ラースプンの燃え盛る鉄拳が岩の大盾ごと粉砕し、フィオナの体を彼方へと吹き飛ばす。
リリィは、宙を舞うフィオナの体をクロノが受け止めたのを視界の端で確認した。
その美味しい状況に今すぐ文句の一つでもつけたくなるが、それを目の前に立ちはだかる真紅のモンスターは許さない。巨根
彼女の宝玉のようなエメラルドの瞳と、呪われたアイテムのように禍々しい赤と黒の瞳が交差する。
再びターゲットが自分へ戻ってきたと、リリィはただそれだけで理解した。
「だあっ!!」
放つのは爆発力重視の光球、連続的な爆音を響かせて次々とモンスターの巨体にヒットするが、その歩みが鈍ることは無い。
光と音の洪水を潜り抜け、怒りに燃えるラースプンは両腕を突き出しリリィに迫る。
すんでのところで空中に回避。
天馬騎士ペガサスナイトを翻弄するほどに空を自由自在に飛べるリリィだが、至近距離で攻撃を当てなければ僅かほどもラースプンの動きを止めることすら出来ないため、空中機動のアドバンテージは著しく低い。
それでも、両足で地を駆けることしか出来ないクロノに比べれば、いざとなれば空中へ逃げることの出来るリリィはかなりマシな方だろう。
だがしかし、その有利を得られるのも僅かな時間しか残されていない。
(拙い、もう限界時間を超える……)
現在のリリィは『紅水晶球クイーンベリル』の魔力を引き出して本来の姿を取り戻している。
実は『生命吸収ライフドレイン』を刻んだ竜皮紙の巻物スクロールが残っているのだが、それを行使する僅かな隙をこのモンスターが許してくれることは無い。
故に、任意で発動可能な『紅水晶球クイーンベリル』を使うしか、この場において本来の姿に戻る方法は無いのだ。
そして、『紅水晶球クイーンベリル』による能力発動も限界が近づいてくるのをリリィはその身で持って理解している。
効果時間は30分、とクロノには説明してあるが、効果を持続させるだけならもう少し伸ばすことも可能だ。
つまり、きっかり30分で効果を喪失し、強制的に子供の姿に戻されるわけではない。
30分前後の時間が過ぎると、『紅水晶球クイーンベリル』から流れ込む魔力に肉体が耐えられなくなり、疲労感に似た症状が出始める。
『紅水晶球クイーンベリル』の行使は、いわば自分が持てる最大限のペースで走り続けているような感覚に近い。
ある程度の時間なら問題ないが、一定時間を過ぎると負担がかかりすぎる。
「はっ……はっ……」
宙を飛び回り、ラースプンの攻撃を掻い潜りながらレーザーや光球を喰らわせるリリィの息が上がってきたのは、つまりそういう理由による。
(ダメ、まだ子供に戻るわけにはいかない)
肉体の負担が増大してくるのをはっきり感じ取りながらも、リリィは『紅水晶球クイーンベリル』の行使を続ける。
この強力なモンスター相手に子供状態で挑むのは危険すぎる、出来るならば確実に攻撃を回避することが出来る今の内に戦闘を終わらせたい。
(何か手があるの、クロノ――)
見れば、クロノとフィオナは即座に戦線復帰せず、二人の姿を覆い隠すように岩の壁が出現している。
これだけ見れば、仲間の一人を犠牲に逃走を図ったと思える状況だ。
メンバーを見捨てるなど、冒険者稼業ではよくある話。
普段は仲良くしていても、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれれば、人と言うのはあっさり裏切るものである。
だからこそ、土壇場でも互いを信じて協力しあい、最後の最後まで全力で戦いぬける者たちこそが一流の冒険者パーティと呼ばれるようになるのだ。
そしてそれは、ランクは未だ2であるものの、自分たちも同じであるとリリィは信じている。
生まれてから30年以上の間、誰かを信じることなど一度も無かったリリィだが、今は全幅の信頼というものをクロノに寄せている。
ついでに、打算的にメンバーに引き入れたフィオナのことも、実は少しだけ信頼しているのだった。
(けど、何か仕掛けるなら早くして、私一人じゃ、もうもたない――)
加速度的に肉体を支配し始める魔力の負担。
先の見えない暗闇を延々と走り続けている時に感じるような疲労感が、リリィの小さな体に重く圧し掛かってくる。
「はっ……はぁ……」
それは、一瞬、本当に僅かだが、確かな隙を生んだ。
「――くあっ!?」
まるで瞬間移動でもしたかのような、超高速で踏み込んできたラースプンの動きに、息の上がったリリィは対処できない。
気づいた時にはもう遅い、緑に輝く妖精結界オラクルフィールドごと、巨大な二つの手のひらで掴まれてしまっていた。
「くっ、離せっ!」
普通なら妖精結界オラクルフィールドに触れた敵は、光の高熱によって焼き尽くされる。
だが、この凄まじい炎熱耐性を誇るラースプンには、手のひらの薄皮一枚を焦がすことも出来ない。
高熱のダメージを負わないのをいいことに、ラースプンは力任せにリリィの身を守る結界を押しつぶそうと両腕に尋常じゃない力が篭められる。
「ぐ、あっ――」
ミシミシと音が聞こえそうなほど強烈な圧迫が加えられ、妖精結界オラクルフィールドが激しく明滅する。
「――『光刃フォースエッジ』!」
遠距離攻撃型のリリィにとってあまり出番の無い近接攻撃に特化した『光刃フォースエッジ』を発動するしかこの状態では反撃手段が残っていない。
多少頑丈な程度の相手であれば、二本の光の刃がその高熱でもってバラバラに焼き切ることを可能にする。
だがしかし、やはりラースプンとの相性は最悪。
結界を掴む手のひらの下から直接『光刃フォースエッジ』を叩きつけるが、噴出す水流を押さえつけるかのように光の粒子が指の間から漏れゆくだけで、その手を、指を、切り裂くには至らない。
(ダメ、逃げられないっ!)
全力で展開する妖精結界オラクルフィールドだが、光の防御を押し退けて、僅かだが、確かに敵の侵攻を許す。狼1号
内から外へ向かって猛烈に光の原色魔力を噴射して押し返そうとするが、結界を突き破ってラースプンの右手の指先が少しずつリリィの体へと近づいてゆく。
そして、ついにその凶悪な指先はリリィの身へと到達する。
「あっ――」
妖精のトレードマークと呼べる虹色に輝く2対の羽、その大きい上側の羽の先端を掴まれる。
次の瞬間、指先は力ずくで強引に羽先を引き裂き始めた。
捕らえた蝶の羽を毟る子供のように、残酷に、一切の容赦なく、その美しく光り輝く羽が引き千切られる。
「ぎゃぁあああああああああああああああ!!」
無情にも、掴まれた左上羽はあっさりと半ばから千切りとられる。
その生きながらにして身体の一部を毟られる強烈な痛みとおぞましい感覚に、リリィは絶世とつくほどの美貌を歪めて泣き叫ぶ。
だが、それでもリリィは妖精結界オラクルフィールドを維持し続け、その身を守り続ける。
涙を浮かべながらも、歯を食いしばり、この先何秒持つか分からなくとも最期の瞬間まで諦めない。
(クロノが、助けてくれるっ)
なぜなら、彼女は信じているから。
(クロノは絶対、私を助けてくれるっ!)
そして、リリィが信じるのは、救いの手を差し伸べることのない非情な神では無い。
共に生き、共に戦った、唯一無二の相棒、最愛の人。
だからこそ、
「リリィを離しやがれぇえええええええええええええ!!」
彼女は救われる。
他でもない、人の手によって。
(ほらね、やっぱりクロノは来てくれた)
生贄の乙女
真紅の巨躯に、その動きを止めんと無数の黒い触手が絡みつく。
だが、モンスターにとってその程度の拘束は無いも同然、非力な人間の力で止められるはずもない。
「リリィ!」
次々に触手を破られながら、クロノが最も長い付き合いの相棒の名を呼ぶ。
返事は無い、代わりに返って来るのは無数の白い光の球。
ラースプンの巨体に殺到するリリィの攻撃は、すぐ近くで『影触手アンカーハンド』を行使するクロノすらその激しい爆風に巻き込む。
まして着弾点である赤い肉体で発生する爆発力と衝撃は相当のもの。
だが、それでも生身でありながら鋼の防御力を発揮するラースプンにダメージはほとんど通らない、その金属質の巨躯を少しばかり揺するだけに留まる。
クロノとリリィが協力して、ようやく僅かに行動を止めるに至る。
それでも、今はこれでいい、一瞬でも動きを止めることができるだけでいいのだ。
(やれ、フィオナ)
クロノの心の中の呼びかけが聞こえているかのように、
「تجميد المجمد رمي الرمح الجليد عصا حادة――」
フィオナの詠唱はジャストのタイミングで終えた。
「――『氷結槍アイズ・クリスサギタ』」
完成した氷の中級攻撃魔法、だが、フィオナが本気で行使すればその威力は上級に届く。
彼女の愛杖である『アインズ・ブルーム』を一振りすれば、触れる物全てを凍らせる冷気を纏う長大な氷の槍が撃ち出される。
その矛先は無論、クロノの拘束とリリィの爆撃によって身動きを止めたラースプン。
全高6メートル、全長に至っては10メートルもある巨大な的、外すわけがない、いや、例え相手が人型であってもフィオナが狙いを外すことは無かっただろう。
そうして、寸分の狂い無くターゲットに向かう氷の槍、その穂先が真紅の巨躯に到達しようという瞬間、右手の宝玉が激しく明滅した。
「ぐぁああああ!」
吹き荒ぶ冷気と熱気は僅か数メートルの距離に立つクロノを容赦なく襲う。
冷たいやら熱いやら、二つの対極の痛みを感じつつ、炸裂した「『氷結槍アイズ・クリスサギタ』」の余波を受けて二転三転しながら吹き飛ぶ。
両手両足を獣のように地に着けながらふんばり体勢を立て直し、すぐに視線を相手へ向けなおす。
そこには、濛々と立ちこめる白煙のような水蒸気の靄に包まれて、先と変わらずに赤い巨体で立つラースプンの堂々たる姿があった。
「くそ、これもダメか……」
吹き荒ぶ嵐のような攻防が続く中、ハンマーのような拳をついに避け損なう。
クリティカルヒットしなかっただけマシ、とはちょっと思えないほどの衝撃で吹き飛ばされる。
風に翻弄される木の葉のように宙を舞う俺の体は、空き地を抜けて森の木々にぶち当たってようやく止まった。
「う、ぐ……痛って……」
飛び掛けた意識をどうにか繋ぎとめる。
凄い勢いで大木の幹に背中から衝突したのだ、普通の人間だったら背骨がバッキリいってるだろう。
頑丈な肉体のお陰で、即死することも半身不随になることもなく、再び立ち上がることができるがダメージはゼロではない。
ちらつく視界と震える両足、これくらいはまだ気合でどうにかなる。
問題なのは俺の体力よりも、現在の戦況だ。
「万事休す、とはこのことか……」
ラースプンがメタル化してから、すぐに作戦を変更した。
俺の刃ではダメージを与えられないことは明白、ならば別の攻撃手段をとるしかない。
攻撃の要はフィオナ、光と闇以外は全ての原色魔力を扱える、今のところ最も‘エレメントマスター’に近い魔女。三體牛鞭
ヤツが炎熱、打撃、斬撃、に対して高い耐性を有している以上は、もう別の属性で責めるしか手は残されてない。
敵の動きを止めるため、前衛には俺だけでなくリリィも投入、二人で連携して何度か攻撃のチャンスを作ってきた。
しかし、頼みの綱である、弱点属性の可能性が最も高い氷の攻撃魔法も通用しなかったことで、作戦の失敗は決定的となった。
モンスターもランク5ともなれば、上級の威力でも効かないってことか、全く、地力の差が激しすぎる。
「くそっ、これ以上どうしろってんだ」
取り出した回復系ポーションを一気に飲み干し、再び両足に力を篭める。
前衛である俺がいなくなれば、リリィとフィオナが危ない、策など無くても行かねばならない。
ラースプンの能力から見て、逃走も許してはくれないだろう、恐らく村まで逃げ込んだとしても追いかけてくるに違い無い。
ならば、どうしてもこの場で倒すより他に無い、だがその方法が無い。
それでも、いつまでも場外でのんびりしてるわけにはいかない、打開策は戦いながら考えればいい。
まだ体力は持つ、魔力もある、何か方法があるはずだ。
必死で頭を回しつつ、刃こぼれしかけた『呪怨鉈「腹裂」』を手に、俺は再び戦場へ舞い戻る。
「『魔弾バレットアーツ』!」
見れば、ラースプンは蝶々を追いかけるが如くリリィに襲い掛かっていた。
弾丸が通じないなど百も承知、だが注意を引く事くらいはできる――はずなのだが、全くこっちを向こうとしない。
いや、追いかけているはずのリリィすら、ヤツは見ていない。
「拙いっ!」
ヤツの狙いを直感的に察する。
俺の方には向かない、リリィは捕まらない、ならば、距離はあるがほとんど動くことが無いフィオナ、間違いない、アイツはこの瞬間にターゲットを彼女に絞った。
せめて『影触手アンカーハンド』が届く距離に俺がいられれば、リリィの援護射撃と共にラースプンの動きを阻止できただろう。
だが、この距離はどうにも間に合いそうに無い!
「逃げろフィオナ!」
叫ぶと同時に、ラースプンもフィオナも動く。
彼女はこれまでソロで冒険者活動をしてきた実績がある、前衛がいなければどうにもならないステレオタイプな魔術士とは一線を画す能力を誇っている。
迫る相手から逃れる為に速度強化の武技『疾駆エア・ウォーカー』を熟練の剣士のように行使するのだ。
しかし、今回ばかりは相手が悪い、ラースプンの移動速度は武技をもってしても振り切れるモノでは無い。
俺とリリィが弾丸とレーザーを必死に浴びせかけるが、ラースプンはその巨躯が霞むほどの勢いで猛然とフィオナへと迫った。
1秒ごとに確実に距離はつまり、ついにあの灼熱の右腕が届く間合いにまで詰め寄っている。
火炎を纏い振りかぶるモンスターの豪腕と、長杖を振り上げる魔女の細腕。
地にクレーターを穿つ威力の鉄拳が到達するギリギリのところで、フィオナの防御魔法は発動した。
両者の間に形成される岩の大盾、ミノタウスル・ゾンビを難なく幽閉したその強固な岩壁はしかし、ラースプンの拳には耐えられない。
弾ける岩石の破片と同時に、フィオナの体も衝撃で吹き飛んでゆく。
「フィオナっ!」
幸いにも、飛んでくる方向は俺と同じ側にある、これなら受け止めることができる。
全力で駆けぬけて、宙を舞うフィオナに向かう――あと少し、届けっ!
衝突の威力を相殺し、無事に彼女の体を抱きとめることに成功する。
ギリギリだった、もし間に合わなかったら、さっきの俺と同じように森の木々へ激突するところだった。
「しっかりしろ、大丈夫か!」
「ん……大丈夫、です」
良かった、体は無事なようだし意識もハッキリしてる。
「行くぞ、ゆっくりしてるとリリィがヤバい」
見れば、ラースプンは背後からレーザーを浴びせかけるリリィを再びターゲットにし、またしても追いかけっこを始めている。
空を飛べるリリィが簡単に捕まることはないだろうが、もうすぐ30分を過ぎる、いつ幼女状態に戻ってもおかしくない。
三人揃っていれば、メインで攻撃を担当しないために幼女リリィでも足止めの役の前衛は引き続き果たせるだろうが、一対一の状況に一瞬でもなってしまえば、あっさり捕まる可能性が高い。
幼女リリィは空を飛べないのだから。
「待ってください」
戦線復帰しようと一歩を踏み出した瞬間、フィオナがボロボロになったローブの裾をつかんで俺の動きを止めた。
「なんだ?」
「倒す方法を思いつきました」
いつもと変わらぬ表情で「お腹が空きました」と言い放つような何気ない口調で、そうフィオナは口にした。
「本当か!?」
はい、と肯定。
当然か、この土壇場で嘘なんてつけるはずがない。
「どうすればいい?」
「私を斬って下さい」
「は?」
意味が分からなかった。男宝
それはもう全く、これっぽっちも。
これまでフィオナの天然気味な発言には色々と振り回されてきた気がするが、今回ばかりは冗談としても笑えない。
だが、しかし、いくらフィオナでも伊達や酔狂でこんなことを言い出すとは思えない。
「どういう、意味だ?」
すぐに答えは返ってこない、代わりに、
「صخرة على نطاق واسع لمنع الجدار――『岩石防壁テラ・ウォルデファン』」
防御魔法を発動、大きな岩の壁が俺たちを覆い隠すように出現する。
「そのままの意味です、クロノさんの鉈で、私を斬ってください――」
そこで言葉を区切ると、フィオナはその場で、つまり俺の目の前で、魔女のトレードマークである漆黒のローブを脱ぎ捨てた。
止める間もない、一瞬の出来事だった。
命を賭けた死闘の真っ最中、突如として露わになる乙女の白い柔肌に、一瞬、俺は夢でも見ているのでは無いかと錯覚する。
それほど現実感の無い光景、だが、ローブを脱ぎ捨て下着のみになったフィオナの姿に、恐ろしく背徳的な美しさを感じる。
魔女は下着まで黒なんだな、なんて馬鹿な感想が浮かぶ。
「――そうすれば‘進化’するはずです」
その言葉で、彼女の言わんとしている事が全て理解できた。
同時に、ぶっ飛びかけた理性も無事に頭の中に舞い戻ってきてくれる。
「『呪怨鉈「腹裂」』を、フィオナの血を吸わせて進化させる……そういうことか」
「はい」
今の『呪怨鉈「腹裂」』では、あのメタル化した赤い毛皮には僅かに傷をつけることしか出来ない。
だが、ここでさらに一段階進化を遂げて威力が上がれば、確かにあの防御を切り裂くことが出来るかもしれない。
「けど――」
「ギリギリ死なない程度に手加減して斬ってください」
そういう問題じゃない。
「いや、そもそも、本当に進化するのか?」
アルザスの戦い以後、その兆候はある。
だが、ここ最近の冒険者生活を通じて、それなりの数のモンスターを屠って血を吸わせてきたが、未だ進化するに至らない。
それを、こう言っちゃ悪いが人一人を斬ったところで、本当に進化するのか?
「知りませんかクロノさん、生贄は処女の娘が最も高い効果をもたらすのですよ」
「は?」
「まして、高い魔力を持つ私なら、尚更です」
どこまでも真剣に、フィオナは言った。
鉈を握る右手が、滲んだ汗で滑り落ちそうになる。
「本気か、フィオナ」
「はい、私の身体、クロノさんに捧げます」
その言葉は、是非とも別なシチュエーションで聞きたかったな。
「時間がありませんし、倒す手段もこれしかありません、さぁ、早く」
そして、フィオナは無防備な白い背中を俺へと向ける。
染み一つ無い綺麗な乙女の柔肌、これに、俺が自分の手で傷をつけることに、恐ろしい抵抗感が湧き上がる。
気づけば、敵とみれば人間相手でも斬るのに抵抗なんて無くなっていた俺だが、今は始めて殺人の禁忌を犯そうとするかの如く、心臓の鼓動が高鳴り、手も震えてくる。
けれど、今の俺には躊躇する僅かな時間すら許されない。
この壁一枚向こうでは、リリィが一人で戦っている。
フィオナは自身の身体を投げ打つ覚悟を決めている。
なら俺も、やるしかないだろう。
これでも俺は『エレメントマスター』のリーダーなのだから。
「すまないフィオナ……ありがとう」
かくて刃は振り下ろされる。
エレメントマスターVSラースプン
闇が支配する夜の時間、だがゴブリンの切り開いたこの空き地においては真昼の如き明るさが戻っていた。
黒髪と大岩の牢獄に閉じ込められたモンスターの真上に、リリィ渾身の『星墜メテオストライク』が炸裂したのだ。
これまで命中すれば確実に敵を葬ってきた必殺の一撃、だが、
「おいおい――」
クロノは見た、頭上より迫り来る虹色の隕石を前に、モンスターが己の拳一つで迎撃するのを。
『星墜メテオストライク』が発動し、虚空に白い光の魔法陣が描かれるのと同時、モンスターは左よりも一回り太いアンバランスな大きさを誇る右腕に自由を取り戻していた。
何てことは無い、ただ力ずくで黒髪の拘束を引き千切り、動きを抑える岩の牢を吹き飛した、それだけのことである。
その時点で、宇宙から直接隕石でも呼んでいるのではないかと思えるような勢いで、魔法陣から光の塊が撃ち出されていた。
モンスターは真上を睨み、その巨大な右拳を握って弓を引くように大きく腕を振りかぶる。
右手の甲に輝く『紅水晶球クイーンベリル』の如き真紅の宝玉が輝くと、そこから紅蓮の炎が生まれ右腕全てを包んでいく。漢方蟻力神
そうして燃え盛る炎を纏った右腕は、天より迫る隕石を迎撃するミサイルのように正面からぶつかる。
衝突、虹色の輝きと真紅の煌きが光の奔流となって辺り一帯に荒れ狂う。
そのインパクトの瞬間を目にしたクロノは、その直後に眩い光のために視界を閉ざす。
だが『星墜メテオストライク』に真っ向から炎の拳を叩き込むモンスターの姿はあまりに力強い。
そして一瞬の内に光の洪水は収まり、再び『灯火トーチ』の輝きだけが周囲を照らす闇夜が戻ってくる。
「本当に『星墜メテオストライク』を防いだぞ……」
視線の先には、直径数十メートルのクレーターの中心に、全ての拘束から解き放たれたモンスターの五体満足な姿があった。
「くそっ、コイツはマジでヤバそうだな、流石は神の試練ってところか」
そう愚痴をこぼしつつも、今更後戻りすることなど出来ない。
クロノはパーティメンバーであるリリィとフィオナと共に空き地へと躍り出る、その場所はちょうど、幹部候補生とメイドを庇うような立ち位置であった。
「あ、お前は……」
クロノ達の姿に真っ先に反応したのは、長身の、といってもクロノよりは僅かに小さいが、幹部候補生の少年だった。
酷く驚いた様子、まぁこの状況を考えれば驚かないほうが不自然だ、クロノはそう考え、必要な事だけを手短に伝えることにする。
「おい、このモンスターは俺たちが引き受ける、あんた達は早く逃げろ!」
切羽詰った緊急事態のため、クロノは初対面の相手だが敬語を使うのを止めて強い口調で訴えかけた。
「え、あ、しかし――」
見ず知らずの冒険者に、このとんでもなく強力なモンスターの相手を押し付けることに抵抗感があるのか、はっきりと解答しない男子生徒。
「ありがとうございます!」
だが、彼の護衛メイドはこんな場面でも冷静に判断を下せるようだ。
彼女はさっさと主をかついで、礼の一言を残すと今にもその場を去らんとクロノたちにエプロンドレスの背を向けた。
そして、クロノはそんな彼女を止めるつもりはない、むしろ逃げてくれなければ困るのだから。
「アイツはランク5モンスターのラースプンだ! 倒そうなんて考えず君たちも早く逃げるんだぁああああ!!」
メイドに抱えられて去ってゆきながら、そんな台詞を男子生徒は絶叫していた。
その心遣いに、思わずクロノは微笑みを浮かべてしまう。
「ラースプンなんて言うのか、プンプンの進化系かな?」
その割には凶悪すぎる進化を遂げたものだと呑気なことを考えながら、クロノはランク5モンスターに向き直る。
「ごめんなさいクロノ、仕留め切れなかったわ」
右隣から謝罪の声をかけるのは、すでに少女の姿へ戻り淡いグリーンの『妖精結界オラクルフィールド』に身を包むリリィ。
「いや、アイツは炎を使ってた、熱に対して高い耐性を持ってるんだ、相性が悪かった」
モンスターは自身が炎や雷などの属性を操る場合、ほぼ確実にその属性に対して高い耐性を持っている。
このラースプンと呼ばれるモンスターも例に漏れない、むしろランク5であるならば、ほぼ無効化に近いほどの耐性を誇るはずだ。
「それなら私とも相性が悪いですね」
左隣からは、四方百里を焦土に変える炎の暴走魔女フィオナの声。
確かに、『星墜メテオストライク』でも四肢の一つも吹き飛ばないほど耐えて見せたのだ、相性の関係で『黄金太陽オール・ソレイユ』でも倒せなかったに違い無い。
「炎熱に耐性を持つモンスター相手だと大きく遅れをとるな、ウチのパーティの弱点発見だな」
と言っても、それを今すぐ改善できるはずも無い。
「仕方無い、俺が切り伏せるしかないな、リリィとフィオナは援護に徹してくれ」
了解の言葉がクロノの両耳にそれぞれ違った声音で届いた。
その手には、すでに相棒たる『呪怨鉈「腹裂」』が握られ、背後には十本の黒化剣が翼を広げるように展開されている。
「行くぞ――」
クロノが真っ直ぐ駆け出すと同時、ラースプンは赤毛を逆立たせ、再びガラハド山中に木霊する凶悪な咆哮をあげた。
耳をつんざく咆哮を轟かせ、怒り状態となったラースプンには、ほとんど『星墜メテオストライク』のダメージが堪えていない様に思える。
『星墜メテオストライク』の主なダメージソースとなる光の高熱がほとんど無効化されてしまったため、体に通ったのは爆発の衝撃のみ。
ただの人間なら、いや、例えミノタウルスだったとしても爆発の威力だけで四散五裂するところだが、このラースプンはパワータイプのモンスターに共通する衝撃に対する耐性もかなり高いレベルで持ちえているということが、この元気な姿を見れば即座に理解できた。
(けど、斬撃ならどうだ)
モンスターと言っても万能では無い、強いところがあれば弱いところもある。
ラースプンの見た目は厚い毛皮に覆われた熊とゴリラを足したような、いわば魔獣と呼ぶべき姿だ。
その毛皮と筋肉は衝撃や打撃には強い耐性を持つが、鋭い刃による斬撃は、モンスターのセオリーからいけば有効なはず。
逆に肉の身体を持たない骨だけのスケルトンや硬い鱗や甲羅を持つモンスターは、打撃が有効で斬撃は効き難い、というようになる。
クロノはこれまであらゆる敵を切り裂いてきた『呪怨鉈「腹裂」』ならば、このランク5のモンスターだろうと、その肉体を断つことができると信じて斬りかかる。
だが、対するラースプンはそうして駆けるクロノを黙って待っていることなどしない。
未だ両者の間合いが重ならない距離、だがラースプンは右腕を振りかぶると、その手のひらに再び火炎が収束し始める。
(火球を飛ばせるのか!?)
