扉を開け放ち、ヴェルダの座す王の間へと進む。
壁には透明なカプセルが規則正しく並び設えられており、その中には透明な液体が満ちていた。
一つ一つのカプセルに浮かぶのは、未だ生まれ出ぬ天使達である。
虚ろなる器に、魂のエネルギーが注入されている最中なのだ。
肉体を有さぬ故に、天上でしか存在を維持出来ぬ存在。印度神油
ある程度の自我が確立したならば、地上でも短時間ならば活動出来るようになるだろうが……。
そうなるには、今暫くの時間を必要とする。
ミリムはそうした天使達に目もくれず、真っ直ぐに玉座を目指す。
この天界の中心部。
全ての中枢にして、天帝の座す場所である。
ヴェルダは今、名実共にこの城の支配者であったのだ。
天空城の自動防衛システムがミリムの殺意に反応し、ミリムを敵だと判断した。
警報が鳴り響き、守護機神ガーディアンドールが出現する。
しかし、ミリムの持つ首飾りを見て、その動きを止めた。
「コレヨリ先ニハ、オ通シ出来マセン。引キ返シテ下サイ」
ミリムに警告する人形達。
だが、ミリムは完全に無視していた。
「どくのだ」
そう言うなり、無造作に拳を振るい、人形の一体を破壊する。
人形達はミリムに攻撃出来ない。
それは、ヴェルダの身内である事を示す首飾りがあるせいであった。
ミリムを止める事が出来る者はいない。
そんなミリムの前に、一人の女性が立ち塞がった。
「ミリム様、ご立派になられて……」
涙ぐみつつ、ミリムに近寄ろうとする女性。
黒一色のドレスを着た、穏やかな感じの美女であった。
「サロメか……久しいな……」
ミリムの表情が一瞬喜びに輝き、そして――
「違う、な。お前は、サロメではないのだな……」
悲しそうに表情を曇らせつつも、一閃。
ミリムを抱きしめようとした女性を真っ二つにする。
その傷口から滴るのは血液ではなく、成分不明の透明な液体であり――その千切れた胴体から毀れ出るのは、贓物ではなく精密な機械であった。
「……ああ……ミ、リム……様……。ご、立派……に……ピッ――――」
伸ばされた手がミリムの頬に触れ、そこを伝う雫を拭う。
そのまま地面に崩れ落ちるサロメを模した人形。
幼きミリムを育て、教育した女性。
古き日、ミリムに看取られてこの世を去った女性。
生きている筈がないのだ。
永劫の時を生きるミリムと違い、彼女はルシアに仕える侍女の一人でしかなかったのだから。
人間であったサロメが、生きている道理はない。
だが……どうしても考えてしまう。
その魂を呼び寄せて、人形に宿したのではないのか、と。
そんな事は不可能である。
それがミリムの出した結論であり、正しい真理であった。
ミリムは迷わず人形を破壊し、未練を断ち切った。
それは正しい事である筈なのに、人形の満足そうな笑みと何故か溢れた涙が、ミリムを惑わせるのだ。
そう――
もしかして、本当は彼女は――
「酷い事をするね。せっかく君の為に、死者の魂を呼び寄せたというのに。喜んで貰おうと思って、こっそり用意したプレゼントだったんだけど……気に入らなかったかな?」
涼やかな声がミリムの耳に届いた。
振り向くまでもない。
その声の主は――
「ヴェルダか。貴様、覚悟は出来ているのだろうな?」
「覚悟……何の事かな?」
怒りの表情のミリムに対し、ヴェルダはあくまでも、涼しげな笑顔のままだ。
対照的な感情をぶつけ合い、二人は対峙する。
リムルへの連絡もまだだが、それに関してはミリムは心配していなかった。
先程、ルシアを葬る際、勇者クロエの残滓を感じたからだ。
あまりにも見事な剣の軌跡が、『多重存在』すらも超えてルシアの本体へ届いていた。
ほんの一瞬の出来事ではあったが、それを見逃すミリムではない。
地上では、ルシアに支配されていた者が解放された頃合である。とはいえ、リムルが何やら影に潜んで画策していたようだし、既にある程度の対策は講じられていただろうけど。強力催眠謎幻水
そういう意味で考えるなら、わざわざ連絡しなくても、彼女が此処にいるだけでリムルには全て伝わるだろうとミリムは信じていた。
ヴェガという愚か者は、真っ先にリムルの部下に滅ぼされている。
カザリームという小者も、レオンを倒しきれずに倒れたようだ。
ダグリュールの敗北も、ルシアが騒いでいたので把握している。
ディーノが何処で何をやっているかは不明だが、あの抜け目のない男の事は、心配するだけ無駄であった。どうせその内ひょっこりと現れるに決まっているのだから。
つまり、ヴェルダの配下は全て倒れたと言っていい。
「お前の自慢の四凶天将とやらは、全員敗北したようだな。後はお前だけだぞ、ヴェルダよ。ワタシを怒らせた報い、きっちりと受けるがいい」
ミリムはそう言うなり、その手に魔剣"天魔"を抜いて構えた。
肩を竦めるような仕草をしつつ、ヴェルダは笑顔のままにミリムを見つめる。
「遊んであげるよ、ミリム」
その言葉が開始の合図となった。
天性の動きで、ミリムが連続剣技を披露する。
だがしかし、ヴェルダはそれを紙一重にて回避してみせた。
未だ無手のままであり、ミリムに対して余裕の態度を崩さない。
それはミリムの怒りに火をつけ、魔剣"天魔"がそれに呼応したかのように脈動を始めた。
剣表面の錆が落ち、蒼白い刀身がその姿を現す。怒りの波動を吸収し、刃を強化しているようだった。
「死ね! 天魔竜星斬ドラゴ・ブレイク!!」
ミリムの怒りを具現化したような苛烈な斬撃が、無防備なヴェルダへと吸い込まれる。
しかし――
「残念。少し遅いね」
ヴェルダは余裕の動きでほんの少し後方へと下がり、ミリムの剣を回避して見せる。
だが、それはミリムの思惑通り。
「滅びの時は、今!」
ミリムの剣を回避したその時、立ち位置が逆転した。
ミリムが王の座の前に立ち、ヴェルダが下座に立ったのだ。
そして、ヴェルダの立つ位置の後ろには――地上と天界を繋ぐ唯一の出入り口である、天空門が聳えていた。
ミリムは最初から、ヴェルダと天空門を同時に攻撃する機会を狙っていたのである。
右手に持つは、魔剣"天魔"。
左手に込めるは、破壊の意志。
ミリムは今、ヴェルダに向けて全力全開で竜星爆炎覇ドラゴ・ノヴァを解き放つ。
煌くような星の光に似た蒼白い光芒が、幾重にも重なりヴェルダを貫いた。
それは膨れ上がるように周囲を圧し、ミリムが入ってきた入り口へと向けて全てを貫くように拡大していく。
光の洪水が生まれ、立ち並ぶ柱を全て吹き飛ばした。
そしてその先には、壁のように聳え立つ天空門。
全てはミリムの狙い通り。
ヴェルダを貫いた蒼白い光芒は、その勢いを増して天空門へと突き刺さった。
光が収まった時、天空城の半分が綺麗に吹き飛ばされ、消滅していた。
残ったのは城の後半分、ミリムの立つ位置から後ろに向けてのみである。
だが、天空門だけは存在したままであった。
無数のヒビが入り、無傷という訳ではなかったものの、ミリムの最大最強の攻撃に耐えて見せたのだ。
いや、違う。
(直前で光の屈折を確認出来たが、まさか――)
ミリムは油断なく構えを解かない。
そして、それは正解であった。
「うん、流石はボクの娘だね。まさか、流しきれずに門にも影響が出るとは思わなかったよ」
楽しそうな響きを声に滲ませ、ミリムに話しかける者がいる。
言うまでもなく、ヴェルダであった。
無傷のままのヴェルダが、いつの間にかミリムの後の椅子に座っていたのだ。
驚愕を押し殺しつつ、ミリムは平然とした態度でヴェルダに向き直る。
「ほう……? 竜星爆炎覇ドラゴ・ノヴァを受けて無傷とは……」
「ああ、超高密圧縮による超新星爆発を起こす究極魔法だったね。核撃魔法"重力崩壊グラビティーコラプス"の究極完成形だけど、星粒子スターダストを自在に操れないと行使不可能。まさに、君に相応しい究極魔法だよ。でもね――」VIVID
思わず毀れ出たミリムの疑問の声に、ヴェルダは事も無げに説明を始めた。
手に薄い光の膜を創り出し、それをミリムに見せ付けながら続ける。
「ボクも操れるんだよ、星粒子スターダストを。破壊に指向性を与えて、限定空間のみに影響を与えるようにしている以上、影響を逸らすのは簡単さ」
そう説明してのける。
ヴェルダとしては、威力を流しきれずに門に影響が出た事に驚いているようだが、ミリムにとってはそれどころではなかった。
ヴェルダは簡単に言っているが、ミリムの思考を読み解き、その狙いを全て把握していなければ出来ない芸当なのだ。
何よりも、星粒子スターダストを操れる者など、ミリム以外には存在していなかった。
本来、解析すらも不可能な魔法であった筈なのだ。ギィでさえも、核撃魔法の重複相殺という荒業でしか防ぐ事が出来なかった究極魔法であったというのに……。
それが今、ヴェルダが簡単に操ってみせた。
それはつまり、ヴェルダにとっては容易く封じる事の出来る魔法でしかないという事であり、ミリムの切り札が一つ失われた事を意味する。
(化け物め……)
今初めて、ミリムは本当の意味で、ヴェルダの実力の一端に触れたのである。
「さあ、気は済んだかい? 君にはボクと子供を作って貰わないといけないからね。ケガをさせたくないんだよ。そろそろ遊びにも満足しただろ? 大人しくしておくれ」
優しい笑顔で、子供に言い聞かせるようにヴェルダが言う。
ミリムは必死に思考する。
打つ手はないか、可能な限りの演算予測を駆使し、ヴェルダへの有効打を模索した。
しかし、ミリムの高すぎる能力が、その全てが通用しないという無慈悲な結果を指し示すのだ。
(クッ、やはりリムル達が来るのを待つべきだったか……)
ミリムが後悔しかけたその時――
――ピシリッ――
と、その場に小さな音が響いた。
視線を動かし、音の出所を見るミリム。
ヴェルダも釣られるように、音の出所へと視線を向ける。
「何ッ!?」
そして初めて、ヴェルダの表情に驚きが走る。
まさに今、全ての者を阻むように聳え立つ天空門に、大きな亀裂が入っていたのだ。
そして――
光が亀裂から差し込んで、直後に轟音を轟かせて門が崩れ落ちた。
「やれやれですわね。何て頑丈な門なのかしら?」
「本当だよね。ボク達が三人がかりで、何度も弾かれるとは思わなかったよね」
「そうだな。リムル様から命令を受けた時は、簡単な任務だと思ったのだがな」
そんな事を喋りながら、門を潜って侵入して来る三人の女性。
テスタロッサ、ウルティマ、カレラ。
リムルの命により、今ようやく天空門の破壊に成功したのだった。
「でも、最後に内側から衝撃が走ったようでしたが――」
「あれ、誰かいるね?」
「――なるほど、内側で取り込み中だった、という事だな」
三人はミリムとヴェルダに目を向けて、ある程度の事情を察したようだ。
テスタロッサが邪悪な笑みを浮かべて、ヴェルダを凍える視線で射抜く。
「ねえ、貴方達。あの方を殺せば、お手柄ではなくて?」
「だよね、だよね! どうやら、ボク達が一番乗りみたいだしね!」
「ミリム様も苦戦なさっているようだし、助太刀しても文句は言われないだろう」
テスタロッサの言葉に頷く二人。蔵八宝
そして三人は、それぞれの武器を手にヴェルダに相対する。
ミリムは状況を分析し、勝率を考える。
リムルはミリムの予想した通り、絶妙なタイミングで手を回してくれた様だ。
ヴェルダに対抗するには心許ないが、一瞬でもヴェルダの気を逸らす事が出来れば、全力の天魔竜星斬ドラゴ・ブレイクを叩き込む事が出来るだろう。
竜星爆炎覇ドラゴ・ノヴァのエネルギーを凝縮させ体内から爆発させれば、星粒子スターダストを操る事も出来ずにヴェルダは滅ぶしかない。
ミリムは一瞬でそう判断した。
「お前達、すまんが手を貸すのだ!」
ミリムの叫びに、嬉しそうに頷く悪魔三名。
ここに来て、閉ざされていた勝利への道筋が、ほんの小さなものとはいえ出来たのである。
そんなミリムを面白くなさそうに見るヴェルダ。
視線を動かし、三人の悪魔を見る。
そして、言う。
「ミリム以外と遊ぶのは面倒だな。お前達に適した相手を用意してやろう」
そう告げて、ヴェルダはその手に宝珠を取り出した。
ミリムと悪魔三名は、ヴェルダの行動に警戒する。
しかし、それは一瞬にして生み出されてしまった。
ヴェルダの前に立つ二人の人物。
豪華な黒い衣装に身を包んだ老齢の男。
旧帝国陸軍正式礼服を着こなす短髪の軍人。
二人は不思議そうに戸惑った表情のまま、周囲を見回していた。
「わ、私は確か少女に技を託して死んだ筈……」
「自分は何故ここにいる? 生きていた――いや、それは有り得ない」
ウルティマに技を託したダムラダと、カレラに意思を託した近藤達也タツヤ コンドウだった。
だが、決して本人ではない。
それは二人の反応が証明している。
「やあ、目覚めたようだね。その身体の調子はどうかな?」
「これは、ヴェルダ様! すこぶる快調ですぞ」
「ヴェルダ様、お久しぶりで御座います。自分を呼ぶという事は、何か任務でしょうか?」
ヴェルダを前に、ダムラダと近藤は忠誠を示す姿勢を取る。
それは生前の彼等からは、決して想像出来ない姿であった。
その二人を見て戸惑うのはウルティマとカレラだ。
決して有り得ないが、その二人は余りにも本人としか見えなかったから。新一粒神
2014年8月31日星期日
2014年8月28日星期四
ポークジンジャー
どう、と倒れた一角猪を狩人の少年、ユートは樹上からじっと見つめていた。
ユートの真下で盛んにタロが確かめるように一角猪に対して唸り、吼える。
それに対し、一角猪はピクリとも動かない。
首の裏には先ほどユートが撃った矢……血の中に入ると酷い麻痺を引き起こすが抜けるのも速い山国の狩人御用達の毒を仕込んだ太い毒矢が突き刺さっている。簡約痩身
(まだだ、決して油断するな……『瀕死の獣は死ぬ前に狩人を殺す』だ)
ユートの師匠であり、弓1つで熊をも殺す腕を持つ中年の狩人から聞かされた言葉を思い出し、駆け寄って生死を確認したい衝動を抑える。
一角猪は手強い相手。
お貴族様が趣味で狩るような兎や鹿に野鳥、狐に鼬とはわけが違う。
額に太くて短い『凶器』を生やした一角猪は立派な猛獣で、真っ向からぶち当たれば全身を金属鎧で被った騎士のランスチャージすらも弾き返し、馬ごとぶち倒すような化物だ。
今、ユートが陣取っている樹も先ほどこいつの一撃を食らい、少し折れかけている。
油断は禁物だ。
……そしてたっぷりと待った後。
ユートは意を決して樹上から飛び降りる。
弓を抱え、油断無く矢筒から矢を番え、一角猪に近づく。
そして、ゆっくりと近寄り、完全に事切れ、二度と動くことはないであろうことを確認し……
「やった!ついにやったよ!タロ!」
見事、自分とタロだけで一角猪を仕留めたことを確信し、喜びに叫ぶ。
一角猪をはじめとした、まともに当たれば命の危険があるような『猛獣』を仕留めた狩人は、狩人として一人前と認められる。
ときに猛獣どころか危険な魔物が現れる山や森の中で生き残って里や町に山の恵みをもたらす存在として認知されるようになり、近所の森で兎や鳥を取ってきては売るような半人前とは扱いも違ってくる。
今回ユートが仕留めた一角猪は熊や虎、大蛇や大蜥蜴といった猛獣の中では比較的組し易い相手ではある。
樹に登ることが出来ないため、樹上から弓を雨あられと浴びせてやればいい。
だが、話はそう簡単でもない。
仕留める前に逃げられるならまだ良い方で、待ち伏せしている樹上までおびき寄せる役の狩猟犬が無残に轢き殺される、突進によって樹上から揺さぶり落とされて殺される、仕留める前に矢が尽きて手も足も出なくなる。
……瀕死と侮って近寄り山刀で止めを刺そうとして返り討ちにあう。
勇敢と無謀の区別もつかぬ半人前が一角猪に挑んで仕留め損ね、場合によって命を落とすなんてことは狩人の世界ではよくあることなのだ。
「結構でかいな……これなら銀貨で120、いや150枚はかたいぞ」
右の後ろ足にしっかりとタロの歯型がついた一角猪を検分し、算段を立てる。
本物の狩人なら1回で銀貨数百枚分の獲物を取ってくることは珍しくないが、普段は精々銀貨数枚でしか売れない小物の獲物ばかりのユートからすれば銀貨100枚を越えるような獲物は初めてである。
ユートはまだ若い、つい先ほど一人前になったばかりの狩人である。
連れているのは生まれたばかりの頃から2年かけて一人前に仕込んだ狩猟犬のタロ。
この1人と1頭はついに一角猪に挑戦することを選び、数週間の準備を経て……見事勝利した。
「タロ。今夜はご馳走だぞ」
ユートは傍らに立つ相棒を撫でてやりながら言う。
一角猪の肉は豚と比べると独特の臭みが少しあるが、それでも脂がたっぷりと乗って味も濃い、うまい肉だ。
今日は一人前の狩人となった記念に一角猪の肉の一番いいところを食おう。
そんな考えを獣特有の勘で読み取ったのか、タロは一層強く尻尾を振った。
そうしてユートは早速とばかりに解体にかかる。
ユートの体重5人分はあるであろう一角猪の血抜きをする。
持ち帰るのは肉と毛皮、あとは角と牙。
内臓は持ち帰る前に腐るし骨は余り高く売れない。
残念だけど捨てて行くことにする。
「よし、こんなもんか」
やがて血抜きと革剥ぎを終えて新鮮な肉と毛皮、途中で折り取った角と牙を持ってきた大きな袋に二つに分けて詰める。
「行こう。タロ」
一番良い、脂がのった部分だけ別に切り取って腰の清潔な袋に入れ、尻尾を振りながら一角猪の骨を齧るタロに声を掛ける。
それにタロは一声鳴いて答え、骨を咥えてついてくる。
「さてと、日が暮れる前に運ばないと」
血抜きをし、骨を外して軽くしたとはいえ、一角猪の成獣の肉は結構な量になる。
それを長い時間ここに放置しておけば血の匂いをかぎつけた獣が漁りにくる。
そうならぬようユートは肉を2つに分けて片方を担ぎ上げ、近くに作られた獣避けの工夫がされた山小屋へと運ぶことにする。
「やっぱ半分でも重いな……」
軽く愚痴を言いながらも足取りは軽く、顔には笑みがある。
生まれて初めて狩ることに成功した大物の輸送。
それはユートに大きな満足をもたらしていた。V26Ⅳ美白美肌速効
「ふう。ようやく終わったか」
肉と毛皮を並の獣では破れない頑丈な扉がついた山小屋の貯蔵庫に運び、日暮れも近くなってきた頃、ユートは一つため息をついた。
余分なものを捨ててなおユートの体重よりも重い、一角猪からの戦利品。
一角猪を仕留めた場所からはそう遠くは無いが、それだけの距離でも結構な重労働だった。
「山小屋に運ぶだけでこれじゃあ……人足でも雇うしかないかな」
大物なだけに、このままふもとの町まで運ぶのは、1人では難しいだろう。
ユートは明日の朝、麓まで降り、人足を雇うことにする。
「まあ、良いか。タロ、晩飯にしようか」
そう声を掛けたときだった。
ピクリと“何か”に気づいて反応したタロが、ユートに対して一声なく。
「……どうした?なにかあったのか、タロ? 」
その様子に、ユートはタロに尋ねる。
タロはそれにもう1度一声答え、走り出す。
「なんだろ?何か見つけたかな? 」
そんなタロにユートはついていく。
そしてタロは5分ほど走り、そこで立ち止まり、一声鳴く。
そこにあったのは黒い扉であった。
黒い、猫の絵が描かれた扉が崖にへばりつくように“生えて”いた。
「……こんなところに扉なんて……いや、間違いない。昨日までは、確かに無かった」
その扉の存在にユートは思い出す。
間違いない。昨日、ここを通ったときには扉なんて無かった。
「まさか、魔法の扉ってことか……? 」
魔法。
田舎の町で暮らすユートには余り縁が無い言葉だが、それでも町には陰陽師が数人住んでいるし、司祭様は狩人によく信仰されている風の神の祈りの魔法を使う。
こういった、不思議なことを起こすのは魔法の力であることはほぼ間違いない。
「タロがこうして案内したってことは、とりあえず危険なものではないんだろうけど……」
狩猟犬としてきっちりと鍛え上げたタロがこうした場面で見誤るとは思えない。
ユートは意を決して、黒い扉の金色の取っ手に手を掛け……扉を開ける。
鍵はかかっていない。チリンチリンと音を立てて、扉が開く。
「うわっ!?」
夕闇が迫る山の中から突然明るい場所に出て目が眩んだユートが思わず手で光を遮る。
「いらっしゃい」
そんなユートに声が掛けられる。
中年の、男の声。
ユートは光を遮るのをやめ、改めてそこの様子を伺う。
そこは、不思議な場所だった。
いくつもの背の卓と椅子が並び、それに何人かの人が腰掛けて何かを食べている。
その光景はまるで……
「ここは……酒場? 」
「いえ、洋食……料理屋です。酒も多少はおいちゃいますがね」
ユートの言葉に店主が返し、そのあと一拍置いて改めて店主は新たな客を歓迎する。
「改めていらっしゃい。そちらの犬もあなたのお連れで? 」
まだ若い、中学生か高校生くらいの少年。その足元には一頭の犬が行儀よく座っている。
……本来ペットの持ち込みはねこやでは基本お断りしているのだが、躾がちゃんとしているなら連れ込んでもいいだろう。
「え、ああ。僕が飼ってる狩猟犬のタロです。躾はしっかり済ませています」
そんな店主の言葉に生返事で返しながらユートは考える。
何故こんな山の中にあるのかはおいといて、ここは料理屋らしい。
それも店の雰囲気からして、ここはユートが暮らす麓の町の安酒場とは一線を画す、都の御武家様が使うような高級な店だ。
(参ったな……お金、持って来てないぞ)
辺りからは他の客が食べているのであろう未知の、だが間違いなく旨そうな匂いが漂ってきている。
それは夕食前のユートのすきっ腹を刺激し、是非ともここで食べて行きたいと思わせる。
だが、金が無い。
所詮駆け出しの狩人に過ぎぬユートは元々財布は軽く、そもそも同業でも無い限り人が通りがかることなどまったく無い、獣道しかないような深い山の中では金になど何の意味も無いので持って来ていないのだ。
(お金以外だと……あ)
何か無いかと考えて、それに気づく。
自分が腰から下げているものに。
「店主さん、僕もここで食べて行きたいんですが、金は持って来ていないんです。だから……」
腰からそれを外し、店主に渡す。男根増長素
「一角猪の肉の一番いいところです。残りは差し上げますから、これで料理を作ってくれませんか? 」
一角猪の一番いいところの肉。普通であれば塩漬けにして商人の手で都に運ばれ、貴族様の食卓に並ぶことも有るという代物だ。
庶民ならユートのような狩人でなければまず口に出来ないものだし、一番脂の乗ったこの肉ならこの量でも銀貨で5枚程度の値段はつく。
ユートの感覚では一食の料理の代金としてはかなり高いが、どの道全部ユートとタロの腹の中に入れる予定だった肉だ。
どうせなら、本職の職人に料理されたほうが肉も本望だろう。
「……猪の肉、ですか」
一方の店主はユートの申し出に少し渋い顔をする。
異世界産の食材を使った料理は基本的にねこやでは出していない。
肉も野菜も商店街の店に頼んで仕入れた、自分でうまいと思える食材ばかりだ。
それだけに、向こうで作られた食材は客には出さず、自分で食べるのを基本としている。
普段はやっていないサービスなのだが……
少年の目はキラキラしていた。
店主が20年以上前に失った瞳だ。
純粋で、無謀で、若かった頃の顔。
たまに来る近所の高校のバカ野郎どもと同じ顔。
「……分かりました。料理方法はこちらに任せてもらいますが、いいですか? 」
それを裏切ることなど、出来ようはずもない。
「もちろんです!よろしくお願いします! 」
「ワンッ! 」
店主からの快諾に、ユートとタロは元気よく答える。
「はい。それじゃあ少々お待ち下さいね。こちらでお待ち下さい」
そう言うと店主は一旦奥に引っ込み、固く絞った布と硝子の杯に入った水を持ってくる。
「どうぞ。おしぼりと水です。それじゃあ料理にかかりますんで、しばらくお待ち下さい」
そう言うと再び奥に引っ込み、店主は料理にかかる。
食べたことは有る。ちょいと臭みがある猪の肉を食べるのに一番向いた食べ物は何かを考えながら……
それを待つ間、ユートはキョロキョロと周囲を見る。
「しかし変わった店だな……」
店にいる客はよくよく見れば変わった人々が揃っている。
都にいるようなきれいな着物を着た御武家様や陰陽師様、歴戦の戦士であることを伺わせる東方風の装束を着たお侍様。
それはまだいい。
だが、明らかに顔立ちがユートたちとは違う、東の大陸の民らしき人間が何人もいる。
彼らは服の質も髪の手入れの具合もバラバラで、まるで共通点らしきものがない。
極めつけはえるふやどわぁふなどの異種族で、ユートが見たこともないような種族まで何人か姿が見える。
(改めて見てみると……不思議な店だなー)
彼らが嬉々としてユートが見たこともないような料理を食べる様子を物珍しげに見ていると、しばらくして店主が戻ってくる。
「お待たせしました」
ことりと、ユートの前に料理が盛られた皿と茶碗に盛られた白い飯、そして茶色い汁が置かれる。
「これは……焼肉? 」
皿には細く刻まれた生のままの玉菜と、ユートが持ち込んだ一角猪の肉料理が盛られている。
細く切られた野菜と和えられ、茶色いタレと絡められた、焼いた肉。
てっきり柔らかくするために煮込んだ汁物が出てくると思っていたユートが店主に尋ね返す。
それに対し、店主は澄ました顔で答える。
「はい。こいつはポークジンジャー……豚のしょうが焼きです」
答えながら店主はもう1頭の客にも配膳をする。
「ほら、お前さんにはこっちのたまねぎとしょうが抜きだ……まだ熱いから気をつけろよ」
そっと匂いだけで美味いことを確信し、千切れんばかりに尻尾を振っているもう1頭の客の前に、それを置く。
持ち帰り用の紙箱一杯に飯をつめたものの上に、タレをからめて焼いた肉。
味が濃いものも本当は良くないらしいが、たまのご馳走ならいいだろう。
「それじゃあごゆっくり。メシとみそ汁は言って貰えればお代わり持ってきますんで」
そういうと店主はまた別の客……お代わりを寄越せと言い出したいつものお好み焼きコンビに注文を聞きに行ってしまう。男宝
「これが、この店の料理か……」
漂ってくる甘いタレと焼いた肉の香ばしい匂いに思わず唾を飲みながらユートは箸を取る。
「……タロ、食べていいぞ」
脇を見て、許可を出した瞬間、料理を唾を垂らしながら凝視していたタロは猛然と食べ始める。
がふがふと音を立て、尻尾は常に振りっぱなし。
普段、狩りの獲物の切れ端を分けてやったとき以上の勢いだ。
(そんなにうまいのか……)
その様子に、ユートもいつしか期待に胸を膨らませながら、箸をそっと肉に伸ばす。
薄切りにされ、その分何枚も皿に並べられた肉、その一つに箸を突き立てる。
(うわ。柔らかいぞ、これ……)
どんな魔術を使ったのか、かたいはずの肉は箸で容易く千切れるほどに柔らかくなっていた。
そして一口分、たっぷりとタレと野菜が絡められた肉を持ち上げる。
艶々と、店の光を反射して輝く肉に、ごくりと唾を飲み……口にする。
「……うめえ! 」
思わずユートの口からそんな言葉が飛び出る。
それは、ユートの知る、どんな料理よりも美味しい料理だった。
甘くてしょっぱく、僅かに辛みがある独特の風味が有るタレ。そのタレだけでも素晴らしい美味だった。
これをメシにかけただけでご馳走と言っても良いほどの味がする。
それが脂がしっかりと乗った一角猪の肉と共にある。
肉には何か細かな穀物の粉がまぶしてあり、その粉がタレを吸ってよく絡められている。
それが肉の持つ肉汁と脂と交じり合い、さらに歯ごたえを残した野菜と共に食べることで、ものすごく、うまい。
これほどのうまいものはない。
そう確信し……だが、その予想は僅か数秒で覆される。
「うおおお!? 」
それは雄たけびを上げてしまうほどうまかった。
このしょうがやきより更に美味なもの……それはしょうがやきとともに食べる、米の飯。
雑穀が入っていない、雪のように白い飯。
みずみずしく、ふっくらと炊き上げられた飯がしょうがやきと共にある。
しょうがやきの濃い味が飯の柔らかで淡白な味、この組み合わせが充分な満足感と更なる空腹感を同時に生み出す。
肉を食う。飯をかっ込む。肉を食う。飯をかっ込む。
途中、たまなや味噌汁、漬物を挟みながらただひたすらにそれを繰り返す。
無論、そんなことをすれば茶碗に盛られた飯などあっという間になくなってしまう。
「すいません!メシのお代わりを!大盛りですぐに! 」
半ば焦燥感すら感じながらユートは飯のお代わりを要求する。
「はいよ」
店主も先ほどから若い男特有の勢いで飯を食うユートを見ていたため、対応が早い。
先ほどの茶碗いっぱいに盛ったご飯をさっと用意し、持ってくる。
そんな店主に、しっかりと通る声でタロが一声吼える。
……自分にも『お代わり』を寄越せ。そういう意味で。
似たもの同士の犬と飼い主。
そんな2人を微笑ましく思いながら店主はタロの分の肉と飯を用意する。
かくて1人と1匹の飯の時間はこれ以上食えない、と思うところまで続いた。
「うぅ……やべえ、食い過ぎた」
結局飯のお代わりを3度繰り返し、しょうが焼きも1回お代わりしたユートは、苦しそうに腹をさすりながら、店の外へと出た。
タロも腹が重いという風情を漂わせており、足取りはちょっと重い。
「タロ、うまかったな。また来ような」
と言っても主人のその一言に尻尾をブンブン振りながら答えるだけの気力は残っていたようだが。
あの店の秘密については聞き出した。7日に1度だけ訪れることが出来る、秘密の店。
料理の値段はユートが想像していた額よりはるかに安く、味は折り紙つき。
この辺りを縄張りにしている師匠が時折訪れてはユートと同じく豚のしょうが焼きをガッツリ食べているらしい。
「師匠にも感謝しないとな」
思えば初めての一角猪狩りをこの辺りでするよう勧めてくれたのは、師匠だ。
きっと師匠は分け与えてくれたのだろう。異世界食堂への道を。
「よし、タロ。今日はもう寝よう!明日は人足雇って肉を運ぶから、結構な重労働だぞ」
ユートは元気よく相棒に声を掛ける。三体牛鞭
その言葉にタロはただ一言、しっかりとした声で答えた。
ユートの真下で盛んにタロが確かめるように一角猪に対して唸り、吼える。
それに対し、一角猪はピクリとも動かない。
首の裏には先ほどユートが撃った矢……血の中に入ると酷い麻痺を引き起こすが抜けるのも速い山国の狩人御用達の毒を仕込んだ太い毒矢が突き刺さっている。簡約痩身
(まだだ、決して油断するな……『瀕死の獣は死ぬ前に狩人を殺す』だ)
ユートの師匠であり、弓1つで熊をも殺す腕を持つ中年の狩人から聞かされた言葉を思い出し、駆け寄って生死を確認したい衝動を抑える。
一角猪は手強い相手。
お貴族様が趣味で狩るような兎や鹿に野鳥、狐に鼬とはわけが違う。
額に太くて短い『凶器』を生やした一角猪は立派な猛獣で、真っ向からぶち当たれば全身を金属鎧で被った騎士のランスチャージすらも弾き返し、馬ごとぶち倒すような化物だ。
今、ユートが陣取っている樹も先ほどこいつの一撃を食らい、少し折れかけている。
油断は禁物だ。
……そしてたっぷりと待った後。
ユートは意を決して樹上から飛び降りる。
弓を抱え、油断無く矢筒から矢を番え、一角猪に近づく。
そして、ゆっくりと近寄り、完全に事切れ、二度と動くことはないであろうことを確認し……
「やった!ついにやったよ!タロ!」
見事、自分とタロだけで一角猪を仕留めたことを確信し、喜びに叫ぶ。
一角猪をはじめとした、まともに当たれば命の危険があるような『猛獣』を仕留めた狩人は、狩人として一人前と認められる。
ときに猛獣どころか危険な魔物が現れる山や森の中で生き残って里や町に山の恵みをもたらす存在として認知されるようになり、近所の森で兎や鳥を取ってきては売るような半人前とは扱いも違ってくる。
今回ユートが仕留めた一角猪は熊や虎、大蛇や大蜥蜴といった猛獣の中では比較的組し易い相手ではある。
樹に登ることが出来ないため、樹上から弓を雨あられと浴びせてやればいい。
だが、話はそう簡単でもない。
仕留める前に逃げられるならまだ良い方で、待ち伏せしている樹上までおびき寄せる役の狩猟犬が無残に轢き殺される、突進によって樹上から揺さぶり落とされて殺される、仕留める前に矢が尽きて手も足も出なくなる。
……瀕死と侮って近寄り山刀で止めを刺そうとして返り討ちにあう。
勇敢と無謀の区別もつかぬ半人前が一角猪に挑んで仕留め損ね、場合によって命を落とすなんてことは狩人の世界ではよくあることなのだ。
「結構でかいな……これなら銀貨で120、いや150枚はかたいぞ」
右の後ろ足にしっかりとタロの歯型がついた一角猪を検分し、算段を立てる。
本物の狩人なら1回で銀貨数百枚分の獲物を取ってくることは珍しくないが、普段は精々銀貨数枚でしか売れない小物の獲物ばかりのユートからすれば銀貨100枚を越えるような獲物は初めてである。
ユートはまだ若い、つい先ほど一人前になったばかりの狩人である。
連れているのは生まれたばかりの頃から2年かけて一人前に仕込んだ狩猟犬のタロ。
この1人と1頭はついに一角猪に挑戦することを選び、数週間の準備を経て……見事勝利した。
「タロ。今夜はご馳走だぞ」
ユートは傍らに立つ相棒を撫でてやりながら言う。
一角猪の肉は豚と比べると独特の臭みが少しあるが、それでも脂がたっぷりと乗って味も濃い、うまい肉だ。
今日は一人前の狩人となった記念に一角猪の肉の一番いいところを食おう。
そんな考えを獣特有の勘で読み取ったのか、タロは一層強く尻尾を振った。
そうしてユートは早速とばかりに解体にかかる。
ユートの体重5人分はあるであろう一角猪の血抜きをする。
持ち帰るのは肉と毛皮、あとは角と牙。
内臓は持ち帰る前に腐るし骨は余り高く売れない。
残念だけど捨てて行くことにする。
「よし、こんなもんか」
やがて血抜きと革剥ぎを終えて新鮮な肉と毛皮、途中で折り取った角と牙を持ってきた大きな袋に二つに分けて詰める。
「行こう。タロ」
一番良い、脂がのった部分だけ別に切り取って腰の清潔な袋に入れ、尻尾を振りながら一角猪の骨を齧るタロに声を掛ける。
それにタロは一声鳴いて答え、骨を咥えてついてくる。
「さてと、日が暮れる前に運ばないと」
血抜きをし、骨を外して軽くしたとはいえ、一角猪の成獣の肉は結構な量になる。
それを長い時間ここに放置しておけば血の匂いをかぎつけた獣が漁りにくる。
そうならぬようユートは肉を2つに分けて片方を担ぎ上げ、近くに作られた獣避けの工夫がされた山小屋へと運ぶことにする。
「やっぱ半分でも重いな……」
軽く愚痴を言いながらも足取りは軽く、顔には笑みがある。
生まれて初めて狩ることに成功した大物の輸送。
それはユートに大きな満足をもたらしていた。V26Ⅳ美白美肌速効
「ふう。ようやく終わったか」
肉と毛皮を並の獣では破れない頑丈な扉がついた山小屋の貯蔵庫に運び、日暮れも近くなってきた頃、ユートは一つため息をついた。
余分なものを捨ててなおユートの体重よりも重い、一角猪からの戦利品。
一角猪を仕留めた場所からはそう遠くは無いが、それだけの距離でも結構な重労働だった。
「山小屋に運ぶだけでこれじゃあ……人足でも雇うしかないかな」
大物なだけに、このままふもとの町まで運ぶのは、1人では難しいだろう。
ユートは明日の朝、麓まで降り、人足を雇うことにする。
「まあ、良いか。タロ、晩飯にしようか」
そう声を掛けたときだった。
ピクリと“何か”に気づいて反応したタロが、ユートに対して一声なく。
「……どうした?なにかあったのか、タロ? 」
その様子に、ユートはタロに尋ねる。
タロはそれにもう1度一声答え、走り出す。
「なんだろ?何か見つけたかな? 」
そんなタロにユートはついていく。
そしてタロは5分ほど走り、そこで立ち止まり、一声鳴く。
そこにあったのは黒い扉であった。
黒い、猫の絵が描かれた扉が崖にへばりつくように“生えて”いた。
「……こんなところに扉なんて……いや、間違いない。昨日までは、確かに無かった」
その扉の存在にユートは思い出す。
間違いない。昨日、ここを通ったときには扉なんて無かった。
「まさか、魔法の扉ってことか……? 」
魔法。
田舎の町で暮らすユートには余り縁が無い言葉だが、それでも町には陰陽師が数人住んでいるし、司祭様は狩人によく信仰されている風の神の祈りの魔法を使う。
こういった、不思議なことを起こすのは魔法の力であることはほぼ間違いない。
「タロがこうして案内したってことは、とりあえず危険なものではないんだろうけど……」
狩猟犬としてきっちりと鍛え上げたタロがこうした場面で見誤るとは思えない。
ユートは意を決して、黒い扉の金色の取っ手に手を掛け……扉を開ける。
鍵はかかっていない。チリンチリンと音を立てて、扉が開く。
「うわっ!?」
夕闇が迫る山の中から突然明るい場所に出て目が眩んだユートが思わず手で光を遮る。
「いらっしゃい」
そんなユートに声が掛けられる。
中年の、男の声。
ユートは光を遮るのをやめ、改めてそこの様子を伺う。
そこは、不思議な場所だった。
いくつもの背の卓と椅子が並び、それに何人かの人が腰掛けて何かを食べている。
その光景はまるで……
「ここは……酒場? 」
「いえ、洋食……料理屋です。酒も多少はおいちゃいますがね」
ユートの言葉に店主が返し、そのあと一拍置いて改めて店主は新たな客を歓迎する。
「改めていらっしゃい。そちらの犬もあなたのお連れで? 」
まだ若い、中学生か高校生くらいの少年。その足元には一頭の犬が行儀よく座っている。
……本来ペットの持ち込みはねこやでは基本お断りしているのだが、躾がちゃんとしているなら連れ込んでもいいだろう。
「え、ああ。僕が飼ってる狩猟犬のタロです。躾はしっかり済ませています」
そんな店主の言葉に生返事で返しながらユートは考える。
何故こんな山の中にあるのかはおいといて、ここは料理屋らしい。
それも店の雰囲気からして、ここはユートが暮らす麓の町の安酒場とは一線を画す、都の御武家様が使うような高級な店だ。
(参ったな……お金、持って来てないぞ)
辺りからは他の客が食べているのであろう未知の、だが間違いなく旨そうな匂いが漂ってきている。
それは夕食前のユートのすきっ腹を刺激し、是非ともここで食べて行きたいと思わせる。
だが、金が無い。
所詮駆け出しの狩人に過ぎぬユートは元々財布は軽く、そもそも同業でも無い限り人が通りがかることなどまったく無い、獣道しかないような深い山の中では金になど何の意味も無いので持って来ていないのだ。
(お金以外だと……あ)
何か無いかと考えて、それに気づく。
自分が腰から下げているものに。
「店主さん、僕もここで食べて行きたいんですが、金は持って来ていないんです。だから……」
腰からそれを外し、店主に渡す。男根増長素
「一角猪の肉の一番いいところです。残りは差し上げますから、これで料理を作ってくれませんか? 」
一角猪の一番いいところの肉。普通であれば塩漬けにして商人の手で都に運ばれ、貴族様の食卓に並ぶことも有るという代物だ。
庶民ならユートのような狩人でなければまず口に出来ないものだし、一番脂の乗ったこの肉ならこの量でも銀貨で5枚程度の値段はつく。
ユートの感覚では一食の料理の代金としてはかなり高いが、どの道全部ユートとタロの腹の中に入れる予定だった肉だ。
どうせなら、本職の職人に料理されたほうが肉も本望だろう。
「……猪の肉、ですか」
一方の店主はユートの申し出に少し渋い顔をする。
異世界産の食材を使った料理は基本的にねこやでは出していない。
肉も野菜も商店街の店に頼んで仕入れた、自分でうまいと思える食材ばかりだ。
それだけに、向こうで作られた食材は客には出さず、自分で食べるのを基本としている。
普段はやっていないサービスなのだが……
少年の目はキラキラしていた。
店主が20年以上前に失った瞳だ。
純粋で、無謀で、若かった頃の顔。
たまに来る近所の高校のバカ野郎どもと同じ顔。
「……分かりました。料理方法はこちらに任せてもらいますが、いいですか? 」
それを裏切ることなど、出来ようはずもない。
「もちろんです!よろしくお願いします! 」
「ワンッ! 」
店主からの快諾に、ユートとタロは元気よく答える。
「はい。それじゃあ少々お待ち下さいね。こちらでお待ち下さい」
そう言うと店主は一旦奥に引っ込み、固く絞った布と硝子の杯に入った水を持ってくる。
「どうぞ。おしぼりと水です。それじゃあ料理にかかりますんで、しばらくお待ち下さい」
そう言うと再び奥に引っ込み、店主は料理にかかる。
食べたことは有る。ちょいと臭みがある猪の肉を食べるのに一番向いた食べ物は何かを考えながら……
それを待つ間、ユートはキョロキョロと周囲を見る。
「しかし変わった店だな……」
店にいる客はよくよく見れば変わった人々が揃っている。
都にいるようなきれいな着物を着た御武家様や陰陽師様、歴戦の戦士であることを伺わせる東方風の装束を着たお侍様。
それはまだいい。
だが、明らかに顔立ちがユートたちとは違う、東の大陸の民らしき人間が何人もいる。
彼らは服の質も髪の手入れの具合もバラバラで、まるで共通点らしきものがない。
極めつけはえるふやどわぁふなどの異種族で、ユートが見たこともないような種族まで何人か姿が見える。
(改めて見てみると……不思議な店だなー)
彼らが嬉々としてユートが見たこともないような料理を食べる様子を物珍しげに見ていると、しばらくして店主が戻ってくる。
「お待たせしました」
ことりと、ユートの前に料理が盛られた皿と茶碗に盛られた白い飯、そして茶色い汁が置かれる。
「これは……焼肉? 」
皿には細く刻まれた生のままの玉菜と、ユートが持ち込んだ一角猪の肉料理が盛られている。
細く切られた野菜と和えられ、茶色いタレと絡められた、焼いた肉。
てっきり柔らかくするために煮込んだ汁物が出てくると思っていたユートが店主に尋ね返す。
それに対し、店主は澄ました顔で答える。
「はい。こいつはポークジンジャー……豚のしょうが焼きです」
答えながら店主はもう1頭の客にも配膳をする。
「ほら、お前さんにはこっちのたまねぎとしょうが抜きだ……まだ熱いから気をつけろよ」
そっと匂いだけで美味いことを確信し、千切れんばかりに尻尾を振っているもう1頭の客の前に、それを置く。
持ち帰り用の紙箱一杯に飯をつめたものの上に、タレをからめて焼いた肉。
味が濃いものも本当は良くないらしいが、たまのご馳走ならいいだろう。
「それじゃあごゆっくり。メシとみそ汁は言って貰えればお代わり持ってきますんで」
そういうと店主はまた別の客……お代わりを寄越せと言い出したいつものお好み焼きコンビに注文を聞きに行ってしまう。男宝
「これが、この店の料理か……」
漂ってくる甘いタレと焼いた肉の香ばしい匂いに思わず唾を飲みながらユートは箸を取る。
「……タロ、食べていいぞ」
脇を見て、許可を出した瞬間、料理を唾を垂らしながら凝視していたタロは猛然と食べ始める。
がふがふと音を立て、尻尾は常に振りっぱなし。
普段、狩りの獲物の切れ端を分けてやったとき以上の勢いだ。
(そんなにうまいのか……)
その様子に、ユートもいつしか期待に胸を膨らませながら、箸をそっと肉に伸ばす。
薄切りにされ、その分何枚も皿に並べられた肉、その一つに箸を突き立てる。
(うわ。柔らかいぞ、これ……)
どんな魔術を使ったのか、かたいはずの肉は箸で容易く千切れるほどに柔らかくなっていた。
そして一口分、たっぷりとタレと野菜が絡められた肉を持ち上げる。
艶々と、店の光を反射して輝く肉に、ごくりと唾を飲み……口にする。
「……うめえ! 」
思わずユートの口からそんな言葉が飛び出る。
それは、ユートの知る、どんな料理よりも美味しい料理だった。
甘くてしょっぱく、僅かに辛みがある独特の風味が有るタレ。そのタレだけでも素晴らしい美味だった。
これをメシにかけただけでご馳走と言っても良いほどの味がする。
それが脂がしっかりと乗った一角猪の肉と共にある。
肉には何か細かな穀物の粉がまぶしてあり、その粉がタレを吸ってよく絡められている。
それが肉の持つ肉汁と脂と交じり合い、さらに歯ごたえを残した野菜と共に食べることで、ものすごく、うまい。
これほどのうまいものはない。
そう確信し……だが、その予想は僅か数秒で覆される。
「うおおお!? 」
それは雄たけびを上げてしまうほどうまかった。
このしょうがやきより更に美味なもの……それはしょうがやきとともに食べる、米の飯。
雑穀が入っていない、雪のように白い飯。
みずみずしく、ふっくらと炊き上げられた飯がしょうがやきと共にある。
しょうがやきの濃い味が飯の柔らかで淡白な味、この組み合わせが充分な満足感と更なる空腹感を同時に生み出す。
肉を食う。飯をかっ込む。肉を食う。飯をかっ込む。
途中、たまなや味噌汁、漬物を挟みながらただひたすらにそれを繰り返す。
無論、そんなことをすれば茶碗に盛られた飯などあっという間になくなってしまう。
「すいません!メシのお代わりを!大盛りですぐに! 」
半ば焦燥感すら感じながらユートは飯のお代わりを要求する。
「はいよ」
店主も先ほどから若い男特有の勢いで飯を食うユートを見ていたため、対応が早い。
先ほどの茶碗いっぱいに盛ったご飯をさっと用意し、持ってくる。
そんな店主に、しっかりと通る声でタロが一声吼える。
……自分にも『お代わり』を寄越せ。そういう意味で。
似たもの同士の犬と飼い主。
そんな2人を微笑ましく思いながら店主はタロの分の肉と飯を用意する。
かくて1人と1匹の飯の時間はこれ以上食えない、と思うところまで続いた。
「うぅ……やべえ、食い過ぎた」
結局飯のお代わりを3度繰り返し、しょうが焼きも1回お代わりしたユートは、苦しそうに腹をさすりながら、店の外へと出た。
タロも腹が重いという風情を漂わせており、足取りはちょっと重い。
「タロ、うまかったな。また来ような」
と言っても主人のその一言に尻尾をブンブン振りながら答えるだけの気力は残っていたようだが。
あの店の秘密については聞き出した。7日に1度だけ訪れることが出来る、秘密の店。
料理の値段はユートが想像していた額よりはるかに安く、味は折り紙つき。
この辺りを縄張りにしている師匠が時折訪れてはユートと同じく豚のしょうが焼きをガッツリ食べているらしい。
「師匠にも感謝しないとな」
思えば初めての一角猪狩りをこの辺りでするよう勧めてくれたのは、師匠だ。
きっと師匠は分け与えてくれたのだろう。異世界食堂への道を。
「よし、タロ。今日はもう寝よう!明日は人足雇って肉を運ぶから、結構な重労働だぞ」
ユートは元気よく相棒に声を掛ける。三体牛鞭
その言葉にタロはただ一言、しっかりとした声で答えた。
2014年8月26日星期二
裏の人脈作りと学園の麗華たち
「飲みますか?」
差し出された銅製のカップに入った果実水エード――ちなみに果実をそのまま絞ったものを『ジュース』といい、それを水で薄めるなどして加工したものを『エード』といって明確に区別される――をセラヴィは「ありがとう」と礼を言って受け取った。印度神油
そのままでは酸っぱくてくどい柑橘類の果汁が、適度に薄められて口当たりが良くなっている。また氷か魔法ででも冷やしているのか、冷えた水分が心地よい。――と、一気にカップの半分ほどを飲んだその目の前に、無言のまま白い掌が差し出された。
「――?」
「銅貨5枚です。あと飲み終えたカップは洗って再使用するので返してください」
「そっちの奢りじゃないのか!?」
顔をしかめたセラヴィに向かって、白猫の獣人らしい少女は臆面もなく、
「奢るなんて一言も言ってません。よろず商会うちの商品を見せて『飲みますか?』と確認しただけです」
言い放って更に掌を鼻先へと突き出してくる。
「――ちっ」
舌打ちしながらポケットから取り出した数枚の銅貨をその上に乗せた。
「どーも……今後ともご贔屓に」
完璧なお義理でそう口に出して、彼がベンチ代わりに座っている噴水の縁の隣に腰を下ろす少女。
「……なんだ?」
「なんだと言われても――ああ、別に好意があるとかではないので悪しからず。何か話があるようなので相手をするようにと、ボスから言い付かっているだけです」
ちらりと紙芝居の代わりに得体の知れない商品――「神童君が六歳の時の頭蓋骨」「とある高貴なお姫様の直筆サイン」「豚鬼オークの肉で作ったチャーシュー(本物)」――などを売り捌いている商人に視線を投げると、すぐに気付いたのか商人は『任せる』という感じに軽く片手を振った。
「……俺はあんたのボスの方と交渉するつもりで来たんだけど」
「立場を理解していないようですね。取って付けられた名声以外、何の後ろ盾も財産もない青二才相手如きが、直接ボスと交渉できるわけないでしょう?
