2015年5月27日星期三

金稼ぎ

......思い返せば、エリスはずっと優しかった。

 ――例えば俺を雇ってくれた時。

 「......しょうがないわね。さっきのヒールも凄かったし......。それじゃあ、これからよろしくお願いね」田七人参

 下心半分、仕事が欲しい必死さ半分の、恥も外聞も無い俺の土下座交渉に折れ、困ったような顔をしながらも優しく微笑みかけてくれたエリス。
 なんの縁も無い、ただ同情を買おうとしていただけの俺を、住み込みで働かせてくれた。
 あの時のエリスはまるで女神のように優しかった。

 ――例えば初めてセクハラした時。

 「い、今のはわざとじゃないのよね? ......もう、気をつけてよ?」

 偶然を装い、初めて尻を撫でた時、笑って許してくれたエリス。
 まだあの時のエリスは優しかった。
 僅かに恥じらいの混じったその初心な反応に、興奮した。

 ――例えば何度目かのセクハラの時。

 「......次は、ないわよ」

 冷たい声。
 けれど、それでも俺を追い出さないエリス。
 俺の性格を理解し、セクハラする度に射殺すような視線を向けてくるようにはなったが、俺がセクハラするに至った理由、エリスの魅力を土下座しながら熱弁すれば、なんだかんだで最終的には許してくれた。

 そして追い出される前日――

 まるで俺を誘うかのように開いていた扉の隙間、その向こう側。
 タイル状の床に、浴槽、排水溝しか無いその部屋は、きっと以前は浴室だったのだろう。
 けれど、金欠のせいで高価な温水給湯用の魔道具は既に売却され、薪による加熱ができる構造にはなっていなかったその風呂は、最早風呂と言えはしない。

 ただ水浴びをするためだけのそのスペース。
 そして、そこから僅かに聞こえる水音。
 俺の妄想は膨らみに膨らみ、ついついそこを覗いてしまったのは、男として仕方のない反応だったはずだ。

 ――扉の向こうには、水浴びをするエリスの姿、そう、そこには桃源郷があった。

 俺の理性のタガが外れ、偶然を装い突入し、胸を揉んでしまったことも最早必然と言えただろう。

 「そんなに、そんなに追い出されたいのかしら......」

 そして額に青筋を浮かべ、もう女の子がしてはいけないような怒りの形相で俺を見たエリス。
 あれは流石にやりすぎた......けれど、エリスは俺を衛兵に突き出したりはしなかった。

 俺が追い出されたのも、そこそこ金が溜まって再出発できる程度に貯金が溜まってからのことだ。
 これもきっと、偶然というわけではなかったのだろう。

 「ご主人様......」

 そんなことを考えていた俺に、上目遣いで何かを伝えようとするユエル。
 言わなくてもわかる。
 短い間ウェイトレスとして一緒に働いただけだろうけれど、ユエルはエリスに、随分と懐いていた。

 「エリスの治療院、買い戻そうか」

 「っ......! はい、ご主人様!」

 しばらく考えて、いくつか方法も思いついた。

 とりあえずするべきことは、今からユエルを酒場で働かせることだ。
 俺が一人で、自由に動くために。威哥十鞭王

 「ユエル、エリスの治療院を買うためには少しでも金が必要だ。あの慢性的に人手不足な酒場でちょっと働いてきて欲しい。夕方には迎えに行くからな」

 さて、パパッと解決してやりますか。

 「逃がすな! 追え! 俺達のシマでイカサマなんてしやがったこと、死ぬ程後悔させてやれ!!」

 「あの自信、怪しいとは思ってたが、やっぱりあいつやりやがった! 絶対逃がすな!」

 「くそっ、なんであんなに逃げ足が速いんだ! おいお前ら、あっちだ! 先回りしろ!」

 そしてパパッと解決しようとした結果――俺は今、追われている。

 金を稼ぐため、俺が向かったのは.......ちょっと怖い方々が経営する賭博場。

 一応公営ギャンブル以外が違法とされているこの国では、かなりアングラな場所だ。
 街の外れにある酒場、そこの二階にある賭博場では、多くの人々が顔を隠し、そして身元を隠してギャンブルに興じている......そう小耳に挟んだことがあった。

 そして、そこで開催されている、トランプのようなカードを使ったギャンブル。
 山札から引かれたカードの数字が、テーブルの上のカードよりも高いか低いかを当てるだけの、簡単なゲームである。
 還元レートの都合上、普通にやれば最終的には胴元が儲かるギャンブルではある、が。
 そう、俺には鑑定スキルという便利なスキルがあった。


 そして――当然のように、解析系スキルの発動を検知する魔道具にひっかかった。


 イカサマ対策は万全だったようである。

 「はっ......はぁっ......」

 足を止めるわけにはいかない。
 逃げ続けなければならない。

 あの時、掛け金を支払い、ハイか、ローかの選択を迫られたその瞬間。
 山札の一番上のカードを確かめようと、鑑定スキルを発動させたところで――けたたましい警報が店内に響いた。
 何らかの魔道具を確認するディーラー、そして、俺に向く視線。
 やましいところがありすぎた俺は、怪我を覚悟で即座に二階の窓から飛び降りた。

 そしてなんとか店からは逃げることができた。
 けれど、未だに怖い人たちに追われている。
 しかもこのままでは囲まれそうだ。

 足にひたすらヒールをかけながら、常に短距離走をするようなペースで疾走しているというのに、撒ける気がしない。
 違法なギャンブルに手を染めるチンピラの癖に、相当鍛えているようだ。
 俺が鍛えてないだけかもしれないが。
 ヒールのお陰で足はまだまだ持ちそうだが、このままだと呼吸が、呼吸がやばい。
 酸素不足は治癒魔法ではどうしようもない。

 「いたぞ! あっちだ!!」

 前方から、チンピラっぽい格好をした男達が走ってくる。老虎油
 後ろからも追われてるのに。

 ヤバイ、マジでヤバイ。
 で、出来心だったんです。
 でもきっと、出来心だったと言ってもあいつらはエリスのように許してはくれない。
 捕まれば間違いなく、肉体的な制裁が待っている。
 なんとか撒こうと路地を走り回ってはいるが、何しろ相手の数が多い。
 そろそろ追いつかれそうだ。

 「追え! 追えぇ!!」

 挟み込まれないように、脇道に入る。
 何か、何かないのか。
 逃げながら、アイテムボックスの中を探る。

 硬い金属の感触――メイスだ。
 ......駄目だ、戦っても勝ち目が無い、それにそもそも戦う気は無い。

 カサついた布地――血で汚れた修道服だ。
 ......捨て忘れていた。

 そして――ぷにゅっとした感触。

 これだ!
 再び角を曲がり、手に掴んだそれを、細い路地にバラ撒く。

 ――そう、スライムゼリーを。

 今まで売らずに溜め込んでいたスライムゼリー。
 それは細い路地を埋めるに十分な量があった。
 そしてしばらく走ると、背後から悲鳴と怒号が響く。
 きっとスライムゼリーを踏みつけてすっ転んだのだろう。

 持っててよかった、スライムゼリー。



 路地を曲がってスライムゼリーを設置し、また路地を曲がってスライムを設置する。
 そうやってスライムゼリーをバラ撒きながら街を走り続けることで、なんとかあいつらを撒くことができた。
 随分と長いこと走ることになったが、逃げ切った。

 ......けれど、今回は失敗だった。

 金を稼ぐどころか、掛け金を五千ゼニー、丸ごと失っただけだ。
 それにスライムゼリーの在庫も大幅に減ってしまった。
 少し考えればわかることだったのに、何故俺はこんなことをしてしまったんだろう。
 自分でも自覚できない程、焦っていたのだろうか。

 時間はある。
 金を稼ぐ手段も、まだ考えてある。
 次、次こそが本命だ。



 今度は、奴隷市に向かう。
 ユエルを見て思いついた手段だ。

 そう、俺は欠損した奴隷を買って、治して、売るだけで大金を稼ぐことができる。

 完全な金儲けのための人身売買、というのに少し抵抗があったため後回しにしていたが、まぁそこは買う奴隷を選べば良い。
 適当なおっさんを選べば俺の良心はさほど痛まない。麻黄
 おっさんなら、怪我を治してやっただけありがたいだろ、とでも思えるだろう。

 そして奴隷市に向かい――

 「欠損した奴隷なんて、普通は仕入れないからねぇ」

 「怪我した奴隷? うちはいないよ。ちょっとした怪我ならウチは専属治癒魔法使いがいるからね」

 「エクスヒールが使える? 冗談はよしなよ。あんたみたいなみすぼらしいのがそんな高位な神官なわけないだろう」

 ――見事にアテが外れた。
 奴隷市で大怪我をした奴隷はいないか、と散々聞いて回った結果、該当者はゼロ。

 どうやらユエルは随分と珍しい例だったらしい。
 奴隷商といっても、最初から商品価値が低い人間なんてそもそも仕入れないようだ。
 奴隷は所有しているだけで、維持費がかかるからだろう。

 無駄足だった。

 賭博場に行き、散々逃げ回り、奴隷市まできて収穫無し。
 かなりの時間を無駄にしてしまった。
 もうすぐ夕方だ。
 そろそろユエルを迎えに行かなければいけない時間だろう。

 今日が終われば、エリスの治療院の競売まで、あと六日しかない。

 「ご主人様!」

 俺が酒場に入るなり、駆け寄ってくるユエル。
 かわいらしいウェイトレスの格好だ。

 「ご主人様、今日もたくさんお金が貰えました! ......えっと、エリスさんの治療院を買う、んですよね? 私も、エリスさんに喜んで欲しいです。だから......」

 そんな健気なことを言って、数千ゼニーが入ったバンクカードを差し出すユエル。
 適当な理由を付けてユエルをここで働かせたわけだが、ギャンブルでイカサマして掛け金を丸ごと失ったばかりの俺としては、それを受け取ることにかなり罪悪感がある。

 「そ、それは、まだユエルが持っていてくれ」

 でも、その気持ちには応えたい。
 しかし、今日思いついた方法は二つとも失敗に終わってしまった。

 明日はどうしようか。
 迷宮に潜って、宝箱を探そうか。超強黒倍王
 宝箱には、高価な魔道具が入っていることも多いと聞いた。
 迷宮における、一攫千金の最たるものだろう。

 ......いや、でも、宝箱は今まで迷宮に潜っていて、一度も見かけたことが無い。
 一週間のうちにそれを見つける、というのは無理なような気もする。
 でも、それならどうすれば......。

 「おうシキ、ちょっといいか?」

 考えていると、声を掛けられた。
 ゲイザーだ。
 隣を見れば、エイトも居る。 
 ふとゲイザーの手を見れば、僅かに血が滲んでいる。
 用件は治療だろうか。

 「ゲイザー、どうした、怪我の治療か? ヒールは一回四百ゼニーだぞ?」

 「あぁ、これはただのかすり傷だから大丈夫だ。ここに来る途中、なんでか道にスライムゼリーが落ちててな、転んじまったんだよ」

 ......ご、ごめんなさい。

 「じょ、冗談だよ、俺がお前らから金を取るわけないだろ? ヒール」

 後でしっかり回収しておこう。

 「お、いいのか? ありがてぇな。けどまぁ、用件はそこじゃねぇんだ。前に地上まで送ってやった貸しを返してもらいにきたんだよ」

 「貸しを?」

 そういえば、送ってもらった代わりに次の迷宮探索に付き合うという話があったような気がする。

 「そういうわけだ、シキ。明日、一緒に迷宮に行ってもらうぜ?」

 「いいけど、スライム狩りか?」

 「まぁ、そうだが――」

 正直、スライム狩りはまた今度にして欲しいという気持ちもある。
 俺は今、一攫千金を狙いたい。
 が、ここで断るわけにはいかないだろう。
 借りがある上に、いつでも付き合うと言ったわけだし。
 それに、可能性は低いけれど、スライム狩りをしている最中にもしかしたら宝箱でも見つかるかもしれない。

 「――それなら俺達だけでもできるからな。ただのスライムじゃないぜ」

 エイトがニヤつきながら言う。
 ただのスライムじゃない、つまりは......。

 「ヒュージスライムだ」ペニス増大耐久カプセル

2015年5月25日星期一

休日

翌日の夕方、クーラタルの冒険者ギルドでアイテムを売り払うとき、受付の女性に声をかけられた。

「すみません。冒険者のかたですよね」

 なんだろうか。
 面倒なので否定しよう。挺三天
 と思ったが、思い直す。

 この冒険者ギルドの壁はいつも使っている。
 受付の女性もそれを見ているのだろう。
 壁を使って移転するのは冒険者のスキルであるフィールドウォークなのだから、俺も冒険者だということになる。

「ギルドには加入していないが」
「それは問題ではありません。実は北にあるハルツ公領で雨が続き、大きな水害が発生しています。救援物資の輸送に冒険者の力をお借りしたいのです。本日緊急の要請があったのですが、急なことで数をそろえられません。ぜひお力をお貸しいただけないでしょうか」

 災害救助か。
 俺は冒険者ではないので、できれば断りたいが、どうなんだろう。
 クーラタルの冒険者ギルドはこれからもほぼ毎日利用する。あまり身勝手だと思われるのはうまくないかもしれない。
 災害救助くらいなら参加しておくべきか。

 問題があるとすれば、インテリジェンスカードをチェックされるかもしれないことだ。
 インテリジェンスカードを見られたら、俺が冒険者でないとばれる。
 ギルドや領主がかかわっているなら、参加者の身元チェックくらいはあっても不思議ではない。
 危険は避けるべきだろうか。

「私たちなら大丈夫です」
「……えっと」

 ちらりと後ろを見やると、ロクサーヌに背中を押された。
 断る口実がほしかったのだが。
 空気の伝達に失敗したようだ。

 セリーは苦笑いしている。
 セリーの方は俺が冒険者でないから危ないということを分かっているのだ。

「ギルド員でないかたには明日一日で千ナールの日当も用意しています」
「それはどうでもいい。具体的にはどんな作業をやるのだ」
「洪水によって陸路の接続が途絶えた村々に物資の輸送を行います。冒険者であれば難しい作業ではありません。冒険者ギルドとの契約で安全面はハルツ公の騎士団が責任を持って請け負うことになっています。危険もありません」

 この世界では村などは多分かなりの程度自給自足だと思うが、それでも完全にというわけではないだろう。
 この世界に来て最初に目覚めた村でも、商人が荷馬車でベイルの町と物資のやり取りをしていた。
 交通網は現代日本より貧弱なはずだ。
 災害でも起これば、ずたずただろう。

 そこで冒険者の出番となる。
 フィールドウォークがあれば、道路がつながっていなくても物資を送ることができる。
 うまくできているらしい。

「うーん」
「エルフの中には人間を見下すような人もいますが、災害救助ですので参加者の種族や身元は問われません」

 おっと。身元は問われないのか。
 それは何より。

 まあ災害で困っているのだ。
 使える者なら誰でも受け入れるべきだろう。

 エルフが人間を見下すと何故参加者の身元が問われないのか、理屈はよく分からないが。
 思うに、ハルツ公領にはエルフが多いのだろう。
 だから人間の俺でも大丈夫だと。
 俺が迷っているのはエルフが多いためだと思われたのか。

 身元のチェックをしないのなら、参加しても問題はない。
 ワープは多分フィールドウォークの上位互換だから、インテリジェンスカードさえ見られなければ、厄介なことにはならないはずだ。
 災害救助のような緊急の要請の場合には、断った方がかえって目をつけられかねない。

「分かった。どうすればいい」
「明日の朝、朝食を取ってからゆっくりでいいので、ここに集合してください。物資を運ぶのに必要な人員はハルツ公の方で用意します。来られるのは冒険者お一人で結構です。アイテムボックスは多少空けてきてください。千個も運べれば十分です。物資を運んで、夕方前には終わるはずです」

 千個か。
 俺の場合探索者だけでは心もとないが、足りなければ武器商人か防具商人か料理人をつければいい。
 複数ジョブがあるので余裕でクリアだ。

 まあしょうがない。
 やらない善よりやる偽善。
 人助けというなら、やっておいた方が精神的にも楽だろう。


 家に帰り、夕食のときに予定を立てた。

「明日、俺は冒険者ギルドの要請で出かけることになる。早朝にクーラタルの迷宮へ入った後は、せっかくだから二人は休みにしよう。好きにすごしていいぞ。ロクサーヌはどうしたい」
「お休みをいただけるのですか?」
「そうしよう」
「ありがとうございます。そうですね。……うーん」

 ロクサーヌが考え込む。

「セリーは、図書館でいいか?」
「え? でもお金が」
「入館料と預託金くらいは出してやる」
「よろしいのですか?」

 不安げに訊いてきた。
 預託金は金貨一枚だったか。
 返ってくることが前提の預託金なら大丈夫だろう。
 入館料が金貨一枚ならさすがに俺もどうかと思うが。

「預託金がちゃんと返ってくるなら問題ない」
「あ、ありがとうございます」

 セリーが頭を下げる。
 弾んだ声だ。
 元々行きたいと言っていたからな。
 嬉しいのだろう。

「ロクサーヌはどうする。何でもいいぞ。明日になってから考えてもいいし」
「私もセリーのように早くご主人様のお役に立ちたいので、明日は迷宮に入って鍛錬をしようかと」VIVID XXL
「いやいや。ロクサーヌは今でも十分に役立っているから」
「ありがとうございます」
「できればしっかり休んで、危険なことはしないでもらえるとありがたい」

 迷宮に入って鍛錬とか、まじめすぎる。
 しかしロクサーヌ一人で迷宮に入ってもたいした鍛錬にはならないだろう。
 俺と一緒に入れば獲得経験値二十倍があるのだし、一人では上の階層にも行けない。
 上へ行って俺のいないところで危険な目にあってもらっても困る。

「そうですか。では、普段できない掃除などをして、家でのんびりすごしたいと思います」
「そうしてくれ。そうだ。小遣いを出すから買い物をしてくるといい」

 ロクサーヌは買い物好きだ。
 買い物なら楽しんでこれるだろう。

「お小遣いをですか」
「セリー、図書館の入館料は銀貨五枚もあれば足りるか?」
「私が聞いたときには百ナールでした」
「二人には明日五百ナールを渡す。好きに使ってくれ」

