2013年8月2日星期五

望みの鎖

池田屋の一件を恨みに思った長州が、挙兵して京に向かっている――。
 以前からまことしやかに囁かれていた噂が現実となって耳に入ったのは、斎藤が愁介とひと悶着を起こした翌朝のことだった。三便宝
「――今、長州勢は大坂の山崎に陣を敷いているようだ。先年の八月十八日の政変とは異なり、今度こそ間違いなく戦となるだろう」
 隊士一同が会した道場の上座で、近藤が厳しい顔を引き締め、朗々たる声を上げる。
 いつぞや以上に緊張感の張り詰めた空気に、しかし近藤はいっそ心地良さげに目を光らせて、隊士らをぐるりと見回した。
「池田屋の折には、帝からの禁を侵し都を焼き払うなどと画策した上、それが叶わぬとなれば今度は帝のおわす都へ向けて兵を挙げる……。これぞまがう方なき賊の所業だ。賊の討伐こそ我々に課せられた第一の任務と心得、各々方、いつでも出陣ができるよう支度を整えておくように」
 腹の底に響く声で、厳粛に告げる。
 応、という百名近い男達の返答を満足気に受け取ると、近藤は土方と山南を連れて道場を後にした。
「……なーんかなぁ」
 近藤らの足音が遠ざかり、道場がにわかにざわめきたった時、斎藤の隣に座していた永倉がぼんやりと口を開いた。
 目を向けると、永倉は立てた片膝に頬杖をついて近藤らの歩き去った方角に視線を投げている。
「間違っちゃないんだけどさ、近藤さん『街を護れ』とは言わなかったねぇ」
 どこか不服そうに鼻の頭にしわを寄せ、低くぼやく。
「あー、そういや、そうだな」
 先刻の様子を思い返すように視線を上げながら、永倉の反対隣にいた原田が相槌を打った。
「……近藤さんなら、甘くてもそう言うかと思ってたんだけど」
「そこは、あれじゃない? 土方さん辺りにでも釘刺されたとか」
 藤堂が後ろから顔を覗かせて、永倉の肩に手を置いた。池田屋から半月以上が経ち、ずっと頭に痛々しく巻かれていた包帯が取れて、すっきりとした顔をしている。ただしその額には、右上の髪の生え際から左の眉根の近くまで、一文字の傷跡がしっかり残されており、ただの爽やかな好青年といった印象から少々変わって当人に箔をつけていた。
「まあ、その線が一番アリかなぁ」
 藤堂の言葉に頷いて、永倉ははふ、と吐息した。
「……でも、あれじゃまるで組の手柄のことしか考えてないみたいで、何かヤな感じだわ」
 永倉の呟きに苦笑して、藤堂と原田が「まぁ確かに」と同意する。
「でもまぁ大丈夫だよ、ハチ。そんな考え、山南《やまなみ》さんが許すわけないんだし、今回はたまたまそう聞こえちゃっただけだって!」
 明るく手をはためかせる藤堂に、永倉はようやく頬をゆるめて笑顔を覗かせた。
 それに満足気に微笑むと、藤堂は景気付けるようにパンッと手を叩き合せて立ち上がる。
「はー、オレも怪我治って良かった! 戦が起きるって時に寝込んでたんじゃ締まらないし、何より何より!」
「ごもっともだね。今回も期待してるよー、先駆けセンセ」
 どのような危険にも真っ先に突っ込んでいく、切り込み隊長としての藤堂のあだ名を茶化すように言って、永倉はにかりと歯を見せた。
 藤堂は「ほいほい、まっかせといて!」と胸を叩くと、
「んじゃ、切り込み前の快気祝いに、山南さんを飲みに誘ってこようーっと」
 笑顔で手を振って、いそいそと道場を出て行く。
「……ほーんと、杞憂だといいよね」
 無邪気な後姿を見送った永倉が呟いた言葉は、恐らく隣にいた斎藤と原田にしか聞こえなかっただろう。
 笑みの消えた横顔を見ていると、気付いた永倉はわずかに口の端だけを上げて、軽く斎藤の腕を叩くばかりだった。

「――あ、斎藤。お帰りー」
 道場から部屋に戻った時、思いがけぬ声に迎えられて斎藤は目を瞬かせた。
 室内に座していたのは、同室の沖田ではなく「山南を飲みに誘う」と言って先に道場を出た藤堂だったのだ。
「総司なら、さっき土方さんとこ行くって部屋出てったよ」
「はぁ……そうですか」
