2013年9月29日星期日

過分な(?)報酬

「……以上が、今回の精霊神殿での異常についてのクズノハ商会による見立てです。あの場におりました私の考えとしましても、彼らの報告に嘘は無いと考えて良いものかと」
 「なるほど。上位精霊までもを酔わせる程の歪んだ力場が祭壇に発生、か。明らかに人為的なものだな」男宝
 「はい。識殿が仰るには空気に溶ける触媒を利用した、数日間程度の効力を見込んだ儀式魔術ではないかと。犯行は恐らく……陛下への反対勢力によるものではないでしょうか」
 「間違いあるまい。ヒューマンの工作員はそもそもこの都には入り込んでおらんし、かの組織にも女神の神殿にも変わった動きはない。となれば、内々の者の仕業としか考えられぬ」
  宴の時を待つ、夜を控えたひと時。
  魔王ゼフは数名の文官と、側近でもある魔将イオ、ロナを伴ってある報告を聞いていた。
  報告者は魔王の子供二名。
  ルシアとサリである。
  精霊神殿に客人であるクズノハ商会一行を案内して事件に巻き込まれた彼女達は、その解決までの一部始終を見届けて城に帰還。
  その有様を魔王に報告し終えた所だった。
  ゼフからの幾つかの質問にもサリは淀みなく答え、ゼフはその事件の黒幕までも前もって知っていたかのようにサリの言葉を肯定した。
 「しかし、上位精霊が二体揃ってもライドウには傷一つ負わせられんか。魔人とは、伊達やハッタリで付けられた名では無いという事だな。聞けばその時も奴の一撃で四桁単位の兵が死んでいる。まったく、少しは過大に評価された結果であって欲しかったものだ。大きく見積もってもまだ上とは恐れ入る」
 「……あの者らの力は大国に匹敵、いえより慎重に考えるのならこの戦争における第三勢力として数えてよい程の規模です。いかに暴走していたとはいえ、荒れ狂う精霊の園そのを涼しい顔で通り抜けベヒモスとフェニックスを制圧して話をしてきたのですから」
 「従者一人が上位精霊並みとなれば、強あながち否定も出来ぬな。しかしロナ、お前の報告ではあの識とかいう者は精々強力なリッチ程度の実力だったはずだが?」
  ゼフの言葉が横に腰掛けているロナに向けられる。
 「はい、確かにあの識はラルヴァに憑依されている者の筈です。この数年、奴とは連絡すら取っていませんでしたが……信じられません。リッチとしてのラルヴァの実力は既に伸びしろの限界近くまで高まっていたはず。いくら何でも地の上位精霊に勝てる訳がないのです。アンデッドの力でベヒモスに立ち向かうなど……松明たいまつを振り回して山火事を消そうとするような、愚かで信じ難い行為です。無謀としか言い様がありません」
 「幾分か暴走に助けられていた部分はあったのかもしれないが、識殿は途中見事な剣技も交えつつ幾つもの禁呪クラスの魔術を同時に行使してベヒモスと渡り合っていた。接近戦の実力といい、魔術の強大さといい……あれがリッチだとは信じられない」
  これまで沈黙を貫いていたルシアが、ロナの戸惑いを感じさせる言葉に反応して識の戦いぶりを口にした。
 「剣……。ますますラルヴァのイメージから離れます。どうやら、私の把握している事情が真実ではないかもしれません。再度、識についても調査を致します」
 「うむ。ただし、穏便にな。強硬な手は禁ずる」
 「はっ」
 「で、サリ。精霊殿たちはなんと? 正気に返られたのだったな?」
 「はい。それが、開口一番に元々腕試しをする気だったから丁度よかったなどと申されまして」
 「なんと……」
  イオが呆れたように短く呟く。
 「澪殿に時折折檻されながらも、基本的には和やかに話が進みました」
 「ふむ。まあ興味は持たれていたようだから、その可能性も考えてはいた。それで?」
  澪については触れずに、ゼフが続きを促す。
 「結局のところ、フェニックスが澪殿に、ベヒモスが識殿に。それぞれ困った事があれば呼んでいいというような約束を結ばれました」
 「くくっ、そうか。まったく、どんどん手がつけられなくなっていくな、あの商会は」
 「後にもいくつか話があったようですが、私と姉様は保護した者らの様子を見てくるように言われその場を離れるしかなく、どのような会話があったのかはわかりませんでした」
 「よい。さて、大体はこちらの想定した範囲におさまっているようだが……」
  ゼフの、思惑を確かめる様な表情。
  それを見てサリが目を大きく見開き、そして口を開いた。
 「失礼ながら申し上げます。陛下は、精霊神殿の異変を既に把握しておられたのですか?」
 「……うむ。いや、そうであるかもしれぬ、と考えていた程度だ」
 「その後のクズノハ商会の行動も?」
 「お前達に引き摺られ、干渉はするであろうなと思っていた」
 「……彼らの、実力もでしょうか」
 「その点は、お前達が出来るだけ引き出してくれる事を期待していたが……余が考えていた程度の異変ならば問題なく帰って来ると確信はあった」
 「ライドウ殿は。こともあろうに、あの男は。ベヒモスと対峙していた時にフェニックスまで乱入してきた最悪の状況で、ラッキーと言いました。神殿一個分楽になったと。陛下は! それほどまでの力をライドウ殿から感じておられたのでしょうか!?」三體牛鞭
 「……ふっ、ラッキーか。恐ろしい言葉を吐く。いや、そこまでは考えておらぬよ。第一、まさか上位精霊が二体とも狂っておったとも想定しておらん。それほどの事態なら余が自ら軍を率いて鎮圧に臨んだであろう。その用意もしていた。そうだな、イオ、ロナ?」
  ゼフの言葉にイオとロナが首肯する。
  サリは、どこか安堵したように息を吐いた。
 「そうですか。いえ、私たちにはとにかく危険な人物としか把握できなかったので、陛下にはどこまでわかっておられたのか、どうしても気になりました。ご無礼をお許し下さい」
 「無礼などとは思わん。気にするな。だが、此度の一番の問題はやはりタイミングだな」
 「タイミング?」
 「クズノハ商会が神殿を訪れる日時を把握していたのはごくごく限られた人物。であれば、その情報をクーデターを望む輩に流した者が余の身近にいるという事になる。上位精霊までを巻き込む精霊の暴走など、内容からして発作的、衝動的に起こせる事件でもない。計画的にやれるだけの者らが、事前に情報をある程度掴んだ上でクズノハ商会を、余が招いた客人を巻き込もうとしたとも考えられる」
 『!?』
  一同に緊張が走る。
  魔王の言葉は、この場にいる者が“そう”かもしれないと言っていたのだから無理もない。
 「やれやれ、こちらも春までには片付けたい問題ではあるな。クズノハ商会ほどではないにせよ、な」
 「陛下。客人である彼らにあれ程働かせたままとあれば、こちらの体裁も」
 「わかっている、イオ。なに、それについては昨日ロナが識を通じて、あちらにある程度伝えてある。そうだな、ロナ」
 「はい。確かに伝えました。が、あれは親善試合の代価としてだった筈ですが」
 「少し色をつけ、目録よりも先にモノを渡す。見たところ、ライドウはそのような手法にも恩を感じるタイプに見えた。識は納得するかわからぬが、あの一行は間違いなくライドウが一番発言権を持っている。最悪、奴さえ納得させられれば問題はあるまい」
 「確かに……」
 「とは言え、無茶はせぬがな。実は内情が厳しい、と泣き落としでもして見せようか。この環境を見て、魔族が豊かだとも思ってないであろうからな」
  ゼフが笑う。
  この王はクズノハ商会と向き合う、早くもその方法を彼なりに見出しているようだった。
 「では親善試合について――」
 「待て」
  ルシアが話題を変えて自らも関わるであろう翌日のイベントに触れようとした時。
  魔王は笑顔のまま、その言葉を制した。
 「その前に、二人に確認しておきたい事がある。今日同行した上での意見を聞く。ライドウに嫁げと言ったら、どうする?」
 「問題ありません」
  ルシアが先に即答する。
 「即答か。随分と早い心変わりだな」
 「あの者は野放しには出来ません。陛下の仰る通り、またサリの言う通りにそれは事実です。私などで役に立つならあの力、魔族に向けぬよう全力を尽くします」
 「ふむ……サリ、お前は?」
 「私は……ライドウ殿に嫁ぐ事は出来ません」
 「ほう」
  ゼフが興味深そうにサリを見る。
  周りも、どちらかと言えば婚姻に前向きだったサリが拒絶の言葉を口にした事に驚いた様子だった。
 「恐らく、その申し出はライドウ殿には逆効果になると考えます」
 「どうしてだ? 嫁をもらうという事はヒューマンであろうと魔族であろうと、親類となる事を意味する。時に種族の諍いをも調停する古来からの方法の一つだが?」
 「澪殿です。あの方は識殿に比べ、かなり感情に素直に振舞われる方でした。そして、ライドウ殿に想いを寄せている。そう見て取れました。ならば、嫁というのは彼女にとっては面白くないはずです。もし澪殿だけでも裏から魔族に何か妨害を考えでもしたら甚大な被害がでかねません」
 「……それほどに、情を優先するだろうか。仮にもあの、ライドウの側近だぞ?」
 「します。クズノハ商会は、我ら魔族の組織と比べてかなり自由が許されているようでした。話がまとまる前に、何かあると」
 「む……、それは少し予想外だな。ライドウの下、一枚岩の組織で奴の意思は絶対だと考えていた」
 「それに、ライドウは陛下が考えるよりもずっと」
 「ずっと?」
 「幼く、奥手な男性であるように見受けられました。少なくとも平時においての彼は」
 「幼く、奥手か」
 「はい」
 「だから婚姻は適切な策ではないか。命のやり取りが平然と出来て心が幼いという事もないと思うが……だが、あの夜の話でも確かに……」
 「ただし陛下、私は既に種を蒔きました。今日彼を見て、婚姻よりもライドウ殿を縛れそうな策にも使えそうです。私にお任せ頂けませんか?」
 「サリ!」
  ルシアの叱責を兼ねた言葉。
  クズノハ商会、ライドウ。
  どちらも、いまだ勉強中であるルシアやサリに任せられる案件ではない。
  ことは魔族の未来にも関わることなのだから、ルシアの厳しい口調は正しい。
 「……自信はあるのか?」
 「はい」
 「詳しく申せ」
 「……後ほど、人払いの後で申し上げたく存じます」
 「……わかった」
  サリとゼフの視線が真っ向からぶつかる。狼1号
  どちらも真剣で、割り入る事の出来ない雰囲気を生んでいる。
  ゼフが先に視線を外した後も、サリは彼をしばらく見つめ、そして小さく頷くと、後には一言も発さずに沈黙した。
 「ロナ。先ほども言ったが、ごく限られた者の中に裏切り者がおる。捜せ、明日の試合には響かせるなよ」
 「……必ず」
 「うむ。イオ、親善試合で少し変更を加える。神殿の一件が伝わる事を念頭に、観戦できる者をより制限したい。それから、対戦相手もだ。サリ、お前は余の部屋の前で待機しておれ。ルシアは戻ってよい、それから明日の試合にお前は来るな。既に心折れた者が見ても参考にならぬ光景であろうからな。部隊訓練を任せるゆえ、終日務めよ」
  ゼフの言葉に各々から肯定の返事がある。
  ルシアは唇をかみ締めたが、反論はしなかった。
  既にライドウやクズノハ商会の力を見た彼女だから試合を見るのはそこまで必要な事でもない。
  そんな意図がゼフから伝わったかどうかは別にして、ルシアは頷き、返事を返した。
 「それが終わったら夕食、ライドウ殿と話をせねばな。想定内とはいえ、つくづく忙しくさせてくれる客人だよ彼らは」


◇◆◇◆◇◆◇◆


「そう言ってもらえると助かる。ライドウ殿にはこの都を救ってもらったようなものだ。親善試合を引き受けてくれた事といい、いくら頭を下げても追いつかんよ」
 「い、いえいえ! 陛下にそのようにしていただくなんて。殆ど従者に働いてもらったようなものです。ルシアさんにもサリさんにも怪我がなくて本当に良かった」
  えー。
  今ゼフが隣にいます。
  近いです。
  王様の隣です。
  食べ物の味とか、昨日より一層わかりません。
  ついでに、満腹具合もわかりません。
  直々に取り分けてくれるし、昨日よりも規模が小さくて、より上の人だけを参加させたらしい今夜の宴。
  僕にはより嬉しくない仕様です、はい。
 「原因の目星までつけてもらったのだ。もっと尊大に構えてもらって良いのだがな。ん、もう杯が空だったか。気付かずにすまんな」
 「もう大分頂いていますので、その……頂きます。どうぞ、陛下も」
  既に注がれる液体を見て観念する。
  こういう時ってどう断るのが正解なのか。
  飲みかけを置いておけばと思ったけど、そうするとどこからともなく空の杯が差し出されてゼフがそれを満たす。
  お手上げだ。
 「ありがとう。いや、余もこうして誰かと飲み交わす機会は実は少なくてな。まるでライドウ殿が息子の様に思えてきてしまう、いや、参った」
  なにをサラッと言うんだ、この人は。
  絶対酔ってないだろう。
  朝あの二人の念話を聞いている身としては前振りにしか聞こえない。
 「ご立派な息子さんがお二人もおられるじゃないですか、あはは」
 「ロシェに、セムか。確かに、良く頑張ってはいる。が、優れた教育が作るのは大抵秀才までだ。あの二人もな。やはりライドウ殿のような突き抜けた才は中々出ぬ。今日案内させたルシア、それにサリ。まあサリはまだ少し幼いが、どうだ? どちらか、なんなら両方でももらってくれると余も安心なのだが」
  ……話題かわんねえ。
  なにこの人。
 「ご冗談を。私、ヒューマンですし」
 「力ある者なら構わぬ。孫もこちらに預けろとは言わんよ? ん?」
  ん、じゃねえ……。
  結婚なんてそもそも考えてないし。
 「本当に良いお話だとは思いますが、未だ商人としても未熟な身。お断りさせて頂きます」
 「……駄目かね」
 「……はい」
  どう言おうか迷ったけど、はっきり断る事にする。
  曖昧に言っても引いてくれないもんな。
 「どうしても?」
 「どうしてもです」
 「むぅ」
  黙ってしまうゼフ。
  機嫌を悪くさせちゃったかな。
  でも、これは流石に。
  なあなあで結婚はできない。
 「なら仕方ないな」
 「へ?」
 「残念だが、私の娘ではライドウ殿は射止められなかったという事だろう。即ち魅力不足。力が及ばぬなら、これはもう仕方がない」
 「は、はあ」
  ここでも力か!?巨根
  凄いな、おい。
  と言うか、凄いあっさりと引いてくれたよ。
  嬉しいけど、少し不安もよぎる。
  これが魔王クオリティ、いやゼフクオリティか。
  恐るべし。
 「ルシアなどはあれで結構締め付けておってな、脱ぐとそれなりに女らしゅうもなるし、ドレスなど着ればそれなりに映はえるのだが……女の身で軍人などやっておるから確かに“そちら”の修練は怠っている所がある。このままだと売れ残りそうで少し不安だが、ライドウ殿の好みでないならば仕方あるまい」
  ヒューマンだと女神の祝福ありきだから女性の軍人も別に珍しくない、いやむしろ多い所もあるんだけど、亜人や魔族だと少し割合が減るんだよな。
  少しなのは魔術の存在も関係してくるような気はするものの、ルシアさんのような娘さんが軍の上の方にいるのは珍しいのは確か。
  だけどさ。
  血が繋がってるか知らないけど、娘なのに。
  なんて言い草だ。
  チラ見されても頷けないものは頷けない!
  実は諦めてないのか!
  表情が同じ人懐っこい笑顔だから読めん!
  ずるい。
 「一から仕込む楽しさはあると思うが、確かにライドウ殿はまだその手間を楽しまれる歳でもないか」
 「へ、陛下。その少しお酒を飲みすぎでは?」
  絶対に酔ってないし、酒の力なんて微塵も介在してないとわかるけど、酒の所為にしてフォローしてみる。
 「なればサリも駄目であるか。あれなどは正にこれから女になる段階、体すら未成熟だ。今だけ楽しめる背徳感も好みではないと、そういう訳か」
  止まってくれない。
  後で酒の所為にするだろうし、話題にされた二人が手を止めてプルプル震えているし。
  そう、結構大きな声で叫んでくれていやがります。
  実は悪ふざけ大好きなのか、魔王。
  レンブラントさんっていう娘さんのいる父親を知っているけど、大概こういう状況の後は酷い目に遭ってるぞ。
  僕は逃げるけど、覚悟はあるんだよね?
  頼まれても止めないからな?
 「正直、サリ殿と結婚と言われても流石にピンと来ません。私の周りには王族や貴族の方のようにご結婚が早い方もおられなかったので……」
  常識的。
  せめて僕は彼女達を逆撫でしないようにしておこう。
 「ではライドウ殿の好みの女とは、どのような女性なのだ?」
 「私の好みですか!? え、ええと。普段はサバサバしていても不意に女らしい仕草をする子だったり」
 「……ほう」
 「一生懸命に練習を頑張る一途な子、とか」
 「……」
 「いや、例えばの話なんですが」
  何を言ってるんだか、僕は。
  飲みすぎだな。
  注つがれてご返杯して、の繰り返しで強めの酒を大分飲まされているのは事実。
 「ふむ、澪殿などはそういう性しょうの女性ということかね?」
  ぶふぅっ!!
  ゼフの何気ない発言に驚いてつい澪を見る。
  話が聞こえているのかはわからないけど、澪も背筋が不自然に伸びている気がする。
  念話で……いや、確認するのもなんだかな。
 「な、なぜそこで澪が」
 「いや、あれ程お綺麗な女性だ。当然手をつけているだろうから、そうなのかとな」
  何が、当然手をつけているだろうから、だ。
  断じてしてないわ!
 「彼女は、部下です。それに何と言いますか、家族のような付き合いをしているものですから。あまりにも想像していないお言葉で粗相をしてしまいました。失礼しました」
  口の中にあった酒の一部が口からもれてクロスを汚してしまった事を謝る。
  ゼフの発言は、何一つ安心というものが出来ない気がしてきた。
  疲れる。
  宴と言っても、要は僕らが接待を受ける側の飲み会の筈なのに。
  すっごい疲れる。
 「ははは、失礼は下世話な事を聞いた余の方だ。こちらこそすまなかった」
  自覚があるー。
  最悪な人だな、おい。
  そう言って、ゼフは椅子をこちらにずらして体を密着させるような距離に寄ってきた。
  そして懐から筒を取り出した。
  大きくはない。
  細長い筒だ。
  あ、賞状なんかを入れる丸筒か。
  ってことは書類?
  あと、併せて少し厚みのある板も出してテーブルに置いた。
  材質は不明だけど、何か刻んである。勃動力三體牛鞭 

