恋愛観とは恋愛に対するモノの見方の事である。
人がそれぞれ違うように恋愛観もまた違う。
恋愛の価値観。
男女において、それは大きく異なると言われている簡約痩身。
人は恋をする事で幸せになれる。
そんな綺麗事、といわれればそれまでかもしれないが俺はそんな世界を信じていたい。
「……恋愛について?」
夜中に俺の部屋に訪れた妹から突然、俺は相談された。
麗奈はどこかぎこちない様子を見せて、俺のベッドのうえに座り込んだ。
「まぁ、端的に言えばそうですね」
「また珍しい。麗奈から今まで一度もされたことのない相談だな」
「……別に相談なんてたいそうなものじゃありませんから。聞いてみたいと思っただけです。深い意味は一切ありません」
実は俺の事が好き……とか言う展開ではないらしい。
麗奈から聞かされたのは『男はどういう恋愛を好むか』という質問だった。
また何かテレビの影響でも受けたのだろうか。
しかし、こうして俺の事を頼りにしてくれる事は嬉しい。
「うーむ。どういう恋愛か。麗奈は男の恋愛ってどういうものだと思う?
「……そうですね。自分勝手、というイメージがありますね。自分勝手な言葉や態度。それに加えて綺麗事ばかり並べて、自分のしている事はしょうがないって簡単に裏切ったり、女の子の事なんて気にしたりしないでしょう」
「え?ええ?」
もしかしてそれは俺の事でしょうか?
それとも麗奈は誰かに裏切られたりしたのか?
そんなことをした奴はもちろん、生かしてはおけん!
「何かドロドロした恋愛ドラマとかじゃ、そういう展開が多いでしょう?」
「それはただ単に昼ドラの見すぎだとお兄さんは思うのです」
ドラマの話か、ホッとするような、それでいて不安になるような。
うちの大事な妹があんなの見ちゃ教育的にとても悪影響が……。
できる事なら麗奈には久遠のような小悪魔ではなく、春雛のような天使になって欲しいと思う兄心、はぁ、この子はいろいろと影響受けやすいからな。
俺は椅子から立ち上がり、妹の横に座りこんでいう。
「麗奈はどういう男が好きなんだ?」
「優しい人ですね。包容力があって私を安心させてくれる人」
「俺みたいな?」
「お兄さんのどこが安心させてくれるんですか」
麗奈に真顔で言い切られました。
おかしいなぁ、こんなに優しくしているのに好感度ゼロなんて。
えへへ、お兄さん、別にショックじゃないよ。
泣いてなんか、ないからね、ぐすっ、えぐっ。
俺の心をこんなにも揺さぶるなんて罪な女の子だよ、本当にV26Ⅳ美白美肌速効。
「男は……強いようで弱いからな」
「え?」
「心の問題。男ってさ、女の子みたいにラブでロマンスな気持ちになっても、それを表現しづらいじゃん。だから、女の子の目から見たら自分勝手やマイペースに見えるんだろうけれど、本当は優しくしたいとか思ってるんじゃないのか」
皆が器用なわけじゃない、感情を表すのが不器用な男もいる。
実は男の方が愛情と言う意味では強い気持ちを抱く事が多い。
確かにそれは周りから見れば多少は荒く見えるかもしれないけれど。
だから、一概に自分勝手だとか決め付けないで欲しいんだ。
俺はきょとんとした様子の妹に微笑みながら、
「ロマンチスト、って男のための言葉だと思わない?」
「……そうかもしれませんね」
俺の言葉にくすっと笑う妹。
可愛いなぁ、やっぱり俺の天使は彼女だけさ。
あはは、マイシスターらぶり~。
「お兄さんみたいな人もいますしね……好き好き言ってうざいと思われるタイプ」
「ぐはっ……!?」
真面目な話をしているのに、この仕打ちは何でしょうか。
それにしても麗奈も思春期と言う奴なのだろうか?
自分からこうして恋愛についての価値観を話すようになるなんて。
うぅ、お兄さんとしては心配なのですよ。
ま、まさか、俺にこういう風に尋ねてくるということは。
「麗奈は誰か気になる相手とかいたりするのか?」
「……いえ、まったくいませんね。男に興味は抱いてません。そう言うのはまだ早いと私自身思ってますから。焦って恋をしても意味ないでしょう」
「俺なんてどう?年中、隣は空いてますよ?」
「心配せずともお兄さんを選ぶなら私は同性愛を選びます」
今の俺の心境は雷に打たれて死にそうなぐらいに衝撃を受けていた。
まさかの同性愛宣言、妹が“百合”の世界の住人になってしまうかもしれない。
あ、ちなみに百合っていうのは女性同士の恋愛の意味ね。
それがマジなら俺は……俺は断固として認められない。
この世知辛い現実、そんなある意味ヤバい世界に突入させてなるものか。
「お兄ちゃんは世界で一番優しいぞ。俺と付き合えばきっと麗奈を幸せにしてみせる。さぁ、カモンっ。いつでも年中無休で24時間、受付中だぞ」
「嫌です。男なんて優しいフリして狼なんだって久遠さんが言ってました」
……ええいっ、俺の妹に悪影響を与える諸悪の根源はやはり久遠か。
麗奈だけは汚れを知らない純情無垢な天使のままでいてくれ。
「ち、違いますよ。俺は狼じゃない。俺はそんなひどい奴なわけがないじゃないか」
「……そういうお兄さんは恋をしたことがあるんですか?」
「今、恋をしているのだよ。目の前の義妹に……い、痛いっ!?足を踏むのは禁止だ、地味に痛いから!しくしく、ホントのことなのに」
冗談いうとつま先で踏んでくるから痛いのだ。
ちょっと暴力的になり始めてきた思春期の義妹です。
「前に素直さんから聞いたんですけど、お兄さんって1年前に付き合っていた人がいたそうじゃないですか。素直さんは詳しくは教えてくれませんでしたけど、どういう相手だったんですか?聞いてみたいですね」
その事を聞かれるのは非常に気まずいのだ。
なぜなら、俺の元交際相手はあの最悪幼馴染の久遠なのだ。
そりゃ、散々当時、猛反対してた素直が喋るはずがない。
俺達の破局を最も喜んだのは素直だった男根増長素。
『私だけのお兄ちゃんでいてね』
あの時の素直は可愛かったが、あそこの姉妹はホントに仲が悪すぎるな。
「……まぁ、企業秘密ということで」
「どこの企業ですか。公開を求めます」
「えっと、教えたくないのにはそれなりに事情があるってことですよ。麗奈、いいだろう?俺にだって人に話せない事くらいあるよ」
あまり過去の久遠との話はしたくない。
なぜなら、思いだしても悲しくなるだけだ。
あれは恋なんかじゃなかった、俺達は恋に恋をしていただけなのだから――。
「教えてくれないなら、由梨さんにでも聞きます」
「うぐっ。ちょい待って。このこと、由梨姉さんは知らないだってば」
「そうなんですか……?」
その頃、すでに彼女は我が家で暮らしていたが、久遠との関係は知らないはずだ。
俺の姉的存在である彼女に知られるのは非常に避けたい。
「……それなら、教えてください。他言無用としておきますから」
かなり興味を持たせてしまったようだ。
その瞳が俺を真っ直ぐに見つめてくる。
出来ればその視線、別の機会にして欲しかった。
「こう言うことって、他人にどうこう言うべきじゃないだろう」
「私はただ知りたいだけです。教えてくれてもいいじゃないですか。どうせ、お兄さんの事だからどうして別れたのか想像もつきます。女の子にコスプレさせすぎて『私は着せ替え人形じゃないって』怒られてフラれたんでしょう」
「うぐっ。俺はそんな変態じゃない。人の気持ちをよく理解できる優しい男の子なんです。それにコスプレだって無理やりさせたりはしないから」
「到底、信じられませんね。お兄さんの部屋に女の子用のクローゼットがあると知った時、ドン引きしましたもん。初めは女装趣味のある危ない人だと本気で警戒してました。まさか着せるのが趣味なアレな人だと知った時も引きましたけど」
……俺の好感度ってホントに上がる要素がゼロなんですね。
泣くのも疲れて、ちょっと自分の人生を振り返りたくなります。
コスプレ好きな人ってそんなに世間で悪な存在なのですか?
俺は冷や汗をかきながら麗奈にどんどんと追い詰められていく。
「教えてください。隠してもいいことなんてありませんよ。どんなに間抜けで情けない話でもいいですから。他人の恋の話を聞きたいんです」
「言っておくけど、話しても面白くないよ?」
「構いませんよ。大した話が聞けると期待なんてしてませんから」
うぅ、そんなに顔を近づけられてもお兄さん困るよ。
このままキスでもして、逃げるっていうのはどうだろう?
『やだっ、もうっ。お兄ちゃんってば積極すぎ』
軽く触れた唇を押さえる妹、少し不満気に唇を尖らせて。
『そんな不意打ちしなくても、いつでも歓迎しているのに』
……いかん、妄想は最高だが、時と場合を考えねばならない。
気がつけば俺はベッドサイドの端に追い込まれていた。
話をしないと逃げられない。
ていうか、麗奈もそんなに俺の恋に興味があるのか。
「分かったよ、麗奈が俺にキスをしてくれたら話してやろう」
「……命の保証はしませんけど?」
「すみません、冗談です。分かったよ、話せばいいんだろう……はぁ」
妹の問い詰めに根負けした俺は自分の過去を語り始めることにした。
あれは1年前のまだ暑い初夏の日々の記憶、俺と久遠は幼馴染のラインを越えた――男宝。
2013年7月29日星期一
2013年7月26日星期五
過去の記憶
唯羽の手作り料理がまさか和歌以上だったとは……。
お昼ご飯をつくってもらったが、想像以上の美味しさに驚愕した。
……自分のためには作らないってもったいない腕前だ。
その後、唯羽を連れて俺は椎名神社に戻っていた。三体牛鞭
俺達は街を歩こうとしたのだが、途中で偶然にも唯羽の妹達に出会ってしまったのだ。
遊びに出ていたらしく、2人とも歳はまだ子供なのに将来が楽しみな超絶美人だった。
『唯羽姉さんが昼間から外に出てる……そんなのありえないわ』
『えーっ。お姉ちゃんが!?これから雨が降るの?私、傘を持ってきてないよ』
平気で妹達にそんな事を言われる唯羽がちょっとかわいそうだった。
そのあとも、『あの唯羽姉さんが男を連れてる!?冗談でしょ?』など、と騒がれたため、恥ずかしさに負けた唯羽が敵前逃亡の如く、神社まで逃げてきたのだ。
「くっ、妹達め。この私を何だと思っているんだ。恥ずかしい」
「お前でも恥ずかしがるんだな。それにあの子達も可愛い妹たちじゃないか」
「どこがだ。見た目はアレだが、私の妹だぞ。性格は悪いんだ」
「んー、俺には挨拶もきっちりしてくれたし、良い子たちだと思うぞ」
真ん中の妹、中学2年の美羽(みわ)ちゃんは礼儀正しく「うちの姉がお世話になってます。自堕落な人ですけど、見捨てずに仲良くしてあげてください」と挨拶された。
末妹の日羽(ひわ)ちゃんは小学生らしく可愛らしい笑顔で「お姉ちゃん、ネトゲは卒業できたの?早く卒業して帰ってきて」と姉の心配をちゃんとしていた。
二言目には「ネトゲがしたい」、「私の人生の邪魔をするな」と文句ばかり言う姉の唯羽よりも全然、いい子達でした。
「それにしても、妹達も名前に羽がついてるんだな?」
「空も飛べないのに、名前に羽なんて共通点を持たすなど、我が親の名前センスを疑う」
「可愛いからいいじゃないか。女の子らしい名前だな」
「どこがだ。私の真名、貴夜沙凛(キャサリン)の方が可愛いだろ」
「――それだけはないと全力で否定しておこう」
もう外には出たくないと唯羽がごねるので、俺たちは椎名神社を散策する。
今日も神社は縁を求める人々でにぎわっている。
「さすがに土日だと人も多いな。しかも、女の人ばかりだ」
「縁結びの神に祈る奴らの多いこと。神に祈るより、地道に合コンでもしろ」
「はぁ……唯羽さんよ、それは禁句だ」
ホントに唯羽って根もふたもない事を言うよな。
神社の娘なのに少しはらしくしろ。
「唯羽は人の魂の色が見えるんだよな?」
「それがどうした?探ろうと思えば人の魂で何となく、相手の事も分かる」
「例えば、あの子とかどうなんだ?」
「あまり人のプライバシーを覗くのは嫌いなんだがな」
神社を参拝しているのは女子高生っぽい女の子のグループだ。
3人組の子達を唯羽はジッと見つめる。
やがて、分かったのかそれぞれの子について話しだす。
「右端の子は最近、彼氏と別れた。真ん中の子は幼馴染に恋をしている。左端の子は……いわゆる、百合って言うのか、同性である女の子が好きらしい。右端の子が失恋しているのを機に狙おうとしている。こういう恋愛の形もありか」
「ナンデスト!?そこまで分かるのか?」
「問題はここからだ。3人とも後ろに人ならざるものが憑いてる。最近にでも心霊スポットに行ったのか?あんな場所に興味本位で行くとはバカだな。憑かれている状態では恋愛どころではないぞ」
「――お、お祓いして~っ!?」
その後は責任を持って宮司のおじさんに相談するように彼女達に言いました。
唯羽はホントにそう言う力があるのだろうか。男宝
その後は唯羽と共にご神木のある方向へと歩き出す。
そこは俺は近付かない方がいいと警告されている場所だ。
どうしても、そこに行って話がしたいのだと言う。
「唯羽。本当にいいのか?」
「別に私がいれば大丈夫だ。いざという時は引っ張ってやる」
「お前の場合、その手を離しそうで怖い」
「そうかもな。いざという時のためにも、私に媚を売っておいて損はないぞ?」
自分で言うなよ。
今度、お菓子の差し入れでもしておこう。
人間、何事も、相手の袖の下に……が大事だと思います。
「……唯羽、まだ俺はここに近付いちゃいけないのか?」
「今はまだ、何も解決していない。死にたければどうぞお好きに」
「縁起でもない事を。まだ……どういうことだ?」
唯羽と共に訪れた石碑の前で立ち止まる。
今日は何人かの参拝客らしき人も見える。
普通にしていれば、ちょっとしたパワースポットなのだ。
「古い木だねー、樹齢は何年くらいかなぁ?」
前にいる女の人達が楽しそうに笑う。
数日前に俺が引き込まれた場所だとは思えない。
「そういや、和歌がこの場所がお気に入りだって言っていたよ」
「あの子にとってはこの場所は安心できる場所なんだ。ヒメの魂、つまりは紫姫に縁のある場所ゆえな」
唯羽は誰もいなくなったのを見計らってさらに奥へと進む。
石碑の裏にはさらに森へと続く道があった。
「こんな道があったのか?知らなかった」
「ここから先は絶対に普段は近付くな。……柊元雪、手を差し出せ」
「へ?あ、あぁ?」
俺は手を差し出すと、その手を唯羽は握り締める。
「こうしておけば引き込まれない」
「確信を持って言えるのか?」
「……」
お願いだから、黙り込まないで!?
不思議な雰囲気のする森。
ジメっとした空気が肌にまとわりつく。
唯羽と共に奥へと足を踏み出す。
「奥には何があるんだ?」
「ついてくれば分かる」
あまり何も語ろうとしない唯羽。
会話も少ないので不安だけが倍増していくぞ。
「前に唯羽が俺を助けてくれた時があるじゃないか。その時に鈴の音がしたんだが、アレって何だろう?俺の空耳?」
「いや、これの事だろう?」
唯羽が取り出したのは以前に部屋で見た鈴だった。
「それだよ、それ。なんだ、それは?」
「人が引き込まれるときに、どうすればいいか。意識を目覚めさせればいい。例えば、寝ている時に目覚まし時計の音があれば人は起きるだろう?それと同じだ。この鈴の音色がお前の意識をこちらに引き戻した」
目覚まし時計と一緒って……そんな単純な原理だったのか。
確かに抗えないものに支配されている時はそう言うのも有効かもしれないが。
「それって、やっぱり特別なものだったりするのか?」
「いや、霊験あらたかな“魔よけの鈴”と言う風に見えてただの鈴だ。お値段500円(税込)。椎名神社の売店で販売してる。月に数十個は売れているようだぞ」
「マジッすか!?」
「ただの鈴に祈願をしただけなのに、『出会いを招く鈴』という肩がきをつけられている。神社とはホントにぼったくり商売だよ。私はそういうセコイ所が嫌いだ」
「だから、唯羽はもっと神社側に立って発言してくれ」
この子は本当に神社側の自覚がないのが怖い。男根増長素
そんな雑談をしながら歩くと、道の行き止まりまでくる。
「ここだ。連れてきたかったのは……」
「なんだ?ただの開けた場所でしかないぞ?」
「……地面を見てみれば分かる。何かが焦げたあとが見えないか?」
言われてみれば風化はしているが、地面には消し炭のような感じが残っている。
「今から10年前だ。ここには大きな社があった。だが、火災により焼失している」
「和歌から聞いていたが、ここにあったんだな」
「……10年前の不審火。怪しいとは思わなかったか?火の気もないこの場所で、なぜ火災が起きたのか。その理由は……お前の記憶だけが知っている」
唯羽が俺の方を見上げて、真顔で呟く。
綺麗な顔つきに思わず見とれる。
「……俺の記憶?」
「そうだ。思い出せないだろうが、お前は10年前にもここにきている。まだ社があった頃にな。そして、火災のあった日、私は柊元雪をここで発見した」
「え……?ど、どういうことだよ?俺が放火したとでも?」
「そんなことは言ってない。子供だったお前は、ここで何かを見たはずだ」
何かを見たって……?
俺は数日前の幻覚を思い出す。
「炎の記憶と、睨みつける女の人――?」
「幻覚を見たと言ったな。私はお前の幻覚がどういうものかは分からないんだ。魂の色を見ても、何も分からない。お前の過去に、何があったのかは知らない」
唯羽にも分からない事があるのか……そりゃ、そうだよな。
「だが、私が知っている事はひとつある。それは10年前、燃え盛る社の中で私はお前の叫ぶ声を聞いた。なんとか中に入った時にはお前は意識を失う寸前で倒れていた。そのまま、炎の中から救出したのは私だ」
「お、おい、ちょっと待ってくれ?俺が炎の中にいたのか?」
「そうだ、お前はここにいたんだ。どうしてかは分からない。それから先、お前は記憶を失い、この神社にも無意識に近づくのをやめたからな。それなのに、今になって呼ばれるようにこの神社にお前は縁を作った。それに私は興味がある」
唯羽が助けてくれなければ俺は死んでいた?
この今は何もない焦げ跡がかすかに残るこの場所で――。
「火災理由も分かっていない不審火。そこでお前は何を見たんだ?」
「わ、分からない……俺は何も覚えていない」
「何か思い出せないか?それが思い出せれば、私にも対処ができる」
「……すまん。何一つ、思い出せないんだ」
この場所の記憶すらもないのだ、社があった記憶さえも。
「なるほどな。記憶障害……これも、やはり“呪い”なのか」
彼女はポツリと小さく呟く。
「は?呪い?呪いってなんだよ?」
俺が思わず唯羽の肩を押さえて尋ねた時だった。
「あっ……!?」
唯羽がいきなりバランスを崩すように俺にもたれかかってくる。
はじめは何かの冗談かと思いきや、何か様子がおかしい。
「お、おい、唯羽!?」
「……違う、私は……私はっ……」
頭を押さえ込むように苦しむ彼女はそのまま、力なく足から崩れた。
「うぅっ……ぁっ……!」
「ゆ、唯羽!?お、おいっ!?しっかりしろ、唯羽っ――!?」
かつて社があったその場所で、顔色を青ざめさせて唯羽が倒れた。
俺の過去、その10年前に何があり、俺は何を見たのか。
体調を崩し倒れた唯羽がここが尋常ではない事を証明しているV26Ⅳ美白美肌速効。
ここで一体、何があったっていうんだよ!?
お昼ご飯をつくってもらったが、想像以上の美味しさに驚愕した。
……自分のためには作らないってもったいない腕前だ。
その後、唯羽を連れて俺は椎名神社に戻っていた。三体牛鞭
俺達は街を歩こうとしたのだが、途中で偶然にも唯羽の妹達に出会ってしまったのだ。
遊びに出ていたらしく、2人とも歳はまだ子供なのに将来が楽しみな超絶美人だった。
『唯羽姉さんが昼間から外に出てる……そんなのありえないわ』
『えーっ。お姉ちゃんが!?これから雨が降るの?私、傘を持ってきてないよ』
平気で妹達にそんな事を言われる唯羽がちょっとかわいそうだった。
そのあとも、『あの唯羽姉さんが男を連れてる!?冗談でしょ?』など、と騒がれたため、恥ずかしさに負けた唯羽が敵前逃亡の如く、神社まで逃げてきたのだ。
「くっ、妹達め。この私を何だと思っているんだ。恥ずかしい」
「お前でも恥ずかしがるんだな。それにあの子達も可愛い妹たちじゃないか」
「どこがだ。見た目はアレだが、私の妹だぞ。性格は悪いんだ」
「んー、俺には挨拶もきっちりしてくれたし、良い子たちだと思うぞ」
真ん中の妹、中学2年の美羽(みわ)ちゃんは礼儀正しく「うちの姉がお世話になってます。自堕落な人ですけど、見捨てずに仲良くしてあげてください」と挨拶された。
末妹の日羽(ひわ)ちゃんは小学生らしく可愛らしい笑顔で「お姉ちゃん、ネトゲは卒業できたの?早く卒業して帰ってきて」と姉の心配をちゃんとしていた。
二言目には「ネトゲがしたい」、「私の人生の邪魔をするな」と文句ばかり言う姉の唯羽よりも全然、いい子達でした。
「それにしても、妹達も名前に羽がついてるんだな?」
「空も飛べないのに、名前に羽なんて共通点を持たすなど、我が親の名前センスを疑う」
「可愛いからいいじゃないか。女の子らしい名前だな」
「どこがだ。私の真名、貴夜沙凛(キャサリン)の方が可愛いだろ」
「――それだけはないと全力で否定しておこう」
もう外には出たくないと唯羽がごねるので、俺たちは椎名神社を散策する。
今日も神社は縁を求める人々でにぎわっている。
「さすがに土日だと人も多いな。しかも、女の人ばかりだ」
「縁結びの神に祈る奴らの多いこと。神に祈るより、地道に合コンでもしろ」
「はぁ……唯羽さんよ、それは禁句だ」
ホントに唯羽って根もふたもない事を言うよな。
神社の娘なのに少しはらしくしろ。
「唯羽は人の魂の色が見えるんだよな?」
「それがどうした?探ろうと思えば人の魂で何となく、相手の事も分かる」
「例えば、あの子とかどうなんだ?」
「あまり人のプライバシーを覗くのは嫌いなんだがな」
神社を参拝しているのは女子高生っぽい女の子のグループだ。
3人組の子達を唯羽はジッと見つめる。
やがて、分かったのかそれぞれの子について話しだす。
「右端の子は最近、彼氏と別れた。真ん中の子は幼馴染に恋をしている。左端の子は……いわゆる、百合って言うのか、同性である女の子が好きらしい。右端の子が失恋しているのを機に狙おうとしている。こういう恋愛の形もありか」
「ナンデスト!?そこまで分かるのか?」
「問題はここからだ。3人とも後ろに人ならざるものが憑いてる。最近にでも心霊スポットに行ったのか?あんな場所に興味本位で行くとはバカだな。憑かれている状態では恋愛どころではないぞ」
「――お、お祓いして~っ!?」
その後は責任を持って宮司のおじさんに相談するように彼女達に言いました。
唯羽はホントにそう言う力があるのだろうか。男宝
その後は唯羽と共にご神木のある方向へと歩き出す。
そこは俺は近付かない方がいいと警告されている場所だ。
どうしても、そこに行って話がしたいのだと言う。
「唯羽。本当にいいのか?」
「別に私がいれば大丈夫だ。いざという時は引っ張ってやる」
「お前の場合、その手を離しそうで怖い」
「そうかもな。いざという時のためにも、私に媚を売っておいて損はないぞ?」
自分で言うなよ。
今度、お菓子の差し入れでもしておこう。
人間、何事も、相手の袖の下に……が大事だと思います。
「……唯羽、まだ俺はここに近付いちゃいけないのか?」
「今はまだ、何も解決していない。死にたければどうぞお好きに」
「縁起でもない事を。まだ……どういうことだ?」
唯羽と共に訪れた石碑の前で立ち止まる。
今日は何人かの参拝客らしき人も見える。
普通にしていれば、ちょっとしたパワースポットなのだ。
「古い木だねー、樹齢は何年くらいかなぁ?」
前にいる女の人達が楽しそうに笑う。
数日前に俺が引き込まれた場所だとは思えない。
「そういや、和歌がこの場所がお気に入りだって言っていたよ」
「あの子にとってはこの場所は安心できる場所なんだ。ヒメの魂、つまりは紫姫に縁のある場所ゆえな」
唯羽は誰もいなくなったのを見計らってさらに奥へと進む。
石碑の裏にはさらに森へと続く道があった。
「こんな道があったのか?知らなかった」
「ここから先は絶対に普段は近付くな。……柊元雪、手を差し出せ」
「へ?あ、あぁ?」
俺は手を差し出すと、その手を唯羽は握り締める。
「こうしておけば引き込まれない」
「確信を持って言えるのか?」
「……」
お願いだから、黙り込まないで!?
不思議な雰囲気のする森。
ジメっとした空気が肌にまとわりつく。
唯羽と共に奥へと足を踏み出す。
「奥には何があるんだ?」
「ついてくれば分かる」
あまり何も語ろうとしない唯羽。
会話も少ないので不安だけが倍増していくぞ。
「前に唯羽が俺を助けてくれた時があるじゃないか。その時に鈴の音がしたんだが、アレって何だろう?俺の空耳?」
「いや、これの事だろう?」
唯羽が取り出したのは以前に部屋で見た鈴だった。
「それだよ、それ。なんだ、それは?」
「人が引き込まれるときに、どうすればいいか。意識を目覚めさせればいい。例えば、寝ている時に目覚まし時計の音があれば人は起きるだろう?それと同じだ。この鈴の音色がお前の意識をこちらに引き戻した」
目覚まし時計と一緒って……そんな単純な原理だったのか。
確かに抗えないものに支配されている時はそう言うのも有効かもしれないが。
「それって、やっぱり特別なものだったりするのか?」
「いや、霊験あらたかな“魔よけの鈴”と言う風に見えてただの鈴だ。お値段500円(税込)。椎名神社の売店で販売してる。月に数十個は売れているようだぞ」
「マジッすか!?」
「ただの鈴に祈願をしただけなのに、『出会いを招く鈴』という肩がきをつけられている。神社とはホントにぼったくり商売だよ。私はそういうセコイ所が嫌いだ」
「だから、唯羽はもっと神社側に立って発言してくれ」
この子は本当に神社側の自覚がないのが怖い。男根増長素
そんな雑談をしながら歩くと、道の行き止まりまでくる。
「ここだ。連れてきたかったのは……」
「なんだ?ただの開けた場所でしかないぞ?」
「……地面を見てみれば分かる。何かが焦げたあとが見えないか?」
言われてみれば風化はしているが、地面には消し炭のような感じが残っている。
「今から10年前だ。ここには大きな社があった。だが、火災により焼失している」
「和歌から聞いていたが、ここにあったんだな」
「……10年前の不審火。怪しいとは思わなかったか?火の気もないこの場所で、なぜ火災が起きたのか。その理由は……お前の記憶だけが知っている」
唯羽が俺の方を見上げて、真顔で呟く。
綺麗な顔つきに思わず見とれる。
「……俺の記憶?」
「そうだ。思い出せないだろうが、お前は10年前にもここにきている。まだ社があった頃にな。そして、火災のあった日、私は柊元雪をここで発見した」
「え……?ど、どういうことだよ?俺が放火したとでも?」
「そんなことは言ってない。子供だったお前は、ここで何かを見たはずだ」
何かを見たって……?
俺は数日前の幻覚を思い出す。
「炎の記憶と、睨みつける女の人――?」
「幻覚を見たと言ったな。私はお前の幻覚がどういうものかは分からないんだ。魂の色を見ても、何も分からない。お前の過去に、何があったのかは知らない」
唯羽にも分からない事があるのか……そりゃ、そうだよな。
「だが、私が知っている事はひとつある。それは10年前、燃え盛る社の中で私はお前の叫ぶ声を聞いた。なんとか中に入った時にはお前は意識を失う寸前で倒れていた。そのまま、炎の中から救出したのは私だ」
「お、おい、ちょっと待ってくれ?俺が炎の中にいたのか?」
「そうだ、お前はここにいたんだ。どうしてかは分からない。それから先、お前は記憶を失い、この神社にも無意識に近づくのをやめたからな。それなのに、今になって呼ばれるようにこの神社にお前は縁を作った。それに私は興味がある」
唯羽が助けてくれなければ俺は死んでいた?
この今は何もない焦げ跡がかすかに残るこの場所で――。
「火災理由も分かっていない不審火。そこでお前は何を見たんだ?」
「わ、分からない……俺は何も覚えていない」
「何か思い出せないか?それが思い出せれば、私にも対処ができる」
「……すまん。何一つ、思い出せないんだ」
この場所の記憶すらもないのだ、社があった記憶さえも。
「なるほどな。記憶障害……これも、やはり“呪い”なのか」
彼女はポツリと小さく呟く。
「は?呪い?呪いってなんだよ?」
俺が思わず唯羽の肩を押さえて尋ねた時だった。
「あっ……!?」
唯羽がいきなりバランスを崩すように俺にもたれかかってくる。
はじめは何かの冗談かと思いきや、何か様子がおかしい。
「お、おい、唯羽!?」
「……違う、私は……私はっ……」
頭を押さえ込むように苦しむ彼女はそのまま、力なく足から崩れた。
「うぅっ……ぁっ……!」
「ゆ、唯羽!?お、おいっ!?しっかりしろ、唯羽っ――!?」
かつて社があったその場所で、顔色を青ざめさせて唯羽が倒れた。
俺の過去、その10年前に何があり、俺は何を見たのか。
体調を崩し倒れた唯羽がここが尋常ではない事を証明しているV26Ⅳ美白美肌速効。
ここで一体、何があったっていうんだよ!?
2013年7月25日星期四
愛の証
普段は平和で静かなこの町がどうにもここ最近は騒がしい。
「何かあるのか、斎藤?」
俺は学校帰りに斎藤の家、商店街の魚屋による。
彼は自分の愛車(軽トラの方ではない)を洗車しているところだった。日本秀身堂救急箱
「んー。何かあるとは?おっ、そこのバケツを取ってくれ」
「はいよ。俺に水をかけるなよ」
俺は足元にあった水の入ったバケツを彼に渡す。
「しないって。スーツなんて着るとお前も立派な社会人に見えるから不思議だ」
「……俺は立派な社会人だっての。それよりも、だ。美浜町がどうにも騒がしい気がしてな。もうすぐ夏だからか?」
「それも関係なくはないが、お前が感じているのとは違うものだ」
泡だらけの車を洗いながら、斎藤は例のホテルを指差す。
「お前もこの3ヶ月、この町にいて何となく分かってるんじゃないか。この町は今、二分化されようとしていることがな」
雰囲気でだけども、この町の問題は分かりはじめてきていた。
「……過疎化問題についてか?」
「そうだ。この町からの人の流出は止まる気配がない。正直、それ自体はどうにもできないから仕方ないのだが。観光地として発展させるしか道がないと思い、ホテルの誘致など突き進んでいるのが改革派だ。そして、逆に外からの人間による影響を考え、この町を守ろうとするのが保守派。どちらも町のために動いている」
「それが結果として分裂の危機ってわけか」
千津の親の問題でも俺も触れたが、この町では重要な問題でもあるようだ。
「……最近は若手の人間も積極的に改革派の支持を始めた。俺達の青年会は別にどちら側につこうと言わないが、中には改革派の考えの奴が多いのも事実だ」
「都会に憧れる奴が多い気持ちは実際に俺がよく分かってるさ」
都会と田舎では生活レベルにも雲泥の差がある。
せめて、観光地として開発して発展させたい気持ちも理解できる。
それに伴う自然の破壊、町が変わるのを恐れる人間の気持ちも理解できない事はない。
「前にも言っただろうが、改革派の象徴的な建物があの美浜ロイヤルホテルだ。実は夏の終わり頃に町長の選挙がある。今、ざわざわと町がしているように感じるのはそのせいだ。今は改革派の町長が町を色々としようと頑張ってるが、それを良しとしない保守派も町長の座を狙ってるからな」
「……なるほど。町長の選挙か」
「鳴海は君島と親しいだろう?あの子の事を気にしてやれ。……っと、次は、ホース、取ってくれ」
斎藤は手元を止めることなく、俺にそう言った。
「それはどういう意味だ?」
水洗いするためにホースを取ってやると、俺は濡れないように少し下がる。
「サンキュー。どういう意味って、まだ分からないか?あのホテルは良くも悪くも美浜町の改革派の象徴だって言っただろ。そこで働く彼女達を快く思わない保守派もいるってわけだ。雇用は大切だけれど、観光客が増えだした事によるマナーの悪さや町に与える悪影響も少なからず目に見えた形で出始めている」
確かに言われる通り、この町にも観光客が増えだしていた。
ホテルの近くにはゴルフ場も温泉もある。
これから夏へと本格的になれば海目的の人が大勢やってくるだろう。
「去年もそれでずいぶん揉めたからな。他所から人が来れば経済は確かに潤う。だが、それは悪影響も一緒にセットとなるのは必然だ。仕方ない事だけど、それが気にいらないっていうのも意見としては当然だ。誰もトラブルを抱え込みたくはないからな」
「人が増えれば、海も汚くなるし、色々と余計なトラブルも起きるか。それ込みでの観光地誘致、難しいな」
「そう言う事だ。それくらい覚悟しなきゃ町起こしなんて出来やしない。だが、実際に地元住民にとって迷惑は被りたくない。そこが対立を深めているわけさ。何もせず楽してこの町を存続させ続ける事なんてできやしないから、皆もいろんな意見があるわけだ」
改革派には想定内の事でも、保守派はそれすら認めたくないのだろう。
「……ちなみにうちの商店街の連中は改革派の支持者が多くてな。漁業の方もホテルのおかげで今は売り上げもいい。俺もどちらかと言えば、改革派だ。流れ的には仕方ないことだと思ってるぜ」
「変化を望まないとするのがいいのか、変化するのがいいのか。バランスが大事だな。千沙子を気をつけろと言ったが、その問題が表面化して、何か悪い事でも起きそうなのか?悪い意味で言うなら暴動とかさ」
「まだ分からん。だが、何か問題が起きれば真っ先に保守派が狙うのはホテルだろうな。その時になったら君島も危なくなるかもしれん。だから、鳴海が彼女を支えてやってくれと言う話だよ。恋愛絡み抜きでも友人を助けてやれ」簡約痩身
「了解。そう言う事なら、俺も対応しよう」
車についた泡を水で洗い流すと綺麗になる。
斎藤も町の変化に危機感を募らせているのだろう。
何かきっかけひとつで状況は最悪に悪化してしまう。
「過激派的な人間はあまりいないけどさ。過去も色々とやりやがった団体があるんだ。そこだけが心配なんだよな。特に町長選のここ一ヶ月は警戒しておくにこした事はない。それだけをお前も頭に入れておいてくれ」
「ふーん。平和だと思っていた町もずいぶんと変わったな」
「それを変えたのも、あのホテルと改革派だってことだ。時代の流れもあるんだろうけど。町起こしでもしなきゃ町が潰れる。その危機感は町の住人の誰もが身を持って感じているはずなんだが、うまくいかないのさ」
利権や権力、想いだけで何事もうまくいく事はない。
ある程度の情報を手に入れた俺はそのまま、神奈の店に行こうとする。
その途中、俺は望月の姿を見つけた。
一度家には帰っていたのか、私服姿の彼女に声をかける。
「どうした、望月?」
「あっ、鳴海先生。こんにちは」
「犬の散歩、というわけじゃなさそうだな」
いつも会う時は犬の散歩をしている時が多い。
「今日は夕食の材料を買いに来ました」
「……望月って料理ができたのか?」
俺の記憶が確かならゴールデンウィークの合宿は料理は散々だった気がする。
案の定、彼女は困ったような顔を俺に見せる。
「うぅ、少しくらい女として見栄を張らせてください。お弁当を買いに来たんです」
「ははっ。料理は少しずつ覚えればいいさ。今日は両親は留守か?」
「はい。両親共に東京の方へ出張中です。料理くらいできないとこういう時に困ります。先生は自炊するんですか?」
「するはずがない。そうだ、望月さえよければ、俺と一緒に神奈の店に行くか?アイツのお店、食事も美味しいんだ」
あの店は居酒屋だが食事をする食堂としての意味でも人気の店だ。
俺が望月を誘うと彼女もついてくることになった。
「そう言えば、先生。少しお願いがあるんですけど?」
「何だ?お願いって……?」
「出来れば街中で会った時には“望月”と呼ばないで欲しいんです。どうにもその名前はこの町の人には敏感になるようで。別に何かされるとかじゃないんですけどね」
彼女の話だと改革派には大いに歓迎されるが、保守派には目の敵にされているらしい。
なるほど、彼女も難しい立場である。
もちろん、まだ子供の望月に何かをする人間はいないが、気を重くする事ではある。
「……了解。それじゃ、えっと……要でいいか?」
彼女はかなめ、という名前だったはずだ。
「はい、いいですよ」
俺が要と一緒に神奈のお店に行くと、相変わらず繁盛しているお店だ。
「……あら?今日は要さんと一緒なんだ?久しぶりね」
「はい、お久しぶりです」
と言っても、彼女達は朝の散歩でよく会う事があるらしい。
神奈はマラソンをしているし、要も犬の散歩を毎朝しているようだ。
「メニューは神奈に任せるよ。俺はビールで。要、飲み物は何にする?」
「ウーロン茶でお願いします」
「分かったわ。少し待っていてね」
神奈が厨房へと行くのを要はその後ろ姿を見つめていた。
「……神奈さんみたいに料理が上手な人って憧れます。先生はいつもこちらに?」
「まぁな。家からも近いし、神奈に任せておけるから楽だからさ」
「それに、先生の恋人でもありますからね。ふふっ」
……だから、それは違うってのに。
神奈の外堀埋め作戦がどうにも地味に効果があるような。
「先生にとって、神奈さんって大切な存在なんですよね」
「それなりには……。どうしてそう思う?」
「いえ、いつ会っても常に笑顔の人ですから。あの笑顔に癒されますよね。客商売だからというわけじゃなさそうですし、誰かに愛されて満たされているからかなって思っただけです」
「うーむ。神奈が元気なのは昔からだけどな」
アイツの元気の源が何か俺もいまいちよく分からん。
「……ふたりして、何のお話をしているの?」
神奈がビールとウーロン茶を持ってカウンター席に来る。
「神奈さんはいつも明るくて笑顔ですから、どうして常に笑顔でいられるのかなって」
「え?あ、えっと、それは……」
神奈が俺に方を照れくさそうに見つめてくる。
おい、何だよ、その女の子みたいな可愛い視線は?
