2013年1月9日星期三

クズノハは羊にあらず

「良かった、神殿は金ピカとかじゃないんだな」
 女神の印象は光り輝く部屋と傲慢、それに尽きる。これまで寄り付きもしなかった神殿の区画に到着して程なく、僕は見えてきた目的の建物が大きな建築物としての威容はあっても純金製だとかではなかった事に安心する。もしそんなのだったらすぐにでも立ち去りたい所だよ。
「ライドウ様? どうかなさいましたか?」強力催眠謎幻水
 識が、立ち止まって神殿を見上げている僕を案じて振り返る。
「いや女神を奉る神殿にしては普通? いや荘厳な見栄えかな、と」
「女神と言葉を交わしたライドウ様ですと、神の個性と結び付けてお考えになるんですね。私など大きさこそ違えど、どれも同じような物に見えます」
 確かに。神社や仏閣を神様のイメージと合わせて考えた事は僕も無いな。ついでに建築様式を気にした事も無い。
 そうか、神様に実際に接触したからこその感想なのか。途中で横目に見てきた精霊を祭る神殿(と言っていいのか、別の呼び方があるかはわからないけど)はどれも同じような物に見えたし特に感慨も無かった。
「個性かあ。女神は確か唯一の神であり気高く清廉、そして全てのヒューマンを寵愛する純潔の母、だったっけ?」
「概ねそのような解釈で間違いございません。他にも勇敢な軍神、学芸の守護神など。万能と信じられておりますので賛辞であればどれも当てはまるかと」
 嘘みたいな言葉だけど……図書館で調べた女神の神としての性格と言うか、特性と言うか調べた時も本当に識の言ったような感じだった。そして軍神とか、厳しい側面が紹介される時は大体亜人やら魔物やらが酷い目に会う。
 ここまでやるかと呆れる程に万能な神様像。完全な偶像なら許されるんだろう、でも実在して何かすれば間違いなく矛盾が出るレベルだ。
 僕の中では既に完全に矛盾している。僕にとっては黒いアレと言われた方が、イメージはいっそ近い。
 
「万能な唯一神様の神殿と考えれば、うん確かに厳かな気持ちにならなくもない。さて人も増えて来たし筆談に戻すかな」
「立ち止まって眺めていても不審に思われるでしょうし、中に入りましょうか」
 識の先導に従って神殿内部に入る。ひんやりとした空気が顔を撫でていく。空調を行なっているのか、よくやるなあ。まだ残暑、暑い日が続く事もある。それでもこの世界で空調なんて魔法でやるしかない。魔法を使う、つまりは人力だ。入り口開けっ放しの空間でも範囲指定だけで便利に温度を操作できる反面、ある程度の人員が必要になるし度数単位で設定できるでもない。あくまで術者やそこで過ごす人の感覚頼りになる。我が家では男は父さんと僕だけ、対して女は三人。リビングは夏でもそんなに涼しく感じなかった記憶がある。女性の方が寒がりなのかと、何となく感じた事を思い出す。
 科学のエアコンが魔法の人力エアコンになった所で、発言力の強い人間に左右される温度難民はいなくならないんだなとしみじみ思う。個人で常時周囲を空調するとなると結構な実力と労力が求められる。仕事と並行してはやれないだろうしな。
「準司祭のシナイ殿と約束しておりますクズノハ商会の識と主のライドウです」
 識が寄ってきた神殿勤めの女性に来た理由を伝えている。彼女は白い服を着ていた。でも神殿で着る事が決まっている制服はこれだけじゃないみたいだ。ちらちら見ているだけでも白は統一されているけど意匠は結構パターンがある。意外だ。男性と女性で違う位で後は同じなのかと思っていた。長袖、足首までを覆うような露出の少ない服装を想像していたけど、それも人によって異なる。色以外の規則は無いのかな。
「シナイ様と……はい、伺っております。どうぞこちらへ」
 わかるようにしておく。その言葉に嘘は無かったみたいだ。学生のアルバイト巫女さんでも見ているような年齢に思える若い女性がそのまま案内してくれるらしく、僕らの歩く速度を見ながら先を歩いてくれる。外から見ても大きかったけど、やはり中も相当な広さがあるようだ。だと言うのに、内部全体に独特な香りが漂っている。これは多分魔法じゃない。大量の香料が撒かれているんだろう。学園でもサロンみたいな所だと香料を使っているから馴染みはある。少し範囲の桁が違うようだけどね。
 歩くうちに大勢の白い人達とすれ違う。見るたびに違う服装を目にするような。まさか全部違うとか、そんな事はないよな?