2013年9月17日星期二

黒歴史君

「翔(かける)は何もしないで黙っていればもてるよ」
  昔から友人たちは口を揃えてこう言ったが、俺はつい最近までその理由がわからなかった。
 「猫の名前はエンゲルベルトフンパーディンク、と」
  好きな女の子とメアド交換して、たまにメールする仲にまで発展した俺は、逐一その子とのやりとりを記録し、一生の宝だと防災リュックに詰めていた。韓国痩身一号
  もちろんそれは予備に過ぎず、暗記もかかさない。寝る直前に覚え、翌朝復習するのがコツだ。
 「渡瀬(わたせ)君、よくそんな細かいことまで覚えてるね」
  過去のメールから使用頻度の高い単語を抜き出し、語彙の偏りを指摘すると、俺の想い人である前川さんに酷く気味悪がられた。そこで漸く気付いたのだ――俺は痛い人間だと。
  高二の終わり、俺は恋を代償に客観性を身に付けた。数々の失態を思い出し、頭を床に打ちつけたくなる。
  ああ、あの時の俺はどうして! 恥ずかしさの余り、咄嗟に掃除用具入れに飛び込んだ。
 「何してるの?」
  親友の優哉(ゆうや)に発見され、呆れ顔で引っ張り出される。ああ、蒸発したい。
  そして俺は猛烈に思ったのだ。自分の過去を修正したい、と。だが今の技術力では、どんなに願っても難しいだろう。俺が生きている間にタイムマシーンが開発される可能性は、限りなく低い。
  大事なのはこれからだと無理矢理自分を納得させ、その日を境に俺は変わった。
  学校で後ろ向きに爆走するのをやめ、変な格好で町をうろつくのも我慢する。
  他人と違うことをしたい、目立ちたいという欲求を抑え、受験に向けて一直線! だったらよかったのだが、どうしても過去の挙動を考えると勉強に身が入らない。
  三年生の六月。受験まで半年以上あるが、のんびりしていたら出遅れてしまう。ホームルームで散々担任に脅され、俺の気分は低迷していた。
 「ため息多いけど大丈夫? まさかもう受験ノイローゼ?」
  心配してくれたのか、前席の優哉が振り向いた。
 「あんなの大げさに言っているだけだから、気にしなくていいと思うよ。翔、勉強は得意じゃん」
  我が校創業以来の天才! と誉れ高い優哉に褒められても素直に喜べない。一定の成績を維持してはいるが、浪人生は俺より一年長く勉強に明け暮れている。国公立を志望する身としては、スタートが早いに越したことはないだろう。
  しかし怖いもの見たさで、家に帰ると昔のポエムノートを引っ張り出す俺がいる。
 『俺の初恋、それはワンちゃんのようなものだ。尻尾を追い続ける幻影。独りよがりなテイルハンター』
  わけがわからない! 悶絶しそうになりながらも、ページをめくる手を止められない。勢い余ってベッドから床に転がり落ちた。
  こういう芸術の類は、俺が死んでから認められるかもしれない。そんな淡い期待を抱いてしまうから、いつまで経っても捨てられないのだ。
 「このままだと俺は駄目になる……」
  とうとう禁じ手を使う時がきたようだ。のっそり起き上がり、押入れを開ける。
  奥の方でひっそり息衝く簡易金庫の中には、中学時代に街でスカウトされ、モデルをした時の雑誌が入っている。
  前衛的なショットを望んだが、カメラマンに悉く却下され、己の無力さを痛感した苦い思い出が蘇る。
  それをこんな厳重に取っておいたのは、常人から逸脱できない自分への戒め――というわけではない。
  用があるのは自分の写真ではなく、誰もが見落としてしまいそうな、片隅にひっそり掲載されている広告だ。パソコンを開き、記載されているアドレスを打ち込む。
  知る人ぞ知る闇の通販、スペースゴッドD、略してSGD――効果は折り紙付きの秘密結社である。生半可な覚悟で手を出してはいけない領域に、俺は一歩踏み出した。

  古来より人間は、自らの力で実現できないことは、人あらざるものに頼ってきた。
  科学が及ばない範囲の望みは、人知を越えた存在に。
  神仏への祈祷、悪魔との契約――己の願いを叶えるため、人々は必死に足掻いてきた。
  中でも治療が難しい病に伏せった者は、健康な肉体を得るため、とある領域に手を伸ばすことが多い。
  禁断の魔術――今回俺が実践するのは、比較的安全な部類に入る、神を召喚する儀式だ。時の神クロノスを呼び出し、過去に連れて行ってもらう。
  あまりに壮大すぎる計画だが、何を隠そう、過去に俺の祖父も儀式に臨み、見事成功を収めたのだ。祖父はSGDで神をその身に宿し、元気な体を手に入れた。孫である俺にできないはずがない。韓国痩身1号
  神を呼び出す儀式には制約がある。成功するまで絶対にやめてはいけないのだ。それを破ると、自己嫌悪に陥るらしい。
  俺は長期戦を覚悟し、全てを投げ打つ勢いで儀式に取り組んだ。
 「時を司る神、クロノス。我が呼びかけに応じ、姿を現したまえ。ルアウウユルウルボーレンフンフン」
  毎日一時間、呪文を暗唱し、特殊なフラフープを回し続ける。服装も、付属の黒いビニール製のズボンと、上に羽織る黒ローブと決まっており、これからの季節は拷問だ。
  だがこれは俺の将来に繋がる最重要事項。弱音を吐いてもいられない。
  一週間が過ぎた。神は降りて来ない。まだまだこれからなので、焦る必要はない。
  今まで一緒に騒いでいた友人たちが自粛し、黙々と勉強しているのを横目に、俺は天に意識を集中させた。
 「もしかして痩せた?」
  帰り際優哉に指摘されて焦ったが、儀式は他言無用。笑って誤魔化すと、それ以上は追求されなかった。
  それから二週間、三週間が過ぎ、神の片鱗にも触れられぬまま、夏休みに突入した。
  しかし不思議と焦りは感じない。俺の腰回しは鋭さを増し、抜き身の刃のように研ぎ澄まされてきた。
  一心不乱にフラフープを回す間は、世の中全ての柵から解放され、大空に羽ばたいているような気分になる。
  熱帯夜は水分補給を欠かせない。全身を熱が支配し、じんわり汗をかく心地良さ。
  次第に暑さを乗り越え、見えてくるもの――無だ。俺は地球の一部になっている。
  そんな姿に神は心動かされたのだろう。
 「……要件を聞こう」
  とうとう地上に降臨なされた。マリンブルーのコートに身を包んだ時の神、クロノス。
  黒髪にコートと同色の瞳、嫌気がさしてうんざりしているという顔をした、美貌の神様。
  神聖で絶美な立ち姿に気圧される。決して人間には辿り着けない奇跡を目の前に、俺は自ずと頭を垂れた。
 「お願いがあります」
  精一杯の敬意を払い、クロノスの目をまっすぐ見つめる。不思議な光をたたえた、底なしの青。
 「拝まなくていい」
  自然と手を合わせていた俺を制し、クロノスは続きを促した。
 「君の思念は私の元まで届いた。あまりにも必死なので来てやったが、勘違いしているようだから言っておく。古代に存在した魔術を使える人間は現代では皆無に等しく、当然君もそうだし、そもそも……いや、本題に入ろう。一体何が望みだ?」
  非常に面倒臭そうだ。
 「俺は過去を改変したいんです。どうか力をお貸しください」
  詳細を話すと、クロノスは沈痛な面持ちで額に手を当てた。
 「そんなことで……」
  やはり神様は忙しいのだろう。申し訳なく思ったが、俺にとっては人生を揺るがす一大事なので、必死に協力を仰いだ。
  この日のために、俺はクロノスに捧げる詩をノート十冊分書き溜めておいたのだ。迸る情熱を込めた最高傑作を、厳かに朗読する。
 「時空を操りし雄大な神の寛大な御心に導かれし、時渡り人。唯一望むはチェンジオブヒストリー。修道者のように祈るは、ブラックメモリアルの――」
 「わかった、わかった。それで君の気が済むのなら……」
  俺の熱弁が功を奏したのか、早い段階でクロノスの承諾を得られた。いよいよ時間旅行の始まりだ。
 「どの時間枠に飛びたい?」
  クロノスはコートの内側から金色の懐中時計を取り出した。
 「中一!」
  小学校時代は諦める、のではない。小学生までなら許される。俺のもみ消したい黒歴史は、中学一年生から時を刻み始める。
 「渡瀬翔、十二歳。中学一年生の春」
  クロノスが時計の蓋を開けると、わっと銀色の光が迸った。それが意思を持っているかのようにうねり出し、俺の頭上に降り注ぐ。髪の毛が逆立ち、体ごと上に引っ張られる感覚。そのまま足が宙に浮き、俺は過去に飛んだ。
 『いいか、これは過去の再現だ。君は傍観者。今はまだ干渉できない』
  クロノスの声が直接頭に響いた。辺りを見回そうとしたが、視線が固定され、動けない。俺の目に映るのは、中学三年間担任だった懐かしのおじいちゃん先生だ。
 「自己紹介を……相原さんから」
  土山先生は温厚な地理担当教師で、初対面でも生徒を安心させるオーラを出している。
  教室に漂うぎこちなさは瞬時に消え失せ、和やかにホームルームが始まった新一粒神
  俺はいかに派手な自己アピールをするか考えていたのを覚えている。
 「私は西小出身の室井あずさです。趣味は読書です。宜しくお願いします」
  皆あっさりと済ませ、長くは語らない。どんどん順番が近付いてきた。
  クラスメートの顔を拝みたくても、過去の俺は机を見つめっぱなしで、台詞のシミュレーションに余念がない。
  今の状態は、未来の俺が過去の俺の中から、過去を見ているということになる。少しややこしいな。
 『強く念じれば体を支配できるが、くれぐれも早まるな』
  クロノスの忠告によると、長時間干渉することによって時空のバランスが崩れ、俺が過去に閉じ込められてしまうらしい。慎重に、的確に、素早く修正する必要がある。
  まず正したいのは自己紹介だ。中学に進学し、調子に乗った俺は、とにかく目立ちたかった。それ故、突拍子もないことを言って、一人で盛り上がっていたのだ。
 「僕は弓削(ゆげ)信一郎(しんいちろう)。鼻毛君ではありません」
  俺の前、弓削が立った。若干滑っているが、俺の比ではない。
  静まり返る周囲に意気消沈した弓削が座るのと同時に、俺は勢い良く立ち上がった。口を開く前に支配権を奪う!
 『駄目だ!!』
  しかし突如クロノスが叫んだため、驚いた俺は集中力を欠き、乗っ取り失敗。痛い自己紹介を聞く羽目になった。
 「俺は渡瀬翔! 森羅万象、天衣無縫、花鳥風月、神出鬼没! よっろぴくぴくー!」
  しーんとしているクラスで、一人ハイテンションな過去の俺。四文字熟語を使えばかっこいいと思っていたあの頃。
 『危なかった……』
  クロノスの呟きで、羞恥が怒りに変わった。何で止めたんだ!!
 『君がまともな自己紹介をすれば、弓削君の人生が変わってしまう。中学では明るくユーモアのある男になりたいと望んだ彼は、見事に滑った。どん底にまで落ち込んだ彼をすくい上げたのは君だ。自分以上に滑った奴がいるという事実に彼は救われた。弓削信一郎は将来立派な医者になる』
  もし俺がはっちゃけていなければ、気に病んだ弓削は勉強に打ち込めず、医者の道を断念していた。それに伴い、救われない患者が大勢出る未来に繋がるとか。
 『確認しておいてよかった』
  クロノスの声音に安堵が滲み出ている。俺は損した気分だが。
 『大勢の命を助けたことを、君は誇りに思っていい。運命には大きな一定の流れがあるが、こうした揺さぶりが思いも寄らぬ方向転換をさせることもある。いいか悪いかは、先を見ないとわからないが、私は時を司ると同時に、使命を持った人間が大きく道を踏み外さないよう監視する役目を担っている。君は立派に神の仕事を代行したんだ』
  クロノスは綺麗にまとめているが、要は、俺の黒歴史が他人のそれを上回り、塗りつぶしたということだ。毒を以て毒を制す。全く以て嬉しくない。
 『今回は諦めて先に進もう』
  これ以上粘っても仕方ない。俺は次の黒歴史に標準を合わせ、中一の秋に移動させてもらった。
  天高く馬肥ゆる秋。夏の照りつけるような日差しが緩和し、過ごしやすい季節に起こった出来事だ。昼休みにクラスの男子たちとサッカーか野球、どちらをするかで揉めていた。
 「サッカーばっかりじゃつまんないだろ!」
  野球部村田のブーイング。
 「だって俺野球のルールわかんないし」
  サッカー部横田の反撃。
 「いい加減覚えろよ!」
 「やなこった!」
  この二人は事あるごとに揉めているので、周りは諦め顔だ。
  このままでは貴重な昼休みがなくなってしまう! 俺は諌めるべく、代案を打ち出したわけだが、それをなかったことにしたい。
 「二人とも落ち着くんだ! 他にも選択肢はある!」
  今だ!!
 『待て!!』
  強く念じようとした矢先、クロノスに待ったを掛けられた。
 「馬ごっこやろうぜ!」
  黒歴史通り、過去の俺は校庭に四つん這いになり、ヒヒーン! と大声で馬の嘶きを再現した。そっくりなのがまた憎らしい。かなり練習したんだ。
 「さあ、俺に乗れ」
  誰も乗ってくれなかった。
  痛いほどの沈黙の後、昼休み終了を告げるチャイムが鳴り、皆無言で校舎に戻った。俺は空気を読まずに、教室まで馬になりきっていた。
 『ふう……』
  クロノスのほっとしたようなため息に苛立つ。今度は何なんだ!?
 『この場に居合わせた長谷川君。彼は君の馬声に感化され、将来有名な騎手になる。その運命を避けると、競馬事情が大きく乱れるため、いじらない方が賢明だ』
  俺、関係ないよな?
 『ある。君の従兄が路頭に迷ってもいいのか?』
  わたる兄ちゃんのことか! あの人若い頃から競馬大好きだから……神様には大人しく従っておこう蔵八宝
  それにしても長谷川の奴、俺の馬声に感銘を受けたなら、もう少し反応してくれてもよかったのに。

  三度目の正直は、中三の新入生歓迎会。何を勘違いしたのか、俺は体育館のステージで一人トークショーをして、全校生徒の前で恥を晒した。
  舞台袖にて順番待ちの俺を、何としてでも阻止しなくては!
 『いや、これはまずい』
  クロノスは強制的に俺を差し押さえ、抵抗権まで奪った。そのまま俺は、軽い浮遊感と共に第三者の視点に移行し、他人の目線から自分をじっくり観察することになった。
  こんな時でなければ楽しいのだろうが、今は使命が優先だ。
  過去の俺は意気揚々と体育館全体を見渡し、満足気に頷いた。
 「最近俺は、隠れた才能を発掘した。笑いの女神に愛されし、予言の寵児、渡瀬翔――俺は笑いで世界を救う男だ」
  気障っぽく前髪をかき上げる俺をはっ倒してやりたい。
 「笑顔のためなら不可能すら可能にする……そんな自分が恐ろしい。では、聞いてくれ」
  やめてくれ! 俺はご大層な前置きの後に、恐ろしく寒いギャグを連発し、体育館を一瞬で凍りつかせた。誰もクスリとさえ笑わない。
  水を打ったように静かな体育館で、昔の俺は平然としている。あまりにも鈍く、厚顔無恥な自分が恥ずかしい。
  どうしてこれを変えてはいけないのだろう。あんな一人芝居が他人に影響を与えるとは到底思えない。
 『君の正面に座っていた少年、江藤君。彼はあまりにもくだらないトークに腹を立て、煮えたぎるような怒りをばねに、漫才の世界へ。そのまま大スターになる運命だ。笑いが世界を救うと豪語した君が、それを否定するのか?』
  後輩にそんな不快感を与えていたとは露知らず。
 『君は江藤君の一生の道標だ。彼は君を思い出す度、腸を煮えくり返らせている』
  もう許してやってくれ! 中学時代の俺は特に酷かったんだ。
 『高校でも大して変わらないだろう』
  クロノスは嘆息した。何て失礼な神様だろう。俺だって少しは成長した。だから今苦しんでいるのだ。
 『どうしようもない過去を振り返ってはいけない』
  クロノスは真理のような事を言っているが、俺は諦めきれなかった。次こそは変えてみせる!
  身悶えしたくなるような黒歴史が多すぎて絞り難いが、俺は特に消したいものを厳選した。
  それなのに!
 『無理だ! あまりにも大勢の未来に関わってくる!』
  クロノスに駄目出しされ、一つも手をつけられない。
  皆俺に影響されすぎだろ!? それも決していい意味ではなく、教訓的な戒めばかりだ。
 『彼女は君を知って自分を許せた。思春期の少年少女は繊細で脆い。君の尊い行いが彼らの心を守ったのだ』
  クロノスが律儀に解説するため、知らなければ良かったことまで把握させられてしまう。
  結局、俺が自分を余と呼んでいたことも、自由研究で自伝を書いたことも消せなかった。恥の上塗りだ。
 『どうやらそういう運命(さだめ)らしい』
  納得できるか! 渋るクロノスをせっつき、俺は中三の二学期に連れて行ってもらった。
 「転入生の常盤優哉(ときわゆうや)君です。彼は家庭の都合で引っ越してきました」
  土山先生に紹介されたのは、現在は同じ高校に通う俺の親友。天才児優哉は、この時期に転校してきた。
  第一印象は、人形みたいな奴だった。全体的に色素が薄く、アイスブルーの瞳を持つ優哉は、寒々とした排他的なオーラを放っていたため、流石の俺も迂闊には近寄れなかった。
  だがあの頃の俺は、自分の直感に並々ならぬ自信を持っており、優哉が未来から派遣されたアンドロイドだと信じて疑わなかった。頭の回転が早くて記憶力抜群、容姿も作りもののように整っている優哉は、感情を一切表に出さない。
  そんな同級生がいたら、俺が誤解しないわけがない。
  優哉は誰ともつるまず、放課後はとっとと一人で帰ってしまう。それを未来への定期報告だと睨んだ俺は、彼を尾行し、あっさり見つかった。その時初めて交わした会話を正したいのだ。
  あれをきっかけに仲良くはなったものの、優哉は俺を残念認定している。第一印象が大きいに違いない。
 「何か用?」
  中三の優哉は無感動に振り返った。
 「見つかってしまったか……では、単刀直入に言おう」
  続く台詞を改変! しようと思ったのに、体が全く動かなかった。クロノスの妨害だ。
 『……時間旅行はここまでだ』
  やけに神妙な声音で告げられ、理由を訊ねても、明確な返事は得られなかった。
 『これ以降、君の歴史は重大な意味を持っていることが判明した』
  説明する気はないらしく、俺が文句を言う前に、クロノスはきっぱり宣言したVIVID

2013年9月16日星期一

道程

全ての存在は儚く、必ずどこかへいってしまう。
  己の腕から、すり抜けていってしまう――

(――!?)
  ヴィンスターレルは、全身に汗をかき、目覚めた。
  酷く嫌な夢を見た気がする。でも、覚えてはいない。WENICKMANペニス増大
  とても曖昧で、脆い夢。ただ、いつも見る、あの時の夢とは違うことだけは分かった。
  周囲はまだ暗い。勿論、このフローティア邸は森の中にあるのだから、例え昼間でも薄暗い。だが、それとは違う空気だった。鳥の歌すら聴こえない。恐らく、日が昇るまでにも至っていないだろう。
  ヴィンスターレルはベッドの中で寝返りをうってみたが、目が妙に冴えてしまい、再び眠りに就くことは難しそうだった。仕方がないので、彼は寝るのを諦め、ベッドから気怠さを抱えたまま、汗を流しに風呂場へと赴く。
  しかし、風呂に入り全身の汗は流れたが、何か不快なものは、彼に纏わりついたままだった。
 (――もしかして!?)
  ヴィンスターレルは嫌な予感を覚え、思わず部屋を飛び出した。

