2013年6月18日星期二

新入生を迎えよう

国立機操開発研究工房シルエットナイトラボラトリ、通称“国機研ラボ”――それは、フレメヴィーラ王国において唯一最大の幻晶騎士シルエットナイトの研究機関である。
  その使命は幻晶騎士に関する様々な技術を収集し、新たな機体を創り上げること。建国以来の長きにわたり、彼らはそれを続けてきた。SUPER FAT BURNING
  しかし幻晶騎士の開発スパンはおおまかに百年単位にも上る、気の長いものだ。そのため研究施設としてのみならず、平時は機体の製造施設として稼働している。

  オービニエ山脈の山裾にはフレメヴィーラ王国の王都カンカネンを始めとして、ライヒアラ学園街などいくつかの街が存在している。
  西フレメヴィーラ街道の始まり、この国の始まりの地。山地からなだらかに平地へとつながるこの地域には、国内でも大都市と呼ばれる街がいくつも集まっている。
  そこから南へと馬車で数日の距離。賑わいとは切り離され、鬱蒼とした森の中にひっそりと存在しているのが国機研の拠点となる城塞都市“デュフォール”である。
  カンカネンやライヒアラは城壁を持っている。魔獣のうろつくこの国では当然の備えであり、一定以上の街には大抵存在しているものだ。
  デュフォールもその例に漏れず城壁に囲まれているが、組織の重要性を鑑みてかその規模は他をはるかに上回り、堅牢極まりないものだ。
  街の形も独特だった。住居と思しき小さな建物はそこそこしかなく、街の過半を一つの施設が占拠している。その規模はフレメヴィーラ最大の学園施設、ライヒアラ騎操士学園すら凌ぐほどだ。
  この施設こそが国機研の本体ともいえる、開発工房群なのであった。
  外敵に備えた堅固な城壁、そして砦じみた巨大施設を中核とした街の構成。それらがデュフォールが城塞都市と呼ばれる由縁となっていた。

  開発工房とよばれる巨大工房は、一つ一つが実に広大だ。内部には様々な設備と、試作と思しき機体が山のように存在する。
  少々歴史を積み重ねすぎているが故に、積もりに積もった成果が雑然と並ぶ様はまさに混沌としか表現しようがない。それはそれでどこかのメカヲタクならば狂喜乱舞するかもしれないが。
  そんな混沌の権化たる第一開発工房、その一角では今、大勢の鍛冶師が集まり何かしらの作業を行っている。
  彼らの中心にあるのは4機の幻晶騎士。それはいささか無骨で、周囲の機体とは異なる意匠を有していた。
  それは彼らが組み立てた機体なのだろうか。いや、彼らが熱中しているのはそれとは真逆の作業、その幻晶騎士を“解体”しているのだ。
 「どうなってるんだ、これは……」「強度不足がおこるだと?」
 「これは腕か……こんなものを増やして、動かそうなどと……」
  彼らによってばらされている機体は解体される前から少なからず損傷を負っており、完全な形をした物はなかった。なかには大破と呼んで差し支えない状態のものすらある。
  この機体の名は“テレスターレ”――カザドシュ砦の襲撃事件において賊の手に落ち、やむなく破壊するに至ったものだ。
  本来ならばまずは修復されるべきなのであろうが、“製造元”である銀鳳騎士団ぎんおうきしだんが新型機開発へと突入したため宙に浮いてしまっていた。そのまま放置するよりは、と国機研での研究資料として提供されることになったのだ。
 「ううむ、これはまっとうな状態でばらしたかったものだな」
 「おお、この筋肉は……変わった取り付けかたになっているな」
  鍛冶師たちはまるで玩具を与えられた子供のような表情で、片時も休まずに作業に従事している。
  一つばらすたびに新たな機構が発見され、既存の機体とはかけ離れた構造を持つテレスターレの謎についての議論が巻き起こる。もちろん、その間も手が止まることはない。
  地球という異世界の知識と発想が混ざったテレスターレは、この世界における因果関係を持たない。突然振って湧いたように現れたテレスターレの謎は、彼らの興味を強烈に刺激していた。
  彼らはまるで貪り尽くすかのように巨人を構成する部品の一つ一つを丁寧に外し、それを作る技術を己が物にしようとしている。飢えた獣にも似た貪欲さで、黙々と作業が続けられる。

  だが、そんな鍛冶師たちの有り余るほどの熱意にも関わらず、巨人の解体は一筋縄ではいかなかった。
  やはり“ものが違いすぎた”のだ。これまでに彼らが手がけてきた機体とはまったく異質な発想により作られているが故に理解は遅々として進まず、ただ議論に終始する日もあった。
  機体と同時に持ち込まれた“設計書”がなければ、その作業は果てなく続いていたかもしれない。
  そんな鍛治師の意地と熱意だけが支配する開発工房にまったく違う雰囲気をまとう人影が現れた。
  背が低くどっしりとした体型、表情は多くの皺に埋もれ、自身の身長を越えんばかりに長く伸ばされた髪と髭は丁寧に編みこまれてある。特徴的なその姿は、彼が歳経たドワーフ族であることを示していた。
 「……ガイスカ工房長」
  彼を出迎えた鍛冶師の表情には、微かに苦いものが混じっている。
  ガイスカ・ヨーハンソン工房長――彼はこの第一開発工房を取りまとめる立場にある、いわば鍛冶師たちの上司に当る人物だ。
 「またずいぶんと、時間をかけているではないか……もちろん、すでに作業は終わっているのだろうな?」
  錆び付いた道具が上げる、軋みのような奇妙な響きを持つ声が鍛冶師たちの背を寒からしめる。
  彼らはびくりと動きを止めると、些かバツの悪そうな視線を交わしあい、躊躇いがちに口を開いた。
 「いくつもの興味深い部分が判明しています、工房長。しかしなにぶんこの機体は既存のものには見られない機構が多く、調べ終わるまでにはまだ時間が必要となるかと。
  これはさながら宝の地図ですよ、調べれば調べるほど新しい発見が現れる。しかし一体何を考えればこんなものを作り出せるのか、まったく不明で……一緒に設計書が渡されなければどれほど苦労したことか。例えば……」
  熱中すると無駄な饒舌さを発揮する、部下の悪癖を察知したガイスカは手を振ってその台詞を遮った。
 「それで、どれほどのことがわかったのだ。かつそれは使えそうなものなのか?」
  途端にそれまでの饒舌さが嘘のように鍛冶師が黙り込む。
  その反応から悪い結果を汲み取るのはさほど困難なことではない。ガイスカの、皺に覆われた細い眼がさらに細く絞られていった。
 「……まずは説明しろ」
 「その、先ほどもいった通り元々の発想が違いすぎまして……模倣は不可能ではありませんが、把握するにいま少しの時間がかかるものと……」
  彼がそれ以上の弁明を重ねることはなかった。ガイスカの瞳に宿る怒気を捉えたからだ。
 「……お前は、たかが学生が作ったものに対し、我が国機研が誇る技術者がてこずっているとでもいうつもりか?」
 「そのようなことは決して……! 成果は上がっております。例えばこの結晶筋肉クリスタルティシューの使い方、それまでに増して力を発揮するこの仕組みは比較的容易に応用が可能でありましょう」超級脂肪燃焼弾
  鍛冶師の返答はガイスカをまったく満足させるものではなかったと見え、彼の表情は厳しいままだった。
  報告を続ける鍛治師はすでに十分に冷や汗をかいていたが、この後に告げるべき内容を考えると逃げ出したい気分でいっぱいだった。
 「その、工房長……他にも、問題がありまして……」
  恐る恐る言い出された言葉に、ガイスカの顔から表情が消える。
 「機構はいくらかの時間があれば解決できますが……別の問題がありまして。
  この機体、どうやら魔導演算機マギウスエンジンまで大幅に手が加えられている様子。そちらは構文技師パーサーたちが全力を尽くしてはいますが、未だ全容は把握できておらず……」
 「なに……しかし仮に魔導演算機が書き換えられていたといえ、機能から術式を類推できるのではないか?」
 「確かに設計書を受け取っていますが、そこに書かれているところから……その、この機能をどうやって動かすのかがまったく不明で……」
  再び眦を上げ始めたガイスカの様子に、鍛冶師たちの顔色はすでに完全に蒼白となっている。
 「よいかお前たち。我らは陛下より、完全新型の開発を仰せつかっている……。完全な新型! およそ100年ぶりの大業だ!! 完成の暁には我らの名は歴史に残るものとなる。それを、このような最初の段階でまごついてどうするつもりだ!!」
  弁明しようにも、事実として十分な成果が上がっていないのである。怒れる上司と現実の板ばさみ状態となった鍛治師たちは冷や汗にまみれていたが、どうにも状況は好転しそうになかった。

  進退窮まる彼らを救ったのは、その場に現れた第三者からの言葉だった。
 「こらこらガイスカ君、そんなに怒鳴り散らしては彼らも萎縮して、逆に作業の手が遅くなってしまうだろう」
  それに対する両者の反応は劇的なものだった。ガイスカは弾かれたかのように振り返り、鍛冶師たちは救いを見出し喜色を浮かべている。
 「これはこれはオルヴァー所長……椅子に根をはり体がなまるとお嘆きの貴方がかようなところにやってくるなど、本日はどのような心境の変化ですかな」
  オルヴァー・ブロムダール――国機研の長、所長を務める人物である。彼は随分と若い男だった。ドワーフ族であるガイスカとは対照的な長身痩躯をゆったりとしたローブで包み、糸のように細い目に穏やかな笑みを浮かべている。
  彼の登場はガイスカも予想していなかったのであろう、彼の顔には一瞬だけ相当な驚きが過ぎったが、周囲に悟られる前に打ち消していた。
 「もちろんその“新型”を見るためさ。新型丸々1機が持ち込まれるとは建国以来初となる珍事だからね。どうせなら解説を聞けたほうがいいと思って、少し時間を置いたのさ。
  鍛冶師キミたちも、これは陛下からの命ではあるが、だからといって焦ってもどうにもならないからね。ゆっくりでも確実に仕事をこなしてくれたまえ」
  現金なもので、すぐさま了解を返すと鍛治師たちは横槍が入る前にそそくさと作業へと戻っていった。
  すぐに、その場には苦々しさを残すガイスカとオルヴァーだけが残される。
 「所長、困りますな。各工房、ないし鍛冶師の監督は我々工房長の領分。それを頭越しに指示を出されてはね」
 「おっと、それもそうだね。でもあまり焦るのは良くないと思って、親切心からの忠告だよ」
 「所長のお立場もお察しいたしますが、無用の心配かと……失礼します。他にも気になることはありますからな」
  踵を返したガイスカが足早に去ってゆく。
  オルヴァーはその姿を見ながら軽く肩をすくめた。
 「まったく、ガイスカ君も頑固な男だ……有能ではあるが少し融通が利かなすぎていけないね、何事にも余裕は大事だというのに。特に今のように“我々が試されているとき”には、ね」
  オルヴァーが現場を見に来た本当の理由。新型機に興味があったのも事実だが、真意は別のところにあった。
  彼の耳に届いた新たな開発集団――銀鳳騎士団の噂。100年ぶりの新型機という鳴り物入りで現れた存在に、警戒を抱くなというほうが無理であろう。
 「にわかには信じがたいが、陛下が我々以外の開発工房を開いたのは確か。それも、持ち込まれた新型の開発者たちを集めて、だ。対して、我々は明らかに後手にある」
  解体作業のざわめきの中で、彼の呟きを聞くものはいない。
  そもそも、彼も誰かに聞かせているつもりはないのだろう。
 「我々は当て馬かな? それとも……荒療治のおつもりかな? 陛下も存外お人の悪い。
  むしろ両方が目的かもしれないね。敢えて別の組織を作り、並べることで“競争”を促す……さて、考えすぎかな」
  彼の独白は、喧騒の中にただ溶けて消えていった。

 「“若造”めが……うまく陛下に取り入ったからとでかい面を……今に見ておれ」
  足音も荒く進みながらガイスカは吐き捨てていた。鍛治師の報告を受けたときとはまた別の不快感が彼の神経を逆なでしている。
  くぼんだ眼窩の奥で瞳に炎を滾らせながら、彼はテレスターレの残骸をにらみ殺さんとばかりに見つめている。
 「次期制式量産機……そう、それさえ完成させれば私の名は歴史に残る。これ以上あの若造にでかい顔をさせることもない……!!」
  昏い炎と共に決意を新たにした彼は口元に不吉な笑みを浮かべている。
  そして悲願成就へ向け、不甲斐ない部下をたきつけるべく再び声を張り上げるのだった。

  フレメヴィーラ王国を覆っていた冬は過ぎ、春の訪れと共にライヒアラ騎操士学園は旅立ちと出会いの季節を迎えていた。
  今年も課程を修めた学生たちが卒業してゆき、入れ替わりに新入生が入ってくる。
  新たな学年へと進級するものがいて、新たな段階へ進学するものもいる。
  学生たちは新たに入れ替わった、または代わり映えのしない顔ぶれとともに新たな1年の歩みを始めていた。
  学園のそこかしこを浮かれた空気が漂う中、高等部である騎操士学部も新たな学生を迎えていた。
  騎操士ナイトランナーや鍛冶師を目指し、幻晶騎士に関わらんとする学生は騎操士学部を目指してくる。
  希望と熱意に燃える彼らは知らなかった。今年度から、騎操士学部は常識の息絶えた魔界へと変貌を遂げているということを。

  一歩ごとに微かな振動を地に与えながら、幻晶騎士・カルダトアが歩みを進める。
  教官に案内され移動している途中だった新米騎操士と新米鍛冶師たちは、それを目にしてざわめきを抑えられないで居た。
  カルダトアは長きにわたって制式量産機としてフレメヴィーラの地を護ってきた機体である。国内における知名度では他の機体をはるかに凌いでおり、ある意味代名詞とでもいうべきものだ。
  彼らは「制式量産機を多数保有しているとは、さすがはライヒアラだ」と感心し、さらに自分たちがそれに触れることができるという喜びに体を震わせていた。
  彼らが向かうのは先ほどのカルダトアが出てきた場所、工房だ。
  内部は相変わらず鍛冶の熱気に包まれており、さらには整備台には数多くのカルダトアが座って並んでいるのが見える。
  さらに奥にある鍛冶場では鍛冶師が今まさに鉄を打ち、部品を作っている最中だった。
  自分たちがこれから学ぶ場所、しかし彼らはその様子を見て首をかしげ、疑問符を浮かべていた。終極痩身
  部品を作る鍛冶師。それ自体はなんら珍しいものではないし、鍛冶師学科の生徒ならば一度ならず身に覚えのある光景だ。
  奇妙なのは鍛冶師が身に纏っているものだった。それはどうみても鎧なのである。
  当たり前のことではあるが鎧とは防具であって鍛冶に必要なものではない、どころか邪魔ですらあるだろう。
  そう、鍛冶師が使っているのは尋常の鎧ではなかった。それはエルネスティが考案した超小型幻晶騎士とでもいうべき代物、幻晶甲冑シルエットギアだ。
  最初期に作られた幻晶甲冑である“モートルビート”型は動作にあまりにも高い魔法演算能力を必要とし、普通の人間には扱えない失敗作だった。しかしその有用性に目をつけた学園上層部と戦闘能力を目の当たりにしたディクスゴード公爵の働きかけにより、量産の検討依頼と共に魔導演算機に関する技術が提供されることになる。
  そうして新たに開発された小型の魔導演算機を搭載した普及型の幻晶甲冑、それがこの“モートリフト”型である。鍛冶師が使っているのはその先行試作機に当る。
  モートルビートは大型の全身鎧という趣の形状をしているが、モートリフトはそうではない。
  製造工程を簡素にするために手脚の構造は大胆に簡略化されている。顕著なのが胴体部分で、そこにはまったく装甲が存在しない。操縦者は腰に当る部分に軽く座るような格好で、背骨に当るメインフレームに革帯を使って体を固定して乗り込む。その周囲には事故対策として”鉄柵”と呼ばれるフレーム状の簡易防護があるのみだ。
  限りなく作業用と割り切られた身を守る鎧としての能力はないに等しい構造だが、内部に熱がこもらないため特に鍛冶仕事では好評だったりする。
  豪快な音を立てて槌を振るモートリフトを見て、新入生のうち何人かは去年の記憶を思い出していた。
  モートルビートの製造時にエルやキッド、アディは学園内や街中を走り回っていたこともあり、それを覚えていた者もいたのだ。
  それでもまさか、作業用として量産配備が始まろうとは思ってもみなかったようだが。

 「おう、新入りどもがきたか」
  工房の奥から響く槌の音にも負けない大きさの声が轟き、新入生たちは驚愕にびくりと震えてから振り向いた。
  彼らの前に現れたのは一人の上級生だ。いや、正確には“元”上級生というべきか。
  そこに居るのは、今や“銀鳳騎士団直属鍛冶師隊隊長”なる仰々しい肩書きを背負う、親方ことダーヴィド・ヘプケンその人である。
  ドワーフ族の特徴でもある、背は低いが筋肉質で頑強な体躯。長い間鍛冶仕事のために振るわれ続けた彼の腕は、それ自体が鉄でできているのではないかと思うほど剛健な雰囲気を放っている。
  彼はたった一人でありながら、その存在感だけで新入生全員を圧していた。
 「おう、待ってたぜ。いや、最近はちょいとばかしやることが山積み過ぎて圧死しそうだったからな、おめぇらには期待してるぜ。これからはキリキリ働いてもらうから、そのつもりでな」
 「親方、それじゃあ不親切を通り越して脅しているようにしか聞こえないぞ」
  溜息と共に彼を諌めながら現れたのはエドガー・C・ブランシュ。彼は現在は2個中隊を抱える銀鳳騎士団において、“1番中隊隊長”という立場についていた。
  金髪を短めに刈り込み、立派な体躯を使い古された革鎧で覆っている様は、まさに歴戦の兵といった趣である。実際には彼もまだ若いのだが、さらに若い新入生からすれば十分な貫禄が感じられるというものだ。
 「ようこそ新入生の皆、騎操士学部、そして銀鳳騎士団へ。歓迎するよ。
  色々とまだわからないこともあると思うから簡単に説明する。あの鍛冶師が使っているのは幻晶甲冑という……小型の幻晶騎士といったものだ。我々が開発した。
  現在はまだ試作段階にあり、大々的な普及にはうつっていない。ひとまず自分たちでこうして試しているわけだが、鍛冶師の評判はなかなかのようだな」
  新入生からは抑えたどよめきが上がった。だんだんと、彼らの聞き及んでいた騎操士学部とは様変わりしていることに気付き始めたのだ。
 「いずれ諸君らにも幻晶騎士を動かしたり作ったりしてもらうが、その前にまずは幻晶甲冑に慣れてもらいたい。特にここにいる騎操士と鍛冶師には今後必須となると思ってもらって良い」
 「それで慣れたところで、おめぇらにはまずカルダトアの改修をやってもらうつもりでいるからよ、覚悟しとけ」
  あまりといえばあんまりな台詞に新入生は全員そろって呆けたような表情を晒していた。
  ここにいるのは新入生なのだ。まず1年は先輩の手伝いという形で経験を積み、2年目から本格的に触り始めるのが通例だ。それが、いくらか訓練をした後はすぐさまカルダトアの改修に入るという。彼らにしてみればまさに急転直下の展開だ。
  そして、混乱に陥っていた彼らの元へとさらなる災禍が現れる。
 「あ、新入生の……先輩? がたがいらっしゃったのですね」
  鉄と炎に満ちた空間には場違いな、小鳥の囀さえずりのような声が彼らの思考に割り込んできた。ゆっくりと視線をめぐらせた彼らが見たのは、ふわふわと銀色の髪をはためかせながら現れた小柄な少年の姿だった。
  銀鳳騎士団団長エルネスティ・エチェバルリアである。
  エルの姿を見た新入生たちは唖然とした表情から、さらに奇妙なゆがみを見せた。見知らぬ子供だから、ではない。むしろ彼らのほとんどがエルネスティを知っているがゆえに驚きと何故ここにいる、という疑問を感じているのだ。
  それは昨年に起こった陸皇亀ベヘモス事件でのことだ。
  森の中で孤立し、窮地に陥っていた中等部の騎士――現、騎操士学科1回生の大半――を援護するために飛び回ったのは他でもないエル、キッド、アディの3人である。
  それでなくとも騎士学科の間ではエルは色々な意味で有名人だったりする。直接の面識はなくともすぐさま彼だと知れたのだ。
  エルは戸惑いに硬直した場の空気を感じ、微妙な苦笑を浮かべるエドガーを見やるとなにやら納得を見せる。
 「……もしかして段取りを間違えてしまいました?」
 「もう少し説明してからと思っていたがまぁいいさ、遅かれ早かれだろう。授業に出ていると思って、伝えていなかった俺たちにも問題はある」
  エドガーは新入生に多大な同情を覚えながらも、咳払いをしてから言い聞かせるようにゆっくりと話しだした。
 「もうひとつ、非常に重要な連絡になるんだが……現在、騎操士学部の各施設は陛下直属の特設騎士団・銀鳳騎士団により徴発された状態にある。ついでに我々はみな、その団員ということになっている。御秀堂 養顔痩身カプセル
  そして君達は騎操士学部の新入生であるが、同時に銀鳳騎士団付きの見習い騎士という身分になることを覚えておいてくれ。ああ、心配しなくとも教育内容をおろそかにすることはしないよ」
  国王直属の騎士団というインパクト満開な肩書きに、彼らは驚愕を通り越して冷や汗をかき始めていた。進学前に想像していた普通の学生生活などここには微塵も存在せず、事態は彼らの想像の埒外へと爆走を始めている。
 「それで、肝心なのはここからで……銀鳳騎士団とは幻晶騎士の製造、運用に特化した集団と思ってくれ。そしてその中心人物であり騎士団長でもあるのが……この、エルネスティ・エチェバルリアだ」
  ぺこりと頭を下げるエルを前に、理解の追いつかない新入生たちが硬直している。
  その様子にはさすがの親方も同情してしまうほどだった。
 「あー、その、なんだ。色々と思うところはあると思うが、本格的には明日から始めようと思う。今日のところはここまでにしよう」
  エドガーの締めくくりの言葉を受けつつ、新入生たちは自分の人生が大暴走を始めたことを、はっきりと悟っていた。

