突然、好きでもない人にキスをされてしまったらどうする?
そして、その唇の感触をいまだに覚えている自分。
この胸の中で大きく膨らむ想いは“恋”なんだろうか?
それを私は今でもわからずにいた。簡約痩身
私の名前は奥村華鈴(おくむら かりん)。
今年の春に地元の高校に入学した高校1年生。
そろそろ高校生活にも慣れ始めた、季節は眩しい太陽の照りつける夏。
私はいつものように自転車に乗り学校に登校していた。
私の家から高校までは少しだけ離れている。
同級生達はバスを使う事が多いのだが、私はあの人ごみが嫌いで自転車通学をしていた。
しばらくすると上り坂に差し掛かるけど、その手前には高校前で止まるバス停がある。
バス通学の高校の生徒は皆そこで降りていた。
この急な坂を上る辛さを味わうのは皆同じというわけ。
「おはよう、華鈴ちゃん」
バス亭に止まったバスから下りてきた少女に声をかけられた。
「杏、おはよう。ずいぶんと暑くなって来たわね」
「うんっ。昨日の夜はすごく寝づらかったもん」
彼女に私もいつものように挨拶をする。
茶髪のツインテールが印象的な可愛い系の綺麗な美少女。
彼女の名前は阪原杏(さかはら きょう)。
小学校から付き合いがある私の親友だ。
「……相変わらず自転車か。バスで来た方がラクでいいだろうに」
あくびをしながらこちらを、正確には私の自転車を眺める男。
「アンタみたいなのにセクハラされたくないのよ」
彼は杏の幼馴染で、名前を東崇弘(あずま たかひろ)という。
ルックスは確かにその辺りの男の子より断然いいけど、性格はかなり悪い。
特に私にとって彼はあまり、いや、かなり相性の悪い存在で、出会えばいつも口喧嘩ばかりしていた。
「相変わらず、自意識過剰か?誰も好き好んでお前に何か手を出さないさ」
崇弘はいつものように嫌味たらしく言葉を放つ。
ああいえばこういう、いつもながらムカつく男。
彼と口論ばかりしていても時間の無駄なので、今日は私から折れる事にした。
「それがいいわね。さて、こんな変態は放っておいてさっさと学校へ行くわよ」
「あ、うん……」
私はいつものように杏の鞄を自転車のカゴに入れて坂を上り始めた。
「ほら、崇弘ちゃんも早く行こう」
そう言って、杏は崇弘の手を引いて歩き始める。
少し照れくさそうに微笑する杏。
崇弘も慣れた様子でそれを受け入れている。
……ホント、こんな男なんて放っておけばいいのに。
「……どうしたの、華鈴ちゃん?」
「ううん、何でもないわ」
私の知る限り、ふたりは恋人ではない。
けれど、いつそうなってもおかしくないくらいに昔から仲がよかった。
……多分、杏にとって崇弘は好意を抱いている存在なんだろう。
こんな男のどこがいいのかは知らないけれど、長年共に過ごした時間が彼女の目を曇らせてるのかもしれない。
昔といえば以前は私と崇弘もこんな喧嘩ばかりするような関係ではなかった。
少なくとも私は彼に敵意を持ってはいなかった。
だけど、半年前、中学3年生のあの事件が私達の関係を変えたんだ。
中学3年の頃、崇弘と私は杏という接点がありながらも仲がいい方ではなかった。
仲が悪いというワケでもなく、ただどちらも相手の存在を気にしていなかっただけ。
たまにお話しする程度、友達の友達が私の友達とは限らない。
1月に入ると、受験シーズン真っ只中って感じで皆がピリピリしていた。
休憩時間でも真面目に勉強をしている生徒が目立つ中、私はクラスでもそれなりに浮いた存在であった。
私は既にスポーツ推薦で高校入学が決まっていたから。
得意だった部活の活躍で私は推薦をもらい、去年中に合格をすませていた。
だからかも、受験組の友人達と溝ができ始めたのは……。
真剣に勉強をしている彼らの邪魔にならないようにしなくてはいけない。
私はそういう空気の読めない人間ではない。
だから、教室の雰囲気が嫌で休憩時間はいつも屋上で過ごしていた。
『あなたはいいよね。もう合格が決まっていて』
あの教室にいるとクラスメイトにそう言われてしまう。
私は既にあなた達がしている事を終えただけなのに。
余裕がないから仕方ないとは思うけど、推薦組に対する態度は何か腑に落ちない。
もうっ、推薦って安心を得られる代わりに辛さを得るって感じ。
屋上には私だけじゃなくもう一人そこで休憩時間を過ごす人がいた。
「ん?奥村じゃないか。最近よく会うな」
崇弘は屋上のベンチで寝転がるようにして休息していた。
彼もスポーツ推薦で同じ高校に合格している。V26Ⅲ速效ダイエット
部活は違えども、彼の活躍は噂に聞くほどだった。
「そういう東君こそいつもここに来てるね」
私は彼の座っていたベンチに座る。
別に隣に座る必要もないのだけど、暇だし雑談ぐらいはしてもいい。
「あのオーラというか、雰囲気に耐えられるかよ。皆、俺達が必死になって面接の練習していた頃にはのほほんしていたのにな。いざ、自分の時になると邪魔者扱いだ」
肩をすくめてそう言った彼だが、顔は怒ってはいない。
杏いわく、崇弘は怒ったりする事がめったにない優しい人らしい。
私も彼が怒っている姿は見た事がない。
穏やかな性格、というわけでもないけれどしっかりしているんだと思う。
「そういや、奥村はどうしてあの西崎高校にいくんだ?別にスポーツ推薦じゃなくても、奥村の頭ならもっと良いところいけただろう?」
「それは……まぁ、いろいろとね」
確かに受験をすればもう一つ上のランクの陽砂高校へはいけるだろう。
しかし、私はそうしなかった。
理由は私がスポーツが大好きだから。
陽砂高校はどちらかといえば進学校でスポーツ系の部活はいまいちだった。
それに比べて、西崎高校にはインターハイ出場など活発な部活が多い。
自分の好きな高校を選んだ、それだけの理由だった。
「スポーツが好きだから。やっぱりそういう意味で西崎高校はいいよね」
「奥村らしい答えだな。俺なんか、頭悪いから推薦以外の道がないギリギリコースを走っていたからさ。これがダメならさよならだった」
「それって自業自得じゃないの。杏に勉強を教えてもらえばいいのに」
杏は私よりも頭はいいし、教え方もうまい。
そんな彼女を幼馴染に持ちながらも上手く活用できていない崇弘。
あえて、杏に頼ろうとしていないだけかもしれない。
「別に頭が悪くても生きてけるしな。俺はスポーツバカでいいし」
「そういうのって、東君らしい答えね」
その杏も今は私達と同じ西崎高校を目指して頑張っている。
彼の言う、もっと上の学校を目指せるレベルなのにもかかわらず、だ。
理由は言わなくてもわかる、私とは違う女の子らしいワケ。
大好きな崇弘と一緒にいたい、という理由に違いはないと思う。
本人は恥ずかしがって認めないけれど、それ以外に理由がないもの。
それから私達はしばらく雑談をしていた。
屋上はいつもよりも冷えた空気のせいで、肌寒い……真冬に外にでるものじゃないなぁ。
「……なぁ、奥村。聞いてもいいかな」
適当な話題で盛り上がっていたら、彼が真面目な表情で私を見る。
ふいに彼が黙り込んだと思えば、こちらを伺うような口調で話しかけてきた。
「奥村は……今、付き合ってる人っているか?」
「付き合ってる?ううん、いないけど。それがどうかしたの?」
残念ながら、私は首を横に振る。
私は告白はされた事はあるけれど、誰かと恋人になった事はない。
恋って何だろう?とか、そんなレベルの問題ではなく本当に好きな相手がいないだけ。
……私自身、恋愛なんてキャラじゃないのもあるけれど。
「そうか。奥村は好きな奴がいないのか、意外だな」
「いないよ。だって、好きな人がいないんだもの。」
好きになった人は今までいるけれど、恋人にはならなかった。
だから恋人という言葉は私にとって縁が遠い言葉だ。
「……奥村、華鈴」
彼が私の名前をフルネームで呼ぶと、私の顔に彼の顔が急に近づく。
崇弘の瞳に私の顔が映ることにドキドキ心臓が鼓動する。
あ、本当に映るんだってなんとなく思っていたら、私は突然、彼に唇を奪われた。
「……んぅっ!?」
それは本当に突然の出来事で、私はその行為を息する事も忘れてただ受け入れていた。
柔らかくて、何だか心をぎゅってされる心地よさ。
彼が唇を離して、数秒後、私は自分のされた行為を理解する。
「な、なっ……何すんのよ!?」
私は彼を睨み付けるように見たけれど、彼は先ほどと何も変わらない落ち着いた声で、
「奥村って、意外に可愛いんだな」
そう言い残してその場を去り行く彼。
キスされた余韻に私はドキドキが収まらない。
残された私は自分の現状を理解することで精一杯だった。
いきなり崇弘にキスされた……どうして私にキスなんて?
それも、こんな場所でされるとは思いもしなかったし、彼が私にそんな事をする理由もわからない。
「……よく言うキス魔とかじゃないよね?東君ってあんなキャラだったっけ」
彼に限ってそんな程度の低い事をするとは思えない。
ということは、考えられるのは1つだけで。V26Ⅳ美白美肌速効
私はその考えに自分の顔がイチゴのように赤くなるのが分かった。
「え?ええ!?東君が……私の事好き?好き……なのかな?」
どう考えてもそういう結論しかでなくて。
あの人には杏がいるじゃない、とか、どうして私の事をそう思ってるんだろ、とか考えれば考えるほど深みにはまっていく感じ。
別に彼の事は嫌いじゃないし、そういう関係になっても……いや、ダメでしょう。
杏が彼を好きなのは明白、それを裏切る事なんて言語道断。
キスされた事に動揺してしまい、私は冷静に考えられないでいた。
……それでも、唇に残る感触に心地よさは感じているのはなぜ?
私はただ自分の唇に触れて先ほどの感触を思い出していた。
翌日、私は崇弘を呼び出して、昨日の真意を尋ねてみた。
昨日のように屋上に呼び出すと彼はすんなりとそれに応じる。
「昨日、どうして……その……してきたの?」
ものすごい緊張感、僅かな期待を抱いてる自分。
顔が赤くなるのが自分でも分かっている。
だけど、彼の口から出たのは……想像もしていなかった一言。
「……別に。ただ、からかってしてみただけだ」
そんな悪びれた言葉と態度、彼にとっては冗談でした事でしかない。
何かを期待していた私はただのバカ。
「……嘘でしょ?」
「特に理由なんてなかったんだよ。しいて言うなら、お前の唇が誘ってた、かな」
もちろん、私は崇弘に怒りを感じた。
そんな理由で私の初めてのキスを奪われた。
別に初めてにこだわりはないからいいけれど、すごく嫌な思い出になってしまった。
「ふざけないでよッ!」
無意識に私の手が彼の頬を叩いていた。
「……ぐっ……痛いな。本気で殴るなよ、こんなの軽い冗談だろ」
崇弘はおどけた様子で私の方を見ている。
「……うるさい、うるさい!……アンタなんか大嫌いだぁ!!」
この日から私達の仲は極端に悪くなった。
口喧嘩ばっかりしてる私達に杏は疑問を感じたのか、何度か尋ねられたけれど、真実を話すわけにもいかなくて、適当な理由でごまかした。
彼がどうしてあんな事をしたのか、本当の理由はわからない。
だけど、私は彼を許すつもりはないし、その理由を知りたいとも思わない。
でも……あのキスの瞬間は少しだけ胸の鼓動が高まっていたのも事実としてあった。 男根増長素
2012年5月31日星期四
2012年5月29日星期二
冬の贈り物
ちらりと目の中を光がかすめたような気がして瀬奈がぼんやりと目をあけると部屋の壁際に置かれた大きくはないテーブルで聡が小さなスタンドの明りをつけて本を読んでいるのが見えた。
わたし、眠ってしまったんだ……。levitra
瀬奈は眠りから覚めきらない頭で考えていた。聡はきっとそのまま本を読んでいたのだろう。
明日の土曜日は聡さんもお休みだと、ほっとするような気持ちで瀬奈は早めに風呂へ入っていた。入浴を済ませてベッドに座りながら手足にクリームを擦り込んでいたが、なんとなく今夜は体が暖まっても気持ちが緩まない。今日の昼は旭川の街中まで出かけていたからそのせいだろうか。ついでに祖父や聡の必要なものや服を買ったりしていろいろ見て回ってしまったか
ら……。
そんなことを考えていると聡が部屋へ入ってきた。
「瀬奈、今日はプリザーブドフラワーのアレンジメントを見てきたんだろう。どうだった?」
「うん、すごくきれいだった。クリスマスや冬向けのアレンジがたくさんあって。講師の先生もとても熱心に説明して下さって、わたしもあの先生に講習を受けることにしようと思っているんです」
「そう、俺はいいと思うよ。あ、それ何?」
瀬奈が手にしていたクリームを聡が覗きこんだ。
「これ、フラワーアレンジメントの会場で試供品をもらったの。ローズオイル配合なんですって」
「ふうん、いい香りだ」
瀬奈のとなりに座った聡が小さな容器に鼻を近づけてからクリームをほんの少し指ですくい上げる。そのまま聡の手が瀬奈の首筋にあてられた。瀬奈の首筋の脈の触れるところへクリームが塗られてふわりとした薔薇の香りが匂い立つ。強すぎず香る快い香り。薔薇の香りの種類で言うならばダマスク香か。そのまま聡が瀬奈のパジャマのボタンをひとつはずす。
「瀬奈、うつぶせになって」
パジャマの上着を後ろへさげて瀬奈の髪の生え際から肩にかけての肌を出すと、ゆっくりと首の後ろや肩を聡の手がなでていく。マッサージというほど強くはなく聡の右手が瀬奈の肌を良い香りのクリームを伸ばすように柔らかくなでていく。
「今日は疲れた?」
「うん、少し……」
こうして瀬奈が正直に言うようになったのも良いことだった。瀬奈はこの家へ来てから古くて使い勝手の悪い台所や家にもかかわらずそれを苦にせずに毎日の家事も聡や祖父の仕事の手伝いもやってくれていた。これまで瀬奈の祖父の田辺康之と二人暮らしだった聡にとってはありがたい限りだったが、瀬奈がとかく自分のことを後回しにしてしまわないように、あまりに疲れすぎたりしないように聡は気を付けていた。
今日のプリザーブドフラワーのアレンジメントの展示を見に言ったのも瀬奈が聡の薔薇の育種や栽培に役立つことがしたいと言っていたからだ。瀬奈はアレンジメントのほかにもドライフラワーやプリザーブドフラワーの加工も勉強したいと言っていた。
「あわてることはないよ。瀬奈のペースで勉強すればいいんだから」
「はい」
「気持ちいい?」
「聡さんにこんなことしてもらうなんて……悪いわ」
「そんなことは気にしないで。いい香りじゃないか」
「うん……」
瀬奈の白い首筋から肩へ、そしてパジャマで隠れている背中へと聡の手が入り込む。すべすべとした瀬奈の背はしまっていて聡は瀬奈の肌の感触を楽しむようにゆっくりとなでていた。あたたかいベッドの中で聡の手に撫でられて瀬奈の目が閉じられていく。やがてすうっと入り込んだような瀬奈の寝息に気がついて聡は手を止めた。掛け布団をそっと引き上げて瀬奈をくるむと眠る頬へ触れるか触れないかのキスをする。安心して眠りこんでしまった瀬奈。
俺はもう大きな家もドレスも与えてやることはできないけれど、毎晩こうして安心して眠っておくれ。
愛しい妻よ、安らかにお休み……。
目の覚めた瀬奈は横たわったまま動かないで聡の姿を見ていた。椅子に座ってテーブルで本を読んでいる聡。テーブルの前は壁でその上には小さな窓。今は静かに雪が降っているようだ。小さなスタンドの灯りだけの部屋の中で聡の顔はスタンドの黄色っぽい光に照らされていた。
ジーンズをはいて厚いセーターを着たままの昼間と同じ姿。こうして冬の間、聡は暇を見つけては薔薇の育種に関する本や園芸に関する本を読んでいた。今は聡の働くナーサリーも瀬奈の祖父の農場も雪に覆われて薔薇の木は雪で倒れたり痛んだりしないように支えや囲いをしてある。それらを定期的に見回ってやる必要はあったが冬の間は暇になるので聡は三田のいる地元の産物の企画販売会社を手伝っていた。じつを言えば聡はこの会社のオーナーなのだがそれを知っている社員は限らており、聡は冬の間のパートタイマーとして働いているのだった。だから聡はけっこう忙しいのだが、それでも暇を見つけては勉強に励んでいた。
聡と一緒に旭川へ帰って初めての冬。
毎日、出勤していく聡を送り出し、昼は祖父の仕事を手伝ったり家事をして祖父と聡のために温かい食事を用意して待っている幸せ。こんな安定した毎日が瀬奈に落ち着きと安心を与えてくれる。忙しい一日を過ごしても夜になってふたりの部屋に引っ込めばふたりだけの時間が過ごせる。聡のあたたかい腕に抱かれながら眠る幸せ。体を添わせてお互いのぬくもりの感じられる夜。確かな毎日。
仕事へ出かけても、夕方になればちゃんと戻ってきてくれる聡。そんな当たり前のことが瀬奈にはうれしい。瀬奈が夜中に目覚めても手を伸ばせば聡の体があり、静かな寝息が感じられる。
でも今夜の聡は本を読んでいた。瀬奈がじっと見ているのに気がつかないようだった。本へ視線を落としてあごのラインがくっきりとした聡の横顔。もう夜の十二時を過ぎているだろう。聡さんはまだお風呂へ入っていないのかもしれない……。 Motivat
じっと見つめる聡の横顔。瀬奈が愛する人の横顔。
愛しい、愛する人、まだ眠らないの……?
聡さん、ここへ来て……。
ふと気がついて聡は少し離れた横にあるベッドを見た。そこには目を開いた瀬奈が横たわったままじっと布団の中から自分を見つめていた。
「…………」
瀬奈の深い眼差し。
自分を見つめる瀬奈の瞳に聡のページをめくろうとしていた手が止まった。
眠っているとばかり思っていたのに、瀬奈の聡を見る目はしっかりと深く聡をとらえて離さない。スタンドの明るくはない光を受けて小さな光の見える瞳。暗いのに澄んでいる深さに吸い込まれるような、情熱さえ感じさせるような瀬奈の聡を見つめる瞳。こんな目で見つめられたら、まるで呼んでいるような目で見つめられたら……。
椅子から立ち上がりベッドの横へ行くと瀬奈の上へかがみこんでそっと頬をなでる。
「起きてしまった?」
「……まだ寝ないの?」
「いや、もう寝るよ。風呂へ入ってくる。待っておいで」
そう言うと聡は部屋から出て行った。
聡が部屋へ戻ってくると瀬奈は眠ってしまったのだろうか、枕の上には掛け布団に隠れるように瀬奈の頭が少しだけ見えている。
「瀬奈、寝ちゃった?」
聡が掛け布団をめくって瀬奈のかたわらへすべりこむ。瀬奈の体温と同じ温かさの布団の中。瀬奈が眠ってはいない証拠に瀬奈の腕が聡の体へからまる。
「ん……」
瀬奈の小さな声がもれる。聡の唇が閉じている瀬奈の目を開けさせるように瀬奈の唇を開けさせる。瀬奈、もう一度あの目で俺を呼んで……。
「……あ……」
聡の手が瀬奈のパジャマのボタンをはずしていく。ふっくらとした瀬奈の胸が肌着の上からなでられる。
「寒いわ……」
瀬奈が言うと聡の手が止まった。上着はそのままにして聡の手が下へなぞられていく。入り込んだ手にパジャマのズボンも下着も抜き取られてしまうと瀬奈のむきだしになった素足が聡の足に触れる。あたたかい布団のなかで素肌の触れあう感覚に瀬奈は吐息をついた。ふたりの動きにつれて布団の隙間から冷えた空気が入り込んでくるが聡の体の温かさが守ってくれる。
「瀬奈はあたたかい。ここも……ここも……」
あちこちへ唇をつけながら布団の中へもぐるように聡の頭が下がって行く。肌着を押し上げてかすめるように聡の唇が瀬奈の胸のつぼみに触れると瀬奈の胸が大きくそらされた。
「…………」
瀬奈がまた小さな声を漏らしたようだが布団の中の聡には聞こえない。見えない聡にもぐりこまれ指と唇がなぞるように肌に触れるその感触だけが動いていく。下へ下へと下がっていく感触。そして両足の間に聡の体が入ってもう足が閉じられなくなる。
とくん、とくんと瀬奈の心臓が脈打つ。
これから受けるだろう聡の愛撫を知っている。聡がもぐりこんだ布団の中で瀬奈の開いた両足と彼の体の間に作り出されたわずかな空間。閉ざされたような暗闇の中で彼はそれを見ているに違いない。瀬奈からは見えなくても間近に彼の息を感じる。瀬奈の隠した期待のように心臓が脈打つ。とくん、とくんと……。
聡の指で体の中心が開かれるのを感じてもいつもほど恥ずかしさが感じられない。自分からは見えないせいだろうか……。
「あ……っ」
入り込む指。
自分でも感じられる潤いに瀬奈は体に力が入らない。うずくような熱さに支配されてしまっている。開いて投げ出してしまった両足。
「待っていてくれた?」
聡の指を感じているのにそれよりももっと自分の脈動を感じる。とくん、とくん、とくん……。
「脈打っているね」
そう言われて瀬奈は恥ずかしくてもがきそうになってしまったが、聡の指は入ったまま動かない。動かないからこそ瀬奈には聡の指を締め付ける自分の脈動がひくつくように感じられる。
「聡さん……あきら……」
がまんしきれないように布団の中の聡の首へ抱きついて引き寄せる。それに応えるように瀬奈を求める聡の唇。今夜の瀬奈の情熱に応えてやりたくて、瀬奈の女らしい要求を高めてやりたくて、でも瀬奈の唇へ入り込む舌も愛撫の手も瀬奈を求めている。何よりも聡が瀬奈を求めている。
瀬奈の開いた唇が聡の舌でなぞられて濡れていく。聡の指が濡れていくように瀬奈の唇も濡れていく。
いつのまにか自分の熱が聡に倍増されて返されているように感じる。その証拠にうるんだ体がもっと大きな刺激を求めている。どうにかして欲しいような欲求。聡の指はていねいに動いている。なめらかな動きで花唇の真ん中のふくらんだ突起をこすられて瀬奈の体はその瞬間に
びくんと跳ねてしまった。
「あ……」
いってしまった。あれだけのことで……。
恥ずかしくて、でもまだひくついている中心はどうすることもできない。聡がそっと指を離して笑う。
「今夜の瀬奈は特別?」
からかうように言われて思わず瀬奈の頬が赤くなる。暗い中でも瀬奈の頬が赤いのが聡にわかってしまったらしい。
「真っ赤っ赤、瀬奈。感じすぎだよ」
でも抱き寄せられて彼の固くなったものが瀬奈にも感じられた。彼だって熱い。瀬奈と同じくらい……それなのに。蒼蝿水(FLY D5原液)
「瀬奈、俺はすべて瀬奈のものだよ」
「うそ……」
瀬奈を夢中にさせているのは聡だ。毎日の暮らしでも彼の思いやりを感じる。今の聡は瀬奈を信頼して家事や家のことを任せてくれているが、瀬奈が大変そうなことは進んで手伝ってくれる。仕事のことも話してくれる。ずっと独立独歩で生きてきたあの聡さんが、と瀬奈が思わずにいられないほどに。
そんな聡に瀬奈の祖父の田辺も仕事のことはすっかり安心して任せている。瀬奈と結婚して今や本当の家族になった聡を祖父は信頼して満足している。
でも……聡さんの変わっていないところもあるわ……。
ベッドの中で瀬奈を抱き寄せる腕。かつての火のついたような激しさは影をひそめてしまったがそれでも瀬奈を抱き寄せる彼の情熱は以前と変わっていなかった。いや、むしろ思いやりと落ち着きを持って情熱を内へ秘めたような彼の愛撫にいつだって瀬奈は体がすっかり緩められてしまう。体とともに心も緩められてしまう。今も聡の固いものが瀬奈の太ももをなぞり上げている。押し付けるように触れる彼が熱い。力強くその熱さを押し付けている。
そんな聡さんへわたしはどれほどのものを返せるかしら……?
「わたしだって聡さんのものだわ……」
聡がうれしそうに笑うと体を下げて今度は瀬奈の花唇へ口づけした。まだ緊張の残っている瀬奈の中心を開かせて舌で愛撫する。あおむけのまま足を開かれ聡の舌が瀬奈を身動きさせない。さっきの余韻がまだ残っているのに、瀬奈が動けなくなっているのがわかっているのに、聡はぎりぎりまで瀬奈を高めていく。
「あっ……あ…」
彼を待っていた瀬奈を聡がゆっくりと押し開いていく。やさしいけれど強い力で。
「熱い……瀬奈の中」
入り込んだ聡が動きながら言う。それを聞くのも恥ずかしいのに、聡に満たされて繰り返される動きに難なく高まっていく。震える内側の感覚が瀬奈を押し上げて繋がりながら何度もキスをして息が上がっていく。
ああ、もう耐えられないと瀬奈が感じたその瞬間にしびれるような快感が駆け昇る。押し寄せるふたりの快感とともに聡の体を強く引き寄せる瀬奈の腕が聡のすべてを解放させる……。
この世のただひとりだけの伴侶。
すべてをゆだね、ゆだねられてお互いがぴったりと合わさっている。
「ああ……」
熱のこもったような布団の中で瀬奈と聡の愛情の匂いが感じられる。外を覆う雪にもこの家の中は、このベッドには別天地の空間が広がっている。瀬奈の香りのこもった、聡の情熱のこもった、ふたりの空間。
やっとふたりが顔を布団から出した。抱き合ったまま枕にうずもれるように布団の下からふたりの顔だけが覗いている。
「愛している?」
「愛してる……」
「俺も愛している。瀬奈を愛している」
「わたしも……聡さん……愛し……てる……」
小さくなる瀬奈の声。今は静かに感じられる脈。ほほ笑んでいるような甘い表情のまま穏やかな眠りに瀬奈のまぶたが閉じられる。
窓の外には静かに降る雪。
こんな夜には贈り物が来るかもしれない。
聡は眠ってしまった瀬奈の胴へじっと手をあてていた。今夜は柔らかな瀬奈の体の中に小さな贈り物が宿るかもしれない。
雪に閉ざされた、冬の夜の贈り物。 SPANISCHE FLIEGE
わたし、眠ってしまったんだ……。levitra
瀬奈は眠りから覚めきらない頭で考えていた。聡はきっとそのまま本を読んでいたのだろう。
明日の土曜日は聡さんもお休みだと、ほっとするような気持ちで瀬奈は早めに風呂へ入っていた。入浴を済ませてベッドに座りながら手足にクリームを擦り込んでいたが、なんとなく今夜は体が暖まっても気持ちが緩まない。今日の昼は旭川の街中まで出かけていたからそのせいだろうか。ついでに祖父や聡の必要なものや服を買ったりしていろいろ見て回ってしまったか
ら……。
そんなことを考えていると聡が部屋へ入ってきた。
「瀬奈、今日はプリザーブドフラワーのアレンジメントを見てきたんだろう。どうだった?」
「うん、すごくきれいだった。クリスマスや冬向けのアレンジがたくさんあって。講師の先生もとても熱心に説明して下さって、わたしもあの先生に講習を受けることにしようと思っているんです」
「そう、俺はいいと思うよ。あ、それ何?」
瀬奈が手にしていたクリームを聡が覗きこんだ。
「これ、フラワーアレンジメントの会場で試供品をもらったの。ローズオイル配合なんですって」
「ふうん、いい香りだ」
瀬奈のとなりに座った聡が小さな容器に鼻を近づけてからクリームをほんの少し指ですくい上げる。そのまま聡の手が瀬奈の首筋にあてられた。瀬奈の首筋の脈の触れるところへクリームが塗られてふわりとした薔薇の香りが匂い立つ。強すぎず香る快い香り。薔薇の香りの種類で言うならばダマスク香か。そのまま聡が瀬奈のパジャマのボタンをひとつはずす。
「瀬奈、うつぶせになって」
パジャマの上着を後ろへさげて瀬奈の髪の生え際から肩にかけての肌を出すと、ゆっくりと首の後ろや肩を聡の手がなでていく。マッサージというほど強くはなく聡の右手が瀬奈の肌を良い香りのクリームを伸ばすように柔らかくなでていく。
「今日は疲れた?」
「うん、少し……」
こうして瀬奈が正直に言うようになったのも良いことだった。瀬奈はこの家へ来てから古くて使い勝手の悪い台所や家にもかかわらずそれを苦にせずに毎日の家事も聡や祖父の仕事の手伝いもやってくれていた。これまで瀬奈の祖父の田辺康之と二人暮らしだった聡にとってはありがたい限りだったが、瀬奈がとかく自分のことを後回しにしてしまわないように、あまりに疲れすぎたりしないように聡は気を付けていた。
今日のプリザーブドフラワーのアレンジメントの展示を見に言ったのも瀬奈が聡の薔薇の育種や栽培に役立つことがしたいと言っていたからだ。瀬奈はアレンジメントのほかにもドライフラワーやプリザーブドフラワーの加工も勉強したいと言っていた。
「あわてることはないよ。瀬奈のペースで勉強すればいいんだから」
「はい」
「気持ちいい?」
「聡さんにこんなことしてもらうなんて……悪いわ」
「そんなことは気にしないで。いい香りじゃないか」
「うん……」
瀬奈の白い首筋から肩へ、そしてパジャマで隠れている背中へと聡の手が入り込む。すべすべとした瀬奈の背はしまっていて聡は瀬奈の肌の感触を楽しむようにゆっくりとなでていた。あたたかいベッドの中で聡の手に撫でられて瀬奈の目が閉じられていく。やがてすうっと入り込んだような瀬奈の寝息に気がついて聡は手を止めた。掛け布団をそっと引き上げて瀬奈をくるむと眠る頬へ触れるか触れないかのキスをする。安心して眠りこんでしまった瀬奈。
俺はもう大きな家もドレスも与えてやることはできないけれど、毎晩こうして安心して眠っておくれ。
愛しい妻よ、安らかにお休み……。
目の覚めた瀬奈は横たわったまま動かないで聡の姿を見ていた。椅子に座ってテーブルで本を読んでいる聡。テーブルの前は壁でその上には小さな窓。今は静かに雪が降っているようだ。小さなスタンドの灯りだけの部屋の中で聡の顔はスタンドの黄色っぽい光に照らされていた。
ジーンズをはいて厚いセーターを着たままの昼間と同じ姿。こうして冬の間、聡は暇を見つけては薔薇の育種に関する本や園芸に関する本を読んでいた。今は聡の働くナーサリーも瀬奈の祖父の農場も雪に覆われて薔薇の木は雪で倒れたり痛んだりしないように支えや囲いをしてある。それらを定期的に見回ってやる必要はあったが冬の間は暇になるので聡は三田のいる地元の産物の企画販売会社を手伝っていた。じつを言えば聡はこの会社のオーナーなのだがそれを知っている社員は限らており、聡は冬の間のパートタイマーとして働いているのだった。だから聡はけっこう忙しいのだが、それでも暇を見つけては勉強に励んでいた。
聡と一緒に旭川へ帰って初めての冬。
毎日、出勤していく聡を送り出し、昼は祖父の仕事を手伝ったり家事をして祖父と聡のために温かい食事を用意して待っている幸せ。こんな安定した毎日が瀬奈に落ち着きと安心を与えてくれる。忙しい一日を過ごしても夜になってふたりの部屋に引っ込めばふたりだけの時間が過ごせる。聡のあたたかい腕に抱かれながら眠る幸せ。体を添わせてお互いのぬくもりの感じられる夜。確かな毎日。
仕事へ出かけても、夕方になればちゃんと戻ってきてくれる聡。そんな当たり前のことが瀬奈にはうれしい。瀬奈が夜中に目覚めても手を伸ばせば聡の体があり、静かな寝息が感じられる。
でも今夜の聡は本を読んでいた。瀬奈がじっと見ているのに気がつかないようだった。本へ視線を落としてあごのラインがくっきりとした聡の横顔。もう夜の十二時を過ぎているだろう。聡さんはまだお風呂へ入っていないのかもしれない……。 Motivat
じっと見つめる聡の横顔。瀬奈が愛する人の横顔。
愛しい、愛する人、まだ眠らないの……?
