ラースプンの燃え盛る鉄拳が岩の大盾ごと粉砕し、フィオナの体を彼方へと吹き飛ばす。
リリィは、宙を舞うフィオナの体をクロノが受け止めたのを視界の端で確認した。
その美味しい状況に今すぐ文句の一つでもつけたくなるが、それを目の前に立ちはだかる真紅のモンスターは許さない。巨根
彼女の宝玉のようなエメラルドの瞳と、呪われたアイテムのように禍々しい赤と黒の瞳が交差する。
再びターゲットが自分へ戻ってきたと、リリィはただそれだけで理解した。
「だあっ!!」
放つのは爆発力重視の光球、連続的な爆音を響かせて次々とモンスターの巨体にヒットするが、その歩みが鈍ることは無い。
光と音の洪水を潜り抜け、怒りに燃えるラースプンは両腕を突き出しリリィに迫る。
すんでのところで空中に回避。
天馬騎士ペガサスナイトを翻弄するほどに空を自由自在に飛べるリリィだが、至近距離で攻撃を当てなければ僅かほどもラースプンの動きを止めることすら出来ないため、空中機動のアドバンテージは著しく低い。
それでも、両足で地を駆けることしか出来ないクロノに比べれば、いざとなれば空中へ逃げることの出来るリリィはかなりマシな方だろう。
だがしかし、その有利を得られるのも僅かな時間しか残されていない。
(拙い、もう限界時間を超える……)
現在のリリィは『紅水晶球クイーンベリル』の魔力を引き出して本来の姿を取り戻している。
実は『生命吸収ライフドレイン』を刻んだ竜皮紙の巻物スクロールが残っているのだが、それを行使する僅かな隙をこのモンスターが許してくれることは無い。
故に、任意で発動可能な『紅水晶球クイーンベリル』を使うしか、この場において本来の姿に戻る方法は無いのだ。
そして、『紅水晶球クイーンベリル』による能力発動も限界が近づいてくるのをリリィはその身で持って理解している。
効果時間は30分、とクロノには説明してあるが、効果を持続させるだけならもう少し伸ばすことも可能だ。
つまり、きっかり30分で効果を喪失し、強制的に子供の姿に戻されるわけではない。
30分前後の時間が過ぎると、『紅水晶球クイーンベリル』から流れ込む魔力に肉体が耐えられなくなり、疲労感に似た症状が出始める。
『紅水晶球クイーンベリル』の行使は、いわば自分が持てる最大限のペースで走り続けているような感覚に近い。
ある程度の時間なら問題ないが、一定時間を過ぎると負担がかかりすぎる。
「はっ……はっ……」
宙を飛び回り、ラースプンの攻撃を掻い潜りながらレーザーや光球を喰らわせるリリィの息が上がってきたのは、つまりそういう理由による。
(ダメ、まだ子供に戻るわけにはいかない)
肉体の負担が増大してくるのをはっきり感じ取りながらも、リリィは『紅水晶球クイーンベリル』の行使を続ける。
この強力なモンスター相手に子供状態で挑むのは危険すぎる、出来るならば確実に攻撃を回避することが出来る今の内に戦闘を終わらせたい。
(何か手があるの、クロノ――)
見れば、クロノとフィオナは即座に戦線復帰せず、二人の姿を覆い隠すように岩の壁が出現している。
これだけ見れば、仲間の一人を犠牲に逃走を図ったと思える状況だ。
メンバーを見捨てるなど、冒険者稼業ではよくある話。
普段は仲良くしていても、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれれば、人と言うのはあっさり裏切るものである。
