2012年5月27日星期日

Poker Face

カーテンを開けると窓の外は青空が広がっていた。爽やかな秋晴れってやつやな。せやけど今のオレにはこの眩しさがメチャメチャ辛い。
 眠い。だるい。何もかもが面倒でズル休みしたい。そんな欲求を我慢して学校に向かうオレを、妙に元気な金子ちゃんが出迎えた。男宝
「おはよう。今日はかなり眠そうだね。二日酔い?」
「半分はそうかも」
 実際は二日酔いやのうて寝不足なんやろな。そしてもう半分はあれこれ考えながら寝てもうたせいで、頭も気分もすっきりしとらんからやと思う。
 オレが露骨に調子悪そうな態度を見せとるせいか、金子ちゃんはつまらなそうな表情でオレを見とった。きっと金子ちゃんは歩きながら昨日のことを話そうと思っとったんやろな。
 そんな金子ちゃんには悪いんやけど、体調的にも精神的にも、今のオレにそんな余裕はない。
 冷たい風が吹いとる通学路をぼんやり歩いとると、やがて金子ちゃんが声をかけてきた。
「さっきから欠伸よりも溜息の方が多いみたいだけど。そんなに体調よくないの」
「いや、しんどくて溜息ついとるんやないで」
「それじゃあ、溜息をつくような悩みでもあるの」
「んー。今は喋るのが面倒やから、後で話すわ」
 オレがそう言うと金子ちゃんはそれ以上聞いてこんかった。
 金子ちゃんに心配されるほど頻繁に溜息ついとった自覚はないんやけど……多分、自覚できんほど深刻に悩んどるんやろなあ。
 社会に出る前に……高校卒業するまでに恋愛とかエッチに関して人並みの免疫くらい付けとけって伊勢ちゃんの言い分は、何となくならオレにもわかる。指摘されたことを直せと伊勢ちゃんに言われるまで、オレは何時まで経ってもそのまんま放ったらかしにするもんな。
 それにちょっとでも新しい経験をすれば今までとは違う視野で考えたり、もうちょっと具体的に考えたりできるようになる。オカンや親父もそういう話をしとったし、オレもそういうもんやろなて思う。
 補助輪なしで自転車に乗れるようになった時とか、逆上がりが自力でできるようになった時みたいに、コツが掴めた途端に「なんや、メチャ簡単やん」って当たり前のように認識できるようになるかもしれん。
 恋愛とかエッチがそういう感覚で理解できるかどうかは別の話として、ええ加減オレも真面目に考えなアカン問題なんやろな。
 エッチを経験してみたら、ひょっとしたら今までさっぱりわからんかった女子のことやエッチの話なんかも今よりはちゃんと理解できて、少しくらいはみんなと同じように考えることができるかもしれん。ノンセクシャルっぽいオレのこの考え方や感じ方が、少しは正常なもんに改善できるかもしれん。
 けどなあ。ほな具体的にどないしたらええんかなんてさっぱりわからん。エッチできそうな相手がおらん以前に、誰かとエッチしてみたいって意識がないんやで。もしもオレとエッチしてもええて相手がおったとしても、こんな状態でオレからエッチしよなんて声かけられるわけない。
 大体、エッチのやり方かてよう知らん。エッチな本やAVをそういう目的で見たこともないしな。せやからってエッチのやり方の勉強のためだけに、興味もないAV見てみるのは面倒やしアホらしい気もするんよなあ。
 それに、エッチってのは誰か相手がおらんとどうにもならん話やろ。今のところ、オレとエッチしてもええって思っとるのって女子やとアキちゃんやろ。そんで、男やと金子ちゃんか。
 伊勢ちゃんにはオレとエッチすんの試してみようって意思はないと思う。たまに挙動不審になるから、ひょっとしたら頭の片隅にはそういう意識もちょこっとはあるんかもしれんけど……もしそうやったとしても、それを表面に出してくる気配は伊勢ちゃんにはないから除外してええやろ。
 うーん……何をしたらええんかさっぱり見当つかんし、アキちゃんか金子ちゃんとエッチなことするなんて想像もつかん。こんなオレでも、エッチを経験した、あるいはしてみよう思って努力しとるうちに、普通の男らしくエッチや恋愛に興味が持てるようになるんかな。ノンセクシャルってやつが治るんかな。病院行くの面倒やから、治るとええなあ。