「私の元気の源は朔也だよ、とか言ってみたりして」
「照れるなら言うな。……な、何だよ、要?」
「くすっ。先生も照れるほど仲がいいんだなぁって」
だから、違うんだって……これには事情があってだな。
「羨ましい関係ですよね。そういうの、いいと思います。私には無理ですけど」
「どうして?要さんなら可愛いし、相手くらいいそうなのに?」
「……私、男の人が苦手なんです。だから、恋人なんて無理ですね。少女漫画とかでは憧れますけど、生身の男の人は本当にダメなんです。どうしても緊張してしまいますから」
男嫌いの話は過去にも聞いてたけど、本当にダメなんだな?西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
「あれ?朔也は別に普通だけど、OKなの?」
「鳴海先生は先生だからですよ。私にとって苦手なのは同世代の男性です。……あまり良い思い出がないんですよ。でも、先生と神奈さんの関係みたいな理想的な恋人関係を見ていると私も恋くらいしたいとは思います」
要はにこっと爽やかな笑みを浮かべて言う。
「えー、そう?ふふっ、理想的かぁ……嬉しい事を言ってくれるわ」
「……神奈、にやけてないでお仕事をしてくれ」
俺は神奈にそう言って食事の方を集中させる。
別に困る事はないので、神奈の恋人設定はそのままにしている。
あくまでも学校関係者用の設定で、実際とは違うわけだけども。
千津とか要とかも、俺にそう言う相手がいると思った方が安心できる事もある。
……だからと言って、外堀から確実に埋められている気がしない事もないのだが。
そんなことを思いながら俺たちは食事を楽しんだ。
七夕の日に天体部の皆で2度目の天体観測をした。
千津達もすっかりと慣れたもので星を観察する楽しさに目覚めたようだ。
俺も顧問として彼女たちに付き合って、先生らしさを見せた。
それから数日後、片倉神社のお祭りが迫っていた。
俺が子供の頃は祭りと言えばこの祭りだった。
今はホテルができたことで新しい花火大会まで出来ているけどな。
片倉神社の祭りは何十年も続く古いこの町では祭りの話題に盛り上がる。
「……というわけで、今日は片倉の祭りだけど、騒ぎすぎないように。それではHRを終わります。鳴海先生、他に何か?」
「あえて言うなら、女の子は羽目を外した男子に注意して」
村瀬先生のHRに付き合い、今日の授業はすべて終了。
生徒たちもこの祭りには楽しみにしている子が多い。
田舎の町で娯楽もないので祭りくらいしか盛り上がる事もない。
商店街や斎藤たちの青年会も昨日から準備に忙しそうだったからな。
町ぐるみで盛り上がる祭り、それが片倉祭りだった。
教室を出て、廊下で俺は村瀬先生に話しかける。
「相変わらず、片倉神社の祭りは人気ですか?」
「そうねぇ。海岸花火大会が出来たとはいえ、昔からずっと続いている祭りだもの。馴染みのある町の皆にとっては人気よ。それにこんな田舎じゃ他に大きな祭りとかってないもんね。何か適当な祭りでも作れば、観光客でも呼べるのに」
「確かに。その町独特の祭りってありますよね」
古くから伝わる踊りやその土地独特の言い伝えなどを利用した祭り。
そんなものすら、この美浜町にはないのだ。
「……村瀬先生も祭りに行くんですか?」
「んー。友達と様子見くらいは行くわよ……彼氏いないから楽しめないけど」
肩をすくめて苦笑いの彼女。
「そういう鳴海先生は恋人がいて楽しそうでいいわね?」
「……え、あ、あははっ。そうです、ね」
今回、一緒に行く相手は千沙子であって神奈ではない。
下手に誰かと合わない事を祈るしかないか。
俺はそう危惧しながら祭りの事を考えていた。
仕事も終わり、一度家に帰ってからすぐに待ち合わせの片倉神社に向かう。
千沙子とは今日、この祭りを一緒に行く約束をしている。
多くの人々が賑わう神社の鳥居の近くで俺は待っていた。
しばらくすると約束の時間になり、浴衣姿の千沙子がやってくる。
美人だとは知っていたが、浴衣姿は本当に綺麗だ。
「お待たせ、朔也クンっ」
色気のある千沙子にドキッとさせられる。
間違いなく、彼女は俺の出会った中ではトップクラスの美女である。
「……どうしたの?何か変?」
「いや、浴衣姿の千沙子があまりにも美人すぎてびっくりした」
「え?あ、ありがとう。朔也クンに褒められると嬉しい」
昔、美少女だった容姿そのままに美女に成長している。
いつまでも千沙子に見惚れていてはいけない。
俺たちはとりあえず、境内に向かうために階段を上り始める。
階段を上った先には大きい神社があり、そこが祭りの会場になっている。
「そう言えば、朔也クンとこのお祭りに行くのも7年ぶりなんだよね。何だかすごく懐かしい感じがする。あの頃、皆と一緒だったけど、今はふたりだし……」
俺がこの町にいた頃は毎年、片倉祭りに幼馴染の仲いいメンバーとよく行っていた。
中学の頃からは千沙子とも一緒に行くようになったんだっけ。
「東京でもお祭りってあるんでしょ?やっぱり、規模とかは大きいもの?」
「祭りによるよ。地元の祭り程度じゃこの片倉と変わらないけど、大きな花火大会だと人で前に進めないくらいに人が集まったりして大変だった。まぁ、それはどこの祭りでも言える事だけど」
都会は人が多いので、こんな田舎は基準にすらならないんだけどな。
だけど、この町以外を知らず、都会に出て見る物すべてのスケールの大きさ、世界の広さに衝撃を受けたっけ。西班牙蒼蝿水
「千沙子は東京とか都会には出たりしないのか?」
「うーん。あのホテルが出来ていなくても、私は外には出ていっていなかったと思う。両親もそうだけど、私も静かなこの場所が好きだから。それに今の時代、通販とかで欲しいものは手に入るからさほど困らないもの」
「そうか?俺は千沙子は都会向きだと思っていたけどな」
俺の言葉に彼女は苦笑いをしてきた。
「くすっ。朔也クン、忘れてない?」
「……何を?」
「私のホントの性格の事。私って朔也クンと出会う前は根暗で内向きな性格だったのよ?人ごみだって苦手な方だし、都会なんかに出て行くのは大変よ」
俺が千沙子と出会った頃、彼女は大人しい女の子だったのを思い出す。
今は全然、そんな素振りすら見せないが、それが彼女の本質だと言うのか。
「朔也クンに出会い、私は暗い性格を変えようとしたわ。今みたいにホテルの従業員なんて人と触れ合う仕事を出来るなんて思ってもいなかった。私の運命、人生を変えてくれたのが朔也クンなのよ」
「おいおい、それはオーバーだろ?」
「本当のことよ。私は朔也クンに感謝している。朔也クンに出会えていなかったら、きっと私は昔のままだったもの」
彼女が明るくなったのは本当の事だけど、それが俺のおかげだと言われると照れる。
夜道の階段を歩き、俺達は境内へとたどり着く。
祭り独特の装飾や電灯、賑やかな人の集まり。
見ているだけでも楽しくなる雰囲気。
子供の頃と変わらないそれに俺は懐かしさを感じた。
境内に入り出店を眺めていると千沙子は自然と俺の手を握る。
雰囲気もあるので俺は別に断ることなく、そのまま歩きだした。
「昔、金魚すくいとかしてつかまえた金魚を飼ってたんだけどさ。最終的には十年くらい生きて15センチくらいまで巨大化したんだ。金魚って元はフナとか言うけど、大きくなりすぎだろう」
「あははっ。そうなの?すごいじゃない。私もよく飼ってたけど、そんなに長生きしなかったなぁ。そう言えば、出店にヒヨコとか小動物っていたよね?可愛かったな」
「いたいた。ウズラとか、ウサギとかハムスターとか。そんなの出店で買う事ないって」
懐かしい過去の話をしながら、出店を見ていた。
昔とほとんど変わらない雰囲気は今でも十分に楽しめる。
子供と違い、大人になるとあまりこういう雰囲気に触れる事がないからな。
「ねぇ、朔也クン。私と一緒にいて楽しい?」
「もちろん、楽しいよ」
「そう。私も楽しい……すごく幸せだよ」
千沙子の微笑み、俺の手を握る手に少しだけ力が入る。
「さっきからよく昔の同級生とかに会うけど、朔也クンってホントに人気者だね。朔也クンの交友関係って広かったもの」
通りすがりにあった連中とかに挨拶してただけだ。
町に戻ってきた歓迎会で再会した連中や、それ以外にも懐かしい顔と再会したり。
「……特に女の子に人気なのも相変わらず。ちょっと妬けるかも」
「うぐっ。あ、あれは……ただの挨拶程度だって」
何度か懐かしい女の子たちに囲まれて冷やかされた。
「ふーん。『カッコよくなったよね』とか『今フリーなの?』とか聞かれて鼻の下、伸びてたのは気のせいかしら?」
「千沙子がいるのに、わざと聞いてたのを見ればからかってるのは分かるだろ?」
単純な意味で千沙子と一緒にからかわれただけだ。
「それを言うなら俺も男からの妬みの視線を感じたぞ」
斎藤が前に言っていた千沙子の人気を思い出した。
なるほど、確かに野郎たちの視線は怖いな。
俺達は互いに顔を見合って笑い合う。
「あっ、鳴海せ……いえ、鳴海君」
「村瀬さん。こんばんは」
俺達の前に現れたのは村瀬先生。
プライベートでは先生ではなくさん付けをする事にしているために村瀬さんと呼ぶ。
友人たちと出かけると言ってたので、彼女の周囲には何人かの女の人がいた。
「鳴海君は彼女と一緒だって言ってたもの……ね?あれ?」
「――ぎくっ!?」
しまった、そうだ、忘れていた……。
村瀬さんは不思議そうな顔をする千沙子に目を向けて言う。
「前に見たことのある一緒に同棲している恋人とは別の子だよね?」
「い、いえ、これは……その、何ていうか……」
そうだった、学校関係では神奈が俺の恋人だと嘘をついていた。
千津の件があった時に色々と面倒だったのでその設定をそのままにしていたのだ。procomil spray
「何かあるのか、斎藤?」
俺は学校帰りに斎藤の家、商店街の魚屋による。
彼は自分の愛車(軽トラの方ではない)を洗車しているところだった。日本秀身堂救急箱
「んー。何かあるとは?おっ、そこのバケツを取ってくれ」
「はいよ。俺に水をかけるなよ」
俺は足元にあった水の入ったバケツを彼に渡す。
「しないって。スーツなんて着るとお前も立派な社会人に見えるから不思議だ」
「……俺は立派な社会人だっての。それよりも、だ。美浜町がどうにも騒がしい気がしてな。もうすぐ夏だからか?」
「それも関係なくはないが、お前が感じているのとは違うものだ」
泡だらけの車を洗いながら、斎藤は例のホテルを指差す。
「お前もこの3ヶ月、この町にいて何となく分かってるんじゃないか。この町は今、二分化されようとしていることがな」
雰囲気でだけども、この町の問題は分かりはじめてきていた。
「……過疎化問題についてか?」
「そうだ。この町からの人の流出は止まる気配がない。正直、それ自体はどうにもできないから仕方ないのだが。観光地として発展させるしか道がないと思い、ホテルの誘致など突き進んでいるのが改革派だ。そして、逆に外からの人間による影響を考え、この町を守ろうとするのが保守派。どちらも町のために動いている」
「それが結果として分裂の危機ってわけか」
千津の親の問題でも俺も触れたが、この町では重要な問題でもあるようだ。
「……最近は若手の人間も積極的に改革派の支持を始めた。俺達の青年会は別にどちら側につこうと言わないが、中には改革派の考えの奴が多いのも事実だ」
「都会に憧れる奴が多い気持ちは実際に俺がよく分かってるさ」
都会と田舎では生活レベルにも雲泥の差がある。
せめて、観光地として開発して発展させたい気持ちも理解できる。
それに伴う自然の破壊、町が変わるのを恐れる人間の気持ちも理解できない事はない。
「前にも言っただろうが、改革派の象徴的な建物があの美浜ロイヤルホテルだ。実は夏の終わり頃に町長の選挙がある。今、ざわざわと町がしているように感じるのはそのせいだ。今は改革派の町長が町を色々としようと頑張ってるが、それを良しとしない保守派も町長の座を狙ってるからな」
「……なるほど。町長の選挙か」
「鳴海は君島と親しいだろう?あの子の事を気にしてやれ。……っと、次は、ホース、取ってくれ」
斎藤は手元を止めることなく、俺にそう言った。
「それはどういう意味だ?」
水洗いするためにホースを取ってやると、俺は濡れないように少し下がる。
「サンキュー。どういう意味って、まだ分からないか?あのホテルは良くも悪くも美浜町の改革派の象徴だって言っただろ。そこで働く彼女達を快く思わない保守派もいるってわけだ。雇用は大切だけれど、観光客が増えだした事によるマナーの悪さや町に与える悪影響も少なからず目に見えた形で出始めている」
確かに言われる通り、この町にも観光客が増えだしていた。
ホテルの近くにはゴルフ場も温泉もある。
これから夏へと本格的になれば海目的の人が大勢やってくるだろう。
「去年もそれでずいぶん揉めたからな。他所から人が来れば経済は確かに潤う。だが、それは悪影響も一緒にセットとなるのは必然だ。仕方ない事だけど、それが気にいらないっていうのも意見としては当然だ。誰もトラブルを抱え込みたくはないからな」
「人が増えれば、海も汚くなるし、色々と余計なトラブルも起きるか。それ込みでの観光地誘致、難しいな」
「そう言う事だ。それくらい覚悟しなきゃ町起こしなんて出来やしない。だが、実際に地元住民にとって迷惑は被りたくない。そこが対立を深めているわけさ。何もせず楽してこの町を存続させ続ける事なんてできやしないから、皆もいろんな意見があるわけだ」
改革派には想定内の事でも、保守派はそれすら認めたくないのだろう。
「……ちなみにうちの商店街の連中は改革派の支持者が多くてな。漁業の方もホテルのおかげで今は売り上げもいい。俺もどちらかと言えば、改革派だ。流れ的には仕方ないことだと思ってるぜ」
「変化を望まないとするのがいいのか、変化するのがいいのか。バランスが大事だな。千沙子を気をつけろと言ったが、その問題が表面化して、何か悪い事でも起きそうなのか?悪い意味で言うなら暴動とかさ」
「まだ分からん。だが、何か問題が起きれば真っ先に保守派が狙うのはホテルだろうな。その時になったら君島も危なくなるかもしれん。だから、鳴海が彼女を支えてやってくれと言う話だよ。恋愛絡み抜きでも友人を助けてやれ」簡約痩身
「了解。そう言う事なら、俺も対応しよう」
車についた泡を水で洗い流すと綺麗になる。
斎藤も町の変化に危機感を募らせているのだろう。
何かきっかけひとつで状況は最悪に悪化してしまう。
「過激派的な人間はあまりいないけどさ。過去も色々とやりやがった団体があるんだ。そこだけが心配なんだよな。特に町長選のここ一ヶ月は警戒しておくにこした事はない。それだけをお前も頭に入れておいてくれ」
「ふーん。平和だと思っていた町もずいぶんと変わったな」
「それを変えたのも、あのホテルと改革派だってことだ。時代の流れもあるんだろうけど。町起こしでもしなきゃ町が潰れる。その危機感は町の住人の誰もが身を持って感じているはずなんだが、うまくいかないのさ」
利権や権力、想いだけで何事もうまくいく事はない。
ある程度の情報を手に入れた俺はそのまま、神奈の店に行こうとする。
その途中、俺は望月の姿を見つけた。
一度家には帰っていたのか、私服姿の彼女に声をかける。
「どうした、望月?」
「あっ、鳴海先生。こんにちは」
「犬の散歩、というわけじゃなさそうだな」
いつも会う時は犬の散歩をしている時が多い。
「今日は夕食の材料を買いに来ました」
「……望月って料理ができたのか?」
俺の記憶が確かならゴールデンウィークの合宿は料理は散々だった気がする。
案の定、彼女は困ったような顔を俺に見せる。
「うぅ、少しくらい女として見栄を張らせてください。お弁当を買いに来たんです」
「ははっ。料理は少しずつ覚えればいいさ。今日は両親は留守か?」
「はい。両親共に東京の方へ出張中です。料理くらいできないとこういう時に困ります。先生は自炊するんですか?」
「するはずがない。そうだ、望月さえよければ、俺と一緒に神奈の店に行くか?アイツのお店、食事も美味しいんだ」
あの店は居酒屋だが食事をする食堂としての意味でも人気の店だ。
俺が望月を誘うと彼女もついてくることになった。
「そう言えば、先生。少しお願いがあるんですけど?」
「何だ?お願いって……?」
「出来れば街中で会った時には“望月”と呼ばないで欲しいんです。どうにもその名前はこの町の人には敏感になるようで。別に何かされるとかじゃないんですけどね」
彼女の話だと改革派には大いに歓迎されるが、保守派には目の敵にされているらしい。
なるほど、彼女も難しい立場である。
もちろん、まだ子供の望月に何かをする人間はいないが、気を重くする事ではある。
「……了解。それじゃ、えっと……要でいいか?」
彼女はかなめ、という名前だったはずだ。
「はい、いいですよ」
俺が要と一緒に神奈のお店に行くと、相変わらず繁盛しているお店だ。
「……あら?今日は要さんと一緒なんだ?久しぶりね」
「はい、お久しぶりです」
と言っても、彼女達は朝の散歩でよく会う事があるらしい。
神奈はマラソンをしているし、要も犬の散歩を毎朝しているようだ。
「メニューは神奈に任せるよ。俺はビールで。要、飲み物は何にする?」
「ウーロン茶でお願いします」
「分かったわ。少し待っていてね」
神奈が厨房へと行くのを要はその後ろ姿を見つめていた。
「……神奈さんみたいに料理が上手な人って憧れます。先生はいつもこちらに?」
「まぁな。家からも近いし、神奈に任せておけるから楽だからさ」
「それに、先生の恋人でもありますからね。ふふっ」
……だから、それは違うってのに。
神奈の外堀埋め作戦がどうにも地味に効果があるような。
「先生にとって、神奈さんって大切な存在なんですよね」
「それなりには……。どうしてそう思う?」
「いえ、いつ会っても常に笑顔の人ですから。あの笑顔に癒されますよね。客商売だからというわけじゃなさそうですし、誰かに愛されて満たされているからかなって思っただけです」
「うーむ。神奈が元気なのは昔からだけどな」
アイツの元気の源が何か俺もいまいちよく分からん。
「……ふたりして、何のお話をしているの?」
神奈がビールとウーロン茶を持ってカウンター席に来る。
「神奈さんはいつも明るくて笑顔ですから、どうして常に笑顔でいられるのかなって」
「え?あ、えっと、それは……」
神奈が俺に方を照れくさそうに見つめてくる。
おい、何だよ、その女の子みたいな可愛い視線は?
「私の元気の源は朔也だよ、とか言ってみたりして」
「照れるなら言うな。……な、何だよ、要?」
「くすっ。先生も照れるほど仲がいいんだなぁって」
だから、違うんだって……これには事情があってだな。
「羨ましい関係ですよね。そういうの、いいと思います。私には無理ですけど」
「どうして?要さんなら可愛いし、相手くらいいそうなのに?」
「……私、男の人が苦手なんです。だから、恋人なんて無理ですね。少女漫画とかでは憧れますけど、生身の男の人は本当にダメなんです。どうしても緊張してしまいますから」
男嫌いの話は過去にも聞いてたけど、本当にダメなんだな?西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
「あれ?朔也は別に普通だけど、OKなの?」
「鳴海先生は先生だからですよ。私にとって苦手なのは同世代の男性です。……あまり良い思い出がないんですよ。でも、先生と神奈さんの関係みたいな理想的な恋人関係を見ていると私も恋くらいしたいとは思います」
要はにこっと爽やかな笑みを浮かべて言う。
「えー、そう?ふふっ、理想的かぁ……嬉しい事を言ってくれるわ」
「……神奈、にやけてないでお仕事をしてくれ」
俺は神奈にそう言って食事の方を集中させる。
別に困る事はないので、神奈の恋人設定はそのままにしている。
あくまでも学校関係者用の設定で、実際とは違うわけだけども。
千津とか要とかも、俺にそう言う相手がいると思った方が安心できる事もある。
……だからと言って、外堀から確実に埋められている気がしない事もないのだが。
そんなことを思いながら俺たちは食事を楽しんだ。
七夕の日に天体部の皆で2度目の天体観測をした。
千津達もすっかりと慣れたもので星を観察する楽しさに目覚めたようだ。
俺も顧問として彼女たちに付き合って、先生らしさを見せた。
それから数日後、片倉神社のお祭りが迫っていた。
俺が子供の頃は祭りと言えばこの祭りだった。
今はホテルができたことで新しい花火大会まで出来ているけどな。
片倉神社の祭りは何十年も続く古いこの町では祭りの話題に盛り上がる。
「……というわけで、今日は片倉の祭りだけど、騒ぎすぎないように。それではHRを終わります。鳴海先生、他に何か?」
「あえて言うなら、女の子は羽目を外した男子に注意して」
村瀬先生のHRに付き合い、今日の授業はすべて終了。
生徒たちもこの祭りには楽しみにしている子が多い。
田舎の町で娯楽もないので祭りくらいしか盛り上がる事もない。
商店街や斎藤たちの青年会も昨日から準備に忙しそうだったからな。
町ぐるみで盛り上がる祭り、それが片倉祭りだった。
教室を出て、廊下で俺は村瀬先生に話しかける。
「相変わらず、片倉神社の祭りは人気ですか?」
「そうねぇ。海岸花火大会が出来たとはいえ、昔からずっと続いている祭りだもの。馴染みのある町の皆にとっては人気よ。それにこんな田舎じゃ他に大きな祭りとかってないもんね。何か適当な祭りでも作れば、観光客でも呼べるのに」
「確かに。その町独特の祭りってありますよね」
古くから伝わる踊りやその土地独特の言い伝えなどを利用した祭り。
そんなものすら、この美浜町にはないのだ。
「……村瀬先生も祭りに行くんですか?」
「んー。友達と様子見くらいは行くわよ……彼氏いないから楽しめないけど」
肩をすくめて苦笑いの彼女。
「そういう鳴海先生は恋人がいて楽しそうでいいわね?」
「……え、あ、あははっ。そうです、ね」
今回、一緒に行く相手は千沙子であって神奈ではない。
下手に誰かと合わない事を祈るしかないか。
俺はそう危惧しながら祭りの事を考えていた。
仕事も終わり、一度家に帰ってからすぐに待ち合わせの片倉神社に向かう。
千沙子とは今日、この祭りを一緒に行く約束をしている。
多くの人々が賑わう神社の鳥居の近くで俺は待っていた。
しばらくすると約束の時間になり、浴衣姿の千沙子がやってくる。
美人だとは知っていたが、浴衣姿は本当に綺麗だ。
「お待たせ、朔也クンっ」
色気のある千沙子にドキッとさせられる。
間違いなく、彼女は俺の出会った中ではトップクラスの美女である。
「……どうしたの?何か変?」
「いや、浴衣姿の千沙子があまりにも美人すぎてびっくりした」
「え?あ、ありがとう。朔也クンに褒められると嬉しい」
昔、美少女だった容姿そのままに美女に成長している。
いつまでも千沙子に見惚れていてはいけない。
俺たちはとりあえず、境内に向かうために階段を上り始める。
階段を上った先には大きい神社があり、そこが祭りの会場になっている。
「そう言えば、朔也クンとこのお祭りに行くのも7年ぶりなんだよね。何だかすごく懐かしい感じがする。あの頃、皆と一緒だったけど、今はふたりだし……」
俺がこの町にいた頃は毎年、片倉祭りに幼馴染の仲いいメンバーとよく行っていた。
中学の頃からは千沙子とも一緒に行くようになったんだっけ。
「東京でもお祭りってあるんでしょ?やっぱり、規模とかは大きいもの?」
「祭りによるよ。地元の祭り程度じゃこの片倉と変わらないけど、大きな花火大会だと人で前に進めないくらいに人が集まったりして大変だった。まぁ、それはどこの祭りでも言える事だけど」
都会は人が多いので、こんな田舎は基準にすらならないんだけどな。
だけど、この町以外を知らず、都会に出て見る物すべてのスケールの大きさ、世界の広さに衝撃を受けたっけ。西班牙蒼蝿水
「千沙子は東京とか都会には出たりしないのか?」
「うーん。あのホテルが出来ていなくても、私は外には出ていっていなかったと思う。両親もそうだけど、私も静かなこの場所が好きだから。それに今の時代、通販とかで欲しいものは手に入るからさほど困らないもの」
「そうか?俺は千沙子は都会向きだと思っていたけどな」
俺の言葉に彼女は苦笑いをしてきた。
「くすっ。朔也クン、忘れてない?」
「……何を?」
「私のホントの性格の事。私って朔也クンと出会う前は根暗で内向きな性格だったのよ?人ごみだって苦手な方だし、都会なんかに出て行くのは大変よ」
俺が千沙子と出会った頃、彼女は大人しい女の子だったのを思い出す。
今は全然、そんな素振りすら見せないが、それが彼女の本質だと言うのか。
「朔也クンに出会い、私は暗い性格を変えようとしたわ。今みたいにホテルの従業員なんて人と触れ合う仕事を出来るなんて思ってもいなかった。私の運命、人生を変えてくれたのが朔也クンなのよ」
「おいおい、それはオーバーだろ?」
「本当のことよ。私は朔也クンに感謝している。朔也クンに出会えていなかったら、きっと私は昔のままだったもの」
彼女が明るくなったのは本当の事だけど、それが俺のおかげだと言われると照れる。
夜道の階段を歩き、俺達は境内へとたどり着く。
祭り独特の装飾や電灯、賑やかな人の集まり。
見ているだけでも楽しくなる雰囲気。
子供の頃と変わらないそれに俺は懐かしさを感じた。
境内に入り出店を眺めていると千沙子は自然と俺の手を握る。
雰囲気もあるので俺は別に断ることなく、そのまま歩きだした。
「昔、金魚すくいとかしてつかまえた金魚を飼ってたんだけどさ。最終的には十年くらい生きて15センチくらいまで巨大化したんだ。金魚って元はフナとか言うけど、大きくなりすぎだろう」
「あははっ。そうなの?すごいじゃない。私もよく飼ってたけど、そんなに長生きしなかったなぁ。そう言えば、出店にヒヨコとか小動物っていたよね?可愛かったな」
「いたいた。ウズラとか、ウサギとかハムスターとか。そんなの出店で買う事ないって」
懐かしい過去の話をしながら、出店を見ていた。
昔とほとんど変わらない雰囲気は今でも十分に楽しめる。
子供と違い、大人になるとあまりこういう雰囲気に触れる事がないからな。
「ねぇ、朔也クン。私と一緒にいて楽しい?」
「もちろん、楽しいよ」
「そう。私も楽しい……すごく幸せだよ」
千沙子の微笑み、俺の手を握る手に少しだけ力が入る。
「さっきからよく昔の同級生とかに会うけど、朔也クンってホントに人気者だね。朔也クンの交友関係って広かったもの」
通りすがりにあった連中とかに挨拶してただけだ。
町に戻ってきた歓迎会で再会した連中や、それ以外にも懐かしい顔と再会したり。
「……特に女の子に人気なのも相変わらず。ちょっと妬けるかも」
「うぐっ。あ、あれは……ただの挨拶程度だって」
何度か懐かしい女の子たちに囲まれて冷やかされた。
「ふーん。『カッコよくなったよね』とか『今フリーなの?』とか聞かれて鼻の下、伸びてたのは気のせいかしら?」
「千沙子がいるのに、わざと聞いてたのを見ればからかってるのは分かるだろ?」
単純な意味で千沙子と一緒にからかわれただけだ。
「それを言うなら俺も男からの妬みの視線を感じたぞ」
斎藤が前に言っていた千沙子の人気を思い出した。
なるほど、確かに野郎たちの視線は怖いな。
俺達は互いに顔を見合って笑い合う。
「あっ、鳴海せ……いえ、鳴海君」
「村瀬さん。こんばんは」
俺達の前に現れたのは村瀬先生。
プライベートでは先生ではなくさん付けをする事にしているために村瀬さんと呼ぶ。
友人たちと出かけると言ってたので、彼女の周囲には何人かの女の人がいた。
「鳴海君は彼女と一緒だって言ってたもの……ね?あれ?」
「――ぎくっ!?」
しまった、そうだ、忘れていた……。
村瀬さんは不思議そうな顔をする千沙子に目を向けて言う。
「前に見たことのある一緒に同棲している恋人とは別の子だよね?」
「い、いえ、これは……その、何ていうか……」
そうだった、学校関係では神奈が俺の恋人だと嘘をついていた。
千津の件があった時に色々と面倒だったのでその設定をそのままにしていたのだ。procomil spray
2013年7月23日星期二
決断を要す
長い坂道をひとりで降りていくのは心寂しくなります。
「9時半すぎ、ですね」
腕時計で時間を確認しました。
こんな時間に夜道を歩くなんて、今までしたことがありません。簡約痩身美体カプセル
山にある私の家からは美浜町の町並みがよく見えます。
「変な人に会わなければいいんですけど」
以前にナンパしてきた観光客の人はすごく怖かったです。
通りがかった朔也さんに助けてもらわなければどうなっていたか。
あんな人が今もまた現れたら、と思うと。
「……ぐすっ、家に帰りたいです」
家から出て3分、私の心はすでに折れそうになっていました。
姉さんと喧嘩なんて子供の頃にもしたことがありませんでした。
初めての経験です。
言い返しても、言い返しきれない、姉さんに反抗するのは難しすぎます。
いつも頑張って反抗してる茉莉ちゃんがすごいと思いました。
「とりあえず、駅の方に行きましょう。動けば何とかなるものです、きっと」
こんな山中にいる方が危ない気もします。
この辺りはイノシシとか、野生動物に出くわすこともあるんです。
もっと山奥の方にはクマもいますし、時々、こちらの方におりてくることも……。
「……怖くなってきました」
普段は意識しないのに、不安になると何もかもが怖くなります。
不安になることだらけです。
足早に坂道を下りていくと、ようやく、海沿いの道路が見えてきました。
その辺りで私は声をかけられたんです。
「……あれ?由愛ちゃん?どうしたの、こんな時間に?」
「さ、朔也さん?」
朔也さんの顔を見てホッとしました。
不安な時に親しい人に会うと安心できます。
「朔也さんこそ、どうしたんです?」
「俺は少しお酒に酔ったから海の風に当たって散歩してただけだよ。由愛ちゃんは旅行バッグなんて持ってこれから旅行にでも行くの?電車ないと思うけど」
「旅行じゃありません。家出です」
「……は?」
あ然とした表情を浮かべる朔也さん。
事情を話せば彼なら……だ、ダメです、ここで彼に頼ろうとしたら私の負けです。
朔也さんなら私の相談にものってくれるでしょう。
けれど、それじゃいつもの私のままで変わらないんです。
私はいつも人に頼り、甘えてばかりいました。
そんな自分が嫌になったからこそ、姉さんと言い争い喧嘩してしまったんです。
雫姉さんの言葉はほとんど正しくて、私は自分が悲しくなるほどダメに思えました。
“決断を要す”。
そんな事さえできない私を変えたいんです。
「えっと、家出ってあの家出?」
「……そうです。私は独り立ちするんです」
「独立問題?意味が分からないんだけど?」
「私は大丈夫ですから。朔也さんは気をつけて家に帰ってください。酔ってるんでしたら、足元に気をつけて下さいね」
朔也さんは「酔いなんて今、さめたよ」と驚いた顔をしました。
私は駅の方へと歩こうとすると彼も付いてきます。
「ま、待ってくれ、由愛ちゃん。一人でどこにいくつもりだ?」
「とりあえずは駅前に。今からでも泊まれるホテルはあるかもしれません」
「そりゃ、ビジネスホテルくらいならあるけどさ。なんで?家出の理由は?」
「……雫姉さんと喧嘩しました」
つい勢いで、何も考えずに家を出てしまい困っています。
けれども、そんな事を彼に言うわけにはいきません。
「こんな時間に女の子を一人歩きなんてさせられない」
「いいんです。ここで朔也さんに甘えたら、私の負けなんです」
「……負け?今日の由愛ちゃんはどうしたんだ?」
不思議そうな顔をする彼を置いて私は歩きだします。西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
本音を言えば、私だって怖いです。
ホントは今すぐにでも朔也さんに甘えて頼りたいです。
でも、私にだってプライドくらいあります。
姉さんにあれだけ言われて、すぐに人に頼るわけにはいきません。
「由愛ちゃん?おーい?」
無言で暗い夜道を歩いていると、前から観光客風の男の人達が来ました。
お酒を飲んでいるのか、すごく雰囲気が悪そうです。
「おー、めっちゃ可愛い、美少女発見!いいねぇ、可愛いねぇ」
「お嬢ちゃん。ひとりなら俺達と一緒に飲まない?」
「今から2軒めの店に行こうと思ってるだけどさぁ。どこかいいとこ、ない?」
数人の男達に声をかけられて、びくっとしてしまい、足がすくみます。
別に何かされるわけでもないのに、怖いと思いました。
そうです、私は元々、あまり男性が得意ではないんです。
知らない人に声をかけられるのはもっと苦手なんです。
さ、朔也さん――!
思わず、後ろを振り返ると、まだ朔也さんがついてきてくれていました。
彼はそっと私の肩に手をかけて男の人達に言いました。
「おいおい、お兄さんたち、俺の恋人をからかわないでくれ。この子、怖がらせたら許さないよ。お酒を飲みたいなら、この先に深夜までやってる居酒屋があるからさ。そこのお店のお姉さんは美人だから、そちらにどうぞ」
「マジで?そりゃ、いいねぇ」
「行こうぜ、行こうぜ。兄ちゃん、情報サンキューな」
笑いながら男の人達が立ち去って行くのを眺めていました。
いなくなり静けさが戻り、私は安堵のため息をつきます。
「ふぅ。朔也さん、ありがとうございました」
「この季節は観光客が多いから、ああいう類の男がいっぱいいるよ。今回はただのお兄さん達だったけど、危ない奴もたまにいる。それでも、一人で行くの?」
「ひ、一人で行きま……す……」
私の心はすっかりと揺らいでいました。
もう怖い想いはしたくありません。
身体を軽く震わせていると、朔也さんにそっと抱きしめられてしまいます。
「あっ……朔也さん……」
「何があったのか知らないけど、それは明日にはできないのかな?今日はやめない?家に帰りたくないなら、今日は俺の家に泊まればいいし。もちろん、俺が何かやましい事をするわけもない。雫さんに何されるか分からないからね」
「朔也さん……でも……」
「由愛ちゃん。俺が心配なんだ。ここで由愛ちゃんを一人で行かせて、何かあったらすごく心配だよ。俺を心配させないで欲しいんだ。ダメかな?」
そんな風に言われてしまったら、私は頷くしかありません。
「はい、分かりました」
朔也さんはずるいです。
優しすぎるからつい甘えたくなります。
やはり、私にとって彼はお兄さんのような頼りにしてしまう存在なんです。
彼の家に到着すると、たった30分だけ外に出てただけなのにすごく疲れました。
私には家出は向いてないどころか、無謀すぎる挑戦でした。
飛べないペンギンがスカイダイビングするくらいに無謀なものです。
朔也さんがいなければきっと、私はすぐにでも家に逃げ帰っていたかもしれません。
そして、姉さんに大いに笑われてしまったに違いありません。
自分で何もできないダメな私。
ホントに嫌になります。
朔也さんの家にはいくつか部屋があり、そのひとつを案内してくれました。
「それじゃ、由愛ちゃんはこの部屋を使ってくれ。普段は誰も使ってない部屋だから」
「……はい。お世話になります」
「一応、確認だけどさ。雫さんに連絡した方が良い?」西班牙蒼蝿水
「いえ、いいです。私、家出中ですから」
すぐに朔也さんを頼ったなんて知れたら、また姉さんに笑われてしまいます。
『ほら、私の言った通りじゃない。由愛にすぐ自立なんて無理なのよ』
……笑い声までリアルに想像できました。
そう言われたくはないので、私は姉さんには秘密にしておいて欲しいです。
「……姉妹喧嘩?っていうか、由愛ちゃんと雫さんが喧嘩することってあるの?」
「私の人生で初めての喧嘩なんです。姉さんには内緒でお願いします」
「んー、了解。それじゃ、とりあえずはお風呂でも入ってよ。お話はその後でいいからさ。シャワーでも浴びたら頭もすっきりとすると思うからさ」
朔也さんに言われるがままに私はお風呂場に行きました。
温かいシャワーを浴びながら私は自分の決意のなさに呆れてしまいました。
「私は何をしてるんでしょう」
姉さんに言い負かされて、子供のように家出の真似ごとをして。
結果として家出から30分も待たずに、朔也さんに頼ってしまって。
「ダメな私は何をしてもダメなのかもしれません」
完全に自信を喪失してしまい、私は涙がこぼれてきました。
姉さんからあんな風に言われてしまったのが悔しいのかもしれません。
「私だって、意地くらいはあるんです」
シャワーのお湯が涙を洗い流していきます。
「子供扱いされても仕方ないのかも……い、いえ、そこまで自信をなくすと私の行動が無意味になってしまいます。姉さんに見せつけなくてはいけないんです。私でも、自立できるということを……頑張れば、なんとかなるはずです」
気持ちを何とか立ち直させようとします。
「……朔也さん。私が困ってる時にいつも現れてくれますよね」
今日、彼が“偶然”、あの場所にいてくれてよかったです。
いつだって、私が困っていれば助けてくれるから、頼りにしてしまいます。
その夜、家に帰ってソファーに寝転がりながら、俺はテレビを見ていた。
バラエティー番組に笑っていると、俺の携帯電話が鳴る。
「はいはい。今、出ますよ……って、星野家の番号?」
ディスプレイ表示は『星野家』。
一応、教えてもらって電話番号を登録しているが、鳴るのは初めてだ。
茉莉なら俺の番号を知ってるはずだし、まさか……。
「はい、鳴海ですけど?」
『鳴海。私よ、雫だけど』
予想通りだが、意外な相手である雫さんが電話をしてきた。
さっき、美帆さんの店で会ったばかりなのに。
「し、雫さん。さっきぶりです。電話なんて珍しいですね。何か用事でも?」
『……今、暇よね?暇ならばお願いがあるんだけどいい?』
暇と決めつけられると寂しいです。
俺は「なんでしょう?」と尋ね返すと意外な事が彼女の口から告げられた。
『たった今、うちの妹が家出したの』
「え?茉莉ですか?」
『違うわよ。由愛の方なの。ちょっと言いすぎて喧嘩しちゃってね。ムキになって家を飛び出しちゃった。だから、アンタの方で保護して欲しいの。下手に夜の町をうろつかれるのも危ないから一晩くらい泊めてあげて』
「……え?えぇ?どういうことっすか?初めから説明してください」
由愛ちゃん、家出する。
そんな驚きの情報に俺は雫さんに説明を求めたのだった。
要約すると、由愛ちゃんと雫さんが喧嘩しました。
そこが想像できないのだが、ありえなくね?
あの天使のような由愛ちゃんが雫さんと言い争うなんて。
「雫さん、由愛ちゃん相手におとなげないです」
『うるさいわよ。由愛だって、悪いの。前から気になっていたから、ちゃんと話そうと思っていたのよ。あの子はね、もっと世界を広げるべきだし、自分の意思で幸せになろうとしないとダメなのよ。いつまでも箱入り娘じゃダメなの』
ちゃんと由愛ちゃんの事を考えてのことなんだろ。
雫さんは厳しい人だが、そこにはちゃんとした愛がある。
一応は茉莉相手にもきっと愛はあるんだろう。
永遠に理解されないかもしれんが。
『夢も恋も他人任せじゃ、幸せになれないでしょう。私は由愛に変わって欲しかったの。あの子が自分で決めて、幸せを求めるようになって欲しいから』procomil spray
自立心。
由愛ちゃんは箱入り娘で、その気持ちが薄いらしい。
そこを何とかさせたいと言う雫さんの気持ちも分かる。
「それで家出させるように仕向けたんですか?」
『……それは私の言いすぎ。反省はしてる。早く帰ってきて欲しいわ』
「なるほど。由愛ちゃんもムキになる事はあるんですね」
俺と話をしてる時の由愛ちゃんは我を出す事をあまりしないように見えたのに。
言い争うなんて想像もできないぜ。
『怒る、と言う事に慣れてないからこそ、短絡的に家出なんでしょ。誰だって、勢いで言っちゃうこともあれば、行動する事もある。時間がないから、さっさと迎えに行ってあげて。私からの連絡は隠す方向で対応してね』
ここで雫さんが動いてる事を知られたら、またムキになってしまう。
それだけ冷静に分かっているのに、どうして雫さんは由愛ちゃんと喧嘩したんだろう。
「……由愛ちゃんの事は任せてください。身柄を確保したらまた連絡します」
『よろしく。私の携帯の番号を教えておくわ』
俺はそれをメモしてから電話を切って、家を出た。
すぐに由愛ちゃんは発見できた。
星野家から繋がる坂道をおりてくる彼女。
しょんぼりとして不安そうな今にも泣きそうな顔をしていた。
「やぁ、由愛ちゃん。こんばんは。どうしたの、こんな時間に?」
俺は雫さんから連絡を受けた事を伏せて、偶然の再会を装った。
何とか彼女を説得して俺の家まで連れてくることに成功。
由愛ちゃんは姉と喧嘩した事にショックを受けてるようだ。
雫さんも、もう少しだけ優しく言ってあげればいいのに。
「とりあえずはお風呂でも入ってよ。お話はその後でいいからさ。シャワーでも浴びたら頭もすっきりとすると思うからさ」
「はい。すみません、お世話になります」
彼女がシャワーを浴びてる間に俺は再び雫さんに連絡をした。
心配していたのか、すぐに電話に出てくれる。
「由愛ちゃんの確保に成功しました。予定通り、今日はこの家に泊めようと思います」
『そう。ありがとう。あの子は今、何をしてるの?』
「今さっきから、お風呂に入ってます」
『もしも、由愛のシャワーを覗いたら……分かるわね?』
お、俺の命が危ない。
それは想像しなくても分かります。
「覗きませんってば。俺を男として信頼してくれてるんでしょ?俺は恋人じゃない子に手を出す真似はしませんよ。恋人になれば色々とやっちゃいますが」
『うちの妹がお前の毒牙にかからない事を祈るわ。由愛と恋愛関係になる、なんて想像はしたくないけども。そればかりは自由意志だからね。あの子がそう決めたのなら、それも仕方のないこと。決められたら、の話だけども』
「意外ですね。てっきり、お前ごときに由愛はやらんって言われるのかと思いました」
いつもの雫さんならそう言うのだけど。
今日の彼女はいつもと違う。
本音で俺にも接してくれている気がした。
彼女は電話越しに真面目な声で言うんだ。
『由愛や茉莉が懐いた、お前をそれなりに信頼してるということよ。あの子を裏切らず、幸せにしてくれるなら、アンタでもいい。私の信頼をせいぜい裏切らないことね』
俺って実は雫さんに認められてるんだ、と思うと何だか嬉しかった。
『ただ、妹の純情を弄んだ時には……容赦なく潰すから』
「さ、さー、いえっさー」
やっぱり、怖い人でした。
妹思いのお姉さんを怒らせる事だけはしないようにしなくては。
雫さんとの話が終わり、茉莉が電話を代わる。
『あのね、センセー。お姉ちゃんが家出してる間は、しょこたんのお世話をちゃんとするから心配しないでって、由愛お姉ちゃんが気にしてたら言っておいて』
「了解。猫はお前に懐いてるのか」
『うんっ。しょこたんはめっちゃ可愛いんだよ。あと、由愛お姉ちゃんは早く家に帰ってきて欲しいな。雫お姉ちゃんとふたりっきりは正直辛すぎます、うぅ』
可哀想な妹の切実な願いだった。
雫さんとの報告を終えてしばらくして、由愛ちゃんがお風呂場から出てきた。
お風呂上がりの彼女が茶色の髪をタオルで拭いてる。
「……どう?少しは落ち着いた?」
「はい。落ち着きました」
少し泣いたんだろうか、瞳が赤く見えた。
ソファーに座りながら、温かいコーヒーを出す。
「コーヒーしかなくてごめん。苦手だっけ?」
「大丈夫ですよ。砂糖は多めになりますけど」
「……それで、由愛ちゃん。どうしてこんなことに?」
雫さんから大体の話の経緯は聞いてる。
由愛ちゃんが話してくれた内容も同じようなものだった。
「私には自立できないって、頭ごなしに否定されてしまったのが悲しくて。もちろん、今はその通りなんだって実感しています。家を出てすぐに自分には向いてないって思いました。でも、私も子供じゃありませんから」
子供じゃない、か。WENICKMANペニス増大
「9時半すぎ、ですね」
腕時計で時間を確認しました。
こんな時間に夜道を歩くなんて、今までしたことがありません。簡約痩身美体カプセル
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「変な人に会わなければいいんですけど」
以前にナンパしてきた観光客の人はすごく怖かったです。
通りがかった朔也さんに助けてもらわなければどうなっていたか。
あんな人が今もまた現れたら、と思うと。
「……ぐすっ、家に帰りたいです」
家から出て3分、私の心はすでに折れそうになっていました。
姉さんと喧嘩なんて子供の頃にもしたことがありませんでした。
初めての経験です。
言い返しても、言い返しきれない、姉さんに反抗するのは難しすぎます。
いつも頑張って反抗してる茉莉ちゃんがすごいと思いました。
「とりあえず、駅の方に行きましょう。動けば何とかなるものです、きっと」
こんな山中にいる方が危ない気もします。
この辺りはイノシシとか、野生動物に出くわすこともあるんです。
もっと山奥の方にはクマもいますし、時々、こちらの方におりてくることも……。
「……怖くなってきました」
普段は意識しないのに、不安になると何もかもが怖くなります。
不安になることだらけです。
足早に坂道を下りていくと、ようやく、海沿いの道路が見えてきました。
その辺りで私は声をかけられたんです。
「……あれ?由愛ちゃん?どうしたの、こんな時間に?」
「さ、朔也さん?」
朔也さんの顔を見てホッとしました。
不安な時に親しい人に会うと安心できます。
「朔也さんこそ、どうしたんです?」
「俺は少しお酒に酔ったから海の風に当たって散歩してただけだよ。由愛ちゃんは旅行バッグなんて持ってこれから旅行にでも行くの?電車ないと思うけど」
「旅行じゃありません。家出です」
「……は?」
あ然とした表情を浮かべる朔也さん。
事情を話せば彼なら……だ、ダメです、ここで彼に頼ろうとしたら私の負けです。
朔也さんなら私の相談にものってくれるでしょう。
けれど、それじゃいつもの私のままで変わらないんです。
私はいつも人に頼り、甘えてばかりいました。
そんな自分が嫌になったからこそ、姉さんと言い争い喧嘩してしまったんです。
雫姉さんの言葉はほとんど正しくて、私は自分が悲しくなるほどダメに思えました。
“決断を要す”。
そんな事さえできない私を変えたいんです。
「えっと、家出ってあの家出?」
「……そうです。私は独り立ちするんです」
「独立問題?意味が分からないんだけど?」
「私は大丈夫ですから。朔也さんは気をつけて家に帰ってください。酔ってるんでしたら、足元に気をつけて下さいね」
朔也さんは「酔いなんて今、さめたよ」と驚いた顔をしました。
私は駅の方へと歩こうとすると彼も付いてきます。
「ま、待ってくれ、由愛ちゃん。一人でどこにいくつもりだ?」
「とりあえずは駅前に。今からでも泊まれるホテルはあるかもしれません」
「そりゃ、ビジネスホテルくらいならあるけどさ。なんで?家出の理由は?」
「……雫姉さんと喧嘩しました」
つい勢いで、何も考えずに家を出てしまい困っています。
けれども、そんな事を彼に言うわけにはいきません。
「こんな時間に女の子を一人歩きなんてさせられない」
「いいんです。ここで朔也さんに甘えたら、私の負けなんです」
「……負け?今日の由愛ちゃんはどうしたんだ?」
不思議そうな顔をする彼を置いて私は歩きだします。西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
本音を言えば、私だって怖いです。
ホントは今すぐにでも朔也さんに甘えて頼りたいです。
でも、私にだってプライドくらいあります。
姉さんにあれだけ言われて、すぐに人に頼るわけにはいきません。
「由愛ちゃん?おーい?」
無言で暗い夜道を歩いていると、前から観光客風の男の人達が来ました。
お酒を飲んでいるのか、すごく雰囲気が悪そうです。
「おー、めっちゃ可愛い、美少女発見!いいねぇ、可愛いねぇ」
「お嬢ちゃん。ひとりなら俺達と一緒に飲まない?」
「今から2軒めの店に行こうと思ってるだけどさぁ。どこかいいとこ、ない?」
数人の男達に声をかけられて、びくっとしてしまい、足がすくみます。
別に何かされるわけでもないのに、怖いと思いました。
そうです、私は元々、あまり男性が得意ではないんです。
知らない人に声をかけられるのはもっと苦手なんです。
さ、朔也さん――!
