。
そうフィーユは言っていたが、赤子の頃に捨てられたヴァンに、親や生まれた場所に関する記憶があるはずもなく、彼はサルマーン語を話せない。
 そのため、ヴァンがなぜ『エクラム』と言う言葉を知っているのか、ローゼは不思議に思ったのだった。
「サルマーン建国にまつわる神話を、聞いた事がある。人間の巫女と神狼の間に生まれた戦士が、部族同士の争いを収め、初代サルマーン国王になったと言う話だ。彼かの国において、力の強い戦士は、その神狼の血を引く末裔と呼ばれるらしい」
「そんな神話があるのですね。狼の子と言うのは、そう言う意味だったのですか。でも……初めてでした。この子が、故郷の……家族の話をしてくれるのなんて。少しはわたしのこと、信頼してくれているのでしょうか」
 プリムが、できるだけ寂しい思いをしないよう、心穏やかに過ごせるように。
そう心がけて接してはいるものの、やはり本当の家族との思い出は、簡単に忘れられるようなものではない。故郷の夢でも見るのか、プリムがうなされながら泣くことが、時折あった。
 それを見ていながら何もしてやれないことが、ローゼにはとても歯痒く、辛いのだ。
「お前はよくやっている。プリムもそれは分かっているだろう。この子は、お前の事が好きみたいだからな」
 だからこそ、飾り気のない慰めが落ち込んだ心に、深く染みた。
よくやっている……、そうだろうか。自分では、もっと出来ることがあるのではないかと思い悩んでいるため、良く分からない。けれど夫がそう言ってくれるのだから、信じるべきなのだろう。
「でしたら、嬉しいです。あぁ、それで思い出しました。プリムったら、今日は孤児院で子供たち相手に延々と、『おじさんしょーぐん』の優しさについて、語っていたんです。ヴァン様のことが大好きみたいで、とても生き生きとしていました」
「それは嬉しいが……そのおじさん将軍と言う呼び方が、俺は少し不満だ」
「あ……ごめんなさい」
 子供たちがそう呼んでいたので、ついそのまま口にしてしまったが、どうやらヴァンはこの愛称がお気に召さないらしい。
 まだ十歳前後の子供たちにとって、三十五歳と言えばおじさんになるのかもしれないが、一般的にはその年齢は微妙な境目とも言える。華佗生精丸
 ローゼは『おねえさん』と呼ばれているのだし、ヴァンはその『おねえさん』の夫なのだ。そう考えると、やはり彼が『おじさん』と呼ばれるのはおかしいのかもしれない。
「――――あの、今度は『お兄さん将軍』と呼ぶように言い聞かせておきますから」
「いや、もう良い」
 余計に虚しくなる、と聞こえた気がした。気のせいだろうか。
落ちた気まずい沈黙に、どうやって取り成せば良いかも分からず、頭の中であれこれ次の言葉を考えたローゼだったが、先に口を開いたのはヴァンのほうだった。
「……子供たちはどうだった」
「仮面を喜んでおりました。シスター・ラトリンも大層感激なさった様子で、何度もお礼を仰っておられましたわ」
「祭りは、明日だからな」
 ヴァンが、窓の外に目をやる。
今は夜なので見えないが、明日になればあちらこちらに篝火が焚かれ、国中が明るく賑やかな雰囲気に包まれる事だろう。
「せっかくだから、明日の夕刻、日が沈んだ頃に屋敷を出発し、街の傍に馬車を付けておこう。ルアンヌの祭りは盛大だ。もちろん、都には及ばないが」
「よろしいのですか?ヴァン様、賑やかな場所はお嫌いかと……」
 数週間前に届いていた、宮廷で開かれる仮面舞踏会マスカレードの招待状は、開く前に捨てられていた。
 レンシーに聞くと、ヴァンは華やかな場所や騒がしい催しを嫌うらしく、何かと理由をつけては、いつも宮廷での晩餐会や舞踏会は欠席しているらしい。祭りの日には使用人たちだけ外に送り出し、自分は一人、家に篭っているのが常だと。
 だから、てっきり今年もそうするつもりなのかとローゼは思い込んでいたのだが、いきなりどうしたのだろう。
 すると、くぐもった声で答えが返ってきた。
「……喜ぶかと思って」
 あぁ、と納得したようにローゼは声を上げた。
そうだ、今年はプリムがいる。子供のために、苦手であるにも関わらず、祭りへ行く事にしたのだろう。何と思いやりのある方なのかと、頬が自然と緩んだ。
「子供はお祭り好きですものね」
「違う」
 けれど、その考えはどうやら間違っていたらしい。否定され、まっすぐな目で見つめ返された。
「お前が、好きだと言っていたから」
「え……」
 思いがけない言葉に、以前ヴァンとの間で交わされた会話が、ふっと思い出される。

 『ローゼは祭りが好きか?』
 『ええ、とても。あの独特の明るい雰囲気が好きで、いつもその時期になるとわくわくしていました』

 確かに二週間前、そんな話をした覚えがある。
だけど、あんな他愛もない会話を覚えていてくれただなんて、思いもしなかった。
 その時からずっと彼は、祭りに行くつもりでいたのだろうか。
 喜びと、信じられない思いとでヴァンを見ると、ローゼをまっすぐに見つめていた瞳が、すぐに気まずそうに逸らされた。
「……祭りに行けば、お前が喜ぶかと思った」
 ――――わたしの、ため?
 ローゼが喜ぶから、祭りに行くのだと。言葉通りに受け取っても、良いのだろうか。
「ありがとうございます。とても……とても楽しみです」
 甘く疼く胸元を押さえながらそう言えば、ヴァンが「ああ」とぶっきらぼうに頷いて、頭を撫でてくれた。
 調子に乗ってはいけないと分かっているのに、嬉しいと思う気持ちを止めることができないのはどうしてだろう。
 ……嬉しいの、胸が痛むのはどうしてなのだろう。
今のローゼには、いくら考えてもその理由が分からなかった。

篝火の夜に渦巻く思い

  いつもは静かに地上を照らしてくれている美しい月や星々も、今日ばかりは地上で燃え盛る赤い炎に、すっかりとその役目を奪われてしまっている。
 ルアンヌの街は数え切れないほどの松明により赤々と照らし出され、遠くから見れば、大規模な火事でも起こっているのかと思うほどだった。
 馬車の窓からそれを眺めていたプリムが、まっさきに飛び出していく。
「わぁ!見てローゼ!!お店があんなにいっぱい!」
「走ったら駄目よ、プリム。人ごみではぐれてしまうわ」
 すぐさま捕まえに行くローゼは、すっかり母親のようだ。
ヴァンは、フィーユと並んで二人の後をついていく。
 通りの両端に並ぶのは、立っていても食べられるような簡単な料理に、異国の小物などを取り扱う露店や出店。威哥十鞭王
 人々はみな猫の仮面を付け、顔を分からないようにして祭りを楽しんでいる。
 もちろんヴァンたちも慣例に則り、予め馬車の中で仮面を身に着けていた。
「ヴァン様、グラニータの甘露煮ってどんなものですか?」
「ああ、グラニータは……」
 と説明しながらも、ヴァンは妻の仮面姿に釘付けだ。
『お洒落な子猫ちゃん』と言うテーマを聞いた時は、心底ルーディスのその軽薄な思いつきを馬鹿にしたものだが、悔しい事にその猫の仮面はローゼによく似合っている。……眼福だ。
 尖った耳の片方には、誰が付けたのか、黄色いリボンがちょこんと結ばれている。鼻までを仮面で覆われ、その下から、ピンク色の唇だけが覗いているのが何とも色っぽい。
 そして目の切れ込みの部分からは、水色の瞳が隠しきれない興奮を伝えていた。プリムと同じくらい、ローゼは祭りを喜んでくれているらしい。
 それでこそ、わざわざ苦手な祭りに繰り出した甲斐があったと言うものだ。妻の喜ぶ顔を見たい、ただそれだけの理由で、ヴァンは祭りへ行くことを決めたのだから。
 「あれは?」とか「じゃあこれは?」と質問しながら、ローゼはふわふわと踊るように、店から店を渡り歩いていた。
 仮面で顔を隠していても、人ごみに紛れていても、彼女は周囲の人間より一際輝いている。
 ――――きっと、同じ仮面を着けた人間が何人いようと、自分は真っ先にローゼを見つけ出すだろう。
 どこかうっとりとしながら妻の動向を見つめていると、横にいたフィーユから、いきなり背中を殴りつけられた。
 突然のことだったので身構えることもできず、頭ががくんと揺れる。
「毎回毎回、何なんだ貴様は!俺をぎっくり腰にさせたいのか!!」
「気持ち悪いから、おっさんが一人でニヤニヤしてんじゃないですよ」
「おっ……、おっさんだと!」
 実は、妻と年齢が離れていることを地味に気にしているだけに、その一言が妙にぐさりと突き刺さる。
 十二歳の年の差。それは二人が政略結婚夫婦であることを考えれば、さほど珍しいことでもない。けれど、やはり……傍から見ると……年のいったオヤジが、若い娘を誑かしたように見えるのだろうか。
 そんな風にいじけるヴァンは、当然ながらローゼの実年齢が、思っているより更に六つも若いことなど知らない。
「若い女性を見てデレデレするなんて、おっさんそのものじゃないですか。変態扱いされて警備隊にしょっぴかれても、僕は知りませんからね」
「なっ!俺は、ローゼのお、夫だぞ」
 自分を勇気付けるように、『夫』と言う言葉をことさら強調して、ヴァンは反論する。
 けれど噛んでしまったせいか、どうも説得力に乏しくなってしまったようだ。フィーユがやれやれと、頭を横に振る。
「何どもってるのか知りませんけどね、その初恋を覚えたばかりの少年みたいなあまーい顔やめてくれませんか、砂吐きそうです」
「別に俺はそんな顔をしてなど……」
「あー、はいはい。言い訳は結構。そんなことより、ベルニア奥様がさっそく口説かれようとしてますよ」
 そばにいなくて良いんですか、と言う言葉に驚いてローゼを見れば、少し目を離した隙に、一人の男が今にも声をかけようとしているところだった。
 たちまちヴァンは目付きを鋭くした。
 ――――俺のローゼに触るな!!
 男はローゼに触れるどころか、まだ声すら掛けていないのだが、そんなことはヴァンにとって些末な問題だ。
 怨念のような雰囲気を体中から立ち上らせる主に、フィーユが「あー……」と額を押さえる。
「ねえ、そこの君……ヒィッ!!」
 歩幅を大きくして近づく異様な雰囲気の大男に気付き、今正にローゼの肩を叩こうとしていた男が、絞り出すような悲鳴を上げた。
 幸いにも、ローゼは出店に夢中で、男の接近に気付いていないようだ。
丁度良い。妻が勘付く前に、邪魔な虫けらは撃退してしまおう。
 ヴァンは自分の着けていた仮面を頭の上へと押し上げ、隠していた顔面を相手に晒した。
 あまり嬉しくはないが、己の顔は、こう言うときだけは非常に役立つ。
思ったとおり、仮面の下から凶悪な目つきが現れた途端に、相手の目の色が変わった。
「ラ……ッ、しょ……!!」
 ほとんど音にならない声で、自分を呼ぶ男に、ヴァンは口の端を歪めて笑った。
「ふん、俺が誰だか知っていると言うことは、軍の関係者のようだな」
 ならば尚更都合が良い。
冷徹な悪魔の笑みに、相手はもう殆ど失禁寸前だ。
「しょしょしょ将軍閣下、なななな、何かじじ自分に、ごごっ、御用でありますか」
「貴様こそ……俺の妻に何か用か」
 唸るような超重低音で問いかけると、男がガタガタと震える。
もちろんその声は祭りの喧騒に掻き消され、至近距離にいる男にしか聞こえていない。
「つ、つつつつつま?」
「身の程知らずな貴様が、たった今声をかけようとしている、そこの可憐で美しい娘のことだ。彼女に何をするつもりだ」
「ひっ、ひぃぃぃ!なな、何をするだなんてそんな、滅相もない!たたた単なる出来心ですっ。一人でちょっとさ、寂しいなー、話し相手が欲しいなー……って思っただけで、かか閣下の奥方様だとは露知らず!!」福潤宝
「そうか。失せろ」
「はっ、はひぃぃぃ」
 短い命令に、律儀に敬礼までして。
男は強盗にでも遭遇したかのように、大慌てで走り去っていった。
慌てすぎて、途中で石に躓いて転げている。
 くっくっく、と邪悪な笑いを漏らすヴァンに気付き、振り向いたプリムが思いっきり妙な顔をした。
「ヴァン?どうかしたのか」
「あぁいや、少し大きな害虫がいたのでな。それよりも、何か欲しいものでもあったか」
 仮面を元に戻したヴァンのシャツの裾を、プリムがぐいぐいと引っ張った。
「これ見てたんだ。面白そうだ」
「石を投げて、あの箱の中に入ったら、景品がもらえるそうです」
「景品?」
 看板には『一等、マルス地方への湯治の旅へご招待』と、赤い文字で大仰に書かれている。
見れば、棚の上にいくつも箱が並べてあり、そこまでの距離の長短によって景品が決まっているようだった。
 箱の表面には小さな穴が開いており、そこに石を入れる……と言うことなのだろう。
 食べ物や飲み物、小物などを売るのが主流の祭りでは、珍しい試みだ。
「おじょうちゃん、興味あるの?」
 店の中から顔をのぞかせる女に、プリムがこっくりと頷いて見せた。
「俺がやろうか?」
 提案すれば、プリムは首を横に振り、「自分でやる」と進み出た。
さきほどから、じっと景品の置いてある棚を眺めていたプリムは、どうやら欲しい物があるらしい。
 景品は、どれも買えば済むようなものばかりだが、祭りでそれを言うのは無粋だ。
 銅貨一枚につき、五回の挑戦。
背が低く子供のプリムより、ヴァンが挑戦したほうが命中する確立は高くなるだろうが……。
 高いものでもなし、まぐれで一つでも景品が貰えれば良いほうだろう。
プリムがやってみたいのならと、ヴァンは小さな掌に銅貨をのせた。
「あら、おじょうちゃん。やってみる?」
「ん」
「じゃあ、特別に六回投げさせたげるわね」
 銅貨を受け取った店の女が、気前良く六粒の丸く白い石をプリムに渡す。
「この線を踏まないようにして投げてね」 
「分かった」
 箱の置いてある棚から少し離れた場所――――子供用の立ち位置を告げる円の上に立ったプリムが、立て続けに六つ、全ての石を放り投げた。
 すとん、すとん、と。やけにあっさりとした音を立て、石は吸い込まれるように箱に開けられた穴に中に落ちていった。
 信じられないほど的確な狙いに、ヴァンとローゼも目を見開く。
プリムの手付きは、見事としか言いようがなかった。
六つ全てが、一番離れた場所にある、一番上の棚の、一番小さな箱の中に落ちたのだ。
『一等賞おめでとう』の鐘を鳴らすのも忘れ、ぽかんと立ち尽くす店の女に、プリムが小首を傾げて見せた。
「そこのそれを二つくれ」
 湯治の旅ではなく、安物の指輪の入った箱を指差したプリムに、女が驚いたような顔をした。
「え、でも、一等賞は旅行への招待で……」
「リョこー?が何かは知らないが、プリムは赤い石のついた指輪がほしい。そこのそれと、そっちのヤツを一つずつくれ」
 困ったような顔をしていた女だったが、安上がりな景品ですむと考えたのか、すぐに指定された指輪を二つ、取り出して渡す。
 プリムは、それを嬉しそうに摘んで、松明の火にかざして眺めていた。
お洒落に目覚めたのだろうか。
年齢を考えればおかしくはないが、てっきり、熊のぬいぐるみか玩具でも欲しいのかと思いこんでいただけに、その選択は意外だった。
「良かったわね、プリム。とりあえず、失くさないようにポケットにしまっておく?」
「うん」
 そんな会話をする二人を眺めていると、店の女が不意に話しかけてきた。
「仲の良い御家族ですね。お父さん」
「おと……!?いや、俺は」
 突然慣れぬ呼ばれ方をされ、一瞬、自分に話しかけられているのだと気づけなかった。
「お若い奥さんと可愛いお子さんで、うらやましいです」
 思いがけない誤解に、仮面の向こうでヴァンはうろたえる。
いや、あの子は自分の子供ではなくて、と言うかまだローゼと子供なんて、と言い訳しようとして口篭った。
 今日のヴァンとローゼは、誰がどう見ても子連れで祭りを訪れた夫婦だ。
それに顔の半分以上は仮面で隠れているため、親子にしては年が近すぎると言うのにも、誰も気づかないだろう。
 心底楽しそうに笑いあう妻とプリムを、少し離れた場所でぼんやりと眺めていると、ふと錯覚してしまいそうになる。
 自分との間に生まれた娘を、ローゼが可愛がっているかのような、どこか不思議で夢のような……。
それは、松明の柔らかな火に照らされてぼんやりと揺らぐ、幻想的で非日常的な祭りの空気がそうさせるのか。
 それとも『お父さん』と言う言葉に、ふと、先日のローゼとのやりとりを思い出したからだろうか。『俺の子供がいれば可愛いと思うか』と言う問いに、迷う事なく頷いてくれた、彼女の微笑みを。
 いつか……いずれは、自分と彼女の間にも。
 ――――何を馬鹿げたことを。
浮かびかけた考えに、自嘲気味にヴァンは首を振る。
最初に手酷く傷付けたせいで触れることもできず、いつか彼女に拒絶される未来を想像し、臆病に怯えているくせに。
 無意識に、掌を強く握りこむ。
それはローゼに触れなくなってから、いつの間にかついてしまった癖だ。
彼女と向かい合う時、抱きしめる時、ヴァンはいつもそうして、手を硬く握り締める。
 彼女に二度と酷い仕打ちをしないと言う、強固な意思を表すように。
 だが、もうそろそろその我慢も、限界を迎えつつあった。
ヴァンは今、ぎりぎりのところで踏み止まっているに過ぎない。理性も精神力も、既に崩壊寸前なのだ。
 ――――ローゼが欲しい
 この腕の中に閉じ込めて、未だ聞いた事のない、蕩ける様な甘い声を聞きたい。
滑らかな肌の全てを、味わい尽くしたい。
 ――――何を躊躇う?
 嫌われてはいない。信頼もされている。
それに今は、恐怖も薄れてきているはずだ。
ローゼの態度が、何よりそれらを物語る証拠となった。
 ――――だが、出来ない。
彼女の優しさが中途半端な期待となり、余計にヴァンを苦しめているのだ。
 怖がらせることだけはしたくないのに、少しでも気を抜くと、彼女を欲しいままに犯すことばかり考えている。
  欲しくて、触れたくて、欲望のままに貪りたい……それなのに、同じくらい大切にしたい。
 渦のようにぐるぐると頭を支配するそれらの思考は、出口のない堂々巡りだ。
 まさか自分が、こんなことで悩むようになるとは思わなかった。
昔であれば下らないと一蹴したようなことで、悩むようになるとは。
 そんなヴァンの醜い思いなど知るはずもなく、ローゼが無邪気に手を振っている。
 振り返した手を、また強く拳の形に握りしめた。
 ――――いつになったら、俺はお前を抱ける?
 このままだと、頭がおかしくなりそうだ。三體牛寶
身勝手なその問いへの回答を、示す者はいない。 
それでもヴァンは、無意味な自問を繰り返すのを止められなかった。