  ホールも暗い。
  ヴィンスターレルは明りを灯そうか迷ったが、結局はそのまま進むことにする。夜目の利く彼には、どうということはないからだ。
  それよりも今は、早くこの不安の原因を確かめたかった。
  階段を上り、向かって一番右端――ミストの私室の前へと歩み寄る。
  そして、扉を軽く二、三回叩く。
 「……ミスト?」
  返答は無い。いや、そもそも――
 気配が、ない。
  ヴィンスターレルは胸の内の不安が波打ち出すのを感じた。今度は乱暴にドアを叩く。
 「おい! ミスト! 返事しろ!」
 「どうかされましたか?」
  掛けられた声とともに、ホールが明るくなる。
  照明を点けたのは、ジェイムだった。
  続いてアーシェも、ジェイムの出て来た部屋の、ちょうど反対側に当たる扉から出て来た。二人とも普段と同じ姿だ。恐らく、いつでも動けるようにと、始終同じ格好でいるのだろう。
 「爺さん! ミストの部屋の鍵を開けてくれ!」
 「――承知しました」
  ヴィンスターレルの剣幕に、ただならぬものを感じ取ったのか、ジェイムは急いで階段を上がってくると、ミストの部屋の前に立つ。
  最初はやや躊躇いを見せたが、それも一瞬の間だった。彼も部屋の中に、人の気配が無いことを感じ取ったのだ。慌てて懐から、水晶球の束を取り出す。
 「お嬢様、失礼致します」
  一応、そう声をかけてから、ジェイムは鍵を持った手を、扉へとかざした。
  ドアは音もなく内側へと開く。
  広い部屋は、相変わらず様々なもので溢れ返っていた。
  だが、ミストの姿はどこにも無い。
  大きな窓の隙間から風が入り、上品なカーテンを、はためかせていた。

 「これは――もしや、セイノールが!?」
  ジェイムは目を大きく見開き、言葉を絞り出した。その声は、微かに震えている。
 「いや、違う」
  ヴィンスターレルは部屋の中に目を向けたまま、静かに言った。
 「セイノールの奴らは、メイドスへ来い、と言った。あいつらが必ず約束を守るとは思えねぇが、わざわざミストを攫って行く意味もねぇ」
 「で、では……」
  縋るような目で問うジェイムに、ヴィンスターレルは告げる。
 「恐らくあいつは……ミストは自分で出て行ったんだ。やってくれるじゃねぇか、俺たち三人に気づかせずに出て行くなんざ」
 「そんな……何ゆえ……?」
 「俺にも分からねぇ」
  暫し考え込んでいたヴィンスターレルは、ジェイムの方を向き、再び口を開いた。
 「……爺さん、確かめたいことがある。案内してくんねぇか?」

  ジェイムとヴィンスターレルは、『鎮守の森』の裏手――つまり、王都マイラの北門側とは反対の方角に歩みを進めていた。
  ジェイムが先導するために、前を行く。
  闇の中、明りも持たずに歩く二人。
  森の中には、二人の靴が踏みしめる落ち葉や木々の上げる、くぐもった悲鳴だけが響く。
  時が経つのが随分と遅く感じられる気がする。
  どれだけ歩いただろうか。
  視界が、開けた。

 「……やっぱりだ」
  『鎮守の森』の裏手。辺りには、未だ闇が濃い。
  ヴィンスターレルは、地面に屈み込むと、すぐにそれを発見した。手でそっと触れてみる。柔らかな草地に、穿たれた幾つもの穴。
 「爺さん、蹄のあとだ。ここに馬は?」Xing霸 性霸2000
 「いえ。必要が無いので私どもは持ってはおりませぬ。勿論、お嬢様もで御座います。それに……この様に『森』のすぐ傍を馬が通ることは、全く無い、とは申せませぬが、可能性は低いでしょう」
  ヴィンスターレルの傍に一緒になって屈み込み、それを確認しながら、ジェイムはすぐに答えを返した。既に声には落ち着きを取り戻している。
  その言葉を聞き、ヴィンスターレルは頷いた。
 「こりゃ計画的だな。馬も事前に用意してたんだろう。あれからミストは何回か出掛けたな?」
 「……はい。王都に御用があると仰って」
  そう言うと、ジェイムは深くうなだれた。
  誰もミストに気を配って遣れなかった。
  気づいてはいたのだ、彼女の異変に。ただ、気丈に振舞うミストを見ていると、そのうち治まるだろう、と誰もが勝手に考えていた。
  ミストは強いから――そのような思い込みで。
  だが、誰にも胸の内を明かそうとしないミストの心は、脆かったのだ。何でも自分で解決しようとする強さ――それは、裏を返せば、今にも崩れそうな状態ともいえる。
  そうして、彼女はまた、全てをひとりで解決しようと考えたのだろう。
  蹄の跡は、点々と続いている。
  西――すなわち、メイドスの方角へと。
 (――くそっ!)
  ヴィンスターレルは胸の内で毒づき、空を見上げた。
  空はまだ――暗い。

  再びフローティア邸。
  ヴィンスターレルは、私室で、紺色の鎧を身に着けていた。腰には剣を帯びる。
 (この格好も久々だな……)
  ここに滞在するようになってから、ずっとジェイムと同じ、武道着のようなものしか着ていなかったので、長い間着用していたはずの鎧が、やけに新鮮なものに思えた。
  あの後、自分もついて行くと言うジェイムを、『留守を守る物も必要だ』と何とか宥め、ヴィンスターレルはミストを一人で追うことにした。だが、足は必要だ。馬で発ったミストに、流石に徒歩では追いつけない。
  王都の門は、日の出と共に開門する。それまでにはまだ随分と間はあるが、一刻も早く馬を手に入れたいヴィンスターレルは、門の前で開くのを待つことに決めた。
  扉を抜け、ホールへと出る。
  そこにはジェイムとアーシェが、心配そうな面持ちで控えていた。ただ、アーシェはいつも通り、一見すると無表情ではあったのだが。
  二人に見送られ、ヴィンスターレルは玄関から森へ、森から外の世界へと出る。相変わらず、空は暗い。深夜だということを差し引いても、天にはどんよりとした重さが立ち込めていた。
  ヴィンスターレルは、大地をしっかりと踏みしめる。

  北門前には、このような時間にもかかわらず、開門を待つ人々が見受けられた。
  その多くは行商人のなりをしている。中には、旅人であろうと思われる者や、芸人のような者もいた。
 (こんな時間に来たことねぇからなあ……)
  そのようなことを考えながら、ヴィンスターレルは立ち並ぶ人々の列に加わる。
  時が、長い。
  日はまだ昇らない。
  ヴィンスターレルは逸る気持ちを必死で抑え込んでいた。
  門番に交渉し、先に通してもらうことも考えたが、王宮にいた頃の自分ならともかく、何の肩書きもない今では、それは徒労に終わるだけだろう。下手をすれば、騒動になりかねない。そのような事態になったら、時間をただ無駄に浪費するだけの結果になる。
  改めて己の無力さを思い知る。
 (皮肉だよなぁ……)
  ヴィンスターレルが解雇されたのは軍事縮小が行なわれたからで、そのきっかけを作ったのはミストなのだ――いや、そもそもミストの進言とは関係無しに、事は行なわれるようになっていたのだろうか。ヴィンスターレルの頭の中に、二人のセイノールの姿が浮かぶ。
  大体が、ミストと出会っていなければ、ここでこうして焦っている自分も存在しないのだ。
  出会いとは不思議なものだ、とヴィンスターレルは思う。

  どれくらい経っただろうか。
  門番により、開門が告げられた。
  通行証を見せてから、彼は急いで駆けた。

 「――何だと!? 馬がない!?」
  門から一番近い、馬を扱っている商店絶對高潮
  そこでヴィンスターレルは大声を張り上げていた。
 「……いや、ですから……先日、馬は全部、王宮の兵士さまがお買い上げになられて……それに、暫くの間、馬は売ってはならないと、陛下からお触れが出されたんですよ……だから、どこの店でも同じだと思います。こっちだって商売あがったりなんですから――あ、今のなしです! 誰にも言わないで下さい!」
  五十代くらいだろうか。口髭を蓄え、その代わり頭が禿げ上がった恰幅のいい店主が、この寒い中、顔中から汗を吹き出しながら、ヴィンスターレルに向かい、ぺこぺこと頭を下げる。
  ヴィンスターレルの迫力に恐れをなしているようだが、自身の失言に対し、さらに焦りを大きくしたようだ。
 (――畜生!)
  ヴィンスターレルは内心で舌打ちをした。王都の馬を全て買い上げたのも、馬を暫く売ってはならないという触れも、先日の国王暗殺に絡んでいるのだ。まだ数日しか経っていない為、ここマイラに犯人が潜伏している可能性を考慮してのことだろう。
  ヴィンスターレルは事の顛末を知っているので、そのようなものが功を奏さないことは百も承知だが、犯人が潜伏していると考えてのことなら、あながち無益な策という訳でもない。
 「とにかく、今すぐに馬が必要なんだ! 何とかしろ!」
  それでも、焦っているヴィンスターレルは、さらに声を荒げて店主を睨め付けた。今から近隣の町や村に向かうにしても、それぞれかなりの距離がある。その間にも、ミストは遠ざかって行く。
 「……何とかしろと言われましても、ないものはないんですよ……勘弁して下さい……」
  ヴィンスターレルが思わず、店主に掴みかかりそうになったその時――
「……あれぇ? ヴィンスターレル殿ではないですかぁ?」
  場にそぐわない、間延びした声が背後から掛かった。
  その声に、店主はヴィンスターレルの肩越しに視線を遣り、明らかに安堵した表情を浮かべている。
 (この声……)
  聞き覚えのある声に、ヴィンスターレルは振り返る。
  そこには、黒毛の見事な体躯をした馬に跨った色白の青年が、笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
 「レク――」
 「――警邏隊長さま! ちょうどいいところに来て下さいました! この旦那が、しつこくて困ってたんですよ! 馬はないって言ってるのに!」
  ヴィンスターレルが言葉を発するより早く、馬屋の店主が声を上げる。
 「そうですか。それは困りましたねぇ」
  全く困っていないような口調で、笑顔のまま、青年は店主に向かって言う。
 「とりあえず、後は僕が引き受けますから、あなたはもう下がっていいですよぉ」
 「ありがとうございます!」
  青年の言葉と同時に、店主は謝礼の言葉を発すると、逃げるように店の奥へと姿を消した。
 「さてと……」
  青年は馬から下りると、ヴィンスターレルの方へと顔を向けた。そして、深々と頭を下げた後、さらに笑みを大きくし、こう言った。
 「お久しぶりです、ヴィンスターレル殿。またお会いできて本当に光栄です!」

  一方ヴィンスターレルは、まだ事態が飲み込めずにいた。頭の中で整理がつかない。とりあえず、一番に思い浮かんだ疑問を口にしてみる。
 「ああ、久しぶりだな、レクサー。だが、警邏隊長って……」
 「それはですねぇ……僕が志願したんです。だって、王都の警邏隊長をやってれば、またヴィンスターレル殿にお会い出来るかもしれないじゃないですかぁ。でも、本当にそれが叶うなんて、感激です!」
  心から嬉しそうにしている青年――レクサーに、ヴィンスターレルは溜息をついた。

  レクサー・バリュース。
  王宮正規軍の隊長を務めている――いや、務めていた、というべきか――男である。
  小柄でやや細身の身体。小動物を思わせるような、大きな茶色の瞳。柔和で愛嬌のある顔立ち。ぼさぼさの濃い茶色の髪。
  そして、バリュースという姓。
  三大臣のひとり、ダーゼン・バリュースの縁の者――はっきりというなら、ダーゼンの一人息子でもある。
  ダーゼンの一味がヴィンスターレルを毛嫌いする中、レクサーだけは、彼の実力と人柄を認め、筆頭者の息子という立場にありながら、その一味には加担しなかった。それどころか、ヴィンスターレルを尊敬していた。崇拝していた、といっても過言ではない。
  アレスタン王国、王宮正規軍には、全部で五つの部隊があり、レクサーはその第一部隊の隊長であった。ヴィンスターレルは第五部隊の副隊長であったから、格からいってもレクサーはかなり上である。にもかかわらず、レクサーは頻繁にヴィンスターレルの元に通っては、剣を教えて欲しい、と頼み込んで来た。
  ヴィンスターレル自身もダーゼンのことは嫌っていたが、その息子である、という理由だけでレクサーの事を差別したりはしなかった。請われれば剣の鍛錬を一緒にしたし、酒を酌み交わしたこともある。
  年齢は、確かヴィンスターレルよりも二つか三つ程、下だったはずだ。そのためか、ヴィンスターレルもレクサーに対し、何となく弟のような親近感を持っていた。
  何より、レクサーは、その外見によらず、非常に有能な男である。剣技は勿論のこと、交渉術にも秀でている。自分の信念は決して曲げようとはせず、相手を口先で丸め込むのが得意、という面も持っていた。
  恐らく彼の手にかかれば、父親のダーゼンを無理矢理説得することさえも簡単だったのだろう。何度も解雇されそうになったヴィンスターレルが王宮に留まっていられたのは、彼の働きによるものが大きかったに違いない。
  ――尤も、今回ばかりは、無理だったようだが。

 「ここの所、ちょっときな臭くてですねぇ」
 「……きな臭い、とは?」
  語りだしたレクサーに、ヴィンスターレルは問う美人豹
  勿論、彼には分かっている。国王暗殺のことだろう。
 「まぁ、色々あるんですよぉ」
  そう言葉を濁し、レクサーは再び笑顔を見せる。
  彼は口が堅い。相手がどれだけ親しくとも、話してはならないと判断したことは話さない。その点も、ヴィンスターレルがレクサーを高く評価している理由の一つだ。それに、今の話題を振ることは、情報収集の一環でもあるのだろう。
  ヴィンスターレルは、レクサーが警邏隊長を志願した理由が、少しだけ分かったような気がした。ヴィンスターレルに会えるかもしれないという言葉は、恐らく真実の一面しか表してはいない。
 「ところで……馬を必要としているみたいですねぇ」
  レクサーは話題を変えた。その言葉に、ヴィンスターレルは我に返る。
 「そう、今すぐ必要なんだ、悪ぃが、のんびり話している暇はねぇ」
  ヴィンスターレルがそう口にした途端、レクサーの背後で馬が嘶いた。漆黒の毛並みの馬の目が、こちらに向けられている。
 「バース……」
  その名前に呼応するかのように、再度馬は嘶く。そうして、ヴィンスターレルの元へと近づき、鼻先をヴィンスターレルの手に擦りつける。レクサーはそれを見て、苦笑した。
 「やっぱり……元のご主人さまには勝てないなぁ」
 「お前が、バースを?」
 「はい。だって、敬愛するヴィンスターレル殿の愛馬ですよ! 絶対欲しいじゃないですかぁ」
  真顔で言うレクサーに、今度はヴィンスターレルが苦笑する。
  今になって気がついたが、レクサーもヴィンスターレルと同じような、紺色に鈍く光る鎧を身につけている。恐らく、ヴィンスターレルの物に似せて作らせたのだろう。
 「レクサー、ありがとな。バースは大事にしてもらったみてぇだ」
  バースの漆黒の毛は、光沢を失っていない。世話が行き届いている証拠である。
 「勿論です! ヴィンスターレル殿から譲り受けた馬を、無下にはできませんよぉ」
  実際は直接譲り受けた訳ではないのだが、レクサーは誇らしげに胸を張って見せた。
 「それより――」
 「お使い下さい」
  ヴィンスターレルの意図を汲み取ったのか、その言葉を遮り、レクサーは言う。
 「……いいのか?」
  今さら躊躇するヴィンスターレルに、レクサーは白い歯を見せて笑った。
 「本当は、困るんですけどねぇ。それに、バースが居ないと寂しくなりますし……でも、ヴィンスターレル殿がお困りなんですからぁ、仕方がありませんよぉ。また代わりの愛馬を見つけることにします」
 「悪ぃ、助かる」
  そう言うが早いか、ヴィンスターレルは愛馬の背に跨る。腹を蹴ろうとしたその時、レクサーが、口を開いた。
 「僕は、ヴィンスターレル殿のことを信じていますから」
 (こいつ……!?)
  その言葉の意味するものは何だったのか、確かめる間もないまま、ヴィンスターレルは既にその場を離れていた。後ろは振り返らず、片手だけを上げて別れの挨拶とする。
  遠ざかって行くヴィンスターレルの背中を見送りながら、レクサーはひとり、呟きを漏らしていた。
 「やっぱ、かっこいいなぁ……」
  そして彼は、王宮へと戻るため、踵を返し、歩き始める。

 暫くぶりのバースの背の上。それでも、彼はヴィンスターレルの思うように動いてくれた。
  風を切る、久々の感覚。耳元で、空気が唸りを上げる。
  大地が、風景が、次々と背後に流されて行く。
  ヴィンスターレルは、バースと一体となり、ひたすら駆ける。
  西へ。
  西へ。
 (だが……)
  ミストの行く先がメイドスだとしても、一体どうやって見つけ出せば良いのか。
  アレスタン王国とメイドス共和国は、今回のように協定が組まれ、休戦状態になることも幾度かあったものの、長きに渡る争いを繰り返して来た。そのため、それぞれの国境付近には厳しい警備体制が敷かれている。
  現在、協定のため、一般に解放された場所は、ヴィンスターレルが耳にした情報によれば一箇所のみ。メイドスへと渡るのであれば、そこへと向かうしかない。
  ミストが、あの触れが出される直前に動いたのか、王都ではなく、近隣の町か村に寄ったのか、それとも、何か裏から手を回したのか――どのようにして馬を手に入れたのかは分からないが、恐らく、民間人向けに取引されている馬だと考えて間違いないだろう。
  それに比べ、バースは軍馬となるため、特別に交配され、調教されて来た馬だ。さらにいうなら、ヴィンスターレルと多くの戦いを共にして来た戦友であり、生き残って来た選り抜きの軍馬である。
  今ならまだ、メイドスに先回りする事も、ミストに追いつく事も可能なはずだ。
 (出来るなら、メイドスの手前で追いつきてぇな……)
  国境と一口に言っても広大である。そして、ミストが『一般向けに』解放された場所に向かうとは限らない。彼女には『幻影術』がある。国境の門で待っている間に、別の場所から巧く潜入されれば、見つけるのがさらに困難になる。
  ヴィンスターレルが逡巡している間にも、バースは西へと走り続ける。
  その時。
 『――こちらだ』
  声が聞こえた――気がした。
  ヴィンスターレルは咄嗟に辺りを見回すが、見えるのは、まばらな木々や草、遠くに在る山々ばかり。人の姿など見当たらない。
  そもそも、幾らヴィンスターレルの聴覚が優れているといっても、この速さで走っている馬上で、囁くような今の声が聴こえるはずはない。
  耳に届くのは、風の音ばかり。
 『こちらだ』
  今度は、先程よりもはっきりと聞き取ることが出来た。
  いや、『聞き取る』という表現が正しいのかどうか。
  頭の中に直接響くような、『声』。
  思わずヴィンスターレルは、バースに速度を緩めさせた。暫く全速力で走らせて来たので、彼は荒い鼻息を立てている。
 「お前か? バース」
  ヴィンスターレルは、下にいるバースに向かって語りかける。
  当のバースは、ただ前方を見たままで、歩き続けるだけだ。
 「――んなわきゃねぇか」
  そう呟いてから、ヴィンスターレルは深呼吸を一つした。
  そして再びバースを走らせる。
  『声』の示した方角へとSUPER FAT BURNING

