2013年1月31日星期四

ラヴド・ヴィクティムズ

「休みを?」
「ええ。今日一日、お休みをいただきたいのです」
 真剣な面持ちで現れたアリスは、そう言ってじっと主人であるゼロ・ハングマンを見つめた。ゼロは無表情に角砂糖をピラミッド型に積み上げている。D9 催情剤
「何か理由が?」
 ゼロは彼女を見ないままに尋ねた。アリスが休暇を願い出たのは、彼女がハングマン城に勤めるようになってから初めてのことである。彼女は少し、俯いた。
「……孤児院に、帰りたいのです」
 ゼロの肩が小さく跳ねた。
「孤児院に?」
「ええ。孤児院にいた子供がひとり、亡くなって……追悼のミサに出席したくて」
「…………」
 ゼロの視線が一瞬、彼女の手元に動いた。エプロンの前で組んだ彼女の手には、白い便箋が挟まっている。
「なるほど。そうでしたか」
「はい。一日だけ……お願いします」
「わかりました」
 ゼロはつぶやいた。アリスがほっと息をつく間もなく、彼は言葉を継ぐ。
「では、わたしも伺いましょう。リデルも連れて行きます」
「え?」
 アリスはぽかんと口を開けた。ゼロは山積みになった角砂糖をシュガーポットの中に投げ戻しながら、そのうちのひとつを頬張った。がり、と鈍い音が響く。
「馬車の用意をしますから、少し待っていて下さい」
「え、でも……」
 声を上げるアリスにかまわず、ゼロは執事の部屋に繋がる呼び鈴を引いた。そうしてから、ようやくちらりとアリスの顔を見上げる。
「アリスも、出掛ける準備を」
「は、はい」
 彼女は思わず素直にうなずき、ゼロの部屋をあとにした。

  × × ×

 一時間後。アリスはリデルの駆る馬車の中にいた。日ごろは精彩に満ちている彼女の碧い瞳も、今は深く沈み込んでいる。黒い喪服に包まれた肩の上に、ブロンドの巻き毛が零れ落ちていた。
「その子の名前はローザ・カーター。わたしが十歳くらいの時、孤児院の前に捨てられていたんです。寒い冬の日で……まだミルクしか飲めないような、ほんの赤ん坊だった」
「…………」
 ゼロは普段と変わらぬ黒づくめの格好をして、アリスの向かいに腰を掛けていた。その静まり返った表情からは、何一つ感情をうかがうことはできない。
「ひと懐こい子でした。だから、彼女が貴族の養子になるって聞いたときも、きっとうまくいくと思った……」
 何故ゼロにこんな話をしているのか、アリスにはわからない。そもそも何故彼が自分についてきたのかもよくわからなかった。
「貴族の養子に?」
 不意に、ゼロが口を開いた。いつもの猫背ではなく背筋がぴんと伸びていて、瞳は彼女をまっすぐに映している。
「その、ローザという子は誰かの養子になったのですか?」
「え、ええ」
「で、養子に行った先で亡くなった?」
「はい」
「…………」
 ゼロは再び背中を丸め、馬車のシートに深く体を埋めた。
「引き取られてからすぐ、彼女は何か重い病気に掛かったらしくて……驚いた孤児院は引き取って看病しようかと申し出たんだそうです。でも、それには及ばないと言われたと……ローザはもう自分たちの娘なのだから、娘のために親である我々が手を尽くす、と言われて」
 アリスはすぐに再び口を開いた。――話し続けずにはいられなかった。そうしなければ、思い出してしまう。ローザのくりくりとした愛らしい瞳。その名を体現するかのように、いつも薔薇色に上気していた頬。
「きっと、ローザはしあわせだったんだと思います。少しの間だったけど、優しい親に恵まれたんだから……だから、きっと」
「アリス」
 低い声が彼女の名を呼んだ。そして、俯いていた彼女の頭の上に何か固いものが載る。
「…………」
 アリスはおそるおそる顔を上げた。彼女の髪に触れていたのは、ゼロの手だった。しかし、彼はすぐに手を引き――そ知らぬ顔で横を向いた。
「もう、着くようですよ」
 小さな窓から外を眺め、ゼロは言う。アリスは彼の横顔を見つめ、やがて黙ったままうなずいた。