 明るく報告されるものの、斎藤は戸惑いを隠せず、敷居をまたいだところで足を止める。
「……沖田さんに用だったんですか?」
「んーにゃ。お前とちょっと話がしたかった」
 あぐらをかいていた藤堂は、よいせと両腕を振りながら勢いづけて立ち上がった。訝る斎藤の前まで歩いてくると、わずかに低い位置から覗き込むように見上げてくる。
 斎藤は軽く身を引いて、困惑に眉根を寄せた。
 ――互いに同い年ではあるが、試衛館時代から、斎藤は藤堂と二人きりになったことなど数えるほどしかない。元来の性格が違いすぎるためだ。寡黙で賑わいを敬遠する斎藤と違い、藤堂はいつも元気で爛漫としている。
 沖田も斎藤とは違い、賑わいを好む性質ではあるが……仮にあちらが賑わいを外から眺めるのが好きな性質だとすれば、藤堂は賑わいの中にいるのが好きな性質であり、要は斎藤にとって藤堂は苦手な部類なのだった。
「話……ですか」
 そんな相手に突然、二人きりで「話がある」と言われれば、戸惑うなと言うほうが難しいだろう。
 しかし藤堂はさして戸惑う様子もなく、むしろ斎藤の態度に苦笑して、クセの強い髪を指先でいじった。髪に編み込んである洒落た赤い紐が、指の動きにあわせて艶やかに揺れる。
 考えるような間を置いてから、藤堂はほとんど独り言のように呟きを漏らした。
「オレはさー。腕っ節とか、冷静なとことか、結構お前のこと尊敬してたり、まぁもっと端的に言えば割と好きなんだけど」
「はあ……それは、どうも」
「だから、どうしても言いたくて」
 藤堂はそこで一旦言葉を切ると、指先で髪を払い、いやに寂しげに目尻を下げて、はっきりと言った。
「あのね。お前が死んだら、オレ、泣くよ?」
 明るく、しかし真摯に告げられた言葉に、斎藤は絶句した。
 瞬きさえ忘れて藤堂を凝視していると、藤堂は少しばかり照れたようにあごを引き、額の傷を手持ち無沙汰にそっとなぞる。
「えーっと……ごめんね。要するにオレ、昨日のお前と松平とのやり取りを、実は割としっかり聞いてたわけでして」
「は……?」
「いや、だって……お前ら完全に何も考えてなかっただろうけど、ていうか遅れを取り戻すためにコッソリ腕立てとかやってて障子閉めてたオレも悪いのかもしんないけど……お前らが口論してたの、オレらの部屋の真ん前だからね?」
 軽くめまいがした。
 言われればそうだと気付くものの、それこそ今さらの話で、一瞬にして全身から血の気が引いていく。
「あっ、聞いた話のこと、別にハチとか左之っちゃんには言ってないから! あの時、部屋にいたのオレだけだったし」
 藤堂は慌てたように顔の前で手を振った。巨人倍増
 が、そういうことではなくて。
 斎藤は思考をめぐらせて、昨日のことを思い返した。
 ――葛《かづら》のことを口にしたのは覚えている。が、それ以外はどうだ。会津の間者であることや、それをにおわせるようなことは、口走っただろうか。
 必死に記憶をたどっていき――
 何も、言っていないはず。
 そう結論にたどり着いて、思わず深く嘆息した。しかし冷静になれば、そのようなことを口走っていればそもそも藤堂は何よりまずそこを突いてくるだろうと考えが至り、余計に脱力してしまう。
 ……動揺しすぎだ。
 自分に舌打ちをしたくなり、片手で額を覆ってもう一度、深く嘆息する。
「わーっ、あの、えっと、ごめんって! 結果的に盗み聞きになっちゃって悪かったって反省してます!」
 藤堂は見当違いのところで焦っていたが、逆にそれがありがたくもあった。仲がいいわけではないが、さすがに付き合いの年数が年数だ。藤堂が下手な嘘をつける人間でないことだけは斎藤も知っている。
「いえ、こちらこそお聞き苦しいものを、失礼しました」
 溜息交じりに言って改めて顔を上げると、藤堂は空気をかき回すように動かしていた手を止めて、何か煮え切らないような顔をした。
「いや、別に聞き苦しいとは思わなかったけど……そうじゃなくてさ」
「忘れていただけると助かるんですが」
「それは無理だろ!?」
