2012年7月15日星期日

引っ越しの目的

「石見主任、お疲れさんでした。また明日っす」
助手席から降りた滝野は、夜中だというのに大声を出す。SEX DROPS
まったく、こいつほど神経が図太いやつは、そうそういまい。
「少しは声を抑えろ。近所迷惑だぞ」
「えーっ、俺、そんな大声出してないしぃ」
心外とばかりにむくれて言い返してくる滝野に、亮介は心が折れた。
こいつには、何を言っても無駄だ。
「それじゃな」
「はーい。主任、気をつけて」
無邪気に大きく手を振られ、亮介は半笑いで手を振り返すと、すぐに車を出した。
確かに滝野に難点はあるが、それでも充分亮介の役に立ってくれているのだ。
不本意だが、奴には感謝すべきだろう。
滝野がいるからこそ、祥子を自然に誘えるのだし、彼女も気軽に誘いに応じてくれるのだ。
運転しつつ、亮介は笑みを浮かべた。
今日も祥子は美しかった。
自分は特別面食いというわけではないつもりだが……彼女の顔を目にすると、亮介は思わず見入ってしまいそうになる。
あんな顔が自分の好みだったのだなと、いまさら思う。
二年前、入社してきた祥子を初めて見た日から、亮介の心は彼女に囚われている。
祥子が自分の部署に配属されたと知った瞬間など、危うく跳び上がりそうになったほどだ。
感情のこもらない独特の話し方と、クールな性格。
整った目鼻立ち。目を引くほど長いまつげ。
引き締まったウエストに、すらりと伸びた脚。ほどよくふくらんだ胸。
何もかもが亮介を虜にする。
もちろん亮介は、祥子との距離を詰めたい。だが……
彼女の反応を見るに、祥子が彼に対して上司以上の気持ちを持っているとは思えなかった。
この二年、なんの策も取らなかったわけではない。さりげないアプローチを何度もしてきた。
だが……まるで効果はなかった。
彼女への好意を伝えようと微笑んで見せたときは、あからさまに引いていたし、ワザと勢いよくぶつかって、抱き締めたときも、哀しいほど華麗にスルーされた。
それでも、嫌われていないとは思う。
少なくとも、嫌悪されてはいない……はず。
彼のことを嫌いなら、いくら上司の誘いだからって、こう頻繁に一緒に食事をしてくれたりしないだろう。
頭の中に滝野の顔がひょいっと浮かび、亮介は顔を歪めた。
まさか、あの厚顔無恥な滝野を好きなんてことは……ないよな? 
絶対にありえてほしくない想像を、亮介は切って捨てた。あんな奴に男として負けるなんて、プライドが崩壊する。
むっとした顔で運転している自分に気づき、亮介は気を取り直そうと、深呼吸した。
注意すべきは滝野などではない。亮介と同期の柿沼。奴のほうだ。
柿沼は祥子に好意を持っているようだ。たぶん、亮介同様に、彼女が入社してきたときから。
ことあるごとに柿沼は祥子の仕事ぶりを褒めるし、自分の部署に来ないかと繰り返し彼女を誘っているらしい。
頭がよく、仕事もできて、見た目もいい。
いささか変人ではあるが、そういうおかしなところが不思議とひとを引きつける。それが柿沼という男だった。三体牛鞭

車をマンションの駐車場に止め、自分の部屋に向かっているところで携帯が鳴った。
相手を確認し、携帯を耳に当てる。
「亮介、いまどこにいる?」
きりっとした声の主は、松田修治。亮介の高校時代からの親友で、従妹のめぐみの夫でもある。
「うん? ああ、なんだ来てたのか?」
亮介の部屋の前で携帯を耳に当てている修治の姿が見えた。
「修治、こっちだ。いま行く」
こちらに振り返り、亮介の姿を確認したらしく、修治が手を上げてきた。
「いま来たところか?」
亮介は駆け寄ると、玄関の鍵を開けながら尋ねた。
「ああ。いいタイミングだったみたいだな」
家に入って何より先に暖房を入れると、亮介は飲み物を用意するために、キッチンに入った。
修治は居間のソファの、互いの顔が見える位置に腰かけ、すぐに話を切り出してきた。
「頼まれてた物件だが、思ったより早く完成した」
「本当か?」
笑顔を浮かべた亮介は、勇んで聞き返した。
「ああ、入居開始が二週間早まった。亮介、どうする?」
「もちろん、すぐに引っ越すさ」
コーヒーを淹れながら、機嫌よく答えた。
修治は不動産屋で、亮介は彼に新しい住まいを探してもらったのだ。
別に、いま住んでいるこの部屋に文句があるわけではなかった。
彼が引っ越す目的は、ただひとつ。それは、祥子のご近所さんになること。
亮介の希望にぴったりの物件はすぐに見つかったものの、そのときはまだ建築途中だった。
半年以上待たなければならないと知り、別の物件も探してもらったが、祥子のアパートに近いところには他にいい物件がなかった。
どうせ引っ越すのなら新築のマンションのほうが居心地もいいし、仕方なく完成を待つことにしたのだ。
「ほんとに最上階で良かったのか?」
「いいさ。高みで暮らすという経験も悪くない」男宝
あの高さからなら、祥子の住むアパートも見えるかもしれない。もちろん、彼女の生活を覗こうなどと不埒なことは考えていないが。
「ここも悪くないと思うんだが……」
コーヒーカップを受け取りながら、修治が言う。
「それにしても、片付いてるよな。この部屋が男のひとり所帯だなんて、誰も思わないぞ」
まるでけなすように言う。
亮介は声に出して笑った。
「掃除は苦にならないんでな」
「おかしなやつだよな、お前って。料理はそこいらのレストランよりうまいときてるし……」
そう言った修治は、愉快そうに笑い出した。
「めぐみのやつ、お前が越してくるのを手ぐすね引いて待ってるぞ。ほんとに、あそこで良かったのか?」
従妹のめぐみはまるで遠慮のないやつで、亮介のところにやってきては、ご飯を食べさせろと横柄に言う。
さらには自分の家の夕食まで作らせたり、ケーキを作らせたり……
今度引っ越す先に難点があるとすれば、それは修治たちの家が、ここよりもかなり近くなるということ。
めぐみには悩まされることになるだろう。だが、祥子を手に入れる可能性が増すのなら、甘んじて受け入れるつもりだ。
「まあ、お前が近くに住むようになれば、ちょくちょく酒も飲めるだろうし、俺は大歓迎だけどな。しかし、うまいな。このコーヒー」
「そうか」
亮介は自分もコーヒーを口にしながら、近づきつつある引っ越しの手順について考え込んだ。男根増長素