最低限、枢機卿以上の高位神官か侯爵以上の貴族、もしくは即金で金貨の10万倍の価値のある虹貨こうかを準備できる財産家でなければ、本来は直接目通りできる相手ではないのですよ、うちのボスは」
無表情ながらも、どうだと言わんばかりに堂々と胸を張って言い切る少女。
普段のぞんざいな態度からは考えられない、外連味けれんみたっぷりの彼女の言動に対して、この場にジルがいればツッコミのひとつふたつはあったところであろうが、そうした背景を知らないセラヴィは悔しげに喉の奥で呻り声をあげて、手にしたカップに入った果実水エードの残りを一気にあおった。
「……わかった、あんたで構わない」
一見の客はお断りの格式の高いレストランか花街のような敷居の高さに内心辟易しながらも、この辺りが落としどころと理解したセラヴィは、相手の目を見てしぶしぶ頷いた。
「ご理解いただけたようで何よりです。それと私は“あんた”ではなく、シャトンですので称呼はシャトン様でもシャトン先生でもシャトン陛下でも構いませんので、遠慮なく敬意を込めて呼んで下さい」
シャトンの世迷言を無視して、空になったカップを無造作に差し返すセラヴィ。
無言で受け取ったシャトンは、ちらりと背後でセラヴィを警戒するように「ブーフーッ!」呻っていたメイド服姿の豚鬼オークを見た。
「ミル、カップを洗っておいてください」
指示された豚鬼オーク――身長120セルメルト程のまだ仔豚である――は、肩を怒らせ近づいて来ると「ウーッ!!」と歯を剥き出しにしてセラヴィに鼻息を吹き掛けながら、カップを受け取ってドスドス足音を荒げ立ち去って行った。
「……なあ、あの雌の豚鬼オークってもしかして――」
「もしかしなくても豚鬼姫オーク・プリンセスの成れの果てです。あなたに魔力の大半を削がれたので、あんな姿になりましたけど」
うわぁやっぱりか、と収まりの悪い髪を片手で掻くセラヴィ。強力催眠謎幻水
「あの状態だと簡単に使役ティムできましたので、いまは私の使い魔として登録してあります。ついでに名前も『ミルフィーユ』に変更しました。ちなみに命名者は巨乳のお姫様です。私的には『エスカロップ』が、ボスは『ヘレカツ』を推していたのですが」
いずれも胃袋に直結したヒドイ命名ネーミングであった。
「そういえば俺が最後の大技放った後、周りの有象無象を斃してくれたらしいな。感謝する」
思い出して案外素直に頭を下げる少年司祭。
その旋毛つむじの辺りを無表情に眺めながらシャトンはゆっくりと瞬きをした。
案外面食らっているのかも知れない。
「お礼を言うならあのお姫様の方へ言うべきですね。血塗れで倒れたあなたの姿に血相を変えた彼女が、自力で封魔具のロープほどいて――関節外してまた嵌めたらしいですけど、世の中のお姫様って皆あんな怪盗のようなスキルを持っているものなんですか?――勝手に現場に舞い戻った訳ですから」
まあうちのボスも「統率個体リーダーを自力で斃した以上、仕事は終了だねー」と放置しましたわけですが、と続けるシャトン。
「一応私も同伴しましたが、『金貨20枚で雇うので協力して!』と言われたからですし」
「……そうか。まあ、経緯はともかく助かったのは確かだし、あれだけの怪我まで治してもらった恩もあるから、やはり感謝する。相当高価な霊薬アムリタを使ったんだろう? まるで高位治癒術師が治療したみたいに全快してたからなぁ」
「それもお姫様がやったことです」
ついでに言えば使ったのは霊薬アムリタではなくて、高位治癒術そのものですけどね――と、シャトンは心の中で付け加えた。
(本人からもボスからも黙っているように厳命されてるので教える義理はありませんが)
「そうか。機会を見てきちんと借りを返さないとマズイな。……だから、取り引きをしたい。世界の闇を支配するという『シルエット』と」
「――はっ! そんな御伽噺を本気にしてるんですか? 馬鹿馬鹿しい。それに仮にそんな人物が実在するとしても、最初に言った通りあなた如きに力を貸すメリットがないと思いますけど?」
やれやれと肩をすくめるシャトンから、
「私のバナちゃん買いなはれ。色は少々黒いけど、一皮剥けば雪の肌。裏も表もキンキラキン。こういうバナちゃん買う兄ちゃん、末は博士か大臣か、青年団なら団長さん――」
立て板に水でバナナの叩き売りをしている行商人へと視線を移したセラヴィは「………」何か根本的に勘違いしているのかも知れない、という顔で考え込んで眉根を寄せた。
この大陸のあらゆる犯罪組織や秘密結社を統括しているという闇の王とも言える『シルエット』と、その直属の組織である『ゾンダーリングネスト』。
ほとんど都市伝説とも言えるそれの起源は『神魔聖戦フィーニス・ジハード』にまで遡るという。一説には人ならざる魔神や魔族が中核をなす、神人や超越者によって構成される超帝国に唯一拮抗する存在だとか。
その存在と力は確実に自分が思い描く野望に合致する。どんな小さな点であっても誼よしみを築かねばならない。そう密かに思っていた矢先であった。
先日の豚鬼姫オーク・プリンセスの襲撃の際にあの行商人を装った男が見せた力の片鱗は、確実にそれらに通じるものがあった。
そう直感的に感じて悶々と過ごしていたところへ、この公園に彼等らしい紙芝居屋が出没すると聞いて足を運んでみたのだが……自分の覚悟はひょっとして間違いだったのではないだろうか?
冷静になった頭を抱え込むセラヴィを醒めた目で見据えるシャトンと、その向こうで我関せずと胡散臭い商売を続ける行商人とがいた。
「~~~っ。……いや、どっちにしても俺にはこれしかないんだ。だったら自分の直観を信じる」
開き直った彼は顔を上げ、真っ直ぐな目でジャトンを見据えた。
「俺はこれからの学園と皇都での生活を最大限に利用して聖女教団のトップを獲る。賭けるモノは俺の将来と、15年前に起きた“リビティウム皇家事件”の真相とその残党とのパイプだ」VIVID
ぴくり、と口上の途中で行商人の目元が抜け目なく光った。続いて愉しげに口角が上がる。
「――さあ。伸のるか反そるか?」
覚悟を決めた少年を前に、シャトンは微かに戸惑った表情で頬の辺りに人差し指を当てた。
「ルークのことですか? 好きですよ勿論」
これから入学式で留学生代表の宣誓を行う役割を担うルークが打ち合わせに呼ばれた後の教室で、なんとなく手持ち無沙汰にしていたところへ、面白がるような顔つきでダニエルに尋ねられました。
「ところで、ジュリア嬢はルークのことをどう思っていますか?」
これに対する私の忌憚のない返事です。
「……ふむ。そう来ましたか。それは単なる友人としてしてですか? それとも男女関係としてでしょうか?」
首を捻るダニエルの追及に私も「ふむ」と首を捻りました。
「――微妙なところですね。私としては友情を優先したいところですし、ルークもそれ以上のものを求めないと思いますけど」
「「「「「いや、それはない!」」」」」
何故か一斉に周囲からツッコミの声が挙がりました。
見ればダニエルの他、随員として同行してきたカーティスさんやモニカ、エルフの友人であるプリュイと、そして相変わらず男装をしている冒険者のリーン君が「ないない」とばかり手を振ってます。
「あー……その、ジュリア嬢。仮にもしも、もしもですが、ルークの奴が貴女を異性として憎からず思っているとしたら、どう思われますか?」
そんなあり得ない――そもそもルークには他に好きな女性がいるわけですし、私自身自分が女性なのか女の子の皮を被った男の子なのか非常に曖昧だと思っているわけですので――仮定の話は予想外もいいところでした。
「はあ、異性として……ですか?」
「………いや、すみません。余計なお世話でした。どうにもアイツは優秀なんですけど、こういうことに関しては晩生おくてなもので、つい」
弟を心配する兄の顔でダニエルが頭を下げました。
「いえ、そんなに畏まらないでください。それに改めて考えてみれば、私の『好き』というのは……その、多分――」
そこへ横合いから涼やかな声が割って入りました。
「まったく無粋なものですね。このような麗しいレディの柳眉を曇らせるなど、帝国貴族は女性に対する態度がなっていないと見える」
見れば菫色の髪をしたとても綺麗な顔立ちの美少年が、咎めるような眼差しをダニエルに向けています。
(((……あら?)))
どこか浮世離れしたその美貌とは別に、妙な違和感を覚えて……私とモニカとリーン君とが一斉に首を捻りました。
「――君は?」
この教室にいる以上。そしてその身なりや物腰からも、貴族とわかりますが、帝国の侯爵子相手に臆する様子のない相手を、ダニエルが値踏みするかのように見返します。
「ヴィオラ・イグナシオ。東部サフィラス王国出身の田舎者さ」蔵八宝
流れるような優雅な仕草で一礼をすると、様子を窺っていた教室内の女生徒が微かに黄色い嬌声を上げました。
「ヴィオラ・イグナシオ……サフィラスっ?! サフィラス王家の名花、紫陽花あじさいの王女か!?」
唖然とするダニエル。
その驚きを慣れた様子で軽く受け流す彼――ではなくて、男装の麗人たるヴィオラ。
「「「あ、やっぱり」」」
私とモニカ、そしてリーン君が同時に納得の声をあげました。
そんな私の方を向いて、ふわりと微笑みながらヴィオラは優雅に一礼をして――男性が女性に対するそれです――自然な動作で手を取り、軽く口付けをしました。
「初めましてレディ。宜しければお名前をお聞きしても?」
「――はあ。初めまして。私は帝国から参りましたジュリア・フォルトゥーナと申します」
取りあえずスカートを抓んでお辞儀カーテシーをしたところへ、
「相変わらず手が早いわねヴィオラ。貴女…ジュリアさんと言ったかしら? 甘い言葉をかけられても無視することをお奨めするわ」
ため息混じりにまた聞き覚えのない女の子の声が。
「おや、嫉妬かなフロイライン・リーゼロッテ? 僕は常に誠心誠意女性に尽くしているつもりなんだけれど」
「それが性質が悪いのよ」
眉をひそめてそこに立っていたのは、漫画の中でしか見たことがない。灰色がかった金髪を見事な縦巻きロールにした女生徒でした。
「リーゼロッテ……? シレント央国の第三王女、アイリスの姫君か……」
呻くようなダニエルの言葉に、場の緊張が一気に高まります。
何しろここはシレントのお膝元であり、相手はこの国の王女なのですから、リビティウムの貴族は勿論のこと、高位貴族である留学生の面々も気圧された様子で、互いに顔を見合わせるばかりでした。
紫陽花あじさいの花に例えられるサフィラス王家の王女と、アイリスの花と謳われるシレント央国の王女。この二人に挟まれる恰好になった私――ブタクサの花は、
(……なんだか、面倒なポジションですこと)
どうにも場違いな面持ちで、密かにため息をついたのでした。新一粒神
差し出された銅製のカップに入った果実水エード――ちなみに果実をそのまま絞ったものを『ジュース』といい、それを水で薄めるなどして加工したものを『エード』といって明確に区別される――をセラヴィは「ありがとう」と礼を言って受け取った。印度神油
そのままでは酸っぱくてくどい柑橘類の果汁が、適度に薄められて口当たりが良くなっている。また氷か魔法ででも冷やしているのか、冷えた水分が心地よい。――と、一気にカップの半分ほどを飲んだその目の前に、無言のまま白い掌が差し出された。
「――?」
「銅貨5枚です。あと飲み終えたカップは洗って再使用するので返してください」
「そっちの奢りじゃないのか!?」
顔をしかめたセラヴィに向かって、白猫の獣人らしい少女は臆面もなく、
「奢るなんて一言も言ってません。よろず商会うちの商品を見せて『飲みますか?』と確認しただけです」
言い放って更に掌を鼻先へと突き出してくる。
「――ちっ」
舌打ちしながらポケットから取り出した数枚の銅貨をその上に乗せた。
「どーも……今後ともご贔屓に」
完璧なお義理でそう口に出して、彼がベンチ代わりに座っている噴水の縁の隣に腰を下ろす少女。
「……なんだ?」
「なんだと言われても――ああ、別に好意があるとかではないので悪しからず。何か話があるようなので相手をするようにと、ボスから言い付かっているだけです」
ちらりと紙芝居の代わりに得体の知れない商品――「神童君が六歳の時の頭蓋骨」「とある高貴なお姫様の直筆サイン」「豚鬼オークの肉で作ったチャーシュー(本物)」――などを売り捌いている商人に視線を投げると、すぐに気付いたのか商人は『任せる』という感じに軽く片手を振った。
「……俺はあんたのボスの方と交渉するつもりで来たんだけど」
「立場を理解していないようですね。取って付けられた名声以外、何の後ろ盾も財産もない青二才相手如きが、直接ボスと交渉できるわけないでしょう?
最低限、枢機卿以上の高位神官か侯爵以上の貴族、もしくは即金で金貨の10万倍の価値のある虹貨こうかを準備できる財産家でなければ、本来は直接目通りできる相手ではないのですよ、うちのボスは」
無表情ながらも、どうだと言わんばかりに堂々と胸を張って言い切る少女。
普段のぞんざいな態度からは考えられない、外連味けれんみたっぷりの彼女の言動に対して、この場にジルがいればツッコミのひとつふたつはあったところであろうが、そうした背景を知らないセラヴィは悔しげに喉の奥で呻り声をあげて、手にしたカップに入った果実水エードの残りを一気にあおった。
「……わかった、あんたで構わない」
一見の客はお断りの格式の高いレストランか花街のような敷居の高さに内心辟易しながらも、この辺りが落としどころと理解したセラヴィは、相手の目を見てしぶしぶ頷いた。
「ご理解いただけたようで何よりです。それと私は“あんた”ではなく、シャトンですので称呼はシャトン様でもシャトン先生でもシャトン陛下でも構いませんので、遠慮なく敬意を込めて呼んで下さい」
シャトンの世迷言を無視して、空になったカップを無造作に差し返すセラヴィ。
無言で受け取ったシャトンは、ちらりと背後でセラヴィを警戒するように「ブーフーッ!」呻っていたメイド服姿の豚鬼オークを見た。
「ミル、カップを洗っておいてください」
指示された豚鬼オーク――身長120セルメルト程のまだ仔豚である――は、肩を怒らせ近づいて来ると「ウーッ!!」と歯を剥き出しにしてセラヴィに鼻息を吹き掛けながら、カップを受け取ってドスドス足音を荒げ立ち去って行った。
「……なあ、あの雌の豚鬼オークってもしかして――」
「もしかしなくても豚鬼姫オーク・プリンセスの成れの果てです。あなたに魔力の大半を削がれたので、あんな姿になりましたけど」
うわぁやっぱりか、と収まりの悪い髪を片手で掻くセラヴィ。強力催眠謎幻水
「あの状態だと簡単に使役ティムできましたので、いまは私の使い魔として登録してあります。ついでに名前も『ミルフィーユ』に変更しました。ちなみに命名者は巨乳のお姫様です。私的には『エスカロップ』が、ボスは『ヘレカツ』を推していたのですが」
いずれも胃袋に直結したヒドイ命名ネーミングであった。
「そういえば俺が最後の大技放った後、周りの有象無象を斃してくれたらしいな。感謝する」
思い出して案外素直に頭を下げる少年司祭。
その旋毛つむじの辺りを無表情に眺めながらシャトンはゆっくりと瞬きをした。
案外面食らっているのかも知れない。
「お礼を言うならあのお姫様の方へ言うべきですね。血塗れで倒れたあなたの姿に血相を変えた彼女が、自力で封魔具のロープほどいて――関節外してまた嵌めたらしいですけど、世の中のお姫様って皆あんな怪盗のようなスキルを持っているものなんですか?――勝手に現場に舞い戻った訳ですから」
まあうちのボスも「統率個体リーダーを自力で斃した以上、仕事は終了だねー」と放置しましたわけですが、と続けるシャトン。
「一応私も同伴しましたが、『金貨20枚で雇うので協力して!』と言われたからですし」
「……そうか。まあ、経緯はともかく助かったのは確かだし、あれだけの怪我まで治してもらった恩もあるから、やはり感謝する。相当高価な霊薬アムリタを使ったんだろう? まるで高位治癒術師が治療したみたいに全快してたからなぁ」
「それもお姫様がやったことです」
ついでに言えば使ったのは霊薬アムリタではなくて、高位治癒術そのものですけどね――と、シャトンは心の中で付け加えた。
(本人からもボスからも黙っているように厳命されてるので教える義理はありませんが)
「そうか。機会を見てきちんと借りを返さないとマズイな。……だから、取り引きをしたい。世界の闇を支配するという『シルエット』と」
「――はっ! そんな御伽噺を本気にしてるんですか? 馬鹿馬鹿しい。それに仮にそんな人物が実在するとしても、最初に言った通りあなた如きに力を貸すメリットがないと思いますけど?」
やれやれと肩をすくめるシャトンから、
「私のバナちゃん買いなはれ。色は少々黒いけど、一皮剥けば雪の肌。裏も表もキンキラキン。こういうバナちゃん買う兄ちゃん、末は博士か大臣か、青年団なら団長さん――」
立て板に水でバナナの叩き売りをしている行商人へと視線を移したセラヴィは「………」何か根本的に勘違いしているのかも知れない、という顔で考え込んで眉根を寄せた。
この大陸のあらゆる犯罪組織や秘密結社を統括しているという闇の王とも言える『シルエット』と、その直属の組織である『ゾンダーリングネスト』。
ほとんど都市伝説とも言えるそれの起源は『神魔聖戦フィーニス・ジハード』にまで遡るという。一説には人ならざる魔神や魔族が中核をなす、神人や超越者によって構成される超帝国に唯一拮抗する存在だとか。
その存在と力は確実に自分が思い描く野望に合致する。どんな小さな点であっても誼よしみを築かねばならない。そう密かに思っていた矢先であった。
先日の豚鬼姫オーク・プリンセスの襲撃の際にあの行商人を装った男が見せた力の片鱗は、確実にそれらに通じるものがあった。
そう直感的に感じて悶々と過ごしていたところへ、この公園に彼等らしい紙芝居屋が出没すると聞いて足を運んでみたのだが……自分の覚悟はひょっとして間違いだったのではないだろうか?
冷静になった頭を抱え込むセラヴィを醒めた目で見据えるシャトンと、その向こうで我関せずと胡散臭い商売を続ける行商人とがいた。
「~~~っ。……いや、どっちにしても俺にはこれしかないんだ。だったら自分の直観を信じる」
開き直った彼は顔を上げ、真っ直ぐな目でジャトンを見据えた。
「俺はこれからの学園と皇都での生活を最大限に利用して聖女教団のトップを獲る。賭けるモノは俺の将来と、15年前に起きた“リビティウム皇家事件”の真相とその残党とのパイプだ」VIVID
ぴくり、と口上の途中で行商人の目元が抜け目なく光った。続いて愉しげに口角が上がる。
「――さあ。伸のるか反そるか?」
覚悟を決めた少年を前に、シャトンは微かに戸惑った表情で頬の辺りに人差し指を当てた。
「ルークのことですか? 好きですよ勿論」
これから入学式で留学生代表の宣誓を行う役割を担うルークが打ち合わせに呼ばれた後の教室で、なんとなく手持ち無沙汰にしていたところへ、面白がるような顔つきでダニエルに尋ねられました。
「ところで、ジュリア嬢はルークのことをどう思っていますか?」
これに対する私の忌憚のない返事です。
「……ふむ。そう来ましたか。それは単なる友人としてしてですか? それとも男女関係としてでしょうか?」
首を捻るダニエルの追及に私も「ふむ」と首を捻りました。
「――微妙なところですね。私としては友情を優先したいところですし、ルークもそれ以上のものを求めないと思いますけど」
「「「「「いや、それはない!」」」」」
何故か一斉に周囲からツッコミの声が挙がりました。
見ればダニエルの他、随員として同行してきたカーティスさんやモニカ、エルフの友人であるプリュイと、そして相変わらず男装をしている冒険者のリーン君が「ないない」とばかり手を振ってます。
「あー……その、ジュリア嬢。仮にもしも、もしもですが、ルークの奴が貴女を異性として憎からず思っているとしたら、どう思われますか?」
そんなあり得ない――そもそもルークには他に好きな女性がいるわけですし、私自身自分が女性なのか女の子の皮を被った男の子なのか非常に曖昧だと思っているわけですので――仮定の話は予想外もいいところでした。
「はあ、異性として……ですか?」
「………いや、すみません。余計なお世話でした。どうにもアイツは優秀なんですけど、こういうことに関しては晩生おくてなもので、つい」
弟を心配する兄の顔でダニエルが頭を下げました。
「いえ、そんなに畏まらないでください。それに改めて考えてみれば、私の『好き』というのは……その、多分――」
そこへ横合いから涼やかな声が割って入りました。
「まったく無粋なものですね。このような麗しいレディの柳眉を曇らせるなど、帝国貴族は女性に対する態度がなっていないと見える」
見れば菫色の髪をしたとても綺麗な顔立ちの美少年が、咎めるような眼差しをダニエルに向けています。
(((……あら?)))
どこか浮世離れしたその美貌とは別に、妙な違和感を覚えて……私とモニカとリーン君とが一斉に首を捻りました。
「――君は?」
この教室にいる以上。そしてその身なりや物腰からも、貴族とわかりますが、帝国の侯爵子相手に臆する様子のない相手を、ダニエルが値踏みするかのように見返します。
「ヴィオラ・イグナシオ。東部サフィラス王国出身の田舎者さ」蔵八宝
流れるような優雅な仕草で一礼をすると、様子を窺っていた教室内の女生徒が微かに黄色い嬌声を上げました。
「ヴィオラ・イグナシオ……サフィラスっ?! サフィラス王家の名花、紫陽花あじさいの王女か!?」
唖然とするダニエル。
その驚きを慣れた様子で軽く受け流す彼――ではなくて、男装の麗人たるヴィオラ。
「「「あ、やっぱり」」」
私とモニカ、そしてリーン君が同時に納得の声をあげました。
そんな私の方を向いて、ふわりと微笑みながらヴィオラは優雅に一礼をして――男性が女性に対するそれです――自然な動作で手を取り、軽く口付けをしました。
「初めましてレディ。宜しければお名前をお聞きしても?」
「――はあ。初めまして。私は帝国から参りましたジュリア・フォルトゥーナと申します」
取りあえずスカートを抓んでお辞儀カーテシーをしたところへ、
「相変わらず手が早いわねヴィオラ。貴女…ジュリアさんと言ったかしら? 甘い言葉をかけられても無視することをお奨めするわ」
ため息混じりにまた聞き覚えのない女の子の声が。
「おや、嫉妬かなフロイライン・リーゼロッテ? 僕は常に誠心誠意女性に尽くしているつもりなんだけれど」
「それが性質が悪いのよ」
眉をひそめてそこに立っていたのは、漫画の中でしか見たことがない。灰色がかった金髪を見事な縦巻きロールにした女生徒でした。
「リーゼロッテ……? シレント央国の第三王女、アイリスの姫君か……」
呻くようなダニエルの言葉に、場の緊張が一気に高まります。
何しろここはシレントのお膝元であり、相手はこの国の王女なのですから、リビティウムの貴族は勿論のこと、高位貴族である留学生の面々も気圧された様子で、互いに顔を見合わせるばかりでした。
紫陽花あじさいの花に例えられるサフィラス王家の王女と、アイリスの花と謳われるシレント央国の王女。この二人に挟まれる恰好になった私――ブタクサの花は、
(……なんだか、面倒なポジションですこと)
どうにも場違いな面持ちで、密かにため息をついたのでした。新一粒神
2014年8月25日星期一
初めての友達と、フラグ?
これまでの流れを簡単に説明すると。
平成日本でしがない二流商社の平社員だった俺が、なぜか西洋ファンタージー風な世界の零細貴族の八男坊になっていた。
魔法の才能があったので、それを練習したり、コソコソと勉強にも励み、食生活が貧困だったので狩りも行うようになる。狼1号
次第に魔法が上達し、更には自分の魔法の技を伝えるためにと、死んだ後に語り死人というアンデット系の魔物になっていた、元人間で大貴族のお抱え魔法使いであった師匠から魔法を教わり、無事に免許皆伝と彼の遺産を受け継いだ。
無用な後継争いが起こるのを防ぐために、我が侭で家の手伝いすらしない駄目息子という評価を甘んじて受ける代わりに、俺は行動の自由を得る事に成功する。
まずは、とてつもない広さを誇る未開地への探索を、飛翔と瞬間移動の魔法の習得も兼ねて行い、もう人生を何回遊んでくらしても大丈夫なほどの資産や素材を得ていた。
ついでに、苦労して味噌や醤油などの醸造魔法を習得する。
実は、この魔法が一番苦労したのは秘密だ。
領内の名主の一人が、俺を次期領主にしたいなどと、物凄く規模は小さいがまるで歴史ドラマのような下克上フラグを持参してきた。
当然そんな苦労はしたくないので、俺は丁重にお断りしている。
家に居るとまた下克上の誘いが来る可能性があるので、十二歳で別の街の冒険者予備校に入学した。
ここまでで、およそ六年と数ヶ月の月日が流れている。
色々あったが自分なりに精一杯だったので、時が経つのは早かったような気がする。
今の季節は、四月の初旬。
前世と全く同じなので違和感を感じないで使っているが、この世界における暦や長さや重さの単位も日本とほぼ同しだ。
一年は十二ヶ月で、一ヶ月が全て三十一日で三百七十二日あるのが違うくらいであろうか?
長さは、ミリ、センチ、メートル、キロだし。
重さも、グラム、キログラム、トンで。
時間も、秒、分、時間であった。
曜日も月曜から日曜まであったし、日曜は安息日で基本はお休みとなっている。
敬虔な神の信徒は、この日に教会などに行くそうだ。
信仰されている神は、この世界を作った神とされていて、名前は神その物で、他の名前など付けるのは言語道断らしい。
完全な一神教で、他の神は少なくともこのリンガイア大陸には存在しないそうだ。
地方によっては、地元の原始宗教と結び付いて微妙に教義が違ったり、歴史が長いので実は幾つか宗派があって互いに仲が悪いのは、どこの世界でも有りそうな話ではあったが。
それと、俺の居たような田舎の農村になると、あまり安息日という考えが無いというか、毎日農作業があって空いた時間に狩りや採集に出たり、そこで休むという考え方だ。
農閑期になれば比較的休みは多いのだが、うちの村では開墾や治水工事への労役が多くて評判が悪かった。
余計な話が長くなったが、俺が無事にブライヒブルクにある冒険者予備校に入学し、友人も出来、早速授業などが始まってから数日後の午後、ようやく予備校にも慣れ始めたのでアルバイトを始める事にする。
本当はそんな事はする必要は無いのだが、あまり自分の資産状況を人に知られるのも嫌だし、どのみち俺は十五歳になるまで魔物の住む領域には入れない。
なので、戦闘実技を練習するためにアルバイトを兼ねた狩りを行う事にしたのだ。
この世界で始めて出来た同年齢の友人、エルヴィン・フォン・アルニムことエルと共にだ。
「はあーーーっ、ようやく到着したな」
「しょうがあるまい。もう近場の狩り場は、他の人に取られているのだから」
俺とエルは、一時間ほどの距離を歩いて予備校の事務所で教えて貰った草原へと到着していた。
ブライヒブルクは人口二十万人以上を誇る大都市であったが、その人口のせいで膨大な食料を必要としている。
穀物や野菜は、近隣にある多くの農村から。
魚は、生憎と海から数百キロも離れているので川魚がメインで、あとは塩漬けか干し魚くらい。
塩も少し高めであったが、大量に運び込まれるので他の内陸部の都市よりは安目なようだ。
砂糖も、産地である南部なのでこれも少し安めに手に入った。
そして残る肉類であったが、これは周辺の農村で行われている牧畜だけでは到底量が足りなかった。
農地の開墾は常に行われていて穀物の生産量は上がっていたが、それに比例して人口も増えていたので、肉の生産で使える穀物の量が追い付いていなかったのだ。
そこで、重要になるのが冒険者の存在である。
冒険者と言えば魔物の住む領域に入ってそこで魔物を狩り、貴重な素材や肉などを得るのみと思っている人もいたが、全員が魔物を狩れるほど強いわけではない。
その多くが、このように人里離れた場所で人々が食べる食肉の確保を行っていたのだ。
田舎の農村だと専門の狩人がいたし、農民が空いた時間に狩りをしたり、時には村総出で狩りを行って必要な肉を得る。
都市部では、狩人も冒険者ギルドに入って狩りを行うのが常識であった。
冒険者ギルドは、ハンター(狩人)ギルドも兼ねていたのだ。
なので、冒険者予備校の生徒のアルバイトというか、人によっては己の将来を占う大切な本業とも言えるのがこの狩りである。sex drops 小情人
野生動物は魔物ほどは強くないが、それでもたまに熊や狼に襲われて死ぬ冒険者が後を絶たず、油断すれば危険なのには変わりがない。
狩りだからと言って、油断して良いはずはなかった。
「みんな、慌てて近場の狩り場に行ったな」
「遠い場所だと、危険があるからだろう」
狼などの危険な動物は、このように人里離れた場所にいる事が多いらしい。
それに、一応は学生なので明日の授業も考えてと、アルバイト組の大半は街に近い狩場へと向かってしまったようだ。
「でもよ。競争率が高くなるじゃないか」
「実際、何も狩れない奴も沢山出るらしいな」
街に近い狩場は、当然頻繁に獲物を狩られているので数が少ない。
そこにプロの冒険者もいるのだから、まだ経験の浅い学生では成果を出せない人の方が多いそうなのだ。
これが所謂、『新人への洗礼』という物らしい。
このまま数日間続けて狩りの成果が出ない人は、諦めて店番や荷物運びなどのアルバイトにチェンジする人も多いそうだ。
「このくらい離れていると、あまり他の冒険者も居ないな。なあ、ヴェル」
「静かに……」
俺はエルに静かにするように言うと、引き続き発動させた探知の魔法で周囲を探る。
「探知の魔法か? 便利なのを使えるんだな」
「狩りには便利な魔法さ。いたぞ……」
俺が反応のする方を指差し二人で移動すると、そこには大きな猪が地中の木の根を掘っている場面に遭遇する。
間違いなく、自然薯でも探しているのであろう。
「大物だな」
「ああ」
これ以上騒いだり、ただ凝視しているだけ無駄なので、俺とエルはすぐに準備していた弓に矢を番えてから狙いを定める。
エルは、剣技で予備校の特待生を勝ち取ったが、実は小さい頃から狩りをしているせいで、弓の扱いにも長けていた。
腕前は、多分魔法で軌道まで修正可能な俺よりも上手なはずだ。
彼は、数年間懸命に狩りで得た獲物を売って、ブライヒブルクまでの旅費や滞在費などの一部を得ていたのだから。
「矢にブーストをかける」
「ああ」
次の瞬間、俺とエルは同時に矢を放つ。
すると二本の矢は、猪のお尻と背中に深く突き刺さった。
「ブーストって便利だな」
風魔法であるブーストで強化した矢は、飛距離が伸び、貫通力が上がって獲物に深く突き刺さる。
上手く急所に刺されば、かなりの大物でも一撃で瀕死状態に持って行く事が可能であった。
今回は、獲物が穴に頭を突っ込んでいたので大ダメージとはいかなかったようだが。
「驚いて逃げるか?」
「残念、物凄く怒っている」
俺は前世で狩りをした事が無いので良くわからなかったが、この世界に生息する野生動物には、凶暴な個体が多いような気がする。
矢を受けたので、ここは普通逃げるのが常識かと思うのだが、なぜか逆上して、自分に危害を加えた相手に復讐を果たそうとするのだ。曲美
猪にダメージを与えたものの、逆襲の突進で大怪我をしたり、下手をすると死んでしまう冒険者は、年に数名は発生しているとの予備校の講師からの話であった。
「突進して来るよ」
「むしろ、好都合だけど」
俺とエルは、慌てずに次の矢を番えてからそれを放つ。
またブーストで強化された矢は、二本ともこちらに突進して来る猪の脳天に突き刺さる。
猪は、物凄い音を立てながらつんのめったまま動くなくなった。
「死んだかな?」
エルは慎重に猪に近付き、既にその猪が死んでいるのを剣で突いて確認していた。
「幸先が良いな。でも、ヴェルは弓も上手いな」
「練習の成果さ」
最初は狙いが微妙だったので、ほとんど魔法で軌道まで弄っていたのだが、最近ようやく狙いが正確になっていたのだ。
それでも、猪の脳天真ん中に矢が刺さったエルの腕前には遙かに及ばなかった。
「ヴェルは、魔法が使えるから良いじゃないか。仕舞っておいてくれ」
「わかった」
俺は、すぐに絶命している猪を魔法の袋に仕舞う。
魔法の袋に仕舞えば、仕舞っている間は時間が止まっている状態なので猪の血が固まったり肉質が劣化する事もない。
獲物の処理は後で纏めてやった方が効率が良いので、今は袋に仕舞うだけにしていたのだ。
それと、今獲物を仕舞った袋は俺が新たに作った物だ。
魔道具作りの練習用に作った物だが、血の滴る猪の死体をいつも使っている魔法の袋にしまうのもと考え、事前に作っておいて良かったと思う俺であった。
この新しい袋は、やはり一般人でも使える汎用品は作れなかったので、同じく魔法使いにしか使えない一品となっている。
しかも、簡単に作ったので収容量が家一軒分くらいしかないのが難点であったが、獲物用の袋として割り切れば使い勝手は良いはずであった。
「一キロ圏内に、結構小型の獲物が点在しているな」
「へえ、当たりじゃないか。どっちが多く狩れるか競争しようぜ」
「負けた方が夕飯を驕るって事で」
「了解」
俺とエルは、二手に分かれてそれぞれに獲物を追い始める。
二時間後に合流した俺達は、早速成果の発表を行っていた。
「俺は、ウサギが六羽だな」
「すげえな」
「ウサギのみに絞って正解だな」
やはりエルは、弓の腕にも優れているようであった。
「俺は、ウサギが二羽にホロホロ鳥が三羽だ。うーーーん、負けだな」
「数ではな。しかしお前、良くそんなにホロホロ鳥を狩れるよな」
いくら弓の腕に優れていても、ホロホロ鳥は人の気配に敏感なので弓の射程距離に入る前に逃げてしまう事が多い。K-Y
狩人泣かせと言われる所以であった。
俺は魔法で弓の射程と軌道を変えられるから、比較的簡単に獲れてしまうのだ。
「勝敗は数だからエルの勝ちだよ。何を食べたい?」
「街に戻ってから決めるわって、どうかしたのか?」
「街寄りの東五百メートル。人間の反応が二つに、狼らしき反応が十二か……」
「拙いよな?」
「ああ」
情況的には、狼の群れが狩りに来ていた二人を包囲している情況であったからだ。
犬の仲間で群れを作る狼は、個体でも集団でも人間には脅威となる。
実際、狼に襲われて毎年多くの人が命を落としているのだから。
「助けに行くか?」
「帰り道だから、死なれると寝覚めが悪いか」
「でも、間に合うのか?」
「しゃあない。緊急手段だ」
俺は、素早く身体機能強化と速度アップの魔法を唱えると、エルを抱えて恐ろしい速度で現場へと向かうのであった。
「てめぇ! せめて、どんな魔法かと手順を説明してからにしやがれ!」
「時間が惜しかったからな。ほら、行くぞ」
「ああ」
僅か数十秒で五百メートルの距離をエルを抱えながら疾走した俺は、エルの苦情を聞き流しながら現場の様子を確認していた。
そこには、俺達と同じ予備校の生徒二人が狼に囲まれているようであった。
一人は槍で、もう一人は珍しい事に両手に装備した手甲からして拳法使いのようだ。
この西洋ファンタジー的な世界には、実は拳法がポピュラーな戦闘術として普及している。
戦場で武器を失った際に素手でも戦えるようにと開発された戦場格闘術が基礎と言われ、これから多くの流派が発生していた。
だが、今ではその多くが衰退気味であった。
やはり素手では、どうしても凶暴な野生動物や、更には魔物に対抗できなかったからだ。
一部の流派が、都市部の治安を維持する警備隊などの必須訓練メニューに指定されているので命脈を保っているのと。
あとは、冒険者の間で普及している魔闘流が世間では一番有名かもしれなかった。
魔闘流とは、読んで字の如く、魔力を闘気に変えて闘う格闘術である。
なので当然、ある程度魔力がないと使えない。
凄いと思われるには、最低でも初級と中級の間くらいの魔力は必要だ。
ただ、流派を掲げている家の人間に必ず魔力持ちが生まれる保障も無いので、そういう家の人間は技の型や修練方法を伝えるのが目的というのが、世間の常識になっている。
あとは、魔力を使って戦うので、使っている間は他の魔法が使えない。
魔力が中級以下で、しかも覚えられる魔法が少なかったり、覚えられた魔法の種類が微妙な人向けというのが世間からの認識であった。
しかしながら、修行によって魔力の消費効率が上がると少ない魔力で長時間超人のように戦えるので、実は冒険者として歴史に名を残す人が多い職種でもあったのだ。SPANISCHE FLIEGE D5
平成日本でしがない二流商社の平社員だった俺が、なぜか西洋ファンタージー風な世界の零細貴族の八男坊になっていた。
魔法の才能があったので、それを練習したり、コソコソと勉強にも励み、食生活が貧困だったので狩りも行うようになる。狼1号
次第に魔法が上達し、更には自分の魔法の技を伝えるためにと、死んだ後に語り死人というアンデット系の魔物になっていた、元人間で大貴族のお抱え魔法使いであった師匠から魔法を教わり、無事に免許皆伝と彼の遺産を受け継いだ。
無用な後継争いが起こるのを防ぐために、我が侭で家の手伝いすらしない駄目息子という評価を甘んじて受ける代わりに、俺は行動の自由を得る事に成功する。
まずは、とてつもない広さを誇る未開地への探索を、飛翔と瞬間移動の魔法の習得も兼ねて行い、もう人生を何回遊んでくらしても大丈夫なほどの資産や素材を得ていた。
ついでに、苦労して味噌や醤油などの醸造魔法を習得する。
実は、この魔法が一番苦労したのは秘密だ。
領内の名主の一人が、俺を次期領主にしたいなどと、物凄く規模は小さいがまるで歴史ドラマのような下克上フラグを持参してきた。
当然そんな苦労はしたくないので、俺は丁重にお断りしている。
家に居るとまた下克上の誘いが来る可能性があるので、十二歳で別の街の冒険者予備校に入学した。
ここまでで、およそ六年と数ヶ月の月日が流れている。
色々あったが自分なりに精一杯だったので、時が経つのは早かったような気がする。
今の季節は、四月の初旬。
前世と全く同じなので違和感を感じないで使っているが、この世界における暦や長さや重さの単位も日本とほぼ同しだ。
一年は十二ヶ月で、一ヶ月が全て三十一日で三百七十二日あるのが違うくらいであろうか?