だからこそ、土壇場でも互いを信じて協力しあい、最後の最後まで全力で戦いぬける者たちこそが一流の冒険者パーティと呼ばれるようになるのだ。
そしてそれは、ランクは未だ2であるものの、自分たちも同じであるとリリィは信じている。
生まれてから30年以上の間、誰かを信じることなど一度も無かったリリィだが、今は全幅の信頼というものをクロノに寄せている。
ついでに、打算的にメンバーに引き入れたフィオナのことも、実は少しだけ信頼しているのだった。
(けど、何か仕掛けるなら早くして、私一人じゃ、もうもたない――)
加速度的に肉体を支配し始める魔力の負担。
先の見えない暗闇を延々と走り続けている時に感じるような疲労感が、リリィの小さな体に重く圧し掛かってくる。
「はっ……はぁ……」
それは、一瞬、本当に僅かだが、確かな隙を生んだ。
「――くあっ!?」
まるで瞬間移動でもしたかのような、超高速で踏み込んできたラースプンの動きに、息の上がったリリィは対処できない。
気づいた時にはもう遅い、緑に輝く妖精結界オラクルフィールドごと、巨大な二つの手のひらで掴まれてしまっていた。
「くっ、離せっ!」
普通なら妖精結界オラクルフィールドに触れた敵は、光の高熱によって焼き尽くされる。
だが、この凄まじい炎熱耐性を誇るラースプンには、手のひらの薄皮一枚を焦がすことも出来ない。
高熱のダメージを負わないのをいいことに、ラースプンは力任せにリリィの身を守る結界を押しつぶそうと両腕に尋常じゃない力が篭められる。
「ぐ、あっ――」
ミシミシと音が聞こえそうなほど強烈な圧迫が加えられ、妖精結界オラクルフィールドが激しく明滅する。
「――『光刃フォースエッジ』!」
遠距離攻撃型のリリィにとってあまり出番の無い近接攻撃に特化した『光刃フォースエッジ』を発動するしかこの状態では反撃手段が残っていない。
多少頑丈な程度の相手であれば、二本の光の刃がその高熱でもってバラバラに焼き切ることを可能にする。
だがしかし、やはりラースプンとの相性は最悪。
結界を掴む手のひらの下から直接『光刃フォースエッジ』を叩きつけるが、噴出す水流を押さえつけるかのように光の粒子が指の間から漏れゆくだけで、その手を、指を、切り裂くには至らない。
(ダメ、逃げられないっ!)
全力で展開する妖精結界オラクルフィールドだが、光の防御を押し退けて、僅かだが、確かに敵の侵攻を許す。狼1号
内から外へ向かって猛烈に光の原色魔力を噴射して押し返そうとするが、結界を突き破ってラースプンの右手の指先が少しずつリリィの体へと近づいてゆく。
そして、ついにその凶悪な指先はリリィの身へと到達する。
「あっ――」
妖精のトレードマークと呼べる虹色に輝く2対の羽、その大きい上側の羽の先端を掴まれる。
次の瞬間、指先は力ずくで強引に羽先を引き裂き始めた。
捕らえた蝶の羽を毟る子供のように、残酷に、一切の容赦なく、その美しく光り輝く羽が引き千切られる。
「ぎゃぁあああああああああああああああ!!」
無情にも、掴まれた左上羽はあっさりと半ばから千切りとられる。
その生きながらにして身体の一部を毟られる強烈な痛みとおぞましい感覚に、リリィは絶世とつくほどの美貌を歪めて泣き叫ぶ。
だが、それでもリリィは妖精結界オラクルフィールドを維持し続け、その身を守り続ける。
涙を浮かべながらも、歯を食いしばり、この先何秒持つか分からなくとも最期の瞬間まで諦めない。
(クロノが、助けてくれるっ)
なぜなら、彼女は信じているから。
(クロノは絶対、私を助けてくれるっ!)
