それしきのことで中止になるほど、グランフェリアの新年祭はちゃちなものではない。
たとえ悲鳴を聞いたところで、民衆はすぐにも何事もなかったかのように笑い始める。たとえ怪物を目にしたところで、いい余興になったとかえって喜ぶだろう。
十万都市グランフェリア。いつも何かが起きるこの街では、怪物騒ぎなど大した問題にもならなかった。D10 媚薬
催情剤
「バーゲン、バーゲン~♪」
「新春バーゲン♪」
住人に加え、多くの観光客でにぎわっている中級区を三人の少女が歩いていた。
意匠の似た服、蜂蜜色の髪をしている彼女らは、胸に大きな紙袋を抱えたまま、鼻歌を歌いながら大通りを西へと進む。
「グランフェリアの新春バーゲンは噂以上でしたね。ほら、新しい映像水晶がこんなに!」
「こっちはブランドものよ。ふふふ、あー、王都ってやっぱりいいわー!」
「お菓子、お菓子~♪」
ブランドのロゴが入った紙袋に頬ずりをしているのは、長女のフェア。
理知的な顔を珍しくほころばせ、喜びのあまり眼鏡がズレているのは、次女のピーク。
そして、買い漁った焼き菓子の匂いにとろけた顔をしているのが、三女のニースだ。
グランフェリアに住みついた妖精三姉妹は、すっかり人間としての姿も馴染み、今日も町娘に混じって商店街のバーゲンに出かけていた。
「大収穫だったわね!」
「ええ。早く帰ってこれらを上映しましょう」
「あ、あたし、お茶いれるね~」
きゃぴきゃぴと黄色い声を上げて、妖精三姉妹は西の住宅街へと進んでいった。
背の高いアパルトメントが立ち並ぶ通りを行き、住宅街の中央近くまで来た彼女らは、迷うことなく一つの建物に入っていく。
築何十年も経たおんぼろアパルトメント。今にも倒壊しそうなくせに、家賃だけはいい値がする下宿に入り、ぎしぎしと音を立てる階段を上る妖精三姉妹。
やがて最上階、屋根裏部屋へとたどり着いた彼女らは、鍵をしっかりとかけて、物置へ続く扉に手をかけた。
すると――。
「あー、帰ってきた、帰ってきた」
「馬車に乗ればよかったね~」
「冗談を。あの人ごみで馬車をつかまえるなど、できることではありませんよ」
薄いピンクの壁紙。真っ白でもこもことした絨毯。あちこちに置かれたカラフルなクッション。グラスに山盛りにされたマカロンと、散らかされた化粧道具。
円形の部屋の壁にはバスルームやベッドルームに続く扉があって、そこには流れる星のペイントなどが施されている。
その広さ、しっかりとした作りは、とてもアパルトメントと同じものとは思えない。それもそのはず、この部屋は妖精三姉妹が魔法で作った空間であり、彼女らの本当の家だった。
「ほら、ニース。お茶いれてきて」
「わかった~」
重たい荷物をどさりと置いて、フェアは倒れるようにクッションにもたれかかった。
ニースはキッチンにお菓子を運んでいって、ピークはいそいそと映像水晶を台座にセットし始める。
妖精三姉妹の優雅な生活――というにはいささか所帯じみているが、これが現在の彼女らの日常だった。
「ふむ、案の定だらけているな」
「はいはい、そーね、よかったわね……わー! 見て、ピーク! このマフラーの色!」
「冬用にしては明るい。初春用ですか? 気が早いですね」
「いい女は季節を先取りするものよ」
「へえ、そうですか」
戦利品を広げるフェアに生返事をしたピークは、黙々と映像水晶の位置調整を行う。
妹のつれない態度にも慣れているのか、フェアは気にせず次の袋を破り出す。
すると、すぐにもニースが戻ってきて、テーブルの上に茶器を並べ始めて――。
「ひえええ~っ!? お、お、王様ぁっ!?」
「「ええっ!?」」
ようやく部屋のすみに突っ立っている男に気づき、両手を振り上げ、大きな声を上げた。
「久しいな、お前たち。元気にしていたか?」
「よ、妖精、王……様……!」
濃緑のローブをまとい、透明な羽をいくつも背中に生やした壮年の男は、一歩一歩部屋の中央に近づき、ぎろりと妖精三姉妹をにらみつける。
「はは~!」
「これはこれは妖精王様。ご機嫌麗しゅう。本日は何用でございますか?」紅蜘蛛(媚薬催情粉)
条件反射のようにニースが平伏し、ピークは薄ら笑いを浮かべて揉み手をこする。
唯一、フェアだけが大口を開けたまま固まっていたが、妖精王は気にすることなくどっかと椅子に腰を下ろした。
