幸せって何だろう?
私にとっての幸せ、それは大切な人の傍にいる事。
それを前提にするのなら、今の私は幸せではない。
4年前、私を捨て、自らの幸せを選択したお兄様を憎む事は出来なかった。
私と彼の目指す幸せが一緒でもなく、交わる事もなかっただけ。紅蜘蛛赤くも催情粉
彼が駆け落ち同然に行方不明になった事は、私にとって痛みを伴なうショックではあったけれど、不幸中の幸いだったのかもしれない。
なぜなら、私は好きな相手が他の相手と幸せになるのを見続けなくてすんだのだから。
それだけである程度は救われていた。
ずっとそのままならよかったのに……現実はいつも上手く行かない。
1ヵ月前、お兄様は突然、再び家に戻ってくる事になったんだ。
両親は彼の行方を知っていて、行動を黙認していたらしい。
結婚して子供までいる彼らがどうして家に帰ってくるのか。
その理由は厳格だったお父さんが、数年前から身体を壊していたから。
彼は以前のような覇気をなくし、日に日に弱々しくなっていた。
そこで父の会社の跡継ぎとして、どうしてもお兄様が必要になった。
彼らの間にもわだかまりはあるけれど、お父さんは息子として彼を愛していたから。
私と同じ、大切な家族を憎み続ける事はできなかった。
数日後、和解したお兄様達は家に帰ってきた。
初孫であるお兄様の子供と対面した両親は嬉しそうに笑っていた。
お兄様はもう結婚してしまっている現実が私を襲う。
彼の選んだ幸せがそこにあった。
奥さんと子供、自分の家族に囲まれて幸せそうに微笑みお兄様。
……既にわかりきっている事でも、現実がこんなに辛いとは思ってなかった。
家族……私の居場所はここにはない。
空は月が見え隠れする夜空。
家から逃げ出すように外に出た私は繁華街をさ迷うように歩いていた。
あの家には帰りたくない、そう思っていると、
「……久遠先輩だ。どうしたんですか、こんな時間に?」
「光……?」
慣れ親しんだ声に振り向くと、光が私の後ろに立っていた。
私は沈んだ気分を少しでも戻そうと、無理やり笑みを作る。
「べ、別に。ちょっと買い物に来てただけよ。貴方こそ、何してるの?」
「夕食、食べに来たんです。両親が旅行中でいないから」
「そうなんだ……」
光とはあの頃と比べるとずいぶんと親しくなったとは思う。
「久遠先輩?何かありました?いつもより元気がないですね」
一応、元気がある素振りをしていたのだけど、すぐにバレてしまった。
「貴方は今が幸せだと思った事はある?」
彼に自分の事情を話すワケにもいかずに私はそんな質問をしてしまう。
案の定、不思議な様子の彼だけど、素直な笑顔を浮かべて答えた。
「ありますよ。先輩とこうして話しする事が出来る事とか」
「……そんな事が幸せなの?」
「幸せってそんなもんじゃない?些細な事でも、誰かにとっては幸せな事ってたくさんあるし。幸せの価値って人それぞれ……久遠先輩……泣いてるんですか?」
光はふっと私を抱きしめてくる。
いつのまにか私の瞳に涙がたまっていた。
「ひ、光……やめてよ」
突然の事に戸惑う私、優しくされても困るだけ。
街頭でこんな事されるのが恥ずかしいのに、彼は気にした様子もなく、
「何があったかなんて聞かない方がいいんでしょ。でも、久遠先輩がこんな悲しそうな顔してるのに僕は耐えられないから」
「……光」
「僕が好きな人には笑っていて欲しい」
この温もりにすがりつきたくなる……。
「ごめん……光……」
思わず泣いてしまいそうになる。
私はその身体を抱きしめてるだけで、沈んだ気分が少しずつ癒えていくのがわかった。
「……何も聞かずに私と一緒にいてくれない」
「寂しいんですか、先輩?」
「そうかもね。私の居場所なんてどこにもない……それがすごく寂しい」
自分の中の不安をさらけだして、他人にすがりつく弱さ。
そんな私を光は受け入れてくれた。
支えてくれる人がいるだけで救われる。
その夜、私は光の家で一夜を過ごした。
「大丈夫だよ、久遠先輩。安心して……僕が傍にいるから」
彼は私が眠りにつくまで傍にいて優しく抱きしめてくれていた。
一線を越えた事、それは私にとっては自分を傷つけたかっただけかもしれない。
光に対して抱いてる感情を私は深く考えないようにしていた。
あの日から、私は恋愛なんてしない……そう思っていたのに心が揺れ動く。
今、目の前にいる男の子に惹かれていく自分を認められない。
