2013年12月2日星期一

白い羽

卒業式の日からしばらくの間、鷲津は連絡を寄越さなかった。
  予告されていた通りとは言え、不安にはなった。ホテルに行ってから一週間が過ぎ、二週間が終わろうとする頃になると、さすがにそわそわしてしまった。こちらから連絡しては駄目だろうか、家まで押し掛けたら怒られるだろうかと、まるでストーカーじみたことを考え始めた。三週間目には他のことがまるで手につかなくなって、日々をだらだらと過ごすようになっていた。Motivat
  それでも、ストーカーじみた行為を実際にすることはなかった。なぜかと言えば、まさに彼も言っていた通り、私も暇ではなくなったからだ。

  四月になると、大学生活が始まった。ドラマのような華やかなキャンパスライフを夢見た訳ではないけれど、想像以上に静かな幕開けとなった。私が頭の中を鷲津でいっぱいにしていようがいまいが関係なく、入学式が済み、講義も始まり、そうしてぽつぽつと友人が出来た。今のところ、当たり障りのない付き合いをしている。
  高校時代とあまり変わらない過ごし方を、大学でもしていた。違うのは学び舎の広さと、制服を着ていないことくらい。それとここに、鷲津がいないことと――私の心は既に、彼に拘束されている。

  入学式を終えたら連絡する、と言っていた鷲津は、けれどなかなか電話をくれなかった。四月も中旬に入ったというのに、一向に電話を鳴らしてくれない。代わりに新しい友人からの連絡が入るようになったけど、あからさまにがっかりしてしまわぬよう、気を遣うのが大変だった。
  鷲津はどうしているだろう。進学先で楽しくやっているんだろうか。まさか入学早々に可愛い女の子とめぐり合い、そのまま男女交際……などということは、さすがに鷲津の性格に限ってはないだろうと思う。思うけど、それにしても、不安になる。
  大体、あれほどの魅力的かつ誘惑的な鷲津を見て、私以外の女の子が好きにならないと断言出来るだろうか。あの白い首筋や、赤らみがちな頬や、煽るように睨みつけてくる双眸や、華奢と言っても差し支えない身体つきは、大変に魅力的かつ誘惑的かつ美味しそうなものだ。いや、実際大変に美味しかった。その魅力を進学先の大学でも振り撒いていたとしたらどうだろう。私以外の女の子にも告白されたり、押し倒されたり、ホテルに誘われたりしていたらどうだろう。彼は拒んでくれるだろうか。むしろ、拒んでもらう必要があるのだろうか。私は彼女でもないのに。ただ、利用されているだけの身なのに。
  不安以上に嫉妬に駆られた。こんなことなら鷲津と同じ進学先を選んでおくんだった。悔やんでも時既に遅し。私は悶々としながら、気だるい四月を尚も寂しく過ごしていた。

