あれから、半月が経った。
私は携帯電話を買い替え、電話番号もメールアドレスも変更した。これで、もう私からも舞からも連絡を取ることは出来なくなる。こうでもしないと、吹っ切れそうになかったから。
私と舞は、本当にあれでさよなら。さよならをしなくちゃいけない。印度神油
でも、あのブレスレットをまだ大切に仕舞ってある。もう身につけることはできない。私はもう、舞の親友じゃないんだから。
だけど、どうしても捨てられなかった。せめて、最後の思い出に――だって、舞は私の初恋の人なんだもん。
「ねえ、稲葉。今日ちょっと付き合ってよ」
舞が転校してから、舞がインフルエンザで休んでいた時のように、放課後は稲葉と二人で教室に残って喋るようになった。
「なんで、どこに」
唐突に切り出した私に、稲葉が不審そうに眉を歪める。
クリスマスに偶然出会ってしまった以外は、本当に校外で一緒に行動することなんてなかったから。私も稲葉に突然こんなことを言われたら同じような顔をしただろう。
「今日は二月十三日! 明日はバレンタインデー! というわけで、一緒にチョコレートを作ろう!」
グッと拳を握りしめて、正拳突きのように稲葉に繰り出す。
「…………別に、いいけど」
殴られるとでも思ったのか身を引いて背中を椅子の背もたれに押しつけるが、すんなり頷いてくれる。
最近の稲葉は、いつもより優しさ増量中な気がする。バレンタインなんて「誰にあげるんだよ」かとか、「なんで俺がそんなのに付き合わされるんだ?」とか言われそうな気がしてたのに。
「じゃあ、決まり。私の家でつくろう。私の家、今日は誰もいないの」
最後の言葉。男女間で言うにはちょっと妙なニュアンスがあるけれど、稲葉が気にする素振りはない。
「じゃあ行こう」
「ああ」
珍しく、二人揃って教室を出た。
「そのまま家来る? いったん荷物置いてくる?」
「面倒くせぇし、篠塚がいいならこのまま行く。親には、ダチん家行くってメールしときゃ平気だろ」
校門を抜けて、二人仲良く並び私の通学路を逆走する。
「じゃあ、途中でコンビニ寄ってこう。道具はあるんだけど、肝心要のチョコレートをまだ買ってないんだよねぇ」
制服姿の男女である、私と稲葉。きっと傍目にはかわいらしい中学生カップルに見えるんだろう。
「ねえ、稲葉。手ぇつながない?」
夕日に照らされる二つの影に、舞と一緒に帰っていた日々を思い出す。稲葉の影は、舞よりも長い。
「何だよそれ。迷子防止?」
稲葉は可笑しそうに笑って、私の手を掴んだ。
「うん……そうかな」
私は稲葉の手を握り返して、少し俯き奥歯を噛みしめる。少し、泣きそうな気分だった。本当に迷子になってしまいそう。
稲葉が私の手を引いて歩く。
「ていうか、チョコレート作ろうって誘っといて、なんでチョコがないんだよ」
「し、仕方がないでしょ! 昨日の夜、寝る前に思いついたんだから」
私の様子に気づいているのかいないのか、稲葉は笑いながら話しかけてくる。
握った稲葉の手が暖かい。私は少しはなをすする。
二月は一番冷え込む季節だ。今日は、一段と寒い。
「この辺ってあんまり来ないんだよ。コンビニなんかあったんだな」
「稲葉の家、反対方向だもんね」
握りしめた稲葉の手が温かい。その温もりがじんわりと伝わって、心臓を捕えた。
「あ、稲葉。こっちだよ」
十字路にさしかかり、私は稲葉の手を引いて右に曲がる。稲葉の手を引っ張って、ズンズン歩いていく。
「稲葉、どのラッピングがいいと思う?」
コンビニ内にあるバレンタインコーナー。その棚に飾られたラッピングセットの前に立ち、稲葉に問いかける。
「いや……俺に聞かれても」
据わりが悪そうに、きょろきょろと辺りを見渡してバレンタインコーナーから目をそらす。
「恥ずかしがってんのよ。別に下着売り場にいるわけでもないのに」強力催眠謎幻水
「しっ、下着……!」
一瞬にして、稲葉の耳が真っ赤になった。
レジのすぐ近くだったのが災いして、レジのバイトがくすくすと笑う。
「じゃあ、コレとコレとコレとコレん中だったら、どれがいい?」
仕方なく、少しでも稲葉が選びやすいように対象を絞って問う。私が指差したのはどれもボックスタイプで少し他のよりも値の張る、いわゆる本命チョコ用のラッピングだ。
「え~っと……じゃあ、これ」
ラッピングに本命用とか義理用とかがあることを知らないのか、稲葉はなんの疑問も口にせず選び取った。それとも、ただ単にバレンタインコーナーから離れたいのか。
