「あー! アルマさまだー!
本物? ねえ本物!?」
「ふふ、元気のいい子だ。
ああ、本物だよ。もっとも、私なんかの偽物がいるかはわからないけどね」
エルフの間では知らぬ者がいない、伝説の武術家に、セリアが飛びついていく。
ともすれば十二歳の少女が相手とはいえ、全力のぶちかましとなるそれを、アルマは苦も無く受け止める。SPANISCHE
FLIEGE
父が我が子にするように、豪快に、されど優しく少女を振り回すアルマ。
めまぐるしく動く視界に、セリアも楽しそうに叫びをあげている。
少しの間そんな戯れを続け、やがてアルマはセリアを丁寧に地面に着地させる。
セリアは少しだけ名残惜しそうだったが、それでも嬉しそうにしっかりと地面を踏みしめた。
……アルマは前世の私の前では常に敬語だったが……目の前の「アルマ=シジマ」は、凛とした強い口調を操っていた。
私が死んでからこうなったのか、それとも私の前以外ではこうだったのか……そんなどうでもいいことを考える私の頭は、間違いなく混乱していた。
「さて、少し聞きたいんだけど──その前に、君の名前は?」
「私セリア! アルマさまはどうしてここにいるのー?」
「そうか、セリアと言うのか、いい名前だな。
なに、少しこの学校に用があってね──ん? もう一人いたのか」
セリアと微笑ましく話していたアルマが、私の存在に気付く。
身を屈め、私の顔を覗き込むアルマ。私が一番か二番に見慣れている瞳と目が合うことで、妙な気持ちが私に満ちていた。
彼女を遺して死んだ気まずさとか、あれだけ色々言っておいて結局生きている──と言っていいのかはわからぬが、とにかく罪悪感のようなものだとか──
今、私の頭の中は理由のない使命感が支配していた。
我が娘だけには正体を明かしてはならぬ。
自分で言うのもなんだが、スラヴァ=シジマに心酔していた彼女のことだ。エルフの少年となった私をまさか本人とは思わぬだろうが……何気ない仕草から気付くやもしれぬ。
元々、スラヴァ=シジマが死んだのは事実。死者は決して生き返らぬ。
確かに私の心はスラヴァ=シジマのものだが、今の私はスラヴァ=マーシャルだ。
で、あるならば今の私はスラヴァ=シジマでもスラヴァ=マーシャルでもないただの武芸家を志す少年という事になる。
──三十年も経ったのだ、スラヴァ=シジマはとうに故人である。それは変わらぬ事実で、娘も納得している事だろう。
正体を明かすと言う選択肢は無かった。何せ私自身が信じられなかったほどの奇縁だ、悪戯に今の世をかき回す事は避けたい。
……などとは言うが、本音を言えば、前世の縁は今の私に不要と言ったところか。
確かにアルマには正体を明かしてやりたい気持ちもあるが、晩年の私は当代最強の武術家などと呼ばれており、面倒な縁がいくらでもあったのだ。
武術の大会が開かれれば招かれ、勝ちを重ねれば記者が訪れ、未熟な者に挑まれ──正直、晩年は思うように修行の時間をとる事も出来ずに、大分辟易していたように思う。
ならばアルマにだけ正体を明かせば──と思うかもしれぬが、この子は間違いなく私を祭り上げる。いくらこの子が私を尊敬していたとは言え、多分、それは私の意志とは関係ないだろう。
晩年のアルマは、どうにかして私の名を表舞台に広めようとしていたからな……せっかく手に入れた身軽な体、今失うのは惜しい。
しかし、いつ訪れるかは分からぬ話だが──武の頂に手がかかる頃には、彼女に正体を明かしても良いかも知れぬ。
眼前の愛娘に身を明かしてやりたい気持ちを抑え、私は正体を隠す意思を固める。
勝手な父を許せアルマ。
やり直してまで得た時間だ。私は今生こそ、最強と言う幽玄に辿り着かねばならぬ。
そうと決まれば、是が非でもぼろが出ないようにせねば。
アルマもまさか私の様な少年を我が父とは思わぬとは思うが──用心に越した事はない。
「む、ええと……初めまして?」
なので、敢えて自分に意識させるよう「初めまして」という言葉を使う。
流石のアルマとはいえ、ヒントなしでは夢にも思わなんだろう、アルマは私に微笑みを掛ける。
「ああ、初めまして。セリアのお友達かな?
