まあ、お部屋が真っ暗。
明かりを全て消してしまうだなんて、あなたも意地悪ですのね。
お蔭で何も見えませんもの。困ってしまいます。懐中電灯を取ってこようにも、ろうそくを捜そうにも、この暗さでは……ねえあなた、電気を点けてくださらない?簡約痩身美体カプセル
駄目かしら? 私のお願いでもいけません?
……そう。それなら、せめて手を握っていてくださいます? 私、暗いところはあまり好きではないのです。あなたといれば、怖いというほどではありませんけど。
あなたは時々、子どもじみたふるまいをなさいますのね。ええ、歳だけ言えば私の方がずっと下ですけれど、あなたのおっしゃることやなさることはたまに子どものようで、おかしいくらいです。そういうところももちろん、好ましいと思っておりますのよ。
ただ、このことだけは……ねえ、どうしても明かりを消してしまわなければいけません? 全部消してしまったら本当に何も見えませんのに。一つだけ、台所の電気で構いませんから、点けていただきたいのですけど。
あら、信じてくださいませんのね。私が、あなたの見せたくないものを、明かりが点いたらすぐに見てしまうだろうとお思いですのね? 大丈夫です、いいと言われるまで見ないことにいたします。私が見たい見たいとあんまりしつこくしたのもいけなかったんですものね。
だって、あなたのくださった手紙、とっても読みたかったんですもの。私に読まれることをどうしても嫌がっていらしたでしょう。読まないで欲しい、捨てて欲しいの一点張りで、何と書いてくださったのかさえ教えてくださらないし。あなたがそこまでして見せたがらない手紙には、一体どんなことが書いてあるのか。私、気になってしまってしょうがなかったんですもの。
でももう言うのは止めましょうか。あなたがそこまでかたくなになっていらっしゃるのに、見たいと言ったらますますへそを曲げてしまいますでしょう? あなたって本当に、時々子どもに戻ってしまいますのね。
ほら、そうして拗ねた顔をなさるところも。
子どものようだと言うなら、私だってそんなに変わりませんのよ。
私、子どもの頃からずっと、今に至るまで暗いところが好きではないんです。こうしてあなたに手を握っていて貰って、ようやく怖くないと言えるくらいにです。暗いのを怖がるだなんて、全く子どものようでしょう?
実は昔、私の実家でかくれんぼをしたことがありましたの。あれは――そうですわね、お盆に親戚が一堂に会して、その時に私と年の近い子どもも大勢いたので、かくれんぼをして遊ぶことにしたんです。私、案外とおてんばでしたでしょう?
あなたもご存知でしょうけど、私の実家は広くて、隠れるところがたくさんありますもの。捜し回るのが大変なくらいだったんですもの。だから私も鬼より隠れる役の方がうれしくて、ついついいろんなところへ身を潜めては、親戚の子たちを驚かせるのを楽しんでいましたの。
そのうちに、ありふれた隠れ場所にも飽きて、絶対に見つからないようなところへ隠れようって思いつきましたの。ええ、とんだ悪戯っ子だったでしょう。ほうぼうを探してようやく見つけたのが、お納戸でしたの。
うちのお納戸は広いつくりになっていて、中には明かり取りの窓が一つあるきりで、隠れるには最適な場所でした。おまけにお納戸にはお客様がいらした時に敷くお布団がしまってありましたの。おてんば盛りの小さな娘が一人、鬼が探しに来るまでお布団の陰で潜んでいる姿、あなたにも想像出来ますでしょう? しまう前にお日様に当てて干したお布団が、とってもよい匂いがすることもご存知でしょう? ええ、まさにその日がお客様のいらしている日でしたから、母が前の日にお布団を干しておいたんですの。お納戸の中はとてもよい匂いでいっぱいになっていて、ふかふかのお布団に寄りかかっているうちに――私、うとうととうたた寝をしてしまいましたのよ。
ふと目が覚めたら、お納戸の中は真っ暗でした。いつの間にやら夜になっていたのです。日が暮れてしまっては明かり取りの窓から明かりは取れませんし、お納戸にも電灯はありましたけど、小さな私の背では届きませんでした。それに何より目を開けても真っ暗で、辺りを見回しても何も見えなくて、とても怖かったのです。私は大声を上げて泣き出してしまいました。
結局、その時の恥も外聞もない私の泣き声で、皆が気付いてくれたと言う訳です。ちょうどその頃、私を一向に見つけられなかった子どもたちが親たちに報告していて、親戚一同総出で私を捜していたところだったんですって。もう少しでお巡りさんを呼ぶところだったって、父には大目玉を食らってしまいました。
そういったこともあって、私は長らく暗いところが苦手でしたの。お納戸の騒ぎの後、半年ほどは、部屋の明かりを消して寝ることが出来なかったくらいなんですもの。どれほどに強い記憶だったか、おわかりになりますでしょう。
このお話は、私の両親と親戚の他には、誰にも話していなかったのです。あまりにみっともなくて、恥ずかしくて、その上今でも暗いところが苦手だなんて、たいそう子どもじみているんですもの。
でも、あなたにはお話しようと思いましたの。ええ、ついさっき思いついて、あなたになら構わないと考えたのです。なぜだと思います?
