パラティウム邸は名門貴族の私邸が建ち並ぶ第一街区の一部を占有する形で建てられている。
パラティウム邸が建っていた場所に他の貴族が私邸を建てたという経緯を考えれば『占有しているように見える』が適切だろうか。紅蜘蛛
かつては人工の堀と堅牢な城壁を備えた城だったらしいが、現在のパラティウム邸は高い塀と四方に円塔を備えた自然石作りの城館である。
この辺りで広大な庭園と厩舎は珍しくないが、石像が前庭に飾られている屋敷はかなり珍しい。
剣を掲げる騎士の像はパラティウム家の開祖をモチーフにしたものだ。彼はレオンハルトと同じ神威術の使い手であり、ある戦場で皇帝を守るために神威術の奥義『神威召喚』を使い、光になったと伝えられている。
『治癒』、『解毒』、『活性』、『祝聖刃』、『神衣』、『光盾』、『神器召喚』、『光壁』……複数の神威術を使いこなせるレオンハルトでも、どうすれば『神威召喚』に到達できるのか予測できない。
「……少し酔いすぎたか?」
「レオンハルト様さんま!」
レオンハルトが酩酊感を楽しみながら前庭を歩いていると、訛りのある口調で名前を呼ぶ者がいた。
その人物はスカートをたくし上げて走り寄り、本人だけは迫力があると思っている表情でレオンハルトを睨み付けた。
「待っていてくれたのか、リーラ?」
「みんな、起きて待ってただよ。こんなに遅くなるなら、オラと爺やさんだけで待ってれば良かっただ」
レオンハルトが頭を撫でると、リーラは不満そうに下唇を突き出した。
「……子ども扱いしないでけろ。こう見えても、オラはレオンハルト様より一歳も年上だで」
「ああ、それはすまなかった」
レオンハルトは肩を竦め、リーラを見つめた。
リーラは醜女しこめではないが、舞踏会に参加していた貴族の令嬢に比べて格段に見劣りする容姿をしている。
八重歯が半ば欠けているため口を開いて笑うと、間が抜けて見えるし、適当に纏めたブラウンの髪が貧乏くさい。
ふっくらした体型……というのは控え目な表現で胸と尻は無駄に肉づきが良く、ウェストはややたるんでいる。
仕事はそれなりにこなせるが、訛りが酷く、教養がないため接客には不向きである。
自分で主張した通り、レオンハルトよりも年上の二十三歳だが、奉公人として引き取られた貧農の娘という出自を考えれば、彼女がレオンハルトに意見するなど許されない行為である。
だが、レオンハルトは私的な場に限り使用人に自由な発言を許していた。
レオンハルトとて耳障りの良い言葉を聞きたいが、多くの場合、価値のある情報は妙薬と同じように苦いものなのだ。
だから、こうして使用人の言葉に耳を慣らしておけば、部下の箴言に耳を傾けることも難しくない。
「舞踏会は楽しかっただか?」
「大麦酒ビールを飲んだ記憶しかないな」
レオンハルトは舞踏会のことを思い出そうとしたが、酒を酌み交わしたことしか思い出せなかった。
「オラ、酒臭えの嫌いだ」
「では、離れて歩くとしよう」
レオンハルトが早足で歩き出すと、リーラは不満そうに下唇を突き出し、体当たりを仕掛けてきた。
レオンハルトは足を止めて体当たりを受け、恨めしそうに見上げるリーラを無視して前庭を進んだ。
幾ら酔っていても、レオンハルトはリーラの体当たりでよろけるような柔な鍛え方をしていない。
「……甘い」
「レオンハルト様はいけずだ」
リーラは拗ねたように唇を尖らせ、レオンハルトが着ている軍礼服の袖を握った。
「酒臭いのは苦手なのだろう?」
「だから、こうして離れてるだ」
女という生き物はよく分からんな、とレオンハルトはリーラを引き摺りながら再び歩き始めた。
「……添い寝はしてやっけど、今日は求めてくるでねえぞ」
「私から求めたことは一度もないが?」
「やっぱり、いけずだ」
事実を指摘すると、リーラは不愉快そうに鼻に皺を寄せた。
いつか、リーラとも酒を酌み交わしたいものだ、とレオンハルトは苦笑した。
※
舞踏会の翌日、クロノはクロフォード邸にある自分のベッドで目を覚ました。
帰宅するまでの記憶が曖昧だが、気にする必要はないだろう。
どうやら、昨夜は湯浴みもせずに眠ってしまったらしく、体がベトベトする。
もう一眠りしようかな?