 識を手で招き寄せて小さく耳打ちする。前を歩く人と筆談とか面倒だからな。識は僕から言われた内容を彼女に尋ねてくれるようだ。
「失礼。こちらにお勤めの方は皆衣服に拘っておいでなのですね。皆さん非常に凝った意匠の服を着こなしておられて驚きました」
「あら、そうですか? あ、クズノハ商会様は確か、ツィーゲから学園都市に出てこられたんでしたね。それでしたら驚かれるかもしれません。この地では礼装や正装以外の常時着用する服については色以外の指定は無く皆思い思いの意匠を施しています。皆決まった服装でお仕えするよりも、各々に似合った服装でご奉仕した方が良いだろうと言う考えなのです」
 何だかなあ。同じ制服だと素材の差が引き立つのは確かだけど、ここの人らはそんな事気にするレベルじゃないだろうし。それに皆バラバラってのは違和感があるな。それに似合った服でご奉仕とか、他意は無いんだろうけど何かヤダ。聞いたのは僕だけどさ。識に小さく頷いて合図する。意図を察してくれた識はその後も何気ない世間話を繋げながら会話を終わりにしてくれる。
 ん、目的の場所は地下か。地下フロアなんてあるんだな。どうも店の地下施設を想像する所為もあって良いイメージは無い。
 香りの種類も変わった。最初の時に疑ったけど、特に悪い作用のある香料でも無さそう。フロアや部屋である程度の種類があるのかもしれないな。
「こちらで準司祭はお待ちです。それでは私はこれで失礼します」
「ありがとうございます」
[ありがとうございます]
 僕と識に待つように言うと、左手先に見える比較的大きな扉の前で彼女は何事か小声で呟く。短いやりとりがあって扉が開き、彼女が戻ってきた。そしてシナイさんがそこにいる事を伝えてくれると頭を下げて通り過ぎていった。客人に対してだからだろうと思うけど、終始にこやかで好感の持てる子だった。ここまでの道中でも、内部の人から妙な視線は感じなかった。良く訓練されていると言うべきか。これまでで一番キツイ視線が向けられるのを覚悟していただけに少し拍子抜けでもある。
「クズノハ商会の者です。失礼致します」
「入りなさい」
 僕は無言で識の後に続く。一通りの挨拶の後で僕も続けば良いだろう。話せないしね。
 中にいるのは、シナイさんと、他にも二、三……五人ほどいる。広さは八畳、もう少しあるかな。地下だから余計にそう感じるのか薄暗い室内だ。
「良く来てくれたライドウ殿。そちらが錬金術師かな、名は識殿で良かったか」
[はい、シナイ様。彼は私が一番頼りにしている従業員で側近の一人、識です。今回おねが]
「今日は神殿への技術公開を申し出てくれて感謝している。君達への感謝を少しでも示したくてな。上司に報告した所、一言お言葉を下さると言う事になった。まだこちらに来られて間が無いが当地の信仰を纏める司教様が直々にこの場に見えている」
 司教。ああ、暗殺された奴の後釜か。シナイさんが立っている場所から考えると他の四人は下っ端みたいなんだよな。となるとあれがそうか。髪が長い。顔は何やら頭に乗っけたフードのような物で隠れているけど、女の人? そうか、女神を信仰しているんだから偉い人に女性がいても不思議じゃない。スタイルを伺おうにも随分と余裕のある、ダブついた露出の少ない服装をしているから本当は長髪の男性なのかもしれない。喋れば見当もつくかな。
 それにシナイさんが人の言葉を遮ったのも気になる。まさか僕が自発的に申し出たって報告しているのか? うちに来たのも誰かの指示っぽかったけど……。
[身に余る光栄であります]
 正しい所作かはわからなかったけど膝を突いて頭を下げる。識もそれに倣う。だけど識の場合、僕がそうしたから同じ動作をしただけかもしれない。後でどう振舞うべきだったか確認しておこう。
「まだ小さな店でありながら非凡な薬を扱っていると聞きます。そしてその幾つかを明らかにしてくれるとのこと。その信仰に感謝します。神殿は貴方の店への妄言を打ち払うと約束しましょう」
