車内に籠もった空気を入れ換えるように、
運転中の航はパワーウィンドウスイッチを片手で押した。
少し冷たさのある夜風が、五センチほど空いた窓の隙間から滑り込み、
佳乃の頬に当たる。韓国痩身1号
泣き腫らし、火照りの残る顔には、その冷たさが心地よかった。
助手席のシートに深く凭れ掛かった佳乃は、窓の外で流れていく夜の景色に
ぼんやりとした視線を向ける。
土曜日の夜らしく、家族連れやカップルの楽しげな姿が多く見える中で
光るネオンや車のテールライトに、眩しそうに目を細める。
風に当たり続けていると、濡れたままの服が冷やされてしまい、
身震いしそうになるが、それでもこの夜風に当たっていたかった。
ふと隣の運転席へと視線を移すと、航もまた、濡れたままの姿で
運転しているのが目に入る。
池の中で散々泣きじゃくった後、佳乃は航の手によって池から引き摺り上げられた。
お互いの手持ちのタオルでとりあえずの水分は取り除くことはできたものの、
二人とも着替えは持っておらず、結局濡れたままで帰る羽目になったのだ。
あの池の中で佳乃が泣き続けていた間、
航はずっと黙ったままで抱き締めてくれていた。
それは、どれぐらいの間だったのかは分からない。
もしかしたら数分のことだったかも知れないし、一時間以上経っていた可能性もある。
それでも航は何も言うことなく、ただ佳乃を胸の中に包み続けていたのだ。
航は車でパークタウンにやって来ていたこともあり、
こうして佳乃を送ってくれることになったのだが、
車の中でも彼は何も話そうとはしなかった。
今、黙々と運転をしている彼の横顔からも、何の感情も読み取ることはできない。
そして佳乃も、何も語る言葉は持っていなかった。
それでも分かるのは、池で抱き締め続けていてくれたことも、
何も話そうとしないのも、佳乃の心を落ち着かせようとする
航の優しさなのだ、ということだ。
彼はいつだって優しかったではないか、と佳乃はこれまで忘れていた、
優しさに対する感受性が蘇ったかのように再確認する。
彼が優しさを目の前で示しても、それを佳乃自身が受け入れるのを
拒否していただけなのだ。
彼の婚約者の存在や、社長である父親の跡を継ぐという彼の責務を
言い訳にはしてきたが、実のところ、
佳乃の心が彼という存在を無理矢理に拒否して続けていただけに過ぎない。
そんな航に対して、優しさには優しさを、
愛情には愛情を返すのが一番良いと知りながら、
その一歩を踏み出すことは、佳乃にとっては勇気の要ることだった。
本当の子ではない自分を育てた父、
そして愛情を持っていなかった自分の代わりに死んだ浩司。
その二人の、己が愛する相手のために殉じるかのような行為に、
佳乃はずっと罪悪感を抱えてきたからだ。
それは航の言うところの、恋愛というゲームの敗北者の成せる業なのだろうか?