 でもまあ、人並みに興味が持てるようになったオレが自分と伊勢ちゃんの関係をどう思うか、その答が出せればオレと伊勢ちゃんのアホらしい悩みは一発で解消するかもしれん。オレが伊勢ちゃん以外の誰かとちゃんと恋愛できるってわかれば、伊勢ちゃんもオレに対して持っとる曖昧な気持ちに踏ん切りつくんかもしれんし。頑張る価値はあると思う。まあ……場合によっては取り返しつかんレベルで悪化する可能性もあるんやけど。悪い方に考えんのはオレの性には合わんから、考えんようにしとこ。
 ちょっぴりやけど、頑張ってみようって気にはなっとるな。せやけど、ほなそのために具体的に何したらええんかはさっぱり思いつかん。ホンマにどないしたらええんやろ。伊勢ちゃんに相談すると面倒なことになる気がするから、伊勢ちゃんには相談できんよな。
 アキちゃんと金子ちゃん、どっちが事情を話やすいかっていったら、圧倒的に金子ちゃんなんやけどなあ。金子ちゃんのノリと性格やったら、「面白そうだから」って理由だけでOKしそうやし。
 せやけど、そんな理由で金子ちゃんとエッチすんのってどうなんやろ。男同士やったとしてもエッチの経験にはなるんやろうけど、根本的なところがおかしいやろ。
 というか、アホやなオレ。男とやないと絶対イヤやとか女とそういうことをするのが気持ち悪いって思っとるわけやないのに、何で男か女かの二択で男の方を選ばなアカンねん。普通やったら性別でアキちゃんの方を選ぶやろ。
 って朝っぱらからこんなアホなことばかり考えながら登校しとる時点で十分アホか。

 欠伸と溜息を繰り返しながら、どうにか一日の授業を乗り切ってみた。金子ちゃんだけやのうて近衛さんや昼休みに会ったタッちゃんにも心配させてもうたみたいやから、明日は溜息つかんようにしとかんとアカンな。
 それにしても今日は疲れたなあ。バイトが休みでホンマよかった。こんな体調で勉強しても身につかんやろし、今日は飯を食ったらさっさと風呂入って寝とこ。そんなことを考えながら家に着くと、オカンが妙にニヤニヤした顔でオレを出迎えた。
「何ずっとニヤニヤしとるんや。気持ち悪い」
「アンタに会いに、アキちゃん来とるで」
「……えっ。アキちゃん来とるて、家に?」
 うわ、ホンマや。玄関に見たことのない女物の靴がある。
 思わず動揺してもうたオレに、オカンは妙に楽しそうな声で言う。
「アンタが帰ってくるまで、色々とアンタの話聞かせてもろたで」
「オ、オレの話って」
 オカンの言葉を聞いた瞬間、血の気引いてもうた。
 オレの話って一体何やろ。ひょっとしてアキちゃん、昨日のことをオカンに話してもうたんかな。もしそうやとしたら、何をどこまでオカンに話してもうたんやろ。
 動揺しとるのはオカンにバレバレなんやろうけど、だからというて何時までも玄関にボケっと突っ立っとっても仕方ないよな。オレはなるべく平常心を保つように努力して靴を脱いだ。
「で、アキちゃんは何の用やて」
「用件は聞いとらんよ。アンタの部屋は散らかっとるから、下で話し聞いとき。心配せんでも、これから夕飯の支度で台所おるから」
 オカンはまだニヤニヤしながらそう言ってきた。オレは部屋に上がらずに居間の方に顔を出してみる。居間では真美と一緒にアキちゃんがテレビを見とった。ってちょっと待て。ひょっとして、オカンだけやのうて真美にも話が筒抜けになっとるんかいな。うわー、最悪や。
「あ、おかえりなさい、薫平君。お邪魔してます」
 オレに気付いたアキちゃんが、こっちを向いて声をかけてきた。すると、真美までオカンと同じにやけ顔になってオレに声をかけてくる。
「おかえりー。何やウチはお邪魔みたいやから、そろそろ二階に行っとくわ。先輩、お兄様、どうぞごゆっくりー」
「だっ。誰がお兄様や、気色悪い言い方すんな」