 明日の俺の日当が銀貨十枚だ。
 さすがにそれでは多いような気がする。
 災害救助なので相場より安いかもしれないが、一応は冒険者というスペシャリストを雇うわけだし。
 二人で俺の日当を半分ずつくらいがちょうどいいのではないだろうか。

「よろしいのですか」
「かまわない。ロクサーヌはずっとがんばってくれたしな。明日は羽を伸ばしてこい」
「ありがとうございます、ご主人様」

 あまりたくさん渡しすぎても増長されてしまうし、少なければ二人が困る。
 銀貨五枚なら、大きいものは買えないが、こまごまとしたものだとそれなりには買える。
 妥当なところだろう。


 その日の夜、二人は割と遅くまで話し合っていたようだ。
 楽しみで目がさえたのか。
 喜んでもらって、俺としても満足だ。

 朝は、いつもどおりきっちりとロクサーヌからキスをしてきてくれたが。

「おはよう、ロクサーヌ。いつも早いな」
「はい。朝一番の大切なお勤めですから」

 大切な役目だと心得てくれているらしい。
 なんか悪いような気はするが悪い気はしない。
 ロクサーヌに続いてセリーとも朝のキスをする。

「ありがとう。二人とも昨夜は遅かったみたいだが、大丈夫か」
「えっと。ご迷惑でしたか」
「いや。ぼんやり子守唄みたいに聞こえていた程度だから大丈夫」
「そんなに遅くまでは話していないので、問題ありません」

 クーラタルの迷宮にはちゃんと行き、朝食の後、解散となる。
 今日ニードルウッドが放ってきた魔法は一回のみ。
 ロクサーヌが華麗に回避した。
 だからなんであれが避けられるのかと。

 セリーは朝晩二回ミサンガを作っているが、今朝で四回連続空きのスキルスロットなしだ。

「じゃあ銀貨五枚ね」
「はい。ではセリーは入館料がありますから、三枚渡しておきますね」

 ロクサーヌに銀貨を渡すと、ロクサーヌがセリーと分けようとした。

「いやいや。セリーにはセリーで五枚渡しておくから」
「え? こんなにたくさん。よろしいのですか」

 どうやら、二人で銀貨五枚だと思ったらしい。

「大丈夫」
「ありがとうございます」
「図書館の入館料はそんなにしませんけど」
「セリーも、一日いればのども渇くだろうし、好きに使え」

 セリーにもいって聞かせる。
 銀貨五枚は多かっただろうか。
 基準がよく分からない。

 ベイルの宿屋の一番安い部屋でも食事つき三百ナールくらいはした。
 いいホテルの豪華な部屋なら一泊五百ナール以上はざらだろう。
 それなりのところに泊まってそれなりの食事を楽しもうと思えば、銀貨五枚では心もとない。
 悪くない数字ではないだろうか。

「外套を着た方がよろしいのではないですか?」

 考えていると、セリーが忠告してきた。
 何故?
 と思ったが、そうか。
 クーラタルでは雨は降っていないが、洪水だというのだから現地は雨か。

 気づかなかった。
 当然雨だろう。
 洪水の災害救助に雨具も持たずに行ったのでは、何をしに来たんだといわれかねない。
 危うく恥をかくところだった。

「そうだな。ありがとう」
「ではご主人様」

 ロクサーヌがタンスの奥から外套を出してくる。
 しまいこんだままになっていた外套だ。
 換わりに家の鍵をロクサーヌに渡した。福潤宝
 ワープばかり使っているのでこちらもほとんど使っていない。

「では行ってくる」
「いってらっしゃいませ」

 外套を羽織り、ロクサーヌを置いてセリーと二人で帝都に赴いた。
 冒険者ギルドで場所を聞き、図書館に行く。

 帝都の図書館は、大理石かなんかを使った白亜の建物だった。
 大きくて優美な建築物がそびえ立っている。
 立派なものだ。
 堂々たる殿堂といっていいだろう。

「すごいです」
「確かにすごいな」

 見上げて感嘆しているセリーに同意してやる。
 日本でいえば、バブル期に地方自治体がとち狂って建てた外見だけ立派な公共施設、みたいな感じがちょっとしないでもない。
 帝都だから外見だけということもないだろうが。

 中に入ると、広いロビーがあった。
 横の壁からは冒険者たちが出入りしている。
 あそこからフィールドウォークで飛べるようだ。

 すぐ奥に受付がある。
 入館料などもそこで徴収されるらしい。
 その向こうには机が置いてあって、閲覧室か何かになっていた。
 銀貨五枚と金貨一枚を出し、セリーに渡す。

「ありがとうございます」
「夕方すぎに迎えに来るから、それまで自由にすごしていい。日が暮れる時間になったら、あの辺りにいれば分かるだろう」

 閲覧室の辺りを指差した。
 帝都はクーラタルより東にある。
 クーラタルが夕方前だと、こっちはちょうど日が暮れるころだろう。

「そうですね。分かりました」

 セリーが図書館の中に入るまで見送る。
 受付でお金を払い、無事入っていった。
 中に入ったのを確認し、図書館の壁からクーラタルの冒険者ギルドに飛ぶ。


 災害救助自体は、特に何の問題もなかった。
 まず公爵領の中心であるボーデの町に集められる。
 ボーデの町から、ハルツ公側が用意した冒険者の案内で地方の村々に飛ぶ。
 その村へ、今度はハルツ公の騎士団員をパーティーに入れて往復し、物資を運ぶという具合だ。

 人員も物資もハルツ公側がきちんと用意していたので、冒険者側にはあまりやることがない。
 フィールドウォークで飛ぶだけの簡単なお仕事だ。
 俺の場合はワープだが。
 宮城と村の建物を往復なので、外套すら必要なかった。

 アイテムボックスに入れられる兎の肉などを除けば、フィールドウォークでは物資は手荷物程度しか運べない。
 体を半分だけ移動して物資をやり取りする作戦も使わないようだ。
 いくどとなく往復する。

 アイテムボックスに入れる物資の数だけは、きっちりと確認された。
 別にくすねようと思ったわけではない。
 騎士団員が一緒だ。
 身元チェックがなくとも、変なことはできないだろう。

 宮城と村を十回くらい往復すると、ようやく休息となる。
 イスに座って休んだ。
 さすがにワープを二十回も連続で使うと、MPが減った感じがある。
 ぐったりとイスにもたれかかった。

 ハルツ公の騎士団員にはエルフが多いようだ。
 美男美女ぞろいである。
 どいつもこいつも。
 くそっ。イケメンは死ね。

 俺のパーティーの中に六十近い女性のエルフがいたのだが、これがまたふるいつきたくなるようないい女だ。
 色魔をつけていたらやばかったかもしれない。
 身元チェックはきちんとした方がいい。

 顔は美人で若々しいし、スタイルも細く、つくべきところには肉のついたメリハリのある体型を保っている。
 五十八歳でこれだよ。
 外見では年齢が分からないというのは相当に威力が大きい。
 ロクサーヌが五十八歳のときが楽しみだ。

 イスにもたれながらエルフのおばあちゃんの方をぼーっと眺めていると、奥の入り口から誰かが入ってきた。
 巡視だろうか。


ハルツ公爵ブロッケン・ノルトブラウン・アンハルト ♂ 35歳

装備 オリハルコンの剣 身代わりのミサンガ


 うわっ。
 公爵だよ。
 聖騎士だよ。
 オリハルコンの剣だよ。

 外套を着てフードをかぶっているので、顔は見えない。
 所在なさげにぶらぶらと歩き回っている。
 供の者も連れていない。
 城内だからだろうか。

 視察のためなのか、こっちにも来た。
 公爵の前で、こんな風にイスにだらしなくもたれかかっていていいものだろうか。
 まずいかもしれない。
 この世界の礼儀作法は分からないが、これはないんじゃないだろうか。

 あわてて立ち上がり、お辞儀をする。
 無礼打ちとか。
 怖すぎる。

「余のことを見知っておるのか。よい。しのびじゃ」

 公爵は俺のところにすばやく歩み寄ると、小声で耳打ちした。壮根精華素
 そういえば周りは誰も気にしていない。
 必要なかったようだ。

 なまじ鑑定があるせいで、失敗した。
 どうやらおしのびだったようだ。
 いいと言われたので、イスに座る。

「余のことをどこかで見たのか?」

 公爵も隣に座った。
 興味を引いてしまったらしい。
 外套を着てフードで顔を隠してしのびで来たのに、知らない人間にお辞儀をされたのではな。
 気づかない振りをしておけばなんでもなかった。

「あーっと。以前確か……」
「そうか」

 苦し紛れにごまかそうとすると、あっさり引き下がる。
 公爵くらいになれば、どこで誰に見られてもおかしくはないのだろう。
 引きこもりで領民に顔も見せたことがない領主とかじゃなくてよかった。

「閣下」

 誰かが走ってくる。

「いかんな。ここでは話もできん。ついて参れ」

 公爵が周囲を確認し、立ち去った。
 俺がお辞儀をしたので、少し注目を集めてしまったようだ。

 できればついていきたくないのだが。
 しかし公爵はどんどん進んでしまう。

「ハルツ公領騎士団長のゴスラーと申します。こちらにお越し願いますか」

 走ってきた人が俺に告げた。
 エルフだ。
 耳が尖っている。
 もちろんイケメンである。

 かっこいい。
 かっこいいだけじゃなくてかっこいい仕草が似合っている。
 かっこいいセリフとかも似合うに違いない。
 死ねばいいのに。


ゴスラー・ノルトブラウン・アンハルト ♂ 46歳
魔道士Lv61
装備 ひもろぎのスタッフ 身代わりのミサンガ


 さすがは騎士団長。
 レベルが高い。
 しかも魔法使いですらない。
 上級職ということだろうか。

「了解」

 その騎士団長からかっこよく頼まれたのだ。
 行かないわけにはいかないだろう。
 断ることもできないこんな世の中じゃあ。

「しばらく冒険者殿をお借りする」
「かしこまりました」

 騎士団長は俺と一緒に物資を運んだパーティーメンバーに伝達している。
 俺は公爵を追いかけた。
 公爵は部屋を出ると廊下をずんずんと進む。

 ところどころにかがり火もあるが、廊下は暗い。
 迷宮の洞窟よりも暗いだろう。
 どこの馬の骨とも分からない冒険者に背中を見せて大丈夫なんだろうか。
 実際、冒険者ですらないし。

 しばらく進むと、公爵が扉を開けて奥に入った。
 中は、広くはないが絨毯敷きの豪華な部屋だ。
 奥に机とイス、手前にはテーブルとソファーが置いてある。
 どこかの社長室みたいな感じだ。

「余の部屋じゃ。自由にかけてくれ」
「きょ、恐縮に」

 なんだっけ。
 麗しき御尊顔を拝し奉り恐悦至極にナンチャラカンチャラ。

 手前側のソファーに腰かけた。
 公爵は外套を脱ぎ、執務机のイスに座る。

 エルフだ。
 イケメンだ。
 無駄にかっこいい。

 こんなときどんな顔をすればいいか分からない。
 死ねばいいと思うよ。

「余のプライベートルームだ。礼儀を気にすることはない。普段どおりの口調でかまわぬ」
「か、かしこまり」
「余も堅苦しい言葉は嫌いじゃ。ことさらに丁寧な言葉を使う必要はない」
「はい。ありがたく」

 余とか言っている時点でどうなのよ。
 まあ、そう翻訳されているだけだが。

「このたびの領内の災害救助への合力、かたじけない。余からも礼を申す」
「いえいえ」
「今年は雪融けが少し遅いようじゃ。春の大雨のシーズンと重なってしまい、例年より被害が大きくなってしまった」

 なるほど。
 雪融けの増水が毎年あるわけか。
 だからこそ、援助物資などもきちんと用意されていたのだろう。

「失礼いたします」

 公爵と話していると、ノックの音がしてさっきの騎士団長が入ってきた。

「ゴスラーか。おんみも座れ」
「はっ。このたびのご助力に感謝いたします」

 騎士団長が俺に頭を下げ、向かいに座る。唐伯虎

「冒険者を公爵の部屋に招き入れてよかったのですか」

 騎士団長に確認してみた。

「城内なら呼べばすぐに誰か駆けつけます。公爵も私も身代わりのミサンガを着けております。不意の一撃は喰らったとしても、暗殺は難しいでしょう」
「なるほど」

 誰かに狙われたとしても、一発めは身代わりのミサンガが肩代わりする。
 護衛が防がなければならないのは二発め以降だ。
 SPのありようも変わってくるのだろう。
 宮城内では常に張りついている必要はないということか。

「余ら貴族は領内の迷宮を駆除する責務を負っておる。不意の一撃を喰らってしまうのはともかく、正面から打ち合って簡単にやられるようでは爵位は保てん。どうじゃ? 狙ってみるか」
「いやいや」

 何を言い出すんだろうか、このイケメンは。
 確かに死ねとは思ったが。

「優秀な冒険者と聞き及びました。閣下に勝てるかもしれません」
「別に優秀ということは」
「優秀なのか?」

 否定しようとしたら、公爵がかぶせてきた。
 ただのお世辞だから。

「ターレの村への物資輸送をすでに終えてしまったそうです」
「ふむ。ターレへか」
「ターレというのは領内ではここから一番遠くにある村です。遠くの場所へのフィールドウォークは大変です。事実、ターレの村への輸送は三人の冒険者にお願いしましたが、残りの二人はまだ半分も終えていないそうです」

 騎士団長が俺に説明する。
 あれ。終わりだったのか。
 だから休憩したのか。

 騎士団長の説明から考えるに、多分フィールドウォークは距離に応じて消費MPが変わるのだろう。
 遠くに行けば、それだけMPを使う。
 休み休み往復するのが普通なのだ。

 ワープの消費MPは距離依存になっていないのか。
 あるいは、冒険者じゃなくて探索者兼英雄兼魔法使い兼武器商人兼防具商人兼料理人の俺は普通の冒険者よりもMPが多いのか。
 少なくとも魔法使いをはずせば、最大MPはかなり減るだろう。

 無駄にいろいろジョブをつけすぎたか。
 英雄は、はずそうかとも思ったが、万が一のためにつけておいた。
 いきなり襲われたときにもオーバーホエルミングが使える。
 魔法使いをはずすという発想はなかった。

 体力中上昇などの効果がパーティーメンバーに効いてくることも考えたが、俺自身も含め、ロクサーヌもセリーも普段は何も自覚していない。
 だから問題はないはずだった。
 思わぬところに落とし穴が。

「その方は人間族であろう」
「あ、はい」
「人間にもなかなか優秀なものがおるようじゃ」

 公爵様誤解してまっせ。

「はっ。確かに優秀です」
「どうじゃ。余の騎士団に入るつもりはないか」
「いえ。まだ修行中の身ゆえ」

 あわてて断る。
 冒険者じゃないのに冒険者で雇われても困る。
 大体、エルフは人間を見下しているんじゃなかったのか。

「そうか。仕方あるまい。何か困ったことがあったら、騎士団長のゴスラーを訪ねてくるといい。エルフの中には人間を見下す輩もおる。助けになろう。こちらからも何か頼むことがあるかもしれん」

 元々冗談のつもりだったのか、あっさりと引き下がった。
 淡白な公爵のようだ。
 よかった。
 さすがに公爵ともなると人間を見下すことはないのか。

 公爵や騎士団とのつながりは、決してマイナスにはならないだろう。
 もう少し早ければ、妨害の銅剣を売りつけることができたかもしれない。

「では。まだやることがあるかもしれないので、この辺で」

 適当に話を打ち切って立ち上がる。
 長話をしてボロを出してもたまらない。

「引き止めて悪かったな。許せ」
「あなたの本日の活動は終了です。お帰りになってもらっても結構です」

 本当に終わりのようだ。
 俺は騎士団長に元いた部屋まで見送られ、ハルツ公領を後にした。


「お帰りなさいませ、ご主人様」

 予定より早く、昼過ぎには帰った俺を、ロクサーヌが迎えてくれた。
 メイド服姿で。

 イヌミミメイドである。
 可愛らしい。
 恐ろしく可愛らしい。

「た、ただいま、ロクサーヌ」
「はい。早かったのですね」

 あの日、最初にロクサーヌを見たときと同じスタイルだ。
 いや。確かあのときは帽子を着けていた。
 つまり初めて見るイヌミミメイドだ。

 下はメイド服、顔は美人、上はイヌミミ。
 柔らかいタレミミがふにゃんと乗っている。
 顔は、俺を見て輝くばかりの笑顔を作ってくれている。
 全身を布地の多い清楚なメイド服が包んでいた。

 優美な衣装は、それでいてその下に隠した淑やかなしなやかさをはっきりと伝えている。
 楚々として柔らかく、弾力がありそうだ。
 白いエプロンのフリルがなだらかに曲線を描き、おおった胸を隠してるんだか強調しているんだかわけの分からないことになっていた。

「思ったより早く済んだ」
「さすがご主人様です」

 ロクサーヌが後ろに回り、外套を脱がしてくれる。
 なんかこそばゆい。

「ありがとう。でもなんでその服?」
「いけませんでしたか? 掃除などの家事をするときの服と聞きましたので」

 間違いではない。
 間違いではないが、何か間違っている。
 外套を前で抱えて持つと胸が大変なことに。

「可愛くて似合っている」
「あ、ありがとうございます」

 可愛い。
 とても可愛い。
 ものすごく可愛い。

 しゃぶりつきたい。
 むさぼりつきたい。
 どん欲に喰らいつくしたい。

 生理中なのでむちゃくちゃにできないのが残念だ。
 せめてハグくらいなら許されるだろうか。
 ロクサーヌを軽く抱き寄せた。アリ王 蟻王 ANT KING

2015年5月23日星期六

流される

騎士団員によって鏡が片づけられ、木剣が何本か用意された。
 ここでやるのか。
 確かに何もない広い部屋ではあるが。

 公爵はロクサーヌに試合をさせるためにこの部屋で俺たちを迎えたということだろうか。COLT LC 正品 芳香劑
 抜け目がない。
 初めからそのつもりだったんじゃねえか。

