それは私が宿屋で借りてきた本を読んでいた時のことだった。
「うぉーい!! やったぜー! 取れた取れたー!」
ノックもせずにいきなり扉をブチ開け、シグが大はしゃぎで私の寝転がっているベッドにそのままの勢いで転がり込んできた。もはやコイツの発作的なハイテンションは慣れたものなので、私は動じることなく本の世界へと飛び立っていたのだが。男宝
「なぁなぁ、どうした? って聞かないの?」
わざわざ覗き込んで尋ねるシグ。その期待に満ちた態度はさながら尻尾を振る犬のよう。思ったんだが、シグはその……いわゆる天然たらしキャラ、じゃないだろうか。年上のお姉さんにバカ受けしそうな気がするんだが。可愛がってあげるわ坊や、とかな。
だが同時に、この三歳児元気君はそれらのフェロモンを天然で弾き返しそうで怖い。シグナチュラルガード。絶対領域だな。というかなにくだらなすぎることを考えてるんだ私。
それはともかく、私はチラと彼に視線をくれて、淡々と返す。
ドアノブが取れたのなら、素直に宿屋の人に謝って弁償してきなさい。
「その取れたじゃないよ!」
分かった分かった。……この前怪我したところの瘡蓋が取れたんだな? わざわざ報告ありがとう、見せるなよ?
にこり、と作り笑いを向けると、シグは漫画で言うところのデフォルメ化に雰囲気の変化を遂げており、茫然とこちらを見つめた後、眉をハの字にして、ゆっくりと起き上がった。無言で部屋の入り口へと歩くシグの背中には哀愁が漂っており、時折未練ありまくりに残念そうな顔で振り返ってくる。
…………。
無言の駆け引き。それは十数秒で幕を閉じた。
分かった。分かったから。えーと、どうしたんだ?
本を閉じて寝転がったまま尋ねると、途端にシグは犬耳があったならばピンと立てそうな勢いで元気よく振り返ってきた。駆け寄り、ベッドにダイブしてくる。反動で少し揺れた。あまりの切り替わりっぷりに閉口していた私に構うことなく、シグは手に持っていたものを私に見せてくれた。
それは二枚の紙切れだった。ただの紙切れではない。入場券だ。
「音楽祭のチケット、取れたぞ。やっぱり秋は音楽の秋だよな!」
ほほぅ……つい昨日までは「読書の秋だ!」とか言って、私にも読書を勧誘もとい強要していた気がするのだが? 現に私はこうして今も読書の秋続行中なのだがな。
「んー、そうだっけ?」
お前はニワトリか。
「まぁまぁ、人の心というものは移り変わっていくものなのさ。様々な感性を磨こうと本能が働きかけているのさ」
まだ半眼を向けている私へ、というわけで、という前置きをしてから、シグは宣言する。
「今から行こう! 音楽祭!」
…………今から!?
秋とは実りの季節だ。時間を掛けて育ってきた作物や木の実が人間や動物、魔物達にとって生命の糧となる。五穀豊穣の祝福された季節とも言える。そして同時に、涼しい風が吹き始めて命が枯れ、冬への眠りの準備を始めていくのだ。今頃動物たちは、冬眠に備えて腹一杯に食べ物を胃に詰め込み、たらふくに太ろうとしていることだろう。
木々の葉は橙色や黄、赤に紅葉し、道には色とりどりの落ち葉。落ち着いた、それでいて何か欲求に駆り立てられるような雰囲気を持っている。そう、例えば本を読みたくなったり、芸術を鑑賞したくなったり、
こうして音楽を聴きたくなったり。
シグに引きずられるようにしてやってきたところは、この都市の闘技場だった。本来は格闘技やその他競技の舞台として使われるのだが、それをちょちょいと改造して音楽特設ステージにしてしまったらしい。応用を利かせるというのはよくあることであり、収容人数やスペースの広さでいうならば闘技場は丁度良い公用施設である。
闘技場の周辺は人集りが出来ており、既に入場が始まっていた。ある者は団扇を持ったり、子供は鈴を持ったりしている。鈴で音頭を取るのはともかく、何故団扇なんだろう?