2013年9月12日星期四

開発は山あり谷あり

ライヒアラ騎操士学園に、授業の終わりを告げる鐘の音が響く。
  授業中は静まり返っていた教室に、途端にざわめきが満ちる。授業の続行が不可能であることを悟った教師は小さく嘆息すると挨拶を残し、教室から出て行った。
  授業から開放された生徒達は思い思いに放課後の時間を過ごし始める。
  街から出れば魔獣の脅威に晒されかねない、そんなシビアな世界であっても、学生と言うものはそうは変わらないものであるらしい。勃動力三體牛鞭
  それは学生の一人であるエルネスティ・エチェバルリアにとっても例外ではない。
  彼は傍らに置いた鞄の中身を確認すると席を立ち、幼馴染である双子の元へと向かっていた。

 「キッド、アディ」
 「あー、おう、エル。あれか、今日もあれの勉強か」
 「あれね、きっとあれね。今日もあれなのね」

  心なしかキッドとアディの顔に元気がない。
  周囲のクラスメイト達は開放感に溢れた様子だと言うのに、彼らはまるで試験期間中の学生のように余裕を失っていた。

 「それについてですけど、今日僕は工房のほうでやっておきたいことがあるので、勉強会は中止にしようかと。
  それでその間に二人にはあの本を読んでおいてもらおうかと思いまして」
 「そ、そう!? そうよね! エル君にもやらなきゃいけない事はあるしね!
  とりあえず続きは読んでおくわね~」
 「はい、こちらの作業の進み具合によっては近々実演に入れるかと思いますので……。
  その前に、500ページほど読み進めておいてくださいね」
 「「えっ」」

  愕然とした表情の二人を残し、ぱたぱたと足音をたててエルは工房へと向かう。
  取り残された二人は周囲のざわめきも気にせず、ゆっくりと崩れ落ちていった。

  

  工房の内部は相も変わらず喧騒と騒音に満ちている。
  慌しく行き交う生徒達の間から目当ての人物を見つけ、エルは人ごみをすり抜けるようにすとすとと進んで行く。

 「親方、少しお願いしたいことがあるのですけど……

 ……えーと、親方? 何故皆様こんなにぐったりしてるのですか?」
 「おう坊主……いや、綱型結晶筋肉ストランド・クリスタルティシューを作ってたんだがよ」
 「はい」
 「……まさか俺らも、騎操士学科に来て糸巻き機を回す事になるたぁ思わなかったぜ……」
 「ああ……あの、お疲れ様です」
 「だがまぁ、その甲斐あったってとこだ。ほれ、こいつを見てみろ」

  親方が投げて寄越した資料には、様々な数字が並んでいた。
  それは結晶筋肉クリスタルティシューを普通に使用した場合と、綱型ストランドタイプにして使用した場合に発揮する出力のデータをまとめたものだ。
  そしてその後には同じ綱型でも、編み方を変えた場合の出力の比較が続いている。

 「服飾学科の生徒に、結晶筋肉で色々な編み方を見せてくれって言った時には危うく医者を呼ばれかけたぜ」
 「無茶しますね」

  達成感とも何ともつかないものを含む、親方の眼差しは遠い。
  しかし彼らの尊い犠牲を乗り越えて集められたデータはまさに値千金、万金の価値があった。
  最も効果的な編み方をした場合の最大出力は従来の1.5倍に達している。
  そして強固に縒り合わせ編まれた綱は、伸縮の繰り返しに対しても従来の10倍近い耐久性を示していた。巨根

 「予想以上ですね。僕の予想だと行っても出力2割り増しの、倍の寿命程度と思っていたのですけど……」
 「は、言い出したのは確かにおめぇだが、俺らも何もしねぇたぁ思ってもらっちゃ困るってもんだ。
  まぁ実際効果があったもんだから段々悪ノリじみたのは否定しねぇがよ。
  それとやってみて思ったんだが、使い方一つで相当効率に差が出るもんだな。
  こりゃあこれまで漫然と使ってた部分も、見直しゃまだまだ改善できんじゃねぇかと思えてきたぜ」

  そう言って笑う親方はまるで子供のようにニカッと笑っている。
  静かに笑みを浮かべるエルと並ぶとどちらが子供かわからない雰囲気である。
  そうして二人が結果について話し合っていると、整備場のざわめきが一層大きくなった。
  その中から、油に塗れた生徒が大声で親方を呼ぶ。

 「親方ぁ! 腕の張替え、終わりやしたぜ!」
 「おう! 今いく! ……よし坊主、ちょうど綱型の試作を動かすところだ、一緒に見てけ」
 「勿論拝見させていただきますとも」

  そこに在るのは、右腕だけ外装アウタースキンを外され、結晶筋肉を剥き出しにした巨大な人体だった。
  右腕に張られた筋肉は繊維の太さが太く、綱型を使用した部位であることがわかる。
  これがもし生物の肉と同色であったならさぞかし精神衛生上良くない光景だったのであろうが、結晶筋肉はくすんだ白色をしており、その巨大さと相まって一種の彫像のようにも見えていた。

 「よぉし! おめぇら離れろ! これから動作試験を始めるぞ!」

  周囲で作業していた生徒達が蜘蛛の子を散らすように離れてゆく。
  整備用の椅子に座った状態の機体に騎操士ナイトランナーが乗り込み、圧縮空気の音を残して前面装甲が閉じてゆく。
  綱型を使用した側である右手には、巨大な金属の塊が握られていた。
  これまでに綱型結晶筋肉単体での出力データは取られているものの、実機に装着しての動作実験はこれが初めての事だ。
  周囲の生徒たちも期待に目を輝かせ、固唾を飲んでその腕を見守っている。

  合図に合わせ、幻晶騎士が腕を持ち上げる。
  二の腕の結晶筋肉が収縮し、盛り上がるのが薄い一次装甲の隙間から見えていた。

 「ほぉ……こいつぁすげぇな」

  その機体が持ち上げている金属の塊は、普通の幻晶騎士では両腕で持ち上げるので精一杯という代物だ。
  それを軽々と片腕で持ち上げる、綱型を使用した筋肉の出力は流石と言うべきものだった。

  ギィィィィ……キィ

「出力の向上、耐久性の向上。上手くいきそうですね」
 「おう、坊主が動かしても早々は死なねぇ機体になりそうだな」

  ギギィィィィ……ギギ……ギィィィィィィ

「ところで親方、何か聞こえませんか? こう……何かが軋むような音が」
 「おめぇにも聞こえるのか、ならこいつは空耳じゃねぇってことだな」
 「「…………」」

  二人が顔を見合わせ、機体のほうへと振り返った瞬間、乾いた炸裂音と共に機体の右腕が文字通り炸裂した。
  結晶筋肉が広がり、金属の塊が地面に落ちるが、そんなことを気にするものはその場にはいなかった。
  何故なら右腕に装着されていた一次装甲がまるで散弾のごとく周囲へと飛び散っていたからだ。
  幻晶騎士を覆う巨大な装甲による散弾。そんなものに当たれば当然、ただでは済まない。
  一瞬で整備場は阿鼻叫喚の地獄と化していた。狼一号

 「~~!? ……!!」

  そして、ちょうど親方の真正面にも装甲の部品が飛来し――

「冗談じゃない!!」

  ――直前に割り込んだエルが、抜き放ったウィンチェスターで装甲の破片を迎撃する。
  低い姿勢で下から多量の圧縮空気弾を撃ち放ち、飛来した装甲の軌道を変える。
  甲高い爆裂音を残し、装甲は上に大きく弧を描くとそのまま後ろの壁へと突き刺さった。

  騎操士学科に所属すれど親方の本職は鍛冶師である。その上元々ドワーフ族自体が素早さに欠ける事もあり、とっさの反応は望むべくもない。
  彼は暫くの間身を庇うようなポーズのまま彫像のように固まっていたが、ややあって引き攣った表情で後ろの壁に刺さった破片を見上げた。
  壁にめり込んだ破片の様子にさすがの親方も俄かには声が出なかった。しばらくはそのまま呆然としていたが、やがて我に返ると今しがた炸裂した機体の検分を始める。

  そこにある機体は、右腕が無残にもぼろぼろになっている。
  結晶筋肉が外れ四方八方に散らばり、中の金属内格インナースケルトンが剥き出しになっている状態だ。
  熱心に右腕の状態を確認する親方に、エルがおずおずと声をかけた。

 「……親方、ご見解を、どうぞ」
 「あー、こりゃあれだな。結晶筋肉自体は無事だが根元の固定が吹っ飛んでやがる。
  筋肉の出力だけ上げすぎて、他のところが耐えられなかったってぇ事だな。
  なるほど、いやぁこいつぁ参った参った」

  はっはっは、と乾いた笑い声を上げる親方もすぐに黙り、再びエルを顔を見合わせると二人して深い溜息を吐いた。

 「一筋縄じゃいかねぇ、っつうかこりゃ最低でも全身見直しだな」

  周囲の機材への被害は出てしまったものの、作業前に全員がある程度離れていたこともあり奇跡的にその事故での人的被害はなかった。
  恐る恐る這い出してきた生徒たちも、呆然と右腕の壊れた機体を見上げては溜め息を吐いている。
  綱型結晶筋肉の実用化までは、まだまだ越えねばならない障害は多そうなのであった。

  

  綱型結晶筋肉自体は十分なものが出来上がっている以上、まずは固定方法を含む構造の見直しが行われることとなった。
  当然ながら、根元からの見直しには時間がかかる。
  設計に関わる人間は暫くてんてこ舞いであろう。しかしそれ以外の、主に実際に組み上げを担当する者などは少し手が空く形になった。

 「そこでもう一つ、別の作業をお手伝いいただけないかと思いまして」

  ここは工房内の一角、会議室。
  やはり黒板を前に解説モードに入っているエルの目の前には、親方と他数名の鍛冶師がいた。
  つい先ほどまで工房内に飛び散った装甲の破片の撤去にかかっており、今は漸くひと段落着いたところである。

 「まぁ、実際少し手隙が出てるからいいけどよ、何を作らせようってんだ?
  例の背面武装バックウェポンとやらとはまた別のものか?」
 「はい。こないだ言いましたよね? 幻晶騎士以外に騎操士の訓練に使えそうなものを用意すると」
 「ああ、あのことか……。何を作るのか知らねぇが、あんまり手間がかかる代物は厳しいがよ」

  親方の言葉を背にエルは黒板へと紙の束を広げ、貼り付けてゆく。
  そこには様々な部品と、それを組み合わせた何物かが書かれている。
  そこはやはり技術者の性で、親方達の視線は吸い寄せられるように図面へと向かう。

 「(幻晶騎士の図面? いや、そいつにしちゃあ随分と……小せぇ。しかも心臓部がねぇのか?)」

  最後に貼られた図面には、それまでに書かれた部品を組み上げたものであろう、全身鎧の形をした機体が書かれている三體牛鞭
  しかしそこに添えられたサイズは全高約2.5mと言うところ。一般的な幻晶騎士の1/4程度である。
  かと言って普通の人間が着る鎧としては随分と巨大だ。彼らは今一それの正体を掴みかねていた。

 「随分と大柄な奴の鎧を作るんだな……? いや、おいおい坊主なんだそりゃ、結晶筋肉を使ってるだぁ!?」

  図面を張り終えたエルが振り返る。
  彼の顔に浮かんでいる笑みに、条件反射的に親方達の表情が引き攣るがそれは余談である。

 「ふふ、そうですよ。とても簡単に言いますと、これは小型の幻晶騎士です。
  人間が直接着込んで・・・・・・動かす、極小サイズの幻晶騎士」

  その場にいる全員の沈黙は、長かった。
  微かに緊張感すら孕む沈黙のなか、暫く髭を撫でながら図面を睨んでいた親方が漸く口を開く。

 「………………おお、うん。あれだ、形の次は大きさを変えてきやがったな」

  固唾を飲んでその言葉を聴いていた周りの生徒が盛大に息を漏らす。

 「って親方ぁ、そんな一言で片付けるにはこいつはとんでもなさすぎるんじゃあ?」
 「鍛冶師の沽券ってもんに賭けて、そう何度も坊主の台詞に驚いてられるか!
  ……で? ふむ、構造は確かに幻晶騎士のそれを応用してるのか。
  そいつは後でじっくり見せてもらうが……こいつで騎操士の訓練するってのか?
  ああいや待て待て、そうだ、こいつは心臓部を積んでねぇ、動くのか?」

  幻晶騎士の心臓部――魔力転換炉エーテルリアクタと魔導演算機マギウスエンジン、魔力マナの源と制御部分をあわせてそう呼ぶ。
  そこに書かれているのは確かに小型の幻晶騎士のようなものだが、簡潔に言えばやや大きめの鎧を外装アウタースキンとして、その中に結晶筋肉を張り巡らせた構造をしている。
  人間が着込む、という言葉からもわかるように内部はがらんどう・・・・・になっていた。

 「はい。幻晶騎士に魔力転換炉や魔導演算機が必要なのはあくまでもあの巨体を動かすのに必要な魔力、そして魔法術式を人間一人の能力で支えられないためです。
  ならば……乱暴な言い方になりますが、機体自体を小さくすれば負担もはるかに小さくなります……計算上は、人間一人の能力でも動かしうる程度まで」

  熱心に説明を聞く鍛冶師達の顔に、以前のような拒絶の表情は見られない。
  既に新しい技術と共に一歩を踏み出している彼らは、新しい概念に驚愕こそすれ、次には貪欲にその内容を吟味し始める。

 「確かに理論上はそうだ。が、なぁ……魔法術式の負担は具体的にはどれくらいだ?」
 「身体強化フィジカルブーストが使えるならば十分なくらいかと」
 「おいおい、かなり厳しいんじゃねぇかそいつぁ……。
  しかもだ、魔導演算機を用いた幻晶騎士と動かし方が違ってやしねぇか? そいつぁ。
  これを動かせること自体は良いけどよ、肝心の練習にゃならねぇんじゃ仕方ねぇぜ?」

  問いかけつつも親方の表情はニヤリ、と音がしそうなものだ。
  からかっているのか試しているのか。果たしてエルは笑顔を崩すことはなく、すらすらと答えを返す。男宝

2013年9月11日星期三

隠れ里にはいってみよう

アンブロシウスの言葉を聞いた瞬間、エルはべたりと馬車の硝子ガラス窓にへばりついた。
  四方をオービニエ山脈に囲まれた辺鄙な場所にあるこの盆地は、旺盛に茂り鬱蒼とした森によって埋め尽くされている。印度神油
  ちょうど盆地の中央に当る部分には1本の白い尖塔が突き出しているのが見える。そこがアルフヘイムの中心地であり、目的地だ。
  しかしそんな雄大な自然も、特色に溢れた建築物の数々もエルの興味を引くことはできなかった。
  彼の頭の中を占めるのは、いまやただひとつの事柄だ。

 「ここが、魔力転換炉エーテルリアクタの生産地……」

  魔力転換炉――幻晶騎士シルエットナイトの、文字通りの心臓ともいえる機関部である。
  大気中に無尽蔵に存在するエーテルを魔力マナという形へ変換する魔導機関。これがあってこそ、幻晶騎士は地上最強の兵器として君臨できる。
  そして彼が求めて止まない、彼の知らない幻晶騎士を構成する最後の欠片ピースでもある。

 「製法と共に、生産地も秘匿されているだろうとは思っていましたが……それが、こんなところに」

  王都カンカネンを出てどれほどの距離を進んだだろうか。
  異界じみた巨木の結界に囲まれ、噂にたがわぬ峻峰により隔絶された上に、さらには選び抜かれた戦力により守護される難攻不落の天然の要塞。
  まかり間違っても偶然でたどり着けるような場所ではなかった。

 「エルフという民がいると、いま初めて知りました」

  ぶつぶつと情報の整理にふけっていたエルがようやく顔を上げる。
  さらさらと流れる銀色の髪の奥には、異様なまでの熱意を湛えた瞳がある。一言たりとも、一欠片たりとも逃さぬと、無言のままに主張している。
  下手をすると“本当に”食らいつかれかねないほど気迫を前に、いたずらっぽい笑みを浮かべていたオルヴァーは慌てて姿勢を正した。

 「エルフの大半はこのアルフヘイムのような郷を定め、ずっとその場所で暮らしてゆくからね。私のように“衛使”として外に出ているものもみだりに正体を現しはしないし、それすらどちらかというと変わり者の部類に入る」
 「……それは、魔力転換炉の製法を秘するためですか?」

  ずい、と身を乗り出したエルにオルヴァーが引き気味になっていると、横からアンブロシウスの抑えきれない笑い声が漏れてくる。

 「くく、まぁそう急くな。それだけとも言えぬ、エルフはいくらかの理由から自身が大きく動くことを嫌っておる。わしらの側の事情もあってのぅ、裏と表をあざなえてこやつらは歴史から姿を消しおったのよ」

  もといたソファーに戻ったエルは正座して完全に話を聞く体勢をとっている。

 「とは言え、残念だけど私自身は魔力転換炉の製法を知らないのだけどね」

  目前で燃え上がる情熱に少し辟易しながら、オルヴァーはあわてて釘を刺した。

 「いますぐ話を始めたいのもやまやまだけど、そもそも炉の製法は“衛使”の役を負うものに教えられることはないんだ」

  衛使とは、徒人との橋渡しとして郷の外で過ごすエルフの取り纏めのような役職になる。
  考えてみれば当然のことで、せっかく秘匿している情報をわざわざ外にでるものに教えることはしないだろう。

 「そうですか……でも、それは辿り着けば教えていただけるのですよね。楽しみに……本当に楽しみにしておきます」
 「楽しみにしているところ申し訳ないがね……君が、必ずしも炉の製法を会得できるとは限らない」

  オルヴァーは少し迷っていたが、ややあって決意と共に言葉を続ける。

 「……考えてもみてくれないか、私たち“エルフだけ”が魔力転換炉を製造しているという意味を。それは秘密を守るためだけじゃない、それだけじゃなく……これが“エルフにしかできない”ことだからでね……」
 「それならそれでかまいません」

  即答だった。
  何の溜めも迷いもなく、エルは爛と輝く瞳のまま告げる。

 「全部聞いて、全部調べて、全部ばらして、全部試して、ダメなら抜け道を探して、それでもダメだったらサッパリと諦めます。まずは全てを聞いてからです」

  オルヴァーは賢明にも、速やかに説得を諦めていた。


  アルチュセール山峡関からアルフヘイムまでは山間をなぞらうように道が整備されている。
  最初はか細い流れがあるだけだった水の流れはいつの間にか大きな流れとなり、道に並ぶようにゆったりとした川を作っていた。
  どちらも共に盆地の中央へと伸びており、その道の上を馬車は穏やかに進んでゆく。