  初日にして衝撃に打ちのめされた様子の騎操士学部の新入生たちが疲れた様子を隠せぬままぞろぞろと退出してゆく。
  その中に一人、違う動きをしている者がいた。その人物は目立たぬように集団から離れていたが、全員が移動した隙を見計らって一人工房へと戻ってゆく。
 「エチェバルリア騎士団長」
  エルは、足元に伸びてきたすらりとした長身の影を見て振り向いた。
  その人物は、騎操士学科の準騎操士が使用する革製の簡易防具を身につけている。まだ真新しいそれから察するに、新入生の一人なのだろう。
  だがエルには、その人物に見覚えがあった。笑顔で頷くと先に歩き始めた親方とエドガーへ声をかける。
 「すいません、二人とも先に戻っていてもらえますか? 僕は少し話がありますので」
  親方とエドガーは顔を見合わせ、そのまま工房の奥へと戻ってゆく。
  エルとその新入生は、誰も使用していない会議室へと向かっていった。
 「意外ですね、“藍鷹騎士団”に所属する貴女が、騎操士学部の新入生になっているとは」
 「もともと私は“連絡要員”として派遣されることになっていましたので。他にもいくらかの目的があり、こういった形になりました」
  エルは身長差のある相手を見上げながら、何かに納得するような表情を見せる。
  彼女の名は“ノーラ・フリュクバリ”、藍鷹騎士団に既に所属している騎士の一人だ。
  “藍鷹騎士団”――その名前は一般には知られていない。そもそもどこの砦を調べたとしても、そのような名前の騎士団は存在しない。
  実体なき騎士団、つまり彼女らは先日の銅牙騎士団と同じく、いわゆる“間者”の集団なのだ。その藍鷹騎士団が名前を出して動く理由は、彼女たちの任務に大いに関係があった。
 「こうして報告に来たということは、何かしらの成果が上がったということですね?」
  中途半端な長さの髪の毛をさっと払った彼女は無表情のまま頷いて肯定すると、そのまま抑揚の少ない口調で話し始めた。
 「まずは先日の“調査”の結果について報告を。“銀鳳騎士団にいる者、及び学園に所属する者全員の素性の洗いなおし”については完了しました。
  結果として経歴に不審な点のある者が数名、見つかっています」
  銀鳳騎士団の結成と前後して国王アンブロシウスから彼女たちに下された命令、それがライヒアラ騎操士学園の徹底調査である。
  藍鷹騎士団の存在を知る者は多くはない。全貌を知るものに至っては、アンブロシウス以外にはいないだろう。エルとしても“連絡員”として紹介された、目の前の人物以外についてはまったく知らない。
 「……以上により先日のカザドシュでの事件は、事前に内部から情報が伝わったという可能性が高いと推測されます」
 「他に経路は考えにくかったですが、やはりですか。しかしそうすると、学園ここには前々から他国の人間が混ざりこんでいるということになりますね」
  やはりノーラはにこりともせず、淡々と肯定だけを返した。
 「恐らくは定期的に異分子を混ぜ込んでいたのだと推測されます。いくらか確認したところ、毎年の卒業者の中に不自然に足取りのつかめない者がいることもわかっています」
  毎年大勢の人間を受け入れている学園では身元調査などは最低限度のものになるし、就学態度がまっとうである限り放り出されることも無い。そして自動的に最新の知識が伝授されるのである。さぞ調査は捗ったろうと、エルは内心で苦笑していた。
  彼女はそれ自体には特に感想を述べるでもなく報告を続ける。
 「問題の人物は既に“処置”を終え、連絡経路も特定済みです。どうやら先日の一件で敵の力は相当に落ちた様子。私たちはこれを機に、国内より敵対勢力を排除すべく行動を起こしています。
  同時に今後送り込まれる間者を防ぐべく手の者を学園、及び都市内に配置し“結界”を敷きました。今後、同様の事態を起こす心配はありません」
  さすがのエルにも諜報戦は専門外であり、さしたる対抗策も持ってはいない。
  防諜に関しては彼女たちにすべてを任せることになるだろう。
 「それに関しては、専門である貴女がたに一任します。今後は定期的に状況だけは教えてください」
 「承知いたしました。私は連絡の担当として、このまま騎操士学科の教科に参加しています。何かありましたら私を通じてお伝えいたします」
  報告を終えたノーラは丁寧な一礼を残して立ち去っていった。
  その背中を見ながら、エルは物憂げに目を細め、ただ口元には不穏な笑みを浮かべていた。
 「(……新型機強奪にスパイかぁ、面白うなってきたとか思うのは、あかんかねぇ)」
  彼の真意を知るものがいないことは、むしろ救いといえたかもしれない。

  ノーラが立ち去ったあとも一人でにまにまとしていたエルだが、不意に誰かがやってくることに気づいた。
  しかも彼の背後に回りこむような動きに警戒を覚えるが、直後にそれが馴染みのものであると気付いた。
  後ろから現れた人物も気配を隠すようなことはせず、堂々とエルに近づき、そのまま抱きついてくる。
 「エールー君」
  エルの予想通り、現れたのはアディだった。
 「今の女の人、誰?」
 「騎操士学科の新入生ですよ」
 「何を話してたの? なーんだか楽しそうだったね」
 「そうでしょうか?」
  楽しそうだったとすればスパイの存在についてであろうが、それはさすがにアディ相手であっても説明できないことに属する。
  何も言わず笑みを浮かべて首を傾げるエルをアディは少し釈然としない風に見ていたが、ふと笑顔へ戻った。
 「綺麗な人。それに背、高かったね」
 「……ええ、ソウデスネ」
  少しばかりエルの返答は堅かった。アディの腕の中にすっぽり入るサイズのエル、何がとはいわないがその差は年々開く一方である。人は努力だけでは報われないときもあるのだ。
 「エル君、私もけっこう背が高いよ?」
 「はい? もちろんわかっていますし、現在進行形で実感していますよ」
  自身の頭上に存在するアディの顔を見上げながら、微妙に恨めしげな表情を浮かべるエル。
  その後、何かに納得したのか「ならよろしい」と言い残して去って行くアディに、エルは本格的に首をひねることとなった。
 「え? あれ? 結局なにも用事はなかったんですか?」
  答えを持つものは既にその場には、いなかった。御秀堂養顔痩身カプセル第3代 

2013年6月15日星期六

乱数調整するゲーム

王都リヒテルの外れ。
  王立図書館のほど近くに、欧風の街の中にあるとは思えない、和風のたたずまいを見せる一角がある。

 赤い柱を組み合わせた独特の門と、左右に侍る獅子を模した石像。
  朽ちかけた石段に、地面に敷き詰められた玉砂利。威哥十鞭王
  そしてその奥で微笑むのは、白と赤の混淆する神秘的な民族衣装をまとう黒髪の少女。
  ……ぶっちゃけ、まんま神社である。

 この国の宗教観的に神社はどうだろう、とは思うが、そんな場所に毎日通い続ける一人の青年がいた。
  彼の目当てはその神社がやっている不思議な力を持つおみくじだ。
  いや、おみくじを渡してくれる巫女さんに惹かれていたというのも少々否定出来ないところではあったが、一応名目上の彼の目的は、そのおみくじということになっていた。

 彼がその日も石段を登っていくと、いつもの見慣れた神社がその姿を現わした。
  ほんの少しだけ高さが違うだけなのに、この空間は常に清澄な空気に覆われているように彼には思えた。
  いや、この神社の一帯には微弱ながらHPとMPの回復効果があるので、その感覚もあながち的外れとは言えないのかもしれない。

「あ、おはようございます!」

 そんなことをぼんやりと考えていると、境内を掃き掃除していた黒髪の少女が彼に気付き、声をかけてくる。
  正直なところ、どんなに時間が経っても境内にゴミやほこりが積もることはないので掃除に意味はないのだが、そういう問題ではない。
  自分に向けられた、清浄さすら感じられる明るい笑顔に、彼の頬も自然と緩んだ。

 彼にはかつて、結婚を誓い合った女性がいた。
  彼女とはある事件のせいで別れることになってしまったが、この朗らかな巫女の少女は、どことなく別れた女性の面影を感じさせるのだ。

「今日も、おみくじですか?」

 続けて尋ねてくる少女に、彼は少し緊張した顔でうなずいて、エレメントの詰まったクリスタルを取り出した。

「はい。いいのをお願いします」
 「ふふ、どうでしょう。それは、神様がお決めになることですから」

 彼の言葉にいたずらっぽく笑う、巫女の少女。
  それがあらかじめインプットされた会話パターンの一つであると知りつつも、彼は自分の心臓が高鳴るのを抑えられなかった。

「それでは、お引きください」

 彼のそんな心の内を知ってか知らずか、巫女の少女は屈託ない顔で、おみくじ用の番号札の詰まった四角い筒を彼に差し出した。
  彼は迷いなくそれを受け取る。

 彼がこの神社に日参するのは、半分くらいは巫女さんの笑顔が目当てだとしても、もう半分は純粋におみくじの効果に期待しているからだ。
  おみくじの効果、と言っても大したことはない。
  一番効果が高い大吉を引いた場合でも、それから24時間、モンスターの落とすエレメントの獲得量に20パーセントのボーナスがつく程度。
  吉なら10パーセントだし、凶や大凶が出てしまった場合は逆に、エレメント獲得量に凶なら10パーセント、大凶なら20パーセントのマイナス補正を受ける。

 なら損をするか得をするかは本当に運試しなのか、というと、実はそうでもない。
  このおみくじは100Eで何度でも引くことが出来て、新しい効果が出ると前の効果は上書きされる。
  つまり運悪く凶を引いてしまったとしても、それから何度か引き直して吉が出れば、吉の効果だけが適用されるのだ。

 100Eなんて今の彼にとっては大きな負担ではなく、くじの確率も良心的。
  吉、大吉、凶や大凶のほかに、お馴染みの中吉や小吉や末吉、大凶末大吉や大凶末大大凶といった変わり種や、あとは為吉に桃源凶に中古とかいった駄洒落っぽいものまで出てくるが、基本的に20回、2000Eも使えばほとんど確実に大吉を引き当てられるようになっている。
  つまりここのおみくじは、ここにやってきてくじを引く手間と時間さえ惜しまなければ、絶対に損をしない、ちょっとお得なイベントなのだ。

 むしろ、おみくじの不思議な効果は神社の魔力、つまりお金でもあるエレメントを消費して作り出しているという話を聞いて、こんな良心的な値段で経営は大丈夫なのかと心配になったほどだ。
  ちなみにそれを直接問いかけてみると、

「確かにおみくじは、売れば売るほど赤字になっちゃうんです……。
  あ、でも、大丈夫です! 実はここだけの話なんですけど、おみくじでお客さんを引っ張ってきて、ほかでちゃんと儲けてますから!
  だから全然……あ、こ、これ、ほかの人には絶対に内緒ですからね!」

 そして、その時の焦った様子の巫女さんの姿に魅了され、彼はこの神社の常連になったのだ。


「――じゃあ、引きますね」

 日参しているだけあって彼も手慣れたもの。
  一通り筒を振ってシャカシャカという快音を響かせた後、えいとばかりに強く手を振って、容器から番号の書かれた木の棒を飛び出させる。

「あれ……?」

 いつものおみくじに、いつもの動作。
  だが、そこで出てきたいつもとは違う番号に、彼は眉をひそめた。田七人参

「……六百六十六?」

 確か、おみくじの数字は二桁までしかなかったはずだ。
  彼は少しだけ首をかしげるが、その前に巫女の少女が動いた。

「666番は、こちらになります」

 そう言って、いつものように優しく手渡しされたおみくじ。
  嫌な予感を覚えながらも、彼はその紙をゆっくりと開いて、中を見た。

六六六 運勢:最凶

待ち人:来ない上に着拒される。
 失せ物:探してる途中に他の物もなくす。
 賭け事:勝てたら奇蹟。
 願望:びっくりするほど叶わない。
 旅行:つつがなく空の上に旅立てる。
 健康:ちょっとした段差ですぐ死ぬ。
 病気:ちょっとしたバブルローションですぐ死ぬ。
 学問:励めば励むほど忘れる。
 恋愛:身の程を知れ。
 縁談:素晴らしい祝福を受けられるので是非するべき。

「…………」

 その内容のあまりのひどさに、彼は絶句した。
  今まで数十日もここに通っていたが、彼はこんなにひどい結果に遭ったことがなかった。
  エレメント獲得量はどうなったかと、彼があわてて自分のステータス画面を確認すると、状態変化の項目に『最凶運(エレメント獲得量-80%・クジ運最悪)』が加わっている。

「ほんとに、最悪だ……」

 彼は思わずつぶやいた。
  だが、このおみくじのいいところは、引き直しが出来るところ。
  彼は迷わず100Eを巫女さんに渡すと、おみくじを引き直した。

 ……しかし。

「え? ……六百、六十、六?」

 引き直したはずの棒に書かれていた数字も、また先ほどと同じだった。

「も、もう一回!」

 悪夢のような偶然。
  だがまだ引き直せば大丈夫。
  今度こそ普通のが出るはずだと、彼はまた番号札の入った筒に手を伸ばす。
  しかし、何度やっても、

「ま、た、六百六十六……」

 最凶のおみくじしか出ない。
  十数回引いたところで、ハッとした。

「まさか、さっきの説明にあった『クジ運最悪』っていうのは……」

 最初に見た時は、最凶なんてクジを引いてしまったことを揶揄している、意味のない項目かと思った。
  だがあれが、これからのおみくじの引きを悪くするものだとしたら……。

「あ、あの……」

 彼が絶望感に苛まれた時、救いの手は差し伸べられた。
  気遣わしげな表情をした巫女の少女が、彼の手をそっと握って、彼を元気づけるように言ったのだ。

「また明日! また明日、引き直しに来ませんか?」
 「……ああ、そうか」

 動揺して、大切なことを忘れていた。
  おみくじの効果は24時間で切れる。
  今、むきになってくじを引き直さなくても、一日我慢すれば最凶状態は終わり、エレメント獲得量もおみくじの引きももどるのだ。

 彼は一瞬、そんな面倒なことをせずにリセットしようかな、とも思ったが、リセットしただけでおみくじの結果が変わらないのは検証済みだ。
  いつかどうせ最凶を引かなければならないなら、早く済ませた方がいい。

「ありがとう。じゃあ、また明日のこの時間に来るよ」
 「はいっ! お待ちしてます!」

 危うく無駄な金と時間を使うところだった。
  彼は天真爛漫に笑う巫女の少女にあらためて深い感謝の念を抱きながら、神社をあとにしたのだった。


 そして翌日。
  神社に向かう石段を意気揚々と登る、彼の姿があった。

 前日、最凶を引いた日の冒険は、意外にも順調に進んだ。
  やはりモンスターから得られるお金がいつもよりも格段に少なかったが、それも一日だけの我慢だと思えば耐えられる。
  二つのクエストをクリアした彼は、きちんとセーブを済ませて宿屋に泊まり、昨日おみくじを引いた時刻になったのを見計らって神社を訪れた。

「あ、おはようございます! 今日も、おみくじですか?」

 元気のいい彼女の声を聞いて、

「はい。いいのをお願いします」

 彼もいつもの言葉を返す。
  そして、

「ふふ、どうでしょう。それは、本人の運もかかわることですから」

 彼女の言葉にちょっとした違和感を覚えながらも、とりあえずとおみくじを引いて、印度神油

「……え?」

 そこに書かれた「六百六十六」の文字に、固まった。

(どういう、ことだ……?)

 彼はあわてて時間を確認した。
  間違いない。
  前回おみくじを引いてからもう24時間経っている。

「も、もう一度!」

 半ば無駄だと悟ってはいても、彼の手は筒へと伸びる。
  しかし結果は、無惨。

 それはさながら、昨日の悪夢の再現だった。
  何度引いても、何度繰り返しても、その筒は六百六十六の棒しか吐き出さない。

(おかしい。二回目以降は最凶運の効果だとして、今朝の一回目で最凶が出たのはどうしてだ?
  今朝の時点では、24時間経って、もう最凶運の効果消えて……いや、まさか!?)

 彼が自分のステータスを調べると、そこにはまだ、『最凶運』の三文字があった。
  しかも、よくよく見れば、時間で切れる効果には必ず書いてあるはずの、効果が切れるまでの残り時間が書かれていない。
  その表示がないということは……。

 ――もしかしてこれ、永続効果なのか?!

 完全な油断だった。
  ほかのおみくじの効果が24時間だから、最凶みくじの効果も24時間で切れるだろうという先入観があったのだ。
  また、意図したものではないだろうが、巫女の少女が言った、「また明日引きに来て」という言葉も、その先入観を補強してしまった。

(どうする? どうすればいい?)

 昨日の、まだセーブをしていない段階なら、対処も出来た。
  さっさとリセットして、二度とおみくじを引かなければそれで解決だった。
  だが、彼はもう前日の夜にセーブをしてしまった。
  もう最凶のおみくじを引いた事実を、なかったことには出来ない。

 一体どうすればいいのか、何も思いつかない。
  これからずっと、エレメント獲得量マイナス8割という最悪な効果を受けたまま冒険を続けなければいけないのか。
  だとしたら……。

「――あの」

 だが、絶望する彼に、救いの手はふたたび差し伸べられた。
  彼が顔をあげると、あの巫女の少女が、彼に向かって優しく手を差し出していた。

「不運も、厄の一つです。よろしければ、お祓いをして差し上げましょうか?」

 そう言って首をかしげる彼女の顔が、彼にはその瞬間、本当に神様のように見えた。

(やはり、神は俺を見捨てていなかった!)