名前はなんていうんだい?」
それでも、私にとって一番困る質問が来るのは避けられぬのだが。
私の名前は前世の私と同じもの──というか、前世の私から「拝借」して付けられた名なのだ。
多分アルマにその名前を言えば、苦い記憶を想起させるだろう。いや、それとも師の名が三十年後の今でも残っている事を嬉しく思うだろうか。
どの道、あまり私を連想させることはしたくない。出来れば偽名の一つでも用意したい所ではあるが──セリアが居るためそれも叶わぬ。
「スラヴァ=マーシャルと言います。
両親からはアルマ──様のお師匠様から貰った名だと聞いております」
故に、悩む素振りもなく打ち明ける。
私の存在を隠すと決めた時から、名前を聞かれたら素直に答えよう、と決めていた。
娘の名前に様を付けると言うのはやはり凄い違和感で、思わずそのまま呼びそうになってしまったが──なんとか堪えたのは不幸中の幸いだ。
「……そうか、師匠せんせいの名から──」
さて娘はどう思うか。そんな私の疑問は、悪い方の予測が当たってしまったようだ。
凛とした笑みに僅かな影を落とし、アルマは俯いた。その目には、僅かな涙が湛えられている。蒼蝿水(FLY
D5原液)
……三十年も経つと言うに、まだ悲しみを捨てられぬか。長く感じるその三十年という期間も、エルフにとっては長い時ではないので無理もない。私は師匠が逝った時、どれくらいの時間を悲しんで過ごしたか──スラヴァ=シジマは彼女の父親同然の存在だったため、単純には比べれぬが、それでもアルマが悲しみを乗り越えるには三十年では少し足りぬらしい。
流石に娘の涙を見ては、今すぐにでも私の正体を打ち明けてやりたいという気持ちも生まれるが──どの道信じるかも分からぬ。そう言い訳をし、私はアルマの言を待った。
「良い名前だ。その名前は、史上最も強く、最も偉大な武術家の名前だ。
名前に見合う、立派な男の子になるんだぞ?」
「は、はい……」
涙を拭ったアルマは、もう元の調子に戻っていた。
……我が娘ながら強い子よ。
武の頂に辿り着くまで、私は歩みを止めるわけにはいかぬ。
だが、それを一刻でも早く手に入れようと。私はこの時にそう思った。
そうして出来るだけ早く、娘に正体を明かそう、と。
武への思いが一層強くなるのを、私は感じていた。
しかし、なんだ。
最も強く、最も偉大とは、いくら親とはいえ買いかぶり過ぎでは無いだろうか。
他人の視点で自分への評価を聞くなどという、奇異な体験をする事になったが……流石に恥ずかしいのう。
思えば、前世ではもはや宗教のように私を慕っていた時期もあったな。あの時期にしっかりと私への想いを矯正しておくべきだったか。
「さてと。それじゃセリア、スラヴァ。
少し聞きたいんだが、校長先生が居られる部屋は何処かな?」
調子を取り戻したアルマが、私の顔を覗き込むために屈めていた体勢を正す。
そういえば、先ほど聞きたい事があると言いかけていたか。
ふむ、校長室の位置か。伝える事は出来るが、少し伝えづらいな。
「ああ、それでしたら……いや、ご案内しましょう。少し複雑な構造をしているため、上手く伝える自信がありませぬゆえ」
「そうかい? ならお願いしよう」
少しだけ入り組んだ位置にある校長室へと効率よく案内するため、私は「武術の歴史」をかばんに入れて立ち上がった。
私の申し出を受け、アルマは顔に喜びの色を浮かばせた。
「わーい、アルマさまと一緒だー!」
「おっとと、元気だなあセリアは」
立ちあがったアルマへと、嬉しそうに飛びかかるセリア。
先ほどのようにそれをなんなく受け止めると、アルマはセリアを自らの腕にかける。
人間で考えると二十歳やそこらになる少女に対して、いくら小柄とはいえど少女一人を片腕で支えるのは軽いとは言えぬ加重であろうが──アルマは、やはり重さなど感じさせない足取りで歩いている。
すこし眼を凝らせば、非常に滑らかで力強い魔力がアルマを覆っていた。うむ、禅を欠かさずに続けているようだな。
思わぬ所で弟子の成長の一端を知る事となり、私はつい嬉しくなって頷いた。
十二歳の少年が分かった顔で頷く事でもないが──それを目撃するものはいなかったのは幸いであろう。
「では皆さん揃いましたので講堂へと移動しましょう」
アルマの案内を終えたあと、教室へ戻ってうつらうつらとしていた私は、フィンレイ=マクガヴァン教諭の声で我に返った。
