2013年9月11日星期三

隠れ里にはいってみよう

アンブロシウスの言葉を聞いた瞬間、エルはべたりと馬車の硝子ガラス窓にへばりついた。
  四方をオービニエ山脈に囲まれた辺鄙な場所にあるこの盆地は、旺盛に茂り鬱蒼とした森によって埋め尽くされている。印度神油
  ちょうど盆地の中央に当る部分には1本の白い尖塔が突き出しているのが見える。そこがアルフヘイムの中心地であり、目的地だ。
  しかしそんな雄大な自然も、特色に溢れた建築物の数々もエルの興味を引くことはできなかった。
  彼の頭の中を占めるのは、いまやただひとつの事柄だ。

 「ここが、魔力転換炉エーテルリアクタの生産地……」

  魔力転換炉――幻晶騎士シルエットナイトの、文字通りの心臓ともいえる機関部である。
  大気中に無尽蔵に存在するエーテルを魔力マナという形へ変換する魔導機関。これがあってこそ、幻晶騎士は地上最強の兵器として君臨できる。
  そして彼が求めて止まない、彼の知らない幻晶騎士を構成する最後の欠片ピースでもある。

 「製法と共に、生産地も秘匿されているだろうとは思っていましたが……それが、こんなところに」

  王都カンカネンを出てどれほどの距離を進んだだろうか。
  異界じみた巨木の結界に囲まれ、噂にたがわぬ峻峰により隔絶された上に、さらには選び抜かれた戦力により守護される難攻不落の天然の要塞。
  まかり間違っても偶然でたどり着けるような場所ではなかった。

 「エルフという民がいると、いま初めて知りました」

  ぶつぶつと情報の整理にふけっていたエルがようやく顔を上げる。
  さらさらと流れる銀色の髪の奥には、異様なまでの熱意を湛えた瞳がある。一言たりとも、一欠片たりとも逃さぬと、無言のままに主張している。
  下手をすると“本当に”食らいつかれかねないほど気迫を前に、いたずらっぽい笑みを浮かべていたオルヴァーは慌てて姿勢を正した。

 「エルフの大半はこのアルフヘイムのような郷を定め、ずっとその場所で暮らしてゆくからね。私のように“衛使”として外に出ているものもみだりに正体を現しはしないし、それすらどちらかというと変わり者の部類に入る」
 「……それは、魔力転換炉の製法を秘するためですか?」

  ずい、と身を乗り出したエルにオルヴァーが引き気味になっていると、横からアンブロシウスの抑えきれない笑い声が漏れてくる。

 「くく、まぁそう急くな。それだけとも言えぬ、エルフはいくらかの理由から自身が大きく動くことを嫌っておる。わしらの側の事情もあってのぅ、裏と表をあざなえてこやつらは歴史から姿を消しおったのよ」

  もといたソファーに戻ったエルは正座して完全に話を聞く体勢をとっている。

 「とは言え、残念だけど私自身は魔力転換炉の製法を知らないのだけどね」

  目前で燃え上がる情熱に少し辟易しながら、オルヴァーはあわてて釘を刺した。

 「いますぐ話を始めたいのもやまやまだけど、そもそも炉の製法は“衛使”の役を負うものに教えられることはないんだ」

  衛使とは、徒人との橋渡しとして郷の外で過ごすエルフの取り纏めのような役職になる。
  考えてみれば当然のことで、せっかく秘匿している情報をわざわざ外にでるものに教えることはしないだろう。

 「そうですか……でも、それは辿り着けば教えていただけるのですよね。楽しみに……本当に楽しみにしておきます」
 「楽しみにしているところ申し訳ないがね……君が、必ずしも炉の製法を会得できるとは限らない」

  オルヴァーは少し迷っていたが、ややあって決意と共に言葉を続ける。

 「……考えてもみてくれないか、私たち“エルフだけ”が魔力転換炉を製造しているという意味を。それは秘密を守るためだけじゃない、それだけじゃなく……これが“エルフにしかできない”ことだからでね……」
 「それならそれでかまいません」