 ロクサーヌも腰のレイピアとネックレスをはずし、セリーに預けている。
 完全にやる気だ。

「無理して怪我などしないようにな」

 しょうがないので許可を出した。
 本人がやると言っている以上、止める理由がない。

「はい。ありがとうございます」

 ロクサーヌが木剣を選ぶ。
 片手剣だ。
 木の盾も騎士団の方で用意してくれた。

 盾を準備してくれるのはありがたい。
 アイテムボックスからロクサーヌの盾を出さないですむ。
 せっかくアイテムボックスを使わないようにしているのに、水の泡になるところだった。

 ロクサーヌと聖騎士が部屋の中央に向かった。
 距離をおいて向かい合う。

「では」

 聖騎士が一声合図をして駆け寄った。
 両手で持った木剣を振り下ろす。
 聖騎士の方は両手剣を使うらしい。
 ロクサーヌが剣を合わせて受け流した。

 間髪をいれずに次の一撃が飛んでくる。
 ロクサーヌはわずかに上半身をそらせてかわした。
 その後も聖騎士による怒とうの攻撃が続く。

 聖騎士が剣を振り回した。
 右から左へ、左から右へ、右上から左下へ。
 左上から右下に斬り下ろし、そのまま反転して右下からなで上げる。
 結構早く、それ以上に力強い攻撃だ。

 ロクサーヌはそのすべてを最小限の動きでかわした。
 かわす、かわす、空振りさせる。
 肩や腰、ときには足を使い、ミリ単位の正確さで剣の軌道からそれる。
 ロクサーヌも剣を突き出すが、聖騎士が弾いた。

 弾いた隙をついて聖騎士が大きく踏み込む。
 胴をなで斬りにした。
 ロクサーヌは測ったかのように同じだけ下がってかわす。
 聖騎士の剣が空を切った。

「それまで」

 公爵の声がかかる。
 ここまでか。
 俺は安堵の息を吐いた。

 試合時間はあまり長くなかったと思う。
 緊張で短く感じたのかもしれないが。
 聖騎士の攻撃を完璧にかわしきったから、ロクサーヌの実力は分かっただろう。
 とりあえず怪我がなくてよかった。

「ありがとうございました」
「ありがとうございました」

 二人が後ろに下がり、剣を収める。
 ロクサーヌはすぐにこちらにやってきた。

「ロクサーヌ、よくやったな」
「はい。ご主人様に恥をかかせずにすみました」

 別に負けてくれてもよかったのだが。
 公爵に目をつけられるくらいなら。PPP RAM芳香劑

「やはり強かったな」
「は。届きませんでした」

 引き上げてきた聖騎士は公爵と話している。

「さすがでした。完璧に見切っていたようです。やはりこういうのは自分の目で見ませんと」

 ゴスラーが声をかけてきた。
 原因はおまえか。

「ミチオ殿、よいパーティーメンバーをお持ちだ」
「自慢のメンバーです」
「さすがはミチオ殿のパーティーメンバーということか」

 公爵が俺の方にやってくる。
 いよいよか。

「閣下、そろそろ」
「うむ。そろそろ食事の準備も整うころだろう。参られよ」

 何か言われるかと思ったが、ゴスラーが声をかけると、公爵も同意し、先に部屋を出ていった。
 ロクサーヌがほしいとか言い出さないようだ。
 よかった。
 これもゴスラーのおかげだろうか。

 俺たちも公爵の後に続く。
 廊下を進み、公爵が扉を開けさせると、ホールのような広い部屋が現れた。
 部屋の真ん中にでかいテーブルが置かれている。
 テーブルの上にはいくつもの料理がところせましと並んでいた。

 部屋に入ってすぐのところに、カシアとその両脇に二人の女性が控えている。
 夕食会のせいか今まで会ったときよりも少しめかしこんでいるようだ。
 美しい。

「お待ちしておりました。ようこそおいでくださいました」

 俺たちが入っていくと、カシアが頭を下げた。
 明るい水色のドレスを着ている。
 よく似合っていた。
 カシアなら何を着ても似合いそうだが。

 ローブ・デコルテみたいな露出のあるものではないが、そういうのが正装というわけでもないのだろう。 
 両脇の二人も、ほぼ同様のドレスだ。
 カシアを引き立てるかのようにシックな紺のドレスとエンジのドレス。
 二人も美人のエルフだが、カシアの美しさは一つ抜けている感じがする。

「ミチオ殿のパーティーメンバー、ロクサーヌ、セリー、ミリア、ベスタじゃ」

 公爵が名前を言った。
 あら。
 すげえな、公爵。
 さっきので覚えたのか。

 ロクサーヌはともかく、他の三人は一回しか名前を言っていないはずだ。
 実は鑑定でも持っているのだろうか。

 田中角栄という人は、すべての国会議員の顔と名前と選挙区と当選回数、またキャリア官僚の入省年次を記憶していたという。
 覚えておけば、当選回数が何回ならそろそろ大臣、省に入ったのが何年ならそろそろ局長、次官レースは誰と誰がライバル、というのがすぐに分かる。
 それと似たようなものか。
 人の名前を覚えるのも、貴族に必要な能力なのかもしれない。

 公爵が続いてカシアと両脇の二人を俺たちに紹介する。
 「余の妻のカシア」と強調したように思えたのは気のせいだろう。
 両脇の二人のうちの一人はゴスラーの奥さんらしい。情愛芳香劑 ROCKER ROOM RUSH

「剣をお預かりいたします」

 城の使用人らしき人が声をかけてきた。
 俺以外の四人が渡す。
 預けるのだったら、俺も持ってくるべきだったか。
 別にどうでもいいか。

 ゴスラーも剣を渡した。
 公爵は、テーブルの向こうに回り、護衛の人に剣を預けている。

「ミチオ殿も皆も、座られるがよい。まずは食事にいたそう」

 公爵がイスに座った。
 テーブルの向こう側の左端のイスだ。
 イスは片側に六個ある。
 パーティーメンバー用ということだろう。

 ということは多分、俺は公爵の向かい側に座るべきだ。
 公爵の対面に座る。
 俺の隣にロクサーヌ、以下セリー、ミリア、ベスタと並んだ。

 向こう側は、公爵の隣にカシア。
 その隣にゴスラー、ゴスラーの奥さんと並んだから、俺の判断であっているだろう。
 セリーも何も言ってこないし。

「お飲み物はお酒にいたしますか」

 使用人が恭しく聞いてくる。

「ハーブティーか何かがあれば」
「かしこまりました」

 酒はまずい。
 酔って変なことでも言い出したら大変だ。
 城の使用人は全員に飲み物を尋ねていく。
 こっちはセリー以外は酒にしないようだ。

「それでは、ミチオ殿とそのパーティーメンバーを招いての饗宴を始めたい。よくいらしてくれた。今日は存分に食べ、楽しんでもらいたい」

 公爵の挨拶で夕食会が始まった。
 料理は、随時運ばれてもくるが、最初に置かれてあったものがメインのようだ。
 できたてアツアツのものより、スタート時における見た目の豪華さ重視ということだろうか。

 魚料理もあるのでミリアも安心だ。
 ロクサーヌは、向かい合ったカシアと無難な世間話をしている。
 コハクのネックレスがどうとか。
 これなら問題なくすみそうか。

「今はどの辺りで戦っていらっしゃるのでしょう」
「はい。ハルバーにある迷宮の二十四階層です」
「それはなかなかでいらっしゃいますわね。私どもも負けてはいられません」

 などと、機密情報なのか機密ではない情報なのかはダダ漏れだったりするわけだが。
 まあそのくらいはしょうがない。
 内密にと申し渡したことはロクサーヌも口にしていない。

 俺も話題を選びながら公爵と会話した。
 なるべく無難な話題を。
 気を使いながら料理も食べていく。

「これは?」

 カエルの解剖標本みたいな料理があった。
 そのまま焼いただけの。

「今日のために用意したつぐみの丸焼きじゃ」
「おもてなし用の高級料理ですね。最高級の食材とされています」正品 RAVE 情愛芳香劑

 公爵が答え、ロクサーヌが教えてくれる。
 両生類じゃなくて鳥類だったのか。
 ゴスラーはナイフも使わずに手で持ってかぶりついていた。
 丸かじりするものなのか。

 俺も食らいつく。
 魚醤のタレを使った焼き鳥という感じだ。
 柔らかい肉が口の中でほぐれた。
 なかなかの味だ。

 ただしあまり食いではない。
 骨ばっかりで。
 本当に丸焼きだ。

 つぐみの丸焼きはすぐに食べ終えた。
 その後も食事が続く。
 最初は警戒したが、普通に食事会か。
 公爵には、少なくとも今日すぐにどうこうという思惑はなさそうだ。

「ミチオ殿、少しよろしいか」

 テーブルの上の料理も減ったころ、公爵が立ち上がった。
 手にコップだけを持っている。
 俺もハーブティーの入ったコップを持って立ち上がった。
 横の方に連れて行かれる。

「何でしょう」
「ミチオ殿は帝国解放会というのを知っておられるか」
「いいえ」

 何かの怪しい地下組織みたいな名前だ。
 公爵も声を落としている。
 聞かれたらまずい組織なんだろうか。

「迷宮に入って戦う者の相互扶助を目的とした団体じゃ。迷宮や魔物からの解放を目指しておる」
「なるほど」

 それで解放会か。
 帝国からの解放を目指す組織というわけではないようだ。

「皇帝に直属する帝国騎士団の母体ともいえる。その帝国解放会にいずれミチオ殿を招請したいと考えておる」
「帝国解放会ですか」
「迷宮に入って功を立てようとするならば、入っておいて間違いがない。パーティーメンバーの実力も見させてもらった。ミチオ殿ならば、余も自信を持って推薦できる」

 ロクサーヌに試合をさせたのはそのためだったのか。
 ロクサーヌがいれば推薦しても恥はかかないと。
 確かにロクサーヌだし。

「実力がいるのですか?」
「迷宮で戦う者の相互扶助が目的じゃ。戦えない者を入れても仕方あるまい」
「それはそうですね」
「帝国解放会に入れば様々な援助を受けられる。任意だが入っている迷宮を伝えれば、迷宮を倒したときすんなりと承認を得られやすい。帝国解放会では装備品の売買も行っている。また迷宮に関する情報などを得ることもできよう」

 公爵が推してきた。
 いろいろとメリットはあるようだ。蟻力神
 そうでなければ誰も入らないだろう。

 装備品の売買というのは魅力かもしれない。
 武器屋にはオリハルコンの剣などは置いてない。
 オークションでは空きのスキルスロットの確認が難しいし。

「装備品の売買ですか」
「売買には多少の制限もあるがな。入会したことでデメリットが生ずることはない。義務や禁則事項もほとんどない。すべての人々の解放を目指しているので異種族に対する差別が禁止されているが、これはミチオ殿なら問題はあるまい。その他には、会で得た情報やメンバーについての守秘義務が課せられることくらいか」

 禁則事項があるのか。
 守秘義務くらいはしょうがない。

「それくらいなら」
「そうであろう」
「しかし何故?」

 何か落とし穴がありそうで怖い。
 問題は、公爵が何故俺を推薦しようとするのかだ。

「ミチオ殿ほどの力があるならば遅かれ早かれ入会することになる。推薦者になるのは当然のことじゃ。ミチオ殿ならば、いずれ迷宮を倒して貴族に列せられることにもなろう。パーティーメンバーの実力から申しても」
「貴族ですか」

 早いうちにつばをつけておこうということだろうか。
 この世界では迷宮を倒せば貴族になれる。
 公爵としては、俺に迷宮を倒す力があると判断したわけだ。
 ロクサーヌの試合を見ただけで。

 いや。力というよりは可能性か。
 万が一にもなることがあるかもしれない。
 多少の助力ならしておいて損はないということだろう。

「しかしミチオ殿が二十四階層で戦っておられるというのはちょうどよかった。帝国解放会の入会試験は、余の推薦があれば二十三階層で受けられる。十、十一階層辺りで戦っておると聞いておったのだが」

 ロクサーヌが今は二十四階層で戦っているとばらしたのはまずかったか。
 ゴスラーに会ったときには十階層と十一階層に送ってもらった。
 その情報も抜かりなく把握しているらしい。

「あれはまあ様子見も兼ねて」
「なんにせよ好都合じゃ。申請は余の方から出しておこう」
「入会試験というのは?」
「二十三階層のボス部屋を突破する実力があるかどうか、確認するだけじゃ。二十四階層で戦っているなら問題はあるまい」

 公爵はどんどんと勝手に話を進めていく。
 大丈夫なんだろうか。
 流されるままではまずいような気がする。
 かといって、断るべき理由もない。

「うーん」
「何も難しく考えることはない。すぐに申請しても話が通るまで十日近くかかるであろう。ミチオ殿には十日後にまた来ていただきたい」

 あと十日あれば、俺は冒険者のジョブを取得できる。
 それなら問題はないか。
 いや。本当に問題ないのだろうか?芳香劑

2015年5月21日星期四

重複衝動

トグル地方の特徴の一つとして、太陽の恵みがある。
 言い換えれば日差しが強い土地なのだが、熱砂に囲まれた砂漠というわけではなく、適度な雨量によって緑豊かな環境が保たれているそうだ。
 農作物の生産には向いているかもしれない。sex drops 小情人

「だから帝国は支配下に置こうとした?」
「すぐ傍に小さな国があって豊かな暮らしをしていたら、欲しくなる気持ちもわからないでもないけどね~」

 レンが飄々とした態度を崩さずに両手を空中でひらひらと上下させる。

「あ、だからトグル出身の人は肌の色がちょっと違うのかな」
「ん? ああ……おたくは確かに肌が薄いね。日差しが強い土地で暮らすに従ってこんなふうになっていったんだろうさ。そういえばレイ姉はもっと肌が白ければ良かったのにとか嘆いてたことがあっ――ハゥッ」

 ふたたびレンが沈黙した。

「黙りな」

 レイが弟を黙らせる工程としては、まず殴る。そんな光景もちょっと見慣れてきたが、レン自身もどこかそれを楽しんでいるようだ。実際笑えないぐらい痛そうだけども、これは姉弟のスキンシップの一つなのかもしれない。
 ……上級者である。
 結局、レンが話を再開するまでに数秒を要した。

 トグルが昔は小さな国だったという話はさっきレイから聞いた。帝国の支配下に置かれてからは、国を治めていた王がトグル地方の領主という地位を与えられ、納めるものを納めてきたというわけだ。帝国に攻められた際に大きな争いに発展しなかったのは不幸中の幸いというやつだろうか。
 争いを好まなかった王は、その後も温厚な領主としてトグル地方を繁栄させるために尽力したという。
 だが、温厚な人間の子孫がみんなして穏やかな性格を引き継ぐとは限らない。なかには過去の帝国の横暴に不満を抱く者もいるだろう。不満はやがて怒りに変わり、怒りの感情は行動を起こす原動力にもなり得る。
 ふたたびトグルを国として独立させようと考えた男は、武器や兵を集め始めたのだ。

「なるほど。腹を立てる気持ちはちょっとわかるよ。暴力に訴えられて土地を奪われたんだもんな」

 ご先祖様が土地を無理やり奪われて、自分の代まで搾取され続けてきたと知ったら……俺はどうするだろうか。短絡的な思考だが帝国を滅ぼそうとするだろう。
 目には目を、歯には歯を。支配には支配を。
 やられたらやり返す。
 ……とまあ、このような考えをしてしまう俺は子供なんだろう。間違っているとは思わないが、そんなことをすれば世の中は争いで満ちてしまう。そこで踏みとどまるのが大人の対応ってやつだ。
 俺はやるけど。

「あはは。そう言ってもらえると、なんだかちょっと嬉しいよ」
「ん? なんでレンが嬉しいんだ?」
「そうだなぁ……戦力を蓄え始めたトグルの領主には、妻と三人の子供がいたんだ。妻は夫の考えに反対でね。冷静になってみれば無謀なことをしようとしてるのは明らかだからさ」
「レン。もうそのぐらいでいいでしょ」

 静観していたレイが弟の話を止めようとする。
 だが、レンのほうは止めるつもりはないようだ。

「三人の子供のうち、娘は母親にベッタリでね。当然ながら母親の味方だったわけ。強引に計画を進めようとする夫に反対して口論する妻の姿っていうのは、娘にとって辛かったんじゃないかな」
「いい加減に――」

 レイが声を荒げそうになった瞬間――またもや見張りの兵士がこちらへと近づいてくる。
 どうやら今度はレイのほうを試合に参加させるようで、重苦しい音とともに開いた格子からレイを連れ出そうとする。K-Y

「触らないで。自分で歩けるから」

 肩に触れられていた手を嫌そうに払った姿は、それが自分でなくてよかったと思わされるほどだ。見張りの兵士の心が大丈夫かと心配になる。
 弟の時とは異なり、レイは静かに試合会場へと足を運んでいった。

「――さて、と。止める人がいなくなったわけだけど。まだ聞きたい?」
「まあ……ここまで聞いたらね」

 了解の意を示すように頷いたレンは、鉄格子の向こう側で寝転がる姿勢をとった。

「えっと、どこまで話したっけ。そうそう……残りの息子二人はこれまた性質たちが悪くてね。兄のほうは歳が離れてるんだけど、とんだ遊び人でさ。毎日のように飲んで騒いで、女性を口説いてたわけさ。父親のやろうとしてることには無関心。関心があるのはどうすれば狙った女性とお近づきになれるのか。そこに種族の壁なんて存在しない……なんて、ね」

 レンは面白そうに笑っているが、静寂に包まれた牢屋内では不思議と寂しさを伴った声に聞こえる。

「でもまあ、弟にとっては執務に忙しい父親より遊び人の兄のほうが距離が近かったんだよね。色々と面白い遊びも教えてもらえるからさ……そんなわけで弟も父親には無関心になっていきました、とさ」
「家族内では父親の考えに賛同するような人間が周りにいなかったんだな」

 妻には反対されるわで、余計に引っ込みがつかなくなったのかもしれない。

「そそそ。だからさっきは嬉しかったんだよ。父親の気持ちに理解を示して賛同してくれたおたくの言葉がね」

 なんというか、どこから突っ込んでよいものだろうか。

「えーと。途中から明らかに登場人物の私情が入ってたんだけど。つまりはその……話にあった弟はレンってことでいいのかな」
「正解」
「じゃあ、娘っていうのが……レイ?」
「そう。レイ姉だよ」

 ちょっと待った。
 となればこの双子はトグルの領主の子供ということになる。それはつまり小国なれど元々は王族の血筋であるということだ。
 ええええ!?
 じゃあレイって血筋的にはお姫様なの!?