 ハスキーボイス、しかも艶のある大人の女性の声。煙草やお酒を嗜むイメージを抱いた。心地よく体に響く。司教は女性か。
[ご配慮感謝します]
「聞けば言葉を呪病に奪われたとか。そちらも我々が尽力して解決策を講じましょう。どこまで力になれるかわかりませんから、安心なさいとは申せませんが」
 頼んでもいないのに、随分と親切な。言葉通りに受け取って良いものか、悩む所だな。
「司教様、お時間が」印度神油
「ん、そうですか。それではライドウ、またお会いしましょう。後はシナイ、任せましたよ」
「わかりました。貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます」
 黙していた四人の内一人がそっと司教さんに近付いて言葉を放つ。まあ、忙しいんだろうな。
 僕に一言掛けると司教は出て行った。シナイさんは九十度近く頭を下げている。しまった頭下げ忘れた。
「感心しないなライドウ殿。司教様には最大の敬意を払わなければならない。まだ着任されて間が無いとは言え、それでかの方への無礼が許されるのでも無い」
[田舎者でして。無作法をお詫びします]
「……。まあ、良い。それで今日は君の店の薬の製法を示してもらう訳だが、用意は当然してきているね」
[勿論です]
 識が僕の言葉を聞いて前に出る。彼は今日製薬に使う材料、それに道具を一式持ってきている。大きな道具を扱う製法では無いから出来た事だ。
「なるほど、そちらの術師殿が全て用意済みか。それなら話は早い。正直私には製薬知識は無い。ライドウ殿にはこちらで幾つか話をさせてもらいたい。なに、世間話のようなものだよ」
 おっと。これは少し予想外だったな。てっきり僕も解説の手伝いでもするものなのかと。
[わかりました。私などでよろしければ]
「ではこちらの椅子を使ってくれ。術師殿はそちらの者たちと、そこに用意した机で製薬を解説付きで見せてやって欲しい」
「承りました。それでは皆様こちらへどうぞ」
 識が幾つかの製薬道具が置かれた大きな机に近付いて、その上に荷物を広げた。用意してきた薬の材料を一つ一つ説明していく所から丁寧にやるようだ。あの分なら、製薬終了まで一時間かかるかどうかといった所かな。
 製薬に入った従者の様子を横目で確認して僕もシナイさんの向かいに座る。間にある小さな丸机には何も乗っていない。お茶くらい出してくれてもいいのに。僕は一応善意の協力者なんだけど?
「さて、ライドウ殿。こうして落ち着いて話すのは初めてになるな。私は前も名乗ったが準司祭のシナイだ。よろしく頼む」
[商人ギルド所属、クズノハ商会のライドウです。神殿の方と知り合えて嬉しいです。以後お見知り置き頂けましたらお力になれる事もあろうかと思っております]
「ふふふ、どこまで本心か。だが商人と神の僕(しもべ)、間柄を考えれば初対面などこんなものだな。まだ随分とお若いようだが商売を始めてからはどれ程になる?」
[まだ三年経ちません。駆け出しの新米ですね]
 嘘は言ってない。三日だろうと二年だろうと三年経ってないんだしね。
「それでもう既に二つの街に店を持つか。相当な強運か、それともどこか大きな後ろ盾があるのかな?」
[後ろ盾ではありませんが、ツィーゲのレンブラント商会には良くして頂いております]
「レンブラント……。ほお、あの」
 シナイさんは何か考え込む様にレンブラントの名を呟く。知り合いでは無さそうだけど、何かしらの事前情報は得ているのかも。
[お知り会いですか? 彼は伝手の無かった私に軒先を貸してくれたばかりか、商売のイロハも教えてくれた恩人なのですよ]
「彼がか。どうも、我々の知るレンブラント氏の印象とは少し異なるようだな。彼がもう少し協力的であればかの地での布教も、また先に広がる荒野への展望も拓けるんだがね」
 そういう事か。レンブラントさんは奥さんと娘さんの一件以来、殆ど神殿にも行っていないようだからな。