  長閑のどかと形容してもいい景色の中、しかし馬車の内部だけが穏やかならざる熱気に包まれていた。

 「目的地につくまでにはまだ時間がある……雑談代わりに、私たちエルフについて少し話そうか。
  そうだね、ときにエルネスティ君、私は何歳くらいに見えるかな?」
 「……? 20代の半ばほどでしょうか。30歳にはなっていないと見えます」

  エルは視線をオルヴァーに、それからその長く尖った耳へと向ける。
  小首をかしげて答えた彼に、オルヴァーは少し意地の悪い笑みを向けていた。

 「はずれ。正解は、私は今年で87歳になる」

  アンブロシウスよりも年上であるというオルヴァーの言葉に、エルは束の間奇妙な表情を見せる。
  方や髪は白く染まり外見にも年相応のしわが刻まれた姿、方や艶のある金髪で皺一つ見えない若々しい姿をしているのだ。
  隣並ぶ彼らを見て、オルヴァーの方が年上などという発想は間違ってもでてこないだろう。

  冗談を、との言葉は出なかった。驚きはしたが、ある程度予想はできたことである。
  異常なまでに年齢にそぐわない若々しい容姿、エルフ、隠れた民――そこから導かれる答えはひとつだ。

 「エルフの民は……もしかして、僕たちよりも寿命が長いのですか」

  むしろオルヴァーが珍しく細い目を見開き、驚きを露にしていた。

 「その通り……すぐにそこに思い至るとは、冗談と取られるかと思ったのだけれどね。
  そう、私たちエルフの寿命は君たちに比べてはるかに長くて、だいたい500年ほどになる。それにエルフは歳をとってもあまり外見が変わらなくてね、私もあと数百年はこのままさ」

  表情にこそ出さなかったものの、エルは内心呆れに近い感覚を覚えていた。
  徒人と呼ばれる、一般的な人間の寿命は長くて70年ほどである。この世界では80年も生きれば驚異的な長寿だ。それはドワーフ族であっても同じである。彼らはいわば少し筋肉質な人間だ。
  それらの間に、放っておけば7倍くらいは長く生きる種族が混じっていればどうなるか。しかも外見は若々しいままなのである。
  余計な軋轢を生むだろうことは想像に難くなく、さらにはそれによって不利益をこうむるのはおそらくはエルフの側であろうことも、十分に予想できることだ。
  なぜアルフヘイムは辺鄙な地にあらねばならなかったのか、彼は合点がいったという表情をする。

 「だからエルフの民はこうして、隠れ里に住んでいるのですね……」

  眉を下げ、いささか勢いを潜めた様子のエルに、オルヴァーはこともなげなようすで首を振った。

 「うん? ああ、そういうわけじゃないよ。エルフの民が隠れ里に住んでいる理由は、エルフたちがとても“面倒くさがり”だからさ」

  姿勢を正してオルヴァーと相対していたエルは、まず首をひねり、腕を組んで、聞き間違いであってくれと半ば祈りながら問いかけていた。

 「……えっと、すいません。エルフが、なんですって?」
 「面倒くさがりだね」

  先ほどまでの深刻さを含んだ空気は、たった一言で壊滅していた。

 「そういってしまうと少し語弊があるかもしれないけど。
  エルフというのは面白い民族で、生きた時間によって精神性が大きく変わってくる。生まれてから100年ほどは徒人とそう大差はないんだ」

  オルヴァーは自分を指差して頷く田七人参
  確かに、彼を見て徒人と大きく違うという印象は感じない。

 「でもそこから先は大きく違う。200年、300年と生きたエルフは活発さを失い、周囲への関心を失い、そして自らの中への思索を追い求めてゆくようになる。“面倒くさがり”になってゆくんだ。それはもう、寿命を迎えるころのエルフはほとんど樹木と変わりないとすらいわれるくらいだよ」

  エルはふと窓の外を見る。
  いつの間にか馬車はアルフヘイムの市街地へと差し掛かっていた。

  馬車が走る道を含め、街の内部を走る道は石を敷いて舗装されている。流れ込む川は細かな水路に分けられ、街中を縦横に駆け巡っていた。
  周囲に生い茂る木々は、途中で見かけた巨木ではなく幻晶騎士より少し高い程度の大きさである。
  代わりにひどく節くれだち、幹が豪快に捩れた奇妙な形の木だ。それらの不規則で統一感のない様は、眺め続けていると微妙な不安を感じてしまいそうだ。
  それらは陽光をさえぎることはなく、ここは巨木の森のように暗闇におののくことはない。ふんだんな光の恩恵を受け、根元付近は下草で見えなくなっている。

  木々の間に見える、アルフヘイムの建築物はかなり独特な構成をしている。
  そのほとんどがあの捩れた木と隣り合っている、というよりも建物自体が半ば木と合わさっているような形をしていた。
  木が家の一部を構成しているのだ。それは寄り添う場合もあり、真ん中を貫いている場合もある。
  建材も独特だ。いくらかの特殊な植物そのもの利用して骨組みを作り、木材と石材、そして漆喰しっくいのようなものを組み合わせて建物となしていた。

 「森とともにある都市」

  木々と絡むようにして立つ建物。これこそがエルフの精神性から導かれた、彼ら独自の文化の形であった。



  そうして彼らが話し込んでいる間にも馬車は街の中央へと辿り着いていた。
  そこには森とほぼ同化した外観を持つアルフヘイムの建築物の中でも、際立って奇妙な見た目をした建物がある。

 「ここがアルフヘイムの中枢機関、“森護府しんごふ”じゃ」

  森護府は自然の色に溢れたアルフヘイムにあって非常に目立つ、穢れなき白亜の建物であった。
  全体的に不規則で緩やかな曲面によって構成されており、螺旋が収束するように中央が尖塔となって高く伸びる形は、どこか巻貝の殻のような生物めいた印象をもっていた。
  下部は大きく膨れており、菌類のコロニーを思い起こさせる縦横に支線が走った構造によって支えられている。そのところどころに、それとわかり難い窓や廊下が存在していた。
  エルにはこれがなにか愉快な生き物の巣のようにも思えたが、馬車の到着を待っていたかのように門扉が開かれたのを見てこれが立派な“人が使う建物”であることを思い出していた。

  建物の奥からは、ほっそりとした人影が僅かな衣擦れの音を伴って歩いてくる。
  オルヴァーは一般の徒人と変わらぬ服装をしているが、アルフヘイムに住むエルフは本来の彼らの文化に則って暮らしていた。
  自然に倣った淡い緑色に染められた布を身に纏い、草木や花を模した装飾品でそれを留めている。

 「ようこそアンブロシウス陛下、オルヴァー様。こちらへ……中で大老エルダーがお待ちです」

  馬車を降りたアンブロシウスは鷹揚に頷くと、エルとオルヴァーを引き連れて歩き出した。


  森護府の内部は木材と、外壁にも使われている不思議に艶めいた白い建材が使われている。
  採光についての設計が巧みであるためか、内部には明かりらしきものがないのに暗い印象は全くない。
  反射の具合によっては時折壁が虹色にざわめくのをエルが珍しがって、首をひょこひょこと動かして眺めていた。

  森護府の中央部は大きく吹き抜けの構造になっていた。尖塔の直下にあたるこの場所は仕切りがなく、そのまま尖塔の内部を高く見上げることができる。
  つるりとした質感は、とても人の手で創られた建造物に見えない。もしかしたら、貝殻に近いものを背負った巨大魔獣の遺骸を流用しているのかもしれないと、エルは益体もない感想を抱きつつ歩みを進めていた。


  吹き抜けへとたどり着いた彼らは、その中央部に盛り上がった部分を発見する。
  それを見たエルはまず“祭壇”という言葉を思い浮かべた。あるいは玉座か。
  なぜならその中央には椅子があり、そこに腰掛けるものが居たからだ。

 「久しいのぅ、大老エルダー・キトリー。わしが王の座について以来であるから、30年ぶりほどか」

  アンブロシウスが大理石のような質感の椅子に座る人物へと話しかける。
  その後ろではオルヴァーが膝をつき、頭の上で両手を重ねながら深く下げる独特のお辞儀をとってから離れていった。

  大老“キトリー・キルヤリンタ”――“玉座”に座っていたのは、一見して少女のような人物だった。
  彼女の印象を説明するならば、とにかく“白い”。
  肌は森護府の外壁と並ぶほど白く、髪に至っては半ば透き通っている。開いた瞳の奥が銀色の瞳であるとわかったとき、あまりに人間離れした色彩にエルは抑えがたい違和感に襲われた。
  自然の色合いに倣った鮮やかな色彩を特徴とするエルフの服装。彼女はその上に薄い紗のかかった白い布を幾重にも重ね着ている。それは彼女に草木の上に積もった新雪のような儚さを与えていた。

 「そう長い時ではない、アンブロシウス。だがお前は老けたものだ」

  弦の調べのように耳に心地よい声。しかしそれは聞くものにどこか不安を感じさせるものだ。
  そこには感情というものがなく、途轍もなく平坦で決定的なまでに熱が欠けている。
  他者への関心が薄れるとは、つまり感情が薄れていくということだ。彼女の声に比べれば、風に揺れる木々のざわめきのほうがまだしも情熱的といえた。

 「ご挨拶じゃのぅ、まぁ徒人とはそういうものじゃ」

  長命な種族であるエルフは若さではなく重ねた年齢を重視する。ゆえに“大老”が族の最上位にいるのだが、目の前の人物が一体幾年を重ねた存在なのか、外見からは窺えない。
  オルヴァーの説明を信じるならば、ここまで長じたエルフはおよそ周囲への関心がないに等しいはずだ。

 「さて、此度はわしらの要求を聞き入れたこと感謝いたそう」
 「よい、大いなる思索の時のために、必要なこともあると理解している」

  彼らは挨拶もそこそこに本題に入ってゆく。
  エルフと徒人の間の取り決めにより、彼らの間では身分の上下については無視される。
  儀礼的なものは極力省かれ、話は非常に速やかだった。

 「先に伝わっているかも知れぬが、わしの用件は魔力転換炉の製法よ。それを、ここにいるエルネスティに伝えてもらいたい」

  微動だにしないままキトリーはポツリともらす。

 「お前もそれを問うのだな」
 「わし“も”とな?」
 「そうだ。歴代の徒人の王も一度はそれを問うてきた。毎回連れてくる者は異なるが、史上最高の術士を、騎士を、学者へ伝えよと。そのことごとくが失敗に終わったがお前たちは懲りぬな。いや、常に代は変わっている。それも当然か」

  彼女が大老となる以前から数えて、対面した徒人の王は6人にも上る。
  これはもはや、彼女たちにとっては“恒例行事”といったものだった。

 「ふうむ、確かに考えたのはわしだけではなかろうが、それほど困難であったか。しかし此度連れて来るは、将来有望なる子供である」
 「……童と」

  話している間も、キトリーの表情は全く動いていない。
  徒人の感覚からしても非常に美しい顔立ちをしているとはいえ、全く表情がないということがこれほど不気味に見えるものか。
  彼女に比べればオルヴァーのほうが比較にならないほど表情豊かである。

 「無駄であろう。そも徒人には時が足りぬ、いかに磨こうとも我らの高みまで上れはすまい。これまでの者も徒人としては有能であったのだろう、それを差し置いて次は未熟なる童にたくすなど、まったく理解に苦しむもの」
 「まぁそうけち臭いことを言うでない。意外なものが見れるやもしれぬぞ?」
 「アンブロシウス、徒人の王よ。“法”の定めにより、お前の言葉は尊重される。しかしそれがあまりに下らぬ場合、我らにも拒否する権利がある」

  話が不穏な方向へと進まんとしていたとき、それまではアンブロシウスの後ろで静かに控えていたエルネスティが立ち上がった。

 「では、何か試しをしてはいかがでしょうか。貴方が納得されるだけの試しを、何でも。根拠もなく否定されるのは、僕も本意ではありません」

  そこで初めてキトリーに動きが見えた。僅かに首の向きを変えただけだが、それだけでかなり難儀であるように見えた威哥十鞭王
  次の瞬間、さらに驚くべきことが起こった。彼女が大きく腕を上げたのだ。そのままエルを指をさすと、それを何もない空間へとむける。

 「童よ、そこに立て」

  エルがアンブロシウスから離れると、キトリーの周囲に異変が発生する。
  ただ腕を上げただけの彼女の周りの空気が歪み、突如としてその場に熱が顕現した。ゆらゆらと橙の輝きを漏らすそれは爆炎球ファイヤボールの魔法だ。
  それ自体は驚くべきものではない、火の系統の魔法をつかったというだけだ。だがエルは違えずその状況に異常を発見していた。

 「……杖がない?」

  キトリーは“杖を持っていない”。
  魔法の行使に不可欠であるはずの、触媒結晶を取り付けた杖を持っていない。目前の光景には、エルの知る魔法に関する知識に明らかに反するものがあった。

 「如何に」

  エルには疑問に囚われている時間はなかった。キトリーの短い問いかけとともに、いつの間にか数十も顕現していた爆炎球が殺到してくる。

  疑問も驚愕も置き去りにして、エルネスティは素早く反応した。
  彼はその全てが自分に向けて飛んできていることを把握すると即座に迎撃のための魔法術式スクリプトを構築、一足踏み出しざまにウィンチェスターを引き抜き、手に馴染む感触を確かめるより先に先端から大量の大気の塊を撃ち放つ。
  単発拡散発射キャニスタショット――同時に多数の魔法を発射するエルの攻撃パターンの一つだ。四方にばら撒かれた風衝弾エアロダムドの魔法が押し寄せる爆炎球を迎え撃つ。
  橙の魔法弾と大気のゆがみが次々にぶつかってゆき、そうなれば次に起こるのは爆炎球の爆発だ。

  すぐさま大気が渦を巻いた。爆発ではない、エルが続けて放った魔法だ。
  大気圧壁ハイプレッシャーウォール、大気衝撃吸収エアサスペンションの魔法の応用で、周囲の大気を圧縮することで防壁を作る魔法である。
  広い範囲と大量の大気に影響を及ぼさねばならないため非常に制御が面倒な上級魔法だが、爆発や打撃など面積の広い攻撃に対する防御効果は絶大だ。
  空中に咲き乱れるかと思われた炎の花は、厚い大気の壁に包まれて太鼓を叩いたような低い音を残し、萎れ消えてゆく。

  数多の攻撃魔法と広範囲への防御魔法を続けさまに繰り出したにも拘わらず、エルは涼しげな表情のままだった。

 「……“試し”はこれで終わりでしょうか?」

  彼は何が飛んできても対応できるように様々な術式を用意しながら、油断なくウィンチェスターを構えている。
  それを見ても、キトリーはやはり全く表情を動かしていなかった。

 「試しは、良し。今まで見た徒人の中ではまだ見込みがある。徒人とは不思議なものよな、長じても及ばぬというのにそれを為す童がいると……誰ぞ、あれ」
 「ここに」

  キトリーが呟くと、一人のエルフの男性が速やかに場に現れた。

 「この者たちを奥へ案内せよ。魔力転換炉についての知識を所望だ、望むだけ教えてやれ」

  恭しく独特のポーズで頭を下げるエルフの男性。彼はそのままエルとアンブロシウスを森護府の奥へと招く。
  “試し”に合格したのだと理解したエルは、それでもウィンチェスターの構えを解かずに彼の後に続いた。
  奥へ進むすれ違いざまに、アンブロシウスはキトリーの横顔を見上げる。

 「いささか、やり方が乱暴ではないかのぅ?」

  いくらか剣呑な響きを帯びた言葉にも、キトリーは視線すら向けることなく応じる。
  外見的には整った顔立ちであっても、表情が、動きがまったくないそれはむしろ不気味さを醸し出していた。

 「心配に及ばぬ、あれは所詮“試し”。童が足りぬとも“届く前に消す”つもりであった」

  アンブロシウスは一瞬だけ顔をゆがめたが、すぐにそれを消し去る。こういったことは、年経たエルフとの会話ではつきものだった。
  彼女たちに直接の害意はない。当人が言ったとおりもし防げなくても消すつもりなのであり、それは確実に実行される。
  しかしだからといって、やられた側が納得できるかとは別の話だ。少なくとも不愉快さを感じるのは避け得ないことだろう。
  年経たエルフは効率を重視し感情を全く無視するため、徒人と話すにはしばしば摩擦を伴う。

 「“法”の約の下、共に言葉に偽りはなく。ぬしの言葉、信じようぞ」

  アンブロシウスはそう言い残すと、建物の奥へと歩みを進めていった。
  その場に一人残ったキトリーは、彼らが立ち去ると目を閉じ、再び彼女の大いなる思索の時へと舞い戻ってゆく。
  すでに先ほどの一幕への興味は、欠片ほども残ってはいなかった。



  色合い揺らめく廊下を、静かに歩く人影がある。
  先導するエルフの男性の背を確かめつつ、エルはアンブロシウスを見上げる。

 「エルフとは意外に過激なのですね」
 「アレをエルフの普通と思うな。……いや、似たようなのも多いか、ううむ」

  なんとも気まずげに振舞うアンブロシウスを見て、エルは話を変えることにした。

 「そういえば大老様はよく“法”とおっしゃっていましたが、“法”とはなんなのですか?」
 「手短にいえば、わしら徒人とエルフの付き合い方、じゃな。広義では互いの貿易の取り決めなども含まれておる」
 「ずいぶんと重要で大雑把な代物ですね」
 「曰く、エルフとは大いなる知の探求を自らの使命とする民。オルヴァーも言うたじゃろう、幼き頃は活動し経験を増やすことが尊ばれるが、長じるにつれ思索に割く時間が増えてゆく老虎油
  大老ともなれば1日の全てを思索に向けることも珍しくなかろう。そも時間に対する感覚が全く違うからのぅ」

  エルは先ほどのキトリーとの話を思い起こす。
  話している間も視線を向けず、ほとんど動くことのなかった彼女。徒人とは異質な感覚の中に生きる者。

 「しかしまぁやつらとて生き物じゃ、食べねば死んでしまう。本来ならば狩をするなり、畑を拓くなりせねばならんのじゃが……そこで“法”よ」

  核心に迫るにつれ、エルの中で嫌な予感が膨れ上がってゆく。

 「魔力転換炉、徒人には作るのが困難な部品の製造を行う代価として、わしらは食料や防衛を提供する。そう取り決められておる」
 「それでは、エルフは普段何をしてすごしているのですか? ここには畑すらないのでしょう」
 「じゃから、やつらが言うたとおり、思索の時であろう」
 「(あれ? それやとあのネエちゃんガチ引きこ……いや何も言うまい)左様ですか」

  だんだんとどうでもよくなってきたエルは、目的地はまだかなぁと思いをはせていた。


  エルフの男性につれられて彼らが向かった先は、森護府の奥にある1室だった。殺風景な部屋に机と椅子が並べられている。
  森護府の内装はどこに行っても似たような白い風景であり、慣れないエルたちは既に見分けるのを諦めていた。
  吹き抜けと同じようにここにも柔らかな光が満ち、暗さは全くない。