長さは、ミリ、センチ、メートル、キロだし。
重さも、グラム、キログラム、トンで。
時間も、秒、分、時間であった。
曜日も月曜から日曜まであったし、日曜は安息日で基本はお休みとなっている。
敬虔な神の信徒は、この日に教会などに行くそうだ。
信仰されている神は、この世界を作った神とされていて、名前は神その物で、他の名前など付けるのは言語道断らしい。
完全な一神教で、他の神は少なくともこのリンガイア大陸には存在しないそうだ。
地方によっては、地元の原始宗教と結び付いて微妙に教義が違ったり、歴史が長いので実は幾つか宗派があって互いに仲が悪いのは、どこの世界でも有りそうな話ではあったが。
それと、俺の居たような田舎の農村になると、あまり安息日という考えが無いというか、毎日農作業があって空いた時間に狩りや採集に出たり、そこで休むという考え方だ。
農閑期になれば比較的休みは多いのだが、うちの村では開墾や治水工事への労役が多くて評判が悪かった。
余計な話が長くなったが、俺が無事にブライヒブルクにある冒険者予備校に入学し、友人も出来、早速授業などが始まってから数日後の午後、ようやく予備校にも慣れ始めたのでアルバイトを始める事にする。
本当はそんな事はする必要は無いのだが、あまり自分の資産状況を人に知られるのも嫌だし、どのみち俺は十五歳になるまで魔物の住む領域には入れない。
なので、戦闘実技を練習するためにアルバイトを兼ねた狩りを行う事にしたのだ。
この世界で始めて出来た同年齢の友人、エルヴィン・フォン・アルニムことエルと共にだ。
「はあーーーっ、ようやく到着したな」
「しょうがあるまい。もう近場の狩り場は、他の人に取られているのだから」
俺とエルは、一時間ほどの距離を歩いて予備校の事務所で教えて貰った草原へと到着していた。
ブライヒブルクは人口二十万人以上を誇る大都市であったが、その人口のせいで膨大な食料を必要としている。
穀物や野菜は、近隣にある多くの農村から。
魚は、生憎と海から数百キロも離れているので川魚がメインで、あとは塩漬けか干し魚くらい。
塩も少し高めであったが、大量に運び込まれるので他の内陸部の都市よりは安目なようだ。
砂糖も、産地である南部なのでこれも少し安めに手に入った。
そして残る肉類であったが、これは周辺の農村で行われている牧畜だけでは到底量が足りなかった。
農地の開墾は常に行われていて穀物の生産量は上がっていたが、それに比例して人口も増えていたので、肉の生産で使える穀物の量が追い付いていなかったのだ。
そこで、重要になるのが冒険者の存在である。
冒険者と言えば魔物の住む領域に入ってそこで魔物を狩り、貴重な素材や肉などを得るのみと思っている人もいたが、全員が魔物を狩れるほど強いわけではない。
その多くが、このように人里離れた場所で人々が食べる食肉の確保を行っていたのだ。
田舎の農村だと専門の狩人がいたし、農民が空いた時間に狩りをしたり、時には村総出で狩りを行って必要な肉を得る。
都市部では、狩人も冒険者ギルドに入って狩りを行うのが常識であった。
冒険者ギルドは、ハンター(狩人)ギルドも兼ねていたのだ。
なので、冒険者予備校の生徒のアルバイトというか、人によっては己の将来を占う大切な本業とも言えるのがこの狩りである。sex drops 小情人
野生動物は魔物ほどは強くないが、それでもたまに熊や狼に襲われて死ぬ冒険者が後を絶たず、油断すれば危険なのには変わりがない。
狩りだからと言って、油断して良いはずはなかった。
「みんな、慌てて近場の狩り場に行ったな」
「遠い場所だと、危険があるからだろう」
狼などの危険な動物は、このように人里離れた場所にいる事が多いらしい。
それに、一応は学生なので明日の授業も考えてと、アルバイト組の大半は街に近い狩場へと向かってしまったようだ。
「でもよ。競争率が高くなるじゃないか」
「実際、何も狩れない奴も沢山出るらしいな」
街に近い狩場は、当然頻繁に獲物を狩られているので数が少ない。
そこにプロの冒険者もいるのだから、まだ経験の浅い学生では成果を出せない人の方が多いそうなのだ。
これが所謂、『新人への洗礼』という物らしい。
このまま数日間続けて狩りの成果が出ない人は、諦めて店番や荷物運びなどのアルバイトにチェンジする人も多いそうだ。
「このくらい離れていると、あまり他の冒険者も居ないな。なあ、ヴェル」
「静かに……」
俺はエルに静かにするように言うと、引き続き発動させた探知の魔法で周囲を探る。
「探知の魔法か? 便利なのを使えるんだな」
「狩りには便利な魔法さ。いたぞ……」
俺が反応のする方を指差し二人で移動すると、そこには大きな猪が地中の木の根を掘っている場面に遭遇する。
間違いなく、自然薯でも探しているのであろう。
「大物だな」
「ああ」
これ以上騒いだり、ただ凝視しているだけ無駄なので、俺とエルはすぐに準備していた弓に矢を番えてから狙いを定める。
エルは、剣技で予備校の特待生を勝ち取ったが、実は小さい頃から狩りをしているせいで、弓の扱いにも長けていた。
腕前は、多分魔法で軌道まで修正可能な俺よりも上手なはずだ。
彼は、数年間懸命に狩りで得た獲物を売って、ブライヒブルクまでの旅費や滞在費などの一部を得ていたのだから。
「矢にブーストをかける」
「ああ」
次の瞬間、俺とエルは同時に矢を放つ。
すると二本の矢は、猪のお尻と背中に深く突き刺さった。
「ブーストって便利だな」
風魔法であるブーストで強化した矢は、飛距離が伸び、貫通力が上がって獲物に深く突き刺さる。
上手く急所に刺されば、かなりの大物でも一撃で瀕死状態に持って行く事が可能であった。
今回は、獲物が穴に頭を突っ込んでいたので大ダメージとはいかなかったようだが。
「驚いて逃げるか?」
「残念、物凄く怒っている」
俺は前世で狩りをした事が無いので良くわからなかったが、この世界に生息する野生動物には、凶暴な個体が多いような気がする。
矢を受けたので、ここは普通逃げるのが常識かと思うのだが、なぜか逆上して、自分に危害を加えた相手に復讐を果たそうとするのだ。曲美
猪にダメージを与えたものの、逆襲の突進で大怪我をしたり、下手をすると死んでしまう冒険者は、年に数名は発生しているとの予備校の講師からの話であった。
「突進して来るよ」
「むしろ、好都合だけど」
俺とエルは、慌てずに次の矢を番えてからそれを放つ。
またブーストで強化された矢は、二本ともこちらに突進して来る猪の脳天に突き刺さる。
猪は、物凄い音を立てながらつんのめったまま動くなくなった。
「死んだかな?」
エルは慎重に猪に近付き、既にその猪が死んでいるのを剣で突いて確認していた。
「幸先が良いな。でも、ヴェルは弓も上手いな」
「練習の成果さ」
最初は狙いが微妙だったので、ほとんど魔法で軌道まで弄っていたのだが、最近ようやく狙いが正確になっていたのだ。
それでも、猪の脳天真ん中に矢が刺さったエルの腕前には遙かに及ばなかった。
「ヴェルは、魔法が使えるから良いじゃないか。仕舞っておいてくれ」
「わかった」
俺は、すぐに絶命している猪を魔法の袋に仕舞う。
魔法の袋に仕舞えば、仕舞っている間は時間が止まっている状態なので猪の血が固まったり肉質が劣化する事もない。
獲物の処理は後で纏めてやった方が効率が良いので、今は袋に仕舞うだけにしていたのだ。
それと、今獲物を仕舞った袋は俺が新たに作った物だ。
魔道具作りの練習用に作った物だが、血の滴る猪の死体をいつも使っている魔法の袋にしまうのもと考え、事前に作っておいて良かったと思う俺であった。
この新しい袋は、やはり一般人でも使える汎用品は作れなかったので、同じく魔法使いにしか使えない一品となっている。
しかも、簡単に作ったので収容量が家一軒分くらいしかないのが難点であったが、獲物用の袋として割り切れば使い勝手は良いはずであった。
「一キロ圏内に、結構小型の獲物が点在しているな」
「へえ、当たりじゃないか。どっちが多く狩れるか競争しようぜ」
「負けた方が夕飯を驕るって事で」
「了解」
俺とエルは、二手に分かれてそれぞれに獲物を追い始める。
二時間後に合流した俺達は、早速成果の発表を行っていた。
「俺は、ウサギが六羽だな」
「すげえな」
「ウサギのみに絞って正解だな」
やはりエルは、弓の腕にも優れているようであった。
「俺は、ウサギが二羽にホロホロ鳥が三羽だ。うーーーん、負けだな」
「数ではな。しかしお前、良くそんなにホロホロ鳥を狩れるよな」
いくら弓の腕に優れていても、ホロホロ鳥は人の気配に敏感なので弓の射程距離に入る前に逃げてしまう事が多い。K-Y
狩人泣かせと言われる所以であった。
俺は魔法で弓の射程と軌道を変えられるから、比較的簡単に獲れてしまうのだ。
「勝敗は数だからエルの勝ちだよ。何を食べたい?」
「街に戻ってから決めるわって、どうかしたのか?」
「街寄りの東五百メートル。人間の反応が二つに、狼らしき反応が十二か……」
「拙いよな?」
「ああ」
情況的には、狼の群れが狩りに来ていた二人を包囲している情況であったからだ。
犬の仲間で群れを作る狼は、個体でも集団でも人間には脅威となる。
実際、狼に襲われて毎年多くの人が命を落としているのだから。
「助けに行くか?」
「帰り道だから、死なれると寝覚めが悪いか」
「でも、間に合うのか?」
「しゃあない。緊急手段だ」
俺は、素早く身体機能強化と速度アップの魔法を唱えると、エルを抱えて恐ろしい速度で現場へと向かうのであった。
「てめぇ! せめて、どんな魔法かと手順を説明してからにしやがれ!」
「時間が惜しかったからな。ほら、行くぞ」
「ああ」
僅か数十秒で五百メートルの距離をエルを抱えながら疾走した俺は、エルの苦情を聞き流しながら現場の様子を確認していた。
そこには、俺達と同じ予備校の生徒二人が狼に囲まれているようであった。
一人は槍で、もう一人は珍しい事に両手に装備した手甲からして拳法使いのようだ。
この西洋ファンタジー的な世界には、実は拳法がポピュラーな戦闘術として普及している。
戦場で武器を失った際に素手でも戦えるようにと開発された戦場格闘術が基礎と言われ、これから多くの流派が発生していた。
だが、今ではその多くが衰退気味であった。
やはり素手では、どうしても凶暴な野生動物や、更には魔物に対抗できなかったからだ。
一部の流派が、都市部の治安を維持する警備隊などの必須訓練メニューに指定されているので命脈を保っているのと。
あとは、冒険者の間で普及している魔闘流が世間では一番有名かもしれなかった。
魔闘流とは、読んで字の如く、魔力を闘気に変えて闘う格闘術である。
なので当然、ある程度魔力がないと使えない。
凄いと思われるには、最低でも初級と中級の間くらいの魔力は必要だ。
ただ、流派を掲げている家の人間に必ず魔力持ちが生まれる保障も無いので、そういう家の人間は技の型や修練方法を伝えるのが目的というのが、世間の常識になっている。
あとは、魔力を使って戦うので、使っている間は他の魔法が使えない。
魔力が中級以下で、しかも覚えられる魔法が少なかったり、覚えられた魔法の種類が微妙な人向けというのが世間からの認識であった。
しかしながら、修行によって魔力の消費効率が上がると少ない魔力で長時間超人のように戦えるので、実は冒険者として歴史に名を残す人が多い職種でもあったのだ。SPANISCHE FLIEGE D5
2014年8月22日星期五
テッケイルの一閃
テッケイルが一定の距離を保ちテリトリアルと対峙しているところをオーノウスはテッケイルが作り出した鳥の上で悔しそうに拳を握りしめていた。
本来なら先の《熱波狼牙》でテリトリアルを仕留めていたはずなのに、彼を仕留めることに躊躇してしまい結果、こうして傷を負わされテッケイルに間一髪なところを助けられている。蒼蝿水(FLY D5原液)
「……不甲斐無い」
オーノウスはテッケイルとテリトリアルを戦わせたくはなかったのだ。二人は本当に仲の良い家族のような間柄だった。
ある日、テリトリアルがテッケイルを拾ってきた時から、彼を養子にして生き方、戦い方を教授していた。テッケイルはテリトリアルを慕い、テリトリアルもテッケイルを大切に育てていた。
よく子育てについて相談もされたことがあるが、オーノウスはいつも揺るがず冷静沈着なテリトリアルが、酒の席では子について悩んでいる様は新鮮で面白いものだった。
だがそれだけ彼がテッケイルのことを真剣に考えているということで、オーノウスは嬉しかった。
本当の親子のような二人。その絆はとても強固なものだったはずだ。
だからこそ、二人を戦わせたくないと思ったオーノウスは、自らがテリトリアルを止めるべく動くことにしたのだ。
「しかしこの様か……」
ギリッと、自らの覚悟の弱さに悔やむ。あの時、終わらせておけば、こうして師弟対決など見なくても済んだはずなのだ。
オーノウスはテッケイルが止血してくれた部分を手で触れながら申し訳なさそうに眉をひそめて二人の戦いを見つめていた。
「逃げてばかりでは私を倒せんぞテッケイル」
そんなテリトリアルの挑発ともとれる言葉にはテッケイルは耳を貸さない。先程から彼が放つ黒点から回避するばかりである。
「……何を狙っているのだ?」
質問に答えず、そのまま上昇し、テリトリアルを見下ろす場所へと移動。テッケイルは筆を右手で持って空中に素早く絵を描く。描いたのは岩である。それがボンッと具現化すると、大きさが何十倍にもなった大岩がテリトリアルに向かって落下し始める。
「……そうきたか」
テリトリアルが上空を見上げながらテッケイルの攻撃に呟く。
「だが無駄だ」
すると今までずっと閉じていたその瞼がゆっくりと持ち上げられる。その瞬間、大岩が彼の瞳の中へと吸い込まれていく。その様子を黙ってテッケイルは見下ろしている。Motivator
そしてテリトリアルよりも遥かに大きい岩が全て消失してから、テッケイルは静かに彼と同じ立ち位置まで移動していく。対面する両者。
「……久しぶりッスね。先生のその眼」
「私には魔法は通じない。知っているだろう?」
「覚えてるッスよ。何度先生に魔法を吸い取られたか……その瞳―――――《菱毘眼ひしびがん》にね」
「私が本当に《菱毘眼》を使えるのか試したか。情報収集役のお前らしいな」
「…………《魔眼》の一つ―――《菱毘眼》。魔法や属性攻撃を吸収することができる能力を持ってる稀少な瞳。変わらず好調のようッスね」
彼の両眼。常人のそれとは違い、二重の菱形になっている形状。白目の中に赤い菱形があり、その中心に黒い菱形が存在している。そしてその黒い菱形の中に魔法や属性攻撃は分解されて全て吸収され、魔力として還元するという恐ろしい能力である。
「けど、ずっと目を閉じてたのは何でッスか? もしかして、親友であるオーノウスさんを見ながら戦うのが心苦しかったからッスか?」
「……それもある。だがお前も知っているはずだ。私のこの瞳が制御できないことを」
「そうだったッスね。目を開けている間は、近くにある魔法を敵味方問わず吸い込んでしまうんスね」
彼の瞳は確かに強力なものだが、開けている間は彼自身も魔法は使えないのだ。何故ならその魔法も全て吸い込んでしまうからだ。つまり先程黒点を作りテッケイルに攻撃していたが、もし目を開けていたら、その黒点は生み出された直後に瞳へと吸い込まれてしまう。
「でも、やっぱり目を開けて僕を見て欲しかったッスから」
「…………すまないな、私はいつもお前の想いを裏切っている」
「……先生」
テッケイルは頭を横に振る。
「いいえッス。今のはちょっとすねてみただけッス」
「テッケイル……」
「はは、それに先生はいつも僕の想いを真っ直ぐ受け止めてくれてたッスよ」
「…………」
「だから…………あなたは僕が止めるッス」
テッケイルがそう宣言した瞬間、密林のあちこちから炎が生まれた。
「ん?」
テリトリアルが外へと視線を向かわせ、燃え上がる木々を見つめる。テッケイルはその様子を見て笑みを浮かべる。
「時間稼ぎ成功ッスね」
「ほう、何をしたのだテッケイル?」
「ここに来る前に、兵士たちに指示を与えておいたんス」SPANISCHE FLIEGE
密林の外に待機している兵士たちに、密林へ入っていった者にあることを伝えてもらったのだ。それは森の中から火を放つこと。そして放ったら即座に森から脱出することである。
するとテリトリアルが再び炎を鎮火するべく動き出すはず。だが今、テッケイルがテリトリアルを止めているので、炎をどうにかすることなどできない。
これなら厄介な森を焼失させることができると踏んだ。
「なるほど、考えたものだなテッケイル」
「先生の相手は僕ッスよ。この森は消させてもらうッス!」
再びテリトリアルに向かってテッケイルが空中に描いたものをぶつける。それは無数とも思えるほどのツバメほどの鳥の群れ。次々と具現化する鳥が、真っ直ぐテリトリアルへと突撃していく。
テリトリアルは例の如く《菱毘眼》を使ってテッケイルの魔法を吸い取っていく。密林に燃え盛っている炎のような大規模なものを吸いこもうとするならば、目に全神経を集中しなければならない。身動き一つできないその様子では、テッケイルから簡単に攻撃を受けてしまうので、その選択はできないのである。
テッケイルは彼の意識を自分へと集中させて、その間に密林を燃やし尽くす方法をとった。
「根競こんくらべッスね先生!」
高速に手を動かして吸い込まれる勢いに負けじと鳥を生み出していく。
「……と、そんな効率の悪いことはしないッスよ!」
「むっ!?」
テリトリアルの眼前に鳥の後ろにナイフが隠されていることに彼が気づき、一旦吸い込むのを止めてその場から脱出する。だが彼の背後からナイフを構えたテッケイルが鳥に乗って飛んできた。
「っ!?」
ブシュゥッと血しぶきが舞う。しかしそれはテッケイルの身体からだった。見事なばかりに反応したテリトリアルが、すかさず右手に持っていた剣を振り向かってきていたテッケイルの身体に斬撃をくらわせたのだ。
攻撃をした本人であるテリトリアルは悲しげに眉をひそめている。アヴォロスに操られた身体は、自然に敵を討つ対応をしてしまうのだ。もちろん愛弟子であるテッケイルを好きで攻撃などしたくないだろう。
しかし身体は勝手に動いてしまう。自らの手で傷つけたことでテリトリアルは悲しみに包まれた。
しかし刹那、斬られたテッケイルの身体が一瞬で液体状になり弾けた。
「っ!?」
するとテリトリアルは上空から殺気を感じて見上げる。そこからテッケイルが単独で落下してきて、その手には腰に携帯していた剣が握られてある。SPANISCHE FLIEGE D9
「もらったッスよ!」
落下の速さを利用した剣速は更にテッケイルの振り下ろす力が加わり閃光の如き剣線を生む。しかしそこはさすがのテリトリアルなのか、空だというのに俊敏に身体を引きかわそうとする。
テッケイルも彼が間違いなく反応するだろうことは分かっていた。だからクイッとテッケイルもまた身体を動かしてターゲットを逃さないようにする。
しかし突如としてテリトリアルを中心にして重力結界が出現する。たとえ結界に入っているテッケイルの重力を何倍にもしようが、ほぼ意味は無い。いや、意味がないどころかさらに勢いが増すだけ。だからこそテッケイルは上空から真っ直ぐに落下してきているのだ。
ただテリトリアルの身体が一瞬ブレてその場から残像を残して消失する。テッケイルは彼が自らの重力を軽減して素早く回避したのだと判断し顔を青ざめさせる。しかし次の瞬間、
「まだ諦めるなテッケイルッ!」
声が聞こえるのはテッケイルの上方。そこには背後からテリトリアルを拘束しているオーノウスの姿があった。
「オーノウス……!?」
「お主の咄嗟の動きは……俺には見えている」
「…………」
「ともに幾戦もの戦場を駆け抜けてきた親友だからだ!」
「……!?」
オーノウスの身体も決して万全ではない。むしろ瀕死に近いだろう。それなのにテリトリアルの動きを読み取り、彼の回避先へと先回りしていたようだ。テリトリアルは身体を必死に動かしているが、オーノウスの力が強いのか抜け出せずにいる。
「今だぁぁぁっ! やれテッケイルゥゥゥッ!」
オーノウスのその叫びにテッケイルの胸の中に熱いものが流れ込む。そしてオーノウスが乗っていた鳥が下にいたので、その鳥を足場にしてそのまま跳び上がった。真っ直ぐテリトリアルを照準に入れる。そして重力結界に入った瞬間、テッケイルは目を閉じて彼の気配を感じ取る。そのまま剣を振り被り――――――――
「くっ! せんせぇぇぇぇぇぇぇっ!」
テッケイルは悲痛な顔を浮かべながら振り下ろした。悲しみを覚悟に、覚悟を力に変えて、その剣に想いの全てを乗せて一閃した。
瞬間、テッケイルの覚悟を感じたのか、テリトリアルは穏やかに頬を緩めた。
「……強くなったな…………テッケイル」
テッケイルの剣がテリトリアルの身体を斬り裂いた。SPANISCHE FLIEGE D6
本来なら先の《熱波狼牙》でテリトリアルを仕留めていたはずなのに、彼を仕留めることに躊躇してしまい結果、こうして傷を負わされテッケイルに間一髪なところを助けられている。蒼蝿水(FLY D5原液)
「……不甲斐無い」
オーノウスはテッケイルとテリトリアルを戦わせたくはなかったのだ。二人は本当に仲の良い家族のような間柄だった。
ある日、テリトリアルがテッケイルを拾ってきた時から、彼を養子にして生き方、戦い方を教授していた。テッケイルはテリトリアルを慕い、テリトリアルもテッケイルを大切に育てていた。
よく子育てについて相談もされたことがあるが、オーノウスはいつも揺るがず冷静沈着なテリトリアルが、酒の席では子について悩んでいる様は新鮮で面白いものだった。
だがそれだけ彼がテッケイルのことを真剣に考えているということで、オーノウスは嬉しかった。
本当の親子のような二人。その絆はとても強固なものだったはずだ。
だからこそ、二人を戦わせたくないと思ったオーノウスは、自らがテリトリアルを止めるべく動くことにしたのだ。
「しかしこの様か……」
ギリッと、自らの覚悟の弱さに悔やむ。あの時、終わらせておけば、こうして師弟対決など見なくても済んだはずなのだ。
オーノウスはテッケイルが止血してくれた部分を手で触れながら申し訳なさそうに眉をひそめて二人の戦いを見つめていた。
「逃げてばかりでは私を倒せんぞテッケイル」
そんなテリトリアルの挑発ともとれる言葉にはテッケイルは耳を貸さない。先程から彼が放つ黒点から回避するばかりである。
「……何を狙っているのだ?」
質問に答えず、そのまま上昇し、テリトリアルを見下ろす場所へと移動。テッケイルは筆を右手で持って空中に素早く絵を描く。描いたのは岩である。それがボンッと具現化すると、大きさが何十倍にもなった大岩がテリトリアルに向かって落下し始める。
「……そうきたか」
テリトリアルが上空を見上げながらテッケイルの攻撃に呟く。
「だが無駄だ」
すると今までずっと閉じていたその瞼がゆっくりと持ち上げられる。その瞬間、大岩が彼の瞳の中へと吸い込まれていく。その様子を黙ってテッケイルは見下ろしている。Motivator
そしてテリトリアルよりも遥かに大きい岩が全て消失してから、テッケイルは静かに彼と同じ立ち位置まで移動していく。対面する両者。
「……久しぶりッスね。先生のその眼」
「私には魔法は通じない。知っているだろう?」
「覚えてるッスよ。何度先生に魔法を吸い取られたか……その瞳―――――《菱毘眼ひしびがん》にね」
「私が本当に《菱毘眼》を使えるのか試したか。情報収集役のお前らしいな」
「…………《魔眼》の一つ―――《菱毘眼》。魔法や属性攻撃を吸収することができる能力を持ってる稀少な瞳。変わらず好調のようッスね」
彼の両眼。常人のそれとは違い、二重の菱形になっている形状。白目の中に赤い菱形があり、その中心に黒い菱形が存在している。そしてその黒い菱形の中に魔法や属性攻撃は分解されて全て吸収され、魔力として還元するという恐ろしい能力である。
「けど、ずっと目を閉じてたのは何でッスか? もしかして、親友であるオーノウスさんを見ながら戦うのが心苦しかったからッスか?」
「……それもある。だがお前も知っているはずだ。私のこの瞳が制御できないことを」
「そうだったッスね。目を開けている間は、近くにある魔法を敵味方問わず吸い込んでしまうんスね」
彼の瞳は確かに強力なものだが、開けている間は彼自身も魔法は使えないのだ。何故ならその魔法も全て吸い込んでしまうからだ。つまり先程黒点を作りテッケイルに攻撃していたが、もし目を開けていたら、その黒点は生み出された直後に瞳へと吸い込まれてしまう。
「でも、やっぱり目を開けて僕を見て欲しかったッスから」
「…………すまないな、私はいつもお前の想いを裏切っている」
「……先生」
テッケイルは頭を横に振る。
「いいえッス。今のはちょっとすねてみただけッス」
「テッケイル……」
「はは、それに先生はいつも僕の想いを真っ直ぐ受け止めてくれてたッスよ」
「…………」
「だから…………あなたは僕が止めるッス」
テッケイルがそう宣言した瞬間、密林のあちこちから炎が生まれた。
「ん?」
テリトリアルが外へと視線を向かわせ、燃え上がる木々を見つめる。テッケイルはその様子を見て笑みを浮かべる。
「時間稼ぎ成功ッスね」
「ほう、何をしたのだテッケイル?」
「ここに来る前に、兵士たちに指示を与えておいたんス」SPANISCHE FLIEGE
密林の外に待機している兵士たちに、密林へ入っていった者にあることを伝えてもらったのだ。それは森の中から火を放つこと。そして放ったら即座に森から脱出することである。
するとテリトリアルが再び炎を鎮火するべく動き出すはず。だが今、テッケイルがテリトリアルを止めているので、炎をどうにかすることなどできない。
これなら厄介な森を焼失させることができると踏んだ。
「なるほど、考えたものだなテッケイル」
「先生の相手は僕ッスよ。この森は消させてもらうッス!」
再びテリトリアルに向かってテッケイルが空中に描いたものをぶつける。それは無数とも思えるほどのツバメほどの鳥の群れ。次々と具現化する鳥が、真っ直ぐテリトリアルへと突撃していく。
テリトリアルは例の如く《菱毘眼》を使ってテッケイルの魔法を吸い取っていく。密林に燃え盛っている炎のような大規模なものを吸いこもうとするならば、目に全神経を集中しなければならない。身動き一つできないその様子では、テッケイルから簡単に攻撃を受けてしまうので、その選択はできないのである。
テッケイルは彼の意識を自分へと集中させて、その間に密林を燃やし尽くす方法をとった。
「根競こんくらべッスね先生!」
高速に手を動かして吸い込まれる勢いに負けじと鳥を生み出していく。
「……と、そんな効率の悪いことはしないッスよ!」
「むっ!?」
テリトリアルの眼前に鳥の後ろにナイフが隠されていることに彼が気づき、一旦吸い込むのを止めてその場から脱出する。だが彼の背後からナイフを構えたテッケイルが鳥に乗って飛んできた。
「っ!?」
ブシュゥッと血しぶきが舞う。しかしそれはテッケイルの身体からだった。見事なばかりに反応したテリトリアルが、すかさず右手に持っていた剣を振り向かってきていたテッケイルの身体に斬撃をくらわせたのだ。
攻撃をした本人であるテリトリアルは悲しげに眉をひそめている。アヴォロスに操られた身体は、自然に敵を討つ対応をしてしまうのだ。もちろん愛弟子であるテッケイルを好きで攻撃などしたくないだろう。
しかし身体は勝手に動いてしまう。自らの手で傷つけたことでテリトリアルは悲しみに包まれた。
しかし刹那、斬られたテッケイルの身体が一瞬で液体状になり弾けた。
「っ!?」
するとテリトリアルは上空から殺気を感じて見上げる。そこからテッケイルが単独で落下してきて、その手には腰に携帯していた剣が握られてある。SPANISCHE FLIEGE D9
「もらったッスよ!」
落下の速さを利用した剣速は更にテッケイルの振り下ろす力が加わり閃光の如き剣線を生む。しかしそこはさすがのテリトリアルなのか、空だというのに俊敏に身体を引きかわそうとする。
テッケイルも彼が間違いなく反応するだろうことは分かっていた。だからクイッとテッケイルもまた身体を動かしてターゲットを逃さないようにする。
しかし突如としてテリトリアルを中心にして重力結界が出現する。たとえ結界に入っているテッケイルの重力を何倍にもしようが、ほぼ意味は無い。いや、意味がないどころかさらに勢いが増すだけ。だからこそテッケイルは上空から真っ直ぐに落下してきているのだ。
ただテリトリアルの身体が一瞬ブレてその場から残像を残して消失する。テッケイルは彼が自らの重力を軽減して素早く回避したのだと判断し顔を青ざめさせる。しかし次の瞬間、
「まだ諦めるなテッケイルッ!」
声が聞こえるのはテッケイルの上方。そこには背後からテリトリアルを拘束しているオーノウスの姿があった。
「オーノウス……!?」
「お主の咄嗟の動きは……俺には見えている」
「…………」
「ともに幾戦もの戦場を駆け抜けてきた親友だからだ!」
「……!?」
オーノウスの身体も決して万全ではない。むしろ瀕死に近いだろう。それなのにテリトリアルの動きを読み取り、彼の回避先へと先回りしていたようだ。テリトリアルは身体を必死に動かしているが、オーノウスの力が強いのか抜け出せずにいる。
「今だぁぁぁっ! やれテッケイルゥゥゥッ!」
オーノウスのその叫びにテッケイルの胸の中に熱いものが流れ込む。そしてオーノウスが乗っていた鳥が下にいたので、その鳥を足場にしてそのまま跳び上がった。真っ直ぐテリトリアルを照準に入れる。そして重力結界に入った瞬間、テッケイルは目を閉じて彼の気配を感じ取る。そのまま剣を振り被り――――――――
「くっ! せんせぇぇぇぇぇぇぇっ!」
テッケイルは悲痛な顔を浮かべながら振り下ろした。悲しみを覚悟に、覚悟を力に変えて、その剣に想いの全てを乗せて一閃した。
瞬間、テッケイルの覚悟を感じたのか、テリトリアルは穏やかに頬を緩めた。
「……強くなったな…………テッケイル」
テッケイルの剣がテリトリアルの身体を斬り裂いた。SPANISCHE FLIEGE D6
2014年8月19日星期二
ついに出陣
ミズホ伯国を出た馬車は、無事にフィリップ公爵領内に入る。
大陸の最北にあるフィリップ公爵領は現在真冬で寒く、広大な畑には雪も積もっていたが、馬車の通行を妨げるほどではないのが救いであろうか。花痴
順調に、領主館がある中心都市フィーリン近郊まで馬車は進んでいた。
「広い畑ですね」
「北方にあっても、フィリップ公爵領は大農業地帯じゃからの」
小麦、大麦、ライ麦、ジャガイモが主要栽培作物で、砂糖もテンサイから精製しているそうだ。
二毛作なのであろう。
畑には真冬なのにも関わらず、作物が植わっている。
「もっとも、南方のサトウキビに比べると効率が落ちるのでな。大規模な畑で栽培しておる」
地球ほど品種改良が進んでいないそうで、糖分の含有量が低く、大量に栽培しないと駄目らしい。
それでも距離の関係で輸入するよりも安いので、テンサイからの製糖はフィリップ公爵領の重要産業になっているそうだ。
「あとは、漁業と牧畜なども盛んじゃ」
「牧畜をしているのですか?」
「土地は大量にあるのじゃが、寒いのでな」
古からのラン族達による弛まぬ努力によって、フィリップ公爵領にはあまり魔物の領域が存在しない。
だからこそ可能な芸当とも言える。
他の土地では、牧畜で得た牛、豚、鳥の肉は高級品であった。
土地が大量にあるので農業が盛んなのだが、北端には冬になると極寒になる土地があるので、そこで『毛豚』という大型の豚を放牧しているそうだ。
「イノシシが、少し豚に近づいたような家畜じゃの。テンサイの絞りカスも食べさせて育てる」
大型で寒さに強く、繁殖力も旺盛で、何でも食べるので盛んに放牧されているそうだ。
フィリップ公爵領では、『毛豚』の肉が庶民にも盛んに食べられているとテレーゼは説明していた。
ベーコンやソーセージ加工して保存性を高め、これも輸出品になっているそうだ。
「あとは、荷馬車用や軍馬の繁殖も盛んじゃの」
「軍事も経済も精強であると?」
「一応、選帝侯の中では一番力を持っていると言われておる」
他にも鉱山が多く、工業なども発展しているらしい。
確かに、次第に見えてくるフィーリンはブライヒブルクにも負けない大都市であった。
「経済規模と兵力でいれば、ニュルンベルク公爵領よりも上であるからの。そこまで差があるわけでもないが」
帝国に臣従して支配層の混血は進んでいるが、北方の覇者であったラン族の独立心は強い。
支配者であるはずのフィリップ公爵家の当主に褐色の肌色が求められる事から見ても、帝国北部はかなり特殊な地域のようだ。
「ミズホ伯国もあるからの」
テレーゼが笑いながら説明している間に馬車はフィーリンの町に入り、領主館へと向かう。
城塞のような館へと到着すると、中から二十代後半と二十代半ばくらいの若い男性二人が飛び出してくる。
「ご無事でしたか。お館様」
「安堵いたしました」
「悪運の賜物じゃの。それよりも、客人がおるのでな」
若い男性二人の差配で俺達は部屋を宛がわれて落ち着くが、一緒にいるテレーゼがそっと教えてくれる。
「我が兄君達じゃよ」
「それは複雑ですね」
「そうさな。腹の中では何を考えておるのか?」
見た感じは能力不足に見えないのに、肌の色が白いという理由で公爵位を継げなかったのだ。
色々と胸に仕舞っている感情もあるのであろう。
「某が考えたのは、ここに到着した直後にテレーゼ様が兄達の反乱によって捕らわれるか殺される可能性である」
体を暖めるために貰ったアクアビットのお湯割りをチビチビと飲みながら、導師が物騒な事を言い始める。
もしそんな事をしようと考えても、すぐに導師によって防がれてしまうのであろうが。
「もしそれを考えても、みんな導師や伯爵様に殺されて終わりだろうな」
ブランタークさんも、俺と同じ考えであった。
導師に魔法使いでもないのに少人数で逆らうなど、ただの無謀の極みである。
「いや、ブランタークよ。その前にそれは出来ぬのじゃ」
「肌が白いからですか?」
「そういう事じゃの」
帝国に支配されてしまったラン族にとって、肌が褐色の当主は絶対に譲れない条件らしい。
なので、テレーゼの兄達がクーデターを起こそうとしても誰も付いて来ないのだそうだ。
「兄達の子供達は、肌が褐色であるがの。我が甥達を当主に立てても、それが傀儡なのは誰の目から見ても明らかじゃ」
更に、子供が総大将では勝てる戦争も勝てなくなってしまう。
余計に誰も付いてこないはずだとテレーゼは説明していた。
「でも、ニュルンベルク公爵が調略を仕掛けてくる可能性はありますよね?」
「それは防げぬが、そこはお互い様であろう?」
テレーゼはこの部屋に来る前に、兄達にニュンベルク公爵を倒し帝都を奪還するための兵の召集に、北部やその他地域の諸侯への通告を命令している。
『ニュルンベルク公爵に組して反乱に参加するか、それを打倒せんとする我らフィリップ公爵家に付くか』と。
かなり過激な檄文を添えさせて送ったらしい。
「『ミズホ伯国はこちらに付いた』という情報と共にの」
帝国の統一過程で、多くの民族が家臣化してその下に付いている。
その中で唯一、半独立国の形態を維持しているミズホ伯国は他民族である貴族やその領民達から畏怖の目で見られていた。
しかも、彼らが防衛以外で軍を出すのは初めてであり、その伝説的な強さと相まって、多くの味方が得られるであろうとテレーゼは考えているようだ。
「他民族を抱える貴族達は、ニュルンベルク公爵の動きに戦々恐々であろうからの。ほとんど参加すると見て良いはずじゃ」
「そんなに異民族がいるのですか?」
バルデッシュにはどう見てもアラブ系や中華系の建物などもあったが、見てすぐにわかるのは肌が褐色のラン族くらいであった。
ミズホ人は、ミズホ服を着て髪と瞳が黒いからわかるのであって、外見は西洋人と日本人のハーフみたいなので実は良く見ないとわからない人も多いのだ。
「ここ千年ほどで混血と混在が進んでの。大半の民族はそこまで外見に差があるわけでもない。言語も、古代魔法文明時代から大陸で統一が進んでおるし」
一応、帝国がまだ王国を名乗っていた頃から中央に生活している民族をアーカート族と呼んで、これを主要民族としているらしい。
ニュルンベルク公爵は、彼らを中心に帝国の中央集権を進めようとクーデターを起こしたのだと。
「ところが、このアーカート族の定義も曖昧での」
ただ中央にいる人達といった感じで、この辺は中国の漢民族に扱いが似ているのかもしれない。
生物学的に、アーカート族が存在するわけでもないのだ。
「要するに中央集権を進めるけど、見てすぐにわかる邪魔なラン族とミズホ族を先に屈服させるぞと?」
「潰して隷属化に置けば、東西の連中も恐れて言う事を聞くであろうからの」
ラン族とミズホ族はわかりやすい敵だから潰す。
強いので、屈服させてしまえば他の他民族も簡単に靡くであろうとニュルンベルク公爵は考えているようだ。
「それで、これからのスケジュールはどうなるのですか?」
「明日にでも先遣隊を出す予定じゃ」
兵力数では不利になるはずなので迎撃戦を行うが、敵を領内に入れて領地が荒れるのを防ぎたいとテレーゼは語る。
「北方諸侯の離反を防ぐためにも、彼らの所領内での戦闘もご法度じゃの。そこでじゃ……」
テレーゼは、一枚の地図をテーブルの上に広げる。
帝国の詳細な地図で、ちょうど中央直轄地と北部領域の中間点に赤い丸が描かれていた。
「『ソビット大荒地』ですか……」
フィリップ公爵領に続く北方街道沿いでしか見ていないが、『ソビット大荒地』とはその名の通りに広大な荒地である。
帝国直轄地になっているが、北方領域との境目にあり、水は井戸を掘らないと確保できず、昔の鉱山や鉱床が廃鉱として点在していたりと、開発が後回しにされている場所であった。
「ここに拠点を築いて、ここでニュルンベルク公爵の北上を防ぐ」
「短期決戦ではないのであるか?」
「然り」
導師の問いに、テレーゼが頷く。
「これは内戦なので、出来れば短期決戦が好ましいがの……」
南部を完全に掌握し、今は中央部の平定を行っているニュルンベルク公爵よりも、いまだ北方諸侯全てを纏めているわけではないテレーゼの方がどう考えても不利なので、そう簡単には帝都に兵を進められないわけだ。
「ソビット大荒地でニュルンベルク公爵の攻勢を防いで打撃を与えた方が、彼の地盤に皹を入れられるからの」
忠誠心が強い、クーデターに参加した帝国軍と南部諸侯軍に打撃を与えられるし、そうなればやむを得ずニュルンベルク公爵に従っている諸侯に動揺を与えられる。
「帝都を抑えているのは強みではあるが、逆に弱みでもある」
特に、あの通信と移動の魔法と魔道具の稼動を阻害する装置が良くなかった。
交通と流通にダメージを与えるので、むしろ帝都を持っているニュルンベルク公爵の方がダメージを受けるのだから。福源春
「碌な事をしない公爵様だな」
ブランタークさんはそう言うが、実はこの装置のせいで王国は内乱に関与できない。
王国北部にもこの装置の効果が及んでいるはずなので、内乱に乗じて兵を出すなど不可能なのだ。
ギガントの断裂に臨時で渡した橋なりロープウェイで兵を送ったとしても、現地の帝国軍や貴族達は侵略者に徹底的に抵抗するであろう。
占領が出来たとしても、今度はその土地の統治が必要である。
暫くは持ち出しが続くが、それを運ぶのに魔導飛行船が使えない。
補給に重大な欠陥を抱えて勝てるほど戦争は甘くは無いのだから。
「下手に王国が内乱に手を出すと、逆に王国が消耗するでしょうね」
喜ぶのは、自分だけは戦功を挙げたい軍人や、軍に物資などが売れれば良いと考えている一部商人だけであろう。
「内乱の長期化は帝国を疲弊させるが、現状で短期決戦は不可能なのじゃ。無理をして滅亡する気は妾もないからの。もっとも、底意地の悪い妾なので負けたら諦めて亡命でもするであろうな」
別に、テレーゼの考えは間違ってはいない。
潔く滅びるなど、歴史物語の記述では感動するかもしれないが、現実ではただのバカだからだ。
他国に亡命してでも次の機会を待つ。
これが普通の権力者と言えるのかもしれない。
「もしそうなると妾は疲れているであろうから、ヴェンデリンの側室にでもなってあとは子供に任せるかの」
王国が北進する際に、その子か孫か子孫を利用してくれればフィリップ家は再興されるかもしれない。
あくまでも可能性であるが、その可能性のために貴族は家を繋ぐのである。
「テレーゼ様は相変わらずだねぇ……」
ルイーゼが呆れているが、今はそんな話よりも重要な事があった。
「それで、俺達の仕事は?」
「無論ソビット大荒地の確保と、持久戦に備えた恒久野戦陣地の構築よな。土木冒険者と呼ばれているヴェンデリンに相応しい任務じゃ」
「そのあだ名、帝国にまで知られているのかよ」
方針は決まったので、明日には急ぎ出発しなければいけない。
『飛翔』や『瞬間移動』が使えないので、何をするにも時間がかかるのだから。
「大きな馬ですね」
「北方特産の『ドサンコ馬』と言います。あまりスピードは出ませんけど、パワーと持久力は素晴らしいですし、粗食にも耐えます」
フィリップ公爵領に到着した翌日の朝、すぐに俺達はソビット大荒地を目指して北方街道を南下していた。
兵力は、フィリップ公爵家諸侯軍と、帝都の異変を察知して事前に兵力を整えていた貴族数家の諸侯軍で合計五千名ほど。
軍を動かすのに必要な軍需物資は、全て俺とフィリップ公爵家や他の貴族家がお抱えにしている魔法使い達が魔法の袋で運んでいる。
馬や馬車も大量に動員して移動速度を早める工夫はしているが、どうしても徒歩の兵が半数以上も出るので彼らは武器だけ持たせて防寒着だけ着せていた。
重たい防具は、全て馬車か魔法の袋の中である。
もし敵軍が前に塞がれば、俺達が魔法で排除する予定になっていた。
「なるべく急いでも二日……。いや三日か?」
俺達は馬を与えられているが、その馬は普通の馬よりも二周り以上は大きかった。
ここまで大きいと何か別の動物にも見えるが、この馬は『ドサンコ馬』といって北方固有の馬なのだそうだ。
「馬で移動とは言っても全力では駆け抜けられませんし、それならスピードの遅いこの馬でも問題ありませんから」
重い荷駄を引いたり、農耕に使う馬らしいが、それでも人が歩くよりは早い。
物資の輸送を行う馬車を引くために、テレーゼの兄達が事前に準備していたのだ。
「ちゃんと仕事をしているのか。裏切りとか模索すると思ったけど」
「あなた。さすがにそれは言い過ぎかと……」
テレーゼはあり得ないと言っていたが、俺は彼女の兄二人を疑っていた。
ニュルンベルク公爵の調略で、『新しいフィリップ公爵は肌が白い方が望ましい。もしそうなれば、新帝国で重用しよう』とか言って裏切りを唆す可能性があったからだ。
「従兄達はそこまでバカではないですよ。もし裏切りに成功しても、次にニュルンベルク公爵に粛清されるのは自分達だと理解していますし」
馬には俺とエリーゼで乗っていて、併走する通常の馬には一人の褐色の肌色の若者が乗っていた。
テレーゼの従兄で分家の当主でもあり、この先遣隊の大将であるアルフォンスという名前で、まだ二十歳だそうだ。
「肌の色は重要なのですね」
「ええ。他の人達から見れば下らない事なのかもしれませんがね」
帝国には屈したが、フィリップ公爵家の当主にはラン族の血が濃い者を。
これは絶対であり、過去に強引に白い肌の者が当主になった事もあったが、決して上手くいかなかったそうだ。
「それに、従兄達のお子は共に褐色の肌ですしね」
ニュルンベルク公爵を打倒すれば、状況から見て次の皇帝はテレーゼに回ってくるはず。
皇位とフィリップ公爵位の兼任は不可能なので、自然と自分の子供に公爵位が回ってくるというわけだ。
「なるほど。なら安心だ」
「でしょう?」
決して崩れない信念や狂信的な忠誠心よりも、よっぽど信用できるというものだ。
「それにしても意外なのは、バウマイスター伯爵が馬に乗れない事ですかね」
「貧乏騎士の八男に、乗馬訓練の時間なんてありませんよ」
昔のバウマイスター家には、軍馬が数頭しかいかなった。
それも、他の貴族家みたいに専用の軍馬を購入して維持しているわけではない。
農耕馬の中から程度の良い物を選んで、それに馬具を載せてらしく見せているだけであった。
外を知らない領民達には、その程度でも綺麗な軍馬に見えてしまうのだ。
実際にブライヒレーダー辺境伯家が所持している軍馬と比べると、物悲しくなるほどの駄馬に見えてしまう。
ところがそんな一見駄馬でも、過去の魔の森遠征では役に立ったらしい。
農耕馬ゆえに粗食に耐え、スピードは遅くても持久力は上回っていたからだ。
遠征軍に生存者がいたのも、途中でこの馬を潰して食料などにしていたためであるらしい。
俺の子供時代には、馬不足で八男に乗馬訓練の時間など巡ってこなかった。
それに、『飛翔』と『瞬間移動』があれば魔法使いに馬など必要もない。
前世では、学校の遠足で行った遊園地と牧場がくっ付いた施設で乗馬体験をしたくらい。
良くある、馬に乗って決められたコースを係りの人に引いて貰って一周するアレである。
その程度の経験で、いきなりこんな大きな馬に乗れるはずがない。
そんなわけで、今はエリーゼが馬を操っていて、俺は彼女の後ろでしがみ付いているだけだ。
「奥方殿は、馬の扱いが上手ですね」
「この馬は大人しいですから。少し教わっただけの私でも大丈夫です」
謙遜でそう言っているが、エリーゼは乗馬も上手であった。
教会の奉仕活動で王都近辺に出かける事もあり、必要なので覚えたそうだ。
それで覚えられるのだから、やはりエリーゼは完璧超人なのであろう。
「ちょうど良い機会だから、合間にエリーゼに教えて貰いますよ」
「そうですね。上級貴族に乗馬は必須ですから」
移動魔法や魔導飛行船はそう簡単に使える物でもなく、普段の移動では馬を使うのが一番便利だ。
ただ、馬は維持と調教で金がかかる。
特に軍馬になるような馬ではその費用が跳ね上がり、良い馬に乗れるというのは上級貴族の証でもあった。
あの自他共に認める運動神経がマイナスのブライヒレーダー辺境伯でさえ、ちゃんと訓練をして馬に乗れるのだから。
「男的には、エリーゼに引っ付いて馬に乗っていると素晴らしい」
言うまでも無く、主にお尻の感触がである。
「気持ちはわかりますが、バウマイスター伯爵が乗馬を覚えて奥方殿を後ろに乗せれば、もっと素晴らしいと思いますよ」
なるほど、確かにアルフォンスの言う通りである。
国と民族は違えど、彼は男のロマンを理解する素晴らしい男であった。
「アルフォンス。君は素晴らしい男だな」
「バウマイスター伯爵。いやヴェンデリンよ。君もそれを理解する男であったか」
俺とアルフォンスは、馬上から熱い握手をする。
まさに終生の友を得た思いであった。
「あなたは、そういう事も嬉しいのですか? 私達は夫婦なのに……」
エリーゼが恥ずかしそうに俺に聞いてくる。
既にお互いの裸を見合っている夫婦なのに、服の上からのお尻や胸の感触の何が嬉しいのかと思っているのであろう。
「エリーゼ。それはそれ。これはこれなのだ」
「はあ……」
それは、男と女の間にある永遠の壁なのかもしれない。
エリーゼには理解できなかったようで首を傾げていたが、その様子もかなり可愛かった。
「実は、俺の奥さん達も理解できていないからなぁ」
アルフォンスはテレーゼの従兄で分家の当主なので、既に奥さんが三人もいるそうだ。
先遣隊の総大将に任命されるほどなので、大身なのは当然とも言える。