 恐らく最初は女神を頼ったんだろうが、駄目だったんだ。それで自力で解決しようとして、僕と会った時には諦めかけていた。あの一件の前と同じ信仰を彼に求めるのは無茶だろう。だって実際に彼を救ったのは彼自身がギルドに出した依頼が切っ掛けなんだから。
[私は荒野の出身で、神殿の教えやレンブラント氏と神殿の関係までは考えが及びませんが。少なくとも私には彼は誠実に対応してくれました。今でも氏には感謝の念が絶えません]
「立場が違えばそういうものなのかもな。しかし、良くわかった。レンブラント氏のご息女二人が学園で君に厄介になっているのはそんな背景もあってか」
 あれ、何か色々調査されている? 学園で臨時講師をしている事は把握されているのか。それに講義を受けている生徒も。
 荒野の出身だと言う事も多分知っているんだろうな。そうでなければ、もう少し反応もありそうなものだし。
[はい、氏からはそれとなく娘の事を気に掛けてやって欲しいと頼まれています]
 下手に追求しなくてもこの人は多分自分から話すだろう。そう考えて娘に講義をしている事にだけ触れる。
「娘想いな父親か。少し彼への印象も改めるべきだな。部下から報告される言葉だけだとレンブラント氏は信仰心の薄い守銭奴のようにしか思えなかった。全く、怠けず様々な立場の者から話を聞かねば多くの誤解を生む、良い例になってしまったな」
 反省しなければ、と頭をかくシナイさん。所々高慢さも見えるけど、根は純粋なのかもな。何となくエリートっぽさを感じる。エヴァさんの言葉にもあったけど、学園都市の神殿関係者はそれなりの出世街道を進んでいるらしいから遠からず、かな。
 その後も何かと根堀り葉掘り聞かれながら、識が二度製薬を実演して仕事を終えるまで、僕はライドウの経歴を彼に説明していくのだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 真と識が帰った後。
 製薬器材を片付ける二人をよそに、残る二人とシナイは隣の部屋に入った。
 先ほど「お時間が」と司教を促した女性が扉を閉める。室内には司教その人と数人のヒューマンが着席して彼らを待っていた。
「帰ったの?」
 司教が口を開く。真に話した時と同じ色気のある掠れた声。
「先程神殿を出ました。一応、足取りを確認させています」
「そう。無駄な事をしたわね」
「?」
「無駄だと言ったの。貴方はクズノハ商会を利用する心算でいるのかもしれないけど、もしかしたらとんでもない相手かもしれない。今後は慎重に、私に了承を取ってから動きなさい」
「……どういう事でしょうか? 聞き取りの様子も特に問題無い物だったと思いますが」
 シナイは司教の難しい表情に困惑する。彼にしてみれば、今日の話の内容も彼らの態度も好意的に見えた。友好的な協力者になり得ると考えていた。
「教えてあげて」
 一つ溜息をついて赤い髪の司教は気だるそうに肘を突くと、短く呟いた。司教の名に似合わない仕草。真と対した時と同じ声色ながら、その振る舞いはまるで違った。
 司教の言葉に促されて控えていた一人が口を開く。
「彼らの思考と魔力、それに干渉する存在がいないか詳細に調べました。識と言う従業員については多少の事がわかりました。しかし主のライドウについてはまるでわかりませんでした」
「どういう事です? 思考窃視と魔力調査が失敗したのですか?」
「……。まず識ですが、少なくとも宮廷筆頭クラスの魔術師数人を超える魔力量を確認しました。思考は対策されていたのか読めません。ライドウについては思考どころか魔力自体を計測出来ませんでした」
 何も分からなかったに近い報告だった。シナイはそんな馬鹿なと狼狽する。望めばどこの国でも重用される力量を持つ魔術師が、吹けば飛ぶような規模の店で子供に仕えて従業員をしているなど、誰が想像するのかと叫びたく気持ちを彼は抱く。
 それに神殿が誇る思考窃視が通用しないばかりか魔力を測れないなど、悪夢にしか思えない言葉だ。