2015年8月5日星期三

ギリギリ及第点という所でしょうか?

「ここだ」

いくつかの垣根を越え、廊下や庭を通りぬけ、人の気配を感じては身を隠し、そうやって歩き続けてどれ位経っただろうか?

どう考えても、正規のルートではない道を何か所も通ったせいで、自分のいる区画が何処なのかすら見当がつかなくなってきた頃、やっとホムラ様の足が止まった。D8媚薬

ちなみに、私はその間、ずっとホムラ様の腕の中。

何度も降ろしてくれと小声で頼んでみたが、「足音を立てられると困る」「逃げるかもしれない」「動きが鈍くて見つかるかもしれない」等の理由によって、却下された。


「ここ……ですか?」

ホムラ様が立ち止まったのは、蔦が絡まる古びた塀の前。

そこには、その奥に進む為の小さな木の扉があり、パッと見た感じ、それはしっかりと鍵が掛けられているようだった。

何気なく視線を扉の上に向けると、そこには花の文様が彫られていた。


家紋……じゃないよね?

というか、ここは王宮だし、彫られているとしたら、家紋ではなく、王族に関する何かか、単純にデザイン的なものだろう。


「……何の花だろう?」

「中に入ればわかる」

独り言のように呟いた私の言葉を拾って、ホムラ様が答える。

「中に入れば?」

「ああ」

「でも、ここ、鍵が掛かってるんじゃ?」

まだ確かめてみたわけではないけれど、ピッタリと閉ざされている扉は、動きそうな感じが全くせず、如何にも「関係者以外お断り。とっとと帰れ!」というオーラを醸し出している。


「掛かっているだろうな。……まぁ、鍵はここにあるんだが」

ニヤッと悪戯が成功した時の子供のような笑みを私に向け、ホムラ様は私を抱えたまま、器用に自分の帯に紐で吊るしてあった鍵を取り出し、私に手渡した。

「え!?何でこんな物持ってるんですか?」

「機密事項につき黙秘する。いいからさっさと開けろ。さすがに俺も腕が疲れてきた」

私の質問に首を振って回答拒否した後、彼は一歩前に進み、私が少し手を伸ばせば鍵を開けられそうな位置へと移動し、私の体を軽く揺らす事で、解錠を促した。


……これ、鍵を開けたら、鍵泥棒の共犯って事になったりしないよね?

出どころ不明の鍵と、ホムラ様の顔を見比べる。

鍵は答えてくれないし、ホムラ様は……私が鍵を開けるのを何処かわくわくした様子で待っている。

困った顔をホムラ様に向けてみても、鍵がここにある事情を説明してくれる気配はないし、ここでこうしてずっと立ち止まっているわけにもいかず、渋々大きめの鍵穴に手にした鉄製の丸みを帯びた鍵を差し込む。

野ざらしになっていたせいか、鍵穴が若干錆ついており、回すのに意外と力がいる。

ホムラ様の腕の中という不安定な体勢で、なんとか力を込めて鍵を回すと、ガチャリッという金属がかみ合う音が響いた。

「よし、開いたな」

私が鍵を鍵穴から抜き取るのを確認して、ホムラ様が足で扉を押して中へと歩を進めた。

今まで壁だった視界が一気に開ける。

それと同時に、まるで私達を待ち構えていたかのように、突風が吹いた。

咄嗟に目を瞑ると、若草の香りに混ざって、何処か懐かしい、甘い香りが鼻を擽る。

風が私達の許を通り過ぎ、再び空気が穏やかになったのを感じ取って、ゆっくりと瞼を開けると、そこには、月光に照らされ、闇に薄らと薄紅色が浮かび上がっていた。魔鬼天使性欲粉

一瞬、幻かと思った。

こちらの世界に来てから1度として目にする事がなかった、懐かしい故郷の花。

二度と見る事は出来ないだろうと思っていた、その花がそこにはあった。


「サクラ?」

茫然とその花を見つめる私をゆっくりと地面に降ろし、扉を閉めていたホムラ様が、私の口から洩れた掠れた声に反応して首を傾げた。


「あっ」

思わず口にしてしまった花の名前。

慌てて、指先で唇を覆う。

……しまった。

例え、こちらの世界に同じ花があったとしても、名前まで同じとは限らない。

むしろ、違う可能性の方が高い。


「いえ、綺麗だと思いまして」

慌てて「そんな事言ってませんよ~」というオーラ全開で誤魔化せば、ホムラ様は私の称賛の言葉に、気分を良くしたのか、満足げな笑みを浮かべて頷いた。

「そうだろう?この花は、ちょっと特別な花なんだ。特殊な条件が揃わないと育たないし、花が見れる期間も極端に短い。全ての蕾が示し合わせたかのように一斉に咲き誇り、やっと咲いたと思ったら、次の日には、もう散り始めてしまうんだ」

「……そう……なんですか」

ホムラ様の言葉に、再びその花を見つめる。

何とか取り繕えて良かったと思ってる一方で、私の心は、まだその衝撃から立ち直れていなかった。



見た目は桜にそっくりなのに、異なる特性を持つその花。

厳密に言えば、桜ではないのかもしれないけれど、その花は記憶の奥底にソッと静かに横たわらせてあるはずの、故郷や家族への思いを揺さぶり起こす。


何度も家族で行ったお花見。

入学式等の、特別な区切りの時期には、いつもこの花が彩りを添えてくれていた。

あのまま、何事もなく日本で普通に生活出来ていれば、きっと次の春には小学校を卒業し、桜並木の下を、中学校の制服を着て歩いていた事だろう。

入学式にはお父さんやお母さんが来てくれて、一緒に写真だって撮っていたかもしれない。


そんな、あったはずの……けれど、迎える事の出来なかった未来に思いを馳せた途端、まるでパンドラの箱を開けてしまったかのように、胸に様々な思いが押し寄せて来た。

キュゥゥッと胸が苦しくなる。



また、この花を見れて……


……嬉しい。

……懐かしい。



…………切ない。


母様と出会い、こちらで生きていく為の術と拠り所を与えてもらった今の自分を、決して不幸だとは思わない。CROWN 3000

思いたくない。

ここでしか出会えなかった人、出来なかった経験や喜びが確かにあるし、それを捨ててでも別の未来を選びたかったかと尋ねられれば、すぐに「うん」と頷くことは出来ない。

けれど、だからといって、12歳まで家族の中で、平和に楽しく暮らしていた私も、私の中には確かに存在していて、それをなかった事にも出来ない。


……こちらで生きていくしかないって思った時に、折り合いはつけたつもりだったんだけどな。


「……カゲツ?」

桜を凝視したまま、瞬きもせずに立ち尽くす私を、ホムラ様が心配そうに、そして、何処か不安げに覗き込んで来る気配がした。

でも、私は言葉を発する事が出来なかった。

何か言葉を口にすれば、全てが泣き事になってしまいそうで、そんな自分が情けなく思えて、必死で唇を噛み締めた。



「……おい、お前、泣いているのか?」

「ッ……」

ホムラ様の指摘に、初めて自分の頬が濡れている事に気付いた。

気付いた途端、一気に新しい涙が溢れてくる。

まるで、堪えようと思った言葉の代わりのように。


「ッ……ち、違うんです。……これは、えっと……何て言うか……」

誤魔化したいのに、上手い言葉が出て来ない。

嗚咽混じりの弁解は、更に見苦しいものになる。

突然、目の前で泣き始められても、ホムラ様だって困るだろうに。

わかっているのに、どうする事も出来ない。


こんな私は、『カゲツ』じゃない。

『カゲツ』は黒蝶楼の芸妓なんだから。

御客様の前では、常に気高くあるように心掛けないといけない。

みっともない姿なんて決して、晒してはいけない。


涙なんて、商売道具として以外は流してはいけないのに……。



「……もしかして、嫌だったか?」

泣き顔を隠そうと顔を覆った私の手を、ホムラ様が掴んでゆっくりと引き離していく。

強引ではないのに、拒否を許さない力で、私の情けない泣き顔を晒させる。VIVID XXL


「っ……」

すぐ目の前にある、ダークグレーの瞳が、私を気遣うように細められた。

その瞳から目を離せなかった。

ボロボロと涙が溢れる目を見開き、そうではないという意味を込めて、小さく首を振る。


「……そうか」

ホムラ様が何処かホッとしたように、優しい笑みを見せる。

こんな穏やかな表情も出来る人なんだって、正直ちょっと驚いた。

「カゲツ、来い」

「っ!?ホムッ……」

言葉と共に、ホムラ様の手が私の体を引き寄せる。

まるで、全ての防具を奪われたかのように、無防備な状態の私は、ただその行動に従順に従うだけだった。

本当は抗うべきなんだろうけど、今はその気力もない。

されるがままになっていると、顔にホムラ様の硬いくて温かい胸板が触れる。

その胸板を覆い隠す質の良い布地が、私の目から零れ落ちた雫をスゥッと綺麗に吸い上げてくれる。

「あ~、何だかよくわからんが……というか、きっと俺にはお前の気持ちの全てを理解してやる事は出来ないんだろうが……今は出せるもんは出しておけ。手巾か布団の代わり位にはなってやる」

そういって、彼はこの庭園に来た時同様、ヒョイッと私を軽がる抱きあげ、近くにあった東屋へと連れて行ってくれた。

そして、そこにあった長椅子にどっかりと座ると、私をその足の上に座らせ、頭をガシガシと少し乱暴に撫でた後、無言でゆっくりと背中を撫でてくれる。

まるで、ぐずった幼子をあやすかのようなその仕草は、ホムラ様らしく、何処か不器用さは否めないけれど、子供の頃を思い出す、とても温かいものだった。


なんでだろう?

ホムラ様に……男の人に抱きかかえられてるっていうのに、妙に落ち着く。

仕事柄、男性に抱き締められたり、触れられたりする事は少なくない。

それ以上を求められれば、当然拒絶するし、増長させない為に窘める事はするけれど、仕事だと割り切っている為、そこまで強烈な拒否感はない。

ただ、それは慣れてしまっているというだけで、それを心地よいと感じた事は1度もない。

「仕方ない」、「そういうものだ」と折り合いを付けているだけで、その状態のままでいたいと思った事はないのだ。


でも……


今は、ちょっとだけ心が弱ってて、まだ子供だった頃の事を思い出して、少し甘えたい気分になっているせいか、もうちょっとだけだったら、ここにいてもいいような気がする。


「……重くないですか?」

照れ隠しに、ホムラ様の胸元に顔を押しつけたまま尋ねると、「いや」と低く柔らかい声が、触れている胸の振動と共に、上から落ちてくる。

「手巾にして良いという事でしたけど、鼻もかんでも良いですか?」

ホムラ様の何処か甘さを含んだ声に余計恥しくなり、それを誤魔化そうと、わざとふざけてそんな事を言ってみる。

もちろん、一流芸妓を目指す身として……という以前に、女としてそれはダメだろうという事はわかっているから、実行する気は更々ない。アフリカ蟻

「……構わんが、服の弁償代分は体で払ってもらうぞ?」
「お断りします」

私の返答を予想していたのか、ホムラ様は特にムッとする様子も見せず、喉の奥で「ククク……」と低く笑っていた。

「……涙は良くて、鼻をかむのはダメなんですね。同じ体液なのに」

「もっと別の体液で汚してくれるのは大歓迎だが?」


背中を撫でていた手が下がり、明確な意図をもって、私の臀部を撫でた。

ちょっと!!どさくさに紛れて何処触ってんの!!

というか、別の体液って何!?ナニなの!?

いや、やっぱり答えなくても良いです。むしろ、絶対に答えないで下さい!!


「……ホムラ様の血液で汚せば良いですか?」

「わかってんだろ?」

ぺシッ!