「この前の休日に、俺は夢を叶えた」
「夢とな?」
「そうだ。『夢の三人裸エプロン作戦』をな……」
大身である分家の奥さんなのに、彼女達に裸エプロンで料理をさせてそれを後ろからニヤニヤと見ていたそうだ。
恐ろしいまでの俗物ぶりであったが、同時に俺は大切な事を忘れていたのに気が付く。
「しまった! 俺はまだやっていない!」
「五人の奥さんでやれば、もっと絶景なのに勿体無いぞ」勃動力三体牛鞭
「確かにそうだ! 今度やってみよう」
「是非に勧めるぞ」
アルフォンスも後押ししてくれたので、俺は絶対にやろうと心に決める。
「それでこそ。我が心の友だ!」
「あなた。裸でエプロンを着けると何か良い事でもあるのですか?」
良くわからないといった表情で、エリーゼが俺に聞いてくる。
彼女は教育で基本的な男女の事は知っているが、ブライヒレーダー辺境伯から妙な本を借りて耳年増なイーナに比べるとその手の知識は皆無であった。
「子供が生まれやすくなる」
「知りませんでした。そんな方法で子供が生まれやすくなるとは」
別に、俺は嘘はついていない。
真面目なエリーゼは、それならば協力しないとと心に決めたようだ。
「ヴェル。あんたねぇ……」
その耳年増なイーナは何か言いたそうであったが、今は乗馬を覚えようと懸命でその余裕が無いようだ。
何しろうちのパーティーには上級貴族出身者が少ないので、乗馬ができるメンバーが少ない。
エリーゼに、エドガー軍務卿の援助で乗馬を覚えたヴィルマに、あとは意外なところでカタリーナも馬に乗れる。
彼女の場合は、貴族は馬に乗れて当たり前だと思って密かに練習をしていたようだが。
乗馬の練習でもボッチ。
彼女は、実は俺を上回るボッチの達人なのかもしれない。
「ヴェンデリンさん。、何か失礼な事を考えておりませんか?」
「無いに決まっているじゃないか。ただカタリーナの華麗な乗馬姿に見惚れていただけ」
「最低限の嗜みですし……。恥ずかしいじゃないですか。ヴェンデリンさん」
どうやら、上手く誤魔化せたようだ。
カタリーナは、俺の御世辞に顔を赤く染めている。
実際に、馬に乗っている姿はとても似合っているので問題は無いであろう。
「ヴィルマ。イーナはどう?」
「運動神経が良いから、すぐに覚えると思う」
間違いなく、俺が一番乗馬を覚えるのに時間がかかるはずだ。
俺の運動神経は、どう贔屓目に評価しても普通であった。
「おおっ! カタリーナの胸が背中に当たる! ヴェル。交代すると天国だよ」
「ルイーゼさん! 恥ずかしいじゃないですか!」
ルイーゼに乗馬を教えているカタリーナは、彼女のオヤジ発言に顔を真っ赤にして文句を言っていた。
「ヴェンデリンの奥方にも、男のロマンが理解できる者がいたのか」
「アルフォンスさんは、余計な事を言わないでください!」
カタリーナは、ルイーゼを同志認定したアルフォンスにも文句を言う。
「全く……。心配になる大将ですわね……」
カタリーナはそう言うが、俺はアルフォンスの大将の資質に全く疑問を抱いていない。
常にバカみたいな事を言っているが、先遣隊は良く纏まっている。
『アルフォンスはの。普段はバカみたいな事ばかり言っておるが、なぜか皆が良く纏まるのじゃ』
妙なカリスマがあって、部下が喜んで働く。
実際に、先遣隊はそういう状態になっている。
だからこそテレーゼも、彼を先遣隊の総大将に任命したのであろう。
「しかし、あそこは見苦しいね……」
アルフォンスの視線は、一頭のドサンコ馬に乗ったブランタークさんと導師に向いていた。
「確かに……。ムサいな……」
前でブランタークさんが手綱を握り、その後ろに導師が乗っているのだが、見ていて心に響く何かはない。蒼蝿水
この組み合わせなのは、一応年の功で馬には乗れるが通常の軍馬は厳しいブランタークさんと、体が大き過ぎて普通の馬だと潰れてしまう導師だからだ。
「ドサンコ馬でも、導師だと辛いのかな?」
実質三人分の重さなので、二人の乗る馬のスピードは少し遅めであった。
「お前ら。言いたい放題だな……」
「ブランターク殿の背中には、アームストロング導師のただ硬い胸板が。私には無理です。あり得ません。交代を強く要求するでしょう」
「噂通りだな。アルフォンス殿よ」
ただ、アルフォンスの言う事ももっともである。
導師の百%筋肉の胸板の感触など、特殊な趣味でもないと嬉しくないのだから。
「某とて、我慢しているのである」
「言ってくれるな。導師よ」
しかも、何気に導師も酷い事を言う。
自分は馬に乗れなくて、ブランタークさんに運んで貰っているのに。
「でも、導師が馬に乗れないのは意外でした」
アームストロング家は軍家系なので、乗馬の訓練くらいは普通にすると思っていたからだ。
「アームストロング伯爵家の者は代々体が大きいのでな。馬体の大きな馬を独自に育成・調教してはいるのだが……」
実家にいた頃は訓練できたが、家を出ると大きな馬を手に入れて維持するのが難しくなった。
それに、導師は魔法使いである。
無理に馬に乗る必要もなく、乗れないというよりは久しぶりなので無理をしてないといった方が正解なのかもしれない。
前世的にいうと、ペーパードライバーの感覚なのであろう。
「この馬ならば、あとで購入しても良さそうであるな」
導師は、自分が普通に乗れる馬を見付けて嬉しそうであった。
「ドサンコ馬は輸出禁止品目ですけどね」
荷駄や馬車を引くのにこれほど良い馬は無いので、フィリップ公爵領から外に出すのを禁止されているらしい。
唯一の例外として、去勢された雄馬は帝国内で使われているそうであったが。
「実際に、私達が乗っているドサンコ馬も去勢された雄馬ですしね」
アルフォンスの言う通りで、確かに全てのドサンコ馬には去勢された跡があった。
軍馬として徴用する個体は、戦場での鹵獲を考慮して全て去勢馬にするのが決まりだそうだ。
「その前に、ドサンコ馬は暑い場所では生きていけないのですよ」
体が大きくて熱が篭もりやすいので、精々で王国北部が生存限界点であろうとアルフォンスが予想していた。
「残念であるな。しかし……」
導師は一つ気になっている事があるようだ。
不意に視線を他に向けると、その先には同じドサンコ馬に乗るエルとハルカの姿があった。
「うちも貧乏貴族だったからなぁ……」
「あまり無理に手綱は引かないでくださいね」
「馬に任せる感じで?」
「そうですね」
俺と同じくエルも貧乏貴族の五男なので、彼にも乗馬の経験がほとんどなかった。
ハルカも条件は同じなのだが、彼女は抜刀隊に抜擢される腕前なのでそこで訓練を受けている。
そこでエルは、彼女と一緒の馬に乗って乗馬の訓練を受けていたのだ。
「お上手ですね」
「いや、まだ一抹の不安があるなぁ……」
「そこは慣れですから」
真面目なハルカはエルに丁寧に乗馬を教えていて、彼も彼女の指導を真面目に受けていた。
だが、俺は気が付いている。
導師もブランタークさんもアルフォンスも同様で、それは指導が熱心なあまりに後ろからエルの背中に体を押し付けているハルカに、エルが心の中で歓喜している事をだ。
「(主に胸だな……)」
「(であろうな)」
「(他にあるか)」
「(押し付け設定だね。ハルカ君はポイント高いなぁ……)」
男の考える事にさほど違いなどなく、俺達は同時に同じような事を小声で呟く。
そしてそれから二日間、俺達は乗馬の訓練を続けながら無事にソビット大荒地へと到着するのであった。
「やれやれ。向こうも熱心だな……」
フィリップ公爵家諸侯軍の先遣隊がソビット大荒地に到着してから三日後、俺は南側で土木工事をしながら遠方に見えるニュルンベルク公爵家軍の偵察隊を発見していた。
「バウマイスター伯爵よ。うちの者が仕留めるので安心して工事を続けられるが宜しかろうて」
「それは心配していませんけどね」
俺はニュルンベルク公爵家軍以下の反乱軍の北上に備えて、ソビット大荒地の南側で馬避けの堀を幾重にも張り巡らせ、野戦陣地の構築にも協力していた。
帝国の交通と流通を担う北方街道を塞ぐ行動であったが、先に反乱軍側が商人や旅人の北部への移動を禁止していたので問題ない。
こちらも、北方にいる商人や住民の移動を禁止しているのでお互い様だ。
内乱で帝国内の流通が南北に分断している状態であったが、別に俺のせいではないので仕方が無い。
そしてそんな工事の様子を定期的に敵の偵察隊が見にくるのだが、それもすぐに排除されている。
なぜなら……。
「我がミズホ伯国自慢の抜刀隊がいるからな」
ソビット大荒地に点在する岩などに潜んでいた、ミズホ伯国の精鋭抜刀隊が数名、偵察隊の騎士や兵士達に斬りかかる。
彼らは剣やシールドでそれを防ごうとするが、装備している魔刀によって体ごと切り裂かれてしまう。
あとには、切断された数体の死体だけが残された。
彼らを斬り殺した抜刀隊の面々は、その死体と馬などを回収して戻ってくる。
「何度目であったかな?」
「五度目にございます。お館様」
「しつこいの。来る度に始末するのを忘れないように」
「畏まりました」
抜刀隊の面々はミズホ上級伯爵に報告を行うと、馬と死体を置いて再び隠れて敵を待つ。
気配を消した敵にいきなり魔刀で切りかかられ、鋼の剣やシールド程度では防いでも切り裂かれてしまう。
この魔刀、燃費や整備性などに欠点があるようであったが、その凄さは過去の歴史から見ても明らかである。
彼ら自身も厳しい選抜と訓練を乗り越えているエリートであり、俺はなぜミズホ伯国の兵士達が帝国人から恐れられるのかを実感していた。
「しかしながら、戦況はこちらが不利であるかな」
ソビット大荒地に、反乱軍の北上を防ぐための防衛野戦陣地の構築には成功しつつある。
これには俺も土木魔法で参加しているので『墨俣の一夜城』には負けるが、この三日間で大まかな部分は仕上げていた。
防衛戦力も、フィリップ公爵家から追加で援軍が来ていて一万人を超えているし、ミズホ上級伯爵も自ら一万人の軍勢を率いて参加している。
北部諸侯も一部を除けばこちらに付くと明言していて、既に軍を送り込んでいる貴族もいた。
東部や西部の諸侯でも、北部に領地がある貴族の大半がこちらの味方だ。
しかし、次第に状況が知られるにつれて、こちら側の不利が判明している。
南部と中央部はほぼ反乱軍の手に落ちていて、今では一部の面従腹背の貴族達と、地下に潜ったラン族とミズホ人が少数だけのようだ。
何しろ、ニュルンベルク公爵はラン族・ミズホ資本の接収や、収容所送りまでしているのだから。
経済的には褒められた事ではないが、情報の漏洩や例の通信と移動を防ぐ魔道具の破壊を防ぐためであろう。
「まさか、残り全ての選帝侯家が裏切るとはな」
裏切るというか、当主を人質にされてそうせざるを得ないというか。
よほど抵抗しなければ殺された貴族は少ないようだが、軟禁状態にある貴族は少なくない。
なぜわかるのかと言えば……。
「当主を見捨ててこちらには付けないでしょうし」
「であろうな」
ミズホ上級伯爵に報告を行う、黒装束に身を包んだ男性。
顔は見えないが、年齢は三十歳くらいだと思う。
彼こそは、代々『ハンゾウ』の名を受け継ぐミズホ伯国の諜報機関の長であるらしい。
見た目は、時代劇に良く出てくる忍者その物であるが。
「通信と移動を阻害され、情報の伝達速度が格段に落ちて困っております」
「それは向こうも同じだけど……。面倒な事になったなぁ」
ニュルンベルク公爵はそれを生かして、当主からの連絡不在で混乱している中央と他の選帝侯家を落としたのだから。
物理的に全て落ちたわけではないが、動けないで実質的に反乱軍を利している選帝侯家もあった。
ハンゾウさんからの報告を聞いて、アルフォンスは溜息をついている。
「ハンゾウさんは、どうやって帝都などの情報を?」
「勿論馬とこの足にて。我ら『クサ』の者は、こういう事態も想定して日頃から備えておりますれば」
早馬と走りで、敵地からの情報を集めているらしい。SEX DROPS
お互い様だが、こうなると何をするにも時間がかかって困ってしまう。
大陸の最北にあるフィリップ公爵領は現在真冬で寒く、広大な畑には雪も積もっていたが、馬車の通行を妨げるほどではないのが救いであろうか。花痴
順調に、領主館がある中心都市フィーリン近郊まで馬車は進んでいた。
「広い畑ですね」
「北方にあっても、フィリップ公爵領は大農業地帯じゃからの」
小麦、大麦、ライ麦、ジャガイモが主要栽培作物で、砂糖もテンサイから精製しているそうだ。
二毛作なのであろう。
畑には真冬なのにも関わらず、作物が植わっている。
「もっとも、南方のサトウキビに比べると効率が落ちるのでな。大規模な畑で栽培しておる」
地球ほど品種改良が進んでいないそうで、糖分の含有量が低く、大量に栽培しないと駄目らしい。
それでも距離の関係で輸入するよりも安いので、テンサイからの製糖はフィリップ公爵領の重要産業になっているそうだ。
「あとは、漁業と牧畜なども盛んじゃ」
「牧畜をしているのですか?」
「土地は大量にあるのじゃが、寒いのでな」
古からのラン族達による弛まぬ努力によって、フィリップ公爵領にはあまり魔物の領域が存在しない。
だからこそ可能な芸当とも言える。
他の土地では、牧畜で得た牛、豚、鳥の肉は高級品であった。
土地が大量にあるので農業が盛んなのだが、北端には冬になると極寒になる土地があるので、そこで『毛豚』という大型の豚を放牧しているそうだ。
「イノシシが、少し豚に近づいたような家畜じゃの。テンサイの絞りカスも食べさせて育てる」
大型で寒さに強く、繁殖力も旺盛で、何でも食べるので盛んに放牧されているそうだ。
フィリップ公爵領では、『毛豚』の肉が庶民にも盛んに食べられているとテレーゼは説明していた。
ベーコンやソーセージ加工して保存性を高め、これも輸出品になっているそうだ。
「あとは、荷馬車用や軍馬の繁殖も盛んじゃの」
「軍事も経済も精強であると?」
「一応、選帝侯の中では一番力を持っていると言われておる」
他にも鉱山が多く、工業なども発展しているらしい。
確かに、次第に見えてくるフィーリンはブライヒブルクにも負けない大都市であった。
「経済規模と兵力でいれば、ニュルンベルク公爵領よりも上であるからの。そこまで差があるわけでもないが」
帝国に臣従して支配層の混血は進んでいるが、北方の覇者であったラン族の独立心は強い。
支配者であるはずのフィリップ公爵家の当主に褐色の肌色が求められる事から見ても、帝国北部はかなり特殊な地域のようだ。
「ミズホ伯国もあるからの」
テレーゼが笑いながら説明している間に馬車はフィーリンの町に入り、領主館へと向かう。
城塞のような館へと到着すると、中から二十代後半と二十代半ばくらいの若い男性二人が飛び出してくる。
「ご無事でしたか。お館様」
「安堵いたしました」
「悪運の賜物じゃの。それよりも、客人がおるのでな」
若い男性二人の差配で俺達は部屋を宛がわれて落ち着くが、一緒にいるテレーゼがそっと教えてくれる。
「我が兄君達じゃよ」
「それは複雑ですね」
「そうさな。腹の中では何を考えておるのか?」
見た感じは能力不足に見えないのに、肌の色が白いという理由で公爵位を継げなかったのだ。
色々と胸に仕舞っている感情もあるのであろう。
「某が考えたのは、ここに到着した直後にテレーゼ様が兄達の反乱によって捕らわれるか殺される可能性である」
体を暖めるために貰ったアクアビットのお湯割りをチビチビと飲みながら、導師が物騒な事を言い始める。
もしそんな事をしようと考えても、すぐに導師によって防がれてしまうのであろうが。
「もしそれを考えても、みんな導師や伯爵様に殺されて終わりだろうな」
ブランタークさんも、俺と同じ考えであった。
導師に魔法使いでもないのに少人数で逆らうなど、ただの無謀の極みである。
「いや、ブランタークよ。その前にそれは出来ぬのじゃ」
「肌が白いからですか?」
「そういう事じゃの」
帝国に支配されてしまったラン族にとって、肌が褐色の当主は絶対に譲れない条件らしい。
なので、テレーゼの兄達がクーデターを起こそうとしても誰も付いて来ないのだそうだ。
「兄達の子供達は、肌が褐色であるがの。我が甥達を当主に立てても、それが傀儡なのは誰の目から見ても明らかじゃ」
更に、子供が総大将では勝てる戦争も勝てなくなってしまう。
余計に誰も付いてこないはずだとテレーゼは説明していた。
「でも、ニュルンベルク公爵が調略を仕掛けてくる可能性はありますよね?」
「それは防げぬが、そこはお互い様であろう?」
テレーゼはこの部屋に来る前に、兄達にニュンベルク公爵を倒し帝都を奪還するための兵の召集に、北部やその他地域の諸侯への通告を命令している。
『ニュルンベルク公爵に組して反乱に参加するか、それを打倒せんとする我らフィリップ公爵家に付くか』と。
かなり過激な檄文を添えさせて送ったらしい。
「『ミズホ伯国はこちらに付いた』という情報と共にの」
帝国の統一過程で、多くの民族が家臣化してその下に付いている。
その中で唯一、半独立国の形態を維持しているミズホ伯国は他民族である貴族やその領民達から畏怖の目で見られていた。
しかも、彼らが防衛以外で軍を出すのは初めてであり、その伝説的な強さと相まって、多くの味方が得られるであろうとテレーゼは考えているようだ。
「他民族を抱える貴族達は、ニュルンベルク公爵の動きに戦々恐々であろうからの。ほとんど参加すると見て良いはずじゃ」
「そんなに異民族がいるのですか?」
バルデッシュにはどう見てもアラブ系や中華系の建物などもあったが、見てすぐにわかるのは肌が褐色のラン族くらいであった。
ミズホ人は、ミズホ服を着て髪と瞳が黒いからわかるのであって、外見は西洋人と日本人のハーフみたいなので実は良く見ないとわからない人も多いのだ。
「ここ千年ほどで混血と混在が進んでの。大半の民族はそこまで外見に差があるわけでもない。言語も、古代魔法文明時代から大陸で統一が進んでおるし」
一応、帝国がまだ王国を名乗っていた頃から中央に生活している民族をアーカート族と呼んで、これを主要民族としているらしい。
ニュルンベルク公爵は、彼らを中心に帝国の中央集権を進めようとクーデターを起こしたのだと。
「ところが、このアーカート族の定義も曖昧での」
ただ中央にいる人達といった感じで、この辺は中国の漢民族に扱いが似ているのかもしれない。
生物学的に、アーカート族が存在するわけでもないのだ。
「要するに中央集権を進めるけど、見てすぐにわかる邪魔なラン族とミズホ族を先に屈服させるぞと?」
「潰して隷属化に置けば、東西の連中も恐れて言う事を聞くであろうからの」
ラン族とミズホ族はわかりやすい敵だから潰す。
強いので、屈服させてしまえば他の他民族も簡単に靡くであろうとニュルンベルク公爵は考えているようだ。
「それで、これからのスケジュールはどうなるのですか?」
「明日にでも先遣隊を出す予定じゃ」
兵力数では不利になるはずなので迎撃戦を行うが、敵を領内に入れて領地が荒れるのを防ぎたいとテレーゼは語る。
「北方諸侯の離反を防ぐためにも、彼らの所領内での戦闘もご法度じゃの。そこでじゃ……」
テレーゼは、一枚の地図をテーブルの上に広げる。
帝国の詳細な地図で、ちょうど中央直轄地と北部領域の中間点に赤い丸が描かれていた。
「『ソビット大荒地』ですか……」
フィリップ公爵領に続く北方街道沿いでしか見ていないが、『ソビット大荒地』とはその名の通りに広大な荒地である。
帝国直轄地になっているが、北方領域との境目にあり、水は井戸を掘らないと確保できず、昔の鉱山や鉱床が廃鉱として点在していたりと、開発が後回しにされている場所であった。
「ここに拠点を築いて、ここでニュルンベルク公爵の北上を防ぐ」
「短期決戦ではないのであるか?」
「然り」
導師の問いに、テレーゼが頷く。
「これは内戦なので、出来れば短期決戦が好ましいがの……」
南部を完全に掌握し、今は中央部の平定を行っているニュルンベルク公爵よりも、いまだ北方諸侯全てを纏めているわけではないテレーゼの方がどう考えても不利なので、そう簡単には帝都に兵を進められないわけだ。
「ソビット大荒地でニュルンベルク公爵の攻勢を防いで打撃を与えた方が、彼の地盤に皹を入れられるからの」
忠誠心が強い、クーデターに参加した帝国軍と南部諸侯軍に打撃を与えられるし、そうなればやむを得ずニュルンベルク公爵に従っている諸侯に動揺を与えられる。
「帝都を抑えているのは強みではあるが、逆に弱みでもある」
特に、あの通信と移動の魔法と魔道具の稼動を阻害する装置が良くなかった。
交通と流通にダメージを与えるので、むしろ帝都を持っているニュルンベルク公爵の方がダメージを受けるのだから。福源春
「碌な事をしない公爵様だな」
ブランタークさんはそう言うが、実はこの装置のせいで王国は内乱に関与できない。
王国北部にもこの装置の効果が及んでいるはずなので、内乱に乗じて兵を出すなど不可能なのだ。
ギガントの断裂に臨時で渡した橋なりロープウェイで兵を送ったとしても、現地の帝国軍や貴族達は侵略者に徹底的に抵抗するであろう。
占領が出来たとしても、今度はその土地の統治が必要である。
暫くは持ち出しが続くが、それを運ぶのに魔導飛行船が使えない。
補給に重大な欠陥を抱えて勝てるほど戦争は甘くは無いのだから。
「下手に王国が内乱に手を出すと、逆に王国が消耗するでしょうね」
喜ぶのは、自分だけは戦功を挙げたい軍人や、軍に物資などが売れれば良いと考えている一部商人だけであろう。
「内乱の長期化は帝国を疲弊させるが、現状で短期決戦は不可能なのじゃ。無理をして滅亡する気は妾もないからの。もっとも、底意地の悪い妾なので負けたら諦めて亡命でもするであろうな」
別に、テレーゼの考えは間違ってはいない。
潔く滅びるなど、歴史物語の記述では感動するかもしれないが、現実ではただのバカだからだ。
他国に亡命してでも次の機会を待つ。
これが普通の権力者と言えるのかもしれない。
「もしそうなると妾は疲れているであろうから、ヴェンデリンの側室にでもなってあとは子供に任せるかの」
王国が北進する際に、その子か孫か子孫を利用してくれればフィリップ家は再興されるかもしれない。
あくまでも可能性であるが、その可能性のために貴族は家を繋ぐのである。
「テレーゼ様は相変わらずだねぇ……」
ルイーゼが呆れているが、今はそんな話よりも重要な事があった。
「それで、俺達の仕事は?」
「無論ソビット大荒地の確保と、持久戦に備えた恒久野戦陣地の構築よな。土木冒険者と呼ばれているヴェンデリンに相応しい任務じゃ」
「そのあだ名、帝国にまで知られているのかよ」
方針は決まったので、明日には急ぎ出発しなければいけない。
『飛翔』や『瞬間移動』が使えないので、何をするにも時間がかかるのだから。
「大きな馬ですね」
「北方特産の『ドサンコ馬』と言います。あまりスピードは出ませんけど、パワーと持久力は素晴らしいですし、粗食にも耐えます」
フィリップ公爵領に到着した翌日の朝、すぐに俺達はソビット大荒地を目指して北方街道を南下していた。
兵力は、フィリップ公爵家諸侯軍と、帝都の異変を察知して事前に兵力を整えていた貴族数家の諸侯軍で合計五千名ほど。
軍を動かすのに必要な軍需物資は、全て俺とフィリップ公爵家や他の貴族家がお抱えにしている魔法使い達が魔法の袋で運んでいる。
馬や馬車も大量に動員して移動速度を早める工夫はしているが、どうしても徒歩の兵が半数以上も出るので彼らは武器だけ持たせて防寒着だけ着せていた。
重たい防具は、全て馬車か魔法の袋の中である。
もし敵軍が前に塞がれば、俺達が魔法で排除する予定になっていた。
「なるべく急いでも二日……。いや三日か?」
俺達は馬を与えられているが、その馬は普通の馬よりも二周り以上は大きかった。
ここまで大きいと何か別の動物にも見えるが、この馬は『ドサンコ馬』といって北方固有の馬なのだそうだ。
「馬で移動とは言っても全力では駆け抜けられませんし、それならスピードの遅いこの馬でも問題ありませんから」
重い荷駄を引いたり、農耕に使う馬らしいが、それでも人が歩くよりは早い。
物資の輸送を行う馬車を引くために、テレーゼの兄達が事前に準備していたのだ。
「ちゃんと仕事をしているのか。裏切りとか模索すると思ったけど」
「あなた。さすがにそれは言い過ぎかと……」
テレーゼはあり得ないと言っていたが、俺は彼女の兄二人を疑っていた。
ニュルンベルク公爵の調略で、『新しいフィリップ公爵は肌が白い方が望ましい。もしそうなれば、新帝国で重用しよう』とか言って裏切りを唆す可能性があったからだ。
「従兄達はそこまでバカではないですよ。もし裏切りに成功しても、次にニュルンベルク公爵に粛清されるのは自分達だと理解していますし」
馬には俺とエリーゼで乗っていて、併走する通常の馬には一人の褐色の肌色の若者が乗っていた。
テレーゼの従兄で分家の当主でもあり、この先遣隊の大将であるアルフォンスという名前で、まだ二十歳だそうだ。
「肌の色は重要なのですね」
「ええ。他の人達から見れば下らない事なのかもしれませんがね」
帝国には屈したが、フィリップ公爵家の当主にはラン族の血が濃い者を。
これは絶対であり、過去に強引に白い肌の者が当主になった事もあったが、決して上手くいかなかったそうだ。
「それに、従兄達のお子は共に褐色の肌ですしね」
ニュルンベルク公爵を打倒すれば、状況から見て次の皇帝はテレーゼに回ってくるはず。
皇位とフィリップ公爵位の兼任は不可能なので、自然と自分の子供に公爵位が回ってくるというわけだ。
「なるほど。なら安心だ」
「でしょう?」
決して崩れない信念や狂信的な忠誠心よりも、よっぽど信用できるというものだ。
「それにしても意外なのは、バウマイスター伯爵が馬に乗れない事ですかね」
「貧乏騎士の八男に、乗馬訓練の時間なんてありませんよ」
昔のバウマイスター家には、軍馬が数頭しかいかなった。
それも、他の貴族家みたいに専用の軍馬を購入して維持しているわけではない。
農耕馬の中から程度の良い物を選んで、それに馬具を載せてらしく見せているだけであった。
外を知らない領民達には、その程度でも綺麗な軍馬に見えてしまうのだ。
実際にブライヒレーダー辺境伯家が所持している軍馬と比べると、物悲しくなるほどの駄馬に見えてしまう。
ところがそんな一見駄馬でも、過去の魔の森遠征では役に立ったらしい。
農耕馬ゆえに粗食に耐え、スピードは遅くても持久力は上回っていたからだ。
遠征軍に生存者がいたのも、途中でこの馬を潰して食料などにしていたためであるらしい。
俺の子供時代には、馬不足で八男に乗馬訓練の時間など巡ってこなかった。
それに、『飛翔』と『瞬間移動』があれば魔法使いに馬など必要もない。
前世では、学校の遠足で行った遊園地と牧場がくっ付いた施設で乗馬体験をしたくらい。
良くある、馬に乗って決められたコースを係りの人に引いて貰って一周するアレである。
その程度の経験で、いきなりこんな大きな馬に乗れるはずがない。
そんなわけで、今はエリーゼが馬を操っていて、俺は彼女の後ろでしがみ付いているだけだ。
「奥方殿は、馬の扱いが上手ですね」
「この馬は大人しいですから。少し教わっただけの私でも大丈夫です」
謙遜でそう言っているが、エリーゼは乗馬も上手であった。
教会の奉仕活動で王都近辺に出かける事もあり、必要なので覚えたそうだ。
それで覚えられるのだから、やはりエリーゼは完璧超人なのであろう。
「ちょうど良い機会だから、合間にエリーゼに教えて貰いますよ」
「そうですね。上級貴族に乗馬は必須ですから」
移動魔法や魔導飛行船はそう簡単に使える物でもなく、普段の移動では馬を使うのが一番便利だ。
ただ、馬は維持と調教で金がかかる。
特に軍馬になるような馬ではその費用が跳ね上がり、良い馬に乗れるというのは上級貴族の証でもあった。
あの自他共に認める運動神経がマイナスのブライヒレーダー辺境伯でさえ、ちゃんと訓練をして馬に乗れるのだから。
「男的には、エリーゼに引っ付いて馬に乗っていると素晴らしい」
言うまでも無く、主にお尻の感触がである。
「気持ちはわかりますが、バウマイスター伯爵が乗馬を覚えて奥方殿を後ろに乗せれば、もっと素晴らしいと思いますよ」
なるほど、確かにアルフォンスの言う通りである。
国と民族は違えど、彼は男のロマンを理解する素晴らしい男であった。
「アルフォンス。君は素晴らしい男だな」
「バウマイスター伯爵。いやヴェンデリンよ。君もそれを理解する男であったか」
俺とアルフォンスは、馬上から熱い握手をする。
まさに終生の友を得た思いであった。
「あなたは、そういう事も嬉しいのですか? 私達は夫婦なのに……」
エリーゼが恥ずかしそうに俺に聞いてくる。
既にお互いの裸を見合っている夫婦なのに、服の上からのお尻や胸の感触の何が嬉しいのかと思っているのであろう。
「エリーゼ。それはそれ。これはこれなのだ」
「はあ……」
それは、男と女の間にある永遠の壁なのかもしれない。
エリーゼには理解できなかったようで首を傾げていたが、その様子もかなり可愛かった。
「実は、俺の奥さん達も理解できていないからなぁ」
アルフォンスはテレーゼの従兄で分家の当主なので、既に奥さんが三人もいるそうだ。
先遣隊の総大将に任命されるほどなので、大身なのは当然とも言える。
「この前の休日に、俺は夢を叶えた」
「夢とな?」
「そうだ。『夢の三人裸エプロン作戦』をな……」
大身である分家の奥さんなのに、彼女達に裸エプロンで料理をさせてそれを後ろからニヤニヤと見ていたそうだ。
恐ろしいまでの俗物ぶりであったが、同時に俺は大切な事を忘れていたのに気が付く。
「しまった! 俺はまだやっていない!」
「五人の奥さんでやれば、もっと絶景なのに勿体無いぞ」勃動力三体牛鞭
「確かにそうだ! 今度やってみよう」
「是非に勧めるぞ」
アルフォンスも後押ししてくれたので、俺は絶対にやろうと心に決める。
「それでこそ。我が心の友だ!」
「あなた。裸でエプロンを着けると何か良い事でもあるのですか?」
良くわからないといった表情で、エリーゼが俺に聞いてくる。
彼女は教育で基本的な男女の事は知っているが、ブライヒレーダー辺境伯から妙な本を借りて耳年増なイーナに比べるとその手の知識は皆無であった。
「子供が生まれやすくなる」
「知りませんでした。そんな方法で子供が生まれやすくなるとは」
別に、俺は嘘はついていない。
真面目なエリーゼは、それならば協力しないとと心に決めたようだ。
「ヴェル。あんたねぇ……」
その耳年増なイーナは何か言いたそうであったが、今は乗馬を覚えようと懸命でその余裕が無いようだ。
何しろうちのパーティーには上級貴族出身者が少ないので、乗馬ができるメンバーが少ない。
エリーゼに、エドガー軍務卿の援助で乗馬を覚えたヴィルマに、あとは意外なところでカタリーナも馬に乗れる。
彼女の場合は、貴族は馬に乗れて当たり前だと思って密かに練習をしていたようだが。
乗馬の練習でもボッチ。
彼女は、実は俺を上回るボッチの達人なのかもしれない。
「ヴェンデリンさん。、何か失礼な事を考えておりませんか?」
「無いに決まっているじゃないか。ただカタリーナの華麗な乗馬姿に見惚れていただけ」
「最低限の嗜みですし……。恥ずかしいじゃないですか。ヴェンデリンさん」
どうやら、上手く誤魔化せたようだ。
カタリーナは、俺の御世辞に顔を赤く染めている。
実際に、馬に乗っている姿はとても似合っているので問題は無いであろう。
「ヴィルマ。イーナはどう?」
「運動神経が良いから、すぐに覚えると思う」
間違いなく、俺が一番乗馬を覚えるのに時間がかかるはずだ。
俺の運動神経は、どう贔屓目に評価しても普通であった。
「おおっ! カタリーナの胸が背中に当たる! ヴェル。交代すると天国だよ」
「ルイーゼさん! 恥ずかしいじゃないですか!」
ルイーゼに乗馬を教えているカタリーナは、彼女のオヤジ発言に顔を真っ赤にして文句を言っていた。
「ヴェンデリンの奥方にも、男のロマンが理解できる者がいたのか」
「アルフォンスさんは、余計な事を言わないでください!」
カタリーナは、ルイーゼを同志認定したアルフォンスにも文句を言う。
「全く……。心配になる大将ですわね……」
カタリーナはそう言うが、俺はアルフォンスの大将の資質に全く疑問を抱いていない。
常にバカみたいな事を言っているが、先遣隊は良く纏まっている。
『アルフォンスはの。普段はバカみたいな事ばかり言っておるが、なぜか皆が良く纏まるのじゃ』
妙なカリスマがあって、部下が喜んで働く。
実際に、先遣隊はそういう状態になっている。
だからこそテレーゼも、彼を先遣隊の総大将に任命したのであろう。
「しかし、あそこは見苦しいね……」
アルフォンスの視線は、一頭のドサンコ馬に乗ったブランタークさんと導師に向いていた。
「確かに……。ムサいな……」
前でブランタークさんが手綱を握り、その後ろに導師が乗っているのだが、見ていて心に響く何かはない。蒼蝿水
この組み合わせなのは、一応年の功で馬には乗れるが通常の軍馬は厳しいブランタークさんと、体が大き過ぎて普通の馬だと潰れてしまう導師だからだ。
「ドサンコ馬でも、導師だと辛いのかな?」
実質三人分の重さなので、二人の乗る馬のスピードは少し遅めであった。
「お前ら。言いたい放題だな……」
「ブランターク殿の背中には、アームストロング導師のただ硬い胸板が。私には無理です。あり得ません。交代を強く要求するでしょう」
「噂通りだな。アルフォンス殿よ」
ただ、アルフォンスの言う事ももっともである。
導師の百%筋肉の胸板の感触など、特殊な趣味でもないと嬉しくないのだから。
「某とて、我慢しているのである」
「言ってくれるな。導師よ」
しかも、何気に導師も酷い事を言う。
自分は馬に乗れなくて、ブランタークさんに運んで貰っているのに。
「でも、導師が馬に乗れないのは意外でした」
アームストロング家は軍家系なので、乗馬の訓練くらいは普通にすると思っていたからだ。
「アームストロング伯爵家の者は代々体が大きいのでな。馬体の大きな馬を独自に育成・調教してはいるのだが……」
実家にいた頃は訓練できたが、家を出ると大きな馬を手に入れて維持するのが難しくなった。
それに、導師は魔法使いである。
無理に馬に乗る必要もなく、乗れないというよりは久しぶりなので無理をしてないといった方が正解なのかもしれない。
前世的にいうと、ペーパードライバーの感覚なのであろう。
「この馬ならば、あとで購入しても良さそうであるな」
導師は、自分が普通に乗れる馬を見付けて嬉しそうであった。
「ドサンコ馬は輸出禁止品目ですけどね」
荷駄や馬車を引くのにこれほど良い馬は無いので、フィリップ公爵領から外に出すのを禁止されているらしい。
唯一の例外として、去勢された雄馬は帝国内で使われているそうであったが。
「実際に、私達が乗っているドサンコ馬も去勢された雄馬ですしね」
アルフォンスの言う通りで、確かに全てのドサンコ馬には去勢された跡があった。
軍馬として徴用する個体は、戦場での鹵獲を考慮して全て去勢馬にするのが決まりだそうだ。
「その前に、ドサンコ馬は暑い場所では生きていけないのですよ」
体が大きくて熱が篭もりやすいので、精々で王国北部が生存限界点であろうとアルフォンスが予想していた。
「残念であるな。しかし……」
導師は一つ気になっている事があるようだ。
不意に視線を他に向けると、その先には同じドサンコ馬に乗るエルとハルカの姿があった。
「うちも貧乏貴族だったからなぁ……」
「あまり無理に手綱は引かないでくださいね」
「馬に任せる感じで?」
「そうですね」
俺と同じくエルも貧乏貴族の五男なので、彼にも乗馬の経験がほとんどなかった。
ハルカも条件は同じなのだが、彼女は抜刀隊に抜擢される腕前なのでそこで訓練を受けている。
そこでエルは、彼女と一緒の馬に乗って乗馬の訓練を受けていたのだ。
「お上手ですね」
「いや、まだ一抹の不安があるなぁ……」
「そこは慣れですから」
真面目なハルカはエルに丁寧に乗馬を教えていて、彼も彼女の指導を真面目に受けていた。
だが、俺は気が付いている。
導師もブランタークさんもアルフォンスも同様で、それは指導が熱心なあまりに後ろからエルの背中に体を押し付けているハルカに、エルが心の中で歓喜している事をだ。
「(主に胸だな……)」
「(であろうな)」
「(他にあるか)」
「(押し付け設定だね。ハルカ君はポイント高いなぁ……)」
男の考える事にさほど違いなどなく、俺達は同時に同じような事を小声で呟く。
そしてそれから二日間、俺達は乗馬の訓練を続けながら無事にソビット大荒地へと到着するのであった。
「やれやれ。向こうも熱心だな……」
フィリップ公爵家諸侯軍の先遣隊がソビット大荒地に到着してから三日後、俺は南側で土木工事をしながら遠方に見えるニュルンベルク公爵家軍の偵察隊を発見していた。
「バウマイスター伯爵よ。うちの者が仕留めるので安心して工事を続けられるが宜しかろうて」
「それは心配していませんけどね」
俺はニュルンベルク公爵家軍以下の反乱軍の北上に備えて、ソビット大荒地の南側で馬避けの堀を幾重にも張り巡らせ、野戦陣地の構築にも協力していた。
帝国の交通と流通を担う北方街道を塞ぐ行動であったが、先に反乱軍側が商人や旅人の北部への移動を禁止していたので問題ない。
こちらも、北方にいる商人や住民の移動を禁止しているのでお互い様だ。
内乱で帝国内の流通が南北に分断している状態であったが、別に俺のせいではないので仕方が無い。
そしてそんな工事の様子を定期的に敵の偵察隊が見にくるのだが、それもすぐに排除されている。
なぜなら……。
「我がミズホ伯国自慢の抜刀隊がいるからな」
ソビット大荒地に点在する岩などに潜んでいた、ミズホ伯国の精鋭抜刀隊が数名、偵察隊の騎士や兵士達に斬りかかる。
彼らは剣やシールドでそれを防ごうとするが、装備している魔刀によって体ごと切り裂かれてしまう。
あとには、切断された数体の死体だけが残された。
彼らを斬り殺した抜刀隊の面々は、その死体と馬などを回収して戻ってくる。
「何度目であったかな?」
「五度目にございます。お館様」
「しつこいの。来る度に始末するのを忘れないように」
「畏まりました」
抜刀隊の面々はミズホ上級伯爵に報告を行うと、馬と死体を置いて再び隠れて敵を待つ。
気配を消した敵にいきなり魔刀で切りかかられ、鋼の剣やシールド程度では防いでも切り裂かれてしまう。
この魔刀、燃費や整備性などに欠点があるようであったが、その凄さは過去の歴史から見ても明らかである。
彼ら自身も厳しい選抜と訓練を乗り越えているエリートであり、俺はなぜミズホ伯国の兵士達が帝国人から恐れられるのかを実感していた。
「しかしながら、戦況はこちらが不利であるかな」
ソビット大荒地に、反乱軍の北上を防ぐための防衛野戦陣地の構築には成功しつつある。
これには俺も土木魔法で参加しているので『墨俣の一夜城』には負けるが、この三日間で大まかな部分は仕上げていた。
防衛戦力も、フィリップ公爵家から追加で援軍が来ていて一万人を超えているし、ミズホ上級伯爵も自ら一万人の軍勢を率いて参加している。
北部諸侯も一部を除けばこちらに付くと明言していて、既に軍を送り込んでいる貴族もいた。
東部や西部の諸侯でも、北部に領地がある貴族の大半がこちらの味方だ。
しかし、次第に状況が知られるにつれて、こちら側の不利が判明している。
南部と中央部はほぼ反乱軍の手に落ちていて、今では一部の面従腹背の貴族達と、地下に潜ったラン族とミズホ人が少数だけのようだ。
何しろ、ニュルンベルク公爵はラン族・ミズホ資本の接収や、収容所送りまでしているのだから。
経済的には褒められた事ではないが、情報の漏洩や例の通信と移動を防ぐ魔道具の破壊を防ぐためであろう。
「まさか、残り全ての選帝侯家が裏切るとはな」
裏切るというか、当主を人質にされてそうせざるを得ないというか。
よほど抵抗しなければ殺された貴族は少ないようだが、軟禁状態にある貴族は少なくない。
なぜわかるのかと言えば……。
「当主を見捨ててこちらには付けないでしょうし」
「であろうな」
ミズホ上級伯爵に報告を行う、黒装束に身を包んだ男性。
顔は見えないが、年齢は三十歳くらいだと思う。
彼こそは、代々『ハンゾウ』の名を受け継ぐミズホ伯国の諜報機関の長であるらしい。
見た目は、時代劇に良く出てくる忍者その物であるが。
「通信と移動を阻害され、情報の伝達速度が格段に落ちて困っております」
「それは向こうも同じだけど……。面倒な事になったなぁ」
ニュルンベルク公爵はそれを生かして、当主からの連絡不在で混乱している中央と他の選帝侯家を落としたのだから。
物理的に全て落ちたわけではないが、動けないで実質的に反乱軍を利している選帝侯家もあった。
ハンゾウさんからの報告を聞いて、アルフォンスは溜息をついている。
「ハンゾウさんは、どうやって帝都などの情報を?」
「勿論馬とこの足にて。我ら『クサ』の者は、こういう事態も想定して日頃から備えておりますれば」
早馬と走りで、敵地からの情報を集めているらしい。SEX DROPS
お互い様だが、こうなると何をするにも時間がかかって困ってしまう。
2014年8月17日星期日
朗報と気配
「……よって、2~3日もしないうちに完全に病は治るだろうというのが、クラーク神官長との共通の見解だ。以上」
グレッグからの通信を聞き、トロン冒険者ギルドの一室に歓喜の声が響き渡る。
そこにはグレッグには聞こえない事を承知で思わず喜びの声をあげ、アリア達と感動を共有しているジンの姿があった。三体牛鞭
トロンの街に着いた翌日、ジン達は予定通りトロンの冒険者ギルドを訪れ、グレッグとの通信に臨んでいたのだ。
「こちらジンです。本当に良かったです。以上」
手短に返信するジンの声は少し震え、その瞳は潤んでいた。涙こそこぼさなかったが、もし誰も居なかったらば完全に泣いていただろう。
実際堪こらえきれなくなったレイチェルはその場に座り込んでポロポロと涙をこぼし、それをフォローするアリアも目元にハンカチをあて、エルザも指でこぼれた涙を拭っていた。
だが共通して言えるのは、涙を見せながらも皆が笑顔だったと言う事だ。それは悲しみの涙ではなく、嬉しさや安堵が入り混じった喜びの涙だった。
「こちらグレッグだ。もう少し詳しく話すぞ。お前が言っていたように、実際に生活魔法を使わせた子供達の方が回復が早いようだ。中にはクラーク神官長が直々に『診断』の魔法を使っても、完全に病の痕跡が感じられなかった者もいたそうだ。勿論完全に治ったものはまだ数名で治りつつある者がほとんどだが、既に高熱を出している子供はいない。恐らく、病自体は今日中には完治する見込みだ。とは言え、さすがに体力は消耗しているので一日二日はまだベッドで寝かせる事になるだろうが、それも直ぐに元通りになるだろう。そういう状況だから、もう安心していいぞ。お前達がこれ以上そこで待機する必要はないから、もう帰って来い。皆で待ってるぞ。以上」
グレッグが言うとおりなら、確かにもう安心だとジンは思う。
高熱を出している子供達が既にいないと言う事は、その体に余分な魔力を放出する仕組みが出来上がったという証明と言えるだろう。だから原因不明で過剰に与えられている魔力は勿論、まだ体の中に残留している魔力も時間が経てば完全に抜け切るはずだ。
ジンはリエンツの街に帰る事を考え始めていた。
今回は意外なほどに早い病からの回復となったが、もしこれが第二段階ではなくて最終段階まで『魔力熱』が進行していた場合は話が違っていただろう。
刻一刻と減り続ける体力に対抗し、時間との勝負になって『滅魔薬』との併用が必要となる者もいたかもしれない。しかし、ジン達が急いだおかげで、最終段階まで進んだ子供がいなかった事が幸いした形だ。
ましてや『滅魔薬』は大きな秘密を抱え、使用にはかなりのリスクもある。使わないで済むのであれば、それに越した事は無いのだ。
「こちらジンです。話し合いますので数分間時間をください。以上」
「こちらグレッグ。了解、以上」
ジンはグレッグに断りをいれ、アリア達に向き直って口を開く。
「と言う事なんだけど、皆の意見はどうかな?」
ジンの意見は決まっているが、パーティ全体の行動方針なのできちんと話し合うべきだと思ったのだ。
「私は帰る事に賛成です。グレッグ教官やクラーク神官長がお墨付きを出すぐらいですから、危機的状況は去ったと思います」
そのアリアの意見に続き、泣き止んで落ち着きを取り戻していたレイチェルも口を開く。
「私もアリアさんと同意見です。おじい……神官長が直々に診断された上でのことですから、もう心配は無いかと」
途中でレイチェルが言い直したのは、祖父ではなく神殿の長としての公的な立場を尊重したのだろう。男宝
この二人に共通しているのは、共に所属している組織の長と付き合いが長く、その判断に絶対の信頼を置いているところだった。
「私達はまだこのギルドで依頼を受けるわけにも行かないしな。体は充分休まったし、私もそろそろ出発したいな」
エルザも肩をすくめてアリア達に同意する。
ちょっと皮肉っぽく言っているのは、さっき涙を見せてしまった気恥ずかしさを隠す為だろうか。ジンは可愛いなと素直に思った。
ちなみに、エルザが言っているのはギルドランクの事だ。ジン達は現在Dランクだが、このままではまだリエンツの街の依頼しか受ける事が出来ないし、本来は街を移動するような依頼も受ける事は出来ない。今回のジン達の行動はCランク試験という名目ゆえの事で、あくまで例外的な話だ。
だからDランクまではその街の専属冒険者のような立ち位置で、Cランクになって初めて世界を股に掛ける冒険者と言えるようになるのだ。
「そうか、俺も同意見だ。それじゃあ、帰ることにしようか」
全員の意見が揃い、いよいよリエンツの街に帰ることが出来る。帰ったらアイリス達の無事な姿を見ることが出来るだろうし、アリアも正式にパーティに参加する事になる。
ジンは頭をよぎったその未来予想図に、思わずニッコリと笑みを浮かべた。
「こちらジンです。お待たせしました。帰還の件、了解しました。昼過ぎにでもトロンの街を出発する事にします。以上」
「こちらグレッグ。了解した。最後まで気を抜かず、無事に帰って来い。以上」
確かにまだ依頼は完了していない。このまま無事リエンツの街に戻り、報告して初めて依頼達成となるのだ。
「こちらジン。ありがとうございます、最後までちゃんとやり遂げます。これで通信を終わります。以上」
だからジンはもう一度気を引き締め、無事を祈ってくれるグレッグに感謝を込めてそう伝えた。
「色々とお世話になりました。ありがとうございました」
一階に戻ったジン達は、昨日に引き続きお世話になった男性職員にお礼と別れを告げていた。
「いえ、これで依頼達成でしょうか? おめでとうございます。気をつけてお帰りくださいね」
男性職員も笑顔でジン達を見送る。
いつもは「それが仕事だろう」と何をしても当然と思われる事が多く、こうして改まってちゃんとお礼を言われる事は少ない。評価されて嬉しいのは、ギルド職員と言えども同じなのだ。
だから、つい親身になって言葉を重ねた。
「そう言えば、昨日は帰り際にザックさん達と挨拶もされてましたし、知り合いにはなれたのでしょうか?」
ジン達が一度絡まれた事もあり、男性職員はザック達とトラブルにならないよう気にかけていたのだ。
だが、蓋を開けてみればトラブルにならないどころか、ジン達は帰り際にザック達がいるテーブルに寄って挨拶して帰るなど、傍目には良好な関係のように見えたのだ。男根増長素
「え? ええ、顔見知り程度でしょうが、一応は」