思わず、後ろを振り返ると、まだ朔也さんがついてきてくれていました。
彼はそっと私の肩に手をかけて男の人達に言いました。
「おいおい、お兄さんたち、俺の恋人をからかわないでくれ。この子、怖がらせたら許さないよ。お酒を飲みたいなら、この先に深夜までやってる居酒屋があるからさ。そこのお店のお姉さんは美人だから、そちらにどうぞ」
「マジで?そりゃ、いいねぇ」
「行こうぜ、行こうぜ。兄ちゃん、情報サンキューな」
笑いながら男の人達が立ち去って行くのを眺めていました。
いなくなり静けさが戻り、私は安堵のため息をつきます。
「ふぅ。朔也さん、ありがとうございました」
「この季節は観光客が多いから、ああいう類の男がいっぱいいるよ。今回はただのお兄さん達だったけど、危ない奴もたまにいる。それでも、一人で行くの?」
「ひ、一人で行きま……す……」
私の心はすっかりと揺らいでいました。
もう怖い想いはしたくありません。
身体を軽く震わせていると、朔也さんにそっと抱きしめられてしまいます。
「あっ……朔也さん……」
「何があったのか知らないけど、それは明日にはできないのかな?今日はやめない?家に帰りたくないなら、今日は俺の家に泊まればいいし。もちろん、俺が何かやましい事をするわけもない。雫さんに何されるか分からないからね」
「朔也さん……でも……」
「由愛ちゃん。俺が心配なんだ。ここで由愛ちゃんを一人で行かせて、何かあったらすごく心配だよ。俺を心配させないで欲しいんだ。ダメかな?」
そんな風に言われてしまったら、私は頷くしかありません。
「はい、分かりました」
朔也さんはずるいです。
優しすぎるからつい甘えたくなります。
やはり、私にとって彼はお兄さんのような頼りにしてしまう存在なんです。
彼の家に到着すると、たった30分だけ外に出てただけなのにすごく疲れました。
私には家出は向いてないどころか、無謀すぎる挑戦でした。
飛べないペンギンがスカイダイビングするくらいに無謀なものです。
朔也さんがいなければきっと、私はすぐにでも家に逃げ帰っていたかもしれません。
そして、姉さんに大いに笑われてしまったに違いありません。
自分で何もできないダメな私。
ホントに嫌になります。
朔也さんの家にはいくつか部屋があり、そのひとつを案内してくれました。
「それじゃ、由愛ちゃんはこの部屋を使ってくれ。普段は誰も使ってない部屋だから」
「……はい。お世話になります」
「一応、確認だけどさ。雫さんに連絡した方が良い?」西班牙蒼蝿水
「いえ、いいです。私、家出中ですから」
すぐに朔也さんを頼ったなんて知れたら、また姉さんに笑われてしまいます。
『ほら、私の言った通りじゃない。由愛にすぐ自立なんて無理なのよ』
……笑い声までリアルに想像できました。
そう言われたくはないので、私は姉さんには秘密にしておいて欲しいです。
「……姉妹喧嘩?っていうか、由愛ちゃんと雫さんが喧嘩することってあるの?」
「私の人生で初めての喧嘩なんです。姉さんには内緒でお願いします」
「んー、了解。それじゃ、とりあえずはお風呂でも入ってよ。お話はその後でいいからさ。シャワーでも浴びたら頭もすっきりとすると思うからさ」
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温かいシャワーを浴びながら私は自分の決意のなさに呆れてしまいました。
「私は何をしてるんでしょう」
姉さんに言い負かされて、子供のように家出の真似ごとをして。
結果として家出から30分も待たずに、朔也さんに頼ってしまって。
「ダメな私は何をしてもダメなのかもしれません」
完全に自信を喪失してしまい、私は涙がこぼれてきました。
姉さんからあんな風に言われてしまったのが悔しいのかもしれません。
「私だって、意地くらいはあるんです」
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暇と決めつけられると寂しいです。
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「え?茉莉ですか?」
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由愛ちゃん、家出する。
そんな驚きの情報に俺は雫さんに説明を求めたのだった。
要約すると、由愛ちゃんと雫さんが喧嘩しました。
そこが想像できないのだが、ありえなくね?
あの天使のような由愛ちゃんが雫さんと言い争うなんて。
「雫さん、由愛ちゃん相手におとなげないです」
『うるさいわよ。由愛だって、悪いの。前から気になっていたから、ちゃんと話そうと思っていたのよ。あの子はね、もっと世界を広げるべきだし、自分の意思で幸せになろうとしないとダメなのよ。いつまでも箱入り娘じゃダメなの』
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永遠に理解されないかもしれんが。
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由愛ちゃんは箱入り娘で、その気持ちが薄いらしい。
そこを何とかさせたいと言う雫さんの気持ちも分かる。
「それで家出させるように仕向けたんですか?」
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「なるほど。由愛ちゃんもムキになる事はあるんですね」
俺と話をしてる時の由愛ちゃんは我を出す事をあまりしないように見えたのに。
言い争うなんて想像もできないぜ。
『怒る、と言う事に慣れてないからこそ、短絡的に家出なんでしょ。誰だって、勢いで言っちゃうこともあれば、行動する事もある。時間がないから、さっさと迎えに行ってあげて。私からの連絡は隠す方向で対応してね』
ここで雫さんが動いてる事を知られたら、またムキになってしまう。
それだけ冷静に分かっているのに、どうして雫さんは由愛ちゃんと喧嘩したんだろう。
「……由愛ちゃんの事は任せてください。身柄を確保したらまた連絡します」
『よろしく。私の携帯の番号を教えておくわ』
俺はそれをメモしてから電話を切って、家を出た。
すぐに由愛ちゃんは発見できた。
星野家から繋がる坂道をおりてくる彼女。
しょんぼりとして不安そうな今にも泣きそうな顔をしていた。
「やぁ、由愛ちゃん。こんばんは。どうしたの、こんな時間に?」
俺は雫さんから連絡を受けた事を伏せて、偶然の再会を装った。
何とか彼女を説得して俺の家まで連れてくることに成功。
由愛ちゃんは姉と喧嘩した事にショックを受けてるようだ。
雫さんも、もう少しだけ優しく言ってあげればいいのに。
「とりあえずはお風呂でも入ってよ。お話はその後でいいからさ。シャワーでも浴びたら頭もすっきりとすると思うからさ」
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心配していたのか、すぐに電話に出てくれる。
「由愛ちゃんの確保に成功しました。予定通り、今日はこの家に泊めようと思います」
『そう。ありがとう。あの子は今、何をしてるの?』
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お、俺の命が危ない。
それは想像しなくても分かります。
「覗きませんってば。俺を男として信頼してくれてるんでしょ?俺は恋人じゃない子に手を出す真似はしませんよ。恋人になれば色々とやっちゃいますが」
『うちの妹がお前の毒牙にかからない事を祈るわ。由愛と恋愛関係になる、なんて想像はしたくないけども。そればかりは自由意志だからね。あの子がそう決めたのなら、それも仕方のないこと。決められたら、の話だけども』
「意外ですね。てっきり、お前ごときに由愛はやらんって言われるのかと思いました」
いつもの雫さんならそう言うのだけど。
今日の彼女はいつもと違う。
本音で俺にも接してくれている気がした。
彼女は電話越しに真面目な声で言うんだ。
『由愛や茉莉が懐いた、お前をそれなりに信頼してるということよ。あの子を裏切らず、幸せにしてくれるなら、アンタでもいい。私の信頼をせいぜい裏切らないことね』
俺って実は雫さんに認められてるんだ、と思うと何だか嬉しかった。
『ただ、妹の純情を弄んだ時には……容赦なく潰すから』
「さ、さー、いえっさー」
やっぱり、怖い人でした。
妹思いのお姉さんを怒らせる事だけはしないようにしなくては。
雫さんとの話が終わり、茉莉が電話を代わる。
『あのね、センセー。お姉ちゃんが家出してる間は、しょこたんのお世話をちゃんとするから心配しないでって、由愛お姉ちゃんが気にしてたら言っておいて』
「了解。猫はお前に懐いてるのか」
『うんっ。しょこたんはめっちゃ可愛いんだよ。あと、由愛お姉ちゃんは早く家に帰ってきて欲しいな。雫お姉ちゃんとふたりっきりは正直辛すぎます、うぅ』
可哀想な妹の切実な願いだった。
雫さんとの報告を終えてしばらくして、由愛ちゃんがお風呂場から出てきた。
お風呂上がりの彼女が茶色の髪をタオルで拭いてる。
「……どう?少しは落ち着いた?」
「はい。落ち着きました」
少し泣いたんだろうか、瞳が赤く見えた。
ソファーに座りながら、温かいコーヒーを出す。
「コーヒーしかなくてごめん。苦手だっけ?」
「大丈夫ですよ。砂糖は多めになりますけど」
「……それで、由愛ちゃん。どうしてこんなことに?」
雫さんから大体の話の経緯は聞いてる。
由愛ちゃんが話してくれた内容も同じようなものだった。
「私には自立できないって、頭ごなしに否定されてしまったのが悲しくて。もちろん、今はその通りなんだって実感しています。家を出てすぐに自分には向いてないって思いました。でも、私も子供じゃありませんから」
子供じゃない、か。WENICKMANペニス増大
2013年7月19日星期五
猿の指
昨日より今日と、影が長く伸びゆく時節。
たまには普段と違う道を使ってみようか。
そんな思いつきで、家路を急ぐ人波から外れ、私は脇道へと足を踏み入れた。
家で妻が私の帰りを待っている事は知っていた。けれど、時にはこういう土産話も悪くはあるまい。韓国痩身1号
それほど期待していたわけではないが、大通りから少し道をそれただけで、街の様相は大きく変わっていた。
鉄筋コンクリートのビル群から立ち並ぶ木造の古民家。そんな景観の急激な変化を戸惑いとともに楽しみ、どんな風に妻に話して聞かせようか、そんなことを考えていた。
そうしてブラブラ歩いていた時、私はその骨董屋を見つけたのだった。
明の時代に作られたという青磁に魅入られて以来、古美術にハマってしまった私は迷うことなくその店に足を踏み入れた。
ちりんちりん。涼やかな鈴の音が耳朶を揺らす。
「いらっしゃい。どうぞ、見ていってやってくださいな」
古式蒼然とした家屋と同様、風鈴の音にこちらを見やった店主の佇まいも着流しに煙管と、まるで往時から抜け出してきたようだった。
いかにも怠惰げな若い店主は私に一声かけた後、煙管をぷかりとふかして、それっきりこちらに目線をやろうともしなかった。
私としてもそちらの方が好ましいので、遠慮なく店内を見て回る事にした。
店内は決して狭いわけではないのだが、入口と店主が座る奥座敷への入り口らしき部分を結ぶ通路以外の場所に雑然と品々が積み上げられていて、外からの見た目からは予想できないほどの圧迫感があった。
また、この店の品揃えは私が期待していたものとはまるで違っていた。
『飾ったら死にます』と手書きのメモが添えられた5号サイズの仏像画。何の変哲もないビニール傘には、やはり手書きの『持って歩くと必ず晴れます。ただし、下痢が止まりません』というメモが添付されていた。
他にも茶色いシミのついた和箪笥、『中古注意!』のポップが付けられた櫛・かんざしコーナー、など。
私ははたと気づいた。ここはいわゆるサブカルチャー――オカルト専門の骨董屋、というより悪ふざけの店、なのだろうか。
骨董品が好きと言いながら鑑定眼が全く身につかない私は何度か贋作を掴まされたりもしたが、さすがにこれらのものに手を出そうとは思わない。
店主に軽く挨拶して退出しようとした時だった。
私の視線がとらえたのは、やはり、骨董品というより悪ふざけの産物というべきもの――ミイラ化した腕だった。
いつかテレビで見た河童や、鬼の腕のようにからからに干からびた肘から先のそれには3本しか指はなく、『願い事かなえてくれます!』とあの店主が書いたとは思えないほど可愛らしい丸文字のメモがついていた。
日本だけでなく世界各地には妖怪・怪物のミイラが存在するが、それらは様々な生物をつぎはぎして作った偽物だらけなのだそうだ。
これもおそらく、というか間違いなく偽物だろう。それは分かっている。分かっているのだが――私は、その干からびた腕から目を話せないでいた。
「ああ、そいつを気に入っちまいましたか」
物憂げな声にはっと私は顔を上げる。
卓の上に片肘をついた店主は煙管をふかし、
「そいつはね、『猿の指』って呼ばれてるもんです」
「『猿の指』?」
「ええ。以前に英国に仕入れに行った時に見つけたもんなんですが、元はインドの行者が作ったものなんだそうで」
「『願いを叶えてくれる』と……ここには書いてあるが……」
「ええ。なんでもその行者が法力だか魔力だかを込めたもんらしく、指の数だけ願いを叶えてくれるんだそうですよ」
私は先程数えたにもかかわらず、再びその腕の指を見やる。
3本。つまりこの腕は3回願いを叶える法力――魔力?――を備えているということか。
「元々は6本ほど指があったとか。願いをかなえるたびに指が落ちるんだそうで」
馬鹿馬鹿しい。願いを叶える指だと。そんな子供だまし、中学生ならともかく、すでに不惑をむかえた私のようないい大人が引っ掛かるわけもあるまい。
そう思っているにも関わらず、私は『猿の指』から視線をひきはがす事が出来ない。
「で、お客さん、お金持ってます? うちは一応、現金払いが基本でして。質に入れられるもんを持ってらしたら、それで相殺ということも可能ですが」
私がそれを買うという前提で店主は面倒くさそうに言う。
いや、私は買うつもりはない……そう応えようとしたのだが、いつのまにやら私は財布を取り出し、
「いくらかね?」
そう応えていた。
私の――私たち夫婦の自宅は駅から30分ほど歩いたところにある新興住宅街だった。つい先ごろ、20年ローンで思いきって購入した。
「ただいま」
「あなた、おかえりなさい」
小柄で30を過ぎてもいまだに女学生のような雰囲気のままの妻が、笑顔で私を出迎えてくれる。
10以上も年上の私をいつも甲斐甲斐しく世話してくれる妻は、
「あら? あなた、それは?」
私が小脇に抱えた桐の箱に気づき、それを覗き込むように首をかしげた。
意外にも、といったら失礼かもしれないが、店主は『猿の指』を立派な桐の箱に納めてくれた。値段は私が想定していたよりもはるかに安かった。
「ああ、これはね……」
そこまでいいかけて、どう説明したものかと悩む。出来た妻の事だ、私を責めはすまいがあきれ果てはしないだろうか。
立ちつくす私の腕に妻がそっと触れる。
「夕飯の準備はできていますから、まずは着替えてきてくださいな」
「ああ、そうだな」
台所に向かう妻の背を見送り、私は寝室でワイシャツを着替える。新一粒神
やはり、ありのままに説明するしかあるまい。
『腕の部分を両手で握り、願いを3回繰り返す。簡単でしょ』
『その……願いをかなえる代わりに、代償のようなものが必要という事はないのかね』
『ああ、ねえです、ねえです。そういうのはインドの行者さんが支払い済みなんで』
『そうか……』
『ただ、願い事はよくよく考えて選んで下さいな。前の持ち主はそこで失敗して、こいつを手放したらしいんで。あ、何があったかは知りませんので、あしからず』
夕食後、店主の説明や、私がどうしてこれほどまでに『猿の指』が気になったのか自分でもわからないという事まで、すべてを包み隠さず話すと妻は鈴を鳴らすように笑った。私が贋作品を掴まされた時と同じ笑い方だった。
私は安堵の息をついた。
「開けてみてもいいですか?」
「ああ」
眼鏡ケースほどの桐箱を妻はひらき、枯死した枝のような『猿の指』を物怖じする様子もなく手に取った。
「あ、私こういうのテレビで見たことあります」
「河童のミイラだろう」
「ええ、そうです」
笑い、妻はそっと『猿の指』の腕の部分を両手で握った。
「あなた、1つ目の願い事は私が使ってもいいですか?」
「うん?」
妻のいつにない積極さに少し驚いたが、私はすぐに頷いた。
「ああ、いいよ」
「ありがとう、あなた。きちんと考えた願い事ですから、心配しないでくださいね」
「ああ」
聡明な妻の事だ。おかしな願い事はするまい。それに……実は私には妻が何を願うか想像がついていた。
『猿の指』を両手で包んだまま、妻は瞳を閉じた。
「『猿の指』さん、『猿の指』さん、どうか、私たち夫婦に子供を授けて下さい」
静かな声で妻は繰り返す。
その姿を見つめている私はどんな表情をしているだろう。
悲しげでなければ良いのだが。
私たち夫婦は結婚して5年になるが、子供はいない。 元々子供好きだった妻は結婚当初から子供を望んでいたが、2年過ぎても私たちは子宝に恵まれる事はなかった。
当初は年齢的に自分を疑ったのだが、病院で検査を受けたところ、どうやら妻の方が妊娠しづらい体質らしく、自然妊娠は難しいだろうということだった。
そこで私たちは子供を諦める事も出来た。
だが、弟夫婦の娘を見つめる妻の視線があまりにも物悲しげで、それを見過ごすことは私にはできなかった。
私たちは不妊治療を行うことにした。不妊治療は妻の身体に大きな負担をかけたが、妻は決して泣き言は言わなかった。ただ、検査の結果がおもわしくなかった時は私に詫びながら涙を流した。
不妊治療を始めて2年。私たちは話し合った末、治療を中止する事にした。
妻は離婚を切り出してきたが、私は頑としてそれをはねのけた。
2人で暮らしていくための家を購入し、私たちはそこに移り住んだ。
それから子供の話を妻の方から切り出してくる事はなかったのだが、やはり、未練なのだろう。
目を開いた妻は、私の方を見やり、穏やかにほほ笑んだ。
「願いがかなったら、指が落ちるんですよね」
「ああ、そう店主は言っていた」
じっと妻は『猿の指』を見つめ、
「落ちませんね」
「すぐに、とはいかないだろう」
「そうですね」
「まあ、願いを叶えるというのも眉唾ものだしな。大方、店主が適当にでっちあげたものだろう」
「あら、だったらこれは、あなたの書斎の『贋作コーナー』に飾っておかないといけませんね」
耳に痛い事を言って、ふわりと笑う。そんな妻が愛おしくて、今度は私がほほ笑んだ。
翌日、残業中の休憩がてら、部下たちに変な骨董屋を見つけたという話――無論、私が買った『猿の指』の事はのぞいてだが――をしていた時だった。
私の携帯に、弟夫婦が水難事故に遭ったと妻から連絡があったのは。
ダイビングショップを経営し、インストラクターもしていた弟夫婦はシーズンを前に近隣のスポットに潜っていたらしい。
普段であれば、姪が小学校から帰宅する頃には弟か義妹のどちらかが家に戻っているそうなのだが、その日はいつまでたってもどちらも帰ってこなかったのだそうだ。
姪から相談された妻が夕方になっても連絡がつかないことから警察に連絡し、沖合に漂う無人のボートが見つかったことで、遭難が発覚した。
結局、弟夫婦の死体は一部しか見つからなかった。
捜索開始から3日目。弟夫婦のものと思われる手首だけが浜辺に打ち上げられた。サメか何かに食いちぎられたものらしい。
これによって弟夫婦は死亡認定され、その手首だけが、荼毘に付された。
私の両親は既になく、義妹の両親は高齢だった為、たった一人残された姪は、私たち夫婦が引き取り育てることとなった。
弟の捜索が行われている間、妻がそばにいて面倒を看ていた事もあり、姪自身もすんなりとこれを了承した。
姪は弟に似ず、中学生1年生にしては聡い子で、すぐに私たちの家での生活に慣れた。
2人だけだった家に姪が来たという、ただそれだけのことで家の中の空気は大きく変わった。
弟夫婦の事を思えば薄情のそしりを受けても甘んじるしかないが、私も妻も、どこか浮かれ気分で、姪には何が必要か、どういう風に育ててあげればいいだろうか、というのを姪が寝静まった夜に2人で顔を寄せて話し合った。
互いにこぼれんばかりの笑みを浮かべている事に気づき、ばつの悪い思いをして、けれどすぐにまたほほ笑む。
亡き弟夫婦の為にも、私たちが姪を立派に育て上げてやらなければならないと思う。
だが、私の胸にはどうにも無視することのできない、真っ黒なしこりのようなものがある。
両親の夢を見て泣く姪をなだめに向かう妻の背を見送ったあと、私は自分の書斎の収集品を眺めている事が多くなった。
さまよう私の視線は、いつも小さな桐の箱の上で止まる。
もしかしたら――
『猿の指』が私たちの願いを叶えたのではないだろうか。蔵八宝
弟夫婦が死に、私たちは姪を得た。
そんな馬鹿な、と私の中の常識は告げる。
だが、あまりにもタイミングが良すぎたように感じるのだ。
そんなわけはない。ミイラが願いを叶えてくれるなんて、どう考えてもおとぎ話の中にしかないだろう。
だが――私は自分の疑いを払拭できない。
確かめるのは簡単だ。
この桐の箱を開けてみればいい。
『猿の指』が3本残っている事を確認すればいい。
そして、ああ、やっぱり騙された、と箱を放ればいい。
ただそれだけのことだ。
なのに、私の手は動かない。
そもそも確かめる必要などない。このままあの骨董屋に――いや、燃えるゴミにでも出してしまえばいい。
なのに、そうしようという気になれない。どうしてもなれない。
胸の奥にくすぶる、小さな罪の意識がそうさせない。
だから私は、桐の箱の蓋を――
――開けた。
「そんな……馬鹿な……」
『猿の指』は、2本になっていた。
落ちた指の形跡すら箱の中のどこにも見当たらない。
そんなわけがない。そんなわけがないはずだ。
そう、こんな乾燥した状態だ。指は自然に落ち、飛散した。そうに違いない。
動悸をおさえるように胸を当て、私は深い呼吸を繰り返した。
これから私がすべきことは、もはや自明だ。
とにもかくにも、この『猿の指』は、処分しなければならない。
何があろうと妻の目にこれを触れさせる事があってはならない。
燃やす? いや、あの店主に返すのが一番いいだろう。この期に及んでは、家に置いておいたり、自分で処理しようとするよりも、そちらの方がいいはずだ。
桐の箱に『猿の指』を納め、書斎の隅に箱をしまおうとした時――
「あなた……?」
不意に背後から響いてきた妻の声に、私はびくりと身を震わせた。
「ああ……どうかしたのかい? あの子は……もう寝ついたのかい?」
反射的に言葉を返しながら、やはり無意識のままに桐箱を私は胸元に隠す。
「ええ……あの子は寝つきました」
「そうか、それはよかった。これからも、こういう事はあると思うが、私たちが支えていってやらねばな」
空々しく落とした私の言葉に妻は反応しない。私も、妻に背を向けたまま微動だにしない。できない。
どうして、妻の顔を真正面から見る事が出来るだろう。
私が、妻をそそのかしたというのに。
あの店主から『猿の指』の話を聞いた時、真っ先に浮かんだのは妻のことだった。妻ならこう願うだろう。私は知っていた。『子供が欲しい』と、そう願うだろうという事を。
私が願えば妻は自分を責める。だから……
「指……落ちていたのですね」
妻の言葉に私ははっと顔を上げる。
「……見ていたのか」
「はい……ごめんなさい」
「……そうか」
書斎の入口に立つ妻にかける言葉が、私にはない。なんと声をかける事が出来ただろう。
「罪深いことを……」
居心地の悪い沈黙の後、妻はか細い声で呟いた。
「なんと罪深い事を……してしまったのでしょう……」
自分たちの子供欲しさに、弟夫婦の命を、私たちは奪った。
「いや……この『猿の指』は関係ない……弟たちは……」
「仮にそうだとしても、両親は自分の不注意で亡くなっただけなのだと、あなたはあの子に言えるのですか? 『猿の指』に子供を願った私たちが、胸をはって、そう言えるのですか?」
「それは……」
妻の言葉に反駁する術を私は持たない。なぜなら……私自身が、今、胸の奥で、無視できないほどに育った罪の意識に押しつぶされそうになっているからだ。
「あの子に……」
胸の前で握り合わせた手をぶるぶると震えさせながら、妻は言う。
「あの子に……両親を返してあげましょう。『猿の指』が叶えてくれる願いはまだ残っているのでしょう?」
「いや、それは……」
妻の言葉に異を唱えたのは、何も、やっと手に入れた『子供』を失いたくないという感情からではない。
全ては偶然。偶然なのだ。たまたま、私たちは子を願い、たまたま、弟夫婦が事故に遭った。妻は一時的にナーバスになっているだけで、もっと落ち着いてから、我々の罪の意識について考えるべきだ。
それに――もし、万が一、『猿の指』が本物だったとして、その願いの叶え方はひどく現実的で、無慈悲だ。機械的といってもいい。
子供が欲しい。その願いを叶える為ならば、妻を妊娠させる。それが普通だ。だが、『猿の指』は弟夫婦を殺し、姪を私たちに与えた。
ならば、『姪の両親を蘇らせてくれ』と願ったとして、それは、果たして妻が思うような形になるだろうか。
水難事故で死んだ、そのままの姿で姪の元に返ってくるのではないだろうか。手首を失い、ぶよぶよにふやけた、そんな姿で。
「待て。少し話し合おう」
そう言った時には既に遅く、妻は私の腕から『猿の指』をとりあげ、VIVID
「『猿の指』さん、『猿の指』さん、どうか、あの子の両親を生き返らせて下さい」
と、早口で繰り返していたのだった。
「そんなことを……」
したって何の意味もない。これは偽物なのだから。自分の中の言葉にできない焦燥、そういったものを誤魔化すために、諭そうとした私の目の前で、『猿の指』の残り2本のうちの1本が落ちた。
ぺきり、と根元から折れ、砂の塊のように端から崩れていく。
こんなことが……ありえるのか。
妻から『猿の指』をひったくるように奪い返し、私は残る1本の指を無理やりにでも折ろうとしたが、それはびくともしなかった。まるで鉄の棒のようで、どれだけ力を込めようとも果たせそうになかった。
そういうことなのか。
弟夫婦が海難事故で死んだのは、それによって姪が私たちの所へ来たのは、やはり、すべて『猿の指』の仕業――いや、私たちがそれを願ったせいだというのか。
私は――弟夫婦を生贄に捧げて子供を得たというのか。
私は……罪深い。なんて罪深い事を……
胸中で繰り返した私の眼前で、妻はその場にすとんと腰を落とした。茫然自失、まるで魂が抜け落ちたかのようなその表情を見やって、私は思う。
妻は――妻も、おそらくは『猿の指』の信憑性などという事は信じていなかったのだと思う。先程の行動は、一種のヒステリーだったのだろう。
だが、私たちは見てしまった。
目の前で見てしまった。
私たちは自覚しなければならない。
私たちの罪を。
「あなた……」
それから、どれくらいの時間が経っただろう。
呆けていた私は、妻のか細い声に我を取り戻した。
「……なんだ」
「私たちは……」
妻は両手で自らの顔を覆う。
「私たちは……許されるのでしょうか……」
指の隙間から嗚咽を漏らす妻。私は小さく首を振りながら、妻の肩に手を置いた。
「わからない……私たちには、きっと、わからない……」
泣き崩れる妻を寝室に促そうとした時だった。
だん!
と、無遠慮な騒音が鼓膜を叩いた。
「……あなた……」
「ああ……」
妻と顔を見合わせる。
音がしたのは玄関の方だ。来客のある時刻でもないし、そもそもその予定もない。
だん! だん! だん!
私たちの不安をよそに、打撃音はやまない。
だん! だん! だんだんだんだん!
断続的だったものが、苛立ちを表すかのように連続して続く。
「……あなた……ああ、あなた……あれはきっと……」
「2階のあの子のところへ行きなさい。私が呼ぶまで、決して部屋から出ないように」
「でも……あなた……」
「いいから、早く行きなさい!」
私の声に、びくりと身を震わせた妻は、視線を左右に泳がせてから立ち上がった。書斎の入口でこちらを振り返る妻に頷いて見せると、妻は不安げな眼差しを残して消えていった。
たったったっ、という妻が階段を上る音を聞きながら、私は再び『猿の指』を桐の箱から取り出していた。
だんだんだんだんだん!
音は、玄関から、ドアを粉砕せんばかりに響いていた。
また、それだけでなく、
ずり……ずり……
何者かが、何かが、足を引きずりながら庭を歩きまわっている。
各所の戸締りは問題ないから『彼ら』が家の中に侵入してくる事はないだろう。
私は右手に『猿の指』を握りしめ、極力足音を立てないようにしながら、玄関へと向かった。
だんだんだんだんだん!
ノックよりもドア自体を破壊する事を目的としているかのようなその轟音。
私にはわかる。
この向こうにいるのは弟だ。
私たちの身勝手によって命を失った弟だ。間違いなく。
私は……私は、どうすればよいのだろう。
鍵を開けて弟を、弟夫婦を迎え入れる事は簡単だ。
だが……
このドアの向こうにいる弟は、果たして、私の知っている弟なのだろうか。
この感情は、懐疑ではない。
恐怖だ。
だんだんだんだんだん!