  そんな折だ。
  私の携帯電話に、見知らぬ番号の不在着信が残されたのは。

  それは、携帯電話の番号だった。鷲津の家の電話番号ではない。だけど予感がしていた。
  鷲津かもしれない。鷲津に違いない。きっと携帯電話を新しく購入して、その番号で連絡をくれたんだ。根拠もないのにそう確信した。思い込んだ私はすかさず、その番号へと掛け直した。ちょうど自分の部屋にいたから、油断があった。直情的に行動した。
  コール音の後、すぐに繋がる。それでも声がするまでにはほんの僅かな間があった。その間に私はベッドに座り、彼の声を待った。鷲津の声がするのを。
 『……もしもし』
  声を聞いた途端、落胆した。
  鷲津の声ではなかった。男の人の声。
 「あ……」
  今更ながら私は不用意さを恥じた。見覚えのない番号に掛けるだなんて、普段なら考えもしないような行動だった。鷲津のこととなると判断力すらなくなっている自分に、いささか呆れる。
 「ごめんなさい、間違えました」
  電話の向こうの人にそう告げ、私は通話を終えようとした。
  だけどその時、
 『待ってくれ! 久我原だろ?』
  逆に相手に制され、しかも名前を呼ばれた。
  さすがにぎょっとする。知らない番号だし、相手が誰なのか心当たりもなかった。聞いたことのあるような、ないような声。
 「……誰?」
  恐る恐る尋ねると、間を作りながら向こうは答える。
 『俺……あの、佐山だけど。覚えてる……よな?』
 「佐山?」
  覚えてはいる。高校時代のクラスメイト。卒業式の日のやり取りだってまだ覚えていた。望んだ訳でもないけど。
  彼の電話越しの声を聞くのは初めてだ。先程までの馬鹿みたいに浮かれた気持ちがすうっと冷めて、一気に警戒の域にまで達した。私は声を尖らせる。
 「さっき私に、電話を掛けた?」
 『掛けた』
  彼はあっさりと認めた。警戒レベルが上昇する。levitra
 「私、佐山に電話番号を教えた記憶ないんだけど。どうして知ってるの?」
  この間までだって、私と佐山は仲が良かった訳じゃない。あくまでも一クラスメイトとして当たり障りのない付き合いしかしてこなかった。だから、彼が私の携帯電話の番号を知っているのはおかしい。
  こちらの警戒を察してか、佐山も慌てたように応じる。
 『違うんだ、その、教えてもらってさ。どうしてもって頼んだんだ。俺、もう一度久我原と話したかったから』
 「……ふうん」
  呆れた理由だ、と思う。どういう用件があるのかは知らないけど、こんなやり方は強引だ。
  もっとも、鷲津に対して執着している私が言えた義理でもないだろうけど。こっそり首を竦めて、更に聞いた。
 「誰に聞いたの?」
 『え?』
  佐山の声が揺らいだ。
 「だから、私の電話番号。誰から聞いたのか教えて」
  促す。この件についての心当たりは数人。直に切れる縁とは言え、友人だった人間の電話番号を気安く渡すなんて、裏切りもいいところだ。それには少し不快感を覚えた。
 「誰なの?」
  私は重ねて問う。
 『久我原、ごめん。怒ってるよな?』
  不安げな佐山は、的外れなことを問い返す。溜息が出た。
 「怒ってるって訳じゃないけど……そりゃあ、自分の電話番号を勝手に言い触らされたりしたら、誰だっていい気分はしないでしょう?」
 『違うんだ。言い触らしたとかじゃない。俺が頼み込んで、無理を言って教えてもらっただけなんだ。その子は悪くない』
  そういう物言いで、佐山はその子を庇った。と同時に、その子が誰なのか口を割るつもりもないと知らせてきた。こちらは気分が悪かったけど、どうしようもない。
 『本当にごめん。もう掛けないから、今だけ話をさせて欲しい』
 「……話って何?」
  やむを得ず私は、彼に言葉の続きを求めた。だけど決して、聞きたい訳ではなかった。打ち切れるものなら打ち切りたい。佐山のことも、彼に私の電話番号を渡した誰かのことも、何もかも。
  電話の向こうから、深呼吸が聞こえてくる。 
 『あの、久我原』
 「なあに?」
 『卒業式の日のことだけど……。あの日、デートだったっていうのは本当なのか?』
  佐山がそう言い、私はまた首を竦める。見えもしないのに。
 「本当だけど、どうして?」
 『いや、断りにくくてそういう風に言ったのかって、思ったから』
  今の言葉から察するに、佐山は私の言い分を信じていないらしい。そんなにデートと無縁そうに見えるんだろうか。
  ちゃんと、本当なのに。
  あの日は確かに鷲津とデートしていた。ラブホテルで。
 「本当だよ」
  繰り返して告げる。
 「私ね、好きな人がいるの。あの日は本当にデートだった。……がっかりした?」
  笑った私とは対照的に、佐山は黙った。答えない。
  それで私も、この通話を打ち切る気になれた。
 「そういう用件だって言うなら、もう掛けてこないで」
 『久我原』
  彼が私を呼ぶ。どこか咎める口調にも聞こえた。
 「何? そういう用件だったんでしょう?」
  冷たく突き放すと、佐山はまた黙る。ノイズだけになる。
  沈黙を肯定と受け取り、私は挨拶もせずに電話を切った。そのまま、携帯電話をベッドに放り、自分もぱたりと倒れ込む。