それは……また裏切られると思う恐怖、心の闇は未だに癒えていないから。
昨日、光からデートに誘われて、私は駅前で待っていた。
彼と遊びに行く事は実はこれが初めてではない。
これまでも何回か光と遊びに行った事はある。
それらはデートらしいデートではなかったけれど楽しかった。紅蜘蛛
II(水剤+粉剤)
「久遠先輩、こんにちは。約束どおりきてくれて嬉しいです」
「光……。私とデートしたいってどこに行くつもり?」
「久遠先輩が行きたい所。今日は先輩の行きたい所に連れて行ってあげるから」
「生意気な奴。まぁ、いいわ。それなら……今日はとことん付き合ってよね」
私たちはいつもと同じように繁華街を歩いてショッピングをする。
荷物持ちがいる分、存分に欲しいものが買える。
ちょうど欲しかった服を次々と購入していく。
「……先輩、何か表情がイキイキしてるなぁ」
「なぁに。それがどうかしたの?」
「いえ、別に何でもないですけど。楽しそうだなって。先輩が楽しそうだと僕まで楽しくなるじゃないですか」
「生意気な事言って。アンタにそんな台詞は似合わないから」
光の微笑む横顔を見つめて、年下の彼が気になってドキドキする自分に驚く。
認める、私は光が気になっている。
いつから彼に惹かれていたんだろう。
あの日の夜に彼を求めた時から……私の中で光はかけがえのない相手になっていたのかもしれない。
買い物を終えて休憩するために喫茶店に入る私たち。
好きなケーキセットを注文して待っている間に以前聞きたかった事を聞いておく。
「……光、アンタさ、私のどこが好きなわけ?」
「どこって全部?久遠先輩の全てが大好きですが何か?」
「そういう事じゃなくて、具体的に。そもそも出会ったときからそう接点があったわけじゃなかったでしょ」
光と知り合いになっても、恭ちゃんの応援のついでに彼を応援するぐらいの立場だった。
恭ちゃんがサッカー部引退してからも、後輩の活躍が見たいと言った彼と一緒に光達の試合を見に行った事はあるけれど、回数的にはそんなにない。
「……ホントの事を言うと一目惚れってやつ。先輩って超可愛いじゃん」
「年下に可愛いって言われるのは微妙かも……」
「実際、今でもそうだと思いますよ。僕は先輩の容姿好きですよ」
一目惚れね……あんまり好きじゃないな、その言葉。
私は外見で好き嫌いになるタイプじゃないから。
……むしろ、私の場合は外見よりも中身重視だし。
注文したケーキセットを食べていると、光はジュースを飲みながら私に問いかけてくる。
「僕は先輩の中身も大好き。意外と寂しがりやなところとかね」
「……私、そういう光の意地悪な性格、嫌いだな」
「好きな子に意地悪したくなるのは男の特権でしょう?」
悪びれることなく言い切る彼に私は苦笑いを浮かべるしかない。
光はそのままの表情で言葉を続けた。
「久遠先輩。僕と付き合う気はないですか?」
「……光、場所を考えてよ。こんな所でする話じゃないと思うけど?」
「ふたりっきりだと先輩は逃げちゃうじゃないですか。こういう人気の多い所なら……ちゃんとした話をしてくれるかな、と思って」
光は冗談で言ってるわけじゃない。
それは初めて彼に告白された時と重なり、ドキッとした。
「だから、前から言ってるじゃない。私はもう誰も好きになりたくないの。……お願いだから私の心をかき乱さないで。光の事は後輩としては好き、でも、男としては嫌いなタイプだし。そもそも……私、年上趣味だもの」
「……年上だと包容力があるから?年下だと頼りないから?」
「どっちも正解。私は……見た目以上に弱いから。恋人に求めているものは単純。私を支えてくれる人じゃないとダメなの」
こんな事を彼に言うつもりはなかった。
けれど、諦めてもらうにはこれしか方法はないと思っていたから。
「それ、難しいね。僕は年下だから、どうしても年上にはなれないけれど……久遠先輩を包み込んであげることはできるはす」
「……光こそ、どうして私にこだわるの?貴方なら他にもいくらでも女の子と付き合えるじゃない。私よりもきっとその方がいい……」
「嫌だ。僕は久遠先輩じゃなきゃ嫌なんだ。久遠先輩にも分かるだろ、他の誰かじゃダメな事……自分の心の求める人じゃなきゃ、僕は満たされない」
……彼の気持ちは嬉しいけれど、私はやはり彼の気持ちを信じきれない。
「裏切られる事が怖い?僕は久遠先輩を裏切らない……絶対に裏切らないから」
「言葉は信じないって言ったでしょ」