 お姫様とはすなわち、麗しい容姿はもちろんのこと、洗練された言葉遣いに礼儀作法、世俗と切り離されて育てられた深窓の令嬢である。人を疑うことを知らない清らかな瞳、可愛らしいペットを愛でる慈愛に満ちた眼差し。趣味の乗馬で鞭を振るう姿さえも優雅さに溢れていることだろう。
 これは俺の勝手なお姫様に対するイメージであるが、レイと重なる点は容姿が整っていることぐらい……いや、人間に対して鞭を振るう姿は様になっているといえるかもしれない。鞭を操って命令口調だなんて……それはもうお姫様ではなく女王様である。

「ちょいちょい、レイ姉にそれ言ったら殺されると思うよ?」

 しばし脳内で叫んでいた俺に対して、レンが静かに呟く。

「え……どの辺りから声に出てた?」
「レイ姉がお姫様なら、世の中の女性はみんな女神様だって辺りから」

 こいつサラッと俺より酷いこと言いやがった。

「いや、俺そんなこと考えてなかったよ。ってか、それはレンの意見だよね」

 俺の反応が面白かったのか、レンは寝転がった状態から上半身を起こして腹を抱えている。
 それにしても、だ。SPANISCHE FLIEGE D5
 仮に今の話が本当だとすれば、なんで領主の子供であるこいつらがあんな仕事をしていたのだろうか。
 そんな疑問を投げかけると、レンがふたたび身体を横にして応える。

「もう想像つくんじゃないかな?」

 想像、ね。
 娘であるレイが母親にベッタリであるという表現は、幼い子供に使うような言い回しだ。双子の年齢が俺と同い年の十八歳であるからして、先程の話はかなり昔の出来事だと思われる。
 ……となれば、父親の計画は失敗に終わったのだろう。
 トグルは今も独立できていないのだから。

「結局のところ、反乱を企てているのがバレて終わっちゃったんだけどね」
「終わった……て」
「文字通りに、終わりさ。父上と母上はオイラ達の目の前で処刑されたよ」
「そう、なんだ」

 ……ああ、すぐ相手に感情移入しそうになるのは俺の悪い癖だ。
 たとえ辛い過去があったからといって何をしてもいいわけじゃない。

「そんでもって領主の跡継ぎにはリク兄が指名されたんだ。リク兄が放蕩息子なのは有名だったからね。毒にも薬にもならないって考えたんだろうさ」

 ふむ。一族郎党が処刑される事態にはならなかったのか。
 遊び人であるという兄の名前はリク・シャオ。
 現在のトグルを治めている領主はこの人らしい。
 レンとレイについては、無理やり徴兵されるかたちで特務部隊に組み込まれることとなったのだとか。新しく領主となったリクが万が一にも変なことをしないように人質の意味も兼ねていたのかもしれないが、詳細はわからない。
 死ぬほど辛い訓練を経て部隊に配属されてからは、セルディオのもとで任務に就いていたという。

「レイ姉は母上が処刑されたのが一番ショックだったみたいでね。帝国に逆らうべきじゃないっていう母上の言葉通り、部隊では任務を忠実にこなそうとしてたよ」
「ああ、まあ……それはなんとなく前の事件で実感させてもらった。けど普通は帝国のほうを恨みそうなもんだけど」
「……どうだろう。そういうのは本人から聞いたほうが正確だと思うけどね」

 レンは会話に一区切りつけるかのように立ち上がり、衣服の埃を払う仕草をとった。

「さて、これでオイラ達の身の上話は終わりかな。他に聞きたいこととかある?」

 なんだろう。かなり重たい部類の話だったはずなのに、そこまで深刻な雰囲気にならないのはレンが軽い感じで話すからか。

「なんで……反乱の準備をしているのがバレたんだ?」

 そんな質問に、わずかばかりレンの顔色が曇る。

「それはオイラも知りたいね。レイ姉はリク兄が怪しいとか考えてるみたいだけど、オイラにはそう思えないからさ」

 兄と親しかった弟からすれば、そんなふうには考えたくないのだろう。

「最後の質問だけど――なんでこんな話を俺に?」

 レンは試合会場を窺うように小窓のほうに顔を近づけ、一言。

「聞いてほしかったからだよ」
「……答えになってない」

 だが、とぼけているふうにも感じられない。

「あ、ほら。レイ姉の試合が始まるみたいだよ。相手は……なんかローブを纏った男っぽいけど」

 なんだか話を逸らされた気もするが、レンの言葉を受けて格子越しに小窓から会場を窺うと二人の人物が目に映った。
 一人はレイで間違いなく、もう一人は――SPANISCHE FLIEGE D6



(むかつくむかつくむかつく)
 レイは試合会場に向かう途中、言葉には出さなかったが苛立ちを隠せなかった。
 なぜ弟はあんな男に過去の話をするのか。誰のせいでこんな場所に閉じ込められることになったと思っているのだろう。
 落ち着こうとしても、そういった感情が溢れてくるのだ。
 父親がしようとしていたことも、気持ちはわかるなどと言っていた。
 レイからすれば、最も憎むべきは帝国ではなく父親である。
 妻の制止の声を無視して無謀にも独立など考えるからあのような事態になったのだ。そんな父親を擁護するような発言を無関係の人間に言われると余計に腹が立つ。
 レイは自分が怒っている原因を分析することでなんとか冷静になろうと努めた。

 そういえば……あいつはメルベイルの領主の娘を救出に来た際『自分はやりたいようにやっているだけだ』と言っていた。外見は頼りない感じがするのに、変なところで自信満々な発言をして行動を起こす。さすがに八つ当たりだとわかっているが、そういうところも微妙に父親と重なる部分であり、レイの怒りを増長させていく。

「……やっぱりむかつく」

 試合に臨む前に感情を昂ぶらせるのはあまり褒められたことではない。レイはその言葉を最後にして、兵士から受け取った鞭を手に馴染ませたのだった。



 ――試合の相手はローブを纏っているため、表情が窺えなかった。
 レイは鞭の具合を確かめるように一振りしてから相手へ声を掛ける。

「見ていて暑苦しいのよ。さっさと脱いで観客に顔でも売ったほうがいいんじゃないの?」

 挑発にも似たレイの言葉に反応しない男であったが、一言だけ、

「罪人か。みすぼらしいものだな」
「は、ははは。あんたね……それは女性に使っていい言葉じゃないのよっ」

 ただでさえイラついていたのだ。沸点まで上昇するのは容易い。
 試合開始である鐘の音が響き、レイは鞭を構え直した。
 だが、怒りに任せて突進するほど愚かではない。ローブの下に武器を隠し持っているかもしれないため、距離は十分に確保する。
(……まずは小手調べ)
 レイの周囲に数本の氷柱が形成されていく。尖った先端に貫かれれば人間でさえ昆虫標本のようになるサイズだ。得意とする水魔法を攻撃に転用すればこんな芸当もできる。

「喰らいなっ」

 勢いよく放たれた氷柱は真っ直ぐに相手へと向かっていくが、どれも命中するには至らない。最後の一本も回避されてしまったが、そこで男は体勢を崩した。

「ぬっ……」

 片方の足首に鞭が巻きついているのだ。注意を下方に向けた瞬間、前方より飛来する氷塊が男を襲う。先程の氷柱よりもさらに大型の一撃。
 回避は不可能。

「これなら避けられないでしょ」

 タイミング的には、確実に命中するはずである。
 が、男が腕を大きく振るっただけで氷塊はあっけなく粉々に砕け散ってしまった。空気中に霧散する氷の粒が陽光を反射して消えていく。

「馬鹿力ね。それなら……」

 男が前に進み出ようとするも、今度は足が動かない。
 何が起こったのか? 男が視線をやると、鞭が巻きついていたほうの脚が氷に覆われてしまっていた。鞭を伝ってその先端に水魔法で氷を具現化させたのだろう。SPANISCHE FLIEGE D9

「これでどう?」

 レイの周囲に小さな氷の粒が形成されていく。いうなれば氷の散弾である。全方位から小型の散弾を喰らわせてやれば回避は不可能。

「――みすぼらしい格好にしてあげる」

 呟いたレイは、動けなくなった男へと容赦なく全弾を撃ち込んだ。
 硝子を踏み割るような音が連続的に響き、次々と繰り出される散弾が空気中に粉塵を撒き散らして霧と化していく。
 白霧の中心にいた人物は、まともに攻撃を喰らったとみて間違いない。

「ま、頑丈な身体してるみたいだから死ぬことはないでしょ」

 興味なさげに口にしたレイは、前方に注意をくばりながら考える。

 ――弟の言う通り、こんなところでいつまでも見世物になっているつもりはない。ワタシにはしなければならないことがある。

「リク兄……」

 呟いた言葉が宙空に溶けていくと同時に、何かが白霧から飛び出した。緑風が空気を押しのけるようにして一直線にレイへと駆けていく。
 草原の大地を思わせる鮮やかな緑の髪が風を連想させたのか。
 突き出された腕は両者の距離を一瞬にして無とするかのような速度で獲物を捕らえた。

「ぐ……ぅ……」

 喉元を掴まれたレイは身体が宙に浮く感覚で初めて自分がどのような状態にあるかを自覚した。わずかにしか呼吸できない息苦しさが、鼓動を加速させていく。
 紫紺の瞳で獲物を見据える男は、全くの無傷だった。ローブの切れ端が身体に付着しているところをみると、氷の散弾をまともに喰らったはずである。

「……負けを認めるか?」 

 低い声音が脅すようにレイへと向けられた。圧倒的な暴力を前にして抗える人間は少ない。抵抗すれば即座に命を奪われるだろう重圧が、身体を支配していく。
 薄れていく意識の中、レイはふと思った。
 帝国に無謀な戦争を仕掛けようとした父親は馬鹿だった。結果は見えているのだからと懸命に止めようとする母親を無視した男を、軽蔑していたといってもいい。
 自分が今の状況で取るべき行動は決まっている。負けを認めればいいのだ。
 そこで、レイは自嘲するような笑みを浮かべた。

「何を笑っている?」

 男の問い掛けに、返答の声が短く響く。

「認めるもんか。ばぁ……か」
「……そうか。ならば死して自らが犯した罪を贖うがいい」

 腕の筋肉が膨張すると、一気に締めつける力が強まった。息苦しいどころではなく、肺への酸素の供給が完全に絶たれる。それとは逆に心臓の拍動はさらに速まっていくようだ。
(苦しい……)

 ――この男は本気だ。おそらく次の瞬間には頚椎が砕け折れるだろう。
 闘技場で相手を殺すことが禁止されているといっても、罪人相手ならば厳格に遵守する必要もないからだ。
(白銀桃……美味しかったな)
 こんな状況でよくもそんなことを考えられるものだとレイは自分でも思う。
 味覚というのは時として過去の記憶を想起させる。
 甘い物が好きだった母や自分に、仕事で遠出した際などにお土産を買ってきてくれたのは一体誰だったか……?
(ああ、嫌なこと思い出した。やっぱりあいつ……むかつく)

「――終わりだ」

 男が一言だけ告げ、さらに腕を膨張させようとしたところで、レイの身体が重力に従って落下した。漆黒の軌跡を描く煌きが、男の腕があった場所を通過したからである。
 地面に投げ出されることなく、レイは誰かに抱きとめられた。
 呼吸が可能になったことで霞んでいた視界が次第に鮮明になり、それが誰なのかを理解する。

「は……あんた、なんで?」

 レイの問いにその人物は答えることなく、不服な顔をしている男に視線を送った。

「お前と戦うのはもう少し後だと思っていたのだが?」
「殺すのはルール違反でしょう」
「……お前がしたこともルールを遵守しているとは言い難いがな」
「俺が依頼されたのは、闘技場で目的の人物を倒すことですからね」

 レイが詳しい事情を知っているわけではないが、随分と強引な理論だ。ともすれば子供の我儘のようにも聞こえる。Motivator

 そういうところが――

「やっぱり、むか……つ」

 レイはそこで意識を失ったのだった。

2015年5月19日星期二

黒魔法

初めて歩く通路の先にあったのは、当然だが、初めて来た場所だった。
 そこは円形のホールで、これまで牢と通路と実験室、どれも狭苦しい印象を与える場所しかなかったので、やけに広々とした開放的な印象を与える。
 見回せば、先導してきたマスクはいつの間にか退室したようである。VIVID XXL
 さて、今日は一体どんな苦痛が待ち受けているのやら、この広いホールでダンスパーティでも催してくれれば良いんだが。
 全く、ツマンナイ冗談でも考えなきゃイカれてしまいそうだ。
 いや、いっそ発狂しちまった方が楽になれるのか?
 そんなことを考えていると、俺が入ってきたのとは別なホールの入り口が開き、ガチャガチャと音を立てながら通路の向こうから何者かがこっちへ向かってくるのに気がついた。
 現れたのは、すでに見慣れた白いマスクを被った男。
 だが、格好が今までのヤツとは違う。その全身を覆うのは、白マントではなく、鈍く輝くプロテクターだった。
 鎧、と言ったほうがより適切か。
「これより49番の機動実験を開始する。
 49番、目の前に現れる人形を、黒魔法を用いて破壊せよ」
 初めて実験の説明をされたな、それだけ俺の行動に実験結果が左右されるってことか。
 その実験ってのは、この短い台詞だけでも分かる、様は、俺に魔法を使えってことだ。
 わざわざ改造実験まで施して、俺なんかに魔法を使わせようってのに、どういう意味があるのかなんて分からんが、少なくとも、俺がゆっくり魔法の使い方に悩んでいる暇を与えてくれるほど、連中は優しくないってのは分かる。
 目の前に現れた鎧の男、ここは説明通り人形と呼ぶべきか、どういう原理なのは知らないがヤツラが不可思議な魔法を使って人間のように動かしているんだろう。
 そして、その不思議な動く人形は現在、歩いてきた時と同じようにガチャガチャと喧しい音を立てながら、俺へと向かってきている。
 これはつまり、さっさと魔法でぶっ壊さないと、俺があの鋼鉄のガントレットを嵌めた両腕でたこ殴りにされるってことだ!
「うおっ、危ねっ!?」
 人形は拳を振り上げて真正面から殴りにかかってきた。
 俺は、小学校低学年の時、苦労して作り上げた夏休みの工作をクラスメイトにおふざけで破壊された腹いせに顔面パンチくらわせた経験以降、殴り合いの喧嘩をしたコトは無い。
 勿論、格闘技に打ち込んだことも、秘めた戦いの才能なんてものも持ち合わせていない、体がデカいだけのただの素人だ。
 それでも、フェイント無しで真っ直ぐ放たれたパンチを、どうにか回避することくらいは出来た。
 当然だが、一回パンチを避けた位で攻撃が終わるはずも無く、人形は大振りだが連続でパンチを繰り出してくる。
「くっ、くそ-――」
 へっぴり腰で後ろへと逃げ続けるが、このままいけばあと数秒で壁際に追い詰められる。
 魔法を使え、とか言ってたが、使おうと思っていきなり使えるわけが無い。
 確かに、自分の体に魔力の存在ははっきり認識できるが、それをどうこうするには、もうちょっと意識の集中が――
「ぐあっ、痛っ!」
 肩口に人形の鉄の拳がヒットする。
 拳の硬さと衝撃で、一発で骨が折れるんじゃねぇかと思ったが、いざ一撃くらってみれば、思ったほどのものではない。
 勿論、痛いものは痛いのだが、もしかすると、俺が思っているより人形にパワーはないのか? それとも謎の改造によって変身ヒーローのように俺自身が頑丈になったか?
 ええい、どっちでもいい。
「おらぁ!!」
 お返しとばかりに、渾身の右ストレートを人形へとお見舞いする。
 人形は避けるそぶりも見せず、その白いマスクへと吸い込まれるように俺の拳は命中した。
 拳に伝わるインパクトの感触、鈍い衝撃音をあげ、人形は真後ろへと吹っ飛んだ。
「ど、どうだぁ……」
 かなり手ごたえのある感触だったが、人を殴った経験がほぼゼロの俺に、今の一撃がどの程度のダメージになるのかなんて見当はつかない。
 それでも、人形がぶっ飛ぶほどだ、このまま仰向けに倒れたまま、起き上がってこなければ――
「ちくしょう、そう簡単に倒れちゃくれねぇか」
 人形は苦も無く立ち上がる。
 が、マスクは俺のパンチを受けて大きなひびがクモの巣状に入っている。
 あの硬そうなマスクにひびが入るほどの威力だったにも関わらず、人形は平然としているところ見ると、破壊するには、やっぱり魔法でも使わなきゃダメってことか。
 人形とこのまま正面きって殴りあいをしても、埒が明かないのは確実だ。
 なら、ここはもっと本気になって魔法に挑戦してみるべき。
 ヤツラは俺が黒魔法ってのを使える前提で説明していやがった、ってことは、やってできないことはないはずだ。
 黒魔法ってのがどんなもんなのか、全然わからねぇが、兎に角、この体内に感じる魔力を、俺の意思で動かす。
 そのためには、結構な集中力が必要で……
「――ぐはっ!」
 攻撃を再開して連続パンチを浴びせてくる人形を前に、そうそう落ち着いて集中などできるはずもない。
 しばらく大人しくさせようにも、俺がパンチやキックで吹っ飛ばしたところで、どうせまたすぐ起き上がってくるのは間違いない。
 現に、もう何度か打撃を与えているが、身にまとう鎧が凹むだけで、人形には一向に効いた様子が見られない。
 だが、集中するためにはパンチを受けるわけにはいかない、今、この隠れる場所も逃げる場所も無いホールの中で、攻撃を受けずにいられる状態を作り出すには――
「組み付くしかねぇか」
 相手に密着すれば、少なくともパンチはされない。
 完全な素人考えで上手くいくかどうかも分からないが、今の俺には兎に角やってみるより他は無い。CROWN 3000
 運よく、この人形は今の今まで大振りのパンチでしか攻撃してこない、ということは、格闘技経験者のように多彩な技を身につけている可能性は低いはずだ。
 なら、背後から組み付けば、その体勢を華麗にひっくり返すような技なんてものは使わず、せいぜい俺を力ずくで引き剥がそうともがくくらいの抵抗しかしないだろう。
「でやぁあああ!」
 微妙に反応の鈍い人形の背後に回りこむのに、それほど苦労は無く、人形が振り返る前にその背中にヤクザキックを決める。
 そのまま前のめりに倒れた人形が、起き上がる前に俺はその背中へと飛び掛る。
 果たして、俺の目論見は成功だった。
 柔道の寝技のように綺麗に押さえ込むことは出来ていないが、ひたすら人形を上から押さえつけて起き上がらせないようにする。
 予想通り、人形は力ずくで起き上がってこようとするだけだ。
 俺と人形の力はほぼ拮抗している、このまま、あと10秒でもいい、この状態を維持できれば……
「ぐ、う、おおお……」
体中に魔力が循環していく、そして、その流れは加速度的に増大し、また量も増加する。
 いつかの実験で、体内に埋め込まれた物体が、流れる魔力に反応しているのも感じる。
 分かる、この魔力ってのは力そのもの、この勢いのまま外へと解放すれば、この人形を破壊できる程度の威力を確実にもたらす。
 気づけば、俺の体中から汗の変わりに黒い煙のようなものが吹き上がっている。
 それに不快感を覚えることは無い、なぜならソレは、俺の魔力が抑えきれずに体外へと迸っているものなのだから。
 ギギギギ、と人形が軋む音が聞こえ、抵抗の力が増す、そろそろ押さえ込んでいられるのも限界だ。
 けど、これで終わり、
「だぁああああああ!!」
 人形がついに俺を押し退けようとした瞬間、俺の右腕から圧縮した魔力が解き放たれる。
 右手の拳は、人形の背中を打つと同時、真っ黒い魔力の奔流がドリルのようにその硬い鎧を貫き、材質不明の人形の体も貫通せしめる。
 恐らく、人形の腹側にある床も、この一撃によって抉れているハズ、それだけの感触はあった。
「……」
 もう人形から一切の力は感じず、俺は立ち上がらずにそのまま床へと寝転がる。
「や、やったぞ……」
 今のが魔法、なんだろうか。
 良く分からんが、流れる魔力ごとパンチを放った、というだけだったが。
 まぁいいや、人形は完全に機能停止しているようだし、今は一安心だ。
――カシャン
「へ?」
 硬い金属の鎧が奏でる、人形の駆動音が耳に届く。
 人形は俺がこの手で確かに倒した、今も地面にうつ伏せのままでピクリとも動いていない。
――カシャン、カシャン、カシャン
 けれど、確かに聞こえるその音。
 そうだ、なにも不思議な事は無い。
 なぜならその音は、この人形が入ってきた扉の向こう側から聞こえてくるのだから。
 簡単な話だ、人形は一体だけじゃない、それだけのこと。
「……はは」
 ついに扉は開かれる。
 そうして、ホールへと雪崩れ込んで来る人形の列、その数合わせて10体、横一列に並んで俺へと向き直る。
 俺が倒した人形と同じ姿形だが、唯一違うところがあった。
 10体全員、片手に両刃の剣を携えている点である。
「冗談だろ」
 これまで、数々の実験とその後遺症によって、何度も死を覚悟したものだが、今ほど実感したことは無い。
 ゆったりとした動作で剣を構える人形達。
 そうして、全員一斉に、寸分狂わず同じタイミングで、俺へと凶刃を向けて踊りかかってきた。
「……ちくしょう」