そんなことをクロノが考えていると、すぐ近くで何かが動いた。
「一人で寝たような気がするんだけど?」
レイラかな? エレナ?
フェイはないだろうし、マイラは絶対にありえない。
「やあ、目が覚めたのかい?」
「お前かっ!」
リオ・ケイロン伯爵……リオは胸を隠すように俯せになり、まるで情事を交わした後のようにアンニュイな表情を浮かべていた。
「クロノ、一夜を過ごした相手に酷いことを言うんだね」
「え、ええっ?」
いや、リオは思わせぶりな台詞を吐いて、こちらの反応を楽しんでいるに違いない。そもそも、男同士な訳だし……それはそれでとんでもないことをしてしまった感があるのだが、しっかりと現実を受け入れるべきだろう。
「ふふふ、冗談だよ。昨夜は二人とも大麦酒ビールを飲み過ぎて役立たずになっていたからね。疚しい関係には至らなかったさ、残念ながらね」
リオは残念そうに言ったが、クロノは心の底から安堵した。
「疚しい関係になるのはこれからさ」
「……っ!」
ギラリと飢えた獣のように瞳を輝かせ、リオはクロノに馬乗りになった。
クロノに逃げる間も、抵抗する余地も与えない早業である。勃動力三體牛鞭
舞踏会場で見た通り、リオの体は女性にしては骨太……逆に言えば、男性にしては華奢ということである。
あの時、わずかに胸が膨らんでいるように感じたが、全裸になっている今も小振りすぎる胸が存在している。
女の子であることを期待して視線を下ろすと、リオのそこにはクロノと同じものがきちんとあった。
「ふふふ、見て驚くが良いさ」
「……っ!」
リオが膝立ちになると、クロノに存在していない器官が露わになる。
「驚いたかい?」
「……かなり驚いたけど、この傷は戦争?」
クロノは恐る恐るリオの胸に手を伸ばした。
リオの胸には傷跡があった。
小さな傷跡が胸の上部と下部に密集し、無数のミミズが蠢いているようにも見える。
多分、捕虜になって拷問でも受けなければ、こんな傷跡にならないだろう。
「これは自分で削ぎ落とそうとしたのさ。痛みで気絶してしまって、気が付いたらベッドの上だったけどね」
「下も?」
「下もさ」
傷跡は根本に集中し、見ているだけでクロノは玉が縮こまるような想いだった。
どうやら、リオは両性具有だったようだ。
「あまり驚いていないみたいだね?」
「そりゃ、驚いてるけど」
エルフやドワーフ、ミノタウルスに、リザードマンがいる世界で、両性具有の何に驚けばいいのか分からない。
「ボクの両親もクロノみたいに図太ければ、こんなことをしなくても済んだんだけどね」
リオは傷を見せつけるように手の平で小振りな胸を押し上げた。
「……ふふふ、訳が分からないって顔をしているね。まあ、君は新貴族だから無理もないけど、旧貴族は多かれ少なかれ『純白神殿』の影響を受けているのさ」
クロノは言葉の意味を理解できなかったが、ケフェウス帝国が信仰の自由を認めていることに気付き、ようやく理解できた。
要は宗教……教義が価値感を形成するのに大きな影響を与えているのだ。
その名の通り、『純白にして秩序を司る神』は秩序を司るとされている。
「ハーフエルフと同じ?」
「そうさ! ボクも、ハーフエルフも秩序ルールから外れた存在なのさ!」
リオは性の象徴を切り落として秩序ルールに自分を合わせようとしたのだ。
「どうして、僕を選んだの?」
「ハーフエルフを愛人にしているクロノなら、ボクを受け入れてくれると思ったのさ。そして、たった一晩で予感は確信に変わったよ。だから、ボクを受け入れておくれ」
「……もし、断ったら?」
リオは上唇を舐め、
「うん、ボクが告白したのはクロノが初めてじゃないんだ。いや、勘違いしないで欲しいんだけど、ボクは男性を受け入れたことはないし、女性に受け入れてもらったこともないよ」
「断った相手はどうなったのかな?」
クロノが薄ら寒いものを感じながら問い掛けると、リオは悲しげに視線を背けた。
「うん、初めて告白したのは実家にいた下男で、可哀想に獣の餌になったよ。二人目は近衛騎士になった時の同期で……ボクをバケモノ呼ばわりしたから、決闘を申し込んで、刻み殺してあげたさ」
「選択の余地がない!」
「決闘に勝てば問題ないじゃないか」
「近衛騎士団の団長に勝てるかっ!」
自分の命がリオに握られているにも関わらず、クロノは叫んだ。
受け入れてくれなかったから殺したとか、もう立派な殺人鬼である。
「ハーフエルフは受け入れたのにボクを受け入れてくれないのかい? 君のためなら何でもするよ。近衛騎士団の団員になれるように便宜も図るし、団長の座を譲っても構わないから、お願いだから、ボクを受け入れておくれよ」
怖い、とクロノは必死に懇願するリオを見上げながら思う。
告白した相手を殺していることが恐ろしい。
出会ったばかりの相手に何もかも捧げようとする心が怖くて堪らない。
「愛人が何人いても、愛人の一人で良いんだ」
どうして、こんな風に……いや、誰も受け入れなかったからか?