聡さん、ここへ来て……。
ふと気がついて聡は少し離れた横にあるベッドを見た。そこには目を開いた瀬奈が横たわったままじっと布団の中から自分を見つめていた。
「…………」
瀬奈の深い眼差し。
自分を見つめる瀬奈の瞳に聡のページをめくろうとしていた手が止まった。
眠っているとばかり思っていたのに、瀬奈の聡を見る目はしっかりと深く聡をとらえて離さない。スタンドの明るくはない光を受けて小さな光の見える瞳。暗いのに澄んでいる深さに吸い込まれるような、情熱さえ感じさせるような瀬奈の聡を見つめる瞳。こんな目で見つめられたら、まるで呼んでいるような目で見つめられたら……。
椅子から立ち上がりベッドの横へ行くと瀬奈の上へかがみこんでそっと頬をなでる。
「起きてしまった?」
「……まだ寝ないの?」
「いや、もう寝るよ。風呂へ入ってくる。待っておいで」
そう言うと聡は部屋から出て行った。
聡が部屋へ戻ってくると瀬奈は眠ってしまったのだろうか、枕の上には掛け布団に隠れるように瀬奈の頭が少しだけ見えている。
「瀬奈、寝ちゃった?」
聡が掛け布団をめくって瀬奈のかたわらへすべりこむ。瀬奈の体温と同じ温かさの布団の中。瀬奈が眠ってはいない証拠に瀬奈の腕が聡の体へからまる。
「ん……」
瀬奈の小さな声がもれる。聡の唇が閉じている瀬奈の目を開けさせるように瀬奈の唇を開けさせる。瀬奈、もう一度あの目で俺を呼んで……。
「……あ……」
聡の手が瀬奈のパジャマのボタンをはずしていく。ふっくらとした瀬奈の胸が肌着の上からなでられる。
「寒いわ……」
瀬奈が言うと聡の手が止まった。上着はそのままにして聡の手が下へなぞられていく。入り込んだ手にパジャマのズボンも下着も抜き取られてしまうと瀬奈のむきだしになった素足が聡の足に触れる。あたたかい布団のなかで素肌の触れあう感覚に瀬奈は吐息をついた。ふたりの動きにつれて布団の隙間から冷えた空気が入り込んでくるが聡の体の温かさが守ってくれる。
「瀬奈はあたたかい。ここも……ここも……」
あちこちへ唇をつけながら布団の中へもぐるように聡の頭が下がって行く。肌着を押し上げてかすめるように聡の唇が瀬奈の胸のつぼみに触れると瀬奈の胸が大きくそらされた。
「…………」
瀬奈がまた小さな声を漏らしたようだが布団の中の聡には聞こえない。見えない聡にもぐりこまれ指と唇がなぞるように肌に触れるその感触だけが動いていく。下へ下へと下がっていく感触。そして両足の間に聡の体が入ってもう足が閉じられなくなる。
とくん、とくんと瀬奈の心臓が脈打つ。
これから受けるだろう聡の愛撫を知っている。聡がもぐりこんだ布団の中で瀬奈の開いた両足と彼の体の間に作り出されたわずかな空間。閉ざされたような暗闇の中で彼はそれを見ているに違いない。瀬奈からは見えなくても間近に彼の息を感じる。瀬奈の隠した期待のように心臓が脈打つ。とくん、とくんと……。
聡の指で体の中心が開かれるのを感じてもいつもほど恥ずかしさが感じられない。自分からは見えないせいだろうか……。
「あ……っ」
入り込む指。
自分でも感じられる潤いに瀬奈は体に力が入らない。うずくような熱さに支配されてしまっている。開いて投げ出してしまった両足。
「待っていてくれた?」
聡の指を感じているのにそれよりももっと自分の脈動を感じる。とくん、とくん、とくん……。
「脈打っているね」
そう言われて瀬奈は恥ずかしくてもがきそうになってしまったが、聡の指は入ったまま動かない。動かないからこそ瀬奈には聡の指を締め付ける自分の脈動がひくつくように感じられる。
「聡さん……あきら……」
がまんしきれないように布団の中の聡の首へ抱きついて引き寄せる。それに応えるように瀬奈を求める聡の唇。今夜の瀬奈の情熱に応えてやりたくて、瀬奈の女らしい要求を高めてやりたくて、でも瀬奈の唇へ入り込む舌も愛撫の手も瀬奈を求めている。何よりも聡が瀬奈を求めている。
瀬奈の開いた唇が聡の舌でなぞられて濡れていく。聡の指が濡れていくように瀬奈の唇も濡れていく。
いつのまにか自分の熱が聡に倍増されて返されているように感じる。その証拠にうるんだ体がもっと大きな刺激を求めている。どうにかして欲しいような欲求。聡の指はていねいに動いている。なめらかな動きで花唇の真ん中のふくらんだ突起をこすられて瀬奈の体はその瞬間に
びくんと跳ねてしまった。
「あ……」
いってしまった。あれだけのことで……。
恥ずかしくて、でもまだひくついている中心はどうすることもできない。聡がそっと指を離して笑う。
「今夜の瀬奈は特別?」
からかうように言われて思わず瀬奈の頬が赤くなる。暗い中でも瀬奈の頬が赤いのが聡にわかってしまったらしい。
「真っ赤っ赤、瀬奈。感じすぎだよ」
でも抱き寄せられて彼の固くなったものが瀬奈にも感じられた。彼だって熱い。瀬奈と同じくらい……それなのに。蒼蝿水(FLY D5原液)
「瀬奈、俺はすべて瀬奈のものだよ」
「うそ……」
瀬奈を夢中にさせているのは聡だ。毎日の暮らしでも彼の思いやりを感じる。今の聡は瀬奈を信頼して家事や家のことを任せてくれているが、瀬奈が大変そうなことは進んで手伝ってくれる。仕事のことも話してくれる。ずっと独立独歩で生きてきたあの聡さんが、と瀬奈が思わずにいられないほどに。
そんな聡に瀬奈の祖父の田辺も仕事のことはすっかり安心して任せている。瀬奈と結婚して今や本当の家族になった聡を祖父は信頼して満足している。
でも……聡さんの変わっていないところもあるわ……。
ベッドの中で瀬奈を抱き寄せる腕。かつての火のついたような激しさは影をひそめてしまったがそれでも瀬奈を抱き寄せる彼の情熱は以前と変わっていなかった。いや、むしろ思いやりと落ち着きを持って情熱を内へ秘めたような彼の愛撫にいつだって瀬奈は体がすっかり緩められてしまう。体とともに心も緩められてしまう。今も聡の固いものが瀬奈の太ももをなぞり上げている。押し付けるように触れる彼が熱い。力強くその熱さを押し付けている。
そんな聡さんへわたしはどれほどのものを返せるかしら……?
「わたしだって聡さんのものだわ……」
聡がうれしそうに笑うと体を下げて今度は瀬奈の花唇へ口づけした。まだ緊張の残っている瀬奈の中心を開かせて舌で愛撫する。あおむけのまま足を開かれ聡の舌が瀬奈を身動きさせない。さっきの余韻がまだ残っているのに、瀬奈が動けなくなっているのがわかっているのに、聡はぎりぎりまで瀬奈を高めていく。
「あっ……あ…」
彼を待っていた瀬奈を聡がゆっくりと押し開いていく。やさしいけれど強い力で。
「熱い……瀬奈の中」
入り込んだ聡が動きながら言う。それを聞くのも恥ずかしいのに、聡に満たされて繰り返される動きに難なく高まっていく。震える内側の感覚が瀬奈を押し上げて繋がりながら何度もキスをして息が上がっていく。
ああ、もう耐えられないと瀬奈が感じたその瞬間にしびれるような快感が駆け昇る。押し寄せるふたりの快感とともに聡の体を強く引き寄せる瀬奈の腕が聡のすべてを解放させる……。
この世のただひとりだけの伴侶。
すべてをゆだね、ゆだねられてお互いがぴったりと合わさっている。
「ああ……」
熱のこもったような布団の中で瀬奈と聡の愛情の匂いが感じられる。外を覆う雪にもこの家の中は、このベッドには別天地の空間が広がっている。瀬奈の香りのこもった、聡の情熱のこもった、ふたりの空間。
やっとふたりが顔を布団から出した。抱き合ったまま枕にうずもれるように布団の下からふたりの顔だけが覗いている。
「愛している?」
「愛してる……」
「俺も愛している。瀬奈を愛している」
「わたしも……聡さん……愛し……てる……」
小さくなる瀬奈の声。今は静かに感じられる脈。ほほ笑んでいるような甘い表情のまま穏やかな眠りに瀬奈のまぶたが閉じられる。
窓の外には静かに降る雪。
こんな夜には贈り物が来るかもしれない。
聡は眠ってしまった瀬奈の胴へじっと手をあてていた。今夜は柔らかな瀬奈の体の中に小さな贈り物が宿るかもしれない。
雪に閉ざされた、冬の夜の贈り物。 SPANISCHE FLIEGE
2012年5月27日星期日
Poker Face
カーテンを開けると窓の外は青空が広がっていた。爽やかな秋晴れってやつやな。せやけど今のオレにはこの眩しさがメチャメチャ辛い。
眠い。だるい。何もかもが面倒でズル休みしたい。そんな欲求を我慢して学校に向かうオレを、妙に元気な金子ちゃんが出迎えた。男宝
「おはよう。今日はかなり眠そうだね。二日酔い?」
「半分はそうかも」
実際は二日酔いやのうて寝不足なんやろな。そしてもう半分はあれこれ考えながら寝てもうたせいで、頭も気分もすっきりしとらんからやと思う。
オレが露骨に調子悪そうな態度を見せとるせいか、金子ちゃんはつまらなそうな表情でオレを見とった。きっと金子ちゃんは歩きながら昨日のことを話そうと思っとったんやろな。
そんな金子ちゃんには悪いんやけど、体調的にも精神的にも、今のオレにそんな余裕はない。
冷たい風が吹いとる通学路をぼんやり歩いとると、やがて金子ちゃんが声をかけてきた。
「さっきから欠伸よりも溜息の方が多いみたいだけど。そんなに体調よくないの」
「いや、しんどくて溜息ついとるんやないで」
「それじゃあ、溜息をつくような悩みでもあるの」
「んー。今は喋るのが面倒やから、後で話すわ」
オレがそう言うと金子ちゃんはそれ以上聞いてこんかった。
金子ちゃんに心配されるほど頻繁に溜息ついとった自覚はないんやけど……多分、自覚できんほど深刻に悩んどるんやろなあ。
社会に出る前に……高校卒業するまでに恋愛とかエッチに関して人並みの免疫くらい付けとけって伊勢ちゃんの言い分は、何となくならオレにもわかる。指摘されたことを直せと伊勢ちゃんに言われるまで、オレは何時まで経ってもそのまんま放ったらかしにするもんな。
それにちょっとでも新しい経験をすれば今までとは違う視野で考えたり、もうちょっと具体的に考えたりできるようになる。オカンや親父もそういう話をしとったし、オレもそういうもんやろなて思う。
補助輪なしで自転車に乗れるようになった時とか、逆上がりが自力でできるようになった時みたいに、コツが掴めた途端に「なんや、メチャ簡単やん」って当たり前のように認識できるようになるかもしれん。
恋愛とかエッチがそういう感覚で理解できるかどうかは別の話として、ええ加減オレも真面目に考えなアカン問題なんやろな。
エッチを経験してみたら、ひょっとしたら今までさっぱりわからんかった女子のことやエッチの話なんかも今よりはちゃんと理解できて、少しくらいはみんなと同じように考えることができるかもしれん。ノンセクシャルっぽいオレのこの考え方や感じ方が、少しは正常なもんに改善できるかもしれん。
けどなあ。ほな具体的にどないしたらええんかなんてさっぱりわからん。エッチできそうな相手がおらん以前に、誰かとエッチしてみたいって意識がないんやで。もしもオレとエッチしてもええて相手がおったとしても、こんな状態でオレからエッチしよなんて声かけられるわけない。
大体、エッチのやり方かてよう知らん。エッチな本やAVをそういう目的で見たこともないしな。せやからってエッチのやり方の勉強のためだけに、興味もないAV見てみるのは面倒やしアホらしい気もするんよなあ。
それに、エッチってのは誰か相手がおらんとどうにもならん話やろ。今のところ、オレとエッチしてもええって思っとるのって女子やとアキちゃんやろ。そんで、男やと金子ちゃんか。
伊勢ちゃんにはオレとエッチすんの試してみようって意思はないと思う。たまに挙動不審になるから、ひょっとしたら頭の片隅にはそういう意識もちょこっとはあるんかもしれんけど……もしそうやったとしても、それを表面に出してくる気配は伊勢ちゃんにはないから除外してええやろ。
うーん……何をしたらええんかさっぱり見当つかんし、アキちゃんか金子ちゃんとエッチなことするなんて想像もつかん。こんなオレでも、エッチを経験した、あるいはしてみよう思って努力しとるうちに、普通の男らしくエッチや恋愛に興味が持てるようになるんかな。ノンセクシャルってやつが治るんかな。病院行くの面倒やから、治るとええなあ。
でもまあ、人並みに興味が持てるようになったオレが自分と伊勢ちゃんの関係をどう思うか、その答が出せればオレと伊勢ちゃんのアホらしい悩みは一発で解消するかもしれん。オレが伊勢ちゃん以外の誰かとちゃんと恋愛できるってわかれば、伊勢ちゃんもオレに対して持っとる曖昧な気持ちに踏ん切りつくんかもしれんし。頑張る価値はあると思う。まあ……場合によっては取り返しつかんレベルで悪化する可能性もあるんやけど。悪い方に考えんのはオレの性には合わんから、考えんようにしとこ。
ちょっぴりやけど、頑張ってみようって気にはなっとるな。せやけど、ほなそのために具体的に何したらええんかはさっぱり思いつかん。ホンマにどないしたらええんやろ。伊勢ちゃんに相談すると面倒なことになる気がするから、伊勢ちゃんには相談できんよな。
アキちゃんと金子ちゃん、どっちが事情を話やすいかっていったら、圧倒的に金子ちゃんなんやけどなあ。金子ちゃんのノリと性格やったら、「面白そうだから」って理由だけでOKしそうやし。
せやけど、そんな理由で金子ちゃんとエッチすんのってどうなんやろ。男同士やったとしてもエッチの経験にはなるんやろうけど、根本的なところがおかしいやろ。
というか、アホやなオレ。男とやないと絶対イヤやとか女とそういうことをするのが気持ち悪いって思っとるわけやないのに、何で男か女かの二択で男の方を選ばなアカンねん。普通やったら性別でアキちゃんの方を選ぶやろ。
って朝っぱらからこんなアホなことばかり考えながら登校しとる時点で十分アホか。
欠伸と溜息を繰り返しながら、どうにか一日の授業を乗り切ってみた。金子ちゃんだけやのうて近衛さんや昼休みに会ったタッちゃんにも心配させてもうたみたいやから、明日は溜息つかんようにしとかんとアカンな。
それにしても今日は疲れたなあ。バイトが休みでホンマよかった。こんな体調で勉強しても身につかんやろし、今日は飯を食ったらさっさと風呂入って寝とこ。そんなことを考えながら家に着くと、オカンが妙にニヤニヤした顔でオレを出迎えた。
「何ずっとニヤニヤしとるんや。気持ち悪い」
「アンタに会いに、アキちゃん来とるで」
「……えっ。アキちゃん来とるて、家に?」
うわ、ホンマや。玄関に見たことのない女物の靴がある。
思わず動揺してもうたオレに、オカンは妙に楽しそうな声で言う。
「アンタが帰ってくるまで、色々とアンタの話聞かせてもろたで」
「オ、オレの話って」
オカンの言葉を聞いた瞬間、血の気引いてもうた。
オレの話って一体何やろ。ひょっとしてアキちゃん、昨日のことをオカンに話してもうたんかな。もしそうやとしたら、何をどこまでオカンに話してもうたんやろ。
動揺しとるのはオカンにバレバレなんやろうけど、だからというて何時までも玄関にボケっと突っ立っとっても仕方ないよな。オレはなるべく平常心を保つように努力して靴を脱いだ。
「で、アキちゃんは何の用やて」
「用件は聞いとらんよ。アンタの部屋は散らかっとるから、下で話し聞いとき。心配せんでも、これから夕飯の支度で台所おるから」
オカンはまだニヤニヤしながらそう言ってきた。オレは部屋に上がらずに居間の方に顔を出してみる。居間では真美と一緒にアキちゃんがテレビを見とった。ってちょっと待て。ひょっとして、オカンだけやのうて真美にも話が筒抜けになっとるんかいな。うわー、最悪や。
「あ、おかえりなさい、薫平君。お邪魔してます」
オレに気付いたアキちゃんが、こっちを向いて声をかけてきた。すると、真美までオカンと同じにやけ顔になってオレに声をかけてくる。
「おかえりー。何やウチはお邪魔みたいやから、そろそろ二階に行っとくわ。先輩、お兄様、どうぞごゆっくりー」
「だっ。誰がお兄様や、気色悪い言い方すんな」
相変わらず口を開けば余計なことしか言わんやつやな。ホンマに腹立つ。そんな悪態を頭の中でつきながら空いとる場所に座ると、アキちゃんがオレに話しかけてきた。
「薫平君。昨日はありがとう。それと……ごめんなさい。途中から全然記憶がないんだけど、今朝の健君の話だとかなり薫平君に迷惑かけちゃったみたいで」
「えっ、あ……ううん、全然たいしたことないから気にせんといて」
迷惑と言えば迷惑やったけど。アキちゃんに悪気があったんやないもんな。昨日のアレは酒飲ませて伊勢ちゃんとの喧嘩を囃し立てた兄ィらが悪いんやし。アキちゃんは何も悪くない。悪くない……とは思うんやけど、やっぱり何となく気まずい気がしてアキちゃんと視線を合わせられん。かというてアキちゃん目の前にして、露骨にそっぽ向いとるのはもっと気まずいよなあ。
とりあえずオレは「腹減った」と言いながら、オカンがおる台所の方やテーブルの上を見回してみた。テーブルの上にはさっきまで真美やアキちゃんが食っとったお茶菓子用のクッキーと紅茶がある。物食っとる間は喋らんでも済むやろ。アキちゃんの方見とらんでもそう不自然やないやろ。そう思ったんで、オレはテーブルの上にあったクッキーを二、三枚掴んで口の中に放りこんだ。三体牛鞭
オレが黙々とクッキーを摘んどると、またアキちゃんが話しかけてくる。
「昨日はかなり夜遅かったみたいだけど、朝ちゃんと起きれた?」
「んー。まあ、なんとか。一日欠伸ばっか出とったけど。アキちゃんこそ、大丈夫やった?」
「うん。朝起きるのがちょっと辛かったけど、お酒飲む前に二日酔いにならない薬飲んでたから」
「へー。アキちゃんの家にはそんなんあるんや」
「うん。お父さんがお酒飲む前に飲んでる漢方薬なんだけどね。大学生の飲み会に行ったら、飲める以上のお酒を飲まされるかもしれないなって思って、念のため飲んでおいたの」
「なるほど」
うう、もうそろそろ限界や。アキちゃんと何を話せばええんかさっぱりわからん。オレの方はアキちゃんに用ないもんなあ。
いや、考えようによっては全然なくもないんやけど……オカンらに聞かれそうな場所で話せることやないし。困ったなあ。
そんな考えが顔に出てもうたんか、アキちゃんの表情が急に不安そうなものになった。
「私、記憶ない間にそんなにみっともないことしちゃった?」
「そっ、そんなことないで。うん、全然みっともなくない。ただ、伊勢ちゃんと対等に口喧嘩しとるアキちゃんを見て、ちょっと驚いたというか、昔のアキちゃんを思い出したというか」
「えっ。昔の私って?」
「あっ、いやその」
オレのアホ。全然上手く誤魔化せてないやんか。むしろ余計悪化しとる気もする。
ああでも、オレのことやから今ここで上手く誤魔化せたところでボロを出すまでの時間稼ぎにしかならんよなあ。
ここは無理に誤魔化さんで、今のうちに言っといた方がええかもな。アキちゃんの正体があのジャイアンやて思い出したってこと。
「あのな、伊勢ちゃんと昔話をしとるうちに、ちょこっとだけアキちゃんのことを思い出したんやけど、オレが覚えとるアキちゃんって」
アカン。やっぱり今のアキちゃんを目の前にして、ジャイアンって昔のあだ名で呼ぶのは抵抗あるな。
「あのころのアキちゃんって、何時も伊勢ちゃんと喧嘩しとったから」
「そうね。小学生のころは毎日健君と喧嘩していたかも。あのころは健君のことが大嫌いだったから」
「そうなんや。何で?」
「だって、健君は何時も薫平君を独り占めしていたから。それが何となく悔しくて」
アキちゃんはちょっと照れくさそうに笑った。
独り占めかあ。あれはオレが伊勢ちゃん以外と馴染めなくて伊勢ちゃんの金魚の糞状態やっただけなんやけど、アキちゃんには伊勢ちゃんがオレを独占しとるように見えとったんか。
しかし酔っ払ってタガが外れとったとはいえ、あそこまで伊勢ちゃんに絡めるなんて、やっぱりアキちゃんって今でも普通の女子とはえらい差があるよなあ。
それにアキちゃんのあのキレっぷりはジャイアンって呼ばれとったころの、男にしか思えん言動見せとったアキちゃんみたいやった。
今までのアキちゃんにはそういう気配が全然なかったから、今は普通に女の子らしい性格になったんやなって思っとったんやけど……それって表向きの言動だけやったんかな。
会話が止まってしばらくすると、オカンがアキちゃんに一緒に夕飯食ってくかって話しかけてきた。それを聞いたアキちゃんは時計を見る。
「あ、いけない。そろそろ帰ってご飯の用意しなきゃ」
お。よかった、家に帰ってくれるっぽい……ってアカンなあ。帰ってくれるのが嬉しいなんて、まるでアキちゃんを全然好いとらんみたいやんか。
何や罪悪感みたいなもんを感じてもうたんで、オレは帰ろうとするアキちゃんを玄関の外まで見送ってみた。
アキちゃんの姿が見えなくなると自然に大きな溜息が出た。やっぱりオレ、無意識にアキちゃんにビビっとるっぽいな。
アキちゃんにはあの話をせん方がええやろな。オレが伊勢ちゃんから言われたことを話したら、アキちゃんは喜んでエッチしよって言ってくると思う。せやけど、オレは今のアキちゃんとエッチするのはイヤやなあって思う。何がイヤなんか自分でもさっぱりわからんけど。
エッチとか恋愛対象として誰かを好きになることが未だにさっぱりわからんって思っとるはずのオレが、何でアキちゃんとエッチするのだけははっきりイヤやて思うんやろ。
伊勢ちゃんの場合はわかるんよな。オレはそういう意味で伊勢ちゃんが好きなんとちゃうし、そういうことをするのは絶対変やってはっきり感じるようになったから、伊勢ちゃんとはエッチしたくないって断言できる。でも、アキちゃんに対しては漠然としとって自分が納得できるだけの理由がないんよな。
オレは自分の部屋に戻って、部屋着に着替えながら考えてみた。
アキちゃんとはエッチしたくないって思うのも、どうしてもアキちゃんにビビってまうのも、ガキのころに毎日苛められとったせいなんやろか。
でもオレ、アキちゃんを苦手やって思いながらも嫌いになれん。好きか嫌いかのどちらかに分けたら、アキちゃんは好きの部類に入ると思うんよな。
ホンマに何でやろ。何でアキちゃんだけは他の仲ええ女子とは全然別格って認識がオレの中にあるんやろ。
翌日もオレは無意識になんども溜息をついとったっぽい。休み時間になると近衛さんが心配そうに声をかけてくる。
「大林君。昨日からどうしたの。授業中も上の空だったみたいだけど、何かあったの」
「え。いや、特に何もないで」
「ならいいんだけど、かなり真剣に何かを悩んでるみたいに見えるよ。もし、何か悩みがあるんだったら……あたしじゃ相談相手になれないような悩みでも、他の誰かに相談してみたらどう? 木内君たちも心配していたよ」
「うーん……相談できたら、ちょっとは楽なんやろうけど」
「あ。やっぱり何か悩んでるんだ。それって仲がいい友達にも相談できない深刻な悩みなの?」
「そやなあ。ちょっと伊勢ちゃんらには相談し辛い話やな」
伊勢ちゃんには相談できん。かというてタッちゃんに相談してみても、タッちゃんもオレと同じで恋愛もエッチも未体験って状態やから、オレがいきなりそういう話を振っても困らせるだけの気するし。
こういうことを唯一話せそうな友達って金子ちゃんしかおらん。せやけど今の金子ちゃんに相談しても、試しにエッチしてみようかって答しか返ってこなさそうやから話しにくいんよな。金子ちゃんがオレとのエッチに興味を持つこと自体は物好きやなって思う程度なんやけど、実際エッチするとなると話は別やからなあ。なるべく金子ちゃんには黙っときたい。
というか、よく考えたら金子ちゃんとエッチしてみたかて、エッチがどういうものかわかるだけで、恋愛や女子に対する興味には一切繋がらん気がする。
先のことを考えるんやったら、試しにエッチするのは女子とがええんかも。
オレがあれこれ考えとったら近衛さんが言ってきた。
「あ、ひょっとして悩みって、伊勢君のお姉さんのこと? 確か、彼女って大林君が好きなんだよね。彼女と付き合うかどうか、まだ悩んでいるの」
近衛さんはそうオレに聞いてきた。
アキちゃんはオレが好きやから付き合いたいって積極的に迫ってくる。オレはアキちゃんと付き合わんって断れんままズルズルきとる。昼休みの雑談でわかる情報だけやと、近衛さんが言っとるように受け取れるんやろな。
さすがに近衛さんには事情は説明できんから、ここはアキちゃんと付き合うかどうかで悩んどることにしとくのが無難かな。
「まあ、そんな感じ」
「うーん。直接話したことが殆どないから、彼女がどういうタイプの女の子なのかわからないけど。大林君に付き合う気がないなら、はっきり断っちゃった方がいいと思うよ。思わせぶりな態度で引っ張っておいて、やっぱり付き合わないって言われるとショックだろうし」
そう言うと近衛さんは少し照れくさそうに笑う。
「恋愛経験ゼロのあたしがこんなことを言っても、全然説得力ないかもしれないけど」
「いや、オレもそういうもんなんやろなってくらいはわかる。ただ、絶対付き合いたくないって意識はないのに断るのも悪い気がするから……それ以前に、自分を好きやて言ってくれる女子とどう接したらええんか、そっからさっぱりわからん。伊勢ちゃんや金子ちゃんって、自分から恋愛意識やそれに近いものを持って女子と接したことがないっぽいから」
「そっかー。そういう悩みだと伊勢君たちにはちょっと話し難いかもねー。だったらC大のお兄さんたちはどうかな。女の子受けがよさそうなお兄さんとか、モテてそうな格好いいお兄さんもいたじゃない。彼女がいる人にそれとなく聞いてみるとか」
「そうやなあ。まだ兄ィらの方が少しはオレの話を聞いてくれそうかもな」
でも多分、話を聞いてもらえるだけなんやろな。文冴兄ィは面倒やから自力でどうにかしろて言いそうやし、雅経兄ィは悩みながら自力で何とかしてごらんて答えが返ってきそうやで。
それにこの悩みって、誰かに聞いてもらいたいと思う反面、誰にも話したくないって意識も強いんよなあ。
顔を上げたオレは近衛さんが心配そうな表情で見とることに気付いた。
「アカン。重症っぽいな」
オレは笑ってそう誤魔化してみた。
夕方からバイトに出ると、近くにおった社員の人から届いたばかりのビールを売り場に並べてくれと頼まれた。渡されたダンボール二箱を抱えて売り場に行くと、トヨ兄ィがビールが並ぶ棚に空きスペースを作っとる。
「トヨ兄ィ、おはよー。これ、そこに並べればええんかな」
「ああ。場所を作っておいたから、ここに並べておいてくれ」
「あい」
オレは売り場まで運んできたダンボール箱を下ろして封を切ってみた。見たことのない名前とデザインのビールやな。冬の新商品かな。
指示された通りに商品を並べとると、トヨ兄ィがもう二箱持ってきた。必死になって抱えとったオレと違って、トヨ兄ィは余裕で運んどる。SEX DROPS
やっぱりトヨ兄ィって基礎体力と腕力が全然ちゃうんやなあ。もっと背が高くなりたいとか、もっとええガタイになりたいって欲はなかったけど、あれくらいの荷物を余裕で運べるくらいにはなりたいかも。
そんなことを思っとるとトヨ兄ィは「これも頼む」ってダンボール箱をオレの隣に下ろし、そのままどっか行ってもうた。レジが混み始めてきたから、レジの手伝いに行ったんかな。
一人で作業を続けとるうちに、ふとこの前のことを思い出した。
トヨ兄ィはどんくらい日曜日の打ち上げのことを覚えとるんやろ。酔っ払っとったとはいえ、オレを抱っこして全然放そうとせんわ、伊勢ちゃんはぶっ飛ばすわ、普段のトヨ兄ィからは想像つかんくらい滅茶苦茶やったもんなあ。あの時の酔っ払いぶりやと、アキちゃん以上に記憶残ってなさそうやけど。気になるから後で聞いてみようかな。
頼まれた仕事が終わった後は何時ものように使用済みのカゴを入口まで戻したり、ラベル貼りをしたりして過ごしてみた。何かの作業に没頭したり体動かしたりしとると、余計なことを考えんで済むのがええな。
後片付けの時間が近付いてくると、何時ものようにトヨ兄ィはオレを呼びにきた。オレはトヨ兄ィの後に付いて歩きながら、日曜日の件を聞いてみることにした。
「なあトヨ兄ィ。日曜日の夜のことってどんくらい覚えとる?」
「日曜日の夜……ああ、打ち上げの話か」
「うん。カラオケボックスでオレにしたこと、どんくらい覚えとる?」
「え。大林も打ち上げに顔を出していたのか」
あ。既にそこから記憶に残っとらんのやな。ほなカラオケボックスで何があったかなんて覚えとらんよな。
トヨ兄ィは立ち止まって記憶を辿っとるように黙っとった。しばらくするとトヨ兄ィは振り向いてオレを見る。
「……その様子だと……殴っては……ないよな」
「うん。オレは殴られとらんで。ただ、オレの友達を一人ぶっ飛ばしとった。あ、伊勢ちゃんはオレより頑丈な体しとるから怪我せんかったし、普通に家まで歩いて帰っとったし、月曜日には普通に学校来とったから心配せんでも大丈夫やで」
「そうか。悪いことをしたな。会う機会はないだろうから、代わりに謝っておいてくれないか」
「まあ、あれは殴られても仕方ない雰囲気やったっぽいから……あんま気にせんといて。本人もトヨ兄ィに殴られたこと覚えとらんと思うし」
日曜日は色々とありすぎたからなあ。伊勢ちゃんに直接確認したわけやないけど、トヨ兄ィにぶっ飛ばされたことって伊勢ちゃんの記憶に残っとらん気がする。
この様子やとトヨ兄ィはオレを抱っこして放さなかったことも覚えとらんやろな。そう思ったものの、一応聞いてみることにした。
「そういえばトヨ兄ィって抱き癖でもあんの」
「抱き癖?」
「うん。テンコ姉さんに言われた通りにオレを抱っこしたら、その後何言っても全然放してくれんかったんやけど」
「……抱っこ……………………あっ」
妙に長い間をおいて、トヨ兄ィはやっと状況を理解したようやった。日曜日の記憶は全然なくても、記憶無くすくらい酔っ払った自分がそういうことをする心当たりはあるっぽい。表情は殆ど変化ないんやけど、かなり戸惑っとるような感じでオレに言ってくる。
「大林に何か変なことしたか」
「いや、単に抱っこして全然放してくれんかっただけやで」
オレがそう言うとトヨ兄ィは安心したように軽い溜息をついとった。
「ひょっとして、普段はあそこまで酔っ払うと抱っこ以外のこともすんのかいな」
そう聞くとトヨ兄ィは困ったようにオレを見た。
「誰彼構わずに抱きついたりしない。大林は多分、背格好があいつと同じくらいだから」
「同じくらいて誰……あ。ひょっとしてトヨ兄ィの彼女?」
トヨ兄ィはオレの質問には答えんかったけど、違うって言わんかったから彼女のことっぽいな。
なるほど。酔っ払っとったトヨ兄ィはオレを彼女やと思って抱っこしとったんか。
そらまあ、オレの背格好ってのは女子と間違えられやすい、お手ごろサイズやろなって自分でも思うけど……何となく納得いかん。というか何やイメージちゃうんやけど、トヨ兄ィって彼女と一緒におる時は結構ベタベタするタイプなんやろか。
「オレはただビックリしただけで、全然気にしとらんで。それより変なことって? 彼女には抱っこだけやのうて何や変なことしとるんか」
オレがそう聞いたらトヨ兄ィは苦笑を浮かべとった。
しもた。オレ、またアホな質問してもうたっぽい。皮肉とか不愉快にさせるつもりやなかったんで、すぐにオレは謝ってみた。
「ゴメンなあ、オレ、嫌味とかそういう意味で聞いたんやのうて、その、変なことってのはトヨ兄ィがそういう風に聞いてきたからで」
「わかっている。それより、大林にはさんざん迷惑かけたみたいだな……すまなかった」
トヨ兄ィはそう言うと、仕事中やからってそれ以上の会話を打ち切ってきた。何や誤魔化された気もするけど、確かに今は仕事中やから何時までも立ち話しとるわけにはいかんな。
せやけど……変なことって何やろ。閉店作業をしながら考えとるうちに、何となくそれがエッチなことって意味かもって思うようになった。抱っこしたまま、胸を触ったり、お尻触ったりすんのかな。
って、しもた。思わず痴漢のおっちゃんにケツ触られた時のことを思い出してもうた。うう、ちょっと思い出しただけなのに、腕に鳥肌立っとる。
痴漢のおっちゃんがオレにしてきたのはエッチそのものとは違うんやろうけど、きっとエッチする時もああいう感じで体ベタベタ触るんやろなあ。エッチしよて言ってくるアキちゃんは、ホンマにオレにああいうことしてもらいたいて思っとるんかな。
誰かとエッチするとなると、オレも誰かにああいうことをせなアカンのか。えー、それってイヤやなあ。それとも女子は相手が好きな人やったら、ああいう風に体触られても気持ち悪いとは思わんのかな。
アカン。考えれば考えるほどわけがわからなくなる。こればっかりは頭の中であれこれ考えても答は永遠に出そうにないな。
大きく溜息をついた後、オレはすぐ近くでシャッターを下ろしとるトヨ兄ィを見た。
トヨ兄ィは彼女おるんやし、伊勢ちゃんと違ってちゃんと彼女が好きで付き合っとる人やから、ちょっと話を聞いてみようかな。何時ものように会話止まってもうたら、それ以上は聞かんようにすればなんとかなるやろ。
タイムカードを押した後、ロッカールームで着替えとる時にオレはトヨ兄ィに聞いてみた。
「なあ、トヨ兄ィ。トヨ兄ィて彼女おるやんか」
「……ああ」
「トヨ兄ィみたいに、好きやて思える女子を彼女にしたら、自然にその子とエッチもしたいって思うもんなんかな」
トヨ兄ィは手を止めてオレをじっと見とった。いきなり聞いたらアカン話やったかな。
謝るにもきっかけが必要やったんでトヨ兄ィの反応を待っとると、少し間を置いたあとでオレに言葉を返してきた。
「個人差はありそうだが、普通はそうじゃないのか」
「ほな、エッチしてみたいて思えるようになるには、エッチしてもええかなって思えるくらいに好きになってみるのが一番簡単なんかな」
オレが続けて聞いてみたら、トヨ兄ィはちょっとズレたタイミングで「は?」と聞き返してきた。
オレはもう一回同じように言ってみる。そうしたらトヨ兄ィは可笑しそうに笑った。
「簡単どころか、それは一番難しい方法なんじゃないのか。単純に性欲だけを意識する方が簡単だろう。気分的に納得できない場合は多いと思うが」
うーん。オレには性欲を意識する方が難しいんやけどなあ。でもあれやな。トヨ兄ィみたいな人でも、エッチに関してはエッチしてもええってくらいの恋愛感情を持つより、ただエッチしてみたいて性欲だけを持つ方が早いやろって考えるんやな。
「……大林は随分変わった物事の捉え方をするんだな」
ロッカーを閉めたトヨ兄ィは、出口に向かいながらオレにそう言ってくる。
「誰かをそこまで好きになってみるというのは、頭で考えて実行できることじゃない」
「……そうなん?」
「好きだと思い込むことはできても、感情がそれに付いてくるとは限らないだろう。感情が付いてこないと、何時まで経っても相手を本気で好きだという実感が持てなくて、空しくなりそうだ」
トヨ兄ィはオレの予想以上に話に乗ってきてくれとる。こういう話題やと会話続かんかもって思っとったから、ちょっとビックリした。前にこの手の話題は苦手やて言っとったんは、単にオレとこういう話題で会話すんのに慣れとらんかっただけなんかな。蒼蝿水
店内と比べるとロッカーはかなり寒かったんやけど、建物の外はもっと寒かった。思わず身震いしてまうくらい冷たい空気で、こんな寒い中歩いて帰るのは面倒やなって真面目に考えてまう。さっさと家に帰って風呂入りたい。
せやけどオレはもう少しトヨ兄ィと話をしてみたかったんで、何時もの帰り道やのうて、トヨ兄ィが使っとる道を一緒に歩いてみた。トヨ兄ィは察知してくれたんか、オレが付いてきとる理由は聞いてこんかった。
「……あのな、トヨ兄ィ」
オレはトヨ兄ィにアキちゃんの件を話してみることにした。トヨ兄ィに話を聞いてもらえば、ちょっとは自分の考えを整理できるかもしれん。
「オレのことを好いてくれとる女子がおるって話を前にちょこっとだけしたやろ。オレ、その子が嫌いやないんやけど、彼女にしたいとかエッチしたいて意識は全然なくて……せやけど、はっきりとした理由がないのに断るのもアカンよなって意識もあって。それは多分罪悪感みたいなもんで、好きって感情とは全然別のもんなんやろうけど。前に違う人から告白された時にはそういうの感じんかったんよな。もしかして、オレはちょっとはその子のことを意識しとるんかな」
何やちっとも上手く説明できへんな。トヨ兄ィはオレがホンマに言いたいことをどんくらい理解してくれとるんやろ。
「試しに付き合ってみれば、無理に思い込まんでも今よりその子のことが好きになれるんのかな」
オレ、今の状態でアキちゃんと付き合ってもええんかな。エッチするかどうかは別として、試しに付き合ってみたら、アキちゃんを今より自然に好きやて意識できるんかな。今のオレが気になるのはそういうところなんよなあ。
トヨ兄ィは黙って歩いとったけど、しばらくするとオレの質問に答えてきた。
「大林は、実際にその子をどういう風に見ているんだ」
「どうって……多分、女友達って感じやと思う」
オレにはアキちゃんを彼女にしてみたいって意識はない。アキちゃんがオレを彼氏にしたいって意識があるだけや。ただ、アキちゃんは他の女友達とはどっか違う感じがするし、変に意識してもうて他の女友達ほど気楽に接することができん。せやからホンマにアキちゃんのことを友達として好きかどうかの自信もない。オレはそういう風に話してみた。そうしたらトヨ兄ィはオレにこう言ってきた。
「そういう状態から、恋愛感情に発展させるのは難しいと思うぞ」
「そうなん?」
「不可能かどうかはわからない。できる奴はあっさりできることなのかもしれない。でも俺は、最初から友達としてしか見れない相手をそれ以上に好きになるなんて絶対にできない」
トヨ兄はオレにそう言った。自分の話はあくまでも一つの意見に過ぎないから、恋愛経験がある他の奴にも同じように話を聞いてみればいいとも言ってくれた。
でも他に恋愛経験ある奴って言われてもなあ。伊勢ちゃんも金子ちゃんも、エッチした相手と少しでも恋愛をしとったって自覚は全然なさそうなんよな。オレの身近におる人で、トヨ兄ィ以外に恋愛経験ありそうな人って、他に誰かおったっけ?
