2013年12月20日星期五

とまどい

「バドミントンは久し振りです」
  しみじみそう言って、温海さんはあたしの使い古したラケットを興味深そうに見つめていた。新しい方を使ってください、と言ったけれど、断られた。
 「温海さん、経験あるんですか?」玉露嬌 Virgin Vapour
  そうじゃない、とは思っていたけど聞いてみる。するとすぐに微笑が返された。
 「いえ、友人と遊びでやっていた程度ですよ。一生懸命やっているひかりさんにお話するのもおこがましいくらいです」
  やっぱりバドミントンって言ったら、皆そう言うものって言うんだよね。あたしはいつものように思いつつも、温海さんの昔を懐かしむような表情はじっと見つめておいた。
 「楽しい競技ですよね」
 「はい、あたしもそう思います」
  それには完全同意。温海さんにも、バドミントンにまつわるいい思い出があるなら、それが遊びでやったものだろうと何だろうと、うれしいかなぁ。

  風のあまりない日だった。外で打ち合いするにはちょうどいい。
  部活に行くまでのあと小一時間、バドミントンしませんか、と温海さんはあたしに言った。
  気を遣ってくれたんだろうな、きっと。あたしがあんまりしょげてたから。そう言う気持ちはうれしい。温海さんと一緒にバドミントンができるのもうれしい。
  風間さん家の広いお庭で、スコアを気にせずラリーを楽しむことにした。
 「サービス権、どうぞ」
  あたしはシャトルを温海さんに差し出す。羽がぼろぼろになった古い奴でちょっと恥ずかしかったけど、温海さんはにっこり笑顔で受け取った。
 「ありがとう。では、行きますよ」
 「はい!」
  温海さんの手にしたラケットは、アンダーハンドからシャトルを打った。
  ぽうん、と跳ね上がったシャトルは、勢いよくこちらへ落ちて来る。
  すかさずオーバーヘッドのストロークで打ち返す。試合の時はラインぎりぎりを狙ってもっと力一杯打つけど、今はそんなことしない。競い合ってる訳じゃないもん。ここにはラインもネットもないし、スコアボードもない。あるのはただ、ライン代わりの垣根と、観客代わりのあの松の木だけ。
  ラケットがシャトルを弾くいい音と、軽快なラリーがしばらく続いた。
  思っていた以上に温海さんは上手だった。風にシャトルを飛ばされることも何度かあったけど、それ以外はほとんどノーミスでラリーが続いた。
 「何だか、風流ですね」
  長い腕でラケットを軽々振りながら、温海さんが言う。
 「風流?」
  思わず聞き返すと、飛んで行ったシャトル越しに温海さんの微笑が見えた。
 「お正月に羽根つき。いかにも、と言う感じがしませんか?」
 「あ、なるほど」
  羽根つき。確かにバドミントンだって羽根つきだ。羽子板でやるよりちょっとはハードかもしれないけど、お正月っぽいスポーツかもしれない。
 「墨と筆も用意しとけばよかったですね」
  あたしが言うと、温海さんはまた笑った。
 「そうしたら真っ黒になるのは僕の方ですね」
 「そんなことないです、温海さんもお上手ですよ」
 「ありがとうございます、ひかりさんにお褒めいただけるとは光栄です」
  温海さんはラリーの合間に言って小首を傾げたけれど、実際本当に上手いと思っていた。もし墨と筆を用意してたら、あたしも大分真っ黒になってたかも。温海さんなら、その辺りは手加減してくれそうだけど。
  何か、スポーツやってたのかなぁ。本当に敏捷だ。
  そう言う雰囲気には見えなかったから――って言うかどう見ても文化系だと思ってた。最初、ラケットの構え方はぎこちなかったけど、すぐに勘を取り戻したようにシャトルを打って来た。その動作は控えめで、ほんの軽く見えた。その割にショットは力強くて、後半、あたしがついて行くのがやっとだったくらいだ。
  ぽんぽんといい音を立ててシャトルをラリーする。
  回数をカウントするのを忘れて、延々と続く打ち合いを楽しんでいた。