穏やかな顔をした教諭の顔が、クラスを見回す。釣られて視線を横に向けて見れば、今日欠席している男の子を除いた殆どが席に付いていた。
ふむ。そういえば今日は午後から集会があると言っていたか。
興味がないためどんな用事だったかは、はて忘れてしまったが。ともあれ肝心な所を忘れてしまったのは戒めるべきか。
十二歳になったばかりの子供達を集め、引率する教師に付いていく。
……何故だか学級を纏める委員長に抜擢されてしまった私は、フィンレイ教諭のま後ろに並ぶ事になっていた。
委員の仕事として、列になった子供たちの中に居ないものが無いか等を確認していく。
「先生、全員居ります」
「はい、ありがとうございますスラヴァ君。では移動しましょうか。
皆さんついてきて下さいね」
今日登校している生徒が全員居る事を確認すると、私はフィンレイ教諭に全員がしっかり揃っている事を伝える。
私の報告を受けた教諭は、一度自分の眼でさっと列を確認してから、歩きだした。
まるでひな鳥か何かのよう。教諭の後ろにつく私が歩くと、前の教諭に付いていかんと二十数名の生徒達が歩きだす。
他のクラスや学年の者達と合流し、同じペースで歩きながら、やがて私達はアルファレイア総合アカデミーの誇る講堂へと到着する。
魔法的な加護をこれでもかと施した安全性。たとえ天より巨大な石が落ちてきても傷一つ付かない、と教師達は言っていたが、さて実際はいかがなものか。
それに加え、美しきを好むエルフが力を入れて施した流麗な彫刻。
どちらも人間の頃に通った学校では見る機会の無かったものだが──エルフにはエルフなりの拘りがあるのだろう。まあその拘りを知った所で、何のためにこさえたものかは分からぬが。
そんな所へと到着した私達は、私達のクラスに割り当てられた場所へと腰を下ろした。
千数百人を収容する巨大なスペース、既にその半数以上が収容されているというのに、講堂にはまだ余裕があった。
……さて。一体この集会では何を話すのだったか。
壇上には既に校長が準備万端と言った状態で立っていた。
エルフの血を流しつつもなお、白髪と白髭でいっぱいになった顔。噂では千歳を超えていると聞いたが──人間の歴史が刻まれ始めてすぐから生きているとは、それはもはや化石ではないのか。
……出来る事なら私もあれほどの時間が欲しい物だ。そうすればきっと、武の頂を覗きうるだろう。
「あー、ごほん。みな聞こえるかのう」
壇上に設置された、拡音の魔石を通し、校長の声が広い講堂の隅々までいきわたる。
私があの長寿に対して嫉妬を感じている間に、学校中の生徒達が集まり終えていたようだ。
気がつけば午後の集会は始まろうとしていた。
「うむうむ、聞こえておるようじゃのう。Motivat
皆行儀が良くて大変結構。では校長の長い話と馬鹿にされる前に、さっそく本題に入ってしまう事にするかの」
自らの長い髭を撫ぜながら、エルフの老人は朗らかに笑う。
……まあ、確かに言うとおり校長という存在の話はやたらと長い事が多い。百年以上前の話故、おぼろげな記憶だが──人間の頃通っていた学校の校長は、話が長かった気がする。
あの頃はその話に異議を見出せなかったものだが──きっとそれは今でもそうだろう。学を重ねてきた老人ならともかく、私は強さだけを求めてきた馬鹿だ。多分、話の内容など頭に入らない。
そういう意味では、校長の判断は英断である。
この年頃の子どももまた、大いにやんちゃだ。小難しい話など理解できまい。
「うむ──では、入ってくれ」
校長は生徒達に向けていた視線を、左へと向きなおした。
講堂の左右は別の入り口から出入りできるようになっているため、私から見て右の方向から誰かが現れるのだろう。
さて誰が来ると言うのか。私がそう推察しようと頭を動かし始めた瞬間、それはあらわれた。
……穏やかな歩調に合わせて揺れる、蒼い長髪。
先ほど間近で見たばかりのそれが、遠くで揺れる。
……嘘じゃろう。
「では、挨拶を。アルマ=シジマ殿」
「承りました。
……知っている者もいるかもしれないが、私はアルマ=シジマと言うものだ。
本日から此方の学校で、君達に武術を指導する事になった。
──君達には武術を通じて、身体以上に心を鍛えていって欲しいと思う。