 地獄に仏を見たかのように、彼は差し出された彼女のやわらかい手を、すがりつくほどの勢いで握った。
  深く深く、頭を下げる。

「お願い、します!」

 すると彼女は、「もしこの世界に天使がいるならば、きっとこんな顔で笑うのだろう」というような、曇り一つない笑顔でこう言ったのだ。

「ありがとうございますっ! お祓い一回、100万Eになります!!」

 ――その瞬間、彼の天使は、悪魔へと変貌を遂げたのだった。


「……と、いうことがあってだなぁ」

 神社に向かう間に俺がそんな話をすると、横を歩いていたミツキが猫耳を不愉快そうにたわめ、真希も難しい顔をした。
  ちなみに今の同行者はこの二人、ミツキと真希だ。

 レイラとセーリエさんはスフィンクスの見張りに残り、サザーンは行方不明。
  リンゴとイーナはついてこようとしたのだが、図書館を出る時になって、「にゅ、にゅうかんりょう……」と謎のメッセージを残してイーナが脱落。
  リンゴはここに来る途中、道で倒れていたおばあちゃんを介抱するという、少年漫画の主人公的な理由で脱落してしまった。

 そうして残った貴重な同行者の内の一人、ミツキが、憤懣やる方ないとばかりに猫耳を怒らせて口を開いた。

「それは完全に、悪徳商法ではないですか。
  それで、貴方……いえ、その彼はどうしたのですか?」
 「そりゃあ当時の俺……の知り合いのそいつも、すぐに100万Eなんて用意出来なかった……らしい。強力催眠謎幻水
  何週間もかけてクエストの報酬とアイテムの売却でなんとか金を作って、100万Eでお祓いをしてもらった……そうだぞ」

 今となったら分かる。
  最初に少し儲けさせておいて、相手が信用したところでがっぽりと金を騙し取る。
  詐欺の常套手段だ。

 あれは最初から、格安で効果の高いおみくじという餌で釣って、最凶運からのお祓いというコンボで金をむしり取る、最低の策略だったのだ。
  『猫耳猫』に得をするだけのイベントなんて転がっているはずなかったのに、とんだ失態を演じたものだ。

 俺が自らの若さゆえの過ちを悔いていると、ミツキの後ろから真希が顔を出した。

「ねぇ、それよりさー。わたしはそーまが結婚の約束をした女っていうのが気になるんだけど!」
 「なっ……!?」

 いきなりの言葉に、俺は思わず返答に詰まった。

「だ、だから、俺じゃなくて俺の知り合いの話だって言ってるだろ」
 「ウソだー。だってそーま、向こうの世界に知り合いいないじゃん」
 「俺はどんだけぼっちキャラなんだよ。知り合いくらいはちゃんといるって」

 友達って言ったらバレると思ってわざわざ知り合いと言ったのに、なんて奴だ。
  俺が憤慨していると、ミツキがとりなすように言葉をはさんだ。

「それはそれとして、その話がリドルクエストとどう絡んでくるのですか?」

 無理矢理な話題転換だが、訊いていることはもっともだ。
  俺はさらに迫ってこようとする真希を片手で適当にあやしながら、ミツキに答える。

「ああ。あのお祓い100万E宣言は俺……じゃなかった、彼以外にもたくさんの犠牲者を出した痛ましい事件だった。
  だけど、転んでもただでは起きないのが『猫耳猫』プレイヤー。
  俺た……彼らは、その利用法を思いついたんだ」

 あの最凶みくじは最凶の名に恥じない破壊力を持っている。
  だが、そうは言ってもおみくじで最凶が引かれるのはごくごく低確率。
  具体的には、おみくじ乱数が最小の時にのみ、筒から666番の棒が、すなわち最凶みくじが現われることになる。

「だけど、一度最凶運状態になれば、どうやっても必ず最凶しか出てこなくなる。
  ……これは、どうしてだと思う?」
 「それは、おみくじの内容はおみくじ乱数で決まるので……あ、まさか」

 あくまで無表情に、だが猫耳を器用に震わせて戦慄を表現するミツキに、俺ははっきりとうなずいた。

「たぶん、今ミツキが想像した通りだ。
  奴らは最凶みくじが引かれた瞬間、おみくじ乱数を調整して、全ての乱数が最小値になるように仕掛けをしてたんだよ!」

 これが『猫耳猫』が「乱数調整できる・・・ゲーム」ではなく、「乱数調整する・・ゲーム」と呼ばれる所以だ。

 乱数調整が可能なゲームは数あれど、こんな最悪の乱数調整が存在するゲームは『猫耳猫』くらいだろう。
  別に解析した訳ではないので、実際に乱数が変更されたのか、それとも参照先を変えたか何かしただけなのかは、本当のところは分からない。
  ただ、ゲームをやっている者にとってはどちらだろうと大差はない。
  この状態でおみくじ乱数が使われているイベントをこなした場合、大敗が約束されているという事実は変わらない。

 この調整が入ったおかげで、最凶みくじを引き当てたプレイヤーはカジノなどのギャンブル系のゲームで金を稼ぐことも困難になり、100万Eの返済がさらに難しくなるのだが、だからこそ出来ることもある。
  リドルクエスト、『智を知るモノ』。
  このクエストだけは、乱数が最小値でも困らない。
  いや、それどころか、乱数が固定されることで、難易度が一気に下がるのだ。

「おみくじ乱数が最小値の時、『智を知るモノ』では必ず次の問題番号のリドルが出題される。
  つまり、出てくる問題が固定されるってことなんだ!」

 最凶運状態では、リドルの番号は一ずつしか進まない。
  1番の問題をクリアしたら次は2番の問題が、それをクリアしたら3番の問題が、確実に出てくる。
  それを踏まえた新しい攻略法が、これだ。

サザーンでも出来る『智を知るモノ』簡単攻略法2

1.クエストを始める前におみくじで最凶を引く
 2.問題番号1~50までのリドルが順番に出てくるので、wikiを見ながら解く
 3.クリア!

 果たして手順3を書く必要があったかどうかは置いておいて、とにかく簡単だ。
  マジでサザーンにも出来るレベル。

 ただ、俺が確実に正解出来るのは、問題番号1~50の問題だけ。
  本来この攻略法を使うためには、『智を知るモノ』を始める前・に、最凶みくじを引いておかなくてはならないのだ。
  だからこそ、今まであんなに苦戦していたのだが、

「最後に出てきたあの問題。あれを俺は覚えてる。
  あれは問題番号6番、『智を知るモノ』攻略法2で一番初めにぶつかる、誤答問題なんだ」

 それも、問題番号1~50までのどれかを見つければ話は別だ。
  そこから50問目までは、確実に正解することが出来る。

 それを聞いた真希が指を折って数えながら、問いかける。

「え、えっと、残りの問題数が20問で、見つけたのが6問目だから……あと43問は分かるんだよね?
  じゃ、じゃあ、今そーまが最凶みくじを引けば……」
 「ああ! 絶対に、最後まで正解し続けられる!!」

 俺は真希に力強く言葉を返しながら境内に飛び込み、そして、

「すみません、おみくじを、たくさん! とにかく、最凶が出るまで!!」

 かつてお世話・・・になった巫女にそう叫んだのだった。VIVID

2013年6月13日星期四

伝承の魔法

「船が沈んで無人島生活が始まるとかでは無かったのが幸いか」
「とんでもない事を言っているぞ」
「冗談じゃありませんよ」
「とにかく、今日は早めに宿へ行こうぜ。メンバーチェンジの日程を聞かなきゃ始まらないんだろ?」Motivator
 そういや、女王が紹介した宿へ行くのと、島の管理をしている貴族への挨拶をしなくちゃ行けなかったんだっけ。
 辺境とはいえ、人が頻繁に訪れる土地だから程々に地位のある人物だろうな。
「ようこそいらっしゃいました四聖の勇者とその一行の皆様」
 港で他の勇者たちが回復するのを待っていると、観光案内員みたいな旗を持った怪しい奴が俺達の方へ近づいてきて言う。
 見た目はメルロマルクの軍服を着ていて、渋い初老のおっさんなのだけど……旗が似合わない。
「私、このカルミラ諸島の地を任されておりますハーベンブルグ伯爵と申します」
「は、はぁ……」
 勇者の中で全快なのは俺だけなので、率先して相手をする。
「以後お見知りおきを」
「ああ……よろしく」
 各々の勇者がハーベンブルグ伯爵と名乗った案内員に挨拶をする。
「では、勇者様方にはこのカルミラ諸島の始まりから知っていただきましょう」
 えー……。
 本当に案内員だったよ。そういうのは面倒だから嫌なんだが。
「別に俺達は観光で来たわけじゃないのだが……」
 活性化していて経験値が美味しいらしいから来たと言うのに、島の伝承から教わるって……観光旅行じゃないっての。
「まあまあ、古くは伝承の四聖勇者がここで身体を鍛えたというのが始まりでして――」
 なんか広場みたいな島の市場を案内しつつ、伯爵は説明していく。
 その途中で変なオブジェを見つけた。
 サンタ帽子を付けたペンギンと、ウサギと、リスと、イヌ? がトーテムポールみたいに四匹折り重なっている銅像が飾られている。
 ペンギンが釣竿、ウサギがクワ、リスがノコギリ、イヌがロープを持って構えている。
 なんだあれ?
「お? 盾の勇者様はお目が高い。あれはこの島を開拓した伝説の先住民であるペックル、ウサウニー、リスーカ、イヌルトです」
 どれも日本語っぽい。いや、伝説の武器の力で翻訳してもらっているのだろうが……。
「ちなみに名前の由来は四聖の勇者様が付けたという伝承があります」
 四聖の勇者センスねー。
 あ、伯爵がまだ話を続けている。
「仲良くなった魔物だったそうなのですが、勇者様の世界基準で一番近い動物の名前を聞いて自ら名づけたそうです」
 どっちにしろ酷いセンスだ。
 もう少しどうにかならなかったんだろうか。
「じゃあこの島に、あんなのがいるのか?」
「いえ、開拓を終え。新たな地へ旅立ったそうです。その後、姿を見たものは居ません」
 ……要するに絶滅したんだろ、きっと。
 実在も怪しまれるな。そもそも開拓する魔物って……。
「へー……なんか美味しそうだね」
 フィーロが涎を垂らしながら言った。
 ……よく考えて見れば、馬車を引くことを至上の喜びにしている魔物がいるんだしなぁ。
 いても不思議じゃないか。
 と思っていると、そのオブジェの隣にある石碑が目に入る。
「あれはなんだ?」
「四聖勇者が残した碑文だそうです」
「ほう」
 徐に近付く。
 四聖の勇者って事は俺達と同じく日本人である可能性が高い。
 日本人でなくても地球のどこかから呼ばれた奴等なら少しは有意義な情報を得られるかも。
 日本語で何か書かれていたりしないかな?
 何々……。
「おい。日本語じゃないぞ。偽物だこれ!」
 他の勇者たちも碑文に近寄り、読めないのを確認する。
「おかしいですねぇ……新たな勇者が現れた時に備えて記すと伝承があるのですが……」
「……ふざけているのか? この世界の魔法文字だぞ」
 魔法文字……これはかなり悩まされるんだよな。人に教えてもらって覚えられるような文字じゃないんだ。
 なんていうか、人によって答えの変わる文字。それが魔法文字だ。
 例えば、ラフタリアの幻を使う魔法書を適正の無い俺が読んだ場合、解読できない。訳するとおかしな言葉になる。
 だけどラフタリアはしっかり読み解いて、魔法として発言できる。
 共通語の魔法文字もあるのだけど、その先の実践的な物となると適性がないと読めないのだ。蒼蝿水(FLY D5原液)
「お前、読めるのか?」
「水晶玉頼りのお前等じゃ読めないだろうが、俺はクズの所為で不遇だったからな。読めなきゃ覚えられなかったんだよ」
「なんて書いてあるんだ?」
「えっと……」
 魔力をかざしながら碑文を読み解いていく。
 案外簡単な言葉で書かれているなぁ。
『力の根源たる……盾の勇者が命ずる。伝承を今一度読み解き、彼の者の全てを支えよ』
「ツヴァイト・オーラ……」
 対象が指名できる。そうだな……とりあえずフィーロに掛けてみるか。
 フィーロに向けて手をかざすと、ぼんやりとフィーロの周りに透明な魔法の膜が出現した。
「わ! なんか力がみなぎる!」
 ピョンピョンとフィーロが跳ね回る。
 人型なのに、高く跳ねているな。
 ステータスを見ると全ステータスが向上している。
「オーラ……伝説の勇者が使用する。全能力値上昇魔法の系譜です」
 樹の仲間がボソッと呟く。
 そんな伝承があるのか。
「すげぇ! 俺達も覚えようぜ!」
 魔法を習得とかゲーム感覚のコイツ等がこぞって碑文を読もうとする。
 しかし。
「あれ……読めない」
「そりゃあお前等、魔法言語理解して無いだろ?」
 水晶玉で楽々習得しているコイツ等が簡単に覚えたらそれはそれで悔しい。
「尚文さん」
 樹が俺に顔を向けて名前を呼ぶ。
「なんだ?」
「魔法言語理解の効果のある盾は何処で手に入るのですか?」
「自力で覚えたんだよ! 何でも武器に頼るな!」
「出し惜しみですね!」
「そうだそうだ! 教えろ!」
 まったく、コイツ等は……。
 異界言語理解とかも聞いてきそうだ。
 人の努力を武器の力で解決したとか思っているんだろうな。
「俺はオーラって魔法を覚えたが、お前等が同じ魔法を使えるとは限らないぞ」
「それもそうですね。僕達の場合はもっと良い魔法かもしれません」
 むかつく言い回しだ。
 俺を格下だと思っているのがバレバレだ。ほんと上からの物言いがウザイな。教皇相手に碌に戦えなかった癖に。
 ムキになったら負けだ。
「次に行くか、他に何があるんだ?」
「では宿に行くまでのカルミラ諸島での注意事項についてと移動手段を――」
 伯爵の話を掻い摘んで説明する。
 カルミラ島の魔物の生息地は今、活発化していて、魔物の生活サイクルが加速しているそうだ。
 鼠算式に魔物が増殖を繰り返している為、冒険者や勇者に討伐してもらわなければ非常に困るという状況だ。
 俺達はその状況に便乗してLvを上げるのが今回の目的だそうだ。
 だから、できれば魔物を見たら全てを倒して頂けるとありがたい。
 他の冒険者に道を譲るような真似はしなくても良いが、他の冒険者が戦っている所に乱入すると要らぬ騒ぎが起こるので控えて欲しいとの事。
 ……ネットゲームのマナーみたいな講習だったな。
 移動手段は島内の場合は小型の小船が常にあり、運んでもらえるらしい。最悪、泳いでも渡れるそうだ。

 女王の用意した宿は今でも最上級クラスの建物だった。
 俺が今まで寝泊りしていた宿とは比べるまでも無く……俺の世界でいう所のホテルに匹敵する建物だ。
 ……元々は城か何かなのだろうか?
 とにかく豪華な作りに清潔な雰囲気。壁は大理石のような石材で作られていて、光沢がある。
 何かの石像が噴水の役目を果たしていて、どうにも異世界にいるという感覚を薄ませる。
 俺はハワイに来たのか?
 そんな錯覚を覚えるかのような豪華な絨毯が敷かれている道を歩いて、部屋に案内された。
 荷物はこの宿が責任を持って預かるとかで、フィーロの馬車も預かってもらった。
「ではこれからの日程を説明するでごじゃる」
 しばらくすると聞き覚えのある喋り方をする影がメルティに変装してやってきた。
「メルティ?」
「ごしゅじんさま、メルちゃんじゃないよ?」
「そうでごじゃる」
「……お前か」
 紛らわしい格好だ。一瞬、隠れて付いてきたのかと本気で思った。
 身長までも偽れるとかどんな変装だとツッコミを入れるべきか迷う。levitra
「そうでごじゃる。拙者、盾の勇者殿の専属の影に任命されたでごじゃる」
「よりによってお前か……というかなんでメルティに変装している」
「そこは盾の勇者殿が親しみを覚えやすいようにでごじゃる」
「むしろ気持ち悪いからやめろ」
「分かったでごじゃる」
 影は服を脱ぐようにメルティの変装をやめて、忍者みたいな服装に戻る。
 知り合いの顔が皮の様に剥がれるって気持ち悪いな。
「というか……お前の語尾なんなんだ?」
「ごじゃる?」
「それだ」
「口癖でごじゃる。必要になったらやめれるでごじゃるよ」
 そういえば、俺に賞金が掛かった時、村人に変装して協力してくれていたんだったな。
 あの時はまったく気付かなかった。
「どうもこの口癖の所為でメルティ王女に気に入られて王女の専属を任命されていたのでごじゃるが」
「ああ、他の影に比べて分かりやすいものな」
「……個人を特定できると思わない方が良いでごじゃるよ」
 なんだ? 妙に怪しげな発言だな。まるであの時の影とは別人みたいな表現だ。
 まあ普通に考えれば不特定多数である影に特徴があるのは不味いよな。
「あの時の影とは違うのか?」
「間違ってないでごじゃる」
「……」
 めんどくせー!
「拙者の口癖だけを頼りにしていると入れ替わっても気付かないでごじゃると注意しただけでごじゃる」
「はいはい」
 別に覚えようとも思わない。
 何よりも覚えたからといって何が変わる訳でもない。
「話は戻るでごじゃるが、これからの日程を説明するでごじゃる」
「ああ……所で人員交換ってさ、それぞれの勇者の同意が必要なんだろ?」
「盾の勇者殿は同意しないでごじゃる?」
「いや……だが」
 他の勇者が嫌がるだろ。
 元康は分からないが、錬や樹は秘匿癖があるように思える。
 実際、何をしているのか今一分からない奴等だし。
 こういう情報が漏れるような出来事は好まない可能性が高い。
「他の勇者殿達の了承は受けているでごじゃる」
「何?」
「だから既に了承しているでごじゃるよ」
「ふむ……」
 思いのほか呆気ないほどあいつ等が協力的だ。
 俺の思い違いか?
 冷静を気取って、碌に教えないタイプだと思っていたのだが……。
「拙者や影、女王は他の勇者殿達は盾の勇者殿の仲間や強さに関心を示していると推理しているでごじゃる」
「まあ……」
 考えてみれば、奴等の基準では俺は弱職な訳だし、それが大活躍をしていたら知りたくもなるか。
 大活躍と言ってもカースシリーズは代償も大きいから微妙な線だが。
「特に勇者殿はみんなフィーロ殿に関心を集めております」
「なるほどね」
 確かにフィーロは規格外に強く見えるのだろう。
 戦闘力はグラスの分析だと錬に匹敵するとか言っていたし、魔法も使えて動きも早いとなると強さの秘密も知りたくなるか……。福源春
「ふえ?」
 眠いのかうつらうつらしていたフィーロが俺の方を見る。
 というか……あいつ等の関心って実はフィーロに集約していたりして……。
 何かイラついてきた。
 さすがに思い違いだと思いたい。
「で? 人員交換と情報交換は何時やるんだ?」
「それぞれの勇者殿にアンケートをしたでごじゃるが、どうも盾の勇者殿以外の勇者殿は人員交換を先にして欲しいそうでごじゃる」
「……情報交換は不要か」
 カルミラ島の効率的な周り方とかを聞きたかったが……あいつらに尋ねると言うのもシャクだ。
「嫌がらせに情報交換を先にしても良いが、こじれると厄介だ。望み通りにするか」
「一応、人員交換終了の日に情報交換はする手はずでごじゃる」
「分かった。で、どういう順番で何日ここに滞在するんだ?」
「全体行程で12日。始めの6日が人員交換を行うでごじゃる。盾の勇者殿が望めば直ぐにでも人員交換は出来るでごじゃる」
「そうか……今からとは早いな」
「時間がもったいないでごじゃるからな」
「……さっき、観光旅行みたいな案内を受けたのだが」
「それはしょうがないでごじゃる。盾の勇者殿はおそらく知らないと分析したので案内を依頼したでごじゃる。では交換の順番を説明するでごじゃる」
 影の話ではこうだ。人員を丸ごと交換するらしく、移動はそれぞれの勇者がするらしい。
 俺が行く先は元康→錬→樹の順番だそうだ。ラフタリア達も同じらしい。
「いきなりビッチと同じとはどんな罰ゲームだ?」
「既に到着から半日が経過しているでごじゃる。よく考えるでごじゃるよ」
 なるほど、ビッチとパーティーを組むのは他の奴等にくらべて短い。
 ちゃんと考えてはいるんだな。
「じゃあ行って来る。お前らも頑張れよ」
 部屋の戸に手を掛けてラフタリアとフィーロに注意する。
 パーティーは一時解散状態にする。まあ、奴隷用の項目があるわけだけど。
「はい……」
 不安そうにラフタリアは頷き、フィーロは何が起こるのかあんまり理解していないようだ。
「来るのは元康だ。注意しろよ。奴は下半身でしか生きていない。絶対に許しちゃいけないぞ。フィーロ、奴が問題を起こしたら蹴り飛ばせ」
「はーい」
「ナオフミ様……さすがにそれは……」
 とは言いつつ、ラフタリアも落ち着きが無い様子だ。
 今までも、そしてこれからも槍の勇者といえば俺達の敵だからな。武者震いって奴だろう。
 これまでアイツ等に受けて来た事を考えれば和解なんてありえない。
 今回は敵情視察と思って我慢しながら元康の仲間を分析するとしよう。
「では案内するでごじゃる」
 不安が拭えないが……行くしかあるまい。K-Y Jelly潤滑剤

