2013年4月14日星期日

キミを知る

付き合いだしてから初めての金曜日。
 今日も変わらず、わたしたちはダーツバーでダーツを投げている。
 稜也くんが構えている横で順番を待っていると、稜也くんに問いかけられる。
「明日、暇?」新一粒神
 答えるより先にダーツが的に刺さる。
 相変わらず狙いは正確で、このゲームもわたしの負け必至かな。
 けれど目先のゲームの勝敗のことよりも、稜也くんからの問いかけのほうに意識が向いてしまう。
 一緒に飲もうよーと言う沙紀ちゃんのことを笑顔で稜也くんが振り切り、いつもどおりの金曜日。
 どこか現実的ではない一週間の終わりを迎えたけれど、その現実とは思えない時間はまだまだ終わりそうにない。
「部屋の掃除とか、買い物とかしようかなと思っていたけれど特に用事は無いかな」
 本当はこっそりバレンタインのプレゼントを探しに行こうと思っていたのだけれど。
 それを口に出してしまったら、こっそりにはならないので黙っておく。
「なら良かった。デートしよう」
 さらっと言った彼に、わたしだけがドギマギしてしまう。
 どうしてこんなにドキドキさせられるのだろう。
 何か特別な一言を言われたわけじゃないのに。
「うん」
 そう答えるのが精一杯なわたしの髪を稜也くんが撫でる。
 愛おしいと思っているのだと、その指先から伝わってくる。
 これが外じゃなかったらキスの一つもされたのではないかと思うほどに甘くて優しい。
 まるであのカクテルのように甘いから、自然と頬が緩んできてしまう。
 緩んだ目元に、稜也くんの唇がほんの少しだけ掠めるように落ちてきて、あっと思う間もなく離れていく。
 その唇を見つめてしまうと、稜也くんがくすりと笑う。
「このゲーム終わったら帰ろうか。今日は本当は帰してあげるつもりだったんだけれどな」
「え。今なんて言ったの?」
 丁度有線で流れている曲のサビ部分で音が大きくなったのもあって、後半部分がよく聞き取れなかった。
 くすりと笑った稜也くんが、耳元で囁く。
「これが終わったら帰ろう。今日はどっちの家がいい?」
 至近距離で囁かれると、その声と息遣いにぞくりと肌が粟立つ。
 身を捩って少しだけ稜也くんから離れると、にんまりと稜也くんが笑う。
「明日、待ち合わせデートのほうがいい? それとも一緒に出かけるほうがいい?」
 意地悪な笑みを浮かべた稜也くんは完全にわたしの反応で楽しんでいる。
 恥ずかしくってどっちがいいとか言えないよ。
 待ち合わせは待ち合わせでドキドキするし、でも一緒に出かけるっていうのは、その、毎日会社行く時と同じで、どちらかの家に泊まってって事でしょ。
 一緒にいたい気持ちはあるけれど、ただ一緒にいるだけじゃ稜也くんは済ませてくれないし。
「……稜也くんは、どっちがいいの?」
 答えに窮して問いかけると、くしゃりと髪を撫でられ、稜也くんがわたしから視線を外す。
「どっちでも」
 言ってからダーツを投げ、見事に高得点の場所に当たったダーツの矢を引き抜いて戻ってくる。
「はい」
 手の中にはダーツの矢。
 わたしに決めろっていう事なのかな。
 ダーツの矢と、稜也くんの顔を交互に見つめる。やっぱりわたしの答を待っているみたいだ。
 テーブルに載ったカクテルを手に取って飲むと、稜也くんも同じようにカクテルを手に取り、残り半分になっていたそれを一気に飲み干す。
 カクテルの度数とかよくわからないけれど、でもそれなりに強いんじゃ……。
「大丈夫?」
 問いかけには首を横に振るだけ。
 本当にわたしが決めないといけないらしい。
 覚悟を決めて、ぐいっと稜也くんがしたみたいにカクテルを飲み干す。
 ロンググラスのカクテルだから、そんなに強いものじゃない。
 ダーツを的に向かって投げる。けれど稜也くんみたいに上手くは投げられず、かろうじて点数が入ったって感じ。
 その矢を取りにいかず、横に立つ稜也くんを見上げる。