触れられている事で、何処にあるか見なくても明確だったその手を、勢いよく叩き落とした。

そんな私の行動にも、ホムラ様は動じず、可笑しそうに笑っている。

そして、ホムラ様は私が叩き落としたその手を、今度は私の後頭部に回し、そのまま私の頭を抱え込むように抱き寄せた。


「いいから、落ち着くまで黙ってろ」

フッと空気が揺れるのを旋毛で感じた。

それと、ほぼ同時に頭に何か温かいものが押し当てられる。

それが、彼の唇である事に、気付くのにそう時間はかからなかった。


……なんなのよ、このセクハラ変態魔神。

心の中で悪態をついてはみたものの、心の何処かにいるもう1人の絶賛弱って幼児化中の私が、その甘やかすような行為を心地良いと感じてしまっているから性質が悪い。


今だけ。

今だけだから……。

自分に言い訳しながら、温かくてちょっと危ない毛布兼手巾に、嫌々を装って顔を押しつける。

自然と流れ続ける涙は、明確な理由や目的を持ったものではないけれど、流す度に少しずつ、知らず知らずの内に、今まで自分の中に溜まっていた淀みを薄めてくれる気がした。


恋愛初心者のくせに、ホムラ様のくせに、生意気。


でも……この手巾兼毛布と、『桜』の贈り物は、ギリギリ及第点にしてあげてもいいかもしれない。

粗は多少あるけれど、それ位には、私の心を揺さぶる良いサプライズだった。夜狼神

2015年8月3日星期一

王立研究所の不始末

サトゥーです。日本でも不法投棄は問題になっていましたが、異世界でもやっぱり問題の様です。中にはシャレにならない不法投棄もあるようで……。

「で、では、魔人薬の処分を出入りの業者にやらせたと申すのかっ!」

 宰相の部下が王立研究所の所長に雷を落とす。田七人参
 オレもその横で開いた口が塞がらない気分だ。

 翌日の朝から、王立研究所の査察に来た宰相の部下に混ざって、オレはクロの格好で事の経緯を見物していた。

「い、いえ。私どもが処分を任されたのは期限切れの戦意高揚薬のはずでございます。まさか、魔人薬などのような危険薬を外部の者に任せたりなど……」

 流れる汗を拭う所長は本当に魔人薬だとは知らなかった雰囲気だ。
 一方で、彼の背後に立つ秘書らしき女性の顔色が青い。オレは宰相の部下の注意を秘書に誘導する。

「そこの女、何か知っていそうだな。素直に話すなら、反逆罪までは行かぬように宰相殿に口を利いてやっても良いぞ」
「……は、反逆?! そ、そのような、めっそうもない」

 蒼白な顔色で床に膝をつく秘書。
 宰相の部下の連れて来ていた審議官による尋問で、所長と秘書から事情を聞きだす事に成功した。

 あきれた事に、秘書のミスで「戦意高揚薬」と「魔人薬」の処分手続き書類が入れ違いになっていたらしい。
 本来なら酸に混ぜて成分を破壊した後に下水道に流されるはずだったらしいが、「戦意高揚薬」に間違われた為に水に溶かしただけで下水道に捨てられたそうだ。

「――で、ですが、下水に流されたとしても、魔物に変じるほどの摂取量になる事はありえません。『魔人薬』を経口摂取しても、魔物化の症状が出始めるまでには数十度の摂取が必要となります。今回の魔物騒動は別の原因があるのではないかと愚考するのですが……」
「戯言を。――連れて行け」

 所長がそう強弁するが、宰相の部下はにべもなく切り捨て、宰相府の衛兵達に命じて二人を連行させてしまった。向こうで尋問の専門家に任せるらしい。

 宰相の部下が連れて来ていた下級官吏に実際の処分所を視察するように命じていたので、オレもそれに便乗してついて行く事にした。

「ゴミの処分方法だか? お偉い文官様やお貴族様が気にするようなこっちゃねぇですよ」
「聞かれた事に答えろ」

 下級官吏がボロを着た下男を問い詰める。
 この男は所員ではなく、実験動物の処分や汚物の処理をする為に下町の貧民街から連れてこられた男達だ。

 オレ達は下男に案内されて、投棄場所へと案内された。

 そこはのっぺりとしたコンクリートの様な質感の円筒形の部屋だった。
 部屋の中央には、床面に直径5メートルほどの円形の穴があり、そのまま垂直に10メートルほど下の水面まで続いている。

「あんまり近寄ると危ねぇです。前にも薬を処分した時に新入りが落っこちてスライムの餌食になりやしたから……」

 ――スライム?
 近くの地下道にはいるが、この直下にはいないようだが。

「あんれぇ? 先客だか? ゴミ捨ててもええだか?」
「文官様、良かですか?」
「後にせよ――」
「待て、構わぬ捨てさせよ」

 下級官吏の言葉を遮って、後から入って来た男にゴミを捨てさせる。

 ……例の魔物の解剖後の屍骸か。

 ん? 鼠型魔物の屍骸に後脚が無い。背肉や胸肉もサンプル採取にしては大きく削られているような気がする。

 腐臭に顔を顰める下級官吏を横目に、屍骸の投棄を見守る。
 魔物の血が水面に落ちると、周辺の地下道にいたスライム達が集まってくる。

「ちょ、ちょっとダンナ!」

 焦ったような下男の声を背に、オレは水面まで飛び降りる。水面ギリギリで天駆を発動して、屍骸やスライムに接触しないように注意した。

 照明用の光粒で水面を照らす。

 スライムの表面に魔物の屍骸にあったような赤い縄状の模様は無かった。その代わりに、黒い虫が付着していた。ここのスライムは腐肉しかエサにしないようだ。

 サンプル用に何匹かのスライムから、組織サンプルを試験管に採取する。
 これを研究所で調べさせて、魔人薬の残留や影響が残っていないか調べさせれば良いだろう。

 ここを引き上げる前に、さっきの事を下男に確認する。
 問い詰めてもトボけるか誤魔化すかするだろうから、下級官吏が先に地上に引き上げたのを確認してから尋ねた。

「迷宮都市でも魔物の肉は常食されていたからとやかく言わぬが、腐ると毒素を発生する種類も多い。疫病の元になる事もあるから、注意するのだぞ」
「へい、心得てまさぁ」

 やはり、実験動物の屍骸から肉を採取して横流ししていたか。
 ……何年か前に貧民街で疫病が流行ったそうだが、こいつらの持ち込んだ肉が病原菌の発信地になっていたんじゃないだろうな。
 防疫とかのマニュアルを作らせた方が良いかも。

「痛み始めた肉は近所の鼠や野良に食わせてから食べてやす。そいつらが死んだときは浄水施設前の池に捨てておけばスライム共が始末してくれやすから」

 王都の外縁部にある浄水施設の方にいるスライムも調査しておいた方が良いかもしれないな。威哥十鞭王

 そうだ、肉を持ち出せるなら、処分を頼まれていた薬物も持ち出していそうだ。
 マップの検索で王都内に魔人薬が存在しないのは確認済みだが、念の為、保険をかけておくか。

「処分に困った薬品があったら買い取ってやる――」

 オレは小声で男にそう告げて、下町にいくつかある宰相の配下の諜報機関員が経営する酒場を教えておく。
 これで流出薬品を回収し易くなるだろう。あとは宰相達にお任せだ。

 オレは下町の工場経由で浄水場に向かい、ストレージにあった魔物の死体を投棄して集めたスライムの組織を採取する。
 後の分析作業は王立研究所の職員に押し付けよう。
 蔦の館の設備を使えば調べられると思うが、全部抱え込むのは面倒だもんね。

 少し情報を整理しよう。

 結局、判った事は――。

 一つ、魔人薬の粉末は適正な処理を行わずに下水に流された。

 一つ、スライムを媒介にして地下道の生き物に蔓延した可能性がある。

 一つ、魔人薬の粉末は「戦意高揚薬」と勘違いされていた。

 この薬は麻薬に似た特徴があるので、下町に横流しされた可能性がある。

 一つ、貧民街の人間が魔人薬を摂取したかもしれない。

 一つ、王都内に魔人薬は存在しない。

 こんなものか?
 いや、もう一つあった。

 一つ、魔物騒動の原因と魔人薬は関係ないのかもしれない。

 魔物発生の原因が掴めるかと思ったが、謎が深まってしまった。
 都合の良い名探偵が現れて、事件をスパスパと解決してくれないだろうか。

 怪盗がいるんだから、名探偵もいてくれても良いのに。





「遅いですわ!」
「失礼、少々所用がございまして」

 カリナ嬢が特訓している迎賓館のホールに入るなり、カリナ嬢から叱責を受けてしまった。
 この部屋にいるのは、カリナ嬢とメイド達、それからダンスの教師、それからうちの子達だ。
 アリサはニナさんの仕事につき合わされているので、ここにはいない。

「カリナ様、集中してくださいませ」
「練習ならサトゥーとします。貴方はそこで見て指導しなさい」

 カリナ嬢が教師にそう告げて、こちらに手を伸ばす。
 少し頬が紅潮しているが、どこか不貞腐れたような顔だ。

 まあ、遅れてきたし、ダンスの相手くらい良いか。
 カリナ嬢の練習が終わったら、うちの子達とも踊ろう。

「では、お相手いたします」

 オレはカリナ嬢の手を取って教室くらいの広さのホールの中央に向う。
 ミーアの弾く舞踏曲に合わせて、カリナ嬢をリードする。

 カリナ嬢とダンスを踊ると胸元が幸せすぎて意識が飛びそうになるが、素数や円周率の助けを借りて乗り切った。

 相変わらず直線的でシャープな男らしい踊りだ。
 だが、ちゃんと努力をしているのか、前に踊った時よりは遥かに上達している。

「頑張りましたね。前よりも上手くなっていますよ」
「――あ、あたりまえです! 聖騎士団の演習見物も我慢しているのですから。本番でも、サ、サトゥーに踊ってもらいますからね!」

 ――う~ん、本番は無理じゃないかな。

 王国会議前夜の舞踏会は、子爵以上の上級貴族が集まる舞踏会と、男爵以下の下級貴族が集まる舞踏会に分かれる。老虎油
 そういう規定がある訳では無いが、暗黙の了解としてあまり位の離れた貴族は足を踏み入れない事になっているそうだ。
 具体的に言うと、上級貴族側は公爵、侯爵、伯爵、子爵が対象だが、男爵、准男爵までは参加する場合がある。こちらに士爵が参加するのはご法度だ。
 下級貴族側は、士爵、准男爵、男爵が対象だが、子爵あたりも参加する事がある。こちらに伯爵以上の貴族が参加する事は無い。

 当然ながら、カリナ嬢は伯爵扱いされている領主のムーノ男爵のエスコートで上級貴族達の舞踏会に出席するので、一緒に踊るのは無理だ。
 婚約者とかなら話は別だろうが、それこそカリナ嬢と婚約宣言をするようなものなので遠慮したい。

「私は上級貴族の舞踏会に出席できませんから――」
「ダメですわ!」

 ヒールのせいで少し高くなった目線から、子供の様な不安そうな声で断りの言葉を遮られた。

 ――ダメと言われても困るな。

「失礼いたします。カリナ様、お客様がお見えです」

 そこにピナが現れて来客を告げた。実に良いタイミングだ。

「応接間でお待ちいただいているので、士爵様とご一緒にいらしてください」
「お客様? お父様にではなく?」
「はい、セーラ様とトルマ・シーメン様のお二方です」

 今日の夕方くらいに飛空艇で来るという話だったのに、ずいぶん早く到着したんだな。
 確かに二人の青い光点が迎賓館の応接間で光っている。

 オレは問題を先送りにして、二人の待つ応接間に向った。

少年発明家

サトゥーです。努力が忌避される昨今ですが、努力による下積み無くして天才的な閃きが形になる事は無いと思うのです。日々の努力は自分を裏切らないと言いますからね。





 王都観光の翌朝、クロに変身してポリナの待つ工場へと転移する。
 例の発明家に会うためだ。

「ポリナ、相手は来ているか?」
「はい、クロ様」

 出迎えに出て来たポリナに案内させて応接間に向かう。

 ポリナがあけたドアの向こうに待っていたのは、予想外の相手だった。

「はじめまして! アオイ・ハルカと申します。家名は御座いますが貴族ではありませんのでお間違いなきようにお願い申し上げます」

 10歳の少女にしか見えない少年が、歳不相応に丁寧な名乗りを上げる。
 アオイはメネア王女の母国が召喚した日本人だ。大倭豊秋津島帝国人と言うべきかもしれないが細かい事は良いだろう。

「はじめましてエチゴヤだ。エチゴヤ商会の会長をしている」

 エチゴヤは姿も衣装も交遊欄の名前もクロのままだ。エチゴヤは判り易いクロの偽名として使っている。

「失礼を承知でお伺いいたしますが、越後屋さんは日本の方ですか?」
「貴殿とは違う日本だろうがな」
「やっぱり! 僕以外にも日本人がこちらの世界にきているんですよ!」

 興奮するアオイ少年を手で制する。
 サトゥーの時と性格が変わっている気がするが、こっちが地なのかもしれない。それにあの時はメネア王女が一緒だったし、日本人なのは否定したからね。麻黄
「落ち着け。まずは商談だ」
「はい! あのライターは自信作なんです――」

 アオイ少年が嬉々として苦労話や改良点なんかを語る。
 このままいつまでも続きそうだったので、制止して残酷な事実を伝える。

「あのライターは商品として成立せぬ」
「ど、どうしてですか? 機構だって簡単だし、オイルだってごく一般的な物を――」

 動揺するアオイ少年に、ポリナと話したライターの問題点を列挙してやる。
 それでも食い下がっていたアオイ少年だが、点火棒を見せて説明するとようやく納得してくれた。

「それで、次はどんな物を『発明』するんだい?」
「残念ですが、ライターが売れないなら次はありません。……資金が無いんです」

 今回のライターもメネア王女が資金捻出に貸してくれた指輪を質に入れて作った金だったらしい。
 シガ王国には融資を頼める銀行も無いからね。
 商会や商人ギルドはあるけど、融資してもらった金を返せなかったら奴隷落ちが待っている。

「では、私からの提案だ――」

 オレはアオイ少年をエチゴヤ商会の発明家&アドバイザーとして契約し、王都の屋敷内に研究室と研究費を与える提案をした。
 さらにダメ押しで金貨1枚の初任給と、メネア王女の指輪を質から出す金を貸与する事を提案した。
 こうして、アオイ少年がエチゴヤ商会に参加する事となった。

 彼を抱え込んだ理由は幾つかあるが、最大の理由は「神の怒り」を買う様な開発をさせない事にある。
 アオイ少年に内密の話だと断ってから、ムクロやヨロイから聞いた話を語り聞かせる。
 特に電波塔や汽車は考え付き易い利器なので、先に釘を刺しておいた。自分の資金提供が原因で王都が灰燼に帰すとか、笑えないにもほどがある。

 アオイ少年との用事はすんだので、ついでに彼と一緒にいる日本人のユイ・アカサキの近況を聞いてみた。

 彼女はメネア王女に付いて行った夜会で、知り合った高貴な身分の男性と婚約したらしい。
 向こうがユイに惚れてしまったそうだ。13歳の小娘に惚れるとか、ロリコン男に違いない。
 ユイにその気は無かったらしいが、猛烈なアタックに絆されて結婚の約束をしたそうだ。身分違いですぐには結婚できないが、その相手の親類の貴族の養女になって身分を得てから婚約する事になっているそうだ。
 今はその親類の貴族の紹介で、礼儀作法を学ぶ教室に真面目に通っているとアオイ少年が感慨深げに語っていた。

「エチゴヤさん、一人紹介したい先生がいるんですけど――」





 アオイ少年に案内されたのは、下町の小さな工房が並ぶ界隈だ。通りを幾つか越えるとスラム街があるような場所だ。

「先生! いませんか、先生」
「寝ているのではないか?」

 レーダーには室内に人を示す光点がある。
 ドアを固定しているのは只の閂のようだったので、「理力の手マジック・ハンド」でするりと開ける。

「開いているぞ」
「あれ? 本当だ――。先生! アオイです。入ります」

 アオイ少年が床に散らばった書付けを器用に避けて奥へ入っていく。
 床に転がった書付を見て眉を顰める。そこにはオレが作った2重反転ディスク式の空力機関を、別の理論と回路で設計した図面が書いてあった。