2013年6月10日星期一

ハーフエルフのレイラ

アルゴ王国軍を追い払ってから、一週間が過ぎようとしていた。
 ティリアとエラキス侯爵が国境付近で厳戒態勢を敷いているためか、再侵攻の兆候はないらしい。花痴
 残る懸念は部下の治療のことだけだが、これもティリアに書いてもらった命令書のお陰で全員が人間と同じように医師の治療を受けられた。
 あまりにも人数が多かったので、病院と周辺の宿を占有する形になってしまったが、これは仕方がない。
「やっぱり、何も見えないや」
 病院の薄汚れた天井を見上げ、クロノは暗澹たる気分で呟いた。
 医師によれば高位の神威術ならば治せるらしいのだが、国内にいる高位術士が限られている以上、失明を宣告されたと同義だ。
「……感染症に罹らなかっただけマシか」
 クロノが受けた治療は傷を水で丹念に洗って縫合した程度だが、ヨーロッパでは近世まで消毒のために沸騰した油を傷に注ぎ、血止めのために焼けた鉄の棒を傷に押し当てていたらしいので、それに比べればまともな治療方法だ。
 クロノはベッドから抜け出し、素早く黒を基調とした軍服に着替えた。
 病室から抜け出した途端、クロノは副官のミノタウルス……ミノさんにぶつかった。
『また、見舞いですかい?』(ぶもぶも?)
「他にすることもないしね」
 ぶふぅ~、と副官は呆れたように大きな鼻息を吐いた。
『……お供しやす』(ぶも~)
「ああ、ありがとう」
 何故か、副官は照れ臭そうに頭を掻いた。
 副官を伴い、階段を降りる。
 病院はしっかりとした石造りの建物だ。
 一階は百近いベッドが並ぶホールで、二階は個室となっている。
 別棟では食事を作ったり、洗濯をしたり、医師や薬師が寝泊まりしている。
 アレで領民のことを考えているんだな、とクロノはエラキス侯爵に関する評価を改めようとしたが、この病院に限らず、ハシェルの街が発展したのは初代から三代目までの功績らしい。
 四代目以降は代が下るにつれて評価も下がり、特に当代……七代エラキス侯爵の評判は悪い。
 贅沢品を買い漁ったり、税を上げたり、救貧院への寄付を止めたり、やりたい放題らしい。
 何というか、封建制度の悪い部分が表出してしまっているような感じだ。
 階段を降りるにつれ、雑音めいた声が鮮明さを増していく。
 クロノがホールに足を踏み入れた瞬間、ピタリと会話が止んだ。
 嫌われているんだろうか? と最初は凹んだものだったが、今はかなり慣れた。
 まあ、これが貴族に対する普通の態度なのだろう。
 ぶっちゃけ、副官がクロノに対して砕けた態度を取りすぎているのである。
「調子はどう?」
「はひぃ! ちょ、調子は……悪いであります!」
 クロノが声を掛けると、ドワーフ(ロリ娘)が露骨に顔を引き攣らせて答える。
「そう……何かあったら、遠慮なく言うようにね」
「は、はひ!」
 クロノが隣のベッドに移動すると、ロリ・ドワーフの安堵の溜息が聞こえた。
 ホールにいた部下に声を掛けて回ったのだが、万事が万事、この調子だ。
 獣人も尻尾を丸め、何処となく怯えた様子だった。
 その後、別棟に移動して、医者に声を掛けても同じような反応が返ってきた。

 ハシェルは周囲を城塞に囲まれた直径一キロほどの街だ。
 元々、軍事拠点として築かれた経緯もあり、非常に入り組んだ構造をしている。
 街の中心はエラキス侯爵邸、その周辺を病院、商工業区、居住区が取り囲んでいる。
 最も賑わっているのが商工業区……ケフェウス帝国に支店を持つ商会が店を構え、ただでさえ狭い道を埋め尽くすように露店が並んでいる。
『まだ、続けるんですかい?』(ぶも~?)
「宿にいる部下とも顔を合わせないと」
 部下のいる宿を梯子していると、副官がうんざりしたような声音で言った。
『もしかして、大将は鈍感なんですかい?』
「いや、僕にも部下に気を使わせていることくらい分かるよ」
『それが分かっていて』
 ぶも~、と副官は大袈裟に肩を落とした。
「……次で最後か」
 最後に残ったのは銀髪のエルフ……レイラだ。
『レイラが苦手なんですかい?』
「そういう訳じゃないんだけど、嫌われてるんじゃないかなと思って」
 レイラはクロノが反応に困るくらいクールなのだ。
 彼女に責任を押しつけようとしたことも手伝い、顔を合わせにくい。
 贈り物なんて、どうだろうか? 
 周囲を見渡すと、花売りの少女が目に止まった。
 人間の少女で、年齢は十歳くらいだろうか。
 髪はブラウン、肌は病的に白い。
 美人ではないが、不思議と愛嬌のある顔立ちだ。
 ただ、今は疲労の色が濃い。
 少女の貧しさを示すようにワンピースは薄汚れ、袖や裾の部分が解れている。
 現代日本の子どもを知る身としては胸が痛い。
「やあ、花を売ってくれないかな?」
「……っ!」
 クロノが気さくに声を掛けると、少女は部下と同じように顔を引き攣らせた。
「ど、銅貨一枚、です」
「ありがとう」
 花束と引き換えに銅貨を一枚渡すと、少女は呆気に取られたような表情を浮かべた。
 うん? とクロノは首を傾げながら、彼女に背を向けた。
 しばらく歩くと、レイラが宿泊している宿に着いた。
 正しくは、一階が酒場兼食堂で、二階が宿だ。
 もう少しマシな部屋を手配しようとしたのだが、あまりレイラが乗り気でなさそうだったので、ここになった。
『あっしはここで待ってやすから』(ぶも~)
「ああ、よろしく」
 酒場兼食堂に入ると、まばらにいた客達の視線がクロノに集中するが、すぐに彼らは視線を背けた。D10 媚薬 催情剤
「男爵様、今日も?」
「見舞いだ。ああ、時に女将」
 カウンターに歩み寄り、クロノはカウンターに肘を突いた。
 ズザーッ! と凄まじい勢いで両隣の客が離れたのが印象的だった。
 女将さんは三十代。子どもはおらず、夫とも五年前に死に別れたらしい。
 女手一つで店を切り盛りするのに相当な苦労しているはずだが、そんなことを感じさせない優しげな目をしている。
 体つきは肉感的で、成熟した大人の色香を感じさせる。
 ほっそりとしたうなじと後れ毛が高ポイントだ。
「部下の様子は、どうだろう?」
「食事も残さずに食べていますから、心配は要らないと思いますよ」
「そうか」
 クロノは金貨を一枚取り出し、女将に握らせた。
「こ、これは?」
「これでレイラに栄養のあるものを食べさせて欲しい。いや、もちろん、女将が粗末なものを食べさせていると勘繰っている訳ではないのだが……よろしく頼む」
「ええ、そりゃ、まあ」
 女将は嬉しさ半分、怯え半分といった風情で金貨を受け取った。
 兵士の給料が一ヶ月で金貨二枚だから、女将にとっては予想外の収入だろう。
 ちなみに貨幣の交換比率は銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨二十枚で金貨一枚くらいだ。
 さらに銅貨よりも下に真鍮の貨幣があり、銅貨一枚に対して真鍮貨十枚の交換比率だ。
 軋む木製の階段を上り、クロノは薄暗い廊下を進む。
 レイラの部屋は二階の端だ。
 礼儀としてドアをノックし、クロノは扉を開けた。
 そのまま、クロノはフリーズした。
 まず、視界に飛び込んできたのは褐色の肌だった。
 うっすらと傷痕が幾筋も走り、縫ったばかりの傷が痛々しいが、褐色の肌は身震いするほど艶やかだ。
 レイラが新しい傷を避けるように濡れた布で体を拭うと、水滴が生き物のように彼女の肩から控え目な膨らみを経由し、
「……クロフォード男爵?」
 こちらに気付いたらしく、レイラは両腕で胸を隠した。
 しっかりと女を主張する胸の膨らみから、クロノは目を離せなかった。
「……っ!」
 クロノが生唾を呑み込むと、レイラは恐怖に耐えるように唇を噛み締めた。
 すぐに怯えられていると気付き、クロノは部屋を飛び出した。
 何度も廊下の壁に体を打ち付け、
「ぎゃひぃぃぃぃぃっ!」
 階段を転がり落ちた。
「男爵様! 御怪我はございませんか?」
「大丈夫、大丈夫」
 走り寄る女将を手で制し、クロノは怪我がないことを確認しながら立ち上がった。
 受け身は取れなかったが、大きな怪我はないようだ。
 三年近く鍛えた体はクロノが思っている以上に丈夫らしい。
「……痛っ」
「だ、男爵様」
「ああ、心配ない。悪いけれど、肩を貸してくれないか?」
 顔面蒼白の女将は震えながら、クロノの体を支える。
「もう一度、上に行きたいから」
「はい」
 どっちが体を支えているのか、分からないくらい女将は震えていた。
 ともあれ、女将の力を借り、再びレイラの部屋に辿り着いた。
 クロノはドアをノック、レイラの返事を待つ。
 部屋に入ると、レイラは黙ってクロノを見つめていた。
 いや、睨んでいるのだろうか。
 事故とは言え、裸を見てしまったのだから、当然の反応だ。
「女将、少し離れてくれないか」
「はい」
 クロノは女将に花束を手渡し、レイラを見つめた。
 慌てて着替えたのか、レイラの服は水を吸い、その部分だけが……胸の形が分かるくらい濡れていた。
「……レイラ」
「……」
 レイラは答えない。
 クロノはレイラに早足で歩み寄り、汚れた床に両膝を突き、頭を擦り付けた。
 土下座である。
「な、な、何をなさっているのですか!」
「これは土下座といい、僕が生まれた国で最上級の謝罪を示す姿勢だ」
 クロノは慌てふためく、レイラに淡々と説明した。
「裸を見て、申し訳ありませんでした!」
「「えっ!」」
 クロノが頭を地面に擦り付けると、レイラと女将が一緒になって声を上げた。
「や、止めて下さい」
「君が許してくれるまで、僕は土下座を止めない!」
 クロノは遠慮がちに腕を引くレイラに抗い、土下座を続けた。
「わ、分かりました! 分かりましたから、許しますから、ドゲザをお止め下さい!」
「……」
 レイラの悲鳴じみた懇願にクロノは無言で立ち上がった。
「女将、花束を」
「はい」
 クロノは女将から花束を受け取り、レイラに差し出した。
「こ、これは?」
「見舞いの花束だ。て、手ぶらで来るのも気まずかったので、途中で買ったのだが……もっと、ちゃんとした物の方が良かっただろうか?」
 花束を受け取り、レイラは涙を堪えるように唇を噛み締めた。
 十秒か、二十秒か、とうとう堪えきれずに涙が金色の瞳からこぼれ落ちた。
「……わ、私のような、ハーフエルフに、何故?」
「ハーフエルフ?」
 言われてみれば、レイラの耳は他のエルフよりも短い気がする。
 説明するまでもなく、ハーフエルフはエルフと人間のハーフだ。
 ハーフエルフはファンタジー小説で人間とエルフの両方から差別されたり、迫害を受けたりすることが多い。その理由はエルフが純血主義だったり、ハーフエルフはエルフが辱められた末に生まれた子どもと認識されているからだ。
 だが、ケフェウス帝国の場合、エルフは被支配階級に属し、エルフもそれを事実として受け止めている。
 直接聞けば、ファンタジー小説と似たような答えが返ってくるだろうが、実際は自分達よりも格下の存在が欲しいといった所ではないだろうか。
 惨めな境遇にある人間は自分よりも惨めな境遇にある人間の存在に安堵する。クロノ自身も覚えのある感覚だ。
「ご存じ、なかったのですか?」
「ああ」
 クロノが答えると、レイラは寂しそうな笑みを浮かべた。
ああ、きっと、この人は私をエルフだと思って優しくしてくれたんだ。
 どうせ、ハーフエルフの私なんて。紅蜘蛛(媚薬催情粉)
 そんな感情が伝わってくるような笑みだ。
「私は……いや、僕はレイラがとても勇敢な女性だと思ってるよ。君がハーフエルフだと知っても、この気持ちは変わらないし、君のような部下を持てたことを誇りに思う」
「……っ!」
 レイラは見えない棒で殴られたように蹌踉めき、顔を覆って泣き出した。
「……男爵様」
「レイラ、また、見舞いに来るから」
 女将に促され、クロノはレイラの部屋を後にした。
 押し殺したようなレイラの嗚咽が安普請の扉越しに聞こえ、すぐにでもクロノは引き返したかった。
「いけませんよ、男爵様」
「……分かった」
 女将に手を引かれ、クロノは仕方なく一階に戻った。
 客達の視線が集中するが、それも一瞬の出来事だ。
「男爵様、よろしければ食事でもいかがですか? なん「ああ、頂こう」」
 え? と女将の顔が盛大に引き攣った。
「いやですよ、貧乏人をからかっちゃ」
「からかっていないが?」
 シーンと痛々しい沈黙が辺りを支配する。
「はい、しょ、承知いたしました! ほら、あんたら、男爵様が食事をするんだから、そこを退きな!」
「いや、彼らが先に座っていたのだから、カウンターの隅にでも」
 他の客を蹴り出さんばかりの女将を横目に、クロノはカウンター端の席に座った。
「や、野菜の塩スープと、パンにございます」
「うむ」
 間を置かずに煮崩れた野菜のスープとすっかり固くなったパンがカウンターに置かれる。
 クロノは木製のスプーンで野菜スープを一啜り。
「どうですか?」
「うむ、塩味だな」
 クロノは固くなったパンをスープに浸し、少し柔らかくなったそれを頬張る。
 胡椒が欲しいところだが、香辛料の類は貴重品だ。
 がつがつと具を掻き込み、
「むっ!」
「ど、どうかなさいましたか!」
 クロノは口元を乱暴に拭い、
「すまないが……副官を外で待たせているのだが、部下の分も頂けないだろうか?」
「え? あ~、一昨日、床を踏み抜きそうになった! 少々、お待ち下さい」
 女将はスープを大鍋から小振りの鍋に移し替え、カウンターの外に出る。
「私が持って行こう」
「男爵様が?」
「うむ、私が持って行くのが筋というものだろう」
 有無を言わさず、クロノは女将から鍋を奪い取り、店の外で待つ副官の元に。
「待たせてごめん。今、食事をしているから、君も食事をして待ってて」
『大将!』(ぶも~!)
 目を剥く副官に鍋を押しつけ、クロノはカウンター席で食事を再開した。
 料理を全て平らげ、クロノは満腹感に酔いしれた。
「女将、幾らだろう?」
「いえいえ、男爵様からお金を頂くわけには」
「そう……いや、こういうことに身分は関係ない」
 ラッキー♪ と思ったが、クロノは自分を律し、銀貨を一枚差し出した。
「はぁ、男爵様は変わっていらっしゃるんですね」
「ん、自分では至って普通のつもりだが?」
 これは少し嘘かな、とクロノは思う。
 クロノの価値観は自由、平等、人権などケフェウス帝国に存在しない概念を前提に形作られている。
 だから、この世界の常識から外れた行動を取ることが多く、変人と呼ばれることも珍しくない。今更、女将に言われなくても、クロノもそれくらい分かっているのだ。
「……女将。また、来る」
「は、はい、お待ちしています」
 クロノが店を出ると、副官は空の鍋を手に立っていた。
「返してくるよ」
『そこまで大将にやらせるわけにゃいきやせん。女将、鍋はここに置いておくぜ!』
 副官は扉を開け、その近くに鍋を置いた。
『さあ、ずらかりやしょう』