 何も言わないでわたしを見つめたままで、その視線に緊張してしまう。
「あの……」
「ん?」
 すごく優しい声に、少しだけ緊張がほぐれる。
「着替えとか、色々困るから」
「うん」
 苦笑するかのような笑みを浮かべる稜也くんに手を伸ばして、そのスーツを握る。
「けど」
「けど?」
 緊張でばくばくと耳元で大きな音がして、恥ずかしさで俯いてしまう。でも、言わなきゃ。
「もう、帰っちゃうの?」
 意を決した問いかけに稜也くんが破顔する。
「一緒にいたい?」
「いたい」
 聞き返された問いに即答すると、スーツを掴んでいた手を握られる。
「俺も一緒にいたいよ」
 ポンっと頭を一度軽く撫でられたかと思うと、稜也くんがダーツの矢を取りに行く。
「このゲームだけは終わらせようか」
「うん」
 そして今日もまたなし崩しでずっと一緒にいることになるなんて、その時には思いもしなかった。
 けれど心のどこかでそれを望んでいたのかもしれない。
 翌朝、わたしの部屋のベッドで目覚めた稜也くんは、軽い朝食を済ませると自宅へと帰っていった。
 待ち合わせの時間と場所を言い残して。
 稜也くんがいなくなった自宅は、なんだかものすごく広く感じる。
 先週の今頃は一人でいた部屋の中なのに、どうしてそんな風に感じるのだろう。
 稜也くんが入れてくれて、もう冷めてしまったコーヒーを飲みながらテレビの電源をつける。
 普段の週末ならばまだ寝ている時間。
 いつも金曜日はレンタルDVDを借りてきて、何となく夜更かしするのが習慣だった。
 そして寝坊する土曜日。
 なんとなく部屋の片付けだとか溜まった洗濯だとかして、借りてきたDVD見て適当にご飯食べて。気が付いたら夕方になって。
 それに何も不満なんてなかった。
 だけれど、そんな日常がどこか物足りなく感じる。
 テレビの電源を消して、コーヒーカップを手にとってシンクへと向かう。
 何かしてないと落ち着かない。
 ワクワクするような、ドキドキが持続していて。
 食器洗って、洗濯して、シャワーして。
 指定された時間までは結構あるようで、微妙に足りない気がする。
 何からやろうかとキッチンに目を向けると、そこに稜也くんが使ったマグカップと二人で食べた朝食の食器が置かれている。
 すっごくキャーって叫びたい気分になったけれど、口を押さえて我慢する。そのまましゃがみ込んで、急に込み上げてきた恥ずかしさに一人悶える。
 どこか気持ちがフワフワとして落ち着かない。
 部屋の中を見渡せば、ありとあらゆるところに稜也くんの痕跡が残っている。
 稜也くん用の新しく買ったルームウェアや、彼が持ち込んだ会社用のYシャツ。
 洗面所には髭剃りやハブラシがあるし、シンクには今までには無かった彼用のカトラリー。
「夢じゃないんだ」
 毎日ずっと一緒にいたんだから当たり前だけれど、本当にわたし、稜也くんと付き合ってるんだ。
 傍にいないと一気に現実感が無くなるけど、急にはっきり意識してしまって、頬が熱くなる。
 鏡の中の自分を覗くと、真っ赤な茹蛸みたいな顔をしている。
 よくよく見たら前髪には寝癖がついているし、顔はすっぴんのまま。
 こんな醜態を晒しているのかと思ったら、なんだかどうしようもなく居たたまれない気持ちになってくる。蔵八宝
「あ」
 鏡の向こうの自分を見て、どきっと胸が鳴る。
 普段髪の毛を下ろしていて気が付かない首筋に、赤い痕。
 寝起きで食事を作るのに邪魔だからと髪をまとめていたからあらわになっているけれど、今まで全然気が付かなかった。
 いつこんなの付けたんだろう。
 彼のいた痕跡を自分の指でなぞり、鏡から視線を逸らす。
「デートの準備しなきゃ」
 口に出してみて、自分のクローゼットに絶望した。
 デートに着ていくような服が無い。
待ち合わせに指定されたのは稜也くんの最寄り駅。
 うちからだと電車で三十分弱の距離。