「いつになっても妖精界に戻ってこないと思えば、こんな部屋まで用意して……」
いかにも神経質そうな痩身の男は、わずかにこけた頬に手を当てて妖精三姉妹をねめつける。
「ぃや~……こ、これもね? 社会勉強だと思って……」
「ふん。楽しそうな社会勉強もあったものだな」
「うっ……!」
散らばったブランドバッグ、山盛りのお菓子、今まさに上映されようとしていた映像水晶に目をやり、妖精王はわざとらしくため息を吐いた。
「お前たちも知っているだろうが、妖精とはこの世ならざる生き物だ。界と界の狭間に遊び、夢うつつの中にこそ現れる存在だ。それが一つの世界に定住するなど以ての外だ」
「そういう考え、もう古いって! 現に私たちうまくやってたし、妖精だってバレてないし……」
「何かあってからでは遅いのだ。魔法使いにつかまったらどうする。奴らが外法を用いて、妖精種という存在を創ったことは知っているだろう」
「悪い魔法使い! はっ! そーいうのが古いのよ」
いつもやり込められてばかりで鬱憤が溜まっていたフェアは、ピークやニースの制止も振り切って妖精王に噛みついた。
しかし、妖精王はフェアの不躾な態度に怒ることなく、ただ目を細めてフェアをにらみつけた。
「な、なによ……」
たじろぐフェアに、妖精王は一つの忠告を送る。
「分からんか? いるのだ。この街にはすでに異物が入り込んでいる」
「……え?」
「不穏な気配も感じる。邪悪な意思がグランフェリアをのぞき込んでいる」
「え、え……!?」
いつにない妖精王の厳格な態度に、フェアたちは戸惑った。
不穏な気配? 邪悪な意思? そのようなもの、どこにも感じられなかった――。
妖精三姉妹の表情から、彼女らはまだ『分かっていない』のだと悟った妖精王は、部屋の入り口に手を向けて、魔法の鎖で扉を封じた。
「あ~っ!?」
「ま、街への扉がーっ!!」
愕然とする妖精三姉妹に構うことなく、妖精王は光に包まれ、段々と輪郭をなくしていく。
『いいか、お前たち。しばらくは外に出るな。やつは力に飢えている。そしてこれは『試練』でもある。今、我らがこの街に関わることは許されない……』
「ちょっと! えーっ!? またわけわかんないこと言ってーっ!」
「扉が~っ! と、扉ぁ~っ!」
妖精王は渦巻く緑光に包まれて、妖精郷とへ帰っていく。
『いいか……今はただ、見守るのだ……』
「「「扉ぁーっ!!」」」
そして、妖精王は何の痕跡も残さずに、妖精三姉妹の部屋から去っていった。
「……もー、何なのよ、あの貧弱ガリガリ親父……」
有無を言わさぬ強引さに、フェアはすっかり気分を落ち込ませて、クッションの山へと倒れ込んだ。
「う~……屋台のお菓子も買って来ようと思ってたのに~……」
フェアに覆いかぶさるように、ニースが長姉に続いてぱたりと倒れた。
「……ふむ。邪悪な意思、ですか」
ただ、次女のピークだけが、口に手を当てて何かしら考え込んでいた。
「妖精王が警戒する相手。それはもしかすると……」
ピークは険しい顔をしたまま、部屋の本棚から一冊の本を抜き出した。
次いで、パラパラとページをめくり、本の中ほどでその手を止めた。
「ふむ……」
すぐにも腰を下ろして、その場で本を読みふけりだすピーク。
彼女が持つ本の表紙には、『神』を意味する単語が見て取れた。紅蜘蛛赤くも催情粉
それは――。
それは、考えていた。
自分は何者か。自分は何者か。自分は何者か――。
どうしてここにいて、何のために体を動かして、これからどこへ向かおうとしているのか。
足りない。答えを出すには知性が足りない。
足りない。思考するには力が足りない。
もっと、もっと、もっと、もっと。大きな力が必要だ。偉大なパワーが必要だ。
本能がそれの拙い頭脳にささやきかける。養分だ。成長だ。大きくなるのだ。存在意義を果たすのだ――。
心の奥底がひりつくような衝動によって、今、それは一組の男女に触手を伸ばしていた。
「おのれ、魔物め! 僕らをイースィンド王家の者と知っての狼藉か!」
「お、お兄ちゃん……!」
純白のコートを着た、身なりのよい少年がいた。
その背中に隠れるように、庶民のような少女がいた。
二人は上級区の路地でそれと対峙し、何とかそれを追い払おうと牽制している。
『ア……オオ』
抜き放たれた長剣に意識を向けて、それは歓喜の声を上げた。
――何というエネルギー量か!