そして、リリィが信じるのは、救いの手を差し伸べることのない非情な神では無い。
共に生き、共に戦った、唯一無二の相棒、最愛の人。
だからこそ、
「リリィを離しやがれぇえええええええええええええ!!」
彼女は救われる。
他でもない、人の手によって。
(ほらね、やっぱりクロノは来てくれた)
生贄の乙女
真紅の巨躯に、その動きを止めんと無数の黒い触手が絡みつく。
だが、モンスターにとってその程度の拘束は無いも同然、非力な人間の力で止められるはずもない。
「リリィ!」
次々に触手を破られながら、クロノが最も長い付き合いの相棒の名を呼ぶ。
返事は無い、代わりに返って来るのは無数の白い光の球。
ラースプンの巨体に殺到するリリィの攻撃は、すぐ近くで『影触手アンカーハンド』を行使するクロノすらその激しい爆風に巻き込む。
まして着弾点である赤い肉体で発生する爆発力と衝撃は相当のもの。
だが、それでも生身でありながら鋼の防御力を発揮するラースプンにダメージはほとんど通らない、その金属質の巨躯を少しばかり揺するだけに留まる。
クロノとリリィが協力して、ようやく僅かに行動を止めるに至る。
それでも、今はこれでいい、一瞬でも動きを止めることができるだけでいいのだ。
(やれ、フィオナ)
クロノの心の中の呼びかけが聞こえているかのように、
「تجميد المجمد رمي الرمح الجليد عصا حادة――」
フィオナの詠唱はジャストのタイミングで終えた。
「――『氷結槍アイズ・クリスサギタ』」
完成した氷の中級攻撃魔法、だが、フィオナが本気で行使すればその威力は上級に届く。
彼女の愛杖である『アインズ・ブルーム』を一振りすれば、触れる物全てを凍らせる冷気を纏う長大な氷の槍が撃ち出される。
その矛先は無論、クロノの拘束とリリィの爆撃によって身動きを止めたラースプン。
全高6メートル、全長に至っては10メートルもある巨大な的、外すわけがない、いや、例え相手が人型であってもフィオナが狙いを外すことは無かっただろう。
そうして、寸分の狂い無くターゲットに向かう氷の槍、その穂先が真紅の巨躯に到達しようという瞬間、右手の宝玉が激しく明滅した。
「ぐぁああああ!」
吹き荒ぶ冷気と熱気は僅か数メートルの距離に立つクロノを容赦なく襲う。
冷たいやら熱いやら、二つの対極の痛みを感じつつ、炸裂した「『氷結槍アイズ・クリスサギタ』」の余波を受けて二転三転しながら吹き飛ぶ。
両手両足を獣のように地に着けながらふんばり体勢を立て直し、すぐに視線を相手へ向けなおす。
そこには、濛々と立ちこめる白煙のような水蒸気の靄に包まれて、先と変わらずに赤い巨体で立つラースプンの堂々たる姿があった。
「くそ、これもダメか……」
吹き荒ぶ嵐のような攻防が続く中、ハンマーのような拳をついに避け損なう。
クリティカルヒットしなかっただけマシ、とはちょっと思えないほどの衝撃で吹き飛ばされる。
風に翻弄される木の葉のように宙を舞う俺の体は、空き地を抜けて森の木々にぶち当たってようやく止まった。
「う、ぐ……痛って……」
飛び掛けた意識をどうにか繋ぎとめる。
凄い勢いで大木の幹に背中から衝突したのだ、普通の人間だったら背骨がバッキリいってるだろう。
頑丈な肉体のお陰で、即死することも半身不随になることもなく、再び立ち上がることができるがダメージはゼロではない。
ちらつく視界と震える両足、これくらいはまだ気合でどうにかなる。
問題なのは俺の体力よりも、現在の戦況だ。
「万事休す、とはこのことか……」