  即答だった。
  何の溜めも迷いもなく、エルは爛と輝く瞳のまま告げる。

 「全部聞いて、全部調べて、全部ばらして、全部試して、ダメなら抜け道を探して、それでもダメだったらサッパリと諦めます。まずは全てを聞いてからです」

  オルヴァーは賢明にも、速やかに説得を諦めていた。


  アルチュセール山峡関からアルフヘイムまでは山間をなぞらうように道が整備されている。
  最初はか細い流れがあるだけだった水の流れはいつの間にか大きな流れとなり、道に並ぶようにゆったりとした川を作っていた。
  どちらも共に盆地の中央へと伸びており、その道の上を馬車は穏やかに進んでゆく。

  長閑のどかと形容してもいい景色の中、しかし馬車の内部だけが穏やかならざる熱気に包まれていた。

 「目的地につくまでにはまだ時間がある……雑談代わりに、私たちエルフについて少し話そうか。
  そうだね、ときにエルネスティ君、私は何歳くらいに見えるかな?」
 「……? 20代の半ばほどでしょうか。30歳にはなっていないと見えます」

  エルは視線をオルヴァーに、それからその長く尖った耳へと向ける。
  小首をかしげて答えた彼に、オルヴァーは少し意地の悪い笑みを向けていた。

 「はずれ。正解は、私は今年で87歳になる」

  アンブロシウスよりも年上であるというオルヴァーの言葉に、エルは束の間奇妙な表情を見せる。
  方や髪は白く染まり外見にも年相応のしわが刻まれた姿、方や艶のある金髪で皺一つ見えない若々しい姿をしているのだ。
  隣並ぶ彼らを見て、オルヴァーの方が年上などという発想は間違ってもでてこないだろう。

  冗談を、との言葉は出なかった。驚きはしたが、ある程度予想はできたことである。
  異常なまでに年齢にそぐわない若々しい容姿、エルフ、隠れた民――そこから導かれる答えはひとつだ。

 「エルフの民は……もしかして、僕たちよりも寿命が長いのですか」

  むしろオルヴァーが珍しく細い目を見開き、驚きを露にしていた。

 「その通り……すぐにそこに思い至るとは、冗談と取られるかと思ったのだけれどね。
  そう、私たちエルフの寿命は君たちに比べてはるかに長くて、だいたい500年ほどになる。それにエルフは歳をとってもあまり外見が変わらなくてね、私もあと数百年はこのままさ」

  表情にこそ出さなかったものの、エルは内心呆れに近い感覚を覚えていた。
  徒人と呼ばれる、一般的な人間の寿命は長くて70年ほどである。この世界では80年も生きれば驚異的な長寿だ。それはドワーフ族であっても同じである。彼らはいわば少し筋肉質な人間だ。
  それらの間に、放っておけば7倍くらいは長く生きる種族が混じっていればどうなるか。しかも外見は若々しいままなのである。
  余計な軋轢を生むだろうことは想像に難くなく、さらにはそれによって不利益をこうむるのはおそらくはエルフの側であろうことも、十分に予想できることだ。
  なぜアルフヘイムは辺鄙な地にあらねばならなかったのか、彼は合点がいったという表情をする。

 「だからエルフの民はこうして、隠れ里に住んでいるのですね……」

  眉を下げ、いささか勢いを潜めた様子のエルに、オルヴァーはこともなげなようすで首を振った。

 「うん? ああ、そういうわけじゃないよ。エルフの民が隠れ里に住んでいる理由は、エルフたちがとても“面倒くさがり”だからさ」

  姿勢を正してオルヴァーと相対していたエルは、まず首をひねり、腕を組んで、聞き間違いであってくれと半ば祈りながら問いかけていた。

 「……えっと、すいません。エルフが、なんですって?」
 「面倒くさがりだね」

  先ほどまでの深刻さを含んだ空気は、たった一言で壊滅していた。

 「そういってしまうと少し語弊があるかもしれないけど。
  エルフというのは面白い民族で、生きた時間によって精神性が大きく変わってくる。生まれてから100年ほどは徒人とそう大差はないんだ」

  オルヴァーは自分を指差して頷く田七人参
  確かに、彼を見て徒人と大きく違うという印象は感じない。

 「でもそこから先は大きく違う。200年、300年と生きたエルフは活発さを失い、周囲への関心を失い、そして自らの中への思索を追い求めてゆくようになる。“面倒くさがり”になってゆくんだ。それはもう、寿命を迎えるころのエルフはほとんど樹木と変わりないとすらいわれるくらいだよ」