より多く好きになってしまった方が負けで、
負けた人間は相手に全てを捧げなくてはいけない、というルールが
そのゲームに存在するならば、佳乃は勝つのも、負けるのも嫌だった。
相手に全てを捧げられたとしても、自分がそれほどの価値のある人間とは思えないし、
そんな価値のない自分が全てを捧げたところで、
相手に何か喜ばしいことが発生するとも思えなかった。
それでも、今ならそんな考えや理屈を抜きにして、
彼に縋れるのかも知れない、と思っていた。
いや違う、私は彼に縋りたいのだ、と髪を風に煽られながら、
佳乃ははっきりと実感する。
池の中でずっと抱き締められていた、あの心地よさは、
身体だけで感じられるものではなかった。
それは佳乃の空っぽだった心をも癒し、温かなもので満たしてくれたのだ。
あの穏やかな温もりをもう一度味わえるなら、と佳乃は航の横顔を見つめ続けていた。
カーナビから杉並区内に入ったことを知らせるアナウンスが流れ、
それに従って航はハンドルを回し、大きな交差点を曲がっていく。
そして通り沿いに進み、佳乃の住むアパートへと車を走らせていった。
アパートの前に車が辿り着くと、航は車を停止させてサイドブレーキを引く。
佳乃はゆっくりと身体を上げて後ろの座席へと手を伸ばし、
そこに置いてあったリュックサックを取り上げ、ドアのロックを外した。
「ありがとうございました」
佳乃は頭を下げるが、航は何も反応せず、
フロントグラスの先を見つめるように正面を向いたままだった。
佳乃はドアを開けて車を降り、もう一度「ありがとうござました」と一礼する。
すると航はやっとこちらを振り向き、「佳乃さん」と声を掛けた。
だが、言葉はそれ以上続かず、航は佳乃を見たままで、
こみあげる感情を必死で堪えるような顔をしている。
佳乃は抱えたリュックサックを強く胸に押しつけながらドアを閉めようとしたが、
心の中にある一つの想いを、このままにしておいていいものか、とも思っていた。
そして航も、そんな佳乃の思いに何となく気づいているのではないか、と。
それでも佳乃は、その想いを振り切るようにドアに掛けた手を押し動かした。
しかし、手からは自然と力が失せていく。
宙ぶらりんな佳乃の心を表すかのように、半開きになったドアを見つめながら、
佳乃は思い切ったように口を引き締め、
手に力を込めて再びドアを開いて車の中を覗き込む。
「樋口さん」
その声に、サイドブレーキのレバーを握っていた航が振り向くと、
佳乃は「あの」と戸惑いがちに声を出す。
「このアパートの裏に、コインパーキングがあるんです」
「え?」
航は何を言われたのか理解できず、素っ頓狂な声を出すと、
佳乃はもじもじしながら言葉を続けた。
「そこに車を停めて、よかったら私の部屋に寄っていきませんか?
乾燥できる洗濯機があるから、服も洗って乾かして帰れるし」
「佳乃さん」
佳乃の言葉を途切るように航は大きな声を上げると、
航は首を曲げて車の中から顔を覗かせ、佳乃を凝視した。
「それってどう言う意味か、分かってて言ってるの?」
その言葉に、佳乃は思わず身体をびく、と震わせる。
何も答えることができず、リュックサックを抱える腕に力を込めて、
伏せた目で何度も瞬きをした。
怯えが見える佳乃の様子を眺めながら、航は厳しい表情のままでため息をついた。
「俺は佳乃さんを好きなんだよ?
そんな男を自分の部屋に入れるって、
どういうことか分かってるかって聞いてんの、俺は!」
ハンドルを平手で叩きつけて、苛立つような言葉を荒っぽく口にすると、
航は佳乃を上目遣いで見つめる。
いつもの穏和な航とは異なる様子に、佳乃は少々恐ろしさを覚えながらも、
こくんと頷いた。
「分かってます」
小さな声で返事をして、次第に頬を赤らめていく佳乃の顔を、
見てはいけないものを見たような気がして、航は思わず目を背ける。
そして「ドア、閉めて」と早口で言った。
佳乃が「え?」と顔を上げると、航は「ドア、閉めてよ、早く」と
正面を向いたままで、サイドブレーキを下げた。
「裏のパーキングに、車置いてくるから」