ラースプンがメタル化してから、すぐに作戦を変更した。
俺の刃ではダメージを与えられないことは明白、ならば別の攻撃手段をとるしかない。
攻撃の要はフィオナ、光と闇以外は全ての原色魔力を扱える、今のところ最も‘エレメントマスター’に近い魔女。三體牛鞭
ヤツが炎熱、打撃、斬撃、に対して高い耐性を有している以上は、もう別の属性で責めるしか手は残されてない。
敵の動きを止めるため、前衛には俺だけでなくリリィも投入、二人で連携して何度か攻撃のチャンスを作ってきた。
しかし、頼みの綱である、弱点属性の可能性が最も高い氷の攻撃魔法も通用しなかったことで、作戦の失敗は決定的となった。
モンスターもランク5ともなれば、上級の威力でも効かないってことか、全く、地力の差が激しすぎる。
「くそっ、これ以上どうしろってんだ」
取り出した回復系ポーションを一気に飲み干し、再び両足に力を篭める。
前衛である俺がいなくなれば、リリィとフィオナが危ない、策など無くても行かねばならない。
ラースプンの能力から見て、逃走も許してはくれないだろう、恐らく村まで逃げ込んだとしても追いかけてくるに違い無い。
ならば、どうしてもこの場で倒すより他に無い、だがその方法が無い。
それでも、いつまでも場外でのんびりしてるわけにはいかない、打開策は戦いながら考えればいい。
まだ体力は持つ、魔力もある、何か方法があるはずだ。
必死で頭を回しつつ、刃こぼれしかけた『呪怨鉈「腹裂」』を手に、俺は再び戦場へ舞い戻る。
「『魔弾バレットアーツ』!」
見れば、ラースプンは蝶々を追いかけるが如くリリィに襲い掛かっていた。
弾丸が通じないなど百も承知、だが注意を引く事くらいはできる――はずなのだが、全くこっちを向こうとしない。
いや、追いかけているはずのリリィすら、ヤツは見ていない。
「拙いっ!」
ヤツの狙いを直感的に察する。
俺の方には向かない、リリィは捕まらない、ならば、距離はあるがほとんど動くことが無いフィオナ、間違いない、アイツはこの瞬間にターゲットを彼女に絞った。
せめて『影触手アンカーハンド』が届く距離に俺がいられれば、リリィの援護射撃と共にラースプンの動きを阻止できただろう。
だが、この距離はどうにも間に合いそうに無い!
「逃げろフィオナ!」
叫ぶと同時に、ラースプンもフィオナも動く。
彼女はこれまでソロで冒険者活動をしてきた実績がある、前衛がいなければどうにもならないステレオタイプな魔術士とは一線を画す能力を誇っている。
迫る相手から逃れる為に速度強化の武技『疾駆エア・ウォーカー』を熟練の剣士のように行使するのだ。
しかし、今回ばかりは相手が悪い、ラースプンの移動速度は武技をもってしても振り切れるモノでは無い。
俺とリリィが弾丸とレーザーを必死に浴びせかけるが、ラースプンはその巨躯が霞むほどの勢いで猛然とフィオナへと迫った。
1秒ごとに確実に距離はつまり、ついにあの灼熱の右腕が届く間合いにまで詰め寄っている。
火炎を纏い振りかぶるモンスターの豪腕と、長杖を振り上げる魔女の細腕。
地にクレーターを穿つ威力の鉄拳が到達するギリギリのところで、フィオナの防御魔法は発動した。
両者の間に形成される岩の大盾、ミノタウスル・ゾンビを難なく幽閉したその強固な岩壁はしかし、ラースプンの拳には耐えられない。
弾ける岩石の破片と同時に、フィオナの体も衝撃で吹き飛んでゆく。
「フィオナっ!」
幸いにも、飛んでくる方向は俺と同じ側にある、これなら受け止めることができる。
全力で駆けぬけて、宙を舞うフィオナに向かう――あと少し、届けっ!