 その孤児院はロンドンの下町に位置しており、敷地内に建つ教会の壁は、周囲の建物と同じようにやや薄汚れていた。急ぎ中に入っていくアリスの後を追うように、ゼロは辺りを見回しながら一歩一歩足を進める。――その歩みが突然、止まった。
「…………」
 ゼロの鼻先を石が飛び去り、石塀にあたって音を立てる。ゼロは特に驚いた様子もなく、石の飛来した方向を見遣る。そこにはひとりの少年が立っていた。ぼさぼさに乱れた赤毛、赤銅色の瞳。年齢はまだ十歳になるかならないかといったところだろう。
「ゼロ様?」
 気付いたアリスが振り返り、ゼロに駆け寄った。
「おまえのせいだ! おまえのせいでローザがしんだんだ!!」
 甲高い叫び声に続いて、投石。
「…………」
 ゼロはそれを右手で受け止めた。相変わらずの無表情で、声の主である少年をじっと眺めている。アリスは慌てて声を上げた。
「やめなさい、ルイ!」
 その言葉に、少年はぴくりと体を震わせた。
「アリスねえちゃん……?」
「お客様に無礼を働いてはいけないと、シスターにならったでしょう」
 アリスはルイの足元にしゃがみこみ、視線を合わせた。顔を逸らそうとする彼の頬を両手で固定し、逃がさない。
「そもそも、ひとに石を投げるなんて、絶対にしてはいけないことよ」
「けど!」
 ルイはきっとゼロを睨み上げた。ゼロはコートのポケットに両手を突っ込み、アリスの背後に佇んでいる。ルイには興味などないかの様子で、教会を見上げていた。
「あいつはきぞくだろ。きぞくがローザをつれていっちゃったんだ。つれていったから、しんじゃった!」
「ルイ」
「きぞくなんて、だいきらいだ!」
「ルイ!」
 叫ぶ彼をたしなめようとするアリス、だがそんな彼女の側にゼロが並んだ。
「安心なさい」
 ゼロは低くつぶやく。
「わたしはあなたがたを連れて行きたいとは思いませんから」
「……ゼロ様?」
「…………」
 ゼロは相変わらずルイを見てはいなかったが、ルイはどこか気圧されたかのように押し黙った。
「アリス」
「え? あ、はい!」
「シスターに挨拶をしてきます。あなたは子供たちと一緒にいてください」
「はい。……あの、ゼロ様、お怪我は……」
 気遣うアリスに、ゼロは首を横に振った。
「大丈夫です。……では」
 ゼロはアリスらに背を向け、その場を立ち去った。
「……アリスねえちゃん?」
 黙って彼の背中を見つめていた彼女に、ルイがおそるおそる話し掛ける。
「あのひと……だれ?」
「だれかもわからない相手に石を投げたの?」
「う……」
 ルイはうつむいた。アリスは苦笑する。
「後でちゃんと謝りましょうね?」
「う……」
 ルイは顔を伏せる。
「わたしも付いていくから」
「……うん」
 その返事を聞いたアリスは満足げにうなずき、そしてぽつりとつぶやいた。
「でも、ゼロ様は、どうしてわざわざここに……」挺三天