それはまるで炎の攻撃魔法のように、大きな火球を手のひらの上で形成された。
そして、クロノがモンスターの巨体へ肉薄する前に、炎の豪腕が振るわれ弾丸の如き速度で火球が放たれる。
「――黒盾シールド!」
黒い繊維が折り重なるように防御魔法が形成される。
その大きさはクロノの膝から頭の上までを覆う長方形、目前に迫る直径1メートルほどの火球を前に、その黒い盾はあまりに頼りなく見えた。
それはきっと、ラースプンも同じ。VVK
着弾、爆発、黒煙と熱波が吹き荒れると、鋭い牙が並んだ口元は邪悪な笑みで歪められた。
2015年5月15日星期五
2015年5月13日星期三
ガラハド要塞
冥暗の月11日。スパーダ軍第四隊『グラディエイター』の第一陣は、無事にガラハド要塞へと到着した。
整えられた山道ではあるが、降り積もった雪に加えてキツい傾斜が続く中々の難所だったが、トラブルも脱落者もなく、つつがなく予定通りの日程を終えた。
俺としては、一度は通ったはずの道なのに、全く見覚えがないことに少しばかりのショックを受けたくらい。無論、それはガラハド・スパーダ間の道だけでなく、この圧倒的な大要塞の威容もである。巨根
「ガラハド要塞って、こんなデカかったんだな……」
目の前にそびえ建つのは、ただひたすらに巨大な壁。ガラハドの大城壁、と呼ばれるソレは、歴史を知らずとも、何者もこれを超えることは叶わなかっただろうと見る者に思わせてならない。
実際に歴史を知る者ならば、もっと驚くべき代物でもあるが。
実はこの大城壁、古代遺跡を利用して建設されたものだという。元々は、正門となっている巨大な鋼鉄の門と、そこから広がる崩れかけの壁が数十メートルに渡って伸びているというだけの、遺跡というより、ただの廃墟と言った方が適切な有様だった。しかし、残骸であっても古代のテクノロジーで作られた扉と壁は強固で、この立地もあってそのまま利用しようと、遥か昔の初代スパーダ王は判断したのだ。
そうして長い年月の中、少しずつ、だが着実に要塞は拡大・強化されてゆき、今の超巨大な城壁の完成まで至ったというわけである。
そんな歴史ある大要塞が建設された場所は、奇跡的に開かれた山間の切れ目。その一点だけ標高が低くなだらかで、そのすぐ両脇から、断崖絶壁となって二つの岩山が突き出ている。山の中というより、巨大な谷間のような印象を受ける。
もしかすれば、この奇妙な地形も、古代に造成されたのかもしれない。
そしてガラハドの大城壁は、およそ一キロの幅を持つ谷底を、端から端まで完全に封鎖しているのだ。
その高さは約五十メートル。精密に組まれた垂直の石壁は、攻めるダイダロス側からだとダムにしか見えないだろう。
一方、俺の立つスパーダ側からだと、その巨大城壁に見合った大きさの砦が建っているのが見える。箱のような四角形で、四隅に防御塔を備えているのは、イスキア古城と同じ造りだ。ただし、その大きさは桁違い、倍くらいに見える。
違うのは大きさだけではない。デカい分だけ壁面装甲が厚くなっているのに加え、建物全てを覆う広域結界による魔法防御力も備えているのだ。
砦が単体でも高い防御力を発揮するが、この天に向かってそびえ立つ摩天楼のような四本の防御塔は、さらなる守りの力をもたらしてくれる。
塔の天辺は、砦で一番の高所からスパーダの宮廷魔術師による最大火力の攻撃魔法をぶっ放す砲台。大樹の根のように地下深くにある最底辺は、大城壁を除くガラハド要塞全てを守る結界を発動させる結界機の役割を果たす。攻守において、防衛の要となる重要な施設の一つである。
さらに驚くべきなのは、この巨大要塞の他にも、倉庫や兵舎、馬も天馬も飼える厩舎などの建物も立ち並んでいることだ。最早、ちょっとした町である。
「あの時は、アルザス戦の直後でしたからね。覚えてないのは、無理もないでしょう」
要塞の規模に驚いているのは俺だけで、フィオナは何の感動も浮かばないといった表情。むしろ、俺を気遣ってくれる分、要塞など気にも留めてない感じだ。
「あの時は世話をかけたよな……」
救助に来たスパーダ軍と合流して以降、完全に緊張の糸が切れた俺は、茫然自失の状態だったからな。気が付けば、猫の尻尾亭で寝ていたというような感覚。
これでも、リリィとフィオナの手前、心配はかけまいと表向きは空元気で普通にしていたつもりだったが……改めて思えば、当時のことはほとんど記憶にない。
ミアと出会って復活するまでの間、二人には世話になったし心配かけっぱなしだったしで、本当に謝罪と感謝の念が絶えない。
「大丈夫だよ、リリィ、もう負けないから!」
「ああ、そうだな。俺達は強くなった、使徒が来ても、今度こそ勝ってみせよう」
高まる戦意と必勝の誓いを胸に、俺はリリィを抱えてメリーから降りる。 ここから先は、馬を引いて指定の厩舎まで行く。
フィオナも軽やかにマリーから降り、手綱を引いて歩き始めている。掲げた看板にデカデカと『ガラハド飯店』と書かれた建物に向かって。
「おいフィオナ、そっちは食堂だぞ」
「分かってます」
「馬を連れたままじゃ入れないだろ」
「……分かってます」
いや絶対、分かってなかっただろ。何ちょっと拗ねた顔してんだよ。
施設が充実していると、誘惑も多い。特に戦場ではみんな餓えている。
しかし、到着したばかりで餓えているのはどうなんだろう。
「預けたら食事にするから」
「了解です」
スパーダの正規兵は食事が支給されるが、俺達にはない。全て自前である。
だからこそ、こうして普通の飲食店なんてのも建っているのだ。まぁ、普通に酒保商人と呼ばれる、軍隊を相手に商売する者もいるから、このテの店が皆無ってことはない。
特に鉄壁を誇るガラハド要塞は、絶対に突破されないという信頼も相まって、こうして城壁のすぐ近くに堂々と店を構えられるのだろう。あの如何にも娼館らしい三階建てなど、かなり年季が入っている。というか、こんな近くにあって大丈夫なのか、ああいう店は。別の意味で心配になる。
「それにしても、凄い人だな……リリィ、はぐれるなよ」
「はーい」と元気の良い返事でスイスイと人波を避けて歩くリリィの足取りは軽い。軽いというか、浮いている。『フェアリーダンスシューズ』は、やっぱりちょっと楽しそうだな。
この場には、すでにスパーダの主力が集結している上に新たに冒険者もやって来たのだ。人口密度はさらに上がっている。
ほとんどのスパーダ騎士はすでに砦の方へ詰めているものの、騎馬の多い第二隊『テンペスト』は屋外に天幕を張って駐留している。自分の馬は自分で世話するようだ。そうでもしないと、戦場で命を預けるパートナーにはなれないだろう。
ともかく、丸ごと一軍団の兵士と、冒険者の軍団とで、砦の外も人で溢れているのだ。勿論、俺達もテントを張っての野外生活となる――かと思ったが、宿をとることができた。運が良かったというより、ランク5の役得といった感じか。もっとも、田舎ギルドの客室とどっこいといったものだが。
そうして、どうにかこうにか人ごみをかき分け進んでいると、不意に頭上を大きな影が過って行った。
「おお、アレが竜騎士ドラグーンってやつか」
見上げてみれば、緑の鱗を持つ飛竜ワイバーンが崖の上に設けられたヘリポートのような場所へ次々と降り立っている姿が見えた。どうやら、竜騎兵隊が駐留する専用の飛行場となっているようだ。
サラマンダーより二回りは小さいワイバーンだが、竜の系譜に連なる者としての力強さを、羽ばたく両翼から感じさせてくれる。
「あー、一匹だけ白いのがいるよー」
「本当だ、アイツが隊長なのかな」
純白の鱗が目に眩しい、何とも優美な外観の白竜が、最後に降り立っていった。真っ白い翼に逆巻く風がここまで届いたのか、そよ風が吹き抜けていく。
「白い飛竜とは珍しいですね。よほどの実力者か、よほどの金持ちじゃなければ乗れないですよ」
ちょっと白けた様子で、フィオナが言う。
「あそこに掲げられている旗、アヴァロン国旗ですね。だとすると、第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』でしょう」
フィオナの目線を追えば、たしかに崖の上にはためく青と白のカラーリングが特徴的な旗がある。描かれた紋章のモチーフは、剣と盾と竜。あまり馴染みはないが、ソレがアヴァロンの国旗であると、知識としては知っている。
だが、そこからどこそこの部隊だ、というところまでは分からない。狼1号
「詳しいな、フィオナ」
「授業で聞いただけです」
そういえば、何かの授業でやったような気がしないでもない。なぜなら、俺も第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』というフレーズにどこか聞き覚えがあるのだから。
どうやら、学業成績だけならフィオナの方が優秀なようだ。俺も高校じゃそれなりに成績は良い方だったが、一番ってワケでもなかったからな。やはりフィオナ、天才か。
「アヴァロンから多少は援軍が来るって話は聞いたが、なるほど、下手に人数を派遣するより、精鋭の竜騎士ドラグーンが来てくれた方がありがたいな」
アルザスでも見かけた天馬騎士ペガサスナイトをはじめ、空を飛べる騎士という存在は強力かつ希少な存在である。アヴァロンは大軍こそ送らないが、こうして虎の子の空中戦力を派遣してくれるのだから、それなりにスパーダを応援する気持ちが窺える。
「恐らく、今回は十字軍もかなりの空中戦力を投入してくると思います。一騎でも対抗できる兵が多いのは、確かにありがたいですね」
「リリィもいるよ!」
「いや、スパーダ軍とアヴァロン軍に任せても大丈夫だろ。俺達『エレメントマスター』は、今回こそ三人一緒に戦える」
あくまで、予定であるが。できれば、リリィがまた天馬騎士の相手をするような緊急事態とならないことを祈る。
「ラストローズ討伐では、全くお役にたてなかったので、今回こそ、活躍して見せますよ」
「リリィ、いっぱい頑張るから、クロノ、いっぱい褒めてね!」
「心強い言葉をありがとう。俺も頑張るよ、全身全霊で――」
十字軍を、血祭りにあげてやる。
さぁ、迎え撃つ準備は整った。後は、ヤツらが来るのを待つだけだ。
「――ああ、もう、日が暮れるんだな」
竜の飛影が横切る空は、いつの間にか赤く染まり始めていた。もうすぐ、このガラハド要塞も暮れなずむ夕日で赤に染まるだろう。
鮮血によってこの地が本当に赤く染まるのは、さて、あと何日後となるだろうか。
時が来るまで、俺は静かにここで待とう。
冥暗の月16日。早朝。
東の空から登り始めた朝日を背景に、一騎の天馬ペガサスが悠然と飛んでいた。
眼下に広がるのは一面の銀世界。青々とした草原は今や分厚い雪の下、深緑の森も雪と氷で色を失っている。
飛来するペガサスの毛並みも、この雪景色に劣らぬ純白の艶を持つ。誰が見ても、美しいと口を揃えるだろう。
しかし、その背にまたがるのは、さらなる真白に身を染める者。白銀に煌めく絹糸のような長髪がなびき、身にまとう聖なる法衣は風にはためく。
如何なる汚れも穢れも一切許さないとばかりに、真っ白に透き通った肌の、一人の乙女である。
「……着いた」
溜息のように呟いた一言は、白い吐息の跡だけを残して宙に消えた。
少女は手綱を僅かに引いて、純白の騎馬へ命を伝える。主の意思を正確に汲んだ従順なる下僕は、美しくも逞しい白翼を羽ばたかせ、一気に高度を下げて行く。
降り行く先にあるのは、白い景色の中に黒々と浮かび上がる、大きく無骨な建築物。守るためではなく、攻めるためにこの地へ建てられたソレは、雪よりも冷たそうに見えた。
そうして、ペガサスに乗った彼女は降り立つ。
「――第七使徒サリエル卿、ようこそ、アルザス要塞へ!」
正門前に整然と立ち並び、出迎えの声を上げるのは、この要塞に詰める全兵士。白い装備は図らずとも雪上での保護色となっているが、五千もの人間が集団になっているのは中々に壮観である。
しかしながら、五千人の内にあっても、サリエルの小さな体は輝かんばかりの存在感を主張する。
十字軍総司令官、第七使徒サリエルが天より舞い降りる一幕は、正に降臨と呼ぶべき神々しさ。神の奇跡をその身に宿す美しき少女の姿に、兵の誰もがひれ伏しながら息を呑む。まだ幼い少年兵は目を輝かせ、妙齢の女騎士は嫉妬すら忘れて美貌に見入り、歴戦の将校はただ感嘆の息を吐く。
「……面を、上げなさい。状況の、報告を」
フワリと天の羽衣が舞うようにサリエルがペガサスから降り、自らの足で白い地面に一歩を踏み出した時になり、兵たちは魅了から解放され、己の職務をハっと思い出す。
やや慌てて駆け寄ってくる、煌びやかな白銀の鎧を身にまとった青年は、このアルザス要塞を預かる将で、ベルグント伯爵の甥っ子であると聞いていた。
「失礼致しました、サリエル閣下! 自分は、ベルグント伯爵連合軍、第八大隊を率いる――」
緊張の面持ちで紹介された名前は記憶には留めるものの、サリエルがその名を呼ぶことはないだろう。
自分がこの場に来たのは、真冬にも関わらず強行されたガラハド要塞攻略戦を見守るためである。総司令官の指揮権をふりかざして、余計な介入をするつもりはない。
「本隊は、すでに出陣したようですね」
「はっ、凍土の月24日に本隊はアルザス要塞より出陣いたしました。ご覧のとおり、街道は険しい山と風雪によって閉ざされておりますので、道を確保しながら進むのにいささか時間がかかってしまいました」
聞いてもいないのに、彼らがどのようにして雪道を切り開くと同時に、街道が再び雪で閉ざされぬよう保持しているのかを甥っ子将軍は懇切丁寧に説明してくれる。
使徒にケチをつけられたら大事だ。理解と納得を得るために彼も必死なのだろう。
もっとも、どんなにずさんな作戦計画であったとしても、サリエルは口を挟むことは決してないのだが。無口な彼女の意思など知りようもない彼は、懸命にも無為な説明を重ねつづけた。
「――ですので、ちょうど今日か明日あたり、叔父上、失礼、ベルグント将軍閣下はガラハド要塞への攻撃を始めるものと思われます」
長い説明を経て、ようやく結論が出たその時、サリエルはピタリと足を止めた。あまりに唐突に歩みを止めたものだから、青年は大きく踏み出した足を慌てて戻そうとして、たたらを踏んでいた。
ちょっと間抜けな彼の姿は、サリエルの真紅の瞳には映っていない。その赤い視線は、遥か遠く、晴れ渡った冬の青空の下に悠然とそびえるガラハドの山並みへと向けられている。
「……始まった」
何が、とは、誰も問いかけられなかった。しかし、そのつぶやきを聞けば、誰もが薄々と察することはできるだろう。
サリエルはそれ以上、言葉を続けることはなかった。彼女に説明の義務はない。自分が分かれば十分なのである。
使徒の持つ超感覚によって、今この瞬間、十字軍とスパーダ軍の戦いが始まったことを察知したのだった。三體牛鞭
「用意は、しておきます」
「用意……ですか?」
今度こそ、彼は疑問をぶつけた。サリエルの台詞は、独り言ではなく明らかに自分へ向かって投げかけられたものだから。
「用意、です」
「は、はぁ……サリエル卿をもてなす準備は整っておりますし、すぐお休みになられたいのでしたら、部屋もご用意しておりますが……」
サリエルの言う「用意」とは一体何のことか、全く分からないとばかりに困惑顔で、彼はしどろもどろに正解を探るような物言い。ジっと真紅の眼差しを受け、緊張の汗が青年の顔に流れる。
「後でよいです」
無口な彼女は迷うことなく詳細説明を放棄して、行動に移った。
ちょうど潜り抜けたアルザス要塞の大きな城門を戻り、再び外へ。そこにいるのは、未だに直立不動で整列を崩さない十字軍兵士五千の姿。彼らの視線を一身に浴びながら、サリエルは呑気に散歩でもするかのように静かな足取りで、城壁に沿って歩き始める。
一体何処へ行こうというのか――そんな疑問を誰もが抱いたその時、サリエルは再び足を止めた。
新雪の降り積もる雪の地面を見つめる姿は、石化の魔眼によって石像にされたようにピクリとも動かない。
「あ、あの、サリエル卿……そこに、何か?」
たっぷり間をおいてから、謎の停止中のサリエルへ、ついに声をかけた。ゆっくりと振り向いたサリエルは、変わらず人形めいた無表情だが、はっきりと言葉を発した。
「ここに、魔法陣を描きます」
何の魔法で、何の為に。それはサリエルしか知らない。そして、彼女はきっと説明はしない。
故に、彼らにとって正しく「神のみぞ知る」という意味に等しい。
しかし、使徒が行うなら、そこに誤りはない。必ずや神意に沿った、必要な行動のはず。
ならばサリエルのソレは、きっと我らが十字軍を勝利に導くものである――そう、誰もが解釈しただろう。
だが、当の本人は思う。彼らの希望とは対極にある「できれば、使いたくない」という本音を。
これから描く魔法陣。それがもたらす魔法の効果を使うその時がくるとすれば、恐らく――
グラディエイター
集合場所はスパーダ大正門前、とギルドで告知されていた。緊急クエストを受注し、晴れてスパーダ軍第四隊『グラディエイター』の一員となった者は、まずここに集まり、簡単な説明の後、ガラハド要塞目指して出発となる。
スパーダの表玄関である大正門は、大通りを真っ直ぐに下って行けば辿り着く一本道。ネルでも迷わない安心な道順である。
しかしながら、今朝の交通状況は中々の混雑ぶり。スパーダ大通り方面は一部通行止めです、なんてカーラジオ風の音声案内が頭に響く。というか、ヒツギだった。
ともかく、そんな渋滞一歩手前みたいな状況になっているのは、現在スパーダにいるほとんど全ての冒険者が同じ大正門目指して集まりつつあるからだ。通りに出た時から、すでに各々の武装を整えた冒険者の集団が、徒歩だったり馬に乗ったりして行進している。中には、幾つかのパーティを乗せた大型馬車や、大量の物資を搭載した貨物竜車の大きな車体もちらほら混じる。おまけに、戦場へ向かう冒険者を見送るスパーダ国民も集まっており、道の左右を占有していた。凱旋パレードほどではないが、それに近い盛況ぶり。
そうして俺達もすぐに列を成す冒険者集団の仲間入りを果たす。流石にメリーの巨躯とオーラは目立つのか、冒険者にも群集にもチラチラと注目され、ヒソヒソと内緒話をされている。気にはなるが、仕方がないと割り切っている。
「おお、凄い集まってるな」
大正門の前は、闘技場が丸ごと建てられるほど大きな広場となっているのだが、今は大勢の人でごった返している。そこへさらに、現在進行形で続々と冒険者が到着してくるのだから、人口密度は増加の一途。薄ら雪が積もる冬の季節でありながら、この場は真夏の甲子園球場か東京ビックサイトみたいな熱気を感じる。
「ここまで冒険者が集まっているのは、初めて見ますね」
隣で轡を並べるフィオナが、台詞とは裏腹にぼんやりと興味のなさそうな目で広場を見渡している。馬上にある分、視界が高いのでよく見えた。
「それだけ危機意識が高いってことか」
「いえ、勝ち戦に乗りたいだけでしょう」
最近フィオナには、期待を砕かれてばかりな気がするが、果たして気のせいだろうか。
しかしながら、言われてみれば納得である。
「他の国からも冒険者がわざわざ参加するのも多いって聞いたけど、そういうことか……」
真に救国の志があるのなら、とっくに騎士団へ入団しているだろう。冒険者は報酬があって初めて動く。傭兵と大差はない、というより、この両者の区別はほとんどないといってもいいだろう。
はっきり傭兵と呼べるのは、傭兵団と名のつく組織に所属する者くらいだ。
「スパーダはこれまで四度ダイダロスの侵攻を退けていますので、誰もが今回も勝てると思っているでしょうから」
スパーダとダイダロスで起こった争い、ガラハド戦争と呼ばれる戦いの始まりは、レオンハルト陛下の祖父、つまり先々代の第50代スパーダ国王の時代まで遡る。
最初の戦いである第一次ガラハド戦争は、50代目が息子に王位を譲る直前の、老齢の時に起こったという。侵攻そのものはかろうじて防いだものの、この戦いでガーヴィナルより受けた傷により、50代目は亡くなった。
続く51代目の時に、第二次と第三次ガラハド戦争が起こる。俺も最近知ったのだが、この先代国王は悪政を敷く典型的な暴君という評価であるらしい。神学校も相当ヤバい荒れ方をしていたとか。しかしながら、この二度に渡りスパーダをダイダロスの魔の手から守り切った実績だけは、今も賞賛すべき偉業として語られる。
ただ、当代のレオンハルト陛下が、まだ13歳の王子だった頃に参加した第三次ガラハド戦争は、彼の活躍こそが一番の語り草となっているらしいが。
そして、十年ほど前に起こったのが第四次ガラハド戦争。王となったレオンハルト陛下が、黒竜王ガーヴィナルと一騎打ちの末に撃退したという伝説の戦いだ。先代の悪政から地道に国を建てなおしつつあった実績と、さらに防衛戦争における大戦果。二つが重なり、レオンハルト陛下は今もスパーダ国民から熱烈な支持を受け続けている。
「相手がダイダロスだろうが十字軍だろうが、スパーダ軍の強さは変わらないからな。そりゃあ期待もするだろう」男宝
さらに、これまでの戦争でしっかりと報酬が支払われたという実績もインセンティブの一つとなっているだろう。
スパーダは同盟関係にある都市国家群において、ダイダロスの侵略を防ぐ盾としての役目を務める代わりに、同盟各国から多大な援助を受け取っている。雇った冒険者達に気前よく報酬を弾んでも、スパーダの懐は痛まない。
ただその分、他国から直接的な戦力の応援はほとんど望めないようだが。精々、隣国のファーレンとアヴァロンから騎士団の一部隊が駆けつける程度だという。
まぁ、あんまり各国から集まりすぎたら指揮も混乱するし連携も不安と、色々問題あるだろうからな。何より、今までそれで上手くやってきたのだから、一つの体制として確立しており、今回の有事にも素早く対応できるというわけだ。すでに、それなりの金銭と物資がスパーダに集まりつつあるとウィルから聞いた。
「ねぇークロノー、すっごいキラキラしたのがいるよー」
真面目に戦争の状況について思いを巡らせていたところを、リリィのあどけない声で遮られる。
小さな人差し指が示す先には、この人ごみの中でも一際目立つ煌びやかな一団が見えた。古代ローマ兵のようなプレートアーマーは、金を基調として色鮮やかな装飾がされて何とも派手である。しかし、そこには確かな実用性と魔法の効果が秘められていることが、この距離からでも分かった。第六感が、微弱ながらも数々の魔力を察知してくれる。
そんな良い装備に身を包むのは、筋骨隆々の男達、いや、冒険者なら体格のよい男なのは当たり前なのだが、その中でも特に目を引く見事な肉体を誇っているのだ。腕や脚、あるいは肩や胸、腹なども一部露出しているようなデザインの鎧もあるお蔭で、その筋肉美が惜しげなく晒されている。
「なるほど、アレがプロ剣闘士ってヤツか」
実際に見たのは初めてだが、間違いないだろう。豪華な装備はスターとしての見た目に相応しく、それでいて、ただ歩く姿も堂々としていて隙がないのは、戦いのエキスパートであることを示している。
何より、彼らが歩む先では冒険者の誰もが道を譲り、見事に人垣が割れていく。俺も祝勝パーティで経験した、アレである。
「何か一人だけ、こっちに向かってきてませんか?」
胡乱な目つきでフィオナが言った通り、剣闘士集団から離脱して真っ直ぐこちらに向かって接近してくる人影が一つ。何でだ、というか誰だ、と疑問に思う間もなく、人の割れた道が俺達の目の前まで繋がった。
「やぁ、おはよう。君達が『エレメントマスター』で間違いないよね?」
堂々と現れた一人の男が、爽やかな笑顔を浮かべて声をかけてきた。
「……そうですけど」
ソイツは、とんでもない美形だった。
ゆるやかなウェーブを描く金髪は肩口に届くほど長く、柔和な青い目に泣き黒子が印象的な白皙の美貌。男のくせに、髪はリリィみたいに艶やかで繊細なプラチナブロンドだし、サファイアの澄んだ瞳はネルのような輝きを宿している。
とろけるような甘いマスクには、魅了チャームが宿っていると断言できる。俺も一瞬だけ、目を奪われた。
そんな美貌を誇っていながら、その首の下は鍛え上げられた筋肉の鎧をまとっている。傷痕どころか染み一つない白い肌は、不気味なほどに綺麗で、人というより彫刻像が動いているような印象だ。白い筋肉美を飾りたてる黄金のプレートメイルと真紅のマント姿は、正に芸術品。
「初めまして、僕はファルキウス。剣闘士団『スターライトスパーダ』の筆頭剣闘士プリンシパルを務めている――んだけど、その顔を見ると、僕のことは全く知らないようだね」
あはは、と苦笑を浮かべる様も、何とも絵になっている。おまけに、赤い唇から紡がれる声も麗しいテノールボイス。この顔と声で愛を囁かれたら、スパーダの女性は一発で落ちるだろう。
「いえ、その名前には聞き覚えがあります。確か、スパーダで一番人気の剣闘士ですよね」
スパーダに住んでいれば、剣闘の話題は自然と耳に入る。この国における剣闘ってのは、日本でいうプロ野球とサッカーとアイドルを一つに合わせたくらいに圧倒的な人気を誇っているのだから。
そんなスパーダ剣闘界のトップに君臨する選手の名前くらいは、いくら俺でも聞いたことはあった。勿論、顔までは知らなかったが、こうして本人を前にすれば納得せざるをえない。
ともかく、このファルキウスさんからは特に敵意のようなものは感じられない。とりあえず、馬から降りて俺も挨拶の一つでもしよう。
「『エレメントマスター』のクロノです。それで、貴方のようなスター選手が、俺達に何の用でしょうか?」
「ふふ、そんなに固くならないでほしいな。今は君の方が有名なくらいじゃないか、イスキアの英雄さん」
泣きじゃくる赤ん坊でも一発で泣きやむんじゃないかというほどの穏やかな笑顔を浮かべながら、ファルキウスさんが俺の肩に気安く手を置いた。
悪魔のローブ越しでも、その掌が本当に剣を握ったことがあるのか疑わしいほどに柔らかな感触が伝わる。
「ランク5冒険者と筆頭剣士プリンシパル、どちらが上ということもないだろう。敬語は必要ないし、僕のことは、気軽にファルって呼んでほしいな」
いや、それはちょっと……ここは少し妥協させてもらおう。漢方蟻力神
「ありがとう、ファルキウス」
「ふふ、今はそれでもいいかな。それじゃあ、僕はクロノ君と呼ばせてもらうよ」
屈託のない笑みで、真っ直ぐに俺の目を見つめてくるファルキウス。全くドキっとしない辺り、俺はノーマルなのだと安心できる。
「ああ、それで、こうしてやって来たのは、本当にただの挨拶さ。これから共に戦う『グラディエイター』の仲間としてね」
なるほど、特に裏はないようだ。
そう納得しかけたのだが、ファルキウスは俺の肩から手を離すどころか、そのままスルリと腕を滑り込ませて何とも自然に肩を組む姿勢に変わっていた。一瞬の早業、コイツ、手慣れてやがる。
「でもね、黒き悪夢の狂戦士ナイトメア・バーサーカーなんて恐ろしげな二つ名を持つ君のことは、前から気になっていたんだ。悪魔のような男だと、噂では聞いていたけれど――」
ほとんど体が密着状態。俺よりほんの数センチだけ低いくらいの高身長だから、顔も近い。ついでに、仄かに花のような甘い香りも漂ってくる。お上品な香水の匂いだ。
「驚いたよ、こんなに綺麗な男ヒトだったなんて。特に、この黒髪。アヴァロン王族よりも黒くて、暗くて、でも艶やかで、羨ましくなるほどに、魅力的だよ」
ファルキウスの空いている方の手が、俺の毛先を優しく撫でた。
思わず飛び退く。
「少し、離れてくれないか」
「初心なんだね。そういうところも、可愛いよ」
背筋がゾっとした。割と本気で。
脳裏によぎったのは、いつだったか、街中で姉貴がチャラい男にナンパされているところに遭遇したシーン。軽薄な美辞麗句を並べ立てるチャラ男を、心の底から軽蔑した眼差しを向ける姉の姿が印象的だった。
まぁ、あの場は俺が一声かけると、チャラ男は「すんません、今マジでこれしかないんで勘弁してください」と、財布の中から二千円札を投げ捨てて遁走していき、事なきを得たのだが。
軟派なナンパ男を一発で退散させる強面の俺が、まさか口説かれる側になるとは……異世界って、こんなに恐ろしい場所だったのか。
「ははは、ただの冗談さ。けど、少し馴れ馴れしすぎたかな、ごめんね」
一歩後ずさりながらも余裕の微笑みで謝るファルキウス。だが、その青い目が結構マジに見えるのは、俺の気のせいだろうか。気のせいだと信じたい。
「ところで、そちらの可愛らしい妖精のお嬢さんが、僕のことを睨みながらピカピカ光っているのは、どうしてかな?」
振り返り見れば、メリーの鞍の上で仁王立ちになって「うぅー」と威嚇しているリリィの姿が。
「クロノ、この人も危ないよ! 近づいちゃダメ!」
それには全く同感である。
しかしながら、あまり邪見にするわけにもいかないビッグネームでもある。それなりに仲良くしておきたいところだ。あくまでも、適度に距離を置いて。近づきすぎると怖い。
「すまん、ちょっと警戒しているだけだから」
「気にしてないよ、悪いのは僕だからね」
やはり爽やかに笑いながら、ファルキウスはメリーの元まで歩み寄り、睨みつけるリリィへと手を差し出した。
「すまなかったね、可愛い妖精さん。僕はファルキウス、よろしくね」
「リリィなの。クロノに触っちゃメっ! だからね!」
釘を刺しつつ、リリィは差し出されたファルキウスの白い指先を握って握手した。
「女性の嫉妬ほど怖いものはないからね、心得たよ」
何とか無事にリリィと自己紹介を交わした彼は、次に隣に控えるフィオナへ視線を移す。
「私のことはお構いなく」
そう言って小さくノーと手をふるフィオナ。これほどの美男を前にしても、興味の欠片もないとばかりの態度だ。
「魔女のお嬢さんは、クールなんだね」
いえ、ただの天然です。
肩をすくめる、というリアクションさえバッチリ決めてみせるファルキウスに、俺は心の中でそう突っ込んでおいた。
「それにしても、面白い面子のパーティだよね。僕は生粋の剣闘士だけど、冒険者ともそれなりに交流はあるんだ。君達は始めて見る構成だよ」
呪いの武器を使う黒魔法使いと、魔女と妖精だからな。俺だって同じ構成パーティなんて見たことない。まぁ、呪いの武器を使うヤツは少数だが一定数いるし、魔女も格好だけなら誰でもできる。だが、リリィのような半人半魔の妖精はそうそう見つからないだろう。
「戦ったら面白そうだけど、無理に舞台へは誘わないよ」
どこぞの金髪剣士のように戦闘狂ってわけではないようだ。ちょっと一安心である。
「ああ、でもそういえば、クロノ君だけは、上がったことがあるんだよね。それも、大闘技場グランドコロシアムのアリーナに」
「知ってたのか」
「見事なファイトだったようだね。君のお蔭で、僕のファンが少し減ったよ」
全く嫌味を感じさせない笑顔は、本当に気にしていないのだろう。冗談一つとっても、いちいち様になる。
「そうだ、良かったら今度選手として招待するよ。一度は舞台に上がったのだから、その気がないってわけじゃあ――」
「いや、遠慮させてもらう」
呪いの武器が欲しいだけだったからな。正直、強敵と戦いたいわけでも、人気が欲しいわけでもないからな。剣闘の舞台に上がるには、あまりに危険すぎる。
「残念、是非お手合わせ願いたかったんだけど。君となら絶対に良いファイトができる、そう確信している」
気が付けば、またファルキウスの立ち位置が近かった。ええい、その麗しい目で見つめるな。VVK
整えられた山道ではあるが、降り積もった雪に加えてキツい傾斜が続く中々の難所だったが、トラブルも脱落者もなく、つつがなく予定通りの日程を終えた。
俺としては、一度は通ったはずの道なのに、全く見覚えがないことに少しばかりのショックを受けたくらい。無論、それはガラハド・スパーダ間の道だけでなく、この圧倒的な大要塞の威容もである。巨根
「ガラハド要塞って、こんなデカかったんだな……」
目の前にそびえ建つのは、ただひたすらに巨大な壁。ガラハドの大城壁、と呼ばれるソレは、歴史を知らずとも、何者もこれを超えることは叶わなかっただろうと見る者に思わせてならない。
実際に歴史を知る者ならば、もっと驚くべき代物でもあるが。