ずり……ずり……
私は罪を認める。
私たちは、弟夫婦から、子供を奪った。
それは、許されざるものだ。
だが……だが、罪人の戯言と嗤ってくれてもいいが、姪には、何の罪もない。
私たちが犯した罪によって、姪が不幸になるなどという事は、決してあってはならない。
全てをなかった事にする。私がすべき事は、それだけだろう。
だから、私は、『猿の指』を眼前に掲げ――
――願った。
煙管をくゆらせながら、今日も店主は滅多に来ない客を待つ。
先刻まで暇つぶしに店主が読んでいた色褪せた新聞紙の地域面。そこにはこんな記事が載っていた。
『放火か? 不審火により家屋全焼。生存者は――』
「店長! お客さんがいないならこっちの整理手伝って下さい!」
奥から聞こえてくる声を一顧だにすることなく、店主はぷかりと煙を吐いた。
「店長! 蔵の中身、めちゃくちゃですよ?!」
最近仕方なく雇ったバイトは、雇用主を罵倒するにも躊躇がない。中学生をバイトに使っているとなったら色々差し障りがあるので強く出る事は難しいし、施設入所者となればなおさらだ。
「へえへえ」
投げやりに返して店主は着流しのまま立ち上がった。
どうせ客は来ないだろうから、今日はこのまま閉店にしてもいいだろう。
「それにしたって、責任なんてこっちが負うもんでもねえでしょうに。我ながら、お人よし過ぎでしょ」
入口の札を『本日閉店』にひっくり返し、店主は小さく呟いた。
「あの……店長」
不意に背後から聞こえてきた少女の声に、店主はひょうひょうと応じる。
「んん? なんでしょ?」
「これなんですけど……」
青いエプロンを身に付けた少女の手に握られていたのは――
3本指の、からからに乾いたミイラの腕。強力催眠謎幻水
「そこの廊下に転がってたんですけど……なんです、この気持ち悪いの?」
困惑気な少女の言葉に、店主は小さな笑みを返した。
たまには普段と違う道を使ってみようか。
そんな思いつきで、家路を急ぐ人波から外れ、私は脇道へと足を踏み入れた。
家で妻が私の帰りを待っている事は知っていた。けれど、時にはこういう土産話も悪くはあるまい。韓国痩身1号
それほど期待していたわけではないが、大通りから少し道をそれただけで、街の様相は大きく変わっていた。
鉄筋コンクリートのビル群から立ち並ぶ木造の古民家。そんな景観の急激な変化を戸惑いとともに楽しみ、どんな風に妻に話して聞かせようか、そんなことを考えていた。
そうしてブラブラ歩いていた時、私はその骨董屋を見つけたのだった。
明の時代に作られたという青磁に魅入られて以来、古美術にハマってしまった私は迷うことなくその店に足を踏み入れた。
ちりんちりん。涼やかな鈴の音が耳朶を揺らす。
「いらっしゃい。どうぞ、見ていってやってくださいな」
古式蒼然とした家屋と同様、風鈴の音にこちらを見やった店主の佇まいも着流しに煙管と、まるで往時から抜け出してきたようだった。
いかにも怠惰げな若い店主は私に一声かけた後、煙管をぷかりとふかして、それっきりこちらに目線をやろうともしなかった。
私としてもそちらの方が好ましいので、遠慮なく店内を見て回る事にした。
店内は決して狭いわけではないのだが、入口と店主が座る奥座敷への入り口らしき部分を結ぶ通路以外の場所に雑然と品々が積み上げられていて、外からの見た目からは予想できないほどの圧迫感があった。
また、この店の品揃えは私が期待していたものとはまるで違っていた。
『飾ったら死にます』と手書きのメモが添えられた5号サイズの仏像画。何の変哲もないビニール傘には、やはり手書きの『持って歩くと必ず晴れます。ただし、下痢が止まりません』というメモが添付されていた。
他にも茶色いシミのついた和箪笥、『中古注意!』のポップが付けられた櫛・かんざしコーナー、など。
私ははたと気づいた。ここはいわゆるサブカルチャー――オカルト専門の骨董屋、というより悪ふざけの店、なのだろうか。
骨董品が好きと言いながら鑑定眼が全く身につかない私は何度か贋作を掴まされたりもしたが、さすがにこれらのものに手を出そうとは思わない。
店主に軽く挨拶して退出しようとした時だった。
私の視線がとらえたのは、やはり、骨董品というより悪ふざけの産物というべきもの――ミイラ化した腕だった。
いつかテレビで見た河童や、鬼の腕のようにからからに干からびた肘から先のそれには3本しか指はなく、『願い事かなえてくれます!』とあの店主が書いたとは思えないほど可愛らしい丸文字のメモがついていた。
日本だけでなく世界各地には妖怪・怪物のミイラが存在するが、それらは様々な生物をつぎはぎして作った偽物だらけなのだそうだ。
これもおそらく、というか間違いなく偽物だろう。それは分かっている。分かっているのだが――私は、その干からびた腕から目を話せないでいた。
「ああ、そいつを気に入っちまいましたか」
物憂げな声にはっと私は顔を上げる。
卓の上に片肘をついた店主は煙管をふかし、
「そいつはね、『猿の指』って呼ばれてるもんです」
「『猿の指』?」
「ええ。以前に英国に仕入れに行った時に見つけたもんなんですが、元はインドの行者が作ったものなんだそうで」
「『願いを叶えてくれる』と……ここには書いてあるが……」
「ええ。なんでもその行者が法力だか魔力だかを込めたもんらしく、指の数だけ願いを叶えてくれるんだそうですよ」
私は先程数えたにもかかわらず、再びその腕の指を見やる。
3本。つまりこの腕は3回願いを叶える法力――魔力?――を備えているということか。
「元々は6本ほど指があったとか。願いをかなえるたびに指が落ちるんだそうで」
馬鹿馬鹿しい。願いを叶える指だと。そんな子供だまし、中学生ならともかく、すでに不惑をむかえた私のようないい大人が引っ掛かるわけもあるまい。
そう思っているにも関わらず、私は『猿の指』から視線をひきはがす事が出来ない。
「で、お客さん、お金持ってます? うちは一応、現金払いが基本でして。質に入れられるもんを持ってらしたら、それで相殺ということも可能ですが」
私がそれを買うという前提で店主は面倒くさそうに言う。
いや、私は買うつもりはない……そう応えようとしたのだが、いつのまにやら私は財布を取り出し、
「いくらかね?」
そう応えていた。
私の――私たち夫婦の自宅は駅から30分ほど歩いたところにある新興住宅街だった。つい先ごろ、20年ローンで思いきって購入した。
「ただいま」
「あなた、おかえりなさい」
小柄で30を過ぎてもいまだに女学生のような雰囲気のままの妻が、笑顔で私を出迎えてくれる。
10以上も年上の私をいつも甲斐甲斐しく世話してくれる妻は、
「あら? あなた、それは?」
私が小脇に抱えた桐の箱に気づき、それを覗き込むように首をかしげた。
意外にも、といったら失礼かもしれないが、店主は『猿の指』を立派な桐の箱に納めてくれた。値段は私が想定していたよりもはるかに安かった。
「ああ、これはね……」
そこまでいいかけて、どう説明したものかと悩む。出来た妻の事だ、私を責めはすまいがあきれ果てはしないだろうか。
立ちつくす私の腕に妻がそっと触れる。
「夕飯の準備はできていますから、まずは着替えてきてくださいな」
「ああ、そうだな」
台所に向かう妻の背を見送り、私は寝室でワイシャツを着替える。新一粒神
やはり、ありのままに説明するしかあるまい。
『腕の部分を両手で握り、願いを3回繰り返す。簡単でしょ』
『その……願いをかなえる代わりに、代償のようなものが必要という事はないのかね』
『ああ、ねえです、ねえです。そういうのはインドの行者さんが支払い済みなんで』
『そうか……』
『ただ、願い事はよくよく考えて選んで下さいな。前の持ち主はそこで失敗して、こいつを手放したらしいんで。あ、何があったかは知りませんので、あしからず』
夕食後、店主の説明や、私がどうしてこれほどまでに『猿の指』が気になったのか自分でもわからないという事まで、すべてを包み隠さず話すと妻は鈴を鳴らすように笑った。私が贋作品を掴まされた時と同じ笑い方だった。
私は安堵の息をついた。
「開けてみてもいいですか?」
「ああ」
眼鏡ケースほどの桐箱を妻はひらき、枯死した枝のような『猿の指』を物怖じする様子もなく手に取った。
「あ、私こういうのテレビで見たことあります」
「河童のミイラだろう」
「ええ、そうです」
笑い、妻はそっと『猿の指』の腕の部分を両手で握った。
「あなた、1つ目の願い事は私が使ってもいいですか?」
「うん?」
妻のいつにない積極さに少し驚いたが、私はすぐに頷いた。
「ああ、いいよ」
「ありがとう、あなた。きちんと考えた願い事ですから、心配しないでくださいね」
「ああ」
聡明な妻の事だ。おかしな願い事はするまい。それに……実は私には妻が何を願うか想像がついていた。
『猿の指』を両手で包んだまま、妻は瞳を閉じた。
「『猿の指』さん、『猿の指』さん、どうか、私たち夫婦に子供を授けて下さい」
静かな声で妻は繰り返す。
その姿を見つめている私はどんな表情をしているだろう。
悲しげでなければ良いのだが。
私たち夫婦は結婚して5年になるが、子供はいない。 元々子供好きだった妻は結婚当初から子供を望んでいたが、2年過ぎても私たちは子宝に恵まれる事はなかった。
当初は年齢的に自分を疑ったのだが、病院で検査を受けたところ、どうやら妻の方が妊娠しづらい体質らしく、自然妊娠は難しいだろうということだった。
そこで私たちは子供を諦める事も出来た。
だが、弟夫婦の娘を見つめる妻の視線があまりにも物悲しげで、それを見過ごすことは私にはできなかった。
私たちは不妊治療を行うことにした。不妊治療は妻の身体に大きな負担をかけたが、妻は決して泣き言は言わなかった。ただ、検査の結果がおもわしくなかった時は私に詫びながら涙を流した。
不妊治療を始めて2年。私たちは話し合った末、治療を中止する事にした。
妻は離婚を切り出してきたが、私は頑としてそれをはねのけた。
2人で暮らしていくための家を購入し、私たちはそこに移り住んだ。
それから子供の話を妻の方から切り出してくる事はなかったのだが、やはり、未練なのだろう。
目を開いた妻は、私の方を見やり、穏やかにほほ笑んだ。
「願いがかなったら、指が落ちるんですよね」
「ああ、そう店主は言っていた」
じっと妻は『猿の指』を見つめ、
「落ちませんね」
「すぐに、とはいかないだろう」
「そうですね」
「まあ、願いを叶えるというのも眉唾ものだしな。大方、店主が適当にでっちあげたものだろう」
「あら、だったらこれは、あなたの書斎の『贋作コーナー』に飾っておかないといけませんね」
耳に痛い事を言って、ふわりと笑う。そんな妻が愛おしくて、今度は私がほほ笑んだ。
翌日、残業中の休憩がてら、部下たちに変な骨董屋を見つけたという話――無論、私が買った『猿の指』の事はのぞいてだが――をしていた時だった。
私の携帯に、弟夫婦が水難事故に遭ったと妻から連絡があったのは。
ダイビングショップを経営し、インストラクターもしていた弟夫婦はシーズンを前に近隣のスポットに潜っていたらしい。
普段であれば、姪が小学校から帰宅する頃には弟か義妹のどちらかが家に戻っているそうなのだが、その日はいつまでたってもどちらも帰ってこなかったのだそうだ。
姪から相談された妻が夕方になっても連絡がつかないことから警察に連絡し、沖合に漂う無人のボートが見つかったことで、遭難が発覚した。
結局、弟夫婦の死体は一部しか見つからなかった。
捜索開始から3日目。弟夫婦のものと思われる手首だけが浜辺に打ち上げられた。サメか何かに食いちぎられたものらしい。
これによって弟夫婦は死亡認定され、その手首だけが、荼毘に付された。
私の両親は既になく、義妹の両親は高齢だった為、たった一人残された姪は、私たち夫婦が引き取り育てることとなった。
弟の捜索が行われている間、妻がそばにいて面倒を看ていた事もあり、姪自身もすんなりとこれを了承した。
姪は弟に似ず、中学生1年生にしては聡い子で、すぐに私たちの家での生活に慣れた。
2人だけだった家に姪が来たという、ただそれだけのことで家の中の空気は大きく変わった。
弟夫婦の事を思えば薄情のそしりを受けても甘んじるしかないが、私も妻も、どこか浮かれ気分で、姪には何が必要か、どういう風に育ててあげればいいだろうか、というのを姪が寝静まった夜に2人で顔を寄せて話し合った。
互いにこぼれんばかりの笑みを浮かべている事に気づき、ばつの悪い思いをして、けれどすぐにまたほほ笑む。
亡き弟夫婦の為にも、私たちが姪を立派に育て上げてやらなければならないと思う。
だが、私の胸にはどうにも無視することのできない、真っ黒なしこりのようなものがある。
両親の夢を見て泣く姪をなだめに向かう妻の背を見送ったあと、私は自分の書斎の収集品を眺めている事が多くなった。
さまよう私の視線は、いつも小さな桐の箱の上で止まる。
もしかしたら――
『猿の指』が私たちの願いを叶えたのではないだろうか。蔵八宝
弟夫婦が死に、私たちは姪を得た。
そんな馬鹿な、と私の中の常識は告げる。
だが、あまりにもタイミングが良すぎたように感じるのだ。
そんなわけはない。ミイラが願いを叶えてくれるなんて、どう考えてもおとぎ話の中にしかないだろう。
だが――私は自分の疑いを払拭できない。
確かめるのは簡単だ。
この桐の箱を開けてみればいい。
『猿の指』が3本残っている事を確認すればいい。
そして、ああ、やっぱり騙された、と箱を放ればいい。
ただそれだけのことだ。
なのに、私の手は動かない。
そもそも確かめる必要などない。このままあの骨董屋に――いや、燃えるゴミにでも出してしまえばいい。
なのに、そうしようという気になれない。どうしてもなれない。
胸の奥にくすぶる、小さな罪の意識がそうさせない。
だから私は、桐の箱の蓋を――
――開けた。
「そんな……馬鹿な……」
『猿の指』は、2本になっていた。
落ちた指の形跡すら箱の中のどこにも見当たらない。
そんなわけがない。そんなわけがないはずだ。
そう、こんな乾燥した状態だ。指は自然に落ち、飛散した。そうに違いない。
動悸をおさえるように胸を当て、私は深い呼吸を繰り返した。
これから私がすべきことは、もはや自明だ。
とにもかくにも、この『猿の指』は、処分しなければならない。
何があろうと妻の目にこれを触れさせる事があってはならない。
燃やす? いや、あの店主に返すのが一番いいだろう。この期に及んでは、家に置いておいたり、自分で処理しようとするよりも、そちらの方がいいはずだ。
桐の箱に『猿の指』を納め、書斎の隅に箱をしまおうとした時――
「あなた……?」
不意に背後から響いてきた妻の声に、私はびくりと身を震わせた。
「ああ……どうかしたのかい? あの子は……もう寝ついたのかい?」
反射的に言葉を返しながら、やはり無意識のままに桐箱を私は胸元に隠す。
「ええ……あの子は寝つきました」
「そうか、それはよかった。これからも、こういう事はあると思うが、私たちが支えていってやらねばな」
空々しく落とした私の言葉に妻は反応しない。私も、妻に背を向けたまま微動だにしない。できない。
どうして、妻の顔を真正面から見る事が出来るだろう。
私が、妻をそそのかしたというのに。
あの店主から『猿の指』の話を聞いた時、真っ先に浮かんだのは妻のことだった。妻ならこう願うだろう。私は知っていた。『子供が欲しい』と、そう願うだろうという事を。
私が願えば妻は自分を責める。だから……
「指……落ちていたのですね」
妻の言葉に私ははっと顔を上げる。
「……見ていたのか」
「はい……ごめんなさい」
「……そうか」
書斎の入口に立つ妻にかける言葉が、私にはない。なんと声をかける事が出来ただろう。
「罪深いことを……」
居心地の悪い沈黙の後、妻はか細い声で呟いた。
「なんと罪深い事を……してしまったのでしょう……」
自分たちの子供欲しさに、弟夫婦の命を、私たちは奪った。
「いや……この『猿の指』は関係ない……弟たちは……」
「仮にそうだとしても、両親は自分の不注意で亡くなっただけなのだと、あなたはあの子に言えるのですか? 『猿の指』に子供を願った私たちが、胸をはって、そう言えるのですか?」
「それは……」
妻の言葉に反駁する術を私は持たない。なぜなら……私自身が、今、胸の奥で、無視できないほどに育った罪の意識に押しつぶされそうになっているからだ。
「あの子に……」
胸の前で握り合わせた手をぶるぶると震えさせながら、妻は言う。
「あの子に……両親を返してあげましょう。『猿の指』が叶えてくれる願いはまだ残っているのでしょう?」
「いや、それは……」
妻の言葉に異を唱えたのは、何も、やっと手に入れた『子供』を失いたくないという感情からではない。
全ては偶然。偶然なのだ。たまたま、私たちは子を願い、たまたま、弟夫婦が事故に遭った。妻は一時的にナーバスになっているだけで、もっと落ち着いてから、我々の罪の意識について考えるべきだ。
それに――もし、万が一、『猿の指』が本物だったとして、その願いの叶え方はひどく現実的で、無慈悲だ。機械的といってもいい。
子供が欲しい。その願いを叶える為ならば、妻を妊娠させる。それが普通だ。だが、『猿の指』は弟夫婦を殺し、姪を私たちに与えた。
ならば、『姪の両親を蘇らせてくれ』と願ったとして、それは、果たして妻が思うような形になるだろうか。
水難事故で死んだ、そのままの姿で姪の元に返ってくるのではないだろうか。手首を失い、ぶよぶよにふやけた、そんな姿で。
「待て。少し話し合おう」
そう言った時には既に遅く、妻は私の腕から『猿の指』をとりあげ、VIVID
「『猿の指』さん、『猿の指』さん、どうか、あの子の両親を生き返らせて下さい」
と、早口で繰り返していたのだった。
「そんなことを……」
したって何の意味もない。これは偽物なのだから。自分の中の言葉にできない焦燥、そういったものを誤魔化すために、諭そうとした私の目の前で、『猿の指』の残り2本のうちの1本が落ちた。
ぺきり、と根元から折れ、砂の塊のように端から崩れていく。
こんなことが……ありえるのか。
妻から『猿の指』をひったくるように奪い返し、私は残る1本の指を無理やりにでも折ろうとしたが、それはびくともしなかった。まるで鉄の棒のようで、どれだけ力を込めようとも果たせそうになかった。
そういうことなのか。
弟夫婦が海難事故で死んだのは、それによって姪が私たちの所へ来たのは、やはり、すべて『猿の指』の仕業――いや、私たちがそれを願ったせいだというのか。
私は――弟夫婦を生贄に捧げて子供を得たというのか。
私は……罪深い。なんて罪深い事を……
胸中で繰り返した私の眼前で、妻はその場にすとんと腰を落とした。茫然自失、まるで魂が抜け落ちたかのようなその表情を見やって、私は思う。
妻は――妻も、おそらくは『猿の指』の信憑性などという事は信じていなかったのだと思う。先程の行動は、一種のヒステリーだったのだろう。
だが、私たちは見てしまった。
目の前で見てしまった。
私たちは自覚しなければならない。
私たちの罪を。
「あなた……」
それから、どれくらいの時間が経っただろう。
呆けていた私は、妻のか細い声に我を取り戻した。
「……なんだ」
「私たちは……」
妻は両手で自らの顔を覆う。
「私たちは……許されるのでしょうか……」
指の隙間から嗚咽を漏らす妻。私は小さく首を振りながら、妻の肩に手を置いた。
「わからない……私たちには、きっと、わからない……」
泣き崩れる妻を寝室に促そうとした時だった。
だん!
と、無遠慮な騒音が鼓膜を叩いた。
「……あなた……」
「ああ……」
妻と顔を見合わせる。
音がしたのは玄関の方だ。来客のある時刻でもないし、そもそもその予定もない。
だん! だん! だん!
私たちの不安をよそに、打撃音はやまない。
だん! だん! だんだんだんだん!
断続的だったものが、苛立ちを表すかのように連続して続く。
「……あなた……ああ、あなた……あれはきっと……」
「2階のあの子のところへ行きなさい。私が呼ぶまで、決して部屋から出ないように」
「でも……あなた……」
「いいから、早く行きなさい!」
私の声に、びくりと身を震わせた妻は、視線を左右に泳がせてから立ち上がった。書斎の入口でこちらを振り返る妻に頷いて見せると、妻は不安げな眼差しを残して消えていった。
たったったっ、という妻が階段を上る音を聞きながら、私は再び『猿の指』を桐の箱から取り出していた。
だんだんだんだんだん!
音は、玄関から、ドアを粉砕せんばかりに響いていた。
また、それだけでなく、
ずり……ずり……
何者かが、何かが、足を引きずりながら庭を歩きまわっている。
各所の戸締りは問題ないから『彼ら』が家の中に侵入してくる事はないだろう。
私は右手に『猿の指』を握りしめ、極力足音を立てないようにしながら、玄関へと向かった。
だんだんだんだんだん!
ノックよりもドア自体を破壊する事を目的としているかのようなその轟音。
私にはわかる。
この向こうにいるのは弟だ。
私たちの身勝手によって命を失った弟だ。間違いなく。
私は……私は、どうすればよいのだろう。
鍵を開けて弟を、弟夫婦を迎え入れる事は簡単だ。
だが……
このドアの向こうにいる弟は、果たして、私の知っている弟なのだろうか。
この感情は、懐疑ではない。
恐怖だ。
だんだんだんだんだん!
ずり……ずり……
私は罪を認める。
私たちは、弟夫婦から、子供を奪った。
それは、許されざるものだ。
だが……だが、罪人の戯言と嗤ってくれてもいいが、姪には、何の罪もない。
私たちが犯した罪によって、姪が不幸になるなどという事は、決してあってはならない。
全てをなかった事にする。私がすべき事は、それだけだろう。
だから、私は、『猿の指』を眼前に掲げ――
――願った。
煙管をくゆらせながら、今日も店主は滅多に来ない客を待つ。
先刻まで暇つぶしに店主が読んでいた色褪せた新聞紙の地域面。そこにはこんな記事が載っていた。
『放火か? 不審火により家屋全焼。生存者は――』
「店長! お客さんがいないならこっちの整理手伝って下さい!」
奥から聞こえてくる声を一顧だにすることなく、店主はぷかりと煙を吐いた。
「店長! 蔵の中身、めちゃくちゃですよ?!」
最近仕方なく雇ったバイトは、雇用主を罵倒するにも躊躇がない。中学生をバイトに使っているとなったら色々差し障りがあるので強く出る事は難しいし、施設入所者となればなおさらだ。
「へえへえ」
投げやりに返して店主は着流しのまま立ち上がった。
どうせ客は来ないだろうから、今日はこのまま閉店にしてもいいだろう。
「それにしたって、責任なんてこっちが負うもんでもねえでしょうに。我ながら、お人よし過ぎでしょ」
入口の札を『本日閉店』にひっくり返し、店主は小さく呟いた。
「あの……店長」
不意に背後から聞こえてきた少女の声に、店主はひょうひょうと応じる。
「んん? なんでしょ?」
「これなんですけど……」
青いエプロンを身に付けた少女の手に握られていたのは――
3本指の、からからに乾いたミイラの腕。強力催眠謎幻水
「そこの廊下に転がってたんですけど……なんです、この気持ち悪いの?」
困惑気な少女の言葉に、店主は小さな笑みを返した。
2013年7月17日星期三
悪夢再来
ここに来るのはもう何度目だろうか。
良い思い出のない桜のご神木の前に和歌は立っていた。
「……和歌!」
思えば、一週間前にここで和歌を見つけた時から異変は始まっていたのに。
「一体、キミに何があったんだ?ここで、何が……」威哥十鞭王
「何もありませんよ。私はただ、自分の心に素直になろうとしただけ」
「素直に、なる?」
しかし、何だ……ここは寒すぎるほどに冷え切っている。
まだ10月だっていうのに、この肌寒さは……。
「元雪様は私だけのもの。お姉様には渡しません」
「……何を言って?」
「だから、邪魔な人には消えてもらいました」
邪魔な人……それを指す相手に俺はぞっとさせられる。
笑って言う彼女に怖さを感じる。
それは今朝、重傷を負った唯羽だとしたら……。
「和歌が唯羽をあんなに目に合わせたのか?」
今にも掴みかかろうとする自分の怒りを抑え込む。
違う、何かが違う。
そうだ、きっとこれは椿姫のせいに違いない。
あの和歌が唯羽に対してひどい真似をするはずがない。
「……そうですよ。私がやりました」
「なぜ?あんなことを。一歩間違えれば唯羽はホントに危なかったんだぞ」
「最初に言いましたよね。私は貴方を独り占めしたい。素直になろうとしただけです」
「意味が分からない。素直になるって、唯羽が邪魔って……どうしたんだよ、和歌っ!」
俺は彼女の手を握り締めるように取る。
震えていた。
ガタガタと手を震わせながら彼女は瞳に涙をため込んでいる。
「だって、邪魔だったんですっ!お姉様さえいなければ、私は元雪様のただ一人の恋人だった。過去の事なんて知りません。運命なんて関係ない。私が、元雪様を好きなんだから、邪魔に思って何が悪いんですか」
パチンっ、と冷たい音が森に響く。
「も、元雪様……?」
あ然とする和歌が頬を押さえてこちらを見つめていた。
俺はバカだ、大好きな女の子に手を挙げてしまった。
これは俺が招いた事だ。
和歌の心の痛みに気付けずに中途半端な関係を続けていた。
その結末がこれだとしたら、俺の覚悟なんて意味がない。
どちらも愛して行こうと決めた、あの覚悟は……何の意味もないのか。
「ごめんな、和歌。だけど、キミは間違っている。やってはいけない事をしたんだ」
「……どうしてですか?素直になれって言われて……素直に……」
「それは本当にキミの意思なのか。和歌は唯羽を傷つけるなんて真似をして、それが素直になるってことなのか。和歌、お願いだ。正気に戻ってくれ」田七人参
「……ぅっ、ぁあ……」
和歌は頭を抱えながら地面にうずくまる。
苦しそうにしている彼女を俺は抱きしめることしかできない。
「違うはずだ。本当のキミはそんな事をするはずがない」
「わ、私は……私は――」
「――和歌っ!」
お願いだから、本当の心を取り戻してくれ。
俺の叫びに彼女はハッと目が覚めたように、瞳に色を取り戻した。
「……元雪、様?」
「和歌?大丈夫か?」
「私は……ち、違うんです、私はこんなことをするつもりじゃ……」
俺に抱きつきながら彼女は大粒の涙をこぼし始めた。
和歌が正気を、心を取り戻したようだ。
「私は、お姉様と話をしたかかっただけで、あんなひどい事をするつもりはなくて」
「分かってる。今の和歌が本当の和歌なんだ。心を取り戻したんだな」
「自分で、自分のしたことが分からないんです。どうして、あんなひどいことを……お姉様を傷つけてしまうなんて」
どうやら、唯羽を襲った記憶はあるようだ。
椿姫に何らかの暗示でもかけられたのだろうか。
だが、椿姫が唯羽を邪魔に思い、自らの現世の存在を痛めつける理由はなんだ?
「いつもの和歌に戻ってくれてよかった。ここで何があったんだ?」
戸惑いながら和歌は思いだすように告げる。
「椿姫様に会いました。彼女は私に素直になるように言ったんです。でも、そこからの記憶があやふやで、何をして……」
「とにかく、ここを出よう。話はそれからだ」
俺達は急いで森から出ようとする。
だが、異変は既に起きていたのだ。
「これは……?」
刹那、俺達の視界を一面に染めるのは薄いピンク色の花びら。
「桜の、花だと……?」
見間違える事のない、桜の花びらが宙を舞っている。
「何でこの時期に桜の花が咲いているんだ?」
森を覆うのは桜色の絨毯。
ご神木が美しすぎる桜の花を咲かせていた。
「ほ、本物なんでしょうか?」
驚きながら和歌がその花びらに触れてる。
「……実体はあります。夢と言うこともなさそうです」
「ありえないだろう?」
「私も驚いてます。秋の季節に本物の桜が花開くなんて、信じられません」
俺達は桜の花が舞う様に魅入られる。
季節外れの桜は、悪夢再来の狼煙。
そして、“あの女”はついに俺達の前に姿を現わすのだ。
『――10年、待ったよ。長い時の流れでは、それはわずかな時間にすぎなかったが。子供が大きく成長するほどには十分な時間だったようね』
禍々しい色の光が桜の巨木を包みこんでいく。
異常な光景が広がる。
その光の中から、着物姿の女性が俺達の前に現れたのだ。
この世界ではない、人ではない、おぞましい存在。
『久し振り、柊元雪。私にとっては、この世界で最も憎い男の子』
長い髪を風になびかせて、その冷たい瞳は俺を見つめていた。
――椿姫。
俺の幼い頃の記憶にある、俺を殺そうとした怨霊。印度神油
彼女がついに再び、姿を現した。
「どうして、お前が……唯羽の封印は……」
『子供騙しの封印など意味なんてない。あの娘は自らの感情を捨て、私を閉じ込めた。だが、それでも、代わりなどいくらでもある。人を憎む、羨む、そのような感情を抑えきれないほどの想いを抱えているものがいればな』
彼女が指をさすのは震えて俺に抱きつく和歌だった。
「私のせいで……?」
『そうだ。全てはお前のおかげだ。たった一言の言葉に、理性を失うほどの狂気を、憎悪を隠していた全ての負の感情を解放させたの。何と純粋な心の持ち主か。それゆえに押し殺してきたものも大きかったな、紫姫の魂を持つ子よ』
和歌の負の感情がきっかけで椿姫を蘇らせてしまった?
そんな事がありえるのか。
だって、あれは唯羽の前々世、和歌には関係のない……いや、違うのか。
和歌はこの椎名神社に守られていると、唯羽は言っていた。
それはつまり、和歌もこの土地と繋がっていると言うこと。
この土地である限りは少なからず唯羽と同様に彼女の感情も椿姫の呪いに影響する。
それを俺達は考えつかなかった。
和歌の感情すら、椿姫は復活のために利用しやがった。
「それで、唯羽の動きを封じるために、彼女に深手を負わせたのか」
『あの子は邪魔だ。殺すつもりはないが、邪魔をするのなら仕方あるまい』
「なるほどなぁ。本当に世の中って不可思議に溢れているぜ」
俺は椿姫に向き合う。
恐ろしいほどの殺気を放つ女性。
これが現実の人ではない事は見れば分かる。
「和歌、逃げろ。こいつは、キミも傷つけるつもりだ」
『私の恨みは影綱様と紫姫、2人に向けられたもの。魂を受け継いだ事を悔やめ。お前達はここで死ぬのだから』
「はい、さよなら。というわけにはいかないなぁ」
『……10年前と違い、ずいぶんと口の悪い子に成長をしたのは悲しいよ』
怨霊に近所のお姉さん的な言われても困る。
まったく、この椿姫ってのは厄介だ。
「元雪様。私のせいでこんなことになったんです。私は逃げませんよ」
「……和歌のせいじゃない。ただ、利用されたんだよ。和歌の純粋な思いを利用した」
「それでも……あっ」
椿姫はこちらに一歩ずつ近づいてくる。
俺は和歌を背後に守りながら、必死に考える。
どうすればいい、どうすれば……。
「元雪――!」
その時だった、背後から唯羽の声が聞こえたので振り返る。
唯羽が傷だらけの身体で俺達の前にやってきた。
「唯羽?その身体で来たのか!?」
「今の季節に桜って、この異常な現象は何?えっ、嘘。あれは椿姫……?」
目の前の光景に、信じられないと言う顔を見せる。
「……怨霊復活とか、笑えない冗談だね」
桜の花が舞う幻想的な光景。
俺達は最悪な状況に追い込まれていた。強力催眠謎幻水
良い思い出のない桜のご神木の前に和歌は立っていた。
「……和歌!」
思えば、一週間前にここで和歌を見つけた時から異変は始まっていたのに。
「一体、キミに何があったんだ?ここで、何が……」威哥十鞭王
「何もありませんよ。私はただ、自分の心に素直になろうとしただけ」
「素直に、なる?」
しかし、何だ……ここは寒すぎるほどに冷え切っている。
まだ10月だっていうのに、この肌寒さは……。
「元雪様は私だけのもの。お姉様には渡しません」
「……何を言って?」
「だから、邪魔な人には消えてもらいました」
邪魔な人……それを指す相手に俺はぞっとさせられる。
笑って言う彼女に怖さを感じる。
それは今朝、重傷を負った唯羽だとしたら……。
「和歌が唯羽をあんなに目に合わせたのか?」
今にも掴みかかろうとする自分の怒りを抑え込む。
違う、何かが違う。
そうだ、きっとこれは椿姫のせいに違いない。
あの和歌が唯羽に対してひどい真似をするはずがない。
「……そうですよ。私がやりました」
「なぜ?あんなことを。一歩間違えれば唯羽はホントに危なかったんだぞ」
「最初に言いましたよね。私は貴方を独り占めしたい。素直になろうとしただけです」
「意味が分からない。素直になるって、唯羽が邪魔って……どうしたんだよ、和歌っ!」
俺は彼女の手を握り締めるように取る。
震えていた。
ガタガタと手を震わせながら彼女は瞳に涙をため込んでいる。
「だって、邪魔だったんですっ!お姉様さえいなければ、私は元雪様のただ一人の恋人だった。過去の事なんて知りません。運命なんて関係ない。私が、元雪様を好きなんだから、邪魔に思って何が悪いんですか」
パチンっ、と冷たい音が森に響く。
「も、元雪様……?」
あ然とする和歌が頬を押さえてこちらを見つめていた。
俺はバカだ、大好きな女の子に手を挙げてしまった。
これは俺が招いた事だ。
和歌の心の痛みに気付けずに中途半端な関係を続けていた。
その結末がこれだとしたら、俺の覚悟なんて意味がない。
どちらも愛して行こうと決めた、あの覚悟は……何の意味もないのか。
「ごめんな、和歌。だけど、キミは間違っている。やってはいけない事をしたんだ」
「……どうしてですか?素直になれって言われて……素直に……」
「それは本当にキミの意思なのか。和歌は唯羽を傷つけるなんて真似をして、それが素直になるってことなのか。和歌、お願いだ。正気に戻ってくれ」田七人参
「……ぅっ、ぁあ……」
和歌は頭を抱えながら地面にうずくまる。
苦しそうにしている彼女を俺は抱きしめることしかできない。
「違うはずだ。本当のキミはそんな事をするはずがない」
「わ、私は……私は――」
「――和歌っ!」
お願いだから、本当の心を取り戻してくれ。
俺の叫びに彼女はハッと目が覚めたように、瞳に色を取り戻した。
「……元雪、様?」
「和歌?大丈夫か?」
「私は……ち、違うんです、私はこんなことをするつもりじゃ……」
俺に抱きつきながら彼女は大粒の涙をこぼし始めた。
和歌が正気を、心を取り戻したようだ。
「私は、お姉様と話をしたかかっただけで、あんなひどい事をするつもりはなくて」
「分かってる。今の和歌が本当の和歌なんだ。心を取り戻したんだな」
「自分で、自分のしたことが分からないんです。どうして、あんなひどいことを……お姉様を傷つけてしまうなんて」
どうやら、唯羽を襲った記憶はあるようだ。
椿姫に何らかの暗示でもかけられたのだろうか。
だが、椿姫が唯羽を邪魔に思い、自らの現世の存在を痛めつける理由はなんだ?
「いつもの和歌に戻ってくれてよかった。ここで何があったんだ?」
戸惑いながら和歌は思いだすように告げる。
「椿姫様に会いました。彼女は私に素直になるように言ったんです。でも、そこからの記憶があやふやで、何をして……」
「とにかく、ここを出よう。話はそれからだ」
俺達は急いで森から出ようとする。
だが、異変は既に起きていたのだ。
「これは……?」
刹那、俺達の視界を一面に染めるのは薄いピンク色の花びら。
「桜の、花だと……?」
見間違える事のない、桜の花びらが宙を舞っている。
「何でこの時期に桜の花が咲いているんだ?」
森を覆うのは桜色の絨毯。
ご神木が美しすぎる桜の花を咲かせていた。
「ほ、本物なんでしょうか?」
驚きながら和歌がその花びらに触れてる。
「……実体はあります。夢と言うこともなさそうです」
「ありえないだろう?」
「私も驚いてます。秋の季節に本物の桜が花開くなんて、信じられません」
俺達は桜の花が舞う様に魅入られる。
季節外れの桜は、悪夢再来の狼煙。
そして、“あの女”はついに俺達の前に姿を現わすのだ。
『――10年、待ったよ。長い時の流れでは、それはわずかな時間にすぎなかったが。子供が大きく成長するほどには十分な時間だったようね』
禍々しい色の光が桜の巨木を包みこんでいく。
異常な光景が広がる。
その光の中から、着物姿の女性が俺達の前に現れたのだ。
この世界ではない、人ではない、おぞましい存在。
『久し振り、柊元雪。私にとっては、この世界で最も憎い男の子』
長い髪を風になびかせて、その冷たい瞳は俺を見つめていた。
――椿姫。
俺の幼い頃の記憶にある、俺を殺そうとした怨霊。印度神油
彼女がついに再び、姿を現した。
「どうして、お前が……唯羽の封印は……」
『子供騙しの封印など意味なんてない。あの娘は自らの感情を捨て、私を閉じ込めた。だが、それでも、代わりなどいくらでもある。人を憎む、羨む、そのような感情を抑えきれないほどの想いを抱えているものがいればな』
彼女が指をさすのは震えて俺に抱きつく和歌だった。
「私のせいで……?」
『そうだ。全てはお前のおかげだ。たった一言の言葉に、理性を失うほどの狂気を、憎悪を隠していた全ての負の感情を解放させたの。何と純粋な心の持ち主か。それゆえに押し殺してきたものも大きかったな、紫姫の魂を持つ子よ』
和歌の負の感情がきっかけで椿姫を蘇らせてしまった?
そんな事がありえるのか。
だって、あれは唯羽の前々世、和歌には関係のない……いや、違うのか。
和歌はこの椎名神社に守られていると、唯羽は言っていた。
それはつまり、和歌もこの土地と繋がっていると言うこと。
この土地である限りは少なからず唯羽と同様に彼女の感情も椿姫の呪いに影響する。
それを俺達は考えつかなかった。
和歌の感情すら、椿姫は復活のために利用しやがった。
「それで、唯羽の動きを封じるために、彼女に深手を負わせたのか」
『あの子は邪魔だ。殺すつもりはないが、邪魔をするのなら仕方あるまい』
「なるほどなぁ。本当に世の中って不可思議に溢れているぜ」
俺は椿姫に向き合う。
恐ろしいほどの殺気を放つ女性。
これが現実の人ではない事は見れば分かる。
「和歌、逃げろ。こいつは、キミも傷つけるつもりだ」
『私の恨みは影綱様と紫姫、2人に向けられたもの。魂を受け継いだ事を悔やめ。お前達はここで死ぬのだから』
「はい、さよなら。というわけにはいかないなぁ」
『……10年前と違い、ずいぶんと口の悪い子に成長をしたのは悲しいよ』
怨霊に近所のお姉さん的な言われても困る。
まったく、この椿姫ってのは厄介だ。
「元雪様。私のせいでこんなことになったんです。私は逃げませんよ」
「……和歌のせいじゃない。ただ、利用されたんだよ。和歌の純粋な思いを利用した」
「それでも……あっ」
椿姫はこちらに一歩ずつ近づいてくる。
俺は和歌を背後に守りながら、必死に考える。
どうすればいい、どうすれば……。
「元雪――!」
その時だった、背後から唯羽の声が聞こえたので振り返る。
唯羽が傷だらけの身体で俺達の前にやってきた。
「唯羽?その身体で来たのか!?」
「今の季節に桜って、この異常な現象は何?えっ、嘘。あれは椿姫……?」
目の前の光景に、信じられないと言う顔を見せる。
「……怨霊復活とか、笑えない冗談だね」
桜の花が舞う幻想的な光景。
俺達は最悪な状況に追い込まれていた。強力催眠謎幻水
悪夢再来
ここに来るのはもう何度目だろうか。
良い思い出のない桜のご神木の前に和歌は立っていた。
「……和歌!」
思えば、一週間前にここで和歌を見つけた時から異変は始まっていたのに。
「一体、キミに何があったんだ?ここで、何が……」威哥十鞭王
「何もありませんよ。私はただ、自分の心に素直になろうとしただけ」
「素直に、なる?」
しかし、何だ……ここは寒すぎるほどに冷え切っている。
まだ10月だっていうのに、この肌寒さは……。
「元雪様は私だけのもの。お姉様には渡しません」
「……何を言って?」
「だから、邪魔な人には消えてもらいました」
邪魔な人……それを指す相手に俺はぞっとさせられる。
笑って言う彼女に怖さを感じる。
それは今朝、重傷を負った唯羽だとしたら……。
「和歌が唯羽をあんなに目に合わせたのか?」
今にも掴みかかろうとする自分の怒りを抑え込む。
違う、何かが違う。
そうだ、きっとこれは椿姫のせいに違いない。
あの和歌が唯羽に対してひどい真似をするはずがない。
「……そうですよ。私がやりました」
「なぜ?あんなことを。一歩間違えれば唯羽はホントに危なかったんだぞ」
「最初に言いましたよね。私は貴方を独り占めしたい。素直になろうとしただけです」
「意味が分からない。素直になるって、唯羽が邪魔って……どうしたんだよ、和歌っ!」
俺は彼女の手を握り締めるように取る。
震えていた。
ガタガタと手を震わせながら彼女は瞳に涙をため込んでいる。
「だって、邪魔だったんですっ!お姉様さえいなければ、私は元雪様のただ一人の恋人だった。過去の事なんて知りません。運命なんて関係ない。私が、元雪様を好きなんだから、邪魔に思って何が悪いんですか」
パチンっ、と冷たい音が森に響く。
「も、元雪様……?」
あ然とする和歌が頬を押さえてこちらを見つめていた。
俺はバカだ、大好きな女の子に手を挙げてしまった。
これは俺が招いた事だ。
和歌の心の痛みに気付けずに中途半端な関係を続けていた。
その結末がこれだとしたら、俺の覚悟なんて意味がない。
どちらも愛して行こうと決めた、あの覚悟は……何の意味もないのか。
「ごめんな、和歌。だけど、キミは間違っている。やってはいけない事をしたんだ」
「……どうしてですか?素直になれって言われて……素直に……」
「それは本当にキミの意思なのか。和歌は唯羽を傷つけるなんて真似をして、それが素直になるってことなのか。和歌、お願いだ。正気に戻ってくれ」田七人参
「……ぅっ、ぁあ……」
和歌は頭を抱えながら地面にうずくまる。
苦しそうにしている彼女を俺は抱きしめることしかできない。
「違うはずだ。本当のキミはそんな事をするはずがない」
「わ、私は……私は――」
「――和歌っ!」
お願いだから、本当の心を取り戻してくれ。
俺の叫びに彼女はハッと目が覚めたように、瞳に色を取り戻した。
「……元雪、様?」
「和歌?大丈夫か?」
「私は……ち、違うんです、私はこんなことをするつもりじゃ……」
俺に抱きつきながら彼女は大粒の涙をこぼし始めた。
和歌が正気を、心を取り戻したようだ。
「私は、お姉様と話をしたかかっただけで、あんなひどい事をするつもりはなくて」
「分かってる。今の和歌が本当の和歌なんだ。心を取り戻したんだな」
「自分で、自分のしたことが分からないんです。どうして、あんなひどいことを……お姉様を傷つけてしまうなんて」
どうやら、唯羽を襲った記憶はあるようだ。
椿姫に何らかの暗示でもかけられたのだろうか。
だが、椿姫が唯羽を邪魔に思い、自らの現世の存在を痛めつける理由はなんだ?
「いつもの和歌に戻ってくれてよかった。ここで何があったんだ?」
戸惑いながら和歌は思いだすように告げる。
「椿姫様に会いました。彼女は私に素直になるように言ったんです。でも、そこからの記憶があやふやで、何をして……」
「とにかく、ここを出よう。話はそれからだ」
俺達は急いで森から出ようとする。
だが、異変は既に起きていたのだ。
「これは……?」
刹那、俺達の視界を一面に染めるのは薄いピンク色の花びら。
「桜の、花だと……?」
見間違える事のない、桜の花びらが宙を舞っている。
「何でこの時期に桜の花が咲いているんだ?」
森を覆うのは桜色の絨毯。
ご神木が美しすぎる桜の花を咲かせていた。
「ほ、本物なんでしょうか?」
驚きながら和歌がその花びらに触れてる。
「……実体はあります。夢と言うこともなさそうです」
「ありえないだろう?」
「私も驚いてます。秋の季節に本物の桜が花開くなんて、信じられません」
俺達は桜の花が舞う様に魅入られる。
季節外れの桜は、悪夢再来の狼煙。
そして、“あの女”はついに俺達の前に姿を現わすのだ。
『――10年、待ったよ。長い時の流れでは、それはわずかな時間にすぎなかったが。子供が大きく成長するほどには十分な時間だったようね』
禍々しい色の光が桜の巨木を包みこんでいく。
異常な光景が広がる。
その光の中から、着物姿の女性が俺達の前に現れたのだ。
この世界ではない、人ではない、おぞましい存在。
『久し振り、柊元雪。私にとっては、この世界で最も憎い男の子』
長い髪を風になびかせて、その冷たい瞳は俺を見つめていた。
――椿姫。
俺の幼い頃の記憶にある、俺を殺そうとした怨霊。印度神油
彼女がついに再び、姿を現した。
「どうして、お前が……唯羽の封印は……」
『子供騙しの封印など意味なんてない。あの娘は自らの感情を捨て、私を閉じ込めた。だが、それでも、代わりなどいくらでもある。人を憎む、羨む、そのような感情を抑えきれないほどの想いを抱えているものがいればな』
彼女が指をさすのは震えて俺に抱きつく和歌だった。
「私のせいで……?」
『そうだ。全てはお前のおかげだ。たった一言の言葉に、理性を失うほどの狂気を、憎悪を隠していた全ての負の感情を解放させたの。何と純粋な心の持ち主か。それゆえに押し殺してきたものも大きかったな、紫姫の魂を持つ子よ』
和歌の負の感情がきっかけで椿姫を蘇らせてしまった?
そんな事がありえるのか。
だって、あれは唯羽の前々世、和歌には関係のない……いや、違うのか。
和歌はこの椎名神社に守られていると、唯羽は言っていた。
それはつまり、和歌もこの土地と繋がっていると言うこと。
この土地である限りは少なからず唯羽と同様に彼女の感情も椿姫の呪いに影響する。
それを俺達は考えつかなかった。
和歌の感情すら、椿姫は復活のために利用しやがった。
「それで、唯羽の動きを封じるために、彼女に深手を負わせたのか」
『あの子は邪魔だ。殺すつもりはないが、邪魔をするのなら仕方あるまい』
「なるほどなぁ。本当に世の中って不可思議に溢れているぜ」
俺は椿姫に向き合う。
恐ろしいほどの殺気を放つ女性。
これが現実の人ではない事は見れば分かる。
「和歌、逃げろ。こいつは、キミも傷つけるつもりだ」
『私の恨みは影綱様と紫姫、2人に向けられたもの。魂を受け継いだ事を悔やめ。お前達はここで死ぬのだから』
「はい、さよなら。というわけにはいかないなぁ」
『……10年前と違い、ずいぶんと口の悪い子に成長をしたのは悲しいよ』
怨霊に近所のお姉さん的な言われても困る。
まったく、この椿姫ってのは厄介だ。
「元雪様。私のせいでこんなことになったんです。私は逃げませんよ」
「……和歌のせいじゃない。ただ、利用されたんだよ。和歌の純粋な思いを利用した」
「それでも……あっ」
椿姫はこちらに一歩ずつ近づいてくる。
俺は和歌を背後に守りながら、必死に考える。
どうすればいい、どうすれば……。
「元雪――!」
その時だった、背後から唯羽の声が聞こえたので振り返る。
唯羽が傷だらけの身体で俺達の前にやってきた。
「唯羽?その身体で来たのか!?」
「今の季節に桜って、この異常な現象は何?えっ、嘘。あれは椿姫……?」
目の前の光景に、信じられないと言う顔を見せる。
「……怨霊復活とか、笑えない冗談だね」
桜の花が舞う幻想的な光景。
俺達は最悪な状況に追い込まれていた。強力催眠謎幻水
良い思い出のない桜のご神木の前に和歌は立っていた。
「……和歌!」
思えば、一週間前にここで和歌を見つけた時から異変は始まっていたのに。
「一体、キミに何があったんだ?ここで、何が……」威哥十鞭王
「何もありませんよ。私はただ、自分の心に素直になろうとしただけ」
「素直に、なる?」
しかし、何だ……ここは寒すぎるほどに冷え切っている。
まだ10月だっていうのに、この肌寒さは……。
「元雪様は私だけのもの。お姉様には渡しません」
「……何を言って?」
「だから、邪魔な人には消えてもらいました」
邪魔な人……それを指す相手に俺はぞっとさせられる。
笑って言う彼女に怖さを感じる。
それは今朝、重傷を負った唯羽だとしたら……。
「和歌が唯羽をあんなに目に合わせたのか?」
今にも掴みかかろうとする自分の怒りを抑え込む。
違う、何かが違う。
そうだ、きっとこれは椿姫のせいに違いない。
あの和歌が唯羽に対してひどい真似をするはずがない。
「……そうですよ。私がやりました」
「なぜ?あんなことを。一歩間違えれば唯羽はホントに危なかったんだぞ」
「最初に言いましたよね。私は貴方を独り占めしたい。素直になろうとしただけです」
「意味が分からない。素直になるって、唯羽が邪魔って……どうしたんだよ、和歌っ!」
俺は彼女の手を握り締めるように取る。
震えていた。
ガタガタと手を震わせながら彼女は瞳に涙をため込んでいる。
「だって、邪魔だったんですっ!お姉様さえいなければ、私は元雪様のただ一人の恋人だった。過去の事なんて知りません。運命なんて関係ない。私が、元雪様を好きなんだから、邪魔に思って何が悪いんですか」
パチンっ、と冷たい音が森に響く。
「も、元雪様……?」
あ然とする和歌が頬を押さえてこちらを見つめていた。
俺はバカだ、大好きな女の子に手を挙げてしまった。
これは俺が招いた事だ。
和歌の心の痛みに気付けずに中途半端な関係を続けていた。
その結末がこれだとしたら、俺の覚悟なんて意味がない。
どちらも愛して行こうと決めた、あの覚悟は……何の意味もないのか。
「ごめんな、和歌。だけど、キミは間違っている。やってはいけない事をしたんだ」
「……どうしてですか?素直になれって言われて……素直に……」
「それは本当にキミの意思なのか。和歌は唯羽を傷つけるなんて真似をして、それが素直になるってことなのか。和歌、お願いだ。正気に戻ってくれ」田七人参
「……ぅっ、ぁあ……」
和歌は頭を抱えながら地面にうずくまる。
苦しそうにしている彼女を俺は抱きしめることしかできない。
「違うはずだ。本当のキミはそんな事をするはずがない」
「わ、私は……私は――」
「――和歌っ!」
お願いだから、本当の心を取り戻してくれ。
俺の叫びに彼女はハッと目が覚めたように、瞳に色を取り戻した。
「……元雪、様?」
「和歌?大丈夫か?」
「私は……ち、違うんです、私はこんなことをするつもりじゃ……」
俺に抱きつきながら彼女は大粒の涙をこぼし始めた。
和歌が正気を、心を取り戻したようだ。
「私は、お姉様と話をしたかかっただけで、あんなひどい事をするつもりはなくて」
「分かってる。今の和歌が本当の和歌なんだ。心を取り戻したんだな」
「自分で、自分のしたことが分からないんです。どうして、あんなひどいことを……お姉様を傷つけてしまうなんて」
どうやら、唯羽を襲った記憶はあるようだ。
椿姫に何らかの暗示でもかけられたのだろうか。
だが、椿姫が唯羽を邪魔に思い、自らの現世の存在を痛めつける理由はなんだ?