『やっぱり、大将は変わりもんすね~』
「うん、女将にも言われたよ。でも、いきなり、どうしたの?」
 副官がそう切り出したのは病院までの道のりを半分消化した頃だった。
『いえね、感心したんで。あっしは大将が嘘を吐いていると思ったんでさ。だって、そうでしょ。あっしら亜人は金貨一枚で命を切り売りする捨て駒でさぁ。そんなあっしらのために皇女に掛け合って、傷の様子を見舞ってくれて……ようやく、あっしは大将を信じようと思ったんで』
 副官はまくし立てるように言い、ぽつりと呟いた。
「そんなに感謝されることじゃ……あれ?」
『どうしたんで?』
「あのさ、今……金貨一枚って言った?」
『ええ、それが何か?』
 エラキス侯爵領の兵士は侯爵の私兵ではなく、歴としたケフェウス帝国の兵士だ。
 給料は帝国から支給されていて、月給は人間でも、亜人でも金貨二枚のはずだ。
 ということは……、
「確かめたいことがあるから、僕に付いて着て」
『へい』
 クロノは駆け足で街の中心部、エラキス侯爵邸に向かった。
 門番に咎められることなく、クロノと副官はエラキス侯爵邸の門を通り抜けた。
 エラキス侯爵邸は自然石で造られた城と四つの塔から成り立っている。
 中央の城はイギリスのカントリーハウスに近い四階建ての建物だ。
 ここに経理を担当している部署がある。
 クロノは扉を開け、経理担当官の元へ突き進む。
「おお、誰かと思えば」
「……」
 クロノは腰を浮かせた経理担当官を無言でぶん殴った。
 机の上に置かれた書類が崩れ、経理担当官はイスから無様に転倒する。
「な、なにを?」
「……」
 更に、クロノは経理担当者の鳩尾を無言で蹴り上げ、吐瀉物を撒き散らす彼を無言で見下ろした。
 胃の中身を全てぶち撒けた経理担当官は明らかに怯えた様子でクロノを見上げた。
「……出せ」
「な、なんのことやら」
「おい、この手が見えるか?」
 クロノは震える手を経理担当者に示し、
「何故、この手が震えているのか分からないのかっ? 私は怒っているんだ! この手が震えるほど怒り狂っているんだ! お前の鶏ガラのように痩せた首を絞めたくて、それを自制するのに必死なんだ! だから、出せ! この反逆者が!」
 散乱する書類を蹴りながら喚くと、経理担当者は悲鳴を上げ、机の引き出しから紙の束を取り出した。紅蜘蛛 II(水剤+粉剤)
 ぶるぶると震える手で差し出された紙の束を受け取り、クロノは内容を流し読みした。
「だから、私は怒っていると言っただろう!」
 クロノは経理担当者の股間を蹴り上げた。
「いいか? お前の鳥頭にも分かるように言ってやる。股間のお宝を踏み潰されたくなければ、もう一冊の帳簿を出せ!」
 血の混じった小便を垂れ流しながら、経理担当者は鍵の掛かった引き出しから紙の束を取り出した。
「わた、私は侯爵の命令で」
「公金の横領は死刑だ」
 短く呟き、クロノは経理担当者から紙の束を奪い、先ほどの紙の束と見比べる。
 紙の束は帳簿……二重帳簿というやつだ。
 どうやら、本当に公金の横領をしていたらしい。
「こいつを拘束して」
『へい……って、大将? 一体、何がどうなってるんで?』
「要するに、エラキス侯爵は君達の給料を誤魔化してたってことだよ」
 副官に腕を捻り上げられ、経理担当者は死刑を待つ罪人のように項垂れた。
「騒がしいと思ったら、何をしているんだ?」
「やあ、ティリア。アルゴ王国の方は良いの?」
「質問を質問で返すな」
 クロノが問いかけると、ティリアは豊かな胸を強調するように腕を組んだ。
「神聖アルゴ帝国の方は問題ない。複数の情報筋によれば、先日の一件で第一王位継承者が重傷を負い、今は王位継承権の問題で派閥争いの真っ最中だそうだ。クロノの予想通りになったな。で、お前は?」
「僕は横領の証拠を掴んだ所だよ」
 クロノから帳簿を受け取り、ティリアはざっと流し読みする。
「お手柄だな、クロノ」
「褒美は後で良いから、すぐにでも対処して欲しいな」
「ああ、もちろんだ」
 にやりとティリアは笑い、部屋から出て行った。

 ティリアの行動は早かった。まるで最初から横領に気付いていたかのような手際の良さでエラキス侯爵とその家族、横領に関わっていたと部下、使用人を拘束し、帝都に送ったのだ。
 おまけに後任を決めるまでティリアの家臣団に代理統治させる徹底ぶりだ。
 クロノとしてはエラキス侯爵の後任がまともな人物であることを祈るばかりである。

 翌日、
「……ふぅ」
 薄汚れた病院の天井を見上げ、クロノは暗澹たる気分で溜息を吐いた。
「……起きて、部下の様子を見に行かないと」
 ベッドから下り、クロノは素早く軍服に着替えた。
『おはようございやす、大将』
「ああ、おはよう」
 病室から出て、クロノは副官と挨拶を交わした。
『大将、報告したいことがあるんですが?』
「何かあったの?」
『あ~、その、非常に言いにくいことなんすけどね』
 クロノが聞き返すと、副官は珍しく言い淀んだ。
『ついさっき、レイラが軍を辞めると言い出したんでさ』
「へ? どういうこと?」
 言葉の意味が分からず、クロノは声を裏返らせた。
『何でも……私は男爵の誇りになれるような女じゃないとか。意味が分かりやすか?』
 副官の言葉に、クロノは頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
 昨日のレイラに告げた言葉はクロノの本心だった。
 あれが本心でなかったら、クロノの人生に本物と呼べるものは何一つないだろう。
「あ、あれか? え~っと……とにかく、引き留めるぞ!」
『もう、あいつは市民権を取得してやすから「そんなこと、構うもんか!」』
 クロノが悲鳴じみた声を上げると、副官は気圧されたように上体を反らした。
『そう言うと思いやして、下で拘束しておりやす』
「ぐっじょぶ!」
 クロノは親指を立て、階段を転がり落ちるようにレイラの元に走った。
 大勢の亜人に囲まれ、レイラはホールの中央に佇んでいた。
 着古した服と鞄一つ、それだけがレイラの財産だった。
「……レイラ」
「男爵様」
 クロノが名前を呼ぶと、レイラは驚いたように目を見開いた。
「どうして、いきなり、軍を辞めるなんて」
「市民権を得るために軍に所属していたから、です。市民権さえ手に入れれば、ここにいる意味はありません」
 レイラは能面のような無表情で、音の羅列のような台詞を口にした。
「だったら、どうして……私は誇りになれるような女じゃないって」
「誰から、それを」
 副官から聞いたと気づいたのだろう。
 レイラは階段の近くに佇む副官を睨み付けた。
「理由を教えて欲しいんだ。そうじゃないと、納得できない」
「そのままの意味です。私は……帝都のスラムで生まれました。売春婦だったエルフの母親と、客の間に生まれた子どもです。軍に入隊するまで、何度も、乱暴されて……ここに配属されてから、エラキス侯爵に。そんな私が、薄汚いハーフエルフの私が、貴方の誇りになれるわけがないじゃありませんか」
 レイラは悲しげに微笑んだ。
 あまりにも過酷な……その過酷さすら、日本で生まれ育ち、この世界の貴族に養子として迎えられたクロノは想像することしかできないが……人生でレイラは様々なものを諦めてきたのだろう。
 ハーフエルフだから、娼婦の娘だから、何度も乱暴されてしまったから、とレイラは苦しいことがあるたびに自分を納得させてきたに違いない。
 だから、今度もレイラは諦めようとしたのだ。クロノが彼女の過去を知り、不幸な結末を迎える前に。
 クロノは何も言えなかった。何か言わなきゃいけない、そうしなければ、レイラを引き留めることなんてできないと分かっているのに。紅蜘蛛赤くも催情粉
 クロノの思考は空転したまま、レイラはゆっくりと歩き出した。 

2013年6月7日星期五

誓約

村外れにある粗末な小屋がエクロン男爵領自警団の拠点だ。来歴は分からないが、エクロン男爵家の所有物で十人前後の自警団員……何処かの家の三男、四男でほっつき歩いていた所を姐さんに勧誘された……が詰めている。超級脂肪燃焼弾
 家畜が逃げ出したとか、喧嘩があったとか、トラブルが起きた時は誰よりも早く駆けつけて解決し、蛮族に家畜を盗まれればエクロン男爵領の代表として文句を言いに行く。それが主な仕事だ。
 今までは疑問を抱かなかった。姐さんが肩で風を切って大隊長に抗議する。歴代の大隊長が何も言えずに押し黙る姿を見るのは痛快だった。
 だが、と今は思う。クロノの兄貴は恐ろしく強かった。獣人も、人間も、ハーフエルフも、子どもみたいなハーフエルフまで理解できないほど強かったのだ。
 あの新人大隊長の部下はクロノの部下と同じくらいの強さだろう。だとすれば、どれくらい蛮族は強いのか。
 いや、蛮族以上に恐ろしいのは軍の連中に反撃されて死ぬことだ。自分のせいでエクロン男爵家が取り潰されることだ。
「おいおい、ジョニー。昨日、ぶちのめされたのを気に病んでるのかよ?」
「ありゃ、偶然だ。偶々、短剣がすっぽ抜けて、苦し紛れの蹴りが急所に当たっただけだろ」
 違う。兄貴は思いっきり手加減してくれたんだ。
「なあ、軍にちょっかい出すの……もう止めにしねーか?」
 ジョニーは天井を見上げ、仲間達に提案した。

 前兆は目眩だった。あの日……公立高校の受験日、黒野久光は家の玄関を出た途端、目眩に襲われた。
 フッと意識が遠ざかり、体を支えるために近くにあった自転車に手を伸ばした。地面の感覚がなくなった瞬間、黒野久光は強く目を閉じて体を強張らせた。
 衝撃は予想していたよりも小さかった。恐る恐る目を開けると、黒野久光は倒れた自転車のハンドルを握り締め、麦畑のど真ん中で尻餅を突いていた。
 麦畑は見渡す限り、まるで世界の果てまで続いているかのように広がっていた。その光景に黒野久光は恐怖を抱いた。
 いや、確かに黒野久光は恐怖を抱いたが、それよりも先に郷愁……懐かしさを感じたのだ。
 理由はよく分からない。この世界に来るまで黒野久光は家庭菜園に毛が生えた程度の畑しか見たことがなかったのだ。
 理由を挙げるとすれば原風景……この世界がクロノの心に焼き付いた原初の記憶を刺激したのだろう。
 そんなクロフォード男爵領で迎える二度目の朝、のんびりと惰眠を貪りたいが、今回の目的は帰郷ではなく、ガウル大隊長のサポートだ。
 蛮族が家畜を盗まなければならないほど困窮していたとしても、あの養父が並の兵士より強いと言っている以上、気を引き締めなければならない。
 気を引き締めなければならなかったのに、我慢できませんでした、とクロノは薄く目を開けた。
 ティリアが我が侭なオッパイ、エレナが生意気なオッパイだとすれば、レイラは従順なオッパイである。
 サイズは手の平に収まるサイズ。クロノの手の中で形を変え、回数をこなせばこなすほど馴染んでいく。
 いや、レイラ本人の変化も無視できない。いやいや、真っ裸になって愛して下さいと求めるレイラも魅力的だったのだ。
 だがしかし、教養を身に付け、恥じらいを覚えたレイラはそれに勝る。それまでは添い寝をする時でさえ全裸がデフォルトだったのだが、いつの頃からか、下着を着けたがるようになったのである。
 残念無念と思いながら、クロノは全裸での添い寝を強制しない。こちらはあくまでも全裸での添い寝をお願いする立場である。
 自重して欲しいと言われることもあるのだが、自重して欲しい、我慢して欲しいと言いながら、あくまでレイラのオッパイは従順なのだ。
 こ、この、オッパイめ、従順な、オッパイめ! とクロノは若さを暴走させることもしばしば。
 ワキワキとクロノが手を動かすと、スンスンと音が聞こえた。
「……マイラ」
「ぼ、ぼ、坊ちゃまを起こすのは、わ、私の役目では、な、ないかと」
 クロノが体を起こすと、マイラは顔を赤らめながら言った。
「レイラがいないね」
「彼女ならば夜明けに人目を忍ぶように浴室へと向かいましたが?」
 湯浴みもせずに寝てしまったせいか、マイラはスンスンと鼻を鳴らしながら答えた。
「そんなに臭うかな?」
「え、ええ、ツンとした雄のにお……失礼いたしました」
 聞かなかったことにして、クロノはベッドの上で胡座を掻いた。
「……当面は」
 ガウル大隊長をサポートしつつ、エクロン男爵領の自警団の活動を抑える。
「父さんは蛮族には攻め込む力がないって言ってたけど、どんな感じなの?」
「……」
 マイラは答えない。ボーッと天井を見上げ、ふと我に返ったかと思えば両手で顔を覆って体をくねらせた。
「マイラ、マイラさ~ん、戻ってきて」
「……っ!」
 クイッとエプロンを引っ張ると、マイラは凄まじい勢いで身を翻した。
「お、お止め下さい、坊ちゃま! ですが! 坊ちゃまに命令されれば、マイラは逆らうことができません。ああ、旦那様、弱いマイラをお許し下さい!」
 およよよ~、とマイラはその場に崩れ落ちた。
「さあ! ご命令をっ!」
「じゃあ、僕の下着を取って」
「……さあ、ご命令を!」
「だから、下着を取って、湯浴みの準備をしてくれると、嬉しいな」
 マイラは不満そうに唇を尖らせて部屋から出て行った。ちなみに下着は取ってくれなかった。
 マイラの性よ……もとい、恋愛対象になるくらい僕も男らしくなったってことか、とクロノは湿った下着と服を着た。
 男として見てくれるのは嬉しいんだけど、父さんと兄弟になるのもアレだし、マイラって年齢的にお婆ちゃんなんだもん。ハードルが高すぎるよ、とそんな邪なことを考えながら、クロノは自分の部屋から出た。
 脱衣所で服を脱ぎ散らかし、浴室に入ると、浴槽からは湯気が立ち上っていた。
 どうやら、お願いするまでもなく、マイラは湯浴みの準備を整えていたらしい。
「流石、パーフェクトメイド」
 念のため湯加減を確かめて湯に浸かる。
「後方支援に徹するべきかな? エクロン男爵家に出向いて抗議を控えるようにお願いして……」
 天井を見上げ、これからすべきことを考える。あくまで基本方針、臨機応変に対処しなければならない。
「……蛮族の討伐か。色々な手を打つとは言ったけど、ウン百年後の歴史の教科書に殺戮者の一味として載るのは遠慮したいなぁ」
 クロノが両手で湯を掬って顔に叩きつけたその時、浴室の扉が開いた。終極痩身
「キャアアアアアアアッ!」
「……何故、クロノ様が叫ぶでありますか?」
 クロノが叫び声を上げると、フェイは訳が分からないと言うように首を傾げた。
「ど、どうして、フェイがッ?」
「どうして、と言われても……湯浴みに来ただけであります」
 クロノはブラックバスのように浴槽で暴れたが、フェイは構わずに浴室に入ってきた。
 つまり、お湯はフェイのために準備されていたのだ。
「フェイ、フェイ?」
「何でありますか?」
 クロノが悲鳴を上げても、フェイは不思議そうに首を傾げている。
 無論、全裸でだ。
 ごくりとクロノは生唾を呑み込んだ。それほどフェイは美しかった。
 戦うために鍛え上げ、最後の、本当に最後の一線で女性らしさを保っている肢体を惜しげもなく晒している。
 副官の故郷……ボウティーズ男爵領でも感じたことだが、フェイには羞恥心や警戒心が欠けているような気がする。
 夜伽で何をするかとか知識はあるようだし、真面目すぎて融通が利かない部分も多々あるが、それで失敗すればやり方を変えるだけの柔軟さも有している。
 フェイは精神的に幼いんだ、とクロノは今更のように気付いた。身も蓋もなく言えばその道馬鹿だ。
 そもそも、フェイがエラキス侯爵領への異動を受け入れたのは没落寸前の家を再興するためだ。
 愛人になってクロノから援助を引き出そうとさえしていたが、そんなものに頼らなくてもフェイは家を再興するだけの実力を備えている。
 その実力を身に付けるためにフェイは凄まじい修練に明け暮れ、その結果として精神的に幼く、他人の心の機微に疎い人間になってしまったのではないだろうか。
「……うへへ」
「っ!」
 クロノが舐め回すように肢体を見つめ、笑みを浮かべると、身の危険を感じたのか、フェイは両腕で体を隠した。
 どうやら、露骨に好色っぽい態度を取ると、フェイも警戒するようだ。