 相変わらず口を開けば余計なことしか言わんやつやな。ホンマに腹立つ。そんな悪態を頭の中でつきながら空いとる場所に座ると、アキちゃんがオレに話しかけてきた。
「薫平君。昨日はありがとう。それと……ごめんなさい。途中から全然記憶がないんだけど、今朝の健君の話だとかなり薫平君に迷惑かけちゃったみたいで」
「えっ、あ……ううん、全然たいしたことないから気にせんといて」
 迷惑と言えば迷惑やったけど。アキちゃんに悪気があったんやないもんな。昨日のアレは酒飲ませて伊勢ちゃんとの喧嘩を囃し立てた兄ィらが悪いんやし。アキちゃんは何も悪くない。悪くない……とは思うんやけど、やっぱり何となく気まずい気がしてアキちゃんと視線を合わせられん。かというてアキちゃん目の前にして、露骨にそっぽ向いとるのはもっと気まずいよなあ。
 とりあえずオレは「腹減った」と言いながら、オカンがおる台所の方やテーブルの上を見回してみた。テーブルの上にはさっきまで真美やアキちゃんが食っとったお茶菓子用のクッキーと紅茶がある。物食っとる間は喋らんでも済むやろ。アキちゃんの方見とらんでもそう不自然やないやろ。そう思ったんで、オレはテーブルの上にあったクッキーを二、三枚掴んで口の中に放りこんだ。三体牛鞭
 オレが黙々とクッキーを摘んどると、またアキちゃんが話しかけてくる。
「昨日はかなり夜遅かったみたいだけど、朝ちゃんと起きれた?」
「んー。まあ、なんとか。一日欠伸ばっか出とったけど。アキちゃんこそ、大丈夫やった?」
「うん。朝起きるのがちょっと辛かったけど、お酒飲む前に二日酔いにならない薬飲んでたから」
「へー。アキちゃんの家にはそんなんあるんや」
「うん。お父さんがお酒飲む前に飲んでる漢方薬なんだけどね。大学生の飲み会に行ったら、飲める以上のお酒を飲まされるかもしれないなって思って、念のため飲んでおいたの」
「なるほど」
 うう、もうそろそろ限界や。アキちゃんと何を話せばええんかさっぱりわからん。オレの方はアキちゃんに用ないもんなあ。
 いや、考えようによっては全然なくもないんやけど……オカンらに聞かれそうな場所で話せることやないし。困ったなあ。
 そんな考えが顔に出てもうたんか、アキちゃんの表情が急に不安そうなものになった。
「私、記憶ない間にそんなにみっともないことしちゃった?」
「そっ、そんなことないで。うん、全然みっともなくない。ただ、伊勢ちゃんと対等に口喧嘩しとるアキちゃんを見て、ちょっと驚いたというか、昔のアキちゃんを思い出したというか」
「えっ。昔の私って?」
「あっ、いやその」
 オレのアホ。全然上手く誤魔化せてないやんか。むしろ余計悪化しとる気もする。
 ああでも、オレのことやから今ここで上手く誤魔化せたところでボロを出すまでの時間稼ぎにしかならんよなあ。
 ここは無理に誤魔化さんで、今のうちに言っといた方がええかもな。アキちゃんの正体があのジャイアンやて思い出したってこと。
「あのな、伊勢ちゃんと昔話をしとるうちに、ちょこっとだけアキちゃんのことを思い出したんやけど、オレが覚えとるアキちゃんって」
 アカン。やっぱり今のアキちゃんを目の前にして、ジャイアンって昔のあだ名で呼ぶのは抵抗あるな。
「あのころのアキちゃんって、何時も伊勢ちゃんと喧嘩しとったから」
「そうね。小学生のころは毎日健君と喧嘩していたかも。あのころは健君のことが大嫌いだったから」
「そうなんや。何で?」
「だって、健君は何時も薫平君を独り占めしていたから。それが何となく悔しくて」
 アキちゃんはちょっと照れくさそうに笑った。
 独り占めかあ。あれはオレが伊勢ちゃん以外と馴染めなくて伊勢ちゃんの金魚の糞状態やっただけなんやけど、アキちゃんには伊勢ちゃんがオレを独占しとるように見えとったんか。
 しかし酔っ払ってタガが外れとったとはいえ、あそこまで伊勢ちゃんに絡めるなんて、やっぱりアキちゃんって今でも普通の女子とはえらい差があるよなあ。