 「大老のご指示により、あなたがたに魔力転換炉についてお教えせよとのことですが」

  彼はやや硬い態度で話し始めたが、キトリーのような突き抜けた非人間さは感じられなかった。
  恐らく100歳は越えている実力者であり、それでいて徒人との会話に困らない程度に感情が残っている者なのだろう。

 「うむ、わしはただの付き添いみたいなものじゃ、話は全てそこのエルネスティに頼む」

  彼の視線が、すでに机の上に身を乗り出さんばかりになっている小柄な少年へと向けられる。

 「では、まずはどこから始めましょうか」
 「全部で」
 「ええ、というと」
 「1から10まで全部、魔力転換炉に関すること全てです!」

  ついに机の上に正座を始めたエルの勢いに押されつつ、彼はあくまで静かに己の職務を果たすことを決意する。

 「承知しました、ではその成り立ちから掻い摘んでお話します――」

  彼は滔々と語り始める。
  魔力転換炉とは何か、エーテルを魔力に変える、その仕組みはどこからもたらされたものなのか。

 「我々が魔力転換炉と呼ぶもの、これは元をただせば“生物の心臓”そのものです」

  この世界の生物は例外なく魔力を体内に蓄えている。体内に触媒結晶を持たず、魔法を使うことが出来ないものにも魔力を生成する機能は存在するのだ。
  さらには生物の体の中で、この変換を行っているのは“心臓”であることがわかっている。呼吸と共に体内に取り入れられたエーテルは、心臓に送られそこで魔力へと変化する。

 「この変換を行う核心が、我々の心臓にある“触媒結晶”なのです」
 「……触媒なのですか? 触媒結晶とは魔力を魔法に変えるためのものでは?」

  エルの疑問も当然だ、人は触媒結晶を用意することで魔法を放つことが出来るようになった。
  そして魔法を発現させた魔力は再びエーテルへと還り世界を漂う。触媒結晶が持つ機能は、炉とは真逆のはずなのだ。

 「そうです。しかしある特定の条件下ではエーテルを魔力へと変換するのです。ここで触媒結晶に逆の役割を果たさせるために必要なものは、2つ」

  一つは心臓を絶えず循環する血液。それが持つある種の機能が触媒結晶と反応して“エーテル”を“魔力”という状態へと変える。
  もう一つは魔法術式。生物の脳、本能の領域に刻まれた極めて特殊な術式がそれに影響している。
  そしてこの秘密に気付いた古のエルフの賢者が、原初の魔力転換炉を作り出したのだという。

 「原初の魔力転換炉とは、莫大な紋章術式エンブレム・グラフを写した銀の器に、生物の生き血を満たしたものであったと伝えられています」

  それは魔力の生成には成功するものの、道具としては失敗に終わる。
  理由は簡単で、命の下にない血液はすぐに活力を失ってしまうからである。当たり前の話ではあるが、常に生物の生き血を必要とするような道具など到底使えたものではない。
  それからは、古の賢者は血液に代わるものを求めて試行錯誤を続けることになる。

 「そこで彼らが起こしたのが、現在“錬金術”と呼ばれている技術体系です。様々な薬液と触媒結晶の反応が試され、エルフにとっても長い間に渡って研究が行われたようです」

  それら偏執的ともいえるエルフの賢者の試みは、長きに渡る研鑽の末に一つの成果を生み出すことになる。
  “血液晶エリキシル”――錬金術によって人工的に生成された擬似血液の完成である。

 「後は魔法術式。炉にあるのは命の鼓動を刻み込む尊き式、われわれはこれを“詩”とよんでいます。術式の名は“生命の詩ライフソング”、と」

  生物の本能の領域に刻まれた原初の魔法術式、“生命の詩”。それは器に刻まれる形で保持される。
  だがここで一つ問題が起こる、術式があまりにも巨大すぎたのだ。“生命の詩”をそのまま紋章術式で作り上げた場合、必要とされる銀板は幻晶騎士1騎分よりも嵩張る、壮絶な量となってしまう。
  これを現在の魔力転換炉、人間よりも小さな大きさまで圧縮するためには、それまでとは全く別の方法が必要であった。

 「そこで用いられたのがエーテルの影響を強く受けて生み出された至高の金属、精霊銀ミスリルです。そしてこれこそが、我々エルフしか炉を作れない、その理由でもあります」
 「金属、なのですよね? それが何故、エルフしか作れない理由になるのですか」
 「説明を重ねるより、実演でお見せしたほうが早いでしょう。少しお待ちください」

  そういって、エルフの男性は部屋から出ると一塊の金属を持って戻ってきた。
  一見して銀色の金属に見えるが、それはエルがいままで見たことのあるどの金属とも異なっていた。
  基本は光沢のある銀色をしており、驚くべきことにその表面では虹色の淡い光が揺らめいていた。それは片時も一定せず、常に万色に色を変えている。
  何かしらの特殊な力を秘めていることは疑いようがない。

 「精霊銀……昔調べたときには、炉の材料として“精霊石”が必要とありましたが」

  エルはかつて見た、魔力転換炉の説明を思い出しながら呟く。

 「精霊石? ああ、あれは世に出すにあたり精霊銀の名を変えた、方便ですよ。
  この精霊銀とはエーテルの影響を強く受ける場所にしか生成されない、極めて希少な金属です。最大の特徴として極めて硬く同時にしなやかで、かの鉄鋼と鍛冶の民ドワーフも鎚をなげるほど頑丈です」

  エルはまだ合点がいかず、じっと目の前の金属塊に見入る麻黄
  ドワーフすら投げ出す硬度の金属、それがどうエルフとつながるかが見えない。

2013年9月9日星期一

魔物

「今夜はこの家にお泊まりください。夕食もご用意いたします」
  朝食を食べながら、村長が告げた。
  朝食は、オートミールにサラダとチーズ。蟻力神
  美味いとまではいえないが、取り立てて不味くもない。
  このくらいの食事を取れるのなら、俺はこの世界でも生きていけるだろう。
  夕食はもう少し豪華になるだろうしな。曲がりなりにも村長の家だし、村を救った英雄への饗応だから、これでもよい食事なのだろうが。
  昼食については何も言われなかった。人類が朝昼晩の三食を食べるようになったのは最近のことらしいから、この世界ではまだ一日二食が普通なのだろう。
 「その言葉に甘えさせてもらおう」
 「明日はベイルの町まで商人が馬車を出します。出発は早い時間になるでしょう。一緒にまいられるのでしたら、今夜はお早めにお休みください」
 「ベイルの町まではどのくらいかかるのだ」
 「馬車で三時間ほどでございます」
  三時間というのは地球時間と同じでいいんだろうか。
  八時に出発すると、向こうに着くのが十一時。商人が一日で往復するつもりなら、十八時に帰ってくるには向こうを十五時に出なければならない。商人がベイルの町にいられるのは四時間ということになる。
  商人は仕入れも行うと言っていたから、それでは短いか。
  早い時間に出発というのは、本当に早いと考えた方がよいだろう。まだ暗いうちの出発になるかもしれない。
  朝釣りに行くような気構えでいた方がいい。
 「ではそうさせてもらおう」
 「商人にも伝えておきます」
  さて、それまでは何をするか。
 「この村の付近には、モンスターなどはいるか」
 「それは、魔物のことでございましょうか」
 「ああ。それだ」
  魔物というのか。やっぱりいるんだ。
 「森の奥へ行けば、スローラビットがおります」
 「ふむ。戦ったことはないな」
  いかにも弱そうな名前の魔物だが、一応は情報収集に徹する。
  出会ってみたらやたら強い魔物だったという可能性もないわけではない。
  知ったかぶりなどはしない方がいいだろう。
 「スローラビットは、人に向かってくることをしないので、比較的戦いやすい魔物でございます」
 「おお。そうなのか。ではちょっと行ってみるかな」
  ラッキー。
  まあスローラビットだしな。遅いウサギ。楽勝でしょう。
  時間もつぶせるし、ちょっくら行ってくるか。
 「……スローラビットをお狩りになられるのでございますか?」
  村長が声を落とした。
  あれ。
  また対応間違ったか。
 「戦いやすいと聞いたのでな」
 「確かに、このあたりの村人でも数人がかりでがんばれば倒せます。考えてみれば、ミチオ様なら、楽勝でございましょう」
 「そ、そうか」
  おいおい。
  数人がかりでがんばれば、ってどんだけ強いんだよ。
 「スローラビットを倒せば、兎の毛皮が残ります。稀に兎の肉が残ることもございます」
  兎の毛皮が通常ドロップで、兎の肉がレアドロップというところだろうか。
  残るというのがよく分からんが。
 「ふむ。どうしようかな。魔物を狩ることに問題はないか?」
 「魔物を退治するのに問題のあろうはずがございません」
  問題があってほしかった。
  数人がかりで倒すような魔物だとやばいだろうか。
  しかし、この世界で生きていくなら、いつかは最初の魔物を狩らなければならないだろう。それがスローラビットよりも弱いという保証はない。
  結局やらなければならないなら、早い方がいいだろう。
  別に地球に帰りたいとも思わない。最悪この大地に屍をさらしたとしても、それはしょうがないことだろう。人間いつかは死ぬのだ。芳香劑
  考えてみれば、俺がこの世界にいるのは自殺サイトがきっかけだった。
  自殺するのも、圧倒的な強さの魔物に蹂躙されて殺されるのも、たいした違いではない。
  行くと言った以上、行くしかないか。
  まあ、遅いウサギだしな。
 「では、夕食までの間、少し森の奥に行ってみることにしよう」
  デュランダルを出せばなんとかなるだろう。
  村長も楽勝だと言っている。
 「ミチオ様。村の若者の中にも、スローラビットの狩猟をしてみたいと考えている者がございます。できますれば、一緒に連れて行ってはもらえませんでしょうか」
 「ふむ」
 「ミチオ様と一緒ならば、その者たちもよい経験ができるでしょう」
  どうすべきか。
  仲間がいた方がもちろん安全だろう。
  しかし、俺が弱いとばれると厄介なことになるかもしれない。
  俺は村に住んでいた一人の男を奴隷身分に落としている。家族や親しいものによる報復も考えられた。
 「いや。今回は遠慮してもらおう。俺はスローラビットと戦ったことがない。その者たちを守ってやれるかどうか分からん」
 「確かにおっしゃられるとおりでございます。差し出がましいことを申し上げました」
  適当に理由をつけて断る。

  食事を終えると、俺は盗賊たちのカードを置き、銅の剣を持って外に出た。
  森の中を、奥へ奥へと入っていく。
  いけどもいけども、魔物は現れなかった。
  ゲームだと村を一歩出たらモンスターだらけだったりするんだが。
  考えてみれば、そんな危険な場所に村を作っておちおち住んではいられんわな。

 「インテリジェンスカード、オープン」
  一人になったので、気になったことをやってみる。
  ……。
  やっぱり何も起こらなかった。
  まあこれは分かっていた。少なくとも呪文が違う。一回聞いただけであれは覚えられない。
  俺にもインテリジェンスカードがあるのだろうか。

  仕方ないので、今は気にせずに進む。
  ちょっと歩き疲れたぐらい森の中を進むと、ようやく一匹の変な動物が目に入った。
  体長五十センチくらいの、毛に覆われた白い動物。
  あれがスローラビットだろうか。
  あれは何だ、と念じると、情報が浮かんできた。

スローラビット Lv1

 おお。
  やっぱり鑑定は使える。
  というか、レベルあんのかよ。
  スローラビットがどれだけの強さか分からない。
  ここは慎重にデュランダルでいくべきだろう。
  キャラクター再設定と念じて、設定画面を起動させた。必要経験値五分の一と獲得経験値五倍まで戻して、ボーナスポイント64をあまらせる。そしてそのボーナスポイントを武器六にまで注ぎ込んだ。
  ボーナスポイント残り1。
  何に使うべきか。
  ボーナス呪文でも使ってみるか。
  メテオクラッシュ。
  いかにも強そうな魔法だ。
  メテオクラッシュを選択して、キャラクター再設定を終了する。
  左の手のひらにデュランダルが現れた。
  魔法を使うならデュランダルいらなくね、と思ったが、一撃で倒せるとも限らない。
  デュランダルを腰に差す。
  慣れていないせいか、剣を二本も腰に差すのはちょっと邪魔だ。
  銅の剣は横の木に立てかけた。デュランダルを鞘から抜いて両手でしっかりと握り締める。
  スローラビットはまだ俺に気づいてないみたいだ。情愛芳香劑
  ここは木の陰から闇討ちする。
  行け。
 「メテオクラッシュ!」
  大声で叫んだ。
  ……。
  ……?
  ……。
  何も起こらない。
  何も変わらない。
  俺とスローラビットの間をただ風が吹き抜けた。
  誰かが見ていたらメッチャ恥ずかしいシーンだ。
  森の奥でよかった。
  呪文だ。呪文が違う。
  メテオクラッシュの呪文が頭に浮かんできた。
  それを使ってみる。
 「無限の宇宙の彼方から、滅ぼし尽くす空の意志、滅殺、メテオクラッシュ!」
  今度こそ決まった。
  ……。
  と思ったが、何も起こらない。
  何も変わらない。
  これはあれだな。
  MPが足りない。
  食事も取ったし、疲れもなくなっているので、火炎剣で使ったMPは回復していると思う。
  メテオクラッシュともなると、Lv2ごときのMPでは発動できないのだろう。
  しょうがないので、デュランダルをかざして駆ける。
  体が少し軽くなっているような気がした。英雄Lv1の効果か。
  スローラビットは、こちらを向いて立ち上がる。
  人を恐れて逃げ出さないあたり、さすがは魔物か。村人数人がかりで倒せると言っていたから、人間一人よりは強いのだろう。
  しかし、こちらには聖剣デュランダルがある。
  デュランダルの切れ味をとくと味わうがよい。
  スローラビットに近づいた俺は、上段から魔物の肩口あたりへと斬りつけた。
  デュランダルが魔物を抉り、肩からわき腹へと一刀の元に切り裂く。
  スローラビットはそのまま倒れ伏した。一撃だ。
  魔物の体から緑色の煙が小さく吹き出し、やがて溶けるように消え失せる。
  煙の跡に、小さな白い毛皮が残された。

 兎の毛皮

  なるほど。
  だから、兎の毛皮が残ると村長が言ったのか。
  兎の毛皮を持って、銅の剣を置いた場所に戻る。
  デュランダルはオーバーキルのような気もするが、あと二匹くらいは狩っておくか。
  今のスローラビットがたまたま弱かっただけ、ということも考えられる。
  俺は銅の剣の横に兎の毛皮を置いて移動した。

  その後、スローラビットを二匹狩ったが、やはりデュランダルではオーバーキルのようだ。
  いずれも一刀で斬り捨ててしまった。
  これで兎の毛皮が三枚。
  次は銅の剣でいってみるか。

  デュランダルを消そうと、キャラクター再設定と念じる。
  あれ?
  ボーナスポイントが1になっていた。
  何かのタイミングで増えるのだろうか。
  とりあえず、ボーナス武器六を消し、必要経験値二十分の一と獲得経験値十倍を入れる。これでボーナスポイントは0だ。メテオクラッシュにチェックが入ったままなので、先ほどよりはボーナスポイントが増えている。

  デュランダルを消した俺は、銅の剣で次のスローラビットに襲いかかった。
  先制攻撃が華麗に肩口に決まる。
  あら?
  剣が全然入っていかない。
  切り裂くどころか、ほんの少しめり込んだだけで止まってしまった。
  すぐに振りかぶって第二撃を入れるが、これも同様に止まってしまう。
  斬り込んだというよりも喰い込んだという感じだ。三體牛鞭
  スローラビットが体をぶつけてくる。
  うおぉ。危ねぇ。
  なんとかよけた。
  お返しに一撃入れる。
  全然駄目だ。ダメージを与えている気配がない。
  少しずつは与えているのだろうが。
  とにかく、スローラビットの動きに気をつけながら、剣で攻撃を続ける。
  動きが素早くないのが、せめてもの救いだ。
  スローラビットだしな。
  と思ったら、飛び上がりやがった。
  頭はぎりぎりよけるが、体全部は避けきれず、体当たりを喰らってしまう。
  ぐおぉ。
  体当たりだけですごい衝撃。
  これはやばい。全身バラバラになりそうだ。
  剣を何度も叩きつける。
  スローラビットが頭を振った。
  なんとか避け、あいた肩口に剣を入れる。今のは手ごたえありだ。
  スローラビットが再び飛び上がる。
  しかし、その攻撃は読んでいた。右へ倒れるように攻撃を避けると、すれ違いざま一撃を喰らわせる。
  くそう。まだ駄目なのか。
  二度三度と打ちつける。
  攻撃する隙をつかれて、また体当たりを喰らってしまった。
  ぐわッ。
  攻撃だけに意識が向いて、防御を考えていなかった。
  これはまずい。あと何撃か喰らったら確実に死ねる。
  続く攻撃は避け、体勢を立て直した。
  頭を剣で振り払い、腹に一撃を与える。剣がめり込んだ。ある程度手ごたえがある。
  体当たりを避け、再び一撃。
  まだ倒れないのか。
  もう一撃。もう一撃。もう一撃。
  三度四度と剣を入れると、ようやく、魔物が地にはいつくばった。
  煙となって消え、兎の毛皮が残る。
 「はぁ……」
  肩で息をしながら、大きくため息をついた。
  全身がきしむように痛い。息をするのも一苦労だ。
  今のはやばかった。
  デュランダルと銅の剣でここまで違うものか。
  あるいは、今のスローラビットだけが特別に強かったのか。
  そういえば、スローラビットにはレベルがあった。
  確認してなかった。Lv1ではなかったのだろうか。
  とはいえ、もう今後の攻撃はすべてデュランダルで行うことにする。
  銅の剣では何回攻撃する必要があるか分からん。
  確かデュランダルにはHP吸収のスキルがあった。
  この苦しさも、デュランダルで敵を倒せば回復するのではないだろうか。
  俺は、銅の剣と集めた兎の毛皮を置き、デュランダルを出して移動する。

 いた。
  小走りでスローラビットに近寄ると、デュランダルを振り下ろす。 
  スローラビットが消え、兎の毛皮が現れた。
  体の痛みも和らいだ。
  いくらかでもHPを吸収したのだろう。プラセボ効果ではない、と思う。
  あと一匹か二匹狩れば、全快だ。
  銅の剣を立てかけた場所まで兎の毛皮を置きに戻り、再び獲物を求めて移動する。

 やっぱりLv1だ。
  スローラビットは、人間を恐れて逃げもしないし、向こうから先に攻撃してもこない。考えてみれば非常に戦いやすい魔物だ。先制攻撃をほとんど確実に入れられるから、一撃で屠れるデュランダルがあれば楽勝である。
  今度も先制攻撃を決め、一撃で魔物を屠った。中華牛鞭
  スローラビットが煙となって消える。
  すると今度は、毛皮でないものが残った。