「これね」
稲葉からラッピングセットを受け取ると、パッケージに書かれた完成予想図を確認する。
ホワイトペーパーで箱を包んで、ピンクのくしゅっとした不織紙とリボンで飾る、ちょっぴりゴージャスで可愛いラッピングだ。
「結構、いいセンスしてんのね」
私は稲葉の選んだラッピングセットと、香坂さんたちにあげる友チョコ用のレース模様の小さな袋を買いにレジに向かう。
「篠塚、チョコは?」
「いけない!」
肝心のチョコレートを忘れるところだった。板チョコをごっそりといただく。
「どんなチョコつくるんだ? トリュフとか?」
「ううん。溶かして型に入れるだけの簡単なの。稲葉、あんまり手先が器用じゃなさそうだからね」
「は?」
不思議そうに首を傾げる稲葉は、まだ私の策略に気が付いていない。
「ふふふっ」
家に連れ込んでしまえば、後はこっちのものだ。決して、逃がしはしないよ。
「お願いしまーす」
私は上機嫌で、レジに向かった。
「稲葉。ちょっと顔貸して」
朝のホームルームも始まる前、教室で篠塚にそう言われた時の俺は、きっと引きつった顔をていただろう。
なぜなら今日はバレンタインデー。女子が男子を呼び出せば、その理由はただ一つとなってしまう日だ。その理由とはチョコレートを渡すためで、すなわち愛の告白だ。
実際がどうであれ、本人及び周囲の人間はそれを予感してしまう。
篠塚が愛の告白をするために俺を教室から連れ出そうとしているとは思えないから、そう感じるのは周囲の人間のみに限られるわけだけど。
「ヒューヒュー」
案の定、口笛の吹けない水無瀬が、口笛の音を声で真似してまで冷やかしてくる。
朝練を終えた水無瀬が教室に戻ってきているのにも関わらず、青山の姿は教室になかった。きっと、朝練を応援しに来た女の子たちにつかまっているのだろう。
今ここに、青山がいないことが俺にとって幸運なのか不幸なのか、よくわからない。
「おまえ、どういうつもりなんだよ」
水無瀬から逃げるように教室を出て、篠塚の後を歩きながらその後頭部を睨みつける。俺と篠塚が付き合っているという噂話を、篠塚も知っている。なのに、わざわざ教室の中で俺の事を呼びつけた。それが許せない。
「稲葉が悪いんでしょ。これを置いてったりするから!」
篠塚に連れて行かれたのは、人気のない特別教室棟。その三階の美術室の前で、ようやく篠塚は立ち止まった。振り返った篠塚は、俺と同じように怒っている。
篠塚が『これ』と言って取り出したのは、俺が昨日コンビニで選んだラッピングの箱で、中身はチョコレートだ。しかも、ハート型の。そして恐ろしいことに、そのチョコレートの製作者は俺――稲葉圭一だった。
「置いてくに決まってるだろ! 手伝いとか言って、騙しやがって。最初っから、そのつもりだったんだろ? こんなもん……青山に渡せるわけねぇだろうが!」
最初は、篠塚の手伝いのつもりで作ったチョコレートだった。
これだけ他のと違って俺一人に全部やらせるから、変だとは思ってたんだ。でも、まさかこんな無茶なことを言い出すとは思わなかった。
俺がチョコレートを綺麗にラッピングし終えた時、篠塚はこれが青山へのチョコレートだと言った。そして、俺に明日渡せと。
マジであり得ねぇ。どんな顔して渡せってんだ。三笠に玉砕してへこんでるだろうからって、優しくしてやるんじゃなかった。
俺が青山へ渡すために作らされたチョコレートを持って帰れるわけがない。
チョコレートを押しつける篠塚を振り切って、俺は家に走って帰った。
俺がチョコを刻んで溶かして型に流して固めてデコレーションして箱に入れてラッピングして……こんなチョコレートを俺の手から青山に渡すだなんて、愛の告白じゃないか。VIVID
「なにも、自分で直接渡せっていうじゃないんだよ? 机にこっそり入れちゃうとか、誰かに頼まれたとか言ってさ……」
なるほど、その手があったか。
ポン、と心の中で手を叩いた自分もいる。けど、そういう問題じゃないだろ。
「意味がない。こんなことして、なんになるんだよ!」
先がない。未来がない。なんもない。
俺の青山への思いは無意味だ。チョコレートを渡したところで、なにがどうなるっていうんだ。
どうにもならないんだよ、どうしようもないんだよ。
だって青山には、他に好きな女がいるんだから。
「でもっ……!」
篠塚は泣きそうな顔で、俺のチョコレートを胸に抱く。壊さないように優しく、でも力強く。