 間髪容れず突っ込まれ、斎藤が眉根を寄せると、藤堂も困ったように眉尻を下げた。
「いや、だって……もっかい言うけど、お前が死んだら、オレ、泣くよ?」
「……それほど親しいわけでもないのにですか?」
「おお……胸に刺さることをざっくり言うね、お前」
 藤堂は胸を押さえて、よろりと一歩後ろに引いた。
「はぁ、すみません。ですが……少なくとも、藤堂さんが亡くなられても、俺は泣けませんよ」
「そりゃ、お前が死にたがりだからだろうよ」
 人のことを言えないざっくりとした物言いで、藤堂は切り返した。それから難問式でも前にしたように、腕を組んで首をひねる。
「じゃあさ、オレの言うこと、鬱陶しい?」
 どう答えていいものか返答に窮し、首をひねり返すと、藤堂は苦笑のような困惑のような複雑極まりない顔をして溜息をついた。
「斎藤ってさぁ、試衛館にいた頃から割と世捨て人っぽい雰囲気あって、何でなんだろうなーってずっと思ってたのさ。オレはお前のこと割と好きだけど、お前はたぶんオレみたいなのって好きじゃないだろうし、っていうかオレがお前の立場ならオレとか近寄って欲しくないなと思うし、だから今まではあんまり触れないようにしてたけど……」
 藤堂はくるくると舌を回し、押し付けがましいわけではないけれど口を挟む余地のない速さで、言葉を続けた。
「それでも、オレはやっぱりお前が好きだから、死にたがりだったってのは衝撃だったわけさ。死ぬなよオイって突っ込みたくもなっちゃうわけなのさ」
「……藤堂さんに好いていただくような人間じゃないですよ、俺は」
 ただの真実として淡々と告げると、藤堂は普段の底抜けの明るいものとは打って変わった、妙に大人びた表情で目を伏せた。
「うん……お前は、お前が嫌いなんだなぁって、昨日の話し聞いて、それも何となく解った」
 初めて見る表情に驚き、とっさに何も返せなかった。
 藤堂は改めて口元をほころばせると、静かな瞳で斎藤を見上げてくる。
「でもね。それでもオレは、お前が悪い奴じゃないってことだけは知ってるんだ。『面倒』って言いながらオレ達に手を差し伸べてくれる奴だって……ものすごい無関心そうな顔しながらも、怪我したら必ず声かけて心配してくれて、無事と解ったら『何よりだ』って言ってくれる奴だって、知ってるんだよ」
 ――いいように、解釈しすぎだ。
 思ったのに、そうと言い返せなくて、斎藤は藤堂から視線を逸らしながら喉元を押さえた。
 息が詰まる。本当に、誰も彼もひたむきで純粋で、目が痛くなるほどだ。
 ただ、そんなふうに思うのに……何故だろうか。藤堂の言葉は、不思議と不快にはならなかった。
 息苦しさは同じだが、沖田の言葉ように腹に溜まるわけではなく、愁介の言葉のようにいら立ちを覚えることもない。
 ふと、先刻の藤堂の言葉が、改めて頭に引っかかる。
 ――『オレがお前の立場なら……』
 改めて視線を返すと、藤堂は不思議そうに目を丸くした。
「ん、どした? やっぱ鬱陶しい?」
「いや、そうじゃなくて……」
 否定するも、どう訊ねていいものか解らず、また口をつぐむ。
 そうして、しばらくの間を置いて考え抜いた末に口にしたのが、
「……『取り残されたこと』が、あるのか」
 そんな、解るような解らないような言葉だった。
 藤堂は一度、二度と目を瞬かせると、気の抜けたような笑みをへらりと浮かべた。
「……オレにとってねー、山南さんってお天道様なのさ」
「お天道、様……?」
「うん。山南さんが、初めてオレをオレとして認めてくれたから」
 斎藤が目を瞠ると、藤堂ははにかむように歯を見せた。
「やー、まぁお恥ずかしいことにね。性格は元からこんなんだけど、オレ、昔っから『他人』て苦手でねー」
 何てことのないように手をはためかせ、藤堂はあっけらかんと言った。
「母親が津の藤堂家の女中上がりで、オレはお殿様のご落胤で……身分で言えば結構なもんだけど、だからって表に出られるわけじゃないから、周りからすればオレ達って要するに厄介者だったわけでさ」