十年と言う短い間ではあるが、宜しく頼むよ」
直後、巻き起こる大歓声。知っている者もいるかも──どころではない、これでは知らぬ者など居ないのではないか。
流石に比喩と思っていた形容が、比喩で無かった事に口が開く。
……しかも武術を教える、とは。
……十年間、姿を隠しとおすなど出来るのだろうか。
ただでさえやり辛い修行がさらにやり辛くなった瞬間を悟り、私は大きくため息を吐いた──
武術の授業
「それではスラヴァにシド、お互い準備は良いか?」
「はい」
「はいっ!」
アルファレイア総合アカデミーの昼下がり。
時はアルマがこの学校にやって来てから数日。
私は頑丈に作ってあるこの講堂で、クラスメイトと向き合っていた。
……新たに設立された武術の授業。その一環として、練習試合を行うためだ。
その為の場所として多少無理をしても壊れない講堂を選んだらしいが──まさかこの為に頑丈に作ったわけではあるまいな。
──ふむ。練習試合の形とはいえ、私としては久方ぶりに人と対峙する事になるな。
私と対峙する少年の名はシド=オールダム。
エルフの国から出て、立派な冒険者として名を残したいと公言する、大志を抱く少年だ。
活発そうに散らされた緑の短髪に、眼付の悪い、攻撃的な瞳。
普段の素行はあまりいいとは言えないが、私はこの小僧が嫌いではなかった。
「へへっ、いつも本ばっか読んでる奴には負けないぜ!」
確かに彼は悪戯も良くするし、口も悪い。勉強の時間だって良く寝ている。
だがこうして身体を動かす機会には大いにはしゃぎ、意欲的に取り組んでいる。
特にこの武術の授業に対しては、大層楽しそうに取り組んでいた。
口が悪いという事は裏を返せば素直であるという事だし、身体を鍛えるのが好きと言うのは目標に近づくためだ。
良くも悪くも純粋なこの少年は、子供らしさに満ち溢れて気に入っていた。
「では先ほど教えた事をしっかりと守り、正々堂々と勝負するように。
それでは──構え!」
強くは当てない。そして眼潰しや金的などは禁止。
危ないと感じたらすぐに攻撃を止める事。アルマが提示した条件は、大きくこの三つだ。
十二の子供にこの三つが守れるかは分からぬが、どちらかに一つでも破る意思があると感じた場合は、アルマが戦闘を中止させるという。
試合の邪魔にならぬ位置にいるアルマだが、今の彼女ならばそれをする事は容易だろう。
「いくぜスラヴァ!」
「──応。遠慮をせずにかかってくるがいい」
いやしかし──大人げないとは思っていつつも。この少年が気に入っているとは言っても──
私は背中を地につける気は、まったくと言っていいほど持ち合わせて居なかった。
幾千幾万と取ってきた構えを取る。先ほど習ったばかりのものとはいえ、習った以上は使っても問題はないだろう、シジマ流基本の構えだ。
我が偉大なる師、イワオ=シジマが編み出した、受けに優れたこの姿勢。
私が師匠に師事し始めたころはまだまだ珍妙な構えという扱いだったが──今や幾つもの分流を持つシジマ流。もはやこの構えは全ての武術の基本と言ってもいいものとなっている。
この構えの起こりからを知る私にとっては随分と感慨深い。旧友に再会したかのような感情を覚え、私は微笑んだ。
対するシドも、構えは同じモノ。ただそれは動きの本質などまるで理解していないため、見よう見真似で取られた「理」を伴わぬ姿勢に過ぎない。
弟子を取る度に覚えていた、妙な微笑ましさ。相手が武術の「ぶ」の字も知らぬ少年とは言え、こうして試合の形を通して指導出来る事は嬉しく思える。北冬虫夏草
さて。後はアルマが試合開始の合図を下すだけなのだが──
……何時まで待っても、アルマの凛とした声が発される事は無い。
疑問に思った私がアルマの方を見ると──アルマは、口をあんぐりと開けて固まっていた。
「おいせんせー、どうしたんだよ? 早く始めようぜー?」
「え、あ──ああ、済まない。
悪いが、二人とも構えなおしてくれ」
疑問を感じていたのは私だけではなく、シドも同じくしていたようで──アルマは、呆けていた表情を普段の者へと正す。
「あの構えはまさか……いや、でも完成しすぎている──?」
私が構えを正し、シドが色々と考えながら間違いだらけの構えを形作っていく最中、アルマは何かを呟いていた。しかし、この距離では流石に聞こえぬ。
「では、用意はいいか?