それはあなたが、私の話を笑わずに聞いてくださるって、わかっていたからです。
間が抜けていて、面白おかしい話でしょう。小さな娘のしでかしたことはいかにも滑稽で、笑ってしまう人がいたっておかしくはないでしょう。だけど私にはそれが嫌で、恥ずかしくてしょうがなかったのです。父も母も、親戚の皆も、度々その話をしていました。最後には小さな娘の失敗を笑って、おかしそうにしていました。その度に私は顔から火が出たようになって、耳を塞いでしまいたいくらいに恥ずかしかったんですの。西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
あなたは違いました。思っていたとおり、あなたは笑わずに聞いてくださいましたものね? まだお部屋は暗いですけど、目が慣れてきましたから、あなたの表情は確かにわかります。あなたが優しい旦那様であることはよく存じておりますけど、今は一段とそう思います。私のことを愛してくださって、大切にしてくださっていることも、度々実感しております。あなたは私が嫌だと思うことをなさらないですし、私を喜ばせたり、幸せにしようと気を配ってくださる、とても優しい方です。今も私の手を離さずに、ずっと握り続けてくださっていますし。
ですから、私もあなたが嫌だと思うことはしたくはありません。
あなたがどうしても、この手紙を――出張先から送ってきてくださった、三通目の手紙を私に読ませたくないとお思いでしたら、もう私はあなたのお言葉に従うことにいたします。
ただ、これだけは知っておいてくださいませ。私はあなたと同じように、大切な人の失敗や、恥ずかしいことを笑ったりはいたしません。たとえあなたがとても風変わりなことを手紙に認めていらしても、或いはとても甘い、お砂糖のような言葉を綴っていらしても、私はおかしくなんて思いませんわ。あんなところへの出張はさぞ辛かったでしょうし、そんな状況で普通の神経で手紙を書くなんてこと、きっと難しいに違いありませんもの。私だって暗いお納戸の中で目を覚ました時は、子どもの頃の話とはいえ、普通ではいられませんでしたもの。
私はあなたを笑ったりはしません。必ず、必ずです。その上で、この手紙はあなたにお返しします。ええ、もう見たいなんてわがままを言いませんわ。もし、あなたが私に見せてもよいと、いつかそう思うようになりましたら、その時こそ見せていただきたく思います。それまではどうぞ、あなたが預かっていてください。
……え? まあ、私が搦め手に出たとお思いですの? そんなことありませんわ、信じていただきたいです。
先ほどお話したことは、もちろん本当の気持ちです。私は必ず、あなたの手紙を笑ったりはしません。だってラブレターですもの。想う方からのラブレターを笑うなんてこと、出来やしませんわ。ましてその方が日頃から私に優しい方なら、尚のことです。
手紙、いただいてもよろしいのですか?