「厄介者……」
「そ。だから母親が早くに死んでからは、それこそ『取り残された』感じだったかなぁ。なーんか、みんなオレをオレじゃなく『ご落胤』としか見なくて、かと言ってオレ、別にお前ほど突出して剣の腕が立つわけでもないし、特別に学があるわけでもないから、身分を隠せば誰も見向きもしないしで……」
 同じではないが聞いたことのあるような境遇に、斎藤は目を伏せた。
 まさかの告白に驚いたような、妙に腑に落ちて気が抜けたような、曖昧な気分が胸をかき回す。
「……俺は、その『お天道様』を亡くしてしまった」
 気付くと、考えるより先にそう漏らしてしまい、
「……そっか。やっぱ、そうなのか」
 藤堂は納得したように頷いて、苦笑した。
 部屋に沈黙が下り、思い出したように近くの木で蝉が鳴き始める。
 それまでずっと立ちっぱなしだった斎藤と藤堂は、どちらからともなく腰を下ろして身を落ち着けた。並び合うでも、向かい合うでもなく、ただ座って視線を交わす。
「オレはお前のお天道様にはなれないだろうけど……それでもさ。オレ、お前のこと好きだから、お前が死んだらやっぱり泣くよ」
 ぽつりと、藤堂が改めて呟いた。
「お前が生きてることを誰も責めないよ。死んじゃったお前のお日様も、お前が生きてることを責めたりはしないよ、絶対に」
 葛のことなど知るはずもない藤堂の言葉が、けれど今の斎藤には他の誰よりすんなりと耳に入る。
「……側に逝きたいと、思う気持ちが消えるわけでもないが」
 斎藤はささめくように、それでもようやく藤堂に本心を返した。
「藤堂さんの気持ちは、ありがたく思う」
 藤堂は歯を見せて、いつもの底抜けに明るい笑顔を満面に浮かべた。 中絶薬RU486
睨み合いが続いていた長州との戦の火蓋が切られたのは、それからおよそひと月後、七月の半ばを過ぎた頃だった。
 数日前まで人々が行き交い、生活をしていた大通りに、砂と煙がもうもうと舞っている。大砲の放たれる轟音と喚声、刀や槍のぶつかりあう甲高い音が入り乱れ、丸三日続いている戦に、それまで存在していた都の日常など忘却の彼方だった。
 雅さなどの欠片もない、埃と硝煙、血と汗のにおいが、都中に充満している。
「……ッ痛《て》! ああクソッ、かすった!」
 日暮れも程近い時刻、銃弾が飛び交う中、商家の陰に隠れて道向こうを確認しようとした永倉が大きく身をのけ反らせた。
「大事ありませんか」
 すぐ後ろにいた斎藤が口早に問うと、永倉は誠の羽織を片肌脱ぎし、口と手を使って着物の袖を破きながら「問題《もんらい》ねえ《れー》」と頷き返す。
 斎藤は永倉の手を制し、手当てを代わった。診たところ、それなりに血は出ているが左腕ということもあり、刀を握るに不都合はないだろうと知れる。
「ちぇ、面倒くせぇなぁ……」
 永倉は変わらず銃弾が飛んでくる通りを、改めて出格子ごしに覗き見た。斎藤がその腕に布をきつく巻きつけている間に、口の中で相手の人数や地形をぶつぶつと確認して目を光らせていた。
「――よし。斎藤、蟻通《ありどおし》、宿院《しゅくいん》」
 応急手当が終わると同時に、永倉が振り返る。永倉は斎藤とその背後に控えていた平隊士らに声をかけ、淡々と指示を出した。
「ちょい遠回りして向かいの通りに行ってくれるか。敵の小隊は銃持ちで十人足らず、こっちは七人、あちらさんの弾切れ待ってもいいんだが、ちょいと不意でも衝いてやりましょうや」
「本隊の様子も気になりますし、妥当ですね」
 斎藤が頷くと、池田屋の折、斎藤と共に土方隊に加わっていた蟻通が、至極真面目くさった顔で「永倉先生の仇討ちですね!」と意気込んだ。
「おい待て、死んでねぇよ!?」
 頓狂な永倉の言葉に、他の平隊士らが揃ってブッと息をふき出す。変わらず銃弾が飛び交い、遠くで砲声が鳴り響く中、この通りだけ張り詰めていた空気がわずかにゆるんだ。
 蟻通は慌てた様子で「ああっ、いえ、そういう意味でなく!」と手を振り回した。