 初老のシスターは、突然現れたゼロとリデルを目の前にして驚いたようだった。
「伯爵様が、一体どのようなご用件で……?」
「うちのメイドについてきただけです」
 ゼロは淡々と言う。
「メイド?」
「アリス・ウェーバー。こちらの出身ですね?」
「あ、ああ!」
 シスターは顔をぱっとほころばせた。
「そうでしたか。……では、アリスもここに?」
「ええ。今は子供たちと一緒にいますが」
「そうですか」
 シスターは慈母のような微笑みを浮かべ、ゼロを見つめる。
「時々アリスが手紙をくれるのですが、あなたのことをよく書いていますわ」
「…………」
 ゼロはぎょろりとした瞳でシスターを見つめた。
「本当に良くしていただいていると……自分はしあわせだ、と」
「…………」
 黙って身じろぎもしないゼロの横から、リデルが口を出す。
「こちらこそ、本当に良いお嬢さんに来ていただいてありがたく思っております。ここでの教育の賜物でしょう」
「――ところで」
 不意に、ゼロが口を開いた。
「ローザ・カーターを養子にした貴族というのは、キース子爵夫妻ですか?」
「な」
 シスターは大きく目を見開いた。
「何故、それを……?」
「…………」
 ゼロはその問いには答えず、別のことを言った。
「ミサが終わるまで、どこか休む部屋をお借りしてもよろしいでしょうか。リデルとアリスを待ちたいので」
「伯爵様は、ミサには参列されないのですか?」
「ええ」
 ゼロはあっさりと答える。シスターは何か言いたげな表情だったが、彼の瞳に浮かぶ拒絶の色を見て取ったのか、結局はひとつ小さなため息を零しただけだった。
「……わかりました。お部屋は用意させていただきます」
「助かります」
 ゼロは軽く会釈すると、窓の側へと歩み寄った。中庭ではアリスが数人の子供たちに取り囲まれている。
「リデル」
 ゼロは小さな声で言った。シスターには聞こえないほどの、かすかな声だった。
「はい」
「『ボディ』を手に入れろ」
「はい」
「それから――」
 ゼロはがり、と爪を噛む。
「ドクター・ロスチャイルドを呼べ」
デミアン・ロスチャイルド。彼はアリスがハングマン城で出迎えた二人目の客だった。ゼロには「変な医者が来ます」としか聞かされていなかったのだが、彼の第一印象はそう妙なものでもなかった。
「はじめまして」
 デミアンはそう言い、仕立ての良さそうなシルクハットを脱いで会釈した。ひとつに結わえられたブロンドの長い髪が、背中に沿って脈打つ。眼鏡の奥の薄水色の瞳は、柔らかな笑みの形に細められていた。
「デミアン・ロスチャイルドと申します。以後よろしく」
「は……はい! こちらこそ!」
 丁寧な挨拶に慌てたアリスは、深々と礼をした。頭上で低く笑う声が漏れる。
「ゼロ君に取り次いでいただけますか?」
「はい!」
 急ぎ奥に向かおうとしたアリスだが、不意に視界を塞がれて足を止めた。──いつの間に現れたのか、彼女の目の前にゼロが立っている。彼からはふわりと石鹸の匂いがして、アリスは思わず目を伏せた。きっと、ゼロは先刻まで……。
「……やあ、久しぶり」
 にこやかに笑うデミアンとは対照的に、ゼロは無表情に彼を見返した。
「お久しぶりです。――アリス、お茶を」
「はい」
 どことなく、ゼロが緊張しているように見える。何故だろう。そもそも何故、ゼロは医者を呼んだのだろう。体に不調はないはずだが……。不思議に思いながらも、アリスはふたりを遺して部屋を出た。