多分、リオが体の一部を切り落とそうとしたのも、第九近衛騎士団の団長に上り詰めたのも、誰かに受け入れて欲しかったからだろう。もっとも、今のリオを見る限り、目的は果たされなかったようだが。
「……近衛騎士団に入りたいと思わないし、団長の座にも興味ないよ」
「どうして! 近衛騎士団は軍のエリートだ! 団長ともなれば新貴族の君には望むべくもない栄誉だ! そんなにボクを受け入れるのが嫌なのかい?」
「昨夜も言ったけど、友達からじゃダメかな?」
「ダメさ。ボクは今すぐに結果が欲しいんだよ」
そうか、とリオは嗜虐的な笑みを浮かべた。
「まだ、ボクが本気だと理解していないんだね? だったら、ボクの本気を教えてあげるよ。『翠にして流転を司る神』よ!」
リオが右腕を掲げると、緑色の風がリオの右手首で渦を巻いた。
「イクよ?」
緑色の風はリオの宣言と共に分裂し、クロノの上を通り過ぎた。
痛みとも、痒みともつかない感覚が緑色の風が通りすぎた部分に生じる。
リオの風が浅く皮膚を切ったのだ。
リオは薄く滲んだ血を指先に絡め、恍惚とした表情を浮かべてそれを舐めた。
怖っ! 色っぽい分、余計に怖い!
「ボクの本気が分かったかい?」
「痛っ! ああ、紙で切った時みたいにジンジンしてきた!」
「おや、それは済まなかったね」
リオは前屈みになってクロノの傷を舐めた。
恍惚とした表情で血を舐める姿は淫靡極まりない。
リオは滲んだ血を舐め終えると、再び体を起こした。
血を舐めて興奮しなくても、とクロノはリオの股間を食い入るように見つめた。
「答えは決まったかい?」
「まあ、受け入れろと言われれば受け入れるんだけど」巨根
「本当かい? いや、君は嘘を吐いてる! 受け入れるつもりがあるなら、最初から受け入れているはずさ!」
リオは嬉しそうに声を弾ませたが、すぐに頭を振って否定した。
「……話が物騒な方向に進んじゃったし、この状態で受け入れると自己保身っぽくて格好悪いなぁと」
「本当に、それだけなのかい?」
「困ったことに、ね」
正直、友情を育んでから告白してくれた方がすんなりと受け入れられたような気がするのだが。
「でも、こんな、簡単に……だったら、今までのボクの人生は何だったのさ」
「……で、いつまで乗ってるのかな?」
「え? ……キャッ!」
実に女の子らしい悲鳴を上げ、リオはクロノから降り、シーツで体を隠した。
「……シーツを独り占めされると、困ります」
「ク、クロノ!」
別に独り占めされても全く困らないが、クロノはリオを裸に剥くためにシーツを引っ張った。
「や、止めてくれないかな、クロノ?」
「シーツを独り占めされると、困るのです」
リオは抵抗したが、最終的にクロノの執念が勝った。
「も、もう、目的を果たしただろ? ど、どうして、ボクの足を掴んでいるんだい?」
にっこりとクロノが微笑むと、その意味を理解したのか、リオは四つん這いでベッドから逃げ出そうとした。
「いやっ! 犯される!」
クロノがリオの足首を掴んだその時、寝室の扉が開いた。
「……だ、旦那様! 私がメイド修行にかまけたばかりに旦那様が男色に!」
「違うんだ、レイラ」
クロノは悲鳴じみた声を上げるレイラに弁解しようとしたが、おいそれとリオの抱える問題を教えられない以上、弁解のしようがなかった。
※
「う、口の中が鉄臭い」
養父と一戦を終えたクロノは口内に広がる鉄臭さに顔を顰めながら地面に腰を下ろした。
人の口に戸は立てられぬと言うが、噂はレイラからマイラに、マイラから養父に伝わったようだ。
養父は全く気にしていない様子だったのだが、剣術の訓練でクロノが背後に回り込んだ瞬間、俺の尻をホれると思うな! とクロノの頬に鉄拳をぶち込んだのだった。
「口の中を切ったのなら、ボクが癒してあげるさ」
「……父さんに殴られたのはリオのせいもあると思うんだけど」
「言い掛かりだよ。嫌がるボクを犯そうとしたのはクロノじゃないか」
リオはクロノに寄り添い、恥ずかしそうに頬を朱に染めて言った。
ちなみにリオが着ているのはドレスではなく、クロノの普段着である。