地獄
 朝は7時に目を覚まし、8時には家を出て学校へ、居眠りすることも私語することも無くマジメに授業を受けて、放課後は部活に打ち込む、そして、夜7時には帰って日が変わる前には眠りに着く。
 そんな、健康で文化的な高校生活を、俺、黒乃真央くろのまおは毎日送っている。
 いや、送っていた、というのが今は正しい表現だ。
 俺はある日、部室で突然の頭痛に襲われ意識を失い、次に気がついた時には、なんだかよくわからない部屋にいた。
 そこで、俺の頭に針の飛び出る恐怖のリングが被せられた時から、想像を絶する地獄の日々は始まっていたんだろう。
 俺がこの謎の施設で目覚めてから、どれだけ時が過ぎたのか全く分からない。
 少なくとも、一ヶ月は過ぎてないとは思うのだが、日数単位では把握できていない。
 それでも、その間に分かった事は幾つかあった。
 まず俺は、例の爺を筆頭に、キリスト教みたいな十字マークがシンボルの集団によって、人体実験を受けているという事。
 今も頭にあるこの白いリングは、針によって俺の脳と物理的に直接繋がっており、これを通して俺の行動を支配している。
 爺やマスク共はただ念じるだけで、俺に死んだほうがマシな激痛を与えることが出来るのだ。
 さらに、俺の身体を完全に麻痺させて一切の行動を取れなくさせることも可能とする。
 外部から俺の精神を勝手に操作、制御できるのだろう。
 これがあるお陰で、俺は囚われの身でありながら、リング以外に手錠などの拘束具を用いられたことは一度として無い。魔鬼天使性欲粉
 激痛を伴う人体実験においても、俺の体を抑えておく必要性も無いのだ、抵抗はもとより、痛みでのた打ち回ることすらヤツラの意思一つで抑えることが出来るのだから。
 そして、俺に課せられた様々な人体実験というのは、単純に新薬の副作用の確認をするための治験みたいな生易しいモノではない。
 俺の肉体を頭の天辺から足先に至るまで、全てを改造するという、どこぞの悪の秘密結社と全く同じ事をやっているのだ。
 何よりも一番問題なのが、この改造実験は、オーバーテクノロジーな科学技術では無く、『魔法』によって成り立っているという点だ。
 まず、最初に俺の体に施された実験は、魔法の原動力となる魔力を宿らせることであった。
引き出す、と言ったほうが正しいのか、詳しいことは分からないが、この実験の結果、今では自分の内と外に、はっきりと魔力、としか呼ぶことの出来ないエネルギーを明確に感じ取るようになった。
 これだけ言えば、新たな力に目覚めたみたいで良いように聞こえるかもしれないが、この実験がこれまである中で最も苦痛を伴うものであった。
 体中の血管に、溶けた鉄でも流し込まれたような感覚で、しかもリングによって意識は強制的に保たれ気絶することは許されなかった。
 よく痛みでショック死しなかったものだと今更思うし、その後も体内に残存する熱のような感覚が収まるまで、えらく時間がかかった。
 この経験によって、俺はなによりもまず、魔力を行使して発現する『魔法』という技術の存在を、我が身を持って理解させられた。
 しかし、理解できることと実際に使えることは別問題で、俺が一体どのような魔法を使えるのかは分からない、なぜなら使ったことがないからだ。
 けど、俺の頭にある支配のリングも魔法技術で作られているのだが、これと同じ効果、もしくは防ぐような効果は発揮できないだろう事は確かではある。
 こうして、晴れて魔法を使える身となった俺は、その後も様々な実験を受けることになった。
 その一つ一つの実験に、どんな意味と結果をもたらすものだったのかは分からない。
 ドぎつい原色の薬品を幾つも注射されたし、ドブや肥溜めの方がマシに思えるほど悪臭漂うドス黒い薬液に頭まで浸かったこともあるし、宇宙人でもあるまいに、謎の金属片や石みたいのを体内に埋め込まれたりもした。
 そして、どの実験ももれなく激痛を伴う副作用の連続で、頭痛、腹痛、吐き気、高熱、眩暈といった症状に始まり、失明、全身麻痺、幻覚幻聴、壊死、呼吸停止など、最早生命維持活動に致命的な打撃を与えるような症状を同時多発的に発症することもあった。
 しかし、どんな死亡確実なほどの症状が出ても、最終的に俺は健康的な肉体を取り戻していた。
 肉体の破壊と再生が延々と繰り返されている錯覚に陥る、もしかしたら、俺はもう何度も死んでいて、そのたびに蘇らされているのかもしれないな。
 なんといっても魔法なんてものがあるんだ、何が出来ても不思議じゃない。
 一体、この実験によって俺の体がどう改造されていったのかはほとんど分からないまま。
 ただ、魔力を実感できるようになったのと、爺やマスク共が話す謎の言語が気づいたら日本語に聞こえてきたというのは、間違いの無い結果だ。
 それと、今のようにこうして俺の自意識がはっきりとしていられる時間が少しずつだが短くなっている、ということ。
 睡眠時間が長くなったというコトでは無く、これは半ば夢見心地で俺の意思を離れて勝手に体が動くような感覚を憶える時間のことだ。
 睡眠時間だけで言うなら日に2時間もないだろう、そもそも不規則すぎて朝に起きてるのか夜に起きてるのかも分からない。
 ここへ着てから、白塗りの壁以外の風景を見ていない、もしかすれば、この世界には陽の光る天空も、緑豊かな大地も存在すらしていないのかもしれない。
 そうそう、俺は最近になって、漸くここが元居た世界では無く、魔法といった別次元の理が支配する『異世界』なんだと気がついた。
 一体、何度目の絶望だろう。
 今の俺には、もう家族の顔も、学校の友人達の顔も、霞がかったようにぼんやりとしか思い出せない。
 それでも、俺は何も無い自分の牢にいる時は、遥か昔に思える平和な高校生活を憶えている限り、この針の突き刺さった脳裏に蘇らせているのだった。
 今日は、体調が良いな。
 頭も体のどこも痛くない、頬を流れる涙の感触が、はっきりと感じられる。
 ああ、帰りたい、家に帰り――
「49番、出ろ」
 扉を開け放ち、マスクが俺を呼ぶ。
 49番、それがここでの俺の名前だ。
 それが一体何を意味するのか、考える意味はあまり無いだろう。
「早く出ろ」
 立――出――歩――
 頭痛が酷くなる前に、さっさと立ち上がり、俺は今日も暗い通路の向こうへ歩みをすすめる。

服従
「……生きてる」
 ぼんやりした意識の中で、そう呟いた。D8媚薬
 目覚めると、またしても俺は固いところに身を横たえていた。
 すぐに、意識を失う前の記憶がフラッシュバックする。
「ぐっ……」
 吐きそうになるが、堪える。
 どうやら、金縛りはとけ、こうして苦しげに声を漏らすことが出来るし、どうにか体を起こすことも出来る。
 頭に手をやると、硬質な感触が指に触れる。
 間違いない、あの針の飛び出す凶悪なリングは、今も俺の頭部にしっかりと装着されたままだ。
「くそう……最悪の気分だ……」
 痛みは感じないだけマシだが、あんな拷問まがいの事を突然受けたのだ、恨み言の一つも出るというものだ。
 けれど、今はこうして体の自由も戻ってきたのだ、まずは状況を確認しなければならない。
 今の俺は、さっき寝かされていたのと同じような広さの何も無い部屋に居る。
 中央に台座も無い、本当に壁しかない、四方も天井も真っ白い部屋だ。
 正面には、壁と同じように白塗りの扉があるが、果たして開くのかどうか、多分施錠されているだろう。
 全く、窓の一つも無いと気分が滅入る、ん、窓が無いってことは地下室なのか?
 俺を閉じ込めておく牢屋だと考えるなら、まぁ妥当な配置だろう。
 そして、俺の服装は、あのマスク共と同じような白い服装だ。
 マントとマスクはないが、随分と質素な上下一体の服、貫頭衣とかいうヤツか、ソレを着ている。
 一応下着も穿いている。
 囚人服、なんだろうか、いや別に刑務所に入ったってワケじゃないんだが。
 しかし、コレだけ見ても、どうにも俺の居る場所が日本だとは思えない。
 謎の外国語をマスク共は喋っていたし、この服だっておかしい、イマドキ発展途上国の国民だって洋服を着ているのだ、こんな手作り感丸出しの衣服は逆に珍しい。
 いや、待てよ、あいつらが超ヤバい教義を持つ邪悪な宗教団体の一員なのだとすれば、あの謎の言語は、中二病患者も裸足で逃げ出すオリジナル言語なのかも知れないし、この服も何か深い意味の手作りコスプレなのかもしれない。
 そう思えば、遥か遠くの外国に来たというのは決定事項ではない、日本のどっか山奥にでもイカれた宗教施設を持っているのだとすれば、まぁ筋は通る。
 しかし、なんだって俺がこんな事に巻き込まれなきゃならないんだ……
 とりあえず、五体満足で生きていることを思えば、即座に殺されるようなことはないのだろうが。
 いや、死ななくとも、これからこのリングのように様々な拷問にかけられる、とか?
 それは最悪だ、だとするなら舌を噛み切って死ぬ方がよほど安らかな死に様だ。
 命乞いするようなシチュエーションでの死亡は御免。
 兎に角、ここが外国だろうが日本だろうが、この場所からの脱出は考えた方が良い。
 こんな拷問器具を平気で人の頭に乗っけるような連中とは一刻も早く距離を置くべきであり、今後一切係わり合いになるべきできはない。
 と言っても、今の俺に出来ることは、目の前にある扉に鍵がかかっているのかどうか確かめることくらいしか出来ないのだが。
 俺は立ち上がり、扉に向かって一歩踏み出すのと同時、ガチャリ、と音を立てて扉が開かれていった。
「……」
 自動ドア? なワケが無い、向こうから誰かが開けたから、扉が開いたに決まっている。
 そして、扉を開けたのは、予想を裏切らず、例のマスクだった。
「أوه، كنت مستيقظا بالفعل، كنت تتوقع من هيئة التنين الأسود قوي」
 マスクは相変わらず何と言っているのか一切分からないオリジナル言語を口にしている。
 こうして再び聞いてみると、若干英語っぽい気もするが……いや、それよりも今はヤツラの動きに注意するべきだろう。
 俺は身構えるが、マスクは俺などよりも自分達の背後を気にしているように見えた。
 どうやら後ろにも他にマスク共がいるらしい。
 部屋の中にマスクが二人入り、俺は距離を取るように壁際へ。
 そして、新たに三人目が入ってきた、と思えば、俺はソイツの顔に釘付けになった。
 なぜなら、ソイツは格好こそ似たような白マントだが、マスクをつけておらず、素顔を晒していたからだ。アリ王 蟻王 ANT KING
 ソイツは一目で日本人ではないと分かる、白人種系の彫りの深い顔立ちをした老人だった。
 髪は、フードに隠れて全ては見えないが恐らく全部白髪だろう、瞳の色は青、歳は少なくとも60は越えている爺さんだ。
 これ見よがしに、偉そうな白髭をたくわえている。
 まさか、コイツがマスク共の教祖様、とか現人神、とか言い出すんじゃないだろうな?
 なんて訝しげな視線を俺が送っていると、爺(俺をこんなメに合わせたヤツラだ、爺で十分)は胡乱な目つきで俺を見た。
 その瞬間、俺を強烈な頭痛が襲った。
「ぎゃああああああああああ!!!」
 頭が割れるとはまさにこのことか、いや本当に割れているのかもしれない。
 死を覚悟するほどの激痛、しかし、何より俺を苦しめるのは、俺の頭の中に響く、別の誰かの‘意思’だった。
 痛――痛――苦――死――
 俺の頭の中で、別の思念が勝手に渦巻き暴れまわる。
 痛みは明らかにこの思念が原因であり、その発生源は、目の前にいる爺からなのだと、直感的に理解した。
 俺は、固い床を転がりながら、涙目で爺の方を見る。
 怒りでは無い、純粋に許しを請う、呆れるほど無様なものだった。
――無抵抗――服従
 気絶する直前に、頭痛は止み、その瞬間と同時に俺は爺、いやマスク共を含めてこいつらには絶対に逆らえないということを理解した、いや、させられたと言うべきか。
――立
 俺は未だに頭痛の余韻から復帰できず、立てと念を送られても、すぐに足は動かなかった
――立
 再び、じわじわと頭痛が始まる。
 俺は無理を押して、よろよろ立ち上がる。
 吐きそうなほど最悪な気分だが、再びあの激痛に襲われるより、ずっとマシだ。
 荒い息を吐きながら、立って爺と向き合う。
「القيود تشغل غرامة」
 爺はマスク共と同じく、俺には分からない言葉を発する。
「……」
 俺にはどうともリアクションをとることも出来ず、無反応のまま。
 爺は、俺に思念を送り出せるようだが、漠然としたイメージで言葉にできるような明確な形では無い。
 意思の疎通は出来そうも無い。
 もっとも、言葉が通じたところで円滑なコミュニケーションがこいつらと図れるとは、俺には到底思えないが。
――歩
 その思念が送られると同時、爺は背を向けて歩き出す。
 抵抗など不可能な俺は、ふらついた足取りで、十字のエンブレムが描かれたその背中を追うことしかできなかった。
 扉をくぐると、向こう側の見えない暗い通路が続いているのが見える。
 まるで俺の未来を暗示しているかのような不吉さを覚えたが、この先待ち構えるのは、今この瞬間に自殺をした方が遥かにマシなほどの地獄なのかもしれない。