実はこの大城壁、古代遺跡を利用して建設されたものだという。元々は、正門となっている巨大な鋼鉄の門と、そこから広がる崩れかけの壁が数十メートルに渡って伸びているというだけの、遺跡というより、ただの廃墟と言った方が適切な有様だった。しかし、残骸であっても古代のテクノロジーで作られた扉と壁は強固で、この立地もあってそのまま利用しようと、遥か昔の初代スパーダ王は判断したのだ。
そうして長い年月の中、少しずつ、だが着実に要塞は拡大・強化されてゆき、今の超巨大な城壁の完成まで至ったというわけである。
そんな歴史ある大要塞が建設された場所は、奇跡的に開かれた山間の切れ目。その一点だけ標高が低くなだらかで、そのすぐ両脇から、断崖絶壁となって二つの岩山が突き出ている。山の中というより、巨大な谷間のような印象を受ける。
もしかすれば、この奇妙な地形も、古代に造成されたのかもしれない。
そしてガラハドの大城壁は、およそ一キロの幅を持つ谷底を、端から端まで完全に封鎖しているのだ。
その高さは約五十メートル。精密に組まれた垂直の石壁は、攻めるダイダロス側からだとダムにしか見えないだろう。
一方、俺の立つスパーダ側からだと、その巨大城壁に見合った大きさの砦が建っているのが見える。箱のような四角形で、四隅に防御塔を備えているのは、イスキア古城と同じ造りだ。ただし、その大きさは桁違い、倍くらいに見える。
違うのは大きさだけではない。デカい分だけ壁面装甲が厚くなっているのに加え、建物全てを覆う広域結界による魔法防御力も備えているのだ。
砦が単体でも高い防御力を発揮するが、この天に向かってそびえ立つ摩天楼のような四本の防御塔は、さらなる守りの力をもたらしてくれる。
塔の天辺は、砦で一番の高所からスパーダの宮廷魔術師による最大火力の攻撃魔法をぶっ放す砲台。大樹の根のように地下深くにある最底辺は、大城壁を除くガラハド要塞全てを守る結界を発動させる結界機の役割を果たす。攻守において、防衛の要となる重要な施設の一つである。
さらに驚くべきなのは、この巨大要塞の他にも、倉庫や兵舎、馬も天馬も飼える厩舎などの建物も立ち並んでいることだ。最早、ちょっとした町である。
「あの時は、アルザス戦の直後でしたからね。覚えてないのは、無理もないでしょう」
要塞の規模に驚いているのは俺だけで、フィオナは何の感動も浮かばないといった表情。むしろ、俺を気遣ってくれる分、要塞など気にも留めてない感じだ。
「あの時は世話をかけたよな……」
救助に来たスパーダ軍と合流して以降、完全に緊張の糸が切れた俺は、茫然自失の状態だったからな。気が付けば、猫の尻尾亭で寝ていたというような感覚。
これでも、リリィとフィオナの手前、心配はかけまいと表向きは空元気で普通にしていたつもりだったが……改めて思えば、当時のことはほとんど記憶にない。
ミアと出会って復活するまでの間、二人には世話になったし心配かけっぱなしだったしで、本当に謝罪と感謝の念が絶えない。
「大丈夫だよ、リリィ、もう負けないから!」
「ああ、そうだな。俺達は強くなった、使徒が来ても、今度こそ勝ってみせよう」
高まる戦意と必勝の誓いを胸に、俺はリリィを抱えてメリーから降りる。 ここから先は、馬を引いて指定の厩舎まで行く。
フィオナも軽やかにマリーから降り、手綱を引いて歩き始めている。掲げた看板にデカデカと『ガラハド飯店』と書かれた建物に向かって。
「おいフィオナ、そっちは食堂だぞ」
「分かってます」
「馬を連れたままじゃ入れないだろ」
「……分かってます」
いや絶対、分かってなかっただろ。何ちょっと拗ねた顔してんだよ。
施設が充実していると、誘惑も多い。特に戦場ではみんな餓えている。
しかし、到着したばかりで餓えているのはどうなんだろう。
「預けたら食事にするから」
「了解です」
スパーダの正規兵は食事が支給されるが、俺達にはない。全て自前である。
だからこそ、こうして普通の飲食店なんてのも建っているのだ。まぁ、普通に酒保商人と呼ばれる、軍隊を相手に商売する者もいるから、このテの店が皆無ってことはない。
特に鉄壁を誇るガラハド要塞は、絶対に突破されないという信頼も相まって、こうして城壁のすぐ近くに堂々と店を構えられるのだろう。あの如何にも娼館らしい三階建てなど、かなり年季が入っている。というか、こんな近くにあって大丈夫なのか、ああいう店は。別の意味で心配になる。
「それにしても、凄い人だな……リリィ、はぐれるなよ」
「はーい」と元気の良い返事でスイスイと人波を避けて歩くリリィの足取りは軽い。軽いというか、浮いている。『フェアリーダンスシューズ』は、やっぱりちょっと楽しそうだな。
この場には、すでにスパーダの主力が集結している上に新たに冒険者もやって来たのだ。人口密度はさらに上がっている。
ほとんどのスパーダ騎士はすでに砦の方へ詰めているものの、騎馬の多い第二隊『テンペスト』は屋外に天幕を張って駐留している。自分の馬は自分で世話するようだ。そうでもしないと、戦場で命を預けるパートナーにはなれないだろう。
ともかく、丸ごと一軍団の兵士と、冒険者の軍団とで、砦の外も人で溢れているのだ。勿論、俺達もテントを張っての野外生活となる――かと思ったが、宿をとることができた。運が良かったというより、ランク5の役得といった感じか。もっとも、田舎ギルドの客室とどっこいといったものだが。
そうして、どうにかこうにか人ごみをかき分け進んでいると、不意に頭上を大きな影が過って行った。
「おお、アレが竜騎士ドラグーンってやつか」
見上げてみれば、緑の鱗を持つ飛竜ワイバーンが崖の上に設けられたヘリポートのような場所へ次々と降り立っている姿が見えた。どうやら、竜騎兵隊が駐留する専用の飛行場となっているようだ。
サラマンダーより二回りは小さいワイバーンだが、竜の系譜に連なる者としての力強さを、羽ばたく両翼から感じさせてくれる。
「あー、一匹だけ白いのがいるよー」
「本当だ、アイツが隊長なのかな」
純白の鱗が目に眩しい、何とも優美な外観の白竜が、最後に降り立っていった。真っ白い翼に逆巻く風がここまで届いたのか、そよ風が吹き抜けていく。
「白い飛竜とは珍しいですね。よほどの実力者か、よほどの金持ちじゃなければ乗れないですよ」
ちょっと白けた様子で、フィオナが言う。
「あそこに掲げられている旗、アヴァロン国旗ですね。だとすると、第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』でしょう」
フィオナの目線を追えば、たしかに崖の上にはためく青と白のカラーリングが特徴的な旗がある。描かれた紋章のモチーフは、剣と盾と竜。あまり馴染みはないが、ソレがアヴァロンの国旗であると、知識としては知っている。
だが、そこからどこそこの部隊だ、というところまでは分からない。狼1号
「詳しいな、フィオナ」
「授業で聞いただけです」
そういえば、何かの授業でやったような気がしないでもない。なぜなら、俺も第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』というフレーズにどこか聞き覚えがあるのだから。
どうやら、学業成績だけならフィオナの方が優秀なようだ。俺も高校じゃそれなりに成績は良い方だったが、一番ってワケでもなかったからな。やはりフィオナ、天才か。
「アヴァロンから多少は援軍が来るって話は聞いたが、なるほど、下手に人数を派遣するより、精鋭の竜騎士ドラグーンが来てくれた方がありがたいな」
アルザスでも見かけた天馬騎士ペガサスナイトをはじめ、空を飛べる騎士という存在は強力かつ希少な存在である。アヴァロンは大軍こそ送らないが、こうして虎の子の空中戦力を派遣してくれるのだから、それなりにスパーダを応援する気持ちが窺える。
「恐らく、今回は十字軍もかなりの空中戦力を投入してくると思います。一騎でも対抗できる兵が多いのは、確かにありがたいですね」
「リリィもいるよ!」
「いや、スパーダ軍とアヴァロン軍に任せても大丈夫だろ。俺達『エレメントマスター』は、今回こそ三人一緒に戦える」
あくまで、予定であるが。できれば、リリィがまた天馬騎士の相手をするような緊急事態とならないことを祈る。
「ラストローズ討伐では、全くお役にたてなかったので、今回こそ、活躍して見せますよ」
「リリィ、いっぱい頑張るから、クロノ、いっぱい褒めてね!」
「心強い言葉をありがとう。俺も頑張るよ、全身全霊で――」
十字軍を、血祭りにあげてやる。
さぁ、迎え撃つ準備は整った。後は、ヤツらが来るのを待つだけだ。
「――ああ、もう、日が暮れるんだな」
竜の飛影が横切る空は、いつの間にか赤く染まり始めていた。もうすぐ、このガラハド要塞も暮れなずむ夕日で赤に染まるだろう。
鮮血によってこの地が本当に赤く染まるのは、さて、あと何日後となるだろうか。
時が来るまで、俺は静かにここで待とう。
冥暗の月16日。早朝。
東の空から登り始めた朝日を背景に、一騎の天馬ペガサスが悠然と飛んでいた。
眼下に広がるのは一面の銀世界。青々とした草原は今や分厚い雪の下、深緑の森も雪と氷で色を失っている。
飛来するペガサスの毛並みも、この雪景色に劣らぬ純白の艶を持つ。誰が見ても、美しいと口を揃えるだろう。
しかし、その背にまたがるのは、さらなる真白に身を染める者。白銀に煌めく絹糸のような長髪がなびき、身にまとう聖なる法衣は風にはためく。
如何なる汚れも穢れも一切許さないとばかりに、真っ白に透き通った肌の、一人の乙女である。
「……着いた」
溜息のように呟いた一言は、白い吐息の跡だけを残して宙に消えた。
少女は手綱を僅かに引いて、純白の騎馬へ命を伝える。主の意思を正確に汲んだ従順なる下僕は、美しくも逞しい白翼を羽ばたかせ、一気に高度を下げて行く。
降り行く先にあるのは、白い景色の中に黒々と浮かび上がる、大きく無骨な建築物。守るためではなく、攻めるためにこの地へ建てられたソレは、雪よりも冷たそうに見えた。
そうして、ペガサスに乗った彼女は降り立つ。
「――第七使徒サリエル卿、ようこそ、アルザス要塞へ!」
正門前に整然と立ち並び、出迎えの声を上げるのは、この要塞に詰める全兵士。白い装備は図らずとも雪上での保護色となっているが、五千もの人間が集団になっているのは中々に壮観である。
しかしながら、五千人の内にあっても、サリエルの小さな体は輝かんばかりの存在感を主張する。
十字軍総司令官、第七使徒サリエルが天より舞い降りる一幕は、正に降臨と呼ぶべき神々しさ。神の奇跡をその身に宿す美しき少女の姿に、兵の誰もがひれ伏しながら息を呑む。まだ幼い少年兵は目を輝かせ、妙齢の女騎士は嫉妬すら忘れて美貌に見入り、歴戦の将校はただ感嘆の息を吐く。
「……面を、上げなさい。状況の、報告を」
フワリと天の羽衣が舞うようにサリエルがペガサスから降り、自らの足で白い地面に一歩を踏み出した時になり、兵たちは魅了から解放され、己の職務をハっと思い出す。
やや慌てて駆け寄ってくる、煌びやかな白銀の鎧を身にまとった青年は、このアルザス要塞を預かる将で、ベルグント伯爵の甥っ子であると聞いていた。
「失礼致しました、サリエル閣下! 自分は、ベルグント伯爵連合軍、第八大隊を率いる――」
緊張の面持ちで紹介された名前は記憶には留めるものの、サリエルがその名を呼ぶことはないだろう。
自分がこの場に来たのは、真冬にも関わらず強行されたガラハド要塞攻略戦を見守るためである。総司令官の指揮権をふりかざして、余計な介入をするつもりはない。
「本隊は、すでに出陣したようですね」
「はっ、凍土の月24日に本隊はアルザス要塞より出陣いたしました。ご覧のとおり、街道は険しい山と風雪によって閉ざされておりますので、道を確保しながら進むのにいささか時間がかかってしまいました」
聞いてもいないのに、彼らがどのようにして雪道を切り開くと同時に、街道が再び雪で閉ざされぬよう保持しているのかを甥っ子将軍は懇切丁寧に説明してくれる。
使徒にケチをつけられたら大事だ。理解と納得を得るために彼も必死なのだろう。
もっとも、どんなにずさんな作戦計画であったとしても、サリエルは口を挟むことは決してないのだが。無口な彼女の意思など知りようもない彼は、懸命にも無為な説明を重ねつづけた。
「――ですので、ちょうど今日か明日あたり、叔父上、失礼、ベルグント将軍閣下はガラハド要塞への攻撃を始めるものと思われます」
長い説明を経て、ようやく結論が出たその時、サリエルはピタリと足を止めた。あまりに唐突に歩みを止めたものだから、青年は大きく踏み出した足を慌てて戻そうとして、たたらを踏んでいた。
ちょっと間抜けな彼の姿は、サリエルの真紅の瞳には映っていない。その赤い視線は、遥か遠く、晴れ渡った冬の青空の下に悠然とそびえるガラハドの山並みへと向けられている。
「……始まった」
何が、とは、誰も問いかけられなかった。しかし、そのつぶやきを聞けば、誰もが薄々と察することはできるだろう。
サリエルはそれ以上、言葉を続けることはなかった。彼女に説明の義務はない。自分が分かれば十分なのである。
使徒の持つ超感覚によって、今この瞬間、十字軍とスパーダ軍の戦いが始まったことを察知したのだった。三體牛鞭
「用意は、しておきます」
「用意……ですか?」
今度こそ、彼は疑問をぶつけた。サリエルの台詞は、独り言ではなく明らかに自分へ向かって投げかけられたものだから。
「用意、です」
「は、はぁ……サリエル卿をもてなす準備は整っておりますし、すぐお休みになられたいのでしたら、部屋もご用意しておりますが……」
サリエルの言う「用意」とは一体何のことか、全く分からないとばかりに困惑顔で、彼はしどろもどろに正解を探るような物言い。ジっと真紅の眼差しを受け、緊張の汗が青年の顔に流れる。
「後でよいです」
無口な彼女は迷うことなく詳細説明を放棄して、行動に移った。
ちょうど潜り抜けたアルザス要塞の大きな城門を戻り、再び外へ。そこにいるのは、未だに直立不動で整列を崩さない十字軍兵士五千の姿。彼らの視線を一身に浴びながら、サリエルは呑気に散歩でもするかのように静かな足取りで、城壁に沿って歩き始める。
一体何処へ行こうというのか――そんな疑問を誰もが抱いたその時、サリエルは再び足を止めた。
新雪の降り積もる雪の地面を見つめる姿は、石化の魔眼によって石像にされたようにピクリとも動かない。
「あ、あの、サリエル卿……そこに、何か?」
たっぷり間をおいてから、謎の停止中のサリエルへ、ついに声をかけた。ゆっくりと振り向いたサリエルは、変わらず人形めいた無表情だが、はっきりと言葉を発した。
「ここに、魔法陣を描きます」
何の魔法で、何の為に。それはサリエルしか知らない。そして、彼女はきっと説明はしない。
故に、彼らにとって正しく「神のみぞ知る」という意味に等しい。
しかし、使徒が行うなら、そこに誤りはない。必ずや神意に沿った、必要な行動のはず。
ならばサリエルのソレは、きっと我らが十字軍を勝利に導くものである――そう、誰もが解釈しただろう。
だが、当の本人は思う。彼らの希望とは対極にある「できれば、使いたくない」という本音を。
これから描く魔法陣。それがもたらす魔法の効果を使うその時がくるとすれば、恐らく――
グラディエイター
集合場所はスパーダ大正門前、とギルドで告知されていた。緊急クエストを受注し、晴れてスパーダ軍第四隊『グラディエイター』の一員となった者は、まずここに集まり、簡単な説明の後、ガラハド要塞目指して出発となる。
スパーダの表玄関である大正門は、大通りを真っ直ぐに下って行けば辿り着く一本道。ネルでも迷わない安心な道順である。
しかしながら、今朝の交通状況は中々の混雑ぶり。スパーダ大通り方面は一部通行止めです、なんてカーラジオ風の音声案内が頭に響く。というか、ヒツギだった。
ともかく、そんな渋滞一歩手前みたいな状況になっているのは、現在スパーダにいるほとんど全ての冒険者が同じ大正門目指して集まりつつあるからだ。通りに出た時から、すでに各々の武装を整えた冒険者の集団が、徒歩だったり馬に乗ったりして行進している。中には、幾つかのパーティを乗せた大型馬車や、大量の物資を搭載した貨物竜車の大きな車体もちらほら混じる。おまけに、戦場へ向かう冒険者を見送るスパーダ国民も集まっており、道の左右を占有していた。凱旋パレードほどではないが、それに近い盛況ぶり。
そうして俺達もすぐに列を成す冒険者集団の仲間入りを果たす。流石にメリーの巨躯とオーラは目立つのか、冒険者にも群集にもチラチラと注目され、ヒソヒソと内緒話をされている。気にはなるが、仕方がないと割り切っている。
「おお、凄い集まってるな」
大正門の前は、闘技場が丸ごと建てられるほど大きな広場となっているのだが、今は大勢の人でごった返している。そこへさらに、現在進行形で続々と冒険者が到着してくるのだから、人口密度は増加の一途。薄ら雪が積もる冬の季節でありながら、この場は真夏の甲子園球場か東京ビックサイトみたいな熱気を感じる。
「ここまで冒険者が集まっているのは、初めて見ますね」
隣で轡を並べるフィオナが、台詞とは裏腹にぼんやりと興味のなさそうな目で広場を見渡している。馬上にある分、視界が高いのでよく見えた。
「それだけ危機意識が高いってことか」
「いえ、勝ち戦に乗りたいだけでしょう」
最近フィオナには、期待を砕かれてばかりな気がするが、果たして気のせいだろうか。
しかしながら、言われてみれば納得である。
「他の国からも冒険者がわざわざ参加するのも多いって聞いたけど、そういうことか……」
真に救国の志があるのなら、とっくに騎士団へ入団しているだろう。冒険者は報酬があって初めて動く。傭兵と大差はない、というより、この両者の区別はほとんどないといってもいいだろう。
はっきり傭兵と呼べるのは、傭兵団と名のつく組織に所属する者くらいだ。
「スパーダはこれまで四度ダイダロスの侵攻を退けていますので、誰もが今回も勝てると思っているでしょうから」
スパーダとダイダロスで起こった争い、ガラハド戦争と呼ばれる戦いの始まりは、レオンハルト陛下の祖父、つまり先々代の第50代スパーダ国王の時代まで遡る。
最初の戦いである第一次ガラハド戦争は、50代目が息子に王位を譲る直前の、老齢の時に起こったという。侵攻そのものはかろうじて防いだものの、この戦いでガーヴィナルより受けた傷により、50代目は亡くなった。
続く51代目の時に、第二次と第三次ガラハド戦争が起こる。俺も最近知ったのだが、この先代国王は悪政を敷く典型的な暴君という評価であるらしい。神学校も相当ヤバい荒れ方をしていたとか。しかしながら、この二度に渡りスパーダをダイダロスの魔の手から守り切った実績だけは、今も賞賛すべき偉業として語られる。
ただ、当代のレオンハルト陛下が、まだ13歳の王子だった頃に参加した第三次ガラハド戦争は、彼の活躍こそが一番の語り草となっているらしいが。
そして、十年ほど前に起こったのが第四次ガラハド戦争。王となったレオンハルト陛下が、黒竜王ガーヴィナルと一騎打ちの末に撃退したという伝説の戦いだ。先代の悪政から地道に国を建てなおしつつあった実績と、さらに防衛戦争における大戦果。二つが重なり、レオンハルト陛下は今もスパーダ国民から熱烈な支持を受け続けている。
「相手がダイダロスだろうが十字軍だろうが、スパーダ軍の強さは変わらないからな。そりゃあ期待もするだろう」男宝
さらに、これまでの戦争でしっかりと報酬が支払われたという実績もインセンティブの一つとなっているだろう。
スパーダは同盟関係にある都市国家群において、ダイダロスの侵略を防ぐ盾としての役目を務める代わりに、同盟各国から多大な援助を受け取っている。雇った冒険者達に気前よく報酬を弾んでも、スパーダの懐は痛まない。
ただその分、他国から直接的な戦力の応援はほとんど望めないようだが。精々、隣国のファーレンとアヴァロンから騎士団の一部隊が駆けつける程度だという。
まぁ、あんまり各国から集まりすぎたら指揮も混乱するし連携も不安と、色々問題あるだろうからな。何より、今までそれで上手くやってきたのだから、一つの体制として確立しており、今回の有事にも素早く対応できるというわけだ。すでに、それなりの金銭と物資がスパーダに集まりつつあるとウィルから聞いた。
「ねぇークロノー、すっごいキラキラしたのがいるよー」
真面目に戦争の状況について思いを巡らせていたところを、リリィのあどけない声で遮られる。
小さな人差し指が示す先には、この人ごみの中でも一際目立つ煌びやかな一団が見えた。古代ローマ兵のようなプレートアーマーは、金を基調として色鮮やかな装飾がされて何とも派手である。しかし、そこには確かな実用性と魔法の効果が秘められていることが、この距離からでも分かった。第六感が、微弱ながらも数々の魔力を察知してくれる。
そんな良い装備に身を包むのは、筋骨隆々の男達、いや、冒険者なら体格のよい男なのは当たり前なのだが、その中でも特に目を引く見事な肉体を誇っているのだ。腕や脚、あるいは肩や胸、腹なども一部露出しているようなデザインの鎧もあるお蔭で、その筋肉美が惜しげなく晒されている。
「なるほど、アレがプロ剣闘士ってヤツか」
実際に見たのは初めてだが、間違いないだろう。豪華な装備はスターとしての見た目に相応しく、それでいて、ただ歩く姿も堂々としていて隙がないのは、戦いのエキスパートであることを示している。
何より、彼らが歩む先では冒険者の誰もが道を譲り、見事に人垣が割れていく。俺も祝勝パーティで経験した、アレである。
「何か一人だけ、こっちに向かってきてませんか?」
胡乱な目つきでフィオナが言った通り、剣闘士集団から離脱して真っ直ぐこちらに向かって接近してくる人影が一つ。何でだ、というか誰だ、と疑問に思う間もなく、人の割れた道が俺達の目の前まで繋がった。
「やぁ、おはよう。君達が『エレメントマスター』で間違いないよね?」
堂々と現れた一人の男が、爽やかな笑顔を浮かべて声をかけてきた。
「……そうですけど」
ソイツは、とんでもない美形だった。
ゆるやかなウェーブを描く金髪は肩口に届くほど長く、柔和な青い目に泣き黒子が印象的な白皙の美貌。男のくせに、髪はリリィみたいに艶やかで繊細なプラチナブロンドだし、サファイアの澄んだ瞳はネルのような輝きを宿している。
とろけるような甘いマスクには、魅了チャームが宿っていると断言できる。俺も一瞬だけ、目を奪われた。
そんな美貌を誇っていながら、その首の下は鍛え上げられた筋肉の鎧をまとっている。傷痕どころか染み一つない白い肌は、不気味なほどに綺麗で、人というより彫刻像が動いているような印象だ。白い筋肉美を飾りたてる黄金のプレートメイルと真紅のマント姿は、正に芸術品。
「初めまして、僕はファルキウス。剣闘士団『スターライトスパーダ』の筆頭剣闘士プリンシパルを務めている――んだけど、その顔を見ると、僕のことは全く知らないようだね」
あはは、と苦笑を浮かべる様も、何とも絵になっている。おまけに、赤い唇から紡がれる声も麗しいテノールボイス。この顔と声で愛を囁かれたら、スパーダの女性は一発で落ちるだろう。
「いえ、その名前には聞き覚えがあります。確か、スパーダで一番人気の剣闘士ですよね」
スパーダに住んでいれば、剣闘の話題は自然と耳に入る。この国における剣闘ってのは、日本でいうプロ野球とサッカーとアイドルを一つに合わせたくらいに圧倒的な人気を誇っているのだから。
そんなスパーダ剣闘界のトップに君臨する選手の名前くらいは、いくら俺でも聞いたことはあった。勿論、顔までは知らなかったが、こうして本人を前にすれば納得せざるをえない。
ともかく、このファルキウスさんからは特に敵意のようなものは感じられない。とりあえず、馬から降りて俺も挨拶の一つでもしよう。
「『エレメントマスター』のクロノです。それで、貴方のようなスター選手が、俺達に何の用でしょうか?」
「ふふ、そんなに固くならないでほしいな。今は君の方が有名なくらいじゃないか、イスキアの英雄さん」
泣きじゃくる赤ん坊でも一発で泣きやむんじゃないかというほどの穏やかな笑顔を浮かべながら、ファルキウスさんが俺の肩に気安く手を置いた。
悪魔のローブ越しでも、その掌が本当に剣を握ったことがあるのか疑わしいほどに柔らかな感触が伝わる。
「ランク5冒険者と筆頭剣士プリンシパル、どちらが上ということもないだろう。敬語は必要ないし、僕のことは、気軽にファルって呼んでほしいな」
いや、それはちょっと……ここは少し妥協させてもらおう。漢方蟻力神
「ありがとう、ファルキウス」
「ふふ、今はそれでもいいかな。それじゃあ、僕はクロノ君と呼ばせてもらうよ」
屈託のない笑みで、真っ直ぐに俺の目を見つめてくるファルキウス。全くドキっとしない辺り、俺はノーマルなのだと安心できる。
「ああ、それで、こうしてやって来たのは、本当にただの挨拶さ。これから共に戦う『グラディエイター』の仲間としてね」
なるほど、特に裏はないようだ。
そう納得しかけたのだが、ファルキウスは俺の肩から手を離すどころか、そのままスルリと腕を滑り込ませて何とも自然に肩を組む姿勢に変わっていた。一瞬の早業、コイツ、手慣れてやがる。
「でもね、黒き悪夢の狂戦士ナイトメア・バーサーカーなんて恐ろしげな二つ名を持つ君のことは、前から気になっていたんだ。悪魔のような男だと、噂では聞いていたけれど――」
ほとんど体が密着状態。俺よりほんの数センチだけ低いくらいの高身長だから、顔も近い。ついでに、仄かに花のような甘い香りも漂ってくる。お上品な香水の匂いだ。
「驚いたよ、こんなに綺麗な男ヒトだったなんて。特に、この黒髪。アヴァロン王族よりも黒くて、暗くて、でも艶やかで、羨ましくなるほどに、魅力的だよ」
ファルキウスの空いている方の手が、俺の毛先を優しく撫でた。
思わず飛び退く。
「少し、離れてくれないか」
「初心なんだね。そういうところも、可愛いよ」
背筋がゾっとした。割と本気で。
脳裏によぎったのは、いつだったか、街中で姉貴がチャラい男にナンパされているところに遭遇したシーン。軽薄な美辞麗句を並べ立てるチャラ男を、心の底から軽蔑した眼差しを向ける姉の姿が印象的だった。
まぁ、あの場は俺が一声かけると、チャラ男は「すんません、今マジでこれしかないんで勘弁してください」と、財布の中から二千円札を投げ捨てて遁走していき、事なきを得たのだが。
軟派なナンパ男を一発で退散させる強面の俺が、まさか口説かれる側になるとは……異世界って、こんなに恐ろしい場所だったのか。
「ははは、ただの冗談さ。けど、少し馴れ馴れしすぎたかな、ごめんね」
一歩後ずさりながらも余裕の微笑みで謝るファルキウス。だが、その青い目が結構マジに見えるのは、俺の気のせいだろうか。気のせいだと信じたい。
「ところで、そちらの可愛らしい妖精のお嬢さんが、僕のことを睨みながらピカピカ光っているのは、どうしてかな?」
振り返り見れば、メリーの鞍の上で仁王立ちになって「うぅー」と威嚇しているリリィの姿が。
「クロノ、この人も危ないよ! 近づいちゃダメ!」
それには全く同感である。
しかしながら、あまり邪見にするわけにもいかないビッグネームでもある。それなりに仲良くしておきたいところだ。あくまでも、適度に距離を置いて。近づきすぎると怖い。
「すまん、ちょっと警戒しているだけだから」
「気にしてないよ、悪いのは僕だからね」
やはり爽やかに笑いながら、ファルキウスはメリーの元まで歩み寄り、睨みつけるリリィへと手を差し出した。
「すまなかったね、可愛い妖精さん。僕はファルキウス、よろしくね」
「リリィなの。クロノに触っちゃメっ! だからね!」
釘を刺しつつ、リリィは差し出されたファルキウスの白い指先を握って握手した。
「女性の嫉妬ほど怖いものはないからね、心得たよ」
何とか無事にリリィと自己紹介を交わした彼は、次に隣に控えるフィオナへ視線を移す。
「私のことはお構いなく」
そう言って小さくノーと手をふるフィオナ。これほどの美男を前にしても、興味の欠片もないとばかりの態度だ。
「魔女のお嬢さんは、クールなんだね」
いえ、ただの天然です。
肩をすくめる、というリアクションさえバッチリ決めてみせるファルキウスに、俺は心の中でそう突っ込んでおいた。
「それにしても、面白い面子のパーティだよね。僕は生粋の剣闘士だけど、冒険者ともそれなりに交流はあるんだ。君達は始めて見る構成だよ」
呪いの武器を使う黒魔法使いと、魔女と妖精だからな。俺だって同じ構成パーティなんて見たことない。まぁ、呪いの武器を使うヤツは少数だが一定数いるし、魔女も格好だけなら誰でもできる。だが、リリィのような半人半魔の妖精はそうそう見つからないだろう。
「戦ったら面白そうだけど、無理に舞台へは誘わないよ」
どこぞの金髪剣士のように戦闘狂ってわけではないようだ。ちょっと一安心である。
「ああ、でもそういえば、クロノ君だけは、上がったことがあるんだよね。それも、大闘技場グランドコロシアムのアリーナに」
「知ってたのか」
「見事なファイトだったようだね。君のお蔭で、僕のファンが少し減ったよ」
全く嫌味を感じさせない笑顔は、本当に気にしていないのだろう。冗談一つとっても、いちいち様になる。
「そうだ、良かったら今度選手として招待するよ。一度は舞台に上がったのだから、その気がないってわけじゃあ――」
「いや、遠慮させてもらう」
呪いの武器が欲しいだけだったからな。正直、強敵と戦いたいわけでも、人気が欲しいわけでもないからな。剣闘の舞台に上がるには、あまりに危険すぎる。
「残念、是非お手合わせ願いたかったんだけど。君となら絶対に良いファイトができる、そう確信している」
気が付けば、またファルキウスの立ち位置が近かった。ええい、その麗しい目で見つめるな。VVK
2015年5月11日星期一
本の呪縛と安らぎと
「あ、そういえば……進化の実、羊から貰ってるんだった」
俺は、ギルドからまず出た瞬間にそれを思い出した。
すっかり忘れてた……。まあ、黒龍神の件や、アルトリアさんのこともあって、慌ただしかったってのもあるけど……。新一粒神
「図書館で調べたり、馬を買ったりするよりも、まず進化の実だよな」
進化の実の凄さを一番知っているのは、俺だと思う。
サリアも進化したわけだから、凄いことは知ってるだろうけど、俺はそれ以上に進化の実の凄さを知っているし、感謝している。何度俺はあの実に助けられたことか……。
だからこそ、魔王なんかとは比べ物にならないほど、今の俺にとって、重要なものだった。
幸い、俺は道具屋にもともと用事があった。
それは、回復薬なんかを作ったりするための道具が欲しかったからだ。
「ちゃんとした道具や、ビンが必要だからなぁ」
クレバーモンキーは、そのビンすら自作してたわけだから凄い。
「えっと……おお、道具屋、意外と近いじゃん」
ガッスルから貰った簡単な地図を見てみると、ギルドからそれほど遠くない位置に道具屋の場所が示されていた。
「よし、んじゃまずは道具屋からだな」
そう決めた俺は、早速道具屋に向けて歩き出した。
道中、ロリコンのオッサンが、お菓子食べてる女の子を見て、息を荒げていたけど気にしない。あ、兵隊さん。あそこに犯罪者がいますよ。
しかし……ガッスルたちの話を聞くまで気にもしなかったが、よく周りを見てみれば、ジーパン姿の人とか結構いるな。地球とのギャップがなさ過ぎて、違和感を感じなかったんだろう。
他にも、地球で普通にありそうな服を着てる人もいるし。
勇者、少しは自重しろ。
そんなことを思いながら向かっていると、すぐに道具屋にたどり着いてしまった。
「ここか」
たどり着いた道具屋は、変った建物というわけでもない。ごく普通の店屋さんだった。
ドアを開けて入ると、見たこともない道具がずらりと並んでいた。
「おや? お客さんかい?」
不思議な道具の数々に驚いていると、おばちゃんが奥から出てきた。
「あ、どうも。ガッスルの紹介で来ました」
「ははは。そうかい。好きなだけ見ていきな」
おばちゃんは笑いながらそういうと、また店の奥に引っ込んでいった。
……いや、放置されても困るんですけど!?