 遅れるわけにはいかないからと出てきたけれど、行きの電車の中で既に泣きたい気分。
 全然デートっぽい格好じゃないんだもん。
 気を抜きすぎって感じのラフな服装しか持ってなくて、クローゼットの前で顔面蒼白状態。
 前に休みの日に石川さんと出かけた時には最初から体を動かす前提だったからデニムでも問題無かったけれど、私服で人に見せられるようなスカート持ってないって。
 女子力低すぎでしょ、わたし。
 仕事の時はスーツかそれに準じた服装だからスカートくらい持ってるけれど、それじゃ私服じゃないし。
 会社に行くわけでもないのにカッチリした格好っていうのも。
 今まで休みの日に出かけるっていっても、せいぜいヒロトと映画見に行くくらいで、ヒロも映画見る時に足組むならスカート履くなとかって煩いから必然的にパンツスタイルばかりになってたし。
 ああ。もう泣きたい……。
 もうちょっと普段からお洒落に気を使えば良かった。
 そうやって悶々としつつも、ちゃんと目的地には着いてしまう。
 目的の駅で降り、溜息交じりに階段を降りていくと改札のあたりに稜也くんの姿が見える。
 ちゃんと稜也くんは私服もカッコイイのに、わたしって。
 どよーんとした空気を纏いつつ、あれ? っていうような顔をした稜也くんに手を振ると、にっこりといつものように笑みを浮かべて手を振り替えしてくれる。
 あっという間に目の前には稜也くん。
 目の前に手を差し出すので、稜也くんと手を何度か見返して、それからゆっくり手を重ねる。
 きゅっと握られた手から伝わってくる体温に、心の棘が少し解けていく。
 でも今日のわたし、全然デートっぽくない。
「優実、普段はそういう格好なんだね」
 ああっ。いきなり突っ込まれた。そこには触れて欲しくないのに。
「うん。デートなのにこんな格好でごめんなさい」
 思わず謝ったわたしにくすくすっと稜也くんが笑い声をあげる。
 笑うほど酷いのかな。
 ショックでちょっと視界がぼやけてきたかも。
「何でそこでそういう顔になるかな。俺は別にそういう格好が悪いなんて言ってないよ」
「え?」
 立ち止まった稜也くんがわたしの前髪に触れる。
 指で開けた視界の向こう側には困り顔の稜也くん。
「優実はそういう格好が好きなんでしょ?」
「……うん」
「それでいいじゃん。今日はキミを知る日なんだ。だから今まで知らなかった優実を知れて嬉しいよ。だからそういう顔しないで」
 指先が目の下をなぞっていく。
 繋がっていないほうの手で稜也くんのコートを掴む。
 いつもの黒色のコートじゃなくって、綺麗な色のカジュアルなもの。
 稜也くんらしくてよく似合っている。
「あのね」
「うん」
「ちゃんともっとデートっぽい服装しなきゃって思ったんだけれど、全然そういうの持ってなくって。だからがっかりしてない?」
 ははっと稜也くんが笑い声をあげる。
「がっかりなんてしないよ。別に服装一つで嫌いになったりしないし。優実は俺が超変な格好で現れたら逃げる?」
「逃げない」
「でしょ。だから気にしないでいいから。そういうことはさ。寧ろ」
 何かを言いかけたところで、次の電車が来るというアナウンスが流れる。
 行こうと促され、ホームに上がり、結局何を言いたいのかはわからずじまいになってしまった。
 けど、どうしようもなく恥ずかしくて情けなかった気持ちは、ほんの少し軽くなった。
 次の時までに洋服買っておこうと心に決めていることは口に出さずに。
 繁華街まで出てきて、これといった目的も無く歩くのもということで、とりあえず少し早めのランチにする事にする。
 一人暮らしをしているせいもあり、お互い凝ったものを普段作らないから、和食を食べる事に決める。
 まだピークの時間ではないので、店内はまばらにしかお客さんが入っていない。
 日替わりランチを二つ頼んで、セットのアイスコーヒーを飲む。