「どうして、帰れって言われたのにガウル大隊長に会いに行くの?」
「仕事だからね」
 クロノは御者席で不満そうに唇を尖らせるスノウに答えた。
「ボク、あの女に会いたくない。フェイを馬鹿にしたし、ボクを虫呼ばわりして斬ろうとしたんだもん」
「僕もだよ」
 嫌味や挑発なら幾らでも受け流せるのだが、セシリーは実力行使に出るのだ。剣を抜かれたらクロノも部下を守らなければならないし、レイラも、フェイも護衛の役目を全うするために武器を構えなければならなくなる。
 昨日は挨拶に行っただけなのに危うく刃傷沙汰になる所だった。まだ見ぬ蛮族よりもセシリーを警戒すべきかも知れない。
「クロノ様も嫌なんだ。だったら、帰っちゃおうよ」
「うん、まあ、でも、好き嫌いで仕事する訳にもいかないからね」
「……貴族もそうなんだ」
 『貴族も』と言うくらいだから、スノウにも仕事は嫌でもしなければならないという認識があるのだろう。
「貴族も大変なのであります。宮廷貴族は当主が死ぬと、収入が途絶えてしまうのであります」
 フェイは馬を幌馬車……正確には御者席と並走させて言った。
「フェイって没落貴族だもんね」
「……没落していないでありますよ」
 スノウがしみじみと呟くと、フェイは不満そうに唇を尖らせた。
「どう違うの?」
「家を建て直すチャンスの有無であります」
 収入が途絶えた時点で立派に没落していると思うのだが、フェイを泣かせても得られるのは後味の悪さだけなので、ここは指摘しない方が良いだろう。
「どうやって、フェイは家を建て直すつもりなの?」
「もちろん、武勲を立てるのであります」
 家の立て直しと武勲を立てることの関係が理解できないのか、スノウは不思議そうに首を傾げている。
「貴族は武勲を立てると、お金や領地を貰えるんだよ。偉い人達に顔を覚えて貰えれば大隊長に任命されることもあるし、大隊長になれば各方面にコネができるからね。やりようによっては給料以上のお金も稼げるし」
「それって賄賂のことでしょ? スラムにいた時、見回りの兵士がお金を受け取ったりしてスリを見逃してたりしてたもん」
「そんなことしないであります」
 フェイは不機嫌そうに言ったが、エラキス侯爵領で領主代理を務めているケインに言わせると、治安の悪い地域では犯罪を見逃す代わりに賄賂を受け取っているケースが多いらしい。
 ちなみに賄賂は出世や異動のために使われ、上へと流れていくこともあるのだとか。
「クロノ様は賄賂を受け取ってないの?」
「トータルでマイナスになるから、部下には賄賂を受け取らないように厳命してるし、僕自身も断ってるよ」
 賄賂を厳しく取り締まっているのはケインとティリアの部下だった事務方の面々である。
「トータルでマイナス?」
「犯罪を見逃すと、治安が悪化するし、特定の商人を依怙贔屓すると、他の商人が儲けられなくなって、商業区が寂れちゃうからね。ほら、領地全体で見ると、明らかに損してるでしょ」
 スノウは驚いたように目を見開いた。
「クロノ様って凄い」
「伊達に一年も領主をやってないよ」
 スノウに尊敬の眼差しを向けられ、クロノは胸を張った。
「クロノ様ってエッチなだけの人かと思ってけど、誤解してたみたい」
「スノウ!」
 反対側からレイラに叱責され、スノウは怯えたように肩を竦ませた。
「だって……毎晩毎晩、亜人をベッドに連れ込んでるって帝都で聞いてたし」
「確かに、クロノ様の噂は帝都にまで轟いていたであります」
 今、明かされる新事実!
「お母さんとか、デネブ百人隊長とアリデッド百人隊長を呼び出したりしてるし」
「いやいや、無理強いはしてないですよ。あ、いや、ちょっと、無理なお願いはしたりしてるけど、基本的に意思を尊重してます」
 コホンとレイラは気まずそうに咳払いをした。
「スノウ……私は自分の意思でクロノ様の夜伽を務めています。デネブとアリデッドも私と同じです」
 淡々と言いながらも、レイラは恥ずかしそうに少しだけ俯いている。
「クロノ様はお母さんのこと好きなの?」
「もちろん」
 クロノは即答した。
「何処が好きなの? ボクも、お母さんもハーフエルフだよ」
「クロノ様、答えなくても良いです」
 そう言いながら、レイラの瞳は期待に輝いている。
「ちょっと答えにくいかな」
「……」
 レイラは落胆したような素振りを見せる。御秀堂 養顔痩身カプセル
「最初は誤解とか、勢いってのはあったと思うよ」
 クロノが軍に残るように引き留めたのをレイラが愛情からだと誤解しなければ今のような関係にはなっていなかっただろう。
「でも、レイラは痛々しいくらい必死で……信じようと思ったんだよ。散々、ティリアには罵られたけどね」
「初耳です」
「話すようなことじゃないからね」
 クロノは肩を竦め、目を丸くするレイラに答えた。
 ティリアに殴られ、罵られる現場を工房で働くドワーフ達が目撃していたはずだが、人の口に戸は立てられなくても、ドワーフの口には立てられるらしい。
「クロノ様はティリア皇女を敵に回して愛を貫いたのでありますね」
「……クロノ様」
 フェイの言葉にレイラは感極まったように瞳を潤ませた。
「そろそろだね」
 前線基地に辿り着き、幌馬車と馬を昨日と同じように柵の外に止める。
 エクロン男爵家の自警団はいない。
 大隊は訓練の真っ最中だった。
 騎兵は的……地面に打ち込んだ丸太と木材を組み合わせた代物で、巨大な十字架のように見えるが、横木の先端部に打ち付けられた木の板に訓練用の突撃槍(ランス)を上手く当てると、クルクルと回転するようになっている……で騎乗突撃の訓練、エルフと人間の混成弓兵は弓の訓練、人間、獣人、大型亜人の歩兵は木剣や木槍で組み手をしていた。
 ガウルはすぐに見つかった。ガウル大隊長は木剣を握り締め、大型亜人と組み手をしていたのだ。
 木剣を打ち合わせている。相手はミノタウルスだったが、手加減しているようには見えない。
 どちらかと言えば手加減しているのはガウル大隊長のように見える。
「ガウル大隊長って強いの?」
「近衛騎士団長候補と言っても差し支えない実力者であります。魔術も、神威術を使わずに大型亜人を圧倒できる人間は近衛騎士団でも多くないであります」
 ドッとミノタウルスが地面に倒れる。
 ガウル隊長がミノタウルスを見下ろしたまま、二言、三言、言葉を交わすと、次の相手が歩み出る。
 クロノは訓練風景を見つめ、部隊運営には興味がなさそうだと感想を抱いた。傷の手当てがされていない兵士が多いし、毛艶が悪かったり、痩せている兵士が多いのだ。問題のある兵士は亜人ばかりだから、物資を人間優先で割り振っているのかも知れない。
「……誰か来たであります」
「セシリーじゃない?」
 板金鎧(プレートメイル)で武装した騎兵はクロノ達の前で止まり、バイザーを跳ね上げた。
「あら、フェイさんではありませんの?」
 どうやら、フェイを馬糞女と呼ぶのは止めたようだ。
 セシリーはフェイの顔から足下まで視線をわざとらしく往復させる。
「まともな鎧も、馬も支給されていませんのね」
「この鎧はゴルディさん達が丹誠込めて造ってくれたものであります。黒王も立派な馬であります」
 フンとセシリーは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「騎兵が身に纏うのは板金鎧(プレートメイル)と相場が決まってますわ」
「フェイは軽騎兵だし、神威術を使えるから必要ないよ」
 神威術が使えるフェイは軽騎兵でありながら重装騎兵以上の突進力を誇る。他の騎兵と連携すれば神聖アルゴ王国のイグニス将軍のような活躍も可能だろう。
 セシリーは鬼のような形相でクロノを睨み付け、フンッ! と鼻を鳴らして訓練に戻った。
「セシリーって、いつもあんな感じだったの?」
「他の騎士にも掃除の手際が悪いとか、よく殴られたものであります。それでも、努力していれば報われると、厩舎の掃除を続けたのであります」
 他の騎士達は突出した実力を持つフェイを警戒し、ピスケ伯爵は没落貴族を引き立てても自分の利益にならないと踏んだのだろう。
「……手合わせしてみたいであります」
「僕は構わないよ」
 ガウル大隊長はこっちを無視してる感じだし、フェイが取っ掛かりになってくれればなぁ~、とクロノは許可する。
「ガウル殿、手合わせをお願いするであります!」
「……」
 ガウルは困惑したようにフェイを見つめた。
「……おい、木剣を渡してやれ」
「ありがとうであります」
 近くにいた獣人から木剣を受け取り、フェイは木剣の具合を確かめるように軽く素振りをする。
 どちらからともなく、ガウルとフェイは木剣を構える。ガウルは上段、フェイは中段である。
 ガウルは恵まれた体躯を活かして最大威力の攻撃を繰り出すため、フェイはあらゆる状況に対応するためだろう。
 正規の剣術には存在しない技、ブラフ、ハッタリなどの駆け引き、膨大な戦闘経験によって培われた先読み、あらゆる手を駆使する養父と戦うためにフェイは臨機応変に対処することを学んだのである。
 先に仕掛けたのはガウルだ。ガウルは一気に距離を詰めると、何の躊躇いもなく、木剣を振り下ろした。
 ガウルの木剣が空を切る。フェイは横や後ではなく、斜め前方に飛び込むことでガウルの一撃を躱したのだ。
 上段からの攻撃は軌道が『振り下ろす』に限定され、攻撃を躱されると、即座に次の攻撃に移れないという欠点がある。
 並の相手であれば攻撃を躱した時点で勝負は着いていたはずだ。だが、ガウルはフェイを追うように木剣を振り下ろした状態から斜め上へと斬り上げる。それもフェイが攻撃するよりも早くだ。
 フェイは木剣を受けず、軽やかなバックステップで躱した。神威術を使って筋力を底上げしているのならばまだしも純粋な筋力では勝負にならない。鍔迫り合いに持ち込まれたら、間違いなく押し潰される。御秀堂養顔痩身カプセル第3代
 そのままフェイはガウルの懐に跳び込もうとしたが、寸前で急停止する。その間にガウルは悠々と上段に構え直した。
 何故、フェイが跳び込まなかったのか、クロノは理解できなかった。そして、先程と同じようにガウルが木剣を振り下ろし、フェイは軽やかに躱す。
 ガウルが攻撃し、フェイが躱すというルーチンワークじみた戦い。しかも、ガウルが明らかな隙を見せてもフェイは攻撃しない。
 攻撃するかと思いきや踏み止まってしまうのだ。更に攻防が続き、ようやくクロノはフェイが攻撃できない理由を理解した。
 フェイントだ。ガウルはフェイが攻撃しようとした瞬間に腕や肩、視線を動かして彼女の動きを封じているのだ。
 腕力馬鹿じゃないんだ、とクロノはガウルに対して失礼な感想を抱いた。だったら、スピード勝負……ガウルよりも早く木剣を打ち込むしかない。
 フェイが初めて自分から仕掛ける。刺突……鋭く突き出された木剣をガウルは大きく躱し、素早く体を入れ替えた。
 大きく躱したのは懐に跳び込まれるのを防ぐためだろうか。攻撃を躱されたフェイは木剣を中段に構える。
 今度もガウルの構えは上段だ。フェイとガウルは笑みを浮かべていた。自分の技を自分と同じレベルでぶつけ合える喜びに彩られた笑みである。
「おおおおっ!」
 ガウルが雄叫びを上げ、木剣を一気に振り下ろす。体が一回りも、二回りも大きく見えるような全力の一撃だ。
 フェイは振り下ろされたガウルの木剣を自らのそれで受ける。いや、木剣がぶつかる寸前、フェイは木剣を斜めに傾けたのだ。
 ガウルの上半身が泳ぐ。全力で放った一撃、それを受け流されたことで体勢を崩したのだ。
 フェイは地面を蹴り、擦れ違い様にガウルの脇腹に木剣を叩き込んだ。
「……うわ、勝っちゃった」
 クロノの呟きはその場にいた全員の気持ちを代弁していたのかも知れない。
 シーンと周囲が静まり返る。
 ギロリとガウルはフェイを睨み付け、
「ハハハッ、貴様は凄いな」
 実に楽しそうに笑ったのである。
「貴様のように強い女は初めてだ。名前は?」
「フェイ・ムリファインであります」
「そうか、俺の部下にならないか?」
 こ、この野郎! うちの大事な士官候補生を引き抜く気か! とクロノは駆け寄ろうとした。
「……申し訳ないであります」
「無理強いはしないが……どうしてだ?」
 むむっ、とフェイは難しそうに眉根を寄せた。
「理由は色々であります」
「そうか、ならば仕方がないな」
 ガウルはクロノを見つめ、不愉快そうに舌打ちをした。
「今日は何のようだ」
「いや~、糧食や医薬品面でサポートできればと思って」
 この野郎、と思ったが、クロノは愛想笑いを浮かべて答えた。
「要らん、帰れ」
「いやいや、帰れと言われても……手ぶらで帰っても上から怒られそうな気が」
「一筆書いてやるから、フェイを置いて帰れ」
「いやいやいや、何か、こう……帰るにしても補佐した実績が欲しいなと」
 帰るつもりはないけどね、とクロノは心の中で付け加える。
「……チッ、好きにしろ」
「ありがとうございます。じゃ、申し訳ないんですけど、物資の出入りについて調べたいんで納入書や帳簿を見せて貰えませんか?」
「着いて来い」
 勝手に探せ、と言われるかと思いきや、ガウルは歩き出した。
 少し遅れてガウルに着いていくと、レイラとスノウがクロノの脇を固める。
「クロノ様」
「どうだった?」
 クロノは歩きながら尋ねる。
「はい、ガウル大隊長の評判はそれほど悪くありません。前回、蛮族と交戦した際は瓦解する前線を支えるために駆けつけ、足止めしたとのことです」
「ん~、でも、みんなはお腹一杯食べたいみたいだよ。ボクがクロノ様の下で働いていると、お腹一杯食べられて、お酒を飲めたりするって言ったら、羨ましそうにしてたもん」
 なるほどなるほど、とクロノは頷いた。
 前線基地の中央にある部屋に入ると、ガウルは奥の部屋から箱を持ってきてテーブルの上に叩きつけるように置いた。
 箱の中には羊皮紙が乱雑に詰め込まれ、どれがどれだか分からない状態だ。
「取り敢えず、糧食とそれ以外を月毎に並べようか? レイラ、手伝って」
「分かりました」
 羊皮紙をテーブルの上に広げると、ガウルは目を丸くしていた。
「ハーフエルフが文字を読むなど聞いたこともない」
「一対一(マンツーマン)で教えたから」
 クロノは羊皮紙をより分けながら答える。
 レイラと一緒により分け、より分け……過去数年分の納入書を糧食とそれ以外に分類する。
「相場に関してはレイラの方が詳しいと思うんだけど、どう?」
「はい」
 クロノが糧食の納入書を手渡すと、レイラは素早く新しい納入書に目を通した。
「相場だと?」
「うちでは副官とレイラに糧食の受け取りや商人との折衝を任せてるから」
「……穀物は相場に比べて二割から三割程度高いようです。相場の二割五分増で糧食を購入すると仮定すれば必要量の八割しか購入できない計算です」
 大隊を維持する軍費は帝国から支給され、大隊長は人件費以外の使用用途に関して大きな裁量が与えられている。
 だが、軍費は適正価格で武防具を、相場に近い価格で糧食を購入しなければ足りなくなる金額だ。
 つまり、自由に使える金額など雀の涙なのだ。クロノは給料と糧食以外の全てを自分で負担しているので、部下は帝国軍においてトップクラスの恵まれた住環境と食生活を享受している。
「私が見る限り、この大隊の人間と亜人の比率は三対七。人間が必要量を確保できるように糧食を配分すれば、亜人に配分される糧食は兵士が一日当たりに必要とする量の七割にしかなりません」
「……なるほど」
 やっぱり、ワイズマン先生を雇ったのは正解だったね、とクロノはレイラの報告を聞きながら思った。御秀堂養顔痩身カプセル第2代
「クロフォード男爵領か、エクロン男爵領の商人に見積書を作らせれば必要な糧食は確保できるね」
「何をするつもりだ?」
 ガウルは交渉ごとに疎いらしい。
「見積書を見せて、これと同じか、それよりも安くして欲しいってお願いするんだよ。同じなら取引続行、少しでも高ければ次からは別の商人と取引するだけ。他に値切れそうな所はないかな?」
 