「解ってるよ! この傷の仕返し、してくれるってんでしょ!」
 何度も頷く蟻通の肩を、永倉は「ありがとさん、よろしく頼むわ」と軽く叩く。
「……それじゃあ、斎藤」
「心得ました。向こうに回り次第、敵の側面を叩きますから……」
「おう。銃弾が止んだ一瞬で、俺らもここから飛んでくよ」
 互いの瞬き一つを合図とし、斎藤は蟻通と宿院を連れて小道を奥へ駆け抜けた。
「……戦況は、どうなっているのでしょう」
 道角の一つ一つで敵がいないかを確認しながら進んでいると、宿院がひそやかにそんなことを呟いた。
「まず、こちらは負けない」
「言い切れてしまうのですか?」
 端的な斎藤の返しに、宿院は不思議そうに問いを重ねる。
「俺達が日々、市中を巡回しているのはこういう時に地の利を得るためだ。俺達は今、迷わず目的地に疾走できているが、これまで一部の人間しか京に上らず、ろくに都を知らない長州兵が同じことをしようとしても、まず不可能だ」
「裏道は、地図には載ってませんものね!」
 蟻通の補足に、宿院が「なるほど」と納得の声を上げる。
「とは言え、街中に火付けでもされて焼け野原にされては後々面倒だ。負けぬからといって手を抜くより、さっさと終わらせたほうが都合がいい」
 言っている側から、遠くで火事と思われる煙が立ち上るのが視界の端に映った。同じくそれを目にした二人も、気を引き締めるように息を詰める。
 そうこうしている間に、先刻いた通りの、敵を挟んだ向かいの小道にたどり着いて、
「このまま突っ込むぞ!」
 気合い一刀、腰の獲物を抜刀しながら、斎藤達は永倉側に向けて銃を構えている長州兵隊に三人揃って突っ込んだ。
 一番手前にいた兵が、ひあ、と引きつった悲鳴を漏らす。それが道いっぱいに響くより前に肩先から刃を振り下ろすと、粘質性の血が足元にぼたぼたと滴り落ちた。
「よっしゃァ、突っ込め!」
 永倉の声が清々しいほどよく通り、残りの隊士達と共に駆けつけてくる。十対七、勢いで圧倒した斎藤ら七人は、あっという間にその場を制し、
「――この方で最後ですかね!」
 不意に正面から駆けてきた男の手によって、まさに最後に残った一人の首が、見るも鮮やかにはね飛ばされた。
「げえっ、総司! 何でお前、おいしいとこ持ってくかな!」
 永倉の非難に、刀を振り抜いた体勢で一つ空咳をした沖田が「えへへ」と笑いながら姿勢を正す。
「善良なる意思においての助太刀ですよぉ」
「善良なる意思とやらで綺麗に首はねられたほうは、たまったもんじゃなかろうけどね」
 苦笑して、永倉は「南無」と片手でホトケを拝んだ。
「……ったく、突っ走って行きゃあがって」
 血刀を拭う沖田の後ろから、今度はそんなぼやきを漏らしながら土方が歩み寄ってくる。
 途端、平隊士達が慌てたように背筋を伸ばして一礼した。
「あれま、土方さん。九条河原の本陣にいるはずの副大将がどうしたのさ、こんなところまで」
「様子見がてら直々に伝令に来てやったんだよ、ありがたく思え」
 茶化す永倉に、土方はあごを上げて不遜に答えた。
 永倉は意地悪く口の端を引き上げて「ウチもまだまだ人手不足ってこったねぇ」と刀を鞘にしまう。
「それで、戦況は」
 斎藤が低く問うと、土方は静かに瞬いて表情を引き締めた。
「敵の本隊が天王山に退きやがった。新選組は後を追う。お前らもついて来い」
「あいよ。それで、近藤さんは?」
「まだだ。斎藤、伝令頼めるか。局長らは伏見稲荷関門への救援に行っている。程近くにいるはずだ」
 有無を言わせぬ視線を投げかけられる。
 特に不都合もないので「承知しました」と斎藤は頷いた。
「伝令だけなら、斎藤先生のお手をわずらわせずとも、我々が……」
 蟻通が手を挙げるが、土方は固く首を横に振って、
「街中にゃ、まだ残党が潜んでやがる。そこここから火の手も上がってやがるし、今の状況じゃ斎藤が適任だ」
「私が行くって言ってるのに。近藤先生のところに行きたかったのに」
「まだ咳してやがる風邪っ引きが我侭ァ抜かしてんじゃねぇよ」