2013年9月5日星期四

ライドウならその展開は可能性薄です

「すまん、ライドウ殿。力が及ばなかった」
 [気になさらないでください]
  生徒の健闘を労った後、商会に戻った僕を待っていたのはレンブラントさんの謝罪だった。
  どうやら、商人ギルドからの呼び出しは僕絡みの事で、結果は芳しくなかったようだ。印度神油
 「どうやら商会としての活躍以上に、君は注目されている。恐らく国レベルで」
 [国ですか。あまり妨害をされるような覚えは無いのですが]
  関心は持たれている国はあると思う。でも目に見えて妨害を仕掛けられる覚えは無いんだけど。
 「関心を持たれているだけで、十分なのだよ」
  だがレンブラントさんは僕の心を読んだように話し始める。
  どういう意味だろう?
 「どこどこの国がクズノハ商会に、またはライドウ殿に、関心を持っているから知りたいと思う。すると、当然調べる。国のそうした動きはね、それなりに早い段階で我々商人にも伝わってくる」
  うん、そこまでは何となくわかる。懇意にしている、国の用を聞く商人がいれば情報収集の一環で話を聞いたりもするだろう。アイオン王国の様に、商人その人が諜報活動を担う事もあるようだし。
 「ここまではまだ良い。だが問題はここからでね。情報を得た商人は、そこに自身の意向を時に反映させるんだよ。例えばね、私はリミア王国の政務に携わる方と懇意にしているのだが実はリミア王国はライドウという商人の事を気にしているようだ。ところであの商会はこういう不審な点があるようだがギルドで調べて対処してもらえないか。そんな風に話したとする」
[その例えだと、リミア王国が僕の店に不審を感じているから商人に調べさせているという事ですね]
 僕の見解にレンブラント氏は笑みを浮かべる。
 「違うよライドウ殿。この場合、リミアは君に興味を持って情報を得たいだけだ」
 [しかし]
 「後半は商人の個人的な意向だよ。君を良く思わない、ね。こうした事は意外と横行しているものだ。国に使われるだけじゃなく、彼らの要件を自分の利益に利用する。まあ、私もやっているからあまり他人の事は言えた立場でもないが」
  ……。ええと、嘘は言ってないけど、誤解を正す気も無いって事か。うわ、汚い。
 「商人ギルドとしても特定の国から危険視されている可能性のある商会を野放しには出来ない。多くの声が集まれば、特にね」
 [クズノハ商会はそれだけ多くの国に関心を持たれ、かつこの街の商会仲間にはよく思われてもいないと]
 「全てでは無いだろうが、そういう連中も少なくないだろうね。つい最近も神殿から何か言われたと聞いた。それも神殿からの直接かどうかは怪しい所だ。神殿とて商会から献金を受けているから彼らの声を無碍には出来ない。そちらについては、私は意図的に距離を置いているから疎いが。ツィーゲはあの通り、神への信仰という点では少し問題がある街なのでね」
 [同業者とは上手く共存していきたいのですが、難しいですね]
 「利益を奪い合う関係でもあるから、近い職種ほど難しいね。私とて、ギラついた時期に君が近くで開業していたら、何か手を打とうとはしただろうし」
  そういう、ものなのかな。田七人参
 「ある程度、覚悟を決めた方が良いぞライドウ殿。同業者との競争にしても、早めに決着をつけてやれば負けた方も再起できる。幸いこの都市は周りに衛星都市がいくつもある。気があれば機会はそれなりにあるさ」
 [ご忠告ありがとうございます]
 「いやいや、偉そうなことを言っておいて大した力にもなれなかったんだ。礼など言われたら困るよ。娘は闘技大会で怪我らしい怪我もせず、なのに覇者という最高の結果を出せた。ライドウ殿には世話になりっぱなしだ」
 [実力ですよ。明日は観戦してやってください。私は行けそうにないですから]
 「……商人ギルドでは君の商会の流通について、厳しく問い詰められるだろう。魔族との関わりまで疑われている。何らかの証を立てておくか、相応の罰則金を用意して金で事を収めるか、対策はきちんとしておくべきだよ。もし私に出来る事が――」
  証ね。立てようがないな。巴か識に暗示でもかけてもらう手があるけど、根本的な解決にはならない。
  それにうちの商会の流通?
  黄金街道どころか、普通の街道さえ利用してない。亜空を経由した、途中一切妨害されようも無い手段。
  だがこの世界には転移を利用した輸送は一般的では無い。成功率が低いからだ。
  そこに成功率百パーセントの転移輸送をしていますなんて言えば、技術、ここだと詠唱の公開と共有を求められるに決まっている。それこそ、国が出てきてもおかしくない。
  やっぱり、やるしかないかな。
  観戦の時に巴に話した一言を思い出す。
 [十分良くして頂いていますよレンブラントさん。大丈夫です、後は我々で]
 「そうか。余計な心配だった。では失礼するよ、娘が眠る前に一言労っておきたいんだ」
 [お気をつけて。おやすみなさい]
 「ああ、君もな。おやすみ、ライドウ殿」
  シフを讃え、ユーノを慰める為にレンブラントさんが帰っていった。
  明日は団体戦だし、もう休んでいる時間かもしれないな。その場合は起こすんだろうか。それは止めた方が良い気がする。
 「ライム、いるね」
 「へい」
 「一応、レンブラントさんの帰宅を見届けて。もし不穏な気配があるようなら一晩誰かと交代しながら付いていて欲しい」
 「わかりやした」
  識とアクアには生徒の事をお願いしてある。
  やれやれ、商売とは違う所で皆に仕事を頼んでるなあ。

 衝撃的な、闘技大会だった。
  ついこの春までは学園の沢山の学生と大差無かった数名の学生が、同級生どころか上級生までも歯牙にもかけない圧倒ぶりでその実力を披露した。
  実力はあれど健康上の理由で長く学園を離れていた学生。奨学生ではあるが、トップクラスでは無い学生。
  その二名が、今年度の覇者と準優勝者。
  学園祭の開催期間、図書館は閉められている。当然、司書の仕事も休みになり私は目玉企画でもある闘技大会を見に来ていた。
  改めて、思う。
  ライドウ、クズノハ商会。
  あれだ。あれこそが、この波乱の原因。そして私の、希望だ。今は学園の上層部にもマークされてもいない彼。
  もし彼が協力してくれたなら。リミアとグリトニアの維持する戦線が一気に北上して、ケリュネオンの復興も現実的な目標になると確信に近い思いが湧き上がる。
  たったあれだけの期間、学生を育ててこの成果なのだから。威哥十鞭王
  闘技大会個人戦が終わってすぐ。
  席を立ち、戻ろうとした私にそのライドウが声を掛けてきた。
  私と話がしたいと言う。
  意図はわからなかった。でも彼からの誘いなら断る訳にはいかない。私は快諾して会う時間を聞いた。
  彼の指定は夜更けと言える時間だった。
  私は、その時間に彼の商会の勝手口から店に入り二階にある彼の部屋に向かった。部屋にいるから勝手に入ってきて欲しいと言われたからだ。
  ……何を望まれようと、応じるつもりでいる。
 「ライドウ先生、エヴァです。入ってもよろしいでしょうか」
  ノックをして彼の返事を待つ。と言っても彼は共通語を話せない。入口の扉にどうぞと文字が浮かび、魔術による施錠が開錠された。
  私は中に入る。
  私と彼の関係は、はっきり言って私にとって相当不利な関係だ。私は彼に多くを望んでいるのに、彼は私に何も望まないと言って良い関係なのだから。
  座って出迎えてくれて良いのに、わざわざ立ち上がって私の来訪を迎えてくれるライドウ。もっと、横柄に扱われて不思議はないと言うのに。
 [こんな時間にすみませんね。今日は従業員も出払っていまして私一人なもので]
  一人。
  その言葉に僅かに緊張が高まる。やはり、そういう意図なんだろうか。
  もし考えている通りなら私には望ましい展開だ。やっと、彼に望まれる何かを見いだせる。対価となる何かを。
 「ライドウ先生がお呼びなら、私はいつでも構いませんわ」
 [やめて下さいよ]
 「今日の個人戦、生徒さんの優勝、おめでとうございます。あの後、大変だったんですよ。誰が彼らを鍛えたんだ、って」
 [彼らの実力が開花しただけですよ。誰の手柄でも無い]
 「謙虚なんですね……学園では私だ私だと講義を受け持つ講師が手を挙げて困っていると言うのに。もちろん、共通の講義が貴方のものだとわかれば、矛先は先生に向くでしょうけど」
  私がシフ=レンブラントの優勝を祝っても、彼には驕った様子は見られない。
  ただ生徒の実力と言うだけだ。春から半年弱。ただそれだけの期間で頭一つどころではない突出した成長を遂げさせたのは間違いなく彼だと言うのに。
  四大国のどこがこの情報を知っても、引き抜きにくるのは確実だ。臨時講師などよりずっと良い条件で。もしライドウがそれに応じたとしたら、私と彼の接点は減ってしまう。だが、不思議とそんな考えは出てこない。
  彼は、きっとどんな好条件を提示されてもどこかの国に所属したりしないのではないかと思う。理由は無いが、何故か。多少の付き合いから何か感じ取った結果かもしれない。
 [そうならないよう、エヴァさんもあまり余計な事は言わないで下さいね]
 「もちろんです。先生の害になるような事はしませんわ」老虎油
 [それで、今日の要件ですが]
  きた。
  私は余裕ある笑みで彼の次句を待つ。
 [その前に。この件はルリアにも秘密にしてください。貴女と私の間だけの事にすると約束して下さい]
  ルリアにも?
  別に、もとよりこんな事、妹とは言え話すような事じゃないと思う。
  私は頷いてみせる。
 [では]
 「っっ!!」 
  彼が私を招き寄せ、他人の目を憚はばかるように小さく文字を書き出していく。
  思わず私は息を呑む。
  それは。
  ライドウが私に示したその提案は。
  予測などしようのない、私の思惑など消し飛ばすような内容だった。
  いや長く私の中に燻っていた狂気さえ、忘れてしまうような衝撃的な提案。
 「先生、いえライドウさん。これ、本気で……」
 [一切の冗談はありません。二日の猶予をあげます。返答は明後日、この時間に]
 「明後日!?」
 [ええ。長く考えても一緒でしょう。私の都合もありますので。用事は以上です。今日はもう遅いですから、後の用事が無ければ空いている部屋でお休み下さい]
  そんな、二日でこんな大事な事を決めろって言うの?
  それも妹にさえ秘密にして?
  明日の団体戦を楽しみにしていた。
  もう、そんな事はどうでもよくなってしまった。試合の観戦などしている場合では無い。
  いざとなれば私からライドウを誘惑しようと思っていた事さえも忘れて、私は部屋を借り、眠れぬ夜を過ごす事になった。

 ゴテツ裏手。エヴァさんに部屋を貸した僕は彼女の妹ルリアに会うために出てきていた。
  酒も供するゴテツはこんな期間はかなり遅い時間までやっている。案の定、今日もまだ営業していた。
 [すまないな、こんな時間に]
 「ライドウさんなら構いませんよ。でもごめんなさい、連日遅くまでの営業でちょっと疲れが溜まってて。手短にお願いしてもいいですか」
 [ああ、すぐに済ます。ルリア、これはエヴァさんにも内緒だ。絶対にな。君に一つ決断して欲しい事がある]
 「え、ええええええ!?」
 [明後日、返事を聞きに来る。遅い時間に済まなかったな]
 「明後日!? ちょ、ライドウさん!? ライドウさーーん! ……本気、なんだよね。あの人、冗談とかあまり言わない人だし。寝てる場合じゃなくなっちゃったよお。どうせならライドウさん栄養ドリンクも置いていってくれたら良かったのに……」
  明日、商人ギルドでどう釈明しても。
  今後も次から次へと嘘がトラブルを運んでくる。かといって一度ついてしまった以上、嘘は無かった事にも出来ない。
  中途半端なのがいけないんだ。いっそのこと……。
  僕の中に、一つの、これまででもっとも大きな影響を世界に与えるだろう考えが定まりつつあった。麻黄

2013年9月3日星期二

ミリア

 ミリアというのか。
  遅れるくらいだから、やる気がないのか。
  あるいは戦闘向きではないのか。
 「なんで追い返されたんだろう」
 「バーナ語ですね」
  誰に言うでもなく疑問をつぶやくと、ロクサーヌが反応した。印度神油
 「バーナ語?」
 「はい。帝国の中東部辺りに住む獣人の話す言語です」
 「なるほど。ブラヒム語が分からないのか」
  この部屋に入ってきた奴隷商人はブラヒム語が分かる者は並べとブラヒム語で命じたのだ。
  ミリアは、命令は理解できなかったが、みんなが並んだのであわてて自分も並んだのだろう。
  空気の読める娘だ。
  空気が読めることは大切だ、と日本人としてはいっておきたい。
  というか、今までにも並ばない者はいた。
  ブラヒム語が分からないからと追い返された者は誰一人としていなかったのだから、並ぼうとするだけでもたいしたものではないだろうか。
  逆にいえば、ブラヒム語で命じてブラヒム語の分からない奴隷が命令どおりに動かなかったとき、罰を与えるようなことはしていないのだろう。
  そうでなければ、もっとびくびくして他人の動きに気を配るはずだ。
  おそらく、この奴隷商だけがそうなのではない。
  阿吽の呼吸で主人の意向を汲み取れ、みたいなことはやっていない。
  曖昧な態度でなく、はっきりと言葉で命令しなければいけないのだろう。
  俺はロクサーヌやセリーにちゃんと命令できているのだろうか。
  多分かなりの部分を補ってもらっているロクサーヌには感謝しなければならない。
  奴隷商の商館に来るたびに、自分のいたらなさを思い知らされるな。
 「すみません。彼女はまだここへ来て間がありませんので」
 「いや。別にいい」
 「それでは、ご覧いただけますか」
  奴隷商人の後をついて部屋の女性も見る。
  並んだ中には特にすごいという女性はいなかった。
  ミリアが一番に可愛い。
  この部屋だけでなく、商館全体で一番だ。
  商館全体での二番めは前の部屋にいた玉の輿狙いである。
  あれはどうなんだろう。
 「ロクサーヌはバーナ語が話せるのか?」
 「はい。私が住んでいたところで使われていた言葉もバーナ語でしたから」
 「セリーは」
 「私は話せません」
  ロクサーヌも獣人だからしゃべれるのか。
  狼人も猫人も一緒なんだろうか。
  ミリアの頭には三角形の小ぶりな耳が前の方を向いて立っている。
  コハク商のおっさん商人と同じだ。
  あれはネコミミだろう。
 「彼女は猫人族だよな」

  疑問を口にすると、ロクサーヌがミリアを呼び寄せた。
  何ごとか話す。
  ロクサーヌがちょっと困ったような表情を見せた。
 「何だって」
 「えっと。魚が食べたいそうです」
 「魚?」

  ロクサーヌがもう一度尋ねると、今後ははっきりとうなずく。
  猫人族で間違いないようだ。
  自分の種族より魚を食べることの方が大切か。田七人参

 「猫人族ですね。魚が食べられるなら喜んで働くと言っています」
 「魚かあ」
  どこまで魚が大事なのか。
  猫人族は魚が好きなのか。
  海女というジョブは初めて見たが、さすが海女ということだろうか。
 「この者がいかがいたしましたでしょうか」
 「一応、彼女との面談も頼めるか」
 「まだブラヒム語も解しませんし、罪を犯して売られてきた者ですが」
 「だめか?」
 「いえ。お客様がよろしいのであれば」
  奴隷商人がちょっといまいましそうな顔をしたのを、俺は見逃さなかった。
  ミリアは掘り出しものということだろうか。
  あるいはそれすらも奴隷商人の演技か。
  全部の部屋を見終わり、面談を行う。
  指名したのは三人。
  一人は、最初の部屋にいた顔もそれなりやる気もそれなりの女性だ。
  面談してみても可もなく不可もなくというところ。
  悪いとまではいえないかもしれない。
  もう一人は、綺麗だがやる気のなさそうな玉の輿狙いの女性だ。
  やっぱりやる気はなさそうだった。
  質問には一応答えたが、目が死んでいる。
  三人めがミリアだ。
  奴隷商人が呼び出すと、礼をして入ってくる。
  身長は、もちろんセリーよりは高いが、ロクサーヌより低い。
  百五十何センチというところだろうか。
  やせ型でスリムな体型。
  胸はそれなりにありそうだ。
  髪は、黒かと思ったが青みがかっている。
  濃紺か、かなり濃い群青色だ。
  顔はやや丸顔で可愛らしい。
  瞳がつぶらだ。
  頭にはネコミミが乗っていた。
  外側が髪の毛と同じで青黒く、内側に白い毛の生えた三角形のネコミミ。
  毛におおわれた柔らかそうな耳だ。
  いじりたい。
 「ロクサーヌ、通訳は大丈夫?」
 「はい。おまかせください」
  ロクサーヌの通訳で会話する。
 「えっと。まず魚なんだが、どのくらいの頻度で食べたい?」

 「三日に一度、いや五日に一度でいいそうです」
  毎日とかいってくるかと思ったが、それほどでもないのか。
  この世界でどれほど魚が食べられているのかは知らない。
  クーラタルには魚屋もあるし、売っていることは売っている。
  ロクサーヌやセリーが魚を料理しているところは見たことがないが。

 「十日に一度でいいそうです」
  要求下がったのね。
  ミリアが期待のこもった目で俺を見た。
 「ロクサーヌやセリーはそれでもいい?」
 「はい。嫌いではありませんので」
 「私も大丈夫です」
  魚を煮たりムニエルにしたりすることは俺がやっている。
  いまさら嫌いといわれたら困る。
 「そのくらいなら問題はない」
  ミリアにうなずき返してやる。

 「魚はいいぞ。そのまま塩焼きにして程よく油が落ちたところをかぶりつくのもいいし、旨みと水分が逃げないように小麦粉をまぶしてしっとりとムニエルにするのもいい。オリーブオイルでソテーしただけでもいけるし、オリーブオイルにワインを入れて煮込むのもいい。煮るのは、魚醤を使って浅く煮付けてもいいし、塩だけで煮込むこともできる。塩で煮込むと魚の出汁が合わさって、素朴で絶品な味わいだ」
  つられている、つられている。威哥十鞭王
  ロクサーヌが翻訳すると、ミリアが身を乗り出してきた。
  目が真剣だ。

 「是非主人になってほしいそうです」
  やっすいな。
 「料理はできるか」

 「おまかせくださいと言っています」
  この世界ではコンビニ弁当や外食が発達しているわけでもない。
  食べるだけという人種は多くないだろう。
 「毎日魚料理ばかりでも困るが」