ありがとうございます、あなた。四通とも、大切にしますわね。
まあ、眩しい。電灯の明かりってこんなにも眩しいんですのね。
普段点けている分には、明るいだけで、眩しいという気はしないのに――まるであなたみたいですわね。出張が終わって、こうして私たちの家へ帰ってきてくださって、向こうで出された手紙が届き始めた今、私は改めてそう思います。
お疲れ様でした、あなた。
子どもの頃、雨の日が好きでした。
それもざあざあ降りというほどではない、煙るような雨の日が好きでした。
細かく降りしきる雨が街中の景色をしっとりと塗り替えていくのが好きでした。道の色を変え、家々の屋根の色を変えていくのが好きでした。微かな雨音で辺り一帯が包まれて、かえってしんと静かなように思える、雨の日が好きでした。あちらこちらに立ち込める雨の匂いが、好きでした。
これは僕だけではないと思うのですが、傘を差すよりも雨合羽を着込んで走り回るのが好きでした。傘は子どもには少々重いものですし、その点合羽は気楽です。ゴム長と揃いの合羽を母が誂えてくれて、それで雨の日は意気揚々と闊歩したものでした。
しかし、ざあざあ降りの日に走り回るのはさすがに良い顔をされませんでした。当たり前ですね。酷い降りの日に子どもに、傘も差させずに遊ばせておく親がどこにいるでしょう。うちの母親はこと気を回す人でしたから、そうして遊ばせてもらえるのは降りの穏やかな、煙るような雨の日だけでした。
雨の日の街は、まるで夢のような世界でした。普段見ている景色とは、色も、音も、匂いも違う情景がそこにはあります。
晴れた日には陽光の下で何もかもがきらめいて見えるのに、雨の日にはのっぺりと濃く色づいているだけで、それがかえって奇妙な、行ったこともない異国に似た雰囲気を漂わせているように見えたものでした。普段は見通しの良い通りの向こうが雨の日には霞んで見えず、灰がかったようになっているのも愉快でした。あの向こうには何があるのだろうと、わかり切っているくせに想像を巡らせるのが楽しかったのです。道にはいくつもいくつも水溜りが出来、そこへも尚、雨がしとしと降り注いではさざなみだっていくのを見て、その美しさに溜息をついたものでした。
雨の日の音をご存知ですか。あれは案外と複雑に折り重なっているものでして、例えば木陰で雨宿りをするとわかります。雨が木の葉を打つ音、木の葉に溜まった雫が木を揺らして起こる葉擦れの音、木の幹を雨が伝い落ちていく音、木の根が張った大地を、生まれたばかりの小さな川が流れていく音――これだけの音を、僕らは一本の木の下で聞くことが出来るのです。目を閉じて、耳を澄ませば、幾重にも織り込まれ、積み上げられていく音の調和がわかります。それを聴くだけでも本当に楽しくて、聴き入っては時間を忘れてしまうほどでした。
雨の匂いは、少々変わっています。僕は雨の匂いがとても好きでしたが、どうしても好きになれないと言った友人もおりました。その気持ちもよくわかるのです。むっとこもるような匂いで、ふわりと軽いものではありません。一度嗅ぎつけるとしばらくまとわりついているような、重い匂いです。かといって鼻をつくほど強い匂いという訳ではなく、晴れた日にはそれを思い出すことも出来ないような、その程度のものでした。僕が雨の匂いを好きになったのも、実はその匂いがよい、悪いということではないようです。ただ雨の降りそうな頃にその匂いを嗅ぎつけ、それが雨の匂いであることを思い出した時、もうじき雨が降るのだと察せられるからだったようです。この匂いは、雨の降る前触れのような匂いだと、子ども心に察していたからだったのでしょう。西班牙蒼蝿水
子どもというのはなかなかに酔狂で、しかし感性豊かな生き物です。雨一つで気分を弾ませて、はしゃぎ回ったり、笑ったり、時に難しく考え込んだり、一丁前に物寂しさを感じたりするのです。
子どもの感性は大人の目からすれば侮れないものであることも、たまにはあります。見慣れた街に異国の姿を思い巡らせる、その時の想像力。たくさんの雨音を聞き分け、更にその調和を楽しむ情緒性。雨の匂いに心を躍らせ、それだけではしゃぐことの出来る無邪気さ、欲のなさ。或いは水溜りを跳び越えたり、跳び込んだりする冒険心。ゴム長を片足だけ履いてどこまで行けるかを競い合う探究心、――全くもって、やんちゃな子どももいたものでした、ええ。
しかしそういった感性は、時と共に失われてしまうのです。大人になるまで持っていられるような人はほとんどいません。いても、周りの大人たちに、似通ったような子ども時代を過ごしながらもそのことをすっかり忘れてしまった大人たちに、酔狂だ、変わり者だと指を差されて、無理矢理忘れてしまわなくてはならなくなります。大抵の人は指を差されるまでもなく、夢から覚めた後のように忘れてしまいます。