2012年7月12日星期四

美味し過ぎる妄想

「あー、美味しかった」
スパゲティーを瞬く間に平らげた詩織は、満足そうに言いながら、お腹をさする。
残る三人は、まだ食べている最中だ。
「詩織ちゃんたら、ほんと食べるのが早いわね」狼1号
芙美子は詩織を眺め、感心したよう言った。
「そうなんですよ。もっとしっかり咀嚼しろって、いつも言ってるんですけど…」
しかめた顔を詩織に向け、千里は小言を言う。
「もおっ、千里は口うるさいんだよぉ。いいじゃんか、美味しいものはパクパクと勢いづいて食べるほうが、さらにうまいの」
詩織の反論に、千里はやれやれというように肩をすくめ、スパゲティーを口に運ぶ。
それにしても、詩織は誰よりもおしゃべりしていたというのに、いつの間に食べてるんだろうと思う。
沙帆子は、みんなの会話に相槌を打っていることの方が多いのに、いつも食べるのが遅い。
詩織は、昼食が出来るのを待つ間も観ていた結婚式のアルバムを、また開いて見始めた。
昨日観せてもらった、佐原の弟の順平が作ってくれたアルバムだ。
新郎の佐原と、花嫁の自分が並んで映っている写真…
照れくさいけど、佐原と結婚したことを実感できるアイテム。
でも、その実感も、写真を観てるときだけなんだよね。
現実なのに、現実と思えなくて…
妙なところで頑固な自分の意識に、彼女自身が呆れてしまう。
「ねえ、沙帆子さあ」
スパゲティーをちゅるんと口に入れたところで千里から話しかけられ、沙帆子は顔を向けた。
「うん?」
「いつから佐原先生と付き合ってたのよ? まさか、春ってことはないでしょ? 秋くらい?」
質問の内容にびっくりした沙帆子は、思わず息を吸い込みそうになり、危ういところで息を止めた。
口に入っているスパゲティーを、もう少しで喉に詰まらせるところだった。
「あーっ、それ。わたしも聞きたい、聞きたい」
右手を勢いよく上げ、詩織はテーブルに身を乗り出してきた。
母は、どういう含みなのか、意味ありげな視線を沙帆子に向けている。
「う、うんとね…」
そんな現実は存在していないため、彼女としては、口ごもるしかない。
「今年に入ってからなんじゃないの?」
まるで助け船を出すように母が言ってくれ、沙帆子は反射的に「うん」と頷いていた。
「やっぱし今年かぁ。だよねぇ」
何が、『だよねぇ』なのかわからないが、詩織は自分で言って、納得というようにうんうんと頷く。
「で、いつなのよ? もちろん、佐原先生から告白されたんでしょう?」
千里から直球で問われ、沙帆子は困った。
「そりゃあそうだよ。沙帆子が、自分から告白なんて、世の中がひっくりかえっても、ありえないね」
沙帆子は息を詰めて、口々に言う友を見つめ返した。
確かに、自分から告白なんて、絶対にできない。
けど…先生から告白ってのも…ありえ…
頭の中でそう考えた瞬間、沙帆子はハッとした。
さ、佐原先生からの告白っ!
さ、された、されたしっ!
「さ、さ、された…」
思い出したことに激しく動揺し、沙帆子はうわごとのように口にしていた。
「さされた?」
小首を傾げて、詩織が繰り返す。
「ち、違う」
沙帆子はぶんぶん首を横に振った。
「沙帆子?」
「沙帆子、どうしたの?」
千里と母に問いかけられ、焦った沙帆子は、さらに首を振り続けた。
わたしってば、な、なんで、忘れてたんだ。あんな凄いこと。
佐原先生が、『俺が付き合ってくれって言ってたら、お前、なんて返事した?』とかって聞かれて…、どうしても想像つかないから、告白してみてくれって、お願いしたんだ。
そ、そしたら…
言ってくれたよね?
あれは、現実だったよね?
衝撃の強さに、あの瞬間、頭の中身がすべて吹っ飛んじゃって。
返事を強要されたんだ。けど、思い出せなくて、それで…それで…
誤魔化したんだった。
ちょっと待ってくれとか言って…
そんで、いたぶりされそうな気配にびびって、進退窮まった挙句、佐原の名前を呼び捨てにした。
そしたら、なんでか…名前を呼ぶの、あと一回でいいってことになって…
なんで、一回に減らしてもらえたのかが、わからないんだが…男宝
返事は帰ってからでいいって、言われたっけ。
そこまで思い出せたことに、沙帆子は「はあっ」安堵のため息を漏らした。
「沙帆子ってば、何を思い出して、ため息ついてんのよ」
「そりゃあもう、佐原先生に告白されたときのこと、思い出してるに決まってんじゃん。ねっ、沙帆子ぉ」
「へっ?」
友達ふたりに話しかけられて我に返った沙帆子は、いまさら自分を見つめている三人に視線を向けた。
「そいで? なんて告白されたの?」
「つ、付き合ってくれって」
「きゃはーーっ!」
詩織が悲鳴のような叫びを上げる。
「やっぱりね。ほんと佐原先生らしい、ストレートな告白だったってわけだ」
千里は納得と言うように言う。
「それで、沙帆子、あんたなんて答えたの?」
千里に聞かれ、沙帆子は戸惑った。
こ、答え?
それはこれから考えるんだけど…
いや、考える必要もないじゃないか。
「は、はいって…」
思わず照れてしまい、沙帆子は顔を真っ赤にして「てへへ」と頭を掻いていた。
不思議なもんで、こうして口にしたことで、まるで本当にそんな過去があったような気になってしまう。
「へーっ。なんか意外だよ」
詩織の言葉に、沙帆子は驚いた。
「えっ、な、なんで?」
眉を寄せた詩織は、「うーん」と唸りながら腕を組み、口を開く。
「だってさぁ。あの全校女生徒憧れの存在、佐原先生そのひとからのマジ告白だよ。それも告白されたのは沙帆子なわけだしさ。『はい』なんて、普通に返事できたなんて、信じらんないよ」
的を射すぎている言葉に、沙帆子は目を丸くした。
「確かにね。冷静でいられたわけないわ。あんた、嘘ついてるでしょ?」
千里にそんな風に言われ、沙帆子は言葉をなくした。
「え…えっと…」
詩織の言ったとおりだ。
佐原に切ない片思いをしてた自分がマジ告白されて、『はい』なんて言えたとは思えない。
絶対に叶うはずのない恋だと思ってたんだし…
「じ、実は…言われた瞬間、頭が真っ白になっちゃって…」
「やっぱしぃ」
「う、うん」
沙帆子は汗を掻き掻き、俯きがちに頷いた。
すでに結婚したいまになって、それもこちらからお願いしてまで告白してもらったというのに、それでも頭真っ白現象に陥ったのだ。
これが付き合う以前だったら…?
間違いなく、気絶してる。
「頭、真っ白になって、それでどうしたのよ?」
「え、えーっと。ど、どうしたっけ?」
思わず聞き返すように言った沙帆子に、三人は同時に吹き出した。
そして、そろってお腹を押さえ、爆笑する。
沙帆子は自分を笑いものにしている三人に、拗ねた目を向けた。
「と、ともかく、啓史君にあんたの気持ちは伝わって、ふたりは付き合うことになったわけね?」
「う、うん」
「芙美子ママ。美味しい部分の話をすっ飛ばしちゃ、楽しみがなくなっちゃう」
「まあまあ、いいじゃない。そういうのはふたりの秘密にしときたいものよ」
「ちぇーっ、秘密かぁ」
どうやら詩織は、芙美子の言葉で、渋々のようだが納得してくれたらしい。
しかし、このやりとりのおかげで、佐原からのマジ告白に対する自分の反応はだいたい予測がついた。VVK
少なくとも、冷静に『はい』などと答えられてはいないということなのだ。
それにしても、佐原から出された宿題が多すぎて、ころりと忘れてしまいそうだ。
呼び捨て、残り一回。
こいつは絶対に忘れちゃならない。
忘れずに言えたら、ご褒美がもらえて、白衣でぎゅっが現実になり、でかうさも救えるのだ。
告白に対する返事のほうは、佐原がすんなり納得してくれるだろう答えを、家に帰るまでにしっかりと考えておくとしよう。
「芙美子ママ、ご馳走様でした」
千里も食べ終えたようで、フォークを置き、両手を合わせてお礼を言う。
見ると母も食べ終えていて、沙帆子だけになってしまっている。
母が片づけを始め、沙帆子は急いで残りのスバゲティーを口に運んだ。
千里は詩織の隣に移動し、一緒にアルバムを見始める。
はしゃいでいるふたりを横目に、沙帆子は佐原マジ告白の場面を想像してみることにした。
まずは、佐原先生に、呼ばれるところからだよね。
佐原が、沙帆子に告白しようとして、実行に移すとすれば…校舎の中で呼び止めてなんてシチュエーションはまず不可能。となると、佐原の部屋に呼び出されてって感じだろうか?
もし、呼び出されたとしたら…
わたし…何か悪いことをして、叱られるために呼び出されたと思うんだろうな。
そいで、いったい自分は何をやらかしたんだろうと、涙目になって、佐原の部屋に行くのを怖がったに違いない。
な、なんか…それって、あまりに情けなさすぎないか?
告白されるんだよ。
いや、いや、信じられないし…
「沙帆子?」
小声で呼びかけられ、沙帆子は顔を上げた。
「な、なに、ママ」
「もう片付けていい?」
母に言われて、お皿に視線を落とすと、スパゲティーが一本残っているだけだった。
「あ…ごめん」
沙帆子は、急いで最後のスパゲティーを口に入れ、空になった皿を母に渡した。
まったく、やれやれだ。
現実には体験できなかったことを、必死になって想像してるとは…
それでも…
結婚の前であろうと、後であろうと、佐原から付き合ってくれとの言葉をもらったのは事実。
考えたら、この妄想、美味し過ぎるじゃないか。
よ、よしっ。あとでゆっくり味わうとしよう。
そう決めた沙帆子は、三人の目が自分に向いていることにも気づかず、目尻を下げてにやついたのだった。sex drops 小情人