そんなことを考えながら歩いとったら、歩道橋のところに来てもうた。まだトヨ兄ィと話したい気分やったけど、オレから出せる話題は打ち止めになったから、今夜はここまでにしとくか。トヨ兄ィがオレの話をここまで聞いてくれるってわかっただけでも十分やもんな。
「トヨ兄ィ、どうもおおきに。話をしたら、ちょっとだけ楽になった」
「……そうか」
「うん。ゴメンなあ、トヨ兄ィには何もおもろくない話ばっかしてもうて」
オレはトヨ兄ィに礼を言って歩道橋の下で別れた。
頭で好きやて思い込むことはできても、感情がそれに付いてこんと本気で好きやて実感は持てないかあ。確かに今の状態でオレがアキちゃんと試しに付き合ってみても、エッチしてみたとしても、オレの感情が今のまま変化なかったら、アキちゃんを彼女として好きやて認識すんのは難しそうやな。
ああそっか。伊勢ちゃんがまさにそういう状態やったんか。伊勢ちゃんは彼女と付き合うようになっても、その子とエッチをしても、感情が全然付いてこんかった。そんな調子やから、伊勢ちゃんは彼女の存在をエッチができればそれでええ、それ以外の付き合いは面倒やて思うようになってもうたんかもな。
相変わらず問題は何一つ解決しとらん。でも、そういうことに気を付けながらどうにかせなアカンなてのがわかっただけでも、今日は一歩前進したかも。 勃動力三体牛鞭
眠い。だるい。何もかもが面倒でズル休みしたい。そんな欲求を我慢して学校に向かうオレを、妙に元気な金子ちゃんが出迎えた。男宝
「おはよう。今日はかなり眠そうだね。二日酔い?」
「半分はそうかも」
実際は二日酔いやのうて寝不足なんやろな。そしてもう半分はあれこれ考えながら寝てもうたせいで、頭も気分もすっきりしとらんからやと思う。
オレが露骨に調子悪そうな態度を見せとるせいか、金子ちゃんはつまらなそうな表情でオレを見とった。きっと金子ちゃんは歩きながら昨日のことを話そうと思っとったんやろな。
そんな金子ちゃんには悪いんやけど、体調的にも精神的にも、今のオレにそんな余裕はない。
冷たい風が吹いとる通学路をぼんやり歩いとると、やがて金子ちゃんが声をかけてきた。
「さっきから欠伸よりも溜息の方が多いみたいだけど。そんなに体調よくないの」
「いや、しんどくて溜息ついとるんやないで」
「それじゃあ、溜息をつくような悩みでもあるの」
「んー。今は喋るのが面倒やから、後で話すわ」
オレがそう言うと金子ちゃんはそれ以上聞いてこんかった。
金子ちゃんに心配されるほど頻繁に溜息ついとった自覚はないんやけど……多分、自覚できんほど深刻に悩んどるんやろなあ。
社会に出る前に……高校卒業するまでに恋愛とかエッチに関して人並みの免疫くらい付けとけって伊勢ちゃんの言い分は、何となくならオレにもわかる。指摘されたことを直せと伊勢ちゃんに言われるまで、オレは何時まで経ってもそのまんま放ったらかしにするもんな。
それにちょっとでも新しい経験をすれば今までとは違う視野で考えたり、もうちょっと具体的に考えたりできるようになる。オカンや親父もそういう話をしとったし、オレもそういうもんやろなて思う。
補助輪なしで自転車に乗れるようになった時とか、逆上がりが自力でできるようになった時みたいに、コツが掴めた途端に「なんや、メチャ簡単やん」って当たり前のように認識できるようになるかもしれん。
恋愛とかエッチがそういう感覚で理解できるかどうかは別の話として、ええ加減オレも真面目に考えなアカン問題なんやろな。
エッチを経験してみたら、ひょっとしたら今までさっぱりわからんかった女子のことやエッチの話なんかも今よりはちゃんと理解できて、少しくらいはみんなと同じように考えることができるかもしれん。ノンセクシャルっぽいオレのこの考え方や感じ方が、少しは正常なもんに改善できるかもしれん。
けどなあ。ほな具体的にどないしたらええんかなんてさっぱりわからん。エッチできそうな相手がおらん以前に、誰かとエッチしてみたいって意識がないんやで。もしもオレとエッチしてもええて相手がおったとしても、こんな状態でオレからエッチしよなんて声かけられるわけない。
大体、エッチのやり方かてよう知らん。エッチな本やAVをそういう目的で見たこともないしな。せやからってエッチのやり方の勉強のためだけに、興味もないAV見てみるのは面倒やしアホらしい気もするんよなあ。
それに、エッチってのは誰か相手がおらんとどうにもならん話やろ。今のところ、オレとエッチしてもええって思っとるのって女子やとアキちゃんやろ。そんで、男やと金子ちゃんか。
伊勢ちゃんにはオレとエッチすんの試してみようって意思はないと思う。たまに挙動不審になるから、ひょっとしたら頭の片隅にはそういう意識もちょこっとはあるんかもしれんけど……もしそうやったとしても、それを表面に出してくる気配は伊勢ちゃんにはないから除外してええやろ。
うーん……何をしたらええんかさっぱり見当つかんし、アキちゃんか金子ちゃんとエッチなことするなんて想像もつかん。こんなオレでも、エッチを経験した、あるいはしてみよう思って努力しとるうちに、普通の男らしくエッチや恋愛に興味が持てるようになるんかな。ノンセクシャルってやつが治るんかな。病院行くの面倒やから、治るとええなあ。
でもまあ、人並みに興味が持てるようになったオレが自分と伊勢ちゃんの関係をどう思うか、その答が出せればオレと伊勢ちゃんのアホらしい悩みは一発で解消するかもしれん。オレが伊勢ちゃん以外の誰かとちゃんと恋愛できるってわかれば、伊勢ちゃんもオレに対して持っとる曖昧な気持ちに踏ん切りつくんかもしれんし。頑張る価値はあると思う。まあ……場合によっては取り返しつかんレベルで悪化する可能性もあるんやけど。悪い方に考えんのはオレの性には合わんから、考えんようにしとこ。
ちょっぴりやけど、頑張ってみようって気にはなっとるな。せやけど、ほなそのために具体的に何したらええんかはさっぱり思いつかん。ホンマにどないしたらええんやろ。伊勢ちゃんに相談すると面倒なことになる気がするから、伊勢ちゃんには相談できんよな。
アキちゃんと金子ちゃん、どっちが事情を話やすいかっていったら、圧倒的に金子ちゃんなんやけどなあ。金子ちゃんのノリと性格やったら、「面白そうだから」って理由だけでOKしそうやし。
せやけど、そんな理由で金子ちゃんとエッチすんのってどうなんやろ。男同士やったとしてもエッチの経験にはなるんやろうけど、根本的なところがおかしいやろ。
というか、アホやなオレ。男とやないと絶対イヤやとか女とそういうことをするのが気持ち悪いって思っとるわけやないのに、何で男か女かの二択で男の方を選ばなアカンねん。普通やったら性別でアキちゃんの方を選ぶやろ。
って朝っぱらからこんなアホなことばかり考えながら登校しとる時点で十分アホか。
欠伸と溜息を繰り返しながら、どうにか一日の授業を乗り切ってみた。金子ちゃんだけやのうて近衛さんや昼休みに会ったタッちゃんにも心配させてもうたみたいやから、明日は溜息つかんようにしとかんとアカンな。
それにしても今日は疲れたなあ。バイトが休みでホンマよかった。こんな体調で勉強しても身につかんやろし、今日は飯を食ったらさっさと風呂入って寝とこ。そんなことを考えながら家に着くと、オカンが妙にニヤニヤした顔でオレを出迎えた。
「何ずっとニヤニヤしとるんや。気持ち悪い」
「アンタに会いに、アキちゃん来とるで」
「……えっ。アキちゃん来とるて、家に?」
うわ、ホンマや。玄関に見たことのない女物の靴がある。
思わず動揺してもうたオレに、オカンは妙に楽しそうな声で言う。
「アンタが帰ってくるまで、色々とアンタの話聞かせてもろたで」
「オ、オレの話って」
オカンの言葉を聞いた瞬間、血の気引いてもうた。
オレの話って一体何やろ。ひょっとしてアキちゃん、昨日のことをオカンに話してもうたんかな。もしそうやとしたら、何をどこまでオカンに話してもうたんやろ。
動揺しとるのはオカンにバレバレなんやろうけど、だからというて何時までも玄関にボケっと突っ立っとっても仕方ないよな。オレはなるべく平常心を保つように努力して靴を脱いだ。
「で、アキちゃんは何の用やて」
「用件は聞いとらんよ。アンタの部屋は散らかっとるから、下で話し聞いとき。心配せんでも、これから夕飯の支度で台所おるから」
オカンはまだニヤニヤしながらそう言ってきた。オレは部屋に上がらずに居間の方に顔を出してみる。居間では真美と一緒にアキちゃんがテレビを見とった。ってちょっと待て。ひょっとして、オカンだけやのうて真美にも話が筒抜けになっとるんかいな。うわー、最悪や。
「あ、おかえりなさい、薫平君。お邪魔してます」
オレに気付いたアキちゃんが、こっちを向いて声をかけてきた。すると、真美までオカンと同じにやけ顔になってオレに声をかけてくる。
「おかえりー。何やウチはお邪魔みたいやから、そろそろ二階に行っとくわ。先輩、お兄様、どうぞごゆっくりー」
「だっ。誰がお兄様や、気色悪い言い方すんな」
相変わらず口を開けば余計なことしか言わんやつやな。ホンマに腹立つ。そんな悪態を頭の中でつきながら空いとる場所に座ると、アキちゃんがオレに話しかけてきた。
「薫平君。昨日はありがとう。それと……ごめんなさい。途中から全然記憶がないんだけど、今朝の健君の話だとかなり薫平君に迷惑かけちゃったみたいで」
「えっ、あ……ううん、全然たいしたことないから気にせんといて」
迷惑と言えば迷惑やったけど。アキちゃんに悪気があったんやないもんな。昨日のアレは酒飲ませて伊勢ちゃんとの喧嘩を囃し立てた兄ィらが悪いんやし。アキちゃんは何も悪くない。悪くない……とは思うんやけど、やっぱり何となく気まずい気がしてアキちゃんと視線を合わせられん。かというてアキちゃん目の前にして、露骨にそっぽ向いとるのはもっと気まずいよなあ。
とりあえずオレは「腹減った」と言いながら、オカンがおる台所の方やテーブルの上を見回してみた。テーブルの上にはさっきまで真美やアキちゃんが食っとったお茶菓子用のクッキーと紅茶がある。物食っとる間は喋らんでも済むやろ。アキちゃんの方見とらんでもそう不自然やないやろ。そう思ったんで、オレはテーブルの上にあったクッキーを二、三枚掴んで口の中に放りこんだ。三体牛鞭
オレが黙々とクッキーを摘んどると、またアキちゃんが話しかけてくる。
「昨日はかなり夜遅かったみたいだけど、朝ちゃんと起きれた?」
「んー。まあ、なんとか。一日欠伸ばっか出とったけど。アキちゃんこそ、大丈夫やった?」
「うん。朝起きるのがちょっと辛かったけど、お酒飲む前に二日酔いにならない薬飲んでたから」
「へー。アキちゃんの家にはそんなんあるんや」
「うん。お父さんがお酒飲む前に飲んでる漢方薬なんだけどね。大学生の飲み会に行ったら、飲める以上のお酒を飲まされるかもしれないなって思って、念のため飲んでおいたの」
「なるほど」
うう、もうそろそろ限界や。アキちゃんと何を話せばええんかさっぱりわからん。オレの方はアキちゃんに用ないもんなあ。
いや、考えようによっては全然なくもないんやけど……オカンらに聞かれそうな場所で話せることやないし。困ったなあ。
そんな考えが顔に出てもうたんか、アキちゃんの表情が急に不安そうなものになった。
「私、記憶ない間にそんなにみっともないことしちゃった?」
「そっ、そんなことないで。うん、全然みっともなくない。ただ、伊勢ちゃんと対等に口喧嘩しとるアキちゃんを見て、ちょっと驚いたというか、昔のアキちゃんを思い出したというか」
「えっ。昔の私って?」
「あっ、いやその」
オレのアホ。全然上手く誤魔化せてないやんか。むしろ余計悪化しとる気もする。
ああでも、オレのことやから今ここで上手く誤魔化せたところでボロを出すまでの時間稼ぎにしかならんよなあ。
ここは無理に誤魔化さんで、今のうちに言っといた方がええかもな。アキちゃんの正体があのジャイアンやて思い出したってこと。
「あのな、伊勢ちゃんと昔話をしとるうちに、ちょこっとだけアキちゃんのことを思い出したんやけど、オレが覚えとるアキちゃんって」
アカン。やっぱり今のアキちゃんを目の前にして、ジャイアンって昔のあだ名で呼ぶのは抵抗あるな。
「あのころのアキちゃんって、何時も伊勢ちゃんと喧嘩しとったから」
「そうね。小学生のころは毎日健君と喧嘩していたかも。あのころは健君のことが大嫌いだったから」
「そうなんや。何で?」
「だって、健君は何時も薫平君を独り占めしていたから。それが何となく悔しくて」
アキちゃんはちょっと照れくさそうに笑った。
独り占めかあ。あれはオレが伊勢ちゃん以外と馴染めなくて伊勢ちゃんの金魚の糞状態やっただけなんやけど、アキちゃんには伊勢ちゃんがオレを独占しとるように見えとったんか。
しかし酔っ払ってタガが外れとったとはいえ、あそこまで伊勢ちゃんに絡めるなんて、やっぱりアキちゃんって今でも普通の女子とはえらい差があるよなあ。
それにアキちゃんのあのキレっぷりはジャイアンって呼ばれとったころの、男にしか思えん言動見せとったアキちゃんみたいやった。
今までのアキちゃんにはそういう気配が全然なかったから、今は普通に女の子らしい性格になったんやなって思っとったんやけど……それって表向きの言動だけやったんかな。
会話が止まってしばらくすると、オカンがアキちゃんに一緒に夕飯食ってくかって話しかけてきた。それを聞いたアキちゃんは時計を見る。
「あ、いけない。そろそろ帰ってご飯の用意しなきゃ」
お。よかった、家に帰ってくれるっぽい……ってアカンなあ。帰ってくれるのが嬉しいなんて、まるでアキちゃんを全然好いとらんみたいやんか。
何や罪悪感みたいなもんを感じてもうたんで、オレは帰ろうとするアキちゃんを玄関の外まで見送ってみた。
アキちゃんの姿が見えなくなると自然に大きな溜息が出た。やっぱりオレ、無意識にアキちゃんにビビっとるっぽいな。
アキちゃんにはあの話をせん方がええやろな。オレが伊勢ちゃんから言われたことを話したら、アキちゃんは喜んでエッチしよって言ってくると思う。せやけど、オレは今のアキちゃんとエッチするのはイヤやなあって思う。何がイヤなんか自分でもさっぱりわからんけど。
エッチとか恋愛対象として誰かを好きになることが未だにさっぱりわからんって思っとるはずのオレが、何でアキちゃんとエッチするのだけははっきりイヤやて思うんやろ。
伊勢ちゃんの場合はわかるんよな。オレはそういう意味で伊勢ちゃんが好きなんとちゃうし、そういうことをするのは絶対変やってはっきり感じるようになったから、伊勢ちゃんとはエッチしたくないって断言できる。でも、アキちゃんに対しては漠然としとって自分が納得できるだけの理由がないんよな。
オレは自分の部屋に戻って、部屋着に着替えながら考えてみた。
アキちゃんとはエッチしたくないって思うのも、どうしてもアキちゃんにビビってまうのも、ガキのころに毎日苛められとったせいなんやろか。
でもオレ、アキちゃんを苦手やって思いながらも嫌いになれん。好きか嫌いかのどちらかに分けたら、アキちゃんは好きの部類に入ると思うんよな。
ホンマに何でやろ。何でアキちゃんだけは他の仲ええ女子とは全然別格って認識がオレの中にあるんやろ。
翌日もオレは無意識になんども溜息をついとったっぽい。休み時間になると近衛さんが心配そうに声をかけてくる。
「大林君。昨日からどうしたの。授業中も上の空だったみたいだけど、何かあったの」
「え。いや、特に何もないで」
「ならいいんだけど、かなり真剣に何かを悩んでるみたいに見えるよ。もし、何か悩みがあるんだったら……あたしじゃ相談相手になれないような悩みでも、他の誰かに相談してみたらどう? 木内君たちも心配していたよ」
「うーん……相談できたら、ちょっとは楽なんやろうけど」
「あ。やっぱり何か悩んでるんだ。それって仲がいい友達にも相談できない深刻な悩みなの?」
「そやなあ。ちょっと伊勢ちゃんらには相談し辛い話やな」
伊勢ちゃんには相談できん。かというてタッちゃんに相談してみても、タッちゃんもオレと同じで恋愛もエッチも未体験って状態やから、オレがいきなりそういう話を振っても困らせるだけの気するし。
こういうことを唯一話せそうな友達って金子ちゃんしかおらん。せやけど今の金子ちゃんに相談しても、試しにエッチしてみようかって答しか返ってこなさそうやから話しにくいんよな。金子ちゃんがオレとのエッチに興味を持つこと自体は物好きやなって思う程度なんやけど、実際エッチするとなると話は別やからなあ。なるべく金子ちゃんには黙っときたい。
というか、よく考えたら金子ちゃんとエッチしてみたかて、エッチがどういうものかわかるだけで、恋愛や女子に対する興味には一切繋がらん気がする。
先のことを考えるんやったら、試しにエッチするのは女子とがええんかも。
オレがあれこれ考えとったら近衛さんが言ってきた。
「あ、ひょっとして悩みって、伊勢君のお姉さんのこと? 確か、彼女って大林君が好きなんだよね。彼女と付き合うかどうか、まだ悩んでいるの」
近衛さんはそうオレに聞いてきた。
アキちゃんはオレが好きやから付き合いたいって積極的に迫ってくる。オレはアキちゃんと付き合わんって断れんままズルズルきとる。昼休みの雑談でわかる情報だけやと、近衛さんが言っとるように受け取れるんやろな。
さすがに近衛さんには事情は説明できんから、ここはアキちゃんと付き合うかどうかで悩んどることにしとくのが無難かな。
「まあ、そんな感じ」
「うーん。直接話したことが殆どないから、彼女がどういうタイプの女の子なのかわからないけど。大林君に付き合う気がないなら、はっきり断っちゃった方がいいと思うよ。思わせぶりな態度で引っ張っておいて、やっぱり付き合わないって言われるとショックだろうし」
そう言うと近衛さんは少し照れくさそうに笑う。
「恋愛経験ゼロのあたしがこんなことを言っても、全然説得力ないかもしれないけど」
「いや、オレもそういうもんなんやろなってくらいはわかる。ただ、絶対付き合いたくないって意識はないのに断るのも悪い気がするから……それ以前に、自分を好きやて言ってくれる女子とどう接したらええんか、そっからさっぱりわからん。伊勢ちゃんや金子ちゃんって、自分から恋愛意識やそれに近いものを持って女子と接したことがないっぽいから」
「そっかー。そういう悩みだと伊勢君たちにはちょっと話し難いかもねー。だったらC大のお兄さんたちはどうかな。女の子受けがよさそうなお兄さんとか、モテてそうな格好いいお兄さんもいたじゃない。彼女がいる人にそれとなく聞いてみるとか」
「そうやなあ。まだ兄ィらの方が少しはオレの話を聞いてくれそうかもな」
でも多分、話を聞いてもらえるだけなんやろな。文冴兄ィは面倒やから自力でどうにかしろて言いそうやし、雅経兄ィは悩みながら自力で何とかしてごらんて答えが返ってきそうやで。
それにこの悩みって、誰かに聞いてもらいたいと思う反面、誰にも話したくないって意識も強いんよなあ。
顔を上げたオレは近衛さんが心配そうな表情で見とることに気付いた。
「アカン。重症っぽいな」
オレは笑ってそう誤魔化してみた。
夕方からバイトに出ると、近くにおった社員の人から届いたばかりのビールを売り場に並べてくれと頼まれた。渡されたダンボール二箱を抱えて売り場に行くと、トヨ兄ィがビールが並ぶ棚に空きスペースを作っとる。
「トヨ兄ィ、おはよー。これ、そこに並べればええんかな」
「ああ。場所を作っておいたから、ここに並べておいてくれ」
「あい」
オレは売り場まで運んできたダンボール箱を下ろして封を切ってみた。見たことのない名前とデザインのビールやな。冬の新商品かな。
指示された通りに商品を並べとると、トヨ兄ィがもう二箱持ってきた。必死になって抱えとったオレと違って、トヨ兄ィは余裕で運んどる。SEX DROPS
やっぱりトヨ兄ィって基礎体力と腕力が全然ちゃうんやなあ。もっと背が高くなりたいとか、もっとええガタイになりたいって欲はなかったけど、あれくらいの荷物を余裕で運べるくらいにはなりたいかも。
そんなことを思っとるとトヨ兄ィは「これも頼む」ってダンボール箱をオレの隣に下ろし、そのままどっか行ってもうた。レジが混み始めてきたから、レジの手伝いに行ったんかな。
一人で作業を続けとるうちに、ふとこの前のことを思い出した。
トヨ兄ィはどんくらい日曜日の打ち上げのことを覚えとるんやろ。酔っ払っとったとはいえ、オレを抱っこして全然放そうとせんわ、伊勢ちゃんはぶっ飛ばすわ、普段のトヨ兄ィからは想像つかんくらい滅茶苦茶やったもんなあ。あの時の酔っ払いぶりやと、アキちゃん以上に記憶残ってなさそうやけど。気になるから後で聞いてみようかな。
頼まれた仕事が終わった後は何時ものように使用済みのカゴを入口まで戻したり、ラベル貼りをしたりして過ごしてみた。何かの作業に没頭したり体動かしたりしとると、余計なことを考えんで済むのがええな。
後片付けの時間が近付いてくると、何時ものようにトヨ兄ィはオレを呼びにきた。オレはトヨ兄ィの後に付いて歩きながら、日曜日の件を聞いてみることにした。
「なあトヨ兄ィ。日曜日の夜のことってどんくらい覚えとる?」
「日曜日の夜……ああ、打ち上げの話か」
「うん。カラオケボックスでオレにしたこと、どんくらい覚えとる?」
「え。大林も打ち上げに顔を出していたのか」
あ。既にそこから記憶に残っとらんのやな。ほなカラオケボックスで何があったかなんて覚えとらんよな。
トヨ兄ィは立ち止まって記憶を辿っとるように黙っとった。しばらくするとトヨ兄ィは振り向いてオレを見る。
「……その様子だと……殴っては……ないよな」
「うん。オレは殴られとらんで。ただ、オレの友達を一人ぶっ飛ばしとった。あ、伊勢ちゃんはオレより頑丈な体しとるから怪我せんかったし、普通に家まで歩いて帰っとったし、月曜日には普通に学校来とったから心配せんでも大丈夫やで」
「そうか。悪いことをしたな。会う機会はないだろうから、代わりに謝っておいてくれないか」
「まあ、あれは殴られても仕方ない雰囲気やったっぽいから……あんま気にせんといて。本人もトヨ兄ィに殴られたこと覚えとらんと思うし」
日曜日は色々とありすぎたからなあ。伊勢ちゃんに直接確認したわけやないけど、トヨ兄ィにぶっ飛ばされたことって伊勢ちゃんの記憶に残っとらん気がする。
この様子やとトヨ兄ィはオレを抱っこして放さなかったことも覚えとらんやろな。そう思ったものの、一応聞いてみることにした。
「そういえばトヨ兄ィって抱き癖でもあんの」
「抱き癖?」
「うん。テンコ姉さんに言われた通りにオレを抱っこしたら、その後何言っても全然放してくれんかったんやけど」
「……抱っこ……………………あっ」
妙に長い間をおいて、トヨ兄ィはやっと状況を理解したようやった。日曜日の記憶は全然なくても、記憶無くすくらい酔っ払った自分がそういうことをする心当たりはあるっぽい。表情は殆ど変化ないんやけど、かなり戸惑っとるような感じでオレに言ってくる。
「大林に何か変なことしたか」
「いや、単に抱っこして全然放してくれんかっただけやで」
オレがそう言うとトヨ兄ィは安心したように軽い溜息をついとった。
「ひょっとして、普段はあそこまで酔っ払うと抱っこ以外のこともすんのかいな」
そう聞くとトヨ兄ィは困ったようにオレを見た。
「誰彼構わずに抱きついたりしない。大林は多分、背格好があいつと同じくらいだから」
「同じくらいて誰……あ。ひょっとしてトヨ兄ィの彼女?」
トヨ兄ィはオレの質問には答えんかったけど、違うって言わんかったから彼女のことっぽいな。
なるほど。酔っ払っとったトヨ兄ィはオレを彼女やと思って抱っこしとったんか。
そらまあ、オレの背格好ってのは女子と間違えられやすい、お手ごろサイズやろなって自分でも思うけど……何となく納得いかん。というか何やイメージちゃうんやけど、トヨ兄ィって彼女と一緒におる時は結構ベタベタするタイプなんやろか。
「オレはただビックリしただけで、全然気にしとらんで。それより変なことって? 彼女には抱っこだけやのうて何や変なことしとるんか」
オレがそう聞いたらトヨ兄ィは苦笑を浮かべとった。
しもた。オレ、またアホな質問してもうたっぽい。皮肉とか不愉快にさせるつもりやなかったんで、すぐにオレは謝ってみた。
「ゴメンなあ、オレ、嫌味とかそういう意味で聞いたんやのうて、その、変なことってのはトヨ兄ィがそういう風に聞いてきたからで」
「わかっている。それより、大林にはさんざん迷惑かけたみたいだな……すまなかった」
トヨ兄ィはそう言うと、仕事中やからってそれ以上の会話を打ち切ってきた。何や誤魔化された気もするけど、確かに今は仕事中やから何時までも立ち話しとるわけにはいかんな。
せやけど……変なことって何やろ。閉店作業をしながら考えとるうちに、何となくそれがエッチなことって意味かもって思うようになった。抱っこしたまま、胸を触ったり、お尻触ったりすんのかな。
って、しもた。思わず痴漢のおっちゃんにケツ触られた時のことを思い出してもうた。うう、ちょっと思い出しただけなのに、腕に鳥肌立っとる。
痴漢のおっちゃんがオレにしてきたのはエッチそのものとは違うんやろうけど、きっとエッチする時もああいう感じで体ベタベタ触るんやろなあ。エッチしよて言ってくるアキちゃんは、ホンマにオレにああいうことしてもらいたいて思っとるんかな。
誰かとエッチするとなると、オレも誰かにああいうことをせなアカンのか。えー、それってイヤやなあ。それとも女子は相手が好きな人やったら、ああいう風に体触られても気持ち悪いとは思わんのかな。
アカン。考えれば考えるほどわけがわからなくなる。こればっかりは頭の中であれこれ考えても答は永遠に出そうにないな。
大きく溜息をついた後、オレはすぐ近くでシャッターを下ろしとるトヨ兄ィを見た。
トヨ兄ィは彼女おるんやし、伊勢ちゃんと違ってちゃんと彼女が好きで付き合っとる人やから、ちょっと話を聞いてみようかな。何時ものように会話止まってもうたら、それ以上は聞かんようにすればなんとかなるやろ。
タイムカードを押した後、ロッカールームで着替えとる時にオレはトヨ兄ィに聞いてみた。
「なあ、トヨ兄ィ。トヨ兄ィて彼女おるやんか」
「……ああ」
「トヨ兄ィみたいに、好きやて思える女子を彼女にしたら、自然にその子とエッチもしたいって思うもんなんかな」
トヨ兄ィは手を止めてオレをじっと見とった。いきなり聞いたらアカン話やったかな。
謝るにもきっかけが必要やったんでトヨ兄ィの反応を待っとると、少し間を置いたあとでオレに言葉を返してきた。
「個人差はありそうだが、普通はそうじゃないのか」
「ほな、エッチしてみたいて思えるようになるには、エッチしてもええかなって思えるくらいに好きになってみるのが一番簡単なんかな」
オレが続けて聞いてみたら、トヨ兄ィはちょっとズレたタイミングで「は?」と聞き返してきた。
オレはもう一回同じように言ってみる。そうしたらトヨ兄ィは可笑しそうに笑った。
「簡単どころか、それは一番難しい方法なんじゃないのか。単純に性欲だけを意識する方が簡単だろう。気分的に納得できない場合は多いと思うが」
うーん。オレには性欲を意識する方が難しいんやけどなあ。でもあれやな。トヨ兄ィみたいな人でも、エッチに関してはエッチしてもええってくらいの恋愛感情を持つより、ただエッチしてみたいて性欲だけを持つ方が早いやろって考えるんやな。
「……大林は随分変わった物事の捉え方をするんだな」
ロッカーを閉めたトヨ兄ィは、出口に向かいながらオレにそう言ってくる。
「誰かをそこまで好きになってみるというのは、頭で考えて実行できることじゃない」
「……そうなん?」
「好きだと思い込むことはできても、感情がそれに付いてくるとは限らないだろう。感情が付いてこないと、何時まで経っても相手を本気で好きだという実感が持てなくて、空しくなりそうだ」
トヨ兄ィはオレの予想以上に話に乗ってきてくれとる。こういう話題やと会話続かんかもって思っとったから、ちょっとビックリした。前にこの手の話題は苦手やて言っとったんは、単にオレとこういう話題で会話すんのに慣れとらんかっただけなんかな。蒼蝿水
店内と比べるとロッカーはかなり寒かったんやけど、建物の外はもっと寒かった。思わず身震いしてまうくらい冷たい空気で、こんな寒い中歩いて帰るのは面倒やなって真面目に考えてまう。さっさと家に帰って風呂入りたい。
せやけどオレはもう少しトヨ兄ィと話をしてみたかったんで、何時もの帰り道やのうて、トヨ兄ィが使っとる道を一緒に歩いてみた。トヨ兄ィは察知してくれたんか、オレが付いてきとる理由は聞いてこんかった。
「……あのな、トヨ兄ィ」
オレはトヨ兄ィにアキちゃんの件を話してみることにした。トヨ兄ィに話を聞いてもらえば、ちょっとは自分の考えを整理できるかもしれん。
「オレのことを好いてくれとる女子がおるって話を前にちょこっとだけしたやろ。オレ、その子が嫌いやないんやけど、彼女にしたいとかエッチしたいて意識は全然なくて……せやけど、はっきりとした理由がないのに断るのもアカンよなって意識もあって。それは多分罪悪感みたいなもんで、好きって感情とは全然別のもんなんやろうけど。前に違う人から告白された時にはそういうの感じんかったんよな。もしかして、オレはちょっとはその子のことを意識しとるんかな」
何やちっとも上手く説明できへんな。トヨ兄ィはオレがホンマに言いたいことをどんくらい理解してくれとるんやろ。
「試しに付き合ってみれば、無理に思い込まんでも今よりその子のことが好きになれるんのかな」
オレ、今の状態でアキちゃんと付き合ってもええんかな。エッチするかどうかは別として、試しに付き合ってみたら、アキちゃんを今より自然に好きやて意識できるんかな。今のオレが気になるのはそういうところなんよなあ。
トヨ兄ィは黙って歩いとったけど、しばらくするとオレの質問に答えてきた。
「大林は、実際にその子をどういう風に見ているんだ」
「どうって……多分、女友達って感じやと思う」
オレにはアキちゃんを彼女にしてみたいって意識はない。アキちゃんがオレを彼氏にしたいって意識があるだけや。ただ、アキちゃんは他の女友達とはどっか違う感じがするし、変に意識してもうて他の女友達ほど気楽に接することができん。せやからホンマにアキちゃんのことを友達として好きかどうかの自信もない。オレはそういう風に話してみた。そうしたらトヨ兄ィはオレにこう言ってきた。
「そういう状態から、恋愛感情に発展させるのは難しいと思うぞ」
「そうなん?」
「不可能かどうかはわからない。できる奴はあっさりできることなのかもしれない。でも俺は、最初から友達としてしか見れない相手をそれ以上に好きになるなんて絶対にできない」
トヨ兄はオレにそう言った。自分の話はあくまでも一つの意見に過ぎないから、恋愛経験がある他の奴にも同じように話を聞いてみればいいとも言ってくれた。
でも他に恋愛経験ある奴って言われてもなあ。伊勢ちゃんも金子ちゃんも、エッチした相手と少しでも恋愛をしとったって自覚は全然なさそうなんよな。オレの身近におる人で、トヨ兄ィ以外に恋愛経験ありそうな人って、他に誰かおったっけ?