 拗ねた声を出す沖田の頭を、土方は小気味良い音を鳴らして引っぱたいた。
 戦闘の間に乱れたのであろうぼんぼり髪が揺れ、沖田は一層、不満げにむくれる。
「……では、行って参ります」
 どこか恨めしげな沖田の視線をこめかみの辺りで受け流しながら、斎藤は軽く頭を下げた。
 そうして土方の隣を通り抜けようとしたところで、MaxMan
「……山南《やまなみ》さんの様子が気になる」
 ぼそりと告げられ、斎藤は軽くあごを引いて心得た旨を示した。
 ところどころを火事に阻まれたが、途中で賊に出くわすこともなく斎藤は別隊を指揮する近藤と山南の元へ駆けつけた。
 御所の手前で賊を食い止めていたこちらの戦況も、ほぼカタがついたようで、しきりに響いていた砲声も止み、今や小道の隙間から漏れ聞こえる、残党狩りのわずかな喧騒を残すのみとなっていた。
「そうか、本隊が天王山に……どうりで敵も少なかったはずだ」
 報告すると、近藤は煤や返り血で汚れた頬を荒々しく拭って納得の声を上げた。話を聞いてすぐ、伏見稲荷関門の総指揮をとっていた大垣の将に、山南が話を通しに行く。
「――近藤さん、残りは大垣兵のみで大丈夫だと。撤収の許可を得ました」
 駆け戻ってきた山南は、残暑のきつい戦場の中においても寒そうに見えるほどの青い顔で報告を上げた。声はしっかりしているが、なるほど、土方が気にかけていたのはこれだろうかと察する。
「……山南副長。本隊が逃げたとはいえ、後はもはや主戦力の欠いた残党の始末です。お先に屯所に引き上げられては」
 斎藤の進言に、山南はわずかに表情を強張らせた。
 しかし近藤もふむと相槌を打ち、「そうしてくれ、山南さん」と気遣わしげに眉尻を下げる。
 近藤も、元より気にかけていたのだろう。どうやら山南は後ろで指示を飛ばしていたらしく、近藤とは違い、多少煤けてはいるものの目立った汚れもなかった。
「しかし、近藤さん……」
「大丈夫、斎藤くんの言う通り、後は残党狩りだ。指揮は私とトシがいれば事足りるだろう」
 だから案ずることはない、と肩に手を置く近藤に、山南は一瞬、酷い苦痛を噛み締めるかのような顔をした。
 が、目の錯覚だったかと思うほどの瞬く間に表情を落ち着かせて、
「申し訳ありません……では、お言葉に甘えて」
「斎藤くん、山南さんをお送りしてくれ」
「承知しました」
 近藤に頭を下げた時、ふと斎藤の目に、山南の手が映り込んだ。
 爪を立てるようにわき腹を押さえるその手に、わずかに血がついている。新選組の羽織が黒いため、その手の下がどうなっているのかは解らないが――。
「……怪我を?」
 近藤に背を向けて歩き出したところで問いかけると、山南は小さく肩を揺らした。
「いや……大したことはないよ」
「まさか銃弾でも……」
「問題ないから!」
 伸ばしかけた手を遮るように、強く拒絶を示された。
 ――仮に銃弾をかすめたにしても、大した傷ではないな。
 腹から声を返されたことでそう判断し、斎藤は大人しく引き下がった。
 すまない、と山南が妙にか細い声で言ったが、斎藤は特に気にも留めず「いえ」と平坦な声を返す。
「屯所に戻られましたら、手当てなさってください。……藤堂さんに叱られますよ」
 山南が驚いたように目を丸くして斎藤を見る。
 何となしに気まずさを感じ、斎藤はそれ以上は何も言わず口をつぐんだ。
「……ありがとう、斎藤くん。良ければ、あの子に無茶しないようにと伝えてくれるかい」
 静かに告げられた言葉は、別段明るくはなかったものの、山南のことを語った藤堂の声音によく似ていた気がした。

 日が暮れて、辺りが夜闇に包まれる。
 長州軍本隊を追って会津軍と共に天王山に入ると、その中腹から、都に火の手が上がっている様がよく見えた。
「あーあ……燃えてるねぇ」
 隊からわずかに離れてそれを眺めていた斎藤の背中に、歯がゆそうな声がかけられる。振り返ると、不機嫌に顔をしかめた藤堂が斎藤の隣に並び立った。