 コーヒーはブラックのままで、ガムシロップとミルクはテーブルに二セット置かれたまま。
「行きたいところとかある?」
「ううん。これといって」
 ストローでアイスコーヒーの中の氷を掻き混ぜながら答える。
 カランと氷がグラスにぶつかる音が響く。
「普段はどういうことしてる?」
「うーん。実家帰ったり、弟のヒロトと時間が合えば映画見に行ったりかな。稜也くんは?」
「俺? 俺はホームで試合があればだけれど、土曜日はサッカー見に行く事が多いよ」
「ホーム?」
 全くといっていいほどサッカーのことがわからないので説明してもらうと、稜也くんはJリーグのあるチームが好きで、そのチームの試合がホームゲームという本拠地でやる試合だと、試合を見に行くということらしい。
 ホームとかアウェイとか聞いた事無い? って聞かれたけれど、ワールドカップの時くらいしかサッカー見ないからよくわからなくて。
「どうしてサッカーの、そのチームが好きなの?」
「昔の知り合いがそのチームでプレーしてるんだ。だからかな」
「えーっすごいっ。プロの選手が知り合いなんだっ」
「子どもの頃サッカーやってた時に同じチームだっただけだよ。そんなすごくない」
 淡々と否定するけれど、普通プロに知り合いなんていないよね。すごいなあ。
「稜也くんもサッカー上手いの?」
「上手くは無いよ。現に普通のサラリーマンだし。今は見るのが専門。それで満足してる」
「じゃあ今日も試合あるの? 見に行かなくていいの?」
 苦笑して稜也くんがコーヒーを一口飲む。
「いいよ。今日は優実と過ごすって決めてるんだから」
 でも好きな試合、見に行きたくないのかな。
 わたしと一緒にいるからって我慢してるんじゃないのかな。
 嬉しいけれど、嬉しくないかも。
「今日はどうやって今の加山優実が出来たか知りたいんだ。どんな事が好きで、どういう風にしたら喜んでくれるかとか」
「稜也くん」
「上辺だけの付き合いをしたいわけじゃないからね」
 舞い上がるほど嬉しい。
 本気でそういう風に思ってくれているっていうのは視線から伝わってくる。
「でも、わたしだって知りたいよ。稜也くんが何を思って、何が好きでどういうことしたら喜んでくれるのか。だから」
「だから?」
「今日はサッカー見に行こう」
「優実。話聞いてる?」
 ふーっと溜息を吐き出した稜也くんは、ほんの少し不機嫌そう。
 だけれど一方的に知って欲しいわけじゃない。わたしだってすごく知りたい。
 本当に何が好きなのか。
「聞いてるよ。今日はわたしが稜也くんの事を知る日にして欲しいの」
 暫く視線がぶつかり、稜也くんが手元に目線を落とす。
「まあ、焦ることは無いか。じゃあ今日はサッカー。明日は映画っていうのはどうでしょうか、優実さん」
「それでお願いします」
 稜也くんにつられて敬語で話すと、ぷっと稜也くんがふきだす。
「意外に頑固だよね、優実って」
 楽しそうに言う稜也くんの様子に恥ずかしさが込み上げてきて頬が熱くなる。
「そんな事無いです。全然無いです。からかわないでっ」VIVID
「で、可愛いよね」
「もーっ」
 居たたまれなくなったところに、店員さんが冷静な声で「日替わりランチお待たせしました」と料理を運んでくる。
 この気まずさ、どこにぶつければいいのだろう。
 目の前に置かれた食事をじとーっと見つめるようにしていると、稜也くんがぽんっと頭を撫でる。
 その手に促されるように顔をあげると、稜也くんが少し腰を浮かせてわたしの頭を撫でている。ぐしゃっと掻き回すように撫でて、稜也くんの手が離れていく。
「ご飯、食べよう」
 促して割り箸を割る稜也くんと同じように割り箸を割って、目の前の出来立ての日替わりランチに箸を伸ばす。
 わたしばっかり振り回されっぱなしで悔しい。
 悔しいから、何か言い返してやろうと思ったけれど気のきいた言葉が出てこない。
 今まで知っていた稜也くんは笑顔が可愛くて、それでいつもニコニコしてて、優しかった。