そんなことを考えながら歩いとったら、歩道橋のところに来てもうた。まだトヨ兄ィと話したい気分やったけど、オレから出せる話題は打ち止めになったから、今夜はここまでにしとくか。トヨ兄ィがオレの話をここまで聞いてくれるってわかっただけでも十分やもんな。
「トヨ兄ィ、どうもおおきに。話をしたら、ちょっとだけ楽になった」
「……そうか」
「うん。ゴメンなあ、トヨ兄ィには何もおもろくない話ばっかしてもうて」
オレはトヨ兄ィに礼を言って歩道橋の下で別れた。
頭で好きやて思い込むことはできても、感情がそれに付いてこんと本気で好きやて実感は持てないかあ。確かに今の状態でオレがアキちゃんと試しに付き合ってみても、エッチしてみたとしても、オレの感情が今のまま変化なかったら、アキちゃんを彼女として好きやて認識すんのは難しそうやな。
ああそっか。伊勢ちゃんがまさにそういう状態やったんか。伊勢ちゃんは彼女と付き合うようになっても、その子とエッチをしても、感情が全然付いてこんかった。そんな調子やから、伊勢ちゃんは彼女の存在をエッチができればそれでええ、それ以外の付き合いは面倒やて思うようになってもうたんかもな。
相変わらず問題は何一つ解決しとらん。でも、そういうことに気を付けながらどうにかせなアカンなてのがわかっただけでも、今日は一歩前進したかも。 勃動力三体牛鞭
2012年5月23日星期三
Regarder vers le Ciel
何も苦労を知らずに育ったと、温室で純粋培養の存在だと、皆は言う。
それを否定するつもりはない。わざわざ否定するのが下らないという思いもあるし、己がぬるま湯に浸かっているという自覚もあるからだ。巨人倍増枸杞カプセル
別に自分だけがという訳ではない。大概の人間はぬるま湯のような安穏とした人生に身を浸している。
それは悪いことではない。寧ろそれが【普通】だ。
ある時、「善人も悪人にも差はなく、皆平等に幸せになる資格があるのだ」と何かの宗教信者が言った。
だが、そうだろうか。本当に人間に差はないのだろうか。
(ならば、何故オレたちは捨てられた――?)
【普通】の人間のように人生を謳歌することなんてできない、神の名に縋ることすら虚しくなるような日々。
どうやら神は、親に捨てられたような子供に掛ける慈悲は御持ちではないらしい。
だが、それで良い。
この屈辱を伴う忍従も、いっそ舌を噛み切ってしまいたくなるほどの絶望も憎しみの炎を燃やす為の糧だ。
時が経てば痛みは薄れるだろうが、卑しいこの身には時の安らぎなど必要ではない。
『わたくしに逆らってどうなるというの?』
『………………』
『お前はわたくしに従い、今の生活を守っていれば良いのよ』
(……守る? 今更何を?)
絶望とも知れない苦く冷たいものが胸の奥から込み上げてきた。それと共に奇妙な衝動も一つ。
気付けば、笑っていた。
己を嘲笑うように、下らない人生を莫迦にするように、酷く歪に笑んでいた。
『どうせ守れやしないんだ。本当に大切なものなんて』
この世に存在する全てを価値のないものだと思う努力をした。
全てを客観的に見れば何があっても乱されず、冷静でいられる。何に対しても無情であれば、きっともう傷付かずに済む。全てを無価値だと思う努力をし、自分以外の全てを己の世界から切り取る作業をこなしつつ、暖炉上の壁に飾られていたサーベルを掴む。
『ど、どうして? 綺麗なお洋服を毎日着せているし、美味しい食べ物も、素敵な宝石も与えているわ。何よりもわたくしの愛をあげているのに、お前は何が不満だというの……?』
『オレはあんたの人形じゃない』
尚も人形と称されるならそれでも良い。ならば、自分の進んだ道を【人生】ラヴィなどと大層な名で呼ばずに済む。
そうして――自分以外で初めて害したのは、自分を侍童として買った貴族の女だった。
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*
朝目覚めると頭痛が酷かった。
吐き気と目眩をも伴うそれは何かの病の兆候ではと疑われてしまうが、体調不良というよりは精神的ものからくる病と言った方が良い偏頭痛だ。
夢見が悪く、きちんとした睡眠が取れていなかったからだろう。
そういうこと、にして掛かり付けの医者でかつ従者である男に特に相談せず、午前は大人しく過ごした。
世の中の全てに対して価値を置いてない彼の趣味は少ない。
美しい芸術や花を見ても、素晴らしい演劇や歌を聴いても、麗しい淑女を前にしても、美酒美食で持て成しを受けたとしても、彼の冷たい表情を動かせることはない。
辛うじて趣味と言えるのは読書と、飼い犬たちと戯れること、か。
屋敷には図書室ライブラリーがあり、一生掛かっても読み尽くせないだろう量の蔵書がある。
可愛い挿絵が描かれた絵本から、低俗なロマンス小説、心理学権威の著者、果ては【下界】カノーヴァの遺産とも言える繁栄時代の文献……。習い事のない日は紅茶を傍らに本を読んで過ごす。
彼は暇を見付けては飽くことなく本を読み漁る本の虫だ。
そんな生活ばかりをしているから社交能力が益々欠如するのだと、顔の皮の厚い従者は苦言を漏らすけれど、妙な趣味を持つよりは余程マシだと本人は思っている。
だが、毎日毎日そういった趣味に興じていられもしない。
上に立つ者には上に立つ者の義務――所謂、貴族の責務ノブレス・オブリージュというものがある。だからどんなに苦痛であっても社交場へは出るし、家からも出て行かない。
(……そろそろ行こうか)
誕生日に父から贈られた懐中時計を仕舞い、読み掛けの本を棚へ戻す。
それから銀色のカフスボタンの袖を止め、椅子の背に預けていたフロックコートをウエストコートの上に引っ掛けると、彼は図書室を後にした。
屋敷の離れのここへは使用人たちもあまり訪れない。ここはある種の逃げ場所のようなものである。
図書室から続く廊下を進み、ティーサロンに足を運んでみる。するとそこには、ビスクドールのように装飾過多なライラック色のドレスを着た少女と、銀縁眼鏡を掛けた白衣の男がいた。
「――エリーゼ、ジルベール先生」
壁紙から絵画、テーブルとチェスト、長椅子、絨毯、花瓶といった家具・調度品の全てを白と紺青と金の色調で品良く纏められた小広間プチ・サロン。所々に活けられている薔薇はこの屋敷の庭で咲いたものだ。
「お兄様!」
「エリーゼ、寝ていないと駄目だろう」
胸に飛び込んできた小さな身体を受け止めながら、ヴァレンタイン小侯爵――ルイスは紫色の目を眇める。
その視線の先には貴族の邸宅で浮きまくっている、何とも胡散臭い白衣の男がいる。
このサロンの階下を使用人室として使っている男を、ヴァレンタイン家の兄妹は従者としてではなく先生――家庭教師のようなもの――として慕っている。
基本的に主と使用人は必要最低限の会話しか交わしてはならない。それはこの家に限ったことではなく、由緒のある家であればあるほどその規律は厳しい。そうした決まりから、大概の使用人は自分から口を開くことはない。だが、ヴァレンタイン小侯爵付きの従者で主治医でもあるこのジルベール・ブラッドレーという男は他の使用人とは一線を引く存在だった。
病弱故に外の世界をあまり知らないエリーゼはこの気侭な従者のする話を大層好む。
きっとベッドに横になっていることがつまらなくなって抜け出してきたのだろうなと察しつつ、それでも患者を部屋に戻そうともしない医者をルイスは睨まずにはいられない。
「オレも戻るからエリーゼも部屋に戻ろう」
「……お兄様、何処かへ行かれるの?」
ぴたりと胸に張り付いたエリーゼは、フラックの裾を握り締めながらルイスを見上げた。
病に臥せる中で培った観察眼は大したものだ。隠しても無駄だと知るルイスは素直に白状した。
「昔、世話になった人の墓参りだよ」
「わたしも行っちゃ駄目?」
「まだ風邪が治ってないだろう。今日は寒いから家にいるんだ」
頭を撫でてやりながらそれとなく額に手を当てると、まだ熱っぽいことが分かった。
「じゃあ、元気になったら遊んでくれる?」
「薔薇園へ散歩でも、カフェでショコラ・ショーを飲むのでも付き合うよ」
「ピアノの連打も?」
「それこそ易い用だ」
「約束だよ」
「……ああ、約束だ」
白い頬を薔薇色に染めるエリーゼの髪をくしゃりと撫でてやると、ルイスは振り返らずに命じる。
「喉が痛んでいるようだから、蜂蜜を落とした薔薇茶を後で部屋に運んでくれ」
「畏まりました。すぐに用意致します」
一礼するとジルベールは先にサロンを出る。性格に多少の難はあるが、優秀な従者の背を見届けたルイスはドレスの裾が乱れないように注意しながらエリーゼを抱き上げた。
ルイスもあまり身体が強いとは言えない方だが、年下の少女を抱き上げられないほど虚弱な訳でもない。RU486
空気の綺麗な場所で滋養のあるものを食べて、安静に心穏やかに暮らせば、天から与えられた寿命は真っ当できるだろうと医者からは言われている。
けれど、エリーゼは違う。月の半分をベッドの上で過ごさねばならないほどに身体が弱い。
大した距離でもないのにわざわざ抱き上げて運ぶのは彼が過剰な妹想いという訳ではなく、過保護にならざるを得ないからだ。
まるで人形のように大人しく抱かれているエリーゼは羽根のように軽い。
そんな九歳年下の妹にルイスが持つ感情は複雑だ。
『まあ、ルイシス様とエリーシャ様は今日も仲が良くてらっしゃるわね』
『これなら旦那様も安心でしょうね』
今日も下世話な話が聞こえくる。
エリーゼは気にしない性質なのか、それとも純粋さ故に気付いていないのか、何ともない顔をしているが、ルイスは自分の胸の軋む音を聞く。
(エリーゼは何処まで分かっているんだろう……)
血の繋がりのない妹、、、、、、、、、は良く懐いてくれていた。
自分を本当の兄だと思っているのだろうか。いや、そんなことはない。この屋敷にいる者全てがルイスがヴァレンタイン家の本当の子供でないことを知っている。
ルイスは九年前――もうすぐで十年前になる――この家に貰われてきた養子だ。
(オレがあんたたちの幸せを崩しているのを知っているのか?)
養子として貰われて一年もしない内に夫妻に子供が産まれた。それが今年で九歳になったエリーゼだ。
口に出して言われはしないが、ルイスは薄々感じている。
実子に家を継がせたいと思うのは当然のことだ。
引き取られただけで有り難く思っているルイスは例え廃嫡にされたとしても文句は言わない。それでもヴァレンタイン夫妻は世間的もあるからルイスに家を継がせるだろう。
だが、古くから続く名家の血を絶やす訳にはいかない。
悪い噂を立てず、またヴァレンタイン家の血を残す為にルイスとエリーゼを結婚させるのではないかという使用人たちの話は常に聞こえてきた。
この世界の法律では、養子になった子供とその家の子供が結婚してはならないということはない。
普通、貴族ならば何の利益にもならない結婚はしない。従兄弟同士や恋愛結婚といった相互利益に繋がらない婚儀は行わない。
だが、ルイスが養子に貰われたことによって――いや、エリーゼが産まれたことによって全ては変わった。
もしも、妹がいなければルイスは普通の貴族の型に則って良家の娘を婚約者に迎えることになっただろう。
愛情と利益は両立しないと分かりながらも偽りの愛を囁き、政治的に結ばれる。そんな貴族の結婚をした。
(……いや、どうだって良い)
他に好きな相手がいる訳でも、またエリーゼが嫌いな訳でもなかった。
異性として愛せるかは別として――まだ九歳の少女で、仮にも妹にそんな感情を抱く方が難しい――家族としての情は一応ある。将来もし子供ができたら、その子がこの家を継げば良いとも思う。自分の立場を養子というよりは入り婿のようなものかと認識すれば、辛くもない。
ルイスは、自分の人生が好き勝手に動かされることを面白くないとは思わなかった。
引き取られた家で上手くいかない子供なんて巨万といる。どんなに厳密な調査が行われ、里親として適していると判断されても、人の心はそう簡単に図れるものではないし、変わらない訳でもない。
(どうなろうが知ったことじゃない)
過去に世界の全てに期待も希望も持たず、自分の感情を自閉しようとする努力をしたことから、ルイスは人間的感情が欠如してしまっていた。
いや、そう言うと機械人間のように取られてしまうか。欠如しているというよりも、酷く薄いのだ。
美しいものを美しいと思えず、美味を美味と感じることができず、何よりも自分自身に価値を置かない。誰もが羨むような白皙の容貌でさえも彼の自信にはならず、寧ろ苦痛のようになっていた。
「じゃあ、オレは行くよ」
「気を付けて行ってきてね!」
後のことを小間使いレディーメイドと自らの従者ヴァレットに任せたルイスは颯爽と踵を返す。
扉が閉じる前に、エリーゼがまた身を乗り出しているのを感じながらも振り返りはしない。
ルイスは基本的には優しい兄だが、敢えて突き放す厳しい部分も持ち合わせている。
容姿が良いだけで世の中全てが思い通りになると思わせては駄目だ。それに、変な期待をされても困る。
二階の長い廊下を歩いて行き、エントランスへ出る。二階に登る大階段を左右に持つ広間は巨大なシャンデリアに照らされ、落ち付いた色調の絨毯が敷き詰められている。
一階グラウンドフロアの玄関ホールの扉の前では、従僕フットマンが既に支度をして控えていた。
そうして階段を早足で降りて行き、一階の床に靴底が触れた時、ふと真横に視線を感じてそちらを見る。
そこにいたエリーゼと同じ淑やかな紅藤色のドレスを纏った妙齢の女性は、ルイスの義理の母親だった。
「ルイシス、今日は習い事はないと思いましたが何処へ行くのです?」
「昔世話になった夫妻の命日なので墓参りへ行こうと思ったのですが……、お母様が不快に思うのでしたら行きません」
「不快だなんてそんなことはありません。アデルバート様とエレン様は貴方を立派に育てて下さった方ですもの。わたくしやお父様に遠慮などせず、いってらっしゃい」
「有難う御座います、お母様」
淡く微笑む侯爵夫人の前で、ルイスも夫人と似た極淡い笑みを浮かべる。
一見すると何とも仲の良い親子だ。
しかし、ルイスのアマランサスの瞳の焦点は侯爵夫人のハイドランジアの瞳と合わさっていなかった。
「では、お花を用意させなければなりませんね」
「いえ、街の花屋で調達して行きますので」
今から用意をさせれば時間が掛かるし、何よりも気取った花束になってしまうだろう。
以前の両親が愛したささやかな花を供えたいと思っているルイスはやんわりと断る。すると侯爵夫人は瞳を曇らせ、悲しい顔をした。
「私はお父様とお母様に貰われて、今こうして生かして貰えているだけで感謝し足りないほどに感謝しているんです。だから、どうかお気遣いなく」
エリーゼと同じ紫陽花色の瞳を直視することができない。
指先が凍え、きりきりと胃が痛んだ。
……大事な時ではなく、こういう時にこそ意識を失えたら良いのに。
そんな不誠実なことを願いながら沈黙に耐えていると、白百合の香水がすぐ近くで香った。
初めて会った時は目上にあった顔が今は目下にある。ルイスは目蓋を伏せ、吐息を震わせた。
「気を付けて行ってらっしゃい。陽が暮れる前に帰ってくるのですよ」
侯爵夫人はそうして肩にそっと手を置く。敢えて何も言わないことが、義母ヴィオレーヌの優しさだった。
「はい、分かりました」
短く応え、従僕から外套とトップハットを受け取ったルイスは屋敷を出た。
貴族といっても成り上がり者に等しいルイスは外出の際、従者を従えて歩くようなことはしない。彼は日常生活の一通りのことは自分ででき、また己が身を守る術も身に付けていた。
(また酷いことを言ってしまった……)
淡々と告げはしたが、酷いことを言ったという自覚は本人にあった。
あんなに優しくしてくれるのに、ルイスはヴァレンタイン侯爵夫妻を本当の両親とは思えない。ここへ引き取られてもう十年近くが経つのに、ルイスにとって侯爵夫人は【義母】ではなく、【侯爵夫人】だ。
本当の両親はここへくる前に世話になった夫妻だけだった。
「アデルバート様、エレン様……」
両親が――取り分け母が好きだったカーネーション。母はささやかな花が好きな人だった。
侯爵夫人は白百合スノークイーンやダリアスノーボールといった艶やかな花を好み、また自身も雅であるので正反対だ。
どちらも身寄りのない自分を引き取ってくれた優しい人たちである。
それなのに比較をしてしまうような自分にうんざりしながらルイスは墓前に佇んでいた。
ルイスを施設から引き取ってくれたのは、上層部【レミュザ】に暮らす裕福な夫妻だ。
子供ができなかった訳ではないらしい。ただ、上層部の【組織】に属するという危うい立場から、【守るべき存在】――弱みとも言う――を作らない為に子供を持たなかった夫妻だと聞いた。中絶薬
そんな夫妻が何故ルイスを引き取ったのか。それは、施設に顔を出す度に皆の輪から外れて二人でいる兄弟に情が移ってしまったからだ。
母は哀れみや同情ではなく、「家族は大勢の方が楽しい」なんて気楽なことを言ってルイスとその兄に手を差し伸べた。父は温厚な人で、弾けたところのある母に押されがちだったけれど、いざという時には固い信念を垣間見せる強い人だった。
自分は常に一歩下がったところから皆を見守っているような大人の男。そんな父をルイスは尊敬していた。
いつまでも続くと思われた平和な時。
それが崩れたのは十一月も終わりに近付いた、とても寒い日だった。
『ほら、暖かくして行きなさい』
『有難う、母さん』
マフラーを肩に掛けてくれる母の優しさに胸が暖かくなりながら家を出る。
庭に出ると、こんな寒空だというのに兄と父がキャッチボールをしていた。二人はすぐにルイスに気付く。
『ルイ! 今日もヴァイオリンだっけ?』
『うん。あと、図書館でも見てこようかと思って』
身体が弱い弟と違って兄は健康体だった。
ルイスも兄のように外を駆け回りたいと思いはするものの、妬んだことはない。
兄は兄、自分は自分という思いがあるからだ。
双子は二人で一つのような認識を持たれることが多いけれど、当人からすれば不本意極まりない。心外だ。
だから、兄と自分が対照的であって構わないとルイスは思っていた。
『そういえば例のやつだけど……、適当な時間になったら図書館にきてくれないかな』
『分かってるって! そうだなあ……、三時間くらいしたらライブラリーカフェの入り口で』
『くれぐれも父さんに感付かれないでよ。兄さん、嘘下手なんだから』
ボールを取りに行っていた父はこそこそと内緒話をする双子を疑問に思い、やってくる。
長身の影がすぐ近くに射したことで二人は慌てて離れた。
『二人とも、何の相談をしてるんだい?』
『父さんには内緒』
『父さんには秘密』
『ふうん……?』
深い森の奥で滾々と湧く泉のように深く澄みきった琥珀色の瞳。その双眸に見つめられると心を見透かされているようで、隠し事をする罪悪感が出てきてしまう。
けれど、今回は折れる訳にはいかない。
来月の一日は両親の結婚記念日だ。
引き取られて三年が経ち、すっかり夫妻の本当の子供のようになった二人は両親に贈り物をしようと密かに考えていた。
甘いものを好むということ以外、これといった共通点がない二人が共に出掛ければ聡い父は何かに気付くかもしれない。幼いながらに知恵を巡らせた二人はそうしてばらばらに外出をすることにした。
『あ……、遅刻するからもう行くね』
『ああ、そうだね。先生に私が宜しく言っていたと伝えてくれ』
『うん、分かった』
家族皆に送り出されて、父の懇意である音楽家にヴァイオリンを教えて貰う。そうして三時間後、図書館に併設されたカフェへルイスは向かった。
兄は幾ら待ってもやってこなかった。
ずぼらな兄だ。また道草をしているのだろうと思い、三十分は待つ心のゆとりがあった。
だが、一時間が経っても兄はこない。連絡を入れても反応がない。
流石に可笑しいと帰宅したルイスが見たものは、惨殺された両親や使用人と、辛うじて息のある兄。
一面真っ赤だった。それ以外のことをルイスはあまり覚えていない。
いや、覚えていないというのは語弊があるか。その記憶は確かにあるが、まるで他人事みたいなのだ。
あの悲劇の内容を思い出し、他人に話す時でさえルイスはあまり悲しくは思わない。他人の映った写真を見ているような奇妙な違和感しか感じない。
ジルベールにそのことを相談すると、過剰適応の一種で心が防衛の為にそうしているのだと言われた。
(オレがあの時、壊れたからじゃないのか……)
あの事件の後、色々とあった。ルイスはその中で自分が壊れていくのを静かに感じていた。
無感動になったのも、心を押し込めたのも全ては自分で望んだこと。
たった十年前のことだというのに、両親の墓前に立っても涙一つ流せない自分を【人形】だと思った。
「――――――」
首筋に、冷たい視線を感じた。
その瞬間、恐怖に弾かれたように殆ど本能的に思い切り後ろを振り返った。
目に入ったのは金髪の若者。人間を誑かす為に作られたような整い過ぎた顔には微笑がある。
「やあ、お久し振り」
「……ヴィンセント・ローゼンハイン」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
それでも尚、頭半分ほど上にある顔には笑みが浮かんでいる。ルイスは金髪の悪魔――ヴィンセント・ローゼンハインを睨んだ。
珍しいことに、金髪の悪魔は年若い少女を連れていた。
蜂蜜色の長い髪をポニーテールにしている。眉を隠すように伸ばされた長めの前髪から覗くのは極淡い空色の双眸。ホワイトブラウスに黒襟がベルベットの紅茶色のベストとタイトスカートを合わせている姿はいかにも給仕といった風だ。
ヴィンセントの女の趣味は知らないし興味もないが、らしくないと思った。
派手で自信に満ち溢れた男が連れ歩く女にしては少女は影が薄く、地味だった。これではアクセサリー代わりにもならないだろう。もしや引き立て役として連れているのか。
毒を吐きながら、ルイスは少女を突き飛ばした。
この金髪の悪魔は長らく封じ込められていた激情を呼び起こしてくれる貴重な存在だ。普段温厚なルイスもヴィンセントを前にすると抑えきれない嫌悪から毒を吐きたくなる。
レヴェリーがこないだろうことは知っていた。それでもヴィンセントから指摘されると癪で仕方がない。
ルイスは可能な限りの安い毒を吐くと、金髪の悪魔と少女に背を向けた。
最悪の墓参りだった。
ルイスは確かにヴァレンタインの人間だ。周囲の認知だけでなく、戸籍上でもそれは事実である。
だが、本人の心まではそうはいかない。ルイスはヴァレンタインに自分の居場所が見付けられないでいた。
前の夫妻と過ごした三年の倍以上の月日を過ごしながらも、ヴァレンタイン夫妻に心を開けない。
人間は年を取ると色々と考えてしまうようになる。それは世間体だったり自らの保身だったり。必ずしもそれだけではないのだが、ルイスは今の両親に寄り掛かることができなかった。
家庭教師を屋敷へ招き学ぶことが貴族の一般とされる中でルイスがわざわざ下町へ学びに行くのは、自分が高尚な立場ではないという自覚があるからと、屋敷から離れたいという思いがあるからだ。
ヴァレンタインの皆は良くしてくれる。実際、自分は恵まれているとルイスは思う。
けれど、息苦しくて堪らなくなる。
逃げてばかりで停滞していても向上はないと理解していた。
それでも胸が潰れてしまいそうでルイスは逃げた。
習い事で出掛けた日は決まって寄り道をした。陽が暮れ、空に星々が輝く頃に帰った。
流石にヴァレンタイン夫妻も気付いているだろうが、何も言われないのでルイスは依然と不良をやっている。そんな中で何故か【不良仲間】ができた。
「こんな公園の景色を見ていて楽しいのか?」
「楽しいですよ。今日は空の色が綺麗です」
嫌味を言うでもなく、ただ純粋に。
涙で編んだような空と例えても良さそうな極々淡い空を、勿忘草色の双眸が飽くことなく見つめている。
世間知らずという訳ではないが何処かぼんやりとしていて、押しが弱くて、人に利用され易そうなこのクロエという少女は、ヴィンセントとレヴェリーがいる喫茶店【Jardin Secret】で働いているらしい。
……いや、働かされている、だろうか。
自主的に働いているというよりも寧ろ、弱みを握られて扱き使われていそうな節がある。
文句や不満は何一つ零さないもののクロエは疲れきっているように見えた。
「ヴァレンタインさんはヴァイオリンをお弾きになるんですよね?」
「嫌だ」
「ま、まだ何も言ってませんよ!?」
「キミの言いそうなことは大体分かった。弾けとか言うんだろ?」
「そうですけど……」威哥王
「だから嫌だと言った。大道芸人じゃあるまいし公衆の面前で弾くなんて御免だ」
「……済みません……」
言葉のぎこちなさも相俟ってきつい言い方をするルイスに、クロエは思わず首を竦める。
普段からジルベールという理屈をこねくり回して人の神経を逆撫でるような男を相手にしているルイスは口が悪い。苛烈な気性というかは防衛本能のようなもので、必要以上に人を突き放してしまう癖がある。
暴言を吐く相手があの金髪の悪魔ならば微塵も罪悪感を感じない。
しかし、自分と同じか若しくは年下かもしれない気が弱い少女が相手だと、流石に調子が狂う。
「聴かせるほど上手い訳でもないんだ」
「趣味ではないんですか?」
「趣味というか……貴族の嗜みの一つみたいなものかな」
芸術を美しいと感じないルイスにとって当然音楽も色褪せたものにしか映らない。
あの事件が起きるまでは趣味の一つではあった。休みの日は良く両親と合奏した記憶がある。
あの日、出掛けなければ。
そうすれば無様に生き残るなんてことはしなかっただろうと、良く考える。
ヴァレンタイン夫妻は知らないが、ルイスにとってヴァイオリンを奏でるのは過去を反芻するということだ。
ルイスは自分だけが傷も負わずに生き残ったことに自責を覚えている。
虚無的ニヒリズムだと言われるかもしれないが、あの日【自分】は死んだもののようだと思っていた。
「体面とか仕来りとか責務とか。貴族は面倒臭い」
「でも、貴族じゃなくても体面は気にしますよね」
「そうだね。大人はそんなものだよ」
「大人……。あの、失礼ですがお幾つですか?」
「十八だけど。キミは?」
「…………ご想像にお任せします」
ミステリアスな雰囲気を作る為にそう言ったのではなく、本当に年齢を言いたくなさそうな顔色だった。
前髪に隠されるようにした睫毛が震えている。
(訊き返すのは不味かったかな……)
女性に年齢を訊ねるのはやはり不味かったか。己の配慮のなさを呪いながらルイスは瞼を伏せる。
二人はそれほど仲が良い訳ではない。寧ろ世間的に見れば、冷えきっている方だと思う。
迷い犬の飼い主を探し、こうして数度話しただけで友情が芽生える訳がない。二人の関係は【友人】ではないのだから、【知人】と例えるべきだろうか。
会話が途切れることなど始終だ。そんな気まずさを味わいながらもこうしていたのは、互いに【同族】という存在に慰められていたからか。
「そろそろ帰ったら?」
「そうですね」
味気ないけれど、クロエらしい――受動的人物らしい返事。
過剰な馴れ合いを好かないルイスはその答えを寧ろ好ましく思いながら、席を立つ。
この調子だとどちらかが席を立つまでずっとこうしているだろうから、いつも自分が率先して去る。
「さよならサリュ」
「お気を付けてフェット・ザタンシオン」
普段はジャイルズ人の言葉を使っているはずだった。それなのに返ってきたのはシューリス語だ。
思わずきょとんとするルイスの珍しい反応を見て、クロエは不安そうに訊ねる。
「……あの、もしかして間違ってましたか?」
「いや、合ってる。――キミも気を付けてヴー・ゾスィ」
自分の話す言葉を理解してくれるということに快い衝撃を受けながらも、それはおくびにも出さずに返した。
【クレベル】と【ロートレック】を分かつ検問をいつものように抜けながらルイスは考える。
自負心の強いシューリス人の気質を嫌う者が多いというのにクロエは珍しい人物だ。
正確にはルイスもシューリス人ではないが、貴族以外の相手から皮肉もなく返された言葉には衝撃を受けた……というよりも、そんな些細なことで動く心がまだ存在したことに驚いたのだ威哥王三鞭粒。
それを否定するつもりはない。わざわざ否定するのが下らないという思いもあるし、己がぬるま湯に浸かっているという自覚もあるからだ。巨人倍増枸杞カプセル
別に自分だけがという訳ではない。大概の人間はぬるま湯のような安穏とした人生に身を浸している。
それは悪いことではない。寧ろそれが【普通】だ。
ある時、「善人も悪人にも差はなく、皆平等に幸せになる資格があるのだ」と何かの宗教信者が言った。
だが、そうだろうか。本当に人間に差はないのだろうか。
(ならば、何故オレたちは捨てられた――?)
【普通】の人間のように人生を謳歌することなんてできない、神の名に縋ることすら虚しくなるような日々。
どうやら神は、親に捨てられたような子供に掛ける慈悲は御持ちではないらしい。
だが、それで良い。
この屈辱を伴う忍従も、いっそ舌を噛み切ってしまいたくなるほどの絶望も憎しみの炎を燃やす為の糧だ。
時が経てば痛みは薄れるだろうが、卑しいこの身には時の安らぎなど必要ではない。
『わたくしに逆らってどうなるというの?』
『………………』
『お前はわたくしに従い、今の生活を守っていれば良いのよ』
(……守る? 今更何を?)