「君の部下は良い動きをしているね」
リオは養父とフェイの戦いを見ながら、感心したように呟いた。
クロノが視線を向けると、フェイは養父の攻撃を躱している最中だった。
今回、フェイは神威術を使わず、純粋な剣技と体術で養父に対抗していた。
フェイは怒濤のような攻撃を躱し、養父の懐に潜り込もうとする。
だが、養父はフェイが懐に潜り込もうとする気配を察するや、軽く木剣を振り回して牽制する。
軽く振り回しているように見えても、養父の恵まれた体格から繰り出される一撃は女の細腕をへし折るくらいの威力を秘めている。
何処まで養父が手加減をしようと考えているかにもよるが、自分の体で試そうとするヤツは滅多にいない。
「いつもなら突っ込んで行くんだけどね」
「……そろそろ、攻めるんじゃないかな?」
フェイが懐に潜り込もうとすると、養父は軽く木剣を振って牽制する。
だが、フェイは更に姿勢を低く、スピードを上げた。
姿が霞んだとしか言いようのないスピードだ。
「やるね」
短いながら、リオの言葉が全てを物語っていた。
フェイは神威術を使わないと養父に思いこませ、その裏を掻いたのだ。
闇を煙のように立ち上らせたフェイが養父の背後に回り込み、突きを放つ。
しかし、フェイの突きは空を切った。
養父が体を捻り、攻撃を躱したのだ。
フェイが悔しげな表情を浮かべた次の瞬間、養父は木剣の柄でフェイの額を打った。
「……むはっ!」
「そこそこに頭を使ってたんじゃねえか? 馬鹿の一つ覚えみたいに懐に潜り込もうとして、こっちの攻撃をパターン化させたのも悪くねえ。まあ、お前が神威術を使えると知らなければ引っ掛かってたかもな」
養父はフェイの頭を掴み、ぐりぐりと左右に揺らした。
多分、撫でているつもりなのだろう。
「じゃ、次はお前が相手をしてやれ」
「どうして、ボクなんだい?」
養父が投げた木剣を受け取り、リオは不思議そうに首を傾げた。
「俺の家を宿代わりにした分、働きやがれ」
「あまり、剣は得意じゃないのだけれど」
リオは大仰に肩を竦め、面倒臭そうにフェイと対峙した。
「よろしくお願いするであります!」
「……お手柔らかに頼むよ」
やる気満々でフェイは木剣を中段に構えたが、やる気のなさそうなリオはだらりと木剣の切っ先を地面に向けたままだ。
当然と言うべきか、先に仕掛けたのはフェイだった。
フェイは一気に間合いを詰めて突きを放つ。
リオは木剣を構えもせず、華麗な体捌き……風に揺れる柳か、風に舞う綿毛のように捉え所のない動きでフェイの脇を滑り抜け、全くやる気の感じられない仕草で木剣を振り下ろした。
やる気こそ感じられないが、リオの体捌きは一流、いや、一流以上のレベルに達している。
リオが振り下ろした木剣はゆっくりとフェイの肩口に近づき、カーン! という音と共に受け止められていた。狼一号
「手加減なら無用であります」
「……別に手加減していたつもりはないんだけど、ねッ!」
フェイとリオは鍔迫り合いしたまま、獰猛な笑みを浮かべた。
膠着状態は長く続かなかった。
フェイが力任せにリオを押し退けたのだ。
いや、リオがフェイに合わせて跳び退ったと言うべきか。
五メートルほど距離を取り、ふわりとリオは地面に舞い降りる。
緑色の光を放つ粒子がリオの体から立ち上る。
「神威術『神衣』さ」
ふわりとリオの体が舞い上がり、羽のように地面に舞い降りる。
どうやら、同じ神威術『神衣』でも『漆黒にして混沌を司る女神』と『翠にして流転を司る神』では効果が異なるようだ。
「……ビジュアル的に負けてる」
「ぐぬぬ、そんなことないであります! 神様、お願いするであります! 神威術『神衣』!」
クロノが突っ込みを入れると、フェイは対抗するように神威術『神衣』を使った。
闇が煙のように立ち上るフェイに対し、まるで蛍が飛び回っているようなリオ。
残念ながら、ビジュアル的にフェイの完敗だ。
「じゃ、イクよ?」
宣言と同時にリオの姿が掻き消える。
風が砂や小石を舞い上げる。
リオは地面スレスレを飛翔し、あっさりとフェイの背後に回り込むと、木剣を振り上げた。