「いつもの和歌に戻ってくれてよかった。ここで何があったんだ?」
戸惑いながら和歌は思いだすように告げる。
「椿姫様に会いました。彼女は私に素直になるように言ったんです。でも、そこからの記憶があやふやで、何をして……」
「とにかく、ここを出よう。話はそれからだ」
俺達は急いで森から出ようとする。
だが、異変は既に起きていたのだ。
「これは……?」
刹那、俺達の視界を一面に染めるのは薄いピンク色の花びら。
「桜の、花だと……?」
見間違える事のない、桜の花びらが宙を舞っている。
「何でこの時期に桜の花が咲いているんだ?」
森を覆うのは桜色の絨毯。
ご神木が美しすぎる桜の花を咲かせていた。
「ほ、本物なんでしょうか?」
驚きながら和歌がその花びらに触れてる。
「……実体はあります。夢と言うこともなさそうです」
「ありえないだろう?」
「私も驚いてます。秋の季節に本物の桜が花開くなんて、信じられません」
俺達は桜の花が舞う様に魅入られる。
季節外れの桜は、悪夢再来の狼煙。
そして、“あの女”はついに俺達の前に姿を現わすのだ。
『――10年、待ったよ。長い時の流れでは、それはわずかな時間にすぎなかったが。子供が大きく成長するほどには十分な時間だったようね』
禍々しい色の光が桜の巨木を包みこんでいく。
異常な光景が広がる。
その光の中から、着物姿の女性が俺達の前に現れたのだ。
この世界ではない、人ではない、おぞましい存在。
『久し振り、柊元雪。私にとっては、この世界で最も憎い男の子』
長い髪を風になびかせて、その冷たい瞳は俺を見つめていた。
――椿姫。
俺の幼い頃の記憶にある、俺を殺そうとした怨霊。印度神油
彼女がついに再び、姿を現した。
「どうして、お前が……唯羽の封印は……」
『子供騙しの封印など意味なんてない。あの娘は自らの感情を捨て、私を閉じ込めた。だが、それでも、代わりなどいくらでもある。人を憎む、羨む、そのような感情を抑えきれないほどの想いを抱えているものがいればな』
彼女が指をさすのは震えて俺に抱きつく和歌だった。
「私のせいで……?」
『そうだ。全てはお前のおかげだ。たった一言の言葉に、理性を失うほどの狂気を、憎悪を隠していた全ての負の感情を解放させたの。何と純粋な心の持ち主か。それゆえに押し殺してきたものも大きかったな、紫姫の魂を持つ子よ』
和歌の負の感情がきっかけで椿姫を蘇らせてしまった?
そんな事がありえるのか。
だって、あれは唯羽の前々世、和歌には関係のない……いや、違うのか。
和歌はこの椎名神社に守られていると、唯羽は言っていた。
それはつまり、和歌もこの土地と繋がっていると言うこと。
この土地である限りは少なからず唯羽と同様に彼女の感情も椿姫の呪いに影響する。
それを俺達は考えつかなかった。
和歌の感情すら、椿姫は復活のために利用しやがった。
「それで、唯羽の動きを封じるために、彼女に深手を負わせたのか」
『あの子は邪魔だ。殺すつもりはないが、邪魔をするのなら仕方あるまい』
「なるほどなぁ。本当に世の中って不可思議に溢れているぜ」
俺は椿姫に向き合う。
恐ろしいほどの殺気を放つ女性。
これが現実の人ではない事は見れば分かる。
「和歌、逃げろ。こいつは、キミも傷つけるつもりだ」
『私の恨みは影綱様と紫姫、2人に向けられたもの。魂を受け継いだ事を悔やめ。お前達はここで死ぬのだから』
「はい、さよなら。というわけにはいかないなぁ」
『……10年前と違い、ずいぶんと口の悪い子に成長をしたのは悲しいよ』
怨霊に近所のお姉さん的な言われても困る。
まったく、この椿姫ってのは厄介だ。
「元雪様。私のせいでこんなことになったんです。私は逃げませんよ」
「……和歌のせいじゃない。ただ、利用されたんだよ。和歌の純粋な思いを利用した」
「それでも……あっ」
椿姫はこちらに一歩ずつ近づいてくる。
俺は和歌を背後に守りながら、必死に考える。
どうすればいい、どうすれば……。
「元雪――!」
その時だった、背後から唯羽の声が聞こえたので振り返る。
唯羽が傷だらけの身体で俺達の前にやってきた。
「唯羽?その身体で来たのか!?」
「今の季節に桜って、この異常な現象は何?えっ、嘘。あれは椿姫……?」
目の前の光景に、信じられないと言う顔を見せる。
「……怨霊復活とか、笑えない冗談だね」
桜の花が舞う幻想的な光景。
俺達は最悪な状況に追い込まれていた。強力催眠謎幻水
悪夢再来
ここに来るのはもう何度目だろうか。
良い思い出のない桜のご神木の前に和歌は立っていた。
「……和歌!」
思えば、一週間前にここで和歌を見つけた時から異変は始まっていたのに。
「一体、キミに何があったんだ?ここで、何が……」威哥十鞭王
「何もありませんよ。私はただ、自分の心に素直になろうとしただけ」
「素直に、なる?」
しかし、何だ……ここは寒すぎるほどに冷え切っている。
まだ10月だっていうのに、この肌寒さは……。
「元雪様は私だけのもの。お姉様には渡しません」
「……何を言って?」
「だから、邪魔な人には消えてもらいました」
邪魔な人……それを指す相手に俺はぞっとさせられる。
笑って言う彼女に怖さを感じる。
それは今朝、重傷を負った唯羽だとしたら……。
「和歌が唯羽をあんなに目に合わせたのか?」
今にも掴みかかろうとする自分の怒りを抑え込む。
違う、何かが違う。
そうだ、きっとこれは椿姫のせいに違いない。
あの和歌が唯羽に対してひどい真似をするはずがない。
「……そうですよ。私がやりました」
「なぜ?あんなことを。一歩間違えれば唯羽はホントに危なかったんだぞ」
「最初に言いましたよね。私は貴方を独り占めしたい。素直になろうとしただけです」
「意味が分からない。素直になるって、唯羽が邪魔って……どうしたんだよ、和歌っ!」
俺は彼女の手を握り締めるように取る。
震えていた。
ガタガタと手を震わせながら彼女は瞳に涙をため込んでいる。
「だって、邪魔だったんですっ!お姉様さえいなければ、私は元雪様のただ一人の恋人だった。過去の事なんて知りません。運命なんて関係ない。私が、元雪様を好きなんだから、邪魔に思って何が悪いんですか」
パチンっ、と冷たい音が森に響く。
「も、元雪様……?」
あ然とする和歌が頬を押さえてこちらを見つめていた。
俺はバカだ、大好きな女の子に手を挙げてしまった。
これは俺が招いた事だ。
和歌の心の痛みに気付けずに中途半端な関係を続けていた。
その結末がこれだとしたら、俺の覚悟なんて意味がない。
どちらも愛して行こうと決めた、あの覚悟は……何の意味もないのか。
「ごめんな、和歌。だけど、キミは間違っている。やってはいけない事をしたんだ」
「……どうしてですか?素直になれって言われて……素直に……」
「それは本当にキミの意思なのか。和歌は唯羽を傷つけるなんて真似をして、それが素直になるってことなのか。和歌、お願いだ。正気に戻ってくれ」田七人参
「……ぅっ、ぁあ……」
和歌は頭を抱えながら地面にうずくまる。
苦しそうにしている彼女を俺は抱きしめることしかできない。
「違うはずだ。本当のキミはそんな事をするはずがない」
「わ、私は……私は――」
「――和歌っ!」
お願いだから、本当の心を取り戻してくれ。
俺の叫びに彼女はハッと目が覚めたように、瞳に色を取り戻した。
「……元雪、様?」
「和歌?大丈夫か?」
「私は……ち、違うんです、私はこんなことをするつもりじゃ……」
俺に抱きつきながら彼女は大粒の涙をこぼし始めた。
和歌が正気を、心を取り戻したようだ。
「私は、お姉様と話をしたかかっただけで、あんなひどい事をするつもりはなくて」
「分かってる。今の和歌が本当の和歌なんだ。心を取り戻したんだな」
「自分で、自分のしたことが分からないんです。どうして、あんなひどいことを……お姉様を傷つけてしまうなんて」
どうやら、唯羽を襲った記憶はあるようだ。
椿姫に何らかの暗示でもかけられたのだろうか。
だが、椿姫が唯羽を邪魔に思い、自らの現世の存在を痛めつける理由はなんだ?
「いつもの和歌に戻ってくれてよかった。ここで何があったんだ?」
戸惑いながら和歌は思いだすように告げる。
「椿姫様に会いました。彼女は私に素直になるように言ったんです。でも、そこからの記憶があやふやで、何をして……」
「とにかく、ここを出よう。話はそれからだ」
俺達は急いで森から出ようとする。
だが、異変は既に起きていたのだ。
「これは……?」
刹那、俺達の視界を一面に染めるのは薄いピンク色の花びら。
「桜の、花だと……?」
見間違える事のない、桜の花びらが宙を舞っている。
「何でこの時期に桜の花が咲いているんだ?」
森を覆うのは桜色の絨毯。
ご神木が美しすぎる桜の花を咲かせていた。
「ほ、本物なんでしょうか?」
驚きながら和歌がその花びらに触れてる。
「……実体はあります。夢と言うこともなさそうです」
「ありえないだろう?」
「私も驚いてます。秋の季節に本物の桜が花開くなんて、信じられません」
俺達は桜の花が舞う様に魅入られる。
季節外れの桜は、悪夢再来の狼煙。
そして、“あの女”はついに俺達の前に姿を現わすのだ。
『――10年、待ったよ。長い時の流れでは、それはわずかな時間にすぎなかったが。子供が大きく成長するほどには十分な時間だったようね』
禍々しい色の光が桜の巨木を包みこんでいく。
異常な光景が広がる。
その光の中から、着物姿の女性が俺達の前に現れたのだ。
この世界ではない、人ではない、おぞましい存在。
『久し振り、柊元雪。私にとっては、この世界で最も憎い男の子』
長い髪を風になびかせて、その冷たい瞳は俺を見つめていた。
――椿姫。
俺の幼い頃の記憶にある、俺を殺そうとした怨霊。印度神油
彼女がついに再び、姿を現した。
「どうして、お前が……唯羽の封印は……」
『子供騙しの封印など意味なんてない。あの娘は自らの感情を捨て、私を閉じ込めた。だが、それでも、代わりなどいくらでもある。人を憎む、羨む、そのような感情を抑えきれないほどの想いを抱えているものがいればな』
彼女が指をさすのは震えて俺に抱きつく和歌だった。
「私のせいで……?」
『そうだ。全てはお前のおかげだ。たった一言の言葉に、理性を失うほどの狂気を、憎悪を隠していた全ての負の感情を解放させたの。何と純粋な心の持ち主か。それゆえに押し殺してきたものも大きかったな、紫姫の魂を持つ子よ』
和歌の負の感情がきっかけで椿姫を蘇らせてしまった?
そんな事がありえるのか。
だって、あれは唯羽の前々世、和歌には関係のない……いや、違うのか。
和歌はこの椎名神社に守られていると、唯羽は言っていた。
それはつまり、和歌もこの土地と繋がっていると言うこと。
この土地である限りは少なからず唯羽と同様に彼女の感情も椿姫の呪いに影響する。
それを俺達は考えつかなかった。
和歌の感情すら、椿姫は復活のために利用しやがった。
「それで、唯羽の動きを封じるために、彼女に深手を負わせたのか」
『あの子は邪魔だ。殺すつもりはないが、邪魔をするのなら仕方あるまい』
「なるほどなぁ。本当に世の中って不可思議に溢れているぜ」
俺は椿姫に向き合う。
恐ろしいほどの殺気を放つ女性。
これが現実の人ではない事は見れば分かる。
「和歌、逃げろ。こいつは、キミも傷つけるつもりだ」
『私の恨みは影綱様と紫姫、2人に向けられたもの。魂を受け継いだ事を悔やめ。お前達はここで死ぬのだから』
「はい、さよなら。というわけにはいかないなぁ」
『……10年前と違い、ずいぶんと口の悪い子に成長をしたのは悲しいよ』
怨霊に近所のお姉さん的な言われても困る。
まったく、この椿姫ってのは厄介だ。
「元雪様。私のせいでこんなことになったんです。私は逃げませんよ」
「……和歌のせいじゃない。ただ、利用されたんだよ。和歌の純粋な思いを利用した」
「それでも……あっ」
椿姫はこちらに一歩ずつ近づいてくる。
俺は和歌を背後に守りながら、必死に考える。
どうすればいい、どうすれば……。
「元雪――!」
その時だった、背後から唯羽の声が聞こえたので振り返る。
唯羽が傷だらけの身体で俺達の前にやってきた。
「唯羽?その身体で来たのか!?」
「今の季節に桜って、この異常な現象は何?えっ、嘘。あれは椿姫……?」
目の前の光景に、信じられないと言う顔を見せる。
「……怨霊復活とか、笑えない冗談だね」
桜の花が舞う幻想的な光景。
俺達は最悪な状況に追い込まれていた。強力催眠謎幻水
良い思い出のない桜のご神木の前に和歌は立っていた。
「……和歌!」
思えば、一週間前にここで和歌を見つけた時から異変は始まっていたのに。
「一体、キミに何があったんだ?ここで、何が……」威哥十鞭王
「何もありませんよ。私はただ、自分の心に素直になろうとしただけ」
「素直に、なる?」
しかし、何だ……ここは寒すぎるほどに冷え切っている。
まだ10月だっていうのに、この肌寒さは……。
「元雪様は私だけのもの。お姉様には渡しません」
「……何を言って?」
「だから、邪魔な人には消えてもらいました」
邪魔な人……それを指す相手に俺はぞっとさせられる。
笑って言う彼女に怖さを感じる。
それは今朝、重傷を負った唯羽だとしたら……。
「和歌が唯羽をあんなに目に合わせたのか?」
今にも掴みかかろうとする自分の怒りを抑え込む。
違う、何かが違う。
そうだ、きっとこれは椿姫のせいに違いない。
あの和歌が唯羽に対してひどい真似をするはずがない。
「……そうですよ。私がやりました」
「なぜ?あんなことを。一歩間違えれば唯羽はホントに危なかったんだぞ」
「最初に言いましたよね。私は貴方を独り占めしたい。素直になろうとしただけです」
「意味が分からない。素直になるって、唯羽が邪魔って……どうしたんだよ、和歌っ!」
俺は彼女の手を握り締めるように取る。
震えていた。
ガタガタと手を震わせながら彼女は瞳に涙をため込んでいる。
「だって、邪魔だったんですっ!お姉様さえいなければ、私は元雪様のただ一人の恋人だった。過去の事なんて知りません。運命なんて関係ない。私が、元雪様を好きなんだから、邪魔に思って何が悪いんですか」
パチンっ、と冷たい音が森に響く。
「も、元雪様……?」
あ然とする和歌が頬を押さえてこちらを見つめていた。
俺はバカだ、大好きな女の子に手を挙げてしまった。
これは俺が招いた事だ。
和歌の心の痛みに気付けずに中途半端な関係を続けていた。
その結末がこれだとしたら、俺の覚悟なんて意味がない。
どちらも愛して行こうと決めた、あの覚悟は……何の意味もないのか。
「ごめんな、和歌。だけど、キミは間違っている。やってはいけない事をしたんだ」
「……どうしてですか?素直になれって言われて……素直に……」
「それは本当にキミの意思なのか。和歌は唯羽を傷つけるなんて真似をして、それが素直になるってことなのか。和歌、お願いだ。正気に戻ってくれ」田七人参
「……ぅっ、ぁあ……」
和歌は頭を抱えながら地面にうずくまる。
苦しそうにしている彼女を俺は抱きしめることしかできない。
「違うはずだ。本当のキミはそんな事をするはずがない」
「わ、私は……私は――」
「――和歌っ!」
お願いだから、本当の心を取り戻してくれ。
俺の叫びに彼女はハッと目が覚めたように、瞳に色を取り戻した。
「……元雪、様?」
「和歌?大丈夫か?」
「私は……ち、違うんです、私はこんなことをするつもりじゃ……」
俺に抱きつきながら彼女は大粒の涙をこぼし始めた。
和歌が正気を、心を取り戻したようだ。
「私は、お姉様と話をしたかかっただけで、あんなひどい事をするつもりはなくて」
「分かってる。今の和歌が本当の和歌なんだ。心を取り戻したんだな」
「自分で、自分のしたことが分からないんです。どうして、あんなひどいことを……お姉様を傷つけてしまうなんて」
どうやら、唯羽を襲った記憶はあるようだ。
椿姫に何らかの暗示でもかけられたのだろうか。
だが、椿姫が唯羽を邪魔に思い、自らの現世の存在を痛めつける理由はなんだ?
「いつもの和歌に戻ってくれてよかった。ここで何があったんだ?」
戸惑いながら和歌は思いだすように告げる。
「椿姫様に会いました。彼女は私に素直になるように言ったんです。でも、そこからの記憶があやふやで、何をして……」
「とにかく、ここを出よう。話はそれからだ」
俺達は急いで森から出ようとする。
だが、異変は既に起きていたのだ。
「これは……?」
刹那、俺達の視界を一面に染めるのは薄いピンク色の花びら。
「桜の、花だと……?」
見間違える事のない、桜の花びらが宙を舞っている。
「何でこの時期に桜の花が咲いているんだ?」
森を覆うのは桜色の絨毯。
ご神木が美しすぎる桜の花を咲かせていた。
「ほ、本物なんでしょうか?」
驚きながら和歌がその花びらに触れてる。
「……実体はあります。夢と言うこともなさそうです」
「ありえないだろう?」
「私も驚いてます。秋の季節に本物の桜が花開くなんて、信じられません」
俺達は桜の花が舞う様に魅入られる。
季節外れの桜は、悪夢再来の狼煙。
そして、“あの女”はついに俺達の前に姿を現わすのだ。
『――10年、待ったよ。長い時の流れでは、それはわずかな時間にすぎなかったが。子供が大きく成長するほどには十分な時間だったようね』
禍々しい色の光が桜の巨木を包みこんでいく。
異常な光景が広がる。
その光の中から、着物姿の女性が俺達の前に現れたのだ。
この世界ではない、人ではない、おぞましい存在。
『久し振り、柊元雪。私にとっては、この世界で最も憎い男の子』
長い髪を風になびかせて、その冷たい瞳は俺を見つめていた。
――椿姫。
俺の幼い頃の記憶にある、俺を殺そうとした怨霊。印度神油
彼女がついに再び、姿を現した。
「どうして、お前が……唯羽の封印は……」
『子供騙しの封印など意味なんてない。あの娘は自らの感情を捨て、私を閉じ込めた。だが、それでも、代わりなどいくらでもある。人を憎む、羨む、そのような感情を抑えきれないほどの想いを抱えているものがいればな』
彼女が指をさすのは震えて俺に抱きつく和歌だった。
「私のせいで……?」
『そうだ。全てはお前のおかげだ。たった一言の言葉に、理性を失うほどの狂気を、憎悪を隠していた全ての負の感情を解放させたの。何と純粋な心の持ち主か。それゆえに押し殺してきたものも大きかったな、紫姫の魂を持つ子よ』
和歌の負の感情がきっかけで椿姫を蘇らせてしまった?
そんな事がありえるのか。
だって、あれは唯羽の前々世、和歌には関係のない……いや、違うのか。
和歌はこの椎名神社に守られていると、唯羽は言っていた。
それはつまり、和歌もこの土地と繋がっていると言うこと。
この土地である限りは少なからず唯羽と同様に彼女の感情も椿姫の呪いに影響する。
それを俺達は考えつかなかった。
和歌の感情すら、椿姫は復活のために利用しやがった。
「それで、唯羽の動きを封じるために、彼女に深手を負わせたのか」
『あの子は邪魔だ。殺すつもりはないが、邪魔をするのなら仕方あるまい』
「なるほどなぁ。本当に世の中って不可思議に溢れているぜ」
俺は椿姫に向き合う。
恐ろしいほどの殺気を放つ女性。
これが現実の人ではない事は見れば分かる。
「和歌、逃げろ。こいつは、キミも傷つけるつもりだ」
『私の恨みは影綱様と紫姫、2人に向けられたもの。魂を受け継いだ事を悔やめ。お前達はここで死ぬのだから』
「はい、さよなら。というわけにはいかないなぁ」
『……10年前と違い、ずいぶんと口の悪い子に成長をしたのは悲しいよ』
怨霊に近所のお姉さん的な言われても困る。
まったく、この椿姫ってのは厄介だ。
「元雪様。私のせいでこんなことになったんです。私は逃げませんよ」
「……和歌のせいじゃない。ただ、利用されたんだよ。和歌の純粋な思いを利用した」
「それでも……あっ」
椿姫はこちらに一歩ずつ近づいてくる。
俺は和歌を背後に守りながら、必死に考える。
どうすればいい、どうすれば……。
「元雪――!」
その時だった、背後から唯羽の声が聞こえたので振り返る。
唯羽が傷だらけの身体で俺達の前にやってきた。
「唯羽?その身体で来たのか!?」
「今の季節に桜って、この異常な現象は何?えっ、嘘。あれは椿姫……?」
目の前の光景に、信じられないと言う顔を見せる。
「……怨霊復活とか、笑えない冗談だね」
桜の花が舞う幻想的な光景。
俺達は最悪な状況に追い込まれていた。強力催眠謎幻水
2013年7月15日星期一
誓約書を奪え
あれから。
姫達と無事に合流できたので、とりあえず今後の行動の優先順位を決めました。
何だかセシル達は放って置いても大丈夫そうなので、私は婚姻の誓約書を入手するということに。巨人倍増枸杞カプセル
いや、証拠集めより簡単そうだし?
後宮では嫌がらせもなく放置されてるしね?
下手に私が侵入して怪しまれるより証拠を入手次第、即逃亡できるようにした方が良いだろう。
なお、セシル達の無事を確認・親睦を深める目的で夕食は毎日一緒に取る事になった。
夕方、エマと待ち合わせて後宮内のセシルの部屋で御飯です。手料理振舞っちゃうぞ。甘い物も任せとけ。
で。
本日、神殿に侵入してみようと思います。
見取り図は商人さん達から貰ったので迷子になる心配も無し。
顔どころか存在を認識できないようになる魔道具――職人達の手作りですよ、当然――装備、一日居る可能性もあるので軽食と水も持ちました。
気分は遠足。おやつ無いけど。
なお、この魔道具は実用性がかなり低いらしい。
『見えなくなる』というか、『気にしなくなる』という感じ。ステルスとか隠密スキル程度なんだそうな。
なので気配に聡い人――騎士や傭兵みたいな人――や魔力の気配に聡い人――魔術師ですね――は『何となく気付く』らしい。
……うん、そんな人達相手に使えないならあまり意味ないね。気配を消せる人の方が余程お役立ちです。
今回は平和ボケした神殿の皆様相手だからこそ有効なのだ。
だってあの神殿に盗むような物なんて無いじゃん? 警備自体あまりしてないよね。
これが国宝紛いの物を安置しているなら別だが、それは目的の場所じゃないのである。
あくまで『結婚式を行い誓約書を保管する場所』が私の目当てなので、人の出入りが多い上にそれ以外の用事がない。
恋人達の憧れの場所だそうですよ……人気の結婚式場扱いかい。
記念の護符を売っているあたり『観光スポットかよ!?』と激しく突っ込みたい。
元の世界でも土産物を売って運営資金にしている修道院とかあるけどさ。
人々にとって重要な施設なら寄付とかあるよね? 国からも支援されてるよね……?
まあ、神聖な場所と分けて存在しているからこそ簡単に忍び込めるのだが。もう一個の国宝紛いを安置してある神殿は基本的に立ち入り禁止だしね。そちらは王族とかの婚姻に使われるんだそうな。
そして神聖な場所過ぎて誓約書の保管場所とか余計な部屋が無いらしい。だから侵入が楽な方で済むんだけどさ。
それ以前に『誓約書を盗もう』などという不届き者は居まい。盗んだところで精々婚姻の証拠隠滅くらいなのだ。金にならん。
望まない結婚ならば窃盗も十分考えられる……と思うのは当然なのですが。
そんな状況ならば新たに誓約書を作り直されるだけだろう。だって『結婚を強制されて強行された』のだから。盗むだけではなく状況を覆さない限り同じ事をされて終わりです。
無駄な事をするより駆け落ちでもした方が確実だ。実際、年に何回かあるらしい。
で、私の場合。RU486
目的の物が一応王族関連なので重要なものには違いないのですが。
逆に言えば別扱いしてあるから探すの楽なんだよね。
勿論神殿に最低限の防衛魔法はあるだろうけど大抵解除できるしな、私。
魔力を『何かを成す為の力』として認識することを肯定してくれた先生に感謝です。色々と間違った解釈をしてるっぽいけど無駄に万能。特にこういった解除系に関しては編物を解くような感覚なので問題無し。
結界系統の魔術は魔力量よりも構造が重要らしいからね〜、単純なものだと楽勝です。
用が済んだらお詫びにできるだけ複雑なものを施しておいてあげよう。
逃亡がバレた際に婚姻の証拠として突きつけたくても解けなかったら時間稼ぎになる。
お詫びじゃなくて嫌がらせ? 誠意が無い?
そんなことはありません。他の王族の分もありますからね!
王太子以外の誓約書が紛失しちゃったら大変じゃないですか!
……これで解けなかったら黒騎士達と大笑いしてやりますが。
というわけで。
本日、遠足……もとい誓約書の奪取に行って参ります!
「嬢ちゃん……何だか色々と不安なんだが」
「気の所為ですよ、気の所為。恐れていては何も始まりません!」
「いや……遠足って何だ、遠足って」
「軽食を持って日帰り程度で行なわれる行事です。ほら、間違ってない」
「あのな、『侵入』とか『犯罪』とか判ってるか? 捕まったらヤバイんだぞ?」
「つまり『バレなきゃOK! 気付かれなきゃ犯罪にはならない』ということですね?」
「違うから! そこまで前向きな言い方にしなくていいからな!?」
「一体何なの、この子……」
商人さん達が呆れたり脱力したり虚ろな目になっていたのは些細なことです。
いつものことだから気にすんな?
大丈夫、そのうち慣れる! 人は順応する生き物ですよ?
騎士sにできたことを貴方達ができない、なんて誰も思ってませんよ!
※※※※※※※※※
「姉から結婚前に是非一度見ておけと勧められまして」
「まあ、そうなのですか。どうぞゆっくり見ていってくださいね」
入り口付近で声をかけてきた女の人――神官なのか巫女なのか只の職員なのかよく判らん――と軽く会話を交わし内部へ。
中には下見に来たのかそれなりに人が多い。今日は結婚式が続けてあるらしく特に人が集っている。
……ええ、そういう日を狙いましたから。
皆に祝ってもらうという意味もあってか、そういった情報は結構出回るのだ。
基本的に元の世界の結婚式と変わりは無いみたい。誓約書へのサインもそこで行なわれてから保管庫へ運ばれるので付いて行けば辿り着く。
さて、魔道具を身につけて行動開始です。人の少ない奥まった場所へ足を踏み入れても認識されないので問題無し。
一番の問題は中で迷子になって出られなくなることですからね! 見取り図は出て来る時に重要なのです。
普通は逆だろうけど妙な構造になっていた場合、私には道を正確に戻る自信などない。窓を開けて出てくるわけにもいかないしね。侵入の形跡が残ってしまう。
それに他にもやるべき事があるので迷子になりかねないのだよ。
そんな事を考えつつ付いて行ったら何だか重厚な扉の前で職員の足が止まった。
掌を扉に押し付けるとほんのり光ってカチャリと鍵が外れる。
へぇ、あんなものもあるんだ? もしかして鍵を解除できる人が決まっているんだろうか。
予め認識させておけば登録された人以外は鍵を開けられない、というものならば警備らしい人が見当たらないのも頷ける。中絶薬
扉が開いた後、職員は部屋に入った。当然、私に気付いた様子もありません。
無防備なことに扉を開けたままだったので私も便乗。ひっそり中に入ったら扉付近で待機です。
暫くすると扉がゆっくりと閉まった。なるほどー、閉める必要ないのか。
で、目的地にあっさり着いたわけですが。
一度内部に入ったら職員が去るまで大人しくしていた方がいいだろう。即行動は当然できないけど、安全確保の為にも暫く空気になっておきます。私は置物、気にすんな。
職員が完全に去ってからが本番ですよ。部屋からという意味ではなく、廊下の足音が聞こえなくなる程度には。
閉じ込められる状態になるからこそ、次に人が来るまでの時間は安心して探せるというわけです。
結婚式が多い日を選んだのはこの為。侵入するのに有利という面もあるけどね。
仕事を終えた職員は何時の間にか閉まっていた鍵を先程と同じように扉に掌を当てて解除し、部屋を出て行った。
一定時間で自動的に閉まるらしい。その後ゆっくりと足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
では、探索開始です。と言っても部屋の一番奥にある扉がそれっぽいけどな!
当りをつけた扉から小部屋に入り込むと予想通り王族の婚姻の歴史発見。別格だと見つけ易いですね!
御丁寧にも年代別に整理され、しかも最近の物は判り易い位置に置いてある。特に一年前の王太子。
結界を解除し、薄いガラスのような素材の間に挟まれていた誓約書を取り出し目を通す。
うん、これだ。簡単に目を通しただけだけど日付とサインから間違いは無いだろう。
……。
王太子……お前物凄く投げやりにサインしただろ?
如何にも『不機嫌です!』と言わんばかりの文字に少々呆れる。
王族だろ、お前。政略結婚当たり前な階級だろうが。
呆れつつも、ふと違和感を感じ手にした誓約書に眼を落とす。
……おやぁ? 魔力を帯びてるみたいです、紙の分際で生意気な。
そういえば『重要な契約書は特殊な紙を用いる』って前に聞いたような。
紙の強度の事を言っているのかと思ったけど、『違えられないような制約がつく』ってことだったのかな。
おそらく紙自体も簡単に破棄できないだろうし、破れば署名した人物に何らかの罰が与えられるとかいった術なのかもしれない。
『婚姻の証明書じゃなく誓約書だよ』と魔王様に訂正されたけどマジで効果ありなものでしたか。
ほほう、さすがは王族の婚姻。簡単に破棄できないようになっているみたい。
が。
私、この手の対策は既に取得済みです。
悪戯の為に、ですが。好奇心と向上心は魔法上達に必須です。
いやぁ、人生何があるか判りませんね……!
では、『楽しい契約の破り方』講座いってみましょうか♪
用意するもの
・破棄したい誓約書、別の紙(普通の紙でいい)
やり方
・誓約書の消去したい部分(この場合はサイン)のインクを別紙に移し除去。
血で認証されている場合も同じく。
ほら、あっさり完了。『術式が組み込まれた紙』に『直筆で名前が書いてある事』が問題なので、名前だけ移動させてしまえばいい。
この世界にこんな魔法は無いので誰もできないやり方だけど。
ゼブレストで作った名前変換の直筆手紙と同じ手口ですね。バレれば大問題になること請け合い。威哥王三鞭粒
『インクだけ移動させる』って発想が無いからこそ誰も使えないだけなのです、教えれば黒騎士あたりはすぐに使えるようになるだろう。
魔力を『何かを成す為の力』として捉えている事も重要だけど。
さて、この誓約書は勿論持っていきますよ。
良かったなー、王太子。これで君はめでたく独身だ。
いや、婚姻の証拠はもう無いからずっと君は独身だった。バツイチとは言わん。
セシルも人生に汚点など残さなくて何よりだ。
ああ、王太子の名前はそのままにしておこう。誓約そのものが破棄され効果を失っているのか、未完成のままなのかは判らんし。
イルフェナに戻り次第、黒騎士達に聞けばどうなっているのか教えてくれるだろう。
そんな事を考えつつ認証式の扉の付近まで戻り、持ってきたサンドイッチを食べながら一休み。
その後は再び開いた扉からこっそり退室し任務完了。
後はふらふら歩き回って探索し、もう一つの目的『横領の証拠獲得』を無事に済ませ宿に戻ったのだった。
事前に商人さん達から聞いていた情報ですよ、これ。
神殿とくれば『隠し通路・悪事の証拠・財宝』といった秘密が一杯だと相場が決まってます!
探索スキル発動しつつ歩き回れば一個くらいは見付かるかな〜、と思ってましたが大当たり。
牢獄より簡単でした。鍵の掛かった机の引き出しや戸棚に普通に入ってたもの。
魔法が掛かっていない一般的な鍵は開けるんじゃなく一度分解し、その後再構成すれば問題無しだった。発想を変えれば簡単だったのね〜、開錠。
……何だか碌でもない技術のみ上達していくような気がしますが。
お粗末な警備体制も経費をケチっていることが原因みたい。愚かだ。
まあ、とにかく。
私の手駒の一つになって貰いますよ、神殿の皆様?
神聖な婚姻の場での汚職事件はさぞかし人々の関心を引いてくれる事だろう。
もしくは責任者と取引して姫の逃亡に一役買ってもらっても良いかもしれない。
『婚姻を交わしておきながら夫が率先して冷遇するとは何と情けない!』とか演説してもらってもいいんじゃなかろうか。立場的に支持を得るだろうし。
王家に誓約書の紛失を責められても『そうなるよう仕向けた原因』は王家の方だ。
さぞや責任の擦り付け合いな泥沼展開となるだろう。……頑張れ。
その後。
迎えに来たエマと合流し再び後宮へ。本日の出来事を証拠と共に話すと二人は暫し無言になった。
どうやら誓約書を奪ってくる事のみを想像していたらしく、誓約の無効まで行なっているとは考えなかったらしい。
ああ、やっぱり誓約の破棄には特殊な手順がいるんだね。
「ミヅキ、君の実力を疑って悪かった」
「魔導師を名乗るだけはありましたのね……申し訳ありません」
気にしないで良いよ、二人とも。
私の場合、思い込みと無知な所為でこの世界の常識が通じないだけだから。
そもそも正規のやり方なんて知らん。……とか言ったら混乱させるだけだよねぇ。三鞭粒
姫達と無事に合流できたので、とりあえず今後の行動の優先順位を決めました。
何だかセシル達は放って置いても大丈夫そうなので、私は婚姻の誓約書を入手するということに。巨人倍増枸杞カプセル
いや、証拠集めより簡単そうだし?
後宮では嫌がらせもなく放置されてるしね?
下手に私が侵入して怪しまれるより証拠を入手次第、即逃亡できるようにした方が良いだろう。
なお、セシル達の無事を確認・親睦を深める目的で夕食は毎日一緒に取る事になった。
夕方、エマと待ち合わせて後宮内のセシルの部屋で御飯です。手料理振舞っちゃうぞ。甘い物も任せとけ。
で。
本日、神殿に侵入してみようと思います。
見取り図は商人さん達から貰ったので迷子になる心配も無し。
顔どころか存在を認識できないようになる魔道具――職人達の手作りですよ、当然――装備、一日居る可能性もあるので軽食と水も持ちました。
気分は遠足。おやつ無いけど。
なお、この魔道具は実用性がかなり低いらしい。
『見えなくなる』というか、『気にしなくなる』という感じ。ステルスとか隠密スキル程度なんだそうな。
なので気配に聡い人――騎士や傭兵みたいな人――や魔力の気配に聡い人――魔術師ですね――は『何となく気付く』らしい。
……うん、そんな人達相手に使えないならあまり意味ないね。気配を消せる人の方が余程お役立ちです。
今回は平和ボケした神殿の皆様相手だからこそ有効なのだ。
だってあの神殿に盗むような物なんて無いじゃん? 警備自体あまりしてないよね。
これが国宝紛いの物を安置しているなら別だが、それは目的の場所じゃないのである。
あくまで『結婚式を行い誓約書を保管する場所』が私の目当てなので、人の出入りが多い上にそれ以外の用事がない。
恋人達の憧れの場所だそうですよ……人気の結婚式場扱いかい。
記念の護符を売っているあたり『観光スポットかよ!?』と激しく突っ込みたい。
元の世界でも土産物を売って運営資金にしている修道院とかあるけどさ。
人々にとって重要な施設なら寄付とかあるよね? 国からも支援されてるよね……?
まあ、神聖な場所と分けて存在しているからこそ簡単に忍び込めるのだが。もう一個の国宝紛いを安置してある神殿は基本的に立ち入り禁止だしね。そちらは王族とかの婚姻に使われるんだそうな。
そして神聖な場所過ぎて誓約書の保管場所とか余計な部屋が無いらしい。だから侵入が楽な方で済むんだけどさ。
それ以前に『誓約書を盗もう』などという不届き者は居まい。盗んだところで精々婚姻の証拠隠滅くらいなのだ。金にならん。
望まない結婚ならば窃盗も十分考えられる……と思うのは当然なのですが。
そんな状況ならば新たに誓約書を作り直されるだけだろう。だって『結婚を強制されて強行された』のだから。盗むだけではなく状況を覆さない限り同じ事をされて終わりです。
無駄な事をするより駆け落ちでもした方が確実だ。実際、年に何回かあるらしい。
で、私の場合。RU486
目的の物が一応王族関連なので重要なものには違いないのですが。
逆に言えば別扱いしてあるから探すの楽なんだよね。
勿論神殿に最低限の防衛魔法はあるだろうけど大抵解除できるしな、私。
魔力を『何かを成す為の力』として認識することを肯定してくれた先生に感謝です。色々と間違った解釈をしてるっぽいけど無駄に万能。特にこういった解除系に関しては編物を解くような感覚なので問題無し。
結界系統の魔術は魔力量よりも構造が重要らしいからね〜、単純なものだと楽勝です。
用が済んだらお詫びにできるだけ複雑なものを施しておいてあげよう。
逃亡がバレた際に婚姻の証拠として突きつけたくても解けなかったら時間稼ぎになる。
お詫びじゃなくて嫌がらせ? 誠意が無い?
そんなことはありません。他の王族の分もありますからね!
王太子以外の誓約書が紛失しちゃったら大変じゃないですか!
……これで解けなかったら黒騎士達と大笑いしてやりますが。
というわけで。
本日、遠足……もとい誓約書の奪取に行って参ります!
「嬢ちゃん……何だか色々と不安なんだが」
「気の所為ですよ、気の所為。恐れていては何も始まりません!」
「いや……遠足って何だ、遠足って」
「軽食を持って日帰り程度で行なわれる行事です。ほら、間違ってない」
「あのな、『侵入』とか『犯罪』とか判ってるか? 捕まったらヤバイんだぞ?」
「つまり『バレなきゃOK! 気付かれなきゃ犯罪にはならない』ということですね?」
「違うから! そこまで前向きな言い方にしなくていいからな!?」
「一体何なの、この子……」
商人さん達が呆れたり脱力したり虚ろな目になっていたのは些細なことです。
いつものことだから気にすんな?
大丈夫、そのうち慣れる! 人は順応する生き物ですよ?
騎士sにできたことを貴方達ができない、なんて誰も思ってませんよ!
※※※※※※※※※
「姉から結婚前に是非一度見ておけと勧められまして」
「まあ、そうなのですか。どうぞゆっくり見ていってくださいね」
入り口付近で声をかけてきた女の人――神官なのか巫女なのか只の職員なのかよく判らん――と軽く会話を交わし内部へ。
中には下見に来たのかそれなりに人が多い。今日は結婚式が続けてあるらしく特に人が集っている。
……ええ、そういう日を狙いましたから。
皆に祝ってもらうという意味もあってか、そういった情報は結構出回るのだ。
基本的に元の世界の結婚式と変わりは無いみたい。誓約書へのサインもそこで行なわれてから保管庫へ運ばれるので付いて行けば辿り着く。
さて、魔道具を身につけて行動開始です。人の少ない奥まった場所へ足を踏み入れても認識されないので問題無し。
一番の問題は中で迷子になって出られなくなることですからね! 見取り図は出て来る時に重要なのです。
普通は逆だろうけど妙な構造になっていた場合、私には道を正確に戻る自信などない。窓を開けて出てくるわけにもいかないしね。侵入の形跡が残ってしまう。
それに他にもやるべき事があるので迷子になりかねないのだよ。
そんな事を考えつつ付いて行ったら何だか重厚な扉の前で職員の足が止まった。
掌を扉に押し付けるとほんのり光ってカチャリと鍵が外れる。
へぇ、あんなものもあるんだ? もしかして鍵を解除できる人が決まっているんだろうか。
予め認識させておけば登録された人以外は鍵を開けられない、というものならば警備らしい人が見当たらないのも頷ける。中絶薬
扉が開いた後、職員は部屋に入った。当然、私に気付いた様子もありません。
無防備なことに扉を開けたままだったので私も便乗。ひっそり中に入ったら扉付近で待機です。
暫くすると扉がゆっくりと閉まった。なるほどー、閉める必要ないのか。
で、目的地にあっさり着いたわけですが。
一度内部に入ったら職員が去るまで大人しくしていた方がいいだろう。即行動は当然できないけど、安全確保の為にも暫く空気になっておきます。私は置物、気にすんな。
職員が完全に去ってからが本番ですよ。部屋からという意味ではなく、廊下の足音が聞こえなくなる程度には。
閉じ込められる状態になるからこそ、次に人が来るまでの時間は安心して探せるというわけです。
結婚式が多い日を選んだのはこの為。侵入するのに有利という面もあるけどね。
仕事を終えた職員は何時の間にか閉まっていた鍵を先程と同じように扉に掌を当てて解除し、部屋を出て行った。
一定時間で自動的に閉まるらしい。その後ゆっくりと足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
では、探索開始です。と言っても部屋の一番奥にある扉がそれっぽいけどな!
当りをつけた扉から小部屋に入り込むと予想通り王族の婚姻の歴史発見。別格だと見つけ易いですね!
御丁寧にも年代別に整理され、しかも最近の物は判り易い位置に置いてある。特に一年前の王太子。
結界を解除し、薄いガラスのような素材の間に挟まれていた誓約書を取り出し目を通す。
うん、これだ。簡単に目を通しただけだけど日付とサインから間違いは無いだろう。
……。
王太子……お前物凄く投げやりにサインしただろ?