 アリスの運んできたお茶を口にして、デミアンは深く吐息をついた。
「――美味しい。いいメイドを見つけましたね、ゼロ君」
「ええ、まあ」
 そっけないゼロには構わず、デミアンはゆったりとソファに背中を預ける。
「ところで、何か僕に用があったのでしょう? 何です?」
「…………」
 ゼロはわずかに声を低めた。
「キース子爵夫妻について、あなたが知っていることは?」
「……ああ」
 デミアンは程なく声を上げた。
「あの、養子が次々と変死しているという……」
 ゼロはうなずく。
「つい先日もひとり、亡くなったのでしたっけ?」
「ええ。どうやらこれで四人目です」
「それはそれは」
 デミアンは片眉を上げた。
「偶然、で片付けるには少々」
「あなたもそう思いますか」
「残念ながら、僕は彼らの子供を診察したことがないのでね。何とも言えませんけれど」
「…………」
 ゼロは視線を落とした。
「実は、リデルに子供の死体(ボディ)を手に入れてもらったのですが」
「……リデルに何をさせているんですか、君は」
 あきれた口調のデミアンには構わず、ゼロは言葉を続ける。
「全身を調べても、外傷はどこにもありませんでした」
「……ふむ」
「骨折もない。生前からのものと思われるあざのようなものもない。病死……おそらくは肺炎。そうとしか考えられなかった」
「なるほど」
 デミアンは再びお茶をすすった。
「それで、君が僕を呼んだ理由は?」
「…………」
 薄水色の瞳が、冷たくゼロを映す。――笑みを消した彼の表情は、ひどく酷薄なものだった。ゼロはそれを淡々と見返す。
「言わなくともわかるでしょう?」
「…………」
「あなたはロンドン随一の――いえ、ヨーロッパ中で並ぶもののない腕を持つ精神科医だ」
「買いかぶりすぎですよ」
「いいえ」
 苦笑したデミアンに対し、ゼロは小さく、しかしはっきりと言った。
「あなたの元患者が言うのです――間違いありません」
「…………」
 デミアンは口を一文字に引き結んだまま、じっとゼロを見つめた。
「それで……君は僕にキース夫妻を診ろ、というのですか?」
「いいえ。私はただ真実が知りたいのです」
 ゼロはぽつり、とつぶやく。
「何故、子供たちは死んでいったのかを」
「それを、どうやって僕が明らかにできるというのですか」
 デミアンは苦笑した。
「それに……」
 ゼロは背中を丸めてデミアンを見上げる。
「もし彼らが子供たちをどうにかしていたとして――君はどうするのですか? 五人目の犠牲者を出さぬように、何か尽力するとでも?」
「…………」
 ゼロは答えない。デミアンは小さくため息をついた。
「君にももう、大体の想像はついているのでしょう? 何故、キース夫妻の養子が次々に亡くなっていくのか」
「……さあ、どうでしょう」
 ゼロはつぶやいた。VIVID XXL
「四回の死が偶然ではないと証明するのは非常に難しい。けれど、偶然である確率は非常に低い」
「キース夫妻には実子はないのでしたね。たしか、夫人が病弱で、子を産めば己の命が危うくなると言われているのだとか」
 デミアンのつぶやきに、ゼロは唇に奇妙な笑みを湛えた。
「なるほど、子が母を喰らってしまうから、ですね──どこかで聞いたような話だ」
「そうですか?」
 ゼロが、彼を産み落として命を散らせた母親のことを言っていることはすぐにわかった。しかし、デミアンは何の動揺も見せずゼロを真っ直ぐに見つめる。彼がゼロと初めて出会った「あの時」と同じように、その温度のない視線に優しさはなく、色のない瞳には力強さもなかった。ただ、そこに映るものすべてが彼の瞳の中に取り込まれていくようだった。守られるのでもなく、責められるのでもない。まるで、鏡の奥深くに沈んでいくような……。
「ところで」
 不意に、デミアンが視線を窓の向こうに投げた。ゼロはほっと息をつく。
「僕からキース夫妻にコンタクトを取ることは不可能です。橋渡しは君がしてくれるのですか?」
「私も面識はありませんが」
 ゼロは少しだけ口角をあげた。
「亡くなった子供のためにミサを行うんだそうです。そこに行けば会えるのではないかと」
「ミサを、ね」
 デミアンは苦笑した。
「でも、君はミサには出ないでしょう?」
「……ええ、まあ。むしろ私はあなたが出ることの方が不思議です。筋金入りの無神論者の癖に」
 デミアンは笑みを深める。
「信じていないからこそ、ですよ」
「…………」
 ゼロは黙って何も言わない。
「……まあ、あなたのご要望はわかりました。添えるように努力してみます」
 デミアンはコートを腕に掛けた。ソファから立ち上がる彼を、ゼロはその暗い視線で見上げる。
「お願いします」
「…………」
 デミアンはふとゼロを見つめた。穏やかに微笑む。
「きみは、やさしいね」
 ゼロはその言葉を聞こえなかったかのように無視した。