「それならどうすれば信じてくれる?僕はどうすればいい?」
言葉の中に想いが伝わってくる。
私だってできる事ならその思いに応えたい。
「……私は……どうすればいいのか分からない」
「久遠先輩……」
私らしくない迷いが想いを妨げていく。
このまま立ち止まり続けても意味がない事くらい分かっている。
「……西園寺先輩ならこういう時にどうするんだろう」
ポツリともらした彼の言葉、光は「自分じゃダメなのか」と弱気に囁く。
それは嘆きにも似た声、だけど彼にはちゃんとした意思が込められていた。
「それでもね、僕は諦めが本当に悪いから」
「光……」
彼は私の瞳をマジマジと見つめて、
「僕は久遠先輩の心を解放してみせる。時間はかかるかも知れないけれど、先輩に頼りにされる、支えてあげられる存在になるから。それまで待っていてくれないかな」
ふざけた敬語口調はやめて、素の彼が私だけを見ている。紅蜘蛛(媚薬催情粉)
……私の心を解放する、そんな事が本当に彼に出来るかはわからない。
「僕は久遠先輩を泣かせるような事はしない。絶対に先輩だけを大切にするよ」
光の優しい言葉が私に安らぎを与える。
「だから、僕の事を信じてくれないかな?」
揺れ動く私の心、裏切りと信頼……かけはなせない表裏一体の言葉。
ああ、もうダメかもしれない……私の……負けだ。
「……信じないって決めた。綺麗事も言葉も信じないって……決めてたのに」
私の口から漏れた言葉は心の奥が引っ張り出してきた本音。
「本気の恋愛なんてしたくない。それでもいいって思っていたのに……」
裏切られるなら誰も信じないでいいと思っていた。
「何で……だろうね。消えてくれないの。この胸の痛みも、それを癒して欲しいと想う気持ちも、どうしても消えてくれないから……」
喫茶店の中だというのにふいに湧き上がる涙の雫。
「だったら、支えてもらうしかないじゃない……。支えてくれるって言ってくれる相手がいるなら寄りかかるしかないじゃない」
頬を伝う温かな雫はとても優しい涙だった。
『偶然と必然、運命……。起きてしまった出来事を美化するための言葉。それが運命』
運命、決められた事だという意味が嫌いだった。
そんな運命には抗う事しかできないと思っていたから。
『……ねぇ、西園寺。泣きたい時に泣けないほど辛いものってないわ』
『泣きたいなら泣けばいい。誰かがそれを咎める資格なんてありやしない。涙を流せるっていう事は生きてるってことだからな』
……男の子の前で泣くという事がどういう事なのか、理解している?
女の子が……男の子の前で泣く時はその人の事を信頼していないと出来ない。
悲しみの涙も、嬉しい涙も……その人の前では止められない。
『例え、信じる気持ちが裏切られても、人はまた誰かを信じる。何度でも信じる』
『裏切られた痛みを知るのに、それってバカみたいじゃない』
『それがこの世界、現実なんだよ。誰も信じられない冷たい世界にひとりっきりでいるくらいなら俺はバカのままでいい』
……恭ちゃん、私もバカになっていいのかな。
もう一度だけ、信じたい人が出来たんだ。
誰の言葉も信じる事はしないと決めていたのに、綺麗事を言う彼の言葉を信じたい。
「……久遠先輩。僕は先輩が好きだ。何度でも言うよ。僕の事を信じて欲しい」
「バカ……本当に光はバカね」
涙を拭ってくれる彼の指。
年下で、意地悪だけど、優しい光の事を私は信じられる。
「ラストチャンス。最初で最後のチャンス。私は1度のミスも許してあげない……それでもいいなら……キスして」
「こういうの……恥ずかしいんじゃなかった?」
「恥ずかしいに決まってる。だけど……ここだと逃げられないじゃない」
もう逃げたくないという覚悟。
私なりの覚悟に彼はいつもの微笑みで応えてくれる。
「……んぅっ……」
光の唇が私の唇に重ねられた。
それはほんのりと切なさを帯びたキスの感触。
愛おしさがこみ上げてくるのを感じて私は彼に想いを伝えた。
「もっと私を信じさせて……貴方のことが好きになれるように」
世界は少しずつ変化していく。
人も関係も変わって行こうとしている。
「……ひとりにさせないでね、光」
「うん……久遠先輩に認めてもらえるように一生懸命頑張りますよ」
どんな悲しみがあっても癒してくれる人が傍にいる限り……私は今、幸せなんだ。D10 媚薬
催情剤
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