俺に、訴えてくる。
「お願い……本当に嫌なら、捨てちゃってもいいから。とにかく今は、受け取って。青山へのチョコレート、稲葉が持っていて。お願い!」
頭を下げてチョコレートを差し出してくる篠塚は、まるで俺に愛の告白をしているみたいだった。
「よっ、色男! どうだった」
教室に戻ると、待ち構えていたように水無瀬が冷やかしにかかってくる。
「残念、チョコじゃ無かったよ」
表情を取り繕い、両手をひらひら振って手ぶらであることをアピールする。
「つまんねーの。やっぱり、今年もキングオブチョコレートは青山か」
「なんだよ、そのキングオブチョコレートって……」
水無瀬の言葉に苦笑する青山は、机の上にこぼれ落ちんばかりのチョコレートを積み上げていた。
「スゲッ……」
去年よりも増えている気がする。
色とりどりのラッピングが施されたチョコレートの数々。いかにも手作りっぽい形崩れした蝶々結びや、一寸の隙もない有名ブランドの包装まで見えている。
贈り物はチョコレートだけに留まらないらしく、部活に使う手ぬぐいや、気合の入った手編みのマフラーまで混ざっていた。
「青山。一個貰うな~」
呆気にとられていると、山積みのチョコレートに腹を空かせた水無瀬の魔の手が伸びる。
「いいわけないだろ。くれた子に失礼だ」
パシリと水無瀬の手が叩かれた。
授業が始まる前でこれだけたくさんのチョコレートを貰っているんだ。昼休みや放課後になったら、もっともっと増えてしまうだろう。それを全部、自分一人で食べきるつもりなんだろうか。
俺は甘いものが好きな方だと思うけど、さすがにこの量はげんなりする。でも、青山ならきっと食べるんだろう。この山のようなチョコレートを女の子たちの気持ちごと、食べてしまうんだろう。
「青山って、いい奴だよなぁ」
「な、なんだよ、圭一! 照れるだろ」
思わず口をついて出た言葉に、青山が顔を真っ赤にする。
「あははっ、照れてる照れてる~」
水無瀬の笑い声を聞きながら、俺は考えていた。
こっそり、このチョコレートの山の中に俺の作ったチョコレートを紛れ込ませることは出来るだろうか。もしそれが出来たなら、青山は俺の気持ちも食べてくれるのだろうか。
青山に俺の気持ちごとチョコレートを食べてもらって、この気持ちが消化されてどこかへ消えてしまえばいいのに。
「青山、これ使えよ。カバンに入りきらないだろ?」
「おお、ありがとう」
技術の道具を持ってきた紙袋を青山に差し出す。
「なんでオマエ、紙袋なんか持ってんだよ。さては、自分もたくさんチョコもらえると思って準備してきたな!」
「なにバカ言ってんだよ」
俺は笑いながら、篠塚からチョコレートを受け取らなかったことを後悔していた。
「稲葉!」
ホームルームが終わり、帰ろうと立ち上がった俺のコートが誰かに引っ張られる。振り返ると案の定、篠塚だった。
「ねえ、本当にいいの? 青山、部活に行っちゃうよ」
声をひそめて話しかけてくる。
青山の方を見ると、紙袋にも入りきらなかったチョコレートを服のポケットに入れたり、カバンの隙間に押し込んだりしてどうにか運ぼうと苦戦していた。
「なんなら、私が渡そうか? 友達に頼まれたとかって言って……絶対に、稲葉の名前は出さないから!」
まただ。また泣き出しそうな目で俺を見てくる。どうして篠塚はそんな目で俺を見るんだろう。
「いい」
「稲葉……」
俺の言葉に篠塚の手が震えた。すがりつくような眼差しは不安定で、今にも壊れてしまいそうに見える。
「いい。自分で渡すから」
「稲葉ぁ!」
そんな表情から一変して、花が咲いたようになる。今度は、嬉し泣きでもしそうな勢いだ。
なんで篠塚がこんな必死になるんだろう。理由はわからないけれど、篠塚のこの必死さに動かされたところがあるのは事実で、少し嬉しかった。蔵八宝
篠塚のおかげで、青山にチョコレートを渡す決心がついた。自分一人じゃ、絶対にこんなことしようと思わなかっただろう。
これがいいことなのか悪いことはわからないけど、いいじゃないか。俺の青山への気持ちがバレないんなら、俺だってバレンタインデーの浮ついた空気を楽しんでも。
だって、青山が好きなのは俺の正直な気持ちなんだ。好きになった相手が、たまたま同性だったってだけだ。
「でも、俺からだとは絶対言わねぇからな! 頼まれたって言って渡す」
「うん。それでいいよ!」
俺は、篠塚からチョコレートを受け取った。