2012年7月9日星期一

意地悪と謝罪

ゆらゆらと揺れるからだ。
なんともいえないほど気持ちの良い温かさと、肌に触れている素敵な感触。
「真子、起きろ」
遠くで真子を呼ぶ声がした。西班牙蒼蝿水
この心地良さから彼女を引き離そうとする敵がいるらしい。
真子は徐々に大きくなってくる声から身を隠すように、心地よさの源にすがりついた。
おでこがコツンと叩かれた。
「やっ」
「こいつ、なんで起きないんだ」
「あっちに行って」
「起きてるのか?おい、おい」
薄ぼんやりと現実が見えてきた。
目の前は真っ白だった。
…シーツ?ベッド?
けれど、肌に当たる感触が、いつもとぜんぜん違う。
真子は手を上げて自分がほっぺたをくっつけている白いシーツらしきものを撫で回した。
「わっ」
男の驚いた悲鳴ともとれる叫びと同時に、真子はシーツから引き剥がされそうになり、慌ててしがみついた。
「襲うぞ。こら」
パチンとまた音がして、今度は後頭部がちょっと痛かった。
「いったーい。いったい何?」
真子は顔を上げ、まだ半分も開いていない目で、あたりをキョロキョロ見回した。
「やれやれ起きたか。こんなところで一晩明かしたら寒さで風邪引くぞ。ほら、帰るぞ」
「寒くない」
眠気に捕らわれて、ひどく舌ったらずになった。
「君は俺の背広被ってるからだ。君は温かいだろうが俺は肩と背中が寒い」
その説明を聞いているうちに、眠気が飛び、真子はいまの事態を丸ごと全部把握した。
真子は凄い勢いで立ち上がった。
彼女の肩に掛かっていた男の背広の上着がばさりと床に落ちた。
床に座ったままの男を見て立ち竦んでいると、相手も立ち上がった。
「荷物持って。行くぞ。着替えは…もうそのままでいいだろ」
呆然とした真子は、男に促されるまま社の裏玄関に向かった。
こちら側には、表玄関より小さな警備の詰め所があり、中はぼんやりした明かりがついているものの、ひとはいなかった。
男はカードのようなものを取り出し、玄関脇にある機械にそれを通すと扉を開け外に出た。
「それは?」
「マスターキーみたいなものさ、これがあれば社のどこからでも出入り出来る」
「ど、どうしてそんなもの。ぬ、盗んだんですか?」
「なわけないだろ。お忘れらしいが、僕は専務なんだが」
そうだった。
真子にとって彼は、どうしても侵入者のイメージが抜けない。
男の車へと歩いて行きながら、真子はふと疑問に思った。
「あの。そのカードがあれば、わたしたち、いつでも帰れたんじゃ…」
「僕一人ならそうしたさ。でも君がいた。僕は別に構わなかったが…」
車の助手席に乗り込んだ真子に、彼がにやりと笑った。
「君は構うだろ?」
真子はこくこくと頷いた。
もちろんだ。そんなことになったら、会社に来られなくなる。
車がすべる様に走り出した。
乗り心地のいい車だ。
「左に…」
「途中までは分かる」
「な、なんで知ってるんですか?」
「社員名簿。ちなみに君の社内メールアドレスも、携帯番号も知ってる。芳崎真子。可愛い名前だな。誰がつけたんだい?」
しばらく真子は答えなかった。
そんな呑気な話題は、この場に相応しくないような気がしたのだ。
けれど、相手は催促するようなこともなく、真子の方が沈黙に耐え切れなくなった。
「父母の両方の名前に、真の字がついてて、ふたりの子どもだからって、真子…」
「そうか。愛されてるんだな」
愛されているの言葉に、真子は薄く笑った。
運転していた彼は、その笑みに気づかなかったようだ。
「あの?」
「なんだ?」
「あなたの名前、聞いてないんですけど…」
「そうだったな。…高杉和磨(たかすぎ・かずま)だ。他に聞きたいことは?」
「おいくつなんですか?」
なぜか真子を横目に見て、彼は躊躇してから答えた。
「…26」
真子は驚いた。
眼鏡を掛けているからか、その落ち着きからか、かなり年上だと思っていたのに…
「その歳で、うちの社の専務に抜擢されて、大改造を任されたんですか?」
「なんか引っかかるな。その疑わしげな語尾の抑揚」
「みえないから」
「みえないって?」
ただの危ない侵入者にしかみえない…とは言えない。
「えーと…」
「ところで、社内では僕の歳は33ということになってる。本当の歳を口外するなよ」
「どうして?」西班牙蒼蝿水口服液
「もっと上だと偽りたいくらいだが、見た目でそれ以上は無理だろうと考えてのことだ。能力だけでは人は動かせない。ひとの指揮を取ることを円滑にするために、部下よりかなり年上である方が望ましい」
「考えてるんですね。でも、歳を誤魔化したままずっと勤めるなんて無理じゃありませんか?」
「三ヶ月か半年程度だ。改装が終了すれば、その時点で僕は降りる」
「また親会社に戻るんですか?」
「さあ。分からないな」
「ずっとこういうお仕事してるんですか?」
「いや、社の改装を丸ごと任されるのは初めてだ。元々改装が本職ってわけでもない。今回は特別さ」
堂々とした彼に、初めてと言う言葉はなんとなく似つかわしくなく、真子は意外に感じた。
「そうなんですか。改装については、みんな喜んでます。これまでどの職場も酷い状態でしたから」
「ああ。そうだな。子会社というのは名ばかりで、亡き社長は独裁者だった。朝見グループの接触を完全にはね付けていたんだ。親会社は内情を把握していても、手を出せなかった」
「そうだったんですか」
「もちろん、ここだけの内緒の話だぞ、真子」
「え?あ、はい」
ん?…真子?
「その呼び方、馴れ馴れしすぎやしません」
「すでに馴れ馴れしい仲だろ、君と俺は…」
なんだ。その含みのある笑いは?
「すでに口づけした仲だ」
和磨がにやりと笑った。
真子は真っ赤になり真っ青になって目を剥いた。
何か言ってやろうにも、言葉が出てこない。
「あ…そうだ」
ふと思い出したというように、和磨が呟いた。
なんだか知らないが、ものすごく嫌な予感がした。
「つい、夢中になって…」
ちらりと振り返った和磨の視線が、なぜか真子の首筋を捉えたように見えた。
「キスマークが…。明日はきっちり襟を閉めておいた方がいいぞ」
「そ、そんなものいったいいつ?いったいなんで?いったいぜんたい…」
「真子、落ち着け。一週間もすれば消えるさ。たぶん…」
「そういう問題じゃなくて。き、気絶してる女性になんてことするんですか」
和磨が唇を尖らせた。
大人びて凛々しかった顔が、少し少年ぽく見えた。
「気づかなかったんだ、気絶してるのに。夢中になりすぎて」
「はあ?」
真子は呆れた声を上げた。
素直と言おうか、バカ正直と言おうか…
「夢中になっている時の人間は、冷静な思考ができない。夢中というのは夢の中にいるということで、現実にいないわけだから、現実的思考が…」
真子は、運転している和磨の頭に拳骨を食らわした。
ゴンと音がした。
「何をするんだ。状況をよく見極めて行動しろ。俺が失神したら、ふたりしてあの世行きだぞ」
少し気持ちがすっとした真子は、彼の言葉を無視した。
鋼の精神を持つらしい和磨が、失神などという奥ゆかしいものをするとは思えなかった。
キスマークの存在が真実かどうか確かめるために、真子は和磨を気にしながら手鏡を求めてバッグの中を漁った。
運転に支障のないように、幾度か振り返りながら、真子を睨んでいた和磨の顔が、なぜか突然変化して、笑みを浮べた。
和磨は何も言わなかったが、その笑みに真子は薄ら寒さを感じた。
色々忘れ物をしたが、手鏡はちゃんとバッグに入っていた。
真子は手鏡を取り出しながら、和磨を咎めるように見返した。
「なんなんですか?」
「いや、別に。ただ、仕返しと言う言葉の重みを…後で君にゆっくりと教えてやろうと思ってね」
真子はぞくりとする恐怖に捕らえられ、手鏡を持ったまま、助手席のドアに身体をぎゅっとくっつけた。
「腹、減ってないか?」
それまでの会話がなかったかのように、和磨が唐突に言った。
「え?…空いてますけど」
「軽いものでいいけど、家で何か作れるか?」
わたしの家?
作れると言ったら、この男は彼女のアパートにあがり込むつもりなのだろうか?
とんでもない話しだ。
こんな危険分子を、彼女の神聖な部屋にあげるわけには行かない。
真子は手鏡で自分の首元を確かめた。
「たぶん、ここらへんだ」
襟の中に和磨が指先を突っ込んで言った。簡約痩身美体カプセル
「な、何するんですか?」
唇を尖らせて抗議しながらも、真子は和磨が指を押し付けたあたりを手鏡で映した。
視界が曇っていて分かりずらかった。
「で、作れるのか?」
「作れません」
そう叫ぶように言うと、真子は目を細めて手鏡を見つめた。
信じられないくらい濃い赤い痣が、首の付け根のところに見つかった。
「き、きゃー」
この痣が出来た経緯がまざまざと脳に浮かび、真子は悲鳴とともにそっくり返った。
「そうか。この時間に開いてる店というと…」
真子がパニックに陥っていることなど歯牙にも掛けず、和磨はひとり言を呟いた。
急ブレーキが掛かり、車がぐっと左に曲がった。
愕然として両手を浮かしていた真子の身体は、その勢いに、右側へとひっくり返った。
「きゃっ」
車が止まった。
「こんなところじゃ、いくら誘惑されても、その気にならないぞ」
和磨の腿の付け根の中央に顔をつっぷしてあがいている真子に、ひどく愉快そうに和磨が言った。
「誰が誘…」
パッと顔を上げた真子の後頭部で、ガツンと大きな音がした。
彼女の頭は、ハンドルに見事にヒットしたらしい。
「あーあ」
哀れんでいるような和磨の声に、真子はひどい屈辱を感じた。
自分の無様さがたまらないほど恥ずかしくなり、真子は泣きたくなった。
普段の彼女はこんなにドジでも、こんなにヒステリーに叫んだりもしない。
極めて普通なのに…。
「どうした?」
「…どうしてそんなに意地悪なんですか?」
真子は和磨の膝に顔を埋めたまま、しくしく泣き出した。
泣き声にあわせたように頭がジンジン痛んだ。
「真子…」
和磨の手が真子の頭に触れた。
そのやさしい手つきに、なぜか慰められる自分がいて、真子は自分にむっとした。
「ファーストキス…だったのに…」真子は恨みを込めて言った。
涙声の真子の言葉に、和磨が小さく口笛を吹いた。
その口笛の音に、安らぎかけていた真子の心が傷を深めた。
真子は黙々と狭い場所から抜け出し、上体を起こした。
「ごめん」
涙をなんとか止めようと唇を噛み締めていた真子は、その言葉に不意を付かれた。
外した眼鏡を掴んだ手をハンドルに掛けた和磨が、これまでになく気まずげに瞳を曇らせていた。
真子の胸が切なさにきゅんと痺れた。
「ふざけすぎた。悪かった、真子」
和磨の低い声で名を呼ばれ、彼女の背筋に、また不思議な震えが走った。
真子は和磨から視線を外した。
何んなのか分からないが、これまで感じたことのない感覚を、彼は真子の身体に呼び起こすらしい。
「真子…」
「もう謝らなくていいです。お腹すきました。とにかく何か食べましょう」
真子は和磨の返事も聞かずに車を降りた。日本秀身堂救急箱