如何にも『不機嫌です!』と言わんばかりの文字に少々呆れる。
王族だろ、お前。政略結婚当たり前な階級だろうが。
呆れつつも、ふと違和感を感じ手にした誓約書に眼を落とす。
……おやぁ? 魔力を帯びてるみたいです、紙の分際で生意気な。
そういえば『重要な契約書は特殊な紙を用いる』って前に聞いたような。
紙の強度の事を言っているのかと思ったけど、『違えられないような制約がつく』ってことだったのかな。
おそらく紙自体も簡単に破棄できないだろうし、破れば署名した人物に何らかの罰が与えられるとかいった術なのかもしれない。
『婚姻の証明書じゃなく誓約書だよ』と魔王様に訂正されたけどマジで効果ありなものでしたか。
ほほう、さすがは王族の婚姻。簡単に破棄できないようになっているみたい。
が。
私、この手の対策は既に取得済みです。
悪戯の為に、ですが。好奇心と向上心は魔法上達に必須です。
いやぁ、人生何があるか判りませんね……!
では、『楽しい契約の破り方』講座いってみましょうか♪
用意するもの
・破棄したい誓約書、別の紙(普通の紙でいい)
やり方
・誓約書の消去したい部分(この場合はサイン)のインクを別紙に移し除去。
血で認証されている場合も同じく。
ほら、あっさり完了。『術式が組み込まれた紙』に『直筆で名前が書いてある事』が問題なので、名前だけ移動させてしまえばいい。
この世界にこんな魔法は無いので誰もできないやり方だけど。
ゼブレストで作った名前変換の直筆手紙と同じ手口ですね。バレれば大問題になること請け合い。威哥王三鞭粒
『インクだけ移動させる』って発想が無いからこそ誰も使えないだけなのです、教えれば黒騎士あたりはすぐに使えるようになるだろう。
魔力を『何かを成す為の力』として捉えている事も重要だけど。
さて、この誓約書は勿論持っていきますよ。
良かったなー、王太子。これで君はめでたく独身だ。
いや、婚姻の証拠はもう無いからずっと君は独身だった。バツイチとは言わん。
セシルも人生に汚点など残さなくて何よりだ。
ああ、王太子の名前はそのままにしておこう。誓約そのものが破棄され効果を失っているのか、未完成のままなのかは判らんし。
イルフェナに戻り次第、黒騎士達に聞けばどうなっているのか教えてくれるだろう。
そんな事を考えつつ認証式の扉の付近まで戻り、持ってきたサンドイッチを食べながら一休み。
その後は再び開いた扉からこっそり退室し任務完了。
後はふらふら歩き回って探索し、もう一つの目的『横領の証拠獲得』を無事に済ませ宿に戻ったのだった。
事前に商人さん達から聞いていた情報ですよ、これ。
神殿とくれば『隠し通路・悪事の証拠・財宝』といった秘密が一杯だと相場が決まってます!
探索スキル発動しつつ歩き回れば一個くらいは見付かるかな〜、と思ってましたが大当たり。
牢獄より簡単でした。鍵の掛かった机の引き出しや戸棚に普通に入ってたもの。
魔法が掛かっていない一般的な鍵は開けるんじゃなく一度分解し、その後再構成すれば問題無しだった。発想を変えれば簡単だったのね〜、開錠。
……何だか碌でもない技術のみ上達していくような気がしますが。
お粗末な警備体制も経費をケチっていることが原因みたい。愚かだ。
まあ、とにかく。
私の手駒の一つになって貰いますよ、神殿の皆様?
神聖な婚姻の場での汚職事件はさぞかし人々の関心を引いてくれる事だろう。
もしくは責任者と取引して姫の逃亡に一役買ってもらっても良いかもしれない。
『婚姻を交わしておきながら夫が率先して冷遇するとは何と情けない!』とか演説してもらってもいいんじゃなかろうか。立場的に支持を得るだろうし。
王家に誓約書の紛失を責められても『そうなるよう仕向けた原因』は王家の方だ。
さぞや責任の擦り付け合いな泥沼展開となるだろう。……頑張れ。
その後。
迎えに来たエマと合流し再び後宮へ。本日の出来事を証拠と共に話すと二人は暫し無言になった。
どうやら誓約書を奪ってくる事のみを想像していたらしく、誓約の無効まで行なっているとは考えなかったらしい。
ああ、やっぱり誓約の破棄には特殊な手順がいるんだね。
「ミヅキ、君の実力を疑って悪かった」
「魔導師を名乗るだけはありましたのね……申し訳ありません」
気にしないで良いよ、二人とも。
私の場合、思い込みと無知な所為でこの世界の常識が通じないだけだから。
そもそも正規のやり方なんて知らん。……とか言ったら混乱させるだけだよねぇ。三鞭粒
2013年7月12日星期五
営業課アイドル争奪戦
営業課に、新しいプリンタがやってきた。
正確にはスキャナーにファクシミリ機能もついた複合機なんだけど、これがもう本当におろしたてほやほやの新品だった。まだそこはかとなく家電量販店の化学的な匂いがする。くすみ一つないオフホワイトの筐体は石膏細工のようで、指先でそっと触れるのもためらわれるほどきれいだ。足元には外したばかりとおぼしきビニールが折り畳まれた状態で置かれていて、まるで美しい芸術品のお披露目式みたいだと私は思う。日本秀身堂救急箱
「待ってたぜ……! 我が営業課のニューアイドル!」
石田主任のテンションは早朝とは思えないほど非常に高く、プリンタの全身を嬉しそうに眺め回っている。プリンタが人間だったら恥ずかしがるんじゃないかというほどためつすがめつした後で、ほうっと深く息をつく。
「いいな、写真で見るよりずっと美人だ」
そんな言葉までかけられていて、私はプリンタに羨ましささえ覚えてしまう。
やきもちを焼く対象にしていいのかどうか微妙なところではあるけど……でもちょっと、いいなあ、なんて。
主任はこのプリンタがやって来るのを心待ちにしていたそうで、一週間前には既に取扱説明書をメーカーのサイトからダウンロードして読み始めていたという。デジモノ好きの人らしい気合の入りようだった。納品されたのは昨夕だったから、今朝は誰よりも早く出勤してきてセットアップを済ませたと聞いている。
すっかり上機嫌の主任は『見せてやるからちょっと早めに来い』と私、そして霧島さんに連絡をくれ、私たち三人は始業の一時間半も前から営業課に集まっていた。
「いいんですか、ここでそんなこと言っちゃって」
霧島さんが肩を竦める。さっきから主任のテンションには呆れているそぶりだったけど、言葉の後で私を見た目はどこか気遣わしげだった。
「うちの現アイドルが悲しみますよ。先輩がすっかり新しい子に夢中だって」
「え!? い、いえまさかそんなっ、そんなんじゃないです!」
羨ましがってるのを言い当てられて私は慌てたけど、霧島さんは毅然とかぶりを振る。
「ここはずばっと言ってやりましょう。この浮気者、そこまで言うならプリンタと結婚しろ! と」
いえいえそんなそこまでは全然思ってないですし!
と言うか私がアイドルだなんて畏れ多いしもったいない。今の私はもうルーキーでもないし、新しさ美しさで言ったらこちらのプリンタの方が圧倒的に勝っている。そして別に、主任をこんなに夢中にさせてるとは言え、人間ですらない無機物に嫉妬してしまうほどでは――胸の辺りが何となくもやもやするし、多少なくはないのかもだけど。
「馬鹿言うな、浮気じゃないよ」
主任は軽く笑った後、急に真面目な顔になって続ける。
「それに、小坂は皆のアイドルじゃない。俺のかわいこちゃんだ」
「え、えええ!?」
思わず声が裏返る。いきなり何を言うんですか主任!
「俺は小坂を大勢で共有する気はないからな。そこんとこ、誤解なきよう」
相変わらず、さらりとこっちが困るような言葉を口にする人だ。あまりのストレートな発言内容に呼吸困難すら起こしかけた私の傍ら、霧島さんまでそわそわ落ち着かない様子になっていた。
「朝っぱらからしかも職場で、よく憚りもなくそんなこと言えますね」
「いいだろ、他に誰も来てないんだし。他の奴らがいたら俺だって自重する」
そうは言っても、この場に三人しかいなくたって、私を安心させようとする心遣いの表れだとしても、今の台詞は途轍もなく心臓によろしくない。今日はこれから普通に仕事もあるのに、どぎまぎしすぎていろいろ手につかなくなりそう。どこかで気持ち切り替えないと。
当の主任は気持ちの切り替えなんて必要ないのかもしれない。顔色一つ変えず、やはりさらりと話を続けた。
「そういうことだから、早速うちの課のアイドルの初仕事といこう」
大きな手で白く美しいプリンタを指し示す。
このご時勢ならどこの会社もそんなものかもしれないけど、我が社の備品は決して新しい品ばかりじゃない。
課内に設置されてるスチール棚は引き戸が時々つっかかるし、会議で使うOHPは私が生まれるはるか前に作られたものだというし、私が仕事用に借り受けているラップトップも結構な年代物で、起動する度に不気味な音を立てるようになっていた。減価償却されまくって今やどれほど価値が残っているかも怪しい備品ばかりの中、待望されて颯爽と現われたプリンタはまさにアイドル的ポジションと言ってもいい。
前任のプリンタも私が入社した当時からがたがた音をさせていたから、今回めでたく予算が下りて買い替えが決まったのは本当によかった。主任がはしゃぐのもわかるし、私としてもこれで仕事が捗るなら言うことなしだ。
「これ、もう動かせるんですか?」
霧島さんがプリンタに近づきながら尋ねる。
「ああ。セットアップ済んだって言ったろ、もう何だって印刷できるぞ」
「じゃあ試しに何かやってみます? 俺も触ってみたいですし」
そう言って液晶パネルに触れようとした霧島さんの手を、石田主任はやんわり押し留めた。
「待て待て霧島、お前ちゃんと取説読んだか?」
「いえ、読んでないですけど」
答えた後で霧島さんは笑い、
「読まなくても大丈夫ですって。そんな難しいもんじゃないでしょう」
と続ければ、すかさず主任が眉を顰める。
「触るなら読んでからにしろよ。適当なボタン押されて壊されちゃ敵わん」
「壊しませんよ。プリンタの操作なんてどれも似たようなものじゃないですか」
「これだからアナログ人間は! いいか、デジモノの技術進化なんて日進月歩なんだぞ」
主任は大仰な身振りを交えて語り始めた。
「お前がぼさっと過ごしてる間にも日本のものづくり技術は日々成長を続けてんだよ。どれも似たようなものだなんて軽々しく言うな。畏れ多くもこちらのアイドル様は、カラー原稿ですら毎分六十枚以上でコピーしてくださる働き者だぞ? 両面スキャンにも対応してくださってるし、両面ADFだって搭載なさってる! 俺たちの今後の業務を大いに助けてくださる、言わば勝利の女神様だぞ!」
「まあ、前のプリンタが年代物でしたからね。隔世の感すらありますけど」
ここでやっと霧島さんが口を挟む。主任はますます勢いを増して、更に訴える。
「それをわかってんだったらなぜマニュアルを読まない? 時代に取り残されたお前が最新のプリンタを使いこなせるとでも思ってんのか? それは思い上がりじゃないのか霧島」
「なぜ俺だけが取り残された風に言うんですか。大体、先輩はどうなんですか」
「俺は熟読したからな! 一週間前からそれはもう愛読書のようにみっちりと!」
主任はものすごく得意げな顔をする。そして自分のデスクからタブレット端末を拾い上げると、それを霧島さんに見せるように差し出した。
「今からでも目通しとけ。あ、PDFの見方はわかるよな?」
「いくら俺でもそこまで酷くないです」
霧島さんは苦笑したけど、マニュアルにはやはり興味が薄いようだった。一ページめくって『はじめにお読みください』を通読した後、私の方を向く。
「俺、こういうのはほとんど読まない方なんですよね。小坂さんはどうですか」
「私もあんまり……。いつも、わからないことがあって初めて開く感じです」
わからないまま弄って壊すよりは、ちゃんと取説読んでおく方が正しい。でも日進月歩の電子機器はだんだんとアナログ人間にも優しくなっているみたいで、手探り状態から始めても割かしどうにか使えてしまうものだった。携帯電話の取説なんて、いつも機種変するまでに二、三度開くかどうかという感じだし、このプリンタだって習うより慣れろですぐ覚えてしまうような気もする。
「小坂、お前もか。お前もアナログ人間なのか」簡約痩身美体カプセル
石田主任がどこかからかうような口調で言う。私は照れ笑いで誤魔化した。
「すみません、そうなんです。でもすぐに慣れちゃうと思います」
「しょうがねえなあ。じゃ、俺が使ってみせるから、よくよく見物しとけよ」
宣言するなり主任はプリンタの液晶パネルへ向き合う。
だけどそこへ、今度は霧島さんが口を挟んだ。
「先輩、こういうのは後輩優先で使わせてくれるものじゃないですか」
たちまち振り向いた主任が、訝しそうな顔をする。
「は? マニュアルも読まない人間が何を言う」
「だって、こんな朝早くから俺と小坂さんを呼んどいて、まさか見せるだけってことないですよね?」
「見せるっつうか、見せびらかしたくて呼んだ」
「先輩の私物じゃないんですから……。自分で言ったんでしょう、うちの課のアイドルって」
気心の知れた相手だからか、霧島さんは強気に食い下がる。
「だったら俺たちにも試させてくださいよ。こういうのは使ってみなくちゃ覚えられないですよ」
「ええー。一番は俺がいい」
その提案を、石田主任は子供っぽく拒んだ。むっとした口調がちょっと可愛い。
可愛いと思ったのはどうやら私だけのようで、霧島さんは何とも言えない半笑いだったけど。
「子供みたいなこと言いますね、先輩」
「だってセットアップしたの俺だしー。お前らより更に早く出勤してきてるしー」
「今の口調、気色悪いんでやめてください」
「あと俺、主任だしー。こういうのはやっぱ序列順だと思うんですけどー?」
「だからやめてくださいってば。しかも権力を笠に着ますか」
「当然だろ。せっかく主任にまでなったんだ、この権力をここで使わずいつ使う!」
ぐっと拳を握り固める石田主任は、まるで今日の為に主任になったと言わんばかりだった。
人並み以上に日々努力して勝ち取ったであろうその権力を、こういうことに使いたがるのはいかにもこの人らしいなあと微笑ましく思う。そこまでしなくても、こうして早朝出勤してセットアップを引き受けたと言うだけでも十分、一番乗りの権利はあるんじゃないかなとも思うけど。
「どうしてもって言うんなら考えてやってもいいが」
そして主任はやけに楽しそうに切り出した。顎に手を当て、少し考えるようなそぶりの後で、
「そうだな……時間もあるし、三人で軽く勝負でもするか。勝った奴が一番にプリンタ動かすってことでどうだ?」
いたずらっ子の表情で持ちかけてくる。
三人、と言うともちろん私もカウントされていることになる。私としては一番じゃなくてもいいし、主任を労う意味でも順番を譲りたいところだったけど、霧島さんは乗り気のようで意気揚々と頷いていた。
「いいでしょう。何で勝負します?」
「俺が決めていいのか? ……じゃあ」
そこで石田主任は、何とも意味ありげににやっとした。
「しりとりでどうだ」
「は? しりとりですか?」
霧島さんが眼鏡の奥の瞳を丸くする。
「何だ、霧島はしりとり苦手か? だったら尚更都合がいいな」
「いえ苦手ってほどでは……と言うか得手不得手って観点で捉えたことなかったですよ」
「俺はこう見えてもしりとり得意なんだよ。な、小坂?」
主任から同意を求められ、私は思わず視線を外した。
「そ、そうでしたね……。覚えていらっしゃるとは思わなかったですけど」
「忘れられるわけないだろ、あの時のことは」
いっそ、さらっと忘れてくれててもよかったのに。
私と石田主任はかつて、二人でしりとり勝負をしたことがある。
得意と言うだけあって主任は実際、強かった。私を『ず攻め』にするという力ずくのプレイスタイルで難なく勝利を収めてみせた。あの時は手も足も出なくて、本当に悔しかったな。
ただ、その、問題はそこじゃなくて――しりとりの話題で私が主任の顔を直視できなくなるのには別の理由がある。
すなわち私が、いつ、どういうシチュエーションで、主任としりとりをしたかという点。
それは先程、主任が口にしてのけたストレートな発言以上に、職場に持ち込んではいけない類の内容だと思う。うっかり思い出すと仕事が手につかなくなりそう。なので、何と言うか……思い出させないで欲しかったなあ、と私は密かにうろたえた。
霧島さんは私と主任の顔を見比べ、眉を顰める。
「何で、しりとりの話題が出ただけで居たたまれない空気醸し出してるんですか?」
「気のせいだろ。しりとりくらい、どこのカップルだってやってる」
「そうですかね……。そこまで言うなら、先輩の強さとやらを拝見したいものですが」
「よし、乗り気になったか」
主任はぱっと表情を輝かせて、
「言っとくが俺は手加減はしないぞ、アイドル争奪戦だからな!」
明るい声で宣言する。
対して霧島さんもどこか自信ありげに微笑んだ。
「いいですよ。たかがしりとり、先輩に負ける気なんてさらさらありません。プリンタ一番乗りはいただきます」
二人とも、どうしてかものすごく楽しそう……!
まるで格闘技の試合前みたいに睨みを利かせ合う姿は、もうプリンタの試し刷りなんてのは二の次で、二人で真剣勝負がしたいだけなんじゃないか、とすら思える入れ込みようだった。仲良しなんだから。
そうかと思えば石田主任は私にも水を向けてくる。
「小坂ももちろんやるよな? 以前のリターンマッチを果たさないと、だもんな?」
「私ですか? えっと……」
率直に言えば、もう既に思い出し赤面をしてる私としては、遠慮したい勝負だった。主任も『以前の』とわざわざ言ってくる辺りが、ちょっと意地悪だ。主任のことだからきっとわざと言ってるんだと思う。それもまた弄ばれてるみたいで悔しい。
それとも、これも石田主任のプレイスタイルなんだろうか。試合前の心理戦から既に勝負は始まってる、とか……。ありうる。何せ主任は私を『ず攻め』にして勝利を収めた人だ。今日も私を動揺させて打ち負かす気でいるのかもしれない。
だとしたら、受けないわけにはいかない。私にだって負けず嫌いの精神くらいある。
「じゃあ、私もやります。リベンジしますよ、主任」
狼狽が面に出ないよう、私もあえて強気に応じてみた。
主任はそれを面白そうな目つきで受け止める。西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
「お、小坂も言うようになったな。返り討ちにしてやろう」
更に率直なところを言えば、私は別にプリンタを一番に動かしたいとは、そこまで思っていなかったりするんだけど――。
でも、しりとり勝負に挑む石田主任と霧島さんがすごく楽しそうだったから、交ざりたくなってしまったのもある。
それに、リベンジしたかったのだって本当だ。あの時の私は雰囲気と言うか、空気に呑まれまくりで酷い状態だったから、そういう自分を乗り越える意味でも今日こそは勝ちたかった。勝って気持ちを切り替えて、晴れやかに今日の仕事を始めたい。
そうでもないと今日一日、思い出し赤面と思い出しうろたえを引きずりまくって酷いことになりそうだから――って言ってる傍からちょっと思い出してきてしまって、私は大きくかぶりを振る。ああもう、こんなので私、主任に勝てるかな。
ともあれ朝も早くから、営業課のアイドルを賭けてのしりとり勝負が幕を開けた。
しりとりの順番はじゃんけんで決めた。
その結果、一番手は石田主任、二番が霧島さん、三番目が私の順に回すこととなった。
まさか職場でしりとり勝負をする日が来るなんて、入社当初は考えもしなかった。ルーキー時代の、今よりもずっと石頭だった私は、職場をもっと神聖な場所だと考えていたからだ。既にルーキーではない私は以前よりかは柔軟な頭になれてると思う。
こうなったら意地でも主任に勝ってみせたい。
「よし、順番も決まったしさっさと始めるぞ」
主任の音頭を皮切りに、三人でのしりとり勝負が始まった。
「まず俺からな。しりとりの『り』から、リール」
「『る』ですね。ルーレット」
霧島さんが難なく続ける。私もすぐさま繋いでいく。
「『と』……とんぼ!」
一巡目は全員、特に考え込む必要もなかったようだ。頭に戻って、また主任から。
「ボール」
「また『る』ですか? ……ルビー」
「『い』でいいんですよね? じゃあ、イカ」
「カップヌードル」
三巡目に入ったところで、いち早く霧島さんは察したようだ。途端に眉を吊り上げた。
「先輩、さっきから俺に『る』ばっかり回してません?」
どうやら今回の主任は『る』攻め作戦でいくみたいです。考えてみたら、『る』も『ず』と同じで、なかなか該当する単語が見つけにくい頭文字ではあるし、実に巧妙な作戦だ。
「お、さすがは霧島。小坂より気づくの早かったな」
感心したように笑む石田主任を、霧島さんは呆れ顔で睨む。
「やっぱりわざとですか……」
「一文字攻めは俺のしりとりでの基本プレイスタイルだ」
「しりとり如きでプレイスタイルとか! 大人げないな先輩!」
床に穴が開くんじゃないかというほど深い溜息をついた霧島さんが、その後で思い当たったように顔を顰めた。
「って言うか小坂さんが相手の時でもやってるんですか、この卑怯な戦法」
「そうなんです。前回はそれで惨敗しました」
私は恥ずかしながらも打ち明ける。その上さっき主任も言ってたけど、『ず攻め』されていることにしばらく経つまで気づけなかった。もちろんそれはあの時、ばりばりに緊張していたからというのもあるだろうけど――いやいや、思い出さない思い出さない。
それにしても、本当に霧島さんはすごいな。主任と付き合い長いだけはある。
「かわいそうに……。ぶっちゃけ、女性相手にこのやり方は男としてどうかと思います」
霧島さんの指摘にも石田主任はどこ吹く風だ。
「何言ってんだ。男女平等が謳われて久しいこのご時勢、女だからって手ぇ抜いたらかえって失礼だろ」
それも一理ある。一人前として見てもらえない辛さも、女性だからというだけで待遇が違うなんてことも社会人になってからそれなりに味わってきた。だからこういう真剣勝負の場で手加減されないのって、一人前扱いみたいで嬉しいかもしれない。
ただ、喜んでばかりもいられない。しりとりは知的で高度な言葉遊び。語彙力がそのまま強さとなって表れる。ボキャブラリーのなさは戦いが長引けば長引くほど響いてくるだろうから、日頃から表現力豊かな主任が相手ならなるべく短期決戦に持ち込んだ方がいいだろう。
その為にも、私も何がしかの作戦を考えないと――何だかだんだんと燃えてきている自分に気づいて、今更ながらちょっと照れたけど、楽しいんだからいいよね。
「そんな汚い手を使って、小坂さんに幻滅されないといいですけどね」
「ないない。それどころか『知略を巡らして勝利を収める隆宏さんって素敵!』って惚れ直すはずだ」
自信たっぷりに言い切った主任は私を見て、
「な、小坂?」
と同意を求めてくる。
もちろん主任は素敵な人だけど、その魅力が一番表れているのはしりとりに全力を注ぎ込んで楽しむという性格だと思っている。だから惚れ直すというならいつも、事あるごとに惚れ直しているんじゃないかなって……そんなこと、口に出しては言えないけど。
口に出すのはもっと違う言葉にしておく。
「今回は私が勝っちゃうかもしれませんけど、主任が負けたからって幻滅したりはしませんよ」
ちょっと大胆に、挑発に出てみる。
石田主任は一瞬驚いたようだった。でもすぐに、嬉しげににやっとして、
「言ったな。そこまで大見得切ったからには、一抜けなんかするなよ」
「もちろんです。私、頑張ります!」
「……何か小坂さん、先輩に影響されつつありません?」
どうしてか心配そうにしている霧島さんから、しりとり再開。
さすがに三巡目ともなると少し悩んでしまうようで、
「る、る……。ええと……ルアー」
数十秒かけてからようやく言って、ほっとしたように肩を竦めた。
「『あ』ですよね? アイス」
私がすかさず続けると、石田主任も間髪を入れずに繰り出してくる。
「スケジュール」
「またですか! 何て卑劣な人だ」
霧島さんが愚痴を零した。もちろん聞き逃すような主任じゃなく、途端にたまらなく嬉しそうな顔をしてみせる。西班牙蒼蝿水
「何なら白旗揚げてもいいんだぞ、霧島」
「嫌です、まだ行けます! る……る……」
唇を真一文字に結び、霧島さんは尚も考える。眼鏡のつるを指先で持ち上げ、思索に耽る面持ちは真剣そのものだった。写真に収めて奥様に見せたいくらい格好いい表情だったけど、さすがにゆきのさんにだって『この写真、しりとり勝負の真っ最中なんですよ!』とは説明しにくい、かな。やめておこう。
二分近く考えた結果、何か閃いたらしい。そこで霧島さんの顔色にわかに明るくなり、叫ぶように言った。
「ありました! 『ルーツ』!」
「わあ、すごい! やりましたね霧島さん!」
まるで我が事のように嬉しくなって、私は拍手で霧島さんを労う。
「ここで詰まってる時点で、もう後がなさそうだがな」
一方、主任は悪役みたいな台詞を口にしていた。おかげで霧島さんはげんなりした様子だ。
「小坂さんはともかく、先輩にだけは負けたくないな……」
私も霧島さんとだったら普通の勝負になりそうでいいかなと思う。主任は手強すぎるから、この先の為にもどうにかして打ち勝つ方法を見つけ出しておかなければならない。
ともあれ、次は私の番だ。
「『つ』、と言えば……鶴!」
声に出してからふと気づく。――あ、次が『る』だ。
もちろん石田主任も、そして霧島さんもすぐに察したようだった。二人揃って含んだような笑みを浮かべた。
「小坂も『る攻め』で来るとはな。学習したな」
「けど先に卑怯なことしたのは先輩ですし、責められないですよね」
「責める気なんか端からない。むしろ面白くなってきたとこだ」
主任に『る』が回って、さてどう応えるんだろう。固唾を呑んで出方をうかがう私の前で、主任は間を置かず次の言葉を放つ。
「ルール」
「うわ……っ、まだあるのか!」
霧島さんが自らの額を押さえ、蹲る。その頭上では石田主任がこれ以上ないほどの得意満面で胸を張っていた。
「どうした霧島。降参か?」
「ちがっ、まだです! 何か……何か『る』のつく単語があるはずです!」
そう言って霧島さんは単語を探し始めたようだ。目に見えて焦っているそぶりだった。
私も一度経験しているからわかるけど、こうして追い詰められると思考力が著しく低下してしまうものだ。代わりに浮かぶのはしりとりに使っちゃいけない単語ばかり。
「留守番、ルーチン、ルサンチマン……しまった、いよいよ浮かばない……!」
霧島さんもいつぞやの私と同じ状態になっている。ぶつぶつといくつかの禁止ワードを呟き、苦しげに何度か息をついた後、よろけながら立ち上がった。
そして肩を落として、一言。
「……俺、一抜けでいいです」
投了宣言だった。
「よっしゃあ! まず霧島を倒したぜ!」
片腕を振り上げて喜ぶ石田主任を、霧島さんは恨めしげに見ている。その後、私に向かって必死に訴えてきた。
「小坂さん、是非とも石田先輩を倒してください! 俺の仇を討ってください!」
そう言われたら張り切らないわけにはいかない。
「任せてください! 頑張りますから!」
私は大きく頷く。
それを聞いていた主任は、煽るように指招きをしながら言った。
「残るは小坂一人だな。来るなら全力で、もしくは色仕掛けで来い!」
「私に色仕掛けとか期待されても困ります……えっと、全力で行く方でお願いします!」
「何だ、残念だな」
あながち冗談でもない口調の主任は首を竦め、
「霧島が抜けたから、次は小坂の番な。ルールの『る』だぞ」
と促してくる。
恐らくだけど主任は、『る攻め』路線を継承してくるだろう。
私も今のうちはまだ『る』のつく単語がいくつか浮かんでいるけど、主任のボキャブラリーを踏まえて考えるならそれだっていつか尽きると思うべきだ。追い込まれたら不利になるのは日頃から落ち着きのない私の方だし、正攻法じゃこの人にはまず勝てない。
そうなると何か、何がしかの作戦が必要だ。
私は考える。石田主任の勝つ為の方法。いつぞやのリベンジ、そしてあの時敗北した自分自身を乗り越える為の――。
そしてふと、ひらめいた。
「じゃあ、行きます」
目には目を、歯には歯を。『一文字攻め』には『一文字攻め』を!
「ルミノール!」
私が叫んだ単語に、
「おおっ」
霧島さんは声を上げ、石田主任は静かにつり目がちな瞳を丸くした。それも長くは続かず、すぐ興味深げに笑んでみせたけど。
「そう来るか。どうやら俺たちは既に似た者夫婦らしいな、小坂」
「わあ、な、何を言うんですか。動揺させようったってそうはいきませんから!」
「今のは別に作戦じゃないんだがな」
何と言われたって動揺しない。うろたえたらその隙を突かれてしまう。常に相手の先を行く思考を持てなくちゃ勝てっこないだろう。
「『る』だな。ルクソール」
今回も主任はほぼ即答だった。だけど私だってそのくらいは予想済みだ。
「では、ルノワール!」
「また『る』か! る……ルーブル!」
一瞬だけ、主任が顔を顰めた。少しだけ次の言葉を考えてしまったのかもしれない。
ここが攻め時とばかりに私はやり返す。
「ル・アーヴル!」
「何だと……ルゴール!」
「ルナール!」
「ん? 何だそれは」
「ジュール・ルナール、『にんじん』の作者です。ご存じないですか」
「タイトルしか知らん。やるな小坂」
苦々しく応じた主任は、いよいよ険しい顔つきになって熟考を始めた。『る』で始まって『る』で終わる言葉を探しているんだろう。語彙力においても人生経験においても、とっさの判断力においても私よりはるかに勝る石田主任は、だけどこの時初めて苦悩の色を見せた。
私はその悩む姿をじっと見つめていた。私の方もそろそろ単語のストックが心許なくなってきたところだ。これ以上長引いたら作戦を変更しなければならなくなる。だから主任がどう出るか、身じろぎもせず見守った。procomil spray
正確にはスキャナーにファクシミリ機能もついた複合機なんだけど、これがもう本当におろしたてほやほやの新品だった。まだそこはかとなく家電量販店の化学的な匂いがする。くすみ一つないオフホワイトの筐体は石膏細工のようで、指先でそっと触れるのもためらわれるほどきれいだ。足元には外したばかりとおぼしきビニールが折り畳まれた状態で置かれていて、まるで美しい芸術品のお披露目式みたいだと私は思う。日本秀身堂救急箱
「待ってたぜ……! 我が営業課のニューアイドル!」
石田主任のテンションは早朝とは思えないほど非常に高く、プリンタの全身を嬉しそうに眺め回っている。プリンタが人間だったら恥ずかしがるんじゃないかというほどためつすがめつした後で、ほうっと深く息をつく。
「いいな、写真で見るよりずっと美人だ」
そんな言葉までかけられていて、私はプリンタに羨ましささえ覚えてしまう。
やきもちを焼く対象にしていいのかどうか微妙なところではあるけど……でもちょっと、いいなあ、なんて。
主任はこのプリンタがやって来るのを心待ちにしていたそうで、一週間前には既に取扱説明書をメーカーのサイトからダウンロードして読み始めていたという。デジモノ好きの人らしい気合の入りようだった。納品されたのは昨夕だったから、今朝は誰よりも早く出勤してきてセットアップを済ませたと聞いている。
すっかり上機嫌の主任は『見せてやるからちょっと早めに来い』と私、そして霧島さんに連絡をくれ、私たち三人は始業の一時間半も前から営業課に集まっていた。
「いいんですか、ここでそんなこと言っちゃって」
霧島さんが肩を竦める。さっきから主任のテンションには呆れているそぶりだったけど、言葉の後で私を見た目はどこか気遣わしげだった。
「うちの現アイドルが悲しみますよ。先輩がすっかり新しい子に夢中だって」
「え!? い、いえまさかそんなっ、そんなんじゃないです!」
羨ましがってるのを言い当てられて私は慌てたけど、霧島さんは毅然とかぶりを振る。
「ここはずばっと言ってやりましょう。この浮気者、そこまで言うならプリンタと結婚しろ! と」
いえいえそんなそこまでは全然思ってないですし!
と言うか私がアイドルだなんて畏れ多いしもったいない。今の私はもうルーキーでもないし、新しさ美しさで言ったらこちらのプリンタの方が圧倒的に勝っている。そして別に、主任をこんなに夢中にさせてるとは言え、人間ですらない無機物に嫉妬してしまうほどでは――胸の辺りが何となくもやもやするし、多少なくはないのかもだけど。
「馬鹿言うな、浮気じゃないよ」
主任は軽く笑った後、急に真面目な顔になって続ける。
「それに、小坂は皆のアイドルじゃない。俺のかわいこちゃんだ」
「え、えええ!?」
思わず声が裏返る。いきなり何を言うんですか主任!
「俺は小坂を大勢で共有する気はないからな。そこんとこ、誤解なきよう」
相変わらず、さらりとこっちが困るような言葉を口にする人だ。あまりのストレートな発言内容に呼吸困難すら起こしかけた私の傍ら、霧島さんまでそわそわ落ち着かない様子になっていた。
「朝っぱらからしかも職場で、よく憚りもなくそんなこと言えますね」
「いいだろ、他に誰も来てないんだし。他の奴らがいたら俺だって自重する」
そうは言っても、この場に三人しかいなくたって、私を安心させようとする心遣いの表れだとしても、今の台詞は途轍もなく心臓によろしくない。今日はこれから普通に仕事もあるのに、どぎまぎしすぎていろいろ手につかなくなりそう。どこかで気持ち切り替えないと。
当の主任は気持ちの切り替えなんて必要ないのかもしれない。顔色一つ変えず、やはりさらりと話を続けた。
「そういうことだから、早速うちの課のアイドルの初仕事といこう」
大きな手で白く美しいプリンタを指し示す。
このご時勢ならどこの会社もそんなものかもしれないけど、我が社の備品は決して新しい品ばかりじゃない。
課内に設置されてるスチール棚は引き戸が時々つっかかるし、会議で使うOHPは私が生まれるはるか前に作られたものだというし、私が仕事用に借り受けているラップトップも結構な年代物で、起動する度に不気味な音を立てるようになっていた。減価償却されまくって今やどれほど価値が残っているかも怪しい備品ばかりの中、待望されて颯爽と現われたプリンタはまさにアイドル的ポジションと言ってもいい。
前任のプリンタも私が入社した当時からがたがた音をさせていたから、今回めでたく予算が下りて買い替えが決まったのは本当によかった。主任がはしゃぐのもわかるし、私としてもこれで仕事が捗るなら言うことなしだ。
「これ、もう動かせるんですか?」
霧島さんがプリンタに近づきながら尋ねる。
「ああ。セットアップ済んだって言ったろ、もう何だって印刷できるぞ」
「じゃあ試しに何かやってみます? 俺も触ってみたいですし」
そう言って液晶パネルに触れようとした霧島さんの手を、石田主任はやんわり押し留めた。
「待て待て霧島、お前ちゃんと取説読んだか?」
「いえ、読んでないですけど」
答えた後で霧島さんは笑い、
「読まなくても大丈夫ですって。そんな難しいもんじゃないでしょう」
と続ければ、すかさず主任が眉を顰める。
「触るなら読んでからにしろよ。適当なボタン押されて壊されちゃ敵わん」
「壊しませんよ。プリンタの操作なんてどれも似たようなものじゃないですか」
「これだからアナログ人間は! いいか、デジモノの技術進化なんて日進月歩なんだぞ」
主任は大仰な身振りを交えて語り始めた。
「お前がぼさっと過ごしてる間にも日本のものづくり技術は日々成長を続けてんだよ。どれも似たようなものだなんて軽々しく言うな。畏れ多くもこちらのアイドル様は、カラー原稿ですら毎分六十枚以上でコピーしてくださる働き者だぞ? 両面スキャンにも対応してくださってるし、両面ADFだって搭載なさってる! 俺たちの今後の業務を大いに助けてくださる、言わば勝利の女神様だぞ!」
「まあ、前のプリンタが年代物でしたからね。隔世の感すらありますけど」
ここでやっと霧島さんが口を挟む。主任はますます勢いを増して、更に訴える。
「それをわかってんだったらなぜマニュアルを読まない? 時代に取り残されたお前が最新のプリンタを使いこなせるとでも思ってんのか? それは思い上がりじゃないのか霧島」
「なぜ俺だけが取り残された風に言うんですか。大体、先輩はどうなんですか」
「俺は熟読したからな! 一週間前からそれはもう愛読書のようにみっちりと!」
主任はものすごく得意げな顔をする。そして自分のデスクからタブレット端末を拾い上げると、それを霧島さんに見せるように差し出した。
「今からでも目通しとけ。あ、PDFの見方はわかるよな?」
「いくら俺でもそこまで酷くないです」
霧島さんは苦笑したけど、マニュアルにはやはり興味が薄いようだった。一ページめくって『はじめにお読みください』を通読した後、私の方を向く。
「俺、こういうのはほとんど読まない方なんですよね。小坂さんはどうですか」
「私もあんまり……。いつも、わからないことがあって初めて開く感じです」
わからないまま弄って壊すよりは、ちゃんと取説読んでおく方が正しい。でも日進月歩の電子機器はだんだんとアナログ人間にも優しくなっているみたいで、手探り状態から始めても割かしどうにか使えてしまうものだった。携帯電話の取説なんて、いつも機種変するまでに二、三度開くかどうかという感じだし、このプリンタだって習うより慣れろですぐ覚えてしまうような気もする。
「小坂、お前もか。お前もアナログ人間なのか」簡約痩身美体カプセル
石田主任がどこかからかうような口調で言う。私は照れ笑いで誤魔化した。
「すみません、そうなんです。でもすぐに慣れちゃうと思います」
「しょうがねえなあ。じゃ、俺が使ってみせるから、よくよく見物しとけよ」
宣言するなり主任はプリンタの液晶パネルへ向き合う。
だけどそこへ、今度は霧島さんが口を挟んだ。
「先輩、こういうのは後輩優先で使わせてくれるものじゃないですか」
たちまち振り向いた主任が、訝しそうな顔をする。
「は? マニュアルも読まない人間が何を言う」
「だって、こんな朝早くから俺と小坂さんを呼んどいて、まさか見せるだけってことないですよね?」
「見せるっつうか、見せびらかしたくて呼んだ」
「先輩の私物じゃないんですから……。自分で言ったんでしょう、うちの課のアイドルって」
気心の知れた相手だからか、霧島さんは強気に食い下がる。
「だったら俺たちにも試させてくださいよ。こういうのは使ってみなくちゃ覚えられないですよ」
「ええー。一番は俺がいい」
その提案を、石田主任は子供っぽく拒んだ。むっとした口調がちょっと可愛い。
可愛いと思ったのはどうやら私だけのようで、霧島さんは何とも言えない半笑いだったけど。
「子供みたいなこと言いますね、先輩」
「だってセットアップしたの俺だしー。お前らより更に早く出勤してきてるしー」
「今の口調、気色悪いんでやめてください」
「あと俺、主任だしー。こういうのはやっぱ序列順だと思うんですけどー?」
「だからやめてくださいってば。しかも権力を笠に着ますか」
「当然だろ。せっかく主任にまでなったんだ、この権力をここで使わずいつ使う!」
ぐっと拳を握り固める石田主任は、まるで今日の為に主任になったと言わんばかりだった。
人並み以上に日々努力して勝ち取ったであろうその権力を、こういうことに使いたがるのはいかにもこの人らしいなあと微笑ましく思う。そこまでしなくても、こうして早朝出勤してセットアップを引き受けたと言うだけでも十分、一番乗りの権利はあるんじゃないかなとも思うけど。
「どうしてもって言うんなら考えてやってもいいが」
そして主任はやけに楽しそうに切り出した。顎に手を当て、少し考えるようなそぶりの後で、
「そうだな……時間もあるし、三人で軽く勝負でもするか。勝った奴が一番にプリンタ動かすってことでどうだ?」
いたずらっ子の表情で持ちかけてくる。
三人、と言うともちろん私もカウントされていることになる。私としては一番じゃなくてもいいし、主任を労う意味でも順番を譲りたいところだったけど、霧島さんは乗り気のようで意気揚々と頷いていた。
「いいでしょう。何で勝負します?」
「俺が決めていいのか? ……じゃあ」
そこで石田主任は、何とも意味ありげににやっとした。
「しりとりでどうだ」
「は? しりとりですか?」
霧島さんが眼鏡の奥の瞳を丸くする。
「何だ、霧島はしりとり苦手か? だったら尚更都合がいいな」
「いえ苦手ってほどでは……と言うか得手不得手って観点で捉えたことなかったですよ」
「俺はこう見えてもしりとり得意なんだよ。な、小坂?」
主任から同意を求められ、私は思わず視線を外した。
「そ、そうでしたね……。覚えていらっしゃるとは思わなかったですけど」
「忘れられるわけないだろ、あの時のことは」
いっそ、さらっと忘れてくれててもよかったのに。
私と石田主任はかつて、二人でしりとり勝負をしたことがある。
得意と言うだけあって主任は実際、強かった。私を『ず攻め』にするという力ずくのプレイスタイルで難なく勝利を収めてみせた。あの時は手も足も出なくて、本当に悔しかったな。
ただ、その、問題はそこじゃなくて――しりとりの話題で私が主任の顔を直視できなくなるのには別の理由がある。
すなわち私が、いつ、どういうシチュエーションで、主任としりとりをしたかという点。
それは先程、主任が口にしてのけたストレートな発言以上に、職場に持ち込んではいけない類の内容だと思う。うっかり思い出すと仕事が手につかなくなりそう。なので、何と言うか……思い出させないで欲しかったなあ、と私は密かにうろたえた。
霧島さんは私と主任の顔を見比べ、眉を顰める。
「何で、しりとりの話題が出ただけで居たたまれない空気醸し出してるんですか?」
「気のせいだろ。しりとりくらい、どこのカップルだってやってる」
「そうですかね……。そこまで言うなら、先輩の強さとやらを拝見したいものですが」
「よし、乗り気になったか」
主任はぱっと表情を輝かせて、
「言っとくが俺は手加減はしないぞ、アイドル争奪戦だからな!」
明るい声で宣言する。
対して霧島さんもどこか自信ありげに微笑んだ。
「いいですよ。たかがしりとり、先輩に負ける気なんてさらさらありません。プリンタ一番乗りはいただきます」
二人とも、どうしてかものすごく楽しそう……!