2013年6月4日星期二

冒険準備

盆地と周囲の山岳部が国土の大部分を占めるシーイス公国の標高は高い。初夏に差し掛かりつつあるとはいえ、明け方はまだ気温が低く肌寒い。。
 異世界に来て初めて屋根のある場所で眠りについた直時は、寝心地良いとは言えないベッドであったがその温もりに包まれて熟睡していた。曲美
「朝よ。起きなさい」
 フィアの声にも反応が無い。朝と言っても、漸く空が白み始めたばかりである。町の通りも人の気配はない。
 野宿中は太陽とともに起きだしていた直時も、固い地面や夜露を気にせずに済む寝床に昨夜の酒も手伝って、起きる兆しは全く見えなかった。
 数度声をかけても寝息のリズムさえ崩さない直時にフィアは実力行使を敢行した。魔法陣が描き出される。
「凍てつく息吹 『落霜(おちしも)』」
 主に食材等を低温保存する場合の魔術である。
「――っ!」
 声にならない悲鳴を上げて跳び起きる直時。
 昔、休日の惰眠を貪っているところへ、妹に寝巻の中へ氷を放り込まれたことがある。それを遥かに上回る攻撃である。
「なっ? なっ! なぁっ?」
 真っ黒な髪と眉毛と睫毛が霜で真っ白、鼻毛からは小さな氷柱がぶら下がった。
「時間が無いんだからさっさと支度する!」
 有無を言わさぬフィアという名の鬼がいた。
 リスタルの町からかなり離れた森の中で、フィアの魔術教室が始まった。
「先ずはどんな魔術か見てみなさい」
 フィアが右手を前に突き出す。
「焼けつく炎 『炎弾』」
 極短い呪文と共に掌から現れる魔法陣。その中心から火球が出現。十メートル程先の岩へ飛んでいく。炎が揺らめいて視認し難いが、炎の核となっている部分は人の頭ほどの大きさである。
 標的となった岩へ着弾後、炎が対象を包み込むが、五秒ほどで消えてしまった。
「……火炎瓶より威力無いじゃん」
 初の攻撃魔術を教えてもらえると、期待していた直時の肩が落ちる。
「文句言わない! 攻撃魔術の基本術式なんだからね! 使いこなせるようになれば次の魔術を教えてあげる」
「ぬう。了解」
「目にした後だから、イメージは出来るわよね? じゃあ、魔法陣を憶えなさい。どんどん撃つから、構築される魔法陣をよく見て」
 フィアが間を置きながら三回の炎弾を放つ。
「だいたい憶えたから見てもらっても良い?」
「え? もう? まあ、間違ってると思うけど試しにやってみなさい」
「了解」
「焼けつく炎 『炎弾』」
 直時はフィアの数度の攻撃で焼け焦げた岩に、見事火球を当ててみせる。
「おお! あれだけしか見てないのに凄いじゃない!」
 寸分違わぬ魔法陣を編んでみせた直時に称賛を贈るフィア。
「構成が簡単だったしね。これくらいはやれるよ。でも、わざわざ炎弾撃たなくても魔法陣だけ見せてくれればよかったのに」
「……はぁ?」
 直時が言う魔法陣を見せるというのは、羊皮紙か何かに描いて教えてくれということだと思ったフィアは諭すように答える。
「魔法陣を描いて見せても、大雑把な形ならある程度構成を憶えられるだろうけど、魔力の流れを感じられないとなかなか憶えられないのよ? 陣の大きさや構成する線の太さも正確じゃないといけないし」
「だから魔法陣だけをこうやって見せてくれたら憶えやすいよ?」
 直時は今しがた憶えたばかりの炎弾の魔法陣を眼の前に編んで見せた。が、術は発動しない。
 魔法陣は構築されると、自動的に術者の魔力を吸い上げ即座に発動する。そして、発動後すぐに消えて無くなる。魔術の発動と魔力消費の効率化、合理化を極めたためである。人魔術の当然の現象が、フィアの目前で覆されていた。
「……何をどうやってるの?」
 茫然としたフィアに気付かないまま、直時は編んだ魔法陣を難しげに見ている。
「それにしてもこの『炎弾』って攻撃魔術、炎の速度は遅いし威力も微妙だし実戦で使えるの? 離れたところから撃っても普通に避けられそうだよね? あの盗賊が使った氷の槍みたいに複数発射で面を制圧するような魔術にするか、せめて速度だけでもどうにかしたいところだよなぁ。でさ、魔術回路の此処が発射速度決めてる部分でしょ? この部分に風系の加速術式を組み込んで、あと火力も風速で消えないように上げて……って、どうしたの?」
 魔法陣を発動させないまま維持している事も驚きだが、魔法陣の改造までしはじめた姿にフィアの口はポカンと開いていた。
「――とりあえず改変してた魔法陣でもう一度やってみて?」
「思いつきで触っただけだから、チェックしてないよ?」
「いいから!」
「怒らなくてもいいじゃないか…。じゃあ、いくよ?
 焼けつく炎 『炎弾・改』!」
 照準をより明確にイメージするため、人差し指で標的の岩を示す。描き変えられた魔法陣の中心から、通常の炎弾とは較べものにならない速度で炎が飛び出した。その形は球形ではなく、速度で引き延ばされ葉巻型になっている。
――ヒュンッ!
 当たっても、燃え広がらずに着弾点に炎が集中する。約五秒後、炎が消える。着弾点の岩は軽く溶け、小さな窪みを作っていた。
「うんうん! これなら実戦でも役に立つかな? でも魔術回路にまだまだ無駄があるみたいだな。消費魔力の総量の割に威力が上がらなかった気がする。俺の魔力量は規格外みたいだし、多少燃費悪くても問題は無いか」
 満足そうに頷く直時にフィアが無言で近寄る。
「――ぐぼっ!」
 フィア渾身のボディブローが鳩尾に決まって崩れ落ちる直時。
「……なんで?」
「いやぁ。何故か理不尽な怒りが込み上げて来ちゃったのよ。ごめんね?」
 テヘっと可愛く謝る姿に、sex drops 小情人
「その仕草が許容される年齢じゃないだろ……」
 禁じられた言葉を聞かれた直時は、笑顔の踵落としを頭頂にもらって沈むのであった。
「出発前にしっかり教え込まなきゃって早起きしたのにあっさり習得するわ、低威力の魔術で無茶な行動を抑制しようとしてたら高等魔術に書き換えちゃうわ、おまけに魔法陣の術式発動無しの維持までしちゃうし! あああああああ! もう!」
「何か変なことしたかな?」
「禁止事項に魔法陣だけを編むっての追加よ! 普通あんなこと出来ないんだからね?」
「あはははは。なんかごめんね?」
 激高し混乱するフィアにとりあえず謝る。このあたり、なぁなぁまぁまぁな日本人のスキル発動である。
予定より大幅に早く町へと戻ると、起き出した住民達が活動を始めたようだ。そこかしこの店が開店の準備を始め、忙しなく往き来する人が増えていた。
「何か余裕が出来たのに疲れちゃった気がする……。まあいいわ……。ヒビノの装備を調えに行きましょう」
 フィアの出発は正午である。自分の準備は食糧くらいなので、先ずは独りで活動する直時の準備を優先する。
「主武器は槍でいいとして、他にも何か見繕っておきましょう」
 手始めに武器屋に行くことになった。男として色々な物が刺激され、直時は単純に喜んでしまう。
 リスタルの中央大通りを歩く二人は、フィアが見つけた店に足を向ける。木の看板には剣と楯が彫り込まれ、武器だけでなく防具も取り扱っている事を表している。
 所狭しと並べられた武器に年甲斐もなく惹き寄せられる直時。二メートルはあろうかという斧槍。波打つ刃が美しい大剣。無骨な片手剣。尖ったハンマーの様な得物は戦鎚だろうか? 他にも普人族に扱えるとは思えない重量感溢れる戦斧等々。
「はいはい。涎を垂らして眺めるのはそれまでにして、自分が扱えそうな武器を選びなさい。分をわきまえて選んでよね」
「了解」
 フィアの言葉に正気に戻る。
(格好良いけど両刃の両手剣とか無理だな。片手剣も分厚過ぎる。無茶苦茶重そうだしな。戦国時代の合戦とかじゃ槍と弓が合理的だったらしいしなぁ。弓は当てるの難しそうだし却下。槍は盗賊から奪った物があるから、近接戦闘用の武器が要るってことか)
 自分の命に関わることだと改めて肝に銘じ真剣に選ぶ。
(実戦経験があるわけじゃ無し、使ったことのある刃物といえば料理で包丁とナイフ、野外活動で鎌と手斧と鉈くらいか)
 直時は大型の武器が並べられている前から、片手用の武器が陳列されている棚へと移る。大振りな物には目もくれず、小振りな武器を熱心に眺める。
「これとこれにする」
 選んだのは丈夫そうな刃渡り30センチ程の片刃のナイフと、同じくらいの刃渡りの肉厚の鉈であった。ナイフと鉈を片手で軽く振って手応えを確かめてみる。
「地味なのを選んだみたいだけど、それで良いの?」
 言葉とは裏腹に、フィアは感心しているようだ。
 単に武器として使えるだけでなく、用途の広いナイフと鉈を選択したことに冒険者として最低限のスキルがあると判断されたようだ。
「これなら俺でも使えるからね。鉈の柄は一握り長い物に出来ますか?」
 後半は店主に向けてである。
「勿論だ。ちょいと待ってな」
 直時の武器選びを興味深げに見ていた禿頭で髭面の親父が鉈を手に店の奥に引っ込む。
「大剣とか選んだら殴ってやろうと思ってたのに、堅実な得物を選んだものね。意外だったわ」
「分をわきまえろって言ってただろ? 実際に自分の命が懸かってるんだから、使えない高価な武器より使える得物を選ぶに決まってる」
 店主が戻ってくるまで防具を見繕っていたが、金属鎧だの盾だのを装備して動ける体格じゃないと自覚している。直時はフィアのような動きやすい革鎧を物色する。
「鎧は身体に合わせて調整しないといけないから時間が掛かるわよ?」
 フィアの助言に今回は見送ることにした。
「待たせたな」
 奥から店主が戻ってくる。
「持ってみな」
 直時は渡された鉈を手に取った。
 先程までは片手で扱うため柄は短く、握り拳二つくらいの長さであったのが、今は握り拳三つ分ほどになっている。すっぽ抜けないように柄の先端には若干の返しが付いている。
 直時は先ず、柄の根元を片手で持って振ってみる。重心が柄に寄ったため、刃の重みが軽減され取り回しが楽だ。片手でも難なく扱える。
 次いで柄の端を握って片手で振る。長くなった分重い。しかし、威力は遠心力が増した分増えただろう。
 最後に両手で握って振ってみる。左手でしっかり固定し、右手は添えるだけ。振りまわすのは身体全体のバネ。軽い。
「兄ちゃん。本当に剣は要らねぇのかい?」
 感心した顔で聞いてくる店主。
「使ったことないんですよ。少しこの町で稼ごうと思ってるんで、お金が貯まったら買いに来ます」
 頭を掻きながら済まなさそうに答える。
「あと、革鎧の材料になる革布はありますか?」
「おう! どれくらい要り用なんだ?」
「マントの半分くらいの大きさで一番安いので良いです」
「あっはっは! 見込みがある兄ちゃんだし、精々サービスさせてもらうわー」
 何故か気に入られたようである。フィアが小さく笑っている。
「全部で銀判貨一〇枚ってとこだが、八枚に負けてやろう。鉈とナイフの鞘と革帯も持って行け」VVK
「えええっ! 嬉しいですけど良いんですか?」
「そのかわり次に武器を買う時は絶対にうちに来い!」
「勿論そうさせてもらいます!」
「がはははは! 待ってるからな! 鉈とナイフは何処に装備する? ここで調整してけ」
 腰や太股、脇の下と色々試した結果、ナイフは左腰に、鉈は腰の後ろに右手で取れる位置に決まった。
「兄ちゃんの名前を聞いてなかったな。俺はブラニー・ベルツ。このベルツ戦具店の店主だ」
「タダトキ・ヒビノです。宜しく」
 直時の下げた頭をベルツの大きな掌がガシガシと荒っぽく撫でた。
 正午まで時間があったので、フィアの保存食と直時所望の裁縫道具を購入し、宿へと戻る。フィアの出発に間に合うよう食事の時間も取れるようなので、荷物を部屋へ置いた二人は食堂へと向かった。
「あら! こんにちは。早朝からお出かけのようでしたが、御昼食はこちらで?」
 受付のアイリスが声を掛けてきた。
「ちょっと急ぎの用事があったの。朝御飯食べ損ねちゃったわ」
「ふふ。その分お昼は存分に召し上がってくださいな」
 直時も朝食抜きを思い出し、空腹感が増す。
「ちょっと早いけど、食堂は開いてる?」
 フィアが確認する。
「大丈夫ですよ。御食事されているお客さんもいらっしゃいます」
 アイリスの返事に安心して食堂に入る二人。さすがに客はまばらであったが、見知った顔が見えた。
「おう! こっちだこっち! 一緒に食おうぜ」
 ガラム一行が大テーブルの一つを占有していた。
「貴方達もここで昼食?」
「まあな。ここの飯は美味いからな」
「集合場所はギルドじゃなくても良かったわね」
「いや、そっちのお連れさんがギルド登録するんだろ?」
 テーブルメンバーの視線が直時に集中する。
「判らない事はギルドの職員さんに聞くのでお気使いなく。フィアも折角皆さんが集まってらっしゃるし、ここから出発すれば?」
 直時としては何から何まで面倒みてもらうのも居心地が悪い。
「じゃあそうするかなぁ」
 少し不服そうなフィア。
「とりあえず、座りなよ。フィア嬢と?」
 優男のリシュナンテが窺うように直時を見る。
「タダトキ・ヒビノです。御相伴に与ります」
 ガラムの隣に座ったフィアの横に腰を下ろす。
 ちなみに、ガラムの反対横には妹のラーナ、続いてリシュナンテ、ダン、ヒルデガルドと座っている。
「そう固くなりなさんな。俺の名はガラムだ」
「はい。昨夜の方ですね。ガラム・ガーリヤさんと記憶しております」
 虎男の迫力についつい敬語である。
 ガラムはリーダーとして、仲間を順に紹介していく。フィアと隊を組むことであるし、名前と顔を憶えていく直時だったが、うち二人の視線が少し気になった。
(リシュナンテは魔術師か……。『アスタの闇衣』に反応したか? 何を隠しているか知られなければ問題ないだろう。あとヒルデガルドって竜の人も気付いてるっぽいな。注意しとこう)
 フィアを見つけて飛んできた給仕のミュンに昼食の注文を頼む。フィアはミュンお勧めの魔鳥のロースト。直時はヒルデガルドが執拗に勧めた自分と同じクリームシチューと芋のサラダ。パンは同席したのだからと、ガラム達のパン籠から頂戴することになった。
「出掛けていたのはヒビノの魔術指導と装備の購入か? して、どのような武具を購入したのかの?」
 ドワーフのダンが直時の装備を聞く。
「自分は初めての冒険者活動ですし、護身用の槍の他に便利な品ということでナイフと鉈を購入してきただけです。鎧は装備した方が動けなくなるだろうし、買いませんでした」
 うむうむとダンが頷いている。
「先ず実用的な品をという選択は正しいのう。初心者としてはなかなかであると思うぞ? これからは日々精進されるがよい」
 謙虚な姿勢の直時を気に入ったようである。単に自信が無いとも言えるが。
「それでどんな魔術を教わったのだ?」
 いつの間にか直時の隣に移動したヒルデガルドである。
「基本の攻撃魔術ということで、炎弾の術を教えてもらいました」
 突然の至近距離からの質問に狼狽えてしまう直時。フィアの眉がピクリと動く。
「ちょっと待て。冒険者になろうという者に、炎弾の術式だけしか教えていないのか?」
 ヒルデガルドがフィアに問い質す。
「タダで教えてもらえるんだから、最初はそんなもんでしょ?」
「槍の手練なのか?」
「いやいやいや。俺は武器そのものが初めてですよ」
「おいおい! 武術も魔術も素人な奴を冒険者ギルドに放り込むのか?」
 流石にガラムが驚愕する。妹のラーナも可哀想にと呟いた。何やら空気がおかしい。
 皆の非難がフィアに集中してしまい、居心地が悪くなった直時は、ちょっと言い訳を始めた。
「まあ、ゆっくりこつこつと安全な依頼から経験を積んで行こうと思ってますから大丈夫ですよ。攻撃魔術も実力が上がれば段階的に教えてもらえるそうだし」
 いざという時は精霊術全開で対処しますとは当然言えない。フィアがムスッとしている。
「こちらの依頼が終わったら私が指導してやっても良いぞ?」
 ヒルデガルドが直時の耳元で囁く。男宝
「……遊んでますね?」
「お姉さんは本気だよ?」
 確信を持って問う直時に、艶然とした微笑が返ってくる。
(いや! この顔は絶対に遊んでる! いじってる! 玩具認定しているっ!)
 直時の確信は深まるだけであった。
 出発の時間となった。
 早めの昼食を済ませた一行を見送るべく、直時も宿屋の前に出る。フィアがすぐ隣に並んだ。
「今朝言ったこと、くれぐれも憶えておいてね。自分でも言ってた通り、コツコツと安全にね? 無茶は厳禁よ?」
「わかってるって。ごめんな、心配懸けて」
 本当なら残りたそうだが、依頼を引き受けたばかりではそれも出来ない。フィアの心配を余所に、直時は相変わらずのほほんとしていた。
「皆さん、どうかご無事で! 依頼の達成を祈ってます」
 全員が直時に笑顔を返した。
 直時と別れた後、フィアを含むガラム隊の面々はリスタルの街の外、街道脇の草原で本当の出発をしようとしていた。
「さて、加護祭まであと十日。既に設営隊は現地入りを始めている。ここからは急行するが準備はいいか?」
 リーダーのガラムがメンバーの顔を見回す。
 リスタルから目的地のリメレンの泉まで十日かかるというのは、あくまでも普人族が普通に移動してのことである。移動補助魔術や、騎乗魔獣の移動でも基本的に街道に沿って移動するため、時間がかかる。
 しかし、高い能力を持つ高レベル冒険者達に街道の有無はあまり意味がない。精霊術を憶えたばかりの直時でさえ、一般の三倍以上の移動力がある。
 全員が頷いたのを見届けたガラム。
「じゃあ予定通り三日の行程で進むぞ?」
 ガラムが魔力を四肢に集中させる。ラーナも同様だ。
 ダンが土の精霊術で石製の小船を作り、リシュナンテがそれに『浮遊』『地走り』の人魔術を施す。
 ヒルデガルドは背中から竜翼を伸ばした。
「風の精霊で加速出来るから、もう少し早くなるわよ?」
 フィアが風を纏いながら言う。
「全員にいけるのか?」
「任せなさい」
 ガラムの問いに力強く応える。
「精霊達、我と仲間を重さの楔から解き放ち、その身を運べ……」
 呪文ではなく精霊との対話である。
「身体が羽毛みたい!」
 ラーナが感嘆の声を上げた。
「流石は晴嵐の魔女……。これなら二日かからないんじゃないか?」
 ガラムからは呆れたような声だ。
「では、往くか!」
 ガラムが先頭を切って、目的地であるリメレンの泉へ最短の方角へ駆けはじめる。
 四肢を魔力で強化し疾駆する虎人族。
 空気を押し退け低空を飛ぶ石船にはドワーフと普人族。
 その頭上には翼を広げた竜人族。
 皆と自身に風を纏わせ宙を翔るフィアは少し後方だ。
 六つの影は野を森を山を谷を一陣の風のように吹き抜けて往くのだった。狼1号

2013年6月3日星期一

再会、それぞれの想い

シーイス公国リスタルで直時達の宴が混沌を深めている頃、王都ヴァルンの王城の一室、軍務長官ヘンリー・ギルサンの執務室で二人の男が向かい合っていた。
 ひとりは勿論この部屋の主ヘンリーである。従卒や秘書官を下がらせ、対面している相手は誰あろうジュリアーノ公王であった。侍従や衛兵は部屋の外で待たせている。公王がお側付きを外に会う人物は、公国においてヘンリーだけであった。軍事機密の流出を防ぐためだとか、政に重要な情報をやりとりするためだとか理由を付けてはいたが、信頼のおける臣下と忌憚のない話がしたかっただけである。OB蛋白痩身素(3代)
「――カールに敵対行動と取られる懸念があり、近衛は動かせません。東部国境沿いには表向きは要請通り、トリエスト回廊保持の援護名目で第一〇一及び二〇一騎獣偵察大隊を派遣しております。他に東山岳兵師団を国境線に貼り付かせ、後方アロウザ駐屯地に北と南、両山岳兵師団を集結させ待機させています」
 先ずはヘンリーの報告に耳を傾けるジュリアーノ公王。
「空中騎兵はどうなっておる?」
「翼手蜥蜴(よくしゅとかげ)隊は航続距離、氷象鷲(ひぞうわし)隊は速度に不安が残るため王都防空に。他は全騎、白乙女山地山麓、雪竜の郷の境界近くに設営した臨時空中騎兵基地にて待機中です。命令が下れば、公国のどの方面へも即座に出撃可能です。雪竜隊は念のため、雪竜の長から召集があったとの偽報を流しました」
 ヘンリーからの報告は主に軍の展開状況である。内容は剣呑そのもので、フルヴァッカの残党より同盟国であるカール帝国に対する兵力配置となっている。
「何とかかき集めてはいるが、戦力が足りぬな。ああ、西方師団からも兵を引きぬいて構わぬぞ。例の件、ものになった。茶番だが明日は面白い見世物がある」
「ヴァロアの件ですな。賠償は上手く運んだのですか?」
「あの国は方々に敵を作ってしもうたからな。ほぼ、こちらの言い値であったわ。しかし、渡りに船だったが此度の急激な軟化は正直言って解せぬ」
 公王ジュリアーノが眉間に皺を寄せた。交渉当初の見積りでは要求の三割が取れれば御の字だったが、八割以上の賠償が支払われることとなった。その代わり、不可侵条約の早期締結と民間の経済交流復活が条件となった。国の体面上、侵略の謝罪は遺憾止まりとなったが、事実上は敗戦を受け入れた形となる。
 リスタル防衛戦の戦後処理が早期決着となった背景には、戦いに敗れた事もあるがヴァロア王国が白烏竜の件で竜族から不興を買ってしまったからとされていた。いわゆる『竜禍』である。とばっちりを恐れた諸国が関係を断ったため、四面楚歌となったヴァロアが雪竜と盟約を結んでいるシーイス公国へ下手(したて)に出た。少しでも竜族の怒りを和らげるためだと分析されていたが怪しくなってきた。
 かの国は、王家同士繋がりのあるエスペルランス王国とも関係が悪化している。特にラガ島強襲に際して援軍を派遣出来なかったことが響いた。苦渋の選択として、ヴァロア王国はシーイスへと密使を派遣したとされていた。
 シーイス側にはつい最近侵略の手を伸ばしたヴァロアと和解することに思惑はあったが、同じようにヴァロア側にも何かあるようだ。
「カールの北灰洋艦隊はブリックとの衝突は避け帰港。まぁ海戦はブリックの方が上だからのう。エスペルランスはラガ島を奪ったものの、海戦で流れた血が肉食魔獣を呼ぶ結果となり行動不能。央海はまだ荒れておるのか?」
「大小の肉食魚獣やそれを餌にする大型の鳥魔獣まで集まっており手が付けられません。今は危険海域になっております。商国マケディウス沖なので海運にかなりの影響が出ていますな。フルヴァッカ侵攻へと物資を優先した経緯もあり、ロッソから我が国への流通品が激減しております」
「ふむ。いい気味じゃと思っておったがそうもいかぬか。補給物資の供出はカールにもせっつかれておるしのう」
 シーイス公国は農業、酪農が盛んであるが何と言っても小国である。生産量には限りがある。
「ヴァロアもしたたかですな。賠償金は払うが、その金で物資を買ってくれということでしょう」
「弱みばかりは見せられまいて。こちらにも益がある。精々足元を見てふっかけられないようにせねばな」
 現在、ヴァロアの流通はほぼ国内だけになっており、今回の交渉は国外流通路の確保という一面もあった。
 ヴァロア王国からの申し入れは一般人からは厚顔無恥も甚(はなは)だしいが、国家の付き合いは普通ではない。密約、裏切り何でもあり、昨日の敵は今日の友で明日の敵なのである。地球でも、不可侵条約や停戦条約を馬鹿正直に守ったがために大損をした国もある。
 兎も角、ヴァロア王国は国益を優先したようである。王族か貴族かは判らないが、関係各位の血気を抑える事が出来て、損得勘定に長けた実力者がいるようだった。
 謁見では表面上シーイス公国側がヴァロアの使者を罵倒し、使者が個人的に平謝りしてみせるという茶番が演じられる予定だ。謝罪は彼の個人的な行動で、ヴァロア王国としては「ふんっ。済まなかったな」という尊大な見解を崩さない。
 公式な使者にそんな言い訳が立つのかとも思うが、シーイス側はそれで良いと了承した。勿論王府の独断ではない。雪竜の長から許しも得た(興味を引かなかっただけという話もある)。
 公王との謁見は入れ違いになったが、ヴァロアの使者は密書を交わして先程帰ったばかりだった。普通なら長期にわたる交渉を短縮出来たと喜ぶが、裏に隠れた事情を疑って情報部はヴァロア側の諜報へ力を入れることになる。
「例の件はどうなっておる?」
「竜姫からは色良い返事は皆無です。興味が無いとは思えませんが、机上の空論であると思われているようですな」
「絵に描いた城の王になってくれと言っても冷笑されるだけだろうな。次の段階には行けそうか?」
「ノーシュタットに二千。ヴァルンに五百ですな。入植はリスタル東の高地で既に直轄領として接収済みです」
 シーイス公国全土から不当に酷使されていた獣人族を保護、ノーシュタットとヴァルンに保護していた。人身売買組織や奴隷商は捕縛され、財産を没収されている。リシュナンテがティサロニキを去り際に直時へと粛清を仄めかしたのは、実はこの計画が不自然に伝わったからであった。全ては隠密理に進められたため、不完全な情報がカールにもたらされたようである。
「ヒルデガルド殿にはこの構想と共に再度要請します。断られてもギルドを通して指名依頼を致します。それに加えて是非とも御報告したい事があります」
「申せ」
「竜姫の定宿に『黒髪の精霊術師』と『晴嵐の魔女』が姿を現しました」
「お前の耳にも入っておったか。これが吉と出るか凶と出るか……」
 公王は直属の諜報組織を持っている。時を同じくして情報を得たようだ。ヘンリーは、少し考えた後口を開いた。
「ヒルデガルド殿が指名依頼を拒否された時は彼に――」
「それもひとつの手か……。黒髪の報告は受けておる。カール帝国のシーイス乗っ取りに見向きもしなかったのなら、案外使えるのかもしれん」
 祖国を愛するが故に、祖国を試練へと進ませる決意をした二人の密談は夜を徹した。