「馬鹿な、まさかライドウは識をも超える程の魔力を持っているとでも……」
「どうかしらね。普通に考えるなら、頼られていて側近だと言うならライドウは識よりも弱いかもしれない。でも裏をかいてライドウが強い可能性もある。少なくとも識については学園で臨時講師をしているライドウの側近で桁外れの魔術師って事ね。それと彼の魔力だけどね、まるでわからないのよ。測りきれないんじゃないの。彼の周りだけまるで塗り潰したみたいに全く魔力を感じないんだそうよ」
 司教の言葉に調査を担当した係が重く頷いた。シナイは信じられない事の連続に混乱する。
「つまり魔力と思考を隠蔽していた訳ですか」
「そういう事になるわね。そんな仕業を何気なくする連中、下働きの者に尾行できる訳ないでしょう? だから無駄だって言ったの。製薬についても怪しいものね。一体どうなったのか、報告をくれる?」
 シナイの頭越しに司教の言葉が製薬風景を一から十まで見ていた二人に掛けられる。
「……はっきり申しまして、素晴らしい製法でした。手順は整然としていて説明も明朗、使う材料も手に入らぬような物はございません」
「へぇ。それは意外。では貴方たちにも作れるのね?」
「恐らくは。識殿は製法に一切の隠蔽なく全てを明らかにしてくれたと思います。しかし」
 言い難そうにしかしと言葉を繋ぐ男。司教は促すでもなく彼の口が開かれるのを待った。
「値段につきましてはクズノハ商会を大きく上回る事になるかと思われます」
「……成功率?」
「それもございます。クズノハ商会では失敗は殆ど無いそうなのですが、我々の技量では五割までが精々かと思われます。彼らは荒野で得られる材料を二種用いておりますがそれもこの近場で代用できる物を教えて頂き、実際に製薬も行なってもらいました。鑑定の結果、事前に手に入れて置いた薬と相違無い物が出来ていて嘘もありませんでした」田七人参
「親切な事ねえ。で? それもって事は他にも理由があるのね。言いなさい」
「原価でございます」
「原価? 材料費の事?」
「それに更に成功率を高める為の実力ある術師を雇う人件費もですが、今回の場合その部分はあまり問題ではありません。識殿から持ち込まれた材料を流通している市場などで仕入れるとそれだけでクズノハ商会の薬の値段を凄まじく大きく超えてしまいます。荒野から取り寄せるにしても、代用として紹介して頂いた二種の薬草を取り寄せるにしても間に冒険者への依頼が間違いなくなされる事になり危険手当も原料費に入ってしまい、原材料を揃えるだけで既にクズノハ商会で売られている薬の完成品が数十個手に入る値段になってしまいます。神殿で作って各地で売り出すのならば値段は百倍にでもしなければ利益は出ません。もし今後彼らが地方に店舗を広げた場合、神殿への信用に悪影響を与える恐れさえあるかもしれません」
「百倍、だと? 馬鹿な、実際にクズノハ商会ではその値で売られているのだろう?」
「彼らは全ての材料を自分達で採取調達していて市場を通さずに入手しています。流通には自信があると申しておりましたし、信じられない事ですが、商品として扱っている以上、あの値で利益を出しているのでしょう」
「ありえない……」
 シナイが会話に割って入る。それでは他の高価な薬と対して変わらない。いくら効果があろうと、驚く者がいない値段になってしまう。
「やっぱりね。つまりライドウは無垢な子供を装ったナニカ、と見て間違い無いわ。気軽に利用している内に喉元には冷たい輝きが、なんて事になるかもしれない。今日は同席して良かったわね」
「司教様……」
