うちのママは団地の金魚だ。
小柄で太っているママ。
赤いタートルネックのカットソーに、ピンクやオレンジのシフォン生地のスカートを着ているママ。簡約痩身美体カプセル
団地の金魚。
右手の中指と左手の人差し指には、大きな石をはめ込んだ指輪が飾られている。青い石と、茶色く濁った石。パワーストーンなんだって。太った薬指に埋もれた結婚指輪は、石とこすれ合って、いつも悲鳴をあげている。
ママは陰で「デメキン」って呼ばれている。
お腹のところ、肉の浮き輪がくっきり出ているし、幅の広い足を無理矢理ミュールに押し込んで、のろのろ歩いている。大きな目は少し離れていて、度のきつい古いメガネをかけると、もう目が飛び出そうに見えた。
出目金。ぴったりだ。
大声で人を呼び止めて、強引に家に招待して手作りのお菓子を振る舞うのが趣味で、その趣味を迷惑だって思っている人も、きっと多いと思う。
でも、あたしはママを責めたりしない。
デメキンのママを、あたしは怒鳴ったりしない。
観葉植物で埋まったベランダを行き来するママを見て、水槽の金魚だって笑うクラスメイトがいても、あたしはママに赤いタートルネックを捨ててなんて、言ったりしない。言えるわけがない。
あたしも、団地の皆と同じ。
工場に勤めるパパの役職に怯えて、仕方なくママのご機嫌を取っている人たちと同じだ。パパの采配一つで、首になっちゃうかもしれないからっていう人たちと。
パパがあまり団地に帰ってこなくても、ママには団地っていう、とっても居心地のいい水槽がある。ママは幸せだ。あたしはママの幸せが、崩れなければとりあえず幸せ。
夢見が丘団地は、坂にしがみつくように建っている。
そんな必死な姿が、あたしは好きだ。
団地を見て「ああ必死だな。いいな」って思っているのは、あたしくらいだろうけど。
学校を出て自転車をこぐ。ゆっくり、ゆっくりこぐ。
まだ9月、もう9月。
喉の中で数字ばかりがぐるぐるまわって、思わず大きく息を吸い込んだ。あったかい風が胸の奥までぐっと押し入ってくる。体が水槽の底へ沈んでいくような感覚。
高校3年間なんて、あっという間だ。
団地の手前には2車線の国道があって、団地とコンビニとは道を挟んで向かい合っている。
あたしはコンビニの常連だ。いつものように雑誌コーナーを横目にゆっくりと歩きながら、慎重に記憶をたどる。
ファンタのオレンジ。
彼の好きな物は、ちゃんと頭に入っている。今日は何を飲んでいたか、食べていたか、一生忘れまいと毎日必死に目で追っている。彼と同じものを買って、ちょっとだけ嬉しくなって、とても悲しくなる。あたしは気持ち悪い。
買い物を済ませ、コンビニの駐車場まで自転車を押した。
国道に出る側に、Uの字を逆さまにした車止めが2つ並んでいる。右側の1つに座った。ゆがんだ制服のプリーツをひっぱって、団地を見上げる。
もうすぐ彼が帰ってくる。今日もまた、自転車をこいで、この坂をのぼっていく。
三国真(まこと)くん。
口の中で繰り返し唱えてみる。
槇野くんや篠崎くんは、「真(しん)ちゃん」って呼ぶ。幼馴染っていいなって思う。中学の時に引っ越してきたあたしには、絶対に届かない場所だ。日本秀身堂救急箱
三国真くん。
彼に声をかけるとしたら、どんな呼び方がいいだろう?
いきなり「マコトくん」は変だから、三国くんだよね。でも、ちょっとくらい彼を驚かせるようなことをしてもいいのかもしれない。「シンちゃん」って呼べたら、意識してくれるかもしれない。
ううん、やっぱりそんな展開は、絶対にありえない。
だって、あたしはママによく似ているもの。
団地の群に、夕陽が沈んでいく。
たぶん昔は真っ白だった壁。今は灰色に沈んでいる。近くに寄って見れば、ヒビだってけっこう入っている。
まるでママみたいだ、なんて思う。
あたしはきっと、真っ赤に染まっているはずだ。あたしと向かい合った夕陽は、ぼうっと大きく揺れていて、今にも空に溶けていきそうだ。
「いやだな」
ぽつりとつぶやく。あたしは、きっと、炭酸のオレンジジュースにはなれない。
「いやだな……」
なんで、あたしばっかり、こんなに取り繕っているんだろう。
なんで、あたしばっかり、こんなに苦しいんだろう。
ママは水槽の中で好き勝手に泳いでいればいいけれど、あたしは水の中では、長く息が続かない。
あたしには、ママのようなエラはない。
「古泊も同じこと考えるんだな」
背後から声をかけられて、あたしは車止めから慌てて飛び降りた。
「み、三国くん」
マコトくんだ。
国道を走って来るとばかり思っていたから、すごくびっくりした。マコトくんは「自転車、友達の弟に貸したんだよ」と言って、溜め息をつく。きっと篠崎くんのことだ。
染めてない髪は、夏休み前に比べて少し伸びた。体育祭の練習で赤く焼けた腕は、あたしより細い。
こんなに近くにいるのに、あたしは目を合わせられなくて、下を向く。
「古泊、僕の名前?」