  × × ×

 教会は荘厳な音楽で満たされていた。聖歌隊の奏でる讃美歌は壁を震わせながら天へと立ち上っていく。
 マーガレット・キースは黒いレースのヴェールをかぶり、じっと俯いていた。そのエメラルド色の瞳からは幾筋もの涙が伝って落ちていた。
「マギー」
 夫であるジョージ・キースが彼女の手をとろうとしたが、彼女はさりげなく手を退ける。その指先は黒い手袋に包まれていた。
「そんなに泣くんじゃない。君はよくやっていたよ」
「…………」
 マーガレットは夫の言葉に耳を傾ける様子もなく、ただじっと床を見下ろしていた。
「キース子爵」
 執事の控えめな声に、ジョージは妻から目を逸らした。
「ハングマン伯爵の手紙を携えた使者が」
「ハングマン伯爵だと?」
 ジョージは眉を寄せた。その名は当然知っているが、今まで交流は全くといっていいほどない。あの気味の悪い「首吊りの伯爵」に関わろうとするものなどそうそういるはずもなく、彼も同様であったからだ。
 執事の背後に立つ男が一歩進み出、深々と一礼をした。
「はじめまして、デミアン・ロスチャイルドと申します。『ローザ様のご不幸を謹んでお悔やみ申し上げる』とのメッセージを預かって参りました」
「それはそれは、ご丁寧に」
 困惑を浮かべながらも恐縮するジョージから、隣に佇む妻へとデミアンの視線はうつった。
「奥様もさぞかしご傷心でいらっしゃることでしょう」
「ええ」
 マーガレットは言葉少なに答えた。
「だってローザは、私の子供だったのですから」
「あなたがたのお子様、ですね?」
「いいえ」
 さりげなく言い直したデミアンに、マーガレットははっきりと言った。
「私の子供、です」
「…………」
 ジョージは気まずげに咳払いをする。デミアンは白々しく尋ねた。
「キース子爵のお子様ではない、と?」
「だって、あの子の面倒を見ていたのは私だけですもの」
 マーガレットはにくにくしげな視線を夫に向ける。
「そうでしょう? あなた」
「やめないか、おまえ」
 ジョージは苦虫を噛み潰したような表情で妻を制した。
「なるほど、病床のローザ様に付き添っていたのはほとんどが奥様であった、ということですね」
「ええ。ずっと私でしたわ。ローザだけじゃなくて、ジャックのときも、エレーナのときも、トッドも……」
「おまえが皆を追い出すんだろうが! わたしがローザのためにと雇ったメイドのことも追い払って」
 声を荒げたジョージに、マーガレットは冷ややかにこたえる。
「ローザのためのメイド? 違うでしょう? 愛人を手元に置いておくため。あなたのためよ」
「違う、リリーとは何も……」
「奥様」
 デミアンは静かに彼らを遮った。ふたりははっと彼を見る。デミアンは、微笑(わら)っていなかった。
「実は僕、医業を生業としているものでしてね。今後はどうぞ、僕にご相談ください」
 デミアンは懐から名刺を取り出し、マーガレットに差し出した。
「それから、キース子爵。あなたにも」
 デミアンはジョージにも同じものを渡す。
「私にも?」
 怪訝そうに眉を寄せるキースに、デミアンはうなずいてみせた。
「ええ」
「あなたになら、ローザが治せたとでも? 私はつきっきりで看病していたのよ」
 眼差しを鋭くするマーガレットに、デミアンは微笑する。
「そうですね、僕ならきっと転地療養をお勧めしていたでしょう。たとえば――元の孤児院に返すとか?」
「何ですって?!」
「マーガレット・キース」
 不意に、無機質な声が割り込んだ。デミアンは笑みを浮かべたまま一歩退く。彼の背後から現れたのは――ゼロ・ハングマンだった。
「伯爵?!」
「医師の勧めには従うことですよ」
 ゼロは言い捨て、ジョージに向き直った。
「ローザのいた孤児院の子供たちが、是非このミサに出席したいのだそうです。よろしいですか?」
「え……ええ」
 ジョージがうなずくと、ゼロは軽く右手を上げた。教会の入り口から、アリスに先導された子供たちが入ってくる。誰もが目に涙を浮かべていた。
「…………」
 マーガレットはぼんやりと子供たちを眺める。どの子供たちも健康そのものだ。親はなくとも愛情たっぷりに育てられている。その輝きに、知らず知らずのうちに彼女の視線は吸い寄せられていく――その耳元に、ゼロが囁いた。
「次に死神の犠牲になるのは、どの子供なのでしょうね?」
「なっ……?!」
「でも、次はありませんよ」
 振り返ったマーガレットの瞳を見据え、ゼロは言う。
「ドクター・ロスチャイルドの腕は確かですから」
「な……何をおっしゃりたいのかしら」
 強張った口元を微笑ませて、マーガレットはゼロを睨んだ。
「おっしゃっていることがわからないわ」
「…………」
 ゼロはジョージをじろりと見た。福潤宝
「キース子爵。何故、あなたは自分の子供を城に呼び寄せないのです?」
「え……?」
「数年前に城のメイドとして働いていたスカーレット・シンプソンの生んだ子供――あなたの子供でしょう?」
「…………」 
 マーガレットの蒼白な顔を横目で見ながら、ジョージは汗をぬぐった。
「いや……それは、私の子供では……」
「ほう。それは失礼」
 ゼロはぴたりと追及するのをやめ、彼らに背を向けた。
「しかし、あなたは賢明ですね。……己の子供を死神の手から守っているのだから」
「…………」
「では、ごきげんよう」
 ――教会の天井には、子供たちのすすり泣く声が波のように木霊していた。