「シナイも目のつけ所は悪くなかったと思うわ。でも、しばらく干渉は止めておきなさい。それと、他の派閥に情報を流すのもね。接し方によっては今後私達の切り札の一枚になる可能性もあるわ。亜人ばかりを雇用する変わり者のヒューマン、か。皆にそれとなく伝えておきなさい。クズノハ商会の名前を聞いたら、少しだけ耳を傾けなさいってね。当面、少なくとも他の司教やリミアの連中がこの街を離れるまでは私達の彼らへの関心を悟られないようお願いね。それから値段は取り合えず考えなくて良いから傷薬については百程作って見て頂戴。何もここで無理に彼らに張り合って売らなくても、利用価値はありそうな品だしね。同志がいる別の街でなら。戦争の前線なら。場所を変えるだけで扱い様は幾らでも見出せそう」
『はい』
 準司祭を含めた全ての者が女司教の言葉に神妙な顔で頷いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 そっと、耳を澄ます。
 聞こえてくるあまり控えめではない声量の会話。この時間、お客さんは多くない。有難い事に殆どの商品が売り切れるからだ。少し離れた裏通りの娼館に勤める遅番のお姉さんが、栄養ドリンクを買い出しに顔を出す程度か。最早常連になった彼女達の代表に取り置いた十数本のドリンクを渡すのは定番の光景でもある。武器の修繕も最近は受ける事があるけど受け取りは明るい時間に来られる事が多い。飛び込みのお客さんには申し訳無いけれど、辺りが暗くなりだす時間にウチの店にあるのは風邪薬か栄養ドリンクくらい。早くお前達も人気になるんだよ。
 何が言いたいかと申せば、サボりやすい時間だって事だ。
 通用口から戻って店内を伺うと、案の定ちっこい森鬼と話好きの若いエルドワが誰かと話している。全く、店員がお客様相手とは言えそんな大声でお喋りしてるんじゃないよ。反省のはの字も見えないな、あいつは。
 呆れた表情で様子を見守るアクアが、会計のテーブルからふと後ろを向く。つまり僕と識を見つける。一瞬大きく目を大きく見開き、それから口を手で押さえる。今回、止めなかったけどアクアはサボってもいない。まあノットギルティとしよう。
 手招きして彼女をこちらに呼ぶ。
「ただいま。随分と楽しそうだね」
「我々が不在の時はいつもこうなのか、アクア」
 識も普段より声が低い。勿論小声だから、では無い。
「お、おかえりなさいませ……」
「お客様は……ってジン達か。あいつらもまあ、暇人だな」
「弛んでいますなあ。少し引き締めてやりますか、学園祭に出れなくなるかもしれませんが」
 目を細める助手、識。流石にそこまでは酷だ。それに乗せられて調子に乗って話しているうちの従業員が一番の問題な訳だし。
 アクアは比較的まともで会話に参加しないのか、それとも偶然そうだったか。視線の泳ぎ方から察すると怪しい。
「それはやりすぎ。でアクア、いつからあの様(ざま)?」
「え、ええと、ついさきほ」
「正直に答えると真面目に働いてくれているご褒美にバナナの新メニューを味見できるんだけど」
「二時間くらい前です。今日は早めにフルーツが出てしまいまして、傷薬と解毒薬もその頃には在庫が無くなって手が空きましたので」
 僕らが出て行ってそんなに経ってない時間からか。何と言う……。これで巷では接客や技術を褒められているから余計に調子に乗る。見る人が見たら店の評判が下がるでしょうが阿呆店員に悪質な常連め。
 そして何と言う自白効果。目がキラキラしてるよアクア。
 エリス、そして若きエルドワよ。残念だ、君達には罰が必要だね。未だに気がついてないし。
 ご褒美を待つワンコ、いやアクアを連れて僕らは厨房に行く。厨房とは名ばかりで簡単な設備しか無いんだけど本格的に料理をするので無ければこれで結構事足りる。
「識、アレは冷やしてある?」
「はい、こちらに」
 識が奥の保冷庫から白い液体の入った瓶と一房のバナナ。それに琥珀色の物体が入った小瓶を持ってきてくれた。流石は識さん、新メニューと聞いて何を作るのかわかったらしい。巴と澪、それに識とコモエちゃんには味見してもらっているからな。
 ちなみに逆から並べるとお気に入り順になる。やはりバナナ、一番お気に入りになったのはコモエちゃんだった。