「エチゴヤさん、この人がジャハド博士です」
「御高名はかねがね承っております」
「ふん、社交辞令などいらん」

 アオイ少年が紹介してくれたのは、瓶底のようなメガネに寝癖のままの白髪の老人だった。人族にしては矮躯な以外は特徴のない外見をしている。
 彼は回転狂いと噂の老魔術士で、セーリュー市で彼の作品と著書を見てから一度は会いたいと思っていた人物だ。超強黒倍王

 アイテムボックスから彼の著書と魔力コマを取り出して見せ、社交辞令ではない事を伝える。
 自分の著書とコマを見て、フンと鼻を鳴らしてオレに返して来たが、その後は覿面に態度が軟化した。

 彼は王立学院と王立研究所に籍を置いていたそうだが、門閥貴族出身の研究者の罠に嵌って両方の席を奪われてしまったらしい。
 今ではパトロンも無く下町で細々と魔法道具の修理で糊口を凌いでいるそうだ。

 ジャハド博士をエチゴヤ商会の研究者として誘ったのだが、色よい返事は返って来なかった。

「ふん、金などどうでも良い。わしを雇いたかったら、新型飛空艇の空力機関でも持ってこい! あの芸術的な二重反転円盤の素晴らしさを間近に見れるのなら、魔王に魂を売ってもいいくらいだ」
「二言はありませんね?」
「無い」

 オレは「理力の手マジック・ハンド」で部屋の一角に場所を作り、予備の2重反転ディスク式の空力機関をストレージから出した。アイテムボックスからだとサイズが大きすぎて無理だったのだ。

 目玉が飛び出そうなジャハド博士の姿に微笑を返し、雇用契約は成立した。
 彼なら、きっと空力機関をもう一段階上の性能に引き上げてくれるだろう。


 屋敷の部屋の手配や研究室の準備などの諸々を、新支配人とティファリーザに丸投げした。
 新支配人は何が嬉しいのか嬉々として行動を開始する。
 淡々と機材手配の書類を作成するティファリーザと対象的だった。

 一応、新型の空力機関は国防機密に属するので、ジャハド博士の下宿から一旦回収して新しい研究室に移動してある。

 分解手順のマニュアルや大雑把な構成図を渡しておいた。
 詳細な設計図はマップのメモ欄にしかないので、こんど書面に書き出すとしよう。

 エチゴヤ商会でのヤボ用を済ませ、皆を連れて二箇所目の噴水まで観光に来ていた。
 噴水が稼動するまで時間があるので、先に噴水の広場に集まっている大道芸を見て回る事にした。

「うっはっ! 懐い!」
「にょろにょろ~?」
「カバヤキさんなのです!」

 音のしない縦笛で篭に入った蛇を操る大道芸を見てアリサがテンション高く喜ぶ。

 ――懐かしい?
 アリサの故郷にはこんな大道芸が流行っていたのかな?

 蛇の類を見てポチが蒲焼を連想していた。
 さっき昼御飯を食べたばかりなのに、ポチの食欲に衰えはないようだ。
 今日の晩御飯はウナ重ならぬ、白角蛇丼でも作るか。

 副菜を何にしようか頭を悩ませ始めたオレの耳に、建物が崩れる音と人々の悲鳴が飛び込んできた。

「マスター、二時の方向に魔物を発見。排除行動に出ます。許可を」

 コオロギを巨大化したようなレベル30の魔物が、二階建ての建物を突き破って道路に出て来た。
 黒い体に蛇がのたうつ様な赤い模様が特徴的だ。

「ナナはアリサ達の護衛に残れ。リザは速やかに魔物を排除しろ。ポチとタマは怪我人を見つけたら回収して来る事。ミーアは治療準備。残りはオレとここで待機だ

「イエス、マイマスター」
「承知致しました」
「あい!」
「らじゃなのです!」

 皆の行動開始と同時にマップで周辺の再チェックを行う。
 直前までオレのレーダーには魔物が映っていなかった。転移か召喚か、いかなる方法で王都の中心街に魔物を呼び出したのか調べる必要がある。

 ――リザの槍がコオロギの魔物の表面に現れた赤い障壁で一瞬だけ止まる。

 そのままコオロギの障壁や装甲を破ってダメージを与えたが、一撃で止めを刺す所までは行かなかった。
 大技を発動していないとは言え、レベル30程度の魔物の防御でリザの槍が止まるなんてありえない。

「リザさん! そいつは『魔身付与』って状態に成ってるわ! 聞いた事のない支援バフ系スキルだから、本気技でいっちゃって!」
「承知!」

 アリサのアドバイスに従って、リザが魔力を通しただけの状態から魔刃が発生するレベルまで槍に流す魔力量を増やした。ペニス増大耐久カプセル

2015年7月31日星期五

矮小で愚かな革命の終焉

「……強くなったな、お前達」

 遠くから望遠鏡モドキで弟子達の戦いを眺めていたが、よく戦ったものだと思う。
 ただ、レウスは最後の詰めが甘かった。傭兵……ドミニクを倒せたのは良い。だがドミニクを吹っ飛ばした後、敵の状態を詳しく確認せず他へと向かってしまったのは間違いなくあいつの失態だ。喜んでいたからすぐに褒めてやったのは失敗だったかもしれない。まあ……俺も嬉しくてついやってしまったから文句は言えないが。中華牛鞭
 結果、ドミニクを逃すどころか首輪の権限を持つ重要な人物まで逃げられてしまった。ロードヴェルは別としてこれは致命的だろう。
 だが、あいつはまだ若いし様々な経験が足りないのも事実だ。今はただ存分にやって失敗し、そこから学び強くなっていけばいい。

 後始末は……俺の仕事だからな。

「どこへ行くつもりだ?」

 空を飛んで先回りした俺は殺気を放ちながらグレゴリとドミニクの前へ立った。
 少々強めの殺気を放てばドミニクはすぐさま背負っていた男を放り捨て、剣を抜いて戦闘態勢に移行していた。その切り替えの早さは生死を潜り抜けてきた傭兵だからこその手際だな。それに比べグレゴリは殺気に呑まれ、詠唱すら始めず呆然としているだけだった。

「てめぇ……何者だぁ?」
「大犬座……とでも名乗っておこうか」
「おーいぬざ? 聞いたことねえ名前だなぁ」

 人前で名乗ったのは初めてだし無名なのは当然だろう。ミスリルナイフを胸のベルトから取り出し構えると、ドミニクも会話どころじゃないと気づきグレゴリを叩き正気を取り戻させていた。

「おい旦那ぁ! いつまでぼーっとしてんだよぉ!」
「はっ!? い、一体何だこいつは!? 妙な格好をした餓鬼が何故これほどの威圧を!?」
「知らねぇ! だけどよ、俺の勘からしてこいつの中身は完全に化物だ! 油断してると殺されるぞぉ!」

 ようやくグレゴリが戦闘態勢を取ると同時に、ドミニクは大きな大剣を片手に俺へと襲い掛かってきた。柄が妙に大きい両手で持つような大剣だというのに、ドミニクは片手で小枝を振るような速度で剣を振り回してくる。
 レウスを追い込んだ剣だが、ライオルに比べたら児戯に等しい。俺は危なげなく回避していき、上段から振り下ろされた剣を大きく後ろに跳んで避けると、ドミニクは一度手を止めて考え込むような仕草で俺を眺めてきた。

「ちっ、こりゃあ骨が折れそうな相手だぜぇ。掠りもしねぇし、一体どうなってんだぁ? 」
「悪くないが、全体的に雑だな。フェイントやら小細工に力を入れ過ぎていて剣の筋が粗すぎる」
「ご解説ありがとよぉ。ついでに何だけどよぉ、このまま俺達を見逃してくれねえかなぁ? このまま戦っても互いの為にならねえしよぉ」

 相手との強さを見極めるのは生き残る秘訣であり、経験豊富なドミニクは俺の実力に気づいたのだろう。剣を仕舞い降参するように両手を上げていたが、グレゴリが目に見えて怒り始めた。

「何を考えている貴様! さっさと倒してしまえばよいではないか!」
「貴族様は黙ってなぁ! この化物の相手してたらどれだけ足止めされるかわかったもんじゃねぇぞぉ!」
「ぬぐっ……仕方あるまい。おい、そこのお前。私を見逃すつもりはないか? 金貨なら幾らでもやるぞ?」
「いらんよ。残念だがお前達を逃がすつもりはない」

 グレゴリは当然だが、傭兵団ギガンテスのリーダーであるこいつは裏に精通しているので、後々の面倒を考えると逃すわけにはいかない。それ以前にレウスを痛みつけた奴だから報いを受けてもらうつもりだ。

「なあ、そこを何とか頼むぜぇ。俺達はもう革命なんて興味ねえし、ここで起こった事は忘れるからよぉ。そうだ、金貨が駄目なら更に上の白金貨もあるぜぇ。そこに倒れている奴がそりゃあもうたっぷりと持ってんだよぉ。一生遊んで暮らせるぜぇ!」
「妙に饒舌だが、お前の魂胆はばれているぞ。俺の気を引いといて魔法で仕留める算段だろ?」

 詠唱しようとするグレゴリに目線を向けると、策が見抜かれているのに気づいたドミニクは舌打ちしながら剣を抜いて斬りかかって来た。

「ちっ! 本当に面倒な相手だなぁ!」
「そういうお前こそ、小細工ばかりだな」

 横薙ぎに振るわれた大剣を避けつつ懐に飛び込み、ドミニクの腕を取り足を払って転ばせた。後頭部を地面に強打させたのに、ドミニクはバネ仕掛けの様に立ち上がり剣を振るってきた。

「かなり手加減抜きでやったんだが、気絶すらしないとはな」
「当たり前だぜぇ! こいつは最高に気持ち良い状態を続けさせてくれるんだぁ! 気絶なんて勿体無い真似出来るかよぉ!」
「『命削丸薬ライフブースト』……か。嫌な物を使ってくれたもんだな」

 寿命が近かったとはいえ、母さんの命を奪った薬だ。
 体への負荷を最低にした物を調合したが、どれほど副作用を抑えようとも飲んだ時点で母さんは一日で亡くなっていただろう。
 だがそれの御蔭で満足な一日を送らせてあげられたのもあるので、今の内心は非常に複雑だったりする。

 ドミニクが気を引いている隙にグレゴリが魔法で仕留める。二対一の状況でとる手としては正しいのだが、相方に恵まれていないのが欠点だな。

「炎の槍よ、フレイムラン――……なっ!?」

 グレゴリが『火槍フレイムランス』を発動させ、炎が空中に収束する瞬間……俺の魔法が『火槍フレイムランス』を撃ち抜いた。エミリアが迎撃した時は爆発したが、俺の場合は炎の塊となる前に撃ち抜いているので空中で静かに霧散するだけだった。
 これはグレゴリの魔法は威力と同時に何本も生み出すことに執着していて、魔法を発動させる速度を疎かにしていた証拠だろう。ロードヴェルの速度なら発動前に潰せず、飛んでくる途中の迎撃で手一杯になるだろうな。

「援護はどうした旦那ぁ!」
「うるさい! 炎の槍よ、フレイムラ――っ!?」

 振り下ろされた剣を避けつつ『マグナム』でグレゴリの魔法を撃ち抜く。ドミニクが懐の小袋を口に咥えて放ってきたが、縛り口を指で摘まみ横へ放った。何が入ってるか知らないが中身が出なければ問題ない。

「けっ! こいつも予測済みかよぉ」
「我が命により土の眷属を生み出せ『ロック・ゴーレム』」

 一度距離を取ったドミニクは、剣を地に突き立て小型のナイフを三本投げてきた。同時に俺の後方へ周りこんだグレゴリがゴーレムを生み出しているが、『サーチ』でゴーレムの魔法陣を探し『マグナム』で撃ち抜いた。
 崩れるゴーレムを横目に飛んできたナイフを見れば、予想通り刃の部分に何か塗られているのがわかる。最小限の動きで回避しつつ、飛んできた一本の柄を空中で掴み投げ返してやった。

「はあっ!? どういう目してんだこいつぁ!」頂点3000
「炎の槍よ、フレイム――……」

 複数生み出された『火槍フレイムランス』を俺は全て撃ち抜き、投げ返されたナイフを剣で弾いたドミニクは口から小さな魔石を発射しつつ剣を振りかぶる。魔石の魔法陣は火属性なのは確認できたが、少し放ってくるのが早過ぎたようだな。『ストリング』を鞭のように振るって魔石が発動する前に横へ弾き飛ばすと、魔石が少し離れた場所で爆発を起こした。それを横目に振られた剣をナイフで受け流し、ドミニクの腹に膝を叩き込んだ。
 しかし『命削丸薬ライフブースト』で痛覚が麻痺しているせいか痛みに悶える事が無い。気にせず剣を振ってくるので一度距離を取った。

「これも駄目かよぉ!」
「――生み出せ『ロック・ゴーレム』」

 今度は三体同時だが、手だけゴーレムに向け『マグナム』で魔法陣を撃ち抜いた。並列思考マルチタスクを使えば造作も無い事である。

「馬鹿な! 何故こうも簡単に!?」

 何故と言われても、破壊しやすい魔法ばかり使うお前が悪いんだよ。エミリアと戦った時点で学べば良かったのだが、やはり貴族ってのは立場に胡坐を掻いて色々と疎かになるんだな。
 そこから先はもはや作業のようなもので、俺はドミニクの攻撃を避けると同時にグレゴリの魔法を撃ち消し続けた。二人がかりで攻めているのに、傷一つ付けられない俺を見て段々と焦れてきたようである。

「やべえなぁ、これ以上時間かけてられねぇなぁ……」
「はぁ……はぁ……急がねば老いぼれが来るぞ。何とかしろ傭兵!」
「けっ、貴族様は簡単に言ってくれるなぁ、おい!」

 魔力枯渇で息も絶え絶えだというのに、グレゴリは相変わらず偉そうである。そんな貴族の相手に慣れているのかドミニクは悪態を吐きつつも笑い、剣を一度地に突き立てて俺を指差してきた。

「俺達もあまり時間かけていられねぇんだからよぉ、次で決めてやるぜぇ」
「妙な小細工してる場合があるならさっさと切り札を出せ。出し惜しみしてる場合じゃないだろう?」
「そうだなぁ、高価な道具を散々使ってよぉ、おまけに仲間は全滅で赤字どころじゃねえよなぁ。というわけで、逃げるのは止めて本気でてめえを殺す事にしたわぁ」
「何だと貴様! 今までふざけていたのか!」
「貴族様と違って俺は傭兵だぜぇ? 生き残ればそれで良いんだよぉ」

 実に傭兵らしい台詞だが、俺も前世で似たような生き方をしてきたのでわからなくもない。だが、いざという時に迷わず切り札を切れない時点でまだ未熟だな。

「ほら行くぜぇ! 俺のとっておきをくらいなぁ!」

 ドミニクはまず俺の左右に魔石を放り、その後突き立てていた剣をこちらに向かって投げてきた。魔石の意図はとにかく正面から飛んできた剣を体を捻り回避するが、通り過ぎた剣から黒い何かが伸びていてそれは傭兵の手に続いていた。これは……鎖か? 妙に柄がでかいと思っていたが、中にこいつが仕込まれていたわけか。