そこらじゅうにある道具のほとんど俺知らないよ!?
「仕方ない……見てみるか」
商品には、商品名と値札が張り付けてあるので、名前とかからどういった道具なのか想像しよう。
最悪、スキルの『上級鑑定』使えばいいし。
「えっと……これは?」
そう言いながら、初めに手にしたものは、よく分からない白い球体だった。
値段は100Gである。
「お手頃価格だな。それで、名前は?」
名前を確認してみる。
『ただの玉』
「おいコラ店主!」
玉って! ただって! 一体何に使うんだよ!
いや、決めつけるのは早い。ただの玉って名前でも、何かしらの効果があるかもしれないじゃないか。
そう自分に言い聞かせ、スキルを発動させてみた。
『ただの玉』……本当にただの玉。猫の遊び道具にもなり、魔物にぶつければ魔物の気を引ける……かもしれない。
「チクショウ、本当にただの玉だ……!」
期待した俺が馬鹿だったよ!
最近、期待を裏切られる機会が多い気がする。主に、ガッスルとか、エリスさんとか……。
いきなりツッコミどころしかない商品に疲れたが、すぐに気を取り直す。
「んじゃ、この壺は?」
次に目に留まったモノは、妙な雰囲気のある壺だった。美人豹
何というか、錬金ができそう。
もしかしたら、そういう道具なのかもしれない。
結構な値段で、10万Gもする。それだけ貴重なのだろうか?
今度は、名前を確認せず、そのままスキルを発動させ、確認した。
『幸せの壺』……持ち主が幸せになれる気がする壺。売れれば、店主は幸せに。
「兵隊さああああああん!」
詐欺だ! ここに悪徳商売してる人がいます!
こんな店が存在してていいの!? つか、それ以上に、ガッスルはなんつー店を紹介してくれてるんだよ!
あれか? 何も知らない新人が痛い目を見て、それを教訓にできるから紹介したのか!? もしそうなら、悪質すぎる!
もはや、この店に対する信用は地に落ちていた。
しかし、よく周りを見てみれば、まともな商品も確かにある。
例えば、『異世界の紙』と書かれた商品は、この世界に召喚された勇者が編み出した製紙法で作られており、地球のモノよりは品質で劣るが、それでも羊皮紙とは比べ物にならない使いやすさを誇っていた。
値段も100枚で500G。安いのか高いのかよく分からないが、極端じゃない分、まだましだろう。
他にも、魔法石というアイテムを使って作られた、『魔導式カメラ』というものもあった。おそらく、このカメラのアイデアも、勇者のうちの誰かが伝えたんだろう。
ギルドのヤツで、盗撮するって言ってたけど、これでしてたのか……。
まだまだ俺の知らないものが多くあったが、いつまでも見ていては時間がもったいないので、俺は再び必要な道具を探した。
すると、特に苦労することなく、欲しいモノはすぐに見つかった。
「あった。えっと……乳鉢と乳棒。それに、空き瓶を……とりあえず10個でいいか」
進化の実を育てるために、一応プランターとジョウロ、それと麻袋に入れられた土を買うことにした。
一通り欲しいモノを選んだ俺は、奥に引っ込んだオバサンを呼んだ。
「すみません、お会計いいですか?」
「おや? もう決まったのかい?」
「ええ、まあ」
返事が多少雑になってしまうのは、いろいろとこの店のことを知ってしまったからだろう。
何か話すわけもなく、淡々と俺は会計を済ませた。値段は3000Gだったが、高いのか安いのか相変わらずわからない。
まあ、今のところ金には困ってないからいいんだけどさ。
店から出ると、再び賑やかな風景が俺の目に飛び込んできた。
「さて、次はどうするかな?」
正直、馬を買うにしても、それは最後がいいだろう。
今買ったら、いろいろ邪魔そうだしな。
「なら図書館か」
魔王のことや勇者のこと、魔法の本なんかもあれば、それも見てみたいと思った。
次の行先も決まった俺は、ガッスルから貰った地図を確認しつつ、図書館へと足を向けた。
「んー……デカい」
俺が図書館にたどり着いての第一声は、その一言だった。
俺の目の前には、地球の有名な美術館を思わせる、巨大な建物があった。
ステンドグラスや時計台もあり、綺麗な見た目でとても街に映えていた。
「ここが王立図書館ね」
これだけ大きければ、魔法の本とかいくらでもありそうだな。
そんなことを思いつつ、図書館に足を踏み入れると、中も綺麗で、とてつもない数の本棚に、ビッシリと並べられた本が目に入った。
図書館に入場料などは存在しないが、その代わり、本は貸し出していないそうだ。
単純に本を一般公開しているだけらしい。
それぞれの本には、すべて盗難防止の魔法がかけてあり、図書館から一歩でも持ち出そうとすれば、強制的に本が元あった本棚の位置まで転移させられるそうだ。魔法ってスゲー。
ただ、受付のようなものもないので、読みたい本があれば、自分で探さなくてはいけないらしい。
なので、俺も自分で探してみたが、本が多すぎて、途中から自分が何をしているのか分からなくなったよ。
でも、そんな苦労をしたおかげで、気になる本をいくつか見つけることができた。
それらの本を抱え、俺は図書館内の席に座る。
意外なことに人は一人もおらず、だだっ広い図書館を一人で占拠する形となった。
「よし、んじゃまずはこれから読むか」陰茎増大丸
そう言いながら俺が広げた本は、『勇者と魔王』という、そのまんま過ぎて題名がそのまま内容という本だった。
歴史書のように、難しい内容ではなく、子供向けの物語のようなものなのだが、一応の確認を込めて持ってきたのだ。
……まあ、結局無駄だったんですけど。
何故なら、この物語の内容は、人間側のいいように曲解されており、魔族が絶対的悪として描かれていたからだ。
俺が求めてるのは、もっと公平に、第三者的視点で描かれたものだった。
ま、そもそもそんなことを物語に求めてた俺がおかしいんだけど。
そんなことを思いながら、他の勇者と魔王関係のことが書かれた本を読み漁っていった。
だが、それでも俺の求めている内容はなかった。
どの本もすべて、魔王が悪で、勇者が正義となっているのだ。
もしかしたら、それが真実なのかもしれない。
でも、黒龍神の過去を見た今では、俺はとてもじゃないが、そうは思えなかった。
「上手くいかねぇな……」
思わずそう呟く。
しかし、そんな中でも一つだけおかしなことがある。
歴史書の中に登場する勇者は、最終的に魔王を討伐した後、全員が平和に暮らしたと書いてあるのだ。
勇者アベルの日記を読んだ俺は、それが信じられない。
あの日記の内容が本物なら、勇者は国によって殺されているはずだ。
「……勇者を召喚した国は、勇者を殺しただなんて死んでも記録に残したくないんだろうな」
ふとした拍子にそんな記録が勇者たちに知られれば、賢治たちが逃げ出したりするからな。殺される運命をわざわざ受け入れるヤツはいないだろう。
「仕方ない……魔王のことは諦めよう」
少なくとも、本による魔王に関する情報と、勇者に関する情報を俺は信用しないことにした。
「ま、気を取り直して、他の本でも見ますか」
そう言いながら広げた本は、俺たちのステータスについて、書かれた本だった。
今まで俺は、ステータスのことをゲームや漫画から得た知識を頼りに、自分で納得していたが、詳しく調べれば、違うかもしれない。
なので、この本を持ってきたのだ。
しかし、書かれている内容は、ほとんど俺の認識と変わらなかった。
それでも、魅力の部分だけは、俺の認識と少し違っていた。
今まで俺は、魅力は容姿の良さを表しているモノだと思っていた。もちろん、実際そうでもあるのだが、それだけじゃない。
なんと、その人の身に纏う雰囲気も、魅力の一つらしい。
だから、容姿が悪くても、人を惹きつける何かがあるのなら、その人の魅力は高いことになる。
よく、カリスマ性があるとかいうが、それもこの魅力が関係しているのだ。
……あれ? ということは、魅力が空欄状態だったりした俺はどうなんでしょうか? 人を惹きつける要素すらなかったということ?
軽くそんなことにへこんだが、すぐに復活した。
何故なら、今から読む本は、魔法のことが書かれた本だからだ。気にならないわけがない。
わくわく気分で広げた本の題名は、『魔法を使うには?』というモノだった。
読み進めてみると、魔法というそのものからの説明があった。
簡単にまとめると、魔法は魔力というエネルギーを消費することで、世界に直接干渉できる力……らしい。
魔法を発動させる条件としては、魔力が必要なことと、イメージする力が重要なんだとか。
そのイメージを固定しやすくするために、詠唱というモノが存在し、詠唱破棄や、無詠唱といった技術を持つ魔法使いは、それが自然にできている一流の魔法使いらしい。
……おかしくね? 俺、まったくイメージせずに魔法を使いまくってたんですけど。
だから、サリアとの戦闘のときに、自分の真上に大量の水を落とすような醜態をさらしたんだよ? だってどんな魔法か知らねぇんだもん。
おそらくだが、俺が魔法を使えていた理由は、もう習得済みの状態で手に入れたため、イメージするという工程が必要じゃなくなったんだろう。……うわぁ。
そんなことを思っていると、突然頭の中に無機質な声が響いた。
『スキル≪無詠唱≫を習得しました』
…………。
「……っふ~……」
まぁたやっちまったよ……。
流石、称号に自重知らずがあるだけあるな。なんも知らない俺が、いきなり一流クラスのスキルを身に着けちまった……。
交番の落し物中に、自重って届いてないかなぁ。
遠い目をしながら、割と本気でそんなくだらないことを考える俺。
しかし、もう俺が普通の人間じゃないことは理解しているので、結構早い段階で立ち直ることができた。
そのあとは、それぞれの属性別に分かれた魔法の本を、初級編から上級編、そして最上級編までを俺は読んでいった。流石に煉獄属性の魔法の本はなかったけどね。
そんな中で、意外だったのが、空間魔法のことについて書かれた本がなかったことだ。
アイテムボックスのこともあるし、本はあると思ってたんだけどな。
なので、俺が読むことができた属性の本は、基本属性である火、水、風、土、雷、氷、光、闇だ。
読んでみた本で、俺の火、水、土属性、そして闇属性の本に書かれていた魔法の全ては、俺の知識の中にある魔法と同じだった。
だから、それらの属性の本を読み終えた時、俺は自分が使える魔法を完全に把握できていた。空間魔法を除いてだが。絶對高潮
「よし。これで、初めて使った魔法の二の舞にはならないぞ」
消費魔力しか今まで分かっていなかったが、効果や威力まで詳しく書いてあったのだ。
ただ、俺が使う魔法は、威力が桁違いなので、そこは当てにしていないが……。
こうして、火、水、土、闇属性の魔法の本を読み終えた俺は、残りの無、風、雷、氷、光属性の魔法の本も読んでみることにした。
今は使えないが、いつか使えるようになるかもしれないし、もし相手にこれらの属性を使うヤツがいれば、対応できると思ったからだ。
火や水は、攻撃力が高そうな魔法が多いが、風や雷は、どちらかといえば、応用のききそうな、万能系統の魔法が多かった。そう言った意味では、風、土属性が使いやすいのだろう。
何気に、無属性魔法が応用の幅が広かった。身体強化や、単純にモノを浮かせたり、直接攻撃する手段は少ないが、使い方によっては非常に強力だと俺は思う。
とにかく、俺は全ての属性の魔法の本を読み終えてしまった。時間も、地球のころの俺では考えられないほど早く読み終わったと思う。これも、進化の恩恵か?
「ふぅ……終わったぁ!」
背伸びをしながら、そう言った瞬間だった。
『【無属性魔法:極】を習得しました。【風属性魔法:極】を習得しました。【雷属性魔法:極】を習得しました。【氷属性魔法:極】を習得しました。【光属性魔法:極】を習得しました。称号【魔導の極致】を習得しました。全属性魔法を最高状態で習得したことを確認。よって、スキル【合成魔法】、【多数展開】、【魔法創造】、【刻印魔法:極】、【陣形魔法:極】を習得しました』
そんな無慈悲な声が、再び頭に響いた。
「…………」
おかしいなぁ。目から血涙が止まらないのは何故だろう?
いや……ね? おかしくね? 俺、本読んでただけなんだぞ? それでコレだよ?
もしかして、俺って気軽に本すら読めないわけ? 読むたびにこれの二の舞? え、呪い?
もう、ツッコむ気力がほぼ残っていない俺だったが、なんとかその少ない気力を振り絞り、習得したスキルや魔法を確認していく。
ただ、無、火、水、風、土、雷、氷、光、闇属性の魔法は、確認しなくてもなんとなく分かるので、それ以外を確認していく。
『無詠唱』……詠唱せずに、魔法を使用することができる。
『魔導の極致』……全属性魔法を極めたものに送られる称号。魔法の攻撃力が2倍になる。
『合成魔法』……違う属性同士や、同じ属性同士の魔法を合成させ、強力な魔法を生み出すことができる。
『多数展開』……属性に縛られることなく、同時に多数の魔法を使用することができる。
『魔法創造』……今までにない、自分だけの魔法を創り出すことができる。創り出した後は、無詠唱で発動できる。創り出す前は、より明確なイメージが必要となり、名前も決める必要がある。
『刻印魔法:極』……剣やアクセサリーなどに、魔法を刻み込むことができる。
『陣形魔法:極』……魔法陣を用いた、強力な魔法を使うことができる。
「ダ~メだこりゃ、手におえねぇ……!」
俺は、まだまだ人間からかけ離れていくようです。
「……」
図書館からでた俺は、精神的に疲れていた。
どーしよ、俺。何目指す? 勇者? それとも魔王? 今なら、どっちもイケる気がする。それこそ、コンビニに行くくらいの気分で。ハハ、まじヨユー。
どんよりとした気分のまま、街を歩いていると、いつの間にか広場のような場所に着ていた。
「……うーん、賑わってるなぁ」
おそらく魔法か何かの力が働いている噴水を中心に、周囲には数多くの露店が立ち並んでいた。
美味しそうな匂いを立ち昇らせる店や、ド派手なインパクト抜群の巨大な絵画を売る人。様々な人が、そこで売ったり買ったりしている。Xing霸 性霸2000
「そう言えば、昼飯食べてなかったな」
図書館にいたせいで、時間がよく分かっていなかったが、気づけばお昼を過ぎていたのだ。それでも、お昼を過ぎる程度の時間以内に、多くの本を読んだ俺は異常だと思う。
「なんとなく、人が多いこの広場で食べたくないな……」
今の俺の気分は、賑やかな広場で食べるより、落ち着いた店内で食べたかった。
そんなことを思いながら、広場を歩いていると、ふと視界に一つの店が映りこんだ。
他の露店のように、しっかりとした屋台があるわけでもなく、お客さんも一人もいない。
ただ、地面にシートを広げて、絵画らしきものを売っているだけだった。
地球のころの俺は、人並み程度にしか芸術には興味がなかったのだが、何故か、その店に俺は自然と足が向いていた。
店には、一人の女の子が座っている。それも、犬の耳が生えた女の子だ。おそらく店主だろう。耳、触ってみたい……。
俺より少し年下くらいで、顔だちは可愛らしいのだが、今はそんな顔も沈んでいた。
俺が店の前まで来ると、女の子は顔を上げる。
「あ……い、いらっしゃいませ!」
すると、沈んでいた表情を消して、元気な挨拶をくれた。
女の子の様子を観察しながら、商品である絵も見てみる。
「!」
これは……。
俺は、そこに並べられた絵に思わず魅入ってしまった。
派手さがあるわけでもない。何か、変わった画風なわけでもない。
ハッキリ言えば、大きな特徴があるわけではないのだが、並んでいる絵の全てが俺には魅力的に見えた。
水を飲む鳥の絵、談笑する人の絵、夕焼けに染まるこの街の絵、夜空の絵……どれも、日常の中にある、些細なことを題材にした絵だった。
ここに来た時見た、ド派手な絵を売っている人のところには多くの人が並んでいたが、ここは一人もいない。
それが俺には不思議だった。
だって、ド派手な絵……あれ、何描いてあるのか分からなかったんだもん。ピカソは、きちんと絵を描ける上で、あの独創的な絵を描き上げて、人々を感動させていたけど、あの絵からは俺は何も感じなかった。
まあ、ピカソの絵ですら、教科書で見たりして、凄いなと思った程度だし、そもそもそんなハッキリとした芸術的感性が俺にはあるとも思えないので、何とも言えないのだが。
「これ、全部君が描いたのかい?」
思わずそう訊いてしまった。
すると、女の子はいきなり訊かれたことに驚いたのか、少し目を開いた後、すぐに「はいっ!」と答えた。
スゲー……。俺、絵とか全然描けないぞ。見た感じ俺より年下なのに……。
とにかく、俺は女の子の絵に感動した。
この世界に来て、初めて興味を持った絵だしぁ……一枚、買っていくか。
そう思った俺は、中でも一番心惹かれた、夕焼けに染まる街の絵を買うことに決めた。
「この絵、いくらかな?」
「え? えっと……1000Gです」
うーん……絵だから、余計に相場が分からない。高いのか? 安いのか?
どちらにせよ、好きで買うわけだから、いくらだろうが、後悔はしないと思った。
「じゃあ、この絵をください」
「あ……あ、ありがとうございます!」
女の子は、感極まった様子で、俺から1000Gを受け取ると、丁寧に絵を包装してくれた。
また今度、額縁買わなきゃな。
そんなことを考えていると、包装が終わった絵を、俺に渡してくれた。
「ありがとう」
絵を受け取ると、俺はすぐにアイテムボックスに仕舞う。傷ついたら嫌だし。
「あ、ありがとうございましたっ!」
店を後にしようとすると、女の子は立ち上がって、お辞儀をしてきた。
スゲー喜ばれてるけど、そんなに売れてなかったのかな? いい絵なのにな。
なんとなく納得できないまま、俺は休憩できる店を探すことにした。
「中々ないなぁ……」
広場から離れて、俺は休憩できそうな店を探していた。
だが、道沿いにある店は、どこもお客さんでいっぱいで、とてもじゃないが、ゆっくりできそうではなかった。昼時だしね。
あまりにも見つからないので、俺は少し人が少ない場所に行ってみることにした。
それは、思い出したくないが、ギルドに来た直後、あの恐ろしいホモ集団に襲われた場所だったりする。
あそこ周辺は、人気がなかったので、そこを中心的に探せば、一軒くらい見つかるだろう。
しかし、意外なことに、案外あっさりと人気の少ない店が見つかった。九州神龍
俺は、ギルドからまず出た瞬間にそれを思い出した。
すっかり忘れてた……。まあ、黒龍神の件や、アルトリアさんのこともあって、慌ただしかったってのもあるけど……。新一粒神
「図書館で調べたり、馬を買ったりするよりも、まず進化の実だよな」
進化の実の凄さを一番知っているのは、俺だと思う。
サリアも進化したわけだから、凄いことは知ってるだろうけど、俺はそれ以上に進化の実の凄さを知っているし、感謝している。何度俺はあの実に助けられたことか……。
だからこそ、魔王なんかとは比べ物にならないほど、今の俺にとって、重要なものだった。
幸い、俺は道具屋にもともと用事があった。
それは、回復薬なんかを作ったりするための道具が欲しかったからだ。
「ちゃんとした道具や、ビンが必要だからなぁ」
クレバーモンキーは、そのビンすら自作してたわけだから凄い。
「えっと……おお、道具屋、意外と近いじゃん」
ガッスルから貰った簡単な地図を見てみると、ギルドからそれほど遠くない位置に道具屋の場所が示されていた。
「よし、んじゃまずは道具屋からだな」
そう決めた俺は、早速道具屋に向けて歩き出した。
道中、ロリコンのオッサンが、お菓子食べてる女の子を見て、息を荒げていたけど気にしない。あ、兵隊さん。あそこに犯罪者がいますよ。
しかし……ガッスルたちの話を聞くまで気にもしなかったが、よく周りを見てみれば、ジーパン姿の人とか結構いるな。地球とのギャップがなさ過ぎて、違和感を感じなかったんだろう。
他にも、地球で普通にありそうな服を着てる人もいるし。
勇者、少しは自重しろ。
そんなことを思いながら向かっていると、すぐに道具屋にたどり着いてしまった。
「ここか」
たどり着いた道具屋は、変った建物というわけでもない。ごく普通の店屋さんだった。
ドアを開けて入ると、見たこともない道具がずらりと並んでいた。
「おや? お客さんかい?」
不思議な道具の数々に驚いていると、おばちゃんが奥から出てきた。
「あ、どうも。ガッスルの紹介で来ました」
「ははは。そうかい。好きなだけ見ていきな」
おばちゃんは笑いながらそういうと、また店の奥に引っ込んでいった。
……いや、放置されても困るんですけど!?
そこらじゅうにある道具のほとんど俺知らないよ!?
「仕方ない……見てみるか」
商品には、商品名と値札が張り付けてあるので、名前とかからどういった道具なのか想像しよう。
最悪、スキルの『上級鑑定』使えばいいし。
「えっと……これは?」
そう言いながら、初めに手にしたものは、よく分からない白い球体だった。
値段は100Gである。
「お手頃価格だな。それで、名前は?」
名前を確認してみる。
『ただの玉』
「おいコラ店主!」
玉って! ただって! 一体何に使うんだよ!
いや、決めつけるのは早い。ただの玉って名前でも、何かしらの効果があるかもしれないじゃないか。
そう自分に言い聞かせ、スキルを発動させてみた。
『ただの玉』……本当にただの玉。猫の遊び道具にもなり、魔物にぶつければ魔物の気を引ける……かもしれない。
「チクショウ、本当にただの玉だ……!」
期待した俺が馬鹿だったよ!
最近、期待を裏切られる機会が多い気がする。主に、ガッスルとか、エリスさんとか……。
いきなりツッコミどころしかない商品に疲れたが、すぐに気を取り直す。
「んじゃ、この壺は?」
次に目に留まったモノは、妙な雰囲気のある壺だった。美人豹
何というか、錬金ができそう。
もしかしたら、そういう道具なのかもしれない。
結構な値段で、10万Gもする。それだけ貴重なのだろうか?
今度は、名前を確認せず、そのままスキルを発動させ、確認した。
『幸せの壺』……持ち主が幸せになれる気がする壺。売れれば、店主は幸せに。
「兵隊さああああああん!」
詐欺だ! ここに悪徳商売してる人がいます!
こんな店が存在してていいの!? つか、それ以上に、ガッスルはなんつー店を紹介してくれてるんだよ!
あれか? 何も知らない新人が痛い目を見て、それを教訓にできるから紹介したのか!? もしそうなら、悪質すぎる!
もはや、この店に対する信用は地に落ちていた。
しかし、よく周りを見てみれば、まともな商品も確かにある。
例えば、『異世界の紙』と書かれた商品は、この世界に召喚された勇者が編み出した製紙法で作られており、地球のモノよりは品質で劣るが、それでも羊皮紙とは比べ物にならない使いやすさを誇っていた。
値段も100枚で500G。安いのか高いのかよく分からないが、極端じゃない分、まだましだろう。
他にも、魔法石というアイテムを使って作られた、『魔導式カメラ』というものもあった。おそらく、このカメラのアイデアも、勇者のうちの誰かが伝えたんだろう。
ギルドのヤツで、盗撮するって言ってたけど、これでしてたのか……。
まだまだ俺の知らないものが多くあったが、いつまでも見ていては時間がもったいないので、俺は再び必要な道具を探した。
すると、特に苦労することなく、欲しいモノはすぐに見つかった。
「あった。えっと……乳鉢と乳棒。それに、空き瓶を……とりあえず10個でいいか」
進化の実を育てるために、一応プランターとジョウロ、それと麻袋に入れられた土を買うことにした。
一通り欲しいモノを選んだ俺は、奥に引っ込んだオバサンを呼んだ。
「すみません、お会計いいですか?」
「おや? もう決まったのかい?」
「ええ、まあ」
返事が多少雑になってしまうのは、いろいろとこの店のことを知ってしまったからだろう。
何か話すわけもなく、淡々と俺は会計を済ませた。値段は3000Gだったが、高いのか安いのか相変わらずわからない。
まあ、今のところ金には困ってないからいいんだけどさ。
店から出ると、再び賑やかな風景が俺の目に飛び込んできた。
「さて、次はどうするかな?」
正直、馬を買うにしても、それは最後がいいだろう。
今買ったら、いろいろ邪魔そうだしな。
「なら図書館か」
魔王のことや勇者のこと、魔法の本なんかもあれば、それも見てみたいと思った。
次の行先も決まった俺は、ガッスルから貰った地図を確認しつつ、図書館へと足を向けた。
「んー……デカい」
俺が図書館にたどり着いての第一声は、その一言だった。
俺の目の前には、地球の有名な美術館を思わせる、巨大な建物があった。
ステンドグラスや時計台もあり、綺麗な見た目でとても街に映えていた。
「ここが王立図書館ね」
これだけ大きければ、魔法の本とかいくらでもありそうだな。
そんなことを思いつつ、図書館に足を踏み入れると、中も綺麗で、とてつもない数の本棚に、ビッシリと並べられた本が目に入った。
図書館に入場料などは存在しないが、その代わり、本は貸し出していないそうだ。
単純に本を一般公開しているだけらしい。
それぞれの本には、すべて盗難防止の魔法がかけてあり、図書館から一歩でも持ち出そうとすれば、強制的に本が元あった本棚の位置まで転移させられるそうだ。魔法ってスゲー。
ただ、受付のようなものもないので、読みたい本があれば、自分で探さなくてはいけないらしい。
なので、俺も自分で探してみたが、本が多すぎて、途中から自分が何をしているのか分からなくなったよ。
でも、そんな苦労をしたおかげで、気になる本をいくつか見つけることができた。
それらの本を抱え、俺は図書館内の席に座る。
意外なことに人は一人もおらず、だだっ広い図書館を一人で占拠する形となった。
「よし、んじゃまずはこれから読むか」陰茎増大丸
そう言いながら俺が広げた本は、『勇者と魔王』という、そのまんま過ぎて題名がそのまま内容という本だった。
歴史書のように、難しい内容ではなく、子供向けの物語のようなものなのだが、一応の確認を込めて持ってきたのだ。
……まあ、結局無駄だったんですけど。
何故なら、この物語の内容は、人間側のいいように曲解されており、魔族が絶対的悪として描かれていたからだ。
俺が求めてるのは、もっと公平に、第三者的視点で描かれたものだった。
ま、そもそもそんなことを物語に求めてた俺がおかしいんだけど。
そんなことを思いながら、他の勇者と魔王関係のことが書かれた本を読み漁っていった。
だが、それでも俺の求めている内容はなかった。
どの本もすべて、魔王が悪で、勇者が正義となっているのだ。
もしかしたら、それが真実なのかもしれない。
でも、黒龍神の過去を見た今では、俺はとてもじゃないが、そうは思えなかった。
「上手くいかねぇな……」
思わずそう呟く。
しかし、そんな中でも一つだけおかしなことがある。
歴史書の中に登場する勇者は、最終的に魔王を討伐した後、全員が平和に暮らしたと書いてあるのだ。
勇者アベルの日記を読んだ俺は、それが信じられない。
あの日記の内容が本物なら、勇者は国によって殺されているはずだ。
「……勇者を召喚した国は、勇者を殺しただなんて死んでも記録に残したくないんだろうな」
ふとした拍子にそんな記録が勇者たちに知られれば、賢治たちが逃げ出したりするからな。殺される運命をわざわざ受け入れるヤツはいないだろう。
「仕方ない……魔王のことは諦めよう」
少なくとも、本による魔王に関する情報と、勇者に関する情報を俺は信用しないことにした。
「ま、気を取り直して、他の本でも見ますか」
そう言いながら広げた本は、俺たちのステータスについて、書かれた本だった。
今まで俺は、ステータスのことをゲームや漫画から得た知識を頼りに、自分で納得していたが、詳しく調べれば、違うかもしれない。
なので、この本を持ってきたのだ。
しかし、書かれている内容は、ほとんど俺の認識と変わらなかった。
それでも、魅力の部分だけは、俺の認識と少し違っていた。
今まで俺は、魅力は容姿の良さを表しているモノだと思っていた。もちろん、実際そうでもあるのだが、それだけじゃない。
なんと、その人の身に纏う雰囲気も、魅力の一つらしい。
だから、容姿が悪くても、人を惹きつける何かがあるのなら、その人の魅力は高いことになる。
よく、カリスマ性があるとかいうが、それもこの魅力が関係しているのだ。
……あれ? ということは、魅力が空欄状態だったりした俺はどうなんでしょうか? 人を惹きつける要素すらなかったということ?
軽くそんなことにへこんだが、すぐに復活した。
何故なら、今から読む本は、魔法のことが書かれた本だからだ。気にならないわけがない。
わくわく気分で広げた本の題名は、『魔法を使うには?』というモノだった。
読み進めてみると、魔法というそのものからの説明があった。
簡単にまとめると、魔法は魔力というエネルギーを消費することで、世界に直接干渉できる力……らしい。
魔法を発動させる条件としては、魔力が必要なことと、イメージする力が重要なんだとか。
そのイメージを固定しやすくするために、詠唱というモノが存在し、詠唱破棄や、無詠唱といった技術を持つ魔法使いは、それが自然にできている一流の魔法使いらしい。
……おかしくね? 俺、まったくイメージせずに魔法を使いまくってたんですけど。
だから、サリアとの戦闘のときに、自分の真上に大量の水を落とすような醜態をさらしたんだよ? だってどんな魔法か知らねぇんだもん。
おそらくだが、俺が魔法を使えていた理由は、もう習得済みの状態で手に入れたため、イメージするという工程が必要じゃなくなったんだろう。……うわぁ。
そんなことを思っていると、突然頭の中に無機質な声が響いた。
『スキル≪無詠唱≫を習得しました』
…………。
「……っふ~……」
まぁたやっちまったよ……。
流石、称号に自重知らずがあるだけあるな。なんも知らない俺が、いきなり一流クラスのスキルを身に着けちまった……。
交番の落し物中に、自重って届いてないかなぁ。
遠い目をしながら、割と本気でそんなくだらないことを考える俺。
しかし、もう俺が普通の人間じゃないことは理解しているので、結構早い段階で立ち直ることができた。
そのあとは、それぞれの属性別に分かれた魔法の本を、初級編から上級編、そして最上級編までを俺は読んでいった。流石に煉獄属性の魔法の本はなかったけどね。
そんな中で、意外だったのが、空間魔法のことについて書かれた本がなかったことだ。
アイテムボックスのこともあるし、本はあると思ってたんだけどな。
なので、俺が読むことができた属性の本は、基本属性である火、水、風、土、雷、氷、光、闇だ。
読んでみた本で、俺の火、水、土属性、そして闇属性の本に書かれていた魔法の全ては、俺の知識の中にある魔法と同じだった。
だから、それらの属性の本を読み終えた時、俺は自分が使える魔法を完全に把握できていた。空間魔法を除いてだが。絶對高潮
「よし。これで、初めて使った魔法の二の舞にはならないぞ」
消費魔力しか今まで分かっていなかったが、効果や威力まで詳しく書いてあったのだ。
ただ、俺が使う魔法は、威力が桁違いなので、そこは当てにしていないが……。
こうして、火、水、土、闇属性の魔法の本を読み終えた俺は、残りの無、風、雷、氷、光属性の魔法の本も読んでみることにした。
今は使えないが、いつか使えるようになるかもしれないし、もし相手にこれらの属性を使うヤツがいれば、対応できると思ったからだ。
火や水は、攻撃力が高そうな魔法が多いが、風や雷は、どちらかといえば、応用のききそうな、万能系統の魔法が多かった。そう言った意味では、風、土属性が使いやすいのだろう。
何気に、無属性魔法が応用の幅が広かった。身体強化や、単純にモノを浮かせたり、直接攻撃する手段は少ないが、使い方によっては非常に強力だと俺は思う。
とにかく、俺は全ての属性の魔法の本を読み終えてしまった。時間も、地球のころの俺では考えられないほど早く読み終わったと思う。これも、進化の恩恵か?