2012年7月5日星期四

閉ざされた扉

だだっ広い部屋の中、真子が部屋を見回してくるりと一回転するのを和磨は愛しさを持って眺めた。
この部屋は、多目的に利用できるように作られた部屋だ。
壁には長子の描いた絵、亡くなった祖父の、そして母の描いたものも飾られている。
壁に掛けられた、それら一作一作の前に和磨は立ち止まっては、真子に紹介した。sex drops 小情人
家族の絵ばかりではなく、両親の気に入りの絵もこの部屋には飾られている。
中には、誰でも知っている巨匠の絵画もある。
はっきりいって、真子にそれらを紹介したくはなかった。
だが、わざと口にしないと言うのは、おかしなものだろう。
考え直した和磨は、真子に本当のことを告げた。
真子は、驚くというより、とんでもなく引いたようだった。
「なんか、他の絵と特別視されてなくて、さりげなーく飾られているところが、なんていうか…こう、すさまじいですね」
真子の表現に和磨は吹き出し、なかなか笑いを収められなかった。
そんな中で、真子が立ち止まって魅入ったのは、若い長子を描いた和磨の祖父の絵だった。
若さ、華やぎ…その絵は明るさに満ちている。
そして祖母の聡明な瞳には、形容しがたい熱い思いが湧き出ているかのようだ。
「とんでもなく愛が詰ってますね。この絵…」
和磨は真子の感想を嬉しく受け止めた。
「ああ。そうだな」
「お祖父様の思い出は?」
真子の問いに、和磨は記憶を探った。
祖父は和磨が幼い頃に亡くなっている。
それでもどっしりとした存在感は、和磨の胸にはっきりと残っている。
「祖父の腕に抱かれた記憶はあるよ。熱いひとだったな。そう感じた」
「和磨さんに似てらしたんですね」
「それは僕が熱いということか?」
和磨は軽く言った。
真子が真面目な顔で頷いた。
「和磨さんの小さな頃の写真…みたいです」
真子のその言葉に、和磨は口元を曲げた。
「あまり見せたくないな」
「どうしてですか?」
その問いに和磨は詰った。
自分でもなぜそう思うのか理由が分からなかった。
彼は首を捻った。
「どうしてかな?」
「和磨さんってば…」
真子が拗ねたような呆れたような笑いを零した。
その複雑な表情に野性を刺激され、和磨がすばやく真子を抱き寄せた途端に、ドアがノックもなしに開いた。
「あ、す、すみません」
ひどく慌てた声が、和磨の背中に飛んできた。
驚いた真子が、両手に力を入れて和磨の胸を突き飛ばした。
だが、彼女は和磨の体格に負けて、自分の方が飛ばされる形になった。
よろけて転びそうになった真子を、和磨はさっと腕を伸ばして支えた。
「こちらにおいでとは…知りませんで…」
突然の侵入者は、顔を赤くしてひたすら頭を下げたが、真子は彼の倍ほども赤くなっている
彼は笑みを浮かべて、真子の赤い頬を見つめてから、後ろに振り返った。
「別に構わないよ。それより、どうしたんですか?ずいぶん慌てているようだけど」
「いえ。システムの具合を点検に…」
和磨が女性といるところなど見たことがなかったせいかもしれない。
ひどくうろたえて足をもじもじさせている馴染みの相手に、和磨は笑いを噛み殺した。
「ああ。そうだった。この部屋は大丈夫そうだ」
「そうですか。それでは、これで」
すぐにも退散しようとする相手に、和磨は呼びかけた。
「僕が見てみようか」
「よろしいんですか?」
相手は笑顔を見せてそう言ったが、すぐに笑みをけしてかしこまった。
「ですが、和磨様にそんなことをお願いしては…」
「真子にシステム管理室を見せてやれるし…。真子、見てみたくないか?」
「迷惑でなければ、見たいです」
真子が遠慮がちに言った。
和磨は頷くと彼に向いた。
「迷惑か?」
相手はフルフルと首を左右に振った。
「もちろんお願いできれば、助かります」


「いかがですか?」
パソコンの画面を見つめている和磨に、期待を込めた声が掛けられた。
「うん」
和磨は言葉にしづらくて、それだけ口にした。
真子は初めの物珍しさも解消したのか、勧められた椅子にかしこまって座っている。
周りに人がいるせいで、かなり緊張しているようだ。
もしかすると、先ほど乱しに乱してきた客間のことを、後ろめたく感じているのかもしれない。
「復旧させるとなると、少し時間が取られそうなんだ。いまは…悪いが…」
かなりの期待を持っていたらしい相手は、和磨の言葉にがっかりした様子で肩を落とした。
和磨は申し訳なさが増した。VVK
「役に立てなくて、すまない」
「と、とんでもございません。ありがとうございました」

和磨はそうそうにシステム管理室を出て、無意識に自分の部屋に足を向けていた。
もちろん真子が一緒についてくることは自覚していたが…
システムを故意に混乱に陥れた人物がいることは、はっきりした。もちろん、やったのは和磨の父、真人だ。
システムの復旧は、パスワードが必要になっていた。
いじっているうちに、その表示がポンと画面に飛び出てきて、和磨は表には出さなかったが内心ぎょっとし、誰にも見られないうちに、表示を消した。
もちろんパスワードが分からなければシステムを正常に戻すのは無理だが、父の考え付いたパスワードは推理できた。
その思いついたパスワードを、彼は試してみたくてならなかった。
己の性格で、よくぞそれを思いとどまったと、自分を褒めてやりたいくらいだった。
けれど、パスワードを解いてしまうと、父親の仕業だとみなにばれてしまう確率は高いし、父の企みを、和磨の手で潰してしまうわけにはゆかないだろう。
真人はいつも、深い思慮のうえで行動する。
それがひどく突飛で、ひとをからかっているとしか思えないようなものでも…
まあ、七割がたは、みなの反応を楽しんでいるに違いないが…
「和磨さん、どうしたんですか?」
深い思考に捕らわれていた和磨は、真子の声に我に返った。
「あ、ああ。システムの復旧の見込みを考えていたんだ」
「みなさん、困ってるみたいですね。でも…」
「うん?」
真子が気まずそうな笑みを浮かべた。
「みなさんが慌ててるのをみて、こんなことを言ってはいけないのでしょうけど…なんだか、ほっとします」
和磨は真子をまじまじと見つめた。
「和磨さん?」
どうやら彼は、企みの核に触れたようだった。
「何を笑ってるんですか?」
「いや。ちょっとしたことに気づいただけだ。たいしたことじゃない」
和磨は目の前にある自分の部屋の扉を開けた。
「ここは?」
「僕にあてがわれた部屋。どうぞ」
和磨は真子を先に部屋の中に入れ、自分も後に続いた。
この部屋に入ったのは、本当にひさしぶりのことだった。
真子が部屋を見回している後ろで、この部屋の主なはずの和磨自身も、部屋を物珍しげに眺め回した。
「ずいぶん雰囲気が違うんですね」
「どこと比べて?…ああ、マンションか?」
「はい。あちらは全体的にすっきりとしてましたけど、こちらは…」
この部屋の家具を選んだのは母親だ。
和磨が他人の部屋のように思わずに、心地よく過ごせるようにと考えてだろうが、やたら物が飾ってある。
「寝るだけの部屋なのに、母がね…」
和磨はそう言って苦笑した。
「お母様、和磨さんがここで暮らしてくれたらと、思ってらっしゃるんじゃありませんか?」
「うん、まあ、そうかもしれないな」
「ご両親と一緒に暮らすつもりはもうないんですか?」
「先のことは分からないな。けど、いまは、そのつもりはないよ」
真子の頭の中でいろんな思いが駆け巡っているのが、彼女の瞳の揺らぎで分かる。
無理なことだと分かってはいても、和磨はその全てを知りたいと思う。
彼女が今どんな思いでいて、どんなことを考えているのか…
真子に強い視線を当てていた和磨は、真子の表情の変化に気づいた。
どうやら、彼の視線が強すぎたのか、真子を怖がらせているらしい。
「えっと…そ、そろそろ戻りましょうか?」
「まだいいだろう。せっかく…」
和磨は意味ありげに言葉をとぎらせ、真子をじっと見つめてから、わざとベッドに視線を這わせた。男宝
「み、みんな待ってます。きっと、いえ、絶対に」
真子を怖がらせていることに良心がチクチクする。
だが、彼女の反応が、彼の悪魔な部分を増幅させるのだ。
和磨は、いまは五歩ほど離れたところにいる真子の方へ一歩踏み出した。
真子がびくんと大きく跳ね、和磨の悪魔が狂喜した。
「か、和磨さん」
真子が泣きそうな震える声を上げた。
和磨の中の天使が、ほんの少しほろりとした。が、悪魔は勢いを増すばかりだ。
一歩一歩近付いてくる和磨に何度も呼びかけながら、真子は部屋の壁に背中を押し当てるようにして、ドアの方へといざってゆく。
和磨は間一髪のタイミングで彼女が逃げられるように、甘く追いつめて行った。
やっとドアに辿り着いた真子が、ノブに手を掛けて安堵したのを見届けて、和磨はゲームを終了させた。
彼は湧き上がってくる笑いを噛み殺しながら腕を組んだ。
真子は最高に面白い!
「か、和磨さん、い、いつの間に…」
ドアからすぐに飛び出てゆくと思っていたのに、真子はまだ部屋の中にいて、相変わらず恐怖の色を浮かべて和磨を見つめてくる。
和磨は意味が分からず眉を寄せた。
「どうしたんだ?」
「ど、どうしたって?…鍵を掛けたのは和磨さんでしょう?」
鍵?
和磨は本気でめんくらった。
「僕は鍵など掛けていないぞ」
「え?で、でも、だって、開きませんよ」
真子はなんどもドアノブをガチャガチャさせている。
和磨はドアに歩きよった。
和磨への信頼を完璧に失くしていた真子が、ずざざざと音がしそうな動きで、右側に勢い良く移動した。
その様はあまりにおかしくて、和磨は派手に吹き出した。
和磨の様子を見た真子が、怖れを消してむっとしたのをみながら、和磨はドアノブに手を当てて、ぐっと押した。
確かに、開かない…
和磨は、なんとなしに真子に向いた。
真子の膨らんだ頬から空気が抜け、その目に再び怖れが湧き上がった。
どうやら、彼ら二人は、密室に閉じ込められたようだった。狼1号