最初の目覚め

 ふと、目が覚めると部屋の中は暗かった。
 何だ、まだ夜中なのか?
 別に悪夢を見たとか、そんなんじゃないんだが。
 まぁいい、まだ夜だって言うならもう一度眠ろう、明日も学校だ。
 と、そこまで思い至った時点で、自身の身に違和感を覚えた。
 何だか、やけに体が痛い。
 違うな、俺の寝ているベッドが固くて、それで随所に痛みを感じているのだ。
 こんな所で眠れるわけが無い、何なんだ俺は、ヤバい寝相をとってベッドから落ちたって言うのかよ、そんな経験生まれてこの方一度もねーぞ……
 兎も角、ベッドに戻ろうと思い、体を起こ――動かなかった。
 気づけば、俺の体は指先がピクリとも動かないほど完全に麻痺しているのだ。
 これが俗に言う金縛りってヤツか?
 初めての経験だが、せめてベッドで寝ている状態で引き起こって欲しかった。
 体は動かないくせに、硬い床の感触だけは変わらず伝わってくるのだから。
 どうしたものか、と軽く途方にくれていると、この暗闇に目が慣れてきたのか、少しずつ周囲が明らかになった。
 ……何処だ、ここ?
 そこで初めて気がついた、俺は自分の部屋で寝ていたのではなかったということに。
 未だ金縛り状態で、首も動かないが、目だけは動くので、その範囲内で周囲を見渡す。
 そこは何も無い無機質な部屋だった。
 多分、俺が寝ているのは部屋の中心にある台のようなもので、これ以外に6畳ほどの広さのこの部屋には、一切の物が存在していなかった。
 そして見える範囲に扉は確認できない。
 もしかしたら、俺は一切隙間の無いこの空間に閉じ込められているのかも、なんて空恐ろしい想像が脳裏をよぎる。
 何だよ、マジで何処なんだよここは、どうして俺がこんな状況に陥ってるんだよ。
 悪い夢だ、と思おうにも、すでに意識もはっきりし、未だに動かないが体の感覚もあり、これが現実での出来事であることを疑えない。
 そ、そうだ少し思い出してきたぞ――俺は、自分の部屋で寝ていたんじゃなくて、確か学校、そう、放課後で部室にいたはずだ。
 俺はこのデカい体と目つきの悪い顔に似合わず文芸部に所属している。
 そんなに部員数も多くない文芸部室で、今日も大好きな中二要素全開のライトなノベルでも執筆しようかと意気込んで、いや違うな、あん時は白崎さんと二人きりで気まずい雰囲気だったはず。
 そんな中、いきなり頭痛がして……そのまま気絶した、んだと思う。
 何となく、突然の頭痛に頭を抑えて、思わず椅子から転げ落ちた時の記憶がおぼろげに蘇る。唐伯虎
 あんなオーバーリアクションで苦しんだんだ、目の前にいた白崎さんにいらん心配かけてしまったな、つーか、この事は家に連絡とかちゃんといってんのか。 

2015年5月15日星期五

『紅水晶球(クイーン・ベリル)』の代価

 ラースプンの燃え盛る鉄拳が岩の大盾ごと粉砕し、フィオナの体を彼方へと吹き飛ばす。
 リリィは、宙を舞うフィオナの体をクロノが受け止めたのを視界の端で確認した。
 その美味しい状況に今すぐ文句の一つでもつけたくなるが、それを目の前に立ちはだかる真紅のモンスターは許さない。巨根
 彼女の宝玉のようなエメラルドの瞳と、呪われたアイテムのように禍々しい赤と黒の瞳が交差する。
 再びターゲットが自分へ戻ってきたと、リリィはただそれだけで理解した。
「だあっ!!」
 放つのは爆発力重視の光球、連続的な爆音を響かせて次々とモンスターの巨体にヒットするが、その歩みが鈍ることは無い。
 光と音の洪水を潜り抜け、怒りに燃えるラースプンは両腕を突き出しリリィに迫る。
 すんでのところで空中に回避。
 天馬騎士ペガサスナイトを翻弄するほどに空を自由自在に飛べるリリィだが、至近距離で攻撃を当てなければ僅かほどもラースプンの動きを止めることすら出来ないため、空中機動のアドバンテージは著しく低い。
 それでも、両足で地を駆けることしか出来ないクロノに比べれば、いざとなれば空中へ逃げることの出来るリリィはかなりマシな方だろう。
 だがしかし、その有利を得られるのも僅かな時間しか残されていない。
(拙い、もう限界時間を超える……)
 現在のリリィは『紅水晶球クイーンベリル』の魔力を引き出して本来の姿を取り戻している。
 実は『生命吸収ライフドレイン』を刻んだ竜皮紙の巻物スクロールが残っているのだが、それを行使する僅かな隙をこのモンスターが許してくれることは無い。
 故に、任意で発動可能な『紅水晶球クイーンベリル』を使うしか、この場において本来の姿に戻る方法は無いのだ。
 そして、『紅水晶球クイーンベリル』による能力発動も限界が近づいてくるのをリリィはその身で持って理解している。
 効果時間は30分、とクロノには説明してあるが、効果を持続させるだけならもう少し伸ばすことも可能だ。
 つまり、きっかり30分で効果を喪失し、強制的に子供の姿に戻されるわけではない。
 30分前後の時間が過ぎると、『紅水晶球クイーンベリル』から流れ込む魔力に肉体が耐えられなくなり、疲労感に似た症状が出始める。
 『紅水晶球クイーンベリル』の行使は、いわば自分が持てる最大限のペースで走り続けているような感覚に近い。
 ある程度の時間なら問題ないが、一定時間を過ぎると負担がかかりすぎる。
「はっ……はっ……」
 宙を飛び回り、ラースプンの攻撃を掻い潜りながらレーザーや光球を喰らわせるリリィの息が上がってきたのは、つまりそういう理由による。
(ダメ、まだ子供に戻るわけにはいかない)
 肉体の負担が増大してくるのをはっきり感じ取りながらも、リリィは『紅水晶球クイーンベリル』の行使を続ける。
 この強力なモンスター相手に子供状態で挑むのは危険すぎる、出来るならば確実に攻撃を回避することが出来る今の内に戦闘を終わらせたい。
(何か手があるの、クロノ――)
 見れば、クロノとフィオナは即座に戦線復帰せず、二人の姿を覆い隠すように岩の壁が出現している。
 これだけ見れば、仲間の一人を犠牲に逃走を図ったと思える状況だ。
 メンバーを見捨てるなど、冒険者稼業ではよくある話。
 普段は仲良くしていても、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれれば、人と言うのはあっさり裏切るものである。
 だからこそ、土壇場でも互いを信じて協力しあい、最後の最後まで全力で戦いぬける者たちこそが一流の冒険者パーティと呼ばれるようになるのだ。
 そしてそれは、ランクは未だ2であるものの、自分たちも同じであるとリリィは信じている。
 生まれてから30年以上の間、誰かを信じることなど一度も無かったリリィだが、今は全幅の信頼というものをクロノに寄せている。
 ついでに、打算的にメンバーに引き入れたフィオナのことも、実は少しだけ信頼しているのだった。
(けど、何か仕掛けるなら早くして、私一人じゃ、もうもたない――)
 加速度的に肉体を支配し始める魔力の負担。
 先の見えない暗闇を延々と走り続けている時に感じるような疲労感が、リリィの小さな体に重く圧し掛かってくる。
「はっ……はぁ……」
 それは、一瞬、本当に僅かだが、確かな隙を生んだ。
「――くあっ!?」
 まるで瞬間移動でもしたかのような、超高速で踏み込んできたラースプンの動きに、息の上がったリリィは対処できない。
 気づいた時にはもう遅い、緑に輝く妖精結界オラクルフィールドごと、巨大な二つの手のひらで掴まれてしまっていた。
「くっ、離せっ!」
 普通なら妖精結界オラクルフィールドに触れた敵は、光の高熱によって焼き尽くされる。
 だが、この凄まじい炎熱耐性を誇るラースプンには、手のひらの薄皮一枚を焦がすことも出来ない。
 高熱のダメージを負わないのをいいことに、ラースプンは力任せにリリィの身を守る結界を押しつぶそうと両腕に尋常じゃない力が篭められる。
「ぐ、あっ――」
 ミシミシと音が聞こえそうなほど強烈な圧迫が加えられ、妖精結界オラクルフィールドが激しく明滅する。
「――『光刃フォースエッジ』!」
 遠距離攻撃型のリリィにとってあまり出番の無い近接攻撃に特化した『光刃フォースエッジ』を発動するしかこの状態では反撃手段が残っていない。
 多少頑丈な程度の相手であれば、二本の光の刃がその高熱でもってバラバラに焼き切ることを可能にする。
 だがしかし、やはりラースプンとの相性は最悪。
 結界を掴む手のひらの下から直接『光刃フォースエッジ』を叩きつけるが、噴出す水流を押さえつけるかのように光の粒子が指の間から漏れゆくだけで、その手を、指を、切り裂くには至らない。
(ダメ、逃げられないっ!)
 全力で展開する妖精結界オラクルフィールドだが、光の防御を押し退けて、僅かだが、確かに敵の侵攻を許す。狼1号
 内から外へ向かって猛烈に光の原色魔力を噴射して押し返そうとするが、結界を突き破ってラースプンの右手の指先が少しずつリリィの体へと近づいてゆく。
 そして、ついにその凶悪な指先はリリィの身へと到達する。
「あっ――」
 妖精のトレードマークと呼べる虹色に輝く2対の羽、その大きい上側の羽の先端を掴まれる。
 次の瞬間、指先は力ずくで強引に羽先を引き裂き始めた。
 捕らえた蝶の羽を毟る子供のように、残酷に、一切の容赦なく、その美しく光り輝く羽が引き千切られる。
「ぎゃぁあああああああああああああああ!!」
 無情にも、掴まれた左上羽はあっさりと半ばから千切りとられる。
 その生きながらにして身体の一部を毟られる強烈な痛みとおぞましい感覚に、リリィは絶世とつくほどの美貌を歪めて泣き叫ぶ。
 だが、それでもリリィは妖精結界オラクルフィールドを維持し続け、その身を守り続ける。
 涙を浮かべながらも、歯を食いしばり、この先何秒持つか分からなくとも最期の瞬間まで諦めない。
(クロノが、助けてくれるっ)
 なぜなら、彼女は信じているから。
(クロノは絶対、私を助けてくれるっ!)
 そして、リリィが信じるのは、救いの手を差し伸べることのない非情な神では無い。
 共に生き、共に戦った、唯一無二の相棒、最愛の人。
 だからこそ、
「リリィを離しやがれぇえええええええええええええ!!」
 彼女は救われる。
 他でもない、人の手によって。
(ほらね、やっぱりクロノは来てくれた)

生贄の乙女
 真紅の巨躯に、その動きを止めんと無数の黒い触手が絡みつく。
 だが、モンスターにとってその程度の拘束は無いも同然、非力な人間の力で止められるはずもない。
「リリィ!」
 次々に触手を破られながら、クロノが最も長い付き合いの相棒の名を呼ぶ。
 返事は無い、代わりに返って来るのは無数の白い光の球。
 ラースプンの巨体に殺到するリリィの攻撃は、すぐ近くで『影触手アンカーハンド』を行使するクロノすらその激しい爆風に巻き込む。
 まして着弾点である赤い肉体で発生する爆発力と衝撃は相当のもの。
 だが、それでも生身でありながら鋼の防御力を発揮するラースプンにダメージはほとんど通らない、その金属質の巨躯を少しばかり揺するだけに留まる。
 クロノとリリィが協力して、ようやく僅かに行動を止めるに至る。
 それでも、今はこれでいい、一瞬でも動きを止めることができるだけでいいのだ。
(やれ、フィオナ)
 クロノの心の中の呼びかけが聞こえているかのように、
「تجميد المجمد رمي الرمح الجليد عصا حادة――」
 フィオナの詠唱はジャストのタイミングで終えた。
「――『氷結槍アイズ・クリスサギタ』」
 完成した氷の中級攻撃魔法、だが、フィオナが本気で行使すればその威力は上級に届く。
 彼女の愛杖である『アインズ・ブルーム』を一振りすれば、触れる物全てを凍らせる冷気を纏う長大な氷の槍が撃ち出される。
 その矛先は無論、クロノの拘束とリリィの爆撃によって身動きを止めたラースプン。
 全高6メートル、全長に至っては10メートルもある巨大な的、外すわけがない、いや、例え相手が人型であってもフィオナが狙いを外すことは無かっただろう。
 そうして、寸分の狂い無くターゲットに向かう氷の槍、その穂先が真紅の巨躯に到達しようという瞬間、右手の宝玉が激しく明滅した。
「ぐぁああああ!」
 吹き荒ぶ冷気と熱気は僅か数メートルの距離に立つクロノを容赦なく襲う。
 冷たいやら熱いやら、二つの対極の痛みを感じつつ、炸裂した「『氷結槍アイズ・クリスサギタ』」の余波を受けて二転三転しながら吹き飛ぶ。
 両手両足を獣のように地に着けながらふんばり体勢を立て直し、すぐに視線を相手へ向けなおす。
 そこには、濛々と立ちこめる白煙のような水蒸気の靄に包まれて、先と変わらずに赤い巨体で立つラースプンの堂々たる姿があった。
「くそ、これもダメか……」



 吹き荒ぶ嵐のような攻防が続く中、ハンマーのような拳をついに避け損なう。
 クリティカルヒットしなかっただけマシ、とはちょっと思えないほどの衝撃で吹き飛ばされる。
 風に翻弄される木の葉のように宙を舞う俺の体は、空き地を抜けて森の木々にぶち当たってようやく止まった。
「う、ぐ……痛って……」
 飛び掛けた意識をどうにか繋ぎとめる。
 凄い勢いで大木の幹に背中から衝突したのだ、普通の人間だったら背骨がバッキリいってるだろう。
 頑丈な肉体のお陰で、即死することも半身不随になることもなく、再び立ち上がることができるがダメージはゼロではない。
 ちらつく視界と震える両足、これくらいはまだ気合でどうにかなる。
 問題なのは俺の体力よりも、現在の戦況だ。
「万事休す、とはこのことか……」
 ラースプンがメタル化してから、すぐに作戦を変更した。
 俺の刃ではダメージを与えられないことは明白、ならば別の攻撃手段をとるしかない。
 攻撃の要はフィオナ、光と闇以外は全ての原色魔力を扱える、今のところ最も‘エレメントマスター’に近い魔女。三體牛鞭
 ヤツが炎熱、打撃、斬撃、に対して高い耐性を有している以上は、もう別の属性で責めるしか手は残されてない。
 敵の動きを止めるため、前衛には俺だけでなくリリィも投入、二人で連携して何度か攻撃のチャンスを作ってきた。
 しかし、頼みの綱である、弱点属性の可能性が最も高い氷の攻撃魔法も通用しなかったことで、作戦の失敗は決定的となった。
 モンスターもランク5ともなれば、上級の威力でも効かないってことか、全く、地力の差が激しすぎる。
「くそっ、これ以上どうしろってんだ」
 取り出した回復系ポーションを一気に飲み干し、再び両足に力を篭める。
 前衛である俺がいなくなれば、リリィとフィオナが危ない、策など無くても行かねばならない。
 ラースプンの能力から見て、逃走も許してはくれないだろう、恐らく村まで逃げ込んだとしても追いかけてくるに違い無い。
 ならば、どうしてもこの場で倒すより他に無い、だがその方法が無い。
 それでも、いつまでも場外でのんびりしてるわけにはいかない、打開策は戦いながら考えればいい。
 まだ体力は持つ、魔力もある、何か方法があるはずだ。
 必死で頭を回しつつ、刃こぼれしかけた『呪怨鉈「腹裂」』を手に、俺は再び戦場へ舞い戻る。
「『魔弾バレットアーツ』!」
 見れば、ラースプンは蝶々を追いかけるが如くリリィに襲い掛かっていた。
 弾丸が通じないなど百も承知、だが注意を引く事くらいはできる――はずなのだが、全くこっちを向こうとしない。
 いや、追いかけているはずのリリィすら、ヤツは見ていない。
「拙いっ!」
 ヤツの狙いを直感的に察する。
 俺の方には向かない、リリィは捕まらない、ならば、距離はあるがほとんど動くことが無いフィオナ、間違いない、アイツはこの瞬間にターゲットを彼女に絞った。
 せめて『影触手アンカーハンド』が届く距離に俺がいられれば、リリィの援護射撃と共にラースプンの動きを阻止できただろう。
 だが、この距離はどうにも間に合いそうに無い!
「逃げろフィオナ!」
 叫ぶと同時に、ラースプンもフィオナも動く。
 彼女はこれまでソロで冒険者活動をしてきた実績がある、前衛がいなければどうにもならないステレオタイプな魔術士とは一線を画す能力を誇っている。
 迫る相手から逃れる為に速度強化の武技『疾駆エア・ウォーカー』を熟練の剣士のように行使するのだ。
 しかし、今回ばかりは相手が悪い、ラースプンの移動速度は武技をもってしても振り切れるモノでは無い。
 俺とリリィが弾丸とレーザーを必死に浴びせかけるが、ラースプンはその巨躯が霞むほどの勢いで猛然とフィオナへと迫った。
 1秒ごとに確実に距離はつまり、ついにあの灼熱の右腕が届く間合いにまで詰め寄っている。
 火炎を纏い振りかぶるモンスターの豪腕と、長杖を振り上げる魔女の細腕。
 地にクレーターを穿つ威力の鉄拳が到達するギリギリのところで、フィオナの防御魔法は発動した。
 両者の間に形成される岩の大盾、ミノタウスル・ゾンビを難なく幽閉したその強固な岩壁はしかし、ラースプンの拳には耐えられない。
 弾ける岩石の破片と同時に、フィオナの体も衝撃で吹き飛んでゆく。
「フィオナっ!」
 幸いにも、飛んでくる方向は俺と同じ側にある、これなら受け止めることができる。
 全力で駆けぬけて、宙を舞うフィオナに向かう――あと少し、届けっ!
 衝突の威力を相殺し、無事に彼女の体を抱きとめることに成功する。
 ギリギリだった、もし間に合わなかったら、さっきの俺と同じように森の木々へ激突するところだった。
「しっかりしろ、大丈夫か!」
「ん……大丈夫、です」
 良かった、体は無事なようだし意識もハッキリしてる。
「行くぞ、ゆっくりしてるとリリィがヤバい」
 見れば、ラースプンは背後からレーザーを浴びせかけるリリィを再びターゲットにし、またしても追いかけっこを始めている。
 空を飛べるリリィが簡単に捕まることはないだろうが、もうすぐ30分を過ぎる、いつ幼女状態に戻ってもおかしくない。
 三人揃っていれば、メインで攻撃を担当しないために幼女リリィでも足止めの役の前衛は引き続き果たせるだろうが、一対一の状況に一瞬でもなってしまえば、あっさり捕まる可能性が高い。
 幼女リリィは空を飛べないのだから。
「待ってください」
 戦線復帰しようと一歩を踏み出した瞬間、フィオナがボロボロになったローブの裾をつかんで俺の動きを止めた。
「なんだ?」
「倒す方法を思いつきました」
 いつもと変わらぬ表情で「お腹が空きました」と言い放つような何気ない口調で、そうフィオナは口にした。
「本当か!?」
 はい、と肯定。
 当然か、この土壇場で嘘なんてつけるはずがない。
「どうすればいい?」
「私を斬って下さい」
「は?」
 意味が分からなかった。男宝
 それはもう全く、これっぽっちも。
 これまでフィオナの天然気味な発言には色々と振り回されてきた気がするが、今回ばかりは冗談としても笑えない。
 だが、しかし、いくらフィオナでも伊達や酔狂でこんなことを言い出すとは思えない。
「どういう、意味だ?」
 すぐに答えは返ってこない、代わりに、
「صخرة على نطاق واسع لمنع الجدار――『岩石防壁テラ・ウォルデファン』」
 防御魔法を発動、大きな岩の壁が俺たちを覆い隠すように出現する。
「そのままの意味です、クロノさんの鉈で、私を斬ってください――」
 そこで言葉を区切ると、フィオナはその場で、つまり俺の目の前で、魔女のトレードマークである漆黒のローブを脱ぎ捨てた。
 止める間もない、一瞬の出来事だった。
 命を賭けた死闘の真っ最中、突如として露わになる乙女の白い柔肌に、一瞬、俺は夢でも見ているのでは無いかと錯覚する。
 それほど現実感の無い光景、だが、ローブを脱ぎ捨て下着のみになったフィオナの姿に、恐ろしく背徳的な美しさを感じる。
 魔女は下着まで黒なんだな、なんて馬鹿な感想が浮かぶ。
「――そうすれば‘進化’するはずです」
 その言葉で、彼女の言わんとしている事が全て理解できた。
 同時に、ぶっ飛びかけた理性も無事に頭の中に舞い戻ってきてくれる。
「『呪怨鉈「腹裂」』を、フィオナの血を吸わせて進化させる……そういうことか」
「はい」
 今の『呪怨鉈「腹裂」』では、あのメタル化した赤い毛皮には僅かに傷をつけることしか出来ない。
 だが、ここでさらに一段階進化を遂げて威力が上がれば、確かにあの防御を切り裂くことが出来るかもしれない。
「けど――」
「ギリギリ死なない程度に手加減して斬ってください」
 そういう問題じゃない。
「いや、そもそも、本当に進化するのか?」
 アルザスの戦い以後、その兆候はある。
 だが、ここ最近の冒険者生活を通じて、それなりの数のモンスターを屠って血を吸わせてきたが、未だ進化するに至らない。
 それを、こう言っちゃ悪いが人一人を斬ったところで、本当に進化するのか?
「知りませんかクロノさん、生贄は処女の娘が最も高い効果をもたらすのですよ」
「は?」
「まして、高い魔力を持つ私なら、尚更です」
 どこまでも真剣に、フィオナは言った。
 鉈を握る右手が、滲んだ汗で滑り落ちそうになる。
「本気か、フィオナ」
「はい、私の身体、クロノさんに捧げます」
 その言葉は、是非とも別なシチュエーションで聞きたかったな。
「時間がありませんし、倒す手段もこれしかありません、さぁ、早く」
 そして、フィオナは無防備な白い背中を俺へと向ける。
 染み一つ無い綺麗な乙女の柔肌、これに、俺が自分の手で傷をつけることに、恐ろしい抵抗感が湧き上がる。
 気づけば、敵とみれば人間相手でも斬るのに抵抗なんて無くなっていた俺だが、今は始めて殺人の禁忌を犯そうとするかの如く、心臓の鼓動が高鳴り、手も震えてくる。
 けれど、今の俺には躊躇する僅かな時間すら許されない。
 この壁一枚向こうでは、リリィが一人で戦っている。
 フィオナは自身の身体を投げ打つ覚悟を決めている。
 なら俺も、やるしかないだろう。
 これでも俺は『エレメントマスター』のリーダーなのだから。
「すまないフィオナ……ありがとう」
 かくて刃は振り下ろされる。