  馬鹿みたい。
  佐山は、私なんかのどこが好きだったんだろう。――鷲津の言っていた『私を好きだという男子』は、多分佐山のことなんだろうな、と思っている。だけど高校在学中だって、別に仲が良かった訳じゃないのに。好きになってもらう理由なんて、なかったように思うのに。福源春
  でも、それは鷲津にとっての私も、同じなのかもしれない。鷲津からすれば同じ思いで、私を見ているのかもしれない。私の鷲津に対する恋情は、まさに一目惚れと言うに他ならないものだ。だけど一目惚れなんて他人に言われたなら最も信用ならない恋の理由だろう。自分で口にするなら、これほど確かな理由もないというのに。
  馬鹿みたいだ。私も、佐山も。
  決してきれいとは言えないやり方で好きな人に近づこうとしている。
  私はその後ろ暗さ、罪悪感をも吹っ切って、鷲津のものになろうとした。二度も、抱かれた。佐山はどうだろう。後ろ暗さも罪悪感も吹っ切って、きれいじゃない手段を用いる気になるだろうか。多分、そうはしない。親しくなかったクラスメイトの僅かな情報だけでもわかる。佐山は、そういうことをする人ではない。電話番号の件だって、きっと気の迷いがあったのだろう――もしかすると頼み込んだというのも嘘で、誰かに私の電話番号を、強引に押し付けられたのかもしれない。お節介焼きはどこにでもいるものだから。

  それきり、あの見知らぬ番号から電話が掛かってくることはなかった。
  代わりに見覚えのある番号から連絡があった。佐山とのやり取りから二日後、ようやく、鷲津が電話をくれた。

『……久し振り』
  一ヶ月ぶりだというのに、鷲津の声は素っ気なかった。
  それでも私は顔が緩むのを抑え切れない。つい、浮かれた声で応じてしまう。
 「本当だね。連絡、ちっともくれないんだもの」
  拗ねようとする口調さえ上手くいかない。恋人同士でもないっていうのに、はしゃぎ過ぎだと自分でも思う。
  だけど、ずっと、この声が聞きたかった。
 『しばらく忙しいって言ったはずだけどな』
  むしろ鷲津の方が、どこか拗ねたように聞こえた。
 『久我原だって、ずっと暇だったって訳じゃないんだろ?』
 「まあね。それなりに」
 『だったらいちいち文句言うなよ。こっちの事情だってわかってくれ』
  久し振りだというのに、彼はあまり変わっていないように思う。記憶の中にある声や口調と違いが見当たらない。進学先でも相変わらず、彼らしい虚勢の張り方をしているんだろうか。
  ふと、微かに胸が痛んだ。
  だけど言葉では、違うことを告げてみた。
 「誰か可愛い女の子と出会って、私のことなんて必要なくなっちゃったのかと思ってた」
  一応冗談めかして言ったのだけど、彼には鼻で笑われてしまった。
 『そんな上手い話があるか。女の方だって相手を選ぶ権利があるんだぞ』
  鷲津自身には選ぶ権利もないような物言いだ。
 「でも一人は確実にいるじゃない。鷲津を選んだ、可愛い子が」
 『誰が可愛いって? 鏡見たことないのか、お前』
  冷たく突き放されても、こんな会話が甘いと思えてしまう。幸せだった。私はやはり彼が好きなのだと、しみじみ噛み締める。
  声が聞きたかった。会いたかった。連絡が欲しかった。
  私を必要としてくれている、その意思を、確かめたかった。
  可愛くはないかもしれないけど、私は真面目な、いい子に違いない。ちゃんと鷲津の言いつけを守っていた。ストーカー行為には走らなかった。自分で自分が偉いと思う。
 『お前は?』
  ふと、鷲津が語尾を上げた。
  それが問いだとはすぐにわからず、私はとっさに尋ね返す。
 「何が?」
 『いや、だから……よそにもう少しましな男でもいて、気が変わることはなかったのかって、聞いてるんだ』
  彼の言い方は、まるでそうなるのが普通なのだと訴えているようでもあった。もちろん、普通であるはずがない。今度は私が笑っておいた。
 「あるはずないでしょう? 私は鷲津が好きなんだから」
 『そっか、お前、変態趣味だもんな』
  自虐的にも響く呟きの後で、だけど鷲津はこう続ける。
 『でも、本当にお前を好きでいてくれる奴がいたら、そいつといる方が、お前にとってはいいのかもしれない』
 「え……?」
  急に、何を言うんだろう。彼らしくもない。
  瞬きの間に、更に告げられた。K-Y Jelly潤滑剤
 『後戻りするんだったら今のうちだぞ、久我原』
  嫌な台詞だった。はしゃぎたい心に冷水を浴びせかけられたような。
  私は唇を噛み、しばらくの間返答に迷う。