2012年7月3日星期二

ひとすじの涙

他にたとえようのない異質な浮遊感。
それは、自分が生身の人間であることに疑いを生じさせる。
何度経験しても、奇妙な体験だ。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ
静寂の中、一瞬の暗闇に包まれ、光がカズマの内へと、洪水のように流れ込んできた。
カズマは眩しさに、薄く目を開けた。
池のほぼ中央の空間に彼はいた。
ゆっくりと池の縁へと馬ごと下降していたカズマの目は、とんでもないものを捉えた。
地べたにタクミが転がり、トモエが覆いかぶさっている。
さらにトモエは、鋭い剣をタクミの顔に向け、いまにも突き刺しそうな勢いだった。
「何をしているっ!!!」
驚愕の一瞬が去り、カズマは辺りに響く声で叫んだ。
ぎょっとしたようにトモエが振り返った。
シルバーが地面に着地するより早く、カズマはシルバーの背から跳躍し、地面に降り立った。
カズマは勢いのまま、まだ驚きから抜け出せないらしいトモエへと走った。
トモエは初めの驚きから我を取り戻したのか、ぱっと立ち上がると、カズマに向けて攻撃体勢を取った。
「な、なぜ、お前がここに…」
「その質問は、俺からもさせてもらおうか?トモエ」
カズマは魔力を放出しつつ右手を捻って、炎をほとばしらせた。
彼はメラメラと燃える剣を、トモエに向けて構えながら、タクミの様子を窺った。
タクミは、頭が痛むのか、ふらつくのか、右手で頭を抱えて意識をはっきりさせようとするように首を振っていた。
どうやら無事のようだ。カズマは安堵した。
タクミの近くに、タクミの愛馬であるナイトがいたが、魔力で封じられてでもいるのか、まるで置物のように固まっている。
「タクミ、大丈夫か?」
たぶん、タクミは待ち構えていたトモエに、不意打ちを食らったのだろう。
タクミは青い顔をして、カズマを見つめ返してきた。
驚愕が取り去れないでいるものの、どうやら、傷は負っていないようだ。
「トモエ、タクミを待ち伏せていたのか?」
「どうしてそのような問いに、我(われ)が答えなければならぬ」
カズマは眉を寄せ、怪訝な目でトモエを見つめた。
こいつは?
「死んだと思ったが…。どうしてここに現れた?」
「俺の質問には答えなかったくせに、俺には問うのか?」
トモエは、思案するようにカズマを見つめ、首を回してタクミを見つめた。
「あれが赤ん坊の兄者(あにじゃ)だ…」
赤ん坊の兄者?
カズマは目を細めて、相手の言っている意味を推し量ろうとした。
トモエの姿をしたこの者が、トモエで無いことは分かるのだが…
「こやつに付いてくる者がいたとは…」
「お前はトモエではないな。いったい何者だ?なんの目的でタクミを襲った?」
相手は感情の無い顔で、カズマを見つめるばかりで口を開こうとはしなかった。
「ここにタクミがくることを、お前はあらかじめ知っていたようじゃないか?」
カズマの言葉を耳に入れているのか、相手は唐突に残忍といえる笑みを浮かべた。
「我はトモエ王じゃ。妖精国の王じゃ。我に刃向かう無礼者は、誰であろうと殺すのみ」
軋むような声には、顔と同じに黒い残忍さが滲んでいた。
「むざむざやられると思うのか?」
カズマの挑むような声に、相手はケタケタと笑った。
相手は突然剣を振り上げ、カズマに向けて切りつけてきた。
カズマは、なんとか攻撃を剣でかわしたが、衝撃の反動を食らった手に、かなりの痺れが残った。
魔力の差をまざまざと見せ付けられ、カズマは顔を歪めた。
いま、敵は渾身の力で切りつけてきたわけではない。
軽く振り下ろしてきただけと思えた。
こいつ、並みの力じゃない…
思い上がっているわけではないが、カズマの魔力は相当なものだ。
魔女タケコに匹敵するほどの魔力は、あるはずなのに…
「我に逆らうものは殺すのみ。お前なぞ、この池に飛び込み、消えてしまえ」
相手は、カズマの力を見切ったからか、カズマなど相手にする必要も無いと思ったようだった。
もちろん相手に見下され、カズマははらわたが煮えくり返る思いだったが、どれだけ憤っても、それが真実ではどうしようもない。
闇雲に切りかかったりすれば、カズマの屍がそこらあたりに転がるだけ…
どうすればいい…?どうすれば?
相手がタクミに目を向けたのをみて、カズマはタクミに駆け寄った。
相手は数歩歩き、タクミとカズマの前に立った。
その目はタクミだけを見つめ、カズマなど映っていないようだ。
「我の欲するものを運びし者よ、さあ、闇の目を我が手に」
闇の目?福潤宝
「いったい?」
そう言ったタクミははっとしたように、自分の腰にぶら下げている袋に手を当てた。
「それか?」
そう口にした敵の目が、喜びを表して、ぎらぎらと燃え始めた。
そうか!
こいつの狙いは、タクミが抱えている闇の玉か!
「お前…闇の魔女と関係のある者か?」
カズマの言葉を聞いた相手は、目を眇めるようにしてカズマを見つめてきた。
「我こそが闇の魔女じゃ!闇の目は我のものじゃ。はよう我が手に!」
「皆様、お集まりでしたのね。ごきげんよう」
この場の殺気に不釣合いな、なんとも礼儀正しい声がして、カズマはぎょっとして声の主に振り返った。
「あ、あなたは」
敵の登場より、カズマは度肝を抜かれた。
声の主は、トモエの乳母シオンだった。
妖精国の王の城に行くたびに、顔を合わせてきた相手。
彼女は、自己中心的でわがままなトモエの母よりよほど、トモエを愛し慈しんでいた。
「馬鹿な!いったいどうしてこんなところに」
「もちろん、貴方がたをお助けに参ったのですよ」
シオンはほんのりした微笑をたたえて言いながら、自然な歩調で歩んでくる。
「その者に近づいてはいけません。このトモエは、トモエではないのですよっ!」
カズマの必死な叫びに、シオンはゆるく首を横に振った。
「いいえ、そんなことはありませんわ。カズマ様、この方はトモエ様ですよ」
まるで間違いを、やさしくたしなめるように言われて、カズマは強烈に苛立った。
この場の異様さにどうして気づかない?
「おぬしは?」
トモエの姿をした敵は、シオンを見つめて、憎々しげに顔を歪めた。
「邪魔立てをするな!」
シオンは突然表情を変え、肩を竦めた。
「するに決まってるわ。指を咥えて、あんたの狼藉をこの私が眺めていると思って」
カズマはシオンの物言いに眉をひそめた。
彼の知っている彼女らしくない。
「おぬしの力など、赤子同然じゃ。我に勝ると思うなど、愚かなことぞ」
シオンは恐れの色もなく、敵の目を見つめ返した。
「愚かはどっちかしらね。時は経過しているのよ。お前には関係なかっただろうけど」
敵はよほど憤ったのか、ギリギリと歯を軋らせた。
「こしゃくな!」
敵は、シオンに向かって、金属を擦り合わせたような苛立ちの声を張り上げ、突如切りかかった。
もちろんカズマは助けに入ろうとしたが、シオンが杖を手にしているのを見て、動きを止めた。
あの杖?
「まさか?」
カズマが驚きとともに叫んだ瞬間、まばゆい光がきらめき、彼は眩しさに目がくらんだ。
いったい…
「ひさしぶりじゃないの、闇の魔女。…まったく、無様な姿ね」
カズマは目をあけて、目の前の事態を見た。
黒い影のような像がいた。
目のあたりだけが、異様な光を発している。
「どう、本来の姿に戻れた気分は?」
「お黙り!」
「カズマ!タクミを守りなさい!」
高飛車に命じられ、カズマは冷静に受け止めて素直に従った。
同時に黒い影も行動を起こした。
「闇の目は我のものじゃ」
「タクミ、闇の目を渡しては駄目よ」
タクミは慌てたように玉が入っている袋を両手で抱え込んだ。
カズマは影より先に、タクミに覆いかぶさった。VIVID XXL
「邪魔者めっ!」
「やめろーっ!」
その叫びはトモエのものだった。
「ギャーッ!」
影のものだろう、身の氷るような断末魔のような叫びが背後で聞こえ、カズマはタクミに覆いかぶさったまま、後に振り返った。
影を貫いているのは純白の眩しい光を放つ、トモエの剣だった。
「トモエ」
トモエは、渾身の力で剣を握り締め、両肩を上下させて激しく息をついている。
「カズマ、ぼけっとしてないで、トモエ王の加勢をなさい!」
叱責するように怒鳴られたカズマは、さっと立ち上がり、意識無く光の剣を創り上げていた。
カズマは勢いよく、いまもまだもんどりうっているように見える影に、剣を突きたてた。
もがき苦しむような悲鳴が微かに聞こえたような気がした。
数秒待つことなく、異様な影は煙のように消えた。