 高原の癒し水亭とその周辺は酷い有様だった。まさに死屍累々。酒精に撃沈された者とフィアとヒルダにぶっ飛ばされた者が横たわり、寝言や鼾(いびき)がそこかしこから聞こえていた。放置されているのは冒険者と独身者で、殆どの住人達は回収に来た家族に怒られながら帰宅した。
「散らかしたままで心苦しいですけど、俺達もそろそろ帰ります」
「あら、何処にお泊りですか? うちは……空室は埋まってしまいましたね」
 酔いつぶれた父、オットーに水を飲ませているアイリスが直時へと訊ねた。彼女も相当飲んでいたようだが、少し赤いだけで普段と変わらない。オットーの様子から母方に酒豪の血が流れているのだろう。強効痩
 宿の空室は女性の酔客にあてがわれていた。流石にそのまま放置するわけにはいかなかったのだ。野郎どもはそのまま放置されている。ブラニーも床で大きな鼾をかいていた。
「今夜はミケさんちに泊めてもらうことになりました。うーむ、しかし酷い。明日、後片付けを手伝います」
 あまりの惨状に直時が申し出る。
「ヒック。若い娘達は部屋に放り込んで来たぞぉ? ヒック。私の部屋も空けてあるから好きに使え。ヒック」
「アハハハハハハっ! タダトキぃ~、女の子いっぱいよ? あられもない姿の娘(コ)がいっぱいおっぱいアッハッハ! ――もいでやろうかしら?」
 微妙にしゃっくりをしているヒルダと、笑い上戸(じょうご)の中に怖い台詞を混ぜるフィア。二人とミケが酔いつぶれた娘達を部屋へと運んだのである。ちなみに直時は触ら――もとい、運ばせてもらえなかった。
「うにゃー。それじゃ、帰るニャァ。タッチィはあんまり酔ってないニャ? ウチもすこ~し酔ったから、後は任せるのニャー」
 ミケは普段より少し声が大きいくらいだろうか? それでも酔っ払っているようには見えない。直時は途中で厨房に逃げていたし、周囲の酔っ払い具合に引いてしまったのでそこそこ具合の良い酔いっぷりである。
 ミケの任せるとは尾行に対する目眩ましの事だ。改造人魔術をひけらかすことは出来ないが、夜が更けた今、闇の精霊は最大限の効果を発揮する。直時だけでもミケの隠れ家が発覚する心配は無いと判断したようだ。
「それじゃ、また明日」
 アイリスに挨拶をして宴を後にする直時。あからさまな酔っ払いエルフのフィアと、静かに酔っ払っているヒルダにびくびくしながら、自己申告の酔っ払いミケに続いた。
(やっぱり尾行はあるんだなぁ。ヒルダさん絡みか、俺のせいか……)
 放った探査の風に複数の反応があった。影に隠れている精霊獣達も気が立っている。
「心配すんな。ダーイジョブ! まーかせて!」
 小声で宥(なだ)めた直時は周囲の闇の濃さを増す。視認不可となった時点で一切の気配を闇の精霊に消してもらう。ミケが小さく頷いて足を進めた。直時の頭の上には、いつの間に姿を現したのか闇の精霊獣クロベエがチョコンと乗っかっていた。

 隠れ家へは何事も無く辿り着いた。ミケは人数分の寝床を用意するため家の中をひっくり返しはじめ、ヒルダは宿から持ってきた荷物から酒を出し、フィアは椅子に座るなりテーブルへ上半身を投げ出した。
 直時は昼と同じく警戒魔術を編み、周辺への警戒を厳にする。精霊獣達も影から姿を現し、それぞれ配置へ着く。風獣フーチは風に、土獣ゲンは石床と同化、闇獣クロベエは闇に隠れた。水獣チリと火獣ホトリは迎撃担当であるが、姿を見せた途端にフィアとヒルダに捕まって遊び相手にされていた。
「ミケさーん。煙草を喫(す)いたいんで、換気の良い所を教えて欲しいんですけど?」
 警戒措置を取り終え、一息入れようと声を掛ける。トタタタっと走り回っているミケは無言。聞こえていない筈はないのに完全に無視であった。
「言葉遣い」
 ヒルダがそっぽを向いたままぼそりと言う。宴の席で絡まれた原因である。フィアと同様に話せと言われたが、今更ながらに面映い。
「……ミケ」
 暫く悩んでいたが、直時は小さく口に出した。顔が赤い。
「はいニャ!」
 寝具を抱えたミケが足を止めた。満面の笑みと機嫌よくピコピコ動く猫耳と尻尾。直時は両手を挙げて降参のポーズをとった。
「煙草の煙が抜ける所はある? 無かったら外に行くけど?」
「台所はどうニャ?」
「調理場で煙草は気が引ける。外に行くよ」
「屋根にちょっとした板間があるニャ。ついてくるのニャ」
 案内された二階の渡り廊下に、収納式の小さな階段があった。錘を結んだロープを留め金から解くと天井の一部が下りてきた。屋根裏の大小様々な箱をすり抜け、出入口と言うには小さい扉から外に出ると、傾斜のある屋根に水平の足場が組まれていた。
「物干し台?」
「洗濯物は庭に干すニャ。お星見(ほしみ)用の板間なのニャ。日向ぼっこにも最適なのニャ」
 シーイス公国に限らず、アースフィアには夏と冬の流星群を眺める習慣がある。大概は庭や公園で眺めるのだが、より高い場所で見ることが『通(つう)』とされている。家を建てた人物の趣味なのだろう。
「これだけ厳重に警戒、遮蔽、擬装してれば心配無いニャ。安心して一息入れるニャ。寝床の用意が出来たら呼ぶニャ」
 ミケはそう言って家に戻った。人魔術、精霊術、さらに精霊獣の守護まである。それでも直時は闇の精霊術で視認阻害に周囲の闇を濃くし、『光学迷彩』を重ねがけした。煙草の火への配慮である。
「――普人族、普(あまね)くあれと始母に望まれた人族かぁ……」
 星空の下、床板に腰を下ろして屋根の傾斜に背中を預けた直時が呟いた。右手だけで器用に刻み煙草を丸めて火皿へ押し込む。吸口を咥え、初歩人魔術、着火の術式で出した炎から火を移す。
――スパッ。スパッ。ふぅー。
 紫煙がたなびき、見上げた星空へと溶けていく。二口、三口。直時が吐き出した煙が風に揺れた。
「フーチか?」
 細い鼬(いたち)のような精霊獣が一瞬だけ直時の肩の上に姿を現し、また風に消えた。煙を散らせて遊んでいるようだ。酒で火照った体にフーチの起こす風が心地良い。
「エルメイア様からの依頼って他の『神人』も受けてたんだよなぁ」
 直時はリッタイト帝国からの使者を思い出していた……。

 ソヨカゼに接近した艦隊はリッタイト帝国のものだった。イリキア王国との戦闘を脇で見ていただけで、直接関係したことはなかった。鎖国中とのイメージがあり、先方から接触を図ってくるとは露程も考えていなかった直時達である。
《艦隊と接触。リッタイト帝国と名乗った。使者は第一王子シルムと言っている。戦闘の意思はなさそうだが不明。警戒して接近する》
《タダトキ殿。シルム殿なら儂も知っておりまする。言葉通り害意は無いでしょう》
 直時からの念話はフィアとブランドゥ、ヲン爺とドゥンクルハイト、人魚族へと繋がっている。
《本当に危険は無いの? ヲンさん、根拠は?》
《リッタイト帝国とは長い付き合いです。王族とも面識はあります。何よりもクニクラド様が信頼する『神人』を守護神とする国ですし、タダトキ殿のことは伝えておいでです》
 暗護の城はリッタイト帝国領内に在るし、神々が治める地が領域なら当然何らかの接触はあるだろう。直時は、「神人って他にも居るのか?」「個人情報は流さないでくれ」という疑問や愚痴を抑えて眼前に対処しようとする。美諾荷葉纖姿
《……ソヨカゼは厳戒態勢のまま。マーシャさん達と護衛は砦で待機。人魚族は今の距離で包囲を継続。たまに浮上して姿を見せつけてやって下さい。リッタイトへは旗艦のみ接岸を許可。使者を受け入れます》
《了解よ。ブランドゥは上空哨戒を継続。私はタダトキと合流して誘導援護する!》
《お手柔らかにお願いしますぞ。儂と暗護の城からの者は会見場所の用意を致しましょう》
 直時の決定にフィアとヲン爺が答える。
《それじゃあ噴水前広場で野外会見にしましょう。ドゥンクルハイトさん、同席お願い出来ますか?》
《地上を近付く者はおらぬ。我は構わぬが、仔等はどうする?》
《ハティさんとホルケウには砦周辺の警戒をお願いします。何も無いとは思いますけど避難した人達の護衛を頼みます》
 魔狼、黒狼族の長が同席することで威圧を与えたい直時。一国を相手に交渉をするにはソヨカゼはまだ小さ過ぎる。ヲン爺の言葉を疑うわけではないが、折角作った新居である。簡単に攻められないように、出来るだけの牽制はしておきたい。
 精霊術を操るのは、『神人』日比野直時、妖精族のエルフでメイヴァーユの加護を持つフィア、直時の刻印を持つ白烏竜ブランドゥ、黒狼族の長ドゥンクルハイトと海獣を従えた人魚族。加えて神々の一柱クニクラドの臣下もいる。戦力だけなら相当なものに映るだろう。

「いくらなんでも気負い過ぎだったよなぁ」
 フィアの負傷がトラウマとなっていた直時。そのために現状で最強の布陣をもって出迎えたが、全てが杞憂に終わった事を思い出して赤面した。
 リッタイトの王子シルムは最初の接見から最後の別離まで平身低頭だった。クニクラドの威光と思ったが違っていたようで、リッタイト帝国の守護神となった神人から、くれぐれも直時に対して粗相のないように念押しをされていたそうである。
 会談は無理な要求や交渉は何一つ無く、お互いに名乗りあった後はリッタイト帝国の国情だとか、ソヨカゼで足りない物資とか、本当に当たり障りの無い話ばかりだった。しかし、世間話に混ざるようにリッタイト訪問の約束や、特に守護神である神人との会談の言質を取る等、抜かりのない使者振りを見せたシルムである。
 直時の場合、ソヨカゼはまだまだ町とも言えない規模なので、国同士の交渉という意識は無く、「時間が取れれば遊びに寄らせてもらいますー。その時は事前に連絡入れますー」と言う程度の答えだったが、のらりくらりと確約を取らせないことが逆に評価されていたりする。
 興味深い話の数々の中、直時が特に驚いたのが『神人』の話である。リッタイト帝国には積極的に関与している『神人』がいるというのだ。彼の御業で国民の大部分は『普人族の呪い』(直時としてはこの表現はどうかと思ったが……)から解かれたそうである。
 バァルというその神人は普人族の因子を封じ、他の種族の因子を表に出すことで他種族への拒絶を抑制することに成功した。しかし、それは同じ普人族への反発を高める事になってしまった。リッタイトが西方諸国と相容れず、常に紛争状態である理由である。
 ちなみに第一王子であるシルムは、普人族なら使えないはずの固有術を披露してくれた。腕を獅子のそれに変化させ、鋭い爪を伸ばして見せたたのだ。リッタイトの王族には獅子人族の血が濃く混じっていたようである。
 神人バァルの研究は今も続いており、新たな異邦人である直時の来訪を待っているそうである。そして東西の断絶は、依頼主でありギルドを統括するエルメイアの思惑だった。無用の摩擦を起こさないために交流を抑制しているとのことだった。
「異世界の知識が役に立つかもしれないってのは判ったけど、俺は専門家じゃないからなぁ。聞きかじりの知識でどうにかなるものかねぇ?」
 過剰な期待は重荷でしかない。直時にも何とかしたいとの想いはあるが、あくまでも出来る範囲でのことだ。
「まぁ、ぼちぼちやるしかないわなぁ。心配だってだけで来てみたけど、リスタルも順調に復興してるし、皆しっかりと地に足つけて生きている……。俺なんかがどうこう言うべきことなんて無かったのだろうなぁ」
 宴の酔いに乗り遅れてしまい、更に独りになったことでだんだんと後ろ向きな感じになってきた直時。
 そんな彼を元気付けようと散っていた精霊獣達が姿を見せる。フーチが肩に座って顔を舐め、クロベエが頭の上にモフっと乗っかる。座った脚の間にはゲンが鎮座し首を伸ばして顔を窺っていた。
 ほっこりした直時は煙管を仕舞って、夜空の下で精霊獣達と戯れるのであった。

 所変わって一階の居間である。ヒルダが取り出した酒を迎え酒というか追い酒というか、再び飲み始めたフィア達。寝床の用意が済んだところを捕まったミケも同席している。
「フィアちゃんは何故、今更『アスタの闇衣』で魔力を隠してるニャ?」
「そう言えばそうだな。ミケにはもう話してあるが、タダトキの『刻印』で魔力が増えたことは隠すほどでもあるまい。普人族から見れば、我等は元々大きな魔力を持つ種族と認識されているから、今更どれだけ保有魔力の差が大きくなろうが関係無いだろう? 監視している奴等に気になる者でもいたのか?」
 ヒルダは、以前に較べて増えた魔力に対して一切自重していなかった。対してフィアは今、自身の魔力を撹乱していた。
「んーっとね……。ここの隠蔽と遮断は完璧みたいだし大丈夫かしらね。隠している理由はこんな感じ」
 杯の中身をちびちびと飲んでいたフィアが、アスタの闇衣を解除する。突如として現れる高魔力源。ヒルダが驚きミケの顔が青くなった。以前のフィアとは比べ物にならない。今のヒルダを軽く凌駕する魔力量である。
「多分原因はこれね」
 フィアは左腕を掲げてみせた。直時の左前腕を触媒にして再生した腕である。
「ちょ、ナニソレ! ハァ? フィアちゃん本人より左腕に魔力が集中してるのニャァ!」
 魔力に敏感なミケが言う。元々フィアが持っていた魔力より大きな魔力が左腕に宿っていたのだ。
「生きた魔石とでも言うべきかしら? ともかく魔力の許容量がとんでもなく上がってるの。それにタダトキのあの力――」
「『存在の力』というやつか?」
「そう。それも感じられる。私にはそれを魔力へと変換することは、まだ出来ないのだけれどね」数字減肥
 直時が行う『存在の力』の増強は元の世界で言う仙道における『小周天』に似た我流の方法である。体の中心線が基本となっているため、左腕が起点となるフィアには逆に理解し難い感覚で直時の助言も今のところ無駄になっている。
「ズルいのニャッ! ヒルダっちも精霊術使えるようになってるし、ウチもタッチィの『刻印』をババーン! と、貰ってくるのニャ!」
 走りだそうとしたミケの首筋をヒルダが捕まえる。
「――不味いのではないか? 普人族云々ではない、人族に限らず他の種族にとってもだ。タダトキの体は神器などより余程貴重な代物となってしまうぞ?」
 ヒルダの懸念は、普人族より力がありなお力を求める同族である竜人族や他種族に対してである。普人族のように争いの武器として使うことはないが、強さのステータスとして利用されることを心配したのである。
「タダトキの体を、強化触媒として利用する輩は容赦しない。たとえ妖精族や竜人族、魔人族でも……」
 フィアが据わった目のまま、低い声で答えた。酔い具合と相乗して恐ろしいオーラを放っている。
「それで続きなんだけどね。人魔術の『再生』系の治癒術で触媒となった者の特徴が施術対象に現れることは本来無い筈なのよ」
「確かに聞いたことが無いニャァ」
「タダトキの左腕、治癒は試したと言っていたな? 精霊術だけではなかったのか?」
 ヒルダはいきなり斬りつけたときのことを憶えていた。フィアは確かにそう言った。
「精霊術の治癒は効果無し。人魔術の『肉体再生』はタダトキが嫌がったけれど試したわ。近い姿形の方が良いと思って、盗賊団を狩って材料に――」
「やっちゃったニャ?」
 ミケがドン引きしている。
「――ってのは絶対に嫌だと拒否されたから、魚介魔獣とか食材として狩った魔獣で試したのだけど、全く効果無し。精霊術も人魔術も駄目だったから、自然治癒を促進するってことで死ぬほど食べさせたんだけど変化無かったわ」
 魔狼ドゥンクルハイトの案だったが、食材がリバースして無駄になっただけでなく、何処かが裂けたようで最期には吐瀉物に血が混じってしまった。見かねた狐っ娘のエマが涙目しがみついてきたので中止したのだった。
 食道や胃の傷自体は精霊術ですぐに治癒したので大事には至っていない。良くも悪くも精霊術の治癒はかなり万能なので様々な方法が試みられたのである。いざという時は「精霊術で治る」ということで、彼にとっては災難だったが、それだけフィアが必死になっていたとも言えるので、最初から最後まで律儀に付き合っていた直時だった。
「ところで二人共、『神人』って聞いたことある?」
「神々との間に産まれた子の事かニャ?」
「それは神人族だろう。族が付かないことから、固有の名称であると推測するが?」
「そうね。神人族も結構特殊な人族だろうけど、さらに特異な存在ね。タダトキのように異世界からの異邦人を『神人』と呼ぶらしいの。これはメイヴァーユ様、そしてクニクラド様とエルメイア様からもお聞きしたわ。そして、彼等は本来の世界と違うものをこの世界で得る。一番は寿命。生命力と言い換えても良い。元のそれより遥かに長い時間をこの世界で得るというの」
 フィアはヒルダとミケの顔を交互に見る。初めて聞く話のようである。フィアは続ける。
「下位の異世界に来ることで、上位世界で使用していた不要となった『力』は、まず彼等の存在を存続させようとする力になる。その上で余った力がタダトキのように膨大な魔力や、普人族の始母のように御子に溶け込む能力などになるらしいの。余剰となった力はどんな奇跡にもなり得るけれど、アースフィアという世界の法(のり)にも影響されるようね」
 フィアは神々との対話を思い出しながら語る。
「ということは――」
「タダトキの寿命は普人族より長い」
 ミケの言葉を遮るようにヒルダが言う。肯くフィア。
「ふむ。フィアのタダトキへの態度が変わったのはそれが理由か……。発情でもしたか?」
 揶揄するようなヒルダを睨むフィア。異を唱えたいが、そのことも切っ掛けではあったので否定したくても出来ない。
 妖精族は本来その寿命故に性的欲求が希薄である。成人してから子を産む期間が長いため、伴侶を選ぶ目は厳しい。これは他の長命種にも言えることで、竜人族や魔人族、神人族(神人ではない)も同じである。
 獣人族に関しては、種族毎に差があるため一概には言えない。短命なのは鼠人族(そじんぞく)で五十年前後、長命種では亀人族(きじんぞく)で五百年である。ミケ達、猫人族は意外と長命で三百年を生きる。
「……私は保護者よ。それにタダトキの左腕は私のせいだもの。それだけよ。ヒルダだって姉とか言わせてるし、そうでしょ?」
 誤魔化したフィアは逆に問う。
「私は素直に可愛いと思っている。ま、弟分としてだがな」
 ヒルダはプイッと横を向いた。最期の一言は照れ隠しだろうか?
「しかし……。そうか、我等と同等かより長く生きるのか……。これは訓練にも本腰を入れるべきだな」
「ヒルダっち、タッチィに戦闘ばっかり教えるのは止めて欲しいのニャ」
 何か壮大な計画を目論んだヒルダにミケが食って掛かる。酔いと冗談に身を任せながらも日比野直時という一人の男に対する意識が微妙に、しかし、確実に変化していた。

 翌朝、宿酔(ふつかよ)いの頭と身体に鞭打ちながら、四人は高原の癒し水亭の後片付けへと赴いた。治癒すれば楽なのだが、誰もしない。酒飲みの業というべきか、アースフィアには、「宿酔いを受け入れても酒を欲するのが真の酒飲み」であるという潔いのか駄目な人間なのか判らない言葉があったりする。ちょっと共感してしまう直時だった。
 午前中を宿の清掃と知人への挨拶で過ごした。ブラニーやギルド、魔術店の若旦那達のところをまわった。
 午後はミケの家の地下に設置した招き猫の石像に『影の道』を開きソヨカゼへ通路を繋いだ。ヒルダとミケを招待するためである。常人なら半日も闇の中を進むなど精神的な苦痛が大きいだろうが、闇の精霊術師であるミケとヒルダには苦もない道程であったようで、移動の道すがらソヨカゼの様子や聞けなかった分の近況を話していた。玉露嬌 Virgin Vapour
 直時達四人はシーイス公国とソヨカゼを行き来しつつ、直時の新たな生活と新たな試みに驚きと助言と苦言を、必要物資の調達には協力を、高原の癒し水亭には新たな食材を持ち込むことで数日を過ごしていた。