「ふぅ……終わったぁ!」
背伸びをしながら、そう言った瞬間だった。
『【無属性魔法:極】を習得しました。【風属性魔法:極】を習得しました。【雷属性魔法:極】を習得しました。【氷属性魔法:極】を習得しました。【光属性魔法:極】を習得しました。称号【魔導の極致】を習得しました。全属性魔法を最高状態で習得したことを確認。よって、スキル【合成魔法】、【多数展開】、【魔法創造】、【刻印魔法:極】、【陣形魔法:極】を習得しました』
そんな無慈悲な声が、再び頭に響いた。
「…………」
おかしいなぁ。目から血涙が止まらないのは何故だろう?
いや……ね? おかしくね? 俺、本読んでただけなんだぞ? それでコレだよ?
もしかして、俺って気軽に本すら読めないわけ? 読むたびにこれの二の舞? え、呪い?
もう、ツッコむ気力がほぼ残っていない俺だったが、なんとかその少ない気力を振り絞り、習得したスキルや魔法を確認していく。
ただ、無、火、水、風、土、雷、氷、光、闇属性の魔法は、確認しなくてもなんとなく分かるので、それ以外を確認していく。
『無詠唱』……詠唱せずに、魔法を使用することができる。
『魔導の極致』……全属性魔法を極めたものに送られる称号。魔法の攻撃力が2倍になる。
『合成魔法』……違う属性同士や、同じ属性同士の魔法を合成させ、強力な魔法を生み出すことができる。
『多数展開』……属性に縛られることなく、同時に多数の魔法を使用することができる。
『魔法創造』……今までにない、自分だけの魔法を創り出すことができる。創り出した後は、無詠唱で発動できる。創り出す前は、より明確なイメージが必要となり、名前も決める必要がある。
『刻印魔法:極』……剣やアクセサリーなどに、魔法を刻み込むことができる。
『陣形魔法:極』……魔法陣を用いた、強力な魔法を使うことができる。
「ダ~メだこりゃ、手におえねぇ……!」
俺は、まだまだ人間からかけ離れていくようです。
「……」
図書館からでた俺は、精神的に疲れていた。
どーしよ、俺。何目指す? 勇者? それとも魔王? 今なら、どっちもイケる気がする。それこそ、コンビニに行くくらいの気分で。ハハ、まじヨユー。
どんよりとした気分のまま、街を歩いていると、いつの間にか広場のような場所に着ていた。
「……うーん、賑わってるなぁ」
おそらく魔法か何かの力が働いている噴水を中心に、周囲には数多くの露店が立ち並んでいた。
美味しそうな匂いを立ち昇らせる店や、ド派手なインパクト抜群の巨大な絵画を売る人。様々な人が、そこで売ったり買ったりしている。Xing霸 性霸2000
「そう言えば、昼飯食べてなかったな」
図書館にいたせいで、時間がよく分かっていなかったが、気づけばお昼を過ぎていたのだ。それでも、お昼を過ぎる程度の時間以内に、多くの本を読んだ俺は異常だと思う。
「なんとなく、人が多いこの広場で食べたくないな……」
今の俺の気分は、賑やかな広場で食べるより、落ち着いた店内で食べたかった。
そんなことを思いながら、広場を歩いていると、ふと視界に一つの店が映りこんだ。
他の露店のように、しっかりとした屋台があるわけでもなく、お客さんも一人もいない。
ただ、地面にシートを広げて、絵画らしきものを売っているだけだった。
地球のころの俺は、人並み程度にしか芸術には興味がなかったのだが、何故か、その店に俺は自然と足が向いていた。
店には、一人の女の子が座っている。それも、犬の耳が生えた女の子だ。おそらく店主だろう。耳、触ってみたい……。
俺より少し年下くらいで、顔だちは可愛らしいのだが、今はそんな顔も沈んでいた。
俺が店の前まで来ると、女の子は顔を上げる。
「あ……い、いらっしゃいませ!」
すると、沈んでいた表情を消して、元気な挨拶をくれた。
女の子の様子を観察しながら、商品である絵も見てみる。
「!」
これは……。
俺は、そこに並べられた絵に思わず魅入ってしまった。
派手さがあるわけでもない。何か、変わった画風なわけでもない。
ハッキリ言えば、大きな特徴があるわけではないのだが、並んでいる絵の全てが俺には魅力的に見えた。
水を飲む鳥の絵、談笑する人の絵、夕焼けに染まるこの街の絵、夜空の絵……どれも、日常の中にある、些細なことを題材にした絵だった。
ここに来た時見た、ド派手な絵を売っている人のところには多くの人が並んでいたが、ここは一人もいない。
それが俺には不思議だった。
だって、ド派手な絵……あれ、何描いてあるのか分からなかったんだもん。ピカソは、きちんと絵を描ける上で、あの独創的な絵を描き上げて、人々を感動させていたけど、あの絵からは俺は何も感じなかった。
まあ、ピカソの絵ですら、教科書で見たりして、凄いなと思った程度だし、そもそもそんなハッキリとした芸術的感性が俺にはあるとも思えないので、何とも言えないのだが。
「これ、全部君が描いたのかい?」
思わずそう訊いてしまった。
すると、女の子はいきなり訊かれたことに驚いたのか、少し目を開いた後、すぐに「はいっ!」と答えた。
スゲー……。俺、絵とか全然描けないぞ。見た感じ俺より年下なのに……。
とにかく、俺は女の子の絵に感動した。
この世界に来て、初めて興味を持った絵だしぁ……一枚、買っていくか。
そう思った俺は、中でも一番心惹かれた、夕焼けに染まる街の絵を買うことに決めた。
「この絵、いくらかな?」
「え? えっと……1000Gです」
うーん……絵だから、余計に相場が分からない。高いのか? 安いのか?
どちらにせよ、好きで買うわけだから、いくらだろうが、後悔はしないと思った。
「じゃあ、この絵をください」
「あ……あ、ありがとうございます!」
女の子は、感極まった様子で、俺から1000Gを受け取ると、丁寧に絵を包装してくれた。
また今度、額縁買わなきゃな。
そんなことを考えていると、包装が終わった絵を、俺に渡してくれた。
「ありがとう」
絵を受け取ると、俺はすぐにアイテムボックスに仕舞う。傷ついたら嫌だし。
「あ、ありがとうございましたっ!」
店を後にしようとすると、女の子は立ち上がって、お辞儀をしてきた。
スゲー喜ばれてるけど、そんなに売れてなかったのかな? いい絵なのにな。
なんとなく納得できないまま、俺は休憩できる店を探すことにした。
「中々ないなぁ……」
広場から離れて、俺は休憩できそうな店を探していた。
だが、道沿いにある店は、どこもお客さんでいっぱいで、とてもじゃないが、ゆっくりできそうではなかった。昼時だしね。
あまりにも見つからないので、俺は少し人が少ない場所に行ってみることにした。
それは、思い出したくないが、ギルドに来た直後、あの恐ろしいホモ集団に襲われた場所だったりする。
あそこ周辺は、人気がなかったので、そこを中心的に探せば、一軒くらい見つかるだろう。
しかし、意外なことに、案外あっさりと人気の少ない店が見つかった。九州神龍
2015年5月8日星期五
神殺し達
戦いの前の空気。肌を刺す緊張感と、死が近くにあるという重苦しさ。
冒険者たちが集まって暖を取る焚火の明かりに照らされながら、大きく息を吸って、吐く。そんな空気が、肌に纏わり付く。
胸の辺りがキリキリと痛む。締め付けられるような、小さな針でチクチクと刺されているような。MMC BOKIN V8
周囲の冒険者たちを見やる。十代後半の若者たちばかり。中には、もっと若い子供のような冒険者も居る。それは別段珍しい事ではない。
だが、どうやら俺の周りの参加者たちは、大規模戦闘が初めて――もしくは慣れていないのかもしれない。そう考え、もう一度息を大きく吸って、吐く。
これから戦う。ゴブリンと。沢山の冒険者たちと一緒に。沢山のゴブリンと戦う。殺し合う。
沢山の仲間が居る事に安心する者も居れば、沢山のゴブリンに恐怖を抱く者も居る。若くて血気盛ん故に参加したのだろうが、作戦直前になって怖くなっているのだろう。
昔の自分を見ているようだ、とポケットの中のエルメンヒルデの縁ふちをなぞる。
『どうした?』
「緊張している」
『……堂々と言うような事か?』
ゴブリンだなんて戦い慣れている。何度も戦った。何匹も殺した。平原で、洞窟で、森の中で、街中で。
だからといって、怖くない訳がない。特に、これから一緒に戦う――背中を預けるべき仲間が緊張している状況に、俺にもその緊張が伝播している。
空を見上げると燦々と輝く太陽が、もうすぐ中天へと昇る。作戦決行まであと僅か。
参加者の数は、俺のような接近戦しかできない冒険者が約五十。魔術師や射手が約三十。魔術都市オーファンから出て、約一キロほど南の位置に俺達は陣取っている。
ここならゴブリンがオーファンに直接危害を加えるのは難しいし、オーファンの防壁からゴブリン達の動きも見える。何か動きがあったら狼煙で知らせる手はずになっている。
そしてゴブリンは――。
「絶景かな、絶景かな」
『どこがだ。気持ち悪い』
視線の先、開けた草原の真ん中で、土色のゴブリンの集団が一塊になっている。距離としては、一キロほど離れているかもしれない。目を細めないと確認できないくらいには、距離が開けている。
今は、今朝方からあの辺りへ撒いてあるオークや野生動物の肉を貪り食っている事だろう。それはあたかも一つの生物のようで、嫌悪感すら感じさせられる。住処に持って帰ろうとしないあたり、それなりの知性はあってもやはり野生だな、と思ってしまう。
その数、二百匹以上。おそらく二百五十匹近いだろう。こちらは八十人程なので、一人あたりノルマは三匹だ。
よくもまぁ、あんなに集まったものだと思う。
そして、同時に裏で何かが動いているようにも感じてしまう。
ゴブリンには群れる習性があるが、ここまでの数が一纏まりになって行動する事は無い。単純に、数が増えれば強力なのかもしれない。だが、数が増えれば纏める者――指揮官頭が必要になる。
ゴブリンに慣れた冒険者なら気付いているはずだ。二百五十匹ものゴブリンが集まる異常性に。
「最近、面倒事ばかりに巻き込まれてる気がする」
三ヶ月くらい前は一角鬼オーガが田舎の村に突然現れた。二週間ほど前は、魔神の炎を使う黒いオーク。
今回は、二百匹以上のゴブリンの集団だ。面倒事だとしか言いようがない。そして、その面倒事に自分から関わっているのだからどうしようもない。
宗一と阿弥はどうして居るだろうか? そう思い、魔術師たちが集まっている一角へ視線を向ける。
アルバーナ魔術学院からは七人の生徒が参加してきている。宗一と阿弥、それにフランシェスカ嬢の姿も確認した。先程、宗一と阿弥が先頭になってアルバーナ魔術学院の生徒たちは合流してきた。
二人はこんな事には慣れたもので、堂々というか、どこか余裕が感じられた。他の五人は傍目にも判るほど緊張していたが。貴族の坊ちゃん嬢ちゃんだ、こんな大きな戦いに参加するのは初めてなのだろう。
魔神が健在の頃は珍しくない規模の戦いだが、参加していたのは戦いを生業なりわいにする冒険者や騎士団だった。貴族の学生なんて、親に守られていたんだろう。
ちなみに、挨拶はしていない。向こうは俺の事に気付いていないはずだ。
エルメンヒルデに言わせれば、俺は人が悪いらしい。自覚はある。
「大丈夫か?」
「ぅ、ええ。はい」
隣で蒼い顔をした冒険者に声を掛ける。
年の頃は十代半ばだろうか。宗一と同年代に見える。まぁ、宗一の方が童顔というか年齢よりも幼く見えるだけなのだが。
この一年で美青年になりやがって。前見た時より少し身長は伸びていたが、同年代の男達よりは少し低かったのを思い出す。
後でからかってやろう。
昔から男らしくありたいと言っていたのに、この一年で中性的な顔立ちになって。昔から可愛いと称する容姿だったが、ソレに磨きがかかっていた。
阿弥の方は堂々としたもので、宗一よりも男らしく思えた。宗一と一緒に魔術学院生徒の先頭を歩き、胸を張ってまっすぐ前を見ていた。
力強く、硬い意志を感じさせる視線は昔のまま。エルメンヒルデと二人で変わってないなぁ、と同時に呟いてしまったほどだ。
そんな宗一達と同年代の冒険者。こんな大規模戦闘は初めてなのだろう、緊張していて今にも吐きそうだ。威哥王三鞭粒
「安心しろ。魔術師があの集団に魔術を打ち込んで、俺達は討ち漏らしを狩る。簡単な仕事だ」
「……判ってる。けど……」
それでも怖いのだろう。
昔は俺も、俺達もそうだったと思い出す。懐かしい気持ちを感じながら、ポケットからメダルエルメンヒルデを取り出す。
「おい、少年。名前は?」
「えっと……ロブ。ロベリアーノ」
「良い名前だな、ロベリアーノ。ロブ。それに、ビビってるお前ら。こいつをよく見てろ」
そう言って、エルメンヒルデをピン、と指で弾く。
そして、クルクルと回るメダルを掴み取る。
「表だ」
手の平を開けると、宣言通りに表。
それだけではない。もう一度、メダルを指で弾く。手で掴む。
「表だ」
繰り返す。
何度も、何度も。何度でも、表を出し続ける。
そうやっていると、何かズルをしている。イカサマだ、と言う声が上がる。
だから今度は、周囲の連中に表か裏かを選ばせてから指で弾く。周囲の要望に応え、表と裏を出し続ける。
以前フランシェスカ嬢に見せたように、表と裏のどちらかを見極めてメダルを掴み取っているだけなのだが、これが意外と気付かれない。
「次は表でっ」
「おう、出るといいな」
そう言って弾き、メダルエルメンヒルデを弾く。出た目は、表。
歓声が上がる。
「お前らは運が良い。これだけ、メダルの裏表を当てられ続けるんだからな」
歓声が止む。静まり返る。
「だから大丈夫だ。お前らは死なない。生き残る」
エルメンヒルデをポケットに仕舞う。
手品は終わり。青い顔をしていた冒険者たちの瞳に、今はもう恐怖は無い。
それでいい。今の俺に出来る事なんて、この程度だ。この程度の“手品”が限界なのだ。
「ゴブリンごときにビビるなよ? ゴブリンを殺す事より、生き残る事を考えろ。周りの仲間の背中を守れ。そうすりゃ、誰も死なずに帰れるさ」
『随分と、饒舌な事だな』
どこか嬉しそうなエルメンヒルデの声に肩を竦めて応える。
別に、特別何かを思っている訳じゃない。誰にも死んでほしくないだけだ。
名前を知っている訳じゃない。ただ今日、肩を並べて、同じ戦場で戦うだけだ。そんな人は、この異世界に来てから何人も居た。そして、死んでいった人たちも。
だから、死んでほしくない。魔神は討伐された。これから世界は平和になる。だというのに、こんな下らない戦いで死んでほしくない。
そう思うのは、当たり前の事だろう。そして何か出来る事があるなら、不安を取り除ける方法があるなら、死ぬ確率を下げる手段が一つでもあるなら、俺は何かをしたい。何もしないままではいたくない。
「当たり前の事を、当たり前にやればいい。そうすれば、周りの皆が助けてくれる。人間は、一人じゃ弱いんだ」
エルメンヒルデへ向けた言葉に、若い冒険者たちが返事を返す。
その事が少し可笑しくて、口元を緩めてしまう。
『レンジ』
視線が集まっているので返事をする訳にもいかず、ポケットの中のエルメンヒルデの縁ふちを軽く撫でて応える。
『…………それでいい。ずっとそのままでいてくれ』
なんだそりゃ、と。
活気付く若い冒険者たちを見ながら、一つ息を吐く。
このままでいいなら、ずっとこのままだ。のんべんだらりと、のんびりと、ゆっくりと、異世界生活を満喫していこう。
空を見上げると、そろそろ作戦が始まる時間である事を太陽が教えてくれる。
宗一達は大丈夫だろうか?
一瞬そう思い、思考を切り替える。宗一も阿弥も、俺より強い。俺が心配するより、むしろ俺が心配される側だ。
やるべき事をやろう。この戦いを少しでも早く終わらせるために。
宗一達が、子供たちがあまり戦わなくて済むように。
戦いが始まった時点で、勝負はついていた。
冒険者魔術師と魔術学院の魔術師による一斉攻撃。人間など数人は飲み込めそうな火の玉や、オークの巨体すら貫きそうな氷の矢。大気の歪みが見て取れるほどに圧縮された空気の弾丸。
それが一斉にゴブリンの一団に叩き込まれた。爆発し、血飛沫が舞い、耳障りな絶叫が俺の耳まで届く。
それが開戦の合図。最初の攻撃で数十匹のゴブリンが死に、残った連中が俺達を敵と認識する。威哥王
鬨の声を上げながらこちらに接近してくる。そこに第二射。今度は射手たちにより矢の雨が降らされる。それによりさらに数十匹のゴブリンが地に伏せる。第三射は、再度魔術師達による魔術攻撃。――のはずだった。
ゴブリン達とこちらの距離はまだある。だが、第三射が始まらない。
「なんだ?」
周囲の冒険者たちも、何かあったのかと魔術師や射手たちが集まる方向へ視線を向ける。
しかし、人が多すぎてとても見えない。
そうこうしているうちにも、ゴブリン達は接近してくる。こちらの接近職の数よりも多い。まだ二百匹近くは居るだろう。
段々と近づいてくる。そうすると、周囲から焦りの声が上がり始めてしまう。
『何かあったな』
「――だから、魔物討伐の仕事は嫌いなんだ」
宗一と阿弥は大丈夫だろうか?
自問するが、答えは無い。今はただ、何事もない――ただ作戦に不備があっただけだと祈ろう。
『くるぞ。もう、魔術や弓の援護は望めん距離だ』
「判ってるよ」
鉄のナイフを抜き、手の中でクルリと回す。
乱戦になったら神殺しの武器エルメンヒルデを頼るつもりなので、これでいい。金に困っている訳ではないが――やはり、大きな戦いの時は一番信頼できる相棒を使いたい。
そうこう考えているうちに、ゴブリンの表情が確認できるくらいの距離まで接近される。腰を僅かに落とし、ナイフを握る手に力を込める。
それと同時に西――俺から見て左側から爆発。炎の魔術だろう。視線を向けると黒煙が上がっている。
予想外の方向からの衝撃に、慌ててオーファンの方へ振り返る。何か異変があったら上がる手筈になっている狼煙は……無い。
「ちっ」
『来るぞっ』
エルメンヒルデの声に正面を向き、突っ込んできた最初のゴブリンの一撃を避け、喉へナイフを突き立てる。
そのまま、そのゴブリンを盾として後ろから迫ってきていたロングソードの一撃を受ける。血飛沫が顔を濡らす。
そして、後から向かってきていたゴブリンの圧力に押され、後ずさる。乱戦に飲み込まれてしまう。
隣にいた若い冒険者の姿は無い。俺と同じように乱戦に飲み込まれたか、それともゴブリンの波に押し潰されたか。それを心配する余裕が無い。
俺を無視して両脇を抜け、前へ前へと進むゴブリンの一匹を捕まえ、首を裂く。
約二百匹。単純に四倍の戦力差だ。いくら相手がゴブリンとはいえ、正面からやり合っては勝負にもなりはしない。
「エルメンヒルデっ」
名を呼ぶが、顕現する翡翠の魔力は酷く弱々しい。
舌打ちをして、魔力で創られた長剣を握る。刀身は翡翠色とは全く違う銀色。鉄の剣とほとんど変わりがない。軽くて丈夫で切れ味が良い。ただそれだけの武器だ。鉄のナイフを鞘に納め、両手で長剣を握る。
その長剣を一閃し、正面に迫っていたゴブリンの胴を裂く。|足が止まり、腸ハラワタが溢れ出る。しかしそれは一瞬で、後続のゴブリンに踏み潰されてしまう。
これだから乱戦は嫌いなのだ。内心で舌打ちどころか憎しみの言葉すら吐きながら、更に長剣を振るう。
それに、肉体の異世界補正も酷く弱い。解放クリアされた制約は七つの内の一つだけか。
「阿弥達は無事か!?」
『それよりも、自分の心配をしろっ』
突撃の勢いが弱まり、周囲を囲まれる。
……冗談抜きで、傍に誰も居ない。その状況に、背筋に冷たい汗が流れる。
周囲から響く剣戟の音に、誰かが戦っているのだろうと予想する。取り敢えず、最初の突撃で全滅はしていないようだ。
「くそったれッ」
毒づく。
後ろに何匹いるか判らないが、眼前には三匹のゴブリン。
しかし、その三匹が飛び掛かってくるよりも早く、爆音。そして絶叫。
ゴブリンの甲高い、耳障りな声ではない。野太い、獣のような、怪獣のような絶叫。更にもう一度爆音が響いた。
「――――」
『オーガだと?』
それと同時に、戦斧を振り上げて飛び掛かってきた一匹のゴブリンを切り捨てる。
油断も隙もあったモノじゃない。MaxMan
その一瞬で、視線だけを先ほどの絶叫の主――身の丈五メートルほどもある一角鬼オーガへ向ける。
オーガ特有の一本角が生えた頭部は無く、膝を突いて崩れ落ちる所だった。
『オーガを二発か。阿弥もやるな』
「相変わらずデタラメだなっ」
ゴブリンを牽制しながら、エルメンヒルデの声に耳を傾ける。
オーガ級のバケモノを相手にするなら、俺はチートの制約を五つは解放クリアしなければならないというのに、向こうはたった二発の魔術だけで済むのだから笑えない。
折角異世界に召喚されるんだから、俺も魔法を使いたいとか女神様にお願いすればよかったと思う。
とりあえず、阿弥の無事は確認できてほっとする。オーガを二発で沈めれる魔術師なんて、少なくともこの場には阿弥くらいだ。魔術学院の生徒に阿弥並みの天才が居れば別だが、女神様のチート並みの魔力を持つ魔術師がそうごろごろ居られても困る。
「俺も、魔法とか使えるようにお願いすればよかったなッ」
『…………』
ショートソードを持ったゴブリンと鍔迫り合い、左手で鉄のナイフを抜いて腹へ突き刺す。
その一撃でゴブリンの動きが止まり、不意を狙って背後から斬りかかってきた一撃を銀色の剣で受ける。そのまま後退り、何かに躓つまづいて体勢を崩してしまう。
そのなにかをクッションにするようにして倒れ、剣をつっかえ棒のようにして胸に突き立てる。
これで何匹仕留めただろうか? そう考えると同時に、左手にヌルリとした感触。ゴブリンの血かとも思ったが、違う。
隣を見ると、人の死体が横たわっていた。先ほど躓つまづいたのは、この少年だったのだろう。見覚えのある顔だ。先ほど話した――確か、ロブ。
『レンジ』
「判ってるさ」
起き上がろうとした俺を狙ったゴブリンを一閃。胴を両断する。
チート異世界補正の効果が上がる。神殺しの武器エルメンヒルデの切れ味が増す。銀色の刀身に翡翠の模様が奔る。
「これで二つだ。クソッタレ」
クソッタレ、ともう一度心中で呟く。
誰かを巻き込まなければ、誰かを犠牲にしなければ……俺は戦えない。
その事実が、ただただ重い。制約が『仲間の死』によって解放クリアされる。
周囲のゴブリンへ視線を向ける。俺を警戒してか、数に任せて襲ってくる事は……今のところは無い。
『やはり変だ』
「あん?」
『オーガが倒され、これだけ仲間が殺されて。それでもゴブリンに怯えが無い』
銀剣を一閃し、ゴブリンの首を斬り飛ばす。先程までとは違い、抵抗無く骨まで断ち斬り、皮の防具も斬り裂ける。
最初からこれだけ――いや、制約を完全に解放クリアできていれば、あの少年は死なずに済んだのだろうか?
そう考え、息を吐く。余計な思考だ。今はただ、生き残る為に剣を振る。それ以外は、雑念でしかない。
周囲を囲んでいたゴブリンに視線を向ける。何故か、オーガが倒されても怯え無かったゴブリンが一歩下がる。
「――っるぁ!!」
型も何も無い、ただ乱暴に振り下すだけの一撃。
防ごうとしたロングソードを砕き、肩から脇に掛けて両断する。
無防備な背中から襲い掛かってきたゴブリンを、勘だけを頼りに銀剣の柄で殴りつける。骨が砕ける感触。肉の温もり。内臓の脈動。それが腕に伝わり、気色が悪い。
振り返り、左手に持った鉄のナイフを額に突き立てる。
更に背後からゴブリンが飛び掛かってくる。振り返り――剣を振る前に木の矢に打ち落とされた。
「無事か!?」
「ああ、なんとかな」
援護してくれたのは、いつぞやのエルフ。
射撃組は別の場所に集まっていたはずだが……これだけの乱戦だ。作戦は瓦解したも同じか。中絶薬
「どうして第三射からの援護が途絶えた?」
「突然オークやオーガが召喚された。勇者は、魔族の相手をしている」
『魔族だと? 何故魔族が……』
「ゴブリンを集めたのも、そいつか」
「そう言っていた。勇者を誘き出して討つためだと」
随分とお粗末な作戦だ。
魔物を召喚できるなら、中級か上級魔族だろう。だが、頭の方はよろしくないようだ。
勇者を倒したいならゴブリンやオーガではダメだ。宗一が勝てないと、そう思えるような大物を連れてこなければ。例えば――魔王のような。
そう思った瞬間、ここら一帯の地面に特大の魔方陣が刻まれた。
下を向く――緋色の魔力は阿弥の色。ソレで編まれた魔法陣は、煌々と輝いている。
「な、んだ!?」
「力加減が難しいね、本当に」
「なに!?」
隣のエルフが珍しく慌てている。
英雄の力。大魔導師の魔術。最初から使っていれば、犠牲なんか出なかっただろう。
だがそうしたら、冒険者たちは微々たる稼ぎしか得られなかった。おそらく、ギルドからも魔術学院からもあまり手出しをしないように言われていたはずだ。
しかしその結果、沢山の犠牲が出た。あの少年も――ロブも、死んでしまった。
『レンジ』
「判っている」
次の瞬間には、地面から切っ先が鋭い木の根が飛び出し、周囲に溢れていたゴブリンを残らず串刺しにした。
地面から突き出した木の根に足を、胸を、両腕を、頭を。様々な個所を貫かれ絶命する。
本当にアイツ、ゴブリンなんてものともしないな。俺が必死に殺し合っていた相手を、ただの一瞬で全滅させる。
これが神殺し。英雄の力。――女神から与えられたチート異世界補正。妬ましいほどに、強力な力。
俺には無い。沢山の人を、命を守れる力。
様々な場所から歓声が上がる。生き残りは沢山いるようだ。……良かったと思う。
『後は魔族か』
「そうだな」
まぁ、そちらも宗一が居るなら大丈夫だろう。
串刺しにされたゴブリンのオブジェを素通りしながら魔術師組が待機していたはずの場所へ足を向ける。
どうしてか、俺の後ろをエルフが付いて来る。
「なんだ?」
「何処へ行く?」
「……魔族というのを、一度見ておこうかと思ってね」
もう、何も出来る事は無いだろう。
それでも、見届けておきたかった。この戦いの結末を。魔族の顔を。
魔族。アーベンエルム大陸に住む、知性ある魔物。人間の言葉を解す、人間以上に賢いとすら言われる存在。
連中は、よほどの事が無ければ魔族の住む大陸から出てくる事は無い。以前イムネジア大陸に現れた時は、王都を半壊させていった。俺達が召喚されて直ぐの頃、人間側の希望を潰すのが目的だとか言っていた。
だが今回は? 勇者――宗一を誘き出す為と言っているようだが、誘き出してどうする? ただの魔族が、魔王でも召喚するのか? そんな事、実力的に不可能だ。
なら。
「なるほど」
さらに、魔物が召喚される。何も無い空間が揺らぎ、輪郭を持ち、色が顕れ、一つの形と成る。
オーガ。黒い、オーガ。通常のオーガよりも一回り以上も大きなソレが、召喚される。
そのオーガには見覚えがあった。見覚えと言うよりも、似たような感じの魔物をつい最近討伐した。――黒いオーク。アレと、似たような感覚を覚える。
貫かれたゴブリンには目もくれず、駆け出す。黒いオーガの拳が振り上げられた。
その肩が魔術で吹き飛ばされるが、無傷。皮膚が固いのか、魔術に耐性があるのか。前者なら俺でも厄介だな、と。駆けながら思考する。
「エルメンヒルデ」
『ああ』
「力を貸してくれ」
『……喜んで、だ。ご主人様』
だから一体、そんな言葉は何処で覚えてくるんだ?