 それにアキちゃんのあのキレっぷりはジャイアンって呼ばれとったころの、男にしか思えん言動見せとったアキちゃんみたいやった。
 今までのアキちゃんにはそういう気配が全然なかったから、今は普通に女の子らしい性格になったんやなって思っとったんやけど……それって表向きの言動だけやったんかな。
 会話が止まってしばらくすると、オカンがアキちゃんに一緒に夕飯食ってくかって話しかけてきた。それを聞いたアキちゃんは時計を見る。
「あ、いけない。そろそろ帰ってご飯の用意しなきゃ」
 お。よかった、家に帰ってくれるっぽい……ってアカンなあ。帰ってくれるのが嬉しいなんて、まるでアキちゃんを全然好いとらんみたいやんか。
 何や罪悪感みたいなもんを感じてもうたんで、オレは帰ろうとするアキちゃんを玄関の外まで見送ってみた。
 アキちゃんの姿が見えなくなると自然に大きな溜息が出た。やっぱりオレ、無意識にアキちゃんにビビっとるっぽいな。
 アキちゃんにはあの話をせん方がええやろな。オレが伊勢ちゃんから言われたことを話したら、アキちゃんは喜んでエッチしよって言ってくると思う。せやけど、オレは今のアキちゃんとエッチするのはイヤやなあって思う。何がイヤなんか自分でもさっぱりわからんけど。
 エッチとか恋愛対象として誰かを好きになることが未だにさっぱりわからんって思っとるはずのオレが、何でアキちゃんとエッチするのだけははっきりイヤやて思うんやろ。
 伊勢ちゃんの場合はわかるんよな。オレはそういう意味で伊勢ちゃんが好きなんとちゃうし、そういうことをするのは絶対変やってはっきり感じるようになったから、伊勢ちゃんとはエッチしたくないって断言できる。でも、アキちゃんに対しては漠然としとって自分が納得できるだけの理由がないんよな。
 オレは自分の部屋に戻って、部屋着に着替えながら考えてみた。
 アキちゃんとはエッチしたくないって思うのも、どうしてもアキちゃんにビビってまうのも、ガキのころに毎日苛められとったせいなんやろか。
 でもオレ、アキちゃんを苦手やって思いながらも嫌いになれん。好きか嫌いかのどちらかに分けたら、アキちゃんは好きの部類に入ると思うんよな。
 ホンマに何でやろ。何でアキちゃんだけは他の仲ええ女子とは全然別格って認識がオレの中にあるんやろ。
翌日もオレは無意識になんども溜息をついとったっぽい。休み時間になると近衛さんが心配そうに声をかけてくる。
「大林君。昨日からどうしたの。授業中も上の空だったみたいだけど、何かあったの」
「え。いや、特に何もないで」
「ならいいんだけど、かなり真剣に何かを悩んでるみたいに見えるよ。もし、何か悩みがあるんだったら……あたしじゃ相談相手になれないような悩みでも、他の誰かに相談してみたらどう? 木内君たちも心配していたよ」
「うーん……相談できたら、ちょっとは楽なんやろうけど」
「あ。やっぱり何か悩んでるんだ。それって仲がいい友達にも相談できない深刻な悩みなの?」
「そやなあ。ちょっと伊勢ちゃんらには相談し辛い話やな」
 伊勢ちゃんには相談できん。かというてタッちゃんに相談してみても、タッちゃんもオレと同じで恋愛もエッチも未体験って状態やから、オレがいきなりそういう話を振っても困らせるだけの気するし。
 こういうことを唯一話せそうな友達って金子ちゃんしかおらん。せやけど今の金子ちゃんに相談しても、試しにエッチしてみようかって答しか返ってこなさそうやから話しにくいんよな。金子ちゃんがオレとのエッチに興味を持つこと自体は物好きやなって思う程度なんやけど、実際エッチするとなると話は別やからなあ。なるべく金子ちゃんには黙っときたい。
 というか、よく考えたら金子ちゃんとエッチしてみたかて、エッチがどういうものかわかるだけで、恋愛や女子に対する興味には一切繋がらん気がする。
 先のことを考えるんやったら、試しにエッチするのは女子とがええんかも。
 オレがあれこれ考えとったら近衛さんが言ってきた。