「同じ学年だし……!」
知っていることがいけないと言われた気がして、あたしは慌てて弁解をした。
「それに、1年生の時、篠崎くんと一緒のクラスだったから」
「ああ、そっか。篠崎。あいつと仲いいんだ?」
「うん」
あたしは嘘をついた。
篠崎くんと話したことなんて、たぶんない。
マコトくんのことを知ったのは、2年生に進級してからだ。
学年末のテストの結果がよかった篠崎くんは、2年になって特別進学クラスに移った。彼がクラス発表の掲示板の前で飛びついた相手が、マコトくんだった。
あの時、マコトくんは口で悪態をつきながら、目では「仕方ないな」と言っていた。その「仕方ないな」は、篠崎くん自身と、篠崎くんが抱えてきた他の人には見えない「何か」のすべてに向けられているような、そんな気がした。
あたしにはその「何か」がちょっとだけわかっていた。
だから、いいなって、思った。
「三国くんこそ、なんで、あたしの名前……」
あたしは、声が震えてしまわないように、ゆっくりと尋ねる。
「1年の時、篠崎がさ。これ、何て読むかわからないだろうって。フルドマリって、たしかに珍しいよな」
あたしはやっとの思いで顔をあげて、マコトくんを見る。彼はあたしに微笑んでくれた。篠崎くんに感謝だ。
「古泊は、夜が怖いって思ったことがある?」
「怖い?」
「うん、そう。この町ってさ、何もないじゃん。山に囲まれて閉ざされてるっていうか。夜になると家に帰るしかないし。タウンガーデンは夜の10時まで。オールできるところってないもんな」
あたしは半分残ったファンタオレンジを握って、マコトくんをじっと見つめる。こんなに近くで、しかも話しかけられているなんて、「夢みたいだ」なんてありきたりの言葉しか出てこないくらい、夢みたいだ。V26Ⅱ即効減肥サプリ
「三国くんは、夜が怖いの?」
「怖いよ。団地の中に縛られているあの時間、深海の底でじっと息をひそめている真っ黒な魚みたいな気持ちになる。身じろぎもできずに、いろんなことを我慢しなくちゃいけない」
いろんなこと、という言葉が引っかかった。マコトくんのいろんなことには、あたしよりももっとたくさんの重大な悩みが隠れているような気がする。
マコトくんはそれを、誰かに打ち明けたことがあるのだろうか。
篠崎くんや槇野くんよりも先に、あたしに打ち明けてくれないだろうか。「あたしでよければ悩みを聞くよ」って、あたしの口からすらすらと出て行かないだろうか。
やっぱり、そんなことありえない。
だって、あたしは、ママによく似ているもの。
「ねぇ、三国くん。ほんとに大学行かないの?」
マコトくんが背伸びをした。もう、あの坂を上るつもりなんだ。あたしはどうにかして引き止めたくて、息を吐く勢いに任せて聞いた。
「こ、この前、進路指導室の前で偶然。工藤先生、すごく怒ってた」
「ああ、バッハ」
バッハは工藤先生のあだ名だ。くせ毛の髪が、音楽室にあるバッハの肖像画みたいに、ぐるぐるしているから、バッハ。
「医学部に行けってうるさかったから、じゃあなんで医学部にいかなきゃならないのか説明しろって言ったんだよ。バッハの言う通りに進学しなきゃ世界は滅びるのかって。もちろん、そんなわけないだろうけどさ」
「それで先生、あんなに怒鳴ってたんだ」
「だってさ、こっちが引くくらい顔真っ赤にして説得するんだぜ。生徒のことを考えてるふりしてさ。ふりだって、こっちはちゃんとわかってるってのにな」
マコトくんは苦い顔をしている。あたしはまた下を向いた。
考えている、ふり。ママのシフォンスカートが、頭のすみでひらひらと泳いだ。
「この町の外にはさ」
マコトくんがふいにつぶやく。
「僕たちの手に負えないほどの選択肢がある。就職とか進学とか、そういう短い言葉だけじゃ表せないたくさんの選択肢。不用意に選べば失敗するかもしれないし、選ばなくて失敗するかもしれないし、回り道になるかもしれない。でも、そうやって繰り返してあーって頭抱えて、またやりなおすことのほうが、僕にとって、僕の世界を救うことにつながると思ってるんだ」
「三国くんの、世界」
あたしは手のひらを夕陽にかざした。
あたしの世界は、ママの色で染まっている。
「古泊、ファンタ好きなんだ」
マコトくんが、膝の上でペットボトルを握るあたしの手を指さす。
「古泊にもきっと見つかるよ。あの海の底から抜け出す方法」
「できるかな」
「同じファンタ好きが言うからまちがいない」
マコトくんがにっと笑った。
団地を見上げる。
ママの水槽が夜の海に沈んでいく姿を、しっかり見届ける。
ママもきっと水槽の中では、長く息ができない。
出てみようかな、この町をV26即効ダイエット 。
まだ9月、もう9月。
もう少しだけ考えて、ちゃんと自分で選ぶことができたら。
そしたら告げよう、「マコトくん」に。
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