「避けれるもんなら避けてみなぁ!」

 叫びながら握っていた柄をドミニクが引っ張ると、後方へ飛んでいった剣が再び俺を襲おうと引き寄せられた。更にドミニクも俺へ向かって駆け出し、手元を見れば握られた柄の底に短いながらも刃が飛び出しているのである。詰まるところ、俺は前後から挟まれたわけだ。
 なら横に逃げればいいと思うが、攻撃前に投げられた魔石が先ほどと同じと考えると爆風に巻き込まれそうだ。片腕しか無いのに、四方を塞ぐとは中々の手際だ。
 しかしだ、前世でこれ以上にえげつない攻撃をしてきた相手と戦った事がある。
 それに比べたらこの攻撃は穴だらけにしか見えないのだ。もちろん相手も回避に対する対策はしているだろうが、残念ながら俺はお前らにとって規格外の戦い方をする男だ。魔石を『ストリング』で弾いて相手にぶつけたり、『エアステップ』で高く飛べば回避は容易だろう。だが俺はあえて正面から挑む事にした。どうせなら自信を粉々に砕いてやろうと思ったからである。
 まず両手を左右に向け、『マグナム』で魔石を破壊し、背後から迫る剣を背面飛びで回避すると同時に剣の腹を足で踏みつけるように蹴飛ばし地に叩きつけた。

「この化物がよぉ!」

 突き出される刃を相手の手首を払って受け流し、ミスリルナイフを下から上に振り上げて俺達は擦れ違う。
 そして……ドミニクの残った手が地面に落ち、振り返れば諦めた表情を浮かべた敗者と目が合った。

「そうかぁ、お前があの獣人が言ってた兄貴って奴かよぉ。獣人が言ってた通り、最強ってのも嘘じゃねえ気がするなぁ」
「お前こそ色々仕込んでいて見事だったと思うぞ」
「ああん? こんなのただの小細工だぜぇ?」
「手段はどうあれ、勝つ為に小細工するのは当然だ。お前はただ強者に対する想定が甘かっただけだよ」
「お前みたいな化物知らねえよぉ。あーあ……完全に負けたぜぇ。悪いんだけどよ、俺に止め刺してくれねえかぁ? 『命削丸薬ライフブースト』切れて苦しむ前に死んでおきたいんだよぉ」
「いいだろう。両手が無ければ自害も出来ないしな」

 地面に座り込んだドミニクに近づきナイフを喉に突きつけると、奴は笑いながら口を開いたその瞬間……。

「ありがとう……がっ!?」

 俺は掌でドミニクの顎を下から上に打ち上げていた。
 その勢いで顔が上に向いたドミニクの口と鼻から炎が噴出し、白目になったドミニクは力なく地面に崩れ落ちた。

「だから言っただろう。想定が甘いって」

 ドミニクの口から炎を噴出したのは、奴が口内に炎の魔石を仕込んでいたからである。おそらく初級の『フレイム』程度だと思うが、完全な不意打ちで使えば火傷程度では済むまい。使えば本人にもダメージがあると思うし、諸刃の剣であるこれが正真正銘の切り札だろうな。
 そんな切り札も俺の手によって口が閉じられ、炎が逃げ場を無くして口内と喉を焼いて自滅したけどな。前世では時限爆弾や手榴弾を吐き出した奴も居たし、それに比べればこいつのは優しいものだと思う。
 煙を吐き出すドミニクに背を向け、俺は本来の目的であるグレゴリの元へ歩み寄った。

「次はお前の番だな」
「あ……な、何故だ? 何故貴様は私を狙うのだ!」
「お前に恨みがあるからに決まっているだろう?」
「私はお前なぞ知らん!」
「そうか、ならこれでわかるよな?」

 ドミニクの結末を見たグレゴリが明らかに怯えていたので、俺は仮面を取ってグレゴリに正体を明かした。にっこりと笑う俺に対しグレゴリは困惑した表情を浮かべたが、すぐに怒り狂って叫びだした。中国蟻力神 第三代

「き、貴様は無能!? たかが平民が貴族に対してこのような真似をしていいと思っているのか!」
「おいおい、お前は貴族じゃなくて犯罪者だろう? それも革命だとか言いながら大勢の人間を巻き込んだ大罪人だ」
「黙れぇ! 亜人の力が無ければ何も出来ぬ無能がぁ!」
「お前はアホか? 何も出来ないと言っているが、その無能に魔法を破壊されて追い込まれているのは一体誰なんだ?」
「黙れ黙れ! すぐに化けの皮を剥がしてくれる! 『フレイム』」

 流石に初級くらいは無詠唱で発動出来るようだ。飛んでくる火の玉に指を向けて『インパクト』を放てば火の玉は爆発し霧散する。逃げられても困るのでついでにグレゴリの足も撃ち抜くと片足が爆ぜ、グレゴリは痛みに悶え叫んでいた。

「ぐあぁっ!? な、何故だぁ! 何故私の魔法が消えるのだぁ!」
「少しは冷静になったらどうだ? 怒り狂って叫んでいるだけで何とかなる状況じゃないって理解しろ」
「ぐうぅ……おのれぇ! 無能が……無能がぁ!」

 俺の正体が無能だと知って強がっていたが、ここに来てようやく実力差を認めたようだ。憎しみを込めて睨まれる中、近くに落ちていたドミニクの剣を拾った。俺には大きい剣だが、振り回すわけじゃないので問題ない。

「さて……何か遺言があれば聞くが?」
「待て! 何故貴様は私を恨む!? 貴様個人に殺されるような事はしていないぞ!」
「確かにお前は俺に色々小細工をしたが、殺したいとまでは思わなかった。だがな、お前は許されない事をしたんだよ」
「か、革命は私以外にも望む者がいるのだ! 私はその代表にしか過ぎないのだぞ!」
「いや、それはどうだっていい。一つ聞くが、少し前にお前は鮮血のドラゴンをエリュシオンに呼んだな? 嘘をついてもすぐにわかるから正直に答えろ」
「ひっ!? あ、ああ。確かに私はそいつらを招いた。その後どうなったか知らんが……」
「俺の恨みはそれなんだよ」

 そう、俺からすれば革命なんてどうでもいい。思想ってのは人によって様々だし、気に食わないだけで対立する紛争を腐るほど体験してきた身として革命なんぞ大した話ではないのだ。
 俺がこいつを恨む理由はただ一つ……。

「お前が呼んだくだらん連中のせいで、俺の弟子は死ぬところだった。それがお前を始末する理由だ」
「なっ!? その程度で私を!?」
「お前にはその程度でも俺にとっては大事な事だ。弟子達の涙を見たとき、必ずお前を後悔させてやろうと誓ったんだよ」
「あ、あれは奴等が勝手にやっただけで、私は何もしていないぞ!」
「奴等が殺人鬼だと知らなかったわけじゃないだろう? たとえ知らなかったとしても、それでは済まされない問題だ」
「私は止めたのだ! だが奴等は私の話を聞かずへぶっ!?」

 言い訳が鬱陶しいので顔面を殴った。ちゃんと手加減はしているので、歯も折れてないしせいぜい鼻血が出る程度で済ませた。
 おそらくこいつは、ドミニクのように鮮血のドラゴン達も革命に利用しようとしたのだろう。だが殺人鬼である奴等は好き勝手に振る舞い、こいつはそれを止めずに放置してしまった。そのせいで少なくともエリュシオンの住民数人と貴族の従者が犠牲になっている。

「立場の問題があるからお前の始末は学校長に譲ったが、お前は逃げ延び今こうして目の前にいるのも何かの巡り合わせだろう。弟子を死なせかけた罪……償ってもらおうか」
「ふ、ふはは……断る! お前が死ねぇ!」

 グレゴリは懐からナイフを抜いて突き出してきたが、魔法で戦ってきた男のひ弱な突きなんて避けるまでもなかった。指と指の間に刃を通しグレゴリの拳ごと押さえ込み、握力で指の骨を砕いてやった。

「ぬぐあぁぁぁ――っ!? い、今だやってしまえ!」

 痛みに堪えながらも叫ぶ声に振り返れば、俺のすぐ後ろに迫ったドミニクの姿があった。口や鼻が火傷によって見るに耐えない状況だが目はしっかり俺を捉えていて、口に咥えたナイフを振り下ろそうと頭を振りかぶった。
 だが……振り下ろす途中でドミニクの動きは止まっていた。

「な、何をやっているのだ! 早くこいつを殺せ!」
「無駄だ」

 拾った剣でドミニクを軽く叩いてやると、彼はゆっくりと倒れて動かなくなった。そして首が鋭利な刃物で切れたように外れ、俺とグレゴリの間に転がってきたのである。

「ひいっ!? い、いつの間にっ!?」
「流石に『命削丸薬ライフブースト』を飲んでも首が無ければ無理だろう。良かったな、痛覚が無くなっていて」

 痛みを感じない相手は確かに厄介だが、血が無くなれば体は動かなくなるし、こいつは本で見たような自己再生する生き物でもない。脳がある頭を切り離してしまえば問答無用で終わるのだ。
 ドミニクの絶命を確認すると、俺は自分の背後に張っていた『ストリング』を消した。今回使った『ストリング』は極細で鋭利にしている上に超振動させていたので触れるだけで切れる代物だ。それを首の高さに張っていたので、奴は自ら切られに来たわけだ。

「安心しろ、お前はこの剣で終わらせてやる。五体満足で死ねるぞ」
「あ……うあ……やめろ……私は亜人を排除しなければ……」

 この状況でも自分を改めないのか。ここまで来ると哀れに思えるな。十分に絶望させたし、そろそろ終わらせるとしよう。

「親を無能や獣人に殺された者が無能に殺される。過去に囚われ因果を断ち切れなかった自分を恨め」
「この化物が! いや、悪魔め! 貴様は人の皮を被った悪魔だ!」
「そりゃあどうも。こう見えて昔は死神と呼ばれていた事もあるから悪魔なんて軽いもんだ。じゃあ、リクエストに応えて悪魔らしく行動させてもらおうか」
「あ……ああああっ! やめろ! やめろやめろやめろやめろやめろ――――っ!」
「さようなら」

 慈悲もなく、傭兵の剣はグレゴリの胸へ深々と突き立てられた。

「あっ! シリウス様ーっ!」

 グレゴリと現場の後始末を終わらせ、俺は着替えてからゴーリアを抱え闘技場に戻ってきた。今度は隠れずに正面から入ってきたので、俺を最初に見つけたエミリアが笑みを浮かべて俺の前へと走ってきた。

「お疲れ様エミリア。お前達の戦い、見させてもらったぞ」
「はい! それで……どうでしたか?」
「ああ、訓練の成果をしっかり出せていたし、生徒達を上手く先導していたな。この男を奪う作戦も悪くなかったし、よくやったと思うぞ」
「本当ですか!」HARDWARE 芳香劑

 エミリアは目を輝かせ、期待するように尻尾をパタパタ振るっているので頭を撫でてやった。目を細め蕩けそうな笑みを浮かべているが、やる事があるのでここまでにしておこう。手を離すと残念そうな表情をしたが、すぐに笑みを浮かべ俺の右隣に並んだ。

「続きはまた後でな。今はこの荷物を学校長に渡さないといけないからな」
「はい! あ、荷物お持ちします」

 荷物とはゴーリアの事だが、こんなくだらん奴をエミリアに持たせるのは気が引ける。俺はエミリアの助力を断り、あちこちに指示を出している学校長の前へやってきた。
 てっきりグレゴリを追いかけてくるかと思えば、闘技場から動かず一体何をやっているのやら。

「ああシリウス君。お待ちしていましたよ」
「どうも。学校長こそグレゴリを追わず、ここで何をされているのですか?」
「グレゴリ達がゴーリアを連れて逃げたせいで、首輪を付けられた生徒達がパニックを起こしそうでしたので少々落ち着かせてました。それで、シリウス君が持っているのはゴーリアですね?」
「その通りです。まだ麻痺が効いていますがとりあえず縛っておきました。あと、この男の懐からこれが出てきたので渡しておきます」

 渡したのは生徒達が欲している首輪の鍵だ。この首輪は量産品らしく鍵が全く同じだ。スペアを含めて幾つかある鍵の束を渡すと学校長は満足気に頷いた。

「ありがとうございます。マグナ、先生方と一緒にこれを」
「わかりました」

 鍵はマグナ先生と他の先生方に渡され、生徒達を一列に並べて順番に外し始めた。早く外してもらおうと前へ飛び出してくる生徒もいたが、マグナ先生のゴーレムに摘ままれて最後に回されていた。
 その様子を眺めていると、学校長は笑みを浮かべながら俺を労ってきた。

「お疲れ様でしたシリウス君。ゴーリアと鍵の奪還、見事に勤めを果たしてくれましたね」
「……ありがとうございます」
「学校長が慌てていなかったのは、シリウス様に前もって依頼していたのですね」

 先に言っておくが俺はそんな命令を受けた覚えは無い。おそらくこれは俺への手柄として言ってくれたのだろう。否定したいところだが周りの目もあるし、ここは話を合わせておくとしよう。ついでに頼みたい事もあるし。

「ですが学校長。グレゴリと傭兵の男は途中で同士討ちし死んでいました。なので私は労せずこの男の確保に成功したのです」
「そんな事はありません! シリウス様ならあんな男一人や十人――……むぐっ!」

 ややこしくなるのでエミリアの口を手で塞いだ。彼女は一瞬驚いたが、目で訴えてやると大人しくなった。というか、俺の手の匂いを嗅いで嬉しそうにしている。
 少し考えた結果、俺が始末したグレゴリとドミニクは同士討ちで共倒れになったように見せかける事にした。巨大な剣を突き刺したり首を切ったから、ばれたら確実に引かれそうだし。
 現場では同士討ちに見せかけるために、ドミニクの死体はグレゴリの魔法でやられたように首をくっ付けて火の魔法陣で燃やしたし、グレゴリはドミニクの剣で胸元を貫いている。貴族と傭兵という仲の悪そうな組み合わせだし、ぱっと見ではそう見えておかしくない筈だ。
 肝心のゴーリアだが、彼は明後日の方向を向いたまま動けなかったので俺の姿を見ていない。更に一度立ち去った振りをし、後を追ってきた俺が見つけました風な演技をしたので犯人はわからないだろう。

「同士討ち……ですか。わかりました、そのようにしておきましょうか」
「ええそうです。大した苦労もなく終わりましたよ」

 笑みを浮かべあいながら、俺と学校長は視線で会話する。たとえ何かあっても強引にでも同士討ちに持っていけと俺が訴えれば、仕方なさそうに学校長は頷いた。
 グレゴリの後を追わず俺に後始末を投げたんだ。それくらいしてもらわなきゃ割りに合わん。

「怪我人の治療もリース君の御蔭で心配無さそうです。優れた戦闘力は当然として、先輩を含め生徒達を先導し導き、傭兵のリーダーを倒し、優れた治療で生徒達を助ける。貴方の弟子は本当に素晴らしいですね」
「ありがとうございます。なにせ自慢の弟子ですから」

 隣のエミリアは尻尾を振って嬉しそうにしている。気づけば口を塞いでいた手が彼女の手によって動かされて頬ずりされているが、もう好きにさせておこう。

「あ……シリウスさん。戻ってこられたのですね」

 学校長がゴーリアを引き取り部下へ新たな指示を出すために離れると、闘技場の隅で怪我人を治療していたリースが俺に気づいたようだ。小走りでやってきて目前に立ったかと思えば、俺の頭から足までじっくりと眺めてから彼女は笑みを浮かべて頷いた。

「怪我は……ありませんね。無事でなによりです」
「リースこそ無事でなによりだ。皆の治療にエミリアとレウスのフォローに大変だっただろう?」
「大変でしたけど、私の力が皆の役に立てて凄く嬉しいんです。これもシリウスさんの御蔭ですね」
「そうです、全てシリウス様の御蔭なんです」
「お前達の努力が実っただけなんだがなぁ……」

 何にしろ今回の弟子達は本当によく頑張ったと思う。だから何かご褒美をやりたいのだが……何がいいだろうな?