  エルはふと窓の外を見る。
  いつの間にか馬車はアルフヘイムの市街地へと差し掛かっていた。

  馬車が走る道を含め、街の内部を走る道は石を敷いて舗装されている。流れ込む川は細かな水路に分けられ、街中を縦横に駆け巡っていた。
  周囲に生い茂る木々は、途中で見かけた巨木ではなく幻晶騎士より少し高い程度の大きさである。
  代わりにひどく節くれだち、幹が豪快に捩れた奇妙な形の木だ。それらの不規則で統一感のない様は、眺め続けていると微妙な不安を感じてしまいそうだ。
  それらは陽光をさえぎることはなく、ここは巨木の森のように暗闇におののくことはない。ふんだんな光の恩恵を受け、根元付近は下草で見えなくなっている。

  木々の間に見える、アルフヘイムの建築物はかなり独特な構成をしている。
  そのほとんどがあの捩れた木と隣り合っている、というよりも建物自体が半ば木と合わさっているような形をしていた。
  木が家の一部を構成しているのだ。それは寄り添う場合もあり、真ん中を貫いている場合もある。
  建材も独特だ。いくらかの特殊な植物そのもの利用して骨組みを作り、木材と石材、そして漆喰しっくいのようなものを組み合わせて建物となしていた。

 「森とともにある都市」

  木々と絡むようにして立つ建物。これこそがエルフの精神性から導かれた、彼ら独自の文化の形であった。



  そうして彼らが話し込んでいる間にも馬車は街の中央へと辿り着いていた。
  そこには森とほぼ同化した外観を持つアルフヘイムの建築物の中でも、際立って奇妙な見た目をした建物がある。

 「ここがアルフヘイムの中枢機関、“森護府しんごふ”じゃ」

  森護府は自然の色に溢れたアルフヘイムにあって非常に目立つ、穢れなき白亜の建物であった。
  全体的に不規則で緩やかな曲面によって構成されており、螺旋が収束するように中央が尖塔となって高く伸びる形は、どこか巻貝の殻のような生物めいた印象をもっていた。
  下部は大きく膨れており、菌類のコロニーを思い起こさせる縦横に支線が走った構造によって支えられている。そのところどころに、それとわかり難い窓や廊下が存在していた。
  エルにはこれがなにか愉快な生き物の巣のようにも思えたが、馬車の到着を待っていたかのように門扉が開かれたのを見てこれが立派な“人が使う建物”であることを思い出していた。

  建物の奥からは、ほっそりとした人影が僅かな衣擦れの音を伴って歩いてくる。
  オルヴァーは一般の徒人と変わらぬ服装をしているが、アルフヘイムに住むエルフは本来の彼らの文化に則って暮らしていた。
  自然に倣った淡い緑色に染められた布を身に纏い、草木や花を模した装飾品でそれを留めている。

 「ようこそアンブロシウス陛下、オルヴァー様。こちらへ……中で大老エルダーがお待ちです」

  馬車を降りたアンブロシウスは鷹揚に頷くと、エルとオルヴァーを引き連れて歩き出した。


  森護府の内部は木材と、外壁にも使われている不思議に艶めいた白い建材が使われている。
  採光についての設計が巧みであるためか、内部には明かりらしきものがないのに暗い印象は全くない。
  反射の具合によっては時折壁が虹色にざわめくのをエルが珍しがって、首をひょこひょこと動かして眺めていた。

  森護府の中央部は大きく吹き抜けの構造になっていた。尖塔の直下にあたるこの場所は仕切りがなく、そのまま尖塔の内部を高く見上げることができる。
  つるりとした質感は、とても人の手で創られた建造物に見えない。もしかしたら、貝殻に近いものを背負った巨大魔獣の遺骸を流用しているのかもしれないと、エルは益体もない感想を抱きつつ歩みを進めていた。


  吹き抜けへとたどり着いた彼らは、その中央部に盛り上がった部分を発見する。
  それを見たエルはまず“祭壇”という言葉を思い浮かべた。あるいは玉座か。
  なぜならその中央には椅子があり、そこに腰掛けるものが居たからだ。

 「久しいのぅ、大老エルダー・キトリー。わしが王の座について以来であるから、30年ぶりほどか」

  アンブロシウスが大理石のような質感の椅子に座る人物へと話しかける。
  その後ろではオルヴァーが膝をつき、頭の上で両手を重ねながら深く下げる独特のお辞儀をとってから離れていった。