そして大人になると、雨の日があまり好きではなくなります。雨の日の色、雨の日の音、雨の日の匂い、全てがとても忌々しいもののように思えて、仕方がなくなります。現に、外を歩いている時に雨が降り出すと、誰しもが鼻の頭に皺を寄せてしまいます。僕などは、あまり品のよろしいことではありませんが、舌打ちしたくなってしまいます。そうして子どもの頃の雨を楽しむ気持ちを忘れて、まるで初めから大人であったようにふるまうのです。雨を忌々しく思い、せめて自分の出かける時には降らないでいてくれればいいものを、と思ってしまうようになります。
僕もそうでした。ずっと、長らく、子どもだった頃のことを忘れていました。自分でも時々驚いてしまうのですが、僕自身の子どもの頃の記憶が大変希薄な時があります。それも僕に限ったことではないようで、親はしっかりと記憶しているのに、本人がまるで覚えていないというのもよくある話でしょう。言われて初めて思い出し、そして決まりの悪い思いをするのです。今はもう大人なのだから、子どもの頃の話を持ち出されたところで、子どもに戻れる訳でもないと、言い聞かすように思うのです。
ただ、今日僕が、こうして子どもの頃のことを思い出したのは、人に言われたからではありません。父や母が話して聞かせてくれた、ということはありません。
なぜか、不思議と思い出したのです。傘を持ってきてくれた、あなたの姿を見た時に。
雨が降っているのはお役所の中からも見えていましたから、帰りはどうしようかと悩んでおりました。朝はあんなに晴れていたのにと鼻の頭に皺を寄せたくなりましたし、すっかり気が滅入って舌打ちもしてしまいました。品がありません。お役所には誰でも使えるようにと置き傘も用意してあるのですが、あいにく大変な倍率でした。突然の雨では競い合う気も起きず、こうなったらいっそ濡れて帰ろうとほぞを固めていました。
あなたが傘を持って迎えに来てくれて、本当に助かりました。あなただってこの雨では寒かったでしょうに、僕の為にと足を運んでくれたこと、うれしく思います。お役所の前で傘を抱えるあなたの姿を見た時、僕の心がどれほどに震えたか、あなたにわかるでしょうか。しみじみとあなたのありがたみ、温かさを覚えました。
そして、その時に思ったのです。――大人になるというのは、傘を持ち、或いは傘を差しかけてくれる誰かと共に生きることなのではないかと。
子どもの自由奔放な感性に、重い傘は邪魔でしょう。必要ありません。合羽とゴム長と、後は親の許しさえあれば、好きなように遊び回れるのです。想像を巡らせることも雨音に聴き入ることも、雨の匂いを味わうことだって出来ます。
ですが、僕らはそうはいきません。僕らには傘が必要です。僕らにはあの頃着ていた合羽もゴム長もありませんから、新たに誂えるか、或いは傘を持つようになるかです。そして傘を持つようになると、合羽の布地越しに雨を感じることが出来なくなります。雨音も、雨の匂いも遠ざかってしまいます。そうして僕らは、子どもの心を忘れてしまうのかもしれません。
忘れてしまったものをおぼろげに思い出すことは出来ても、そっくりそのまま取り戻すことは出来ません。代わりに手に入れたものを思えば、取り戻そうという気も起こりません。
大人になるというのも悪いことではありません。雨を忌々しく思うようになってしまっても、こうして傘を持って来てくれる人へのいとしさを、しみじみ実感することは出来ます。雨の中を並んで歩き、敷き詰められた静寂の中で、そっと打ち明け話をすることだって出来ます。
傘の下で、こんな風にこっそり手を繋いでいることも、雨の日だから叶うことです。晴れの日では気恥ずかしくて、お互いにためらってしまいますからね。あなたのほっそりとした手を取ることの出来る今は、とても幸いです。procomil spray
大人になった今、僕は雨の日が、昔ほど好きではありません。
でも、煙るようなこんな雨の日に、あなたと二人で歩くのは好きです。傘を差しかけてくれる人を得られて、それがあなたで、この上なく幸いです。子どもの頃のように雨を楽しめなくても、僕は大人になってよかったと、心から思います。
あなたと共にいられてよかったと、真に、真にそう思います。
一筆申し上げます。
この手紙を読んでいらっしゃる時、あなたはどんなお顔をしているでしょう。きっと面映そうにしていらっしゃるでしょうね。
私もあれから手紙の書き方を習って、ようやくちゃんとしたラブレターを綴っているところです。前に差し上げた四通の手紙は、まるで走り書きのような酷い出来でしたもの。あなたがそれを後生大事にしてくださっているのは存じておりますけれど、もっとよい出来のものを贈ることが叶えば、とずっと思っていたのです。
ところで、あなたはお気付きでしょうか。私が今日のこの日に、この手紙を綴り、あなたへとお贈りする意味を。帰宅したあなたの目に留まるよう、書斎の机の上に置いておいた意味を、ご存知でいるでしょうか。きっと、今日は特別な日ではありません。まだ終わってもおりませんけれど、恐らくごく平凡で、穏やかな日のままで終わってしまうだろうと思います。だけどこの手紙は、今日お贈りしなければならなかったのです。なぜだか、おわかりになりまして?