「あ、ひょっとして悩みって、伊勢君のお姉さんのこと? 確か、彼女って大林君が好きなんだよね。彼女と付き合うかどうか、まだ悩んでいるの」
 近衛さんはそうオレに聞いてきた。
 アキちゃんはオレが好きやから付き合いたいって積極的に迫ってくる。オレはアキちゃんと付き合わんって断れんままズルズルきとる。昼休みの雑談でわかる情報だけやと、近衛さんが言っとるように受け取れるんやろな。
 さすがに近衛さんには事情は説明できんから、ここはアキちゃんと付き合うかどうかで悩んどることにしとくのが無難かな。
「まあ、そんな感じ」
「うーん。直接話したことが殆どないから、彼女がどういうタイプの女の子なのかわからないけど。大林君に付き合う気がないなら、はっきり断っちゃった方がいいと思うよ。思わせぶりな態度で引っ張っておいて、やっぱり付き合わないって言われるとショックだろうし」
 そう言うと近衛さんは少し照れくさそうに笑う。
「恋愛経験ゼロのあたしがこんなことを言っても、全然説得力ないかもしれないけど」
「いや、オレもそういうもんなんやろなってくらいはわかる。ただ、絶対付き合いたくないって意識はないのに断るのも悪い気がするから……それ以前に、自分を好きやて言ってくれる女子とどう接したらええんか、そっからさっぱりわからん。伊勢ちゃんや金子ちゃんって、自分から恋愛意識やそれに近いものを持って女子と接したことがないっぽいから」
「そっかー。そういう悩みだと伊勢君たちにはちょっと話し難いかもねー。だったらC大のお兄さんたちはどうかな。女の子受けがよさそうなお兄さんとか、モテてそうな格好いいお兄さんもいたじゃない。彼女がいる人にそれとなく聞いてみるとか」
「そうやなあ。まだ兄ィらの方が少しはオレの話を聞いてくれそうかもな」
 でも多分、話を聞いてもらえるだけなんやろな。文冴兄ィは面倒やから自力でどうにかしろて言いそうやし、雅経兄ィは悩みながら自力で何とかしてごらんて答えが返ってきそうやで。
 それにこの悩みって、誰かに聞いてもらいたいと思う反面、誰にも話したくないって意識も強いんよなあ。
 顔を上げたオレは近衛さんが心配そうな表情で見とることに気付いた。
「アカン。重症っぽいな」
 オレは笑ってそう誤魔化してみた。

 夕方からバイトに出ると、近くにおった社員の人から届いたばかりのビールを売り場に並べてくれと頼まれた。渡されたダンボール二箱を抱えて売り場に行くと、トヨ兄ィがビールが並ぶ棚に空きスペースを作っとる。
「トヨ兄ィ、おはよー。これ、そこに並べればええんかな」
「ああ。場所を作っておいたから、ここに並べておいてくれ」
「あい」
 オレは売り場まで運んできたダンボール箱を下ろして封を切ってみた。見たことのない名前とデザインのビールやな。冬の新商品かな。
 指示された通りに商品を並べとると、トヨ兄ィがもう二箱持ってきた。必死になって抱えとったオレと違って、トヨ兄ィは余裕で運んどる。SEX DROPS
 やっぱりトヨ兄ィって基礎体力と腕力が全然ちゃうんやなあ。もっと背が高くなりたいとか、もっとええガタイになりたいって欲はなかったけど、あれくらいの荷物を余裕で運べるくらいにはなりたいかも。
 そんなことを思っとるとトヨ兄ィは「これも頼む」ってダンボール箱をオレの隣に下ろし、そのままどっか行ってもうた。レジが混み始めてきたから、レジの手伝いに行ったんかな。
 一人で作業を続けとるうちに、ふとこの前のことを思い出した。
 トヨ兄ィはどんくらい日曜日の打ち上げのことを覚えとるんやろ。酔っ払っとったとはいえ、オレを抱っこして全然放そうとせんわ、伊勢ちゃんはぶっ飛ばすわ、普段のトヨ兄ィからは想像つかんくらい滅茶苦茶やったもんなあ。あの時の酔っ払いぶりやと、アキちゃん以上に記憶残ってなさそうやけど。気になるから後で聞いてみようかな。
 頼まれた仕事が終わった後は何時ものように使用済みのカゴを入口まで戻したり、ラベル貼りをしたりして過ごしてみた。何かの作業に没頭したり体動かしたりしとると、余計なことを考えんで済むのがええな。