絶望とも知れない苦く冷たいものが胸の奥から込み上げてきた。それと共に奇妙な衝動も一つ。
気付けば、笑っていた。
己を嘲笑うように、下らない人生を莫迦にするように、酷く歪に笑んでいた。
『どうせ守れやしないんだ。本当に大切なものなんて』
この世に存在する全てを価値のないものだと思う努力をした。
全てを客観的に見れば何があっても乱されず、冷静でいられる。何に対しても無情であれば、きっともう傷付かずに済む。全てを無価値だと思う努力をし、自分以外の全てを己の世界から切り取る作業をこなしつつ、暖炉上の壁に飾られていたサーベルを掴む。
『ど、どうして? 綺麗なお洋服を毎日着せているし、美味しい食べ物も、素敵な宝石も与えているわ。何よりもわたくしの愛をあげているのに、お前は何が不満だというの……?』
『オレはあんたの人形じゃない』
尚も人形と称されるならそれでも良い。ならば、自分の進んだ道を【人生】ラヴィなどと大層な名で呼ばずに済む。
そうして――自分以外で初めて害したのは、自分を侍童として買った貴族の女だった。
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*
朝目覚めると頭痛が酷かった。
吐き気と目眩をも伴うそれは何かの病の兆候ではと疑われてしまうが、体調不良というよりは精神的ものからくる病と言った方が良い偏頭痛だ。
夢見が悪く、きちんとした睡眠が取れていなかったからだろう。
そういうこと、にして掛かり付けの医者でかつ従者である男に特に相談せず、午前は大人しく過ごした。
世の中の全てに対して価値を置いてない彼の趣味は少ない。
美しい芸術や花を見ても、素晴らしい演劇や歌を聴いても、麗しい淑女を前にしても、美酒美食で持て成しを受けたとしても、彼の冷たい表情を動かせることはない。
辛うじて趣味と言えるのは読書と、飼い犬たちと戯れること、か。
屋敷には図書室ライブラリーがあり、一生掛かっても読み尽くせないだろう量の蔵書がある。
可愛い挿絵が描かれた絵本から、低俗なロマンス小説、心理学権威の著者、果ては【下界】カノーヴァの遺産とも言える繁栄時代の文献……。習い事のない日は紅茶を傍らに本を読んで過ごす。
彼は暇を見付けては飽くことなく本を読み漁る本の虫だ。
そんな生活ばかりをしているから社交能力が益々欠如するのだと、顔の皮の厚い従者は苦言を漏らすけれど、妙な趣味を持つよりは余程マシだと本人は思っている。
だが、毎日毎日そういった趣味に興じていられもしない。
上に立つ者には上に立つ者の義務――所謂、貴族の責務ノブレス・オブリージュというものがある。だからどんなに苦痛であっても社交場へは出るし、家からも出て行かない。
(……そろそろ行こうか)
誕生日に父から贈られた懐中時計を仕舞い、読み掛けの本を棚へ戻す。
それから銀色のカフスボタンの袖を止め、椅子の背に預けていたフロックコートをウエストコートの上に引っ掛けると、彼は図書室を後にした。
屋敷の離れのここへは使用人たちもあまり訪れない。ここはある種の逃げ場所のようなものである。
図書室から続く廊下を進み、ティーサロンに足を運んでみる。するとそこには、ビスクドールのように装飾過多なライラック色のドレスを着た少女と、銀縁眼鏡を掛けた白衣の男がいた。
「――エリーゼ、ジルベール先生」
壁紙から絵画、テーブルとチェスト、長椅子、絨毯、花瓶といった家具・調度品の全てを白と紺青と金の色調で品良く纏められた小広間プチ・サロン。所々に活けられている薔薇はこの屋敷の庭で咲いたものだ。
「お兄様!」
「エリーゼ、寝ていないと駄目だろう」
胸に飛び込んできた小さな身体を受け止めながら、ヴァレンタイン小侯爵――ルイスは紫色の目を眇める。
その視線の先には貴族の邸宅で浮きまくっている、何とも胡散臭い白衣の男がいる。
このサロンの階下を使用人室として使っている男を、ヴァレンタイン家の兄妹は従者としてではなく先生――家庭教師のようなもの――として慕っている。
基本的に主と使用人は必要最低限の会話しか交わしてはならない。それはこの家に限ったことではなく、由緒のある家であればあるほどその規律は厳しい。そうした決まりから、大概の使用人は自分から口を開くことはない。だが、ヴァレンタイン小侯爵付きの従者で主治医でもあるこのジルベール・ブラッドレーという男は他の使用人とは一線を引く存在だった。
病弱故に外の世界をあまり知らないエリーゼはこの気侭な従者のする話を大層好む。
きっとベッドに横になっていることがつまらなくなって抜け出してきたのだろうなと察しつつ、それでも患者を部屋に戻そうともしない医者をルイスは睨まずにはいられない。
「オレも戻るからエリーゼも部屋に戻ろう」
「……お兄様、何処かへ行かれるの?」
ぴたりと胸に張り付いたエリーゼは、フラックの裾を握り締めながらルイスを見上げた。
病に臥せる中で培った観察眼は大したものだ。隠しても無駄だと知るルイスは素直に白状した。
「昔、世話になった人の墓参りだよ」
「わたしも行っちゃ駄目?」
「まだ風邪が治ってないだろう。今日は寒いから家にいるんだ」
頭を撫でてやりながらそれとなく額に手を当てると、まだ熱っぽいことが分かった。
「じゃあ、元気になったら遊んでくれる?」
「薔薇園へ散歩でも、カフェでショコラ・ショーを飲むのでも付き合うよ」
「ピアノの連打も?」
「それこそ易い用だ」
「約束だよ」
「……ああ、約束だ」
白い頬を薔薇色に染めるエリーゼの髪をくしゃりと撫でてやると、ルイスは振り返らずに命じる。
「喉が痛んでいるようだから、蜂蜜を落とした薔薇茶を後で部屋に運んでくれ」
「畏まりました。すぐに用意致します」
一礼するとジルベールは先にサロンを出る。性格に多少の難はあるが、優秀な従者の背を見届けたルイスはドレスの裾が乱れないように注意しながらエリーゼを抱き上げた。
ルイスもあまり身体が強いとは言えない方だが、年下の少女を抱き上げられないほど虚弱な訳でもない。RU486
空気の綺麗な場所で滋養のあるものを食べて、安静に心穏やかに暮らせば、天から与えられた寿命は真っ当できるだろうと医者からは言われている。
けれど、エリーゼは違う。月の半分をベッドの上で過ごさねばならないほどに身体が弱い。
大した距離でもないのにわざわざ抱き上げて運ぶのは彼が過剰な妹想いという訳ではなく、過保護にならざるを得ないからだ。
まるで人形のように大人しく抱かれているエリーゼは羽根のように軽い。
そんな九歳年下の妹にルイスが持つ感情は複雑だ。
『まあ、ルイシス様とエリーシャ様は今日も仲が良くてらっしゃるわね』
『これなら旦那様も安心でしょうね』
今日も下世話な話が聞こえくる。
エリーゼは気にしない性質なのか、それとも純粋さ故に気付いていないのか、何ともない顔をしているが、ルイスは自分の胸の軋む音を聞く。
(エリーゼは何処まで分かっているんだろう……)
血の繋がりのない妹、、、、、、、、、は良く懐いてくれていた。
自分を本当の兄だと思っているのだろうか。いや、そんなことはない。この屋敷にいる者全てがルイスがヴァレンタイン家の本当の子供でないことを知っている。
ルイスは九年前――もうすぐで十年前になる――この家に貰われてきた養子だ。
(オレがあんたたちの幸せを崩しているのを知っているのか?)
養子として貰われて一年もしない内に夫妻に子供が産まれた。それが今年で九歳になったエリーゼだ。
口に出して言われはしないが、ルイスは薄々感じている。
実子に家を継がせたいと思うのは当然のことだ。
引き取られただけで有り難く思っているルイスは例え廃嫡にされたとしても文句は言わない。それでもヴァレンタイン夫妻は世間的もあるからルイスに家を継がせるだろう。
だが、古くから続く名家の血を絶やす訳にはいかない。
悪い噂を立てず、またヴァレンタイン家の血を残す為にルイスとエリーゼを結婚させるのではないかという使用人たちの話は常に聞こえてきた。
この世界の法律では、養子になった子供とその家の子供が結婚してはならないということはない。
普通、貴族ならば何の利益にもならない結婚はしない。従兄弟同士や恋愛結婚といった相互利益に繋がらない婚儀は行わない。
だが、ルイスが養子に貰われたことによって――いや、エリーゼが産まれたことによって全ては変わった。
もしも、妹がいなければルイスは普通の貴族の型に則って良家の娘を婚約者に迎えることになっただろう。
愛情と利益は両立しないと分かりながらも偽りの愛を囁き、政治的に結ばれる。そんな貴族の結婚をした。
(……いや、どうだって良い)
他に好きな相手がいる訳でも、またエリーゼが嫌いな訳でもなかった。
異性として愛せるかは別として――まだ九歳の少女で、仮にも妹にそんな感情を抱く方が難しい――家族としての情は一応ある。将来もし子供ができたら、その子がこの家を継げば良いとも思う。自分の立場を養子というよりは入り婿のようなものかと認識すれば、辛くもない。
ルイスは、自分の人生が好き勝手に動かされることを面白くないとは思わなかった。
引き取られた家で上手くいかない子供なんて巨万といる。どんなに厳密な調査が行われ、里親として適していると判断されても、人の心はそう簡単に図れるものではないし、変わらない訳でもない。
(どうなろうが知ったことじゃない)
過去に世界の全てに期待も希望も持たず、自分の感情を自閉しようとする努力をしたことから、ルイスは人間的感情が欠如してしまっていた。
いや、そう言うと機械人間のように取られてしまうか。欠如しているというよりも、酷く薄いのだ。
美しいものを美しいと思えず、美味を美味と感じることができず、何よりも自分自身に価値を置かない。誰もが羨むような白皙の容貌でさえも彼の自信にはならず、寧ろ苦痛のようになっていた。
「じゃあ、オレは行くよ」
「気を付けて行ってきてね!」
後のことを小間使いレディーメイドと自らの従者ヴァレットに任せたルイスは颯爽と踵を返す。
扉が閉じる前に、エリーゼがまた身を乗り出しているのを感じながらも振り返りはしない。
ルイスは基本的には優しい兄だが、敢えて突き放す厳しい部分も持ち合わせている。
容姿が良いだけで世の中全てが思い通りになると思わせては駄目だ。それに、変な期待をされても困る。
二階の長い廊下を歩いて行き、エントランスへ出る。二階に登る大階段を左右に持つ広間は巨大なシャンデリアに照らされ、落ち付いた色調の絨毯が敷き詰められている。
一階グラウンドフロアの玄関ホールの扉の前では、従僕フットマンが既に支度をして控えていた。
そうして階段を早足で降りて行き、一階の床に靴底が触れた時、ふと真横に視線を感じてそちらを見る。
そこにいたエリーゼと同じ淑やかな紅藤色のドレスを纏った妙齢の女性は、ルイスの義理の母親だった。
「ルイシス、今日は習い事はないと思いましたが何処へ行くのです?」
「昔世話になった夫妻の命日なので墓参りへ行こうと思ったのですが……、お母様が不快に思うのでしたら行きません」
「不快だなんてそんなことはありません。アデルバート様とエレン様は貴方を立派に育てて下さった方ですもの。わたくしやお父様に遠慮などせず、いってらっしゃい」
「有難う御座います、お母様」
淡く微笑む侯爵夫人の前で、ルイスも夫人と似た極淡い笑みを浮かべる。
一見すると何とも仲の良い親子だ。
しかし、ルイスのアマランサスの瞳の焦点は侯爵夫人のハイドランジアの瞳と合わさっていなかった。
「では、お花を用意させなければなりませんね」
「いえ、街の花屋で調達して行きますので」
今から用意をさせれば時間が掛かるし、何よりも気取った花束になってしまうだろう。
以前の両親が愛したささやかな花を供えたいと思っているルイスはやんわりと断る。すると侯爵夫人は瞳を曇らせ、悲しい顔をした。
「私はお父様とお母様に貰われて、今こうして生かして貰えているだけで感謝し足りないほどに感謝しているんです。だから、どうかお気遣いなく」
エリーゼと同じ紫陽花色の瞳を直視することができない。
指先が凍え、きりきりと胃が痛んだ。
……大事な時ではなく、こういう時にこそ意識を失えたら良いのに。
そんな不誠実なことを願いながら沈黙に耐えていると、白百合の香水がすぐ近くで香った。
初めて会った時は目上にあった顔が今は目下にある。ルイスは目蓋を伏せ、吐息を震わせた。
「気を付けて行ってらっしゃい。陽が暮れる前に帰ってくるのですよ」
侯爵夫人はそうして肩にそっと手を置く。敢えて何も言わないことが、義母ヴィオレーヌの優しさだった。
「はい、分かりました」
短く応え、従僕から外套とトップハットを受け取ったルイスは屋敷を出た。
貴族といっても成り上がり者に等しいルイスは外出の際、従者を従えて歩くようなことはしない。彼は日常生活の一通りのことは自分ででき、また己が身を守る術も身に付けていた。
(また酷いことを言ってしまった……)
淡々と告げはしたが、酷いことを言ったという自覚は本人にあった。
あんなに優しくしてくれるのに、ルイスはヴァレンタイン侯爵夫妻を本当の両親とは思えない。ここへ引き取られてもう十年近くが経つのに、ルイスにとって侯爵夫人は【義母】ではなく、【侯爵夫人】だ。
本当の両親はここへくる前に世話になった夫妻だけだった。
「アデルバート様、エレン様……」
両親が――取り分け母が好きだったカーネーション。母はささやかな花が好きな人だった。
侯爵夫人は白百合スノークイーンやダリアスノーボールといった艶やかな花を好み、また自身も雅であるので正反対だ。
どちらも身寄りのない自分を引き取ってくれた優しい人たちである。
それなのに比較をしてしまうような自分にうんざりしながらルイスは墓前に佇んでいた。
ルイスを施設から引き取ってくれたのは、上層部【レミュザ】に暮らす裕福な夫妻だ。
子供ができなかった訳ではないらしい。ただ、上層部の【組織】に属するという危うい立場から、【守るべき存在】――弱みとも言う――を作らない為に子供を持たなかった夫妻だと聞いた。中絶薬
そんな夫妻が何故ルイスを引き取ったのか。それは、施設に顔を出す度に皆の輪から外れて二人でいる兄弟に情が移ってしまったからだ。
母は哀れみや同情ではなく、「家族は大勢の方が楽しい」なんて気楽なことを言ってルイスとその兄に手を差し伸べた。父は温厚な人で、弾けたところのある母に押されがちだったけれど、いざという時には固い信念を垣間見せる強い人だった。
自分は常に一歩下がったところから皆を見守っているような大人の男。そんな父をルイスは尊敬していた。
いつまでも続くと思われた平和な時。
それが崩れたのは十一月も終わりに近付いた、とても寒い日だった。
『ほら、暖かくして行きなさい』
『有難う、母さん』
マフラーを肩に掛けてくれる母の優しさに胸が暖かくなりながら家を出る。
庭に出ると、こんな寒空だというのに兄と父がキャッチボールをしていた。二人はすぐにルイスに気付く。
『ルイ! 今日もヴァイオリンだっけ?』
『うん。あと、図書館でも見てこようかと思って』
身体が弱い弟と違って兄は健康体だった。
ルイスも兄のように外を駆け回りたいと思いはするものの、妬んだことはない。
兄は兄、自分は自分という思いがあるからだ。
双子は二人で一つのような認識を持たれることが多いけれど、当人からすれば不本意極まりない。心外だ。
だから、兄と自分が対照的であって構わないとルイスは思っていた。
『そういえば例のやつだけど……、適当な時間になったら図書館にきてくれないかな』
『分かってるって! そうだなあ……、三時間くらいしたらライブラリーカフェの入り口で』
『くれぐれも父さんに感付かれないでよ。兄さん、嘘下手なんだから』
ボールを取りに行っていた父はこそこそと内緒話をする双子を疑問に思い、やってくる。
長身の影がすぐ近くに射したことで二人は慌てて離れた。
『二人とも、何の相談をしてるんだい?』
『父さんには内緒』
『父さんには秘密』
『ふうん……?』
深い森の奥で滾々と湧く泉のように深く澄みきった琥珀色の瞳。その双眸に見つめられると心を見透かされているようで、隠し事をする罪悪感が出てきてしまう。
けれど、今回は折れる訳にはいかない。
来月の一日は両親の結婚記念日だ。
引き取られて三年が経ち、すっかり夫妻の本当の子供のようになった二人は両親に贈り物をしようと密かに考えていた。
甘いものを好むということ以外、これといった共通点がない二人が共に出掛ければ聡い父は何かに気付くかもしれない。幼いながらに知恵を巡らせた二人はそうしてばらばらに外出をすることにした。
『あ……、遅刻するからもう行くね』
『ああ、そうだね。先生に私が宜しく言っていたと伝えてくれ』
『うん、分かった』
家族皆に送り出されて、父の懇意である音楽家にヴァイオリンを教えて貰う。そうして三時間後、図書館に併設されたカフェへルイスは向かった。
兄は幾ら待ってもやってこなかった。
ずぼらな兄だ。また道草をしているのだろうと思い、三十分は待つ心のゆとりがあった。
だが、一時間が経っても兄はこない。連絡を入れても反応がない。
流石に可笑しいと帰宅したルイスが見たものは、惨殺された両親や使用人と、辛うじて息のある兄。
一面真っ赤だった。それ以外のことをルイスはあまり覚えていない。
いや、覚えていないというのは語弊があるか。その記憶は確かにあるが、まるで他人事みたいなのだ。
あの悲劇の内容を思い出し、他人に話す時でさえルイスはあまり悲しくは思わない。他人の映った写真を見ているような奇妙な違和感しか感じない。
ジルベールにそのことを相談すると、過剰適応の一種で心が防衛の為にそうしているのだと言われた。
(オレがあの時、壊れたからじゃないのか……)
あの事件の後、色々とあった。ルイスはその中で自分が壊れていくのを静かに感じていた。
無感動になったのも、心を押し込めたのも全ては自分で望んだこと。
たった十年前のことだというのに、両親の墓前に立っても涙一つ流せない自分を【人形】だと思った。
「――――――」
首筋に、冷たい視線を感じた。
その瞬間、恐怖に弾かれたように殆ど本能的に思い切り後ろを振り返った。
目に入ったのは金髪の若者。人間を誑かす為に作られたような整い過ぎた顔には微笑がある。
「やあ、お久し振り」
「……ヴィンセント・ローゼンハイン」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
それでも尚、頭半分ほど上にある顔には笑みが浮かんでいる。ルイスは金髪の悪魔――ヴィンセント・ローゼンハインを睨んだ。
珍しいことに、金髪の悪魔は年若い少女を連れていた。
蜂蜜色の長い髪をポニーテールにしている。眉を隠すように伸ばされた長めの前髪から覗くのは極淡い空色の双眸。ホワイトブラウスに黒襟がベルベットの紅茶色のベストとタイトスカートを合わせている姿はいかにも給仕といった風だ。
ヴィンセントの女の趣味は知らないし興味もないが、らしくないと思った。
派手で自信に満ち溢れた男が連れ歩く女にしては少女は影が薄く、地味だった。これではアクセサリー代わりにもならないだろう。もしや引き立て役として連れているのか。
毒を吐きながら、ルイスは少女を突き飛ばした。
この金髪の悪魔は長らく封じ込められていた激情を呼び起こしてくれる貴重な存在だ。普段温厚なルイスもヴィンセントを前にすると抑えきれない嫌悪から毒を吐きたくなる。
レヴェリーがこないだろうことは知っていた。それでもヴィンセントから指摘されると癪で仕方がない。
ルイスは可能な限りの安い毒を吐くと、金髪の悪魔と少女に背を向けた。
最悪の墓参りだった。
ルイスは確かにヴァレンタインの人間だ。周囲の認知だけでなく、戸籍上でもそれは事実である。
だが、本人の心まではそうはいかない。ルイスはヴァレンタインに自分の居場所が見付けられないでいた。
前の夫妻と過ごした三年の倍以上の月日を過ごしながらも、ヴァレンタイン夫妻に心を開けない。
人間は年を取ると色々と考えてしまうようになる。それは世間体だったり自らの保身だったり。必ずしもそれだけではないのだが、ルイスは今の両親に寄り掛かることができなかった。
家庭教師を屋敷へ招き学ぶことが貴族の一般とされる中でルイスがわざわざ下町へ学びに行くのは、自分が高尚な立場ではないという自覚があるからと、屋敷から離れたいという思いがあるからだ。
ヴァレンタインの皆は良くしてくれる。実際、自分は恵まれているとルイスは思う。
けれど、息苦しくて堪らなくなる。
逃げてばかりで停滞していても向上はないと理解していた。
それでも胸が潰れてしまいそうでルイスは逃げた。
習い事で出掛けた日は決まって寄り道をした。陽が暮れ、空に星々が輝く頃に帰った。
流石にヴァレンタイン夫妻も気付いているだろうが、何も言われないのでルイスは依然と不良をやっている。そんな中で何故か【不良仲間】ができた。
「こんな公園の景色を見ていて楽しいのか?」
「楽しいですよ。今日は空の色が綺麗です」
嫌味を言うでもなく、ただ純粋に。
涙で編んだような空と例えても良さそうな極々淡い空を、勿忘草色の双眸が飽くことなく見つめている。
世間知らずという訳ではないが何処かぼんやりとしていて、押しが弱くて、人に利用され易そうなこのクロエという少女は、ヴィンセントとレヴェリーがいる喫茶店【Jardin Secret】で働いているらしい。
……いや、働かされている、だろうか。
自主的に働いているというよりも寧ろ、弱みを握られて扱き使われていそうな節がある。
文句や不満は何一つ零さないもののクロエは疲れきっているように見えた。
「ヴァレンタインさんはヴァイオリンをお弾きになるんですよね?」
「嫌だ」
「ま、まだ何も言ってませんよ!?」
「キミの言いそうなことは大体分かった。弾けとか言うんだろ?」
「そうですけど……」威哥王
「だから嫌だと言った。大道芸人じゃあるまいし公衆の面前で弾くなんて御免だ」
「……済みません……」
言葉のぎこちなさも相俟ってきつい言い方をするルイスに、クロエは思わず首を竦める。
普段からジルベールという理屈をこねくり回して人の神経を逆撫でるような男を相手にしているルイスは口が悪い。苛烈な気性というかは防衛本能のようなもので、必要以上に人を突き放してしまう癖がある。
暴言を吐く相手があの金髪の悪魔ならば微塵も罪悪感を感じない。
しかし、自分と同じか若しくは年下かもしれない気が弱い少女が相手だと、流石に調子が狂う。
「聴かせるほど上手い訳でもないんだ」
「趣味ではないんですか?」
「趣味というか……貴族の嗜みの一つみたいなものかな」
芸術を美しいと感じないルイスにとって当然音楽も色褪せたものにしか映らない。
あの事件が起きるまでは趣味の一つではあった。休みの日は良く両親と合奏した記憶がある。
あの日、出掛けなければ。
そうすれば無様に生き残るなんてことはしなかっただろうと、良く考える。
ヴァレンタイン夫妻は知らないが、ルイスにとってヴァイオリンを奏でるのは過去を反芻するということだ。
ルイスは自分だけが傷も負わずに生き残ったことに自責を覚えている。
虚無的ニヒリズムだと言われるかもしれないが、あの日【自分】は死んだもののようだと思っていた。
「体面とか仕来りとか責務とか。貴族は面倒臭い」
「でも、貴族じゃなくても体面は気にしますよね」
「そうだね。大人はそんなものだよ」
「大人……。あの、失礼ですがお幾つですか?」
「十八だけど。キミは?」
「…………ご想像にお任せします」
ミステリアスな雰囲気を作る為にそう言ったのではなく、本当に年齢を言いたくなさそうな顔色だった。
前髪に隠されるようにした睫毛が震えている。
(訊き返すのは不味かったかな……)
女性に年齢を訊ねるのはやはり不味かったか。己の配慮のなさを呪いながらルイスは瞼を伏せる。
二人はそれほど仲が良い訳ではない。寧ろ世間的に見れば、冷えきっている方だと思う。
迷い犬の飼い主を探し、こうして数度話しただけで友情が芽生える訳がない。二人の関係は【友人】ではないのだから、【知人】と例えるべきだろうか。
会話が途切れることなど始終だ。そんな気まずさを味わいながらもこうしていたのは、互いに【同族】という存在に慰められていたからか。
「そろそろ帰ったら?」
「そうですね」
味気ないけれど、クロエらしい――受動的人物らしい返事。
過剰な馴れ合いを好かないルイスはその答えを寧ろ好ましく思いながら、席を立つ。
この調子だとどちらかが席を立つまでずっとこうしているだろうから、いつも自分が率先して去る。
「さよならサリュ」
「お気を付けてフェット・ザタンシオン」
普段はジャイルズ人の言葉を使っているはずだった。それなのに返ってきたのはシューリス語だ。
思わずきょとんとするルイスの珍しい反応を見て、クロエは不安そうに訊ねる。
「……あの、もしかして間違ってましたか?」
「いや、合ってる。――キミも気を付けてヴー・ゾスィ」
自分の話す言葉を理解してくれるということに快い衝撃を受けながらも、それはおくびにも出さずに返した。
【クレベル】と【ロートレック】を分かつ検問をいつものように抜けながらルイスは考える。
自負心の強いシューリス人の気質を嫌う者が多いというのにクロエは珍しい人物だ。
正確にはルイスもシューリス人ではないが、貴族以外の相手から皮肉もなく返された言葉には衝撃を受けた……というよりも、そんな些細なことで動く心がまだ存在したことに驚いたのだ威哥王三鞭粒。
2012年5月21日星期一
人知るらめや
殿方のように装いながら、艶やかに舞い、みなを魅了する少女の優雅な身のこなし
は、賞賛に値すると泰子は感じ、視線を静かに少女から皇后へと移した。白拍子など
粗末で下品なものだと高笑いしていた姿は見る影もなく、醜く歪められた尊顔を袙扇
で隠し、側らに座する天皇を横目で窺っている。そうして探りを入れる藤紫宮(ふじ
しのみや)を意に介さず、帝は無表情で白拍子を見つめていたが、無造作に盃の酒を
煽ると微笑するように唇を歪めた。V26Ⅳ美白美肌速効
可愛らしい顔貌の中でも印象的だった野心を秘めた瞳。右大臣である父に政のため
利用されただけでなく、少女自身にも帝に取り入りたい気持ちはあるようだ。泰子は
無意識に、羽織っている袿を掴んだ。そこへ訪れた尚侍(ないしのかみ)に、居住まい
を正し礼をとる。女官の長として帝を補佐している冷徹な尚侍が、口にする君主から
の伝令に刹那、指先が凍った。しかし穏やかな微笑みを湛えて、乱れる胸中を隠し通
す。頂に立つ好色な帝が、女遊びに興じるのは今に始まった事ではない。少女の家柄
から見ても入内は確実だろうと踏んでいたが、泰子が賜ったこの白梅殿に住まわせる
とは、露程も予想していなかった。
尚侍が殿を去り、女房の甘葛(あまづら)は憤った様子で唇を噛んでいる。皇后、中
宮より格下の女御とはいえ、妻妾である事に変わりない泰子を蔑ろにする帝を、甘葛
が呪い始める前に、その肩をなだめるよう触れた。そうしながら、泰子は己自身も静
めていた。
程無くして、白梅殿を共用する右大臣の娘が挨拶に現れたが、言葉遣いこそ低姿勢
なものの、野心を秘めた双眸は、日陰の女御である泰子を見くびっていた。
「どうか仲良くしてくださいませ、白梅宮(はくばいのみや)」
愛らしい花の如く、人目を惹きつける右大臣の娘は齢十七。それより四つも上の泰子
には、白い肌も長い髪も全てが若々しく魅力的に見えた。目下、気まぐれな帝の寵愛
を受けている者はいないが、もしかするとかの者が、凪いだ水面に波紋を広げていく
やもしれない。菊黄宮(きくおうのみや)が寵愛を一身に受けていた時のように、均衡
が、女性達の心が、崩壊しようと己には関係のない事だと割り切った。帝に最も蔑ろ
にされている女だと嘲笑される事には慣れて、今ではこの立場を幸運にすら思う。哀
れな菊黄宮のように、嫉妬の猛火で焼かれる恐れはないのだから……。
垂れ下げた御簾越しに、女官を従え廊を進んでいく帝の姿が見え、すぐさま畳に平
伏した。泰子の存在に気づいているであろうに、声をかける事はおろか、一瞬たりと
も歩みを止めない。かすかな衣擦れの音が聞こえなくなっても、上体を伏せたままで
いた。帝は常と変わらず、泰子には目もくれない。容易く他者を虜にできるほどの美
貌と才知を持つ皇后らに求められていれば、秀でた所がなく凡庸な泰子などとても愛
でる気にはなれないだろうが、そう理解していても、自尊心は傷つけられた。
夜中、帳で四方を覆われている御帳台の中で、頻りに寝返りを打つ。冴えた夜のせ
いか、邸宅内のにぎわいがここまで聞こえてくる。右大臣の娘の甲高い笑い声、嬌声。
泰子は落ち着きなく畳を引っ掻いた。悪い癖だと、甘葛にまた叱られてしまうかもし
れない。だけど止められなかった、こんな方法でしか感情を抑えられない。
その日を境に、右大臣の娘、桃香宮(とうかのみや)のもとを帝が定期的に訪れるよ
うになった。
「あんな狡賢そうな小娘のどこが良いのでしょうね」
苛立ちを吐き出す甘葛の通称を呼び、止めさせる。噂となり流れるような事は、口に
しない方がいい。
「甘葛の大好きな、甘い甘葛をたっぷりかけたかき氷でも頂きましょうか」
「え、こんなにお寒いのに……?」
「それなら、そうね、椿餅にしましょう。皆も呼んできて、この辺で一休みよ」
嬉しそうに返事をした甘葛が、すぐに四人の女房を連れてきた。漆器の位置など細か
い事に時間をかける女房達を横目に、椿の葉で包まれた餅をつまみ食いすれば、叱ら
れた。見て見ぬふりをする四人と異なり、律儀な甘葛はいつも愉快だ。
全員で椿餅と貝合わせを楽しんでいた所、吹放ちの廊を辿る一行に気づき、深く平
身低頭する。わざわざ挨拶をしてきた桃香宮に応えるべく、顔を上げて息を引く。優
越感を隠しもせずに桃香宮は微笑み、帝にしなだれかかっていた。付き従う女房達の
瞳も嘲笑で細められており、泰子は一行を見送ってから、堪らず呟きかけた。だが、
泰子が軽んじられるせいで肩身の狭い思いをしている女房達に謝罪した所で、何にも
ならない。現状を良くしたいなら、帝の寵愛を得なければ。しかし、容易く得られる
ものなら、この五年でとうに手に入れている。何も上手くできず、美しくもない泰子
にはやはり叶わぬ望みなのだ。
眠れずに真夜中、白い月を見上げた。こんな時怜悧な中宮、萩紅宮(しゅうこうの
みや)なら流麗な和歌を詠むのかもしれないが、気の利いた言葉すら思いつけない泰
子は、遠くの月から目をそらし、はっと息を呑んだ。お供の一人もつけず、帝が渡殿
を渡ってくる。薄暗くてもわかる典雅な美貌の持ち主は、声をかけもせずに泰子の腕
を引き、片手で御簾を払いのけた。燈台の火の灯りに照らされた室内、抱きしめられ
て感じた甘やかなお香と酒の匂いに、肌が粟立つ。
「おやめください」
慣れた手つきで長袴の紐を解く帝を無礼と承知で突き放すが、それで怒りを買ってし
まったのか、強引に畳に押しつけられた。桃香宮と愛し合った証が残る。うなじを目
にして、視界が赤く染まる。
「嫌、嫌ですっ、甘葛っ、甘葛ぁっ、助けてぇっ」
「静かにいたせ」V26Ⅲ速效ダイエット
苛立ちを帯びた声の主に口を塞がれ、その麗しい唇に激しく噛みついた。凪いだ水面
のように美しく、どこか冷めた眼がいつになく怒りを宿して、抗う泰子から衣を奪い
取った。胸中を掻き乱すものは、嫉妬だ。そしてそれを否定する弱さと、悲しみ。桃
香宮と愛し合った後で、ついでのように泰子を抱く帝に憎しみが溢れ、赤紫な証が無
数に残る胸板を、血が滲むほど引っ掻いた。その事に対する憤りか、腰の動きが激し
くなり、もはや声を押し殺せない。
「呼べ」
命じられ、泰子は喘ぎながら帝の諱(いみな)を口にする。
「泉仁…泉仁…」
お互いを貪るよう、夢中で口づけていた。
「泰子…」
吐息混じりに呼ばれ、骨張った指の背でそっと頬を撫でられて、無性に泣きたくなる。
愛しいだなんてとても言えない。決して泰子だけの人にはならず、愛してもくれない
帝を愛しいと認めてしまえば、己の気が狂ってしまう。一糸纏わぬ姿で絡み合ってい
ても、夜が明ければ袴や袍に身を包み、肩にかかる髪を結い上げて、冷めた眼で白梅
殿を出て行く。そうして今度は、他の女性と交わるのだ。あちらへ行ったりこちらへ