 アクアはキラキラを通し越して爛々とした目で動向を見つめている。手元に物凄い視線感じる。
 まあ大した物を作る訳じゃない。ただバナナをカットして潰して全部混ぜるだけ。
 琥珀色のは蜜。樹木から取れる蜜で亜空産じゃなく普通にこの辺りで流通している品。メープルシロップのように、独特な風味がついていて甘味を足す目的よりも風味をつける為に少量混ぜる。
 白い液体はミルク。こっちは亜空産。濃い目。牛乳、の筈なんだけどやたらと濃くて美味い。直接飲んでお腹は大丈夫か不安は感じたけど、死ぬ事は無いだろうと飲んで以来、特に健康に問題は無い。他の皆も問題無く受け入れられたようで亜空でも市民権を獲得している。
 はい、出来上がったのはバナナミルク。
 黄みがかった白い液体を作るのに使った大きな容器から三つのグラスに注ぐ。識はうんうんと頷いている。アクアは息を呑んで注がれる様を見ていた。
「ほら、飲んでみて」
 識とアクアにグラスを差し出す。二人が手に取ったのを確認して僕が自分の分を口に運ぶ。一口。濃厚なバナナの甘みに異世界産のシロップの香りが口に広がる。最後に良く冷えたミルクが生クリームに近い十分過ぎるコクを残してくれる。全体的にトロミがあるデザートとも言える一品。僕もたまに飲むなら大好きだ。一旦グラスを置いて、僕が飲むのを確認して口に運んだ識、そしてその後に両手で大事にグラスを持ったアクアがバナナミルクを口にするのを見る。
 識は一度飲んでいるので味を確認してにこやかに、本当に良い笑顔で一気飲みした。この甘味男子め。
 アクアは一口飲んで全身を震わせた。雷に打たれたような、とでも形容しようか。実際見たことは無いんだけど。
 その後は一気にいくかと思えば、一口、また一口とビクビクしながら飲んでいく。ホント、好きなんだなあ。思わず苦笑いしてしまう。
「は、ああ、いっそ溺れたい……」
 じっくりと味わって飲み干したアクアが半開きの両目と口、そして頬を染めて感想を述べる。美味しいとか通り過ぎている言葉なのが何ともまた。
 妄想しているのはバナナミルク風呂か? 僕なら絶対御免だな。恍惚とした顔で言われても一切頷けない。
「良いお味でした」
「喜んでもらえて良かったよ。それじゃ、お説教に行きますかね。ん、どうしたのアクア?」
「……」
 じっと見る先は、ああ、僕が一口だけ飲んだグラス。
 飲みたいんだな。ただ見ているだけなのに全てが察せる。
「アクア、それもあげるから。取りあえずおいで」
「は、はい!」
 骨をくわえたワンコ、いやグラスを抱いたアクアを連れて店内へ。
「凄え! それじゃあエリスさんはアオトカゲさんにも勝てるんですか!?」威哥十鞭王
「当然。それくらい出来なきゃここの店員は務まらない。夜遅くてもここは安全、だって私がいるから」
「流石です! それに移動しながらの詠唱もこの間見せてくれましたよね、あんな風に斥候みたいに跳び回りながらどうやって詠唱するんですか?」
「あれも基本。詠唱は共通語よりも魔術専用の古語なんかから自分に合うのをまず選ぶ。それから移動を繰り返す中で使う術の詠唱を分割して素早く完成させるだけ」
「うーん、やっぱり共通語での詠唱は中堅以上にいくには難しいのかなあ。だからこそあの詠唱を身に着ければ僕の次の切り札にも出来そうだけど……」
「切り札は隠す。若から教えてもらった筈。奥の手は殺す相手にしか見せないのが基本。ちなみに若と識様は殺せないから見せても大丈夫、あれは別格」
「でもボク尊敬しちゃうな、あのアオトカゲ君に勝てるなんて。あんな綺麗な鱗のリザードマン、一体どこで戦ったんですかぁ?」
「ん、彼らは荒野の奥地に住んでいた。今は若が修練の時に戦わせてくれる」
「荒野の奥地、へぇ、そうなんですか。水と風、二つの属性を持つかなり高位の魔物なんですよね?」
「当然、だって彼らミス――!?」
『っ!?』
 お馬鹿。
 エリスは本当にお馬鹿だ。どこまで天狗になる気なのか。すっかり真面目になったモンドを見習って、少しは変なものの受信を止めて自分を省みなさい。