佳乃はほっとしたように少し硬い微笑みを浮かべ、ドアを閉めると、
車はゆっくりと動き出していった。新一粒神
ドア一枚隔てたところにある、洗濯機の回る音が微かに聞こえていたものの、
シャワーの音で全て打ち消されていく。
そして前に立ちはだかった航に壁に押しつけられ、
唇をこじ開けられるキスをされてしまえば、
この世の全ての音も景色も消え去っていく。
今、佳乃の前に存在しているのは、航だけだ。
その航が自分に愛しげな視線を向け、身体に触れてくれるだけで、
この世にあるもの全ての代わりになる。
そう思いながら、佳乃は航の乱暴なキスにのめり込み、
必死で航の舌に自分の舌を絡ませていく。
躊躇うことなく航の首に手を回し、時折苦しげに息を漏らしながらも、
航が佳乃の舌を吸い上げる度に、目を潤ませて身体を跳ね上げた。
「すごいな。何もしていないのに、もうぐちょぐちょだ」
佳乃の股間に滑り込ませた指で秘部を触りながら、航は真剣な表情で言う。
いつものようなからかいの色が見られないその言葉に、
佳乃は仄かな恥ずかしさを感じながらも、
そんな自分の欲情の証拠を隠す気にはならなかった。
これが今の自分の、航に対する気持ちを表しているとしか思えなかったからだ。
止めどなく愛液を垂れ流す襞の入口を、
焦らすようにそっと撫でる航の指の動きがもどかしく、
すぐにでも身体を繋げて、ずっと抱き締めてほしいとひたすら願っていた。
航と共にアパートの部屋へと帰ってきた佳乃は、
部屋のドアを閉めたと同時に、航とキスをした。
航の強い力に縛られるように、ドアに押し付けられて長いキスを続け、
それが終わると二人で雪崩れ込むようにサニタリーへと向かい、
脱いだ服を全て洗濯機の中に放り投げ、バスルームへと滑り込んだのだ。
そして二人でシャワーを浴びながらも、佳乃の皮膚の奥には、
池の中で航に抱き締められていた時の安心感と心地よさが、
洗い流されることなく、はっきりと残っている。
それがもっと欲しくて、佳乃は赤子のように航に手を伸ばし、抱いて、とせがむ。
逆上せたように顔を赤らめて瞳を滲ませた
いつもの冷たさの欠片もない幼い表情の佳乃を、
航は優しく目を細めて見つめると、彼女の肩に顎を乗せるようにして抱き締めた。
直接触れる航のしなやかな肌の感触が愛おしくて、
佳乃は航の背中に回した腕に力を込め、隙間もないほどに身体を密着させていく。
そんな佳乃の情熱に答えるように、航は数え切れないほどのキスを
佳乃の首筋に落とした。
熱い唇の感触はシャワーの水滴と混じり合い、佳乃の肌を刺激して、
湿った吐息を佳乃の口から吐き出させる。
ずっと待ち焦がれていた航の強い抱擁を、このまま味わい続けていたいと
佳乃は思っていたが、意地悪にも航の腕は佳乃から離れてしまう。
そして彼女の胸や股間へと伸ばされ、そこにある敏感な部分を強く刺激していった。
胸の先端と秘部にある突起を同時に弄られれば、佳乃は
腰を崩しそうになるほどに快感で震え、甘えたように「やぁん」と声を上げる。
その声の聞きたさだけで、航は何度も同じような愛撫を繰り返すと、
あっ、あん、と短い嬌声を、佳乃は絶えず喉を弾ませるように繰り出していく。
これまでの航との行為では、あまり喘ぎ声を出すことのなかった
佳乃の無垢な悦びの声に、航は嬉しさを感じて、
より大きな声を聞こうと、必死で佳乃の秘部を弄った。
股間の敏感な突起を指先で弾くと、
激しい快感を表すように何度も身体を張り詰めさせていく。
そして高い声を上げる彼女の襞の入口へと指を忍び込ませると、
内襞の動きと共に腰をくねらせ、譫言のように、
やぁ、だめ、あぁん、と叫び、涙を溜めた瞳で甘えるように航を見つめていた。
そんな航の指には、佳乃の快感を示す粘液が滴るほどに絡み付き、
彼女の太股に幾筋にもなって垂れ始めていた。
それにも佳乃は恥ずかしさを感じず、より自分の淫らさを引き出そうと、
航の指の、次なる動きを待ちかまえているかのようだった。
航はそんな佳乃の姿にいつも以上に心を擽られながらしゃがみ込み、
背中にシャワーの滴を浴びながら、佳乃の黒い茂みに唇を付けた。