行ったりしているうちに時が流れて、不意に泰子の存在を思い出しては、気まぐれに
やってくる。その繰り返しだ、過去も未来も。
帝の寵愛を乞い、数多の女性への嫉妬に身を焦がし生きている藤紫宮は、泰子には
とうに狂っているように見えた。菊黄宮暗殺の容疑が色濃いかの人は、圧倒的な権力
を誇る摂関家の出身で、自尊心が強く気が荒い。女房達への仕打ちは以前から眉を顰
めるものがあったが、最も信頼していた女房が帝と契っていた事が発覚した際には、
女房を丸裸にして庭の木にくくりつけ、泣き喚かれても容赦せず鞭で打ち続けた。そ
して実家まで破壊させた藤紫宮が恐ろしかったが、今では哀れにも感じる。藤紫宮に
は、心を許せる者が一人もいないのだ。女子を産んでもそれは変わらず、正常とは言
いがたい皇后に我関せずな帝は、あくまで勝手な憶測だが、菊黄宮の仇をとっている
のかもしれない。
帝と泰子より四つほど年上であったたおやかな佳人、菊黄宮が賜った菊黄殿と白梅
殿は渡殿で繋がっており、近接していたためか、時折そよ風と共に菊黄宮が奏でる琴
の音が聞こえてきた。心を震わす音色に憧れて泰子も嗜んでいたが、菊黄殿に入り浸
っていた帝に御粗末と貶されて以来、琴には触れていない。しかし菊黄宮が亡くなり、
恋しさからか琴を聴かせるよう命じられ、屈辱を感じながらも糸を弾いた。その拙い
音を聴いていたのか定かではないが、あまり感情を表に出さない帝が珍しく疲れを露
にしていたので、泰子は黙って己自身も疲労するほど、琴を奏で続けていた。その後、
藤紫宮と萩紅宮、それから女官の一人が帝の御子を生したが、待望の男子であった女
官の御子は、産まれてすぐに葬られた。それは萩紅宮の陰謀だとまことしやかに囁か
れているが、真相は藪の中だ。次代の天皇に血縁者を据え、地位を上げたい者は多い。
女性でその願望が最も強いであろう桃香宮と、甘葛が争っていると聞き、急ぎ駆け
つけると庭の池上に設けられている釣殿にて、桃香宮と女房達が声をたてて笑ってい
た。真冬の池に、半身を浸からせている濡れ鼠な甘葛を目にした瞬間頭に血が上り、
何枚もの衣を勢いよく脱いで桃香宮に投げつけた。憤慨されても構わず、低い手すり
から飛び降り、顔色の悪い甘葛の背中を押して、冷たい池の水をかきわけ進んだ。
「上様、無茶をなさらないでください」
「お説教なら後にして。一体何があったの、甘葛」
言いよどむ甘葛ととにかく室内へ入ろうとすると、釣殿から移動してきた桃香宮が行
く手に立ち塞がり、くすりと笑った。
「仕える者も仕えられる者も愚かだなんて、救いようがありませんこと」
「愚かなのは、上様ではなく貴女ですっ」
花のかんばせを怒りに染め、桃香宮は甘葛に扇を叩きつけた。
「女房の分際で、二度も妾を愚弄するなんてっ、許さない、帝にお頼み申し、白梅宮
もろとも島流しに処して差し上げますわ」
女房達の狼狽と共に現れた帝に、桃香宮が甘えて身を寄せ、無礼な泰子と甘葛を流刑
にしてほしいと我儘を言っている。加害者に仕立て上げられ、甘葛が耐えかねて意見
しようとするが、それを帝が冷ややかな目線で制した。
「謝罪せよ」
ずぶ濡れの二人を目にしながら、桃香宮だけを擁護する帝には、もはや反論する気も
起きなかった。
「大変……申し訳御座いませんでした」
木造の廊に額をこすりつけ、目を閉じると勝ち誇った桃香宮の顔が浮かびあがった。
流刑にはさすがにならなかったが、丸二日飲食を禁じられ、帝の寵愛の有無を思い
知る。堪らなく惨めで、辛い。釣殿で泰子の事を笑い者にしていた桃香宮に歯向かっ
たせいで、池に突き落とされたという甘葛は、翌日、意を決した顔つきで現れた。
「上様、ここを出ましょう。これ以上大内裏におられても、上様には百害あれど一利
などございませぬ」
憤り、案じてくれてもいる甘葛の申し出に心が揺れる。嘲笑、屈辱、嫉妬、憎悪、そ
んなものばかりが渦巻いている宮廷から遠く離れ、穏やかに暮らしたい。甘葛も行く
ならば、逃げ出してしまいたい。きっと追っ手も寄越されないだろう、帝にとって泰
子は取るに足らない存在なのだから。それでも、決断できずに苦悩した。相反する想
いが口を堅くさせる。
今年も、白梅殿の庭で立派な梅の木が花開き、楚々とした白梅を愛でる会が左大臣
らによって執り行われた。この場は男性陣にとっては出世の好機でもあり、みな競っ
て和歌を詠んでいる。藤紫宮の父親であり、天皇の代理でもある関白は、楽しみなさ
いと言いながら、教養ある者を値踏みしているようだった。その傍ら、あちこちから
声をかけられている帝を見つめ、寵愛を欲しているのは、何も女性だけではないのだ
と実感する。梅をゆっくり眺める事もできない帝は、しかし機嫌を損ねたりせずに勧
められた筆を手に取った。V26即効ダイエット
「折りつれば 袖こそにほへ 梅の花 ありとやここに 鶯の鳴く」
麗しい唇が静かに言葉を紡ぎ、公家が競うように賞賛を送る。梅を手折った事で香り
が移った袖に、鶯が止まり鳴いてはくれないか。現実的な帝らしくない和歌を泰子な
りに解釈すると、手折った梅は白梅殿を追い出された泰子、美しく囀る鶯は桃香宮…
…。他意などないかもしれない、けれどもうそうとしか、帝に疎まれているとしか思
えなかった。
それから数日後、泰子の元を尚侍が訪れた。
「帝の御手を煩わせませんよう」
冷徹な眼で圧力をかけるよう牽制され、戸惑いを隠せない。菊黄宮の歌集を持ち出し
てきた尚侍の意図が、わからなかった。漆塗りの座卓に置き、心中で菊黄宮に断り頁
をめくる。流れるような筆跡が綴る、たおやかな菊黄宮らしい和歌を目で追ううち、
動悸が乱れてくる。
〝不憫な御方と存じていたけれど、今では帝が憎らしい。わたくしの御傍におられて
も、拙い琴の音に耳を傾けてばかり。梅を欲し、菊を愛でるふりをなさる不憫で憎ら
しい御方……。まことに諱で人を操れるのだとしたら、わたくしは帝の諱が知りたい。
頑なにお教えくださらないけれど……〟
菊黄宮の和歌に目を通し、泰子同様愕然としていた甘葛と多くの言葉は交わさなか
った。胸中を理解し、心配そうな顔をしながらも両手で手を包みこんでくれた甘葛に、
強がって微笑みかけた。
夜更け、梅の木に引き寄せられるかのように庭へ降り立つと、月明かりに照らされ
ている後姿が、砂を踏む音のせいか振り返った。その静かな眼差しに見つめられ、泰
子も目を逸らさずにいた。
「菊黄宮の歌集を届けさせたのは……帝でございますか?」
「……尚侍か。余計な事を」
眼光が鋭くなり、戸惑う。本心を確かめたくても、唇が動かず困り果てる泰子の腕を、
帝が痛いくらいの力で掴んだ。
「厭うなら厭うがよい、だがそなたがどれほど余を拒もうと、逃がしはせぬ。決して、
どこへも逃がさぬ」
逃亡を企てていた事に気づいているのであろう帝の、骨張った手に触れる。
「もう逃げも隠れもしません。私は、最期の時まで、帝の……泉仁の御傍におります。
ずっと、御傍にいさせてください」
冷たくなっている手のひらに、そっと頬を寄せた。愛しくて、だけど気持ちをさらけ
だす事に慣れず、妙な表情になっているかもしれない泰子を、帝は目を瞠り見つめて
いる。冴えた静寂の中、指先がぎこちなく頬を滑った。細められた目に苦悩が絡みつ
く深い愛情を感じ、泰子は強く帝の手を握りしめる。哀れな末路を辿ろうとも、もは
や悔いはなかった。V26Ⅱ即効減肥サプリ
は、賞賛に値すると泰子は感じ、視線を静かに少女から皇后へと移した。白拍子など
粗末で下品なものだと高笑いしていた姿は見る影もなく、醜く歪められた尊顔を袙扇
で隠し、側らに座する天皇を横目で窺っている。そうして探りを入れる藤紫宮(ふじ
しのみや)を意に介さず、帝は無表情で白拍子を見つめていたが、無造作に盃の酒を
煽ると微笑するように唇を歪めた。V26Ⅳ美白美肌速効
可愛らしい顔貌の中でも印象的だった野心を秘めた瞳。右大臣である父に政のため
利用されただけでなく、少女自身にも帝に取り入りたい気持ちはあるようだ。泰子は
無意識に、羽織っている袿を掴んだ。そこへ訪れた尚侍(ないしのかみ)に、居住まい
を正し礼をとる。女官の長として帝を補佐している冷徹な尚侍が、口にする君主から
の伝令に刹那、指先が凍った。しかし穏やかな微笑みを湛えて、乱れる胸中を隠し通
す。頂に立つ好色な帝が、女遊びに興じるのは今に始まった事ではない。少女の家柄
から見ても入内は確実だろうと踏んでいたが、泰子が賜ったこの白梅殿に住まわせる
とは、露程も予想していなかった。
尚侍が殿を去り、女房の甘葛(あまづら)は憤った様子で唇を噛んでいる。皇后、中
宮より格下の女御とはいえ、妻妾である事に変わりない泰子を蔑ろにする帝を、甘葛
が呪い始める前に、その肩をなだめるよう触れた。そうしながら、泰子は己自身も静
めていた。
程無くして、白梅殿を共用する右大臣の娘が挨拶に現れたが、言葉遣いこそ低姿勢
なものの、野心を秘めた双眸は、日陰の女御である泰子を見くびっていた。
「どうか仲良くしてくださいませ、白梅宮(はくばいのみや)」
愛らしい花の如く、人目を惹きつける右大臣の娘は齢十七。それより四つも上の泰子
には、白い肌も長い髪も全てが若々しく魅力的に見えた。目下、気まぐれな帝の寵愛
を受けている者はいないが、もしかするとかの者が、凪いだ水面に波紋を広げていく
やもしれない。菊黄宮(きくおうのみや)が寵愛を一身に受けていた時のように、均衡
が、女性達の心が、崩壊しようと己には関係のない事だと割り切った。帝に最も蔑ろ
にされている女だと嘲笑される事には慣れて、今ではこの立場を幸運にすら思う。哀
れな菊黄宮のように、嫉妬の猛火で焼かれる恐れはないのだから……。
垂れ下げた御簾越しに、女官を従え廊を進んでいく帝の姿が見え、すぐさま畳に平
伏した。泰子の存在に気づいているであろうに、声をかける事はおろか、一瞬たりと
も歩みを止めない。かすかな衣擦れの音が聞こえなくなっても、上体を伏せたままで
いた。帝は常と変わらず、泰子には目もくれない。容易く他者を虜にできるほどの美
貌と才知を持つ皇后らに求められていれば、秀でた所がなく凡庸な泰子などとても愛
でる気にはなれないだろうが、そう理解していても、自尊心は傷つけられた。
夜中、帳で四方を覆われている御帳台の中で、頻りに寝返りを打つ。冴えた夜のせ
いか、邸宅内のにぎわいがここまで聞こえてくる。右大臣の娘の甲高い笑い声、嬌声。
泰子は落ち着きなく畳を引っ掻いた。悪い癖だと、甘葛にまた叱られてしまうかもし
れない。だけど止められなかった、こんな方法でしか感情を抑えられない。
その日を境に、右大臣の娘、桃香宮(とうかのみや)のもとを帝が定期的に訪れるよ
うになった。
「あんな狡賢そうな小娘のどこが良いのでしょうね」
苛立ちを吐き出す甘葛の通称を呼び、止めさせる。噂となり流れるような事は、口に
しない方がいい。
「甘葛の大好きな、甘い甘葛をたっぷりかけたかき氷でも頂きましょうか」
「え、こんなにお寒いのに……?」
「それなら、そうね、椿餅にしましょう。皆も呼んできて、この辺で一休みよ」
嬉しそうに返事をした甘葛が、すぐに四人の女房を連れてきた。漆器の位置など細か
い事に時間をかける女房達を横目に、椿の葉で包まれた餅をつまみ食いすれば、叱ら
れた。見て見ぬふりをする四人と異なり、律儀な甘葛はいつも愉快だ。
全員で椿餅と貝合わせを楽しんでいた所、吹放ちの廊を辿る一行に気づき、深く平
身低頭する。わざわざ挨拶をしてきた桃香宮に応えるべく、顔を上げて息を引く。優
越感を隠しもせずに桃香宮は微笑み、帝にしなだれかかっていた。付き従う女房達の
瞳も嘲笑で細められており、泰子は一行を見送ってから、堪らず呟きかけた。だが、
泰子が軽んじられるせいで肩身の狭い思いをしている女房達に謝罪した所で、何にも
ならない。現状を良くしたいなら、帝の寵愛を得なければ。しかし、容易く得られる
ものなら、この五年でとうに手に入れている。何も上手くできず、美しくもない泰子
にはやはり叶わぬ望みなのだ。
眠れずに真夜中、白い月を見上げた。こんな時怜悧な中宮、萩紅宮(しゅうこうの
みや)なら流麗な和歌を詠むのかもしれないが、気の利いた言葉すら思いつけない泰
子は、遠くの月から目をそらし、はっと息を呑んだ。お供の一人もつけず、帝が渡殿
を渡ってくる。薄暗くてもわかる典雅な美貌の持ち主は、声をかけもせずに泰子の腕
を引き、片手で御簾を払いのけた。燈台の火の灯りに照らされた室内、抱きしめられ
て感じた甘やかなお香と酒の匂いに、肌が粟立つ。
「おやめください」
慣れた手つきで長袴の紐を解く帝を無礼と承知で突き放すが、それで怒りを買ってし
まったのか、強引に畳に押しつけられた。桃香宮と愛し合った証が残る。うなじを目
にして、視界が赤く染まる。
「嫌、嫌ですっ、甘葛っ、甘葛ぁっ、助けてぇっ」
「静かにいたせ」V26Ⅲ速效ダイエット
苛立ちを帯びた声の主に口を塞がれ、その麗しい唇に激しく噛みついた。凪いだ水面
のように美しく、どこか冷めた眼がいつになく怒りを宿して、抗う泰子から衣を奪い
取った。胸中を掻き乱すものは、嫉妬だ。そしてそれを否定する弱さと、悲しみ。桃
香宮と愛し合った後で、ついでのように泰子を抱く帝に憎しみが溢れ、赤紫な証が無
数に残る胸板を、血が滲むほど引っ掻いた。その事に対する憤りか、腰の動きが激し
くなり、もはや声を押し殺せない。
「呼べ」
命じられ、泰子は喘ぎながら帝の諱(いみな)を口にする。
「泉仁…泉仁…」
お互いを貪るよう、夢中で口づけていた。
「泰子…」
吐息混じりに呼ばれ、骨張った指の背でそっと頬を撫でられて、無性に泣きたくなる。
愛しいだなんてとても言えない。決して泰子だけの人にはならず、愛してもくれない
帝を愛しいと認めてしまえば、己の気が狂ってしまう。一糸纏わぬ姿で絡み合ってい
ても、夜が明ければ袴や袍に身を包み、肩にかかる髪を結い上げて、冷めた眼で白梅
殿を出て行く。そうして今度は、他の女性と交わるのだ。あちらへ行ったりこちらへ
行ったりしているうちに時が流れて、不意に泰子の存在を思い出しては、気まぐれに
やってくる。その繰り返しだ、過去も未来も。
帝の寵愛を乞い、数多の女性への嫉妬に身を焦がし生きている藤紫宮は、泰子には
とうに狂っているように見えた。菊黄宮暗殺の容疑が色濃いかの人は、圧倒的な権力
を誇る摂関家の出身で、自尊心が強く気が荒い。女房達への仕打ちは以前から眉を顰
めるものがあったが、最も信頼していた女房が帝と契っていた事が発覚した際には、
女房を丸裸にして庭の木にくくりつけ、泣き喚かれても容赦せず鞭で打ち続けた。そ
して実家まで破壊させた藤紫宮が恐ろしかったが、今では哀れにも感じる。藤紫宮に
は、心を許せる者が一人もいないのだ。女子を産んでもそれは変わらず、正常とは言
いがたい皇后に我関せずな帝は、あくまで勝手な憶測だが、菊黄宮の仇をとっている
のかもしれない。
帝と泰子より四つほど年上であったたおやかな佳人、菊黄宮が賜った菊黄殿と白梅
殿は渡殿で繋がっており、近接していたためか、時折そよ風と共に菊黄宮が奏でる琴
の音が聞こえてきた。心を震わす音色に憧れて泰子も嗜んでいたが、菊黄殿に入り浸
っていた帝に御粗末と貶されて以来、琴には触れていない。しかし菊黄宮が亡くなり、
恋しさからか琴を聴かせるよう命じられ、屈辱を感じながらも糸を弾いた。その拙い
音を聴いていたのか定かではないが、あまり感情を表に出さない帝が珍しく疲れを露
にしていたので、泰子は黙って己自身も疲労するほど、琴を奏で続けていた。その後、
藤紫宮と萩紅宮、それから女官の一人が帝の御子を生したが、待望の男子であった女
官の御子は、産まれてすぐに葬られた。それは萩紅宮の陰謀だとまことしやかに囁か
れているが、真相は藪の中だ。次代の天皇に血縁者を据え、地位を上げたい者は多い。
女性でその願望が最も強いであろう桃香宮と、甘葛が争っていると聞き、急ぎ駆け
つけると庭の池上に設けられている釣殿にて、桃香宮と女房達が声をたてて笑ってい
た。真冬の池に、半身を浸からせている濡れ鼠な甘葛を目にした瞬間頭に血が上り、
何枚もの衣を勢いよく脱いで桃香宮に投げつけた。憤慨されても構わず、低い手すり
から飛び降り、顔色の悪い甘葛の背中を押して、冷たい池の水をかきわけ進んだ。
「上様、無茶をなさらないでください」
「お説教なら後にして。一体何があったの、甘葛」
言いよどむ甘葛ととにかく室内へ入ろうとすると、釣殿から移動してきた桃香宮が行
く手に立ち塞がり、くすりと笑った。
「仕える者も仕えられる者も愚かだなんて、救いようがありませんこと」
「愚かなのは、上様ではなく貴女ですっ」
花のかんばせを怒りに染め、桃香宮は甘葛に扇を叩きつけた。
「女房の分際で、二度も妾を愚弄するなんてっ、許さない、帝にお頼み申し、白梅宮
もろとも島流しに処して差し上げますわ」
女房達の狼狽と共に現れた帝に、桃香宮が甘えて身を寄せ、無礼な泰子と甘葛を流刑
にしてほしいと我儘を言っている。加害者に仕立て上げられ、甘葛が耐えかねて意見
しようとするが、それを帝が冷ややかな目線で制した。
「謝罪せよ」
ずぶ濡れの二人を目にしながら、桃香宮だけを擁護する帝には、もはや反論する気も
起きなかった。
「大変……申し訳御座いませんでした」
木造の廊に額をこすりつけ、目を閉じると勝ち誇った桃香宮の顔が浮かびあがった。
流刑にはさすがにならなかったが、丸二日飲食を禁じられ、帝の寵愛の有無を思い
知る。堪らなく惨めで、辛い。釣殿で泰子の事を笑い者にしていた桃香宮に歯向かっ
たせいで、池に突き落とされたという甘葛は、翌日、意を決した顔つきで現れた。
「上様、ここを出ましょう。これ以上大内裏におられても、上様には百害あれど一利
などございませぬ」
憤り、案じてくれてもいる甘葛の申し出に心が揺れる。嘲笑、屈辱、嫉妬、憎悪、そ
んなものばかりが渦巻いている宮廷から遠く離れ、穏やかに暮らしたい。甘葛も行く
ならば、逃げ出してしまいたい。きっと追っ手も寄越されないだろう、帝にとって泰
子は取るに足らない存在なのだから。それでも、決断できずに苦悩した。相反する想
いが口を堅くさせる。
今年も、白梅殿の庭で立派な梅の木が花開き、楚々とした白梅を愛でる会が左大臣
らによって執り行われた。この場は男性陣にとっては出世の好機でもあり、みな競っ
て和歌を詠んでいる。藤紫宮の父親であり、天皇の代理でもある関白は、楽しみなさ
いと言いながら、教養ある者を値踏みしているようだった。その傍ら、あちこちから
声をかけられている帝を見つめ、寵愛を欲しているのは、何も女性だけではないのだ
と実感する。梅をゆっくり眺める事もできない帝は、しかし機嫌を損ねたりせずに勧
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「折りつれば 袖こそにほへ 梅の花 ありとやここに 鶯の鳴く」
麗しい唇が静かに言葉を紡ぎ、公家が競うように賞賛を送る。梅を手折った事で香り
が移った袖に、鶯が止まり鳴いてはくれないか。現実的な帝らしくない和歌を泰子な
りに解釈すると、手折った梅は白梅殿を追い出された泰子、美しく囀る鶯は桃香宮…
…。他意などないかもしれない、けれどもうそうとしか、帝に疎まれているとしか思
えなかった。
それから数日後、泰子の元を尚侍が訪れた。
「帝の御手を煩わせませんよう」
冷徹な眼で圧力をかけるよう牽制され、戸惑いを隠せない。菊黄宮の歌集を持ち出し
てきた尚侍の意図が、わからなかった。漆塗りの座卓に置き、心中で菊黄宮に断り頁
をめくる。流れるような筆跡が綴る、たおやかな菊黄宮らしい和歌を目で追ううち、
動悸が乱れてくる。
〝不憫な御方と存じていたけれど、今では帝が憎らしい。わたくしの御傍におられて
も、拙い琴の音に耳を傾けてばかり。梅を欲し、菊を愛でるふりをなさる不憫で憎ら
しい御方……。まことに諱で人を操れるのだとしたら、わたくしは帝の諱が知りたい。
頑なにお教えくださらないけれど……〟
菊黄宮の和歌に目を通し、泰子同様愕然としていた甘葛と多くの言葉は交わさなか
った。胸中を理解し、心配そうな顔をしながらも両手で手を包みこんでくれた甘葛に、
強がって微笑みかけた。
夜更け、梅の木に引き寄せられるかのように庭へ降り立つと、月明かりに照らされ
ている後姿が、砂を踏む音のせいか振り返った。その静かな眼差しに見つめられ、泰
子も目を逸らさずにいた。
「菊黄宮の歌集を届けさせたのは……帝でございますか?」
「……尚侍か。余計な事を」
眼光が鋭くなり、戸惑う。本心を確かめたくても、唇が動かず困り果てる泰子の腕を、
帝が痛いくらいの力で掴んだ。
「厭うなら厭うがよい、だがそなたがどれほど余を拒もうと、逃がしはせぬ。決して、
どこへも逃がさぬ」
逃亡を企てていた事に気づいているのであろう帝の、骨張った手に触れる。
「もう逃げも隠れもしません。私は、最期の時まで、帝の……泉仁の御傍におります。
ずっと、御傍にいさせてください」
冷たくなっている手のひらに、そっと頬を寄せた。愛しくて、だけど気持ちをさらけ
だす事に慣れず、妙な表情になっているかもしれない泰子を、帝は目を瞠り見つめて
いる。冴えた静寂の中、指先がぎこちなく頬を滑った。細められた目に苦悩が絡みつ
く深い愛情を感じ、泰子は強く帝の手を握りしめる。哀れな末路を辿ろうとも、もは
や悔いはなかった。V26Ⅱ即効減肥サプリ
2012年5月17日星期四
ハダカエプロン
「トパーズ?」 朝靄の中からヒスイの声がした。 地下室にジンを残し、サファイアとも別れ、一人噴水前まで戻ってきたところだった。時刻は早朝4時。 「・・・・・・」 「あ、ビックリした?」挺三天 ヒスイは幼い少女の姿をしている。 見た目は10歳そこそこだ。 「赤ちゃんを産んだ後はね、こうやって体を縮ませて、魔力を回復させるの。このほうが何倍も早く取り戻せるのよ。体力もね」 出産して間もないというのに、そんな気配は微塵も感じさせない姿だった。 「・・・・・・」 トパーズは口を結んだまま、伝えたい言葉が、何一つ、声にならない。 「あの・・・ごめんね?」 小さなヒスイがトパーズを見上げていた。 「どっちかっていうと、私のほうが悪い気がする」 主語のない文脈・・・でも、わかる。 「息子だからいいや、なんて、軽く考えちゃって。親子でもえっちすれば子供ってできるものなのね」 当たり前のことなのに、相変わらずボケたことを言う。 「お兄ちゃんは怒らなかったけど・・・やっぱり傷つけちゃったと思うから」 「・・・・・・」 「今度から気をつける」 ケロッとした顔で、ヒスイはそう締め括った。 「ひょっとしたら、お兄ちゃんが厳しいコト言ったかもしれないけど、気にしないで。無理して一緒に暮らすこともないし。トパーズはまだこれからだし」 「・・・・・・」 「普通に誰かを好きになって・・・結婚して・・・うん。それでいいと、思う」 心から出た言葉なのか、自分でもよくわからない。 (でも“母親”だったら、きっとこう言うべき・・・) 「・・・・・・」 ごちぃんっ! 「いたっ!!」 突然グーで頭を殴られた。 少女相手でも手加減なしだ。 「な、なんでぶつの~!?」 ヒスイは涙目でトパーズに文句を言った。 「・・・無理だ」 「え?」 「お前にしか勃たない」 「・・・・・・え?今、なんて・・・」 思わず真顔で聞き返すヒスイ。 「勃たない。他の女とはできない」 トパーズは堂々と言い切った。 「・・・そ・・・れは・・・深刻な病気だわ・・・病院へ・・・」 激しく狼狽えるヒスイを捕まえて、抱き上げる。 「ほっとけ。そのうち治る」 抱き上げて・・・ヒスイの耳を甘噛みした。 「あ~・・・え~・・・っとぉ・・・じゃあ・・・一緒に暮らす?」 くすぐったい痛みに頬を染めながらヒスイが言った。 「そうする」 「あんまりお兄ちゃんと喧嘩しないでね?」 「それは、保証できない」 「シ・・・シトリンっ!!?」 ジンの声が裏返る。 ヒスイの出産騒動から一週間。 コハク、ヒスイ、メノウ、トパーズは産まれた赤子を連れてエクソシストの寮へ。 オニキス、サファイア、シトリン、ジンはモルダバイト城へ。 シトリンに呼び出され、部屋へと顔を出したジン。 そこで待っていたのは・・・ 裸にエプロン姿のシトリンだった。 (祖父殿っ!!ホントにこれで大丈夫なのか!!?) 別れ際、メノウに念を押され、訳がわからないながらもチャンレジしてみた。 巨乳、そしてスタイル抜群のシトリン。 最高にセクシーだ。ジンはすっかり見とれてしまっている。 「ええと・・・お風呂にする?」 「え・・・?」 「ご飯にする?」 「え?え?」 「それとも・・・ワ・タ・シ?」 「えぇぇっ!?」 「なっ・・・なんだコレはぁっ!!」 自分で言って大慌て。 『ジンが喜ぶ魔法の言葉だよ♪』 メノウがマジックで手の平に書いた台詞を丸読みしたのだ。 「ジン・・・あの・・・これは・・・」 折角のお誘いを断る筈がない。 有頂天になったジンの耳に、シトリンの言い訳は届かなかった。 「えっと・・・じゃあ、シトリン」 ビクッ!! 指名されたシトリンが露骨に怖がる。 「え・・・?」 (ダメ・・・なのか?) 身を竦め、浮かべる表情は明らかに恐怖。 (そんな顔されたら・・・) 舞い上がっていた気持ちが一気に萎えてしまった。 「えっと・・・じゃあ・・・ご飯で」 「そうか!飯か!」 急にシャキッと背筋を伸ばし、ジンをテーブルへと案内する。 「さぁ!食え!!」 「え?」 (どれを??) テーブルの上に用意されていたのは・・・泥団子。 「ドーナツだ!!」 シトリンが胸を張って宣言した。D9 催情剤 ドーナツの作り方はコハクから習った。 シトリンの腕前を知っているコハクは、ホットケーキの粉を使った一番簡単な作り方を伝授したのだが・・・駄目だった。 (どうやったらこうなるのか逆に聞きたいくらいだ・・・でも・・・) ジンのコメントを、シトリンは今か今かと待ちわびている。 「いただきます・・・」 「おぉ!遠慮せずどんどん食え!」 ぱくっ。 「う・・・」 飲み込んですぐ、アヤシイ雲行き。 ゴロゴロゴロ・・・そして、落雷。 (は、腹が・・・) 「っ・・・ごめんっ!!」 「ジン!?おい!どうした!?」 ジンはトイレに駆け込んだ。 (シトリン・・・エプロンは似合ってる。似合ってるけど・・・料理は絶対オレがする) 「よしっ!次は風呂だな!」 “シトリン”に順番が回ることはあるのか。 (どんどん遠のいていく気がする・・・) 誘っているとしか思えない悩殺的な格好をしているのに、寄ると逃げる。 猫の時とは全く勝手が違っていた。 (あぁ、なんて情けない・・・) 猫のシトリンに慣れすぎて、自分でもどうしていいかわからない。 女の扱い方をすっかり忘れてしまっていた。 シトリンの意図もわからないまま、言われるがまま。 (まさかこのあと・・・なんてことないよなぁ・・・) シトリンの部屋の浴室で、ジンは裸で立っていた。 「おぉ~い!!湯加減はどうだぁ!?」 シトリンに急かされ、慌てて湯船へ。 「うわっちゃぁ!!!」 (熱い!熱すぎる!!オレ、殺される!?) 毒団子に続き、熱湯風呂。 シトリンに悪意がないのはわかっているが、いつか大惨事に繋がりそうで怖い。 「お~い!背中流してやろうか!?」 「えっ!?」 (その格好で!?) 突然の嬉しい申し出に体が反応。 希望を無くし、ぐったりとしていた部分が元気に勃ち上がる。 「やば・・・っ」 シトリンにその気もないのに、一方的な勃起を見られるは恥ずかしかった。 「入るぞぉ~?」 「ちょっとまっ・・・」 タオルで前を隠さなければ。 セクハラになってしまう。 ジンは慌てふためいて、近くに掛けてあったタオルへと手を伸ばした。 「わ・・・っ!!」 そして足がツルリ。 (なんでこんなトコロに石鹸があるんだよぉ~・・・) お決まりすぎて泣けてくる。 ゴン・・・ッ!! 後頭部が浴室のタイルにぶつかった。 「ジン!?大丈夫かっ!!?」 徐々に遠くなる意識の中、シトリンに抱き起こされる。 フニフニと柔らかい胸が顔面を圧迫・・・ (ああ・・・なんか幸せ・・・) 猫じゃないシトリンに逢えたのは、本当に久しぶりだから。 (今日はこれで・・・いいや・・・) 「で、結局やってないの?」 「はぁ・・・」 エクソシスト正員寮。 コハクの淹れたハーブティに癒されながら、打ち明けた真実。 「ホントに君、男?」 「う・・・」 女顔のコハクに言われてグザッ。 自分でも自信がなくなってきた。 「・・・ふむ。なら僕がお手本を見せてあげよう」 「え?」 「しっかり見ていきなさい」 ははは!と笑ってコハクが立ち上がる。 「ヒスイ~、おいで~」 「はぁ~い」 すぐに返事が返ってきた。 「ここに隠れて見てて。ただし、ヒスイのアソコは見ないでね」 「は、はぁ・・・」 コハクにクローゼットへと押し込まれたジン。 (何でこんなことに・・・) タタタ、とヒスイが駆けてきてコハクに抱き付いた。 幼い。事情を知っていても、驚く幼さだ。 ヒスイはエクソシストの制服を着ている。 髪型はツインテールで、黒の衣装によく映える、赤いリボンをしていた。 とても産後一週間の母親には見えない。麻黄 コハクが頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めて笑った。 「久しぶりにヒスイのエプロン姿が見たいなぁ」 「エプロン?うん、いいよ」 料理をするためのものではないと、ヒスイも理解していた。 着替えてくると言って一旦部屋を後にし、次に現れた時は、裸エプロンだった。 「おにいちゃん~、これでいい?」 「うん・・・可愛いよ、すごく」 ちゅっ。 まずは屈んで、賞賛のキス。 「ね、ヒスイ、後ろ向いて」 「うん」 エプロンの結び目と、お尻の割れ目。幼くても女の香りが漂う。 「裸エプロンは後ろ姿がイイんだ」 と、ジンに聞こえるように言った後、背後からヒスイを囲う。 エプロンの白に負けないくらい、色素の薄いヒスイの肌。 チラチラと覗く乳首は淡いピンク色・・・桜の蕾のようだった。 日夜捏ねくり回されているものとは到底思えない。 「ちょっとだけ・・・触らせて、ね」 ヒスイの乳房は今、産まれた子供のためのものだった。 あまり刺激しないよう手の平で軽く覆って撫でる。 「あっ・・・」 それだけでも感じてしまうヒスイ。 「おにいちゃ・・・」 背中にコハクの唇が触れる度、ヒスイは体を震わせて、股の間から甘い雫を落とした。 それを掬い取り、内奥へ還すように、トロトロにふやけた場所へ指を浸ける。 きゅぷっ・・・ 「ん、あっ・・・!」 いつにも増して狭くなったヒスイの入口は二本の指でいっぱいになってしまったが、コハクの指戯に応えて、その幼い体からは想像もできないほどの愛涎を垂らした。 ぷちゅ。ぷちゃっ。くちゃっ。 「うっ・・・あぁ・・・ん」 ヒスイはカーテンにしがみつき、痺れるような快感で体が崩れ落ちてしまわないよう必死になっていた。 (絶対オレのこと忘れてる・・・) クローゼットの中から、強要された覗きに勤しむジン。 切なく興奮してしまうので、できれば目を逸らしたい。 (・・・のに、なんでこんなに綺麗に見えるんだろうなぁ・・・) 性行為が視覚的に美しいものとは、今まで思っていなかった。 その概念を覆すほど、絡み合う二人に見惚れてしまう。 きゅぽっ。 可愛らしい音をたててコハクの指が抜けた。 「うっ・・・んっ・・・!」 「ヒスイ・・・舐めて」 コハクは濡れた指先をヒスイの口へ突っ込んだ。 「ん・・・むっ!!」 「ね・・・美味しいでしょ?」 ヒスイは頷いてコハクの指についた自分の愛液を舐め、それが済むと、指をちゅうちゅうと吸い始めた。 「ほにぃ・・・ひゃん・・・の・・・ふき」 言葉にならない声。 でもコハクには通じる。 “お兄ちゃんの指、好き” 「うん・・・もっと・・・吸って。僕のアレだと思って」 指先を動かして、ヒスイの口内を掻き回す。 「ほにぃ・・・ひゃ・・・ふっ・・・ぅ!!」 口の中に入れられた指は、淫口に差し込まれたペニスと似た感覚で、ヒスイを激しく興奮させた。 口腔は愛液で溢れ、コハクの指をビショビショに濡らしている。 「んっ!ふぅっ!!」 きゅっ。きゅっ。ちゅっ。 ヒスイの口から淫らな音が漏れる。 ぴちゃ・・・ 「よしよし・・・いい子だね」 低く甘い声でコハクが褒めると、ヒスイは益々夢中になって指を咥えた。 (う・・・すごい・・・エロすぎる・・・コハクさん・・・) コハクが妙に眩しく見える。ジンの視線は釘付けだ。 「じゃあ、そろそろ・・・」 と、言ってもコハクはまだズボンを下ろさない。 「僕がいただくとしよう」 ごくり。 コハクの喉が鳴る。 「あっ・・・おに・・・」 姿勢を低くし、下からヒスイの腰を掴んで固定。 小さな割れ目にずっぽりと顔を埋めた。 「あっ・・・!!ンンッ!!」 ヒスイの体が持ち上がるほど顔を密着させると、ヒスイはコハクの口の中へたっぷりと愛液を注ぎ込んだ。 「はっ、んっ、んぅ・・・あ・・・ん」 ジュルッ。ジュルルッ。ゴクン。 「はぁ・・・んっ・・・」 これでもかとコハクに愛液を吸い取られ、ヒスイはついにカーテンを離してしまった。 「も・・・ちから・・・はいんな・・・」 ズルッ・・・ 両手両足が床につく。 ヒスイはいつしか雌犬の格好になってべちゃりと伏した。 「あぅ・・・おにぃ・・・ちゃぁあん・・・」 「・・・そろそろ欲しいかな?」 そこでコハクがチャックを下ろす。老虎油 in クローゼット (うわ・・・あんなに小さいトコに入れちゃうんだ・・・痛そ~・・・) だが、ヒスイが嫌がる様子は全くない。 ギシギシ、ビチビチと裂ける音が聞こえてきそうな程なのに。 交尾の体勢で、身体いっぱいに迎え入れている。 「うっ!ううっ!!はっ・・・あ・・・」 (パッと見、犯罪だよな~・・・) 「あっ!あっ!あぁぁ!!」 叫び、喘ぐ、ヒスイの声。 艶っぽく、色っぽく、荒れる。 「・・・ヒスイ、愛してる。痛かったら、ごめんね」 深々と突き刺した巨根を引き戻し、再びズブリ。 「あうっ!!!」 「あっ!ひ・・・っ!く・・・っ!!」 「う゛ぁっ・・・あ・・・!!」 濃度200%の激しい濡れ場。ヒスイは乱れきっている。 (オレ・・・ここにいていいんだろうか・・・) ジンはだんだんと不安になってきた。 (また、見てはいけないモノを見てしまっているような・・・) サービスシーンの連続で逆に怖くなってくる。 (とにかくこれ以上はダメだっ!!) ぎゅっと目をつぶった瞬間だった。 パァッ・・・ 覗き穴から光が差し込んだ。 「・・・っ・・・あ、あぁっ!?」 同時に、間の抜けたコハクの声が接近してくる。 「・・・え?」 バンッ! 「うわ・・・っ!?」 見えない力に吹き飛ばされたコハクがクローゼットの扉に激突し、その拍子にパカッ。全開。めでたくジンの姿がお目見えした。 「え?え?」 「あ・・・やばい・・・」 凍りつく空気。 「な、な、なによぉお~っ!!!コレぇ!!!」 愛液も渇かぬうちから激怒するヒスイ。 「ジンくん?シトリンに言いつけるわよ?」 まさしく般若の形相でジンを見下ろす。 10歳の少女が実際の何倍も大きく見えた。 「す、すみません・・・」 「あ、いや、僕が・・・」 コハクが正直に名乗り出る。 「お~に~い~ちゃんっ!!!」 ワナワナと震えて、ヒスイが声を張り上げた。 「ごめん。ごめん。とにかく先に服着て・・・」 怒り狂うヒスイにコハクは慌てて自分のシャツを着せた。 「だいたいおにいちゃんはねぇ!ヒトに見せすぎなのっ!!私のこと何だと思ってるのよ!!バカッ!!ヘンタイっ!!」威哥十鞭王