衝突の威力を相殺し、無事に彼女の体を抱きとめることに成功する。
ギリギリだった、もし間に合わなかったら、さっきの俺と同じように森の木々へ激突するところだった。
「しっかりしろ、大丈夫か!」
「ん……大丈夫、です」
良かった、体は無事なようだし意識もハッキリしてる。
「行くぞ、ゆっくりしてるとリリィがヤバい」
見れば、ラースプンは背後からレーザーを浴びせかけるリリィを再びターゲットにし、またしても追いかけっこを始めている。
空を飛べるリリィが簡単に捕まることはないだろうが、もうすぐ30分を過ぎる、いつ幼女状態に戻ってもおかしくない。
三人揃っていれば、メインで攻撃を担当しないために幼女リリィでも足止めの役の前衛は引き続き果たせるだろうが、一対一の状況に一瞬でもなってしまえば、あっさり捕まる可能性が高い。
幼女リリィは空を飛べないのだから。
「待ってください」
戦線復帰しようと一歩を踏み出した瞬間、フィオナがボロボロになったローブの裾をつかんで俺の動きを止めた。
「なんだ?」
「倒す方法を思いつきました」
いつもと変わらぬ表情で「お腹が空きました」と言い放つような何気ない口調で、そうフィオナは口にした。
「本当か!?」
はい、と肯定。
当然か、この土壇場で嘘なんてつけるはずがない。
「どうすればいい?」
「私を斬って下さい」
「は?」
意味が分からなかった。男宝
それはもう全く、これっぽっちも。
これまでフィオナの天然気味な発言には色々と振り回されてきた気がするが、今回ばかりは冗談としても笑えない。
だが、しかし、いくらフィオナでも伊達や酔狂でこんなことを言い出すとは思えない。
「どういう、意味だ?」
すぐに答えは返ってこない、代わりに、
「صخرة على نطاق واسع لمنع الجدار――『岩石防壁テラ・ウォルデファン』」
防御魔法を発動、大きな岩の壁が俺たちを覆い隠すように出現する。
「そのままの意味です、クロノさんの鉈で、私を斬ってください――」
そこで言葉を区切ると、フィオナはその場で、つまり俺の目の前で、魔女のトレードマークである漆黒のローブを脱ぎ捨てた。
止める間もない、一瞬の出来事だった。
命を賭けた死闘の真っ最中、突如として露わになる乙女の白い柔肌に、一瞬、俺は夢でも見ているのでは無いかと錯覚する。
それほど現実感の無い光景、だが、ローブを脱ぎ捨て下着のみになったフィオナの姿に、恐ろしく背徳的な美しさを感じる。
魔女は下着まで黒なんだな、なんて馬鹿な感想が浮かぶ。
「――そうすれば‘進化’するはずです」
その言葉で、彼女の言わんとしている事が全て理解できた。
同時に、ぶっ飛びかけた理性も無事に頭の中に舞い戻ってきてくれる。
「『呪怨鉈「腹裂」』を、フィオナの血を吸わせて進化させる……そういうことか」
「はい」
今の『呪怨鉈「腹裂」』では、あのメタル化した赤い毛皮には僅かに傷をつけることしか出来ない。
だが、ここでさらに一段階進化を遂げて威力が上がれば、確かにあの防御を切り裂くことが出来るかもしれない。
「けど――」
「ギリギリ死なない程度に手加減して斬ってください」
そういう問題じゃない。
「いや、そもそも、本当に進化するのか?」
アルザスの戦い以後、その兆候はある。
だが、ここ最近の冒険者生活を通じて、それなりの数のモンスターを屠って血を吸わせてきたが、未だ進化するに至らない。
それを、こう言っちゃ悪いが人一人を斬ったところで、本当に進化するのか?
「知りませんかクロノさん、生贄は処女の娘が最も高い効果をもたらすのですよ」
「は?」
「まして、高い魔力を持つ私なら、尚更です」
どこまでも真剣に、フィオナは言った。
鉈を握る右手が、滲んだ汗で滑り落ちそうになる。
「本気か、フィオナ」
「はい、私の身体、クロノさんに捧げます」
その言葉は、是非とも別なシチュエーションで聞きたかったな。
「時間がありませんし、倒す手段もこれしかありません、さぁ、早く」
そして、フィオナは無防備な白い背中を俺へと向ける。