そのことをシグに尋ねると、彼は意気揚々と歩きながら答えた。
「とっても運のいいことに、今日の音楽祭には、世界を回る歌姫、ミユコが出るらしいんだ。団扇持っている人は、ミユコの応援が目的なんだよ」三體牛鞭
どこからか入手してきたらしいパンフレットを手にしていたので、ちょっと見せてもらってもいいか、と断りを入れてからパンフレットに目を通す。
今日のビッグゲストとして招かれたミユコ(未諭子)は、東方大陸出身者で、幼少の頃から音楽と共に育ってきた。最初は数人の仲間と共に旅をしていたのだが、その知名度が高まった今では、大勢の護衛を引きつれながら馬車や飛空挺に乗って各地を旅して回っているらしい。有名人になると、ままならないこともあるものだ。
名前だけなら聞いたことがあるかもしれないが、生憎と唄は聞いたことがない。
どれほどの歌唱力があるのかは知らないが、好感を得られているのだからそれなりにあるのだろう。またこういう有名人にはアンチファンがつきものだ。それも人気の証である。
どうであれ、私が気に入るかどうかだな。
大人も子供も集まってきた音楽祭は、賑やかに行われた。鼓笛隊が鳴らす民族楽器の音楽に合わせて、子供や大人の踊り子が華麗に舞い、さらには歌を披露する。それが終われば、子供合唱隊が舞台に立って壮大な声の音楽を震わせて名曲を歌い上げる。
観客の子らは鈴を打ち鳴らし、それらの音が秋の空へと吸い込まれていく。まさに様々な曲と歌が集まった音楽祭。
最初こそあまり気分が乗ってこなかった私だったが(なにぶん、読書モードで設定されていたので)、会場の和やかな賑わいと、次々と奏でられる音楽に次第にのめり込んでいった。私は自分でも感性が鋭くないと思っている。そんな私でも、彼らの鳴らす楽器や歌声には、訳もなく心を揺さぶられた。どう揺さぶられたのか、と聞かれると返答に困るのだけれど、確かに心に響いてくるのだ。声なき何かが、話しかけてくる感覚だ。
もっと聞いていようと、もっと聞いていたいと思う。音と、そこに秘められた形のない何かを。
なるほど、これが音楽の秋、というものか。私は奇妙に感心した。
「あ。次だ、ミユコが出てくるの」
パンフレットに記入されている曲目に視線を走らせ、シグが私の肩を叩く。そうか、と返しながら私が会場を見れば、客の纏う雰囲気、のみならず会場の空気が変わっている。
期待の籠もった良い意味で重いものだ。大物を前に敬愛を示すざわめき。
どんな人だろうか、と思いながら見つめていると、やがてステージに一人の女性があがってきた。二十代後半くらいの、セミロングの髪をした落ち着きある女性だ。
彼女はマイクを片手に、艶やかな微笑みを浮かべると、静かに一礼した。すると会場から沸き起こる歓声。彼女の名前を叫ぶ者もいる。その熱狂はある種の重圧だった。これほどの支持を集めながらも、彼女は一歩も引かない。いなすように受け止めていくだけだ。
この時点で私は彼女の持つ雰囲気に呑まれていた。力がある、とは音楽界ではミユコのような人のことをいうのかもしれない。
何か挨拶でもするのかな、と思っていたが、その予想は外れた。ミユコはもう一度笑いかけた後、僅かに目を伏せ、
『―――』
歌い始めたのだ。余計な言葉など要らぬ、とでもいうかのように。
初めは、あ、から成る音の連なりだった。アカペラで『あ』を歌っていく彼女。腹の底から出される声量はとても深く、会場全体に広く浸透していくものだった。音として充分に成立する、というよりこれこそ音なのだと思わされる声という名の楽器。
持ち込まれたグランドピアノが静かにゆっくりと奏でられる中、ミユコは歌う。