 「やはり、楽しいものですね」lADY Spanish
  三十分ほど打ち合いをやってから、あたしたちは休憩を取った。縁側に腰を下ろした温海さんは、額の汗を拭いながら大きく息を吐く。呼吸がほとんど乱れていないなんて、びっくり。
 「温海さん、何かスポーツされてるんですか?」
  呼吸を整えつつあたしが尋ねると、悪戯っぽい表情で答えが返る。
 「ええ、学生は身体が資本ですから」
 「本当にそうですよね」
  あたしも思わず頷いて、それからふと、明日にはもう始業式なんだってことを改めて思い出す。
  もう、ここに――風間さんの家とこの広いお庭に来ることもないんだ。 
  温海さんと肩を並べて座っていることも、もうないんだ。
  一月の寒気に急速に冷えて行く身体、と同時に心の奥底も、きゅうっと痛むように冷え込んだ。
 「ひかりさん」
 「――は、はいっ」
  急に名前呼ばれたから、どきっとした。声も裏返っちゃった。
  ちらと見れば斜め上、温海さんの真剣な横顔があった。じっとお庭の松の木を見つめている。そのまま、あたしに言って来た。
 「宜しければ、連絡先を教えていただけませんか?」
  え。
  それは――あたしの、ってこと? ……だよね、どう考えても。でも、何か、そう言うのって、ちょっとどきどきする。別に深い意味なんてないんだろうけど、でも。
 「もう少しだけ、探してみたいんです」
 「え?」
 「タイムカプセルです。見つけられるような気がしているんです」
  ほら、深い意味なんてなかった。
  なぜかがっかりもしつつ、だけどあたしは温海さんの表情に、確信めいた表情を見つけて。
  見つけて貰えるなら、それはやっぱりうれしいけど、でも。
 「自信が、あるんですか?」
  あたしはそっと尋ね、温海さんはすぐに深く頷く。
 「ええ。ですから見つけた時の為に、あなたの連絡先を聞いておきたくて」
  温海さんの自信。それって、一体どんなことなんだろう?
  ちっともわからないけど、本当に何かを確信しているみたいだ。口元に浮かぶ笑みは控えめなのに、とても力強い。綺麗なこの人がそう言う風に笑うと、すごく頼もしく見える。年上のお兄さん、素敵だなって思う。
  本当に温海さんが、あたしのお兄さんだったらよかったのに。そしたら、もう会えなくなるなんて寂しい思いもしないのに――連絡先を教えたら、もしかするとまた、会えるかもしれないけど。
  絶対また会いたい。
  これでお別れなんて、やっぱり寂しい。
 「わかりました」
  あたしは縋るような思いで、だけどそれは顔に出さずに、温海さんに家の電話番号を教えた。温海さんはメモに丁寧に書き留めて、それからまた笑った。
 「僕にもタイムリミットがありますから、結果がどうあれ、必ずご連絡します。でも、見つけてみせますよ」
  離れたくない。
  温海さんの笑う顔、ずっと見ていたい。
  そう思ったけど、口にすることはできなくて。そう思うことさえ気取られたくなくて。
 「じゃあ、あの、あたし部活に――」
  弾かれたように立ち上がると、あたしは挨拶もそこそこに風間さん家をおいとました。
  背負ったラケットバッグがいやに重くて、足元がふらついた。
久し振りの部活は、事前のウォーミングアップが十分だったにもかかわらず、全く身が入らなかった。
  お蔭で散々、顧問の先生や先輩方にどやされた。反省。
  こんなこと、今までだって滅多になかったんだけどな。――って言うか初めてのような気がする。何かもやもやっとしていて、上手く集中できなくて、気が付いたらシャトルが足元に落ちてたりとかして。
  温海さんと打ち合いやってた時は、もっと集中してたのに。
  温海さん。
  本当に連絡くれるのかな。VIVID XXL

  ぐだぐだのままバドミントン部の練習が終わり、日の暮れた帰り道、ひとり家への道を辿りながらあたしは考えていた。
  ぼんやりと、あの人のことを。
  温海さん、連絡するって言ってくれたけど、でもそれってやっぱりタイムカプセルのことがあるからなんだよね。見つかるにせよ――温海さんは随分自信たっぷりだったけど、本当に見つかるんだろうか。今のところ手掛かりだってほとんどないのに――見つからないにせよ、それが済んだらもう本当に。
  会えなくなる。
  相変わらずずしりと重たいラケットバッグが、肩に食い込み微かに痛んだ。
  そんなの、嫌だ。離れたくない。
  あの人はすごく優しくて、温かで、姿勢がよくて、とても綺麗で、ずっとずっと傍にいたくなる陽だまりのような人。あの人と過ごしたのはほんの三日のことなのに、古い付き合いみたいに感じられて本当に楽しかった。冬休み最後の三日間は、ただタイムカプセル探しをしただけなのに、とても満ち足りていた。いいお正月だった、いい冬休みだったって、たった三日の思い出だけで思う。
  離れたくない。
  会えなくなるなんて、嫌。
  だけど、どうしたら離れずに済むのか、どうしたら明日からもまた会えるのかなんてわからない。あの人はずっとあのお家にいる訳じゃないんだ。大学へは下宿先から通っていると言っていた。あの人に電話番号は教えたけど、あたしはあの人の電話番号も、住所も、通っている大学も、そもそもフルネームさえも知らないままだ。
  嫌だ。そんなの――寂しいよ。