染み一つ無い綺麗な乙女の柔肌、これに、俺が自分の手で傷をつけることに、恐ろしい抵抗感が湧き上がる。
気づけば、敵とみれば人間相手でも斬るのに抵抗なんて無くなっていた俺だが、今は始めて殺人の禁忌を犯そうとするかの如く、心臓の鼓動が高鳴り、手も震えてくる。
けれど、今の俺には躊躇する僅かな時間すら許されない。
この壁一枚向こうでは、リリィが一人で戦っている。
フィオナは自身の身体を投げ打つ覚悟を決めている。
なら俺も、やるしかないだろう。
これでも俺は『エレメントマスター』のリーダーなのだから。
「すまないフィオナ……ありがとう」
かくて刃は振り下ろされる。
エレメントマスターVSラースプン
闇が支配する夜の時間、だがゴブリンの切り開いたこの空き地においては真昼の如き明るさが戻っていた。
黒髪と大岩の牢獄に閉じ込められたモンスターの真上に、リリィ渾身の『星墜メテオストライク』が炸裂したのだ。
これまで命中すれば確実に敵を葬ってきた必殺の一撃、だが、
「おいおい――」
クロノは見た、頭上より迫り来る虹色の隕石を前に、モンスターが己の拳一つで迎撃するのを。
『星墜メテオストライク』が発動し、虚空に白い光の魔法陣が描かれるのと同時、モンスターは左よりも一回り太いアンバランスな大きさを誇る右腕に自由を取り戻していた。
何てことは無い、ただ力ずくで黒髪の拘束を引き千切り、動きを抑える岩の牢を吹き飛した、それだけのことである。
その時点で、宇宙から直接隕石でも呼んでいるのではないかと思えるような勢いで、魔法陣から光の塊が撃ち出されていた。
モンスターは真上を睨み、その巨大な右拳を握って弓を引くように大きく腕を振りかぶる。
右手の甲に輝く『紅水晶球クイーンベリル』の如き真紅の宝玉が輝くと、そこから紅蓮の炎が生まれ右腕全てを包んでいく。漢方蟻力神
そうして燃え盛る炎を纏った右腕は、天より迫る隕石を迎撃するミサイルのように正面からぶつかる。
衝突、虹色の輝きと真紅の煌きが光の奔流となって辺り一帯に荒れ狂う。
そのインパクトの瞬間を目にしたクロノは、その直後に眩い光のために視界を閉ざす。
だが『星墜メテオストライク』に真っ向から炎の拳を叩き込むモンスターの姿はあまりに力強い。
そして一瞬の内に光の洪水は収まり、再び『灯火トーチ』の輝きだけが周囲を照らす闇夜が戻ってくる。
「本当に『星墜メテオストライク』を防いだぞ……」
視線の先には、直径数十メートルのクレーターの中心に、全ての拘束から解き放たれたモンスターの五体満足な姿があった。
「くそっ、コイツはマジでヤバそうだな、流石は神の試練ってところか」
そう愚痴をこぼしつつも、今更後戻りすることなど出来ない。
クロノはパーティメンバーであるリリィとフィオナと共に空き地へと躍り出る、その場所はちょうど、幹部候補生とメイドを庇うような立ち位置であった。
「あ、お前は……」
クロノ達の姿に真っ先に反応したのは、長身の、といってもクロノよりは僅かに小さいが、幹部候補生の少年だった。
酷く驚いた様子、まぁこの状況を考えれば驚かないほうが不自然だ、クロノはそう考え、必要な事だけを手短に伝えることにする。
「おい、このモンスターは俺たちが引き受ける、あんた達は早く逃げろ!」
切羽詰った緊急事態のため、クロノは初対面の相手だが敬語を使うのを止めて強い口調で訴えかけた。
「え、あ、しかし――」
見ず知らずの冒険者に、このとんでもなく強力なモンスターの相手を押し付けることに抵抗感があるのか、はっきりと解答しない男子生徒。
「ありがとうございます!」
だが、彼の護衛メイドはこんな場面でも冷静に判断を下せるようだ。
彼女はさっさと主をかついで、礼の一言を残すと今にもその場を去らんとクロノたちにエプロンドレスの背を向けた。
そして、クロノはそんな彼女を止めるつもりはない、むしろ逃げてくれなければ困るのだから。
「アイツはランク5モンスターのラースプンだ! 倒そうなんて考えず君たちも早く逃げるんだぁああああ!!」