そして佳乃の片足を持ち上げ、首を捻って、
太股にある愛液の流れた跡に舌を這わせる。
秘部を直接刺激している訳でもないのに、佳乃は顎を上げて苦しげに何度も喘ぎ、
ビクビクと身体を震わせた。
そして更に愛液の量を増やし、航を誘うような匂いを漂わせ始める。
お互いの火照った身体を冷ますべく、浴室を出て、
航に抱き抱えられてベッドに連れていかれると、
佳乃は寝そべったまま、航に行為の続きを求めるように腰を擦りつける。
その官能的な動きに、航も我慢ができず、仰向けになった佳乃の脚を開かせ、
急ぐように中へと昂りを挿入した。
襞の入口に減り込んできた硬い感触に、佳乃は、ぶる、と身体を震わせ、
もっと奥まで入れてほしくて、腰を動かす。
その動きに、航は嬉しそうに、ニヤ、と笑い、
焦らすように挿入のスピードを落としていく。
佳乃は何度も首を振り、早く早く、と急くように航の身体に手を伸ばした。
だが航は、挿入を半ばで止め、顔を上げて佳乃に微笑む。
意地悪そうなその顔に、佳乃は急にこみ上げてきた涙を抑えきれず、首を振った。
「ちゃんと、して」
「何が?」
航の問い掛けに、佳乃は子供のような口調で答える。
「奥まで、ちゃんと、ちょうだい」
その言葉を聞いた瞬間、昂りが一層張り詰めていくのを感じながらも、
航は佳乃の中から一旦昂りを引き抜いた。
名残惜しそうに食らいつく内襞の抵抗を感じながら昂りを引き擦り出すと、
航はベッドの上に膝を立てて座る。
恨めしそうな顔を見せる佳乃の視線にも航は悦びを感じながら、
横たわったままの佳乃の腕を持ち、上体を起こさせた。
「欲しいなら、自分で入れてみてよ」
そう言いながら佳乃を膝立ちにさせて招き、自分の股間の上を跨がせた。
熱り立つ航の昂りを目の前にして、佳乃は一瞬戸惑ったものの、
覚悟を決めたように航の昂りをそっと手で押さえ、自分の中へと誘うように
ゆっくりと腰を落としていく。
溢れる愛液で何度か滑りながらも、佳乃の入口へと昂りの先端が入ると、
後は簡単で、何の抵抗もなく佳乃の中へと埋め込まれていく。
佳乃の最奥にまで昂りが到達すると、佳乃は、はぁ、と熱い吐息を吐き出した。
自分の中を埋め尽くす彼の硬いものの感触を感じ、
悦ぶかのように包み込む佳乃の内襞が蠢く。
そこから痺れに似た快感が伝わって、
佳乃は全身の皮膚がぴくぴくと動くのを感じていた。
そんな昂りの圧迫感だけで恍惚の表情を浮かべる佳乃に、
航はいたずらっぽく笑いながら、腰を一回、強く上へと突き上げた。
これまで感じたことのない深い突き上げに、佳乃の身体が大げさなほどに揺れ、
佳乃はしがみつくように航の首に腕を巻き付ける。
それでも更なる快感を求めるように、ああん、やぁ、と声を上げながら、
無意識で腰を上下させる姿は、いつもの佳乃からは考えられないほど淫らに見えた。
ベッドサイドにあるスタンドが照らす薄暗い部屋で、
白い佳乃の曲線的な身体が浮かび上がり、
それが航の昂りの刺激を欲して揺らめいている。
そんな艶めかしい姿に刺激され、欲望を吐き出しそうになるものの、
航は歯を食い縛って何とか堪えた。
そして彼女の身体をもっと味わうかのように、
目の前に突き出された佳乃の胸の先端を口で啄む。
既に硬く凝り、真っ赤に染まったそこを優しく舐め、
唇で吸い上げ、時には優しく歯を立てると、佳乃は耐えきれなくなり、
航を押し倒すように体重をかけてくる。
それに耐えるべく、航は佳乃を抱き締めていた手を、佳乃のヒップへと動かした。
そして柔らかな肉に指を食い込ませて押さえつけると、
下から何度も突き上げた。
すると、佳乃の中が昂りの動きと一緒になって生き物のように蠢き、
口からは甘ったるい声が溢れさせていく。
「んぁ、やぁ、ん」
それと共に、彼女の動きに合わせて、二人の繋がった部分からは、
ぐちゅん、といやらしい音が響いてきた。蔵八宝
佳乃の奥へと強く叩きつけるようにストロークを長くして、
航は勢いよく昂りを突きつける。
佳乃は胸を突き出すように弓なりに仰け反り、その反動で再び強く航に凭れ掛かる。