  大老“キトリー・キルヤリンタ”――“玉座”に座っていたのは、一見して少女のような人物だった。
  彼女の印象を説明するならば、とにかく“白い”。
  肌は森護府の外壁と並ぶほど白く、髪に至っては半ば透き通っている。開いた瞳の奥が銀色の瞳であるとわかったとき、あまりに人間離れした色彩にエルは抑えがたい違和感に襲われた。
  自然の色合いに倣った鮮やかな色彩を特徴とするエルフの服装。彼女はその上に薄い紗のかかった白い布を幾重にも重ね着ている。それは彼女に草木の上に積もった新雪のような儚さを与えていた。

 「そう長い時ではない、アンブロシウス。だがお前は老けたものだ」

  弦の調べのように耳に心地よい声。しかしそれは聞くものにどこか不安を感じさせるものだ。
  そこには感情というものがなく、途轍もなく平坦で決定的なまでに熱が欠けている。
  他者への関心が薄れるとは、つまり感情が薄れていくということだ。彼女の声に比べれば、風に揺れる木々のざわめきのほうがまだしも情熱的といえた。

 「ご挨拶じゃのぅ、まぁ徒人とはそういうものじゃ」

  長命な種族であるエルフは若さではなく重ねた年齢を重視する。ゆえに“大老”が族の最上位にいるのだが、目の前の人物が一体幾年を重ねた存在なのか、外見からは窺えない。
  オルヴァーの説明を信じるならば、ここまで長じたエルフはおよそ周囲への関心がないに等しいはずだ。

 「さて、此度はわしらの要求を聞き入れたこと感謝いたそう」
 「よい、大いなる思索の時のために、必要なこともあると理解している」

  彼らは挨拶もそこそこに本題に入ってゆく。
  エルフと徒人の間の取り決めにより、彼らの間では身分の上下については無視される。
  儀礼的なものは極力省かれ、話は非常に速やかだった。

 「先に伝わっているかも知れぬが、わしの用件は魔力転換炉の製法よ。それを、ここにいるエルネスティに伝えてもらいたい」

  微動だにしないままキトリーはポツリともらす。

 「お前もそれを問うのだな」
 「わし“も”とな?」
 「そうだ。歴代の徒人の王も一度はそれを問うてきた。毎回連れてくる者は異なるが、史上最高の術士を、騎士を、学者へ伝えよと。そのことごとくが失敗に終わったがお前たちは懲りぬな。いや、常に代は変わっている。それも当然か」

  彼女が大老となる以前から数えて、対面した徒人の王は6人にも上る。
  これはもはや、彼女たちにとっては“恒例行事”といったものだった。

 「ふうむ、確かに考えたのはわしだけではなかろうが、それほど困難であったか。しかし此度連れて来るは、将来有望なる子供である」
 「……童と」

  話している間も、キトリーの表情は全く動いていない。
  徒人の感覚からしても非常に美しい顔立ちをしているとはいえ、全く表情がないということがこれほど不気味に見えるものか。
  彼女に比べればオルヴァーのほうが比較にならないほど表情豊かである。

 「無駄であろう。そも徒人には時が足りぬ、いかに磨こうとも我らの高みまで上れはすまい。これまでの者も徒人としては有能であったのだろう、それを差し置いて次は未熟なる童にたくすなど、まったく理解に苦しむもの」
 「まぁそうけち臭いことを言うでない。意外なものが見れるやもしれぬぞ?」
 「アンブロシウス、徒人の王よ。“法”の定めにより、お前の言葉は尊重される。しかしそれがあまりに下らぬ場合、我らにも拒否する権利がある」

  話が不穏な方向へと進まんとしていたとき、それまではアンブロシウスの後ろで静かに控えていたエルネスティが立ち上がった。

 「では、何か試しをしてはいかがでしょうか。貴方が納得されるだけの試しを、何でも。根拠もなく否定されるのは、僕も本意ではありません」

  そこで初めてキトリーに動きが見えた。僅かに首の向きを変えただけだが、それだけでかなり難儀であるように見えた威哥十鞭王
  次の瞬間、さらに驚くべきことが起こった。彼女が大きく腕を上げたのだ。そのままエルを指をさすと、それを何もない空間へとむける。