単にお薦めメニューを教えてもらったぐらいだし、知り合いと言うのはおこがましいかなとジンは答える。
「そうですか、彼らはあれでもBランクのパーティです。まだ成り立てではありますが、実力は確かです。ザックさんも酔っていなければ良い人ですので、知り合いになって損はないと思いますよ」
どの世界でも、横のつながりというのは大事なものだ。今後成長していく彼らにとっても、何らかの役に立つのではと職員は思ったのだ。
「少し前に彼らの先輩にあたる冒険者が盗賊に堕ちたという知らせが入ってきた事もあり、昨日もいつもより荒れていたんですよ。普段はちゃんとした人たちですので、安心してください」
盗賊に堕ちるとは物騒な話だ。Bランク冒険者達の先輩という事であれば、その人物もBランク以上である可能性が高い。
それは魔獣と同じく人を害するだけの存在、凶人きょうじんだ。
「そうなんですか。それはショックを受けるのも頷けますね」
もし、万一初心者講習の時に出会ったゲイン達がそうなったらと考えると、確かにショックを受けて当然だとジンは思う。
「ええ、その堕ちた元冒険者もCランクに上がってからこの街を去るまで、ずっとザックさん達の面倒を見ていましたからね。Aランク間近という所まで来ていたそうですが、とある遺跡でパーティメンバーのほとんどを失い、自暴自棄になって全てを恨むようになってしまったようです。既に何人もの人間をその手に掛けており、討伐対象としてギルドに手配されています。恐らく近いうちに討伐されるでしょうが、それはそれでザックさん達も複雑な思いがあるのでしょう」
そう言う男性職員こそ、語る言葉には苦渋が満ちている。この中年の職員もその堕ちた元冒険者と面識があり、複雑な思いを抱えているのはザック達と同じなのだ。
「未開拓地近くでの出来事でしたのでこの街の近くまで来ることは無いと思いますが、念のため気をつけてください」
未開拓地は確かに遠く、直線距離でもトロンの街から数週間はかかる距離にある。
現在、その男の消息はつかめていないが、同じ様な時期に盗賊被害が発生している事から、恐らくは王都近辺に潜伏していると考えられていた。V26Ⅳ美白美肌速効
男性職員も一応忠告はしたものの、あくまで念の為に言ったまでだった。
「はい。ご忠告感謝します」
こうして男性職員が語ってくれたのも、ジン達の事を親身になって考えたからだ。
ジンもそうした男性職員の気遣いを感じ、笑顔でそう答えた。
とは言え、ジンも男性職員同様にその凶人に遭遇する可能性は低いと考えていた。
ただ、万一の備えとして事前情報を仕入れる事は重要だと認識していたし、それをもたらしてくれた男性職員の気遣いに対して感謝していたのだ、
そうして改めてジン達は男性職員に別れを告げると、簡単な昼食をとった後にトロンの街を出発した。
リエンツの街で待つ皆の事を想うと、ジン達の心は浮き立ち、馬車の進みも心なしか軽やかだった。
しかし、同時に受けた助言を無駄にしないだけの理性も、ジン達には残っていた。
ましてや今後Cクラス冒険者としてリエンツの街を飛び立つつもりならば、対人戦闘を避けて通る事はできないのだ。
ギルド業務の一環として、アリアにはグレッグ達と共に凶人の討伐を行った経験がある。
事前にジン達はレクチャーは受けていたが、改めて対人戦闘についての心得や注意点等がアリアによって経験を交えて語られ、それはメンタルな部分の話にまで及んだ。
アリアが語るその内容は、自身の経験もあってジン達の心に大きく響いた。
その後も聞いただけで終わるのではなく、今回の凶人のような突出した実力者一人の場合はどう対応するか等、実戦を想定した話し合いも行われた。
無論、実際にその盗賊と戦う事を予測しているわけではなく、あくまでシミュレーションの一例として題材に上げただけだ。
それが実際に役に立つか立たないかではなく、いざという時に対応できる心構えと態勢を作る為に、ジン達は真剣に話し合った。
思いがけず始まったミーティングだったが、それはトロン冒険者ギルドの男性職員の一言がなければ行われなかったかもしれない。
しかし、結果的にそれがジン達の命運を左右する一因となった事は紛れも無い事実だろう。
戦いの気配は、すぐそこに近づいていた。V26Ⅲ速效ダイエット
グレッグからの通信を聞き、トロン冒険者ギルドの一室に歓喜の声が響き渡る。
そこにはグレッグには聞こえない事を承知で思わず喜びの声をあげ、アリア達と感動を共有しているジンの姿があった。三体牛鞭
トロンの街に着いた翌日、ジン達は予定通りトロンの冒険者ギルドを訪れ、グレッグとの通信に臨んでいたのだ。
「こちらジンです。本当に良かったです。以上」
手短に返信するジンの声は少し震え、その瞳は潤んでいた。涙こそこぼさなかったが、もし誰も居なかったらば完全に泣いていただろう。
実際堪こらえきれなくなったレイチェルはその場に座り込んでポロポロと涙をこぼし、それをフォローするアリアも目元にハンカチをあて、エルザも指でこぼれた涙を拭っていた。
だが共通して言えるのは、涙を見せながらも皆が笑顔だったと言う事だ。それは悲しみの涙ではなく、嬉しさや安堵が入り混じった喜びの涙だった。
「こちらグレッグだ。もう少し詳しく話すぞ。お前が言っていたように、実際に生活魔法を使わせた子供達の方が回復が早いようだ。中にはクラーク神官長が直々に『診断』の魔法を使っても、完全に病の痕跡が感じられなかった者もいたそうだ。勿論完全に治ったものはまだ数名で治りつつある者がほとんどだが、既に高熱を出している子供はいない。恐らく、病自体は今日中には完治する見込みだ。とは言え、さすがに体力は消耗しているので一日二日はまだベッドで寝かせる事になるだろうが、それも直ぐに元通りになるだろう。そういう状況だから、もう安心していいぞ。お前達がこれ以上そこで待機する必要はないから、もう帰って来い。皆で待ってるぞ。以上」
グレッグが言うとおりなら、確かにもう安心だとジンは思う。
高熱を出している子供達が既にいないと言う事は、その体に余分な魔力を放出する仕組みが出来上がったという証明と言えるだろう。だから原因不明で過剰に与えられている魔力は勿論、まだ体の中に残留している魔力も時間が経てば完全に抜け切るはずだ。
ジンはリエンツの街に帰る事を考え始めていた。
今回は意外なほどに早い病からの回復となったが、もしこれが第二段階ではなくて最終段階まで『魔力熱』が進行していた場合は話が違っていただろう。
刻一刻と減り続ける体力に対抗し、時間との勝負になって『滅魔薬』との併用が必要となる者もいたかもしれない。しかし、ジン達が急いだおかげで、最終段階まで進んだ子供がいなかった事が幸いした形だ。
ましてや『滅魔薬』は大きな秘密を抱え、使用にはかなりのリスクもある。使わないで済むのであれば、それに越した事は無いのだ。
「こちらジンです。話し合いますので数分間時間をください。以上」
「こちらグレッグ。了解、以上」
ジンはグレッグに断りをいれ、アリア達に向き直って口を開く。
「と言う事なんだけど、皆の意見はどうかな?」
ジンの意見は決まっているが、パーティ全体の行動方針なのできちんと話し合うべきだと思ったのだ。
「私は帰る事に賛成です。グレッグ教官やクラーク神官長がお墨付きを出すぐらいですから、危機的状況は去ったと思います」
そのアリアの意見に続き、泣き止んで落ち着きを取り戻していたレイチェルも口を開く。
「私もアリアさんと同意見です。おじい……神官長が直々に診断された上でのことですから、もう心配は無いかと」
途中でレイチェルが言い直したのは、祖父ではなく神殿の長としての公的な立場を尊重したのだろう。男宝
この二人に共通しているのは、共に所属している組織の長と付き合いが長く、その判断に絶対の信頼を置いているところだった。
「私達はまだこのギルドで依頼を受けるわけにも行かないしな。体は充分休まったし、私もそろそろ出発したいな」
エルザも肩をすくめてアリア達に同意する。
ちょっと皮肉っぽく言っているのは、さっき涙を見せてしまった気恥ずかしさを隠す為だろうか。ジンは可愛いなと素直に思った。
ちなみに、エルザが言っているのはギルドランクの事だ。ジン達は現在Dランクだが、このままではまだリエンツの街の依頼しか受ける事が出来ないし、本来は街を移動するような依頼も受ける事は出来ない。今回のジン達の行動はCランク試験という名目ゆえの事で、あくまで例外的な話だ。
だからDランクまではその街の専属冒険者のような立ち位置で、Cランクになって初めて世界を股に掛ける冒険者と言えるようになるのだ。
「そうか、俺も同意見だ。それじゃあ、帰ることにしようか」
全員の意見が揃い、いよいよリエンツの街に帰ることが出来る。帰ったらアイリス達の無事な姿を見ることが出来るだろうし、アリアも正式にパーティに参加する事になる。
ジンは頭をよぎったその未来予想図に、思わずニッコリと笑みを浮かべた。
「こちらジンです。お待たせしました。帰還の件、了解しました。昼過ぎにでもトロンの街を出発する事にします。以上」
「こちらグレッグ。了解した。最後まで気を抜かず、無事に帰って来い。以上」
確かにまだ依頼は完了していない。このまま無事リエンツの街に戻り、報告して初めて依頼達成となるのだ。
「こちらジン。ありがとうございます、最後までちゃんとやり遂げます。これで通信を終わります。以上」
だからジンはもう一度気を引き締め、無事を祈ってくれるグレッグに感謝を込めてそう伝えた。
「色々とお世話になりました。ありがとうございました」
一階に戻ったジン達は、昨日に引き続きお世話になった男性職員にお礼と別れを告げていた。
「いえ、これで依頼達成でしょうか? おめでとうございます。気をつけてお帰りくださいね」
男性職員も笑顔でジン達を見送る。
いつもは「それが仕事だろう」と何をしても当然と思われる事が多く、こうして改まってちゃんとお礼を言われる事は少ない。評価されて嬉しいのは、ギルド職員と言えども同じなのだ。
だから、つい親身になって言葉を重ねた。
「そう言えば、昨日は帰り際にザックさん達と挨拶もされてましたし、知り合いにはなれたのでしょうか?」
ジン達が一度絡まれた事もあり、男性職員はザック達とトラブルにならないよう気にかけていたのだ。
だが、蓋を開けてみればトラブルにならないどころか、ジン達は帰り際にザック達がいるテーブルに寄って挨拶して帰るなど、傍目には良好な関係のように見えたのだ。男根増長素
「え? ええ、顔見知り程度でしょうが、一応は」
単にお薦めメニューを教えてもらったぐらいだし、知り合いと言うのはおこがましいかなとジンは答える。
「そうですか、彼らはあれでもBランクのパーティです。まだ成り立てではありますが、実力は確かです。ザックさんも酔っていなければ良い人ですので、知り合いになって損はないと思いますよ」
どの世界でも、横のつながりというのは大事なものだ。今後成長していく彼らにとっても、何らかの役に立つのではと職員は思ったのだ。
「少し前に彼らの先輩にあたる冒険者が盗賊に堕ちたという知らせが入ってきた事もあり、昨日もいつもより荒れていたんですよ。普段はちゃんとした人たちですので、安心してください」
盗賊に堕ちるとは物騒な話だ。Bランク冒険者達の先輩という事であれば、その人物もBランク以上である可能性が高い。
それは魔獣と同じく人を害するだけの存在、凶人きょうじんだ。
「そうなんですか。それはショックを受けるのも頷けますね」
もし、万一初心者講習の時に出会ったゲイン達がそうなったらと考えると、確かにショックを受けて当然だとジンは思う。
「ええ、その堕ちた元冒険者もCランクに上がってからこの街を去るまで、ずっとザックさん達の面倒を見ていましたからね。Aランク間近という所まで来ていたそうですが、とある遺跡でパーティメンバーのほとんどを失い、自暴自棄になって全てを恨むようになってしまったようです。既に何人もの人間をその手に掛けており、討伐対象としてギルドに手配されています。恐らく近いうちに討伐されるでしょうが、それはそれでザックさん達も複雑な思いがあるのでしょう」
そう言う男性職員こそ、語る言葉には苦渋が満ちている。この中年の職員もその堕ちた元冒険者と面識があり、複雑な思いを抱えているのはザック達と同じなのだ。
「未開拓地近くでの出来事でしたのでこの街の近くまで来ることは無いと思いますが、念のため気をつけてください」
未開拓地は確かに遠く、直線距離でもトロンの街から数週間はかかる距離にある。
現在、その男の消息はつかめていないが、同じ様な時期に盗賊被害が発生している事から、恐らくは王都近辺に潜伏していると考えられていた。V26Ⅳ美白美肌速効
男性職員も一応忠告はしたものの、あくまで念の為に言ったまでだった。
「はい。ご忠告感謝します」
こうして男性職員が語ってくれたのも、ジン達の事を親身になって考えたからだ。
ジンもそうした男性職員の気遣いを感じ、笑顔でそう答えた。
とは言え、ジンも男性職員同様にその凶人に遭遇する可能性は低いと考えていた。
ただ、万一の備えとして事前情報を仕入れる事は重要だと認識していたし、それをもたらしてくれた男性職員の気遣いに対して感謝していたのだ、
そうして改めてジン達は男性職員に別れを告げると、簡単な昼食をとった後にトロンの街を出発した。
リエンツの街で待つ皆の事を想うと、ジン達の心は浮き立ち、馬車の進みも心なしか軽やかだった。
しかし、同時に受けた助言を無駄にしないだけの理性も、ジン達には残っていた。
ましてや今後Cクラス冒険者としてリエンツの街を飛び立つつもりならば、対人戦闘を避けて通る事はできないのだ。
ギルド業務の一環として、アリアにはグレッグ達と共に凶人の討伐を行った経験がある。
事前にジン達はレクチャーは受けていたが、改めて対人戦闘についての心得や注意点等がアリアによって経験を交えて語られ、それはメンタルな部分の話にまで及んだ。
アリアが語るその内容は、自身の経験もあってジン達の心に大きく響いた。
その後も聞いただけで終わるのではなく、今回の凶人のような突出した実力者一人の場合はどう対応するか等、実戦を想定した話し合いも行われた。
無論、実際にその盗賊と戦う事を予測しているわけではなく、あくまでシミュレーションの一例として題材に上げただけだ。
それが実際に役に立つか立たないかではなく、いざという時に対応できる心構えと態勢を作る為に、ジン達は真剣に話し合った。
思いがけず始まったミーティングだったが、それはトロン冒険者ギルドの男性職員の一言がなければ行われなかったかもしれない。
しかし、結果的にそれがジン達の命運を左右する一因となった事は紛れも無い事実だろう。
戦いの気配は、すぐそこに近づいていた。V26Ⅲ速效ダイエット
2014年8月15日星期五
エリザベスと魔力の指輪
大量のMPは回復アップも相まってみるみる回復していく。きちんと計算してみたら、毎時224MPが回復する計算になった。これなら魔法が使い放題だ。治療院が片付いたら、また城壁の防衛のほうに顔をだしてみようか。修復した城壁も気になることだし。狼1号
仮面をつけて部屋を出ようとするとエリザベスはもう寝ていた。来る途中も少し眠そうにしてたものな。それでふと思いついた。いまつけてる魔力の指輪、エリザベスに渡したらどうだろう。これを外してもMPが1000減る程度だ。5000が4000になってもあんまり変わらない。魔法を覚えたのをこいつのせいにしてもいいな。神様からもらった指輪だし、きっとご利益があるだろう。
神殿ホールはまた怪我人でいっぱいだ。ダニーロ殿がすぐにこっちを見つけてやってきた。
「ああ!無事でよかったです。シスターアンジェラに聞いたら城壁に行ったと聞いたので心配しておりましたよ」
「すいません。でもどうしても必要だったもので。それよりも、エリアヒールをかけますので怪我人を集めてもらえますか?」
「はい、すぐに」
「あ、シスターアンジェラはいまどこに?」
「それなら治療室か隣の休憩室にいるはずです」
治療室の隣を覗くと、アンジェラと司祭様がお茶を飲んで休憩していた。
「あ、マ……じゃなくて」
「旅の神官」
「そうそう。旅の神官。それで大丈夫だったの?」
「うん。エリザベスは部屋で寝た。サティはまだ城壁だけど軍曹どのがついてるから」
「そう。あっちは厳しいの?」
「わからない。峠は超えたと思うけど、まだまだすごい数だ」
城壁で守られて有利だとしてもモンスターの数は圧倒的だった。こちらが1人に対して10や20じゃきかない数がいた。モンスターは次から次へと湧いて出てくるのにこちらは徐々に数を減らしていく。王国軍が来るという時間まであと3日。果たしてもつんだろうか。
アンジェラと話していると、ダニーロ殿に呼ばれ、エリアヒールをかける。これで治癒術士達も一息つけるはずだ。
「2時間後くらいにまたエリアヒールが使えるようになります。それまで部屋で休んでいますね」
「朝食はどうしますか?」
「さっき食べたので。アンジェラはどうする?」
「まだしばらく司祭様とこっちにいるよ。2時間はそっちに戻らないからゆっくりするといいよ」
そう言ってニヤニヤと笑う。
「いやいや。エリザベス爆睡してるから。何にもないから」
「そお?」
「そうだよ。じゃあまたあとでね」
2時間ごときで何をしろというのだ。それにエリザベスは寝起き悪いし。
だが珍しくエリザベスが起きており、見てるとふらふらしながらトイレに歩いて行った。戻ってきたエリザベスに熱いマギ茶を手渡す。
「あら、ありがとう」
そう言ってテーブルにつき、お茶をちびちびと飲む。
「治療はもういいの?」
「うん、2時間ほど休憩」
「じゃあじっくり話ができるわね。さっきの話の続きをしましょうか」
まだ忘れてなかったか。
「詠唱教えてくれるの?」
「違うわよ!マサルの魔法の習得速度が異常って話よ。会った時とか別に使えるのを隠してたわけじゃないんでしょう?」
「まさか。あの時はほんとに風も水も土も覚えてなかった。それにティリカちゃんがいたから嘘はつけないよ」
「それもそうね。それで?」
はめていた指輪を外し、エリザベスに手渡す。
「この指輪がどうかしたの?」
そう言って指輪をじっくりと眺める。
「それ、エリザベスに貸すよ」
「普通、ここはくれるところじゃないの?それにちょっと地味ね」
「それ魔力の指輪って言って魔力量と回復速度があがる指輪なんだ。おれは魔力も多いしそれほど必要がないんでエリザベスにどうかなって」
「へえ。魔力が上がる魔道具ってすごく高いのよ。よくそんなの持ってたわね」
「貰い物なんだ。だから貸すだけね」
「そういうことならありがたく借りておくわ」
エリザベスが指輪を薬指にはめる。sex drops 小情人
「うーん、さすがにつけただけじゃよくわからないわね。効果はどれくらいなの?」
「魔力が10割増えて、回復量も同じだけ増える」
「え?よく聞こえなかったわ。10割って言ってたように聞こえたけど……」
「10割って言ったよ。魔力量が倍になるんだよ」
「嘘でしょう?そんなの聞いたこともないわ……」
「ティリカちゃんの前で誓ってもいいよ。それにこのままつけて明日試せばわかるだろう?」
「そうね」
そう言って、エリザベスはじっくりと指輪を見る。
「本当に倍だとしたら、伝説級アーティファクトの魔道具じゃない……」
「そんなにすごいの?」
「すごいなんてもんじゃないわよ!こんなの持ってるって知れたら命を狙われるわよ!」
そう言うと、急にあたりをキョロキョロと見渡した。
「これ持ってるの他に誰か知ってる?」と、小声で言う。
「エリザベス以外知らないかな。アンジェラとサティも知らないし」
「今後これのことは一切口に出しちゃだめよ。いいわね」
「うん」
よく考えたらエリザベスにだけ指輪を贈って2人に何もないっていうのはすごくまずい気がしてきた。絶対に口外しないようにしよう。
「でも呆れたわね。価値も知らないで持ってるなんて」
「どれくらいで売れるかな?」
「売れないわよ」
「ええー」
「値段なんかつけられないの。いいこと?私が知ってる魔力が増える魔道具で一番すごいのが、帝国王室に伝わる魔力の腕輪ね。5割は増えるって聞いたわ。それでも王家の家宝で代々の王に受け継がれるようなものよ。値段なんてつけられるものじゃないわ。それよりすごいとなると……」
さすがに神様がくれた指輪だ。性能が飛び抜けてる。
「ねえ。本当にこれ借りてもいいの?」
「エリザベス、うちのパーティーに入ってくれるんだろう?だったらおれがつけてるより戦力アップになると思ったんだけど」
「そうね。そういうことなら」
エリザベスは指輪を見て考え込んでる。
「貰ったって言ってたわね。どこから手に入れたの?」
野うさぎ狩って神様にもらった。そんなことはもちろん言えない。勇者の物語では、勇者だとばれた勇者の末路は魔王との命をかけた死闘。そんなのはまっぴらごめんだ。
「えーと。そのことはいずれ話すってことで、今はちょっと」
「いいわ。これだけの指輪だもの。軽々しく話せないのはわかるわ。いずれってことにしておいてあげる」
よしよし、うまく誤魔化せたな。
「それで魔法の方は?」
誤魔化せてなかったよ!
「ええと。その指輪」
「この指輪が?」
「魔力が倍になるだろ?つまり魔法の練習も倍できるわけだ」
練習なんかほとんどしてないけど。
「それにそれを付けてると魔法の習得が早くなる気がする。こっちのほうは確証はないけど」
いまぱっと思いついた理由だけど。曲美
「そうね。倍の魔力があればきっと……それに伝説級の魔道具だもの。何か追加効果があってもおかしくないわね……」
今度こそ誤魔化せそうだ!
「それでも1ヶ月で中級魔法3つって言うのは……ほんとにマサルが天才ってことなのかしら?」
「うん、きっとそうなんだよ」
「とりあえず寝直すわ。マサルも一緒に寝る?」
「え?いいの。じゃあ一緒に寝ようかな」
「こんな素敵なエンゲージリングをくれたんだもの。ちょっとくらいはサービスしなきゃね」
「いやいや、あげてないから。貸すだけだから」
「ずっと借りてれば一緒よね。それに夫婦になるんだから、夫のものは妻のものでもあるのよ」
鎧を脱いでエリザベスの横に入り込む。
「じゃあその妻は夫に何をサービスしてくれるの?」
「そうね。こんなのはどうかしら」
そう言って、エリザベスが顔を近寄せてきた。たっぷりと口づけをかわす。
「昨日は途中で寝ちゃうんだものな」
「仕方ないじゃない。魔力を使い切るとすっごく眠いのよ」
そう言うとあくびをして目をつむった。
「え?もう寝ちゃうの?」
「サービスは今ので終わりよ。寝てる間に変なことしちゃだめだからね」
そう言うと速攻でくーくーと寝息を立て始めた。
はぁ~。おれもちょっと寝ておこう。かなり眠くなってきたし。
おやすみエリザベス。そう呟いておでこにキスをし、幸せそうに寝ているエリザベスの顔を見ながら眠りについた。
目を覚ますとアンジェラがいた。
「おはよう、マサル」
うわ。お昼過ぎてるじゃないか。時計を確認して驚いた。
「治療院の方はどうなってる?」
「マサルが部屋に行ってすぐくらいに、他の町から冒険者の応援がたくさん来たんだ。治癒術士も3人も来たんだよ」
ほっと胸をなでおろす。おれたちが来た時も砦の人たちはこんな気持だったんだろうか。王国軍が来るまであと3日。今日と明日と明後日。なんとか耐えきれればいいんだ。
「お昼にしようか。もらってくるからエリーを起こしておいてよ」K-Y
「わかった」
アンジェラが運んできてくれた昼食を3人で食べる。エリザベスが時々手元を見てニマニマする。おい、それ秘密じゃないのかよ。すごい不審なんだけど。
案の定アンジェラから突っ込みが入った。
「どうしたのその指輪。今までしてなかったよね」
さっそくばれたじゃないか!そして助けを求めるようにこっちを見るエリザベス。それを見てアンジェラがこちらに矛先を向ける。
「そういえば同じような指輪をマサルがしてたわね」
考えてみればおれがしていた指輪をエリザベスがしていたら、その点は隠し様がないな。
「ああ、うん。それ魔力の指輪って言ってね。エリザベス、パーティーに入ることになっただろ。それで少しでも戦力増強になればって」
「そうなのよ。エンゲージリングとかそういうのじゃないのよ?それに借りてるだけなの」
「ちょっと高価な品らしいから持ってるのは誰にも言わないでね」
「そうね。魔道具だったら持ってるとか言わないほうがいいね」
「そうそう。やたらと言うわけにもいかないし。そのうち言おうと思ってたのよ」
「でも指輪か。いいわね」
「あー、町に戻ったらきっとね」
「魔道具なんて贅沢は言わないよ。安いのでいいからね」
「うん、約束する」
サティにも買ってやろう。でもどういうのがいいんだろう。あとで既婚者の司祭様にでも聞いてみるか。
昼食後、ベッドで寝転び、本を読むふりをしてステータスをチェックする。
最大MPはまだ4000以上ある。回復速度は24時間で満タンとして174毎時で十分な数値だろう。高速詠唱やMP回復力アップなど、魔法関連のスキルはあらかた最高レベルまで取った。魔力感知は……どうなんだろう?上げる意味がわからない。探知系みたいに遠くから魔法使いの動きがわかるとか?うん、いらなさそう。SPANISCHE FLIEGE D5
仮面をつけて部屋を出ようとするとエリザベスはもう寝ていた。来る途中も少し眠そうにしてたものな。それでふと思いついた。いまつけてる魔力の指輪、エリザベスに渡したらどうだろう。これを外してもMPが1000減る程度だ。5000が4000になってもあんまり変わらない。魔法を覚えたのをこいつのせいにしてもいいな。神様からもらった指輪だし、きっとご利益があるだろう。
神殿ホールはまた怪我人でいっぱいだ。ダニーロ殿がすぐにこっちを見つけてやってきた。
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「すいません。でもどうしても必要だったもので。それよりも、エリアヒールをかけますので怪我人を集めてもらえますか?」
「はい、すぐに」
「あ、シスターアンジェラはいまどこに?」
「それなら治療室か隣の休憩室にいるはずです」
治療室の隣を覗くと、アンジェラと司祭様がお茶を飲んで休憩していた。
「あ、マ……じゃなくて」
「旅の神官」
「そうそう。旅の神官。それで大丈夫だったの?」
「うん。エリザベスは部屋で寝た。サティはまだ城壁だけど軍曹どのがついてるから」
「そう。あっちは厳しいの?」
「わからない。峠は超えたと思うけど、まだまだすごい数だ」
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アンジェラと話していると、ダニーロ殿に呼ばれ、エリアヒールをかける。これで治癒術士達も一息つけるはずだ。
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「朝食はどうしますか?」
「さっき食べたので。アンジェラはどうする?」
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そう言ってニヤニヤと笑う。
「いやいや。エリザベス爆睡してるから。何にもないから」
「そお?」
「そうだよ。じゃあまたあとでね」
2時間ごときで何をしろというのだ。それにエリザベスは寝起き悪いし。
だが珍しくエリザベスが起きており、見てるとふらふらしながらトイレに歩いて行った。戻ってきたエリザベスに熱いマギ茶を手渡す。
「あら、ありがとう」
そう言ってテーブルにつき、お茶をちびちびと飲む。
「治療はもういいの?」
「うん、2時間ほど休憩」
「じゃあじっくり話ができるわね。さっきの話の続きをしましょうか」
まだ忘れてなかったか。
「詠唱教えてくれるの?」
「違うわよ!マサルの魔法の習得速度が異常って話よ。会った時とか別に使えるのを隠してたわけじゃないんでしょう?」
「まさか。あの時はほんとに風も水も土も覚えてなかった。それにティリカちゃんがいたから嘘はつけないよ」
「それもそうね。それで?」
はめていた指輪を外し、エリザベスに手渡す。
「この指輪がどうかしたの?」
そう言って指輪をじっくりと眺める。
「それ、エリザベスに貸すよ」
「普通、ここはくれるところじゃないの?それにちょっと地味ね」
「それ魔力の指輪って言って魔力量と回復速度があがる指輪なんだ。おれは魔力も多いしそれほど必要がないんでエリザベスにどうかなって」
「へえ。魔力が上がる魔道具ってすごく高いのよ。よくそんなの持ってたわね」
「貰い物なんだ。だから貸すだけね」
「そういうことならありがたく借りておくわ」
エリザベスが指輪を薬指にはめる。sex drops 小情人
「うーん、さすがにつけただけじゃよくわからないわね。効果はどれくらいなの?」
「魔力が10割増えて、回復量も同じだけ増える」
「え?よく聞こえなかったわ。10割って言ってたように聞こえたけど……」
「10割って言ったよ。魔力量が倍になるんだよ」
「嘘でしょう?そんなの聞いたこともないわ……」
「ティリカちゃんの前で誓ってもいいよ。それにこのままつけて明日試せばわかるだろう?」
「そうね」
そう言って、エリザベスはじっくりと指輪を見る。
「本当に倍だとしたら、伝説級アーティファクトの魔道具じゃない……」
「そんなにすごいの?」
「すごいなんてもんじゃないわよ!こんなの持ってるって知れたら命を狙われるわよ!」
そう言うと、急にあたりをキョロキョロと見渡した。
「これ持ってるの他に誰か知ってる?」と、小声で言う。
「エリザベス以外知らないかな。アンジェラとサティも知らないし」
「今後これのことは一切口に出しちゃだめよ。いいわね」
「うん」
よく考えたらエリザベスにだけ指輪を贈って2人に何もないっていうのはすごくまずい気がしてきた。絶対に口外しないようにしよう。
「でも呆れたわね。価値も知らないで持ってるなんて」
「どれくらいで売れるかな?」
「売れないわよ」
「ええー」
「値段なんかつけられないの。いいこと?私が知ってる魔力が増える魔道具で一番すごいのが、帝国王室に伝わる魔力の腕輪ね。5割は増えるって聞いたわ。それでも王家の家宝で代々の王に受け継がれるようなものよ。値段なんてつけられるものじゃないわ。それよりすごいとなると……」
さすがに神様がくれた指輪だ。性能が飛び抜けてる。
「ねえ。本当にこれ借りてもいいの?」
「エリザベス、うちのパーティーに入ってくれるんだろう?だったらおれがつけてるより戦力アップになると思ったんだけど」
「そうね。そういうことなら」
エリザベスは指輪を見て考え込んでる。
「貰ったって言ってたわね。どこから手に入れたの?」
野うさぎ狩って神様にもらった。そんなことはもちろん言えない。勇者の物語では、勇者だとばれた勇者の末路は魔王との命をかけた死闘。そんなのはまっぴらごめんだ。
「えーと。そのことはいずれ話すってことで、今はちょっと」
「いいわ。これだけの指輪だもの。軽々しく話せないのはわかるわ。いずれってことにしておいてあげる」
よしよし、うまく誤魔化せたな。
「それで魔法の方は?」
誤魔化せてなかったよ!
「ええと。その指輪」
「この指輪が?」
「魔力が倍になるだろ?つまり魔法の練習も倍できるわけだ」
練習なんかほとんどしてないけど。
「それにそれを付けてると魔法の習得が早くなる気がする。こっちのほうは確証はないけど」
いまぱっと思いついた理由だけど。曲美
「そうね。倍の魔力があればきっと……それに伝説級の魔道具だもの。何か追加効果があってもおかしくないわね……」
今度こそ誤魔化せそうだ!
「それでも1ヶ月で中級魔法3つって言うのは……ほんとにマサルが天才ってことなのかしら?」
「うん、きっとそうなんだよ」
「とりあえず寝直すわ。マサルも一緒に寝る?」
「え?いいの。じゃあ一緒に寝ようかな」
「こんな素敵なエンゲージリングをくれたんだもの。ちょっとくらいはサービスしなきゃね」
「いやいや、あげてないから。貸すだけだから」
「ずっと借りてれば一緒よね。それに夫婦になるんだから、夫のものは妻のものでもあるのよ」
鎧を脱いでエリザベスの横に入り込む。
「じゃあその妻は夫に何をサービスしてくれるの?」
「そうね。こんなのはどうかしら」
そう言って、エリザベスが顔を近寄せてきた。たっぷりと口づけをかわす。
「昨日は途中で寝ちゃうんだものな」
「仕方ないじゃない。魔力を使い切るとすっごく眠いのよ」
そう言うとあくびをして目をつむった。
「え?もう寝ちゃうの?」
「サービスは今ので終わりよ。寝てる間に変なことしちゃだめだからね」
そう言うと速攻でくーくーと寝息を立て始めた。
はぁ~。おれもちょっと寝ておこう。かなり眠くなってきたし。
おやすみエリザベス。そう呟いておでこにキスをし、幸せそうに寝ているエリザベスの顔を見ながら眠りについた。
目を覚ますとアンジェラがいた。
「おはよう、マサル」
うわ。お昼過ぎてるじゃないか。時計を確認して驚いた。
「治療院の方はどうなってる?」
「マサルが部屋に行ってすぐくらいに、他の町から冒険者の応援がたくさん来たんだ。治癒術士も3人も来たんだよ」
ほっと胸をなでおろす。おれたちが来た時も砦の人たちはこんな気持だったんだろうか。王国軍が来るまであと3日。今日と明日と明後日。なんとか耐えきれればいいんだ。
「お昼にしようか。もらってくるからエリーを起こしておいてよ」K-Y
「わかった」
アンジェラが運んできてくれた昼食を3人で食べる。エリザベスが時々手元を見てニマニマする。おい、それ秘密じゃないのかよ。すごい不審なんだけど。
案の定アンジェラから突っ込みが入った。
「どうしたのその指輪。今までしてなかったよね」
さっそくばれたじゃないか!そして助けを求めるようにこっちを見るエリザベス。それを見てアンジェラがこちらに矛先を向ける。
「そういえば同じような指輪をマサルがしてたわね」
考えてみればおれがしていた指輪をエリザベスがしていたら、その点は隠し様がないな。
「ああ、うん。それ魔力の指輪って言ってね。エリザベス、パーティーに入ることになっただろ。それで少しでも戦力増強になればって」
「そうなのよ。エンゲージリングとかそういうのじゃないのよ?それに借りてるだけなの」
「ちょっと高価な品らしいから持ってるのは誰にも言わないでね」
「そうね。魔道具だったら持ってるとか言わないほうがいいね」
「そうそう。やたらと言うわけにもいかないし。そのうち言おうと思ってたのよ」
「でも指輪か。いいわね」
「あー、町に戻ったらきっとね」
「魔道具なんて贅沢は言わないよ。安いのでいいからね」
「うん、約束する」
サティにも買ってやろう。でもどういうのがいいんだろう。あとで既婚者の司祭様にでも聞いてみるか。
昼食後、ベッドで寝転び、本を読むふりをしてステータスをチェックする。
最大MPはまだ4000以上ある。回復速度は24時間で満タンとして174毎時で十分な数値だろう。高速詠唱やMP回復力アップなど、魔法関連のスキルはあらかた最高レベルまで取った。魔力感知は……どうなんだろう?上げる意味がわからない。探知系みたいに遠くから魔法使いの動きがわかるとか?うん、いらなさそう。SPANISCHE FLIEGE D5
2014年8月12日星期二
授業
彼に主導権は渡さない、先手を握る!
コーネリアは炎に包まれた剣を横薙ぎに振るう。
さすがにその剣をまともに受け止める気はないのか、ウィンは長剣で弾いた――が、逆にウィンの剣のほうが大きく弾かれてしまった。
体勢を崩しかけるウィン。印度神油
先程までとは違い、コーネリアにもウィンの動きが追える。
《縛鎖》の魔法が効果を現しているようだ。
コーネリアは一歩踏み込むと、胸元を狙った突きを放つ。
ウィンは右手だけに持った剣を振って、コーネリアの突きを払いのけると地面を蹴って間合いを取る。
剣でコーネリアの攻撃をいなす度に、ウィンは強い衝撃を感じていた。
コーネリアの一撃が重い。
ほぼ同じサイズの長剣を使用しているにもかかわらず、コーネリアの剣の威力は大剣並の重さを持っていた。
魔力強化をした剣を使わずにまともに受け止めたなら、叩き折られていたかもしれない。
剣が纏っている炎も厄介だった。
鍔迫り合いに持ち込まれると、ウィンをその熱気で焼くだろう。
この炎は術者には影響を及ぼさないので、コーネリアは熱さを感じない。
それに、強化魔法によって筋力も強化しているコーネリアと、まともに力比べをしても、ウィンの分が悪かった。
コーネリアが自身の優位を確信してか、さらに積極的に攻勢に出る。
連続で斬撃を振るう。
それを大きく、まるで踊るように躱して時に剣で弾いていなすウィン。
身体の動きを阻害されているのと同時に炎の熱気によって、ウィンは反撃を考慮したギリギリでの見切りをすることができず、防御に専念していた。
彼ら二人の均衡した攻防は、いつまでも続くかのように思えたが――
ついにコーネリアの攻撃の手が一瞬止まる。
一気呵成の連続攻撃は、体力の消耗も激しい。
コーネリアが一瞬苦しそうに顔を歪め、顔を上げると大きく息を吸った。
その一瞬の隙を見逃さず、ウィンは一気に間合いを詰める。
地を這うように低い体勢から、鋭い踏み込みとともにコーネリアに迫ると、その喉元に剣先を突きつけていた。
コーネリアの身体から力が抜けるのを見て、ウィンはゆっくりと喉元に突きつけた剣を引いた。
「私の完敗です……」
「君の方こそ炎の付与魔法なんて珍しいモノ使えるなんて。貴重な経験をさせてもらったよ」
ウィンが右手を差し出すと、コーネリアもそれに応えて握手をかわす。
「剣技だけで圧倒されるなんて思いませんでした。それに二戦目は、私の体力が切れるのを待っていたのですか?」
「体力には自信があるんだ。でも俺にも余裕はなかったかな。相手の動きを妨害する魔法。冒険者が使っているのを見たことはあったけど、もし最初の一撃目で体勢を崩された時、次の攻撃の踏み込みがもう少し深かったら負けてたかもね」
コーネリアはふっと小さく笑った。
「同じ候補生とは思えませんね。教官だと言っても驚きませんよ? 魔法を使って戦ったら、正騎士よりも強いのではないですか?」
だが――
「いや、俺は……」
不意に顔を曇らせたウィンを見て、コーネリアは失言を悟った。
「俺は魔法がほとんど使えない。才能がないからね」
「才能って……」
「だから、俺は剣だけは誰にも負けないつもりで鍛えてる。どれだけ魔法の訓練を積んでも、魔力がなければ使える魔法というのは限られてしまうし、それに本当に才能がある人には絶対に追いつけない。だけど――」
ウィンは腰の剣に手を添える。
「これだけは、訓練を積み重ねればある程度は上達するし、戦い方次第では魔法を使える人間にも勝てる」
先ほど浮かべた表情は消え、そのウィンの瞳に宿るのは強い意思の光。
その言葉を吐いた一瞬、コーネリアは気圧される。
そこには同い年の少年であるにも関わらず、自らよりもずっと先を行く者がいた。
気に呑まれ言葉を失うコーネリアだったが、すぐにウィンは柔らかい笑みを浮かべた。
「でも、三度も連続で試験に落ちちゃってるけどね。そろそろ終わりみたいだし、教官の元へ行こうか」
見ると、周囲の生徒たちもアルドの元へと集まり始めていた。
三度も落ちたという話しは聞いていたが……。
コーネリアは先を歩くウィンの後ろ姿を見つめる。
直接戦ってみた彼女には、彼が噂されているほど落ちこぼれとはとても思えなかった。 なるほど――あれが最近噂に聞く勇者の師匠、ウィン・バードか。
騎士学校の教官――アルドは、自身の元へと集合してくる生徒たちの中から、ウィンとコーネリアの二人を見ていた。
生徒たちの模擬戦闘が開始されてから、アルドは最も遠い場所で模擬戦闘を行っているウィンとコーネリアの二人を注視していた。
本来、彼の立場的には全体を平等に見なければならないのだが、一部の者だけとはいえ噂となっている者がいるのだ。
気にならないほうがおかしい。
アルドの合図と共に始められた模擬戦闘。
生徒達は、セオリー通りに自己強化の魔法を使用してから開始した。
それはウィンとペアを組んでいるコーネリアも例外ではない。
アルドの位置からでも、わずかにコーネリアが淡い光を帯びたのを確認できた。
だが、対するウィンに動きはない。
魔法を使わずにただゆっくりとした動作で剣を抜いただけだ。
ただその動作は、他の生徒達の群を抜いて洗練されたものであり、歴戦のアルドから見ても様になったものであった。
ウィンは、剣を右手に握ってぶらりと下げたまま、じっと立ち尽くしている。
対峙するコーネリアの自己強化が終わるのを待っているのか。強力催眠謎幻水
アルドは昨年、ウィンのクラスを担当していない。
昨年にウィンを担当した同僚の教官からの情報と、彼が記した報告書からでしかウィンのことを事前に知ることができなかった。
それによると彼は自己強化の魔法を、魔力不足により使用することができないと記載されていた。
あれは事実だったのか。
訓練用騎士剣に魔力を通したり、もしくは最低レベルの魔法に関しては使用できるとあったものの魔法実技の成績は地を這うものであった。
事実、コーネリアが自己強化を終えようとしているこの時も、ウィン自身は魔法を使用する気配すら見せない。
しかし――
コーネリアが剣を構え先に仕掛けたにもかかわらず、逆に間合いを一気に詰めて主導権を握ったのはウィンの方だった。
一瞬で間合いを詰めると、斬撃を浴びせてコーネリアに防御させる。
そして少し鍔迫り合いに持ち込まれたものの、ウィンは一度間合いを取るついでにコーネリアの体勢を崩し、もう一度一気に間合いを詰めると斬撃を繰り出した。
コーネリアの持つ剣を狙ったその斬撃は、見事に彼女の手から剣を弾き飛ばしたことで決着が着いた。
コーネリアが呆然としているのが見える。
恐らくウィンの剣閃がまるで見えなかったのだろう。
アルドであっても、自己強化の魔法を使用していなければ、同じように剣を弾き飛ばされて終わるのではないだろうか。
そう思わせるほどの、圧倒的な剣速だった。
見ていて良かった。
少しでも他の生徒を見ていたら、恐らく見逃してしまうところだった。
それほど他の生徒達の模擬戦闘に比べて、レベルが段違いのものであり、わずか短時間で決着してしまった。
当人たちもそう思ったのだろう。
どうやら再戦するつもりらしい。
コーネリアの身体をまたうっすらと光が包み込む。
さらに先程とは違い、構えている剣が炎を纒った。
付与魔法エンチャントか!
アルドは思わず目を見張る。
騎士学校ではあまり人気がなく、目にする機会の少ない魔法だ。
さらにコーネリアが魔法を使用する。
一瞬、ウィンの身体を赤い光が包み込む。
どうやら何らかの魔法をウィンに掛けたようだ。
こういった戦い方は、主に少数で魔物を相手にする冒険者達がよく取る戦闘方法だ。
もちろん、騎士団でも魔物を相手にすることがある。
特に強大な力を持った魔物には、相手を弱体化させる付与魔法を使用する場合もあるが、その役目は宮廷魔法使い達の役目であり、騎士達が使うことはない。
コーネリアもまたウィンと同様、騎士達の戦い方からは逸脱した戦い方のようだった。
ウィンが何らかの弱体化魔法によって戸惑っているうちに、コーネリアが先手を取る。
ウィンは、コーネリアの剣を何とか弾くも、大きく体勢を崩されてしまった。
そこにコーネリアが突きを放つが、踏み込みが浅くうまく受け流されてしまう。
その後もコーネリアが攻撃を繰り出し続けたが、その疲れによって息が切れてしまった隙を狙われ、結局ウィンがコーネリアの喉元に剣を突きつけて勝利した。
一戦目に比較して、コーネリアの優位が目立ったものの、冷静に捌き続けたウィンの完勝であった。
だが、アルドにとって印象的だったのは、そのウィンの勝ち方ではなく、彼の剣技と身のこなし――あれを更に化物にすると、勇者が使う剣になるのか……。
まるで長剣と踊っているかのような彼の動きは、かつて目にした勇者の姿を思い出させるものであった。
三年前、アルドは騎士団の辺境任務に就いていた時に、人食い鬼オーガの群れの討伐任務へと趣いたことがある。
そこで勇者レティシアが戦う姿をその目にすることができた。
国境近くに存在する、とある村。
そこを数十匹ものオーガの群が襲った。
アルド達騎士団は急報を受けて駆けつけたものの、先遣隊である小隊では到底どうにもできない数であった。
村を放棄して村人たちを避難させようにも、恐らくは逃げる途中で追いつかれてしまい虐殺されてしまうだろう。VIVID
アルド達の先遣隊の隊長は自身達が囮としてこの村に残り、村人たちが避難する時間を作ることを選択することにした。
とはいえ、小隊の人数は僅か十名。
オーガは元々、人をはるかに上回る強靭さと力を持っており、通常であれば正騎士が二人か三人で連携を取り、ようやく一体を相手取るのがセオリーとなる。
例え彼らがここで奮闘したとしても、村人達が逃げきれるかどうかは運となる。
それでも、ただこの村に篭って援軍が来るのを待つよりは可能性がある。
決死の覚悟で、騎士たちが村人たちに村を捨てて逃げるように説得し、迎撃をするための柵を作るなどの準備をしていたそんな時――勇者レティシアは現れた。
彼女もまた、オーガの群の急襲の話を聞きつけ旅の途中に単身で立ち寄ったのである。
彼女は騎士団に村人達と共に村を護るように言いつけると、すぐさまたった一人で村の外でオーガ達が襲来するのを待ち構えた。
当初、騎士団の誰もが彼女が一人で戦うことに反対した。
いくら勇者であるとはいえ、彼女もいまだ幼い女の子である。
女の子が戦っているのを、誇りある騎士が見守るなど断じてできない。
先遣隊の小隊長がレティシアに詰め寄った。
しかし――
「気持ちは嬉しいのだけど、私は一人で戦える。それに、あなたたちには守らなければならない人達がいるでしょう?」
彼女の視線が村の人々に向けられる。
不安そうにこちらを見ている子供達や女性、それに年寄りたち。
戦える男たちは最初の襲撃時にオーガと戦って死んでしまったか、もしくは騎士団に協力してオーガの侵入を少しでも防ぐべく柵を作っていた。
確かに彼らを守ることが任務であったし、いざとなれば当初の予定通りに彼らを逃がすための戦力も必要だ。
それでも言い募ろうとする彼らを、レティシアは笑顔を浮かべてその言葉を遮る。
「心配しないで。最低でも皆が逃げ出せる時間は作ることはできるから」
そう言い残して村を囲む急ごしらえの柵から出て行ってしまったレティシア。
今にして思えば、その笑顔は透明で――どこか壊れてしまいそうな笑顔だったように思う。
そして、日が落ちかけた夕刻――森から湧き上がるように続々とオーガ達が姿を現した。
先頭に一際大きなオーガがいる。
群のボスなのだろう。
レティシアはそのオーガに向かって歩き出す。
手にしている武器は右手に下げた長剣だけ。
当時、十歳かそこらの幼い女の子が身の丈に近いような剣を下げて、身の丈三メートル近いオーガへと歩いていくのである。
アルド達騎士団は後方で村人達と共に、その後ろ姿を見守ることとなった。
どうしてあの時、もっと強く彼女を引き止めなかったのか。
彼女から一緒に戦うことを拒絶され、見守ることしかできない騎士達の誰もがそう思った。
群のボスに命令されたオーガ数匹が彼女に殺到する。
その盛り上がった腕の筋肉、原始的な棍棒のような武器は、人を容易に挽肉へと変えてしまうだろう。
その凶悪な武器が一斉にレティシアへと振り下ろされようとして――何事もなくレティシアはその中を進んでいった。
――は?