  × × ×

「ごめんなさい」
「…………」
 ハングマン家の馬車の前で深々と頭を下げた少年を目の前に、ゼロは目を何度も瞬かせた。そんな彼の表情を見て、アリスは小さく噴き出す。
 ゼロは困惑した表情を彼女に向けた。
「アリス、これは一体……」
「ルイが、謝りたいんですって」
「はい?」
「ゼロ様に石を投げたこと。謝りたいって」
「……はあ」
 ゼロは力なくつぶやいた。
「そんなこと、もうすっかり忘れていましたが……」
「あと!」
 ルイが突然勢い良く顔を上げた。
「ありがとうな、ローザにバイバイさせてくれて」
「…………」
「また、アリスねえちゃんと一緒に遊びに来てくれよ!」
「…………」
 ゼロは答えないまま、馬車の中にするりと滑り込む。
「……まだ怒ってるのかな?」
 不安げにアリスを見上げたルイに、彼女は静かに首を横に振った。
「いえ、そうじゃないと思う」
 ――あの時、一瞬彼が見せた戸惑いと迷い、そして……。
「きっと、おわかりにならなかったのね。どんな表情(かお)をすればいいのか」
 アリスはつぶやく。
「アリス」
 馬車の中から、彼女を呼ぶ声がする。アリスはルイの頭を軽く撫で、それから手を振った。
「じゃあ、行くわ」
「う、うん」
 手を上げて答えるルイに微笑みかけて、アリスは身を翻した。
 ――馬車の中でゼロは、膝を抱えて小さくうずくまっていた。
「ゼロ様?」
「死神は」
 ゼロはつぶやく。
「寂しいのでしょうね」
「……え?」
「…………」
 ゼロは目を伏せる。――おそらく、子供たちを死に追いやっていたのはマーガレット・キースだ。熱心に子供を看病する母を演じることで、寂しさを紛らわせていたのだろう。病の子供は己を必要とする。病の子供を持つ母親に、人々は同情する。子供が亡くなれば、盛大なミサを行って悲劇の母を演じる――夫が自分を顧みなくとも、余所の女に子を産ませても、寂しくないように。
「ゼロ様……」
 アリスは彼の顔を覗き込んだ。考えに沈み込んでいた彼の瞳を、心配そうに見つめる。
「ゼロ様は、お寂しいのですか?」
「……いいえ」
 ゼロは小さく――本当に小さく、微笑む。
「だって、あなたがたがいるでしょう? アリス」
「…………」
 アリスは一瞬のその温度を心に焼き付け、そしてふわりと笑った。
「はい!」
 きっといつか、再び彼と孤児院に遊びに行ける。そんな日が来ると、そう思ったOB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ

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