まるで格闘技の試合前みたいに睨みを利かせ合う姿は、もうプリンタの試し刷りなんてのは二の次で、二人で真剣勝負がしたいだけなんじゃないか、とすら思える入れ込みようだった。仲良しなんだから。
そうかと思えば石田主任は私にも水を向けてくる。
「小坂ももちろんやるよな? 以前のリターンマッチを果たさないと、だもんな?」
「私ですか? えっと……」
率直に言えば、もう既に思い出し赤面をしてる私としては、遠慮したい勝負だった。主任も『以前の』とわざわざ言ってくる辺りが、ちょっと意地悪だ。主任のことだからきっとわざと言ってるんだと思う。それもまた弄ばれてるみたいで悔しい。
それとも、これも石田主任のプレイスタイルなんだろうか。試合前の心理戦から既に勝負は始まってる、とか……。ありうる。何せ主任は私を『ず攻め』にして勝利を収めた人だ。今日も私を動揺させて打ち負かす気でいるのかもしれない。
だとしたら、受けないわけにはいかない。私にだって負けず嫌いの精神くらいある。
「じゃあ、私もやります。リベンジしますよ、主任」
狼狽が面に出ないよう、私もあえて強気に応じてみた。
主任はそれを面白そうな目つきで受け止める。西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
「お、小坂も言うようになったな。返り討ちにしてやろう」
更に率直なところを言えば、私は別にプリンタを一番に動かしたいとは、そこまで思っていなかったりするんだけど――。
でも、しりとり勝負に挑む石田主任と霧島さんがすごく楽しそうだったから、交ざりたくなってしまったのもある。
それに、リベンジしたかったのだって本当だ。あの時の私は雰囲気と言うか、空気に呑まれまくりで酷い状態だったから、そういう自分を乗り越える意味でも今日こそは勝ちたかった。勝って気持ちを切り替えて、晴れやかに今日の仕事を始めたい。
そうでもないと今日一日、思い出し赤面と思い出しうろたえを引きずりまくって酷いことになりそうだから――って言ってる傍からちょっと思い出してきてしまって、私は大きくかぶりを振る。ああもう、こんなので私、主任に勝てるかな。
ともあれ朝も早くから、営業課のアイドルを賭けてのしりとり勝負が幕を開けた。
しりとりの順番はじゃんけんで決めた。
その結果、一番手は石田主任、二番が霧島さん、三番目が私の順に回すこととなった。
まさか職場でしりとり勝負をする日が来るなんて、入社当初は考えもしなかった。ルーキー時代の、今よりもずっと石頭だった私は、職場をもっと神聖な場所だと考えていたからだ。既にルーキーではない私は以前よりかは柔軟な頭になれてると思う。
こうなったら意地でも主任に勝ってみせたい。
「よし、順番も決まったしさっさと始めるぞ」
主任の音頭を皮切りに、三人でのしりとり勝負が始まった。
「まず俺からな。しりとりの『り』から、リール」
「『る』ですね。ルーレット」
霧島さんが難なく続ける。私もすぐさま繋いでいく。
「『と』……とんぼ!」
一巡目は全員、特に考え込む必要もなかったようだ。頭に戻って、また主任から。
「ボール」
「また『る』ですか? ……ルビー」
「『い』でいいんですよね? じゃあ、イカ」
「カップヌードル」
三巡目に入ったところで、いち早く霧島さんは察したようだ。途端に眉を吊り上げた。
「先輩、さっきから俺に『る』ばっかり回してません?」
どうやら今回の主任は『る』攻め作戦でいくみたいです。考えてみたら、『る』も『ず』と同じで、なかなか該当する単語が見つけにくい頭文字ではあるし、実に巧妙な作戦だ。
「お、さすがは霧島。小坂より気づくの早かったな」
感心したように笑む石田主任を、霧島さんは呆れ顔で睨む。
「やっぱりわざとですか……」
「一文字攻めは俺のしりとりでの基本プレイスタイルだ」
「しりとり如きでプレイスタイルとか! 大人げないな先輩!」
床に穴が開くんじゃないかというほど深い溜息をついた霧島さんが、その後で思い当たったように顔を顰めた。
「って言うか小坂さんが相手の時でもやってるんですか、この卑怯な戦法」
「そうなんです。前回はそれで惨敗しました」
私は恥ずかしながらも打ち明ける。その上さっき主任も言ってたけど、『ず攻め』されていることにしばらく経つまで気づけなかった。もちろんそれはあの時、ばりばりに緊張していたからというのもあるだろうけど――いやいや、思い出さない思い出さない。
それにしても、本当に霧島さんはすごいな。主任と付き合い長いだけはある。
「かわいそうに……。ぶっちゃけ、女性相手にこのやり方は男としてどうかと思います」
霧島さんの指摘にも石田主任はどこ吹く風だ。
「何言ってんだ。男女平等が謳われて久しいこのご時勢、女だからって手ぇ抜いたらかえって失礼だろ」
それも一理ある。一人前として見てもらえない辛さも、女性だからというだけで待遇が違うなんてことも社会人になってからそれなりに味わってきた。だからこういう真剣勝負の場で手加減されないのって、一人前扱いみたいで嬉しいかもしれない。
ただ、喜んでばかりもいられない。しりとりは知的で高度な言葉遊び。語彙力がそのまま強さとなって表れる。ボキャブラリーのなさは戦いが長引けば長引くほど響いてくるだろうから、日頃から表現力豊かな主任が相手ならなるべく短期決戦に持ち込んだ方がいいだろう。
その為にも、私も何がしかの作戦を考えないと――何だかだんだんと燃えてきている自分に気づいて、今更ながらちょっと照れたけど、楽しいんだからいいよね。
「そんな汚い手を使って、小坂さんに幻滅されないといいですけどね」
「ないない。それどころか『知略を巡らして勝利を収める隆宏さんって素敵!』って惚れ直すはずだ」
自信たっぷりに言い切った主任は私を見て、
「な、小坂?」
と同意を求めてくる。
もちろん主任は素敵な人だけど、その魅力が一番表れているのはしりとりに全力を注ぎ込んで楽しむという性格だと思っている。だから惚れ直すというならいつも、事あるごとに惚れ直しているんじゃないかなって……そんなこと、口に出しては言えないけど。
口に出すのはもっと違う言葉にしておく。
「今回は私が勝っちゃうかもしれませんけど、主任が負けたからって幻滅したりはしませんよ」
ちょっと大胆に、挑発に出てみる。
石田主任は一瞬驚いたようだった。でもすぐに、嬉しげににやっとして、
「言ったな。そこまで大見得切ったからには、一抜けなんかするなよ」
「もちろんです。私、頑張ります!」
「……何か小坂さん、先輩に影響されつつありません?」
どうしてか心配そうにしている霧島さんから、しりとり再開。
さすがに三巡目ともなると少し悩んでしまうようで、
「る、る……。ええと……ルアー」
数十秒かけてからようやく言って、ほっとしたように肩を竦めた。
「『あ』ですよね? アイス」
私がすかさず続けると、石田主任も間髪を入れずに繰り出してくる。
「スケジュール」
「またですか! 何て卑劣な人だ」
霧島さんが愚痴を零した。もちろん聞き逃すような主任じゃなく、途端にたまらなく嬉しそうな顔をしてみせる。西班牙蒼蝿水
「何なら白旗揚げてもいいんだぞ、霧島」
「嫌です、まだ行けます! る……る……」
唇を真一文字に結び、霧島さんは尚も考える。眼鏡のつるを指先で持ち上げ、思索に耽る面持ちは真剣そのものだった。写真に収めて奥様に見せたいくらい格好いい表情だったけど、さすがにゆきのさんにだって『この写真、しりとり勝負の真っ最中なんですよ!』とは説明しにくい、かな。やめておこう。
二分近く考えた結果、何か閃いたらしい。そこで霧島さんの顔色にわかに明るくなり、叫ぶように言った。
「ありました! 『ルーツ』!」
「わあ、すごい! やりましたね霧島さん!」
まるで我が事のように嬉しくなって、私は拍手で霧島さんを労う。
「ここで詰まってる時点で、もう後がなさそうだがな」
一方、主任は悪役みたいな台詞を口にしていた。おかげで霧島さんはげんなりした様子だ。
「小坂さんはともかく、先輩にだけは負けたくないな……」
私も霧島さんとだったら普通の勝負になりそうでいいかなと思う。主任は手強すぎるから、この先の為にもどうにかして打ち勝つ方法を見つけ出しておかなければならない。
ともあれ、次は私の番だ。
「『つ』、と言えば……鶴!」
声に出してからふと気づく。――あ、次が『る』だ。
もちろん石田主任も、そして霧島さんもすぐに察したようだった。二人揃って含んだような笑みを浮かべた。
「小坂も『る攻め』で来るとはな。学習したな」
「けど先に卑怯なことしたのは先輩ですし、責められないですよね」
「責める気なんか端からない。むしろ面白くなってきたとこだ」
主任に『る』が回って、さてどう応えるんだろう。固唾を呑んで出方をうかがう私の前で、主任は間を置かず次の言葉を放つ。
「ルール」
「うわ……っ、まだあるのか!」
霧島さんが自らの額を押さえ、蹲る。その頭上では石田主任がこれ以上ないほどの得意満面で胸を張っていた。
「どうした霧島。降参か?」
「ちがっ、まだです! 何か……何か『る』のつく単語があるはずです!」
そう言って霧島さんは単語を探し始めたようだ。目に見えて焦っているそぶりだった。
私も一度経験しているからわかるけど、こうして追い詰められると思考力が著しく低下してしまうものだ。代わりに浮かぶのはしりとりに使っちゃいけない単語ばかり。
「留守番、ルーチン、ルサンチマン……しまった、いよいよ浮かばない……!」
霧島さんもいつぞやの私と同じ状態になっている。ぶつぶつといくつかの禁止ワードを呟き、苦しげに何度か息をついた後、よろけながら立ち上がった。
そして肩を落として、一言。
「……俺、一抜けでいいです」
投了宣言だった。
「よっしゃあ! まず霧島を倒したぜ!」
片腕を振り上げて喜ぶ石田主任を、霧島さんは恨めしげに見ている。その後、私に向かって必死に訴えてきた。
「小坂さん、是非とも石田先輩を倒してください! 俺の仇を討ってください!」
そう言われたら張り切らないわけにはいかない。
「任せてください! 頑張りますから!」
私は大きく頷く。
それを聞いていた主任は、煽るように指招きをしながら言った。
「残るは小坂一人だな。来るなら全力で、もしくは色仕掛けで来い!」
「私に色仕掛けとか期待されても困ります……えっと、全力で行く方でお願いします!」
「何だ、残念だな」
あながち冗談でもない口調の主任は首を竦め、
「霧島が抜けたから、次は小坂の番な。ルールの『る』だぞ」
と促してくる。
恐らくだけど主任は、『る攻め』路線を継承してくるだろう。
私も今のうちはまだ『る』のつく単語がいくつか浮かんでいるけど、主任のボキャブラリーを踏まえて考えるならそれだっていつか尽きると思うべきだ。追い込まれたら不利になるのは日頃から落ち着きのない私の方だし、正攻法じゃこの人にはまず勝てない。
そうなると何か、何がしかの作戦が必要だ。
私は考える。石田主任の勝つ為の方法。いつぞやのリベンジ、そしてあの時敗北した自分自身を乗り越える為の――。
そしてふと、ひらめいた。
「じゃあ、行きます」
目には目を、歯には歯を。『一文字攻め』には『一文字攻め』を!
「ルミノール!」
私が叫んだ単語に、
「おおっ」
霧島さんは声を上げ、石田主任は静かにつり目がちな瞳を丸くした。それも長くは続かず、すぐ興味深げに笑んでみせたけど。
「そう来るか。どうやら俺たちは既に似た者夫婦らしいな、小坂」
「わあ、な、何を言うんですか。動揺させようったってそうはいきませんから!」
「今のは別に作戦じゃないんだがな」
何と言われたって動揺しない。うろたえたらその隙を突かれてしまう。常に相手の先を行く思考を持てなくちゃ勝てっこないだろう。
「『る』だな。ルクソール」
今回も主任はほぼ即答だった。だけど私だってそのくらいは予想済みだ。
「では、ルノワール!」
「また『る』か! る……ルーブル!」
一瞬だけ、主任が顔を顰めた。少しだけ次の言葉を考えてしまったのかもしれない。
ここが攻め時とばかりに私はやり返す。
「ル・アーヴル!」
「何だと……ルゴール!」
「ルナール!」
「ん? 何だそれは」
「ジュール・ルナール、『にんじん』の作者です。ご存じないですか」
「タイトルしか知らん。やるな小坂」
苦々しく応じた主任は、いよいよ険しい顔つきになって熟考を始めた。『る』で始まって『る』で終わる言葉を探しているんだろう。語彙力においても人生経験においても、とっさの判断力においても私よりはるかに勝る石田主任は、だけどこの時初めて苦悩の色を見せた。
私はその悩む姿をじっと見つめていた。私の方もそろそろ単語のストックが心許なくなってきたところだ。これ以上長引いたら作戦を変更しなければならなくなる。だから主任がどう出るか、身じろぎもせず見守った。procomil spray
2013年7月11日星期四
エレメントマスターVSラースプン
闇が支配する夜の時間、だがゴブリンの切り開いたこの空き地においては真昼の如き明るさが戻っていた。
黒髪と大岩の牢獄に閉じ込められたモンスターの真上に、リリィ渾身の『星墜メテオストライク』が炸裂したのだ。SUPER FAT BURNING
これまで命中すれば確実に敵を葬ってきた必殺の一撃、だが、
「おいおい――」
クロノは見た、頭上より迫り来る虹色の隕石を前に、モンスターが己の拳一つで迎撃するのを。
『星墜メテオストライク』が発動し、虚空に白い光の魔法陣が描かれるのと同時、モンスターは左よりも一回り太いアンバランスな大きさを誇る右腕に自由を取り戻していた。
何てことは無い、ただ力ずくで黒髪の拘束を引き千切り、動きを抑える岩の牢を吹き飛した、それだけのことである。
その時点で、宇宙から直接隕石でも呼んでいるのではないかと思えるような勢いで、魔法陣から光の塊が撃ち出されていた。
モンスターは真上を睨み、その巨大な右拳を握って弓を引くように大きく腕を振りかぶる。
右手の甲に輝く『紅水晶球クイーンベリル』の如き真紅の宝玉が輝くと、そこから紅蓮の炎が生まれ右腕全てを包んでいく。
そうして燃え盛る炎を纏った右腕は、天より迫る隕石を迎撃するミサイルのように正面からぶつかる。
衝突、虹色の輝きと真紅の煌きが光の奔流となって辺り一帯に荒れ狂う。
そのインパクトの瞬間を目にしたクロノは、その直後に眩い光のために視界を閉ざす。
だが『星墜メテオストライク』に真っ向から炎の拳を叩き込むモンスターの姿はあまりに力強い。
そして一瞬の内に光の洪水は収まり、再び『灯火トーチ』の輝きだけが周囲を照らす闇夜が戻ってくる。
「本当に『星墜メテオストライク』を防いだぞ……」
視線の先には、直径数十メートルのクレーターの中心に、全ての拘束から解き放たれたモンスターの五体満足な姿があった。
「くそっ、コイツはマジでヤバそうだな、流石は神の試練ってところか」
そう愚痴をこぼしつつも、今更後戻りすることなど出来ない。
クロノはパーティメンバーであるリリィとフィオナと共に空き地へと躍り出る、その場所はちょうど、幹部候補生とメイドを庇うような立ち位置であった。
「あ、お前は……」
クロノ達の姿に真っ先に反応したのは、長身の、といってもクロノよりは僅かに小さいが、幹部候補生の少年だった。
酷く驚いた様子、まぁこの状況を考えれば驚かないほうが不自然だ、クロノはそう考え、必要な事だけを手短に伝えることにする。
「おい、このモンスターは俺たちが引き受ける、あんた達は早く逃げろ!」
切羽詰った緊急事態のため、クロノは初対面の相手だが敬語を使うのを止めて強い口調で訴えかけた。
「え、あ、しかし――」
見ず知らずの冒険者に、このとんでもなく強力なモンスターの相手を押し付けることに抵抗感があるのか、はっきりと解答しない男子生徒。
「ありがとうございます!」
だが、彼の護衛メイドはこんな場面でも冷静に判断を下せるようだ。
彼女はさっさと主をかついで、礼の一言を残すと今にもその場を去らんとクロノたちにエプロンドレスの背を向けた。
そして、クロノはそんな彼女を止めるつもりはない、むしろ逃げてくれなければ困るのだから。
「アイツはランク5モンスターのラースプンだ! 倒そうなんて考えず君たちも早く逃げるんだぁああああ!!」
メイドに抱えられて去ってゆきながら、そんな台詞を男子生徒は絶叫していた。
その心遣いに、思わずクロノは微笑みを浮かべてしまう。
「ラースプンなんて言うのか、プンプンの進化系かな?」
その割には凶悪すぎる進化を遂げたものだと呑気なことを考えながら、クロノはランク5モンスターに向き直る。
「ごめんなさいクロノ、仕留め切れなかったわ」
右隣から謝罪の声をかけるのは、すでに少女の姿へ戻り淡いグリーンの『妖精結界オラクルフィールド』に身を包むリリィ。
「いや、アイツは炎を使ってた、熱に対して高い耐性を持ってるんだ、相性が悪かった」
モンスターは自身が炎や雷などの属性を操る場合、ほぼ確実にその属性に対して高い耐性を持っている。
このラースプンと呼ばれるモンスターも例に漏れない、むしろランク5であるならば、ほぼ無効化に近いほどの耐性を誇るはずだ。
「それなら私とも相性が悪いですね」
左隣からは、四方百里を焦土に変える炎の暴走魔女フィオナの声。
確かに、『星墜メテオストライク』でも四肢の一つも吹き飛ばないほど耐えて見せたのだ、相性の関係で『黄金太陽オール・ソレイユ』でも倒せなかったに違い無い。
「炎熱に耐性を持つモンスター相手だと大きく遅れをとるな、ウチのパーティの弱点発見だな」
と言っても、それを今すぐ改善できるはずも無い。超級脂肪燃焼弾
「仕方無い、俺が切り伏せるしかないな、リリィとフィオナは援護に徹してくれ」
了解の言葉がクロノの両耳にそれぞれ違った声音で届いた。
その手には、すでに相棒たる『呪怨鉈「腹裂」』が握られ、背後には十本の黒化剣が翼を広げるように展開されている。
「行くぞ――」
クロノが真っ直ぐ駆け出すと同時、ラースプンは赤毛を逆立たせ、再びガラハド山中に木霊する凶悪な咆哮をあげた。
耳をつんざく咆哮を轟かせ、怒り状態となったラースプンには、ほとんど『星墜メテオストライク』のダメージが堪えていない様に思える。
『星墜メテオストライク』の主なダメージソースとなる光の高熱がほとんど無効化されてしまったため、体に通ったのは爆発の衝撃のみ。
ただの人間なら、いや、例えミノタウルスだったとしても爆発の威力だけで四散五裂するところだが、このラースプンはパワータイプのモンスターに共通する衝撃に対する耐性もかなり高いレベルで持ちえているということが、この元気な姿を見れば即座に理解できた。
(けど、斬撃ならどうだ)
モンスターと言っても万能では無い、強いところがあれば弱いところもある。
ラースプンの見た目は厚い毛皮に覆われた熊とゴリラを足したような、いわば魔獣と呼ぶべき姿だ。
その毛皮と筋肉は衝撃や打撃には強い耐性を持つが、鋭い刃による斬撃は、モンスターのセオリーからいけば有効なはず。
逆に肉の身体を持たない骨だけのスケルトンや硬い鱗や甲羅を持つモンスターは、打撃が有効で斬撃は効き難い、というようになる。
クロノはこれまであらゆる敵を切り裂いてきた『呪怨鉈「腹裂」』ならば、このランク5のモンスターだろうと、その肉体を断つことができると信じて斬りかかる。
だが、対するラースプンはそうして駆けるクロノを黙って待っていることなどしない。
未だ両者の間合いが重ならない距離、だがラースプンは右腕を振りかぶると、その手のひらに再び火炎が収束し始める。
(火球を飛ばせるのか!?)
それはまるで炎の攻撃魔法のように、大きな火球を手のひらの上で形成された。
そして、クロノがモンスターの巨体へ肉薄する前に、炎の豪腕が振るわれ弾丸の如き速度で火球が放たれる。
「――黒盾シールド!」
黒い繊維が折り重なるように防御魔法が形成される。
その大きさはクロノの膝から頭の上までを覆う長方形、目前に迫る直径1メートルほどの火球を前に、その黒い盾はあまりに頼りなく見えた。
それはきっと、ラースプンも同じ。
着弾、爆発、黒煙と熱波が吹き荒れると、鋭い牙が並んだ口元は邪悪な笑みで歪められた。
それは、ブルーマリンのような青い宝石がはめ込まれたアクセサリーだった。
『蒼炎の守護ナナブラスト・アミュレット』、それがこのアクセサリーの名前だ。
フィオナが所持する、非常に高い炎熱防御の効果を秘めるレアな魔法具マジック・アイテムで、その効果のほどは実際に第八使徒アイ戦で『黄金太陽オール・ソレイユ』の炎から守ってくれたことで実証済み。
紅炎の月1日の夜、俺はそんなレアアイテムを貰うこととなった。
「これは私からのプレゼントです、どうぞ」
フィオナから手渡された青い輝きを放つお守り。
どうして、と問えば「買いました」と簡素な答えが返って来る、そういう意味で聞いたのではないのだが。
「私とお揃いですね」
俺はそんな男心が勘違いしそうな台詞に恥かしいやら、この‘レア’なアイテムがいくらしたのかとか、色々と気になることしきりであったが、
「あ、ありがとう」
大人しく受け取ることしかできなかった。
その時、妙に冷めたリリィの表情がちょっと怖かった……
ラースプンの火球攻撃を正面から切り抜けた時、その眼に驚きの色が映ったように見えた。
俺が無傷で爆発を潜り抜けたことがそんなに予想外だったか。
まぁ、『蒼炎の守護ナナブラスト・アミュレット』を装備して無かったら、この頼りない見習いローブごと燃やされていただろうな。
フィオナからプレゼントされたこのお守りはチェーンを通して、腰の革ベルトにくくりつけてある。
身を焦がす灼熱の火球は、これのお陰でほとんどのダメージを無効化することができた。
爆発の威力は『黒髪呪縛「棺」』で通常よりやや頑丈になった『黒盾シールド』で綺麗に相殺された。終極痩身
結果的に、俺は僅かな熱を感じるのみに留まる。
そうして、黒煙が漂う爆炎を潜り抜けたとほぼ同じタイミングで、
「――『速度強化スピードブースト』」
フィオナから支援魔法が飛んでくる。
体が軽くなり、地を駆ける両足により一層の力が篭り、数十メートルはある彼我の距離は瞬く間にゼロになる。
「――『腕力強化フォルスブースト』」
そして、渾身の力で『呪怨鉈「腹裂」』を振り上げると同時、さらなる支援魔法が俺の体にかかり、繰り出す武技の威力を上昇させる。
「黒凪!」
ラースプンはその巨体から信じられないほどの速度でバックステップを踏み、瞬時に黒い刃の間合いから逃れる。
だが、速度と腕力の二重に強化された俺が放つ武技からは、完全に逃れることができない。
柄を握る両手から、ゴムのような弾力と硬さのある肉体を切り裂く感触が届く。
バックステップから着地したラースプン、その左腕からは鮮血が滴っている。
致命傷にはほど遠いが、この刃でダメージが通ることが証明された。
ならば行ける、コイツを倒すことが出来る。
「はあっ!」
追撃で一歩を踏み出す、対する相手も怒りに吼えながら突っ込んできた。
振り上げられた右腕は、『星墜メテオストライク』を砕いた時と同じように紅蓮の炎を纏っている。
この炎は火球よりも強力だと直感的に判断、まともにくらえば『蒼炎の守護ナナブラスト・アミュレット』があっても高熱が届くかもしれない。
もっとも、そうでなくとも破城槌のような腕でパンチを貰えばそれだけで一発KOされる可能性が高い。
「魔剣ソードアーツ!」
惜しげもなく十本全ての黒化剣を投擲。
ラースプンは全く意に介することなく黒い刃に受けてたった。
突き刺さった剣は七本、肩や腕、足、胸、とバラバラだがどれも傷が浅い、頭部だけは反射的に首を振って回避された。
それでいて、振りかぶった右腕はそのまま。
ダメだ、攻撃を止めるほどのダメージにはならなかったか。
コイツの火炎パンチを防御するのはお守りとグローブの両方があっても危険、攻撃をキャンセルできなかった以上は、もう残された手段は回避のみ。
脳裏に蘇るのは、大型モンスターと戦うのが当たり前だった機動実験の日々。
あの時、俺は武器無し、防具無しの体一つだけで、どうやってアイツらと渡り合っていた?
地を揺るがす強烈な突進、骨まで断つ鋭い爪の一撃、捕らえられれば二度と脱出不可能な顎、およそ人間では実現不可能な、巨大な体躯から繰り出される単純だがそれ故に驚異的な威力を誇る、正にモンスターならではの攻撃。
受け止める盾も鎧も無い俺が、そんなモンスターと戦い、勝利を治めることができたのは、常に回避を成功させてきたからに他ならない。
その感覚、大型モンスターと戦う際の立ち回り、セオリー、全てこの体に忘れられない記憶として今でも刻み込まれている。
「だあっ!」
そして頭上より振り下ろされる灼熱の鉄拳。
避けるのは後ろでも右でも左でもない、前だ。
大型モンスターはその巨体ゆえ、足元や懐が攻撃範囲外になりやすい。
前転するように躊躇無く飛び込む、すぐ後ろに凄まじい高熱と重量を持つ一撃がギリギリで通り過ぎていくのを感じる。
俺へと命中する事無く空を切った火炎パンチは、その勢いのまま雑草の生える地面を焼却し、抉ったようだ。
発生した衝撃波で背中を押されるような感覚、その勢いのまま、俺は転がりながらラースプンの体の下を潜り抜ける。
武技を繰り出せない崩れた体勢だが、通り抜け様に鉈を振るう。
僅かな手ごたえ、右後ろ足に刃先がギリギリで届き切り裂いた。
ラースプンの背後に出た俺が、立ち上がって構えるが、ヤツの反応もやはり早い、無防備な背中へ斬りかかる間も無く、すぐにこちらへ振り返る。
その時、ラースプンの背中を襲ったのは俺では無くリリィの光線だった。
あまりダメージが通った様子は無いが、ヤツの意識が俺から外れるのを察す。
チャンスか――いや、あの右手には炎が球状に収束され始めている。御秀堂 養顔痩身カプセル
「『影触手アンカーハンド』」
鉈を握っていない左手から、呪われた黒髪を紡いでワイヤーを作り出す。
ラースプンが燃え盛る豪腕を振りかぶって、灼熱の一投をリリィへ放つその瞬間に、『影触手アンカーハンド』が絡みつく。
「うぉおおおおおお!」
渾身の力を振り絞ってワイヤーを引く、だがラースプンの強靭な腕力に、いくら強化されているといっても人間の俺が敵うわけも無い。
さらにブチブチとワイヤーが次々と引き千切れ、右腕を拘束から解き放つ。
だが、それで十分だ。
放られた火球は俺の妨害によって本来のターゲットから大きく逸れて飛んで行く。
その行方を眼で追う事無く、そのまま俺は追撃をしかけた。
未だ何本か右腕に絡みつくワイヤーを引いて、岩山のような巨体に足をかけて駆け上る。
ラースプンが振り払うように体を揺すり、左右の手がまとわりつく羽虫のような俺を掴むべく振り回される。
その行動をした時には俺の体は跳躍し、上空7メートルを越す、つまりモンスターの頭上にあった。
重力に囚われ自由落下を始める体、姿勢制御でしっかりバランスをとり、空中から武技を放つ。
「黒凪っ!」
狙うは真紅の毛に覆われた首元。
硬く分厚い頭蓋骨を割るよりも、首を斬る方が致命傷を与えやすい。
運よく骨ごと首を断ち切ることが出来れば、それだけで決着がつく。
そして、必殺の一撃となる黒い刃が届くその瞬間、
ゴァアアアアっ!!
それだけで吹っ飛びそうになるほどの咆哮、鼓膜が破れんばかりの大声量に頭がガンガンする。
だが、問題なのはそこではない、直感的に危機を感じたのは、これまで黒毛だった部分も、一瞬の内に朱に染まるという変化を見せた点だ。
しかしながら、振り下ろされた刃は止められないし、そもそも止めるつもりも無い。
分厚い毛皮と鋼のような筋肉で覆われた太い首、だが無防備に晒された生物として逃れられない弱点に向けて、渾身の黒凪が炸裂する。
「ぐあっ、硬っ――」
しかし、腕に伝わるのは重騎士の大盾タワーシールドを斬りつけた時と同じような感触。
それは決して気のせいではない、この瞬間、ラースプンの肉体は魔法の防御力を加算した鋼鉄と同じだけの防御力を発揮した。
結果、首を落とすには遠く及ばない、表面に僅かな切り傷をつけるだけに留まる。
「――マジかよっ!?」
全身が赤くなったラースプン、その元々あった黒毛の部分は、どこか金属に似た鈍い輝きを放っている。
黒凪を放ち着地した俺と、朱染めの金属鎧を装備したような威圧感を発するラースプンが対峙する。
どうやらこの赤い変化は、武技『硬身アイアン・ガード』のように僅かな時間だけ防御力を急上昇させるものではなさそうだ。
メタル化、とでも言うべきか、少なくとも全身が赤くなったその姿はハッタリでもなんでもなく、必殺の黒凪を防ぐほどの硬さを実現している。
「これがコイツの本気ってことか」
思わず冷や汗が頬を伝う。
リリィの光もフィオナの火も効かない高い炎熱耐性を持つラースプンに、現状で唯一ダメージを与えうる斬撃まで封じられた。
それはつまり、今の俺たちにコイツを倒す手段が存在しないという事。御秀堂養顔痩身カプセル第3代
黒髪と大岩の牢獄に閉じ込められたモンスターの真上に、リリィ渾身の『星墜メテオストライク』が炸裂したのだ。SUPER FAT BURNING
これまで命中すれば確実に敵を葬ってきた必殺の一撃、だが、
「おいおい――」
クロノは見た、頭上より迫り来る虹色の隕石を前に、モンスターが己の拳一つで迎撃するのを。
『星墜メテオストライク』が発動し、虚空に白い光の魔法陣が描かれるのと同時、モンスターは左よりも一回り太いアンバランスな大きさを誇る右腕に自由を取り戻していた。
何てことは無い、ただ力ずくで黒髪の拘束を引き千切り、動きを抑える岩の牢を吹き飛した、それだけのことである。
その時点で、宇宙から直接隕石でも呼んでいるのではないかと思えるような勢いで、魔法陣から光の塊が撃ち出されていた。
モンスターは真上を睨み、その巨大な右拳を握って弓を引くように大きく腕を振りかぶる。
右手の甲に輝く『紅水晶球クイーンベリル』の如き真紅の宝玉が輝くと、そこから紅蓮の炎が生まれ右腕全てを包んでいく。
そうして燃え盛る炎を纏った右腕は、天より迫る隕石を迎撃するミサイルのように正面からぶつかる。
衝突、虹色の輝きと真紅の煌きが光の奔流となって辺り一帯に荒れ狂う。
そのインパクトの瞬間を目にしたクロノは、その直後に眩い光のために視界を閉ざす。
だが『星墜メテオストライク』に真っ向から炎の拳を叩き込むモンスターの姿はあまりに力強い。
そして一瞬の内に光の洪水は収まり、再び『灯火トーチ』の輝きだけが周囲を照らす闇夜が戻ってくる。
「本当に『星墜メテオストライク』を防いだぞ……」
視線の先には、直径数十メートルのクレーターの中心に、全ての拘束から解き放たれたモンスターの五体満足な姿があった。
「くそっ、コイツはマジでヤバそうだな、流石は神の試練ってところか」
そう愚痴をこぼしつつも、今更後戻りすることなど出来ない。
クロノはパーティメンバーであるリリィとフィオナと共に空き地へと躍り出る、その場所はちょうど、幹部候補生とメイドを庇うような立ち位置であった。
「あ、お前は……」
クロノ達の姿に真っ先に反応したのは、長身の、といってもクロノよりは僅かに小さいが、幹部候補生の少年だった。
酷く驚いた様子、まぁこの状況を考えれば驚かないほうが不自然だ、クロノはそう考え、必要な事だけを手短に伝えることにする。
「おい、このモンスターは俺たちが引き受ける、あんた達は早く逃げろ!」
切羽詰った緊急事態のため、クロノは初対面の相手だが敬語を使うのを止めて強い口調で訴えかけた。
「え、あ、しかし――」
見ず知らずの冒険者に、このとんでもなく強力なモンスターの相手を押し付けることに抵抗感があるのか、はっきりと解答しない男子生徒。
「ありがとうございます!」
だが、彼の護衛メイドはこんな場面でも冷静に判断を下せるようだ。
彼女はさっさと主をかついで、礼の一言を残すと今にもその場を去らんとクロノたちにエプロンドレスの背を向けた。
そして、クロノはそんな彼女を止めるつもりはない、むしろ逃げてくれなければ困るのだから。
「アイツはランク5モンスターのラースプンだ! 倒そうなんて考えず君たちも早く逃げるんだぁああああ!!」
メイドに抱えられて去ってゆきながら、そんな台詞を男子生徒は絶叫していた。
その心遣いに、思わずクロノは微笑みを浮かべてしまう。
「ラースプンなんて言うのか、プンプンの進化系かな?」
その割には凶悪すぎる進化を遂げたものだと呑気なことを考えながら、クロノはランク5モンスターに向き直る。
「ごめんなさいクロノ、仕留め切れなかったわ」
右隣から謝罪の声をかけるのは、すでに少女の姿へ戻り淡いグリーンの『妖精結界オラクルフィールド』に身を包むリリィ。
「いや、アイツは炎を使ってた、熱に対して高い耐性を持ってるんだ、相性が悪かった」
モンスターは自身が炎や雷などの属性を操る場合、ほぼ確実にその属性に対して高い耐性を持っている。
このラースプンと呼ばれるモンスターも例に漏れない、むしろランク5であるならば、ほぼ無効化に近いほどの耐性を誇るはずだ。
「それなら私とも相性が悪いですね」
左隣からは、四方百里を焦土に変える炎の暴走魔女フィオナの声。
確かに、『星墜メテオストライク』でも四肢の一つも吹き飛ばないほど耐えて見せたのだ、相性の関係で『黄金太陽オール・ソレイユ』でも倒せなかったに違い無い。
「炎熱に耐性を持つモンスター相手だと大きく遅れをとるな、ウチのパーティの弱点発見だな」
と言っても、それを今すぐ改善できるはずも無い。超級脂肪燃焼弾
「仕方無い、俺が切り伏せるしかないな、リリィとフィオナは援護に徹してくれ」
了解の言葉がクロノの両耳にそれぞれ違った声音で届いた。
その手には、すでに相棒たる『呪怨鉈「腹裂」』が握られ、背後には十本の黒化剣が翼を広げるように展開されている。
「行くぞ――」
クロノが真っ直ぐ駆け出すと同時、ラースプンは赤毛を逆立たせ、再びガラハド山中に木霊する凶悪な咆哮をあげた。
耳をつんざく咆哮を轟かせ、怒り状態となったラースプンには、ほとんど『星墜メテオストライク』のダメージが堪えていない様に思える。
『星墜メテオストライク』の主なダメージソースとなる光の高熱がほとんど無効化されてしまったため、体に通ったのは爆発の衝撃のみ。
ただの人間なら、いや、例えミノタウルスだったとしても爆発の威力だけで四散五裂するところだが、このラースプンはパワータイプのモンスターに共通する衝撃に対する耐性もかなり高いレベルで持ちえているということが、この元気な姿を見れば即座に理解できた。
(けど、斬撃ならどうだ)
モンスターと言っても万能では無い、強いところがあれば弱いところもある。
ラースプンの見た目は厚い毛皮に覆われた熊とゴリラを足したような、いわば魔獣と呼ぶべき姿だ。
その毛皮と筋肉は衝撃や打撃には強い耐性を持つが、鋭い刃による斬撃は、モンスターのセオリーからいけば有効なはず。
逆に肉の身体を持たない骨だけのスケルトンや硬い鱗や甲羅を持つモンスターは、打撃が有効で斬撃は効き難い、というようになる。
クロノはこれまであらゆる敵を切り裂いてきた『呪怨鉈「腹裂」』ならば、このランク5のモンスターだろうと、その肉体を断つことができると信じて斬りかかる。
だが、対するラースプンはそうして駆けるクロノを黙って待っていることなどしない。
未だ両者の間合いが重ならない距離、だがラースプンは右腕を振りかぶると、その手のひらに再び火炎が収束し始める。
(火球を飛ばせるのか!?)
それはまるで炎の攻撃魔法のように、大きな火球を手のひらの上で形成された。
そして、クロノがモンスターの巨体へ肉薄する前に、炎の豪腕が振るわれ弾丸の如き速度で火球が放たれる。
「――黒盾シールド!」
黒い繊維が折り重なるように防御魔法が形成される。
その大きさはクロノの膝から頭の上までを覆う長方形、目前に迫る直径1メートルほどの火球を前に、その黒い盾はあまりに頼りなく見えた。
それはきっと、ラースプンも同じ。
着弾、爆発、黒煙と熱波が吹き荒れると、鋭い牙が並んだ口元は邪悪な笑みで歪められた。
それは、ブルーマリンのような青い宝石がはめ込まれたアクセサリーだった。
『蒼炎の守護ナナブラスト・アミュレット』、それがこのアクセサリーの名前だ。
フィオナが所持する、非常に高い炎熱防御の効果を秘めるレアな魔法具マジック・アイテムで、その効果のほどは実際に第八使徒アイ戦で『黄金太陽オール・ソレイユ』の炎から守ってくれたことで実証済み。
紅炎の月1日の夜、俺はそんなレアアイテムを貰うこととなった。
「これは私からのプレゼントです、どうぞ」
フィオナから手渡された青い輝きを放つお守り。
どうして、と問えば「買いました」と簡素な答えが返って来る、そういう意味で聞いたのではないのだが。
「私とお揃いですね」
俺はそんな男心が勘違いしそうな台詞に恥かしいやら、この‘レア’なアイテムがいくらしたのかとか、色々と気になることしきりであったが、
「あ、ありがとう」
大人しく受け取ることしかできなかった。
その時、妙に冷めたリリィの表情がちょっと怖かった……
ラースプンの火球攻撃を正面から切り抜けた時、その眼に驚きの色が映ったように見えた。
俺が無傷で爆発を潜り抜けたことがそんなに予想外だったか。
まぁ、『蒼炎の守護ナナブラスト・アミュレット』を装備して無かったら、この頼りない見習いローブごと燃やされていただろうな。
フィオナからプレゼントされたこのお守りはチェーンを通して、腰の革ベルトにくくりつけてある。
身を焦がす灼熱の火球は、これのお陰でほとんどのダメージを無効化することができた。
爆発の威力は『黒髪呪縛「棺」』で通常よりやや頑丈になった『黒盾シールド』で綺麗に相殺された。終極痩身
結果的に、俺は僅かな熱を感じるのみに留まる。
そうして、黒煙が漂う爆炎を潜り抜けたとほぼ同じタイミングで、
「――『速度強化スピードブースト』」
フィオナから支援魔法が飛んでくる。
体が軽くなり、地を駆ける両足により一層の力が篭り、数十メートルはある彼我の距離は瞬く間にゼロになる。
「――『腕力強化フォルスブースト』」
そして、渾身の力で『呪怨鉈「腹裂」』を振り上げると同時、さらなる支援魔法が俺の体にかかり、繰り出す武技の威力を上昇させる。
「黒凪!」
ラースプンはその巨体から信じられないほどの速度でバックステップを踏み、瞬時に黒い刃の間合いから逃れる。
だが、速度と腕力の二重に強化された俺が放つ武技からは、完全に逃れることができない。
柄を握る両手から、ゴムのような弾力と硬さのある肉体を切り裂く感触が届く。
バックステップから着地したラースプン、その左腕からは鮮血が滴っている。
致命傷にはほど遠いが、この刃でダメージが通ることが証明された。
ならば行ける、コイツを倒すことが出来る。
「はあっ!」
追撃で一歩を踏み出す、対する相手も怒りに吼えながら突っ込んできた。
振り上げられた右腕は、『星墜メテオストライク』を砕いた時と同じように紅蓮の炎を纏っている。
この炎は火球よりも強力だと直感的に判断、まともにくらえば『蒼炎の守護ナナブラスト・アミュレット』があっても高熱が届くかもしれない。
もっとも、そうでなくとも破城槌のような腕でパンチを貰えばそれだけで一発KOされる可能性が高い。
「魔剣ソードアーツ!」
惜しげもなく十本全ての黒化剣を投擲。
ラースプンは全く意に介することなく黒い刃に受けてたった。
突き刺さった剣は七本、肩や腕、足、胸、とバラバラだがどれも傷が浅い、頭部だけは反射的に首を振って回避された。
それでいて、振りかぶった右腕はそのまま。
ダメだ、攻撃を止めるほどのダメージにはならなかったか。
コイツの火炎パンチを防御するのはお守りとグローブの両方があっても危険、攻撃をキャンセルできなかった以上は、もう残された手段は回避のみ。
脳裏に蘇るのは、大型モンスターと戦うのが当たり前だった機動実験の日々。
あの時、俺は武器無し、防具無しの体一つだけで、どうやってアイツらと渡り合っていた?