その敬称に頬を引き攣らせながら、銀剣を翡翠の魔力に戻す。そして――手に、翡翠色の神剣を握る。
翡翠色の刀身に、黄金の柄。いつの間にか併走していたエルフの視線がその剣に向く。
「お前……」
「なに。何処にでもあるただの剣だ」
『私のような武器が、どこにでもあってたまるか』
「剣じゃ――ただの武器じゃないな。相棒だ」
『…………』
駆ける。先程よりも、更に早く。
オーガの拳が振り下ろされる。それが地面に叩き付けられるよりも早く、翡翠色の神剣を投擲。脇腹に突き刺さる。
痛覚はあるのか、絶叫が上がる。剣を投擲した俺にオーガの、宗一の、魔族の、今まさにオーガに潰されそうになっていた阿弥の、そして周囲を囲んでいた冒険者たちの視線が向く。
「恥ずかし」
『……もう少し、気の利いた言葉をだな。まったく』
だがこれで――。
『これで、制約は五つ解放クリアだ』RU486
戦える。
冒険者たちが集まって暖を取る焚火の明かりに照らされながら、大きく息を吸って、吐く。そんな空気が、肌に纏わり付く。
胸の辺りがキリキリと痛む。締め付けられるような、小さな針でチクチクと刺されているような。MMC BOKIN V8
周囲の冒険者たちを見やる。十代後半の若者たちばかり。中には、もっと若い子供のような冒険者も居る。それは別段珍しい事ではない。
だが、どうやら俺の周りの参加者たちは、大規模戦闘が初めて――もしくは慣れていないのかもしれない。そう考え、もう一度息を大きく吸って、吐く。
これから戦う。ゴブリンと。沢山の冒険者たちと一緒に。沢山のゴブリンと戦う。殺し合う。
沢山の仲間が居る事に安心する者も居れば、沢山のゴブリンに恐怖を抱く者も居る。若くて血気盛ん故に参加したのだろうが、作戦直前になって怖くなっているのだろう。
昔の自分を見ているようだ、とポケットの中のエルメンヒルデの縁ふちをなぞる。
『どうした?』
「緊張している」
『……堂々と言うような事か?』
ゴブリンだなんて戦い慣れている。何度も戦った。何匹も殺した。平原で、洞窟で、森の中で、街中で。
だからといって、怖くない訳がない。特に、これから一緒に戦う――背中を預けるべき仲間が緊張している状況に、俺にもその緊張が伝播している。
空を見上げると燦々と輝く太陽が、もうすぐ中天へと昇る。作戦決行まであと僅か。
参加者の数は、俺のような接近戦しかできない冒険者が約五十。魔術師や射手が約三十。魔術都市オーファンから出て、約一キロほど南の位置に俺達は陣取っている。
ここならゴブリンがオーファンに直接危害を加えるのは難しいし、オーファンの防壁からゴブリン達の動きも見える。何か動きがあったら狼煙で知らせる手はずになっている。
そしてゴブリンは――。
「絶景かな、絶景かな」
『どこがだ。気持ち悪い』
視線の先、開けた草原の真ん中で、土色のゴブリンの集団が一塊になっている。距離としては、一キロほど離れているかもしれない。目を細めないと確認できないくらいには、距離が開けている。
今は、今朝方からあの辺りへ撒いてあるオークや野生動物の肉を貪り食っている事だろう。それはあたかも一つの生物のようで、嫌悪感すら感じさせられる。住処に持って帰ろうとしないあたり、それなりの知性はあってもやはり野生だな、と思ってしまう。
その数、二百匹以上。おそらく二百五十匹近いだろう。こちらは八十人程なので、一人あたりノルマは三匹だ。
よくもまぁ、あんなに集まったものだと思う。
そして、同時に裏で何かが動いているようにも感じてしまう。
ゴブリンには群れる習性があるが、ここまでの数が一纏まりになって行動する事は無い。単純に、数が増えれば強力なのかもしれない。だが、数が増えれば纏める者――指揮官頭が必要になる。
ゴブリンに慣れた冒険者なら気付いているはずだ。二百五十匹ものゴブリンが集まる異常性に。
「最近、面倒事ばかりに巻き込まれてる気がする」
三ヶ月くらい前は一角鬼オーガが田舎の村に突然現れた。二週間ほど前は、魔神の炎を使う黒いオーク。
今回は、二百匹以上のゴブリンの集団だ。面倒事だとしか言いようがない。そして、その面倒事に自分から関わっているのだからどうしようもない。
宗一と阿弥はどうして居るだろうか? そう思い、魔術師たちが集まっている一角へ視線を向ける。
アルバーナ魔術学院からは七人の生徒が参加してきている。宗一と阿弥、それにフランシェスカ嬢の姿も確認した。先程、宗一と阿弥が先頭になってアルバーナ魔術学院の生徒たちは合流してきた。
二人はこんな事には慣れたもので、堂々というか、どこか余裕が感じられた。他の五人は傍目にも判るほど緊張していたが。貴族の坊ちゃん嬢ちゃんだ、こんな大きな戦いに参加するのは初めてなのだろう。
魔神が健在の頃は珍しくない規模の戦いだが、参加していたのは戦いを生業なりわいにする冒険者や騎士団だった。貴族の学生なんて、親に守られていたんだろう。
ちなみに、挨拶はしていない。向こうは俺の事に気付いていないはずだ。
エルメンヒルデに言わせれば、俺は人が悪いらしい。自覚はある。
「大丈夫か?」
「ぅ、ええ。はい」
隣で蒼い顔をした冒険者に声を掛ける。
年の頃は十代半ばだろうか。宗一と同年代に見える。まぁ、宗一の方が童顔というか年齢よりも幼く見えるだけなのだが。
この一年で美青年になりやがって。前見た時より少し身長は伸びていたが、同年代の男達よりは少し低かったのを思い出す。
後でからかってやろう。
昔から男らしくありたいと言っていたのに、この一年で中性的な顔立ちになって。昔から可愛いと称する容姿だったが、ソレに磨きがかかっていた。
阿弥の方は堂々としたもので、宗一よりも男らしく思えた。宗一と一緒に魔術学院生徒の先頭を歩き、胸を張ってまっすぐ前を見ていた。
力強く、硬い意志を感じさせる視線は昔のまま。エルメンヒルデと二人で変わってないなぁ、と同時に呟いてしまったほどだ。
そんな宗一達と同年代の冒険者。こんな大規模戦闘は初めてなのだろう、緊張していて今にも吐きそうだ。威哥王三鞭粒
「安心しろ。魔術師があの集団に魔術を打ち込んで、俺達は討ち漏らしを狩る。簡単な仕事だ」
「……判ってる。けど……」
それでも怖いのだろう。
昔は俺も、俺達もそうだったと思い出す。懐かしい気持ちを感じながら、ポケットからメダルエルメンヒルデを取り出す。
「おい、少年。名前は?」
「えっと……ロブ。ロベリアーノ」
「良い名前だな、ロベリアーノ。ロブ。それに、ビビってるお前ら。こいつをよく見てろ」
そう言って、エルメンヒルデをピン、と指で弾く。
そして、クルクルと回るメダルを掴み取る。
「表だ」
手の平を開けると、宣言通りに表。
それだけではない。もう一度、メダルを指で弾く。手で掴む。
「表だ」
繰り返す。
何度も、何度も。何度でも、表を出し続ける。
そうやっていると、何かズルをしている。イカサマだ、と言う声が上がる。
だから今度は、周囲の連中に表か裏かを選ばせてから指で弾く。周囲の要望に応え、表と裏を出し続ける。
以前フランシェスカ嬢に見せたように、表と裏のどちらかを見極めてメダルを掴み取っているだけなのだが、これが意外と気付かれない。
「次は表でっ」
「おう、出るといいな」
そう言って弾き、メダルエルメンヒルデを弾く。出た目は、表。
歓声が上がる。
「お前らは運が良い。これだけ、メダルの裏表を当てられ続けるんだからな」
歓声が止む。静まり返る。
「だから大丈夫だ。お前らは死なない。生き残る」
エルメンヒルデをポケットに仕舞う。
手品は終わり。青い顔をしていた冒険者たちの瞳に、今はもう恐怖は無い。
それでいい。今の俺に出来る事なんて、この程度だ。この程度の“手品”が限界なのだ。
「ゴブリンごときにビビるなよ? ゴブリンを殺す事より、生き残る事を考えろ。周りの仲間の背中を守れ。そうすりゃ、誰も死なずに帰れるさ」
『随分と、饒舌な事だな』
どこか嬉しそうなエルメンヒルデの声に肩を竦めて応える。
別に、特別何かを思っている訳じゃない。誰にも死んでほしくないだけだ。
名前を知っている訳じゃない。ただ今日、肩を並べて、同じ戦場で戦うだけだ。そんな人は、この異世界に来てから何人も居た。そして、死んでいった人たちも。
だから、死んでほしくない。魔神は討伐された。これから世界は平和になる。だというのに、こんな下らない戦いで死んでほしくない。
そう思うのは、当たり前の事だろう。そして何か出来る事があるなら、不安を取り除ける方法があるなら、死ぬ確率を下げる手段が一つでもあるなら、俺は何かをしたい。何もしないままではいたくない。
「当たり前の事を、当たり前にやればいい。そうすれば、周りの皆が助けてくれる。人間は、一人じゃ弱いんだ」
エルメンヒルデへ向けた言葉に、若い冒険者たちが返事を返す。
その事が少し可笑しくて、口元を緩めてしまう。
『レンジ』
視線が集まっているので返事をする訳にもいかず、ポケットの中のエルメンヒルデの縁ふちを軽く撫でて応える。
『…………それでいい。ずっとそのままでいてくれ』
なんだそりゃ、と。
活気付く若い冒険者たちを見ながら、一つ息を吐く。
このままでいいなら、ずっとこのままだ。のんべんだらりと、のんびりと、ゆっくりと、異世界生活を満喫していこう。
空を見上げると、そろそろ作戦が始まる時間である事を太陽が教えてくれる。
宗一達は大丈夫だろうか?
一瞬そう思い、思考を切り替える。宗一も阿弥も、俺より強い。俺が心配するより、むしろ俺が心配される側だ。
やるべき事をやろう。この戦いを少しでも早く終わらせるために。
宗一達が、子供たちがあまり戦わなくて済むように。
戦いが始まった時点で、勝負はついていた。
冒険者魔術師と魔術学院の魔術師による一斉攻撃。人間など数人は飲み込めそうな火の玉や、オークの巨体すら貫きそうな氷の矢。大気の歪みが見て取れるほどに圧縮された空気の弾丸。
それが一斉にゴブリンの一団に叩き込まれた。爆発し、血飛沫が舞い、耳障りな絶叫が俺の耳まで届く。
それが開戦の合図。最初の攻撃で数十匹のゴブリンが死に、残った連中が俺達を敵と認識する。威哥王
鬨の声を上げながらこちらに接近してくる。そこに第二射。今度は射手たちにより矢の雨が降らされる。それによりさらに数十匹のゴブリンが地に伏せる。第三射は、再度魔術師達による魔術攻撃。――のはずだった。
ゴブリン達とこちらの距離はまだある。だが、第三射が始まらない。
「なんだ?」
周囲の冒険者たちも、何かあったのかと魔術師や射手たちが集まる方向へ視線を向ける。
しかし、人が多すぎてとても見えない。
そうこうしているうちにも、ゴブリン達は接近してくる。こちらの接近職の数よりも多い。まだ二百匹近くは居るだろう。
段々と近づいてくる。そうすると、周囲から焦りの声が上がり始めてしまう。
『何かあったな』
「――だから、魔物討伐の仕事は嫌いなんだ」
宗一と阿弥は大丈夫だろうか?
自問するが、答えは無い。今はただ、何事もない――ただ作戦に不備があっただけだと祈ろう。
『くるぞ。もう、魔術や弓の援護は望めん距離だ』
「判ってるよ」
鉄のナイフを抜き、手の中でクルリと回す。
乱戦になったら神殺しの武器エルメンヒルデを頼るつもりなので、これでいい。金に困っている訳ではないが――やはり、大きな戦いの時は一番信頼できる相棒を使いたい。
そうこう考えているうちに、ゴブリンの表情が確認できるくらいの距離まで接近される。腰を僅かに落とし、ナイフを握る手に力を込める。
それと同時に西――俺から見て左側から爆発。炎の魔術だろう。視線を向けると黒煙が上がっている。
予想外の方向からの衝撃に、慌ててオーファンの方へ振り返る。何か異変があったら上がる手筈になっている狼煙は……無い。
「ちっ」
『来るぞっ』
エルメンヒルデの声に正面を向き、突っ込んできた最初のゴブリンの一撃を避け、喉へナイフを突き立てる。
そのまま、そのゴブリンを盾として後ろから迫ってきていたロングソードの一撃を受ける。血飛沫が顔を濡らす。
そして、後から向かってきていたゴブリンの圧力に押され、後ずさる。乱戦に飲み込まれてしまう。
隣にいた若い冒険者の姿は無い。俺と同じように乱戦に飲み込まれたか、それともゴブリンの波に押し潰されたか。それを心配する余裕が無い。
俺を無視して両脇を抜け、前へ前へと進むゴブリンの一匹を捕まえ、首を裂く。
約二百匹。単純に四倍の戦力差だ。いくら相手がゴブリンとはいえ、正面からやり合っては勝負にもなりはしない。
「エルメンヒルデっ」
名を呼ぶが、顕現する翡翠の魔力は酷く弱々しい。
舌打ちをして、魔力で創られた長剣を握る。刀身は翡翠色とは全く違う銀色。鉄の剣とほとんど変わりがない。軽くて丈夫で切れ味が良い。ただそれだけの武器だ。鉄のナイフを鞘に納め、両手で長剣を握る。
その長剣を一閃し、正面に迫っていたゴブリンの胴を裂く。|足が止まり、腸ハラワタが溢れ出る。しかしそれは一瞬で、後続のゴブリンに踏み潰されてしまう。
これだから乱戦は嫌いなのだ。内心で舌打ちどころか憎しみの言葉すら吐きながら、更に長剣を振るう。
それに、肉体の異世界補正も酷く弱い。解放クリアされた制約は七つの内の一つだけか。
「阿弥達は無事か!?」
『それよりも、自分の心配をしろっ』
突撃の勢いが弱まり、周囲を囲まれる。
……冗談抜きで、傍に誰も居ない。その状況に、背筋に冷たい汗が流れる。
周囲から響く剣戟の音に、誰かが戦っているのだろうと予想する。取り敢えず、最初の突撃で全滅はしていないようだ。
「くそったれッ」
毒づく。
後ろに何匹いるか判らないが、眼前には三匹のゴブリン。
しかし、その三匹が飛び掛かってくるよりも早く、爆音。そして絶叫。
ゴブリンの甲高い、耳障りな声ではない。野太い、獣のような、怪獣のような絶叫。更にもう一度爆音が響いた。
「――――」
『オーガだと?』
それと同時に、戦斧を振り上げて飛び掛かってきた一匹のゴブリンを切り捨てる。
油断も隙もあったモノじゃない。MaxMan
その一瞬で、視線だけを先ほどの絶叫の主――身の丈五メートルほどもある一角鬼オーガへ向ける。
オーガ特有の一本角が生えた頭部は無く、膝を突いて崩れ落ちる所だった。
『オーガを二発か。阿弥もやるな』
「相変わらずデタラメだなっ」
ゴブリンを牽制しながら、エルメンヒルデの声に耳を傾ける。
オーガ級のバケモノを相手にするなら、俺はチートの制約を五つは解放クリアしなければならないというのに、向こうはたった二発の魔術だけで済むのだから笑えない。
折角異世界に召喚されるんだから、俺も魔法を使いたいとか女神様にお願いすればよかったと思う。
とりあえず、阿弥の無事は確認できてほっとする。オーガを二発で沈めれる魔術師なんて、少なくともこの場には阿弥くらいだ。魔術学院の生徒に阿弥並みの天才が居れば別だが、女神様のチート並みの魔力を持つ魔術師がそうごろごろ居られても困る。
「俺も、魔法とか使えるようにお願いすればよかったなッ」
『…………』
ショートソードを持ったゴブリンと鍔迫り合い、左手で鉄のナイフを抜いて腹へ突き刺す。
その一撃でゴブリンの動きが止まり、不意を狙って背後から斬りかかってきた一撃を銀色の剣で受ける。そのまま後退り、何かに躓つまづいて体勢を崩してしまう。
そのなにかをクッションにするようにして倒れ、剣をつっかえ棒のようにして胸に突き立てる。
これで何匹仕留めただろうか? そう考えると同時に、左手にヌルリとした感触。ゴブリンの血かとも思ったが、違う。
隣を見ると、人の死体が横たわっていた。先ほど躓つまづいたのは、この少年だったのだろう。見覚えのある顔だ。先ほど話した――確か、ロブ。
『レンジ』
「判ってるさ」
起き上がろうとした俺を狙ったゴブリンを一閃。胴を両断する。
チート異世界補正の効果が上がる。神殺しの武器エルメンヒルデの切れ味が増す。銀色の刀身に翡翠の模様が奔る。
「これで二つだ。クソッタレ」
クソッタレ、ともう一度心中で呟く。
誰かを巻き込まなければ、誰かを犠牲にしなければ……俺は戦えない。
その事実が、ただただ重い。制約が『仲間の死』によって解放クリアされる。
周囲のゴブリンへ視線を向ける。俺を警戒してか、数に任せて襲ってくる事は……今のところは無い。
『やはり変だ』
「あん?」
『オーガが倒され、これだけ仲間が殺されて。それでもゴブリンに怯えが無い』
銀剣を一閃し、ゴブリンの首を斬り飛ばす。先程までとは違い、抵抗無く骨まで断ち斬り、皮の防具も斬り裂ける。
最初からこれだけ――いや、制約を完全に解放クリアできていれば、あの少年は死なずに済んだのだろうか?
そう考え、息を吐く。余計な思考だ。今はただ、生き残る為に剣を振る。それ以外は、雑念でしかない。
周囲を囲んでいたゴブリンに視線を向ける。何故か、オーガが倒されても怯え無かったゴブリンが一歩下がる。
「――っるぁ!!」
型も何も無い、ただ乱暴に振り下すだけの一撃。
防ごうとしたロングソードを砕き、肩から脇に掛けて両断する。
無防備な背中から襲い掛かってきたゴブリンを、勘だけを頼りに銀剣の柄で殴りつける。骨が砕ける感触。肉の温もり。内臓の脈動。それが腕に伝わり、気色が悪い。
振り返り、左手に持った鉄のナイフを額に突き立てる。
更に背後からゴブリンが飛び掛かってくる。振り返り――剣を振る前に木の矢に打ち落とされた。
「無事か!?」
「ああ、なんとかな」
援護してくれたのは、いつぞやのエルフ。
射撃組は別の場所に集まっていたはずだが……これだけの乱戦だ。作戦は瓦解したも同じか。中絶薬
「どうして第三射からの援護が途絶えた?」
「突然オークやオーガが召喚された。勇者は、魔族の相手をしている」
『魔族だと? 何故魔族が……』
「ゴブリンを集めたのも、そいつか」
「そう言っていた。勇者を誘き出して討つためだと」
随分とお粗末な作戦だ。
魔物を召喚できるなら、中級か上級魔族だろう。だが、頭の方はよろしくないようだ。
勇者を倒したいならゴブリンやオーガではダメだ。宗一が勝てないと、そう思えるような大物を連れてこなければ。例えば――魔王のような。
そう思った瞬間、ここら一帯の地面に特大の魔方陣が刻まれた。
下を向く――緋色の魔力は阿弥の色。ソレで編まれた魔法陣は、煌々と輝いている。
「な、んだ!?」
「力加減が難しいね、本当に」
「なに!?」
隣のエルフが珍しく慌てている。
英雄の力。大魔導師の魔術。最初から使っていれば、犠牲なんか出なかっただろう。
だがそうしたら、冒険者たちは微々たる稼ぎしか得られなかった。おそらく、ギルドからも魔術学院からもあまり手出しをしないように言われていたはずだ。
しかしその結果、沢山の犠牲が出た。あの少年も――ロブも、死んでしまった。
『レンジ』
「判っている」
次の瞬間には、地面から切っ先が鋭い木の根が飛び出し、周囲に溢れていたゴブリンを残らず串刺しにした。
地面から突き出した木の根に足を、胸を、両腕を、頭を。様々な個所を貫かれ絶命する。
本当にアイツ、ゴブリンなんてものともしないな。俺が必死に殺し合っていた相手を、ただの一瞬で全滅させる。
これが神殺し。英雄の力。――女神から与えられたチート異世界補正。妬ましいほどに、強力な力。
俺には無い。沢山の人を、命を守れる力。
様々な場所から歓声が上がる。生き残りは沢山いるようだ。……良かったと思う。
『後は魔族か』
「そうだな」
まぁ、そちらも宗一が居るなら大丈夫だろう。
串刺しにされたゴブリンのオブジェを素通りしながら魔術師組が待機していたはずの場所へ足を向ける。
どうしてか、俺の後ろをエルフが付いて来る。
「なんだ?」
「何処へ行く?」
「……魔族というのを、一度見ておこうかと思ってね」
もう、何も出来る事は無いだろう。
それでも、見届けておきたかった。この戦いの結末を。魔族の顔を。
魔族。アーベンエルム大陸に住む、知性ある魔物。人間の言葉を解す、人間以上に賢いとすら言われる存在。
連中は、よほどの事が無ければ魔族の住む大陸から出てくる事は無い。以前イムネジア大陸に現れた時は、王都を半壊させていった。俺達が召喚されて直ぐの頃、人間側の希望を潰すのが目的だとか言っていた。
だが今回は? 勇者――宗一を誘き出す為と言っているようだが、誘き出してどうする? ただの魔族が、魔王でも召喚するのか? そんな事、実力的に不可能だ。
なら。
「なるほど」
さらに、魔物が召喚される。何も無い空間が揺らぎ、輪郭を持ち、色が顕れ、一つの形と成る。
オーガ。黒い、オーガ。通常のオーガよりも一回り以上も大きなソレが、召喚される。
そのオーガには見覚えがあった。見覚えと言うよりも、似たような感じの魔物をつい最近討伐した。――黒いオーク。アレと、似たような感覚を覚える。
貫かれたゴブリンには目もくれず、駆け出す。黒いオーガの拳が振り上げられた。
その肩が魔術で吹き飛ばされるが、無傷。皮膚が固いのか、魔術に耐性があるのか。前者なら俺でも厄介だな、と。駆けながら思考する。
「エルメンヒルデ」
『ああ』
「力を貸してくれ」
『……喜んで、だ。ご主人様』
だから一体、そんな言葉は何処で覚えてくるんだ?
その敬称に頬を引き攣らせながら、銀剣を翡翠の魔力に戻す。そして――手に、翡翠色の神剣を握る。
翡翠色の刀身に、黄金の柄。いつの間にか併走していたエルフの視線がその剣に向く。
「お前……」
「なに。何処にでもあるただの剣だ」
『私のような武器が、どこにでもあってたまるか』
「剣じゃ――ただの武器じゃないな。相棒だ」
『…………』
駆ける。先程よりも、更に早く。
オーガの拳が振り下ろされる。それが地面に叩き付けられるよりも早く、翡翠色の神剣を投擲。脇腹に突き刺さる。
痛覚はあるのか、絶叫が上がる。剣を投擲した俺にオーガの、宗一の、魔族の、今まさにオーガに潰されそうになっていた阿弥の、そして周囲を囲んでいた冒険者たちの視線が向く。
「恥ずかし」
『……もう少し、気の利いた言葉をだな。まったく』
だがこれで――。
『これで、制約は五つ解放クリアだ』RU486
戦える。
2015年5月6日星期三
本当に言いたい事
最近姉ちゃんが変だ。
変だと言っても僕には優しいし見た目は全く変わっていないけど、気付けばあいつを見ている。
あいつ……シリウスは僕と姉ちゃんを助けてくれた人族だ。北冬虫夏草
人族は僕らをいじめるだけで、止めてと叫んでも笑いながら叩いて、お腹が空いても何もくれない嫌な奴らだ。だけど、あいつは違った。笑いながら叩いてこないし、美味しい御飯を沢山食べさせてくれるし、怪我をしたらすぐ何とかしてくれる。まるで父ちゃんみたい――じゃない!
父ちゃんはもっと優しかったんだ。いつも見守ってくれて、何でも知ってて、悪いことをしたら叱ってくれる強くて誇り高い男だ。それに比べてあいつは気付いたら近くに居て、色んな事を知ってて、悪いことをしたら怒る酷い奴だ。あいつと父ちゃんがそっくりなわけあるか。
そんなあいつをどうして姉ちゃんは見ているんだろう? あいつが何かすると姉ちゃんは顔を赤くして褒めているけど、その姿を見る度に何かもやもやとする。
だけどあいつの従者であるエリナさんは、人族だけど大好きだ。
いつも笑っていて僕の頭を優しく撫でてくれるし、抱きしめてくれると母ちゃんと同じ匂いがする。教育の時は厳しいけどちゃんとやれば褒めてくれる。
ノエル姉も面白くて大好きだ。
すごくうるさいけど見ていて楽しいし、よく一緒に遊んでくれる。姉ちゃんがもう一人出来たみたいで嬉しい。
ディー兄も兄ちゃんみたいで大好きだ。
人族でちょっと怖いけど、美味しい物を沢山作る凄い人だ。夜中にお腹が空いているとこっそりとパンをくれたりして優しい。
大好きな人達に囲まれて、まるで家にいるみたいだ。
なのに、僕が大好きな人達は皆あいつが凄いとばかり言う。確かにあいつは凄いと思う。僕とほとんど変わらないのに、村では誰にも負けなかったかけっこに一度も勝てないんだ。父ちゃんが銀狼族は強い相手に敬意を持つとか言ってたけど、僕はあいつが嫌いだ。何故かわからないけど嫌いだ。
何だろう、姉ちゃんだけじゃなくて僕も変だ。
あいつに助けられてこの家に住むようになって数日、僕の毎日は走ってばかりだ。
朝起きて走らされて、朝御飯を食べて走らされて、昼寝して勉強したら走らされる。姉ちゃんは文句も言わずやってるけど、僕はいい加減飽きてきた。だから違うのやりたいと言ったら、走りで自分に勝てたら考えてやるとか言い出したんだ。それからあいつに負けないように走っているんだけど、今回も負けてしまった。くそう、次こそ負けないからな。あいつの走り方をマネしてびっくりさせてやる。
美味しい昼御飯を食べたら勉強だ。それにしても今日のお昼御飯も美味しかった。作ったのがあいつなのが嫌だけど、御飯を作るのだけは認めてやってもいいかな、うん。
勉強はエリナさんの従者教育からだ。
普段はにこにこしてるのに、この時のエリナさんは凄くかっこいい。お皿を置いても音が出ないし、欲しいと声が出る前に用意してるなんてどうやればいいんだろう? 仕えたい主を見つければ自然と出来るようになるってエリナさんは言うけど、僕は男だしあいつに仕えたいなんて思わない。
でも姉ちゃんは本気でやっているし、僕もエリナさんみたいに出来たらいいなと思うから一生懸命やっている。それに、上手に出来ればエリナさんが褒めてくれるから頑張れる。
次の勉強は算術とか言うやつだ。
色んな数字を足したり引いたりして答えを出す勉強って言ってるけど、凄く難しくて頭が痛くなる。だけどこれが出来るようになれば、あのバカな大人達に騙されないってあいつが言ってたからやる。
しばらく本を眺めたり問題を解いたら、本物のお金を渡されてあいつからお菓子を買う練習をする。今日はノエル姉が大好きなプリンだ。正解したら貰えるから頑張らないと。
「今日は難しいぞ。プリンが一個、鉄貨一枚と石貨十枚として、銅貨一枚で四個買うとしたらお釣りは幾らだ?」
「はいはーい! 鉄貨五枚と石貨十枚でーす!」
突然入ってきたノエル姉が、プリンを口に突っ込まれて追い出された。今日も元気だなー。
「あれは忘れてくれ。プリンが一個、鉄貨一枚と石貨二十枚で五個買うとしたら?」
あれ、ちょっと変わってる? とにかくあいつがくれたお金の早見表を見ながら考える。鉄貨が十枚で銅貨一枚って書いてあるから……えーと?
「シリウス様、これでどうでしょうか?」
「よし、正解だ。プリンを進呈しよう」
流石姉ちゃんだ、もうわかってあいつに答えを書いて正解している。もし僕がわからなくても姉ちゃんが分けてくれるけど、そんなの男らしくないしあいつに負けるみたいで嫌だ。
「プリンも嬉しいですけど、撫でてほしいです」
「やれやれ、ほら」
「えへへ」
まただ、また何かもやもやする。何でこんな気持ちになるんだろう。
「レウス。落ち着きなさい」
エリナさんが頭を撫でてくれると落ち着いてきた。そうだ、早く答えてプリンを貰わないと姉ちゃんと一緒に食べられない。えーと、石貨が五十枚で鉄貨一枚だから……。
「……お釣りは鉄貨三枚だ、です!」
「正解だ。よく石貨に惑わされず一人で出来たな」
しばらく悩んでようやく正解できた。プリンは貰えたけど、あいつは僕の頭を撫でてきたので少し嫌な気分になった。だけど手を払う気にならないからわからない。
「美味しいねレウス」
「うん!」
でもプリンが美味いからいいや。
ノエル姉がよく言ってる、美味しければ全て良しだ。
その日、何だか寝られなかった。
何度目を閉じても眠れず、胸の奥がドクドク音を立てて全然眠くならないし喉も渇いてきた。同じベッドに寝ている姉ちゃんを起こさないように部屋を出て、台所で水を飲んだら少しドクドクが治まった。部屋に戻ろうとしてふと玄関に目を向けてみると何故か外に出たくなった。まだ落ち着かないし、こっそりと外に出てみることにする。
外に出たら結構明るかった。何でかと思えば空に浮かんでいる月が光って明るいからだ。村に居た頃も何度か見たけど、今日は特に綺麗に見えた。Motivat
月を見ているとドクドクが強くなっていくけど、目が離せない。
体が熱くなってきて……力が沸いて……。
あれ?
何で……どうして?