  それは恐らく本人の意図を超えて、二重の意味で私の胸に突き刺さった。――今の私たちの関係を、彼は肯定せず、執着もしていないのだということ。それから、鷲津自身は私を、まだ好きでいてくれてはいないのだということ。
  自覚はしていたはずだけど、久し振りの会話でまざまざと見せ付けられると、さしもの恋心も軋んだ。久し振りなのに、痛かった。
  どうして急にそんなことを言い出したんだろう。ちらと二日前の、佐山とのやり取りがよみがえる。まさか、知ってる? 佐山が私に電話をしてきたこと、私が佐山の気持ちに薄々感づいたことを、鷲津も知ってるの? まさか、そんなはずがない。絶対に。
  佐山には、これっぽっちも惹かれない。他の誰だって駄目だ。むしろ不快感だけが込み上げてくる。私は鷲津といる方がいい。よっぽどいい。こんな風に惹かれたのは、今まででたった一人、彼だけだもの。

  へこみかけた心を奮い立たせて、私は切り返す。
 「後戻りなんて出来るはずないよ。少なくとも私には、そんなつもりないから」
 『へえ』
  抑揚のない相槌が聞こえてくる。
  それでこちらも、挑発してやる気になれた。
 「鷲津こそ、私に会いたいから、こうして連絡くれたんでしょう?」
  電話の向こうで、彼が沈黙する。
  その沈黙も肯定だと思いたかった。続けた。
 「ずっと会ってなかったから、私が恋しくなったんじゃない? 好きになってはくれなくても、多少なりとも情が湧いたりしたんじゃない? 違う?」
  私はまた笑んだ。さっきまでとは少し違う笑いだった。いとおしさの陰で、嗜虐的な感情が頭をもたげてくる。
 『……お前って』
  鷲津が、私の笑いには気付かずに嘆息した。
 『やっぱり、可愛くはないよな』
 「そう?」
  自覚はある。私はどうしたって可愛いタイプではない。可愛がってもらえるような女の子ではない。
  可愛がるのは私の方だから。
 「鷲津は、可愛い女の子の方が好き?」
  一応尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。
 『そうでもない』
 「……ふうん」
 『何だよ』
  もっと強烈な言葉で否定するのかと思っていたけど、違うんだ。私は更に挑発してみた。
 「私が好きとは言ってくれないんだなあって思ったの」
 『言う訳ないだろ、馬鹿』
  やはり素っ気なく鷲津は言う。でも、声の端が動揺しているのをこの耳で拾ってしまった。可愛い。
 『ところで、土曜日、空いてるか』
  動揺を隠し切れてない声で彼が尋ねてくる。
 「空いてるよ」
  私は予定も確かめずに答える。たとえ空いてなくたって、無理矢理にでも空ける気でいる。
 『じゃあ、俺の家に来い。会ってやるから』
  わざとらしい虚勢を張った口調もいとおしい。とても、彼らしい。
  ようやくの約束に心が再びはしゃぎ出す。待ってた。ずっと、待ってた。
 「何時に行けばいい?」
 『何時でもいい。朝から空いてる』
 「いいの? そう言われたら私、八時とかに押し掛けちゃうよ?」
 『八時くらいならいい。それ以前は勘弁してくれ』
  そう言って、彼は呆れたように付け加える。
 『だけど、そんなに早くから会ってどうするんだよ。暇を持て余すぞ、絶対』
 「どうするって、何にもしない訳じゃないでしょう?」
  私が聞き返したら、黙ってしまったけど。
 「暇になるはずないよ。二人でなら、することはたくさんあるもの」
  いっぱいある。暇になることなんてあり得ないくらい。休む暇すらあげたくないくらいいっぱいあるんだから。曲美
  それをわかっているはずの鷲津が、ぽつりと零す。
 『……変態』
 「今に始まったことじゃないよ。知ってるくせに」
  知ってるくせにね。身をもって。

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