 こんな風に意地悪な事言ったりもしないし、からかったりすることも無かった。
 けど、今の稜也くんといるほうがずっと居心地が良い。そう思うのは、少し彼の今までとは違った一面を垣間見ているせいなのかもしれない。
バレンタイン当日。
 稜也くんは取引先との打ち合わせがある為外出している。
 直帰だから先に帰ってていいからねと言われているので、定時に上がって自宅に帰る。
 出かける前にお局からチョコレートケーキのホールを差し出されていたけれど、あれ、どうなったんだろう。
 お局のケーキはともかくとして、沢山貰ってくるのかな。
 沙紀ちゃんがチョコを買いに行く時に一緒にチョコ買ったけれど、甘いものなんて見たくないくらい、きっと貰っているよね。
「はー」
 思いっきり溜息が漏れる。
 本当に少し前まで、全くこんな事思っても無かったのに、一体この気持ちはどこからやってきたんだろう。
 自分だけを見て欲しいとか、稜也くんが他の人を好きになったらどうしようっていう不安とか。
 独占欲。
 こんな日にと思うけれど、こんな日だからこそ、余計に感じるのかもしれない。
「ただいま」
 わたしの顔を見て、稜也くんがごく普通に言う。
「おかえり?」
 素直に言えなくて疑問形になったのを、稜也くんがくすっと笑う。
「腹減った。何か食べに行く?」
 玄関から上がった稜也くんがスーツを脱ぎながらクローゼットを開くので、その手首を掴む。
「……今日はっ。うちで、食べよう」
 声が裏返った。しまった。恥ずかしい。
 俯いたわたしの頭の上に、稜也くんの手が降ってくる。
「仕事だったのに作ってくれたんだ」
 声が裏返ったのを笑われるかなと恐る恐る顔をあげると、すっごく優しい目をした稜也くんと視線が合う。
「ありがとう」
「うん」
 頭に置かれた手が髪を撫でて後頭部を通り背中へと到達すると、ぎゅっと稜也くんの掌に力が篭る。
 その力の赴くままに稜也くんに体重を預けると、腕の中に閉じ込められる。
 ちゅっという音を立てておでこに落とされたキスに促されて顔をあげると、ふんわりと唇が重なる。
 柔らかくて啄ばむようなキスをして、稜也くんが腕の力を弱める。
「優実のご飯、楽しみだな。準備、時間掛かる?」
「焼いたりするから、ちょっと掛かるかな」
「楽しみに待ってるよ」
 そう言うと稜也くんはルームウェアを手にとって洗面所へと消えていく。
 思わずクローゼットの傍に置いてある稜也くんの仕事用の鞄に目線を落とす。
 チョコ、いっぱい貰ったのかな? あとお局のケーキはどうしたんだろう。
 シャワーから出てきた稜也くんがローテーブルに座ったのを見計らって、夕食のメニューをテーブルに並べる。
 サラダとシチューとハンバーグ。
 結局ありきたりなメニューになっちゃったけれど、それでも目の前に並べられたお皿を稜也くんが目を細めて見つめる。
「すごいね。仕事上がってからこれ全部作ったの?」
「シチューは市販のルー使ったり、サラダはちぎっただけだし、ハンバーグは捏ねただけだから」
 稜也くんは和食も好きだけれど、ランチによくから揚げとかハンバーグとかを選んでいるのを見てたから、きっとこういうの好きかなと思って作ってみたけれど、正解だったかな。
「それでも作ってくれた事が嬉しい。食べよっか」
「うん」
 小さなローテーブルに向かい合わせで座って食べ始める。
 味はどうだろう。美味しいかな。
 ついつい稜也くんの箸の動きに注目してしまって、自分が食べるどころではない。
「あれ?」
 ハンバーグを口に入れた稜也くんが不思議そうに顔をあげる。
「これ中に何か入ってる?」
「うん。チーズ。あれ? 普通は入れないものなのかな。うちの母がいつも入れてたから、ついつい入れちゃったんだけれど」
「加山家の家庭の味なんだ。美味しいよ。家でチーズインハンバーグって普通に作れるんだね」