 上手に乗せられて情報をぺらぺらと。亜空の事までは口にしてないけど、本当に危ないな。脅威にもならない子供とは言え、情報は拡散するものなんだから気を付けないと。
 会計のテーブルで僕とアクアが様子を見る中、話に夢中になっていたエリスがまずい事まで話し出そうとした所で識が介入。
 猫を抓みあげる様に、エリスの特徴的なパーカーの首後ろの部分を抓んで持ち上げる。彼女は体格通り軽いが、それでも楽に片手で持ち上げられるかと言えばそうでもない。識が意外な力持ちだと学生も学んだだろう。いや、今日は識も怒ると怖いよ、と学ぶ日かな。エルドワの方も数名の学生相手に武器談義をしていたけど、こちらは特に問題になる内容は無かった。内容は、ね。彼の説教はエルドワの職人さんと長老に任せよう。正直、僕より遥かに厳しいから合掌する結果になるだろう。
「エリス、随分と偉くなりましたねえ? いつから人に物を教えるだけの技術を修めたなどと言う驕りをもつようになったのか。少々お話が要りますね?」
「し、識様!? あっま、若も!?」
 ま、ってエリス。真って言っちゃう感じだったか? かなり挙動不審になっているな。
[ふう、頑張る筈のエリス、何をしているの?]
「は、謀ったなアクアぁ……ああ!? 何を飲んでる!?」
 謀ったなってお前……。
 それに識に持ち上げられて僕がいる事にも気付いたのに、それでもアクアの飲み物に注意が向くかね。
「……バナナミルク。ご褒美だ」
「やっぱり! バナナの匂いがした! アクアは親友だと思っていたのにまさか食べ物で友情が裂かれるだなんて心外、これからは仇同士か」
「……後で半分あげる。若様に許してもらえたらね」
「アクア、私達はやっぱり死線を共に乗り越えた親友。若、エリスは心を取り替えた。大丈夫、もう忠誠は揺るがない、そして調子にも乗らない。だから今回はお奉行様の慈悲が是非欲しい」
 識が重苦しい溜息を漏らす。全く同意。心は取り替え可能なのかこいつは。何て頼りにならない忠誠なんだ。
[つい数日前死ぬまで忠誠を尽くすとか何とか言ってもらったばかりだけど?]
「……」
[もう一回キャンプに戻るか。コモエちゃんに会ってくる?]
「!?!?!? それは駄目、姫成分はもう十分足りてる。しばらくは会わなくても平気、元気。そ、そうだ。死後も忠誠を誓う。うん、これで大丈夫」
[死後って、随分思い切るな。アンデッドにでもなる気か?]
「そう、夏は快適のひんやりを提供できる」
 あ、頭が悪くなってくる。恐るべしエリス、状態異常には耐性がある筈の僕をここまで疲れさせるとは。
 師匠のモンドを呼んでお説教を交代してもらうか。当面は識に怒ってもらうとして、もうどう怒れば良いのかわからなくなってきた。
[識、後は任せる。戻る。それからジン、他の奴もそうだがカンニングしたいならもう講義は来なくていいから。実に色々と馬鹿らしい]
 ったく。
 ただでさえ神殿では妙な視線に変な干渉、シナイさんには尾行までつけられて帰ってきたと言うのに。まあ、僕は今界を気配を察するんじゃなく周囲の魔力を隠す使い方をしているから識に店に入る時に教えてもらったんだけどさ。
 それまでは全く気付かなかった。
 
「さて、ではエリス。そして皆さん。随分と時間があるようですから、今日は少し鍛えてあげましょう」
 誰の返事も待たずして店内から複数の人の気配が消えた。一気に様子が変われば今の僕にも背越しに状況はわかる。
 アクア、バナナミルクを分ける気だったようだけど、識の扱きが終わるまで我慢が続くかな。まあ飲んでしまったとしても彼女を責められないな。相当気に入っていたみたいだから。
 亜空に帰ろ。うん、他の森鬼にもバナナミルクを紹介してあげよう。澪に言って食材を用意してもらわないとな。老虎油

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