 後片付けの時間が近付いてくると、何時ものようにトヨ兄ィはオレを呼びにきた。オレはトヨ兄ィの後に付いて歩きながら、日曜日の件を聞いてみることにした。
「なあトヨ兄ィ。日曜日の夜のことってどんくらい覚えとる?」
「日曜日の夜……ああ、打ち上げの話か」
「うん。カラオケボックスでオレにしたこと、どんくらい覚えとる?」
「え。大林も打ち上げに顔を出していたのか」
 あ。既にそこから記憶に残っとらんのやな。ほなカラオケボックスで何があったかなんて覚えとらんよな。
 トヨ兄ィは立ち止まって記憶を辿っとるように黙っとった。しばらくするとトヨ兄ィは振り向いてオレを見る。
「……その様子だと……殴っては……ないよな」
「うん。オレは殴られとらんで。ただ、オレの友達を一人ぶっ飛ばしとった。あ、伊勢ちゃんはオレより頑丈な体しとるから怪我せんかったし、普通に家まで歩いて帰っとったし、月曜日には普通に学校来とったから心配せんでも大丈夫やで」
「そうか。悪いことをしたな。会う機会はないだろうから、代わりに謝っておいてくれないか」
「まあ、あれは殴られても仕方ない雰囲気やったっぽいから……あんま気にせんといて。本人もトヨ兄ィに殴られたこと覚えとらんと思うし」
 日曜日は色々とありすぎたからなあ。伊勢ちゃんに直接確認したわけやないけど、トヨ兄ィにぶっ飛ばされたことって伊勢ちゃんの記憶に残っとらん気がする。
 この様子やとトヨ兄ィはオレを抱っこして放さなかったことも覚えとらんやろな。そう思ったものの、一応聞いてみることにした。
「そういえばトヨ兄ィって抱き癖でもあんの」
「抱き癖?」
「うん。テンコ姉さんに言われた通りにオレを抱っこしたら、その後何言っても全然放してくれんかったんやけど」
「……抱っこ……………………あっ」
 妙に長い間をおいて、トヨ兄ィはやっと状況を理解したようやった。日曜日の記憶は全然なくても、記憶無くすくらい酔っ払った自分がそういうことをする心当たりはあるっぽい。表情は殆ど変化ないんやけど、かなり戸惑っとるような感じでオレに言ってくる。
「大林に何か変なことしたか」
「いや、単に抱っこして全然放してくれんかっただけやで」
 オレがそう言うとトヨ兄ィは安心したように軽い溜息をついとった。
「ひょっとして、普段はあそこまで酔っ払うと抱っこ以外のこともすんのかいな」
 そう聞くとトヨ兄ィは困ったようにオレを見た。
「誰彼構わずに抱きついたりしない。大林は多分、背格好があいつと同じくらいだから」
「同じくらいて誰……あ。ひょっとしてトヨ兄ィの彼女?」
 トヨ兄ィはオレの質問には答えんかったけど、違うって言わんかったから彼女のことっぽいな。
 なるほど。酔っ払っとったトヨ兄ィはオレを彼女やと思って抱っこしとったんか。
 そらまあ、オレの背格好ってのは女子と間違えられやすい、お手ごろサイズやろなって自分でも思うけど……何となく納得いかん。というか何やイメージちゃうんやけど、トヨ兄ィって彼女と一緒におる時は結構ベタベタするタイプなんやろか。
「オレはただビックリしただけで、全然気にしとらんで。それより変なことって? 彼女には抱っこだけやのうて何や変なことしとるんか」
 オレがそう聞いたらトヨ兄ィは苦笑を浮かべとった。
 しもた。オレ、またアホな質問してもうたっぽい。皮肉とか不愉快にさせるつもりやなかったんで、すぐにオレは謝ってみた。
「ゴメンなあ、オレ、嫌味とかそういう意味で聞いたんやのうて、その、変なことってのはトヨ兄ィがそういう風に聞いてきたからで」
「わかっている。それより、大林にはさんざん迷惑かけたみたいだな……すまなかった」
 トヨ兄ィはそう言うと、仕事中やからってそれ以上の会話を打ち切ってきた。何や誤魔化された気もするけど、確かに今は仕事中やから何時までも立ち話しとるわけにはいかんな。