「うん。ピザに乗せるとろけるチーズを中に入れてるの。あの、美味しいかな?」
「美味しいよ。だから優実も食べよ」
 稜也くんに促されて食べてみると、自分で思っていたよりもずっと美味しく出来ていた。
 ぱくぱくと食べてくれて、残ったら明日の朝ご飯にしようかなと思っていたハンバーグもシチューも稜也くんがおかわりして食べてくれた。
 細い体のどこにそんなに入るのだろうと思うくらいの勢いで、また作ろうって心の中のメモに書き記す。
 食事のお皿を片付けにシンクに持っていき、入れ替わりにボトルワインと沙紀ちゃんと一緒に買ったチョコを一緒に稜也くんの前に差し出す。
「飲む?」
 ピンクのラベルのスパークリングワインは、バレンタイン用のものらしく、ハートマークがあしらってある。
 チョコだってバレンタイン用のラッピングだから、見ればそれだとわかるだろう。
 改まってバレンタインのって渡すのは気恥ずかしいから、素っ気無く差し出したそれを、稜也くんは微笑みながら受け取る。
「おなかいっぱいだけれど、これは別腹だね。一緒に飲もう」
「うん、グラス取ってくるね」
「待ってて。俺が取ってくるよ」
 入れ替わりにキッチンへと行った稜也くんが、グラスと紙袋をもって戻ってくる。
 何だろう。あの紙袋。
 そう思ったら、中からゴロゴロと明らかにバレンタイン用のチョコレートだとわかるそれが出てくる。
「義理チョコ沢山貰ったから、優実にあげる。俺は優実のだけで他はいらないから」
 一担の派遣からってことで、きうちゃんと二人で一担の社員さんに配ったものも中には混ざっている。
 あと、一体誰にもらったんだろう。こんなに。
 ざっと見繕っても十個以上あるだろうと思うチョコを前に、くれそうな人を考えるけれど、本当に全部義理?
「まさか優実からチョコ貰えるなんて思ってなかった。いつ買いに行ってたの?」
「こないだ、沙紀ちゃんと」
「ああ。鹿島さんとお茶してから帰るって言ってたとき?」
「そう」
「全然気付かなかった。食べていい?」強力催眠謎幻水
「う。うん。どうぞ」
 嬉しそうにラッピングを開ける稜也くんとは対照的に、わたしは貰ったチョコのパッケージを開けることすら出来ずにいる。
 だってもしかしたら本当は本命が混ざってたりとかしない?
 稜也くんモテるし……。
 チョコのパッケージを眺めていると、稜也くんの指先が顎に触れる。
 あっと思った時には、口の中に甘いチョコの味が広がっていく。
 ちゅっと音を立てて離れた稜也くんが頬を撫でる。
「何難しい顔してるの」
「うーんと」
 言いたくないなあ。これ誰から貰ったの? とか。
 醜い嫉妬してるって気付かれたくないし。
「どれから食べようかなと思って」
 いい答えだと思ったのに、視線が泳ぐ。
 嘘だって丸わかりなくらいに。
「全部優実に上げたんだから、好きに食べたらいいよ。でもこんなに義理チョコ貰うと、お返しが面倒くさいね。今度買い物付き合ってくれる?」
「うん」
 微妙な気持ちを濁しながら頷くと、稜也くんがわたしのあげたチョコを一つ摘む。
「その代わりこっちはあげないから。これは全部俺の」
 子どもっぽい言い分に思わず笑みが漏れる。
「チョコなんて、食べたかったらいつでも買ってくるのに」
「そうじゃない。わかってないな。優実は」
「何を?」
「特別だって、思っても構わない?」
「……えっと?」
 言っている意味がイマイチ把握できなくて首を傾げると、昼間にきうちゃんと一緒に配ったチョコを目の前に差し出される。
「これとこれは同じ意味?」
「ううん」
「じゃあ今俺が食べてるのは、特別に俺だけにしかあげないんでしょ」
 真っ直ぐに見つめられて恥ずかしくなって視線を逸らすと、稜也くんが笑い声をあげる。
「あー。良かった。全く同じ意味で義理であげたって言われたら、俺、確実に死ねるとこだった」
「まさかっ。何でそんな事言うの? わたし、すっごく悩んだんだよ。何が良いかわからなくって」