歌詞は、春も、夏も、秋も、冬も、大事な人と共に歩き、共に過ごし、けれどもいつかは別れなければいけないという切ない想いを抱きながら、これからも大事なものを抱き締めていくよ、というものだった。会場は、不思議な静けさに包まれている。
伸びやかに、高音で、ゆっくりと歌い上げられるその唄に、私は不覚にも泣きそうになった。彼女の歌には魂が込められている、大袈裟に言ってしまえば、この一曲を歌うことに命を賭けているんだという必死さ。強さ。
そして、まるでその歌が、私達のようだと思ってしまったからだ。
一緒に旅をし続けて、初めは旅の道連れで、向こうから強引についてきたのだけれど、やがて本当に一緒に道を歩くことになり、春を、夏を、秋を、冬を、笑ったり喧嘩したり呆れたりしながら過ごしてきた。大事な仲間だ。いつの間にか、本当に大事になっていた。
でもやがて、いつかは終わりを迎えるのだろう。終わりがくるのだろう。狼1号
その時私は、どうなっているだろうか。笑顔で、お前と別れることができているだろうか。そして、私達のお別れとは、どういうお別れなのだろう。想像もつかない。なにせ二人とも、根無し草の身だから。できることならば、
いけるところまで行って、そして、満足のいく何かを得てから、別れたいものだ。
ああもう、いつの間に私は涙もろくなったんだ。ええい、早く枯れてしまえ。私が必死に潤む涙を堪えていると、不意に隣のシグが口火を切った。
「なぁ。俺達もいつか、この旅の終わりがくるのかな」
シグも彼女の歌を聴いて、同じ想いを馳せていたようだ。だって、呆れるほどにあの歌、私達みたいだもんな。きっと誰かにとっても、あの歌は誰かのような歌なのだろう。
ああ、そうだな。いつか終わるよ。
私はそう答えてから、シグがどんな顔をしているのか気になって、隣を見た。
彼は、前を向いたまま淡々とした表情で、
「そっか。そうだよな」
と、達観めいた口調で呟いた。それで終わるのかと思った。終わりがあることを確認しただけで、終わるのかと。けれども、次の瞬間彼はこちらに顔を向けた。
「じゃあ、その時まで、俺がお前を見ててやるよ」
そして彼はほんのりと笑顔を浮かべる。無邪気な笑顔で、人を安心させるものだ。
「だってお前、俺がいないとすぐに世界から離れてくじゃないか。だからだよ。俺がいる間は、俺がお前を捕まえててやるよ。でもお前力強いからなぁ……離れてどっかいっちゃうかもしれないなぁ」
…………。うるさいバカシグ。それはこっちのセリフだ……。
いつものように冷たく切って捨てようとしたのに、力が出てこなかった。その時私はまた前に向き直って、俯いていたからだ。
唇を少し噛んで、これ以上涙が零れないように。
自分の気持ちと同調させてしまうほど、ミユコの存在感、歌は素晴らしかった。今までは名前しか知らなかったが、立派なファンになったぞ。また会えるかな。会えるとしたら、是非今度も聴いておこう。今回はしっとりした曲が中心だったが、もっと力強い曲もあれば明るい曲もあるらしいので、それらも一度は聴いてみたいところだ。
うん、さすがは音楽の秋だな。物思いに耽りやすい季節にはぴったりかもしれない。
そう想いながらその日は満足な気持ちで就寝し、翌日。
扉をけたくって、元気よくシグが転がり込んできた。なんだなんだ?
「なぁなぁ! この都市の美食満腹ツアーってのを見つけたんだけど、行かね!?」
今度は食欲の秋ってやつですね、シグさん。
私達の秋は、こんな調子で目まぐるしく進んでいく。巨根
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