航はその勢いを借りて、そのまま後ろへと倒れ、ベッドに寝そべると、
繋がったままの佳乃を上に乗せて、更に突き上げた。
佳乃は航の腹に手を突き、自分の感じる部分を探すように、
滑らかに腰を動かし、航を熱っぽい目で見つめていた。
そして内襞で航の昂りをきつく締め上げたかと思うと、
急に力を無くしたように佳乃は身体を倒し、航に覆い被さった。
重なった身体を括り付けるように、佳乃は航の身体とベッドの隙間から
手を入れ、航を抱き締めた。
そして小さな声で「お願い」と呟く。
「お願い、抱き締めて」
その言葉に応じて、航は佳乃の背中に手を回した。
掌を汗で濡れた肌の上に滑らせ、宥めるように佳乃の背中を撫でる。
航の胸元に佳乃の顔があり、彼女の深く焼けるような吐息がそこにかかると、
胸の奥まで焦がされてしまいそうだった。
その吐息の合間に、佳乃は再び小さな囁きを口にする。
「ずっとずっと、抱き締めていて」
その佳乃の願いに、航は悲しげな微笑みを浮かべながら、
彼女の背中に回した腕に力を込める。
するとお互いの湿った肌が張り付き、境目がなくなりそうになるのを感じてしまう。
そんな二人の身体が一つになるかのような幻想の中で、航は「佳乃さん」と、
佳乃の汗の匂いを感じながら呟いた。
「佳乃さんは、俺を好きになった?」
いつも通りのふざけるような口調の航に、佳乃は何故か
安心したような気持ちになり、顔を上げる。
しかしそこにあったのは、言葉とは裏腹な、これまで見たこともないような
航の悲しそうな顔だった。
今日、池で見た表情よりも、もっと深い悲しみを湛えた航の表情に、
佳乃はまた、幼い頃に見た父の顔を重ね合わせていく。
「俺は佳乃さんが好きだよ、ずっと」
航が口にした言葉は、とても情熱的で、嬉しいものであるにもかかわらず、
そんな悲しげな表情で言われては、佳乃はそれを素直に受け取ることができなかった。
自分が口にした「ずっと」という言葉と、航の言う「ずっと」が、
どちらも本当の意味としては
二人の間には存在しないような気がしていたからだ。
「ずっと」とは、いつまでのことなのか、
そしてその「ずっと」が果たされることがあるのか。
佳乃はそう考えていたが、彼の悲痛な顔を見つめていると、
これ以上彼の悲しみを深めることはしたくはない、とその考えを振り払う。
だが、こうして彼の優しい抱擁の中に居ることで、
佳乃は一つの想いに辿り着きそうだった。
幼い頃に池に落ちてしまい、それを助けてくれた父が見せた、
あの悲しげな表情は何だったのか、とずっと思い続けていた。
自分の子ではないと知っていたからこそ見せた顔ではないか、と
ずっと思い続けていたが、きっと違う。
こうして彼の胸の上で、彼の鼓動を聞いている今ならば、
あの表情の意味が分かるような気がするのだ。
航が言ってくれた言葉と、今の表情を心に沁みこませるように
彼の胸に顔を当てて、佳乃は話し出した。
「私ね、分かったことがあるの」
「何が?」
航が尋ねると、佳乃はて恥ずかしそうに笑う。
「昔、私が小さい頃に見た父の顔が、今日のあなたの顔にそっくりだった」
「それって、どういうこと?」
眉を顰めて訊く航に、佳乃は照れ笑いをしながら「内緒」と呟く。
「何だよ、教えてよ」
「いや」
航の胸に顔を擦り付けるようにして首を振ると、佳乃は目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶ、父のあの時の表情も、航の今日の顔も、
どちらも悲しげに見えたのは、
本物の「悲しさ」が生んだものではないだろう。
父は父で、あの時の佳乃を「自分の子ではない可哀想な子」といった
感情で見ていた訳ではないだろう。
航だって、単なる悲壮感から、佳乃にこんな悲しい顔を向けている訳ではない。
彼の言葉や態度からは、ちゃんと佳乃に対する愛情が感じられる。
父だって、父親としての愛情を、絶えず佳乃に惜しみなく向けてくれているではないか。
きっとこんな愛しさから生まれる、悲しみもあるのだ。
それは佳乃の行く末を案じるような、深い慈悲のような愛情だ。