  ふと気付くと、三日の間ずっと駆け抜けたあの道へと差し掛かっていた。 ゴンの小屋があった庭、磨り減ったマンホール、風見鶏のお家の建っていた辺りを抜けて、あの松の木のある家へ――。
  宵闇の中、風間さんのお家にはぼんやり明かりが灯っていた。
  風情ある和風建築。低い垣根に囲まれた、あの家。縁側は雨戸が閉められていて、僅かに漏れる隙間明かり以外、中の様子はよくわからない。松の木は相変わらずすっくと立っていて、一方向に張り出した枝を、冬の夜風で揺らしている。
  温海さん、いるよね。
  まだお邪魔すれば、会えるかな。
  こんな時間に行ったら失礼だってわかっているけど――あたし、どうしても。
  会いたい。
  温海さんに、会いたい。
  多分あたし、あの人のことが好きなんだ。
  うん、好きなんだ。
  それもね、今日とか昨日とか一昨日とかに好きになったんじゃない。
  もっとずっとずっと前からあの人のことが好きだった。あたし、どこかで温海さんと会ってる。とっても昔に、絶対会ってる。その時も、その頃もあたしは温海さんが好きで、『好き』って言う気持ちを、ようやく思い出せたんだ。
  悔しいことに、いつあの人と会ったのかが思い出せないんだけれど――。
  これって、ただのデジャヴなのかな。それとも。

  あたしは、風間さん家の玄関前に立っていた。
  引き戸の横にある呼び鈴を、躊躇せず鳴らしていた。じぃっと、セミの鳴くような低い音がした。
  近付いて来る足音はとても静かだった。
 「どちら様でしょう?」
  温海さんの声は、とても穏やかだった。
  あたしはすうと息を吸い込んで、
 「――ひかりです」
  と告げる。
  一瞬の間があってから、
 「えっ、……あ、少しお待ちいただけますか?」
  慌てたような声の後、今度はぱたぱた遠ざかる足音が聞こえた。
  着替えかな。この時間ならもう、温海さんはパジャマでもおかしくないし。そう思うと少しだけ笑えた。夜狼神
  何て言おう。こんな時間の来訪理由。
  部活帰りにちょっと通り掛って、立ち寄ってみたんです――って言うのはやっぱり、おかしいかな。でも本当の理由を言うのは、抵抗がある。だって『前にお会いしましたよね』なんて、いつ、どこで会ったかも思い出せてないのに言えるはずがない。温海さんだってあたしのことを憶えていたら、きっと言ってくれるだろうし。
  それともどこかで会ってたとしても、憶えててなんてくれないかな。ずっと幼いあたしのことは。
  そしてこれから、また会わなくなったら、温海さんには忘れられちゃうのかな……。それでなくても忘れっぽい人なのに。
  ラケットバッグの重さが肩に響き、きゅうっと痛んだ時、再び足音が近付いて来て、引き戸が勢いよく開いた。
 「お待たせしました」
  と言った温海さんは、ちゃんと普通の服を着ていた。
  眼鏡越しに瞳を細めて、
 「ちょうどよかった。今、連絡差し上げようと思っていたんですよ」
 「――え? あ、あたしにですか?」
  心臓が大きく跳ね上がる。
  温海さんが小さく頷く動作。
 「ええ。見つかりましたよ、タイムカプセル」
 「……え?」
  ――あ。
  いや、うん、そうだよね。
  あたしに連絡するってことはそう言うことでしかないんだ、わかってるけど、でもちょっと期待しちゃったって言うか――だけど、だけど、とりあえずは見つかったの? 本当に、あれが?
 「あ、あのっ」
  あたしは上手く次の言葉が言えずに、喉を詰まらせた。がっかり気分の後に訪れた驚きは、喜びも一緒に連れて来てくれた。
  ずっと探し求めていたあのタイムカプセル。
  みっちゃんとあたしの思い出のものが見つかった、って。
  もう諦めてたのに。みっちゃんがどうでもいいって言うから、あたしもどうでもいいやって、無理に思おうとしてた。やっぱりちっとも諦められなかった――忘れられなかった。
  それを、温海さんは本当に探し出してくれたんだ! 本当に、本当に見つけてくれたんだ! 諦めなくても、忘れなくてもいいよって、教えてくれた!
 「約束した手前、見つけない訳には行きませんでしたからね」
  胸を張る仕種だけはどうにも似合わない温海さん。でもカッコいい。
  思わず三秒ほど見惚れてから、あたしはようやく言った。
 「あの、ありがとうございます。でも、その、どこに、どうやって見つけたんですか?」
  気になる。膨大な量のアルバムにも松の木の植え替えに関する手掛かりは見つけられなかったし、見つけた写真にも埋めた場所を特定するヒントは見出せなかったのに。
  すると。
 「それはですね」
  なぜかちょっとだけ気まずげな顔で、目を逸らして。
  悪戯っぽい笑みを浮かべた温海さんは、引き戸を大きく開いてくれた。
 「中でお話しましょう。外は冷えますよ」頂点3000

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