姉ちゃん……ぼくは……。
ぼくは……。
こんなの……いやだ……。
「レウスの様子がおかしいんです」
夜、寝る前の読書をしている俺の元にエミリアが訪ねてきて言ったのだ。
「ふむ、確かに今日の訓練も様子がおかしかった」
いつもなら俺に負けないよう闘争本能丸出しで走るのが、今日はただ力を出し切りたい感じだったな。
「昨日の夜から何かおかしくて、妙に興奮している感じなんです」
「夜に何かあったのか? 覚えていることを話してくれ」
「はい、昨夜レウスが眠れなくて部屋を出て行く姿を見たんです。しばらく経っても戻ってこないので探そうと思ったら帰ってきたんですが、凄く焦った様子で毛布を被って寝ちゃったんです」
「怪しいな。それで?」
「今朝になって凄く安心した顔をしていまして、何があったのか聞いても、何でもないとそればかりなんです」
「そうか、出来ればその今朝の内に報告してほしかった」
「ご、ごめんなさい。でもレウスが凄く必死なので……」
身内だしどうしても甘くなっちゃうから仕方ないか。感情が不安定のようだし、とにかく面談してみよう。
「エリナとレウスを呼んできてくれ。エリナと一緒なら話してくれるかもしれない」
「わかりました」
エミリアが二人を呼びに部屋を出ていくのを確認し、レウスの様子を改めて思い返す。
食欲は旺盛でむしろいつも以上に食べていたが、負けず嫌いのあいつが急に勝負しなくなったり、何かに怯えている様子も見えた。レウスが起こしそうな行動を思い立ったので『サーチ』を発動させた瞬間。
「シリウス様っ!」
エミリアが泣きそうな顔で部屋に飛び込んできたのだ。その手には一枚の紙切れが握られており。
「レウスが……レウスが……家から出て行ったんです!」
俺達は居間に集まっていた。
あの時エミリアが部屋に戻ると、拙い文字で書かれたこれがベッドに残されてたそうだ。
『僕はやることがあるので出て行きます。シリウス様、姉ちゃんをよろしくお願いします』
――という内容の書き置きを従者達に見せて意見を聞いてみる。
「しかし急にどういう事だと思う? 訓練から逃げ出すような奴じゃないと思うんだが」
「そうですね。あの子はそういう性格ではなかったです」
「私もそう思います」
「俺もです」
逃げ出すような奴じゃないと全員わかっているようだ。
続いてレウスを一番知っているエミリアに聞こうとするが、ノエルに肩を抱かれて必死に泣くのを堪えていた。
「エミリア、泣くのは後でも出来るから我慢して教えてくれ。レウスはここでの生活を嫌がっていたかい?」
「そんなの……ありえません。皆さんに優しくしてもらって……すごく嬉しくて……逃げ出すなんて……絶対ありえません!」
「そうか、ありがとう。じゃあ別な理由だろうが……やはり昨日の夜か?」
「昨日の夜に何かあったんですか?」
「ああ、実は……」
先ほど話したレウスの行動を話すが、皆不思議がるだけで結局何もわからないままだ。ここはやはり。蒼蝿水(FLY D5原液)
「直接聞くしかないな」
「迎えに行かれるのですか?」
「いや、無理矢理連れ帰っても意味がないから、理由を聞きに行くだけだ。場所は判明してるから飛べば追いつける距離だしな」
レウスの位置は『サーチ』ですでに捉えている。俺がさっさと迎えに行かないのは自主性を尊重したいからだ。俺は弟子を鍛えはするが、その弟子が別の目標やら夢を見つけたならば尊重する主義だ。過去にディーを育ててみたいと思ったが、彼は料理人になりたいと言ったからそれを応援しているし。
だからレウスも自主的に出て行ったのならば止めるつもりはなかったのだが、姉であるエミリアに何も言わず出るのはあんまりだ。せめて理由くらい聞いてやろうかと思う。
「もう外は真っ暗で危険な時間だ。空を飛べる俺だけの方がいいな」
「シリウス様、武器を」
すでにエリナは準備を整えてくれたようで、剣とナイフがついたベルトを装着してくれる。戦う予定がないとはいえ、準備はしっかりしておかないとな。武器がしっかり固定されているのを確認していると、エミリアが前に立って頭を下げてきた。
「お願いします! 私もつれていってください!」
「エリナ」
「はい。エミリア、これに着替えなさい」
「えっ?」
断られると思ったのだろうが、上下の服を手渡されてエミリアは唖然としていた。
「どうした、早く着替えて追うぞ」
「え……あの、本当にいいんですか?」
「何を当たり前な事を。お前の弟だぞ? 知らない所で勝手に決められちゃ納得できないだろうが」
「……ありがとう、ございます!」
涙目で頭を下げてくれるが、まだ何も終っていない。ノエルに目で合図し、エミリアを引っ張って着替えを済まさせるよう頼む。
「了解です。エミちゃん、泣くのは後にして早く着替えるよ」
「はい!」
奥に引っ込み、彼女の着替えを待つ間にエリナとディーに確認しておく。
「魔物に襲われている可能性もあるかもしれないから、薬やその辺りの準備をしておいてほしい」
「お任せください。三人で帰宅されるのをお待ちしております」
「俺も、何か暖かい物を作っておきます」
「頼んだ、何かあれば連絡するから」
「「わかりました」」
玄関を出るとすぐにエミリアが出てきた。渡された服を着ており、丈夫な厚手のズボンとハーフコートで冒険者が着るような動きやすい服装だ。
「お待たせしました」
「よし、早く行くとしよう。背中におぶされ」
「は、はい。失礼します」
背中を向けてしゃがみ込むと、少し戸惑いつつもエミリアは背中に乗ってきた。安全の為に『ストリング』で俺と彼女をしっかり固定しておく。密着度が上がってエミリアが動揺しているがスルー。
「わわっ! し、シリウス様!?」
「魔法でしっかり固定したから落ちる心配は無いからな。じゃあ、皆行ってくる」
「い、行ってきます!」
「「「いってらっしゃいませ」」」
従者達の声を背中に、俺とエミリアは空へと駆け出した。
「怖くないか?」
「だ、大丈夫です!」
普段よりスピードも高度も抑え気味であるが、初めてでしかも夜の空を飛べば恐怖を感じるだろう。首に回された腕にそうとう力が入っているが、強化された俺には通じんな。
「こういう時は上を見るといい。ほら、月を見てごらん」
「は、はいぃ! ……うわぁ」
少しだけ近づいた月を見上げ、エミリアの腕が緩む。しばらく無言で飛び続け、落ち着いてきたエミリアが不意に呟いた。SPANISCHE FLIEGE
「レウスも……この月を見ているんでしょうか」
「そうだな。案外、月を見ながら寂しくて泣いているんじゃないか?」
「ふふ、ありえそうですね。本当に……バカな子なんだから」
「ああ、バカだな。下らん理由だったらぶん殴ってやるか」
「私も頬を叩いてやります」
「その意気だ。少しスピードを上げるぞ」
「はい!」
『サーチ』で調べたが、レウスの反応が移動している様子はない。動けない状況かもしれないし、エミリアも慣れてきたので速度を上げて飛び続けた。
反応を頼りに辿り着いたのは、以前俺が水魔草を採取した湖だった。
今回はゴブリンが居座っておらず、周辺に危険な魔物も居ないようなので安心して降りた。エミリアを背中から降ろし、レウスの姿を探して歩き出す。
「レウスーっ! どこにいるのーっ!」
「声を出す必要はないぞ」
魔物が潜む地域で大声出せば、魔物を集めてしまう可能性もある。幸いこの周辺に反応が無いが、余計な行動は慎むべきだ。それに。
「でも!」
「大丈夫だ、レウスはすぐそこに居るよ」
俺が指した先に、湖のへりで蹲るように座るレウスの後姿が見えたからだ。エミリアは駆け出しレウスに近づこうとしたが。
「レウス!」
「来るなっ!」
普段は姉に使わない威嚇気味の声で拒絶された。唐突の行動にエミリアは戸惑い、思わず立ち止まっていた。
「レウス? 何を言っているのよ。お姉ちゃんと帰ろう、ね?」
「来るなって言ってるんだ!」
拒絶は止まらない。それでもエミリアは自分を奮い立たせ、弟に声をかける。
「一体どうしたの? 私達一緒に頑張ろうって言ったじゃない。一人で皆から離れて何かあったらどうするの!」
「僕はもう大丈夫だ。走って体力はついたし、勉強して知識も学んだ。もう一人でやっていけるんだ!」
「ふざけないで! たったあれだけで強くなるわけないでしょ!」
「強くなった! 僕は……強くなったんだ!」
話は完全に平行線で、このまま言い合いしても時間の無駄なので介入する事にした。エミリアの肩を叩いて振り向かせると、彼女は涙を流しながらこちらを見上げていた。
「ごめんなさい、すぐに、すぐに説得しますから」
「対話なら帰ってやれ。お互い興奮して話にならないから俺がやろう」
「っ……はい」
悔しげに下がるエミリアを背にレウスへと近づく。さてさて、一体どんな理由で家出したのやら。
「よう、レウス。こんな所で何をやってるんだ?」
「……あんたには関係ない」
「関係はあるさ。俺はお前らの保護者で師匠だ。弟子が暴走したら気にするのは当然だろ?」
「僕はそんなのになった覚えはない!」
「教わった時点でそうなるんだよ。おまけに食事や寝床も提供したんだ、聞く権利はあるだろう?」
「…………」
「だんまりか。とにかく答えろ。お前はどうして家を出た? あんな書き置きじゃ理由にならん」
「……僕は強くなったんだ」
「あの程度の訓練で強くなったと? 勘違いも甚だしい、自信過剰も大概にしてくれ」
挑発した俺の物言いに、レウスは立ち上がり振り返って叫んだ。SPANISCHE FLIEGE D9
「僕はお前以上に強くなったんだ。姉ちゃんつれて帰れ!」
「今日も走りで負けた癖にか? 口先だけで強くなったと言うならただの餓鬼だぞ」
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい!」
地面をじたばた踏んで子供の癇癪だ。元から感情が不安定だったとはいえ、エリナのお陰で多少は緩和してた筈で、僅か一日でここまで爆発するとは思えないんだが。
「言ってわからないなら……これを見てみろ!」
「っ!? レウス……嘘……でしょ?」
物音に振り返ると、エミリアが信じられない顔でその場にへたり込んでいた。再びレウスに視線を戻せば、月の光を反射していた彼の銀髪が……金色に変わっていたのだ。
「何だあれは?」
「そんな……レウスが呪い子なんて……」
一人絶望するエミリアだが、こちらは意味がさっぱりわからん。種族的な特徴にしてはエミリアの反応が過剰すぎるが。
「あれは何だ。知っているなら教えてくれ」
「あれは……私達、銀狼族に伝わる呪い子と呼ばれるものです」
呪い子? アルベルト旅行記にも載ってない初めて聞く名だが、良い事じゃなさそうなのは確かだな。
「うっ、ぐおおおぉぉぉっ!」
レウスの体に異変が起こり始める。短かった髪が伸び、筋肉が盛り上がり、全身に毛が生えて鼻が伸びたレウスは……二足歩行の狼に変身した。体に残された衣服がかろうじてレウスの面影を残しているが、これはワーウルフってやつか?
「呪い子は全身が狼に変わるんです。それは災いと不幸を呼ぶと言われ……銀狼族の掟で処分……されるんです」
「処分? 何とも物騒な話だな」
「二年前、私の村で一人の大人が突然呪い子と成りました。その人は混乱して暴れ始め、私達を襲おうとしたところでお父さんに……殺されました」
「殺されたのは、目の前でか?」
「……はい」
何となく理由がわかった気がする。
レウスは自身が呪い子だと知り、その結末を目の前で見ているから自分もそうなるんだと絶望しているんだ。でも死にたくはないし、姉とは居られないゆえに逃げ出した……そんなところか?
「見ろ、僕は呪い子なんだ! あの大人みたいに殺された呪い子だ! そんなの嫌だから逃げるんだ。だから姉ちゃんつれて帰れよ!」
「レウス……駄目だよ。行っちゃ……駄目」
「姉ちゃん……元気でね。この姿になった僕はすごく強いから大丈夫だよ。もう一人で生きていけるからさ」
「駄目……レウス。私を……一人にしないで」
エミリアもまた銀狼族の掟を知っており、レウスの行動がわかるのだ。掟と言う鎖に縛られ、苦しむ彼女の声は力が無い。本当なら無理矢理でも捕まえて止めたいのだろうが、彼女の足は動かずただ静かに涙を流すのみ。
互いにどうしようもない絶望感に包まれる中……。
「くだらんな」
俺は鼻で笑った。
「えっ!? シリ……ウス様?」
「何だと! もう一度言ってみろっ!」
「何度でも言ってやる。くだらない、全くもって、くだらん」
俺の言葉にエミリアはショックを受け、レウスは怒り狂っているが無視して指を一本立てた。
「レウス、俺と勝負しろ。俺に勝てたらどことでも好きに行くがいい。ただし、こちらが勝ったら言う事を一つ聞いてもらうぞ」
「何だよ、お前は何かあったら好きにしろって言ってたじゃないか。だから僕は好きにしてるのに、止めるなんて嘘つきだ!」
「嘘をついてる奴に嘘つきとか言われたくないな。それにこれが好きな事だ? 笑わしてくれる」
俺は確かに本人の自主性を尊重するが、それは互いに納得出来たらの話だ。守りたい女性が出来ましたと言って離れたがっても、その女性が弟子を騙してる女だったら俺は殴ってでも止める。SPANISCHE FLIEGE D6
変だと言っても僕には優しいし見た目は全く変わっていないけど、気付けばあいつを見ている。
あいつ……シリウスは僕と姉ちゃんを助けてくれた人族だ。北冬虫夏草
人族は僕らをいじめるだけで、止めてと叫んでも笑いながら叩いて、お腹が空いても何もくれない嫌な奴らだ。だけど、あいつは違った。笑いながら叩いてこないし、美味しい御飯を沢山食べさせてくれるし、怪我をしたらすぐ何とかしてくれる。まるで父ちゃんみたい――じゃない!
父ちゃんはもっと優しかったんだ。いつも見守ってくれて、何でも知ってて、悪いことをしたら叱ってくれる強くて誇り高い男だ。それに比べてあいつは気付いたら近くに居て、色んな事を知ってて、悪いことをしたら怒る酷い奴だ。あいつと父ちゃんがそっくりなわけあるか。
そんなあいつをどうして姉ちゃんは見ているんだろう? あいつが何かすると姉ちゃんは顔を赤くして褒めているけど、その姿を見る度に何かもやもやとする。
だけどあいつの従者であるエリナさんは、人族だけど大好きだ。
いつも笑っていて僕の頭を優しく撫でてくれるし、抱きしめてくれると母ちゃんと同じ匂いがする。教育の時は厳しいけどちゃんとやれば褒めてくれる。
ノエル姉も面白くて大好きだ。
すごくうるさいけど見ていて楽しいし、よく一緒に遊んでくれる。姉ちゃんがもう一人出来たみたいで嬉しい。
ディー兄も兄ちゃんみたいで大好きだ。
人族でちょっと怖いけど、美味しい物を沢山作る凄い人だ。夜中にお腹が空いているとこっそりとパンをくれたりして優しい。
大好きな人達に囲まれて、まるで家にいるみたいだ。
なのに、僕が大好きな人達は皆あいつが凄いとばかり言う。確かにあいつは凄いと思う。僕とほとんど変わらないのに、村では誰にも負けなかったかけっこに一度も勝てないんだ。父ちゃんが銀狼族は強い相手に敬意を持つとか言ってたけど、僕はあいつが嫌いだ。何故かわからないけど嫌いだ。
何だろう、姉ちゃんだけじゃなくて僕も変だ。
あいつに助けられてこの家に住むようになって数日、僕の毎日は走ってばかりだ。
朝起きて走らされて、朝御飯を食べて走らされて、昼寝して勉強したら走らされる。姉ちゃんは文句も言わずやってるけど、僕はいい加減飽きてきた。だから違うのやりたいと言ったら、走りで自分に勝てたら考えてやるとか言い出したんだ。それからあいつに負けないように走っているんだけど、今回も負けてしまった。くそう、次こそ負けないからな。あいつの走り方をマネしてびっくりさせてやる。
美味しい昼御飯を食べたら勉強だ。それにしても今日のお昼御飯も美味しかった。作ったのがあいつなのが嫌だけど、御飯を作るのだけは認めてやってもいいかな、うん。
勉強はエリナさんの従者教育からだ。
普段はにこにこしてるのに、この時のエリナさんは凄くかっこいい。お皿を置いても音が出ないし、欲しいと声が出る前に用意してるなんてどうやればいいんだろう? 仕えたい主を見つければ自然と出来るようになるってエリナさんは言うけど、僕は男だしあいつに仕えたいなんて思わない。
でも姉ちゃんは本気でやっているし、僕もエリナさんみたいに出来たらいいなと思うから一生懸命やっている。それに、上手に出来ればエリナさんが褒めてくれるから頑張れる。
次の勉強は算術とか言うやつだ。
色んな数字を足したり引いたりして答えを出す勉強って言ってるけど、凄く難しくて頭が痛くなる。だけどこれが出来るようになれば、あのバカな大人達に騙されないってあいつが言ってたからやる。
しばらく本を眺めたり問題を解いたら、本物のお金を渡されてあいつからお菓子を買う練習をする。今日はノエル姉が大好きなプリンだ。正解したら貰えるから頑張らないと。
「今日は難しいぞ。プリンが一個、鉄貨一枚と石貨十枚として、銅貨一枚で四個買うとしたらお釣りは幾らだ?」
「はいはーい! 鉄貨五枚と石貨十枚でーす!」
突然入ってきたノエル姉が、プリンを口に突っ込まれて追い出された。今日も元気だなー。
「あれは忘れてくれ。プリンが一個、鉄貨一枚と石貨二十枚で五個買うとしたら?」
あれ、ちょっと変わってる? とにかくあいつがくれたお金の早見表を見ながら考える。鉄貨が十枚で銅貨一枚って書いてあるから……えーと?
「シリウス様、これでどうでしょうか?」
「よし、正解だ。プリンを進呈しよう」
流石姉ちゃんだ、もうわかってあいつに答えを書いて正解している。もし僕がわからなくても姉ちゃんが分けてくれるけど、そんなの男らしくないしあいつに負けるみたいで嫌だ。
「プリンも嬉しいですけど、撫でてほしいです」
「やれやれ、ほら」
「えへへ」
まただ、また何かもやもやする。何でこんな気持ちになるんだろう。
「レウス。落ち着きなさい」
エリナさんが頭を撫でてくれると落ち着いてきた。そうだ、早く答えてプリンを貰わないと姉ちゃんと一緒に食べられない。えーと、石貨が五十枚で鉄貨一枚だから……。
「……お釣りは鉄貨三枚だ、です!」
「正解だ。よく石貨に惑わされず一人で出来たな」
しばらく悩んでようやく正解できた。プリンは貰えたけど、あいつは僕の頭を撫でてきたので少し嫌な気分になった。だけど手を払う気にならないからわからない。
「美味しいねレウス」
「うん!」
でもプリンが美味いからいいや。
ノエル姉がよく言ってる、美味しければ全て良しだ。
その日、何だか寝られなかった。
何度目を閉じても眠れず、胸の奥がドクドク音を立てて全然眠くならないし喉も渇いてきた。同じベッドに寝ている姉ちゃんを起こさないように部屋を出て、台所で水を飲んだら少しドクドクが治まった。部屋に戻ろうとしてふと玄関に目を向けてみると何故か外に出たくなった。まだ落ち着かないし、こっそりと外に出てみることにする。
外に出たら結構明るかった。何でかと思えば空に浮かんでいる月が光って明るいからだ。村に居た頃も何度か見たけど、今日は特に綺麗に見えた。Motivat
月を見ているとドクドクが強くなっていくけど、目が離せない。
体が熱くなってきて……力が沸いて……。
あれ?
何で……どうして?
姉ちゃん……ぼくは……。
ぼくは……。
こんなの……いやだ……。
「レウスの様子がおかしいんです」
夜、寝る前の読書をしている俺の元にエミリアが訪ねてきて言ったのだ。
「ふむ、確かに今日の訓練も様子がおかしかった」
いつもなら俺に負けないよう闘争本能丸出しで走るのが、今日はただ力を出し切りたい感じだったな。
「昨日の夜から何かおかしくて、妙に興奮している感じなんです」
「夜に何かあったのか? 覚えていることを話してくれ」
「はい、昨夜レウスが眠れなくて部屋を出て行く姿を見たんです。しばらく経っても戻ってこないので探そうと思ったら帰ってきたんですが、凄く焦った様子で毛布を被って寝ちゃったんです」
「怪しいな。それで?」
「今朝になって凄く安心した顔をしていまして、何があったのか聞いても、何でもないとそればかりなんです」
「そうか、出来ればその今朝の内に報告してほしかった」
「ご、ごめんなさい。でもレウスが凄く必死なので……」
身内だしどうしても甘くなっちゃうから仕方ないか。感情が不安定のようだし、とにかく面談してみよう。
「エリナとレウスを呼んできてくれ。エリナと一緒なら話してくれるかもしれない」
「わかりました」
エミリアが二人を呼びに部屋を出ていくのを確認し、レウスの様子を改めて思い返す。
食欲は旺盛でむしろいつも以上に食べていたが、負けず嫌いのあいつが急に勝負しなくなったり、何かに怯えている様子も見えた。レウスが起こしそうな行動を思い立ったので『サーチ』を発動させた瞬間。
「シリウス様っ!」
エミリアが泣きそうな顔で部屋に飛び込んできたのだ。その手には一枚の紙切れが握られており。
「レウスが……レウスが……家から出て行ったんです!」
俺達は居間に集まっていた。
あの時エミリアが部屋に戻ると、拙い文字で書かれたこれがベッドに残されてたそうだ。
『僕はやることがあるので出て行きます。シリウス様、姉ちゃんをよろしくお願いします』
――という内容の書き置きを従者達に見せて意見を聞いてみる。
「しかし急にどういう事だと思う? 訓練から逃げ出すような奴じゃないと思うんだが」
「そうですね。あの子はそういう性格ではなかったです」
「私もそう思います」
「俺もです」
逃げ出すような奴じゃないと全員わかっているようだ。
続いてレウスを一番知っているエミリアに聞こうとするが、ノエルに肩を抱かれて必死に泣くのを堪えていた。
「エミリア、泣くのは後でも出来るから我慢して教えてくれ。レウスはここでの生活を嫌がっていたかい?」
「そんなの……ありえません。皆さんに優しくしてもらって……すごく嬉しくて……逃げ出すなんて……絶対ありえません!」
「そうか、ありがとう。じゃあ別な理由だろうが……やはり昨日の夜か?」
「昨日の夜に何かあったんですか?」
「ああ、実は……」
先ほど話したレウスの行動を話すが、皆不思議がるだけで結局何もわからないままだ。ここはやはり。蒼蝿水(FLY D5原液)
「直接聞くしかないな」
「迎えに行かれるのですか?」
「いや、無理矢理連れ帰っても意味がないから、理由を聞きに行くだけだ。場所は判明してるから飛べば追いつける距離だしな」
レウスの位置は『サーチ』ですでに捉えている。俺がさっさと迎えに行かないのは自主性を尊重したいからだ。俺は弟子を鍛えはするが、その弟子が別の目標やら夢を見つけたならば尊重する主義だ。過去にディーを育ててみたいと思ったが、彼は料理人になりたいと言ったからそれを応援しているし。
だからレウスも自主的に出て行ったのならば止めるつもりはなかったのだが、姉であるエミリアに何も言わず出るのはあんまりだ。せめて理由くらい聞いてやろうかと思う。
「もう外は真っ暗で危険な時間だ。空を飛べる俺だけの方がいいな」
「シリウス様、武器を」
すでにエリナは準備を整えてくれたようで、剣とナイフがついたベルトを装着してくれる。戦う予定がないとはいえ、準備はしっかりしておかないとな。武器がしっかり固定されているのを確認していると、エミリアが前に立って頭を下げてきた。
「お願いします! 私もつれていってください!」
「エリナ」
「はい。エミリア、これに着替えなさい」
「えっ?」
断られると思ったのだろうが、上下の服を手渡されてエミリアは唖然としていた。
「どうした、早く着替えて追うぞ」
「え……あの、本当にいいんですか?」
「何を当たり前な事を。お前の弟だぞ? 知らない所で勝手に決められちゃ納得できないだろうが」
「……ありがとう、ございます!」
涙目で頭を下げてくれるが、まだ何も終っていない。ノエルに目で合図し、エミリアを引っ張って着替えを済まさせるよう頼む。
「了解です。エミちゃん、泣くのは後にして早く着替えるよ」
「はい!」
奥に引っ込み、彼女の着替えを待つ間にエリナとディーに確認しておく。
「魔物に襲われている可能性もあるかもしれないから、薬やその辺りの準備をしておいてほしい」
「お任せください。三人で帰宅されるのをお待ちしております」
「俺も、何か暖かい物を作っておきます」
「頼んだ、何かあれば連絡するから」
「「わかりました」」
玄関を出るとすぐにエミリアが出てきた。渡された服を着ており、丈夫な厚手のズボンとハーフコートで冒険者が着るような動きやすい服装だ。
「お待たせしました」
「よし、早く行くとしよう。背中におぶされ」
「は、はい。失礼します」
背中を向けてしゃがみ込むと、少し戸惑いつつもエミリアは背中に乗ってきた。安全の為に『ストリング』で俺と彼女をしっかり固定しておく。密着度が上がってエミリアが動揺しているがスルー。
「わわっ! し、シリウス様!?」
「魔法でしっかり固定したから落ちる心配は無いからな。じゃあ、皆行ってくる」
「い、行ってきます!」
「「「いってらっしゃいませ」」」
従者達の声を背中に、俺とエミリアは空へと駆け出した。
「怖くないか?」
「だ、大丈夫です!」
普段よりスピードも高度も抑え気味であるが、初めてでしかも夜の空を飛べば恐怖を感じるだろう。首に回された腕にそうとう力が入っているが、強化された俺には通じんな。
「こういう時は上を見るといい。ほら、月を見てごらん」
「は、はいぃ! ……うわぁ」
少しだけ近づいた月を見上げ、エミリアの腕が緩む。しばらく無言で飛び続け、落ち着いてきたエミリアが不意に呟いた。SPANISCHE FLIEGE
「レウスも……この月を見ているんでしょうか」
「そうだな。案外、月を見ながら寂しくて泣いているんじゃないか?」
「ふふ、ありえそうですね。本当に……バカな子なんだから」
「ああ、バカだな。下らん理由だったらぶん殴ってやるか」
「私も頬を叩いてやります」
「その意気だ。少しスピードを上げるぞ」
「はい!」
『サーチ』で調べたが、レウスの反応が移動している様子はない。動けない状況かもしれないし、エミリアも慣れてきたので速度を上げて飛び続けた。
反応を頼りに辿り着いたのは、以前俺が水魔草を採取した湖だった。
今回はゴブリンが居座っておらず、周辺に危険な魔物も居ないようなので安心して降りた。エミリアを背中から降ろし、レウスの姿を探して歩き出す。
「レウスーっ! どこにいるのーっ!」
「声を出す必要はないぞ」
魔物が潜む地域で大声出せば、魔物を集めてしまう可能性もある。幸いこの周辺に反応が無いが、余計な行動は慎むべきだ。それに。
「でも!」
「大丈夫だ、レウスはすぐそこに居るよ」
俺が指した先に、湖のへりで蹲るように座るレウスの後姿が見えたからだ。エミリアは駆け出しレウスに近づこうとしたが。
「レウス!」
「来るなっ!」
普段は姉に使わない威嚇気味の声で拒絶された。唐突の行動にエミリアは戸惑い、思わず立ち止まっていた。
「レウス? 何を言っているのよ。お姉ちゃんと帰ろう、ね?」
「来るなって言ってるんだ!」
拒絶は止まらない。それでもエミリアは自分を奮い立たせ、弟に声をかける。
「一体どうしたの? 私達一緒に頑張ろうって言ったじゃない。一人で皆から離れて何かあったらどうするの!」
「僕はもう大丈夫だ。走って体力はついたし、勉強して知識も学んだ。もう一人でやっていけるんだ!」
「ふざけないで! たったあれだけで強くなるわけないでしょ!」
「強くなった! 僕は……強くなったんだ!」
話は完全に平行線で、このまま言い合いしても時間の無駄なので介入する事にした。エミリアの肩を叩いて振り向かせると、彼女は涙を流しながらこちらを見上げていた。
「ごめんなさい、すぐに、すぐに説得しますから」
「対話なら帰ってやれ。お互い興奮して話にならないから俺がやろう」
「っ……はい」
悔しげに下がるエミリアを背にレウスへと近づく。さてさて、一体どんな理由で家出したのやら。
「よう、レウス。こんな所で何をやってるんだ?」
「……あんたには関係ない」
「関係はあるさ。俺はお前らの保護者で師匠だ。弟子が暴走したら気にするのは当然だろ?」
「僕はそんなのになった覚えはない!」
「教わった時点でそうなるんだよ。おまけに食事や寝床も提供したんだ、聞く権利はあるだろう?」
「…………」
「だんまりか。とにかく答えろ。お前はどうして家を出た? あんな書き置きじゃ理由にならん」
「……僕は強くなったんだ」
「あの程度の訓練で強くなったと? 勘違いも甚だしい、自信過剰も大概にしてくれ」
挑発した俺の物言いに、レウスは立ち上がり振り返って叫んだ。SPANISCHE FLIEGE D9
「僕はお前以上に強くなったんだ。姉ちゃんつれて帰れ!」
「今日も走りで負けた癖にか? 口先だけで強くなったと言うならただの餓鬼だぞ」
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい!」
地面をじたばた踏んで子供の癇癪だ。元から感情が不安定だったとはいえ、エリナのお陰で多少は緩和してた筈で、僅か一日でここまで爆発するとは思えないんだが。
「言ってわからないなら……これを見てみろ!」
「っ!? レウス……嘘……でしょ?」
物音に振り返ると、エミリアが信じられない顔でその場にへたり込んでいた。再びレウスに視線を戻せば、月の光を反射していた彼の銀髪が……金色に変わっていたのだ。
「何だあれは?」
「そんな……レウスが呪い子なんて……」
一人絶望するエミリアだが、こちらは意味がさっぱりわからん。種族的な特徴にしてはエミリアの反応が過剰すぎるが。
「あれは何だ。知っているなら教えてくれ」
「あれは……私達、銀狼族に伝わる呪い子と呼ばれるものです」
呪い子? アルベルト旅行記にも載ってない初めて聞く名だが、良い事じゃなさそうなのは確かだな。
「うっ、ぐおおおぉぉぉっ!」
レウスの体に異変が起こり始める。短かった髪が伸び、筋肉が盛り上がり、全身に毛が生えて鼻が伸びたレウスは……二足歩行の狼に変身した。体に残された衣服がかろうじてレウスの面影を残しているが、これはワーウルフってやつか?
「呪い子は全身が狼に変わるんです。それは災いと不幸を呼ぶと言われ……銀狼族の掟で処分……されるんです」
「処分? 何とも物騒な話だな」
「二年前、私の村で一人の大人が突然呪い子と成りました。その人は混乱して暴れ始め、私達を襲おうとしたところでお父さんに……殺されました」
「殺されたのは、目の前でか?」
「……はい」
何となく理由がわかった気がする。
レウスは自身が呪い子だと知り、その結末を目の前で見ているから自分もそうなるんだと絶望しているんだ。でも死にたくはないし、姉とは居られないゆえに逃げ出した……そんなところか?