さっき食べたチョコレートの甘さが口の中にまとわりつく。
香坂さんたち仲のいいクラスメイトと交換した友チョコ。
去年は舞ともチョコレートを交換したけど、舞のは友チョコで私のは本命チョコだった。今年も同じだと思ってたけど、舞はいなくなってしまった。
舞の転校は仕方がないことだし、舞に告白したことも後悔していない。
でもやっぱり、寂しさはぬぐえない。
『……ねえ、知ってる?』
さっき香坂さんたちと交わした会話を思い出していた。
『チョコレートって、媚薬なんだよ』
前になにかのテレビで言っていた、チョコレートの秘密。
『人が恋に落ちると分泌される脳内物質が含まれているんだって』
どうして好きな人にチョコレートを贈るのか。
『ほんの少しだけど』
どうして、稲葉にチョコレートを贈らせたいのか。
少し、最近の私はおかしい気がする。妙にハイテンションというか、カラ元気というか、そのくせ感情の起伏が激しくてすぐに泣きたくなってしまう。
原因は考えなくてもわかる。舞とお別れしたからだ。だから、稲葉を騙して青山へのチョコレートをつくらせたりした。私の代わりに。
チョコレートは中毒になる。チョコレートの中に含まれるテオブロミンは常習性のある劇薬らしい。
「青山。水谷先生が呼んでる」
チョコレートを制服の下に隠して、稲葉が青山を連れ出す。
「こっち」と言って青山を人気のない方へ誘導するその後を、私は追いかけていた。
見つかったら物凄く怒られるとわかっていても、心配で気になってどうしようもない。
廊下の角や柱の陰に隠れながら後をつけていくと、稲葉は青山を特別教室棟に続く渡り廊下まで連れて行き、そこで足を止めた。渡り廊下と普通の廊下を仕切る引き戸の陰に隠れ、窓部分から顔をのぞかせる。
渡り廊下の真ん中で二人は立ち止まり、なにやら話をしているようだった。そして、稲葉が不自然に膨らんだ制服のポケットからあのチョコレートを取り出す。
どんな顔をしてチョコを差し出したのか、その表情はこちらからは見えなかった。けれど、青山の表情はバッチリ見える。何事か稲葉と話していると思ったら耳まで真っ赤になって、口元が緩んでいるのがわかる。あれだけチョコレートを貰っておきながらいちいちあんなに照れるなんて、なんだか可愛い。
青山が口を開いて何かを喋っていたけれど、扉で区切られた私の耳には入らない。せめてこの扉の真ん前で話してくれたら聞こえたかもしれないけど、それだと覗いてるのもバレてしまう。
なんとか声を拾えないか窓ガラスに額を押しつけると、青山が稲葉のチョコレートを受け取った。
「やった……あっ!」
思わず声を上げてしまい、窓ガラスが私の吐息で曇る。声が聞こえてしまったのか青山が顔を上げて、一瞬目が合った気がした。
「ヤバッ!」
慌てて頭を引っ込め、その場にうずくまる。
続きが気になるけれど、再び覗く勇気はなかった。
心臓がバクバクする。見つかりそうになったせいじゃない。青山が、稲葉のチョコレートを受け取ったから。
やった、やった、やったぁ……!
声に出せない嬉しさを、心の中で絶叫する。
そして、突然アルミ戸が開かれた。
「篠塚……!」
その声は、稲葉の物だった。
「えへへへへ」
私は青山だけでなく、稲葉にまで見つかってしまった。
笑ってごまかせるとは思わなかったけれど、稲葉にまで見つかってしまっては笑うしかなかった。
「ご、ごめんね! でも、どうだっ」
「悪い。今……俺に話しかけんな」
立ち上がって稲葉に伸ばした手が、無惨にも振り払われる。
強く払われた手が、ジンと痛んだ。
覗き見していたことを怒られるとは思った。でも、これは怒ってるんじゃない。
拒絶、だ。
「稲、葉……?」
突然のことに思考する停止。
「どうしたの? ねえ……!」
再び手を伸ばす。でも、稲葉は私を無視して背を向けた。
「篠塚さん。チョコレート、ありがとう」
稲葉を追いかけようとした私の腕がつかまれる。
「青山……」
私の手をつかんだのは、稲葉のチョコレートを持った青山だった。
稲葉の足音が、どんどん遠ざかって行った。
いったい、なにが起きてるの?
「悪い、青山。水谷先生が呼んでるっての嘘なんだ」
青山を連れて、渡り廊下の真ん中まで来たときに俺は立ち止まり、隣に立つ青山に顔を向ける。新一粒神
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