「せっかく池田屋で『都の焼き討ち』阻止したっていうのにさぁ」
 悔しいのか、藤堂は握り締めた拳をかたわらの木の幹に叩きつけた。鈍い音が鳴り、どこかで鳴いていた夏虫が一瞬ばかり声をひそめる。
「……敵に、何か動きは?」
 斎藤が短く問うと、藤堂は大きく息を吐いて肩をすくめた。
「相変わらずだよ」
 山頂近くのお堂に立てこもっているという敵の総大将、真木和泉守《いずみのかみ》とその腹心達――大した数は残っていないはずだが、近付けば大砲を放たれ、日暮れの時点ではまだ抗う姿勢を崩してはいなかった。
「このまま動きがないようなら、明日の朝に総攻撃を仕掛けるかって……さっき近藤さんと土方さんが、会津のお偉いさん達と話してた」
「……妥当だな」
「オレもそう思う」
 藤堂は軽くあごを引き、それから不意に気が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。
 訝しんで見下ろすと、藤堂は顔を伏せてしばらくの間を置いてから、
「……山南さん、屯所に送ってくれたんだってね」
「ああ……」
 そのことか。
 納得して相槌を返すと、藤堂は伏せていた顔を上げて都に目を向けながら「怪我とか、してなかった?」と呟くように問うた。
「……流れ弾がかすめたようだったが、元気だった」
 というと語弊があるような気もするが、見たままを答えた。顔色は確かに悪かったが、声を張る余裕と藤堂の心配をする余裕だってあったわけだから……
 そこまで考えたところでふと思い出して、斎藤は「ああ」と付け足した。
「藤堂さんに、無茶はするなと言伝を受けた」
「人の心配してる場合かなぁ?」
 わずかな間も空けずぼやいて、藤堂は自分の髪をくすぐったそうにかき混ぜた。が、その声音は安堵に満ちていて、心なしか嬉しそうだ。
「まぁいいや、大事ないなら。ありがと、斎藤。それと……良かったよ、お前も無事で」
 言葉なく視線を返すと、藤堂は裏表のない顔でにっと笑う。
 何だか首元がかゆいような感覚に見舞われる。どういう顔をしていいのか解らず眉をひそめると、藤堂はおかしそうに小さく肩を揺らした。
 立ち上がり、斎藤の肩を軽く叩く。そうして何かを言おうと口を開いた藤堂は、
「……あ」
 急に間の抜けた声を上げて、斎藤の後ろに視線を固定させた。
 同時にかさりと、草を踏み分ける音がかすかに耳に届く。
 肩越しに目をやると、薄暗がりの中に具足を身に着けた会津兵の姿が映り込んだ。
「オレ、戻るね。左之っちゃんもわき腹にかすり傷こしらえたみたいなこと言ってたから、腹の線が二本に増えてないか確かめてくるわ」
 藤堂は明るく言い、もう一度ぽんと斎藤の肩を叩いてから去って行った。
 その後姿を見送り、斎藤はゆったりとした動作で足を返して、体ごと後ろを振り返った。
「……生きてたね。良かった」
 途端に藤堂と同じことを、けれど藤堂よりも安堵しきった声音で呟いて、愁介が口元をほころばせる。
 斎藤は目礼し、周囲に他に人の気配がないかを確かめてから口を開いた。
「……殿は、ご無事ですか」
「うん。帝のお側にずっとついてたみたい。実はまた体調崩して臥せってたんだけど……寝てる場合じゃないって御所に入ってったよ。おかげで取り乱されていた帝も、父上の姿見てからは落ち着いた様子だったって聞いた」
 言い終えると共に、愁介は斎藤の目の前に歩み出た。木々の合間から降り注ぐ月光に照らされ、それまでよりも姿がはっきりと浮かび上がる。
 池田屋の時ほどではないが、それでも愁介は煤と返り血に汚れ、また池田屋の時と同じく瞳の光を失うことなく凛と佇んでいた。
 いつかの時よりも心なしか涼しい夜風が、草木を揺らしながら吹き抜ける。
 紅鬱金《べにうこん》の結い紐が髪と共にやわらかく流れた。月光を反射した結い紐がちかりと輝き、やはりいつかと同じように桜色を錯覚させる。威哥王

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