 腕を引き寄せられて抱きしめられ、耳元に囁くような稜也くんの声が聞こえる。
「うん。わかってる。それでもさ、好きな娘からチョコ貰ったら舞い上がるんだって。それに多少不安だったし」
 思いかけない不安という単語に、稜也くんの胸元に埋めていた顔をあげる。
「どうして?」
 少し困ったような顔をして、稜也くんがわたしを見下ろす。
「俺が勢いで押し切った感があるから、優実が本当は俺のこと好きじゃないって思ってたらどうしようかなーとかさ」
「そんな事無いのに」
「うん。わかったからもういいんだ。ごめん。変なこと言って」
「ううん。不安なのは稜也くんだけじゃないよ。わたしだって不安だよ」
「そっか」
 そう言うと稜也くんがチュっとキスを唇に落とす。
「もう少し、好きってアピール必要?」
「どんな?」
「まー。それはありきたりな方法だよね」
 言葉を紡ぎながら重なった唇の振動に、どきっと胸が高鳴る。
 ふんわりと重なったそれは、息もつかせぬようなものになり、ぎゅっと稜也くんの背中を掴む。
「こういう事したいっていうのが優実だけだってわかって貰う為に」
 その真っ直ぐな視線に見据えられると、言葉なんて無くなってしまう。ただただ、彼の情熱に翻弄されるばかりで。

「りょーちゃーん」
 一担のミーティングが終わって席に戻ろうと歩いていると、稜也くんにお局から声が掛かる。
 うふふふふと笑い声をあげながら手に持っているのは、昨日差し出していたホールケーキ。
 たまたま稜也くんが立ち止まった場所がコピーブースの傍だったので、沙紀ちゃんが面白そうに目を輝かせている。
「これっ。私の気持ちっ」
 うふんと語尾につけ恥らう姿に、ある意味尊敬する。
 すごい。永遠の二十五歳。
 一緒に足を止めたきうちゃんと互いに顔を見合わせて、それから稜也くんとお局に目を戻す。
「今晩、これを一緒に食べない?」
 ぷぷっと石川さんがふきだし、信田さんが苦笑を浮かべたのが見え、沙紀ちゃんはおなかを抱えて笑い出すのを堪えている。
 再びきうちゃんに目を戻すと、唖然呆然といった表情で成り行きを見守っている。
 そんな中、稜也くんがどういう顔をしているのかは、背中しか見えないからわからない。
 営業課の室内は、しーんと音が途絶え、二人の成り行きに注目している。
「二人で食べるには大きすぎますね。折角なので担当のみんなと分けたほうが美味しく食べられると思いますよ。こんな立派なケーキを僕一人が頂くのは申し訳ないので」
「りょーちゃん。あのね、これは義理チョコじゃないの」
 上手く交わした稜也くんに対し、噛んで含めるかのようにお局が説き始める。
 こ、公然告白?
 今までもお局は恋心を隠していなかったし、暗黙の了解だったけれど、こんな会社の中でする!?
「特別な、気持ちが篭められているの。だから」
「ありがとうございます。そこまで日頃の業務を労って下さるなんて嬉しいです。折角なので丁度オヤツ時ですし、みんなで頂きませんか? 伊藤さん、いいでしょうか」
 お局の言葉を遮って、あくまでも義理チョコであるというスタンスの下で話を進めてしまう。
 どうやらお局の愛の告白はここで聞くことは無くなるらしい。
 押し切られた格好で曖昧に頷いた伊藤さんは、頭をかきながら苦笑する。
 真っ赤な顔のお局は、怒りからなのか恥ずかしさからなのか、その表情から伺うことが難しい。
「いつも美味しいケーキ、ありがとうございます」
 お局からケーキを受け取り、稜也くんは元いたミーティングスペースのほうへと足を進める。
 悔しそうな、けれど目がハートのお局は、再び腰をふりふり振りながら稜也くんの後に続いていく。印度神油
 これで、一件落着なのかな?
 相変わらず稜也くんはお局転がすの上手いなあ。

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