 「大丈夫だそうです」
  ミリアだけに料理させるわけでもないし、大丈夫か。
 「迷宮に入るのも問題ないか」

 「迷宮で魚人もやっつけるそうです」
  魚限定かよ。
 「ブラヒム語は……まあ覚えなければ魚抜きといったら覚えるだろう」

  訳さなくていい、訳さなくて。
  ロクサーヌが訳すと、ミリアが親の仇敵を見るような目でにらんできた。
  迷宮に入っても大丈夫そうではある。


 「えっと。ご主人様は優しいので大丈夫だと説得しました」
  ロクサーヌがフォローしてくれたようだ。
 「そろそろよろしいでしょうか」
  ミリアが矛を収めると、奴隷商人が切り上げ時を告げてきた。
  了承すると、ミリアを連れて部屋を出て行く。
  わざといなくなってくれたらしい。
  部屋に三人だけ残されたので、相談タイムだ。
  ロクサーヌとセリーに印象を訊いてみる。
 「三人面談してみたが、どうだ」
 「二人めの人は危ないですね。迷宮で足を引っ張りかねません」
 「やっぱりそうか」
  ロクサーヌは綺麗だがやる気のない女はバツと。
  普通そう考えるよな。
 「……全員私より胸が……滅びればいいのです」
  セリーよ。貧乳は希少価値だという名言を知らないのか。
  下手に仲間を求めてはいけない。
  それよりも独立独歩の道を歩むべきだろう。
  怖いので言わないが。
 「一人めの女性は悪くないと思います」
 「悪くはない。が、よくもないというところか」
  セリーをおいてロクサーヌと話を進める。
 「えっと。ご主人様が好まれるのであれば」
 「まあロクサーヌやセリーの方が美人だからな。波乱を起こさないという点では悪くないかもしれん」
 「あ、ありがとうございます。三人めの女性はいいですね。猫人族ですし」
 「猫人族だといいのか」
  指摘すると、ロクサーヌが表情を変えた。
 「す、すみません。猫人族というのは、番つがいになっても相手にべったりとくっついたり、つきまとったりしない種族なのです。だから、毎日短い時間だけ相手をすれば、依存されることはないと思います」
  つまり、奴隷になってもミリアは俺にべったりくっついたりしないということか。
  残りの俺の時間はロクサーヌが独占できると。
  ロクサーヌなりにいろいろと考えているようだ。老虎油
 「ロクサーヌをないがしろにすることは断じてないが」
 「あ、ありがとうございます。集団での漁はしないので、パーティーで戦うことはあまり得意ではないようです。そこはきっちり教えなければなりません」
 「大丈夫か?」
 「はい。おまかせください。翻訳するのも問題ありません」
  ロクサーヌが問題ないというのなら問題ないか。
  しばらくすると、奴隷商人が戻ってきた。
 「いかがでございましょうか」
 「まずは三人の値段を教えてもらえるか」
 「最初の女は二十万ナールでございます。お買い得な奴隷かと存じます」
 「そんなものか」
  思ったより安い。
  それなりの女性なので値段の方もそれなりということなのか。
  というか、ロクサーヌやセリーが高すぎたのでは。
 「特別な技能などもございませんので。二人めの女は、五十万ナール。ご紹介いただいたお客様なので最大限勉強して、四十五万ナールとさせていただきます。見目麗しく、男なら誰もがほしがる商品でございます」
  美人だと値段も跳ね上がるようだ。
  いきなり五万ナールも値引いてくるあたり、相場なんかはあってないようなものなのだろうが。
 「やはり高いな」
 「三人めの女は、ブラヒム語などをきっちりと教えてオークションに出せば、六十万、七十万ナールに届いてもおかしくない逸材です。こちらも四十五万ナールとさせていただきましょう」
  オークションがあるのか。
  そこに出せば高く売れそうだから、目をつけられたくなかったと。
 「オークションに出しても高く売れるとは限らないし、その間の食費もかかるが」
 「それも含めての価格でございます」
 「ブラヒム語をこっちで教えるとなると手間もかかる」
 「教育前ということで、四十五万ナールとさせていただいております」
  奴隷商人が首を振る。
 「彼女は初年度奴隷か?」
 「もちろんでございます」
  今度は自信たっぷりにうなずかれた。
  売れ残りなんかではないということか。
  値引きの材料にはならないらしい。
  ミリアを値引かせるのは厳しそうか。
  そういえば、奴隷商人はミリアの欠点を語っていた。
 「罪を犯したと聞いたが」
 「……禁漁区で魚を獲ったのでございます。神殿近くで網を打っているところを捕まり、村で相談の上、奴隷に落とされました。それが彼女への罰であり、所有なされましても神罰などはないはずです」
  奴隷商人が弁解する。
  神域を冒したのか。
  伊勢神宮の禁漁区であった阿漕で漁をしたという話と同じだな。
  あこぎなやつだ。
  多分、この世界では神罰というのも恐れられているだろう。
  神域を乱した者がパーティーメンバーにいれば何か悪いことが起こると考えても不思議ではない。
  そこが彼女の弱みか。
 「神罰か……」
 「か、彼女は禁漁区の存在を知らなかったそうでございます。決して手癖の悪い女性ではございません」
 「高い金を払って神罰を呼び寄せてもな」
 「神罰などはないはずでございます。そうですね。では、最大限譲歩して四十万ナールといたしましょう。これ以上はまかりません」
  奴隷商人が値段を下げた。
  このくらいが限界か。
  オークションで高く売る自信があるなら、そう大きくは下げないだろう。
  実際には出してみなければ分からない水物だから、今確実に売れるのなら今売ってしまった方がいいとしても。
 「ミリアといったかな。分かった。それでもらうとしよう」
 「おありがとうございます」
 「後は遺言を変更したい。このセリーは俺の死後解放することになっている。ミリアは俺の死後セリーに相続させることにする」
  死が安い世界では死刑にも種類がある。
  日本の江戸時代がそうだ。
  切腹、磔、さらし首、のこぎり挽き。
  簡単には死なせないのが重い刑罰だ。
  主人が死んだときにデフォルトで奴隷も死ぬことになっているのは、ある種奴隷が主人を殺したときの刑罰だろう。
  ミリアが俺を殺すとしたら、セリーに相続させるのがより重い刑罰になる。
  少なくとも可能性としては。
 「遺言は三百ナールになりますが、よろしいですか」
 「かまわない」
 「それでは、その覚悟に敬意を表しまして、合わせて二十八万と二百十ナールにさせていただきましょう」麻黄
  まかりませんと言ったのに簡単にまけやがった。
  やっぱり商人は信用ならない。

2013年9月2日星期一

冷身

甘い陶酔境の中、恍惚感に揺られながら目覚めた。
  ロクサーヌの肌と産毛が心地よい。
  なめらかな手触り、程よい弾力、腕に押しつけられる確かな重み。
  思わずのしかかりそうになって、自重する。精力剤
  い、いかん。
  そういえば色魔をつけていたのだった。
  まあロクサーヌが腕の中にいれば、色魔をつけていなくても襲いかかりそうになるだろうが。
  俺が起きたことに気づいたロクサーヌが、自らキスしてきてくれる。
  こんなことをされると誘っているようにしか思えない。
  俺が命じたこととはいえ。
  柔らかな唇が接触し、湿り気のある吐息がかかった。
  お、落ち着こう。
  落ち着け。
  大丈夫だ。
  すぐに今夜は来る。
  昨夜は色魔をつけた。
  さすがに四人相手に色魔なしでは少し大変だ。
  しかし色魔をつけると、四回では物足りない。
  悩ましい問題だ。
  もっとも、余裕があるところを見せておくことも大切だろう。
  将来のために。
  まだまだメンバーが増えても大丈夫だと分からせるために。
  物足りないくらいがちょうどいい。
  足りない分はロクサーヌの舌をねぶって補充する。
  あやすように動くロクサーヌの舌に追いすがり、吸いついた。
  なめ尽くす勢いで絡ませる。
  心ゆくまで味わってから口を放した。
 「おはようございます、ご主人様」
 「おはよう」
  ロクサーヌを解放し、次はセリーへ。
  まだまだ愉悦は終わらない。
  小さくて可愛らしいセリーの口もたっぷりと堪能して、唇を離す。
  少し待つと、ロクサーヌと場所を入れ替わったミリアがキスしてきた。
  部屋の中はぼんやりと薄暗いが、ミリアなら自在に動ける。
  奔放に動くミリアの舌を楽しむ。
  じっくり絡ませあってから、口を放した。
 「おはよう、です」
 「おはよう」
  ミリアが終わって少し待ったが、ベスタはキスしてこない。
  あれ、どこにいる。
  ベッドは、二つ重ねて倍の広さにしているので、十分な大きさがある。
  ベスタが入っても余裕がある。
  風呂桶の方は、ベスタも入るとさすがに狭かった。
  芋を洗う状態だ。
  ロクサーヌやベスタとお湯の中でべったりくっついて。
  もちろんそれがいい。
  ベッドの中でベスタがいるだろう辺りにゆっくりと腕を伸ばす。
  まだ寝ているんだろうか。
  いた。
  ここだ。
 「つめた」
  身体に触れ、手を引っ込める。
  裸で寝ているベスタの身体が冷たかった。
  ひんやりとしている。
  え?
  生きてんの?
  まさか。
  死んだ?
 「竜人族だから、朝は冷たいはずです」
 「そうなのか?」
 「はい」
  セリーが教えてくれる。
 「……おはようございます、ご主人様」
 「おはよう」
 「すみません。朝は少し弱くて」
  ベスタも起きたようだ。
  ちゃんと生きている。媚薬
 「身体が冷たいけど、大丈夫か」
 「はい。温度が高い日は、夜の間に熱を失って冷たくなります。目覚めればやがて温かくなるので大丈夫です。逆に温度の低い日は、寝ている間にこごえたりしないように身体が熱くなります。朝になると疲れてぐったりするほどです。竜人族は深夜早朝は弱い種族なのです」
  竜人族というのもなにかと大変らしい。
  単に中二感溢るるかっけー人たちというわけではなかった。
  ベスタが身体を起こし、俺に触れてくる。
  ひんやりしたベスタの身体が心地よい。
 「動いても大丈夫か。無理はするなよ」
 「はい。少し冷たいかもしれませんが」
 「それは問題ない。というより、むしろ嬉しい」
  夏至を過ぎて気温も上がってきている。
  ベスタの冷えた肌が気持ちよかった。
  肌をさすって温めてやる。
  夜の間に冷たくなるというベスタは、実は最高の抱き枕ではないだろうか。
  夏になってこれからさらに暑くなっていけば、ベッドで一緒に寝るのが不快になることもあるだろう。
  ベスタがいれば杞憂に終わる。
  しかも、気温が低い日には逆に熱を持つという。
  夏は氷枕。冬は湯たんぽ。
  もはや手放せないかもしれない。
  ベスタが唇を重ねてきた。
  俺の口が吸われ、舌が差し込まれてくる。
  清涼な舌が積極的に動き回った。
  熱を持った俺の口の中を隅々まで愛撫し、俺の舌に絡みつく。
  四人の中でも一番の積極さだ。
  先輩奴隷からこうするものだと教わったらしい。
  先輩奴隷には本当にありがとうと言いたい。
  唇を併せながらベスタの背中に手を回した。
  大柄で抱えきれないほどだ。
  だがそれがいい。
  涼しげなベスタの身体を抱き寄せる。
  身体が大きすぎたのでネグリジェは着ていない。
  胸板の間で巨大な肉塊が。
  ベスタは、舌も胸もたっぷり暴れ回ってから、離れていった。
 「いかがでしたでしょう。こうすればいいという話でしたが」
 「素晴らしい」
 「ご主人様の体が温かくて気持ちいいです。まだ慣れないので巧くないかもしれませんが、これからがんばります」
  これ以上にまだがんばるというのか。
  先々が楽しみだ。
  ベスタが離れると、ミリアがシャツを着せてきてくれる。
  ミリアの助けを借りて、装備を整えた。
 「ベスタも着替えは大丈夫か」
 「はい。終わりました」
 「じゃあそろそろ行くぞ。ベスタもついてこいよ」
 「はい」
  寝室からハルバーの十八階層に飛ぶ。
  毎朝のことだから慣れている三人に加え、ベスタもちゃんとやってきた。
 「早朝だけどベスタは動けるか」
 「もう大丈夫だと思います」
  迷宮の小部屋で、盾や帽子、魔結晶を配る。
  ベスタにも木の盾や予備の黒魔結晶を渡した。
  ベスタの装備品はとりあえずあまりもので勘弁してもらおう。
 「あと、ベスタはこの鋼鉄の剣を使ってくれ」
 「ご、ご主人様の剣ではありませんか。よろしいのですか」
 「俺は別のを使うから」性欲剤
 「は、はい」
  腰から取った鋼鉄の剣をベスタに渡す。
  ベスタは、両手剣である鋼鉄の剣を右手一本で、木の盾を左手に持った。
  確かに、大柄なベスタが持つと両手剣だろうと片手で軽々と振れそうだ。
 「そういえばセリー、大盾って作れるか」
 「竜人族が使う盾ですね。今の私では作れません。板よりももっと強い素材が必要です。鋼鉄とかダマスカス鋼とか」
  やはり今のセリーでは作れないようだ。
  鋼鉄で作るとなると、ロクサーヌが使っている鋼鉄の盾と同等かそれ以上の品になるのだろう。
  無理に手に入れることもないか。
 「右に行くと数の少ない魔物が、左に出た方が多分大きな群れになると思いますが、どうしますか」
 「左でいいだろう。最初なので、ベスタはしばらく安全な位置から見学な」
  ロクサーヌの案内で迷宮を進む。
  ロクサーヌが先頭に立ち、ミリア、ベスタと続いた。
  俺の後ろからセリーが殿でついてくる。
 「あの。ロクサーヌさんは魔物のにおいがお分かりになるのですか」
 「はい。ご主人様に役立ててもらっています」
 「すごいです」
  ロクサーヌとベスタが会話していると、魔物のいる場所に到着した。
  フライトラップが三匹に、ケトルマーメイドとクラムシェルが一匹ずつだ。
  フライトラップから倒すために、まずは火魔法をお見舞いする。
  ファイヤーストームと念じた。
 「セリー、ミリア、来ました。ベスタは少し下がってください」
  ロクサーヌの命で三人が陣を作る。
  ロクサーヌが中央先頭で待ちかまえ、セリーが左、ミリアが右に立った。
  火の粉が舞う中、ベスタは一歩下がり、俺の横に来る。
 「水が飛んでくることもあるから、気を抜かないようにな」
 「はい」
  特にロクサーヌの後ろは危険だ。
  俺とベスタは、二列めでやや離れて並んだ。
  火が収まったころあいを見計らい、二発めのファイヤーストームを念じる。
  続いて三発め。
 「来ます」
  ロクサーヌが宣言すると、俺とベスタの間を水が飛んでいった。
  やっぱり後ろにいなくて正解だ。
  魔物が前線に到着して襲いかかってくる。
  フライトラップが二匹にケトルマーメイドだ。
  フライトラップの攻撃をロクサーヌがなんなく回避した。
  かわしながらエストックで突く。
  水を放ったフライトラップが遅れて前線に参入した。
  クラムシェルは後ろにまわるようだ。
  後ろから水を吐いてくるということだろう。
  案の定、倒す途中で水を吐いてきた。
  ロクサーヌがきっちりとかわす。
  フライトラップ二匹の攻撃を引き受けながら、後列からの攻撃もあっさりと避けて見せるのか。
  相変わらず恐ろしい。
  さらに火魔法を重ね、フライトラップを焼き尽くした。
  残ったクラムシェルとケトルマーメイドにロクサーヌとミリアが一対一で対峙する。
  セリーは一歩下がり、詠唱中断のスキルがついた槍でにらみを利かせた。
  サンドストームを休みなく撃ち続けて、二匹も片づける。
  あまり攻撃を浴びることなく、魔物の群れを倒した。
 「すごい。みなさんすごいです」
  ベスタがはしゃいでいる。女性用媚薬
 「まあこんなもんだ」
 「魔法を使うとこんなに早く魔物を倒せるのですね。私たちが戦っていた弱い魔物ならともかく、もっと時間がかかるかと思いました」
 「そうだな」
  そういえば、ベスタは迷宮ではなく近くに出た魔物と戦ったと言っていた。
 「特にロクサーヌさんは驚異的です。すごかったです。参考にさせてもらいます」
  ベスタがドロップアイテムを拾いながらロクサーヌの横に行く。
  あれは参考にならん。
 「ありがとうございます」
 「どうやったらあんなに動けるのでしょう」
 「魔物の動きをよく見れば大丈夫です。腰を使ってバッと避けます」
  ロクサーヌが身振りで示した。
 「腰を使って、ですね」
 「そうです。バッ、です。魔物がシュッと動いたときに、シュッ、バッ、バッ、と」
 「が、がんばります」
  ベスタが微妙な表情でうなずく。
  ベスタは常識人のようだ。
  せいぜいがんばってくれたまえ。

  見学は、ベスタが村人Lv5になるまで続けさせた。
  早朝のうちにLv5になったのだから、たいしたものだろう。
  俺が村人Lv5になるにはそれなりに時間がかかった。
  条件がまったく同じではないが、十八階層の魔物は経験値が増えていると考えていい。
  村人Lv5、農夫Lv1、探索者Lv1、薬草採取士Lv1。
  ただ、ベスタが所有しているジョブは少ない。
  探索者も薬草採取士も今日取得したジョブだ。
  戦士や剣士が出てこないところを見ても、あんまり鍛えられていない。
  盗賊がないのは感心だが。
 「現状、迷宮ではこんな風に戦っている」
 「はい。みなさんさすがです」
 「そろそろベスタにも戦ってもらおうと思う」
 「は、はい。大丈夫だと思います」
  多少緊張しているようだが、意気込みはありそうか。
  ハルバーの一階層にダンジョンウォークで移動する。
  しかしここで恐れていた事態が。
  一階層の魔物は魔法一発で沈んでしまった。
 「この間行ったところだし、十階層から始めても大丈夫だろうか」
 「十階層はさすがに厳しいかもしれません。一撃でやられることまではないと思いますが」
  セリーに確認する。
  十階層なら、この間暗殺者のジョブを得るときに行って魔法一発で倒せるぎりぎりの数値が分かっているから楽なのだが。
  さすがに十階層はないだろうか。
  ミリアのときには確か八階層からだったが、ミリアには海女のスキルである対水生強化があった。
  もっとも、村人Lv5まで上げているし、今回はミリアの海女Lv33の効果である体力中上昇がプラス加算されているはずだ。
  パーティーメンバーは四人より五人の方が有利である。
  十階層でもいけなくはない気がするな。
  一階層ずつ試していくのは大変な上、ハルバーの迷宮は二階層から九階層までは行ったことがない。
  クーラタルに飛ぶのも少しは面倒だ。
 「これで駄目だったら十階層も考える」
  武器をひもろぎのロッドから鉄の剣に持ち替える。
  次に出てきたチープシープは、ちゃんと魔法二発で倒れた。
  さすがに知力二倍の効果は大きいのか。
  ボーナスポイントを知力上昇に振って、一撃でぎりぎり倒せるところを探っていく。
 「次はこっちですね」
 「よし。ベスタ、次に魔物が一撃で倒れなかったら、剣で倒せ」
  ベスタに言い含めて、魔法を放った。
  こういうときにはやっぱり一撃で倒れてしまうのは、ご愛嬌だ。
  その次の魔物は生き残る。
  ベスタが鋼鉄の剣を振りかざして駆けていった。
  大柄なだけにさすがの迫力だ。
  魔物なら恐怖は感じないだろうが、対人戦なら圧倒的な戦力になるな。
  二メートル以上ある戦士が剣を振りかぶって斬り込んでくるのは怖い。
  ベスタが上段から鋼鉄の剣を振り下ろした。
  チープシープも負けじと突進するが、ベスタは盾で軽々と受け止める。
  魔物はかなり勢いよく突撃したように見えたが、片手一つで完全に力を受け殺した。
  横からなぎ払い、再度の突進を盾で受けとめる。中絶薬
  魔物が立ち往生したところに、剣を突き立てた。
  チープシープが倒れる。