 「童よ、そこに立て」

  エルがアンブロシウスから離れると、キトリーの周囲に異変が発生する。
  ただ腕を上げただけの彼女の周りの空気が歪み、突如としてその場に熱が顕現した。ゆらゆらと橙の輝きを漏らすそれは爆炎球ファイヤボールの魔法だ。
  それ自体は驚くべきものではない、火の系統の魔法をつかったというだけだ。だがエルは違えずその状況に異常を発見していた。

 「……杖がない?」

  キトリーは“杖を持っていない”。
  魔法の行使に不可欠であるはずの、触媒結晶を取り付けた杖を持っていない。目前の光景には、エルの知る魔法に関する知識に明らかに反するものがあった。

 「如何に」

  エルには疑問に囚われている時間はなかった。キトリーの短い問いかけとともに、いつの間にか数十も顕現していた爆炎球が殺到してくる。

  疑問も驚愕も置き去りにして、エルネスティは素早く反応した。
  彼はその全てが自分に向けて飛んできていることを把握すると即座に迎撃のための魔法術式スクリプトを構築、一足踏み出しざまにウィンチェスターを引き抜き、手に馴染む感触を確かめるより先に先端から大量の大気の塊を撃ち放つ。
  単発拡散発射キャニスタショット――同時に多数の魔法を発射するエルの攻撃パターンの一つだ。四方にばら撒かれた風衝弾エアロダムドの魔法が押し寄せる爆炎球を迎え撃つ。
  橙の魔法弾と大気のゆがみが次々にぶつかってゆき、そうなれば次に起こるのは爆炎球の爆発だ。

  すぐさま大気が渦を巻いた。爆発ではない、エルが続けて放った魔法だ。
  大気圧壁ハイプレッシャーウォール、大気衝撃吸収エアサスペンションの魔法の応用で、周囲の大気を圧縮することで防壁を作る魔法である。
  広い範囲と大量の大気に影響を及ぼさねばならないため非常に制御が面倒な上級魔法だが、爆発や打撃など面積の広い攻撃に対する防御効果は絶大だ。
  空中に咲き乱れるかと思われた炎の花は、厚い大気の壁に包まれて太鼓を叩いたような低い音を残し、萎れ消えてゆく。

  数多の攻撃魔法と広範囲への防御魔法を続けさまに繰り出したにも拘わらず、エルは涼しげな表情のままだった。

 「……“試し”はこれで終わりでしょうか?」

  彼は何が飛んできても対応できるように様々な術式を用意しながら、油断なくウィンチェスターを構えている。
  それを見ても、キトリーはやはり全く表情を動かしていなかった。

 「試しは、良し。今まで見た徒人の中ではまだ見込みがある。徒人とは不思議なものよな、長じても及ばぬというのにそれを為す童がいると……誰ぞ、あれ」
 「ここに」

  キトリーが呟くと、一人のエルフの男性が速やかに場に現れた。

 「この者たちを奥へ案内せよ。魔力転換炉についての知識を所望だ、望むだけ教えてやれ」

  恭しく独特のポーズで頭を下げるエルフの男性。彼はそのままエルとアンブロシウスを森護府の奥へと招く。
  “試し”に合格したのだと理解したエルは、それでもウィンチェスターの構えを解かずに彼の後に続いた。
  奥へ進むすれ違いざまに、アンブロシウスはキトリーの横顔を見上げる。

 「いささか、やり方が乱暴ではないかのぅ?」

  いくらか剣呑な響きを帯びた言葉にも、キトリーは視線すら向けることなく応じる。
  外見的には整った顔立ちであっても、表情が、動きがまったくないそれはむしろ不気味さを醸し出していた。

 「心配に及ばぬ、あれは所詮“試し”。童が足りぬとも“届く前に消す”つもりであった」

  アンブロシウスは一瞬だけ顔をゆがめたが、すぐにそれを消し去る。こういったことは、年経たエルフとの会話ではつきものだった。
  彼女たちに直接の害意はない。当人が言ったとおりもし防げなくても消すつもりなのであり、それは確実に実行される。
  しかしだからといって、やられた側が納得できるかとは別の話だ。少なくとも不愉快さを感じるのは避け得ないことだろう。
  年経たエルフは効率を重視し感情を全く無視するため、徒人と話すにはしばしば摩擦を伴う。