──始めッ」
だが今はそんな事はどうでもいい。
……くつくつ、若い芽と対峙するなど何年ぶりの事か。私は人知れず、喉を鳴らした。
勘違いをした武芸者見習い共を処理するのとは違い、若い芽を伸ばして行くと言うのは武術家にとってこの上無い楽しみの一つだ。
「でりゃあっ!」
先ほど苦心して取った構えなど何処に行ったか、まっすぐに距離を詰めて馬鹿正直な拳を繰り出してくるシド。守りの構えから繰り出すには向かぬモノだが、そもそも構えが崩れている以上関係もない。
──宜しい、非常に子供らしい屈託のない拳だ。空白で出来た純粋さ、この先何をどれほど詰め込めるのかと思うと思わず笑みが零れる。
これを受けても、私には欠片程のダメージも生まれぬだろう。
この程度なら幾千幾万と拳を受け入れても、むしろシドの体力の方が先に尽きる。
だが私も一介の武術家──子供のころに抱いた「最強」の夢を諦めきれぬ武芸者こどもの一人なのだ。
前に置いた手を、シドの腕に添えるように動かし、まっすぐな力の向きを複雑に操る。
力も魔力も殆ど込めず、私はシドの腕を起点として、シドの体勢を崩した。
迎え撃つのではなく迎え入れるように。シドの力を打ち消すのではなく、飲み込むように利用する。
体勢を崩されたシドの脚を、私は軽く払った。するとどうか、シドの身体は子供の小柄とは言え、重さを失ったかのように──回転しながら宙に放り投げられる。
唖然とするアルマと子供達。人が宙に浮くと言う現象に歓声を上げる一部子供達。
しかし、この場で一番呆けているのはシドだろう。目まぐるしく動く風景に、恐らくは何も考えれぬ筈だ。
これが力に対し武で当たると言う事。幼き子にそれを示し、私は宙に浮くシドが落下し始めると共に彼の身体を優しく、落下の力を殺すようゆっくりと受け止めた。
「え、あれ? 俺、今──負けたのか?」
「うむ。先ほどアルマ様が言っていたであろう、これが力に頼らぬ理合りあいの「武」だ、シドよ」
シドの後頭部に手を添え、地面すれすれの所で浮かしている状態。視界に映る天井と私の顔をようやく止まった風景として認識したシドは、夢でも見ていたかのようにそう呟いた。
「す、すっげー! さすがお爺ちゃん!」
派手な動きに歓声を上げた一部の生徒が叫ぶ。
それを皮切りに、私は拍手に包まれていた。
晩年は歓声など煩わしいだけの雑音と感じていたが──純粋な子供達の賛辞と言うのは、中々に微笑ましいものだ。
……だが、私はふと違和感を覚える。
純粋な子供達とは言うが、私も今は年頃を同じくする子供だったか。
そんな違和感に微かな笑みが浮かび──
──直後、固まった。
……む?
少し待て。今私は何をした?
確かいい感じに気持ち良くシドを投げ飛ばしたような。
一つ一つ行動を思い返して行く。
シドの殴打を受け流し、足払いをして──
自分のしでかした事を理解したとたん、私は顔色を青ざめさせた。
……馬鹿か私は。
当初の予定では、そう。殴打を受け流し、足払いでシドを転倒させるまでが決めていた流れだった。
だがその後がいけない。
私が今行ったのは──「映し木の葉」と言われる、シジマ流の技。
敵の身に木の葉の軽さを映し出す、相手の力と遠心力──と呼ばれる回転の力を利用し、空中で勢いを付けた頭を地面に叩きつけるという、シジマ流の全ての技に通ずる基本技術の粋を集めた応用技だ。
身体全体が硬直してしまったかのよう。錆びついた扉のようにぎこちない動きで、私はアルマの方を見る。levitra
「スラヴァ……君はその技を、どこで?