クロノならば絶対に避けられない一撃をフェイは上体を軽く反らしただけで躱し、虫を踏み潰すように足を振り下ろした。
「はははっ! 初見で避けて、反撃までしてくるのかい?」
「……っ!」
リオが軽く地面に手を突いて飛び上がると、フェイは距離を取らせまいと突進する。
だが、フェイの攻撃は空を切るばかりだ。
宙を自由に舞うリオに対して、フェイが繰り出せる攻撃が限られているためだ。
基本的に剣術は自由に宙を飛び回る敵と戦うように出来ていないのだ。
まあ、普通はそう考えるし、そう考えてくれると思うものである。
「剣が届かないのなら!」
「おやおや、そっちにボクは……っ!」
リオが絶句する。
フェイがクロフォード邸の壁を駆け上がったからだ。
「届かせるだけであります!」
「これだから、単純馬鹿は!」
クロフォード邸の二階付近まで駆け上がり、フェイはリオに向かって跳ぶ。
「でも、残念♪」
リオは地面に触れることなく、木剣が届かない場所に避難する。
「刃に祝福を、『祝聖刃』! 伸びるであります!」
溢れ出した闇が木剣を覆い、更に木剣の四倍はあろうかという闇の刃を形成する。
「チィッ!」
「はっ!」
フェイは闇の刃をリオに叩きつける。
完全に油断しきっていたリオは地面に叩きつけられ、それでも、勢いを殺すことができずに地面を転がった。
「勝利であります!」
最近、負けてばかりだったせいか、フェイは誇らしげに胸を張った。
「フェイ、残心!」
「油断してはいけないでありますね!」
リオ同様、完全に油断していたフェイはクロノの言葉に慌てて木剣を構える。まあ、口元が緩んでいるので残心ができていないような気もするが。
「……やってくれるじゃないか」
リオはゆらりと立ち上がり、だらだら流れる鼻血を乱暴に袖で拭った。
「油断している方が悪いであります」
「そりゃあ、油断している方が悪いさ」
リオは木剣を投げ捨て、まるで弓を構えるように左腕をフェイに向け、弦を引き絞るように右腕を動かす。
次の瞬間、緑色の光が燃え上がるようにリオの左手から吹き出し、弓を、弦を、矢を形成する。
「……死んじゃいなよ!」
「クロフォード邸で殺人を起こされては困ります」
リオが狂気じみた笑みを浮かべると、マイラが冷淡な声で囁いた。
マイラはリオの背後に立ち、彼女の喉元にキッチンナイフを突き付ける。
「……無音暗殺術サイレント・キリングっ!」
「懐かしい響きですが、今の私はクロフォード家のメイドです。もちろん、リオ様がどうしても死にたいと仰るのであれば……二つ名の由来通り、音もなく殺しますが?」
「いや、止めておくよ」
リオは矢と弓を消し、大仰に肩を竦めた。
「それにしても、全く気配を感じなかったよ」
「故に無音殺人術サイレント・キリングです」
「あっちの娘こは気づいたんだけど」
リオが視線を向けた方を見ると、箒を握り締めたレイラがこちらを睨んでいた。
「……彼女は後継者かい?」
「ええ、我がメイド道の後継者です」
マイラは誇らしげに胸を張った。
※
それから三日が経ち、エラキス侯爵領に戻る前夜となった。
一日の仕事を終えたレイラは厨房でマイラと向かい合っていた。
「……よくぞ、厳しい修行に耐えました。本日を以て、貴方はなんちゃってメイドを卒業します。今日から貴方は見習いメイドです」
マイラはレイラの肩を優しく叩き、慈母のような笑みを浮かべた。
「現在、坊ちゃまは禁欲状態MAXです。ええ、エレナ様やリオ様と良い雰囲気になっていたので、しっかり邪魔をしておきました。もちろん、自慰もです。さあ、腰が抜けるくらいヤってしまいなさいっ!」
「はい、教官殿っ!」
レイラは力強い足取りで厨房を後にした。
無音で階段を駆け上がり、クロノの部屋に忍び込むと、クロノは真剣で素振りの真っ最中だった。
「だ、いえ、クロノ様」
「レイラ!」
レイラが呼びかけると、クロノは驚いたように目を見開き、剣を鞘にしまった。三體牛鞭
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