2012年5月16日星期三
愛の契約
今日でふたりっきりの生活はお終い、またいつもの生活に戻る。 ふたりだけっていうのは寂しくもあり、楽しくもあった。 祥吾ちゃんも同じ気持ちを感じてくれていると思う。福源春 「……どうかな?美味しい?」 朝御飯を作ってあげるのにも少しだけ慣れてきた。 今日は私の好きな和食メニュー。 自分でもけっこう自信作に仕上がった料理がテーブルに並んでいる。 彼は私の作った料理を食べながら、 「美味しい……。更紗は和食なら失敗しないんだな」 「それ、どういう意味?」 「いや、別に他意はないんだけど。そう声を低くするな」 私がムッとしたのを彼は警戒した様子を見せた。 うぅ、褒められたのにあんまり喜べない。 祥吾ちゃんはそれでも、私に笑いかけてくれる。 「更紗が俺のために作ってくれたから嬉しいんだよ。そう口を膨らませると、可愛い顔が台無しだって。機嫌をなおしてくれ」 祥吾ちゃんが私をうまく言いくるめようとしている。 こんな風に言われたら私だって無意味に怒る理由がない。 「祥吾ちゃんの言い方ってやらしい」 「何でだよ?」 「私が怒れないようにしてるんだもん。ずるい~」 私は彼に唇を尖らせる素振りをする。 「……更紗の扱いはプロだからな。危険な猛獣は飼いならさないとね」 「私を猛獣扱いするなぁ」 「冗談だよ、冗談。更紗のそういう所が、からかうと面白いんだって」 私を何だと思ってるの、と意地悪する彼に思う。 でも、楽しいんだ、祥吾ちゃんが私と一緒にいてくれるだけで些細な事が楽しい。 「……鏡野更紗は既に祥吾ちゃんのモノなんだよ」 自分はすっかりと彼のモノになってる実感に酔いしれる。 私の言葉に祥吾ちゃんが「何か言ったか?」と不思議そうな顔をしていた。 「何でもない。今日は楽しいデートになるといいね」 祥吾ちゃんと久しぶりのデート、今日はふたりで楽しもうっ。 私達がデート先に選んだのは山奥にある鏡野家の別荘だった。 去年も同じ時期に訪れた場所で祥吾ちゃんも楽しそうだ。 緑溢れる自然の光景、都会にはない独特の雰囲気がそこにはある。 大きな湖のあるほとりに向かうと、キラキラと太陽の光が水を反射していた。 「うーん、すごく綺麗だよね。この場所が私は大好きかな」 「俺も好きだな。のんびりとできていい感じだ」 ふたりして湖を眺めながらゆっくりとその周囲を歩いていく。 風によって揺れる木漏れ日が私達を静かに照らす。 「天気はいいし、外の空気も気持ちいい……あっ」 隣を歩いていた祥吾ちゃんが私の手を握り締めてくる。 「……今日はデートなんだから、もっと“らしく”やろうぜ?」 「うんっ!」 私が彼に微笑みかけると彼もにっこりと笑う。 祥吾ちゃんの笑顔って心に残るような感じでとても心地いいから好き。 「祥吾ちゃん、大好きだよ」 私は彼の腕に抱きつくと、ふっと髪を撫でて受け入れてくれる。 「更紗はホントに可愛いな」 「……えへへ、祥吾ちゃん。そう言われると照れるよ」 こうしてると普通に恋人同士みたい。 まぁ、婚約者だからそうなんだけど、実感するとまた違って見えてくる。 祥吾ちゃんと久しぶりのデート。 ショッピングとかじゃなくて、こういうのも私達らしくていいなぁ。 「あれ……?何だろう?」花痴 私はあるモノを見つけて湖の岸におりていく。 「何だ、何かあったのか?」 遊歩道からちょっと外れた湖岸の端で私はそれを見つけんただ。 「祥吾ちゃん、アレ見て!すっごく可愛いっ♪」 私は思わずはしゃいでしまう、指差した方向にいるのは子連れの水鳥達。 水の上を泳いでいる親鳥の後ろを小さな子鳥が頑張って追いかけてる。 小さくても、ちゃんと泳げてるその可愛さに見惚れてしまう。 うぅ、あの可愛さは罪だよ、持って帰りたいなぁ。 「ああ、カモだな。ちゃんと親鳥の後を追いかけてるのか」 「いいよねぇ、ああいうの。見ていて微笑ましくて……」 「……一応、言っておくが食べられないぞ?」 「食べないよっ!祥吾ちゃん、それはひどくない?うぅ、祥吾ちゃんのバカッ」 せっかくの感動を壊されて私は祥吾ちゃんの胸を軽く叩く。 「ムードぶち壊すなんてひどい、空気を読んでよね!」 「悪かったよ……って、おいっ!?」 「ん?きゃっ!?」 手を繋いだままだったので彼はバランスを崩して後ろに倒れこんでしまう。 私も一緒に彼の上に乗りかかるように倒れた。 「だ、大丈夫?祥吾ちゃん?」 怪我とかないか心配で声をかけると彼は優しい声で、 「草むらがクッションになってくれたんだ。風が気持ちいいな」 私を抱きしめて寝転がりながら空を見上げる。 心地よい太陽の日差し、澄み切った青空にふく風、木々の安らぐ音。 自然を身体で感じている、表現するならそういう感じ。 「まぁ、しばらくはこうしてるか。更紗は俺の腕の中に閉じ込めておこう」 「はぅ、祥吾ちゃん。これは恥ずかしいよ」 私はドキドキ感が収まらずに真っ赤になってしまう。 祥吾ちゃんは時々、ものすごく大胆になるから困る。 「……祥吾ちゃん?」 「更紗の心臓の音が聞こえる。ドキドキしてるのか?」 祥吾ちゃんの手が私の胸に触れていた。 私はなすがままにされて、恥ずかしくなりながらも、 「ドキドキしてる。大好きな人に抱きしめられてしないわけがないでしょ」 「あはは、昔はすごく強気で我が侭だった更紗が素直になるなんて、ある意味、面白いよな。私に触るなんて許さないって怒鳴っていたのが更紗だろ?」 「……うぁ……そんな昔の事を言わないでもいいじゃない。祥吾ちゃんの意地悪」 すっかりと主導権を握られてしまっている。 昔から私の我が侭に付き合ってくれていた祥吾ちゃん。 祥吾ちゃんを支配しているのは私だって思っていたのに、いつのまにか、私が祥吾ちゃんに支配されている。 もちろん、そう言うのもいいんだけどね。 抱きしめられて伝わるのは彼の身体の温もり。 祥吾ちゃんだってドキドキしてるのが伝わって来るんだもん。 「意地悪だけど、好き……。もっと祥吾ちゃんに意地悪されたい」 「……おやおや、ずいぶんと大人しくなったもんだ。俺に調教されてきたか?」 「成長と言ってよ、成長って!そういう意地悪は嫌いっ」 祥吾ちゃんはサディストかもしれない、ふっと笑う彼に私はそう思った。 「んっ……そろそろ起きるか」 しばらく抱き合っていたけど、彼が起き上がったので、私の身体をゆっくりと離す。 「更紗。もうあと少しで結婚式だな」D10 媚薬 催情剤 湖を一緒に眺めながら彼は私にそう言った。 あと数週間で私達の結婚式、夢のような新しい世界が始まる。 「うん。楽しみだよね……。私達が結婚して夫婦になるって不思議だけど」 「生意気なお嫁さんもらう俺の立場の方が大変さ」 「……祥吾ちゃんは私みたいな女の子は嫌い?」 彼の顔を見つめながらそう言うと、予想通りに彼は私の唇を甘くキスした。 「……んんっ……むぅ……」 祥吾ちゃんが下唇を軽く噛んでくるのに、私も精一杯に彼を受け止める。 最近、キスされるだけで身体から力の抜ける気持ちになってくる。 「嫌なワケない。更紗をお嫁さんにできるのは俺の夢だからな……」 「もうっ、祥吾ちゃんってツンデレだよね」 「……そういう更紗もな」 クスクスと笑いあう私と祥吾ちゃん。 ゆっくりと時間の流れる世界で、私は大事な人の傍で笑う。 「好きな人の前で素直になるのは当然の事だと俺は思うんだ」 「うん……。私もそう思うよ」 これから先、私と祥吾ちゃんが結婚して夫婦になっても今の関係は変わるのかな。 私は不思議と変わらない気がしていたんだ。 これからもこんな風に私達は過ごしていくんだろうなって自然に思えた。 喧嘩したり、一緒に笑いあったり、共感しあったり。 たくさんのいい事も悪い事も、私達は一緒に過ごしていく。 「祥吾ちゃん、久しぶりに契約しない?」 「契約?何だよ、その契約内容によるぞ」 少し警戒して私の言葉を待つ祥吾ちゃん。 大丈夫、私はもう無茶して貴方を縛り付けるような事はしないから。 「祥吾ちゃん。……私だけを愛して欲しいな」 「それが契約?また、何とも単純な契約だな。いいよ、俺は更紗だけを愛する」 「……約束だからね。今度の契約は守ってください」 小指と小指を重ねて指きりしながら、私はそう言葉にした。 私は彼と契約を結ぶ、それは永遠に切れないように願う。 「エンゲージ。私と祥吾ちゃんは永遠に離れない事を誓います」 「……永遠かよ。それはずいぶんと覚悟のいりそうな契約だな」 それでも嫌な顔をせずに私の頬を撫でる彼。 これからも続く私達の時間、傍にい続けてくれる祥吾ちゃんを私は信じる。 「俺と更紗は運命の相手なんだ。この契約、絶対に守り通すさ」 それは愛の契約、かけがえのない相手と結ぶ魔法の言葉と絆。 結婚式まであと少し、私達の未来に希望を込めて私はもう1度、彼に唇を重ね合わせた。紅蜘蛛(媚薬催情粉)
2012年5月13日星期日
雨と猫と私
「如何したんだ?そんな所で。」
道端のガードレール脇に座り込んでいた私は、背後から掛かる声に振り向いた。
背の高い茶髪の青年が、こちらを見降ろして立っている。SPANISCHE FLIEGE
「具合でも、悪いのか?」
「ううん、違うの。猫が―。」
ガードレールの下を指差した私に、青年が歩み寄って来て眼下を覗き込む。
断崖になっている岩場の中腹、一匹の猫が身動き取れずに頼り無く鳴いていた。
「落ちたのか?」
「うん。先刻、車を避けた時に勢い余ったみたいで。」
「見てたの?」
「偶然。このまま、放って行けないし……如何しようと思って……。」
「そうだな……よし。」
青年は不意に立ち上がると、差していた傘を折り畳む。
そして、皮製のジャケットを脱ぐとガードレールの足に一方の袖を縛り付けた。
「ちょっと……何するつもり?」
「俺が降りて、あの猫を拾って来る。」
「そんな、危ないよ!雨も降ってるのに……!」
「けど、見過ごせないだろ?」
そう言って、ニコリと笑う青年に。
私は、それ以上何も言えなくなってしまった。
ガードレールに結んだジャケットを手掛かりに、断崖を降りて行く。
雨で滑る岩場は、足場にするには余りにも不安定で頼り無い。
降りた距離は、1メートル位だろうか。
だが一歩間違えば、その下は10メートル近くありそうだ。
自らの危険も顧みずに猫を助けようとする青年に、私はハラハラしながら見守る事しか出来なかった。
「大丈夫か?ほら、おいで。」
ジャケットから片手を離し、猫に差し伸べる。
猫は顔を上げて一声鳴くが、その場から動かない。
「動けないのか……ちょっと待ってろ。」
青年は岩場に片方の足を引っ掛け、猫のいる断崖に身体を近付ける。
「良し……もう、大丈夫だぞ。」
蹲っていた猫を抱え上げて、青年がほっ……と一息付いた、その時。
ガクンッ!!
掛けていた足が岩場から滑り、青年の身体が大きくバランスを崩した。
「うわあっ!!」
「ちょっと貴方!!大丈夫っ!?」
「あ、ああ……何とか。」
眼下の光景に目を遣り、流石の青年も冷汗を流しながら呟いた。
「済まないけど、引き上げてくれないか?片腕だと、身動きが取れないんだ。」
片腕に猫を抱いた青年に頷いて、私はジャケットを掴んだ。
しかし……重い。
考えてみれば、女性一人の力で立派な体躯の成人男性を引き上げるなんて相当に無理のある話で。
けど、他に頼れる相手も居ないし、何より発端は自分にあるのだ。
そう思い、両腕にありったけの力を込める。
如何にか彼の手がガードレールの足を掴める所迄は、引き上げる事が出来た。
「頼む、先にこの子を受け取ってくれ。」
差し伸べられた猫を受け取ると、彼は漸く空いた片手で軽々と上に登った。
「大丈夫?怪我とか無かった?」
「如何も、足を怪我してるみたいなんだ。俺が良く世話になってる医者が居るから、連れて行こう!」SPANISCHE FLIEGE D9
青年はそう言って猫を抱えると、雨の中を走り出した。
―聞いたのは、猫の事では無かったのに。
折り畳んだまま置き去られた彼の傘を手に取り、私は後を追って駆け出した。
光の加減で金色にも見える茶色の髪、すらりと高い背、整った顔。
擦れ違う女の子の視線が思わず釘付けになる、そんな格好良い青年。
なのに……何だろう、この人は。
雨の中を傘も差さずに、泥だらけの顔で、伸びたジャケットを羽織り。
猫一匹の為に危険すら顧みずに身を投げ出してしまう、そんな人。
外見と中身の、余りのギャップが可笑しくて。
そんな彼の背中を追いながら、私はずっと考えていた。
―私……この人の事、知っている様な気がする……。
「先生!!済みません、急患なんですけど!」
「……何だ、また拾って来たのか。」
駆け込んだ獣医で、彼の声に振り向いた医者は呆れながら苦笑した。
「で、今日のは?」
「足を、怪我してるみたいなんです。崖から、落ちたらしくて―。」
随分と馴染んだ口調で言葉を交わす医者と青年の姿に、私は呆気に取られて目の前の光景を眺めていた。
「じゃ、この子は診察して治療しておくから。君は、顔だけでも拭きなさい。」
そう言ってタオルを手渡す医者に、青年は照れ臭そうに苦笑した。
「しかし、今日は連れがいるんだね?珍しい……恋人かい?」
「え?いや……彼女が、その子の第一発見者。」
濡れた髪を拭きながら青年が振り向いて、ニコリと笑う。
「そう言えば、未だ名前を聞いて無かったな。」
「私?日向、葵。」
「葵……綺麗な名前だね。俺は―。」
「桐生暁君!この子、今日は如何するんだい?」
狙った様に医者に名前を呼ばれ、彼は渋い顔をして振り向いた。
「大丈夫そうなら、連れて帰りますよ!入院費も馬鹿にならない。」
「そうかい、少しは私の苦労も分かる様になった様だね。」
楽しそうに笑う医者に、青年は酷い仏頂面で頭を掻いた。
「暁、って言うんだ。名前。」
「……全く……名前位、自分で名乗らせてくれよ。」
深々と溜息を付く暁に、私は思わず笑い出してしまった。
「ふぅん……じゃ、良くあのお医者さんの所に猫を連れて行くんだ?」
「ああ。余りに年中連れて行くもんだから、遂には呆れられてさ。最近は、只で診察してくれてるんだ。
御陰で、助かってるけど。」
獣医からの帰り道。
雨上がりの道を、並んで歩きながら。
暁は腕に抱いた猫を撫でながら、そんな話をしてくれた。
「それじゃ暁さんの家、猫で一杯なんじゃないの?」
「いや、飼いたいんだけど親父が大の猫嫌いで。だから、何時も知り合いに預かって貰って里親探し。」
「そっか……私の家で飼えれば良いんだけど、昼間は誰も居ないから世話してあげられないし。」
「一人暮らし、なのか?」
「ううん、お母さんと二人暮らし。だから、お母さん昼間は仕事に出てるの。」
「そうなのか……それで君も、バイト―。」
「え?」
思わず振り向いた私に、暁がしまったと言わんばかりに口を押さえ目を逸らす。
「成程……どうも、何処かで会った事ある気がしてたんだよね。」
「……………。」
「貴方、私がバイトをしてる喫茶店に常連で来てる人でしょ?同僚の女の子達が良く噂してる。」
「噂に、なってるのか?」
「何時も窓際に座って物憂気に外を眺めてる格好良い人、って。」
「何か……偉く、美化されて無いか?それ。」
「そうだね、本人がこんな人だって知ったら皆、どんな顔するかな?」
照れ臭そうに顔を赤らめ頬を掻く暁にクスクス笑いながら、伸びたジャケットの袖を軽く掴み取る。SPANISCHE FLIEGE D6
「このジャケット、もう着られないね。」
「そうだな……結構、気に入ってたんだけど。」
「良かったら、私が新しいのプレゼントしようか?」
「え?いや、いいよ……母親と二人暮らしで、色々と大変なんだろ?」
「けど、今日の件は私が巻き込んだ様な物だし。それに……。」
暁の一歩前に進み出て、くるりと振り返る。
「また、こうやって暁さんと話したいな……って、思って。」
驚いた様に、目を瞬く暁。
その表情は直ぐに、綻ぶ様な笑顔に変わった。
「じゃ、金は自分で出すから。一緒に、選びに行ってくれないか?」
「いいの?それで。」
「ああ。今度、葵のバイトが休みの日にでも出掛けよう。」
「次の休みは確か、今週の金曜日かな。何処で、待ち合わせればいい?」
「そうだな、俺の行き付けの喫茶店とか?」
「行き付けの……って、それ私のバイト先じゃない!!」
思わず、真っ赤になって怒鳴った私に。
暁が、声を立てて楽し気に笑った。
「お前には、感謝しなきゃならないな。」
葵と別れた後。
俺は抱えた猫を預けに、一人暮らしの友人宅に向かっていた。
余りに何時もの事なので、向こうも既に諦め半分で承知してくれる。
申し訳無いとは思うが、他に頼れる宛も無い。
いずれ、何らかの形で埋め合わせはするとしよう。
何にせよ、今日は気分が良い。
気に入っていたコートが伸びたのも、全く気にはならなかった。
―ずっと、気になっていた理想の少女。
何気無く入った喫茶店で見掛けて、一目惚れして以来。
その店の常連となって、通い続けていた。
―今日、彼女と出会ったのは全くの偶然。
けど、これが切っ掛けで彼女と知り合えたのは紛れも無い事実で。
次に会う約束迄出来たのは、我ながら幸運だと思った。
「お前にも、いい里親を探してやるからな?」
喉をゴロゴロと鳴らす猫に、俺は上機嫌で顎を撫でてやったSPANISCHE FLIEGE D5。
道端のガードレール脇に座り込んでいた私は、背後から掛かる声に振り向いた。
背の高い茶髪の青年が、こちらを見降ろして立っている。SPANISCHE FLIEGE
「具合でも、悪いのか?」
「ううん、違うの。猫が―。」
ガードレールの下を指差した私に、青年が歩み寄って来て眼下を覗き込む。
断崖になっている岩場の中腹、一匹の猫が身動き取れずに頼り無く鳴いていた。
「落ちたのか?」
「うん。先刻、車を避けた時に勢い余ったみたいで。」
「見てたの?」
「偶然。このまま、放って行けないし……如何しようと思って……。」
「そうだな……よし。」
青年は不意に立ち上がると、差していた傘を折り畳む。
そして、皮製のジャケットを脱ぐとガードレールの足に一方の袖を縛り付けた。
「ちょっと……何するつもり?」
「俺が降りて、あの猫を拾って来る。」
「そんな、危ないよ!雨も降ってるのに……!」
「けど、見過ごせないだろ?」
そう言って、ニコリと笑う青年に。
私は、それ以上何も言えなくなってしまった。
ガードレールに結んだジャケットを手掛かりに、断崖を降りて行く。
雨で滑る岩場は、足場にするには余りにも不安定で頼り無い。
降りた距離は、1メートル位だろうか。
だが一歩間違えば、その下は10メートル近くありそうだ。
自らの危険も顧みずに猫を助けようとする青年に、私はハラハラしながら見守る事しか出来なかった。
「大丈夫か?ほら、おいで。」
ジャケットから片手を離し、猫に差し伸べる。
猫は顔を上げて一声鳴くが、その場から動かない。
「動けないのか……ちょっと待ってろ。」
青年は岩場に片方の足を引っ掛け、猫のいる断崖に身体を近付ける。
「良し……もう、大丈夫だぞ。」
蹲っていた猫を抱え上げて、青年がほっ……と一息付いた、その時。
ガクンッ!!
掛けていた足が岩場から滑り、青年の身体が大きくバランスを崩した。
「うわあっ!!」
「ちょっと貴方!!大丈夫っ!?」
「あ、ああ……何とか。」
眼下の光景に目を遣り、流石の青年も冷汗を流しながら呟いた。
「済まないけど、引き上げてくれないか?片腕だと、身動きが取れないんだ。」
片腕に猫を抱いた青年に頷いて、私はジャケットを掴んだ。
しかし……重い。
考えてみれば、女性一人の力で立派な体躯の成人男性を引き上げるなんて相当に無理のある話で。
けど、他に頼れる相手も居ないし、何より発端は自分にあるのだ。
そう思い、両腕にありったけの力を込める。
如何にか彼の手がガードレールの足を掴める所迄は、引き上げる事が出来た。
「頼む、先にこの子を受け取ってくれ。」
差し伸べられた猫を受け取ると、彼は漸く空いた片手で軽々と上に登った。
「大丈夫?怪我とか無かった?」
「如何も、足を怪我してるみたいなんだ。俺が良く世話になってる医者が居るから、連れて行こう!」SPANISCHE FLIEGE D9
青年はそう言って猫を抱えると、雨の中を走り出した。
―聞いたのは、猫の事では無かったのに。
折り畳んだまま置き去られた彼の傘を手に取り、私は後を追って駆け出した。
光の加減で金色にも見える茶色の髪、すらりと高い背、整った顔。
擦れ違う女の子の視線が思わず釘付けになる、そんな格好良い青年。
なのに……何だろう、この人は。
雨の中を傘も差さずに、泥だらけの顔で、伸びたジャケットを羽織り。
猫一匹の為に危険すら顧みずに身を投げ出してしまう、そんな人。
外見と中身の、余りのギャップが可笑しくて。
そんな彼の背中を追いながら、私はずっと考えていた。
―私……この人の事、知っている様な気がする……。
「先生!!済みません、急患なんですけど!」
「……何だ、また拾って来たのか。」
駆け込んだ獣医で、彼の声に振り向いた医者は呆れながら苦笑した。
「で、今日のは?」
「足を、怪我してるみたいなんです。崖から、落ちたらしくて―。」
随分と馴染んだ口調で言葉を交わす医者と青年の姿に、私は呆気に取られて目の前の光景を眺めていた。
「じゃ、この子は診察して治療しておくから。君は、顔だけでも拭きなさい。」
そう言ってタオルを手渡す医者に、青年は照れ臭そうに苦笑した。
「しかし、今日は連れがいるんだね?珍しい……恋人かい?」
「え?いや……彼女が、その子の第一発見者。」
濡れた髪を拭きながら青年が振り向いて、ニコリと笑う。
「そう言えば、未だ名前を聞いて無かったな。」
「私?日向、葵。」
「葵……綺麗な名前だね。俺は―。」
「桐生暁君!この子、今日は如何するんだい?」
狙った様に医者に名前を呼ばれ、彼は渋い顔をして振り向いた。
「大丈夫そうなら、連れて帰りますよ!入院費も馬鹿にならない。」
「そうかい、少しは私の苦労も分かる様になった様だね。」
楽しそうに笑う医者に、青年は酷い仏頂面で頭を掻いた。
「暁、って言うんだ。名前。」
「……全く……名前位、自分で名乗らせてくれよ。」
深々と溜息を付く暁に、私は思わず笑い出してしまった。
「ふぅん……じゃ、良くあのお医者さんの所に猫を連れて行くんだ?」
「ああ。余りに年中連れて行くもんだから、遂には呆れられてさ。最近は、只で診察してくれてるんだ。
御陰で、助かってるけど。」
獣医からの帰り道。
雨上がりの道を、並んで歩きながら。
暁は腕に抱いた猫を撫でながら、そんな話をしてくれた。
「それじゃ暁さんの家、猫で一杯なんじゃないの?」
「いや、飼いたいんだけど親父が大の猫嫌いで。だから、何時も知り合いに預かって貰って里親探し。」
「そっか……私の家で飼えれば良いんだけど、昼間は誰も居ないから世話してあげられないし。」
「一人暮らし、なのか?」
「ううん、お母さんと二人暮らし。だから、お母さん昼間は仕事に出てるの。」
「そうなのか……それで君も、バイト―。」
「え?」
思わず振り向いた私に、暁がしまったと言わんばかりに口を押さえ目を逸らす。
「成程……どうも、何処かで会った事ある気がしてたんだよね。」
「……………。」
「貴方、私がバイトをしてる喫茶店に常連で来てる人でしょ?同僚の女の子達が良く噂してる。」
「噂に、なってるのか?」
「何時も窓際に座って物憂気に外を眺めてる格好良い人、って。」
「何か……偉く、美化されて無いか?それ。」
「そうだね、本人がこんな人だって知ったら皆、どんな顔するかな?」
照れ臭そうに顔を赤らめ頬を掻く暁にクスクス笑いながら、伸びたジャケットの袖を軽く掴み取る。SPANISCHE FLIEGE D6
「このジャケット、もう着られないね。」
「そうだな……結構、気に入ってたんだけど。」
「良かったら、私が新しいのプレゼントしようか?」
「え?いや、いいよ……母親と二人暮らしで、色々と大変なんだろ?」
「けど、今日の件は私が巻き込んだ様な物だし。それに……。」
暁の一歩前に進み出て、くるりと振り返る。
「また、こうやって暁さんと話したいな……って、思って。」
驚いた様に、目を瞬く暁。
その表情は直ぐに、綻ぶ様な笑顔に変わった。
「じゃ、金は自分で出すから。一緒に、選びに行ってくれないか?」
「いいの?それで。」
「ああ。今度、葵のバイトが休みの日にでも出掛けよう。」
「次の休みは確か、今週の金曜日かな。何処で、待ち合わせればいい?」
「そうだな、俺の行き付けの喫茶店とか?」
「行き付けの……って、それ私のバイト先じゃない!!」
思わず、真っ赤になって怒鳴った私に。
暁が、声を立てて楽し気に笑った。
「お前には、感謝しなきゃならないな。」
葵と別れた後。
俺は抱えた猫を預けに、一人暮らしの友人宅に向かっていた。
余りに何時もの事なので、向こうも既に諦め半分で承知してくれる。
申し訳無いとは思うが、他に頼れる宛も無い。
いずれ、何らかの形で埋め合わせはするとしよう。
何にせよ、今日は気分が良い。
気に入っていたコートが伸びたのも、全く気にはならなかった。
―ずっと、気になっていた理想の少女。
何気無く入った喫茶店で見掛けて、一目惚れして以来。
その店の常連となって、通い続けていた。
―今日、彼女と出会ったのは全くの偶然。
けど、これが切っ掛けで彼女と知り合えたのは紛れも無い事実で。
次に会う約束迄出来たのは、我ながら幸運だと思った。
「お前にも、いい里親を探してやるからな?」
喉をゴロゴロと鳴らす猫に、俺は上機嫌で顎を撫でてやったSPANISCHE FLIEGE D5。
2012年5月9日星期三
団地の金魚
うちのママは団地の金魚だ。
小柄で太っているママ。
赤いタートルネックのカットソーに、ピンクやオレンジのシフォン生地のスカートを着ているママ。簡約痩身美体カプセル
団地の金魚。
右手の中指と左手の人差し指には、大きな石をはめ込んだ指輪が飾られている。青い石と、茶色く濁った石。パワーストーンなんだって。太った薬指に埋もれた結婚指輪は、石とこすれ合って、いつも悲鳴をあげている。
ママは陰で「デメキン」って呼ばれている。
お腹のところ、肉の浮き輪がくっきり出ているし、幅の広い足を無理矢理ミュールに押し込んで、のろのろ歩いている。大きな目は少し離れていて、度のきつい古いメガネをかけると、もう目が飛び出そうに見えた。
出目金。ぴったりだ。
大声で人を呼び止めて、強引に家に招待して手作りのお菓子を振る舞うのが趣味で、その趣味を迷惑だって思っている人も、きっと多いと思う。
でも、あたしはママを責めたりしない。
デメキンのママを、あたしは怒鳴ったりしない。
観葉植物で埋まったベランダを行き来するママを見て、水槽の金魚だって笑うクラスメイトがいても、あたしはママに赤いタートルネックを捨ててなんて、言ったりしない。言えるわけがない。
あたしも、団地の皆と同じ。
工場に勤めるパパの役職に怯えて、仕方なくママのご機嫌を取っている人たちと同じだ。パパの采配一つで、首になっちゃうかもしれないからっていう人たちと。
パパがあまり団地に帰ってこなくても、ママには団地っていう、とっても居心地のいい水槽がある。ママは幸せだ。あたしはママの幸せが、崩れなければとりあえず幸せ。
夢見が丘団地は、坂にしがみつくように建っている。
そんな必死な姿が、あたしは好きだ。
団地を見て「ああ必死だな。いいな」って思っているのは、あたしくらいだろうけど。
学校を出て自転車をこぐ。ゆっくり、ゆっくりこぐ。
まだ9月、もう9月。
喉の中で数字ばかりがぐるぐるまわって、思わず大きく息を吸い込んだ。あったかい風が胸の奥までぐっと押し入ってくる。体が水槽の底へ沈んでいくような感覚。
高校3年間なんて、あっという間だ。
団地の手前には2車線の国道があって、団地とコンビニとは道を挟んで向かい合っている。
あたしはコンビニの常連だ。いつものように雑誌コーナーを横目にゆっくりと歩きながら、慎重に記憶をたどる。
ファンタのオレンジ。
彼の好きな物は、ちゃんと頭に入っている。今日は何を飲んでいたか、食べていたか、一生忘れまいと毎日必死に目で追っている。彼と同じものを買って、ちょっとだけ嬉しくなって、とても悲しくなる。あたしは気持ち悪い。
買い物を済ませ、コンビニの駐車場まで自転車を押した。
国道に出る側に、Uの字を逆さまにした車止めが2つ並んでいる。右側の1つに座った。ゆがんだ制服のプリーツをひっぱって、団地を見上げる。
もうすぐ彼が帰ってくる。今日もまた、自転車をこいで、この坂をのぼっていく。
三国真(まこと)くん。
口の中で繰り返し唱えてみる。
槇野くんや篠崎くんは、「真(しん)ちゃん」って呼ぶ。幼馴染っていいなって思う。中学の時に引っ越してきたあたしには、絶対に届かない場所だ。日本秀身堂救急箱
三国真くん。
彼に声をかけるとしたら、どんな呼び方がいいだろう?