いや、何処で身につけたかはどうでもいい。
その歳で、どうやってそこまでその技を作り上げた──?」
……やってしまった。
阿呆か私は。己を戒めるものの、湧いてくる戒めが止まる事は無かった。
何千何百と刷り込んできた技だ、無意識に出てしまったといえばそれまでだが──何もこんな場所で。
師匠が言っていた。こういった技は休みなく身体に覚えさせ、呼吸のように「こうした動きにはこう動いて当然」と思えるようになっておけと。
確かにそれは私にとって呼吸の様なものとなっていたようだ。思わぬ愚かに、頭を叩きたくなる。
しかし、自分を戒めるのは後だ。
スラヴァ=シジマの技を一番近くで見続けてきたアルマだ。
その表情は表現しがたい困惑に包まれている。……今はとにかくこの場を切り抜けねば。
「ああ、えと……父がシジマ流を習った事があるらしく……
全ての基本を集めた「映し木の葉」は物心付きし幼少から教え込まれていた技で──
ええと、確かに今日武術を学び始めたばかりの初心者に使う技では無かったと、今では反省しています──」
かえって饒舌過ぎただろうか。
よくもまあすらすらと。自分でも思うほど「らしい」言い訳を述べた私は、反省しているかのような表情を作り出す。
この場に同郷の者が居ないのが幸いだった。幼馴染も居る事には居るが、あの子は二つ上の学年であるため、ここには居ない。
父がシジマ流の者と言うのは真っ赤な嘘だが、私が師匠の一番弟子となった頃──シジマ流が興った当時ならさておき、世界中にシジマの分流がある今ならそう信憑性の無いものでもない筈。
……さて、私の精一杯の言い逃れ、どう出るアルマよ。
「幼少のころからその技を……?
……何歳から始めたのかな」
「五つの時からです。でも、これ以外の技はやがて教えると言われ、教わっていません」
「ではこの技のみをひたすら磨き上げた……と?」
「は、はい……」
……まあ、我ながら演技も板に付いたものだ。
自賛するのもなんだが、完全に「武術をひけらかしてしまい反省する子供」を演じていると思う。
「……いや、これから私が教える事だ。その辿り着く先を見せたのは──まあ、褒められる事ではないが、これがシジマ流の試合である以上咎める事でもない。
技を掛けた相手への配慮も完璧だった。これからも励むといい」
「それでは……」
「ああ、完璧な「映し木の葉」だった。君は筋がいいな」
ややぎこちないものながらも、アルマは笑顔を浮かべた。
……な、何とかなったか。
これに懲りて注意を払う必要があるな。
全く、馴染ませた動作を意図的に抑えるなど、かえって武術から遠のいてしまいそうだ。だが、とっさにフェイントを入れる時などには生かせるかもしれぬ。
ひとまず去った危機に胸をなでおろし、私は手に抱えたままのシドを立たせる。
呆けたシドが覚醒すると同時に、アルマが私達を試合場から出るよう指示する。
私達が礼をしあい、闘技場から出たのを確認したアルマは、次の二人組を試合場へと上げさせた。
しかし危なかった。あの子の前でシジマの技を使う時は気をつけねば。
この武術の授業の厄介さに気付いた私は、汗を拭う。
すると、いつの間にか隣に座っていたシドが運動着の端をつまんだ。
「……どうかしたかな」
その瞳が何かを語りたさげにしていたので、一応は年長の者として促してやる。
寸止めとはいえ、シジマの技を掛けたのだ。恐怖感でも抱いていないと良いが。
「スラヴァ、すっげえな。どうやったらあんなに強くなれるんだ?」
そう聞くその表情は、私の予想とは正反対の尊敬の眼差しに変わっていた。
……ふむ。どうしたら強くなれるか、か。
それは私が知りたいところだ──と言いたいが、一つだけ分かっている事を教えてやるとしよう。
「日々の精進あるのみ、だ。
強い意志を持って長い時間をかければ、シドとていずれ私と同じ場所へと上り詰める事が出来よう」
「精進……? 頑張るってことか!
よっしゃー、いつかお前を倒してやるからな! 見てろよ!」
やはり、この年頃の子供と言うのは眩しいものだな。
自分もその眩しい年頃と同じ歳と言う事も忘れ、私は笑みを作るのであった。
──エルフの学校、ミラフィア国立アルファレイア総合アカデミー。
国中からエルフの子供達が集まる学校で、唯一大人達が集まる部屋──職員室に、絶世の美女と表あらわしても事足りぬ女性が一人唸っていた。
百六歳という、エルフとしてはまだ若い身ながら、伝説として歴史に名を刻む武術家──アルマ=シジマだ。
シジマの名を継ぐに相応しい少年や少女を発掘するため、少年少女の育成に力を入れる彼女。
十年単位で国や学校を渡り歩く彼女は、十年ぶりに訪れた学校で気になる少年を見つけていた。
手元にはクラス全員の情報を網羅した名簿が開かれていて、開かれたページには、スラヴァ=マーシャル……師と同じ名前を持つ少年の情報が掲載されている。K-Y
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