「お前達、何か欲しい物とかやってほしい事はないか? 俺の叶えられることなら無理の無い範囲で叶えてやるぞ」
「えっ!? あの……本当に?」
「あの……嬉しいんですけど、シリウスさんだって凄く貢献されたのに私達だけなんて……」
「いいんだよ。お前達は無事にこの危機を乗り越えたんだ、褒美の一つや二つあってもいいだろう? 遠慮なんかするな」
「無理の無い範囲……迷います!」
「エミリア、ちょっと落ち着いて! でも……何がいいかなぁ? ケーキを丸ごと一個食べて見たいかも」
「この問題が片付いたらまた聞くから考えておきなさい。ところで……レウスはどこへ行ったんだ?」

 この手の話には、真っ先に諸手を挙げて喜ぶであろうレウスの姿が見当たらないのだ。さっきから探しているのだが一向に見つからない。RUSH PUSH

「えーと、レウスでしたら……」

 エミリアの視線を追っていくと、試合場の壁に寄りかかる見慣れた背中が映った。もしかして……あれがレウスか? 覇気が全く感じられず、あいつの周囲だけ真っ黒い雰囲気を醸し出していて非常に近寄りがたい。
 普段とのあまりの違いっぷりに、俺はレウスだと認識できなかったようだ。

「……あいつはどうしたんだ?」
「その……傭兵のリーダーを逃がしたどころか、そのせいでゴーリアを奪われたのがショックだったようです」
「シリウスさんに褒められて凄く喜んでいましたから、その分だけ落差が激しかったみたい」
「やれやれ……おーい、レウス!」

 俺が呼びかけるとレウスはゆっくりとだが振り向いた。ただその表情は明らかに落ち込んでいて、耳も尻尾も垂れ下がっている。全く、あいつがあんな状況だとこっちの調子も狂うな。

「早くこっちに来なさいレウス。ハウス!」
「…………うん」

 近くへ呼ぶ号令をかけてやるとレウスは動き出したが、その足取りは重く、愛用の剣をズルズルと引き摺りながら歩きようやく俺の前へやって来た。

「何をそんなに落ち込んでいるんだ?」
「だって……俺のせいで皆に迷惑かけちゃったし」
「はぁ……この馬鹿弟子が」

 おいこら、そんな見え見えの嘘をつくんじゃない。視線を逸らしこちらの顔を一切見ようとしないレウスの頭を俺は軽く小突いた。

「お前は皆に迷惑かけたとかじゃなくて、俺に怒られると思って落ち込んでいるんだろう? 正直に言いなさい」
「…………うん」
「だったらそれは間違いだ。俺はお前に怒る事なんて無いぞ。むしろあいつ相手によくやったと褒めてやる」
「えっ!?」

 その言葉にレウスは驚いてこちらを見たが、気にせず俺はレウスの頭を撫でてやった。戸惑いつつも撫でられて嬉しいのか、レウスの顔に笑みが戻ってくる。

「お前の失敗点はドミニクの生死を確認しなかった事だ。それは理解しているな?」
「うん。だからそのせいで皆に迷惑かけたんだ」
「それがわかればいい。そもそも今回は相手が悪かった。正直に言えば、お前にはまだ早い相手だったんだよ」

 単純に強い相手なら問題なかった。だが今回の奴は裏で生き、卑怯な手段を躊躇しない相手だった。あいつが状況の悪さから逃げる選択肢をとらず、本気でレウスを殺そうとしたら危なかったかもしれない。
 もう少しそういう相手との想定訓練をしてから戦わせたかったのだが、それでもレウスは勝ったのだ。お前の成長を喜びはしても、怒ることなど一切無い。

「おまけに『命削丸薬ライフブースト』まで使ってドーピングした相手にお前は勝ったんだ。もっと胸を張れ。そんなお前が俺は誇らしいぞ」
「兄貴……じゃあ俺は喜んでいいのか?」
「おう喜べ喜べ。ほら、もっと撫でてやるぞ」
「……やった―っ!」

 そうだ、存分に喜べ。レウスの頭を強めに撫でていると、エミリアとリースが少し羨ましそうな目でみていたが、レウスが元気になってほっとしたようだ。
 そしてレウスにも褒美の話をしていると、戻ってきた学校長がレウスの様子をみて笑っていた。

「ふふふ、流石シリウス君ですね。あれだけ落ち込んでいたレウス君があっという間に元気になっていますね」
「レウスはあの男を抑えていた功労者ですからね。落ち込む必要なんか無いんですよ」
「その通りです。私もグレゴリだけでなく、ゴーリアにもっと気を配っていればよかったのもあるんです。レウス君が気に病む必要はないのですよ」

 この人にも色んな思惑があってこうなったのは理解している。
 だけどなぁ、ここまで騒ぎを大きくしたりグレゴリに逃げられたりと詰めが甘すぎだろう。おまけにレウスをここまで落ち込ませたんだ、少し反撃くらいしてやろうと思う。

「流石は学校長です。何百年生きようと、自らを見直し続けるのですね」
「当然です。人は間違う生き物ですから、決して反省する心を忘れてはいけませんよ」
「その思想、大変素晴らしいです。でしたら形から入るためにしばらく甘味を抑える事から始めましょう」
「……えっ?」
「具体的に言うと、ケーキの差し入れをしばらくしません」
「あの……ちょっと、シリウス君?」

 自分で言った上に俺の言う事にも一理あるせいか、学校長も強く言い返せないようだ。先ほど圧倒的な魔法で相手を制圧していた者とは思えぬうろたえっぷりである。
 俺達の会話を聞いていたマグナ先生がそんな学校長を見かね、別の先生に鍵を預け俺達を取り成そうと介入してきた。

「シリウス君、学校長も様々な用事があって多忙ですからあまり休む暇がありません。そんな中でシリウス君の甘味は癒しの極みなのです。考え直してくれませんか?」
「マグナ先生。エミリアをゴーレムで守っていただきありがとうございます。今度お礼にケーキを一ホール持っていきますね」
「学校長、反省しましょう」
「マグナ!?」


 それから全員が首輪から解放され、教室で篭城していた生徒達に話が伝わった頃にはようやく全員が笑えるようになっていた。
 首輪を填められたりした生徒達にとっては苦い思い出だろうが、痛みがなければわからない者もいる。
 学校全体の反面教師となったグレゴリは死んだと報じられ、しばらくはこんな事をしでかそうとする奴は現れないだろう。

 こうして……多くの人を巻き込みつつも、個人の怨嗟から始まった革命は国全体を巻き込む事無く終わりを告げた。芳香劑 ULTRA RUSH

2015年7月29日星期三

大樹の秘密

深い霧の中、ハジメ達一行は大樹に向かって歩みを進めていた。先頭をカムに任せ、これも訓練とハウリア達は周囲に散らばって索敵をしている。油断大敵を骨身に刻まれているので、全員、その表情は真剣そのものである。もっとも、全員がコブか青あざを作っているので何とも締りがないが……田七人参

「うぅ、まだヒリヒリしますぅ」

 泣き言を言いながらお尻をスリスリとさすっているのはシアだ。先程から恨みがましい視線をハジメに向けている。

「そんな目で見るなよ、鬱陶しい」
「鬱陶しって、あんまりですよぉ。女の子お尻を銃撃するなんて非常識にも程がありますよ。しかも、あんな無駄に高い技術まで使って」
「そういう、お前こそ、割かし本気で俺の頭ぶっ叩く気だったろうが。しかも、逃げるとき隣にいたヤツを盾にするとか……人のこと言えないだろう」

 少し離れたところにいる男のハウリアが、うんうんと頷いている。

「うっ、ユエさんの教育の賜物です……」
「……シアはワシが育てた」
「……つっこまないからな」

 自慢げに、褒めて? とでも言うようにハジメを見るユエ。ハジメは、鍛えられたスルースキルを駆使して視線を逸らす。

 和気あいあいと? 雑談しながら進むこと十五分。一行は遂に大樹の下へたどり着いた。

 大樹を見たハジメの第一声は、

「……なんだこりゃ」

 という驚き半分、疑問半分といった感じのものだった。ユエも、予想が外れたのか微妙な表情だ。二人は、大樹についてフェアベルゲンで見た木々のスケールが大きいバージョンを想像していたのである。

 しかし、実際の大樹は……見事に枯れていたのだ。

 大きさに関しては想像通り途轍もない。直径は目算では測りづらいほど大きいが直径五十メートルはあるのではないだろうか。明らかに周囲の木々とは異なる異様だ。周りの木々が青々とした葉を盛大に広げているのにもかかわらず、大樹だけが枯れ木となっているのである。

「大樹は、フェアベルゲン建国前から枯れているそうです。しかし、朽ちることはない。枯れたまま変化なく、ずっとあるそうです。周囲の霧の性質と大樹の枯れながらも朽ちないという点からいつしか神聖視されるようになりました。まぁ、それだけなので、言ってみれば観光名所みたいなものですが……」

 ハジメとユエの疑問顔にカムが解説を入れる。それを聞きながらハジメは大樹の根元まで歩み寄った。そこには、アルフレリックが言っていた通り石版が建てられていた。

「これは……オルクスの扉の……」
「……ん、同じ文様」

 石版には七角系とその頂点の位置に七つの文様が刻まれていた。オルクスの部屋の扉に刻まれていたものと全く同じものだ。ハジメは確認のため、オルクスの指輪を取り出す。指輪の文様と石版に刻まれた文様の一つはやはり同じものだった。

「やっぱり、ここが大迷宮の入口みたいだな……だが……こっからどうすりゃいいんだ?」

 ハジメは大樹に近寄ってその幹をペシペシと叩いてみたりするが、当然変化などあるはずもなく、カム達に何か知らないか聞くが返答はNOだ。アルフレリックにも口伝は聞いているが、入口に関する口伝はなかった。隠していた可能性もないわけではないから、これは早速貸しを取り立てるべきか? と悩み始めるハジメ。威哥十鞭王

 その時、石版を観察していたユエが声を上げる。

「ハジメ……これ見て」
「ん? 何かあったか?」

 ユエが注目していたのは石版の裏側だった。そこには、表の七つの文様に対応する様に小さな窪みが空いていた。

「これは……」

 ハジメが、手に持っているオルクスの指輪を表のオルクスの文様に対応している窪みに嵌めてみる。

 すると……石版が淡く輝きだした。

 何事かと、周囲を見張っていたハウリア族も集まってきた。暫く、輝く石版を見ていると、次第に光が収まり、代わりに何やら文字が浮き出始める。そこにはこう書かれていた。

“四つの証”
“再生の力”
“紡がれた絆の道標”
“全てを有する者に新たな試練の道は開かれるだろう”

「……どういう意味だ?」
「……四つの証は……たぶん、他の迷宮の証?」
「……再生の力と紡がれた絆の道標は?」

 頭を捻るハジメにシアが答える。

「うん、紡がれた絆の道標は、あれじゃないですか? 亜人の案内人を得られるかどうか。亜人は基本的に樹海から出ませんし、ハジメさん達みたいに、亜人に樹海を案内して貰える事なんて例外中の例外ですし」
「……なるほど。それっぽいな」
「……あとは再生……私?」

 ユエが自分の固有魔法“自動再生”を連想し自分を指差す。試しにと、薄く指を切って“自動再生”を発動しながら石版や大樹に触ってみるが……特に変化はない。

「むぅ……違うみたい」
「……ん、枯れ木に……再生の力……最低四つの証……もしかして、四つの証、つまり七大迷宮の半分を攻略した上で、再生に関する神代魔法を手に入れて来いってことじゃないか?」

 目の前の枯れている樹を再生する必要があるのでは? と推測するハジメ。ユエも、そうかもと納得顔をする。

「はぁ、ちくしょう。今すぐ攻略は無理ってことか……面倒くさいが他の迷宮から当たるしかないな……」
「ん……」

 ここまで来て後回しにしなければならないことに歯噛みするハジメ。ユエも残念そうだ。しかし、大迷宮への入り方が見当もつかない以上、ぐだぐだと悩んでいても仕方ない。気持ちを切り替えて先に三つの証を手に入れることにする。

 ハジメはハウリア族に集合をかけた。

「いま聞いた通り、俺達は、先に他の大迷宮の攻略を目指すことする。大樹の下へ案内するまで守るという約束もこれで完了した。お前達なら、もうフェアベルゲンの庇護がなくても、この樹海で十分に生きていけるだろう。そういうわけで、ここでお別れだ」

 そして、チラリとシアを見る。その瞳には、別れの言葉を残すなら、今しておけという意図が含まれているのをシアは正確に読み取った。いずれ戻ってくるとしても、三つもの大迷宮の攻略となれば、それなりに時間がかかるだろう。当分は家族とも会えなくなる。

 シアは頷き、カム達に話しかけようと一歩前に出た。老虎油

「とうさ「ボス! お話があります!」……あれぇ、父様? 今は私のターンでは…」

 シアの呼びかけをさらりと無視してカムが一歩前に出た。ビシッと直立不動の姿勢だ。横で「父様? ちょっと、父様?」とシアが声をかけるが、まるでイギリス近衛兵のように真っ直ぐ前を向いたまま見向きもしない。

「あ、何だ?」

 取り敢えず父様? 父様? と呼びかけているシアは無視する方向で、ハジメはカムに聞き返した。カムは、シアの姿など見えていないと言う様に無視しながら、意を決してハウリア族の総意を伝える。

「ボス、我々もボスのお供に付いていかせて下さい!」
「えっ! 父様達もハジメさんに付いて行くんですか!?」

 カムの言葉に驚愕を表にするシア。十日前の話し合いでは、自分を送り出す雰囲気だったのにどうしたのです!? と声を上げる。

「我々はもはやハウリアであってハウリアでなし! ボスの部下であります! 是非、お供に! これは一族の総意であります!」
「ちょっと、父様! 私、そんなの聞いてませんよ! ていうか、これで許可されちゃったら私の苦労は何だったのかと……」
「ぶっちゃけ、シアが羨ましいであります!」
「ぶっちゃけちゃった! ぶっちゃけちゃいましたよ! ホント、この十日間の間に何があったんですかっ!」

 カムが一族の総意を声高に叫び、シアがツッコミつつ話しかけるが無視される。何だ、この状況? と思いつつ、ハジメはきっちり返答した。

「却下」
「なぜです!?」

 ハジメの実にあっさりした返答に身を乗り出して理由を問い詰めるカム。他のハウリア族もジリジリとハジメに迫る。

「足でまといだからに決まってんだろ、バカヤロー」
「しかしっ!」
「調子に乗るな。俺の旅についてこようなんて百八十日くらい早いわ!」
「具体的!?」

 なお、食い下がろうとするカム達。しまいには、許可を得られなくても勝手に付いて行きます! とまで言い始めた。どうやら、ハートマン軍曹モドキ・・・の訓練のせいで妙な信頼とか畏敬とかそんな感じのものが寄せられているようである。このまま、本当に町とかにまで付いてこられたら、それだけで騒動になりそうなので仕方なく条件を出すハジメ。

「じゃあ、あれだ。お前等はここで鍛錬してろ。次に樹海に来た時に、使えるようだったら部下として考えなくもない」
「……そのお言葉に偽りはありませんか?」
「ないない」
「嘘だったら、人間族の町の中心でボスの名前を連呼しつつ、新興宗教の教祖のごとく祭り上げますからな?」
「お、お前等、タチ悪いな……」
「そりゃ、ボスの部下を自負してますから」麻黄

 とても逞しくなった部下達? に頬を引きつらせるハジメ。ユエがぽんぽんと慰めるようにハジメの腕を叩く。ハジメは溜息を吐きながら、次に樹海に戻った時が面倒そうだと天を仰ぐのだった。

「ぐすっ、誰も見向きもしてくれない……旅立ちの日なのに……」

 傍でシアが地面にのの字を書いていじけているが、やはり誰も気にしなかった。





 樹海の境界でカム達の見送りを受けたハジメ、ユエ、シアは再び魔力駆動二輪に乗り込んで平原を疾走していた。位置取りは、ユエ、ハジメ、シアの順番である。以前、ライセン大峡谷の谷底で乗せた時よりシアの密着度が増している気がするが、あえて無視するハジメ。反応でもしようものなら前に座っているユエに即バレである。