カズマは、しばし状況を飲み込もうとするように、立ち尽くしたまま彼の前にいるトモエを見つめていた。
トモエがガクリと膝を折り、前屈みに倒れた。
「トモエ!」
「いったい、何がどうなったんだ?」
カズマの側にいるタクミが、呆然とした口調で言うのを耳にしながら、カズマはトモエに近づいた。
すでにシオンがトモエに寄り添っていた。
「トモエは?彼は?」
「質問は、いまはいいわ」
シオンはカズマに向けて言うと、トモエの額に触れて、そっと前髪をかき上げた。
「トモエ王…よくやったわ」
称賛とねぎらいのような乳母の言葉を聞き、トモエ王は顔をくしゃりと歪めた。
「終わったんだ、終わったんだ、終わったんだ…」
繰り返されるトモエの叫びは、聞くものの胸を疼かせるほど、深い感慨を込めた震えを帯びていた。
「ええ、終わったのよ」
シオンは確信を込めた言葉を、トモエに告げた。
頷いたトモエは、深い安堵のこもった顔になり、はーっと息を吐き出しながら、ゆっくりと目を閉じた。
その頬に、ひとすじの涙が伝った。挺三天

2012年7月1日星期日

過去の意味

空が白み始めていた。
時間の経過など無関係に感じる集中治療室の中では、医師や看護師がたえず動き回っている。
詩歩を元気づけるために、やさしい笑みや明るい声を掛けてくれる彼らに、強張りのとれない頬のまま、彼女は無言で頷いていた。頂点3000
様々な医療器具が取り付けられた真理の様が、過去とダブり、ピッピッという真理の生を知らせ続ける音が、詩歩を必要以上に怯えさせる。
意識が戻る様子のない真理の手をやさしく撫で続けながら、、詩歩は寄り添ってくれている海斗から発する愛を感じていた。
彼の手のひらの温かさだけが、いまの詩歩の精神を落ち着かせてくれる。
「海、頼みがあるの」
「なんでも」
そう応えてくれた海斗に、詩歩はポケットから携帯を取り出して手渡した。
「岸川幸太っていうひとに電話して、真理さんのこと伝えて欲しいの。どうしても逢わせてあげなきゃいけないひとなの」
「真理さんの…恋人?」
「う…ん。真理さんを愛してくれているひと。真理さんも…」
海斗が外に出てゆくのを見送ってから、詩歩は真理に明るさを込めて囁いた。
「真理さん、寝てる場合じゃないわよ。あのひと来ちゃうんだから…ね、真理さん、自分の心に素直にならなきゃだめだよ」
真理の目覚めを期待して、詩歩は同じような言葉を繰り返し真理に囁いた。
そうしているうちに、海斗が戻ってきた。
「すぐに来るそうだよ。とても…大切に思ってるみたいだね、真理さんのこと。倒れたって聞いて、岸川さん…息を呑んだまま声を出せなかった」
「…そう。海、ありがとう」
詩歩は、バッグを手に取った。
「わたし、少し外の空気を吸いに行きたい。海も一緒に…」
「岸川さんが来るから?」
意味を含めた海斗の言い方に、詩歩は手を止めてゆっくりと振り返った。
「海、そのひとと、…何か話した?」
「詩歩、どうしてそのひとって呼ぶの?」
詩歩は、まっすぐな海斗の視線を見返した。
彼女は大きく息を吸って胸を膨らませ、よどんだ空気をすべて吐き出すように長い息を吐いた。
「彼を父だと思うのは、やめたの」
「詩歩らしくないね。何があったの?」
詩歩は海斗に背を向けて、真理の手のぬくもりを確かめるために握り締めた。
真理から離れるのは辛かったが、詩歩はゆっくりと手を放し、海斗と視線を合わせてからドアに向かった。
「歩きながら話すわ」

詩歩の両親は、大学のサークルで出会った。
すぐにふたりは付き合い始め、流れに乗って結婚の約束をし、出逢って二年後に、母が身ごもったのが分かって結婚した。
「…花とか植物がとても好きなひとなの。よくハーブとか育ててた。花を見つめているときの父は、いつもとても幸せそうだった…」
長い話の途中で、思いだすまま記憶の路線がずれてゆく詩歩の言葉を、海斗は辛抱強く黙って聞いてくれていた。
詩歩は、脱線した話の元を手繰り寄せ、歩きながら話の軌道を修正した。
語り出そうとして、詩歩は海斗の手を取って握り締めた。力が欲しかった。言葉にするための力が。
ふたりは病院の広い庭にいた。木立があり涼しい風が心地よく頬に触れてゆく。
詩歩へ向けて、彼女を取り囲む新鮮な空気から気力が注がれてくるのを感じる。
彼女は呟くように言葉にした。
「あの日、…庭にいた父が…手にしていたレンガを投げつけたの…居間に、わたしと母がいて…ガラスが粉々に割れた…」
言葉に出来て、不思議なほど詩歩はほっとした。
「病院に、父は…来られなかった。それ以上父を苦しめたくなくて、母はわたしを連れて、祖父の弟の助けを借りて引っ越したの」
「詩歩が、いくつのとき?」
「八歳、小二の夏休みだった」
六年生の時に祖母が亡くなり、一人暮らしになってしまう祖父の願いで、一緒に住むことになった。
真理はその時結婚していたが、相手のひととうまくゆかず離婚して戻ってきた。
父は、真理に逢って、本当の恋をしたのだ。そして、真理も。
詩歩の母は、そんなふたりの気持ちに初めから気づいていた。
「家を出るときに母が言ったの。わたしたちの傷よりも、深く…父の心は傷ついてる。わたし達を見るたびに、父は自分を責めて苦しむことになる。だから…わたしたちはここにいちゃいけないって」
詩歩はすべてを淡々と口にした。
これまで過去を語ることはなかったが、彼女の心の中では、すっかり整理のついたことなのだ。
「海…いま、わたしは辛くないし、苦しんでもないの」
「わかってる。…でも、過去の詩歩が、僕の中で泣いてる…」
詩歩は、手のひらで海斗の濡れた目尻に触れた。
海の涙はあたたかかった。そのあたたかさが詩歩の中に流れ込み、極度に強張っていた詩歩の体をほぐしてゆく。
ありがとうと、声には出せなかったけれど、海斗はそれを感じて小さく頷いてくれた。
「二人きりの生活のとき、母は自分を責めてよく泣いてた。父の気持ちを知っていたのに、三人の生活を壊したくなくて、気づかないふりをしていたって…」
「アルバムは、お母さんが…?」
海斗の問いに詩歩は俯き、足元の芝生から顔を出している黄色い小花に気づき、それを見つめながら静かに頷いた。
「処分したのかもしれないし、どこかに隠したのかもしれない。でも、出てこなくていいの。目にするのは辛いから」夜狼神
詩歩は母のよく言ってた言葉を思い出していた。
ひとは本当に必要なものはすべて持って生まれてくる。
でも、その必要なものは目にすることが出来ないから、持っているのを忘れて、ひとは目に見えるものに幸せを求めようとしてしまうと。
詩歩は手を握り締めてからゆっくりとひらいた。
そこには、求めるものすべてがあると詩歩には思える。
「形あるものすべて無くしても、ひとは必要なものすべてを持っている…か」
海斗はそう口にして、考え込んだ。
どんなときでも、詩歩は幸せだったし、母も幸せだった。
父にその真実を分かって欲しい。そして真理にも…
幸せになって欲しいのに、ふたりは幸せになろうとしない。
詩歩もいまは天国にいる詩歩の母も、ふたりの幸せを心から願ってるのに。
ふたりして心を閉ざしている。
詩歩は言葉を切り、彼女の言葉に耳を傾けながら考え込んでいる様子の海斗を見つめた、詩歩の視線を感じて海斗が振り返った。
「父は、わたしをとても愛してくれてる。だから、わたしを見られないの。父が苦しむから、わたしも父の前に出てゆけない」
詩歩は海斗の瞳をまっすぐに見つめながら、胸のボタンを三つ外し、胸元を開いた。
海斗が息を呑んだ。
「この傷はわたしの一部。生きてきた、あかしみたいなもの」
詩歩はボタンをはめ直しながら、呟くように言葉にした。
「ふたりに幸せになって欲しい…。母もそう願ってる」
詩歩は急激に嗚咽が込み上げてきた。胸が苦しかった。
「真理さんは、絶対に、このまま逝くべきじゃない」
両手で胸を痛いほど掴み、詩歩は叫んだ。
「詩歩、君はしなければならないことがある」
立ち上がった海斗が、まっすぐに手を差し出してきた。
「行こう」
詩歩は海斗の手を握り、頷いて立ち上がった。
存在の重さ