いきなり「マコトくん」は変だから、三国くんだよね。でも、ちょっとくらい彼を驚かせるようなことをしてもいいのかもしれない。「シンちゃん」って呼べたら、意識してくれるかもしれない。
ううん、やっぱりそんな展開は、絶対にありえない。
だって、あたしはママによく似ているもの。
団地の群に、夕陽が沈んでいく。
たぶん昔は真っ白だった壁。今は灰色に沈んでいる。近くに寄って見れば、ヒビだってけっこう入っている。
まるでママみたいだ、なんて思う。
あたしはきっと、真っ赤に染まっているはずだ。あたしと向かい合った夕陽は、ぼうっと大きく揺れていて、今にも空に溶けていきそうだ。
「いやだな」
ぽつりとつぶやく。あたしは、きっと、炭酸のオレンジジュースにはなれない。
「いやだな……」
なんで、あたしばっかり、こんなに取り繕っているんだろう。
なんで、あたしばっかり、こんなに苦しいんだろう。
ママは水槽の中で好き勝手に泳いでいればいいけれど、あたしは水の中では、長く息が続かない。
あたしには、ママのようなエラはない。
「古泊も同じこと考えるんだな」
背後から声をかけられて、あたしは車止めから慌てて飛び降りた。
「み、三国くん」
マコトくんだ。
国道を走って来るとばかり思っていたから、すごくびっくりした。マコトくんは「自転車、友達の弟に貸したんだよ」と言って、溜め息をつく。きっと篠崎くんのことだ。
染めてない髪は、夏休み前に比べて少し伸びた。体育祭の練習で赤く焼けた腕は、あたしより細い。
こんなに近くにいるのに、あたしは目を合わせられなくて、下を向く。
「古泊、僕の名前?」
「同じ学年だし……!」
知っていることがいけないと言われた気がして、あたしは慌てて弁解をした。
「それに、1年生の時、篠崎くんと一緒のクラスだったから」
「ああ、そっか。篠崎。あいつと仲いいんだ?」
「うん」
あたしは嘘をついた。
篠崎くんと話したことなんて、たぶんない。
マコトくんのことを知ったのは、2年生に進級してからだ。
学年末のテストの結果がよかった篠崎くんは、2年になって特別進学クラスに移った。彼がクラス発表の掲示板の前で飛びついた相手が、マコトくんだった。
あの時、マコトくんは口で悪態をつきながら、目では「仕方ないな」と言っていた。その「仕方ないな」は、篠崎くん自身と、篠崎くんが抱えてきた他の人には見えない「何か」のすべてに向けられているような、そんな気がした。
あたしにはその「何か」がちょっとだけわかっていた。
だから、いいなって、思った。
「三国くんこそ、なんで、あたしの名前……」
あたしは、声が震えてしまわないように、ゆっくりと尋ねる。
「1年の時、篠崎がさ。これ、何て読むかわからないだろうって。フルドマリって、たしかに珍しいよな」
あたしはやっとの思いで顔をあげて、マコトくんを見る。彼はあたしに微笑んでくれた。篠崎くんに感謝だ。
「古泊は、夜が怖いって思ったことがある?」
「怖い?」
「うん、そう。この町ってさ、何もないじゃん。山に囲まれて閉ざされてるっていうか。夜になると家に帰るしかないし。タウンガーデンは夜の10時まで。オールできるところってないもんな」
あたしは半分残ったファンタオレンジを握って、マコトくんをじっと見つめる。こんなに近くで、しかも話しかけられているなんて、「夢みたいだ」なんてありきたりの言葉しか出てこないくらい、夢みたいだ。V26Ⅱ即効減肥サプリ
「三国くんは、夜が怖いの?」
「怖いよ。団地の中に縛られているあの時間、深海の底でじっと息をひそめている真っ黒な魚みたいな気持ちになる。身じろぎもできずに、いろんなことを我慢しなくちゃいけない」
いろんなこと、という言葉が引っかかった。マコトくんのいろんなことには、あたしよりももっとたくさんの重大な悩みが隠れているような気がする。
マコトくんはそれを、誰かに打ち明けたことがあるのだろうか。
篠崎くんや槇野くんよりも先に、あたしに打ち明けてくれないだろうか。「あたしでよければ悩みを聞くよ」って、あたしの口からすらすらと出て行かないだろうか。
やっぱり、そんなことありえない。
だって、あたしは、ママによく似ているもの。
「ねぇ、三国くん。ほんとに大学行かないの?」
マコトくんが背伸びをした。もう、あの坂を上るつもりなんだ。あたしはどうにかして引き止めたくて、息を吐く勢いに任せて聞いた。
「こ、この前、進路指導室の前で偶然。工藤先生、すごく怒ってた」
「ああ、バッハ」
バッハは工藤先生のあだ名だ。くせ毛の髪が、音楽室にあるバッハの肖像画みたいに、ぐるぐるしているから、バッハ。
「医学部に行けってうるさかったから、じゃあなんで医学部にいかなきゃならないのか説明しろって言ったんだよ。バッハの言う通りに進学しなきゃ世界は滅びるのかって。もちろん、そんなわけないだろうけどさ」
「それで先生、あんなに怒鳴ってたんだ」
「だってさ、こっちが引くくらい顔真っ赤にして説得するんだぜ。生徒のことを考えてるふりしてさ。ふりだって、こっちはちゃんとわかってるってのにな」
マコトくんは苦い顔をしている。あたしはまた下を向いた。
考えている、ふり。ママのシフォンスカートが、頭のすみでひらひらと泳いだ。
「この町の外にはさ」
マコトくんがふいにつぶやく。
「僕たちの手に負えないほどの選択肢がある。就職とか進学とか、そういう短い言葉だけじゃ表せないたくさんの選択肢。不用意に選べば失敗するかもしれないし、選ばなくて失敗するかもしれないし、回り道になるかもしれない。でも、そうやって繰り返してあーって頭抱えて、またやりなおすことのほうが、僕にとって、僕の世界を救うことにつながると思ってるんだ」
「三国くんの、世界」
あたしは手のひらを夕陽にかざした。
あたしの世界は、ママの色で染まっている。
「古泊、ファンタ好きなんだ」
マコトくんが、膝の上でペットボトルを握るあたしの手を指さす。
「古泊にもきっと見つかるよ。あの海の底から抜け出す方法」
「できるかな」
「同じファンタ好きが言うからまちがいない」
マコトくんがにっと笑った。
団地を見上げる。
ママの水槽が夜の海に沈んでいく姿を、しっかり見届ける。
ママもきっと水槽の中では、長く息ができない。
出てみようかな、この町をV26即効ダイエット 。
まだ9月、もう9月。
もう少しだけ考えて、ちゃんと自分で選ぶことができたら。
そしたら告げよう、「マコトくん」に。
小柄で太っているママ。
赤いタートルネックのカットソーに、ピンクやオレンジのシフォン生地のスカートを着ているママ。簡約痩身美体カプセル
団地の金魚。
右手の中指と左手の人差し指には、大きな石をはめ込んだ指輪が飾られている。青い石と、茶色く濁った石。パワーストーンなんだって。太った薬指に埋もれた結婚指輪は、石とこすれ合って、いつも悲鳴をあげている。
ママは陰で「デメキン」って呼ばれている。
お腹のところ、肉の浮き輪がくっきり出ているし、幅の広い足を無理矢理ミュールに押し込んで、のろのろ歩いている。大きな目は少し離れていて、度のきつい古いメガネをかけると、もう目が飛び出そうに見えた。
出目金。ぴったりだ。
大声で人を呼び止めて、強引に家に招待して手作りのお菓子を振る舞うのが趣味で、その趣味を迷惑だって思っている人も、きっと多いと思う。
でも、あたしはママを責めたりしない。
デメキンのママを、あたしは怒鳴ったりしない。
観葉植物で埋まったベランダを行き来するママを見て、水槽の金魚だって笑うクラスメイトがいても、あたしはママに赤いタートルネックを捨ててなんて、言ったりしない。言えるわけがない。
あたしも、団地の皆と同じ。
工場に勤めるパパの役職に怯えて、仕方なくママのご機嫌を取っている人たちと同じだ。パパの采配一つで、首になっちゃうかもしれないからっていう人たちと。
パパがあまり団地に帰ってこなくても、ママには団地っていう、とっても居心地のいい水槽がある。ママは幸せだ。あたしはママの幸せが、崩れなければとりあえず幸せ。
夢見が丘団地は、坂にしがみつくように建っている。
そんな必死な姿が、あたしは好きだ。
団地を見て「ああ必死だな。いいな」って思っているのは、あたしくらいだろうけど。
学校を出て自転車をこぐ。ゆっくり、ゆっくりこぐ。
まだ9月、もう9月。
喉の中で数字ばかりがぐるぐるまわって、思わず大きく息を吸い込んだ。あったかい風が胸の奥までぐっと押し入ってくる。体が水槽の底へ沈んでいくような感覚。
高校3年間なんて、あっという間だ。
団地の手前には2車線の国道があって、団地とコンビニとは道を挟んで向かい合っている。
あたしはコンビニの常連だ。いつものように雑誌コーナーを横目にゆっくりと歩きながら、慎重に記憶をたどる。
ファンタのオレンジ。
彼の好きな物は、ちゃんと頭に入っている。今日は何を飲んでいたか、食べていたか、一生忘れまいと毎日必死に目で追っている。彼と同じものを買って、ちょっとだけ嬉しくなって、とても悲しくなる。あたしは気持ち悪い。
買い物を済ませ、コンビニの駐車場まで自転車を押した。
国道に出る側に、Uの字を逆さまにした車止めが2つ並んでいる。右側の1つに座った。ゆがんだ制服のプリーツをひっぱって、団地を見上げる。
もうすぐ彼が帰ってくる。今日もまた、自転車をこいで、この坂をのぼっていく。
三国真(まこと)くん。
口の中で繰り返し唱えてみる。
槇野くんや篠崎くんは、「真(しん)ちゃん」って呼ぶ。幼馴染っていいなって思う。中学の時に引っ越してきたあたしには、絶対に届かない場所だ。日本秀身堂救急箱
三国真くん。
彼に声をかけるとしたら、どんな呼び方がいいだろう?
いきなり「マコトくん」は変だから、三国くんだよね。でも、ちょっとくらい彼を驚かせるようなことをしてもいいのかもしれない。「シンちゃん」って呼べたら、意識してくれるかもしれない。
ううん、やっぱりそんな展開は、絶対にありえない。
だって、あたしはママによく似ているもの。
団地の群に、夕陽が沈んでいく。
たぶん昔は真っ白だった壁。今は灰色に沈んでいる。近くに寄って見れば、ヒビだってけっこう入っている。
まるでママみたいだ、なんて思う。
あたしはきっと、真っ赤に染まっているはずだ。あたしと向かい合った夕陽は、ぼうっと大きく揺れていて、今にも空に溶けていきそうだ。
「いやだな」
ぽつりとつぶやく。あたしは、きっと、炭酸のオレンジジュースにはなれない。
「いやだな……」
なんで、あたしばっかり、こんなに取り繕っているんだろう。
なんで、あたしばっかり、こんなに苦しいんだろう。
ママは水槽の中で好き勝手に泳いでいればいいけれど、あたしは水の中では、長く息が続かない。
あたしには、ママのようなエラはない。
「古泊も同じこと考えるんだな」
背後から声をかけられて、あたしは車止めから慌てて飛び降りた。
「み、三国くん」
マコトくんだ。
国道を走って来るとばかり思っていたから、すごくびっくりした。マコトくんは「自転車、友達の弟に貸したんだよ」と言って、溜め息をつく。きっと篠崎くんのことだ。
染めてない髪は、夏休み前に比べて少し伸びた。体育祭の練習で赤く焼けた腕は、あたしより細い。
こんなに近くにいるのに、あたしは目を合わせられなくて、下を向く。
「古泊、僕の名前?」
「同じ学年だし……!」
知っていることがいけないと言われた気がして、あたしは慌てて弁解をした。
「それに、1年生の時、篠崎くんと一緒のクラスだったから」
「ああ、そっか。篠崎。あいつと仲いいんだ?」
「うん」
あたしは嘘をついた。
篠崎くんと話したことなんて、たぶんない。
マコトくんのことを知ったのは、2年生に進級してからだ。
学年末のテストの結果がよかった篠崎くんは、2年になって特別進学クラスに移った。彼がクラス発表の掲示板の前で飛びついた相手が、マコトくんだった。
あの時、マコトくんは口で悪態をつきながら、目では「仕方ないな」と言っていた。その「仕方ないな」は、篠崎くん自身と、篠崎くんが抱えてきた他の人には見えない「何か」のすべてに向けられているような、そんな気がした。
あたしにはその「何か」がちょっとだけわかっていた。
だから、いいなって、思った。
「三国くんこそ、なんで、あたしの名前……」
あたしは、声が震えてしまわないように、ゆっくりと尋ねる。
「1年の時、篠崎がさ。これ、何て読むかわからないだろうって。フルドマリって、たしかに珍しいよな」
あたしはやっとの思いで顔をあげて、マコトくんを見る。彼はあたしに微笑んでくれた。篠崎くんに感謝だ。
「古泊は、夜が怖いって思ったことがある?」
「怖い?」
「うん、そう。この町ってさ、何もないじゃん。山に囲まれて閉ざされてるっていうか。夜になると家に帰るしかないし。タウンガーデンは夜の10時まで。オールできるところってないもんな」
あたしは半分残ったファンタオレンジを握って、マコトくんをじっと見つめる。こんなに近くで、しかも話しかけられているなんて、「夢みたいだ」なんてありきたりの言葉しか出てこないくらい、夢みたいだ。V26Ⅱ即効減肥サプリ
「三国くんは、夜が怖いの?」
「怖いよ。団地の中に縛られているあの時間、深海の底でじっと息をひそめている真っ黒な魚みたいな気持ちになる。身じろぎもできずに、いろんなことを我慢しなくちゃいけない」
いろんなこと、という言葉が引っかかった。マコトくんのいろんなことには、あたしよりももっとたくさんの重大な悩みが隠れているような気がする。
マコトくんはそれを、誰かに打ち明けたことがあるのだろうか。
篠崎くんや槇野くんよりも先に、あたしに打ち明けてくれないだろうか。「あたしでよければ悩みを聞くよ」って、あたしの口からすらすらと出て行かないだろうか。
やっぱり、そんなことありえない。
だって、あたしは、ママによく似ているもの。
「ねぇ、三国くん。ほんとに大学行かないの?」
マコトくんが背伸びをした。もう、あの坂を上るつもりなんだ。あたしはどうにかして引き止めたくて、息を吐く勢いに任せて聞いた。
「こ、この前、進路指導室の前で偶然。工藤先生、すごく怒ってた」
「ああ、バッハ」
バッハは工藤先生のあだ名だ。くせ毛の髪が、音楽室にあるバッハの肖像画みたいに、ぐるぐるしているから、バッハ。
「医学部に行けってうるさかったから、じゃあなんで医学部にいかなきゃならないのか説明しろって言ったんだよ。バッハの言う通りに進学しなきゃ世界は滅びるのかって。もちろん、そんなわけないだろうけどさ」
「それで先生、あんなに怒鳴ってたんだ」
「だってさ、こっちが引くくらい顔真っ赤にして説得するんだぜ。生徒のことを考えてるふりしてさ。ふりだって、こっちはちゃんとわかってるってのにな」
マコトくんは苦い顔をしている。あたしはまた下を向いた。
考えている、ふり。ママのシフォンスカートが、頭のすみでひらひらと泳いだ。
「この町の外にはさ」
マコトくんがふいにつぶやく。
「僕たちの手に負えないほどの選択肢がある。就職とか進学とか、そういう短い言葉だけじゃ表せないたくさんの選択肢。不用意に選べば失敗するかもしれないし、選ばなくて失敗するかもしれないし、回り道になるかもしれない。でも、そうやって繰り返してあーって頭抱えて、またやりなおすことのほうが、僕にとって、僕の世界を救うことにつながると思ってるんだ」
「三国くんの、世界」
あたしは手のひらを夕陽にかざした。
あたしの世界は、ママの色で染まっている。
「古泊、ファンタ好きなんだ」
マコトくんが、膝の上でペットボトルを握るあたしの手を指さす。
「古泊にもきっと見つかるよ。あの海の底から抜け出す方法」
「できるかな」
「同じファンタ好きが言うからまちがいない」
マコトくんがにっと笑った。
団地を見上げる。
ママの水槽が夜の海に沈んでいく姿を、しっかり見届ける。
ママもきっと水槽の中では、長く息ができない。
出てみようかな、この町をV26即効ダイエット 。
まだ9月、もう9月。
もう少しだけ考えて、ちゃんと自分で選ぶことができたら。
そしたら告げよう、「マコトくん」に。
2012年5月3日星期四
選ばれし今宵の華
ダレットと名乗った娘の嬉々とした声に皇太子(ジュリアス)が応えた。
「ラゴール伯?……ああ、地方都市伯の『ラゴール』か」
―――既にこの時、娘の『名』をジュリアスは知っていた。
マーゴより耳打ちされていたからだ。SEX DROPS
あの娘が『ラゴール伯ダレット嬢』、その後ろにいるそばかすの赤茶の侍女が『ロベルタ』だと。
話はまた遡る。
「……ここに『ロベルタ』という女はいるか?」
「ロベルタ?はて、そのような『妾妃候補(むすめ)』はここにはいませんが、……」
ややあって女官長は思い当たる節を口にした。
「ああ、そういえばあれの名が確か『ロベルタ』と言ってましたか!」
「あれの名?」
「ええ、確か……つい1月ほど前に後宮(ここ)に上がっている『ラゴール伯爵』の娘付きですわ」
「ラゴール伯爵?……ああ、地方都市伯の『ラゴール』か?」
「左様でございます、あの成金の『娘』でございます!!」
―――帝国内の幾つもの都市(まち)、特に繁栄を誇る都市を治めるものを『都市伯』と呼ぶ。
一般の『伯爵』と違い、その歴史が浅く、また成り立ちが元々その都市で成功を収めた豪商が都市の権力を握り「奉税」することが『国献』として認められた結果、時の皇帝に「伯爵位」を授与されたという経緯がある。
つまり平民だったのだ。
『宮廷』と『荘園』で暮らす元来の『伝統』貴族たちは、商業を持って財を成す彼らとは当然のごとく相容れない。
故に彼らは帝都に住む貴族たちからは「成金」と揶揄される。
そしてラゴールは北の『サラニア』に近い工業都市である。
北のサラニアと北帝国内の鉱山で産出される鉱資源で発展を遂げている都市。
近年の技術革新のお陰で工業製品の需要が増え、最も飛躍している都市だろう。
ジュリアスは『地方都市伯爵』自体を嫌いではない。
結果で勝ち取った地位である、実力ある手腕の持ち主なら厚遇する。
―――もっとも『地方都市伯爵』も、初代から代を重ねるごとに『伝統』ある貴族同様なのだが。
親の―――先祖の『遺産』で生きているならば!
重要なのはそれを生かす努力をしているかだろう。
女官長の声がジュリアスを思想の中から引き戻した。
「しかし、何故殿下が『ロベルタ』をご存じで?こう言っては何ですが……、心根はともかくそれほどの器量(・・)の娘ではありませんよ。」
「……妹(サリア)を傷つけた。言葉でな。
その女はいったそうだ『神をも畏れぬ罪(・)を犯している皇女』、『背徳の契り』、『罪悪感』はないのか……とな!!」
「!!」
マーゴは手で口を覆い、蒼白になり立ちつくした。
……<その女、何てことを!!>
誹謗中傷の方がまだ良かった。
それならいつものことであり、側付きの女官たちも然るべき対処をして妹皇女(サリア)を庇うことが出来た。
だが―――
ジュリアスは片手で目を覆い自嘲するかのごとく独白した。
「背徳だと?笑わせる、何も解っていない女ごときに!マーゴ、お前なら解るだろう?妹(サリア)が悪いわけではない!!」
マーゴは皇太子と目を合わせられなかった。
辛すぎて。
かつての悲劇を。
「『あの時』の妹(サリア)を救うために……余は……、あれと『契った』。あれは……まだ13になったばかりだった……」
ジュリアスの心は高ぶる、普段の冷静沈着さは失われ感情があふれ出していた。蒼蝿水
「……そうしなければ妹(サリア)が壊れてしまう、このままでは死んでしまうと思ったからだ」
「…………」
「……暗示のように、……言い聞かせるように、そうすることであの忌まわしき『記憶』を少しづつ『封じた』」
「…………さようでございましたね。」
――――「兄」と「妹」が愛し合うこと。
――――近親相姦。
――――「禁忌(つみ)」であることを。
すべてが愛する妹皇女(いもうと)のためだった。
彼女の『過去(きず)』を消すために。
「……今のサリアは覚えていないのだ、『あの時』のことは……」
ジュリアスは沈思する。
――――<……元はといえば『あの男』が!『あの男』が余とそなたを狂わせたのだ、そなたではない!>
昨夜そう思わず口にしたとき、サリアは『あの男』のことが解らないようだった。
無論、『何をされた』のかも……。
――――<……それで、いい>
忘れたままでいて欲しいから。
「…………」
その場にいたマーゴはただ黙って皇太子の次の言葉を待った。
やや経って、ジュリアスは言葉を紡いだ。
「……思い出させる訳にはいかぬ、『あの時』のことは!!
だから許せぬ、妹(サリア)に『いらぬ知識(こと)』を『与えた者』を!!」
「……殿下」
だからこそ彼(ジュリアス)は、今まで「近親相姦(そのこと)」に関する事は、細心の注意を払い彼女に接してきた。
……やがてジュリアスは一度瞑目すると冷静さを取り戻し女官長にむき直した。
マーゴもまた頷くと自分の考えを述べた。
「……宮仕えの心得もなっていない者が『道徳心』となどとは、聞いて呆れます。
しかも皇家の方々に許しも得ずに直(じか)に進言するとはなんて軽々しい!
……それで、その『女』が『ロベルタ』だと、殿下はおっしゃるのですか?」
「そう名乗ったそうだが、……『本人』とも限らぬかもな」
それにはマーゴも同意した。
「ええ、そうでしょう。先ほど申した『ロベルタ』でございますが、明らかに私の存ずる『ロベルタ』とは思えません。
話を聞くと明らかに嫉妬(・・)に狂った女のようでございます。
まるで皇太子殿下の妾妃のような振る舞いではないですか?」
「……では誰だと思う?」
「おそらくは彼女の主かと」
ジュリアスはその先を促した。
「ラゴール伯が娘、ダレット。お話の女の『気性』といい、よく似ております」
ジュリアスの蒼穹の瞳が氷を帯びるがごとく冷たく光った。
「……その娘の顔を見てみたいものだな。マーゴ、後で教えてくれ。」
「わかりました。殿下のお望みのままに―――」
ラゴール伯が娘ダレット。
赤銅色の髪、萌黄の瞳、白磁の肌に見事な豊満な胸、さも自分の美貌とプロポーションに自信があるのが見て取れる。
そしてその父親ラゴール地方都市伯爵―――ジュリアスは宮廷内での彼を思い出す。
地方都市伯故に年に1度の新年参賀くらいしか合わないが、割腹のよい愛想笑いの脂ぎった顔、金糸をふんだんに使った衣服の中年貴族だったことは覚えていた。
―――身なりからは財力の高さを伺うことが出来る、余程ため込んでいるだろう。
その男と面会したときそう皮肉を思ったものだ。勃動力三体牛鞭
しかし到底親子には見えなかった。
よほど『佳い女』に産ませた娘だろう、かろうじて失笑を抑えた。
再びジュリアスは娘―――ダレットに質問した。
「初めて見る顔だな、いつごろここに来た?」
ラゴール伯の娘ダレットはこれ幸いとアピールした。
「はい、1月ほど前から後宮(ここ)に。貴方様の武勇伝を聞く度に、国政の活躍を拝見する度にお仕え出来る日を心待ちしていました。
私は、いつも幼きころよりただひたすら、皇太子殿下のみを慕っておりましたから」
ますますジュリアスは心の中でほくそ笑む。
だが態度に示したのは違った顔であった。
「そうか、残念(・・)だな。あいにく今日、余が探している『女の名』ではない」
いかにも残念そうにため息なども漏らした。
それを聞いたダレットは硬直した―――屈辱で。
一方おや?という風に女官長マーゴが皇太子に問うた。
―――実は『わざと』だが。
「殿下、どのような名の娘をご所望で?」
「……ふむ、昨日、世の妹に実にありがたい『話』をした者だ。確か、『ロベルタ』と言っていたな。……しかし『春日殿(ここ)』にいないのかもしれぬ、また別の所に……」
―――「探しに行く」とジュリアスが言いかけた時、
「ロベルタ!?」
その名が出たとたんに周囲はざわめき、一人の『侍女』に視線が集中する。
それはダレットの後ろにいた娘だった。
視線を周りから受けた当人は何のことだか解らず、また突然の場面(こと)に面食らっていた。
皇太子はそれに気づき侍女に話しかけた。
「お前の名は『ロベルタ』というのか?」
皇子が笑みを浮かべて問いかけた。
美貌を誇る皇太子の笑みにすっかり侍女、『ロベルタ』は舞い上がった。
「はっはい、わ、わた、私が『ロベルタ・パペット』であります」
侍女『ロベルタ』は緊張と気恥ずかしさですっかり赤面した。
「そうか……」
笑みを浮かべたまま、ジュリアスは『侍女ロベルタ』に近づくと彼女の前に自らの手を差し伸べて言った。
「今宵(・・)の相手(・・)をしてくれぬか?ロベルタ。余の妹に語ったように……、余にもその話をして欲しい」
それは晴天の霹靂の発言だった。福源春
「ラゴール伯?……ああ、地方都市伯の『ラゴール』か」
―――既にこの時、娘の『名』をジュリアスは知っていた。
マーゴより耳打ちされていたからだ。SEX DROPS
あの娘が『ラゴール伯ダレット嬢』、その後ろにいるそばかすの赤茶の侍女が『ロベルタ』だと。
話はまた遡る。
「……ここに『ロベルタ』という女はいるか?」
「ロベルタ?はて、そのような『妾妃候補(むすめ)』はここにはいませんが、……」
ややあって女官長は思い当たる節を口にした。
「ああ、そういえばあれの名が確か『ロベルタ』と言ってましたか!」
「あれの名?」
「ええ、確か……つい1月ほど前に後宮(ここ)に上がっている『ラゴール伯爵』の娘付きですわ」
「ラゴール伯爵?……ああ、地方都市伯の『ラゴール』か?」
「左様でございます、あの成金の『娘』でございます!!」
―――帝国内の幾つもの都市(まち)、特に繁栄を誇る都市を治めるものを『都市伯』と呼ぶ。
一般の『伯爵』と違い、その歴史が浅く、また成り立ちが元々その都市で成功を収めた豪商が都市の権力を握り「奉税」することが『国献』として認められた結果、時の皇帝に「伯爵位」を授与されたという経緯がある。
つまり平民だったのだ。
『宮廷』と『荘園』で暮らす元来の『伝統』貴族たちは、商業を持って財を成す彼らとは当然のごとく相容れない。
故に彼らは帝都に住む貴族たちからは「成金」と揶揄される。
そしてラゴールは北の『サラニア』に近い工業都市である。
北のサラニアと北帝国内の鉱山で産出される鉱資源で発展を遂げている都市。
近年の技術革新のお陰で工業製品の需要が増え、最も飛躍している都市だろう。
ジュリアスは『地方都市伯爵』自体を嫌いではない。
結果で勝ち取った地位である、実力ある手腕の持ち主なら厚遇する。
―――もっとも『地方都市伯爵』も、初代から代を重ねるごとに『伝統』ある貴族同様なのだが。
親の―――先祖の『遺産』で生きているならば!
重要なのはそれを生かす努力をしているかだろう。
女官長の声がジュリアスを思想の中から引き戻した。
「しかし、何故殿下が『ロベルタ』をご存じで?こう言っては何ですが……、心根はともかくそれほどの器量(・・)の娘ではありませんよ。」
「……妹(サリア)を傷つけた。言葉でな。
その女はいったそうだ『神をも畏れぬ罪(・)を犯している皇女』、『背徳の契り』、『罪悪感』はないのか……とな!!」
「!!」
マーゴは手で口を覆い、蒼白になり立ちつくした。
……<その女、何てことを!!>
誹謗中傷の方がまだ良かった。
それならいつものことであり、側付きの女官たちも然るべき対処をして妹皇女(サリア)を庇うことが出来た。
だが―――
ジュリアスは片手で目を覆い自嘲するかのごとく独白した。
「背徳だと?笑わせる、何も解っていない女ごときに!マーゴ、お前なら解るだろう?妹(サリア)が悪いわけではない!!」
マーゴは皇太子と目を合わせられなかった。
辛すぎて。
かつての悲劇を。
「『あの時』の妹(サリア)を救うために……余は……、あれと『契った』。あれは……まだ13になったばかりだった……」
ジュリアスの心は高ぶる、普段の冷静沈着さは失われ感情があふれ出していた。蒼蝿水
「……そうしなければ妹(サリア)が壊れてしまう、このままでは死んでしまうと思ったからだ」
「…………」
「……暗示のように、……言い聞かせるように、そうすることであの忌まわしき『記憶』を少しづつ『封じた』」
「…………さようでございましたね。」
――――「兄」と「妹」が愛し合うこと。
――――近親相姦。
――――「禁忌(つみ)」であることを。
すべてが愛する妹皇女(いもうと)のためだった。
彼女の『過去(きず)』を消すために。
「……今のサリアは覚えていないのだ、『あの時』のことは……」
ジュリアスは沈思する。
――――<……元はといえば『あの男』が!『あの男』が余とそなたを狂わせたのだ、そなたではない!>
昨夜そう思わず口にしたとき、サリアは『あの男』のことが解らないようだった。
無論、『何をされた』のかも……。
――――<……それで、いい>
忘れたままでいて欲しいから。
「…………」
その場にいたマーゴはただ黙って皇太子の次の言葉を待った。
やや経って、ジュリアスは言葉を紡いだ。
「……思い出させる訳にはいかぬ、『あの時』のことは!!
だから許せぬ、妹(サリア)に『いらぬ知識(こと)』を『与えた者』を!!」
「……殿下」
だからこそ彼(ジュリアス)は、今まで「近親相姦(そのこと)」に関する事は、細心の注意を払い彼女に接してきた。
……やがてジュリアスは一度瞑目すると冷静さを取り戻し女官長にむき直した。
マーゴもまた頷くと自分の考えを述べた。
「……宮仕えの心得もなっていない者が『道徳心』となどとは、聞いて呆れます。
しかも皇家の方々に許しも得ずに直(じか)に進言するとはなんて軽々しい!
……それで、その『女』が『ロベルタ』だと、殿下はおっしゃるのですか?」
「そう名乗ったそうだが、……『本人』とも限らぬかもな」
それにはマーゴも同意した。
「ええ、そうでしょう。先ほど申した『ロベルタ』でございますが、明らかに私の存ずる『ロベルタ』とは思えません。
話を聞くと明らかに嫉妬(・・)に狂った女のようでございます。
まるで皇太子殿下の妾妃のような振る舞いではないですか?」
「……では誰だと思う?」
「おそらくは彼女の主かと」
ジュリアスはその先を促した。
「ラゴール伯が娘、ダレット。お話の女の『気性』といい、よく似ております」
ジュリアスの蒼穹の瞳が氷を帯びるがごとく冷たく光った。
「……その娘の顔を見てみたいものだな。マーゴ、後で教えてくれ。」
「わかりました。殿下のお望みのままに―――」
ラゴール伯が娘ダレット。
赤銅色の髪、萌黄の瞳、白磁の肌に見事な豊満な胸、さも自分の美貌とプロポーションに自信があるのが見て取れる。
そしてその父親ラゴール地方都市伯爵―――ジュリアスは宮廷内での彼を思い出す。
地方都市伯故に年に1度の新年参賀くらいしか合わないが、割腹のよい愛想笑いの脂ぎった顔、金糸をふんだんに使った衣服の中年貴族だったことは覚えていた。
―――身なりからは財力の高さを伺うことが出来る、余程ため込んでいるだろう。
その男と面会したときそう皮肉を思ったものだ。勃動力三体牛鞭
しかし到底親子には見えなかった。
よほど『佳い女』に産ませた娘だろう、かろうじて失笑を抑えた。
再びジュリアスは娘―――ダレットに質問した。
「初めて見る顔だな、いつごろここに来た?」
ラゴール伯の娘ダレットはこれ幸いとアピールした。
「はい、1月ほど前から後宮(ここ)に。貴方様の武勇伝を聞く度に、国政の活躍を拝見する度にお仕え出来る日を心待ちしていました。
私は、いつも幼きころよりただひたすら、皇太子殿下のみを慕っておりましたから」
ますますジュリアスは心の中でほくそ笑む。
だが態度に示したのは違った顔であった。
「そうか、残念(・・)だな。あいにく今日、余が探している『女の名』ではない」
いかにも残念そうにため息なども漏らした。
それを聞いたダレットは硬直した―――屈辱で。
一方おや?という風に女官長マーゴが皇太子に問うた。
―――実は『わざと』だが。
「殿下、どのような名の娘をご所望で?」
「……ふむ、昨日、世の妹に実にありがたい『話』をした者だ。確か、『ロベルタ』と言っていたな。……しかし『春日殿(ここ)』にいないのかもしれぬ、また別の所に……」
―――「探しに行く」とジュリアスが言いかけた時、
「ロベルタ!?」
その名が出たとたんに周囲はざわめき、一人の『侍女』に視線が集中する。
それはダレットの後ろにいた娘だった。
視線を周りから受けた当人は何のことだか解らず、また突然の場面(こと)に面食らっていた。
皇太子はそれに気づき侍女に話しかけた。
「お前の名は『ロベルタ』というのか?」
皇子が笑みを浮かべて問いかけた。
美貌を誇る皇太子の笑みにすっかり侍女、『ロベルタ』は舞い上がった。
「はっはい、わ、わた、私が『ロベルタ・パペット』であります」
侍女『ロベルタ』は緊張と気恥ずかしさですっかり赤面した。
「そうか……」
笑みを浮かべたまま、ジュリアスは『侍女ロベルタ』に近づくと彼女の前に自らの手を差し伸べて言った。
「今宵(・・)の相手(・・)をしてくれぬか?ロベルタ。余の妹に語ったように……、余にもその話をして欲しい」
それは晴天の霹靂の発言だった。福源春
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