 肩越しにシアが質問する。

「ハジメさん。そう言えば聞いていませんでしたが目的地は何処ですか?」
「あ? 言ってなかったか?」
「聞いてませんよ!」
「……私は知っている」

 得意気なユエに、むっと唸り抗議の声を上げるシア。

「わ、私だって仲間なんですから、そういうことは教えて下さいよ! コミュニケーションは大事ですよ!」
「悪かったって。次の目的地はライセン大峡谷だ」
「ライセン大峡谷?」

 ハジメの告げた目的地に疑問の表情を浮かべるシア。現在、確認されている七大迷宮は、【ハルツィナ樹海】を除けば、【グリューエン大砂漠の大火山】と【シュネー雪原の氷雪洞窟】である。確実を期すなら、次の目的地はそのどちらかにするべきでは? と思ったのだ。その疑問を察したのかハジメが意図を話す。

「一応、ライセンも七大迷宮があると言われているからな。シュネー雪原は魔人国の領土だから面倒な事になりそうだし、取り敢えず大火山を目指すのがベターなんだが、どうせ西大陸に行くなら東西に伸びるライセンを通りながら行けば、途中で迷宮が見つかるかもしれないだろ?」
「つ、ついででライセン大峡谷を渡るのですか……」

 思わず、頬が引き攣るシア。ライセン大峡谷は地獄にして処刑場というのが一般的な認識であり、つい最近、一族が全滅仕掛けた場所でもあるため、そんな場所を唯の街道と一緒くたに考えている事に内心動揺する。

 ハジメは、密着しているせいかシアの動揺が手に取るようにわかり、呆れた表情をした。

「お前なぁ、少しは自分の力を自覚しろよ。今のお前なら谷底の魔物もその辺の魔物も変わらねぇよ。ライセンは、放出された魔力を分解する場所だぞ? 身体強化に特化したお前なら何の影響も受けずに十全に動けるんだ。むしろ独壇場だろうが」
「……師として情けない」超強黒倍王
「うぅ、面目ないですぅ」

 ユエにも呆れた視線を向けられ目を泳がせるシア。話題を逸らそうとする。

「で、では、ライセン大峡谷に行くとして、今日は野営ですか? それともこのまま、近場の村か町に行きますか?」
「出来れば、食料とか調味料関係を揃えたいし、今後のためにも素材を換金しておきたいから町がいいな。前に見た地図通りなら、この方角に町があったと思うんだよ」

 ハジメとしてはいい加減、まともな料理・・を食べたいと思っていたところだ。それに、今後、町で買い物なり宿泊なりするなら金銭が必要になる。素材だけなら腐る程持っているので換金してお金に替えておきたかった。それにもう一つ、ライセン大峡谷に入る前に落ち着いた場所で、やっておきたいこともあったのだ。

「はぁそうですか……よかったです」

 ハジメの言葉に、何故か安堵の表情を見せるシア。ハジメが訝しそうに「どうした?」と聞き返す。

「いやぁ、ハジメさんのことだから、ライセン大峡谷でも魔物の肉をバリボリ食べて満足しちゃうんじゃないかと思ってまして……ユエさんはハジメさんの血があれば問題ありませんし……どうやって私用の食料を調達してもらえるように説得するか考えていたんですよぉ、杞憂でよかったです。ハジメさんもまともな料理食べるんですね!」
「当たり前だろ! 誰が好き好んで魔物なんか喰うか! ……お前、俺を何だと思ってるんだ……」
「プレデターという名の新種の魔物?」
「OK、お前、町に着くまで車体に括りつけて引きずってやる」
「ちょ、やめぇ、どっから出したんですかっ、その首輪! ホントやめてぇそんなの付けないでぇ、ユエさん見てないで助けてぇ!」
「……自業自得」

 ある意味、非常に仲の良い様子で騒ぎながら草原を進む三人。

 数時間ほど走り、そろそろ日が暮れるという頃、前方に町が見えてきた。ハジメの頬が綻ぶ、奈落から出て空を見上げた時のような、“戻ってきた”という気持ちが湧き出したからだ。懐のユエもどこかワクワクした様子。きっと、ハジメと同じ気持ちなのだろう。僅かに振り返ったユエと目が合い、お互いに微笑みを浮かべた。

「あのぉ、いい雰囲気のところ申し訳ないですが、この首輪、取ってくれませんか? 何故か、自分では外せないのですが……あの、聞いてます? ハジメさん? ユエさん? ちょっと、無視しないで下さいよぉ、泣きますよ! それは、もう鬱陶しいくらい泣きますよぉ!」

 ハジメとユエは微笑みあった。ペニス増大耐久カプセル

2015年7月27日星期一

幼き勇者

「――“何もかも、消えちまえ全ての存在を否定する”」

 その瞬間、ハジメを組み伏せていた三人の使徒がボバッと音をさせて上下に両断された。そして、その直後には、更に左右、上下、左右と寸断されていき、数秒もかからずに木っ端微塵になってしまった。威哥王三鞭粒

 刃などなく、あったとしても切断されたというよりは線状に霧散させられたというべき不可解な現象。誰もが絶句し、大きく目を見開いたまま動けずにいる中、轟ッと魔力が噴き上がった。

 ハジメを中心に逆巻く奔流は、しかし、いつもの鮮やかな紅くれないとはかけ離れた、血色の如き毒々しい暗赤色。それもまた、尋常ならざる事態であることを、謁見の間にいる全ての者達へ、否応なく伝える。

 そんな中、ハジメが、ゆらりと立ち上がった。血の気の失せた幽鬼の如き青白い顔で、使徒よりも余程無機質な表情を晒しながら、ボタリ、ボタリと血を滴らせて……

 すぐ傍にいたミュウが、局所的な嵐のような暗赤色の魔力流に対し、手で顔を庇いながら「きゃあっ」と小さく悲鳴を上げる。そのまま、後ろに吹き飛ばされるかと思われたが、直後、足元の床が霧散するように崩れ去りミュウを落とし込んだ。

「ふ、ふん、無駄なことを。アルヴヘイトの名において命ずる、“跪――ッ、ぁっ、ィギ、ぁぁあああああああっ!!」

 アルヴヘイトが、どうにか精神を立て直し、“神言”をもってハジメを制しようとした。だが、その命令が言い終わる前に、何の前触れもなく、アルヴヘイトの両腕が肩からすっぱりと切断されてしまった。

 額を撃たれても、どういうわけか平然としており、四肢を撃ち抜かれても悲鳴一つ上げないどころか瞬時に回復していたアルヴヘイトが、激痛に表情を歪めながら絶叫を上げる。

 その瞳には、苦痛だけでなく強い困惑の色が浮かんでいた。自分が、激痛を感じるようなダメージを負った理由が全く理解できなかったのだ。

 切り取られたアルヴヘイトの両腕は、切断された勢いで空中をくるりくるりと舞う。そして、次の瞬間には、先の使徒達と同じようにボバッと音を立てて細切れとなり、そのまま塵も残さず消滅してしまった。

「な、なにがっ。なにが起きている!? いったい、これはっ」
「アルヴヘイト様。お下がりください。極細の糸……いえ、鎖のようなものが宙を舞っております。あれに触れると防御を無視して切断、消滅させられるようです」
「な、なんだとっ」

 そんな冗談のように強力なアーティファクトを持っていたならエヒトが見逃すはずもなく、また、それを以てエヒトと戦えばよかったはずで……だとすれば、なぜ、そんなものが今になって出てくるのか。

 アルヴヘイトの混乱は、かつてないほど深くなり、停止しかけている思考は体の硬直を招いた。二の句が継げず、まして指示、あるいは対応などできるはずもなく、ただ目を見開き、口をパクパクと動かすという、神にあるまじき無様を晒す。

 使徒の一人がアルヴヘイトを安全圏に下がらせようと更に口を開く。

「イレギュラーは、我々、使徒が。これ以上、御身に傷がつく前に――」
「ひぃっ」

 が、言い終わる前にアルヴヘイトの前で一センチ角に裁断されあっけなく消滅してしまった。【神域】で作られた自慢の“神の使徒”が瞬殺されるという異常な光景に、思わずアルヴヘイトから情けない悲鳴が上がる。

 そうこうしている間にも、使徒が総出でハジメに飛びかかり、赤い血色の竜巻に紛れて宙を奔る極細の赤い鎖に切り裂かれ、あるいは絡みつかれて、そのまま分解でもされたかのように消滅していった。

 血色の魔力を纏う直径一ミリ程の鎖――これは、ハジメが石造りの床(建築材料として特別頑丈な鉱石が使われている)を極小の連環として錬成したもので、魔力を纏わせて“遠隔操作”で操作しているものだ。

 このとき、ハジメは、圧倒的な憎悪、憤怒、あるいは虚無感からか、錬成において二つの派生技能に目覚めていた。その内の一つ、“想像構成”によって錬成に関してのみ魔法陣を必要としなくなった。それが、ハジメを押さえ込んでいた使徒達が、ハジメへの警戒を怠っていなかったにもかかわらず不意を突かれた理由でもある。

 だが、これがただの鎖であれば、アルヴヘイトに痛痒を与えたり、使徒達の分解能力すら凌駕して消滅させたりなど出来るはずがない。

 そんな反則チートをもたらした原因は……明々白々。

 概念魔法――“全ての存在を否定する”。

 ユエのいなくなったこの世界の、ありとあらゆるものに存在する価値を認めない。存在することを許しはしない。何もかも、一切合切……

――消えてしまえ

 ユエを奪われたハジメの、底無しの憤怒と憎悪、そしてそれらの感情が飽和して行き着いた圧倒的な虚無感。クリスタルキーを作り出したときの、帰郷への渇望から生まれた極限の意志とは真逆。されど、それは確かに感情の極致だった。

 効果は文字通り、 “鎖に触れたものの存在を抹消する”という凶悪という言葉でも生温い能力。昇華魔法の“対象の情報に干渉する”力を元に、そこに“存在する”という対象の情報を“存在しない”と書き換える能力なのだ。

 “覇潰”の魔力奔流に乗ってハジメの周囲を旋回する鎖は、さながら生きとし生けるものへの“呪い”を具現化したかのよう。

 恐怖を、畏怖を、絶望を振り払うかのように、雄叫びすら上げて飛びかかる使徒と魔物だったが、その気概も虚しく、一つの例外もなく、あっさりとその存在を抹消されていく。あの使徒が、為す術もなく雲散霧消していく光景の、なんと冗談じみたことか。

 謁見の間に残った使徒が全滅するのに、そう長い時間はかからなかった。

 また、生き残った魔物の何体かは、神代魔法による命令すら無視して、本能に従い逃げようとしたのだが……

 赤い光を纏う鎖が蛇のようにうねりながら飛び出し、一瞬で肉薄すると、刹那の内に彼等の身を幾重にも寸断して消し去ってしまった。

 たった一人。

 残されたアルヴヘイトが、表情を盛大に引き攣らせながらジリジリと後退る。

(いかんっ。あの力は危険だ! なんとしても我が主にお伝えせねばっ)

 アルヴヘイトが両肩の痛みに堪えながら、吹き抜けの天井からの脱出を試みる。その途中で、万が一に備えて盾とするために、倒れた状態で呆然としたままハジメを見やるシアへ、魔力と視線を向けた。ミュウにしたように、宙に磔にして運ぶつもりなのだ。

 しかし、

「……どこへ行く気だ?」
「っ……」

 その目論見はヒュンヒュンと風を切る音と地を這うような声音に潰される。目を凝らせば、アルヴヘイトとシアの間に極細の鎖が鎌イタチの如く空を切り裂きながら行き交っているのがわかった。MMC BOKIN V8

 アルヴヘイトは答えず、シアという盾を拾うことを諦めて、ハジメに火炎弾による目くらましをしながら飛び立とうとした。

 だがそれも、

「おのれっ!」

 既に天井の吹き抜けには格子状に鎖が張り巡らされており、脱出を容易ならざるものとしていた。アルヴヘイトが、にわかに高まる焦燥の感情を紛らわせるかのように悪態を吐く。

 そして、今度は愛子達の方へ視線を巡らせた。やはり人質が必要だと思ったのだろう。

 しかし、次の瞬間には、その間にもひゅるりと鎖が伸びた。アルヴヘイトが、思わずハジメに視線を向ければ、そこには、火炎弾の放たれた痕跡など何一つ無く、赤い竜巻の中央で幽鬼のように佇むハジメが、ジッと深淵の瞳を注いでいた。

 ぞわりっと、アルヴヘイトの背筋に虫が這いずった。

「ふ、ふざけるなっ。神に楯突く愚か者が! 貴様等の命など塵芥に等し――」

 恐怖を誤魔化すためか、いきなり怒声を上げて空間を波打たせたアルヴヘイト。おそらく空間に直接作用する衝撃波でも放とうとしたのだろう。エヒトには及ばないとはいえ、眷属であるならば神代級の魔法の扱いなど容易いはずだ。

 だが、混乱した頭では冷静な判断が出来なかったようだ。

 アルヴヘイトは、気勢を上げる前に、床を爆砕してでもこの空間から逃げるべきだったのだ。あるいは、自分へのダメージ覚悟で殲滅級の魔法を全方位に放ち、その隙に空間転移でもするか、未だ魔王城の外にいる魔物の何体かを召喚して時間を稼ぐべきだった。

 中途半端な神の矜持が、万に一つの生き残る道を閉ざしてしまった。

 結果。

「あ? ――ッ!!?」

 四肢を失うことになった。

 今度は両足を消滅させられたのだ。達磨となって崩れ落ちるアルヴヘイトは、声にならない絶叫を上げる。体を中途半端に消滅させられると、再生魔法の類による痛覚の遮断などが出来ないようで、この数千年の間に忘れてしまった “痛み”に発狂しそうになる。

 それでも、腐っても神というわけか。魔法で体を浮かせて死に物狂いで逃げようと試みた。

 しかし、今更、そんなことをハジメが許すはずもなく、気が付けば、アルヴヘイトは赤い光を纏う鎖の檻に閉じ込められていた。逃げ道は既にどこにもない……

 球体状の檻がその範囲を徐々に狭めていく。まるでジリジリと消滅させられる恐怖を煽るかのように。アルヴヘイトは、半ば恐慌をきたして、ニワトリのような引き攣った声音を発した。

「あ、あっ、ま、待てっ。待ってくれ! の、望みを言えっ。私がどんな望みでも叶えてやる! なんならエヒト様のもとへ取り立ててやってもいい! 私が説得すれば、エヒト様も無下にはしないはずっ。世界だっ。世界だぞ! お前にも世界を好きに出来る権利が分け与えられるのだ! だからっ!」

 謁見の間にいる全ての者達が、赤い竜巻を纏いながら虚無的な表情でゆらりゆらりと歩みを進めるハジメと、必死に交渉という名の命乞いをするアルヴヘイトを呆然と眺める。

 そんな中、おもむろに球体状の檻が回転を始めた。縦に伸びた無数の鎖が、そのまま横に移動しボールの指回しの如く回り始めたのだ。触れれば存在を否定され消滅するという能力を考えれば、特殊な掘削機と言えなくもない。

 アルヴヘイトは神であるが故に、肉体的な痛みというものは、とうの昔に忘れてしまった感覚だった。故に、四肢を切り取られてだけでも、発狂しなかった自分を褒めてやりたいくらいの絶望的な苦痛を感じていたのだ。

 だからこそ、死滅の鎖で出来た掘削機が徐々に迫り来るという事態は、頭を掻き毟り、意味もなく絶叫を上げたくなるほどの途轍もない恐怖だった。自分を脅かす存在など地上にいるはずがないっ。そう、心の内で叫んでも、忘却の彼方にあった“死の気配”はヒタヒタと確実に這い寄ってくる。アルヴヘイトの精神は、既に崩壊寸前だった。