エレメントマスターVSラースプン

 闇が支配する夜の時間、だがゴブリンの切り開いたこの空き地においては真昼の如き明るさが戻っていた。
 黒髪と大岩の牢獄に閉じ込められたモンスターの真上に、リリィ渾身の『星墜メテオストライク』が炸裂したのだ。
 これまで命中すれば確実に敵を葬ってきた必殺の一撃、だが、
「おいおい――」
 クロノは見た、頭上より迫り来る虹色の隕石を前に、モンスターが己の拳一つで迎撃するのを。
『星墜メテオストライク』が発動し、虚空に白い光の魔法陣が描かれるのと同時、モンスターは左よりも一回り太いアンバランスな大きさを誇る右腕に自由を取り戻していた。
 何てことは無い、ただ力ずくで黒髪の拘束を引き千切り、動きを抑える岩の牢を吹き飛した、それだけのことである。
 その時点で、宇宙から直接隕石でも呼んでいるのではないかと思えるような勢いで、魔法陣から光の塊が撃ち出されていた。
 モンスターは真上を睨み、その巨大な右拳を握って弓を引くように大きく腕を振りかぶる。
 右手の甲に輝く『紅水晶球クイーンベリル』の如き真紅の宝玉が輝くと、そこから紅蓮の炎が生まれ右腕全てを包んでいく。漢方蟻力神
 そうして燃え盛る炎を纏った右腕は、天より迫る隕石を迎撃するミサイルのように正面からぶつかる。
 衝突、虹色の輝きと真紅の煌きが光の奔流となって辺り一帯に荒れ狂う。
 そのインパクトの瞬間を目にしたクロノは、その直後に眩い光のために視界を閉ざす。
 だが『星墜メテオストライク』に真っ向から炎の拳を叩き込むモンスターの姿はあまりに力強い。
 そして一瞬の内に光の洪水は収まり、再び『灯火トーチ』の輝きだけが周囲を照らす闇夜が戻ってくる。
「本当に『星墜メテオストライク』を防いだぞ……」
 視線の先には、直径数十メートルのクレーターの中心に、全ての拘束から解き放たれたモンスターの五体満足な姿があった。
「くそっ、コイツはマジでヤバそうだな、流石は神の試練ってところか」
 そう愚痴をこぼしつつも、今更後戻りすることなど出来ない。
 クロノはパーティメンバーであるリリィとフィオナと共に空き地へと躍り出る、その場所はちょうど、幹部候補生とメイドを庇うような立ち位置であった。
「あ、お前は……」
 クロノ達の姿に真っ先に反応したのは、長身の、といってもクロノよりは僅かに小さいが、幹部候補生の少年だった。
 酷く驚いた様子、まぁこの状況を考えれば驚かないほうが不自然だ、クロノはそう考え、必要な事だけを手短に伝えることにする。
「おい、このモンスターは俺たちが引き受ける、あんた達は早く逃げろ!」
 切羽詰った緊急事態のため、クロノは初対面の相手だが敬語を使うのを止めて強い口調で訴えかけた。
「え、あ、しかし――」
 見ず知らずの冒険者に、このとんでもなく強力なモンスターの相手を押し付けることに抵抗感があるのか、はっきりと解答しない男子生徒。
「ありがとうございます!」
 だが、彼の護衛メイドはこんな場面でも冷静に判断を下せるようだ。
 彼女はさっさと主をかついで、礼の一言を残すと今にもその場を去らんとクロノたちにエプロンドレスの背を向けた。
 そして、クロノはそんな彼女を止めるつもりはない、むしろ逃げてくれなければ困るのだから。
「アイツはランク5モンスターのラースプンだ! 倒そうなんて考えず君たちも早く逃げるんだぁああああ!!」
 メイドに抱えられて去ってゆきながら、そんな台詞を男子生徒は絶叫していた。
 その心遣いに、思わずクロノは微笑みを浮かべてしまう。
「ラースプンなんて言うのか、プンプンの進化系かな?」
 その割には凶悪すぎる進化を遂げたものだと呑気なことを考えながら、クロノはランク5モンスターに向き直る。
「ごめんなさいクロノ、仕留め切れなかったわ」
 右隣から謝罪の声をかけるのは、すでに少女の姿へ戻り淡いグリーンの『妖精結界オラクルフィールド』に身を包むリリィ。
「いや、アイツは炎を使ってた、熱に対して高い耐性を持ってるんだ、相性が悪かった」
 モンスターは自身が炎や雷などの属性を操る場合、ほぼ確実にその属性に対して高い耐性を持っている。
 このラースプンと呼ばれるモンスターも例に漏れない、むしろランク5であるならば、ほぼ無効化に近いほどの耐性を誇るはずだ。
「それなら私とも相性が悪いですね」
 左隣からは、四方百里を焦土に変える炎の暴走魔女フィオナの声。
 確かに、『星墜メテオストライク』でも四肢の一つも吹き飛ばないほど耐えて見せたのだ、相性の関係で『黄金太陽オール・ソレイユ』でも倒せなかったに違い無い。
「炎熱に耐性を持つモンスター相手だと大きく遅れをとるな、ウチのパーティの弱点発見だな」
 と言っても、それを今すぐ改善できるはずも無い。
「仕方無い、俺が切り伏せるしかないな、リリィとフィオナは援護に徹してくれ」
 了解の言葉がクロノの両耳にそれぞれ違った声音で届いた。
 その手には、すでに相棒たる『呪怨鉈「腹裂」』が握られ、背後には十本の黒化剣が翼を広げるように展開されている。
「行くぞ――」
 クロノが真っ直ぐ駆け出すと同時、ラースプンは赤毛を逆立たせ、再びガラハド山中に木霊する凶悪な咆哮をあげた。



 耳をつんざく咆哮を轟かせ、怒り状態となったラースプンには、ほとんど『星墜メテオストライク』のダメージが堪えていない様に思える。
 『星墜メテオストライク』の主なダメージソースとなる光の高熱がほとんど無効化されてしまったため、体に通ったのは爆発の衝撃のみ。
 ただの人間なら、いや、例えミノタウルスだったとしても爆発の威力だけで四散五裂するところだが、このラースプンはパワータイプのモンスターに共通する衝撃に対する耐性もかなり高いレベルで持ちえているということが、この元気な姿を見れば即座に理解できた。
(けど、斬撃ならどうだ)
 モンスターと言っても万能では無い、強いところがあれば弱いところもある。
 ラースプンの見た目は厚い毛皮に覆われた熊とゴリラを足したような、いわば魔獣と呼ぶべき姿だ。
 その毛皮と筋肉は衝撃や打撃には強い耐性を持つが、鋭い刃による斬撃は、モンスターのセオリーからいけば有効なはず。
 逆に肉の身体を持たない骨だけのスケルトンや硬い鱗や甲羅を持つモンスターは、打撃が有効で斬撃は効き難い、というようになる。
 クロノはこれまであらゆる敵を切り裂いてきた『呪怨鉈「腹裂」』ならば、このランク5のモンスターだろうと、その肉体を断つことができると信じて斬りかかる。
 だが、対するラースプンはそうして駆けるクロノを黙って待っていることなどしない。
 未だ両者の間合いが重ならない距離、だがラースプンは右腕を振りかぶると、その手のひらに再び火炎が収束し始める。
(火球を飛ばせるのか!?)
 それはまるで炎の攻撃魔法のように、大きな火球を手のひらの上で形成された。
 そして、クロノがモンスターの巨体へ肉薄する前に、炎の豪腕が振るわれ弾丸の如き速度で火球が放たれる。
「――黒盾シールド!」
 黒い繊維が折り重なるように防御魔法が形成される。
 その大きさはクロノの膝から頭の上までを覆う長方形、目前に迫る直径1メートルほどの火球を前に、その黒い盾はあまりに頼りなく見えた。
 それはきっと、ラースプンも同じ。VVK
 着弾、爆発、黒煙と熱波が吹き荒れると、鋭い牙が並んだ口元は邪悪な笑みで歪められた。

2015年5月13日星期三

ガラハド要塞

冥暗の月11日。スパーダ軍第四隊『グラディエイター』の第一陣は、無事にガラハド要塞へと到着した。
 整えられた山道ではあるが、降り積もった雪に加えてキツい傾斜が続く中々の難所だったが、トラブルも脱落者もなく、つつがなく予定通りの日程を終えた。
 俺としては、一度は通ったはずの道なのに、全く見覚えがないことに少しばかりのショックを受けたくらい。無論、それはガラハド・スパーダ間の道だけでなく、この圧倒的な大要塞の威容もである。巨根
「ガラハド要塞って、こんなデカかったんだな……」
 目の前にそびえ建つのは、ただひたすらに巨大な壁。ガラハドの大城壁、と呼ばれるソレは、歴史を知らずとも、何者もこれを超えることは叶わなかっただろうと見る者に思わせてならない。
 実際に歴史を知る者ならば、もっと驚くべき代物でもあるが。
 実はこの大城壁、古代遺跡を利用して建設されたものだという。元々は、正門となっている巨大な鋼鉄の門と、そこから広がる崩れかけの壁が数十メートルに渡って伸びているというだけの、遺跡というより、ただの廃墟と言った方が適切な有様だった。しかし、残骸であっても古代のテクノロジーで作られた扉と壁は強固で、この立地もあってそのまま利用しようと、遥か昔の初代スパーダ王は判断したのだ。
 そうして長い年月の中、少しずつ、だが着実に要塞は拡大・強化されてゆき、今の超巨大な城壁の完成まで至ったというわけである。
 そんな歴史ある大要塞が建設された場所は、奇跡的に開かれた山間の切れ目。その一点だけ標高が低くなだらかで、そのすぐ両脇から、断崖絶壁となって二つの岩山が突き出ている。山の中というより、巨大な谷間のような印象を受ける。
 もしかすれば、この奇妙な地形も、古代に造成されたのかもしれない。
 そしてガラハドの大城壁は、およそ一キロの幅を持つ谷底を、端から端まで完全に封鎖しているのだ。
 その高さは約五十メートル。精密に組まれた垂直の石壁は、攻めるダイダロス側からだとダムにしか見えないだろう。
 一方、俺の立つスパーダ側からだと、その巨大城壁に見合った大きさの砦が建っているのが見える。箱のような四角形で、四隅に防御塔を備えているのは、イスキア古城と同じ造りだ。ただし、その大きさは桁違い、倍くらいに見える。
 違うのは大きさだけではない。デカい分だけ壁面装甲が厚くなっているのに加え、建物全てを覆う広域結界による魔法防御力も備えているのだ。
 砦が単体でも高い防御力を発揮するが、この天に向かってそびえ立つ摩天楼のような四本の防御塔は、さらなる守りの力をもたらしてくれる。
 塔の天辺は、砦で一番の高所からスパーダの宮廷魔術師による最大火力の攻撃魔法をぶっ放す砲台。大樹の根のように地下深くにある最底辺は、大城壁を除くガラハド要塞全てを守る結界を発動させる結界機の役割を果たす。攻守において、防衛の要となる重要な施設の一つである。
 さらに驚くべきなのは、この巨大要塞の他にも、倉庫や兵舎、馬も天馬も飼える厩舎などの建物も立ち並んでいることだ。最早、ちょっとした町である。
「あの時は、アルザス戦の直後でしたからね。覚えてないのは、無理もないでしょう」
 要塞の規模に驚いているのは俺だけで、フィオナは何の感動も浮かばないといった表情。むしろ、俺を気遣ってくれる分、要塞など気にも留めてない感じだ。
「あの時は世話をかけたよな……」
 救助に来たスパーダ軍と合流して以降、完全に緊張の糸が切れた俺は、茫然自失の状態だったからな。気が付けば、猫の尻尾亭で寝ていたというような感覚。
 これでも、リリィとフィオナの手前、心配はかけまいと表向きは空元気で普通にしていたつもりだったが……改めて思えば、当時のことはほとんど記憶にない。
 ミアと出会って復活するまでの間、二人には世話になったし心配かけっぱなしだったしで、本当に謝罪と感謝の念が絶えない。
「大丈夫だよ、リリィ、もう負けないから!」
「ああ、そうだな。俺達は強くなった、使徒が来ても、今度こそ勝ってみせよう」
 高まる戦意と必勝の誓いを胸に、俺はリリィを抱えてメリーから降りる。 ここから先は、馬を引いて指定の厩舎まで行く。
 フィオナも軽やかにマリーから降り、手綱を引いて歩き始めている。掲げた看板にデカデカと『ガラハド飯店』と書かれた建物に向かって。
「おいフィオナ、そっちは食堂だぞ」
「分かってます」
「馬を連れたままじゃ入れないだろ」
「……分かってます」
 いや絶対、分かってなかっただろ。何ちょっと拗ねた顔してんだよ。
 施設が充実していると、誘惑も多い。特に戦場ではみんな餓えている。
 しかし、到着したばかりで餓えているのはどうなんだろう。
「預けたら食事にするから」
「了解です」
 スパーダの正規兵は食事が支給されるが、俺達にはない。全て自前である。
 だからこそ、こうして普通の飲食店なんてのも建っているのだ。まぁ、普通に酒保商人と呼ばれる、軍隊を相手に商売する者もいるから、このテの店が皆無ってことはない。
 特に鉄壁を誇るガラハド要塞は、絶対に突破されないという信頼も相まって、こうして城壁のすぐ近くに堂々と店を構えられるのだろう。あの如何にも娼館らしい三階建てなど、かなり年季が入っている。というか、こんな近くにあって大丈夫なのか、ああいう店は。別の意味で心配になる。
「それにしても、凄い人だな……リリィ、はぐれるなよ」
「はーい」と元気の良い返事でスイスイと人波を避けて歩くリリィの足取りは軽い。軽いというか、浮いている。『フェアリーダンスシューズ』は、やっぱりちょっと楽しそうだな。
 この場には、すでにスパーダの主力が集結している上に新たに冒険者もやって来たのだ。人口密度はさらに上がっている。
 ほとんどのスパーダ騎士はすでに砦の方へ詰めているものの、騎馬の多い第二隊『テンペスト』は屋外に天幕を張って駐留している。自分の馬は自分で世話するようだ。そうでもしないと、戦場で命を預けるパートナーにはなれないだろう。
 ともかく、丸ごと一軍団の兵士と、冒険者の軍団とで、砦の外も人で溢れているのだ。勿論、俺達もテントを張っての野外生活となる――かと思ったが、宿をとることができた。運が良かったというより、ランク5の役得といった感じか。もっとも、田舎ギルドの客室とどっこいといったものだが。
 そうして、どうにかこうにか人ごみをかき分け進んでいると、不意に頭上を大きな影が過って行った。
「おお、アレが竜騎士ドラグーンってやつか」
 見上げてみれば、緑の鱗を持つ飛竜ワイバーンが崖の上に設けられたヘリポートのような場所へ次々と降り立っている姿が見えた。どうやら、竜騎兵隊が駐留する専用の飛行場となっているようだ。
 サラマンダーより二回りは小さいワイバーンだが、竜の系譜に連なる者としての力強さを、羽ばたく両翼から感じさせてくれる。
「あー、一匹だけ白いのがいるよー」
「本当だ、アイツが隊長なのかな」
 純白の鱗が目に眩しい、何とも優美な外観の白竜が、最後に降り立っていった。真っ白い翼に逆巻く風がここまで届いたのか、そよ風が吹き抜けていく。
「白い飛竜とは珍しいですね。よほどの実力者か、よほどの金持ちじゃなければ乗れないですよ」
 ちょっと白けた様子で、フィオナが言う。
「あそこに掲げられている旗、アヴァロン国旗ですね。だとすると、第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』でしょう」
 フィオナの目線を追えば、たしかに崖の上にはためく青と白のカラーリングが特徴的な旗がある。描かれた紋章のモチーフは、剣と盾と竜。あまり馴染みはないが、ソレがアヴァロンの国旗であると、知識としては知っている。
 だが、そこからどこそこの部隊だ、というところまでは分からない。狼1号
「詳しいな、フィオナ」
「授業で聞いただけです」
 そういえば、何かの授業でやったような気がしないでもない。なぜなら、俺も第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』というフレーズにどこか聞き覚えがあるのだから。
 どうやら、学業成績だけならフィオナの方が優秀なようだ。俺も高校じゃそれなりに成績は良い方だったが、一番ってワケでもなかったからな。やはりフィオナ、天才か。
「アヴァロンから多少は援軍が来るって話は聞いたが、なるほど、下手に人数を派遣するより、精鋭の竜騎士ドラグーンが来てくれた方がありがたいな」
 アルザスでも見かけた天馬騎士ペガサスナイトをはじめ、空を飛べる騎士という存在は強力かつ希少な存在である。アヴァロンは大軍こそ送らないが、こうして虎の子の空中戦力を派遣してくれるのだから、それなりにスパーダを応援する気持ちが窺える。
「恐らく、今回は十字軍もかなりの空中戦力を投入してくると思います。一騎でも対抗できる兵が多いのは、確かにありがたいですね」
「リリィもいるよ!」
「いや、スパーダ軍とアヴァロン軍に任せても大丈夫だろ。俺達『エレメントマスター』は、今回こそ三人一緒に戦える」
 あくまで、予定であるが。できれば、リリィがまた天馬騎士の相手をするような緊急事態とならないことを祈る。
「ラストローズ討伐では、全くお役にたてなかったので、今回こそ、活躍して見せますよ」
「リリィ、いっぱい頑張るから、クロノ、いっぱい褒めてね!」
「心強い言葉をありがとう。俺も頑張るよ、全身全霊で――」
 十字軍を、血祭りにあげてやる。
 さぁ、迎え撃つ準備は整った。後は、ヤツらが来るのを待つだけだ。
「――ああ、もう、日が暮れるんだな」
 竜の飛影が横切る空は、いつの間にか赤く染まり始めていた。もうすぐ、このガラハド要塞も暮れなずむ夕日で赤に染まるだろう。
 鮮血によってこの地が本当に赤く染まるのは、さて、あと何日後となるだろうか。
 時が来るまで、俺は静かにここで待とう。