惨劇を予想して目を閉じてしまったり、悲鳴をあげそうになった一同が思わず目を疑ってしまった。
一拍の間を置いて――オーガ達の腕が、脚が、首が鮮血を飛ばしながら胴体から転げ落ちた。
誰もが何が起きたのかわからなかった。
ただ、レティシアは群れの奥へ、奥へと歩いていくだけである。
ただそれだけにも関わらず、彼女の前に立ち塞がったオーガ達の身体がバラバラに分解されていくのである。
あまりにも非常識な光景。
よく見るとオーガがバラバラになるその一瞬、レティシアの身体がぶれて見える。
それが何を意味しているかを悟ったとき、誰もが戦慄を覚えた。
つまり、彼女は遠く離れた位置にいる騎士たちですら、通常では捉えきれない速度でオーガを屠っているのだ。蔵八宝
見ていた騎士達の背中に冷たい汗が流れる。
殺戮を撒き散らすちっぽけな幼い人の牝に、オーガたちは数で圧殺しようと更なる数で襲いかかる。
しかし――
迫ってくるオーガが振るう巨大な棍棒を掻い潜り、その両腕を切り飛ばすと、返すその刃で首を飛ばす。
背後から横殴りに振られた棍棒を、地を蹴り、首を飛ばされて傾いできたオーガの身体を足場にしてさらに宙高く舞い上がると、空中にて身体を反転。背後から襲ってきたオーガの首もまた切り飛ばし、さらにそれを足蹴にして、次のオーガへと斬りかかる。
止められない。止まらない。
踊るように死の舞踏を舞う少女。
全身に返り血を浴び、無表情にオーガを薙ぎ倒すレティシア。
そして、群れの中央――一際体格の良い、群れのボスと思われるオーガへと一気に迫る。
低い体勢で懐に潜り込むと、両脚を切断。
そのまま股の下を掻い潜ると、地を蹴って反転し首を切り飛ばした。
どうっと倒れるオーガリーダー。
一瞬――静寂が訪れる。
ただ、歳に不相応な冷徹な目をして、地に伏せたオーガを見下ろすレティシア。
剣をひと振りして刃に残った血を飛ばし、ゆっくりと顔を上げると、残った周囲のオーガたちへと視線を移す。
その視線に、闘争本能しかないとされるオーガ達ですら恐怖を覚えたのか、ついには算を乱してレティシアが来た村とは逆の方向へと我先へと逃げ出した。
勇者レティシアがオーガの群れを追い払った。
村は救われた。
だがしかし、その場にいた騎士達、村人達の誰もが動くことも喝采の声を上げることもできなかった。
ただ、目の前の光景を作り出した少女――勇者レティシアが怖かった。
本来、圧倒的な殺戮者であるはずのオーガを、虫けらのごとく屠ってしまった。
同じ人としての所業とは思えない。
村人、騎士達の恐怖を感じたのか、彼女もまた村へと一度視線だけを向けると、それ以後は振り返ることもなくただその場に留まる。
やがて、彼女の仲間と思わしき迎えが来るまで、彼女は一歩も動くことはなく、村に立ち寄ることもなく去っていった。
今でもアルドは鮮明に思い出す。
死の舞踏を踊った美しくも、どこか儚げな印象を持ったあの笑顔。
だから、昨日の入学式の際に見せたレティシアの笑顔を見て、彼は心底安堵した。
彼女も普通に笑える人間であったと。
そして同時に不安も覚えた。
恐らくあの戦いは彼女にとって、数多の戦闘の中の一つでしかなかったはず。
凄惨な戦場を掻い潜ってきた彼女にとって、今のこの騎士学校はどう映るだろうか。
ウィンの実力は魔法の成績に関しては芳しくないものとはいえ、間違いなく候補生レベルのものではない。
それにも関わらず、彼が試験に落ち続けているのは、ある高位貴族の意向が絡んでいるという噂を耳にした。
騎士団内に絶大な力を持つ貴族からの指示であると。
もしも、一貴族の意向によって不正がまかり通っている事が知られたら――
恐らくはこれまでも様々な不正が行われてきているだろう。
試験結果を金で買うなどといった話は、氷山の一角に過ぎない。
権力を使用して、気に入らない人物を騎士とさせないようにする妨害は、ウィンに限らず過去にも幾度となくあったに違いなかった。
これまではそういったこともうまくいっていた。新一粒神
コーネリアは炎に包まれた剣を横薙ぎに振るう。
さすがにその剣をまともに受け止める気はないのか、ウィンは長剣で弾いた――が、逆にウィンの剣のほうが大きく弾かれてしまった。
体勢を崩しかけるウィン。印度神油
先程までとは違い、コーネリアにもウィンの動きが追える。
《縛鎖》の魔法が効果を現しているようだ。
コーネリアは一歩踏み込むと、胸元を狙った突きを放つ。
ウィンは右手だけに持った剣を振って、コーネリアの突きを払いのけると地面を蹴って間合いを取る。
剣でコーネリアの攻撃をいなす度に、ウィンは強い衝撃を感じていた。
コーネリアの一撃が重い。
ほぼ同じサイズの長剣を使用しているにもかかわらず、コーネリアの剣の威力は大剣並の重さを持っていた。
魔力強化をした剣を使わずにまともに受け止めたなら、叩き折られていたかもしれない。
剣が纏っている炎も厄介だった。
鍔迫り合いに持ち込まれると、ウィンをその熱気で焼くだろう。
この炎は術者には影響を及ぼさないので、コーネリアは熱さを感じない。
それに、強化魔法によって筋力も強化しているコーネリアと、まともに力比べをしても、ウィンの分が悪かった。
コーネリアが自身の優位を確信してか、さらに積極的に攻勢に出る。
連続で斬撃を振るう。
それを大きく、まるで踊るように躱して時に剣で弾いていなすウィン。
身体の動きを阻害されているのと同時に炎の熱気によって、ウィンは反撃を考慮したギリギリでの見切りをすることができず、防御に専念していた。
彼ら二人の均衡した攻防は、いつまでも続くかのように思えたが――
ついにコーネリアの攻撃の手が一瞬止まる。
一気呵成の連続攻撃は、体力の消耗も激しい。
コーネリアが一瞬苦しそうに顔を歪め、顔を上げると大きく息を吸った。
その一瞬の隙を見逃さず、ウィンは一気に間合いを詰める。
地を這うように低い体勢から、鋭い踏み込みとともにコーネリアに迫ると、その喉元に剣先を突きつけていた。
コーネリアの身体から力が抜けるのを見て、ウィンはゆっくりと喉元に突きつけた剣を引いた。
「私の完敗です……」
「君の方こそ炎の付与魔法なんて珍しいモノ使えるなんて。貴重な経験をさせてもらったよ」
ウィンが右手を差し出すと、コーネリアもそれに応えて握手をかわす。
「剣技だけで圧倒されるなんて思いませんでした。それに二戦目は、私の体力が切れるのを待っていたのですか?」
「体力には自信があるんだ。でも俺にも余裕はなかったかな。相手の動きを妨害する魔法。冒険者が使っているのを見たことはあったけど、もし最初の一撃目で体勢を崩された時、次の攻撃の踏み込みがもう少し深かったら負けてたかもね」
コーネリアはふっと小さく笑った。
「同じ候補生とは思えませんね。教官だと言っても驚きませんよ? 魔法を使って戦ったら、正騎士よりも強いのではないですか?」
だが――
「いや、俺は……」
不意に顔を曇らせたウィンを見て、コーネリアは失言を悟った。
「俺は魔法がほとんど使えない。才能がないからね」
「才能って……」
「だから、俺は剣だけは誰にも負けないつもりで鍛えてる。どれだけ魔法の訓練を積んでも、魔力がなければ使える魔法というのは限られてしまうし、それに本当に才能がある人には絶対に追いつけない。だけど――」
ウィンは腰の剣に手を添える。
「これだけは、訓練を積み重ねればある程度は上達するし、戦い方次第では魔法を使える人間にも勝てる」
先ほど浮かべた表情は消え、そのウィンの瞳に宿るのは強い意思の光。
その言葉を吐いた一瞬、コーネリアは気圧される。
そこには同い年の少年であるにも関わらず、自らよりもずっと先を行く者がいた。
気に呑まれ言葉を失うコーネリアだったが、すぐにウィンは柔らかい笑みを浮かべた。
「でも、三度も連続で試験に落ちちゃってるけどね。そろそろ終わりみたいだし、教官の元へ行こうか」
見ると、周囲の生徒たちもアルドの元へと集まり始めていた。
三度も落ちたという話しは聞いていたが……。
コーネリアは先を歩くウィンの後ろ姿を見つめる。
直接戦ってみた彼女には、彼が噂されているほど落ちこぼれとはとても思えなかった。 なるほど――あれが最近噂に聞く勇者の師匠、ウィン・バードか。
騎士学校の教官――アルドは、自身の元へと集合してくる生徒たちの中から、ウィンとコーネリアの二人を見ていた。
生徒たちの模擬戦闘が開始されてから、アルドは最も遠い場所で模擬戦闘を行っているウィンとコーネリアの二人を注視していた。
本来、彼の立場的には全体を平等に見なければならないのだが、一部の者だけとはいえ噂となっている者がいるのだ。
気にならないほうがおかしい。
アルドの合図と共に始められた模擬戦闘。
生徒達は、セオリー通りに自己強化の魔法を使用してから開始した。
それはウィンとペアを組んでいるコーネリアも例外ではない。
アルドの位置からでも、わずかにコーネリアが淡い光を帯びたのを確認できた。
だが、対するウィンに動きはない。
魔法を使わずにただゆっくりとした動作で剣を抜いただけだ。
ただその動作は、他の生徒達の群を抜いて洗練されたものであり、歴戦のアルドから見ても様になったものであった。
ウィンは、剣を右手に握ってぶらりと下げたまま、じっと立ち尽くしている。
対峙するコーネリアの自己強化が終わるのを待っているのか。強力催眠謎幻水
アルドは昨年、ウィンのクラスを担当していない。
昨年にウィンを担当した同僚の教官からの情報と、彼が記した報告書からでしかウィンのことを事前に知ることができなかった。
それによると彼は自己強化の魔法を、魔力不足により使用することができないと記載されていた。
あれは事実だったのか。
訓練用騎士剣に魔力を通したり、もしくは最低レベルの魔法に関しては使用できるとあったものの魔法実技の成績は地を這うものであった。
事実、コーネリアが自己強化を終えようとしているこの時も、ウィン自身は魔法を使用する気配すら見せない。
しかし――
コーネリアが剣を構え先に仕掛けたにもかかわらず、逆に間合いを一気に詰めて主導権を握ったのはウィンの方だった。
一瞬で間合いを詰めると、斬撃を浴びせてコーネリアに防御させる。
そして少し鍔迫り合いに持ち込まれたものの、ウィンは一度間合いを取るついでにコーネリアの体勢を崩し、もう一度一気に間合いを詰めると斬撃を繰り出した。
コーネリアの持つ剣を狙ったその斬撃は、見事に彼女の手から剣を弾き飛ばしたことで決着が着いた。
コーネリアが呆然としているのが見える。
恐らくウィンの剣閃がまるで見えなかったのだろう。
アルドであっても、自己強化の魔法を使用していなければ、同じように剣を弾き飛ばされて終わるのではないだろうか。
そう思わせるほどの、圧倒的な剣速だった。
見ていて良かった。
少しでも他の生徒を見ていたら、恐らく見逃してしまうところだった。
それほど他の生徒達の模擬戦闘に比べて、レベルが段違いのものであり、わずか短時間で決着してしまった。
当人たちもそう思ったのだろう。
どうやら再戦するつもりらしい。
コーネリアの身体をまたうっすらと光が包み込む。
さらに先程とは違い、構えている剣が炎を纒った。
付与魔法エンチャントか!
アルドは思わず目を見張る。
騎士学校ではあまり人気がなく、目にする機会の少ない魔法だ。
さらにコーネリアが魔法を使用する。
一瞬、ウィンの身体を赤い光が包み込む。
どうやら何らかの魔法をウィンに掛けたようだ。
こういった戦い方は、主に少数で魔物を相手にする冒険者達がよく取る戦闘方法だ。
もちろん、騎士団でも魔物を相手にすることがある。
特に強大な力を持った魔物には、相手を弱体化させる付与魔法を使用する場合もあるが、その役目は宮廷魔法使い達の役目であり、騎士達が使うことはない。
コーネリアもまたウィンと同様、騎士達の戦い方からは逸脱した戦い方のようだった。
ウィンが何らかの弱体化魔法によって戸惑っているうちに、コーネリアが先手を取る。
ウィンは、コーネリアの剣を何とか弾くも、大きく体勢を崩されてしまった。
そこにコーネリアが突きを放つが、踏み込みが浅くうまく受け流されてしまう。
その後もコーネリアが攻撃を繰り出し続けたが、その疲れによって息が切れてしまった隙を狙われ、結局ウィンがコーネリアの喉元に剣を突きつけて勝利した。
一戦目に比較して、コーネリアの優位が目立ったものの、冷静に捌き続けたウィンの完勝であった。
だが、アルドにとって印象的だったのは、そのウィンの勝ち方ではなく、彼の剣技と身のこなし――あれを更に化物にすると、勇者が使う剣になるのか……。
まるで長剣と踊っているかのような彼の動きは、かつて目にした勇者の姿を思い出させるものであった。
三年前、アルドは騎士団の辺境任務に就いていた時に、人食い鬼オーガの群れの討伐任務へと趣いたことがある。
そこで勇者レティシアが戦う姿をその目にすることができた。
国境近くに存在する、とある村。
そこを数十匹ものオーガの群が襲った。
アルド達騎士団は急報を受けて駆けつけたものの、先遣隊である小隊では到底どうにもできない数であった。
村を放棄して村人たちを避難させようにも、恐らくは逃げる途中で追いつかれてしまい虐殺されてしまうだろう。VIVID
アルド達の先遣隊の隊長は自身達が囮としてこの村に残り、村人たちが避難する時間を作ることを選択することにした。
とはいえ、小隊の人数は僅か十名。
オーガは元々、人をはるかに上回る強靭さと力を持っており、通常であれば正騎士が二人か三人で連携を取り、ようやく一体を相手取るのがセオリーとなる。
例え彼らがここで奮闘したとしても、村人達が逃げきれるかどうかは運となる。
それでも、ただこの村に篭って援軍が来るのを待つよりは可能性がある。
決死の覚悟で、騎士たちが村人たちに村を捨てて逃げるように説得し、迎撃をするための柵を作るなどの準備をしていたそんな時――勇者レティシアは現れた。
彼女もまた、オーガの群の急襲の話を聞きつけ旅の途中に単身で立ち寄ったのである。
彼女は騎士団に村人達と共に村を護るように言いつけると、すぐさまたった一人で村の外でオーガ達が襲来するのを待ち構えた。
当初、騎士団の誰もが彼女が一人で戦うことに反対した。
いくら勇者であるとはいえ、彼女もいまだ幼い女の子である。
女の子が戦っているのを、誇りある騎士が見守るなど断じてできない。
先遣隊の小隊長がレティシアに詰め寄った。
しかし――
「気持ちは嬉しいのだけど、私は一人で戦える。それに、あなたたちには守らなければならない人達がいるでしょう?」
彼女の視線が村の人々に向けられる。
不安そうにこちらを見ている子供達や女性、それに年寄りたち。
戦える男たちは最初の襲撃時にオーガと戦って死んでしまったか、もしくは騎士団に協力してオーガの侵入を少しでも防ぐべく柵を作っていた。
確かに彼らを守ることが任務であったし、いざとなれば当初の予定通りに彼らを逃がすための戦力も必要だ。
それでも言い募ろうとする彼らを、レティシアは笑顔を浮かべてその言葉を遮る。
「心配しないで。最低でも皆が逃げ出せる時間は作ることはできるから」
そう言い残して村を囲む急ごしらえの柵から出て行ってしまったレティシア。
今にして思えば、その笑顔は透明で――どこか壊れてしまいそうな笑顔だったように思う。
そして、日が落ちかけた夕刻――森から湧き上がるように続々とオーガ達が姿を現した。
先頭に一際大きなオーガがいる。
群のボスなのだろう。
レティシアはそのオーガに向かって歩き出す。
手にしている武器は右手に下げた長剣だけ。
当時、十歳かそこらの幼い女の子が身の丈に近いような剣を下げて、身の丈三メートル近いオーガへと歩いていくのである。
アルド達騎士団は後方で村人達と共に、その後ろ姿を見守ることとなった。
どうしてあの時、もっと強く彼女を引き止めなかったのか。
彼女から一緒に戦うことを拒絶され、見守ることしかできない騎士達の誰もがそう思った。
群のボスに命令されたオーガ数匹が彼女に殺到する。
その盛り上がった腕の筋肉、原始的な棍棒のような武器は、人を容易に挽肉へと変えてしまうだろう。
その凶悪な武器が一斉にレティシアへと振り下ろされようとして――何事もなくレティシアはその中を進んでいった。
――は?
惨劇を予想して目を閉じてしまったり、悲鳴をあげそうになった一同が思わず目を疑ってしまった。
一拍の間を置いて――オーガ達の腕が、脚が、首が鮮血を飛ばしながら胴体から転げ落ちた。
誰もが何が起きたのかわからなかった。
ただ、レティシアは群れの奥へ、奥へと歩いていくだけである。
ただそれだけにも関わらず、彼女の前に立ち塞がったオーガ達の身体がバラバラに分解されていくのである。
あまりにも非常識な光景。
よく見るとオーガがバラバラになるその一瞬、レティシアの身体がぶれて見える。
それが何を意味しているかを悟ったとき、誰もが戦慄を覚えた。
つまり、彼女は遠く離れた位置にいる騎士たちですら、通常では捉えきれない速度でオーガを屠っているのだ。蔵八宝
見ていた騎士達の背中に冷たい汗が流れる。
殺戮を撒き散らすちっぽけな幼い人の牝に、オーガたちは数で圧殺しようと更なる数で襲いかかる。
しかし――
迫ってくるオーガが振るう巨大な棍棒を掻い潜り、その両腕を切り飛ばすと、返すその刃で首を飛ばす。
背後から横殴りに振られた棍棒を、地を蹴り、首を飛ばされて傾いできたオーガの身体を足場にしてさらに宙高く舞い上がると、空中にて身体を反転。背後から襲ってきたオーガの首もまた切り飛ばし、さらにそれを足蹴にして、次のオーガへと斬りかかる。
止められない。止まらない。
踊るように死の舞踏を舞う少女。
全身に返り血を浴び、無表情にオーガを薙ぎ倒すレティシア。
そして、群れの中央――一際体格の良い、群れのボスと思われるオーガへと一気に迫る。
低い体勢で懐に潜り込むと、両脚を切断。
そのまま股の下を掻い潜ると、地を蹴って反転し首を切り飛ばした。
どうっと倒れるオーガリーダー。
一瞬――静寂が訪れる。
ただ、歳に不相応な冷徹な目をして、地に伏せたオーガを見下ろすレティシア。
剣をひと振りして刃に残った血を飛ばし、ゆっくりと顔を上げると、残った周囲のオーガたちへと視線を移す。
その視線に、闘争本能しかないとされるオーガ達ですら恐怖を覚えたのか、ついには算を乱してレティシアが来た村とは逆の方向へと我先へと逃げ出した。
勇者レティシアがオーガの群れを追い払った。
村は救われた。
だがしかし、その場にいた騎士達、村人達の誰もが動くことも喝采の声を上げることもできなかった。
ただ、目の前の光景を作り出した少女――勇者レティシアが怖かった。
本来、圧倒的な殺戮者であるはずのオーガを、虫けらのごとく屠ってしまった。
同じ人としての所業とは思えない。
村人、騎士達の恐怖を感じたのか、彼女もまた村へと一度視線だけを向けると、それ以後は振り返ることもなくただその場に留まる。
やがて、彼女の仲間と思わしき迎えが来るまで、彼女は一歩も動くことはなく、村に立ち寄ることもなく去っていった。
今でもアルドは鮮明に思い出す。
死の舞踏を踊った美しくも、どこか儚げな印象を持ったあの笑顔。
だから、昨日の入学式の際に見せたレティシアの笑顔を見て、彼は心底安堵した。
彼女も普通に笑える人間であったと。
そして同時に不安も覚えた。
恐らくあの戦いは彼女にとって、数多の戦闘の中の一つでしかなかったはず。
凄惨な戦場を掻い潜ってきた彼女にとって、今のこの騎士学校はどう映るだろうか。
ウィンの実力は魔法の成績に関しては芳しくないものとはいえ、間違いなく候補生レベルのものではない。
それにも関わらず、彼が試験に落ち続けているのは、ある高位貴族の意向が絡んでいるという噂を耳にした。
騎士団内に絶大な力を持つ貴族からの指示であると。
もしも、一貴族の意向によって不正がまかり通っている事が知られたら――
恐らくはこれまでも様々な不正が行われてきているだろう。
試験結果を金で買うなどといった話は、氷山の一角に過ぎない。
権力を使用して、気に入らない人物を騎士とさせないようにする妨害は、ウィンに限らず過去にも幾度となくあったに違いなかった。
これまではそういったこともうまくいっていた。新一粒神
2014年8月11日星期一
アルターフェイス
難なく壁を乗り越えてくるキメラ兵の出現により、城壁上では早くも白兵戦が展開される場面がちらほらと見受けられる。血と刃の飛び交う喧々早々とした様子は、如何にも防衛戦争のワンシーンに相応しい。
おまけに、一キロほど先にズラリと立ち並んだ投石器から飛ばされる、隕石のような燃える大岩が火炎の彩りを添える。SPANISCHE FLIEGE D6
スパーダ兵の立ち並ぶ城壁は、ガラハドの大城壁という二つ名に恥じぬ防御力を発揮しており、壁に岩砲弾が炸裂してもヒビ一つ入らずに、堂々と受け止めている。また、放物線を描いて上空から通路や砦に向かって落下してくる弾は、最新式の結界機とスパーダ王宮魔術士団が、魔力の限りを尽くして展開させる光の広域防御結界によって防がれる。
燃え盛る岩は、要塞の上空およそ二百メートル地点でドーム状に張られた不可視の結界に触れた瞬間、大爆発を起こして砕け散った。炎の灼熱は散らされ、吹き荒ぶ熱風は遮断され、石ころサイズにまで小さくなった破片だけがパラパラと降り注ぐのみ。
「おいネロ! 俺らも早く行こうぜ!」
頭上で岩砲弾の砕け散る轟音が響く中、一人の少年が大声で叫んだ。
ツンツンと逆立った金髪ヘアの少年だが、その顔は竜を象った面で覆われている。
「この馬鹿、本名で呼ぶなよ」
そうツッコミを返すネロと呼ばれた少年もまた、同じく仮面を被っていた。
ただし、そのデザインは竜ではなく、顔の上半分だけを覆うシンプルな白い仮面。鼻から顎の先まで出る、輪郭のシャープなラインだけで、マスクの下にある美形を思わせる。
だが幸いにも、周囲で応戦している冒険者達はこちらを気にする様子はまるで見られない。そもそも、気にする余裕もないのだろう。
「何の為にこんな格好してきたんだか、もう忘れたのか?」
呆れたような視線を向けるネロ――勿論、彼こそアヴァロンの第一王子、ネロ・ユリウス・エルロ-ド本人である。
「分かってるって! それで、えーっと、何だっけ、お前の名前?」
「……エクス」
「そうそう、それだよそれ、覚えてるに決まってんだろぉ!」
何故か誇らしげに叫ぶ頭の悪い親友のリアクションに、ネロは例によって例の如く、深い溜息をついた。
「マジで頼むぞおい、もうここまで来ちまったんだからな。いいか、俺がエクス、シャルがエス、サフィがディー、そしてお前は……覚えてるか?」
「えーっと……カイ?」
「ケイ、だ」
馬鹿でも覚えられるようにとつけた名前だったのに、これでは意味がない。とりあえず今は、今度こそ覚えてくれるよう祈るより他はなかった。
「頼むから、パーティ名を叫んだりしてくれるなよ」
「大丈夫だって!」
任せろよ、とドーンと胸を叩く金髪おバカなカイ、もといケイに対して不安しか感じないのは、いつものことである。
「はぁ……やっぱ来なきゃ良かったか、こんな面倒くせぇところ……」
ネロ率いるランク5冒険者パーティ『ウイングロード』は今、第五次ガラハド戦争の真っただ中に来ていた。ただし、その正体を明かさず、身分を偽っての参加である。
現在のネロは、アヴァロンから遥々スパーダへ緊急クエストを受けるためだけにやってきた、新人冒険者の『エクス』と名乗っている。そんなエクス少年は、スパーダで偶然出会った、同じく新人の冒険者三人とパーティを組み、晴れて『グラディエイター』の一員として戦場に立つこととなった。
それが、ランク1冒険者パーティ『アルターフェイス』の設定である。
全く、どうしようもないほどくだらない嘘、演技。そう自分でも心底思うものの、冒険者の世界では、時としてそういう事も必要であると割り切っている。
基本的に当人の事情を詮索されない冒険者であればこそ、明らかな嘘でも『自称』の身分を押し通すことができるのだ。こんなオモチャみたいな仮面を被っただけで、自分の正体を隠し通せるなど、ウイングロード、もとい、アルターフェイスのメンバーは一人も思っていない。いや、カイだけは「これで絶対バレないぜ!」と心から信じているかもしれないが。
どちらにせよ、自分たちの正体に気づいた者がいたとしても、さしたる問題はない。少なくとも、冒険者では。
スパーダ兵にさえ見つからなければ問題はない。特に第三王女シャルロット。
無論、こうして『グラディエイター』の中に紛れていれば、よほど悪目立ちするような戦い方をしない限りは、大丈夫だろう。
「なぁなぁエクスさんよぉー、だから俺らもやろうぜって!」
一応は呼び名を改めたカイが、ネロのまとう目立たない変装用の見習い魔術士ローブをグイグイと引っ張って戦闘意欲をアピってくる。若干、というか、かなりウザかった。
「まだ俺らは動かなくてもいいだろ。この程度で揺らぐほど、スパーダの防衛線は脆くねぇ」
マスク越しで見た視界の端には、城壁通路に乗り込んできて暴れまわる六本腕の狼獣人ワーウルフが、果敢に飛びかかるスパーダ兵の槍によってメッタ刺しにされ討ち取られている光景が映った。
凄まじいパワーを秘めた異形の肉体を持つキメラの敵兵であるが、歩兵だけでも倒せない相手ではない。四方から同時に槍を繰り出せば、この狭く逃げ場のない通路においては、その身に鋭い穂先を受けるより他はない。
これが士気の低い弱兵であったなら、キメラ兵の迫力に恐れおののき、あっさりと蹴散らされただろうが、ここを守るのは一兵卒に至るまで勇猛果敢な国民性と有名なスパーダ人である。
猛るキメラ兵を相手に、勇気と気合と根性と、数の有利でもって勝利を挙げるのだ。
「それに、あの気味の悪ぃキメラ野郎共を殺ったところで、大した手柄にもならねぇよ」
「私も、あんな雑魚の素材はいらないし。というか、人の手が入ったモノは使いたくないのよね」
ネロの背後で静かに呟くのは、禍々しい髑髏の面を被った『ディー』こと、サフィール・マーヤ・ハイドラである。SPANISCHE FLIEGE D9
その衣装は、ネロと似たような見習い魔術士ローブ。ネロは黒だが、サフィールは黒に近い紫である。おまけに、深くフードも被っているせいで、髑髏の面も相まって死神然とした格好。仮面の向こうより発せられるのが、鈴を転がしたような美声でなければ、中身が少女であると、すぐには思い至れないほど暗く恐ろしげな雰囲気である。
「っていうかサフィ――じゃなくてディー、アイツらって屍霊術ネクロマンシーの僕シモベなの?」
ネロのすぐ横に立つ、猫の顔が可愛らしくデフォルメされた仮面を被った赤い髪の少女が、死神サフィに気軽に問いかけた。
無論、猫面少女の正体は、スパーダの第三王女シャルロット・トリスタン・スパーダである。
いつも誇らしげに翻す赤マントの代わりに、真っ赤なケープを羽織っている。サフィールと同じくフードを被っているが、そこにはピンと立った猫の耳があしらわれたデザイン。
ミスリル繊維の純白ブラウスは慎ましやかな上半身を包み込み、その下に穿いた赤黒チェックのミニスカートが、最近少しだけ大きくなったお尻を覆う。短いスカートの裾からは、ゆらゆら動く猫の尻尾が伸びている。無論、本物ではないが、本物に近い仕上がり。
ちなみにこの尻尾がどうやって動いているのか、その仕組みは製造元であるモルドレッド武器商会の秘密だそうだ。
「いいえ、アレは死体じゃない。間違いなく、生きてるわよ」
髑髏の面の暗い眼窩の奥で、紫の光がキラリと輝く。不気味な視線の先には、串刺しにされ絶命したキメラ兵の死体を、城壁から投げ落とすスパーダ兵の姿があった。
「ってことは、ダイダロス人の奴隷を生身のまま改造したってことか……ロクでもねぇ技術だな」
え、アイツらって新種のモンスターじゃないの!? と驚いているのは馬鹿のカイだけである。それほど頭が良くなくとも、あの種としてバラバラの特徴を持つ姿を見れば、無理矢理にその体に作り替えられた、とすぐに想像できるだろう。
「けれど、スパーダにはない高い技術よ。一見すると、適当に手足を繋げたガラクタみたいに見えるけど、アレでいて全ての部位がきちんと動いているわ。おまけに、わざと軽度のバサーク状態にして強化してあるし、その上、壁を登って敵を殺すという行動命令は乱れていない」
確かに、理性を失ったように暴れ狂うキメラ兵ではあるものの、味方である戦奴を積極的に攻撃しているところは見られない。壁の上で殺せ、という一つの命令だけを頭に刻み込まれていると推測されるが、もしかすれば、完全に敵味方の区別までついているかもしれない、とサフィールは述べる。
「そんなヤツらをこれほど大量に用意できるということは、十字軍には天才的な魔術士がいるか――」
ほとんど他人に興味を抱かない冷めたサフィールであるが、珍しく、その口調には感心したような色が混じっていた。
「――喜んで改造実験するような、イカれた組織があるってことね」
ハイドラ家の誇る天才屍霊術士ネクロマンサーと称される彼女をして、認めざるを得ない魔法技術が、あのキメラ兵には秘められていることだった。
「ふふ、中々に面白そうなところじゃない、十字軍って。少し、興味が出たわ」
「おおーっ! サフィがヤル気になってるじゃねか珍しい! そんじゃあ一緒にアイツら倒しに行こ――ぶげぇ!」
ドラゴンの仮面のど真ん中に、水晶の髑髏が先端についた長杖スタッフが叩き込まれる。勿論、振るったのはサフィール。慈悲も容赦も、その一撃には欠片もなかった。
「それとこれとは別の話。私はアレと戦いたいワケじゃないの。あと、今はディーと呼べと言ってるでしょう、この、馬鹿」
「うぐぐ……このヤロウ、仮面が割れたらどうすんだよ! コレは俺と違って脆いんだぞぉ!」
「気にするところはそっちかよ」
戦場にあってもいつもの調子な二人の仲間に、ネロが「やれやれ」と二度目の溜息をついたその時であった。
「おい、そっちに一体抜けた! 下から来るぞっ、気をつけろ!」
そんな警告の叫びが、戦う冒険者の中から上がる。
「うおっ、マジかよ!」
「ヤベぇ、こっち来るぞ!」
「動き超キメぇ!」
ネロ達『アルターフェイス』の前に立っている、あまり頼りにならなそう、というか、どう見ても新人だろう冒険者の少年三人組がうろたえながら武器を構える。
彼らが城壁の外側を臨む最前列であり、ネロ達はその一列後ろ。迫り来る敵の姿は見えないが、それでも、あの多腕か多頭の不気味な姿をしたキメラ兵の一体が、猛然と壁を駆け上ってきている姿は容易に想像できた。
立ち位置からいって、最初に接触するのは前列の冒険者。しかし、恐らく彼らは一撃の下でキメラに引き裂かれてしまうだろう。そうなれば、次の相手は自分達。
ネロは無言で、腰から下げる愛刀『霊刀「白王桜」』にさりげなく手をかける。他のメンバーも、リーダーであるネロの指示がなくとも、それとなく臨戦態勢に入っていた。
こちらにその気がなくとも、敵が目の前に現れれば戦わざるを得ない。流石にそんな状況に対しては、ネロもサフィールも文句はつけないだろう。
「よし、今だ、やれぇ――げはぁああ!」
キメラ兵が壁を登り切るタイミングに合わせて、冒険者は攻撃を繰り出した――つもりだったのだろう。
しかし、彼らの手にする剣やら斧やら槍やらは、海面を跳ねるイルカの如き勢いで飛び上がって来たキメラの巨躯を前に、あっけなく蹴散らされる。
ネロの予想通り、安物の皮鎧ごと鋭い爪の一閃により切り裂かれ、三人組は鮮血をまき散らしながら通路に倒れ込んだ。二名は即死、ピクリとも体は動かない。もう一人は瀕死。己の胸から止めどなく溢れ出す血と、それに濡れた両手をキョトンとした顔で見ていた。SPANISCHE FLIEGE
「あ、れ……嘘だろ……俺……」
事ここに及んでも、自分達が死ぬ目に遭うなどと想像もしていなかったのだろうか。そのまま、信じられないといった表情のまま、彼は二度と起き上がることはなかった。
この瞬間にハイポーションでもぶっかければ、一命は取り留められたかもしれないが――敵が目の前に立った状況において、ネロにはそこまでの行動を起こす気は毛頭ない。
それは冷酷でも残酷でもない。冒険者でも、騎士でもそうする。当たり前の優先順位。
こんな戦場で何があっても人命救助を優先するのは、徳の高い神官系の治癒術士プリーストか、我が妹のネルくらい。
そして今この場に、彼女はいない。今頃はもう、スパーダの領地からさえ出て行った後だろう。
「シャァアアアアアアっ!」
城壁の上に降り立ったのは、リザードマンをベースにした個体のようだった。青い鱗と、肩から二本の虫の脚を生やしている。ナイフのようなトカゲの爪と、ピック状に尖った虫の爪、これらを同時に喰らえば、ただの人間はついさっき倒れた冒険者と同じく一撃で血の海に葬り去られる。
だが、そんな程度の相手に、ランク5冒険者が臆するはずもない。
「よっしゃあ! 俺がもらったぜぇ!」
カイは背負った大剣を引き抜き、嬉々として猛るリザードキメラへと切り込む。対するキメラも、爪と牙を剥いて、迫り来るカイを真正面から切り裂こうと動き――始めたその瞬間、止まった。
「ギイっ!」
と甲高い奇声をあげて、リザードキメラは拘束されたのだ。
それは黒い鎖。壁の下から素早く獲物へ這いよる蛇のように、ジャラジャラと飛び出し、青い鱗の巨体へと絡みつく。首と胴と、六本の腕。
無様に絡め捕られたリザードキメラは、そのまま亡者の手によって地獄の底へ引きずり込まれていくかのように、壁の外へと消えて行った。
「――赤凪」
次の瞬間、城壁の向こうから、かすかに真紅の軌跡が通り過ぎていくのがチラリと映る。同時に、耳を覆いたくなるようなおぞましい断末魔の叫びと、異常に赤黒く濁った汚らわしい血の飛沫が虚空にまき散らされるのを見た。
そうして後には、新人冒険者三人分の死体と、ようやく戦える敵が突如として消失したことで、剣を振り上げた格好のまま固まるカイだけが残された。
「ち、ちくしょぉー! 俺の獲物とられたぁーっ!!」
どこまでもストレートに無念を叫ぶ男の姿を前に、ネロは三度、溜息。しかし、それは悔しがるカイにではなく、ハゲタカのように獲物を横取りしていった、黒い鎖の触手を使った者に対してだ。
「はぁ……クロノの野郎、雑魚相手に張り切りやがって、恥ずかしいヤツだぜ」
ネロは戦いの美学、というものにこだわりがあるというほどではないが、最低限の分別はつけている。つまり、自分より圧倒的に格下の相手を倒して喜ぶ、下品な趣味は持ち合わせていない。
「ええーっ、クロノってあの変態触手男でしょ! 戦闘でも触手使うなんて信じられない、っていうか、鎖になってて何か強化されるし……」
おぞましい、とばかりに猫面のシャルロットは身を震わせる。食堂での一件は、未だに引きずっているようだ。
「『疾駆エア・ウォーカー』の代わりに触手でぶら下がって戦うなんて、ここまでくれば、凄いこだわりじゃない。感心するわよ、あまりの馬鹿さに」
基礎的な移動強化系の武技『疾駆エア・ウォーカー』は、極めれば単純に走る速さを上げるだけの効果にとどまらない。
泥沼や岩場といった足場の悪いところでも転倒しないグリップ力はその一つ。これがさらに強化されれば、断崖絶壁を駆け上がることも可能とする。 最上級の『千里疾駆ソニック・ウォーカー』を完璧に習熟していれば、何もない虚空を蹴って空中疾走することさえできる。
つまり、こんな垂直の壁面の上を走り回って戦おうとするなら、普通は『疾駆エア・ウォーカー』系統の武技を使う。無論、そんな場所でも難なく戦えるのは、剣士や戦士の中でもかなりの実力者に限られるが。
「いやぁ、でもクロノの奴、壁の上でもすげぇ動いてるぞ。なるほど、人ってぶら下がりながらでも戦えるもんなんだな」
「おい、真似しようとすんなよ」
今にも壁の外に飛びこんで行きそうな気配のカイを、ネロは内心ちょっと焦って止める。いくらこの馬鹿でも、そこまではしないだろうと思いながらも、不安は消せない。
「いいじゃない、飛び込んで来れば。ほら、そこにある千切れかけのロープでも使って」
「流石にやんねぇよ! つーか、俺に死ねって言ってんのか!」
「いつも言ってるでしょ」
どこまでも平常運転なカイとサフィールのやり取りを無視して、ネロはそっと城壁を覗き込む。
そこにいるのは、嬉々として群がる敵兵を殺戮する一人の狂戦士。Motivator
「クロノ、てめぇは……」
あの男の実力は、ネロとしても認めないでもない。決して弱くはない、いや、間違いなく強い。クロノは紛れもなく、ランク5を名乗るに相応しい実力を有している。偶然や幸運なんかで、あのグリードゴアを倒すことはできないのだから。
それを分かっているからこそ、ネロはさらに、クロノという男のことが分からなくなる。
あれだけの強さを持ちながら、何故こんな出しゃばった真似をするのか。
自分達は勿論、右を見ても、左を見ても、未だにランク5冒険者と、『独立遊撃権限オーダーレイド』持ちの奴らは動こうとしない。彼らは皆、弁えているのだ。今はまだ、自分達の出番ではないと。
そんなことは、誰に言われずとも自然と察せそうなものなのだが……敵が壁にたどり着くと同時に、クロノは我先にと飛び出していった。まるで、襲い掛かる十字軍は、全て俺の獲物であるといわんばかりに。
狂える異形のキメラを斬り捨て、そして、あの哀れなダイダロス人奴隷も、情け容赦なく叩き潰していく。
ネロには理解できない。どんな感性をしていれば、武器を持たない無防備な一般人を容赦なく殺戮できるのか。
ただの歩兵であれば、無手の奴隷といえど危険だが、ランク5の実力者なら、そうではない。手加減して然るべき、情けをかけて然るべき。そもそも、最初から相手にするべきではないのだ。
自分達がそれをやったら、もう戦いではなく、単なる虐殺ではないか。
「黒き悪夢の狂戦士ナイトメア・バーサーカーか。ふん、全く、その通りの男だな」
そう心から納得しながら、ネロはマスクの奥に光る赤い視線で、壁面で奮闘するクロノを見下ろす。
「フィオナも苦労するぜ」
あんなカイを超えるほど生粋の戦闘狂に付き合わされる彼女に、少しばかり同情の念も沸く。
フィオナ、あのぼんやり眠たい無表情な彼女が、何を思ってクロノ率いる『エレメントマスター』に所属しているのかは分からない。もし本当に、最悪の想像となるが、クロノが途轍もない野心を秘めていて、それに協力するために行動しているのだとしても――やはり、あんな男に着いていくのは苦労の連続だろうと憐れんでしまうことに、変わりはない。
もっとも、城壁の上でクロノとその仲間である妖精リリィの前衛コンビの援護射撃に徹する、いつもの無表情なフィオナには、露ほども苦労の色など浮かんでいないが。淡々と後衛のやるべき仕事をこなしている、そんな印象しか、普通の人には見えないだろう。
「まぁ、今の俺には関係のない話か」
どうであれ、クロノの行動に介入するつもりは現時点ではない。あの男の目的は恐らく、今回の戦争でイスキア戦以上の功績を上げることだと思われる。
どんな野心を秘めていようと、少なくとも味方であるスパーダ軍として戦っている以上、その邪魔はできない。やるとすれば、クロノに国家転覆のような邪悪な企みアリと、もっとハッキリ確信を得てからでないと、そこまでの行動は起こせない。
今はただ、様子見に徹するより他はない。そして、この戦場での状況としても、まだまだ自分達『ウイングロード』の力を必要とするほどではない。
「俺達の出番は、まだ先になるか――」
そう予想した矢先のことである。ネロの鋭い第六感が、危機の反応を強く訴えた。
「……何だ」
弾かれたように顔を上げて、周囲を鋭く観察する。だが、今のところ変化はない。
時折、乗りこんでくるキメラ兵はいるものの、この城壁を占領されるような事態とはほど遠い。奴隷がしかける梯子も、あっけなく弾かれ、崩され、スパーダ兵は頑なに侵入を拒んでいる。
異常はない――否。異常は、これからやって来るのだ。蒼蝿水(FLY D5原液)
「な、何だ……アレは」
その時、ネロは一キロ先に控える十字軍陣地より、巨大な何かが出現するのを見た。
おまけに、一キロほど先にズラリと立ち並んだ投石器から飛ばされる、隕石のような燃える大岩が火炎の彩りを添える。SPANISCHE FLIEGE D6
スパーダ兵の立ち並ぶ城壁は、ガラハドの大城壁という二つ名に恥じぬ防御力を発揮しており、壁に岩砲弾が炸裂してもヒビ一つ入らずに、堂々と受け止めている。また、放物線を描いて上空から通路や砦に向かって落下してくる弾は、最新式の結界機とスパーダ王宮魔術士団が、魔力の限りを尽くして展開させる光の広域防御結界によって防がれる。
燃え盛る岩は、要塞の上空およそ二百メートル地点でドーム状に張られた不可視の結界に触れた瞬間、大爆発を起こして砕け散った。炎の灼熱は散らされ、吹き荒ぶ熱風は遮断され、石ころサイズにまで小さくなった破片だけがパラパラと降り注ぐのみ。
「おいネロ! 俺らも早く行こうぜ!」
頭上で岩砲弾の砕け散る轟音が響く中、一人の少年が大声で叫んだ。
ツンツンと逆立った金髪ヘアの少年だが、その顔は竜を象った面で覆われている。
「この馬鹿、本名で呼ぶなよ」
そうツッコミを返すネロと呼ばれた少年もまた、同じく仮面を被っていた。
ただし、そのデザインは竜ではなく、顔の上半分だけを覆うシンプルな白い仮面。鼻から顎の先まで出る、輪郭のシャープなラインだけで、マスクの下にある美形を思わせる。
だが幸いにも、周囲で応戦している冒険者達はこちらを気にする様子はまるで見られない。そもそも、気にする余裕もないのだろう。
「何の為にこんな格好してきたんだか、もう忘れたのか?」
呆れたような視線を向けるネロ――勿論、彼こそアヴァロンの第一王子、ネロ・ユリウス・エルロ-ド本人である。
「分かってるって! それで、えーっと、何だっけ、お前の名前?」
「……エクス」
「そうそう、それだよそれ、覚えてるに決まってんだろぉ!」
何故か誇らしげに叫ぶ頭の悪い親友のリアクションに、ネロは例によって例の如く、深い溜息をついた。
「マジで頼むぞおい、もうここまで来ちまったんだからな。いいか、俺がエクス、シャルがエス、サフィがディー、そしてお前は……覚えてるか?」
「えーっと……カイ?」
「ケイ、だ」
馬鹿でも覚えられるようにとつけた名前だったのに、これでは意味がない。とりあえず今は、今度こそ覚えてくれるよう祈るより他はなかった。
「頼むから、パーティ名を叫んだりしてくれるなよ」
「大丈夫だって!」
任せろよ、とドーンと胸を叩く金髪おバカなカイ、もといケイに対して不安しか感じないのは、いつものことである。
「はぁ……やっぱ来なきゃ良かったか、こんな面倒くせぇところ……」
ネロ率いるランク5冒険者パーティ『ウイングロード』は今、第五次ガラハド戦争の真っただ中に来ていた。ただし、その正体を明かさず、身分を偽っての参加である。
現在のネロは、アヴァロンから遥々スパーダへ緊急クエストを受けるためだけにやってきた、新人冒険者の『エクス』と名乗っている。そんなエクス少年は、スパーダで偶然出会った、同じく新人の冒険者三人とパーティを組み、晴れて『グラディエイター』の一員として戦場に立つこととなった。
それが、ランク1冒険者パーティ『アルターフェイス』の設定である。
全く、どうしようもないほどくだらない嘘、演技。そう自分でも心底思うものの、冒険者の世界では、時としてそういう事も必要であると割り切っている。
基本的に当人の事情を詮索されない冒険者であればこそ、明らかな嘘でも『自称』の身分を押し通すことができるのだ。こんなオモチャみたいな仮面を被っただけで、自分の正体を隠し通せるなど、ウイングロード、もとい、アルターフェイスのメンバーは一人も思っていない。いや、カイだけは「これで絶対バレないぜ!」と心から信じているかもしれないが。