 せやけど……変なことって何やろ。閉店作業をしながら考えとるうちに、何となくそれがエッチなことって意味かもって思うようになった。抱っこしたまま、胸を触ったり、お尻触ったりすんのかな。
 って、しもた。思わず痴漢のおっちゃんにケツ触られた時のことを思い出してもうた。うう、ちょっと思い出しただけなのに、腕に鳥肌立っとる。
 痴漢のおっちゃんがオレにしてきたのはエッチそのものとは違うんやろうけど、きっとエッチする時もああいう感じで体ベタベタ触るんやろなあ。エッチしよて言ってくるアキちゃんは、ホンマにオレにああいうことしてもらいたいて思っとるんかな。
 誰かとエッチするとなると、オレも誰かにああいうことをせなアカンのか。えー、それってイヤやなあ。それとも女子は相手が好きな人やったら、ああいう風に体触られても気持ち悪いとは思わんのかな。
 アカン。考えれば考えるほどわけがわからなくなる。こればっかりは頭の中であれこれ考えても答は永遠に出そうにないな。
 大きく溜息をついた後、オレはすぐ近くでシャッターを下ろしとるトヨ兄ィを見た。
 トヨ兄ィは彼女おるんやし、伊勢ちゃんと違ってちゃんと彼女が好きで付き合っとる人やから、ちょっと話を聞いてみようかな。何時ものように会話止まってもうたら、それ以上は聞かんようにすればなんとかなるやろ。
 タイムカードを押した後、ロッカールームで着替えとる時にオレはトヨ兄ィに聞いてみた。
「なあ、トヨ兄ィ。トヨ兄ィて彼女おるやんか」
「……ああ」
「トヨ兄ィみたいに、好きやて思える女子を彼女にしたら、自然にその子とエッチもしたいって思うもんなんかな」
 トヨ兄ィは手を止めてオレをじっと見とった。いきなり聞いたらアカン話やったかな。
 謝るにもきっかけが必要やったんでトヨ兄ィの反応を待っとると、少し間を置いたあとでオレに言葉を返してきた。
「個人差はありそうだが、普通はそうじゃないのか」
「ほな、エッチしてみたいて思えるようになるには、エッチしてもええかなって思えるくらいに好きになってみるのが一番簡単なんかな」
 オレが続けて聞いてみたら、トヨ兄ィはちょっとズレたタイミングで「は?」と聞き返してきた。
 オレはもう一回同じように言ってみる。そうしたらトヨ兄ィは可笑しそうに笑った。
「簡単どころか、それは一番難しい方法なんじゃないのか。単純に性欲だけを意識する方が簡単だろう。気分的に納得できない場合は多いと思うが」
 うーん。オレには性欲を意識する方が難しいんやけどなあ。でもあれやな。トヨ兄ィみたいな人でも、エッチに関してはエッチしてもええってくらいの恋愛感情を持つより、ただエッチしてみたいて性欲だけを持つ方が早いやろって考えるんやな。
「……大林は随分変わった物事の捉え方をするんだな」
 ロッカーを閉めたトヨ兄ィは、出口に向かいながらオレにそう言ってくる。
「誰かをそこまで好きになってみるというのは、頭で考えて実行できることじゃない」
「……そうなん?」
「好きだと思い込むことはできても、感情がそれに付いてくるとは限らないだろう。感情が付いてこないと、何時まで経っても相手を本気で好きだという実感が持てなくて、空しくなりそうだ」
 トヨ兄ィはオレの予想以上に話に乗ってきてくれとる。こういう話題やと会話続かんかもって思っとったから、ちょっとビックリした。前にこの手の話題は苦手やて言っとったんは、単にオレとこういう話題で会話すんのに慣れとらんかっただけなんかな。蒼蝿水
 店内と比べるとロッカーはかなり寒かったんやけど、建物の外はもっと寒かった。思わず身震いしてまうくらい冷たい空気で、こんな寒い中歩いて帰るのは面倒やなって真面目に考えてまう。さっさと家に帰って風呂入りたい。
 せやけどオレはもう少しトヨ兄ィと話をしてみたかったんで、何時もの帰り道やのうて、トヨ兄ィが使っとる道を一緒に歩いてみた。トヨ兄ィは察知してくれたんか、オレが付いてきとる理由は聞いてこんかった。
「……あのな、トヨ兄ィ」