それさえ分かれば、十分だった。
それさえ分かれば、自分も、そんな航の愛情に応えることができるだろう、と。
その後、佳乃は繋がったままの航から再び昂りで突き上げられ、
絶頂を迎えたのかも分からない混沌の中で、航とひたすら繋がっていた。
そして知らぬ間に航の胸の中で眠りについてしまうと、佳乃は不思議な夢を見た。
夢の中で、佳乃があの「最後の森」を、一人で歩いているのだ。
薄暗い「森」の奥には、あの池が見える。
そこを目指して足を進めていくと、その畔に人影が見えた。
誰か居るのか、と佳乃は目を凝らしながら池へと近づいていく。
ぼんやりとしていた姿がはっきりと目の前に現れると、それが浩司であると分かった。
ずっと会いたいと願っていた、夢の中での浩司の姿に佳乃は驚き、
思わず歩みを止めて立ち竦んでいると、浩司は生前のままのにこやかな顔で、
ゆっくりと佳乃へと歩み寄って来る。
浩司が佳乃の前で立ち止まると、佳乃は一歩足を進め、
ずっと言いたかった謝罪の言葉を口にしようとした。
しかし、浩司はこちらの心を読むかのように、それは不要、と
言わんばかりに首を振る。
そして一言、「よかったね」と呟いた。
その優しげな言葉が響いた瞬間、VIVID
指輪を填めた佳乃の右手の薬指の辺りが、突然軽くなる。
指だけでなく全身までも、重力を無くしたかのように
ふわりと浮いていきそうになった。
そんな佳乃を見て、浩司は心から嬉しそうに笑う。
「君が人を愛することができるようになって、本当によかった」
佳乃は何とか浩司に笑い返そうとしたが、上手くいかず、
戸惑いながら顔を俯けていると、「顔を上げて」と優しく浩司が言う。
それに応えて佳乃が顔を上げると、浩司は嬉しそうににっこりと笑った。
「君もいつか分かる日が来るよ、僕の気持ちが」
そう言い終えると、浩司はこちらに背を向け、森の奥へとゆっくりと足を進めていく。
佳乃は彼を追い掛けようと、前のめりになりながら駆け出した。
「浩司さん!」
声を上げるが、浩司は振り返らない。
浩司の歩みは遅いはずなのに、どんなに佳乃が必死で走っても追いつく気配がない。
どこまでも続く「森」の中を走り続けたが、
佳乃は脚の疲れを感じてとうとう立ち止まり、息を切らしながら前を見る。
次第に離れ、小さくなる浩司の後ろ姿に向かって、佳乃は声を振り絞った。
「浩司さん!」
それでも彼は振り返らず、真っ直ぐに木々の中を進んでいく。
佳乃はもう一度、大きな声で叫んだ。
「ごめんなさい!」
浩司がこちらを向いてはくれないことを知りながら、佳乃は叫び続けた。
「ありがとう!」
その言葉が森の中に響いた瞬間、浩司の姿は消えていった。
アパートの二階にある佳乃の部屋に灯る、ベッドサイドのスタンドの明かりが、
カーテンを通して、窓ガラス越しに外からでもよく見える。
その窓が一番見えやすい場所に停められた黒塗りの車の中で、
携帯電話の着信音が鳴り響く。
ダッシュボードの上に置いてあった携帯電話を、小島は手に取り、
液晶画面を確認した。
電話の主は、病院の医師だった。
娘の病気が治らず、入退院を繰り返していた頃は、病院からの電話に
何事か起こったのと逐一怯えていたものだったが、
またもやこんな心境に陥る日が来るとは。
小島は受話ボタンを押し、医師から簡単な状況説明を聞くと、素早く電話を切った。
そして携帯電話を元の位置に戻すと、疲れたように運転席のシートに凭れ掛かる。
どうしても今日は一人で行動したい、という航の運転する車を
パークタウンから尾行して、
佳乃のアパートに辿り着き、五時間ほどが経とうとしている。
このまま朝まで彼女の部屋から航が出て来ないようであれば、
航は彼女に本気で溺れていると思っていいだろう。
そうなれば、早めに手を打たなければいけない。
先ほどの医師から聞いた状況を頭で整理し、繰り返しながら、
小島は必死で自分に言い聞かせる。
残された時間は、あと僅かなのだ、と。強力催眠謎幻水
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