どちらにせよ、自分たちの正体に気づいた者がいたとしても、さしたる問題はない。少なくとも、冒険者では。
スパーダ兵にさえ見つからなければ問題はない。特に第三王女シャルロット。
無論、こうして『グラディエイター』の中に紛れていれば、よほど悪目立ちするような戦い方をしない限りは、大丈夫だろう。
「なぁなぁエクスさんよぉー、だから俺らもやろうぜって!」
一応は呼び名を改めたカイが、ネロのまとう目立たない変装用の見習い魔術士ローブをグイグイと引っ張って戦闘意欲をアピってくる。若干、というか、かなりウザかった。
「まだ俺らは動かなくてもいいだろ。この程度で揺らぐほど、スパーダの防衛線は脆くねぇ」
マスク越しで見た視界の端には、城壁通路に乗り込んできて暴れまわる六本腕の狼獣人ワーウルフが、果敢に飛びかかるスパーダ兵の槍によってメッタ刺しにされ討ち取られている光景が映った。
凄まじいパワーを秘めた異形の肉体を持つキメラの敵兵であるが、歩兵だけでも倒せない相手ではない。四方から同時に槍を繰り出せば、この狭く逃げ場のない通路においては、その身に鋭い穂先を受けるより他はない。
これが士気の低い弱兵であったなら、キメラ兵の迫力に恐れおののき、あっさりと蹴散らされただろうが、ここを守るのは一兵卒に至るまで勇猛果敢な国民性と有名なスパーダ人である。
猛るキメラ兵を相手に、勇気と気合と根性と、数の有利でもって勝利を挙げるのだ。
「それに、あの気味の悪ぃキメラ野郎共を殺ったところで、大した手柄にもならねぇよ」
「私も、あんな雑魚の素材はいらないし。というか、人の手が入ったモノは使いたくないのよね」
ネロの背後で静かに呟くのは、禍々しい髑髏の面を被った『ディー』こと、サフィール・マーヤ・ハイドラである。SPANISCHE FLIEGE D9
その衣装は、ネロと似たような見習い魔術士ローブ。ネロは黒だが、サフィールは黒に近い紫である。おまけに、深くフードも被っているせいで、髑髏の面も相まって死神然とした格好。仮面の向こうより発せられるのが、鈴を転がしたような美声でなければ、中身が少女であると、すぐには思い至れないほど暗く恐ろしげな雰囲気である。
「っていうかサフィ――じゃなくてディー、アイツらって屍霊術ネクロマンシーの僕シモベなの?」
ネロのすぐ横に立つ、猫の顔が可愛らしくデフォルメされた仮面を被った赤い髪の少女が、死神サフィに気軽に問いかけた。
無論、猫面少女の正体は、スパーダの第三王女シャルロット・トリスタン・スパーダである。
いつも誇らしげに翻す赤マントの代わりに、真っ赤なケープを羽織っている。サフィールと同じくフードを被っているが、そこにはピンと立った猫の耳があしらわれたデザイン。
ミスリル繊維の純白ブラウスは慎ましやかな上半身を包み込み、その下に穿いた赤黒チェックのミニスカートが、最近少しだけ大きくなったお尻を覆う。短いスカートの裾からは、ゆらゆら動く猫の尻尾が伸びている。無論、本物ではないが、本物に近い仕上がり。
ちなみにこの尻尾がどうやって動いているのか、その仕組みは製造元であるモルドレッド武器商会の秘密だそうだ。
「いいえ、アレは死体じゃない。間違いなく、生きてるわよ」
髑髏の面の暗い眼窩の奥で、紫の光がキラリと輝く。不気味な視線の先には、串刺しにされ絶命したキメラ兵の死体を、城壁から投げ落とすスパーダ兵の姿があった。
「ってことは、ダイダロス人の奴隷を生身のまま改造したってことか……ロクでもねぇ技術だな」
え、アイツらって新種のモンスターじゃないの!? と驚いているのは馬鹿のカイだけである。それほど頭が良くなくとも、あの種としてバラバラの特徴を持つ姿を見れば、無理矢理にその体に作り替えられた、とすぐに想像できるだろう。
「けれど、スパーダにはない高い技術よ。一見すると、適当に手足を繋げたガラクタみたいに見えるけど、アレでいて全ての部位がきちんと動いているわ。おまけに、わざと軽度のバサーク状態にして強化してあるし、その上、壁を登って敵を殺すという行動命令は乱れていない」
確かに、理性を失ったように暴れ狂うキメラ兵ではあるものの、味方である戦奴を積極的に攻撃しているところは見られない。壁の上で殺せ、という一つの命令だけを頭に刻み込まれていると推測されるが、もしかすれば、完全に敵味方の区別までついているかもしれない、とサフィールは述べる。
「そんなヤツらをこれほど大量に用意できるということは、十字軍には天才的な魔術士がいるか――」
ほとんど他人に興味を抱かない冷めたサフィールであるが、珍しく、その口調には感心したような色が混じっていた。
「――喜んで改造実験するような、イカれた組織があるってことね」
ハイドラ家の誇る天才屍霊術士ネクロマンサーと称される彼女をして、認めざるを得ない魔法技術が、あのキメラ兵には秘められていることだった。
「ふふ、中々に面白そうなところじゃない、十字軍って。少し、興味が出たわ」
「おおーっ! サフィがヤル気になってるじゃねか珍しい! そんじゃあ一緒にアイツら倒しに行こ――ぶげぇ!」
ドラゴンの仮面のど真ん中に、水晶の髑髏が先端についた長杖スタッフが叩き込まれる。勿論、振るったのはサフィール。慈悲も容赦も、その一撃には欠片もなかった。
「それとこれとは別の話。私はアレと戦いたいワケじゃないの。あと、今はディーと呼べと言ってるでしょう、この、馬鹿」
「うぐぐ……このヤロウ、仮面が割れたらどうすんだよ! コレは俺と違って脆いんだぞぉ!」
「気にするところはそっちかよ」
戦場にあってもいつもの調子な二人の仲間に、ネロが「やれやれ」と二度目の溜息をついたその時であった。
「おい、そっちに一体抜けた! 下から来るぞっ、気をつけろ!」
そんな警告の叫びが、戦う冒険者の中から上がる。
「うおっ、マジかよ!」
「ヤベぇ、こっち来るぞ!」
「動き超キメぇ!」
ネロ達『アルターフェイス』の前に立っている、あまり頼りにならなそう、というか、どう見ても新人だろう冒険者の少年三人組がうろたえながら武器を構える。
彼らが城壁の外側を臨む最前列であり、ネロ達はその一列後ろ。迫り来る敵の姿は見えないが、それでも、あの多腕か多頭の不気味な姿をしたキメラ兵の一体が、猛然と壁を駆け上ってきている姿は容易に想像できた。
立ち位置からいって、最初に接触するのは前列の冒険者。しかし、恐らく彼らは一撃の下でキメラに引き裂かれてしまうだろう。そうなれば、次の相手は自分達。
ネロは無言で、腰から下げる愛刀『霊刀「白王桜」』にさりげなく手をかける。他のメンバーも、リーダーであるネロの指示がなくとも、それとなく臨戦態勢に入っていた。
こちらにその気がなくとも、敵が目の前に現れれば戦わざるを得ない。流石にそんな状況に対しては、ネロもサフィールも文句はつけないだろう。
「よし、今だ、やれぇ――げはぁああ!」
キメラ兵が壁を登り切るタイミングに合わせて、冒険者は攻撃を繰り出した――つもりだったのだろう。
しかし、彼らの手にする剣やら斧やら槍やらは、海面を跳ねるイルカの如き勢いで飛び上がって来たキメラの巨躯を前に、あっけなく蹴散らされる。
ネロの予想通り、安物の皮鎧ごと鋭い爪の一閃により切り裂かれ、三人組は鮮血をまき散らしながら通路に倒れ込んだ。二名は即死、ピクリとも体は動かない。もう一人は瀕死。己の胸から止めどなく溢れ出す血と、それに濡れた両手をキョトンとした顔で見ていた。SPANISCHE FLIEGE
「あ、れ……嘘だろ……俺……」
事ここに及んでも、自分達が死ぬ目に遭うなどと想像もしていなかったのだろうか。そのまま、信じられないといった表情のまま、彼は二度と起き上がることはなかった。
この瞬間にハイポーションでもぶっかければ、一命は取り留められたかもしれないが――敵が目の前に立った状況において、ネロにはそこまでの行動を起こす気は毛頭ない。
それは冷酷でも残酷でもない。冒険者でも、騎士でもそうする。当たり前の優先順位。
こんな戦場で何があっても人命救助を優先するのは、徳の高い神官系の治癒術士プリーストか、我が妹のネルくらい。
そして今この場に、彼女はいない。今頃はもう、スパーダの領地からさえ出て行った後だろう。
「シャァアアアアアアっ!」
城壁の上に降り立ったのは、リザードマンをベースにした個体のようだった。青い鱗と、肩から二本の虫の脚を生やしている。ナイフのようなトカゲの爪と、ピック状に尖った虫の爪、これらを同時に喰らえば、ただの人間はついさっき倒れた冒険者と同じく一撃で血の海に葬り去られる。
だが、そんな程度の相手に、ランク5冒険者が臆するはずもない。
「よっしゃあ! 俺がもらったぜぇ!」
カイは背負った大剣を引き抜き、嬉々として猛るリザードキメラへと切り込む。対するキメラも、爪と牙を剥いて、迫り来るカイを真正面から切り裂こうと動き――始めたその瞬間、止まった。
「ギイっ!」
と甲高い奇声をあげて、リザードキメラは拘束されたのだ。
それは黒い鎖。壁の下から素早く獲物へ這いよる蛇のように、ジャラジャラと飛び出し、青い鱗の巨体へと絡みつく。首と胴と、六本の腕。
無様に絡め捕られたリザードキメラは、そのまま亡者の手によって地獄の底へ引きずり込まれていくかのように、壁の外へと消えて行った。
「――赤凪」
次の瞬間、城壁の向こうから、かすかに真紅の軌跡が通り過ぎていくのがチラリと映る。同時に、耳を覆いたくなるようなおぞましい断末魔の叫びと、異常に赤黒く濁った汚らわしい血の飛沫が虚空にまき散らされるのを見た。
そうして後には、新人冒険者三人分の死体と、ようやく戦える敵が突如として消失したことで、剣を振り上げた格好のまま固まるカイだけが残された。
「ち、ちくしょぉー! 俺の獲物とられたぁーっ!!」
どこまでもストレートに無念を叫ぶ男の姿を前に、ネロは三度、溜息。しかし、それは悔しがるカイにではなく、ハゲタカのように獲物を横取りしていった、黒い鎖の触手を使った者に対してだ。
「はぁ……クロノの野郎、雑魚相手に張り切りやがって、恥ずかしいヤツだぜ」
ネロは戦いの美学、というものにこだわりがあるというほどではないが、最低限の分別はつけている。つまり、自分より圧倒的に格下の相手を倒して喜ぶ、下品な趣味は持ち合わせていない。
「ええーっ、クロノってあの変態触手男でしょ! 戦闘でも触手使うなんて信じられない、っていうか、鎖になってて何か強化されるし……」
おぞましい、とばかりに猫面のシャルロットは身を震わせる。食堂での一件は、未だに引きずっているようだ。
「『疾駆エア・ウォーカー』の代わりに触手でぶら下がって戦うなんて、ここまでくれば、凄いこだわりじゃない。感心するわよ、あまりの馬鹿さに」
基礎的な移動強化系の武技『疾駆エア・ウォーカー』は、極めれば単純に走る速さを上げるだけの効果にとどまらない。
泥沼や岩場といった足場の悪いところでも転倒しないグリップ力はその一つ。これがさらに強化されれば、断崖絶壁を駆け上がることも可能とする。 最上級の『千里疾駆ソニック・ウォーカー』を完璧に習熟していれば、何もない虚空を蹴って空中疾走することさえできる。
つまり、こんな垂直の壁面の上を走り回って戦おうとするなら、普通は『疾駆エア・ウォーカー』系統の武技を使う。無論、そんな場所でも難なく戦えるのは、剣士や戦士の中でもかなりの実力者に限られるが。
「いやぁ、でもクロノの奴、壁の上でもすげぇ動いてるぞ。なるほど、人ってぶら下がりながらでも戦えるもんなんだな」
「おい、真似しようとすんなよ」
今にも壁の外に飛びこんで行きそうな気配のカイを、ネロは内心ちょっと焦って止める。いくらこの馬鹿でも、そこまではしないだろうと思いながらも、不安は消せない。
「いいじゃない、飛び込んで来れば。ほら、そこにある千切れかけのロープでも使って」
「流石にやんねぇよ! つーか、俺に死ねって言ってんのか!」
「いつも言ってるでしょ」
どこまでも平常運転なカイとサフィールのやり取りを無視して、ネロはそっと城壁を覗き込む。
そこにいるのは、嬉々として群がる敵兵を殺戮する一人の狂戦士。Motivator
「クロノ、てめぇは……」
あの男の実力は、ネロとしても認めないでもない。決して弱くはない、いや、間違いなく強い。クロノは紛れもなく、ランク5を名乗るに相応しい実力を有している。偶然や幸運なんかで、あのグリードゴアを倒すことはできないのだから。
それを分かっているからこそ、ネロはさらに、クロノという男のことが分からなくなる。
あれだけの強さを持ちながら、何故こんな出しゃばった真似をするのか。
自分達は勿論、右を見ても、左を見ても、未だにランク5冒険者と、『独立遊撃権限オーダーレイド』持ちの奴らは動こうとしない。彼らは皆、弁えているのだ。今はまだ、自分達の出番ではないと。
そんなことは、誰に言われずとも自然と察せそうなものなのだが……敵が壁にたどり着くと同時に、クロノは我先にと飛び出していった。まるで、襲い掛かる十字軍は、全て俺の獲物であるといわんばかりに。
狂える異形のキメラを斬り捨て、そして、あの哀れなダイダロス人奴隷も、情け容赦なく叩き潰していく。
ネロには理解できない。どんな感性をしていれば、武器を持たない無防備な一般人を容赦なく殺戮できるのか。
ただの歩兵であれば、無手の奴隷といえど危険だが、ランク5の実力者なら、そうではない。手加減して然るべき、情けをかけて然るべき。そもそも、最初から相手にするべきではないのだ。
自分達がそれをやったら、もう戦いではなく、単なる虐殺ではないか。
「黒き悪夢の狂戦士ナイトメア・バーサーカーか。ふん、全く、その通りの男だな」
そう心から納得しながら、ネロはマスクの奥に光る赤い視線で、壁面で奮闘するクロノを見下ろす。
「フィオナも苦労するぜ」
あんなカイを超えるほど生粋の戦闘狂に付き合わされる彼女に、少しばかり同情の念も沸く。
フィオナ、あのぼんやり眠たい無表情な彼女が、何を思ってクロノ率いる『エレメントマスター』に所属しているのかは分からない。もし本当に、最悪の想像となるが、クロノが途轍もない野心を秘めていて、それに協力するために行動しているのだとしても――やはり、あんな男に着いていくのは苦労の連続だろうと憐れんでしまうことに、変わりはない。
もっとも、城壁の上でクロノとその仲間である妖精リリィの前衛コンビの援護射撃に徹する、いつもの無表情なフィオナには、露ほども苦労の色など浮かんでいないが。淡々と後衛のやるべき仕事をこなしている、そんな印象しか、普通の人には見えないだろう。
「まぁ、今の俺には関係のない話か」
どうであれ、クロノの行動に介入するつもりは現時点ではない。あの男の目的は恐らく、今回の戦争でイスキア戦以上の功績を上げることだと思われる。
どんな野心を秘めていようと、少なくとも味方であるスパーダ軍として戦っている以上、その邪魔はできない。やるとすれば、クロノに国家転覆のような邪悪な企みアリと、もっとハッキリ確信を得てからでないと、そこまでの行動は起こせない。
今はただ、様子見に徹するより他はない。そして、この戦場での状況としても、まだまだ自分達『ウイングロード』の力を必要とするほどではない。
「俺達の出番は、まだ先になるか――」
そう予想した矢先のことである。ネロの鋭い第六感が、危機の反応を強く訴えた。
「……何だ」
弾かれたように顔を上げて、周囲を鋭く観察する。だが、今のところ変化はない。
時折、乗りこんでくるキメラ兵はいるものの、この城壁を占領されるような事態とはほど遠い。奴隷がしかける梯子も、あっけなく弾かれ、崩され、スパーダ兵は頑なに侵入を拒んでいる。
異常はない――否。異常は、これからやって来るのだ。蒼蝿水(FLY D5原液)
「な、何だ……アレは」
その時、ネロは一キロ先に控える十字軍陣地より、巨大な何かが出現するのを見た。
2014年8月7日星期四
淫魔のお使い
「イヴェッタさん……勘弁してくださいよ……」
ある日、貴大は中級区のアパルトメントにて、出勤前のイヴェッタへ愚痴を垂れていた。
「最近、ユミィの奴がおかしな格好で夜な夜な俺の部屋に来るんすよ……あれ、イヴェッタさんの入れ知恵でしょう?」D9 催情剤
彼の知り合いであれほど豊富なバリエーションの衣装を揃えている人物など、彼女しかいなかった。
「あら? 満足できなかったの?」
こてん、と首を横に倒して不思議そうな声を漏らすイヴェッタ。どうやら、悪気は一切ないようだ。余計に性質が悪かった。
「満足……満足なんか出来る訳ないじゃないすか。俺はいつコスプレが好きだと言いました?」
「あら~……ごめんね~……」
自分のコーディネイトを丸ごと否定され、悲しげな響きの声を上げるイヴェッタ。貴大は、「けったいなコスプレショーを嫌っている」ということが彼女に伝わったようで、ほっと胸を撫で下ろす。
同じことはユミエルにも言ったのだが、「……嫌よ嫌よも好きのうち、と先生が言ってました」といまいち真に受けなかった。
ならばと思い、元から断とうとしたことがうまくいったようだ。イヴェッタは壁に手を当てて俯いている。どうやら、反省しているらしい。
「分かってくれたようで……で、あれはいつ改善するんです?」
「そんな! 改善なんてすぐには無理よ!!」
勢いよく顔をあげ、貴大に向かって否定の声を上げる元凶の女。ユミエルに良からぬことを吹き込んだ本人ならば、改心させるのも容易いのではないか。そう思い、貴大は抗議を続ける。
「いやいや、手を出したんなら、最後まで面倒みてくださいよ。俺が言っても聞いてくれないんですよ……」
疲れ果てたようにガックリと肩を落とし、深々と息を吐く貴大。その様子に、楽天家なイヴェッタも事態の深刻さが分かったようだ。両手を胸の前でギュッと握り、珍しく毅然とした態度で口を開く。
「……分かったわ。これでも私、一国一城の主なんだから! 責任は、最後までとります!」
「おぉ!」
「ただし! 今のユミエルちゃんをもっと改善しようだなんて、私も骨が折れちゃうの……だから、交換条件があります!」
「交換条件?」
ここまで来たならば、もう何でも来いとばかりに身構える貴大。そんな彼へと、イヴェッタは高らかに告げた。
「「媚薬の香水」の材料を集めて来て欲しいの!」
「……はい?」
お水系のお姉さんから提示された交換条件。それは、「人を昂ぶらせる「媚薬の香水」の材料を、市場から探し出してこい」というものだった。麻黄
「「アダルト・ゴブリンのまつ毛」に、「痺れトカゲの汗腺」、それから「テンプテーション・フラワーの花弁」は揃った……「淫魔の蜜」はイヴェッタさんが自前で用意できるだろうから、あとは「セクシー・マンドラゴラの根」だけか……なんちゅう材料だよ」
渡されたピンクの買い物籠へ、妖しげな匂いを漂わせる素材を詰め込んで歩く貴大。甘いような、酸っぱいような香りに、頭がクラクラしそうだ。
表通りでは決して並べられない物品を求めるために、看板も出していないような生薬店などを巡ってゆく。
モンスター素材が多くを占める「媚薬の香水」の材料は、安定供給されるものではない。「ここならあるかも」とイヴェッタに教えられた店でさえ、「テンプテーション・フラワーの花弁」しか置いていなかった。
それでも、何でも屋の人脈を伝って、何とか残りの材料も揃えてゆく貴大。だが、どうしても「セクシー・マンドラゴラの根」だけが見つからない。
類似品の「マンドラゴラの根」はいくらでも見つかるのだが、足を組んで股間を隠した人の下半身のような形の、無駄に色っぽい根っこは希少価値が高いようだ。
どこへ行っても、誰に聞いても、「今は在庫が無い」と言われる。ここに至り、なぜわざわざイヴェッタがこのようなお使いを交換条件に出したのかを理解した貴大。
彼女は、「セクシー・マンドラゴラの根」が品薄だと知っていたのだ。だからこその「交換条件」。浅はかにも、「え? そんなことでいいんすか? やります、やります!」と飛びついたことを、彼は今後悔していた。
(う~ん、「薬学師」とか、冒険者の奴らは持ってそうだけど……)
しかし、最近は貴族におもねっているとますます忌み嫌われている貴大だ。どのような条件をふっかけられるか分かったものではない。「渡してもいいが、代わりにお使いに行って来い」なんて雪だるま式な展開になってしまえば、面倒極まりない。
中級区の市場の片隅で、一人頭を悩ませる貴大。そんな彼へ、救いの手を差し伸べる者がいた。
「あれ? タカヒロさん、こんな所で会うなんて奇遇ですね?」
「ん? あぁ、エリックか」
貴大が声の方へ顔を上げると、王立グランフェリア学園の若手教師、エリックがそこに立っていた。同じく、実験器具らしきものを入れた買い物籠を腕に通し、柔和な笑みを浮かべて挨拶をしてくる。老虎油
「こんにちは、お買い物ですか?」
「うん、まぁ、そんなところかな?」
日常場面では接点の少ない二人だ。エリックは、興味津々とばかりに貴大の買い物籠を覗きこみ、そして、うっと声を上げて仰け反った。
「た、タカヒロさん……! その材料って……!」
「え? な、なんだその反応?」
流石、魔物学を専門とする教師というべきなのか、ピンクの籠から見え隠れするモンスター素材は興奮作用があるものばかりだと理解したのだろう。眼鏡をかけた童顔を赤く染めて、視線を忙しなくあちこちに逸らし始めた。
「わ、分かります。タカヒロさんだって男ですものね。たまにはそんなものも使って遊びたいという気持ちも……」
「あっ! ち、違っ、これは俺が使うんじゃなくて……」
シャイなエリックが、どうやら勘違いをしていると悟った貴大は、慌てて誤解を解こうとする。しかし、頭から湯気すら出しそうなエリックは両手を振り、それすら遮る。
「いいんです、いいんです! 誰にも言いませんから!」
「だから、違うんだって……」
遂には「何も見ていません! 私は何も見ていません!」とペコペコと頭を下げ出すエリック。貴大は、もうどうして良いのかわからず、「ち、違う、違う……」と呟きながらおろおろとするばかりだった。
「ははぁ、水商売の方から「媚薬の香水」の材料を頼まれて……なるほど、何でも屋というのは文字通りの職業なのですね」
しばらくして落ち着いたエリックへとやっとのこと説明を果たした貴大は、ほっと息を吐く。
「でも、「セクシー・マンドラゴラの根」だけが見つからなくてな……どうも品薄らしいんだわ」
すると、探し物は案外身近にあるというのはどこの世でも変わらぬらしく、目の前のエリックが「持っています」と言いだした。
「あ、それなら私が持っています……あっ、け、研究用ですからね!? 淫らな目的では、決して……」
またもや顔を真っ赤にして俯く、金髪眼鏡。周りからあらぬ誤解を受けそうなその姿に慌てた貴大は、肩を掴んで顔を上げさせようとする。
その突然のボディタッチで「あっ……」と声を漏らすエリック。市場の人ごみの所々から上がる黄色い声。それから逃げ出すように、貴大はエリック腕を引っ張って、上級区のエリック宅へと急いだ。威哥十鞭王
こうして、何とか材料を揃えることができた貴大は、日が暮れる頃にはイヴェッタの元へ依頼達成の報告を届けることができた。体力よりも、精神力を削るような一日であった。
「ふ~……これで安眠できると思うと、苦労した甲斐があったわ」
仕事を終え、家へと帰ることができた貴大。イヴェッタが、ユミエルと少し話をして、衣装を詰めたバッグを持っていったということは、説得はうまくいったのだろう。これで安眠が訪れると、寝る前に用を済ませたトイレから寝室へと、足取りも軽く戻っていく。
「さ~て、明日は休日。ゆっくり寝るか」
精神的な疲れが溜まっていたのか、頭の芯が鈍く感じる。そんな時は、長々と寝こけるに限る。そうでなくとも、彼は寝ることが大好きな人間だ。すぐにでも寝心地最高なベッドで心地よい眠りに落ちるべく、貴大は冬用の分厚い布団を捲った。
するとそこには、薄紫のシースルーネグリジェと、際どい黒ショーツだけを身につけたユミエルが、枕を抱えて横たわっていた。
「………………は?」
まるで現実感のない光景に、頭も体も硬直してしまう貴大。
そんな彼に声一つかけず、ユミエルは胸に抱いた「NO」と書かれた枕を裏返しにした。
そこには、「YES」の赤い文字。
そして、ユミエルはここに至ってようやく口を開く。
「……Oh,yes……come……I'm comin'」
「出 て け !」
無表情に、感情を籠めることなく「カム」だの「オーイエー」だのと口にするユミエルを、自室の外へと蹴り出す貴大。
どうやら、イヴェッタはこれまでの衣装やシュチュエーション程度では貴大は満足できない、と勘違いしたようだ。「改善」された、より直接的なアプローチに、彼の頭はズキズキと痛む。
「世間知らずなユミィにこんなこと吹き込むなって何度言えば……!」
当然、朝を待たずして、貴大は伝えたいことを曲解しているイヴェッタに文句を言いにいった。
しかし、「そんな! あれでも満足できないなんて……! ユミィちゃんの熟し切らない果実では、タカヒロちゃんの燃え盛るような欲望を受け止めきれなかったのね!? いいわ、残りはお姉さんに任せて!!」と、一人で盛り上がる淫魔を見ているとドッと疲れが出てしまい、「もう、いいです……」と彼女のアパルトメントを後にしたとか。田七人参
ある日、貴大は中級区のアパルトメントにて、出勤前のイヴェッタへ愚痴を垂れていた。
「最近、ユミィの奴がおかしな格好で夜な夜な俺の部屋に来るんすよ……あれ、イヴェッタさんの入れ知恵でしょう?」D9 催情剤
彼の知り合いであれほど豊富なバリエーションの衣装を揃えている人物など、彼女しかいなかった。
「あら? 満足できなかったの?」
こてん、と首を横に倒して不思議そうな声を漏らすイヴェッタ。どうやら、悪気は一切ないようだ。余計に性質が悪かった。
「満足……満足なんか出来る訳ないじゃないすか。俺はいつコスプレが好きだと言いました?」
「あら~……ごめんね~……」
自分のコーディネイトを丸ごと否定され、悲しげな響きの声を上げるイヴェッタ。貴大は、「けったいなコスプレショーを嫌っている」ということが彼女に伝わったようで、ほっと胸を撫で下ろす。
同じことはユミエルにも言ったのだが、「……嫌よ嫌よも好きのうち、と先生が言ってました」といまいち真に受けなかった。
ならばと思い、元から断とうとしたことがうまくいったようだ。イヴェッタは壁に手を当てて俯いている。どうやら、反省しているらしい。
「分かってくれたようで……で、あれはいつ改善するんです?」
「そんな! 改善なんてすぐには無理よ!!」
勢いよく顔をあげ、貴大に向かって否定の声を上げる元凶の女。ユミエルに良からぬことを吹き込んだ本人ならば、改心させるのも容易いのではないか。そう思い、貴大は抗議を続ける。
「いやいや、手を出したんなら、最後まで面倒みてくださいよ。俺が言っても聞いてくれないんですよ……」
疲れ果てたようにガックリと肩を落とし、深々と息を吐く貴大。その様子に、楽天家なイヴェッタも事態の深刻さが分かったようだ。両手を胸の前でギュッと握り、珍しく毅然とした態度で口を開く。
「……分かったわ。これでも私、一国一城の主なんだから! 責任は、最後までとります!」
「おぉ!」
「ただし! 今のユミエルちゃんをもっと改善しようだなんて、私も骨が折れちゃうの……だから、交換条件があります!」
「交換条件?」
ここまで来たならば、もう何でも来いとばかりに身構える貴大。そんな彼へと、イヴェッタは高らかに告げた。
「「媚薬の香水」の材料を集めて来て欲しいの!」
「……はい?」
お水系のお姉さんから提示された交換条件。それは、「人を昂ぶらせる「媚薬の香水」の材料を、市場から探し出してこい」というものだった。麻黄
「「アダルト・ゴブリンのまつ毛」に、「痺れトカゲの汗腺」、それから「テンプテーション・フラワーの花弁」は揃った……「淫魔の蜜」はイヴェッタさんが自前で用意できるだろうから、あとは「セクシー・マンドラゴラの根」だけか……なんちゅう材料だよ」
渡されたピンクの買い物籠へ、妖しげな匂いを漂わせる素材を詰め込んで歩く貴大。甘いような、酸っぱいような香りに、頭がクラクラしそうだ。
表通りでは決して並べられない物品を求めるために、看板も出していないような生薬店などを巡ってゆく。
モンスター素材が多くを占める「媚薬の香水」の材料は、安定供給されるものではない。「ここならあるかも」とイヴェッタに教えられた店でさえ、「テンプテーション・フラワーの花弁」しか置いていなかった。
それでも、何でも屋の人脈を伝って、何とか残りの材料も揃えてゆく貴大。だが、どうしても「セクシー・マンドラゴラの根」だけが見つからない。
類似品の「マンドラゴラの根」はいくらでも見つかるのだが、足を組んで股間を隠した人の下半身のような形の、無駄に色っぽい根っこは希少価値が高いようだ。
どこへ行っても、誰に聞いても、「今は在庫が無い」と言われる。ここに至り、なぜわざわざイヴェッタがこのようなお使いを交換条件に出したのかを理解した貴大。
彼女は、「セクシー・マンドラゴラの根」が品薄だと知っていたのだ。だからこその「交換条件」。浅はかにも、「え? そんなことでいいんすか? やります、やります!」と飛びついたことを、彼は今後悔していた。
(う~ん、「薬学師」とか、冒険者の奴らは持ってそうだけど……)
しかし、最近は貴族におもねっているとますます忌み嫌われている貴大だ。どのような条件をふっかけられるか分かったものではない。「渡してもいいが、代わりにお使いに行って来い」なんて雪だるま式な展開になってしまえば、面倒極まりない。
中級区の市場の片隅で、一人頭を悩ませる貴大。そんな彼へ、救いの手を差し伸べる者がいた。
「あれ? タカヒロさん、こんな所で会うなんて奇遇ですね?」
「ん? あぁ、エリックか」
貴大が声の方へ顔を上げると、王立グランフェリア学園の若手教師、エリックがそこに立っていた。同じく、実験器具らしきものを入れた買い物籠を腕に通し、柔和な笑みを浮かべて挨拶をしてくる。老虎油
「こんにちは、お買い物ですか?」
「うん、まぁ、そんなところかな?」
日常場面では接点の少ない二人だ。エリックは、興味津々とばかりに貴大の買い物籠を覗きこみ、そして、うっと声を上げて仰け反った。
「た、タカヒロさん……! その材料って……!」
「え? な、なんだその反応?」
流石、魔物学を専門とする教師というべきなのか、ピンクの籠から見え隠れするモンスター素材は興奮作用があるものばかりだと理解したのだろう。眼鏡をかけた童顔を赤く染めて、視線を忙しなくあちこちに逸らし始めた。
「わ、分かります。タカヒロさんだって男ですものね。たまにはそんなものも使って遊びたいという気持ちも……」
「あっ! ち、違っ、これは俺が使うんじゃなくて……」
シャイなエリックが、どうやら勘違いをしていると悟った貴大は、慌てて誤解を解こうとする。しかし、頭から湯気すら出しそうなエリックは両手を振り、それすら遮る。
「いいんです、いいんです! 誰にも言いませんから!」
「だから、違うんだって……」
遂には「何も見ていません! 私は何も見ていません!」とペコペコと頭を下げ出すエリック。貴大は、もうどうして良いのかわからず、「ち、違う、違う……」と呟きながらおろおろとするばかりだった。
「ははぁ、水商売の方から「媚薬の香水」の材料を頼まれて……なるほど、何でも屋というのは文字通りの職業なのですね」
しばらくして落ち着いたエリックへとやっとのこと説明を果たした貴大は、ほっと息を吐く。
「でも、「セクシー・マンドラゴラの根」だけが見つからなくてな……どうも品薄らしいんだわ」
すると、探し物は案外身近にあるというのはどこの世でも変わらぬらしく、目の前のエリックが「持っています」と言いだした。
「あ、それなら私が持っています……あっ、け、研究用ですからね!? 淫らな目的では、決して……」
またもや顔を真っ赤にして俯く、金髪眼鏡。周りからあらぬ誤解を受けそうなその姿に慌てた貴大は、肩を掴んで顔を上げさせようとする。
その突然のボディタッチで「あっ……」と声を漏らすエリック。市場の人ごみの所々から上がる黄色い声。それから逃げ出すように、貴大はエリック腕を引っ張って、上級区のエリック宅へと急いだ。威哥十鞭王
こうして、何とか材料を揃えることができた貴大は、日が暮れる頃にはイヴェッタの元へ依頼達成の報告を届けることができた。体力よりも、精神力を削るような一日であった。
「ふ~……これで安眠できると思うと、苦労した甲斐があったわ」
仕事を終え、家へと帰ることができた貴大。イヴェッタが、ユミエルと少し話をして、衣装を詰めたバッグを持っていったということは、説得はうまくいったのだろう。これで安眠が訪れると、寝る前に用を済ませたトイレから寝室へと、足取りも軽く戻っていく。
「さ~て、明日は休日。ゆっくり寝るか」
精神的な疲れが溜まっていたのか、頭の芯が鈍く感じる。そんな時は、長々と寝こけるに限る。そうでなくとも、彼は寝ることが大好きな人間だ。すぐにでも寝心地最高なベッドで心地よい眠りに落ちるべく、貴大は冬用の分厚い布団を捲った。
するとそこには、薄紫のシースルーネグリジェと、際どい黒ショーツだけを身につけたユミエルが、枕を抱えて横たわっていた。
「………………は?」
まるで現実感のない光景に、頭も体も硬直してしまう貴大。
そんな彼に声一つかけず、ユミエルは胸に抱いた「NO」と書かれた枕を裏返しにした。
そこには、「YES」の赤い文字。
そして、ユミエルはここに至ってようやく口を開く。
「……Oh,yes……come……I'm comin'」
「出 て け !」
無表情に、感情を籠めることなく「カム」だの「オーイエー」だのと口にするユミエルを、自室の外へと蹴り出す貴大。
どうやら、イヴェッタはこれまでの衣装やシュチュエーション程度では貴大は満足できない、と勘違いしたようだ。「改善」された、より直接的なアプローチに、彼の頭はズキズキと痛む。
「世間知らずなユミィにこんなこと吹き込むなって何度言えば……!」
当然、朝を待たずして、貴大は伝えたいことを曲解しているイヴェッタに文句を言いにいった。
しかし、「そんな! あれでも満足できないなんて……! ユミィちゃんの熟し切らない果実では、タカヒロちゃんの燃え盛るような欲望を受け止めきれなかったのね!? いいわ、残りはお姉さんに任せて!!」と、一人で盛り上がる淫魔を見ているとドッと疲れが出てしまい、「もう、いいです……」と彼女のアパルトメントを後にしたとか。田七人参
2014年8月5日星期二
手段と目的
思えば、長い一週間だったと、貴大は長いため息を吐いた。
特にここ数日は、仕事、仕事、仕事の毎日。睡眠も疎かにして、休むことなく働き続けるなど、生まれて初めての経験だった。おかげで、心は擦り減り、体には疲労が溜まり、腰はずきずきと痛んだ。Xing霸 性霸2000
目もしぱしぱと、霞んで見える。夜を徹しての帳簿の整理がよほど応えたようで、いつも以上に気だるさが彼を支配していた。
「帳簿ぐらい自分の店でまとめろ……人に任せるなよ……」
貴大は、椅子にもたれて天井を見上げ、また、ほうと息を吐いた。
どうしてこうなったのかは、分かっていた。事務担当であり、実質的に何でも屋〈フリーライフ〉を支えていたユミエルが、突然の休暇を申し出たからだ。
あの仕事の鬼が、一週間も休みたいだなどと、余程の事態に違いない。貴大は、唖然としながらも、彼女の休暇申請を了承した。
思えば、ユミエルが店を手伝うようになってから、休暇らしい休暇を与えたことなどなかったのだ。祝祭日ですら、彼女は家事に貴大の世話にと、忙しなく働いていたほどだ。世が世なら、労働者の権利を守れと、店主は吊るし上げを喰らうところだ。
店のことは自分に任せて、この機会に、うんと羽を伸ばしてこいと、貴大は胸を叩いてユミエルを送り出した。日中、外に出かけて何をするのかは知らなかったが、詮索など野暮なことは止めようと、貴大は心に決めた。
ユミエルも、フリーライフの一員だ。ならば、何者にも縛られず、自由にさせてやろうではないか。そう思った貴大は、ユミエルがメリッサの家に泊まるようになっても、個人の自由だ、むしろ、人付き合いの幅が広がって、いいんじゃないかと笑っていたほどだ。
一週間なら、家事も、仕事も、苦にはならない。むしろ、積極的に仕事をとってくる者がいなくなったから、何でも屋〈フリーライフ〉の方は、暇になったほどだ。そのため、貴大は、日中はもっぱら、ごろごろと寝て過ごしていた。
たまに訪れる客や、一緒にお昼寝を目論む龍人少女を適当にあしらう内に、三日が過ぎ、四日が過ぎていく。この頃になると、ユミエルは夕食にも帰って来なくなる。
余程、メリッサとの生活が楽しいのだろう。これなら、期限の日まで、人目を気にする必要もないだろう。
そう高をくくって、貴大はますます、羽を伸ばし始めた。営業時間中に、事務所の机に突っ伏して寝るのは当たり前。営業時間も勝手に縮め、昼休みもたっぷりと取り、三度の食事も好きなものを食べた。
買い食い上等、散らかし放題。ユミエルによって清潔に保たれていた住居は、ゴミが放られ、あっという間に汚れていった。それでも貴大は、ユミエルが帰ってくる前に、まとめて片付ければいい、と考えていた。その方が手間がかからないと、自分を納得させ、物ぐさな自分を正当化した。怠け者も、ここに極まれりだ。
また、最近増えた同居人の存在もいけなかった。ルートゥーは、フリーライフの住居部分が汚れ始めても、我関せずの姿勢を崩さずにいた。混沌龍といっても、実質的にはお嬢様育ちの娘だ。部屋の掃除など下働きの者に任せておけばいいと、貴大との二人きりの生活を楽しんでいた。
実に退廃した、フリーライフ。だらだら店主と、自称婚約者の龍人少女は、のんべんだらりとした日々を送っていた。だが、五日目にして、事態は急変する。
まず、学園の仕事があった。これは、週に一度の契約なので、渋りながらも出かけていった。前の週に休んでいたせいもあって、いつも以上に濃い訓練を要求されたが、それぐらいはと、貴大は文句も言わずに仕事に取り組んだ。
次に、託児の依頼を受けた。いや、学園から帰ったら子どもがいた、と言った方が正しいだろう。貴大が夜も遅くに帰ってくると、4歳ほどの小さな男の子が、フリーライフの事務所で、ルートゥーの髪の毛を引っ張っているではないか。
子どもがミンチにされてはたまらないと、貴大は慌てて引きはがすが、どうにも手を放さない。結局、その子が寝静まるまで、貴大は、街をも滅ぼす混沌龍のご機嫌を取り続けていた。
母親が来たのは翌朝のことで、どうやら、仕事が忙しい時、ユミエルによく預かってもらっていたらしい。「急な出勤とはいえ、夜通し預かってもらうなんて」と、母親は何度も頭を下げていたが、一晩中髪の毛を握られていたルートゥーは、しばらくの間はふくれっ面のままだった。
そして始まった、六日目。夜はろくに眠れなかったので、風呂に入ってさっぱりとして、朝寝でもするかと、貴大は二階へと向かおうとする。だが、来客を告げるベルの音が鳴り、一階の事務所へと逆戻り。WENICKMANペニス増大
『商い中』のプレートを裏返すことを忘れていた――――いや、ユミエルに任せっぱなしで、プレートの存在すら忘れかけていた貴大は、己の迂闊さを呪いながら客へと向かい合った。
「朝早くにすみません。今日も、帳簿の整理をお願いしたいのです」
事務所の机の上に、どさりと置かれる紙の束。聞けば、依頼人である金物屋の主人は、毎月、ユミエルに帳簿の整理を依頼しているのだという。大まかには、どれほどの収支があるかは体感的に分かっているそうだが、お上に提出する書類には、きちっとまとまった数字を記入しなければならないのだとか。
しかし、職人一筋の主人は、最近流行りの学校にも通っておらず、数字の足し引きは苦手だとのこと。時間をかければ何とかなるが、だからといって、仕事は忙しく、なかなか、時間を割くこともできない。そのため、近くに何でも屋ができたことは、大変ありがたかったのだとか。
そうまで言われて、依頼を断れば、何でも屋〈フリーライフ〉の名折れだ。フリーライフの名に愛着のある貴大は、特に考えもなく依頼を受けた。
途中までとはいえ、高校に通っていた彼だ。受けた教育のレベルも、計算能力も、〈アース〉の一般人とは比較にならない。何せ、読み書き計算をユミエルに教えたのも、貴大だ。この程度の帳簿整理など、お茶の子さいさいであった。
――――帳簿整理の依頼が、一件だけであれば、だが。
「やあ、聞いたよ? タカヒロ君も、計算、得意なんだってね?」
「ユミィちゃんがお休みだっていうから、頼むのをためらっていたのよ。ほら、これ。明日の夜までによろしく」
「いや、いつも悪いね。はい、これ。これが今月の分ね」
「んじゃま、一つよろしく頼むわ。十八時ぐらいに取りにくるから」
ドサドサドサッ! いつもは『置いてあるだけ』の貴大の机に、山と積まれる帳簿と紙の束。思わず顔が引きつった貴大を残し、依頼者たちは足取りも軽く、帰っていった。
そこから、貴大の孤独な戦いは始まった。
初めの内は、「どれ、手伝ってやろう」と乗り気だったルートゥーは、視界を埋める数字の群れに恐れをなし、早々に逃げ出した。ユミエルは、未だ休暇を満喫している最中だ。片方は呼び戻せず、片方は呼ぶのも気が引ける。
だからといって、知り合いに助力を請うこともできない。これはあくまで何でも屋〈フリーライフ〉が請け負った仕事だ。なあなあで仕事に友人を巻きこんではいけないのは、貴大でさえ分かることだった。
故に、貴大は、一人で帳簿と向き合う必要があった。怒涛の勢いで山積みされた帳簿群を、期日までに片付けなければならなかった。
依頼者たちが言う、『明日の夜十八時』とは、ユミエルが帰ってくる時間でもある。メリッサの家から、フリーライフへと帰還が予定されている時刻。それまでに、貴大は全てを片付ける必要があった。
「でも、まあ、帳簿の整理なんて、算数の基本ができてりゃ誰でもできるだろ。これぐらいの量でも、五……いや、本気出しゃあ、三時間ぐらいあったらできるな」
だというのに、貴大は事の重大さをいまいち分かっていなかった。彼は、あろうことか仕事を後回しにして、のん気にリビングの掃除を始めた。散らかったゴミをまとめ、燃やせるものは暖炉で燃やし、部屋や廊下を箒で掃き清めた。おまけに、小さな汚れが気になって、雑巾がけまで始める始末。
普段は全く掃除などしない彼だが、やる時は徹底的にやらねば気が済まない性質たちのようで、フリーライフは風呂場に至るまで、ピカピカに磨き上げられた。ここまでで、三時間が経過した。
だが、まだ間に合う。今から取り組めば、まだ、余裕を持って仕上げられる。時間はまだ貴大の味方で、帳簿の山は、貴大の敵ではなかった。
しかし、ここで貴大、まさかの外食。悠々と家を出た貴大は、馴染みの大衆食堂で腹を満たし、行きつけの喫茶店で、優雅にコーヒーを飲んでいた。それでも、依頼の事を忘れた訳ではなかったようで、喫茶店のマスターへ、procomil spray
「帳簿の整理って、どれぐらい時間がかかる?」
と、それとなく聞いていた。そして、
「この店は私一人ですからね。人手もないので、月末の祝祭日にまとめて整理しているのですが、三時間ほどはかかりますね」
との答えを聞いて、顔色をすこぶる悪くした。
慌てて、家へと引き返して、山と積まれた帳簿へと向き合った貴大。頭の中には、先ほどの「三時間」という言葉が木霊していた。
三時間が、五人の依頼者分だと、十五時間。現在時刻、午後十四時。タイムリミットまで、残り、二十八時間。さて、余裕があるのは何時間?