 「“法”の約の下、共に言葉に偽りはなく。ぬしの言葉、信じようぞ」

  アンブロシウスはそう言い残すと、建物の奥へと歩みを進めていった。
  その場に一人残ったキトリーは、彼らが立ち去ると目を閉じ、再び彼女の大いなる思索の時へと舞い戻ってゆく。
  すでに先ほどの一幕への興味は、欠片ほども残ってはいなかった。



  色合い揺らめく廊下を、静かに歩く人影がある。
  先導するエルフの男性の背を確かめつつ、エルはアンブロシウスを見上げる。

 「エルフとは意外に過激なのですね」
 「アレをエルフの普通と思うな。……いや、似たようなのも多いか、ううむ」

  なんとも気まずげに振舞うアンブロシウスを見て、エルは話を変えることにした。

 「そういえば大老様はよく“法”とおっしゃっていましたが、“法”とはなんなのですか?」
 「手短にいえば、わしら徒人とエルフの付き合い方、じゃな。広義では互いの貿易の取り決めなども含まれておる」
 「ずいぶんと重要で大雑把な代物ですね」
 「曰く、エルフとは大いなる知の探求を自らの使命とする民。オルヴァーも言うたじゃろう、幼き頃は活動し経験を増やすことが尊ばれるが、長じるにつれ思索に割く時間が増えてゆく老虎油
  大老ともなれば1日の全てを思索に向けることも珍しくなかろう。そも時間に対する感覚が全く違うからのぅ」

  エルは先ほどのキトリーとの話を思い起こす。
  話している間も視線を向けず、ほとんど動くことのなかった彼女。徒人とは異質な感覚の中に生きる者。

 「しかしまぁやつらとて生き物じゃ、食べねば死んでしまう。本来ならば狩をするなり、畑を拓くなりせねばならんのじゃが……そこで“法”よ」

  核心に迫るにつれ、エルの中で嫌な予感が膨れ上がってゆく。

 「魔力転換炉、徒人には作るのが困難な部品の製造を行う代価として、わしらは食料や防衛を提供する。そう取り決められておる」
 「それでは、エルフは普段何をしてすごしているのですか? ここには畑すらないのでしょう」
 「じゃから、やつらが言うたとおり、思索の時であろう」
 「(あれ? それやとあのネエちゃんガチ引きこ……いや何も言うまい)左様ですか」

  だんだんとどうでもよくなってきたエルは、目的地はまだかなぁと思いをはせていた。


  エルフの男性につれられて彼らが向かった先は、森護府の奥にある1室だった。殺風景な部屋に机と椅子が並べられている。
  森護府の内装はどこに行っても似たような白い風景であり、慣れないエルたちは既に見分けるのを諦めていた。
  吹き抜けと同じようにここにも柔らかな光が満ち、暗さは全くない。

 「大老のご指示により、あなたがたに魔力転換炉についてお教えせよとのことですが」

  彼はやや硬い態度で話し始めたが、キトリーのような突き抜けた非人間さは感じられなかった。
  恐らく100歳は越えている実力者であり、それでいて徒人との会話に困らない程度に感情が残っている者なのだろう。

 「うむ、わしはただの付き添いみたいなものじゃ、話は全てそこのエルネスティに頼む」

  彼の視線が、すでに机の上に身を乗り出さんばかりになっている小柄な少年へと向けられる。

 「では、まずはどこから始めましょうか」
 「全部で」
 「ええ、というと」
 「1から10まで全部、魔力転換炉に関すること全てです!」

  ついに机の上に正座を始めたエルの勢いに押されつつ、彼はあくまで静かに己の職務を果たすことを決意する。

 「承知しました、ではその成り立ちから掻い摘んでお話します――」

  彼は滔々と語り始める。
  魔力転換炉とは何か、エーテルを魔力に変える、その仕組みはどこからもたらされたものなのか。

 「我々が魔力転換炉と呼ぶもの、これは元をただせば“生物の心臓”そのものです」

  この世界の生物は例外なく魔力を体内に蓄えている。体内に触媒結晶を持たず、魔法を使うことが出来ないものにも魔力を生成する機能は存在するのだ。
  さらには生物の体の中で、この変換を行っているのは“心臓”であることがわかっている。呼吸と共に体内に取り入れられたエーテルは、心臓に送られそこで魔力へと変化する。