答えは、手紙の最後に記しておきます。でも几帳面なあなたのことですから、もうご存知かもしれませんわね。もしおわかりにならないようでしたら、読みながらゆっくりと考えていただけたら、と思います。
私は以前からずっと、思っておりましたの。お見合い結婚って、なんて難しくて、ややこしくて、大変なものなんだろうって。
もちろん、お見合い結婚と恋愛結婚の間に優劣なんてないことは存じております。どちらにもそのよさがあって、どちらであろうとも相手の方のことを想えば、そして二人で互いに想い合えば、必ず幸せになれるものだと理解しておりますもの。どちらがよいという訳ではなくて、きっと、どちらもよいのです。大切なのは結婚をするということだけではなくて、所帯を持つ、日々の暮らしを共にするということだと、私は思っております。あなたは大変優しい方で、私のことを大切にしてくださいますし、幸せにもしてくださってます。結婚相手としては申し分ないどころか、過分なくらいです。今までさしたる苦労もなく、あなたの妻である幸いを噛み締めて来ることが出来ました。
でも、やっぱり、思ってしまうんです。あなたとはお見合いではなくて、先に恋愛をして、それから結婚をした方がよかったんじゃないかって、どうしても思ってしまうんです。私はお見合い結婚には向いていなかったのだと思うのです。あなたと出会うなら、もっと違う形がよかったと、思えてきて仕方がないのです。
結婚よりも先に恋愛をする場合の利点は、何と言ってもより長い年月を、共にいられることだと思いますの。同じ家に住む前から相手の方を知ることが出来ますもの。じっくりと時間を掛けて一緒にいて、その方と暮らしを、ひいては人生を共にしてもよいのかどうか、見極めることが出来ますもの。私にはその必要はありませんでしたけど、それでもあなたと、より長い年月を、以前から共にして来られたならと思わずにはいられないのです。
お見合い結婚の難しくて不便なところは、あれよあれよという間に二人の暮らしが始まってしまうところです。だって、端から結婚をするつもりでお見合いをするんですもの。それがお互いに了承したなら、恋愛をさせていただく暇も貰えないのです。あとは結納を済ませて籍を入れて、式を挙げて、初泊まりに行って、と全くめまぐるしい流れの速さでした。もしかすると私たちの時だけそうだったのかもしれませんけど、もう少しのんびりしていられると思った私は、本当に夢でも見ているようでしたのよ。大急ぎで花嫁修業をおさらいして、あなたのところへ嫁いで参りましたけど、私の主婦としての出来があまりよろしくなかったのはあなたもとうにご存知でしたわね。自分の不甲斐なさを棚に上げて、もう少し時間があればと何度も思いましたの。
それに、もう少し時間があれば、あなたのことだってわかっていたでしょうに。私と来たら、あなたのことをしばらく誤解しておりましたの。これも十分にご存知でしょう? あなたがどういうお気持ちでいつもにこにことしていらしたのか、私に繰り返し繰り返し言葉を掛けてくださっていたのか、所帯を持ってからしばらく経つまでまるで気付けませんでした。それも時間があれば、お見合いで出会ったのでなければ、もっと早くに気付けたのかもしれませんのに。
何よりも、私は思うのです。あなたとお見合いで結婚したのでなければ、あなたと共にあることに、もっと慣れていたでしょうに。今よりもずっと、慣れることが出来ていたはずなのです。
恥を忍んでお話しすると、私はいまだに、あなたと二人で暮らしている日々に、慣れた気がしておりません。今でも、朝、目を覚ました時に、隣にあなたがいらっしゃるという光景に、不思議な感じがいたしますの。あなたをお見送りする時も、お帰りになられたのをお迎えする時も、食卓を囲んで一緒にご飯を食べている時も、本当に不慣れで、毎日初めてのことをしているようで、何だか落ち着かないのです。WENICKMANペニス増大
もう、一年にもなりますのにね。私は一向にあなたとの暮らしに慣れていないようなのです。
慣れないどころか、お恥ずかしいのですけれど、始終心臓がどぎまぎいたします。あなたといると、何をするにも胸が苦しくて、締めつけられるようなのです。常に気持ちが落ち着かなくて、目が合うだけで頬が熱くなってしまったり、その熱がのどもとまで移ってきて口の中が渇いたりします。この間の雨の日のようにひとたび手を繋いだなら、その場で跳ね上がりたくなってしまいます。食卓を挟んで向き合っているだけでも居た堪れなくて、心臓がどきどきと喧しいようで、どうしてよいのかまるでわからなくなってしまうのです。少女のような心持、と言ったら、あなたはお笑いになるかしら。いえ、きっと真面目な顔をしてそのまま受け取ってくださるでしょうね。まさしくそのような心持でいるのです。
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