地を揺るがす強烈な突進、骨まで断つ鋭い爪の一撃、捕らえられれば二度と脱出不可能な顎、およそ人間では実現不可能な、巨大な体躯から繰り出される単純だがそれ故に驚異的な威力を誇る、正にモンスターならではの攻撃。
受け止める盾も鎧も無い俺が、そんなモンスターと戦い、勝利を治めることができたのは、常に回避を成功させてきたからに他ならない。
その感覚、大型モンスターと戦う際の立ち回り、セオリー、全てこの体に忘れられない記憶として今でも刻み込まれている。
「だあっ!」
そして頭上より振り下ろされる灼熱の鉄拳。
避けるのは後ろでも右でも左でもない、前だ。
大型モンスターはその巨体ゆえ、足元や懐が攻撃範囲外になりやすい。
前転するように躊躇無く飛び込む、すぐ後ろに凄まじい高熱と重量を持つ一撃がギリギリで通り過ぎていくのを感じる。
俺へと命中する事無く空を切った火炎パンチは、その勢いのまま雑草の生える地面を焼却し、抉ったようだ。
発生した衝撃波で背中を押されるような感覚、その勢いのまま、俺は転がりながらラースプンの体の下を潜り抜ける。
武技を繰り出せない崩れた体勢だが、通り抜け様に鉈を振るう。
僅かな手ごたえ、右後ろ足に刃先がギリギリで届き切り裂いた。
ラースプンの背後に出た俺が、立ち上がって構えるが、ヤツの反応もやはり早い、無防備な背中へ斬りかかる間も無く、すぐにこちらへ振り返る。
その時、ラースプンの背中を襲ったのは俺では無くリリィの光線だった。
あまりダメージが通った様子は無いが、ヤツの意識が俺から外れるのを察す。
チャンスか――いや、あの右手には炎が球状に収束され始めている。御秀堂 養顔痩身カプセル
「『影触手アンカーハンド』」
鉈を握っていない左手から、呪われた黒髪を紡いでワイヤーを作り出す。
ラースプンが燃え盛る豪腕を振りかぶって、灼熱の一投をリリィへ放つその瞬間に、『影触手アンカーハンド』が絡みつく。
「うぉおおおおおお!」
渾身の力を振り絞ってワイヤーを引く、だがラースプンの強靭な腕力に、いくら強化されているといっても人間の俺が敵うわけも無い。
さらにブチブチとワイヤーが次々と引き千切れ、右腕を拘束から解き放つ。
だが、それで十分だ。
放られた火球は俺の妨害によって本来のターゲットから大きく逸れて飛んで行く。
その行方を眼で追う事無く、そのまま俺は追撃をしかけた。
未だ何本か右腕に絡みつくワイヤーを引いて、岩山のような巨体に足をかけて駆け上る。
ラースプンが振り払うように体を揺すり、左右の手がまとわりつく羽虫のような俺を掴むべく振り回される。
その行動をした時には俺の体は跳躍し、上空7メートルを越す、つまりモンスターの頭上にあった。
重力に囚われ自由落下を始める体、姿勢制御でしっかりバランスをとり、空中から武技を放つ。
「黒凪っ!」
狙うは真紅の毛に覆われた首元。
硬く分厚い頭蓋骨を割るよりも、首を斬る方が致命傷を与えやすい。
運よく骨ごと首を断ち切ることが出来れば、それだけで決着がつく。
そして、必殺の一撃となる黒い刃が届くその瞬間、
ゴァアアアアっ!!
それだけで吹っ飛びそうになるほどの咆哮、鼓膜が破れんばかりの大声量に頭がガンガンする。
だが、問題なのはそこではない、直感的に危機を感じたのは、これまで黒毛だった部分も、一瞬の内に朱に染まるという変化を見せた点だ。
しかしながら、振り下ろされた刃は止められないし、そもそも止めるつもりも無い。
分厚い毛皮と鋼のような筋肉で覆われた太い首、だが無防備に晒された生物として逃れられない弱点に向けて、渾身の黒凪が炸裂する。
「ぐあっ、硬っ――」
しかし、腕に伝わるのは重騎士の大盾タワーシールドを斬りつけた時と同じような感触。
それは決して気のせいではない、この瞬間、ラースプンの肉体は魔法の防御力を加算した鋼鉄と同じだけの防御力を発揮した。
結果、首を落とすには遠く及ばない、表面に僅かな切り傷をつけるだけに留まる。
「――マジかよっ!?」
全身が赤くなったラースプン、その元々あった黒毛の部分は、どこか金属に似た鈍い輝きを放っている。
黒凪を放ち着地した俺と、朱染めの金属鎧を装備したような威圧感を発するラースプンが対峙する。
どうやらこの赤い変化は、武技『硬身アイアン・ガード』のように僅かな時間だけ防御力を急上昇させるものではなさそうだ。
メタル化、とでも言うべきか、少なくとも全身が赤くなったその姿はハッタリでもなんでもなく、必殺の黒凪を防ぐほどの硬さを実現している。
「これがコイツの本気ってことか」
思わず冷や汗が頬を伝う。
リリィの光もフィオナの火も効かない高い炎熱耐性を持つラースプンに、現状で唯一ダメージを与えうる斬撃まで封じられた。
それはつまり、今の俺たちにコイツを倒す手段が存在しないという事。御秀堂養顔痩身カプセル第3代
2013年7月8日星期一
この世界で一番綺麗な物
俺は半ばパニックになりながら、必死に頭を回転させた。
あのセクハラ攻撃によって、『ヒサメが俺を家に呼ぶ』という条件は、何とか回避したはずだった。田七人参
しかし、ならば今まだフラグが立っているのはなぜだ?
もしかして、このイベントのポイントは家に招かれることではなかったのか?
あの戦いで、『ヒサメと勝負をして実力を認められる』という条件を満たしてしまったからだろうか。
いや、やっぱりそれだけとは考えにくい。
あるいは、間接的とはいえ、『ヒサメの肌を見たこと』によって、新たなフラグが立ってしまったとも考えられる。
実は家訓で、『肌を見られた相手と結婚しなければならない』と決まっていたとか。
ヒサメイベントの内容を考えると、ありえそうで困る。
もしそうだった場合、俺はフラグを回避するつもりで逆に盛大に踏み込んでいってしまったということになる。
(待て! 落ち着け!
とりあえずは、本当にヒサメイベントが復活しているのか、それを確かめるのが先決だ!)
そう自分に言い聞かせて、俺は自身を混乱の渦へと突き落とした相手を見る。
「どうかした? おにいちゃんっ」とばかりに俺を見る、一見無邪気そのものの少女を前に、俺はそっと唾を飲み込んだ。
――絶望的な戦いが始まる。
それからポイズンたんと少し話をしてみたのだが、どうやら事態は俺が想像していた通りの、いや、もっと悪い状態になっているようだった。
以前イベントが成立しかけていた時、街の人々の話には『ヒサメの家の情報』が不自然に挿入されていた。
しかし、今は違う。
「ええっとそれで、結局君は何をしにここを訪ねてきたのか、もう一度教えてくれるかな?」
と、俺が訊けば、
「あはは、おもしろーい。
なんどもいってるのに、おにいちゃん、のうみそがゴブリンとおんなじくらいしかないんだねー。
おにいちゃんははやくヒサメのいえにいけばいいとおもうよー」
ポイズンたんは純粋に邪悪な笑顔でそう返してくるのだ。
この状態、前のように不完全にではなく、完全にイベントが開始されてしまっていると考えた方がよさそうだ。
話題の間に『ヒサメの家の情報』が挿入される訳ではなく、全ての話題が『ヒサメの家の情報』に切り替わってしまっている。
(これは、まずいぞ)
不完全なフラグなら折ることも出来たが、完全なフラグが成立した場合、それを破棄することは果たして可能なのかどうか。
そして、それより何より、当面の問題として、
「すなおにヒサメのいえにむかえばいいのに、どうしてごまかそうとするのかな? おにいちゃんっ」
「せきにんってことばのいみしってる? おにいちゃんっ」
「ヒサメのどうじょうはにしだよ。にしってわかる? おにいちゃんっ」
「もしかしてなにもしゃべれなくなっちゃったの? おにいちゃんっ」
「だまってればなんとかなるとか、あたまのわるいはんざいしゃみたいなことかんがえてないよね? おにいちゃんっ」
目の前の毒舌少女を何とかしなければ、俺の心がへし折れる!!
「り、リンゴ……」
精神的に瀕死の俺が助けを求めたのは、当然ながら俺の相棒だった。
リンゴは俺の様子を三秒ほどじっと観察した後、ポイズンたんにぼそぼそっと何かをささやいた。
祈るような気持ちで見守っていると、
「そっか。じゃああんしんだねっ」
ポイズンたんはあっさりとリンゴの言葉を聞き入れたようで、部屋の出口に向かって歩いていった。
「じゃあね、おにいちゃんっ。
ヒサメのどうじょうはおうとのにしにあるからわすれないでねっ!」
最後の最後までヒサメ家情報の念押しをして、ポイズンたんは部屋を出て行った。
「なぁ、リンゴ。ポイズンたんの用事って……」
彼女を玄関まで見送った後、リンゴに尋ねた。
「…ギルドがお金、用意したって」
「やっぱり、かぁぁ」
言葉と一緒に深い息を吐き出す。
やはり、ポイズンたんの用事は本来はヒサメの家とは全く関係なかったことがこれで判明してしまった。印度神油
完全に、ヒサメの連続イベントが発生してしまっている。
「あれ、でもそういえば、リンゴは普通に話してるよな?」
「…?」
リンゴが小さく首を傾げる。
本人に意識してる様子はないが……。
「なぁ、リンゴ。ちょっと何か言ってみてくれないか?」
「…せくは」
「悪い! やっぱりいい!」
今まで散々話をしてきたのだ。
リンゴにイベントの影響がないのは明らかだった。
そして、完全にリンゴの機嫌が直ったという訳でもないことが、今証明されてしまった。
これはリンゴが例外なのか、ポイズンたんが例外なのか。
俺は外に出て確かめることにした。
結果は、
「よう兄ちゃん! 今ならこのアイテムが安いけどその前にヒサメの家に行ってきな!」
「今一番熱いのはこのダンジョン! だけどあんたに一番おすすめのヒサメの道場は街の西にあるぜ!」
「あら、イイ男ねェーん。そんなア・ナ・タに似合うのは、このお店しかないわ。
王都の西にある店で、ヒサメ道場って言うのだけど……」
「おう! 悪いがここは満席だぜ!
席が空くまでちょっと、西の方の道場で待っててくれよ!」
「おかげさまで、ブルーもこんなに元気になって……。
わたしたちに出来る恩返しは、ヒサメさんの家の場所を教えることだけです。
その、場所は王都の西の……」
「ソーマ兄ちゃん久しぶり!
妹も元気だし、ここはおれに任せて早くヒサメの道場に行ってきなよ!」
「あいよ、リンゴ二個だね。
じゃああたしが商品の代わりにとっておきの噂を教えてやるよ。
ヒサメ家が経営する道場が、王都の西に建っているそうだよ」
一事が万事、こんな感じだった。
ここまでされてしまえば、もはや疑いの余地はない。
ヒサメイベントは、開始されてしまっている。
というか、ゲームの時より街の人の台詞が多様になっている気がする。
ただ、店が利用出来ないのも他のイベントを発生させられないのも同じみたいで、八百屋のおばちゃんになんか、無理矢理100E払ったにもかかわらず、代金だけを奪われた。
リンゴに影響がないように見えるのは、おそらく彼女がバグキャラだからだろう。
もしかすると、リンゴにはイベントフラグが存在しないのかもしれない。
こうなると逆に、真希に会ったとしても最悪の場合真希までヒサメの家のことしか言わない可能性すら出て来た。
プレイヤー補正がうまくかかっているといいが、そうでなければわざわざ王城で再会して、ヒサメの家の話を聞いて帰ってくることになるだろう。
いや、それ以前に、騎士団が家にやってきても、ヒサメの道場の場所だけ教えて帰っていくという公算が高い。
(……駄目だな。とにかく、この状態を何とかしないと)
そうは思うものの、流石にもう回避手段に心当たりはない。
確実な手とすれば、もはやヒサメと道場に行くしかないが、それをすると今度は……。
(ちょっと、待てよ?)
たぶん、次のイベント『ヒサメと一緒に道場を訪問する』のを達成するのが、この『キャラクターがヒサメの家の情報しか言わない』状態を回避するための解決手段だろう。
ゲームでは、その時ヒサメは自分の家で待っていてくれた。
しかし今の状況、ヒサメは本当に、きちんと家に戻ってくれているだろうか。
ゲームでの知識によれば、ヒサメはここ数年間、道場にはほとんど戻っていなかったはずだ。
それでも、自分の結婚相手になるかもしれない人を引き合わせるためだから、と言って、久しぶりの里帰りを果たしたのだ。
しかし、何が原因かヒサメ家訪問フラグが立ったものの、俺はまだ、ヒサメに家に来てほしいとも何とも言われていない。
この状況でヒサメは家に戻るだろうか。
ヒサメの居場所もイベントの一部と考えるならきちんと戻ってくれている気もするし、そこはイレギュラーの範囲内と考えるとまだ別の場所にいるような気もする。
もしまだヒサメが自分の家に行っていないとしたらどうだろう。
俺がイベントを正常に開始させ、このイベント停止状態を改善するためには、まずヒサメを発見し、俺と一緒に道場に行くように説得しなければならないことになる。
(いやいや、無理だろ!)
どこにいるかも分からないヒサメをノーヒントで発見して、あんなセクハラをして泣かせてしまったヒサメを説得して一緒に家に行くことを納得させなきゃいけないとか、無理ゲーすぎる。
状況が悪化しているにもほどがあるだろう。
(この前、素直に道場に行っていれば……)
なんて後悔さえにじんでくるが、これはもう仕方がない。
あの後で買い物なんかを済ませられたのは、決闘をダシに時間を引き延ばしたから。
それはそれで、無駄ではなかったと信じたい。
「とにかく、だ」
まずは、ヒサメの居場所を探らなくてはいけない。
俺は悲壮な覚悟でもって、『ヒサメの家の情報』ばかりが飛び交う街に向き直った。
しかし、残念ながらヒサメの居場所を見つけるようなアイテムやスキルは持っていないし、街の人は何を訊いてもヒサメの家のことしか言わない。
ヒサメの家関連のイベントなんだからヒサメのことも話してくれてもいいようなものだが、そんな臨機応変さはないようだった。強力催眠謎幻水
俺が訊いたら全部『ヒサメの家の情報』になってしまうだけで、リンゴに訊いてもらえば問題はないということに気付いたのはだいぶ時間が過ぎてからだ。
リンゴが話を聞き始めると、さっきまでの難航っぷりが嘘のように情報が集まった。
朝、ヒサメが物凄い勢いで門の外に走っていくのを見た人間が何人もいた。
あまりの速さにほとんどの人が目で追えなかったらしいが、それが逆にその正体を皆に知らしめていた。
「こっちの方、だよな」
情報にあった方向には、いくつかのフィールドがある。
だが、その中で俺は、彼女はレグス湖に行ったに違いないという予想をした。
だって、レグス湖には切り立った岬がある。
追い詰められた人間は誰だって、崖を目指すに決まっているのだ。
「まさか、本当にいるとは……」
遠目にだが、岬の突端に人が立っているのが見えた。
服装からして、おそらくヒサメだろう。
嘘から出た真、という奴か。
意外にも適当に言った言葉が当たってくれたようだ。
ヒサメは高所恐怖症だったはずだが、それだけ追い詰められているということだろうか。
「じゃあ、行くか」
俺はそう言って、前に立って歩こうとしたのだが、
「…いかない」
リンゴが、後については来なかった。
「お、おい。あのな。今は……」
まだあの時の不機嫌が続いているのかと思って俺は文句を言いかけたが、リンゴは首を振った。
「…たぶん、ひとりのほうが、いい」
その顔を見て、俺は身勝手な想像をしていた自分を恥じた。
リンゴは複雑そうな顔をして、こっちを見ていた。
「だけど、一人の方がいいってどういう……」
「…わたしなら、そのほうがうれしい」
嬉しい、というのはどういう意味なのかよく分からなかったが、リンゴにはそれ以上話すつもりはないようだった。
「……分かった。行ってくるよ」
リンゴが意外に頑固だということは俺も知っている。
それに、俺の身を案じて片時も俺の傍を離れようとしなかったリンゴがそう言うのなら、その必要があることなのだろう。
俺は一人で岬へと歩を進めることにした。
ヒサメは、岬の一番先端に立っていた。
風が吹きすさび、彼女の髪を揺らす。
その風に押されて今にもヒサメが落ちてしまいそうに見えて、俺の胸をざわつかせた。
「多分、初めてですね。
呼んでもいないのに、貴方が自分から来てくれたのは」
やはり、気配で俺を察知していたらしい。
後ろを向く気配もないままに、ヒサメは俺にそう声をかけた。
「そう言われれば、そうかもしれないな。
今日も、やっぱり待たせたか?」
ヒサメはやんわりと首を振った。
「いいえ。
本当は、私が貴方を呼びに行くつもりでした。
貴方の方から来てくれるとは思わなかった」
嬉しい偶然です、と言いながら、ヒサメは振り向いた。
あの時はあんなに濡れて透けていた服ももう乾いていて、振り向いたその顔はいつも通りに整ってはいたが、猫耳にはどこか疲れと怯えと水気が残っているように見えた。
それを見てしまっては、いくら俺でも罪悪感に襲われる。
「その、この前は……」
すまなかった、と言う前に、ヒサメが問いかけた。
「見た……のですよね?」
ぐっと詰まる。
濡れた服を通して見えた、彼女の裸身が脳裏に浮かび上がる。
「お、俺は……」
「構いません。その反応だけで、充分です」
何かを言おうと口にしたが、ヒサメは哀しげにも見える仕種でそれを遮った。
「本当は、気付いていました。
貴方の視線がどこを捉えていたか、私にははっきり見えましたから」
「う、ぐ……悪かった」
そう言われると、弁解の余地はない。
俺はそんなにエロい目をしていただろうか。
していなかった、と言い切れない所がちょっと悲しい。
ヒサメは俺の謝罪に、いえ、と短く答えてから、おもむろに話し出す。
「ですが、あんな姿を見られてしまったとなれば、私も父上に報告しない訳にはいきません。
道場に呼ぶのはなかった事にすると約束した手前、申し訳ないですが、貴方にも同行してもらいます。
もちろん道場を継げだとか、門下生と戦え等という無体な要求はしません。
あくまで客人として、お招き致します」
「…ああ」
彼女にとっては、約束したこととこれは目的が違うから別件、という認識なのかもしれない。
あるいは約束を守る以上に、今回の一件を重く見ているのか。
俺は冷静にうなずきながら、内心で叫ぶ。
(やっぱり肌見せ即結婚ルートだったか!!)
ヒサメの家は古風な家柄だ。
それも、別に古風な家の事情とかを知らない『猫耳猫』スタッフが適当な知識と偏見だけで作り上げたような古風な家柄だ。
肌見せ結婚ルールなんてのはゲームでは表に出てきていない設定だったとは思うが、裏でそんな設定が作られていたとしても全くおかしくはない。
しかしそう考えるとこの世界、異様な再現度である。
ゲームでは実装されてなかった部分まで完全再現とか、ゲームに忠実なんだか忠実じゃないんだか分からない。
どんだけいい仕事をするんだという話だ。
「……やはり、私と一緒にいるのは嫌ですか?」
しかし、自分の考えに沈んでいる間の沈黙をどう取ったのか、突然ヒサメがぼそっとそんなことをつぶやき始めた。VIVID
「え? いや、別に……」
条件反射で否定の言葉を口にするものの、それは逆効果だったようだ。
「いいんです。
あんな物を見せてしまったのですからね。
その反応も、分かります」
「いや、だから……」
俺が精一杯に抗弁しても、響かない。
自嘲気味の笑みを浮かべて、
「気持ち悪いと、思ったのでしょう?」
なんてことを言う。
全く意味が分からない。
もしかして、自分の身体がコンプレックスとかいう隠れ設定があったのだろうか。
しかし、それは全くもって杞憂というか、贅沢な悩みというものだ。
ヒサメがコンプレックスを持たなければならないとしたら、イーナなんて……というのは流石に冗談だが、少なくともヒサメが自分の身体を恥じることはないだろう。
「いや、俺は、綺麗だと思ったよ」
だから俺は、漫画の主人公みたいなことを真顔で言った。
言い切った。
セクハラで相手の裸覗いといてそれを褒めるとか、ぶっちゃけ正気の沙汰じゃないと思うが、とにかくそう言い切った。
「嘘です! そんなの……」
しかし、ヒサメはそれに動揺を見せた。
本当にコンプレックスだったんだろうか。
とにかくここが攻め時と言葉を重ねた。
「いや、今まで見たどんな物より、綺麗だと思った。
ヒサメは、その、生まれたままの自然な姿の方が、魅力的だよ」
しかし、そこはぼっちの悲しさ。
何か褒め慣れていないために気付けば凄いことを口走っていた。
適当に思いついた褒め言葉をただ口にしただけなのだが、これって冷静に考えると、
『君のスケスケ姿は俺の人生ナンバーワンの光景だったよ!
君はやっぱ、裸でいるのが一番いいんじゃないかな?』
こんな感じになる。
紛うことなき、変態発言である。
「……ほ、本当、ですか?」
しかし、俺の発言の何が琴線に触れたのか、ヒサメが照れまくっていた。
謎の好感触!
俺は一気にたたみかけた。
「あ、ああ、もちろん!
もう一回見たいくらいだ!」
俺の口の暴走が止まらない。
これはもう、
『もう一回裸見せて!!』
としか解釈出来ない。
変態っていうか、ただの欲望に忠実な人である。
「……分かりました」
が、ヒサメさんがなぜか分かってしまった!!
「え、いや、ちょっと、今のは……」
動揺する俺に構わず、
「目を、瞑っていて下さい」
なんて言いながら服に手をかけられては、俺は目をつぶるしかない。
真っ暗になった視界で、俺は混乱の極みにあった。
(待て待て待て! これは何がどうなってるんだ?)
衣擦れの音が聞こえる。
本当に服を脱いでいるらしい。
まさか本気で、俺にもう一度裸を見せるつもりなのだろうか。
というか、前回は服越しで本当の裸を見た訳ではないし、これが初めての……。
(いや、違う! そういうことじゃなくて……)
もしかして、俺の知らない『ヒサメ結婚イベント』辺りが前倒しで開始されているのか?
いや、肌を見せたら結婚ルールがあるなら、イベントに関係なくこんな流れになるのはむしろ自然なことなのか?
分からない。
訳が分からない。
分からないが今俺は、何か重大な勘違いをしているような気がした。
「……いいですよ」
が、そんなヒサメの声が時間切れを告げる。
俺がおそるおそる目を開けると、
「――ッ!?」
さっきまで着ていた服を両手に抱えたヒサメが、顔を赤くしてそこに立っていた。
大事な部分は手にした服で隠れているが、肩などは完全に剥き出しになっている。
これは、これは、本気なのだろうか。
俺が言葉を失っていると、羞恥に震えながら、ヒサメが口を開いた。
「そ、その……あの時は、腰の辺りに纏わりつかせていて、よく、見えなかったでしょうから……」
いや、そりゃあ確かに、下の方の一番肝心な場所を見る前にヒサメはうずくまったけれども、あんな風に凝視出来たのは多分に勢いがあったせいであって、今の俺にそんな度胸は……。
などと逡巡している暇もなかった。
俺の葛藤を他所に、ヒサメが動く。
「あ、貴方に、私の誰にも見せた事のない所を見せてあげますね」
そうして『それ』は俺の前に姿を見せた。
その瞬間、俺は全ての思考がどこかに飛ばされたのを感じた。
「……きれい、だ」
口が、唯一正しいその言葉をつぶやく。
俺の前に剥き出しで晒された『それ』は、あらゆる芸術すら霞ませる、最高の美だった。
神が作ったと言われても信じてしまうような、完璧という言葉が不足に思えるほど優美なシルエット。蔵八宝
見ているだけで分かる、絶妙のしなやかさと肌触りを感じさせる、極上の質感。
どこか艶めかしさすら感じさせる、風に揺れる柳の木のような、幽玄かつ精妙なその動き。
あのセクハラ攻撃によって、『ヒサメが俺を家に呼ぶ』という条件は、何とか回避したはずだった。田七人参
しかし、ならば今まだフラグが立っているのはなぜだ?
もしかして、このイベントのポイントは家に招かれることではなかったのか?
あの戦いで、『ヒサメと勝負をして実力を認められる』という条件を満たしてしまったからだろうか。
いや、やっぱりそれだけとは考えにくい。
あるいは、間接的とはいえ、『ヒサメの肌を見たこと』によって、新たなフラグが立ってしまったとも考えられる。
実は家訓で、『肌を見られた相手と結婚しなければならない』と決まっていたとか。
ヒサメイベントの内容を考えると、ありえそうで困る。
もしそうだった場合、俺はフラグを回避するつもりで逆に盛大に踏み込んでいってしまったということになる。
(待て! 落ち着け!
とりあえずは、本当にヒサメイベントが復活しているのか、それを確かめるのが先決だ!)
そう自分に言い聞かせて、俺は自身を混乱の渦へと突き落とした相手を見る。
「どうかした? おにいちゃんっ」とばかりに俺を見る、一見無邪気そのものの少女を前に、俺はそっと唾を飲み込んだ。
――絶望的な戦いが始まる。
それからポイズンたんと少し話をしてみたのだが、どうやら事態は俺が想像していた通りの、いや、もっと悪い状態になっているようだった。
以前イベントが成立しかけていた時、街の人々の話には『ヒサメの家の情報』が不自然に挿入されていた。
しかし、今は違う。
「ええっとそれで、結局君は何をしにここを訪ねてきたのか、もう一度教えてくれるかな?」
と、俺が訊けば、
「あはは、おもしろーい。
なんどもいってるのに、おにいちゃん、のうみそがゴブリンとおんなじくらいしかないんだねー。
おにいちゃんははやくヒサメのいえにいけばいいとおもうよー」
ポイズンたんは純粋に邪悪な笑顔でそう返してくるのだ。
この状態、前のように不完全にではなく、完全にイベントが開始されてしまっていると考えた方がよさそうだ。
話題の間に『ヒサメの家の情報』が挿入される訳ではなく、全ての話題が『ヒサメの家の情報』に切り替わってしまっている。
(これは、まずいぞ)
不完全なフラグなら折ることも出来たが、完全なフラグが成立した場合、それを破棄することは果たして可能なのかどうか。
そして、それより何より、当面の問題として、
「すなおにヒサメのいえにむかえばいいのに、どうしてごまかそうとするのかな? おにいちゃんっ」
「せきにんってことばのいみしってる? おにいちゃんっ」
「ヒサメのどうじょうはにしだよ。にしってわかる? おにいちゃんっ」
「もしかしてなにもしゃべれなくなっちゃったの? おにいちゃんっ」
「だまってればなんとかなるとか、あたまのわるいはんざいしゃみたいなことかんがえてないよね? おにいちゃんっ」
目の前の毒舌少女を何とかしなければ、俺の心がへし折れる!!
「り、リンゴ……」
精神的に瀕死の俺が助けを求めたのは、当然ながら俺の相棒だった。
リンゴは俺の様子を三秒ほどじっと観察した後、ポイズンたんにぼそぼそっと何かをささやいた。
祈るような気持ちで見守っていると、
「そっか。じゃああんしんだねっ」
ポイズンたんはあっさりとリンゴの言葉を聞き入れたようで、部屋の出口に向かって歩いていった。
「じゃあね、おにいちゃんっ。
ヒサメのどうじょうはおうとのにしにあるからわすれないでねっ!」
最後の最後までヒサメ家情報の念押しをして、ポイズンたんは部屋を出て行った。
「なぁ、リンゴ。ポイズンたんの用事って……」
彼女を玄関まで見送った後、リンゴに尋ねた。
「…ギルドがお金、用意したって」
「やっぱり、かぁぁ」
言葉と一緒に深い息を吐き出す。
やはり、ポイズンたんの用事は本来はヒサメの家とは全く関係なかったことがこれで判明してしまった。印度神油
完全に、ヒサメの連続イベントが発生してしまっている。
「あれ、でもそういえば、リンゴは普通に話してるよな?」
「…?」
リンゴが小さく首を傾げる。
本人に意識してる様子はないが……。
「なぁ、リンゴ。ちょっと何か言ってみてくれないか?」
「…せくは」
「悪い! やっぱりいい!」
今まで散々話をしてきたのだ。
リンゴにイベントの影響がないのは明らかだった。
そして、完全にリンゴの機嫌が直ったという訳でもないことが、今証明されてしまった。
これはリンゴが例外なのか、ポイズンたんが例外なのか。
俺は外に出て確かめることにした。
結果は、
「よう兄ちゃん! 今ならこのアイテムが安いけどその前にヒサメの家に行ってきな!」
「今一番熱いのはこのダンジョン! だけどあんたに一番おすすめのヒサメの道場は街の西にあるぜ!」
「あら、イイ男ねェーん。そんなア・ナ・タに似合うのは、このお店しかないわ。
王都の西にある店で、ヒサメ道場って言うのだけど……」
「おう! 悪いがここは満席だぜ!
席が空くまでちょっと、西の方の道場で待っててくれよ!」
「おかげさまで、ブルーもこんなに元気になって……。
わたしたちに出来る恩返しは、ヒサメさんの家の場所を教えることだけです。
その、場所は王都の西の……」
「ソーマ兄ちゃん久しぶり!
妹も元気だし、ここはおれに任せて早くヒサメの道場に行ってきなよ!」
「あいよ、リンゴ二個だね。
じゃああたしが商品の代わりにとっておきの噂を教えてやるよ。
ヒサメ家が経営する道場が、王都の西に建っているそうだよ」
一事が万事、こんな感じだった。
ここまでされてしまえば、もはや疑いの余地はない。
ヒサメイベントは、開始されてしまっている。
というか、ゲームの時より街の人の台詞が多様になっている気がする。
ただ、店が利用出来ないのも他のイベントを発生させられないのも同じみたいで、八百屋のおばちゃんになんか、無理矢理100E払ったにもかかわらず、代金だけを奪われた。
リンゴに影響がないように見えるのは、おそらく彼女がバグキャラだからだろう。
もしかすると、リンゴにはイベントフラグが存在しないのかもしれない。
こうなると逆に、真希に会ったとしても最悪の場合真希までヒサメの家のことしか言わない可能性すら出て来た。
プレイヤー補正がうまくかかっているといいが、そうでなければわざわざ王城で再会して、ヒサメの家の話を聞いて帰ってくることになるだろう。
いや、それ以前に、騎士団が家にやってきても、ヒサメの道場の場所だけ教えて帰っていくという公算が高い。
(……駄目だな。とにかく、この状態を何とかしないと)
そうは思うものの、流石にもう回避手段に心当たりはない。
確実な手とすれば、もはやヒサメと道場に行くしかないが、それをすると今度は……。
(ちょっと、待てよ?)
たぶん、次のイベント『ヒサメと一緒に道場を訪問する』のを達成するのが、この『キャラクターがヒサメの家の情報しか言わない』状態を回避するための解決手段だろう。
ゲームでは、その時ヒサメは自分の家で待っていてくれた。
しかし今の状況、ヒサメは本当に、きちんと家に戻ってくれているだろうか。
ゲームでの知識によれば、ヒサメはここ数年間、道場にはほとんど戻っていなかったはずだ。
それでも、自分の結婚相手になるかもしれない人を引き合わせるためだから、と言って、久しぶりの里帰りを果たしたのだ。
しかし、何が原因かヒサメ家訪問フラグが立ったものの、俺はまだ、ヒサメに家に来てほしいとも何とも言われていない。
この状況でヒサメは家に戻るだろうか。
ヒサメの居場所もイベントの一部と考えるならきちんと戻ってくれている気もするし、そこはイレギュラーの範囲内と考えるとまだ別の場所にいるような気もする。
もしまだヒサメが自分の家に行っていないとしたらどうだろう。
俺がイベントを正常に開始させ、このイベント停止状態を改善するためには、まずヒサメを発見し、俺と一緒に道場に行くように説得しなければならないことになる。
(いやいや、無理だろ!)
どこにいるかも分からないヒサメをノーヒントで発見して、あんなセクハラをして泣かせてしまったヒサメを説得して一緒に家に行くことを納得させなきゃいけないとか、無理ゲーすぎる。
状況が悪化しているにもほどがあるだろう。
(この前、素直に道場に行っていれば……)
なんて後悔さえにじんでくるが、これはもう仕方がない。
あの後で買い物なんかを済ませられたのは、決闘をダシに時間を引き延ばしたから。
それはそれで、無駄ではなかったと信じたい。
「とにかく、だ」
まずは、ヒサメの居場所を探らなくてはいけない。
俺は悲壮な覚悟でもって、『ヒサメの家の情報』ばかりが飛び交う街に向き直った。
しかし、残念ながらヒサメの居場所を見つけるようなアイテムやスキルは持っていないし、街の人は何を訊いてもヒサメの家のことしか言わない。
ヒサメの家関連のイベントなんだからヒサメのことも話してくれてもいいようなものだが、そんな臨機応変さはないようだった。強力催眠謎幻水
俺が訊いたら全部『ヒサメの家の情報』になってしまうだけで、リンゴに訊いてもらえば問題はないということに気付いたのはだいぶ時間が過ぎてからだ。
リンゴが話を聞き始めると、さっきまでの難航っぷりが嘘のように情報が集まった。
朝、ヒサメが物凄い勢いで門の外に走っていくのを見た人間が何人もいた。
あまりの速さにほとんどの人が目で追えなかったらしいが、それが逆にその正体を皆に知らしめていた。
「こっちの方、だよな」
情報にあった方向には、いくつかのフィールドがある。
だが、その中で俺は、彼女はレグス湖に行ったに違いないという予想をした。
だって、レグス湖には切り立った岬がある。
追い詰められた人間は誰だって、崖を目指すに決まっているのだ。
「まさか、本当にいるとは……」
遠目にだが、岬の突端に人が立っているのが見えた。
服装からして、おそらくヒサメだろう。
嘘から出た真、という奴か。
意外にも適当に言った言葉が当たってくれたようだ。
ヒサメは高所恐怖症だったはずだが、それだけ追い詰められているということだろうか。
「じゃあ、行くか」
俺はそう言って、前に立って歩こうとしたのだが、
「…いかない」
リンゴが、後については来なかった。
「お、おい。あのな。今は……」
まだあの時の不機嫌が続いているのかと思って俺は文句を言いかけたが、リンゴは首を振った。
「…たぶん、ひとりのほうが、いい」
その顔を見て、俺は身勝手な想像をしていた自分を恥じた。
リンゴは複雑そうな顔をして、こっちを見ていた。
「だけど、一人の方がいいってどういう……」
「…わたしなら、そのほうがうれしい」
嬉しい、というのはどういう意味なのかよく分からなかったが、リンゴにはそれ以上話すつもりはないようだった。
「……分かった。行ってくるよ」
リンゴが意外に頑固だということは俺も知っている。
それに、俺の身を案じて片時も俺の傍を離れようとしなかったリンゴがそう言うのなら、その必要があることなのだろう。
俺は一人で岬へと歩を進めることにした。
ヒサメは、岬の一番先端に立っていた。
風が吹きすさび、彼女の髪を揺らす。
その風に押されて今にもヒサメが落ちてしまいそうに見えて、俺の胸をざわつかせた。
「多分、初めてですね。
呼んでもいないのに、貴方が自分から来てくれたのは」
やはり、気配で俺を察知していたらしい。
後ろを向く気配もないままに、ヒサメは俺にそう声をかけた。
「そう言われれば、そうかもしれないな。
今日も、やっぱり待たせたか?」
ヒサメはやんわりと首を振った。
「いいえ。
本当は、私が貴方を呼びに行くつもりでした。
貴方の方から来てくれるとは思わなかった」
嬉しい偶然です、と言いながら、ヒサメは振り向いた。
あの時はあんなに濡れて透けていた服ももう乾いていて、振り向いたその顔はいつも通りに整ってはいたが、猫耳にはどこか疲れと怯えと水気が残っているように見えた。
それを見てしまっては、いくら俺でも罪悪感に襲われる。
「その、この前は……」
すまなかった、と言う前に、ヒサメが問いかけた。
「見た……のですよね?」
ぐっと詰まる。
濡れた服を通して見えた、彼女の裸身が脳裏に浮かび上がる。
「お、俺は……」
「構いません。その反応だけで、充分です」
何かを言おうと口にしたが、ヒサメは哀しげにも見える仕種でそれを遮った。
「本当は、気付いていました。
貴方の視線がどこを捉えていたか、私にははっきり見えましたから」
「う、ぐ……悪かった」
そう言われると、弁解の余地はない。
俺はそんなにエロい目をしていただろうか。
していなかった、と言い切れない所がちょっと悲しい。
ヒサメは俺の謝罪に、いえ、と短く答えてから、おもむろに話し出す。
「ですが、あんな姿を見られてしまったとなれば、私も父上に報告しない訳にはいきません。
道場に呼ぶのはなかった事にすると約束した手前、申し訳ないですが、貴方にも同行してもらいます。
もちろん道場を継げだとか、門下生と戦え等という無体な要求はしません。
あくまで客人として、お招き致します」
「…ああ」
彼女にとっては、約束したこととこれは目的が違うから別件、という認識なのかもしれない。
あるいは約束を守る以上に、今回の一件を重く見ているのか。
俺は冷静にうなずきながら、内心で叫ぶ。
(やっぱり肌見せ即結婚ルートだったか!!)
ヒサメの家は古風な家柄だ。
それも、別に古風な家の事情とかを知らない『猫耳猫』スタッフが適当な知識と偏見だけで作り上げたような古風な家柄だ。
肌見せ結婚ルールなんてのはゲームでは表に出てきていない設定だったとは思うが、裏でそんな設定が作られていたとしても全くおかしくはない。
しかしそう考えるとこの世界、異様な再現度である。
ゲームでは実装されてなかった部分まで完全再現とか、ゲームに忠実なんだか忠実じゃないんだか分からない。
どんだけいい仕事をするんだという話だ。
「……やはり、私と一緒にいるのは嫌ですか?」
しかし、自分の考えに沈んでいる間の沈黙をどう取ったのか、突然ヒサメがぼそっとそんなことをつぶやき始めた。VIVID
「え? いや、別に……」
条件反射で否定の言葉を口にするものの、それは逆効果だったようだ。
「いいんです。
あんな物を見せてしまったのですからね。
その反応も、分かります」
「いや、だから……」
俺が精一杯に抗弁しても、響かない。
自嘲気味の笑みを浮かべて、
「気持ち悪いと、思ったのでしょう?」
なんてことを言う。
全く意味が分からない。
もしかして、自分の身体がコンプレックスとかいう隠れ設定があったのだろうか。
しかし、それは全くもって杞憂というか、贅沢な悩みというものだ。
ヒサメがコンプレックスを持たなければならないとしたら、イーナなんて……というのは流石に冗談だが、少なくともヒサメが自分の身体を恥じることはないだろう。
「いや、俺は、綺麗だと思ったよ」
だから俺は、漫画の主人公みたいなことを真顔で言った。
言い切った。
セクハラで相手の裸覗いといてそれを褒めるとか、ぶっちゃけ正気の沙汰じゃないと思うが、とにかくそう言い切った。
「嘘です! そんなの……」
しかし、ヒサメはそれに動揺を見せた。
本当にコンプレックスだったんだろうか。
とにかくここが攻め時と言葉を重ねた。
「いや、今まで見たどんな物より、綺麗だと思った。
ヒサメは、その、生まれたままの自然な姿の方が、魅力的だよ」
しかし、そこはぼっちの悲しさ。
何か褒め慣れていないために気付けば凄いことを口走っていた。
適当に思いついた褒め言葉をただ口にしただけなのだが、これって冷静に考えると、
『君のスケスケ姿は俺の人生ナンバーワンの光景だったよ!
君はやっぱ、裸でいるのが一番いいんじゃないかな?』
こんな感じになる。
紛うことなき、変態発言である。
「……ほ、本当、ですか?」
しかし、俺の発言の何が琴線に触れたのか、ヒサメが照れまくっていた。
謎の好感触!
俺は一気にたたみかけた。
「あ、ああ、もちろん!
もう一回見たいくらいだ!」
俺の口の暴走が止まらない。
これはもう、
『もう一回裸見せて!!』
としか解釈出来ない。
変態っていうか、ただの欲望に忠実な人である。
「……分かりました」
が、ヒサメさんがなぜか分かってしまった!!
「え、いや、ちょっと、今のは……」
動揺する俺に構わず、
「目を、瞑っていて下さい」
なんて言いながら服に手をかけられては、俺は目をつぶるしかない。
真っ暗になった視界で、俺は混乱の極みにあった。
(待て待て待て! これは何がどうなってるんだ?)
衣擦れの音が聞こえる。
本当に服を脱いでいるらしい。
まさか本気で、俺にもう一度裸を見せるつもりなのだろうか。
というか、前回は服越しで本当の裸を見た訳ではないし、これが初めての……。
(いや、違う! そういうことじゃなくて……)
もしかして、俺の知らない『ヒサメ結婚イベント』辺りが前倒しで開始されているのか?
いや、肌を見せたら結婚ルールがあるなら、イベントに関係なくこんな流れになるのはむしろ自然なことなのか?
分からない。
訳が分からない。
分からないが今俺は、何か重大な勘違いをしているような気がした。
「……いいですよ」
が、そんなヒサメの声が時間切れを告げる。
俺がおそるおそる目を開けると、
「――ッ!?」
さっきまで着ていた服を両手に抱えたヒサメが、顔を赤くしてそこに立っていた。
大事な部分は手にした服で隠れているが、肩などは完全に剥き出しになっている。
これは、これは、本気なのだろうか。
俺が言葉を失っていると、羞恥に震えながら、ヒサメが口を開いた。
「そ、その……あの時は、腰の辺りに纏わりつかせていて、よく、見えなかったでしょうから……」
いや、そりゃあ確かに、下の方の一番肝心な場所を見る前にヒサメはうずくまったけれども、あんな風に凝視出来たのは多分に勢いがあったせいであって、今の俺にそんな度胸は……。
などと逡巡している暇もなかった。
俺の葛藤を他所に、ヒサメが動く。
「あ、貴方に、私の誰にも見せた事のない所を見せてあげますね」
そうして『それ』は俺の前に姿を見せた。
その瞬間、俺は全ての思考がどこかに飛ばされたのを感じた。
「……きれい、だ」
口が、唯一正しいその言葉をつぶやく。
俺の前に剥き出しで晒された『それ』は、あらゆる芸術すら霞ませる、最高の美だった。
神が作ったと言われても信じてしまうような、完璧という言葉が不足に思えるほど優美なシルエット。蔵八宝
見ているだけで分かる、絶妙のしなやかさと肌触りを感じさせる、極上の質感。
どこか艶めかしさすら感じさせる、風に揺れる柳の木のような、幽玄かつ精妙なその動き。
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