神々しいまでに美しい長剣は大いなる力の結晶体であり、その刀身には凝縮されたパワーが感じられた。
あれを、あれを、我が身に取り込むことができたなら――きっと自分は完成する。
『アアアアアァッ!』
生まれて初めて雄たけびを上げて、それは粘液の体を大きく広げた。
少年と少女ごと呑み込むように、投網のように広がったそれは、重力に引かれたまま落ちてくる。
「きゃあああ!」
幸運なことに、少女が少年の足かせとなり、彼らはその場に釘付けになっていた。
このまま――このまま、吸収する。あの剣を、己の糧とするのだ――。
それは輝ける未来に心を弾ませて、そのまま、包み込むように体を縮めていき、
「なめるなっ!!」
『オオ……!?』
水風船が破裂するように、四方八方へと吹き飛ばされた。
びちゃびちゃと音を立てて、壁や石畳に付着する粘液。そのうちの大きな塊に剣を向け、少年は静かに怒りを燃やした。
「僕とエミリーを捕食するつもりか? いい度胸だ。魔物らしい浅ましさだ……だが!!」
怒号をそれへと叩きつけ、少年は――第四王子フォルカは、二つ名の由来である神剣を高らかに天に掲げた。
「イースィンド王家に弓引くことは、何人たりとも許されない! ましてや我が最愛の妹を牙にかけようなど、言語道断! 騎士たちに任せるまでもない……貴様は、この僕が直々に成敗してくれる!!」
鍛え上げられた肉体が躍動する。紅蜘蛛
仰々しい言動が威厳へと繋がっている。
かつて『神剣のおまけ』と蔑まれた第四王子は、一年の月日を経て、身も心も大きく成長していた――!
「喰らええええっ!! 【パイル・バンカー】ァァァ!!」
『ゴポ……!?』
「吹き飛べぇぇえええっ!! 【フラッシュ・ラッシュ】ゥゥゥッ!!」
『オオオ……!!』
――のだが、周囲のことをあまり考えないのは、以前と変わりないようだ。
「きゃああ! お兄ちゃん、かっこいいーっ!」
「わははははははーっ!」
「やっちゃえーっ!」
「ああ、任せたまえーっ!!」
神剣が弧を描くたびに、刀身から光の波動が飛び出して、直線状にあるものをズタズタに引き裂いていく。
強力なスキルが発動するたびに、柱がへし折れ、民家の壁に大きな亀裂が走っていく。
見る見るうちに路地はズタボロになっていき、それでも手を止めないフォルカによって、遂には石畳に大穴が開いた。
『オオ……』
「はーははははーっ! ……むっ!? 魔物がいないぞ! どこへ消えた!?」
「やっつけたんだよ! お兄ちゃんが!」
「おっ、そうかそうか。ふふふ……何と他愛のない」
本当は、飛び散った粘液はすべて大穴から下水道へと逃れたのだが――そうとも知らないフォルカとエミリエッタは、勝どきを上げて魔物退治を盛大に祝っていた。
「お兄ちゃん、すごい! やっぱりお兄ちゃんは勇者さまだよ!」
「ふふふ、何やらこそばゆいね。ふふふ、ふふふふー、ふあははははーっ!」
やがて護衛の騎士たちが駆けつけて、野次馬たちが集まってきても、フォルカとエミリエッタは心底誇らしげに笑っていたとか。
そして、その後、フォルカのポケットマネーがごっそり減ることになったとか。
フォルカ・ラセルナ・ボルトロス・ド・イースィンド。
神剣の勇者と呼ぶには、まだまだ青い少年だった。
一月二日――事件が顕在化し始めた日の夜。
王城の一室には、イースィンドの武を司る貴族たちが集まっていた。
「問題ね」
重い空気が充満する部屋で、口火を切ったのはランジュー伯爵だった。
「よりにもよって、『王都で』『王子が』『魔物に』襲われる? 三重の問題……いいえ、もうこれは問題外だわ。騎士団、警邏隊は何をしていたの?」
絞り込まれた体。短い銀髪。鳶色の瞳。
そして、この場にいる誰よりも鋭い目つきをした女伯爵は、円卓の端に座る男に剣呑な視線を突き刺した。勃動力三體牛鞭
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