メイドに抱えられて去ってゆきながら、そんな台詞を男子生徒は絶叫していた。
その心遣いに、思わずクロノは微笑みを浮かべてしまう。
「ラースプンなんて言うのか、プンプンの進化系かな?」
その割には凶悪すぎる進化を遂げたものだと呑気なことを考えながら、クロノはランク5モンスターに向き直る。
「ごめんなさいクロノ、仕留め切れなかったわ」
右隣から謝罪の声をかけるのは、すでに少女の姿へ戻り淡いグリーンの『妖精結界オラクルフィールド』に身を包むリリィ。
「いや、アイツは炎を使ってた、熱に対して高い耐性を持ってるんだ、相性が悪かった」
モンスターは自身が炎や雷などの属性を操る場合、ほぼ確実にその属性に対して高い耐性を持っている。
このラースプンと呼ばれるモンスターも例に漏れない、むしろランク5であるならば、ほぼ無効化に近いほどの耐性を誇るはずだ。
「それなら私とも相性が悪いですね」
左隣からは、四方百里を焦土に変える炎の暴走魔女フィオナの声。
確かに、『星墜メテオストライク』でも四肢の一つも吹き飛ばないほど耐えて見せたのだ、相性の関係で『黄金太陽オール・ソレイユ』でも倒せなかったに違い無い。
「炎熱に耐性を持つモンスター相手だと大きく遅れをとるな、ウチのパーティの弱点発見だな」
と言っても、それを今すぐ改善できるはずも無い。
「仕方無い、俺が切り伏せるしかないな、リリィとフィオナは援護に徹してくれ」
了解の言葉がクロノの両耳にそれぞれ違った声音で届いた。
その手には、すでに相棒たる『呪怨鉈「腹裂」』が握られ、背後には十本の黒化剣が翼を広げるように展開されている。
「行くぞ――」
クロノが真っ直ぐ駆け出すと同時、ラースプンは赤毛を逆立たせ、再びガラハド山中に木霊する凶悪な咆哮をあげた。
耳をつんざく咆哮を轟かせ、怒り状態となったラースプンには、ほとんど『星墜メテオストライク』のダメージが堪えていない様に思える。
『星墜メテオストライク』の主なダメージソースとなる光の高熱がほとんど無効化されてしまったため、体に通ったのは爆発の衝撃のみ。
ただの人間なら、いや、例えミノタウルスだったとしても爆発の威力だけで四散五裂するところだが、このラースプンはパワータイプのモンスターに共通する衝撃に対する耐性もかなり高いレベルで持ちえているということが、この元気な姿を見れば即座に理解できた。
(けど、斬撃ならどうだ)
モンスターと言っても万能では無い、強いところがあれば弱いところもある。
ラースプンの見た目は厚い毛皮に覆われた熊とゴリラを足したような、いわば魔獣と呼ぶべき姿だ。
その毛皮と筋肉は衝撃や打撃には強い耐性を持つが、鋭い刃による斬撃は、モンスターのセオリーからいけば有効なはず。
逆に肉の身体を持たない骨だけのスケルトンや硬い鱗や甲羅を持つモンスターは、打撃が有効で斬撃は効き難い、というようになる。
クロノはこれまであらゆる敵を切り裂いてきた『呪怨鉈「腹裂」』ならば、このランク5のモンスターだろうと、その肉体を断つことができると信じて斬りかかる。
だが、対するラースプンはそうして駆けるクロノを黙って待っていることなどしない。
未だ両者の間合いが重ならない距離、だがラースプンは右腕を振りかぶると、その手のひらに再び火炎が収束し始める。
(火球を飛ばせるのか!?)
それはまるで炎の攻撃魔法のように、大きな火球を手のひらの上で形成された。
そして、クロノがモンスターの巨体へ肉薄する前に、炎の豪腕が振るわれ弾丸の如き速度で火球が放たれる。
「――黒盾シールド!」
黒い繊維が折り重なるように防御魔法が形成される。
その大きさはクロノの膝から頭の上までを覆う長方形、目前に迫る直径1メートルほどの火球を前に、その黒い盾はあまりに頼りなく見えた。
それはきっと、ラースプンも同じ。VVK
着弾、爆発、黒煙と熱波が吹き荒れると、鋭い牙が並んだ口元は邪悪な笑みで歪められた。
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