「止せっ、止せと言っているだろう! 神の命令だぞ! 言うことを聞けぇっ。いや、待て、わかった! ならば、お前の、いや、貴方様の下僕になります! ですからっ。あの吸血鬼を取り返すお手伝いもしますからっ。止めっ、止めてくれぇ!」

 恐怖と絶望に濡れた絶叫が響く中、アルヴヘイトの身に触れる寸前で鎖の檻の回転が、不意に弱まり収縮が止まった。無様という言葉がぴたりと当てはまる有り様だったアルヴヘイトは、恐る恐る、閉じていた目を開ける。

「生きたいか?」
「え、あ?」
「生きたいかと聞いている」

 ハジメの質問に呆けていたアルヴヘイトだったが、その意味を理解したのか瞳に僅かな希望が浮かぶ。

「あ、ああ、生きたいっ。頼む! なんでもするっ」
「そうか……」

 ハジメは、コクリと頷いた。「生き延びた!」そう思って喜色を浮かべるアルヴヘイトに、ハジメは全く変わっていない瞳・・・・・・・・・・を向けて口を開いた。

「じゃあ、死ね」
「え? ひっ、止めっ、ぎぃいいいいい、ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 わざとゆっくり収縮する鎖の檻が、アルヴヘイトを身の端から削り消していく。同時に、聞くに耐えない断末魔の悲鳴が謁見の間に響き渡った。天天素
 ……数秒後、絶望と苦痛の果て、この世から一柱、神が消え去った。

 ハジメは、アルヴヘイトの末路を見届けると、その視線を吹き抜けから見える空へと向ける。そして、スッと目を細めると足元の床がたわむほど強く踏み締め、爆音を上げる魔力の波動と共に飛び出していった。

「ハジ、メさん!」
「ハジメくんっ」

 シアの苦しげな声音と香織の焦燥の滲んだ声音が響いた。

 ハジメは満身創痍という状態なのだ。ユエの細腕とはいえ腹に穴を開けられて、その上、神代級の魔法を何度もその身に受けたのだ。外傷だけでなく、内臓もまた無事な箇所の方が少ない。一刻も早く治療しなければ命に関わるのだ。

 だが、ハジメは一切を無視して虚無的な眼差しのまま、天に浮かぶ黄金の渦を目指して真っ直ぐに跳躍していく。

 黄金のゲート――【神門】を通る魔人族は残り百数十人といったところ。本当に非戦闘員も【神域】に向かうようで、ほとんどは殿しんがりを務めていると思われる兵装の魔人族だが、よく見れば女や子共、老人といった一般人らしき者達も混じっている。

「な、なんだっ」
「あれは……」

 彼等は、突然、魔王城から飛び出してきた赤い竜巻にギョッとしたような表情になった。殿の魔人族達が咄嗟に魔法を放つ。無詠唱に近い初級魔法による炎弾や氷槍、風刃だ。

 だが、そんなものが今のハジメに効くはずもなく、鎖を振るうだけで全ての攻撃をあっさり消滅させてしまった。

「こ、この止まれっ」

 数人の魔人族が立ちはだかるように前に出た。ハジメはそのまま魔人族を意識した様子もなく直進し、結果、その進路上にいた魔人族数十人は刹那の内に、回避も出来ずに細切れになって四散することになった。

 同胞が目の前で消滅するという特異な現象を目の当たりにした魔人族達が唖然とする中、彼等を置き去りにして、ハジメは【神門】へと突撃する。

 しかし、

「っ、ぁああああああああああっ!!」

 【神門】はハジメを拒むように波打つだけで【神域】への道を開かない。どれだけ雄叫びを上げようとも、どれだけ魔力を吹き荒そうとも、何度拳と鎖を振るおうとも、ハジメを通すことはなかった。

 存在否定の鎖を収束させて、ランスチャージのように体当たりを敢行するも、逆に【神門】そのものが霧散してしまって意味を成さない。

 おそらく、限定された者だけが通れるように調整してあるのだろう。

「馬鹿めっ! 選ばれし民である我ら魔人族以外が、【神域】に迎えられるわけがないだろう!」
「大人しく神罰を受けろ! 異教徒めっ」

 魔人族達がハジメ目掛けて、十分に詠唱した威力の高い魔法を放つ。

 しかし、ハジメは、そんなこと気にもならない様子で特攻を繰り返した。碌に防御すらしていないので、ハジメの背中はみるみると傷ついていく。

「ここを通せェエエえええっ!!!」

 ひたすらに絶叫を上げながら、狂ったように体当たりを続けるハジメに、魔人族達が幾分気圧されたような表情になる。だが、それも、直後の出来事によって憤怒へと変わった。

 なんと、【神門】が縮小し始めたのだ。

「おのれ、貴様のせいで門がっ」
「い、急げっ。閉じる前に飛び込むんだ!」

 魔人族達が焦ったように【神門】へ殺到する。同時に、邪魔なハジメを排除しようと怒りを湛えた表情で魔法を放った。

 特大の火炎が、ハジメの背を焼く。それでもハジメは、気にした様子もなく【神門】を破ろう死に物狂いで突貫を繰り返す。

 だが、結局突破することは敵わず、ハジメの目の前で黄金の渦は小さくなっていき、やがて、フッと消えてしまった。

「……」

 無言無表情のハジメは空中でだらんと腕を下げたまま俯いてしまった。その瞳は、やはり虚無的だ。

 そこへ、魔人族が絶望と憤怒の表情を浮かべてハジメに襲いかかった。罵詈雑言と共に無数の上級魔法がハジメを襲うが、ハジメはなんの反応もしない。当然、魔法の直撃を受けたハジメは大きく吹き飛ばされた。

 白煙を上げて落下していくハジメ。着地姿勢を取ろうという意思も見えない。

「ハジメくんっ!」

 そこへ銀翼をはためかせた香織が、ハジメの名を呼びながら飛んで来た。そして、ハジメを空中でキャッチすると、涙ぐみながら、急いで謁見の間へと降りていく。

 怒りのままハジメを追撃してきた魔人族達が、香織の姿を見た途端、希望を見つけたような表情で同じく謁見の間に降りて来た。痩身の語(第三代)

「ハジメくん、しっかりしてっ。早く魔力を抑えてっ」
「……」

 香織の焦燥の滲む言葉が響くも、ハジメは“覇潰”を解除しない。ただでさ、概念魔法の発動で莫大な魔力を消費しているのだ。その上で、限界以上の力の行使を続ければ……枯渇寸前の魔力のせいで体がどんどん衰弱していくのは自明の理だ。

 俯いたままのハジメを見て、己の言葉が届いていないと察した香織が歯噛みする。

 と、そんな香織へ、不意に声がかけられた。

「使徒様! あぁ、よかった。一時はどうなることかと」
「なんだ? 人間に亜人がいる? ……まぁ、いい。さぁ、使徒様、こいつらを皆殺しにして、早く我等が神のもとへ向かいましょう」

 ハジメが【神門】へ特攻している間に、万が一に備えて、香織からある程度の回復魔法を掛けられていたシア達が、ハジメのもとへ駆けつけようとして、魔人族達の不穏な発言にサッと身構えた。

 が、その必要はなかったようだ。

 次の瞬間には、口を開いた魔人族達が四分割され、そのまま消滅した。更に、謁見の間に降り立った兵士風の装いをした魔人族二十人が、極細の鎖によって断末魔の悲鳴を上げる暇もなく、まるで最初から存在しなかったかのように消滅していく。

 俯いたままだったハジメが、ゆらりと顔を上げる。その視線が、謁見の間に降り立った直後の惨劇に硬直している魔人族達に向けられた。

 そして、ハジメの虚無の眼差しに晒されて、思わず短い悲鳴を上げながら退避しようとした魔人族達が――やはり、問答無用に、冗談のように、細切れにされて消え去った。

 ハジメの血色の魔力と鎖が、残り七十人程となった女子供、老人を含む魔人族達を、アイアンメイデンの如き檻に閉じ込める。

 そして、

――死ね

 その一言は呟きにも等しい小さなもの。だが、魔人族達は確かにその声を、呪言を、聞き取った。

「し、使徒様! どうかお助けをっ」

 質のいい衣服を纏い、それなりの地位にあることを伺わせる魔人族の老人が、おそらく夫婦なのだろう、上品な装いの老女を背に庇いながら、香織へ必死の声音で助けを求める。

 香織が、戸惑ったようにハジメに視線を向けようとした、その直後、

「いやぁあああああっ!!」

 女性の悲鳴が上がった。ハッとしたように、香織達が視線を向ければ、香織に助けを求めた老人の魔人族が首を綺麗に寸断されていた。くるくると宙を舞うものは、言わずもがな。それもまた、地に落ちる前に細切れとなって消えてしまう。

「ハ、ハジメくん!?」

 香織が驚愕と動揺を綯交ぜにした声音で制止するが、その間に、悲鳴を上げていた老女の悲鳴が消えた。その存在とともに。

 更に、隣にいた妙齢の女が、怯えた表情の少年が、反撃しようとした青年が、まるで見せつけるかのように一人、また一人と細切れになって消えていく。魔人族達の阿鼻叫喚が響き渡った。

 明らかに非戦闘員と分かる魔人族すら、皆殺しにするつもりであるハジメに、その場の誰もが目を見開いて動けない。

「こ、降伏する! だから、もう止めてくれっ。せめて子供だけはっ」

 父親と思われる男が子供を背中に庇いながら降伏宣言をした。

 謁見の間には既に三十人程の魔人族しか残っていない。その全員が、男の宣言に合わせて両膝を付き両手を頭の後ろに組んだ。

 残っている者はみな、兵士には見えない。子供を含んだ一般人のようだ。狂信の気はあっても、子供の命が掛かっているとなれば無駄な特攻も出来ないのだろう。あるいは、単にハジメの虚無に対する恐怖が狂信を吹き飛ばしたのかもしれない。

 そうして、全員が跪いた直後、降伏宣言した男の近くにいた初老の男が、見せつけるかのように、縦に割断され霧散した。

「!? な、なぜ……」

 誰かの疑問の声が上がる。更に、その隣の女――割断された男のいた場所を呆然と見やる妻らしき女が縦に割れた。

 降伏宣言などで、ハジメは止まらなかった。

 当然だった。ハジメが現在発現している感情の極致――それは“全ての存在を否定する”なのだ。K-Y Jelly潤滑剤

 今のハジメにとって、少なくとも本人が意識するところでは、この世界のものは全て等しく価値がない。捕虜にする意味どころか、その存在そのものが無価値であり、むしろ、いるだけで目障りなのだ。

 余りに容赦のない、されど一切の感情がないように見えるハジメの姿に、その有り様に、魔人族達が震え上がって、絶望を表情に浮かべたままへたり込む。

 ハジメの視線が、先程降伏宣言した男の隣、震える子供に向けられた。それに気がついた男が咄嗟に少年を腕の中に庇う。

 シアが、香織が、雫が、ティオが、愛子が、リリアーナが、咄嗟にハジメを止めようとした。

 が、その誰よりも早く、動いていた者がいた。

「パパっ、ダメなの! いつものパパに戻って!」

 ミュウだった。

 いつの間にか、抱き合う父子とハジメの間に割って入っていたのだ。そして、両手を広げて立ちはだかり、目の端に涙を浮かべながらも真っ直ぐな眼差しでハジメを見つめている。

「……どけ」

 感情を感じさせない声音がミュウを打つ。ミュウは、ビクリと体を震えさせる。今まで一度も向けられたことのないハジメの冷たい声。そして、表情。ショックで、そのままへたり込みそうになる。

 だが、ダメなのだ。大好きなパパの娘として、ここは引けないのだ。こんな悲しいパパ・・・・・を放っておくことなど、絶対に出来ないのだ!

 故に、ミュウは、その瞳をキッと釣り上げ、口元に笑みを浮かべた。本人は、強敵を前にしたハジメの、ギラギラした眼と不敵な笑みを浮かべる口元を真似たつもりなのだが、涙目の目元と、半端に釣り上がって歪んだ口元では不格好なだけだった。

 それでも、それがいったい誰を真似た表情なのか、ミュウの行動に機先を制され硬直していたシア達にはよくわかった。絶体絶命を前にしても不倒不屈を示す表情。今の、ミュウの表情を笑える者など誰もいない。むしろ、その気迫に息を呑むほどだ。

「どかないの! い、今のパパなら、ミ、ミュウは絶対に負けないの! だって、だって」
「……」

 必死に言葉を紡ぐミュウ。庇われている魔人族達も、まるで物語に出てくる勇者の如く、恐るべき化け物に挑む小さな女の子に固唾を飲んでいる。

「ミュウのパパは、こんなに格好悪くないの! もっともっと格好良いの! そんな眼はしないの! もっと強い眼なの!」

 ミュウは、怖かった。ハジメのことが、ではない。このまま、あんな空っぽの瞳をしたまま暴れ続ければ、ハジメがどこか取り返しのつかない遠くへ行ってしまうような気がして。もう二度と、大好きなパパは帰って来ない気がして。

 もちろん、単純に、無抵抗の魔人族が殺されていく光景が耐え難かったというのもある。だが、やはり一番は、そういうことなのだ。

 アルヴヘイトですら直視を忌避したハジメの虚無的な瞳を、真っ直ぐ正面から睨み返すミュウ。今の今までピクリとも反応しなかったハジメの表情が、僅かにしかめられた。

「……三度目はない。ど――」

 それでも、何もかも消し去ってしまいたいという極限の感情が、ミュウに冷たい言葉を放つ。

 しかし、今回は、最後まで言い切ることが出来なかった。

「ハジメくん。ちょっと、歯を食いしばってね」
「――ッ」

 ドゴッ! という衝撃音と共に、ハジメの顔面が殴打されたからだ。凄まじい威力に体が宙に浮き、ついで床に叩きつけられる。

 そんなハジメに、拳を突き出していたのは、傍らにいた香織だった。使徒の膂力をもって全力のストレートを放ったのだ。ハジメでなければ頭部が弾け飛んでいるところである。

 見事に顎を捉えられた衝撃に、蓄積したダメージと、とうの昔に超えた限界、そして現在進行形で衰弱していっている肉体が合わさって、さしものハジメも直ぐに起き上がることが出来なかった。

 そんなハジメに、香織が怒りを湛えた表情で口を開いた。

「いい加減、目を覚ましてよ、ハジメくん。いつまでそんな無様を晒している気なの?」
「っ……」
「ミュウちゃんに――自分の娘に八つ当たりだなんて、最低に格好悪いよ。今のハジメくんを見たら、ユエはなんて言うかな? あぁ、でも、ユエを諦めたハジメくんには関係ないかな」

 香織の矢のような言葉に、虚無を湛えたハジメの眼が見開かれた。その眼は、ユエを諦めたという言葉に対する漠然とした反抗の光が宿っていた。

 そんなハジメの内心を正確に読み取った香織は、更に言葉を紡ぐ。

「“何もかも消えちまえ”だっけ? 聞こえていたよ。ユエのいない世界なんて、なんの価値もないと思ったのかな? それって、もう二度とユエとは会えないことが前提だよね? ユエを取り返すことを諦めちゃったってことだよね?」
「……」

 ハジメの周囲で吹き荒れる赤い竜巻が少しずつ勢いを減じていく。正気を取り戻していくように瞳に光が戻り始めると同時に、血色の魔力も、徐々に鮮やかさを取り戻していく。

「私は、ユエを助けるよ。必ず、絶対に取り戻す。……ハジメくんは、どうするの? 戦えない人を一人一人処刑するなんて、そんな無駄な時間を過ごしていていいの? 本当に諦めたの? 諦められるの?」
「……そんなわけないだろう」

 香織が放った言葉の矢は、確かにハジメの濁った精神に突き刺さり、浄化するように波紋を広げた。飽和して、暴走状態となっていた感情が理性を取り戻していく。levitra