「見ろ、僕は呪い子なんだ! あの大人みたいに殺された呪い子だ! そんなの嫌だから逃げるんだ。だから姉ちゃんつれて帰れよ!」
「レウス……駄目だよ。行っちゃ……駄目」
「姉ちゃん……元気でね。この姿になった僕はすごく強いから大丈夫だよ。もう一人で生きていけるからさ」
「駄目……レウス。私を……一人にしないで」
エミリアもまた銀狼族の掟を知っており、レウスの行動がわかるのだ。掟と言う鎖に縛られ、苦しむ彼女の声は力が無い。本当なら無理矢理でも捕まえて止めたいのだろうが、彼女の足は動かずただ静かに涙を流すのみ。
互いにどうしようもない絶望感に包まれる中……。
「くだらんな」
俺は鼻で笑った。
「えっ!? シリ……ウス様?」
「何だと! もう一度言ってみろっ!」
「何度でも言ってやる。くだらない、全くもって、くだらん」
俺の言葉にエミリアはショックを受け、レウスは怒り狂っているが無視して指を一本立てた。
「レウス、俺と勝負しろ。俺に勝てたらどことでも好きに行くがいい。ただし、こちらが勝ったら言う事を一つ聞いてもらうぞ」
「何だよ、お前は何かあったら好きにしろって言ってたじゃないか。だから僕は好きにしてるのに、止めるなんて嘘つきだ!」
「嘘をついてる奴に嘘つきとか言われたくないな。それにこれが好きな事だ? 笑わしてくれる」
俺は確かに本人の自主性を尊重するが、それは互いに納得出来たらの話だ。守りたい女性が出来ましたと言って離れたがっても、その女性が弟子を騙してる女だったら俺は殴ってでも止める。SPANISCHE FLIEGE D6
2015年5月4日星期一
ネルガルの特訓
「ネル、特訓をしよう」
ある日、マリウスは娘にそう提案した。
「……? いいよ」
ネルガルは不思議そうに首をかしげる。巨根
だが、すぐに大好きな父と一緒にいられると気づいて承諾した。
二人はマリウスが創造した特殊空間へと移動する。
「なにをするの?」
娘の問いかけにマリウスは答えた。
「俺は何もしない。お前が攻撃して来い」
「うん」
父親の命令にネルガルはよく分からないまま頷き、攻撃をしかける。
無造作に放たれる圧縮された魔力の弾丸は、魔王となったゾフィすら必死で防ぐか避けなければならないであろう威力を誇った。
だがしかし、マリウスはどちらもせずまともに食らう。
「ええっ」
悲鳴を上げたのはネルガルだった。
父ならばこの程度、余裕で避けるか防ぐと思っていたからこその行動だったのである。
それがまさか全弾まともに命中するとは。
「お、おとーしゃま?」
まさか死ぬはずがないと思いつつ、恐る恐る声をかける。
「ネル、次だ」
マリウスはありありとダメージを受けながらも、力強い声で指示を出した。
「え? え?」
幼いネルガルには理解ができず、困惑を顔に浮かべる。
「ど、どうして? おとーしゃま、いたいよ?」
「そうだな。だから意味がある」
マリウスは厳しい顔で言った。
「俺が大きな傷を受けないよう、手加減した攻撃をしてくるんだ」
「え? ええ? ええええっ?」
ネルガルはたっぷり数秒は経過してから、やっと父の言いたい事を理解し叫ぶ。
「そ、そんなのむりだよー。おとーしゃま、いたいただよ?」
彼女は早くも半泣きになっていた。
自分が手加減を苦手としている自覚があるのだろう。
「ネルが手加減を覚えてくれたら大丈夫だ」
「ええー……」
幼い少女はおどおどと不安そうに周囲を見回す。狼1号
そしてしょぼんと肩を落とした。
そんな娘に対してマリウスはやさしく声をかける。
「大丈夫。お前はやればできる子だ」
「……で、できなかったら?」
ネルガルは不安そうに涙をためた目で、父親を見つめた。
「俺が死ぬまでにできればいい」
「そ、そんなのやだー!!!」
とうとうネルガルは泣き出す。
マリウスは困って頬をかく。
(いくら何でも性急すぎたか?)
後悔したものの既に時は遅し。
最低でも娘を泣き止ませる必要はあった。
「オレ、乱入っ!」
そこへ何者かが空間の一部を破壊して乱入してくる。
実のところ何者なのか、改めて記すまでもないだろうがアウラニースであった。
「何だ? オレも混ぜろよ!」
彼女は空気を読んだのかそれとも無視したのか、とっさに判断しかねる態度をとる。
「てんぺすト・ろあ」
そんな母親に向かってネルガルは、雷と暴風を伴ったブレスを吐いた。
「ふん、小賢しい!」
アウラニースは右手で打ち払ってしまう。
そんな彼女の事を幼い少女は睨みつけた。
「おとーしゃまとふたりきりなんだから、じゃましないで!」
どうやら彼女には親子三人水入らずという発想はないらしい。
「ぴえぴえ泣いていたくせに生意気を言うな。本当にオレとマリウスの子か?」
「ネルはおとーしゃまのこだもん!」
ネルガルはムキになって主張する。
するとアウラニースはニヤリと笑った。三體牛鞭
「だったらそれを証明してみろ!」
成人男性の頭部より一回り大きい、青白く光る雷球を作り出して放つ。
彼女の得意技の一つ、「ブリューナク」だ。
ネルガルは涙が乾いていない状態で、それを難なく回避する。
「ふんだっ。ふぃんぶるヴェどる!」
小さな体からはこの世の全てを凍てつくしそうな、凄まじい冷気が放たれた。
もしターリアント大陸に命中すれば、そのまま永久凍土へと変えてしまいそうなほどの威力がある。
「は、オレの真似ばかりか?」
アウラニースはあざ笑うと、それを両手で止めてしまう。
「この程度じゃまだまだオレの足元にも及ばんな」
「うるしゃい!」
ネルガルはむーっと母を睨む。
アウラニースはニヤニヤしながらそれを眺めている。
からかっているのか鍛えているのか、判断に難しいところだ。
ただ、マリウスに言わせれば「両方」である。
「そこまでにしろ、アウラニース。ネルガルもな」
「むっ」
彼が制止をかけるとアウラニースは不満そうに唸り、ネルガルは元気よく返事をした。
「はーい」
そして父親に抱きつく。
「えへへー」
マリウスは嬉しそうに笑う、無邪気な娘の髪の毛を優しくなでてやる。
「アウラニース相手にやってみるか?」男宝
「うん」
ネルガルは即答した。
本当に手加減をできるか怪しいが、やらないよりはマシであろう。
彼女の父親はそう自分に言い聞かせたのだ。
「お、何だ?」
アウラニースが疑問を口にする。
やはりと言うか、よく分かっていないくせに乱入してきたらしい。
今更なのでマリウスは驚きもせず、説明してやった。
「そろそろネルに手加減ってものを覚えさせようと思ってな」
「ああ、そうだな。弱い者を単に殺すのは二流、生かさず殺さず弱らせるだけにとどめてこそ一流だな」
最強の魔王はそう納得する。
聞く者が聞けば卒倒しそうなほど物騒な発言だったが、この場で気にする者はいなかった。
「そうなの、おとーしゃま?」
二歳の幼女は無邪気に父に尋ねる。
「うん」
ためらってもいい事はないとマリウスは即答した。
「ねるがてかげんできたら、よろこんでくれる?」
「おう」
その言葉を聞いた娘は、全身から闘気を立ちのぼらせる。
「じゃあさ、ねるがてかげんできたら、いっしょにねるじかんをふやしてくれる?」
「うん」
ネルガルの全身から天地が揺らぐような魔力が迸り始めた。
「じゃあ、ねるがてかげんできたら、けっこんしてくれる?」
「それはだめ」
今度もマリウスは即答する。
「ぶーっ」
ネルガルは不満そうに唸ったが、それ以上は何も言わなかった。
「おかーさん、はんごろしにしちゃったらごめんね?」
そして母親に無垢な笑顔でそう話しかける。
世界は広しと言えども、アウラニース相手にこんな事を言える少女は他にいないだろう。漢方蟻力神
「はっ、オレの子供ならそれくらいの意気じゃないとな!」
言われた女は、怒るどころか嬉しそうに両手を打ち鳴らす。
一秒後、二人の女が激突する。
空間が激しく振動し、峻烈な光が何度も周囲に満ちた。
「手加減って言葉の意味、教えただろうっ?」
マリウスは怒鳴りつける。
「うーん、やっているんだけどなー」
ネルガルは申し訳なさそうな顔をした。
「できているぞ?」
アウラニースが珍しく娘を擁護する。
とは言っても、彼女にしては単純に事実を述べただけだった。
「大陸が消し飛ぶ攻撃が、大陸が半壊する程度の攻撃になっている。それなりに進歩はしているだろう」
「そうか。うん、少しは進歩しているなら褒めないとな」
マリウスは一瞬呆気にとられたが、すぐに我に返って娘を褒める。
「わーい、ほめられた!」
ネルガルは更にやる気を出し、アウラニースが迎え撃つ。
一瞬、空間が裂けて外に戦いの余波が漏れてしまったが、マリウスが即座に対処した為に何事も起きなかった。
「本当にできているのか?」
マリウスは疑問を口にしたが、今度は返事がない。
両者は戦いに集中している。
ターリアント大陸のとある場所にて。
「な、何だ? 今の?」
突然眩しい光の奔流が発生し、半瞬にも満たない間に掻き消える様子を目撃した人間が驚きをあらわにする。
「あの方角はトゥーバン王国だな」
「じゃあネルガル様かアウラニース様あたりか?」
「だろうな」
「なーんだ。またか」
人々は犯人が分かると何事もなかったかのように暮らしに戻っていく。VVK
ある日、マリウスは娘にそう提案した。
「……? いいよ」
ネルガルは不思議そうに首をかしげる。巨根
だが、すぐに大好きな父と一緒にいられると気づいて承諾した。
二人はマリウスが創造した特殊空間へと移動する。
「なにをするの?」
娘の問いかけにマリウスは答えた。
「俺は何もしない。お前が攻撃して来い」
「うん」
父親の命令にネルガルはよく分からないまま頷き、攻撃をしかける。
無造作に放たれる圧縮された魔力の弾丸は、魔王となったゾフィすら必死で防ぐか避けなければならないであろう威力を誇った。
だがしかし、マリウスはどちらもせずまともに食らう。
「ええっ」
悲鳴を上げたのはネルガルだった。
父ならばこの程度、余裕で避けるか防ぐと思っていたからこその行動だったのである。
それがまさか全弾まともに命中するとは。
「お、おとーしゃま?」
まさか死ぬはずがないと思いつつ、恐る恐る声をかける。
「ネル、次だ」
マリウスはありありとダメージを受けながらも、力強い声で指示を出した。
「え? え?」
幼いネルガルには理解ができず、困惑を顔に浮かべる。
「ど、どうして? おとーしゃま、いたいよ?」
「そうだな。だから意味がある」
マリウスは厳しい顔で言った。
「俺が大きな傷を受けないよう、手加減した攻撃をしてくるんだ」
「え? ええ? ええええっ?」
ネルガルはたっぷり数秒は経過してから、やっと父の言いたい事を理解し叫ぶ。
「そ、そんなのむりだよー。おとーしゃま、いたいただよ?」
彼女は早くも半泣きになっていた。
自分が手加減を苦手としている自覚があるのだろう。
「ネルが手加減を覚えてくれたら大丈夫だ」
「ええー……」
幼い少女はおどおどと不安そうに周囲を見回す。狼1号
そしてしょぼんと肩を落とした。
そんな娘に対してマリウスはやさしく声をかける。
「大丈夫。お前はやればできる子だ」
「……で、できなかったら?」
ネルガルは不安そうに涙をためた目で、父親を見つめた。
「俺が死ぬまでにできればいい」
「そ、そんなのやだー!!!」
とうとうネルガルは泣き出す。
マリウスは困って頬をかく。
(いくら何でも性急すぎたか?)
後悔したものの既に時は遅し。
最低でも娘を泣き止ませる必要はあった。
「オレ、乱入っ!」
そこへ何者かが空間の一部を破壊して乱入してくる。
実のところ何者なのか、改めて記すまでもないだろうがアウラニースであった。
「何だ? オレも混ぜろよ!」
彼女は空気を読んだのかそれとも無視したのか、とっさに判断しかねる態度をとる。
「てんぺすト・ろあ」
そんな母親に向かってネルガルは、雷と暴風を伴ったブレスを吐いた。
「ふん、小賢しい!」
アウラニースは右手で打ち払ってしまう。
そんな彼女の事を幼い少女は睨みつけた。
「おとーしゃまとふたりきりなんだから、じゃましないで!」
どうやら彼女には親子三人水入らずという発想はないらしい。
「ぴえぴえ泣いていたくせに生意気を言うな。本当にオレとマリウスの子か?」
「ネルはおとーしゃまのこだもん!」
ネルガルはムキになって主張する。
するとアウラニースはニヤリと笑った。三體牛鞭
「だったらそれを証明してみろ!」
成人男性の頭部より一回り大きい、青白く光る雷球を作り出して放つ。
彼女の得意技の一つ、「ブリューナク」だ。
ネルガルは涙が乾いていない状態で、それを難なく回避する。
「ふんだっ。ふぃんぶるヴェどる!」
小さな体からはこの世の全てを凍てつくしそうな、凄まじい冷気が放たれた。
もしターリアント大陸に命中すれば、そのまま永久凍土へと変えてしまいそうなほどの威力がある。
「は、オレの真似ばかりか?」
アウラニースはあざ笑うと、それを両手で止めてしまう。
「この程度じゃまだまだオレの足元にも及ばんな」
「うるしゃい!」
ネルガルはむーっと母を睨む。
アウラニースはニヤニヤしながらそれを眺めている。
からかっているのか鍛えているのか、判断に難しいところだ。
ただ、マリウスに言わせれば「両方」である。
「そこまでにしろ、アウラニース。ネルガルもな」
「むっ」
彼が制止をかけるとアウラニースは不満そうに唸り、ネルガルは元気よく返事をした。
「はーい」
そして父親に抱きつく。
「えへへー」
マリウスは嬉しそうに笑う、無邪気な娘の髪の毛を優しくなでてやる。
「アウラニース相手にやってみるか?」男宝
「うん」
ネルガルは即答した。
本当に手加減をできるか怪しいが、やらないよりはマシであろう。
彼女の父親はそう自分に言い聞かせたのだ。
「お、何だ?」
アウラニースが疑問を口にする。
やはりと言うか、よく分かっていないくせに乱入してきたらしい。
今更なのでマリウスは驚きもせず、説明してやった。
「そろそろネルに手加減ってものを覚えさせようと思ってな」
「ああ、そうだな。弱い者を単に殺すのは二流、生かさず殺さず弱らせるだけにとどめてこそ一流だな」
最強の魔王はそう納得する。
聞く者が聞けば卒倒しそうなほど物騒な発言だったが、この場で気にする者はいなかった。
「そうなの、おとーしゃま?」
二歳の幼女は無邪気に父に尋ねる。
「うん」
ためらってもいい事はないとマリウスは即答した。
「ねるがてかげんできたら、よろこんでくれる?」
「おう」
その言葉を聞いた娘は、全身から闘気を立ちのぼらせる。
「じゃあさ、ねるがてかげんできたら、いっしょにねるじかんをふやしてくれる?」
「うん」
ネルガルの全身から天地が揺らぐような魔力が迸り始めた。
「じゃあ、ねるがてかげんできたら、けっこんしてくれる?」
「それはだめ」
今度もマリウスは即答する。
「ぶーっ」
ネルガルは不満そうに唸ったが、それ以上は何も言わなかった。
「おかーさん、はんごろしにしちゃったらごめんね?」
そして母親に無垢な笑顔でそう話しかける。
世界は広しと言えども、アウラニース相手にこんな事を言える少女は他にいないだろう。漢方蟻力神
「はっ、オレの子供ならそれくらいの意気じゃないとな!」
言われた女は、怒るどころか嬉しそうに両手を打ち鳴らす。
一秒後、二人の女が激突する。
空間が激しく振動し、峻烈な光が何度も周囲に満ちた。
「手加減って言葉の意味、教えただろうっ?」
マリウスは怒鳴りつける。
「うーん、やっているんだけどなー」
ネルガルは申し訳なさそうな顔をした。
「できているぞ?」
アウラニースが珍しく娘を擁護する。
とは言っても、彼女にしては単純に事実を述べただけだった。
「大陸が消し飛ぶ攻撃が、大陸が半壊する程度の攻撃になっている。それなりに進歩はしているだろう」
「そうか。うん、少しは進歩しているなら褒めないとな」
マリウスは一瞬呆気にとられたが、すぐに我に返って娘を褒める。
「わーい、ほめられた!」
ネルガルは更にやる気を出し、アウラニースが迎え撃つ。
一瞬、空間が裂けて外に戦いの余波が漏れてしまったが、マリウスが即座に対処した為に何事も起きなかった。
「本当にできているのか?」
マリウスは疑問を口にしたが、今度は返事がない。
両者は戦いに集中している。
ターリアント大陸のとある場所にて。
「な、何だ? 今の?」
突然眩しい光の奔流が発生し、半瞬にも満たない間に掻き消える様子を目撃した人間が驚きをあらわにする。
「あの方角はトゥーバン王国だな」
「じゃあネルガル様かアウラニース様あたりか?」
「だろうな」
「なーんだ。またか」
人々は犯人が分かると何事もなかったかのように暮らしに戻っていく。VVK
2015年5月1日星期五
謀臣って、こういう人を指すのかもしれない
「うーーーん」
バウマイスター騎士爵領で発生した反乱は、無事に犠牲者ゼロで鎮圧されていた。
首謀者であったクラウスには上手く縛り首をかわされてしまった挙句、彼の思惑通りの結果になってしまったようだが、どこかホッとしている部分もあるのかもしれない。procomil spray
やはり、人の処刑シーンなど見たくは無いのが真情だからだ。
「ヴェルは、クラウスさんに複雑な感情を抱いているわけね」
無事に反乱鎮圧も終わり、事後処理にみんな奮闘していたが、俺は一人領地外れの草原で寝転がって空を見ていた。
護衛はイーナ一人であったが、あまり役には立たないと思う。
なぜなら、俺が膝枕を要求していたので動けないからだ。
ここには野生動物も滅多に来ないのであまり問題は無いし、こういう身分になったので、少し離れた位置で兵士が数名俺の護衛をしている。
偉くなるというのは、なかなかに大変なようだ。
「複雑というか、ギャフンと言わせたい」
「ギャフンって……。子供じゃないんだから」
ヘルマン兄さん達の救助目的で館の食堂に突入した後、俺はクラウスに『そんなに縛り首は嫌か?』と尋ねた。
元日本人の感覚で心から縛り首など望んでもいなかったが、それを言えばクラウスが動揺するかと思ったのだ。
結果は見事に、ハッタリである事を見抜かれていたようであったが。
「クラウスさんくらいになると、感情を隠すくらい造作も無いはずだから、難しいと思うわ」
それでも、心の中では悩み、驚き、腹が立つ事もあるはずだと。
「あの孫達のバカさ加減に、溜息をついているとは思うわ」
今は軟禁状態であったが、もう明日からは新しい村落建設予定地に送られる予定だ。
人数は、ヴァルターとカールに反乱に参加した若い領民とその妻と子達で合計二十二名。
まずは住む家を自分達で建てて、それから自力で開墾をするそうだ。
以前の畑と家は没収され、新しい家を立てる資材はヘルマン兄さんが準備する。
前の家の中にあった家具や服に現金などの所有は認められたが、理由はそれがないと食料が買えないからである。
あとは人頭税もあるし、栽培した作物にも税がかかるが、これは三年間の免除が決まっている。
ただ、三年で税を払っても自分達が食える分の畑を作らないと飢え死になので、クラウスは仕送りのためにアルバイトをするわけだ。
何しろ彼も、元の家と畑を没収されているのだから。
金銭などの財産であったが、クラウスに聞くとそれほど多くもなかった。
普通の名主の平均くらいだ。
もし、父の代から税でもチョロまかしていたら縛り首再びという可能性もあったのだがそれは無さそうだ。
少し残念でもあり、クラウスなのでそんなヘマはしないとも俺は思っていた。
俺に付いて来るクラウスもあまり現金などは所持しておらず、少しの着替えと身の周りの物を入れたカバン一つだけであった。
『六十歳を超えて、外の世界で働く。なかなかにワクワクしますね』
加えて、今の情況を心から楽しんでいるのだから、クラウスの肝は相当に大きいのであろう。
「クラウスさんは、目的を達したわけね」
あのままの状態で放置しておくと、クラウスの死後にヴァルターとカールが暴走する可能性が否定できなかったので、彼らにお灸を据え、殺されずに済むように手を打った。
それが、あの反乱の目的だったのであろう。
一からの開墾で苦労するヴァルターとカールはご愁傷様であったが、自業自得なので仕方が無いと言えた。
「困難な開発に、監視の目もあるか」
必要な物は商店で買えるが、新しく商店を経営するライナーには安く売るのも禁止だが、高く売るのも禁止だとヘルマン兄さんが命令を下している。
あと、二十四時間交代で監視の人員も付けるそうだ。
『次に何か企んだら、俺が責任を持って始末する。ヴェルに二度も鎮圧など任せられん。ここは、俺の領地だからな』
というやり取りがあり、彼らは大人しく処罰を受け入れたようだ。房事の神油
縛り首でないので甘いという意見も出そうだが、何も無い草原を死ぬまで自力のみで開墾なので、ある意味縛り首よりも厳しい罰であろう。
逃走も不可能である。
監視はあるし、いくら開発が始まったとはいえ彼らが開墾をする草原の周囲にはまだ凶暴な野生動物も多いからだ。
弓くらいしか使えないヴァルターとカールでは、逃走は不可能であろう。
「そちらはヘルマン兄さんに任せて、俺達は戦争だな」
「ヴェルも、貴族らしくなったわね」
「イーナは、奥さんらしくなったか?」
「自信が無い……」
「全員が同じようでもつまらないから、それは良いんじゃないの? 俺は、イーナとは普通に話せるからありがたいし」
エリーゼだと少し畏まっているし、ルイーゼは面白いけど変な時があるし、ヴェルマはたまに毒舌だし、カタリーナは何というかズレている時がある。
なので、普通に話せるイーナという存在を俺は貴重に思っているのだ。
「そういうわけだから、今は普通の婚約者のように膝枕を続行で」
「そうね。私の足って硬くない?」
「そうか? 別に硬くないぞ」
「それは良かったわ」
俺は、イーナの膝枕で一時間ほど浅い眠りに入るのであった。
「バウマイスター伯爵様、お迎えに参りました」
「ご苦労様。やはり、こういう時には小型の魔導飛行船は便利だな」
反乱鎮圧とその後処理が終わった翌日、俺達を迎えに一隻の小型魔導飛行船が到着していた。
この大切な時期に足を引っ張ってくれた、東部を纏めるブロワ辺境伯に一撃かます。
そのくらいはしておかないとまた何か企む可能性もあり、加えて南部との境に大規模な出兵もしているとかで、ブライヒレーダー辺境伯からも参軍要請が出ている。
寄り親の要請はなるべく聞き入れ、その代わりにそれに応じた便宜を図って貰うのが正しい関係でもある。
仕返しの必要もあるので、俺は軍の移動に小型魔導飛行船を、保有しているアームストロング導師の次男ヘンリックからレンタルして運んで貰う事になった。
一時的に、傭船契約を結んだのだ。
「稼ぎ時なのに済まんな」
「いえいえ、利益は十分に出ていますから。それで、人数は予定通りで?」
参加者は、俺達にブランタークさん、あとはバウマイスター伯爵家諸侯軍にそれを率いているモーリッツという布陣になっている。
「クソっ! 俺も兵を出したかった!」
ヘルマン兄さんも少数でも兵を出したかったようだが、犠牲は出なかったが内乱が終結したばかりなので忙しく、悔しそうな表情で不参加を俺に伝えていた。
「唯一参加しているのはクラウスですね」
「あの野郎、全部計算しているのか?」
「俺も最近良くわかりません」
あとは、名主を引退してフリーターになったクラウスに、反乱に失敗して捕らえられたブロワ側の兵士達の姿もあった。
「あんなのを乗せて大丈夫ですか?」
「クラウスが見事に説得しやがったからな」
「あの人、反乱の首謀者ですよね?」蔵秘回春丹
顔を引き攣らせる父親には似ずに常識人なヘンリックであったが、実際にクラウスがあの連中を寝返らせてしまったのは事実であった。
『お館様は、彼らを自分の駒としてお使いになるつもりですか?』
クラウスの臨時雇用が決まった直後、彼はすぐに捕らえられた反乱分子達の使い道を聞いてくる。
『そのつもりだが、まずはブライヒレーダー辺境伯に聞いてみようかなと』
『間違いなく、ブライヒレーダー辺境伯様は何も仰らずに許可を出すと思います。なぜなら、彼らを捕らえたのはお館様です。彼らをどうにかする権利は、お館様にしかございませんので』
いくら寄り親と寄り子の関係でも、ブライヒレーダー辺境伯家とバウマイスター伯爵家とは別の家。
なので、捕虜の扱いや戦利品について余計な口は挟まないのだとクラウスは説明していた。
『なので、説得は早めに行うのが宜しいかと。私が、説得してみましょう』
『クラウスがか? 裏切り者扱いで大ブーイングになりそうだな』
『そこを逆転させるのが、年寄りの知恵でして』
許可を出して、一緒に彼らが捕らえられている空き家へと向かうと、ドアを開けるなり彼らから予想通りに大ブーイングが発生する。
『裏切り者!』
『俺達を売りやがったな!』
首謀者なのに、なぜか俺と一緒にいるクラウス。
彼らの怒りは当然で、俺も彼らを応援したくなるほどだ。
『誤解の無きように言っておきますが、私は全力で反乱に協力いたしましたよ』
クラウスは、だからこそあれほど鮮やかに領主の館を落せたのだと語っていた。
ただ、運が悪い事に鎮圧に来た相手が悪かったのだと。
というか、俺の目の前で全力で反乱に参加したと平気で言えるクラウスは良い性格をしていると思う。
『バウマイスター伯爵様、ブライヒレーダー辺境伯様お抱えのブランターク様、西部一と評判の暴風様と。三人でエリアスタンで制圧されてしまいますと……。私は誓って内通などしておりませんし、そんな物もバウマイスター伯爵様には必要ないかと思います』
クラウスの説明に、次第にブーイングの声は納まっていた。
『それで、捕らえられている俺達に何の用事だ?』
彼らのリーダーをしている、三十代前後の男性がクラウスに質問をする。
『それはですね。トーマス殿。みなさんの仕官の口利きです』
『縛り首になる俺達がか? 何の冗談だ?』
『いえ、冗談ではありませんよ』
更に、クラウスの説明は続く。
『バウマイスター伯爵家は、ヴェンデリン様が個人の才覚で切り開いた御家です。素晴らしい事ではありますが、やはり人手は足りません。普通であれば、トーマス殿の罪は縛り首が妥当。ですが、ここで無闇に人を殺してしまうのは勿体無い』男用99神油
『人なら余っているだろう。王都のスラムにでも行け』
『そういう開拓民ではなくて、バウマイスター伯爵家で武官なり文官が出来る教育された人が必要なのですよ。トーマス殿のように、ブロワ辺境伯領内で訓練や教育を受けた人達がね』
クラウスの発言に、トーマス以下全員が視線を逸らしていた。
彼らは、ブロワ辺境伯家側から処刑されても出自を喋るなと言われているようだ。
『ここに至って、出自を隠される必要もないかと。以前に私に話してくれたではないですか』
クラウスが老練なので、つい話をしてしまったのであろう。
もしかすると、自分の娘を妾として差し出した話や、孫達の不遇話などで、上手く同情心を誘って話を聞き出したのかもしれない。
やはり、こいつはとんでもないジジイだ。
『ご実家や家族に迷惑をかけたくない。そのお気持ちは良くわかります。ですが、トーマス殿を使い捨てにしたのは誰です? こんな敵地の真ん中で、今出兵している諸侯軍に混ぜてもらえるでもなく、捨て駒扱いで後方かく乱任務をさせられた。私、あなた方と行動を共にしていて思いましたが、ツテさえあればちゃんと仕官できる能力はあると思いますよ』
『そんなに世の中は甘くない……』
トーマスという名のリーダーは、ボツボツと話を始める。
零細陪臣家の三男以下など、捨て駒でも使って貰えるだけマシなのだと。
それこそ天才レベルの人なら上からの救いもあるが、自分達くらいならそんな物もない。
長男や、コネがある大身の陪臣の子が拾われるのだと。
『そんな連中よりも、俺達の方がマシだろうな。だが、よほどのバカでも無い限りはコネが優先される』
領内の統治がある程度システム化されているので、所謂『ポッポ』レベルのバカでもないと何とかなってしまう。
だから、コネが何よりも最優先されるのだと。
『バウマイスター伯爵家による、開発特需の話は知っている。だが、ブロワ辺境伯家を始めとする東部貴族は、ブライヒレーダー辺境伯家に恨まれている。俺達が仕官を求めても、出入り口にも辿り着かないで却下されるんだ』
両家の仲の悪さは本物だ。
しかも、この二代ほどで更に増幅されている。
ブライヒレーダー辺境伯は、東部に一切の利権を回していないのであろう。
人材の登用も、東部出身者は完全にカットしているようである。
『ならば、これはチャンスですな』
『チャンスだと! あんた、何を考えて!』
『出会いは反乱鎮圧なので最悪ですが、これもコネといえばコネでしょう。伯爵家の当主様と直接に顔を合わせました』
クラウスのあまりの発言に、彼以外の全員が絶句してしまう。
勿論、俺も絶句していた。
『今はマイナスですが、ここで活躍をしてやり直すのはいかがかと。あなた方はお若い。まだ十分にやり直せると思いますが』
『しかし……。そのやり直しとは……』
彼らを使う一番のネックがそれであった。
捨て駒にされたとはいえ、自分の実家や元主家に逆らう事になるからで、もしかすると戦場で親兄弟と再会する可能性だってあるのだから。男根増長素
なので俺も、全員を引き抜けるとは思っていなかった。
『しかしながら、もう向こうはあなた方を家族とは思っていませんでしょう?』
『……』
『沈黙は、肯定と受け取りますよ』
彼らは使い捨ての駒で、ブロワ家側との関与を喋るなと言われている。
なので、今の時点で実家に戻っても居場所などないのだ。
『そんな人は、うちにはいません』と。
ブライヒレーダー辺境伯が引き取らないとクラウスが断言するのも、そういう事情を察したからのようだ。
『ブロワ家側は、あなた方を交渉の弱点にしたくありません』
ブロワ辺境伯家側が仕掛けた戦争であったが、当然どちらかの館が落ちるまで続くわけがない。
今のところは上手く占拠している利権の確保を狙って、水面下で交渉が始まるはずだ。
その交渉で、彼らは邪魔者でしかない。
いっそ全滅していて欲しいから、あんな無茶な作戦をさせたのだ。
『ご実家は、あなた方を生贄として差し出して何らかの利益を得ているはずです。その代わりに、交渉の席であなた方の身柄の話が出ても……』
うちには、そんな子供は弟はいません。
そういう風に答えるであろうと。
『悔しいと思いませんか?』
『……』
『ご家族との関係は確かに大切な物です。ですが、それはお互いを思い遣っての事です。一方が一方を利用するだけの関係など、歪な上に、家族の縁を利用した詐欺にも等しい』
クラウスの厳しい口調に、トーマス達は肩を落として落ち込んでいた。
『ですから、ここで再起いたしましょう。どうせ、反乱に失敗して一度亡くしたはずの命です。バウマイスター伯爵家に仕官して生まれ変わるのも手かと』
『生まれ変わる……』
クラウスの真摯な説得を、彼らは神妙な表情で聞いていた。
俺は、クラウスの詐欺師としての才能を新たに発見したと思っていたが。
『如何でしょうか?』
『俺はやり直す! 戦功を挙げて仕官して、結婚して家を持つ!』
『俺もやるぞ! もう実家への義理は果たした!』
『俺も!』
暫くすると次々に手が上がり、最後に残されたトーマスがクラウスに質問をする。
『俺はもう三十二歳なんだ。やり直せるかな?』
『ええ。私など、もう六十歳を超えておりますよ。それでも動けるのですから、トーマス殿はまだ三十年以上も時間が残っておりますとも』
『俺もやり直す! 実家のクソ兄貴に目に物見せてくれる!』
クラウスの説得により、全員がブロワ辺境伯軍との戦いに参加する事を宣言するのであった。男宝
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