光一郎に家まで送ってもらう帰りの車の中で、海斗は詩歩の手をずっと握り締めてくれていた。
あたたかでやさしい気が、彼の手のひらから詩歩の中に絶えず流れ込んでくるようだった。
海斗のしたことに驚愕するほど驚いたのも事実だし、いまも混乱の最中にいる。
それなのに、くすぐったいような笑いも、絶え間なく込み上げてくる。
「詩歩の、あの絵だけど…」
詩歩の気持ちを自分に向かせようとしてか、彼女の手を一度ぎゅっと握ってから海斗が言った。
ふたりの視線が合うと、海斗が続けた。
「居間に置こうというのを、僕が嫌がってるんだ」
詩歩の目を見つめたまま海斗が続ける。
「いま、君が描いている絵、またチャリティーに出すつもり?」
「完成すれば」と詩歩は言った。
海の花は完成するだろう。
だが、あの絵をチャリティーに出すつもりはなかった。
当初描こうとしていた空の花を、チャリティーまでに完成させることができれば出すつもりだった。
「完成したら、僕に一番に見せてくれる?」
詩歩は頷いた。海斗に贈ろう。あの海の花を…
笑みを浮べた海斗を詩歩は見つめた。海斗が、「何?」というように詩歩を見つめ返してくる。
わたしなんかでいいの?
そう問いたい気持ちが一瞬湧いたが、詩歩はその言葉をすぐに打ち消した。
思いは、それぞれのひとのものだ。
そして、詩歩が自分という存在を疎ましく思うのも、仕方のないことなのだ。
詩歩の家に着いた。
海斗の父に丁寧にお礼を言い、詩歩が車を降りると海斗も続いて降りてきた。
光一郎が車を方向転換しているのを見ながら詩歩は海斗に言った。
「わたし、海に、話さなくちゃならないことがあるの」
「そうか、嬉しいな」
詩歩はその返事に驚いて戸惑い顔で、海斗の目を見返した。
「どんなことでも喜んで受け入れる。どんなことでも…」
「海は…海(うみ)と同じね」
海斗が、苦笑しつつ手を横に振った。
「いや、悪いけど、僕は君が思うほど心が広くないんだ」
彼のすぐ近くに、光一郎の車が止まった。
海斗が詩歩の耳に唇を寄せて、微かな声で囁いてきた。
「矢島や他の男子が君に触れるたびに、嫉妬でどうにかなりそうになる」
「海斗、公衆の面前だぞ」と、光一郎の愉快そうな声が飛んできた。
角度的に、海斗が詩歩にキスをしたように見えたのかもしれない。
海斗の指が、詩歩の唇をそっと撫でた。その刺激に詩歩の全身が小さく震えた。
「それじゃ、詩歩。二度目のキスは、明日」
去ってゆく車を見送りながら、詩歩は現実を取り戻そうとして、自分のほっぺたを必要以上に強く捻った。


家の中に入り、詩歩は玄関から真理に呼びかけたが、返事はなかった。
また作業場で時のたつのを忘れているのだろうと思いながら、詩歩は居間へと入った。
「真理…さん?」ru486
ひどく不自然な格好で、真理が床に転がっていた。
「ま…真理さん!」
真理は目を見開いていた。
瞳が詩歩に向き、詩歩は緊張して身体を強張らせた。
真理の瞳に恐怖が見えた。
事態が飲み込めず真理自身、混乱しているようだった。
「詩歩ちゃん、なんか…おかしいの…耳が…ぼーっとしてて…声が…」
詩歩は息を止めた。
この症状には、忘れられない辛い記憶あった。
「き、救急車、呼ぶ…」
「…の方がいい…のかな?ね、詩歩ちゃん、これって似てるよね…あの時の…姉さん…」
「真理さん、心配しないでわたしがついてるから」
早口に詩歩は言ったが、彼女の全身は、隠しようもないほどガクガクと震えていた。
詩歩は大きく震える手で携帯を取り出した。
救急車の二文字がぐるぐる渦巻く中、パニックに襲われて彼女の目に涙が溢れてきた。
「真理さん、どうしよう…わたし…海、海…」
無意識に言葉を発しながら、詩歩は携帯を無我夢中で操作した。
「詩歩?どうしたの?」
「真理…うっ…うぐっ、真理さん倒れ…てる。意識あるけど…でも、どう、どうしよう、海、海、真理さん死んじゃう。助けてっ」
詩歩の悲痛な叫びに、海斗の緊張した声が返って来た。
「父さん!緊急事態、詩歩の家に戻って。詩歩、すぐ行くから」
海斗は、戻ってくるまで、ずっと詩歩と繋がっていてくれた。
詩歩は真理の瞳を瞬きもせず見つめ続けながら、真理を母のようには連れてゆかせまいとして、手をぎゅっと握り締めていた。
海斗の声に、詩歩は次第に落ち着きはじめ、救急車を呼んだ。
真理の意識は病院についてすぐに途絶えた。
怖れていた医者からの告知。
冷たい病院の中、海斗の存在だけが詩歩の支えだった。
海斗の存在がどれほど大きなものになっていたのかを、詩歩はいまさら気づいた。VIVID XXL

2012年6月27日星期三

人生の苦味

華やかなショーも幕を閉じ、伊坂とともに葉奈は舞台裏に下がった。
綾乃と吉永、聡と玲香も、違う入り口から裏へとやってきた。印度神油

ショーの成功を喜び合う声が、あちこちで飛び交う。
モデルたちや、裏で頑張っていたひとたちが、お互いをねぎらう姿。

その心動かされる場面を前にして、いつもの葉奈ならば感動して目を潤ませたことだろう。

舞台に上がっていた間は、伊坂に救われて自分を取り戻せ、安堵だけを感じていたけれど、舞台裏に戻ってきた途端、自分の失態を冷静に見つめ、葉奈は恥ずかしくてみなに合わせる顔がなかった。
とくに更紗には申し訳なくてたまらなかった。