 「この変換を行う核心が、我々の心臓にある“触媒結晶”なのです」
 「……触媒なのですか? 触媒結晶とは魔力を魔法に変えるためのものでは?」

  エルの疑問も当然だ、人は触媒結晶を用意することで魔法を放つことが出来るようになった。
  そして魔法を発現させた魔力は再びエーテルへと還り世界を漂う。触媒結晶が持つ機能は、炉とは真逆のはずなのだ。

 「そうです。しかしある特定の条件下ではエーテルを魔力へと変換するのです。ここで触媒結晶に逆の役割を果たさせるために必要なものは、2つ」

  一つは心臓を絶えず循環する血液。それが持つある種の機能が触媒結晶と反応して“エーテル”を“魔力”という状態へと変える。
  もう一つは魔法術式。生物の脳、本能の領域に刻まれた極めて特殊な術式がそれに影響している。
  そしてこの秘密に気付いた古のエルフの賢者が、原初の魔力転換炉を作り出したのだという。

 「原初の魔力転換炉とは、莫大な紋章術式エンブレム・グラフを写した銀の器に、生物の生き血を満たしたものであったと伝えられています」

  それは魔力の生成には成功するものの、道具としては失敗に終わる。
  理由は簡単で、命の下にない血液はすぐに活力を失ってしまうからである。当たり前の話ではあるが、常に生物の生き血を必要とするような道具など到底使えたものではない。
  それからは、古の賢者は血液に代わるものを求めて試行錯誤を続けることになる。

 「そこで彼らが起こしたのが、現在“錬金術”と呼ばれている技術体系です。様々な薬液と触媒結晶の反応が試され、エルフにとっても長い間に渡って研究が行われたようです」

  それら偏執的ともいえるエルフの賢者の試みは、長きに渡る研鑽の末に一つの成果を生み出すことになる。
  “血液晶エリキシル”――錬金術によって人工的に生成された擬似血液の完成である。

 「後は魔法術式。炉にあるのは命の鼓動を刻み込む尊き式、われわれはこれを“詩”とよんでいます。術式の名は“生命の詩ライフソング”、と」

  生物の本能の領域に刻まれた原初の魔法術式、“生命の詩”。それは器に刻まれる形で保持される。
  だがここで一つ問題が起こる、術式があまりにも巨大すぎたのだ。“生命の詩”をそのまま紋章術式で作り上げた場合、必要とされる銀板は幻晶騎士1騎分よりも嵩張る、壮絶な量となってしまう。
  これを現在の魔力転換炉、人間よりも小さな大きさまで圧縮するためには、それまでとは全く別の方法が必要であった。

 「そこで用いられたのがエーテルの影響を強く受けて生み出された至高の金属、精霊銀ミスリルです。そしてこれこそが、我々エルフしか炉を作れない、その理由でもあります」
 「金属、なのですよね? それが何故、エルフしか作れない理由になるのですか」
 「説明を重ねるより、実演でお見せしたほうが早いでしょう。少しお待ちください」

  そういって、エルフの男性は部屋から出ると一塊の金属を持って戻ってきた。
  一見して銀色の金属に見えるが、それはエルがいままで見たことのあるどの金属とも異なっていた。
  基本は光沢のある銀色をしており、驚くべきことにその表面では虹色の淡い光が揺らめいていた。それは片時も一定せず、常に万色に色を変えている。
  何かしらの特殊な力を秘めていることは疑いようがない。

 「精霊銀……昔調べたときには、炉の材料として“精霊石”が必要とありましたが」

  エルはかつて見た、魔力転換炉の説明を思い出しながら呟く。

 「精霊石? ああ、あれは世に出すにあたり精霊銀の名を変えた、方便ですよ。
  この精霊銀とはエーテルの影響を強く受ける場所にしか生成されない、極めて希少な金属です。最大の特徴として極めて硬く同時にしなやかで、かの鉄鋼と鍛冶の民ドワーフも鎚をなげるほど頑丈です」

  エルはまだ合点がいかず、じっと目の前の金属塊に見入る麻黄
  ドワーフすら投げ出す硬度の金属、それがどうエルフとつながるかが見えない。

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