「大丈夫。まだ……まだ、十三時間ある」
前哨戦とばかりに、残り時間を計算する貴大。今日中に十時間分済ませて、明日、余裕を持って残りの五時間分を片付けても、全然余裕。寝れるし、飯も食えるし、風呂にも入れる。そう判断した貴大は、漠然とした不安を感じながらも、一番上の帳簿へ手を伸ばした。
そして、彼は、地獄を見た。
「ある種の拷問だったな……」
結局、徹夜をしてまで仕事を終えた貴大は、ぐったりと机に頭を載せて、ぼやけた視界で書き込みの済んだ帳簿を捉えた。
「よくもまあ、できたもんだよ」
経験の伴わない予想ほど当てにならないものはなく、また、労働者の疲労を無視した作業効率ほど、維持できないものはなかった。十五時間分の仕事量を、連続して行えると思ったのが、そもそもの間違いだったのだ。
仕事の量は、増えれば増えるほど、必要とする時間も労力も増えていく。しかも、それは決して、単純な足し算やかけ算ではない。雪かきを想像すると分かりやすいが、スコップ一すくいで片付けられる雪も、百回分、千回分となると、段違いに手間がかかるものと化す。そして、それはスコップ一すくいの労力を百回分にしたものよりも、遥かに疲れを生む。
だからこそ、貴大は夜通し、帳簿とメモ帳、店主たちの走り書きとにらめっこをして、体の節々を痛めたのだ。
ギュッと目を閉じ、腕を組んで作った枕に顔をうずめる。貴大は、もうちょっとでも、帳簿なんて見たくなかった。
「ユミィは、日頃、こんな仕事をしているんだな」
ここ数日、貴大がしたことは、ユミエルが日頃請け負っている仕事だ。帳簿を持ってきた店主たちの口ぶりからすると、彼女の不在によって、仕事を持ってくることを躊躇している常連客が、まだまだいそうだ。すると、ユミエルの苦労は、貴大が感じたそれよりも、大きいことは間違いない。
だが、ユミエルのことだ。きちんと仕事の管理をして、間違いなくこなせるスケジュールで依頼を受けているのだろう。問題が生じないように、余裕を持って動いているのだろう。
それでも、仕事が多いことは変わりない。そりゃあ、ストレスで皿を割ったり、グラスを砕いたり、俺のパンツを破いたりするだろう、と、貴大は思った。今回の休暇の申請も、当然のことなのだと、罪悪感すら感じていた。
「あいつが帰ってきたら、その辺り、一度話し合ってみようか」
目を閉じたまま、貴大はユミエルのことを想う。いつも美味しい飯を作ってくれる。干した布団と洗濯物を用意してくれる。風呂も沸かしてくれるし、掃除もしてくれる。おまけに、何でも屋の業務までこなしているのだ。彼女の負担は、貴大が考えていたよりも、ずっと多いのだと、ようやく気がつけた。
ユミエルが帰ってきたら、感謝の言葉を伝えようか。でも、少し恥ずかしいから、行動で示そうか。今日の夕食と、風呂の用意は、俺がやっておこう。毎日の朝飯ぐらいは、俺が作るのもいいかもしれない。西班牙蒼蝿水
貴大は、倦怠感と、仕事を終えた達成感でぼやける頭で、様々なことを考える。
それは、全て、ユミエルの事。自分に尽くしてくれる、一人の少女の事。
あの子に、自分は何をしてあげられるのだろう。何を返してあげられるのだろう。
疲労を溜めた貴大は、それでも、ただ、ユミエルのことを考える――――
「……ご主人さま、ただいま戻りました」
噂をすれば影、ということでもないが、事務所の玄関から、控えめなノックと、ユミエルの声が聞こえてきた。むくりと上体を起こした貴大は、「おう、おかえり」と声をかけて、小さなメイドさんが入ってくるのを出迎えようとした。
「……ご主人さま、ただいま戻りました」
だが、返ってくるのは、声ばかり。フリーライフはユミエルの家でもあるのだ。まさか、数日離れただけで、他人行儀になる訳でもなしと、貴大は不審に思った。
「おい、外にいないで、入って来いよ」
「……すみません。ご主人さま、一度、外に出てきてもらえますか?」
「はあ?」
もしかして、メリッサに土産を持たされたのかもしれない。もしかすると、『家庭用はりつけ十字架』なんて、物騒なものを押し付けられたのかもしれない。似たような経験がある貴大は、大体の予想をつけて、ため息を吐いて、事務所の玄関扉を開いた。
すると、そこには、ユミエルとメリッサがいて――――
「あっ、ほら、見て、タカヒロくん! ユミィちゃん、もう、完璧なんだよ!」
「……右手でバトンを回転。左手でエアスケッチ。肩で小粋なリズムを刻み、足は愉快なステップを踏む。更には、腰でフラフープを回し、口でメロディを奏でる」
「すごーい! 一度に六つのことができるなんて、もう、すっかり体に慣れたみたいだね。これなら、意識がなくても『ちょうどいい力加減』でいられるよ」
「……ルールル♪」
名状しがたいものとは、このようなモノを指すのだな、と、貴大は思った。
言葉はない。どう呼んでいいのかすら分からない相手にかける言葉など、貴大は持ち合わせていなかった。
彼が、視線をゆっくりと動かすと、カオルとクルミアが、道の端に突っ立っているのが見えた。貴大よりも長い時間、『コレ』を見ていたのだろう。かわいそうに、二人の膝は、病にかかった幼子のように、ガクガクと震えていた。
通行人も、異様な光景に凍りついている。遠目で見ていた者は、正気に返るなり、そそくさと逃げ出した。犬は怯えたように吠え、猫は全身の毛を逆立てて威嚇した。
それでも、ユミエルは止まらない。己の存在を世界へと刻みつけるかのように、無限のパフォーマンスをもって、貴大へと何かをアピールし続けた。
そんな彼女を見ていると、貴大の頭に、彼女にしてやれることが一つ、浮かび上がってきた。そして、それは間違いなく名案で、唯一無二の選択だと、彼は確信した。
だから、貴大はユミエルに、頭に浮かんだ言葉を、そのまま、贈った。
「病院に行こう?」
その声は、どこまでも優しく、どこまでも非情だった。西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
特にここ数日は、仕事、仕事、仕事の毎日。睡眠も疎かにして、休むことなく働き続けるなど、生まれて初めての経験だった。おかげで、心は擦り減り、体には疲労が溜まり、腰はずきずきと痛んだ。Xing霸 性霸2000
目もしぱしぱと、霞んで見える。夜を徹しての帳簿の整理がよほど応えたようで、いつも以上に気だるさが彼を支配していた。
「帳簿ぐらい自分の店でまとめろ……人に任せるなよ……」
貴大は、椅子にもたれて天井を見上げ、また、ほうと息を吐いた。
どうしてこうなったのかは、分かっていた。事務担当であり、実質的に何でも屋〈フリーライフ〉を支えていたユミエルが、突然の休暇を申し出たからだ。
あの仕事の鬼が、一週間も休みたいだなどと、余程の事態に違いない。貴大は、唖然としながらも、彼女の休暇申請を了承した。
思えば、ユミエルが店を手伝うようになってから、休暇らしい休暇を与えたことなどなかったのだ。祝祭日ですら、彼女は家事に貴大の世話にと、忙しなく働いていたほどだ。世が世なら、労働者の権利を守れと、店主は吊るし上げを喰らうところだ。
店のことは自分に任せて、この機会に、うんと羽を伸ばしてこいと、貴大は胸を叩いてユミエルを送り出した。日中、外に出かけて何をするのかは知らなかったが、詮索など野暮なことは止めようと、貴大は心に決めた。
ユミエルも、フリーライフの一員だ。ならば、何者にも縛られず、自由にさせてやろうではないか。そう思った貴大は、ユミエルがメリッサの家に泊まるようになっても、個人の自由だ、むしろ、人付き合いの幅が広がって、いいんじゃないかと笑っていたほどだ。
一週間なら、家事も、仕事も、苦にはならない。むしろ、積極的に仕事をとってくる者がいなくなったから、何でも屋〈フリーライフ〉の方は、暇になったほどだ。そのため、貴大は、日中はもっぱら、ごろごろと寝て過ごしていた。
たまに訪れる客や、一緒にお昼寝を目論む龍人少女を適当にあしらう内に、三日が過ぎ、四日が過ぎていく。この頃になると、ユミエルは夕食にも帰って来なくなる。
余程、メリッサとの生活が楽しいのだろう。これなら、期限の日まで、人目を気にする必要もないだろう。
そう高をくくって、貴大はますます、羽を伸ばし始めた。営業時間中に、事務所の机に突っ伏して寝るのは当たり前。営業時間も勝手に縮め、昼休みもたっぷりと取り、三度の食事も好きなものを食べた。
買い食い上等、散らかし放題。ユミエルによって清潔に保たれていた住居は、ゴミが放られ、あっという間に汚れていった。それでも貴大は、ユミエルが帰ってくる前に、まとめて片付ければいい、と考えていた。その方が手間がかからないと、自分を納得させ、物ぐさな自分を正当化した。怠け者も、ここに極まれりだ。
また、最近増えた同居人の存在もいけなかった。ルートゥーは、フリーライフの住居部分が汚れ始めても、我関せずの姿勢を崩さずにいた。混沌龍といっても、実質的にはお嬢様育ちの娘だ。部屋の掃除など下働きの者に任せておけばいいと、貴大との二人きりの生活を楽しんでいた。
実に退廃した、フリーライフ。だらだら店主と、自称婚約者の龍人少女は、のんべんだらりとした日々を送っていた。だが、五日目にして、事態は急変する。
まず、学園の仕事があった。これは、週に一度の契約なので、渋りながらも出かけていった。前の週に休んでいたせいもあって、いつも以上に濃い訓練を要求されたが、それぐらいはと、貴大は文句も言わずに仕事に取り組んだ。
次に、託児の依頼を受けた。いや、学園から帰ったら子どもがいた、と言った方が正しいだろう。貴大が夜も遅くに帰ってくると、4歳ほどの小さな男の子が、フリーライフの事務所で、ルートゥーの髪の毛を引っ張っているではないか。
子どもがミンチにされてはたまらないと、貴大は慌てて引きはがすが、どうにも手を放さない。結局、その子が寝静まるまで、貴大は、街をも滅ぼす混沌龍のご機嫌を取り続けていた。
母親が来たのは翌朝のことで、どうやら、仕事が忙しい時、ユミエルによく預かってもらっていたらしい。「急な出勤とはいえ、夜通し預かってもらうなんて」と、母親は何度も頭を下げていたが、一晩中髪の毛を握られていたルートゥーは、しばらくの間はふくれっ面のままだった。
そして始まった、六日目。夜はろくに眠れなかったので、風呂に入ってさっぱりとして、朝寝でもするかと、貴大は二階へと向かおうとする。だが、来客を告げるベルの音が鳴り、一階の事務所へと逆戻り。WENICKMANペニス増大
『商い中』のプレートを裏返すことを忘れていた――――いや、ユミエルに任せっぱなしで、プレートの存在すら忘れかけていた貴大は、己の迂闊さを呪いながら客へと向かい合った。
「朝早くにすみません。今日も、帳簿の整理をお願いしたいのです」
事務所の机の上に、どさりと置かれる紙の束。聞けば、依頼人である金物屋の主人は、毎月、ユミエルに帳簿の整理を依頼しているのだという。大まかには、どれほどの収支があるかは体感的に分かっているそうだが、お上に提出する書類には、きちっとまとまった数字を記入しなければならないのだとか。
しかし、職人一筋の主人は、最近流行りの学校にも通っておらず、数字の足し引きは苦手だとのこと。時間をかければ何とかなるが、だからといって、仕事は忙しく、なかなか、時間を割くこともできない。そのため、近くに何でも屋ができたことは、大変ありがたかったのだとか。
そうまで言われて、依頼を断れば、何でも屋〈フリーライフ〉の名折れだ。フリーライフの名に愛着のある貴大は、特に考えもなく依頼を受けた。
途中までとはいえ、高校に通っていた彼だ。受けた教育のレベルも、計算能力も、〈アース〉の一般人とは比較にならない。何せ、読み書き計算をユミエルに教えたのも、貴大だ。この程度の帳簿整理など、お茶の子さいさいであった。
――――帳簿整理の依頼が、一件だけであれば、だが。
「やあ、聞いたよ? タカヒロ君も、計算、得意なんだってね?」
「ユミィちゃんがお休みだっていうから、頼むのをためらっていたのよ。ほら、これ。明日の夜までによろしく」
「いや、いつも悪いね。はい、これ。これが今月の分ね」
「んじゃま、一つよろしく頼むわ。十八時ぐらいに取りにくるから」
ドサドサドサッ! いつもは『置いてあるだけ』の貴大の机に、山と積まれる帳簿と紙の束。思わず顔が引きつった貴大を残し、依頼者たちは足取りも軽く、帰っていった。
そこから、貴大の孤独な戦いは始まった。
初めの内は、「どれ、手伝ってやろう」と乗り気だったルートゥーは、視界を埋める数字の群れに恐れをなし、早々に逃げ出した。ユミエルは、未だ休暇を満喫している最中だ。片方は呼び戻せず、片方は呼ぶのも気が引ける。
だからといって、知り合いに助力を請うこともできない。これはあくまで何でも屋〈フリーライフ〉が請け負った仕事だ。なあなあで仕事に友人を巻きこんではいけないのは、貴大でさえ分かることだった。
故に、貴大は、一人で帳簿と向き合う必要があった。怒涛の勢いで山積みされた帳簿群を、期日までに片付けなければならなかった。
依頼者たちが言う、『明日の夜十八時』とは、ユミエルが帰ってくる時間でもある。メリッサの家から、フリーライフへと帰還が予定されている時刻。それまでに、貴大は全てを片付ける必要があった。
「でも、まあ、帳簿の整理なんて、算数の基本ができてりゃ誰でもできるだろ。これぐらいの量でも、五……いや、本気出しゃあ、三時間ぐらいあったらできるな」
だというのに、貴大は事の重大さをいまいち分かっていなかった。彼は、あろうことか仕事を後回しにして、のん気にリビングの掃除を始めた。散らかったゴミをまとめ、燃やせるものは暖炉で燃やし、部屋や廊下を箒で掃き清めた。おまけに、小さな汚れが気になって、雑巾がけまで始める始末。
普段は全く掃除などしない彼だが、やる時は徹底的にやらねば気が済まない性質たちのようで、フリーライフは風呂場に至るまで、ピカピカに磨き上げられた。ここまでで、三時間が経過した。
だが、まだ間に合う。今から取り組めば、まだ、余裕を持って仕上げられる。時間はまだ貴大の味方で、帳簿の山は、貴大の敵ではなかった。
しかし、ここで貴大、まさかの外食。悠々と家を出た貴大は、馴染みの大衆食堂で腹を満たし、行きつけの喫茶店で、優雅にコーヒーを飲んでいた。それでも、依頼の事を忘れた訳ではなかったようで、喫茶店のマスターへ、procomil spray
「帳簿の整理って、どれぐらい時間がかかる?」
と、それとなく聞いていた。そして、
「この店は私一人ですからね。人手もないので、月末の祝祭日にまとめて整理しているのですが、三時間ほどはかかりますね」
との答えを聞いて、顔色をすこぶる悪くした。
慌てて、家へと引き返して、山と積まれた帳簿へと向き合った貴大。頭の中には、先ほどの「三時間」という言葉が木霊していた。
三時間が、五人の依頼者分だと、十五時間。現在時刻、午後十四時。タイムリミットまで、残り、二十八時間。さて、余裕があるのは何時間?
「大丈夫。まだ……まだ、十三時間ある」
前哨戦とばかりに、残り時間を計算する貴大。今日中に十時間分済ませて、明日、余裕を持って残りの五時間分を片付けても、全然余裕。寝れるし、飯も食えるし、風呂にも入れる。そう判断した貴大は、漠然とした不安を感じながらも、一番上の帳簿へ手を伸ばした。
そして、彼は、地獄を見た。
「ある種の拷問だったな……」
結局、徹夜をしてまで仕事を終えた貴大は、ぐったりと机に頭を載せて、ぼやけた視界で書き込みの済んだ帳簿を捉えた。
「よくもまあ、できたもんだよ」
経験の伴わない予想ほど当てにならないものはなく、また、労働者の疲労を無視した作業効率ほど、維持できないものはなかった。十五時間分の仕事量を、連続して行えると思ったのが、そもそもの間違いだったのだ。
仕事の量は、増えれば増えるほど、必要とする時間も労力も増えていく。しかも、それは決して、単純な足し算やかけ算ではない。雪かきを想像すると分かりやすいが、スコップ一すくいで片付けられる雪も、百回分、千回分となると、段違いに手間がかかるものと化す。そして、それはスコップ一すくいの労力を百回分にしたものよりも、遥かに疲れを生む。
だからこそ、貴大は夜通し、帳簿とメモ帳、店主たちの走り書きとにらめっこをして、体の節々を痛めたのだ。
ギュッと目を閉じ、腕を組んで作った枕に顔をうずめる。貴大は、もうちょっとでも、帳簿なんて見たくなかった。
「ユミィは、日頃、こんな仕事をしているんだな」
ここ数日、貴大がしたことは、ユミエルが日頃請け負っている仕事だ。帳簿を持ってきた店主たちの口ぶりからすると、彼女の不在によって、仕事を持ってくることを躊躇している常連客が、まだまだいそうだ。すると、ユミエルの苦労は、貴大が感じたそれよりも、大きいことは間違いない。
だが、ユミエルのことだ。きちんと仕事の管理をして、間違いなくこなせるスケジュールで依頼を受けているのだろう。問題が生じないように、余裕を持って動いているのだろう。
それでも、仕事が多いことは変わりない。そりゃあ、ストレスで皿を割ったり、グラスを砕いたり、俺のパンツを破いたりするだろう、と、貴大は思った。今回の休暇の申請も、当然のことなのだと、罪悪感すら感じていた。
「あいつが帰ってきたら、その辺り、一度話し合ってみようか」
目を閉じたまま、貴大はユミエルのことを想う。いつも美味しい飯を作ってくれる。干した布団と洗濯物を用意してくれる。風呂も沸かしてくれるし、掃除もしてくれる。おまけに、何でも屋の業務までこなしているのだ。彼女の負担は、貴大が考えていたよりも、ずっと多いのだと、ようやく気がつけた。
ユミエルが帰ってきたら、感謝の言葉を伝えようか。でも、少し恥ずかしいから、行動で示そうか。今日の夕食と、風呂の用意は、俺がやっておこう。毎日の朝飯ぐらいは、俺が作るのもいいかもしれない。西班牙蒼蝿水
貴大は、倦怠感と、仕事を終えた達成感でぼやける頭で、様々なことを考える。
それは、全て、ユミエルの事。自分に尽くしてくれる、一人の少女の事。
あの子に、自分は何をしてあげられるのだろう。何を返してあげられるのだろう。
疲労を溜めた貴大は、それでも、ただ、ユミエルのことを考える――――
「……ご主人さま、ただいま戻りました」
噂をすれば影、ということでもないが、事務所の玄関から、控えめなノックと、ユミエルの声が聞こえてきた。むくりと上体を起こした貴大は、「おう、おかえり」と声をかけて、小さなメイドさんが入ってくるのを出迎えようとした。
「……ご主人さま、ただいま戻りました」
だが、返ってくるのは、声ばかり。フリーライフはユミエルの家でもあるのだ。まさか、数日離れただけで、他人行儀になる訳でもなしと、貴大は不審に思った。
「おい、外にいないで、入って来いよ」
「……すみません。ご主人さま、一度、外に出てきてもらえますか?」
「はあ?」
もしかして、メリッサに土産を持たされたのかもしれない。もしかすると、『家庭用はりつけ十字架』なんて、物騒なものを押し付けられたのかもしれない。似たような経験がある貴大は、大体の予想をつけて、ため息を吐いて、事務所の玄関扉を開いた。
すると、そこには、ユミエルとメリッサがいて――――
「あっ、ほら、見て、タカヒロくん! ユミィちゃん、もう、完璧なんだよ!」
「……右手でバトンを回転。左手でエアスケッチ。肩で小粋なリズムを刻み、足は愉快なステップを踏む。更には、腰でフラフープを回し、口でメロディを奏でる」
「すごーい! 一度に六つのことができるなんて、もう、すっかり体に慣れたみたいだね。これなら、意識がなくても『ちょうどいい力加減』でいられるよ」
「……ルールル♪」
名状しがたいものとは、このようなモノを指すのだな、と、貴大は思った。
言葉はない。どう呼んでいいのかすら分からない相手にかける言葉など、貴大は持ち合わせていなかった。
彼が、視線をゆっくりと動かすと、カオルとクルミアが、道の端に突っ立っているのが見えた。貴大よりも長い時間、『コレ』を見ていたのだろう。かわいそうに、二人の膝は、病にかかった幼子のように、ガクガクと震えていた。
通行人も、異様な光景に凍りついている。遠目で見ていた者は、正気に返るなり、そそくさと逃げ出した。犬は怯えたように吠え、猫は全身の毛を逆立てて威嚇した。
それでも、ユミエルは止まらない。己の存在を世界へと刻みつけるかのように、無限のパフォーマンスをもって、貴大へと何かをアピールし続けた。
そんな彼女を見ていると、貴大の頭に、彼女にしてやれることが一つ、浮かび上がってきた。そして、それは間違いなく名案で、唯一無二の選択だと、彼は確信した。
だから、貴大はユミエルに、頭に浮かんだ言葉を、そのまま、贈った。
「病院に行こう?」
その声は、どこまでも優しく、どこまでも非情だった。西班牙蒼蝿水口服液+遅延増大
2014年8月4日星期一
現れた怪異
それしきのことで中止になるほど、グランフェリアの新年祭はちゃちなものではない。
たとえ悲鳴を聞いたところで、民衆はすぐにも何事もなかったかのように笑い始める。たとえ怪物を目にしたところで、いい余興になったとかえって喜ぶだろう。
十万都市グランフェリア。いつも何かが起きるこの街では、怪物騒ぎなど大した問題にもならなかった。D10 媚薬 催情剤
「バーゲン、バーゲン~♪」
「新春バーゲン♪」
住人に加え、多くの観光客でにぎわっている中級区を三人の少女が歩いていた。
意匠の似た服、蜂蜜色の髪をしている彼女らは、胸に大きな紙袋を抱えたまま、鼻歌を歌いながら大通りを西へと進む。
「グランフェリアの新春バーゲンは噂以上でしたね。ほら、新しい映像水晶がこんなに!」
「こっちはブランドものよ。ふふふ、あー、王都ってやっぱりいいわー!」
「お菓子、お菓子~♪」
ブランドのロゴが入った紙袋に頬ずりをしているのは、長女のフェア。
理知的な顔を珍しくほころばせ、喜びのあまり眼鏡がズレているのは、次女のピーク。
そして、買い漁った焼き菓子の匂いにとろけた顔をしているのが、三女のニースだ。
グランフェリアに住みついた妖精三姉妹は、すっかり人間としての姿も馴染み、今日も町娘に混じって商店街のバーゲンに出かけていた。
「大収穫だったわね!」
「ええ。早く帰ってこれらを上映しましょう」
「あ、あたし、お茶いれるね~」
きゃぴきゃぴと黄色い声を上げて、妖精三姉妹は西の住宅街へと進んでいった。
背の高いアパルトメントが立ち並ぶ通りを行き、住宅街の中央近くまで来た彼女らは、迷うことなく一つの建物に入っていく。
築何十年も経たおんぼろアパルトメント。今にも倒壊しそうなくせに、家賃だけはいい値がする下宿に入り、ぎしぎしと音を立てる階段を上る妖精三姉妹。
やがて最上階、屋根裏部屋へとたどり着いた彼女らは、鍵をしっかりとかけて、物置へ続く扉に手をかけた。
すると――。
「あー、帰ってきた、帰ってきた」
「馬車に乗ればよかったね~」
「冗談を。あの人ごみで馬車をつかまえるなど、できることではありませんよ」
薄いピンクの壁紙。真っ白でもこもことした絨毯。あちこちに置かれたカラフルなクッション。グラスに山盛りにされたマカロンと、散らかされた化粧道具。
円形の部屋の壁にはバスルームやベッドルームに続く扉があって、そこには流れる星のペイントなどが施されている。
その広さ、しっかりとした作りは、とてもアパルトメントと同じものとは思えない。それもそのはず、この部屋は妖精三姉妹が魔法で作った空間であり、彼女らの本当の家だった。
「ほら、ニース。お茶いれてきて」
「わかった~」
重たい荷物をどさりと置いて、フェアは倒れるようにクッションにもたれかかった。
ニースはキッチンにお菓子を運んでいって、ピークはいそいそと映像水晶を台座にセットし始める。
妖精三姉妹の優雅な生活――というにはいささか所帯じみているが、これが現在の彼女らの日常だった。
「ふむ、案の定だらけているな」
「はいはい、そーね、よかったわね……わー! 見て、ピーク! このマフラーの色!」
「冬用にしては明るい。初春用ですか? 気が早いですね」
「いい女は季節を先取りするものよ」
「へえ、そうですか」
戦利品を広げるフェアに生返事をしたピークは、黙々と映像水晶の位置調整を行う。
妹のつれない態度にも慣れているのか、フェアは気にせず次の袋を破り出す。
すると、すぐにもニースが戻ってきて、テーブルの上に茶器を並べ始めて――。
「ひえええ~っ!? お、お、王様ぁっ!?」
「「ええっ!?」」
ようやく部屋のすみに突っ立っている男に気づき、両手を振り上げ、大きな声を上げた。
「久しいな、お前たち。元気にしていたか?」
「よ、妖精、王……様……!」
濃緑のローブをまとい、透明な羽をいくつも背中に生やした壮年の男は、一歩一歩部屋の中央に近づき、ぎろりと妖精三姉妹をにらみつける。
「はは~!」
「これはこれは妖精王様。ご機嫌麗しゅう。本日は何用でございますか?」紅蜘蛛(媚薬催情粉)
条件反射のようにニースが平伏し、ピークは薄ら笑いを浮かべて揉み手をこする。
唯一、フェアだけが大口を開けたまま固まっていたが、妖精王は気にすることなくどっかと椅子に腰を下ろした。
「いつになっても妖精界に戻ってこないと思えば、こんな部屋まで用意して……」
いかにも神経質そうな痩身の男は、わずかにこけた頬に手を当てて妖精三姉妹をねめつける。
「ぃや~……こ、これもね? 社会勉強だと思って……」
「ふん。楽しそうな社会勉強もあったものだな」
「うっ……!」
散らばったブランドバッグ、山盛りのお菓子、今まさに上映されようとしていた映像水晶に目をやり、妖精王はわざとらしくため息を吐いた。
「お前たちも知っているだろうが、妖精とはこの世ならざる生き物だ。界と界の狭間に遊び、夢うつつの中にこそ現れる存在だ。それが一つの世界に定住するなど以ての外だ」
「そういう考え、もう古いって! 現に私たちうまくやってたし、妖精だってバレてないし……」
「何かあってからでは遅いのだ。魔法使いにつかまったらどうする。奴らが外法を用いて、妖精種という存在を創ったことは知っているだろう」
「悪い魔法使い! はっ! そーいうのが古いのよ」
いつもやり込められてばかりで鬱憤が溜まっていたフェアは、ピークやニースの制止も振り切って妖精王に噛みついた。
しかし、妖精王はフェアの不躾な態度に怒ることなく、ただ目を細めてフェアをにらみつけた。
「な、なによ……」
たじろぐフェアに、妖精王は一つの忠告を送る。
「分からんか? いるのだ。この街にはすでに異物が入り込んでいる」
「……え?」
「不穏な気配も感じる。邪悪な意思がグランフェリアをのぞき込んでいる」
「え、え……!?」
いつにない妖精王の厳格な態度に、フェアたちは戸惑った。
不穏な気配? 邪悪な意思? そのようなもの、どこにも感じられなかった――。
妖精三姉妹の表情から、彼女らはまだ『分かっていない』のだと悟った妖精王は、部屋の入り口に手を向けて、魔法の鎖で扉を封じた。
「あ~っ!?」
「ま、街への扉がーっ!!」
愕然とする妖精三姉妹に構うことなく、妖精王は光に包まれ、段々と輪郭をなくしていく。
『いいか、お前たち。しばらくは外に出るな。やつは力に飢えている。そしてこれは『試練』でもある。今、我らがこの街に関わることは許されない……』
「ちょっと! えーっ!? またわけわかんないこと言ってーっ!」
「扉が~っ! と、扉ぁ~っ!」
妖精王は渦巻く緑光に包まれて、妖精郷とへ帰っていく。
『いいか……今はただ、見守るのだ……』
「「「扉ぁーっ!!」」」
そして、妖精王は何の痕跡も残さずに、妖精三姉妹の部屋から去っていった。
「……もー、何なのよ、あの貧弱ガリガリ親父……」
有無を言わさぬ強引さに、フェアはすっかり気分を落ち込ませて、クッションの山へと倒れ込んだ。
「う~……屋台のお菓子も買って来ようと思ってたのに~……」
フェアに覆いかぶさるように、ニースが長姉に続いてぱたりと倒れた。
「……ふむ。邪悪な意思、ですか」
ただ、次女のピークだけが、口に手を当てて何かしら考え込んでいた。
「妖精王が警戒する相手。それはもしかすると……」
ピークは険しい顔をしたまま、部屋の本棚から一冊の本を抜き出した。
次いで、パラパラとページをめくり、本の中ほどでその手を止めた。
「ふむ……」
すぐにも腰を下ろして、その場で本を読みふけりだすピーク。
彼女が持つ本の表紙には、『神』を意味する単語が見て取れた。紅蜘蛛赤くも催情粉
それは――。
それは、考えていた。
自分は何者か。自分は何者か。自分は何者か――。
どうしてここにいて、何のために体を動かして、これからどこへ向かおうとしているのか。
足りない。答えを出すには知性が足りない。
足りない。思考するには力が足りない。
もっと、もっと、もっと、もっと。大きな力が必要だ。偉大なパワーが必要だ。
本能がそれの拙い頭脳にささやきかける。養分だ。成長だ。大きくなるのだ。存在意義を果たすのだ――。
心の奥底がひりつくような衝動によって、今、それは一組の男女に触手を伸ばしていた。
「おのれ、魔物め! 僕らをイースィンド王家の者と知っての狼藉か!」
「お、お兄ちゃん……!」
純白のコートを着た、身なりのよい少年がいた。
その背中に隠れるように、庶民のような少女がいた。
二人は上級区の路地でそれと対峙し、何とかそれを追い払おうと牽制している。
『ア……オオ』
抜き放たれた長剣に意識を向けて、それは歓喜の声を上げた。
――何というエネルギー量か!
神々しいまでに美しい長剣は大いなる力の結晶体であり、その刀身には凝縮されたパワーが感じられた。
あれを、あれを、我が身に取り込むことができたなら――きっと自分は完成する。
『アアアアアァッ!』
生まれて初めて雄たけびを上げて、それは粘液の体を大きく広げた。
少年と少女ごと呑み込むように、投網のように広がったそれは、重力に引かれたまま落ちてくる。
「きゃあああ!」
幸運なことに、少女が少年の足かせとなり、彼らはその場に釘付けになっていた。
このまま――このまま、吸収する。あの剣を、己の糧とするのだ――。
それは輝ける未来に心を弾ませて、そのまま、包み込むように体を縮めていき、
「なめるなっ!!」
『オオ……!?』
水風船が破裂するように、四方八方へと吹き飛ばされた。
びちゃびちゃと音を立てて、壁や石畳に付着する粘液。そのうちの大きな塊に剣を向け、少年は静かに怒りを燃やした。
「僕とエミリーを捕食するつもりか? いい度胸だ。魔物らしい浅ましさだ……だが!!」
怒号をそれへと叩きつけ、少年は――第四王子フォルカは、二つ名の由来である神剣を高らかに天に掲げた。
「イースィンド王家に弓引くことは、何人たりとも許されない! ましてや我が最愛の妹を牙にかけようなど、言語道断! 騎士たちに任せるまでもない……貴様は、この僕が直々に成敗してくれる!!」
鍛え上げられた肉体が躍動する。紅蜘蛛
仰々しい言動が威厳へと繋がっている。
かつて『神剣のおまけ』と蔑まれた第四王子は、一年の月日を経て、身も心も大きく成長していた――!
「喰らええええっ!! 【パイル・バンカー】ァァァ!!」
『ゴポ……!?』
「吹き飛べぇぇえええっ!! 【フラッシュ・ラッシュ】ゥゥゥッ!!」
『オオオ……!!』
――のだが、周囲のことをあまり考えないのは、以前と変わりないようだ。
「きゃああ! お兄ちゃん、かっこいいーっ!」
「わははははははーっ!」
「やっちゃえーっ!」
「ああ、任せたまえーっ!!」
神剣が弧を描くたびに、刀身から光の波動が飛び出して、直線状にあるものをズタズタに引き裂いていく。
強力なスキルが発動するたびに、柱がへし折れ、民家の壁に大きな亀裂が走っていく。
見る見るうちに路地はズタボロになっていき、それでも手を止めないフォルカによって、遂には石畳に大穴が開いた。
『オオ……』
「はーははははーっ! ……むっ!? 魔物がいないぞ! どこへ消えた!?」
「やっつけたんだよ! お兄ちゃんが!」
「おっ、そうかそうか。ふふふ……何と他愛のない」
本当は、飛び散った粘液はすべて大穴から下水道へと逃れたのだが――そうとも知らないフォルカとエミリエッタは、勝どきを上げて魔物退治を盛大に祝っていた。
「お兄ちゃん、すごい! やっぱりお兄ちゃんは勇者さまだよ!」
「ふふふ、何やらこそばゆいね。ふふふ、ふふふふー、ふあははははーっ!」
やがて護衛の騎士たちが駆けつけて、野次馬たちが集まってきても、フォルカとエミリエッタは心底誇らしげに笑っていたとか。
そして、その後、フォルカのポケットマネーがごっそり減ることになったとか。
フォルカ・ラセルナ・ボルトロス・ド・イースィンド。
神剣の勇者と呼ぶには、まだまだ青い少年だった。
一月二日――事件が顕在化し始めた日の夜。
王城の一室には、イースィンドの武を司る貴族たちが集まっていた。
「問題ね」
重い空気が充満する部屋で、口火を切ったのはランジュー伯爵だった。
「よりにもよって、『王都で』『王子が』『魔物に』襲われる? 三重の問題……いいえ、もうこれは問題外だわ。騎士団、警邏隊は何をしていたの?」
絞り込まれた体。短い銀髪。鳶色の瞳。
そして、この場にいる誰よりも鋭い目つきをした女伯爵は、円卓の端に座る男に剣呑な視線を突き刺した。勃動力三體牛鞭
たとえ悲鳴を聞いたところで、民衆はすぐにも何事もなかったかのように笑い始める。たとえ怪物を目にしたところで、いい余興になったとかえって喜ぶだろう。
十万都市グランフェリア。いつも何かが起きるこの街では、怪物騒ぎなど大した問題にもならなかった。D10 媚薬 催情剤
「バーゲン、バーゲン~♪」
「新春バーゲン♪」
住人に加え、多くの観光客でにぎわっている中級区を三人の少女が歩いていた。
意匠の似た服、蜂蜜色の髪をしている彼女らは、胸に大きな紙袋を抱えたまま、鼻歌を歌いながら大通りを西へと進む。
「グランフェリアの新春バーゲンは噂以上でしたね。ほら、新しい映像水晶がこんなに!」
「こっちはブランドものよ。ふふふ、あー、王都ってやっぱりいいわー!」
「お菓子、お菓子~♪」
ブランドのロゴが入った紙袋に頬ずりをしているのは、長女のフェア。
理知的な顔を珍しくほころばせ、喜びのあまり眼鏡がズレているのは、次女のピーク。
そして、買い漁った焼き菓子の匂いにとろけた顔をしているのが、三女のニースだ。
グランフェリアに住みついた妖精三姉妹は、すっかり人間としての姿も馴染み、今日も町娘に混じって商店街のバーゲンに出かけていた。
「大収穫だったわね!」
「ええ。早く帰ってこれらを上映しましょう」
「あ、あたし、お茶いれるね~」
きゃぴきゃぴと黄色い声を上げて、妖精三姉妹は西の住宅街へと進んでいった。
背の高いアパルトメントが立ち並ぶ通りを行き、住宅街の中央近くまで来た彼女らは、迷うことなく一つの建物に入っていく。
築何十年も経たおんぼろアパルトメント。今にも倒壊しそうなくせに、家賃だけはいい値がする下宿に入り、ぎしぎしと音を立てる階段を上る妖精三姉妹。
やがて最上階、屋根裏部屋へとたどり着いた彼女らは、鍵をしっかりとかけて、物置へ続く扉に手をかけた。
すると――。
「あー、帰ってきた、帰ってきた」
「馬車に乗ればよかったね~」
「冗談を。あの人ごみで馬車をつかまえるなど、できることではありませんよ」
薄いピンクの壁紙。真っ白でもこもことした絨毯。あちこちに置かれたカラフルなクッション。グラスに山盛りにされたマカロンと、散らかされた化粧道具。
円形の部屋の壁にはバスルームやベッドルームに続く扉があって、そこには流れる星のペイントなどが施されている。
その広さ、しっかりとした作りは、とてもアパルトメントと同じものとは思えない。それもそのはず、この部屋は妖精三姉妹が魔法で作った空間であり、彼女らの本当の家だった。
「ほら、ニース。お茶いれてきて」
「わかった~」
重たい荷物をどさりと置いて、フェアは倒れるようにクッションにもたれかかった。
ニースはキッチンにお菓子を運んでいって、ピークはいそいそと映像水晶を台座にセットし始める。
妖精三姉妹の優雅な生活――というにはいささか所帯じみているが、これが現在の彼女らの日常だった。
「ふむ、案の定だらけているな」
「はいはい、そーね、よかったわね……わー! 見て、ピーク! このマフラーの色!」
「冬用にしては明るい。初春用ですか? 気が早いですね」
「いい女は季節を先取りするものよ」
「へえ、そうですか」
戦利品を広げるフェアに生返事をしたピークは、黙々と映像水晶の位置調整を行う。
妹のつれない態度にも慣れているのか、フェアは気にせず次の袋を破り出す。
すると、すぐにもニースが戻ってきて、テーブルの上に茶器を並べ始めて――。
「ひえええ~っ!? お、お、王様ぁっ!?」
「「ええっ!?」」
ようやく部屋のすみに突っ立っている男に気づき、両手を振り上げ、大きな声を上げた。
「久しいな、お前たち。元気にしていたか?」
「よ、妖精、王……様……!」
濃緑のローブをまとい、透明な羽をいくつも背中に生やした壮年の男は、一歩一歩部屋の中央に近づき、ぎろりと妖精三姉妹をにらみつける。
「はは~!」
「これはこれは妖精王様。ご機嫌麗しゅう。本日は何用でございますか?」紅蜘蛛(媚薬催情粉)
条件反射のようにニースが平伏し、ピークは薄ら笑いを浮かべて揉み手をこする。
唯一、フェアだけが大口を開けたまま固まっていたが、妖精王は気にすることなくどっかと椅子に腰を下ろした。
「いつになっても妖精界に戻ってこないと思えば、こんな部屋まで用意して……」
いかにも神経質そうな痩身の男は、わずかにこけた頬に手を当てて妖精三姉妹をねめつける。
「ぃや~……こ、これもね? 社会勉強だと思って……」
「ふん。楽しそうな社会勉強もあったものだな」
「うっ……!」
散らばったブランドバッグ、山盛りのお菓子、今まさに上映されようとしていた映像水晶に目をやり、妖精王はわざとらしくため息を吐いた。
「お前たちも知っているだろうが、妖精とはこの世ならざる生き物だ。界と界の狭間に遊び、夢うつつの中にこそ現れる存在だ。それが一つの世界に定住するなど以ての外だ」
「そういう考え、もう古いって! 現に私たちうまくやってたし、妖精だってバレてないし……」
「何かあってからでは遅いのだ。魔法使いにつかまったらどうする。奴らが外法を用いて、妖精種という存在を創ったことは知っているだろう」
「悪い魔法使い! はっ! そーいうのが古いのよ」
いつもやり込められてばかりで鬱憤が溜まっていたフェアは、ピークやニースの制止も振り切って妖精王に噛みついた。
しかし、妖精王はフェアの不躾な態度に怒ることなく、ただ目を細めてフェアをにらみつけた。
「な、なによ……」
たじろぐフェアに、妖精王は一つの忠告を送る。
「分からんか? いるのだ。この街にはすでに異物が入り込んでいる」
「……え?」
「不穏な気配も感じる。邪悪な意思がグランフェリアをのぞき込んでいる」
「え、え……!?」
いつにない妖精王の厳格な態度に、フェアたちは戸惑った。
不穏な気配? 邪悪な意思? そのようなもの、どこにも感じられなかった――。
妖精三姉妹の表情から、彼女らはまだ『分かっていない』のだと悟った妖精王は、部屋の入り口に手を向けて、魔法の鎖で扉を封じた。
「あ~っ!?」
「ま、街への扉がーっ!!」
愕然とする妖精三姉妹に構うことなく、妖精王は光に包まれ、段々と輪郭をなくしていく。
『いいか、お前たち。しばらくは外に出るな。やつは力に飢えている。そしてこれは『試練』でもある。今、我らがこの街に関わることは許されない……』
「ちょっと! えーっ!? またわけわかんないこと言ってーっ!」
「扉が~っ! と、扉ぁ~っ!」
妖精王は渦巻く緑光に包まれて、妖精郷とへ帰っていく。
『いいか……今はただ、見守るのだ……』
「「「扉ぁーっ!!」」」
そして、妖精王は何の痕跡も残さずに、妖精三姉妹の部屋から去っていった。
「……もー、何なのよ、あの貧弱ガリガリ親父……」
有無を言わさぬ強引さに、フェアはすっかり気分を落ち込ませて、クッションの山へと倒れ込んだ。
「う~……屋台のお菓子も買って来ようと思ってたのに~……」
フェアに覆いかぶさるように、ニースが長姉に続いてぱたりと倒れた。
「……ふむ。邪悪な意思、ですか」
ただ、次女のピークだけが、口に手を当てて何かしら考え込んでいた。
「妖精王が警戒する相手。それはもしかすると……」
ピークは険しい顔をしたまま、部屋の本棚から一冊の本を抜き出した。
次いで、パラパラとページをめくり、本の中ほどでその手を止めた。
「ふむ……」
すぐにも腰を下ろして、その場で本を読みふけりだすピーク。
彼女が持つ本の表紙には、『神』を意味する単語が見て取れた。紅蜘蛛赤くも催情粉
それは――。
それは、考えていた。
自分は何者か。自分は何者か。自分は何者か――。
どうしてここにいて、何のために体を動かして、これからどこへ向かおうとしているのか。
足りない。答えを出すには知性が足りない。
足りない。思考するには力が足りない。
もっと、もっと、もっと、もっと。大きな力が必要だ。偉大なパワーが必要だ。
本能がそれの拙い頭脳にささやきかける。養分だ。成長だ。大きくなるのだ。存在意義を果たすのだ――。
心の奥底がひりつくような衝動によって、今、それは一組の男女に触手を伸ばしていた。
「おのれ、魔物め! 僕らをイースィンド王家の者と知っての狼藉か!」
「お、お兄ちゃん……!」
純白のコートを着た、身なりのよい少年がいた。
その背中に隠れるように、庶民のような少女がいた。
二人は上級区の路地でそれと対峙し、何とかそれを追い払おうと牽制している。
『ア……オオ』
抜き放たれた長剣に意識を向けて、それは歓喜の声を上げた。
――何というエネルギー量か!
神々しいまでに美しい長剣は大いなる力の結晶体であり、その刀身には凝縮されたパワーが感じられた。
あれを、あれを、我が身に取り込むことができたなら――きっと自分は完成する。
『アアアアアァッ!』
生まれて初めて雄たけびを上げて、それは粘液の体を大きく広げた。
少年と少女ごと呑み込むように、投網のように広がったそれは、重力に引かれたまま落ちてくる。
「きゃあああ!」
幸運なことに、少女が少年の足かせとなり、彼らはその場に釘付けになっていた。
このまま――このまま、吸収する。あの剣を、己の糧とするのだ――。
それは輝ける未来に心を弾ませて、そのまま、包み込むように体を縮めていき、
「なめるなっ!!」
『オオ……!?』
水風船が破裂するように、四方八方へと吹き飛ばされた。
びちゃびちゃと音を立てて、壁や石畳に付着する粘液。そのうちの大きな塊に剣を向け、少年は静かに怒りを燃やした。
「僕とエミリーを捕食するつもりか? いい度胸だ。魔物らしい浅ましさだ……だが!!」
怒号をそれへと叩きつけ、少年は――第四王子フォルカは、二つ名の由来である神剣を高らかに天に掲げた。
「イースィンド王家に弓引くことは、何人たりとも許されない! ましてや我が最愛の妹を牙にかけようなど、言語道断! 騎士たちに任せるまでもない……貴様は、この僕が直々に成敗してくれる!!」
鍛え上げられた肉体が躍動する。紅蜘蛛
仰々しい言動が威厳へと繋がっている。
かつて『神剣のおまけ』と蔑まれた第四王子は、一年の月日を経て、身も心も大きく成長していた――!
「喰らええええっ!! 【パイル・バンカー】ァァァ!!」
『ゴポ……!?』
「吹き飛べぇぇえええっ!! 【フラッシュ・ラッシュ】ゥゥゥッ!!」
『オオオ……!!』
――のだが、周囲のことをあまり考えないのは、以前と変わりないようだ。
「きゃああ! お兄ちゃん、かっこいいーっ!」
「わははははははーっ!」
「やっちゃえーっ!」
「ああ、任せたまえーっ!!」
神剣が弧を描くたびに、刀身から光の波動が飛び出して、直線状にあるものをズタズタに引き裂いていく。
強力なスキルが発動するたびに、柱がへし折れ、民家の壁に大きな亀裂が走っていく。
見る見るうちに路地はズタボロになっていき、それでも手を止めないフォルカによって、遂には石畳に大穴が開いた。
『オオ……』
「はーははははーっ! ……むっ!? 魔物がいないぞ! どこへ消えた!?」
「やっつけたんだよ! お兄ちゃんが!」
「おっ、そうかそうか。ふふふ……何と他愛のない」
本当は、飛び散った粘液はすべて大穴から下水道へと逃れたのだが――そうとも知らないフォルカとエミリエッタは、勝どきを上げて魔物退治を盛大に祝っていた。
「お兄ちゃん、すごい! やっぱりお兄ちゃんは勇者さまだよ!」
「ふふふ、何やらこそばゆいね。ふふふ、ふふふふー、ふあははははーっ!」
やがて護衛の騎士たちが駆けつけて、野次馬たちが集まってきても、フォルカとエミリエッタは心底誇らしげに笑っていたとか。
そして、その後、フォルカのポケットマネーがごっそり減ることになったとか。
フォルカ・ラセルナ・ボルトロス・ド・イースィンド。
神剣の勇者と呼ぶには、まだまだ青い少年だった。
一月二日――事件が顕在化し始めた日の夜。
王城の一室には、イースィンドの武を司る貴族たちが集まっていた。
「問題ね」
重い空気が充満する部屋で、口火を切ったのはランジュー伯爵だった。
「よりにもよって、『王都で』『王子が』『魔物に』襲われる? 三重の問題……いいえ、もうこれは問題外だわ。騎士団、警邏隊は何をしていたの?」
絞り込まれた体。短い銀髪。鳶色の瞳。
そして、この場にいる誰よりも鋭い目つきをした女伯爵は、円卓の端に座る男に剣呑な視線を突き刺した。勃動力三體牛鞭
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