「素晴らしかったわ。あなた方、良くやってくださったわ。おかげで素晴らしいショーになったわ」

思ってもなかった更紗の嬉しげな言葉に驚いて、葉奈は顔を上げた。

「で、でも…わたし…」

苦しげな葉奈の表情に、更紗がやさしく微笑みながら肩を抱いてきた。

「あがってしまったわね。でも、そんなことはどうでもいいのよ。とても素敵だったわ。あなた自身には想像もつかないくらい、見ているものにはね」

「ほんとに…ですか?」

葉奈はどうしても素直に受け取れず、更紗に聞き返した。

「ええ。演出を考えた主人もきっと大喜びしているわ。彼にはあとでご紹介するわね」

「叔父様、来てらっしゃるの?」玲香が嬉しげに尋ねた。

「ええ。彼のお気に入りの若い方を数人お呼びしていて、今日をずいぶんと楽しみにしていたようだわ」

「叔父様、大好き。とっても面白くってやさしいんだもの。明日のパーティーにはふたりしていらっしゃるんでしょ?」

「ええ。行かないとあなた方のお父様がご機嫌を損ねてしまうものね」と、更紗はくすくす笑う。

「親父は、強引だからな。ところでわたしはこれで失礼するよ。明日は仕事をさせてもらえないから、今日中に片付けてしまわないと」

聡はそう言うや、みなに機敏に頭を下げ、部屋を出てゆこうとして踵を返した。

「兄さん食事を終えてからにしろよ。働き過ぎだぞ。少しは人生を楽しめよ」

数歩歩いた兄の背中に伊坂がそう声を掛けると、聡が苦笑しながら振り向いた。

「一年前のお前に聞かせたいな、その言葉」

伊坂は眉をあげて聡に応え、葉奈を見つめてきた。

「俺もやつに聞かせてやりたいよ。望みは…叶うぞってね」

「やはり、ハナはお前の福の神か?」

葉奈は会話の意味が分からず首を捻った。

「わたし…福の神?」

「いや、ハナ違いだ。福の神は、我が家のハナのことですよ」

「ああ。あの…」葉奈は言葉につまった。

あのハナにはとんでもなくやられてばかりだ。あれがすべて偶然とはとても思えなかった。
ほんとうに普通のネコなのだろうかと疑いたくなる。

「さあ、ディナーの準備が整いつつあるわ。聡さんも、参加ということでよろしいわね。パートナーがいないと玲香さんも可哀相でしょ?三人とも急いで着替えていらっしゃい」

更紗に背中を押されるようにして、葉奈たちは着替えの控え室に入った。
先ほど着替えをした場所ではなく、みんな同じ部屋だった。
だだっ広い部屋では、すでにたくさんのモデル達が着替えをしていた。

特殊なコルセットを付けられていた葉奈は、それから自由になるのに時間が掛かったこともあり、ふたりよりも支度を終えるのが遅れてしまった。

化粧を落とし、メイクをしてくれた同じ人に薄い化粧を施してもらい終えた綾乃と玲香は、葉奈に先に行くねと声を掛け、会場に戻ってしまった。

遅れた葉奈も支度が出来、メイクのひとに礼を言って立ち上がると、急いでみんなのところに戻ろうと部屋から出た。

「ちょっと」

葉奈は、彼女を追って部屋から出てきたらしい女性に呼び止められて、立ち止まった。

「は、はい」

「調子に乗らないでよね」

「えっ?」

「今回、あんたがとりを務めたのは、更紗さんのお遊びなのよ。舞台であがって、あんなみっともない姿さらしたくせに…成功したのは自分のおかげみたいに…まったくおめでたいわ。おこがましすぎるわよ。翔様に助けられて事なきを得ただけのくせに…」強力催眠謎幻水

「あ…すみません」葉奈は弱々しく答えた。

毒のある言葉のひとつひとつが、胸を鋭くえぐるようだった。

「久しぶりに舞台復帰された翔様にあんなご迷惑まで掛けて、ただで済むと思ってるの、あんた」

相手の怒りの強さに、全身が竦んで葉奈は身動きすることも言葉を発することも出来なかった。
足首のあたりが小さく震え始め、その震えが大きくなりすぎて倒れたりしないよう、葉奈は両足に精一杯の力を入れた。

「だいたい翔様のお相手は美智歌さんって決まってるのよ。とりも美智歌さんに決まってるの。ふたりは恋人同士なんだからね。あんたなんかが割り込んでくること事態お笑いだわ。あんたみたいなど素人が大きな顔してしゃしゃり出てきて、むかついて…」

「やめなさい!」

鋭い叱責の声が飛んできた。
女性の顔から怒りが消え、そこに怖れが浮かんだ。

「美智歌さん、で、でも」

「更紗さんに、このことが知られたら、あなた困ったことになりかねないわよ」

「そ、そんな…でも」

「でもは、これ以上聞きたくないわ。もう行きなさい」

美智歌という女性の言葉にうなだれたものの、不満そうな顔に憎しみを加えた表情で、彼女は葉奈をもういちどきつく睨み、先ほどの着替えの部屋に入ってしまった。

心臓がどくどくと跳ね続けていた葉奈は、苦しくなって胸を押さえた。

彼女がいなくなったことで力が抜けたからなのか、身体がガクガクと大きく震えだし、葉奈はよろめいた。

「大丈夫?」

美智歌は真っ青になった葉奈の顔を見て、ひどく心配そうに顔を歪めた。

「こっちに、休めるところがあるの。行きましょう」

「いや!」

美智歌が葉奈を抱えるように手を添えて言ったが、葉奈は反射的にそれに抗った。

「葉奈?」

伊坂の声に葉奈は顔を上げた。

「どうしたんだ?葉奈、気分が悪いのか?」

「ごめんなさい。翔君」

「美智歌?なんで?彼女はどうしたんだ?」

「仲間のひとりが…彼女にひどいことを…ごめんなさい」

伊坂の瞳が、危険なほど鋭くなった。

「はっきりと聞かせて欲しいな、美智歌。誰がやった?」

凍るように冷たい声だった。

「翔君、報復するでしょ。だから言えないわ」

「…わかった。そいつにはっきりと伝えてくれ。絶対に…許さないってね」

「いいんです。本当のことを言われただけなんです。ごめんなさい、わたし…」

言われたことは、葉奈が思っていたことと同じようなものだった。
他人の口から言葉として繰り返されたことで、葉奈の中でさらにその思いが強くなった。

「彼女が言ったことはね…」

美智歌が葉奈に向けて何か言い掛けたが、伊坂はそれを制した。

「もういい。モデル仲間には、二度と葉奈に近寄るなって警告しとけ。次は、ただじゃ置かないってな」

「…わかったわ」

美智歌が真顔で頷いた。






伊坂は葉奈を連れ、会場とは別の部屋に入った。

「座って。ここには誰も来ないから」

椅子に座り、葉奈は両手で顔を覆った。

言葉にひどく怯えたこと、舞台でのこと…。
自分の弱さに、恥ずかしさがどうしようもなく湧き上がり、葉奈は伊坂に顔を見られたくなかった。

「先生、ごめんなさい。迷惑ばかり掛けてしまって。わたし、恥ずかしくて」

「迷惑?葉奈、落ち着いて、何を謝ってるんだ?」

「だって、あがって動けなくなっちゃって、先生に助けてもらって…。わたし、どうしてこんなに弱いんだろう。自分が嫌になる」

伊坂がそっと葉奈の肩を抱いてきた。
そして少しずつ抱き締める腕に力を入れてゆく。

「自分を責める必要なんかないんだ。もともと更紗叔母に強制的にやらされたことなんだから」

「でも、引き受けたんです。引き受けた以上、責任はわたしにあります」

「君は自分を責めすぎだ」VIVID

「でも、責められるようなことをしちゃったんです」

「もっと視野を大きくして見るようにしたほうがいい。君が思うほど…」

「でも、あのひとは…あ…」

葉奈は言いかけて口をつぐんだ。
あんな言葉を伊坂に聞かせるなんて、絶対に嫌だ。

「何を言われた?」

「…忘れました」

「そう。なら、なんで君は自分を責め続けてるんだ?責める理由を忘れてるのに?」

「あのひとに言われたことは忘れたけど、自分の失態はちゃんと覚えてます」

むっとして言い返した葉奈を見て、伊坂が笑い出した。

「少し元気が戻ったみたいだな。良かった」

伊坂が葉奈をぎゅっと抱き締めた。

毒のある言葉が脳裏に蘇りはじめ、葉奈は思い出すまいとして無意識に頭を振った。

「どうした?」

伊坂の問いかけに、葉奈は小さく首を振って彼の胸に頬を寄せた。

抗おうとすればするほど、まざまざと蘇ってくる言葉に、葉奈はぐっと奥歯を噛んだ。

美智歌という女性は、とてもきれいなひとだった。
そして伊坂とのこと…

葉奈は宙を見据えて、いま起こったことを胸に受け入れようとした。

いま、伊坂と付き合っているのは葉奈なのだ。

付き合っていたという言葉が本当か嘘かも葉奈には分からないし、過去は過去でしかない。
彼女は自分にそう言い聞かせた。

宮部と伊坂が付き合っていたとの情報に翻弄されてひどく落ち込み、伊坂にみっともない姿をさらしてしまったときも、いまと同じほど辛かった。

前と同じに、この拒否したくなるような感情も、すべて自分の中に受け入れて、最後には乗り越えられるはずだ。

恋は苦しい。
けれど、その苦しみを味わっても、伊坂とともにいたい。

葉奈は顔を上げると、気遣うように葉奈を見つめている伊坂の肩に両手を掛けた。

「葉奈」

葉奈は、伊坂のぬくもりを求めるように、そっとふたりの唇を重ねた。蔵八宝