 オレはトヨ兄ィにアキちゃんの件を話してみることにした。トヨ兄ィに話を聞いてもらえば、ちょっとは自分の考えを整理できるかもしれん。
「オレのことを好いてくれとる女子がおるって話を前にちょこっとだけしたやろ。オレ、その子が嫌いやないんやけど、彼女にしたいとかエッチしたいて意識は全然なくて……せやけど、はっきりとした理由がないのに断るのもアカンよなって意識もあって。それは多分罪悪感みたいなもんで、好きって感情とは全然別のもんなんやろうけど。前に違う人から告白された時にはそういうの感じんかったんよな。もしかして、オレはちょっとはその子のことを意識しとるんかな」
 何やちっとも上手く説明できへんな。トヨ兄ィはオレがホンマに言いたいことをどんくらい理解してくれとるんやろ。
「試しに付き合ってみれば、無理に思い込まんでも今よりその子のことが好きになれるんのかな」
 オレ、今の状態でアキちゃんと付き合ってもええんかな。エッチするかどうかは別として、試しに付き合ってみたら、アキちゃんを今より自然に好きやて意識できるんかな。今のオレが気になるのはそういうところなんよなあ。
 トヨ兄ィは黙って歩いとったけど、しばらくするとオレの質問に答えてきた。
「大林は、実際にその子をどういう風に見ているんだ」
「どうって……多分、女友達って感じやと思う」
 オレにはアキちゃんを彼女にしてみたいって意識はない。アキちゃんがオレを彼氏にしたいって意識があるだけや。ただ、アキちゃんは他の女友達とはどっか違う感じがするし、変に意識してもうて他の女友達ほど気楽に接することができん。せやからホンマにアキちゃんのことを友達として好きかどうかの自信もない。オレはそういう風に話してみた。そうしたらトヨ兄ィはオレにこう言ってきた。
「そういう状態から、恋愛感情に発展させるのは難しいと思うぞ」
「そうなん?」
「不可能かどうかはわからない。できる奴はあっさりできることなのかもしれない。でも俺は、最初から友達としてしか見れない相手をそれ以上に好きになるなんて絶対にできない」
 トヨ兄はオレにそう言った。自分の話はあくまでも一つの意見に過ぎないから、恋愛経験がある他の奴にも同じように話を聞いてみればいいとも言ってくれた。
 でも他に恋愛経験ある奴って言われてもなあ。伊勢ちゃんも金子ちゃんも、エッチした相手と少しでも恋愛をしとったって自覚は全然なさそうなんよな。オレの身近におる人で、トヨ兄ィ以外に恋愛経験ありそうな人って、他に誰かおったっけ?
 そんなことを考えながら歩いとったら、歩道橋のところに来てもうた。まだトヨ兄ィと話したい気分やったけど、オレから出せる話題は打ち止めになったから、今夜はここまでにしとくか。トヨ兄ィがオレの話をここまで聞いてくれるってわかっただけでも十分やもんな。
「トヨ兄ィ、どうもおおきに。話をしたら、ちょっとだけ楽になった」
「……そうか」
「うん。ゴメンなあ、トヨ兄ィには何もおもろくない話ばっかしてもうて」
 オレはトヨ兄ィに礼を言って歩道橋の下で別れた。
 頭で好きやて思い込むことはできても、感情がそれに付いてこんと本気で好きやて実感は持てないかあ。確かに今の状態でオレがアキちゃんと試しに付き合ってみても、エッチしてみたとしても、オレの感情が今のまま変化なかったら、アキちゃんを彼女として好きやて認識すんのは難しそうやな。
 ああそっか。伊勢ちゃんがまさにそういう状態やったんか。伊勢ちゃんは彼女と付き合うようになっても、その子とエッチをしても、感情が全然付いてこんかった。そんな調子やから、伊勢ちゃんは彼女の存在をエッチができればそれでええ、それ以外の付き合いは面倒やて思うようになってもうたんかもな。
 相変わらず問題は何一つ解決しとらん。でも、そういうことに気を付けながらどうにかせなアカンなてのがわかっただけでも、今日は一歩前進したかも。 勃動力三体牛鞭

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