 冥暗の月16日。早朝。
 東の空から登り始めた朝日を背景に、一騎の天馬ペガサスが悠然と飛んでいた。
 眼下に広がるのは一面の銀世界。青々とした草原は今や分厚い雪の下、深緑の森も雪と氷で色を失っている。
 飛来するペガサスの毛並みも、この雪景色に劣らぬ純白の艶を持つ。誰が見ても、美しいと口を揃えるだろう。
 しかし、その背にまたがるのは、さらなる真白に身を染める者。白銀に煌めく絹糸のような長髪がなびき、身にまとう聖なる法衣は風にはためく。
 如何なる汚れも穢れも一切許さないとばかりに、真っ白に透き通った肌の、一人の乙女である。
「……着いた」
 溜息のように呟いた一言は、白い吐息の跡だけを残して宙に消えた。
 少女は手綱を僅かに引いて、純白の騎馬へ命を伝える。主の意思を正確に汲んだ従順なる下僕は、美しくも逞しい白翼を羽ばたかせ、一気に高度を下げて行く。
 降り行く先にあるのは、白い景色の中に黒々と浮かび上がる、大きく無骨な建築物。守るためではなく、攻めるためにこの地へ建てられたソレは、雪よりも冷たそうに見えた。
 そうして、ペガサスに乗った彼女は降り立つ。
「――第七使徒サリエル卿、ようこそ、アルザス要塞へ!」
 正門前に整然と立ち並び、出迎えの声を上げるのは、この要塞に詰める全兵士。白い装備は図らずとも雪上での保護色となっているが、五千もの人間が集団になっているのは中々に壮観である。
 しかしながら、五千人の内にあっても、サリエルの小さな体は輝かんばかりの存在感を主張する。
 十字軍総司令官、第七使徒サリエルが天より舞い降りる一幕は、正に降臨と呼ぶべき神々しさ。神の奇跡をその身に宿す美しき少女の姿に、兵の誰もがひれ伏しながら息を呑む。まだ幼い少年兵は目を輝かせ、妙齢の女騎士は嫉妬すら忘れて美貌に見入り、歴戦の将校はただ感嘆の息を吐く。
「……面を、上げなさい。状況の、報告を」
 フワリと天の羽衣が舞うようにサリエルがペガサスから降り、自らの足で白い地面に一歩を踏み出した時になり、兵たちは魅了から解放され、己の職務をハっと思い出す。
 やや慌てて駆け寄ってくる、煌びやかな白銀の鎧を身にまとった青年は、このアルザス要塞を預かる将で、ベルグント伯爵の甥っ子であると聞いていた。
「失礼致しました、サリエル閣下! 自分は、ベルグント伯爵連合軍、第八大隊を率いる――」
 緊張の面持ちで紹介された名前は記憶には留めるものの、サリエルがその名を呼ぶことはないだろう。
 自分がこの場に来たのは、真冬にも関わらず強行されたガラハド要塞攻略戦を見守るためである。総司令官の指揮権をふりかざして、余計な介入をするつもりはない。
「本隊は、すでに出陣したようですね」
「はっ、凍土の月24日に本隊はアルザス要塞より出陣いたしました。ご覧のとおり、街道は険しい山と風雪によって閉ざされておりますので、道を確保しながら進むのにいささか時間がかかってしまいました」
 聞いてもいないのに、彼らがどのようにして雪道を切り開くと同時に、街道が再び雪で閉ざされぬよう保持しているのかを甥っ子将軍は懇切丁寧に説明してくれる。
 使徒にケチをつけられたら大事だ。理解と納得を得るために彼も必死なのだろう。
 もっとも、どんなにずさんな作戦計画であったとしても、サリエルは口を挟むことは決してないのだが。無口な彼女の意思など知りようもない彼は、懸命にも無為な説明を重ねつづけた。
「――ですので、ちょうど今日か明日あたり、叔父上、失礼、ベルグント将軍閣下はガラハド要塞への攻撃を始めるものと思われます」
 長い説明を経て、ようやく結論が出たその時、サリエルはピタリと足を止めた。あまりに唐突に歩みを止めたものだから、青年は大きく踏み出した足を慌てて戻そうとして、たたらを踏んでいた。
 ちょっと間抜けな彼の姿は、サリエルの真紅の瞳には映っていない。その赤い視線は、遥か遠く、晴れ渡った冬の青空の下に悠然とそびえるガラハドの山並みへと向けられている。
「……始まった」
 何が、とは、誰も問いかけられなかった。しかし、そのつぶやきを聞けば、誰もが薄々と察することはできるだろう。
 サリエルはそれ以上、言葉を続けることはなかった。彼女に説明の義務はない。自分が分かれば十分なのである。
 使徒の持つ超感覚によって、今この瞬間、十字軍とスパーダ軍の戦いが始まったことを察知したのだった。三體牛鞭
「用意は、しておきます」
「用意……ですか?」
 今度こそ、彼は疑問をぶつけた。サリエルの台詞は、独り言ではなく明らかに自分へ向かって投げかけられたものだから。
「用意、です」
「は、はぁ……サリエル卿をもてなす準備は整っておりますし、すぐお休みになられたいのでしたら、部屋もご用意しておりますが……」
 サリエルの言う「用意」とは一体何のことか、全く分からないとばかりに困惑顔で、彼はしどろもどろに正解を探るような物言い。ジっと真紅の眼差しを受け、緊張の汗が青年の顔に流れる。
「後でよいです」
 無口な彼女は迷うことなく詳細説明を放棄して、行動に移った。
 ちょうど潜り抜けたアルザス要塞の大きな城門を戻り、再び外へ。そこにいるのは、未だに直立不動で整列を崩さない十字軍兵士五千の姿。彼らの視線を一身に浴びながら、サリエルは呑気に散歩でもするかのように静かな足取りで、城壁に沿って歩き始める。
 一体何処へ行こうというのか――そんな疑問を誰もが抱いたその時、サリエルは再び足を止めた。
 新雪の降り積もる雪の地面を見つめる姿は、石化の魔眼によって石像にされたようにピクリとも動かない。
「あ、あの、サリエル卿……そこに、何か?」
 たっぷり間をおいてから、謎の停止中のサリエルへ、ついに声をかけた。ゆっくりと振り向いたサリエルは、変わらず人形めいた無表情だが、はっきりと言葉を発した。
「ここに、魔法陣を描きます」
 何の魔法で、何の為に。それはサリエルしか知らない。そして、彼女はきっと説明はしない。
 故に、彼らにとって正しく「神のみぞ知る」という意味に等しい。
 しかし、使徒が行うなら、そこに誤りはない。必ずや神意に沿った、必要な行動のはず。
 ならばサリエルのソレは、きっと我らが十字軍を勝利に導くものである――そう、誰もが解釈しただろう。
 だが、当の本人は思う。彼らの希望とは対極にある「できれば、使いたくない」という本音を。
 これから描く魔法陣。それがもたらす魔法の効果を使うその時がくるとすれば、恐らく――

グラディエイター
 集合場所はスパーダ大正門前、とギルドで告知されていた。緊急クエストを受注し、晴れてスパーダ軍第四隊『グラディエイター』の一員となった者は、まずここに集まり、簡単な説明の後、ガラハド要塞目指して出発となる。
 スパーダの表玄関である大正門は、大通りを真っ直ぐに下って行けば辿り着く一本道。ネルでも迷わない安心な道順である。
 しかしながら、今朝の交通状況は中々の混雑ぶり。スパーダ大通り方面は一部通行止めです、なんてカーラジオ風の音声案内が頭に響く。というか、ヒツギだった。
 ともかく、そんな渋滞一歩手前みたいな状況になっているのは、現在スパーダにいるほとんど全ての冒険者が同じ大正門目指して集まりつつあるからだ。通りに出た時から、すでに各々の武装を整えた冒険者の集団が、徒歩だったり馬に乗ったりして行進している。中には、幾つかのパーティを乗せた大型馬車や、大量の物資を搭載した貨物竜車の大きな車体もちらほら混じる。おまけに、戦場へ向かう冒険者を見送るスパーダ国民も集まっており、道の左右を占有していた。凱旋パレードほどではないが、それに近い盛況ぶり。
 そうして俺達もすぐに列を成す冒険者集団の仲間入りを果たす。流石にメリーの巨躯とオーラは目立つのか、冒険者にも群集にもチラチラと注目され、ヒソヒソと内緒話をされている。気にはなるが、仕方がないと割り切っている。
「おお、凄い集まってるな」
 大正門の前は、闘技場が丸ごと建てられるほど大きな広場となっているのだが、今は大勢の人でごった返している。そこへさらに、現在進行形で続々と冒険者が到着してくるのだから、人口密度は増加の一途。薄ら雪が積もる冬の季節でありながら、この場は真夏の甲子園球場か東京ビックサイトみたいな熱気を感じる。
「ここまで冒険者が集まっているのは、初めて見ますね」
 隣で轡を並べるフィオナが、台詞とは裏腹にぼんやりと興味のなさそうな目で広場を見渡している。馬上にある分、視界が高いのでよく見えた。
「それだけ危機意識が高いってことか」
「いえ、勝ち戦に乗りたいだけでしょう」
 最近フィオナには、期待を砕かれてばかりな気がするが、果たして気のせいだろうか。
 しかしながら、言われてみれば納得である。
「他の国からも冒険者がわざわざ参加するのも多いって聞いたけど、そういうことか……」
 真に救国の志があるのなら、とっくに騎士団へ入団しているだろう。冒険者は報酬があって初めて動く。傭兵と大差はない、というより、この両者の区別はほとんどないといってもいいだろう。
 はっきり傭兵と呼べるのは、傭兵団と名のつく組織に所属する者くらいだ。
「スパーダはこれまで四度ダイダロスの侵攻を退けていますので、誰もが今回も勝てると思っているでしょうから」
 スパーダとダイダロスで起こった争い、ガラハド戦争と呼ばれる戦いの始まりは、レオンハルト陛下の祖父、つまり先々代の第50代スパーダ国王の時代まで遡る。
 最初の戦いである第一次ガラハド戦争は、50代目が息子に王位を譲る直前の、老齢の時に起こったという。侵攻そのものはかろうじて防いだものの、この戦いでガーヴィナルより受けた傷により、50代目は亡くなった。
 続く51代目の時に、第二次と第三次ガラハド戦争が起こる。俺も最近知ったのだが、この先代国王は悪政を敷く典型的な暴君という評価であるらしい。神学校も相当ヤバい荒れ方をしていたとか。しかしながら、この二度に渡りスパーダをダイダロスの魔の手から守り切った実績だけは、今も賞賛すべき偉業として語られる。
 ただ、当代のレオンハルト陛下が、まだ13歳の王子だった頃に参加した第三次ガラハド戦争は、彼の活躍こそが一番の語り草となっているらしいが。
 そして、十年ほど前に起こったのが第四次ガラハド戦争。王となったレオンハルト陛下が、黒竜王ガーヴィナルと一騎打ちの末に撃退したという伝説の戦いだ。先代の悪政から地道に国を建てなおしつつあった実績と、さらに防衛戦争における大戦果。二つが重なり、レオンハルト陛下は今もスパーダ国民から熱烈な支持を受け続けている。
「相手がダイダロスだろうが十字軍だろうが、スパーダ軍の強さは変わらないからな。そりゃあ期待もするだろう」男宝
 さらに、これまでの戦争でしっかりと報酬が支払われたという実績もインセンティブの一つとなっているだろう。
 スパーダは同盟関係にある都市国家群において、ダイダロスの侵略を防ぐ盾としての役目を務める代わりに、同盟各国から多大な援助を受け取っている。雇った冒険者達に気前よく報酬を弾んでも、スパーダの懐は痛まない。
 ただその分、他国から直接的な戦力の応援はほとんど望めないようだが。精々、隣国のファーレンとアヴァロンから騎士団の一部隊が駆けつける程度だという。
 まぁ、あんまり各国から集まりすぎたら指揮も混乱するし連携も不安と、色々問題あるだろうからな。何より、今までそれで上手くやってきたのだから、一つの体制として確立しており、今回の有事にも素早く対応できるというわけだ。すでに、それなりの金銭と物資がスパーダに集まりつつあるとウィルから聞いた。
「ねぇークロノー、すっごいキラキラしたのがいるよー」
 真面目に戦争の状況について思いを巡らせていたところを、リリィのあどけない声で遮られる。
 小さな人差し指が示す先には、この人ごみの中でも一際目立つ煌びやかな一団が見えた。古代ローマ兵のようなプレートアーマーは、金を基調として色鮮やかな装飾がされて何とも派手である。しかし、そこには確かな実用性と魔法の効果が秘められていることが、この距離からでも分かった。第六感が、微弱ながらも数々の魔力を察知してくれる。
 そんな良い装備に身を包むのは、筋骨隆々の男達、いや、冒険者なら体格のよい男なのは当たり前なのだが、その中でも特に目を引く見事な肉体を誇っているのだ。腕や脚、あるいは肩や胸、腹なども一部露出しているようなデザインの鎧もあるお蔭で、その筋肉美が惜しげなく晒されている。
「なるほど、アレがプロ剣闘士ってヤツか」
 実際に見たのは初めてだが、間違いないだろう。豪華な装備はスターとしての見た目に相応しく、それでいて、ただ歩く姿も堂々としていて隙がないのは、戦いのエキスパートであることを示している。
 何より、彼らが歩む先では冒険者の誰もが道を譲り、見事に人垣が割れていく。俺も祝勝パーティで経験した、アレである。
「何か一人だけ、こっちに向かってきてませんか?」
 胡乱な目つきでフィオナが言った通り、剣闘士集団から離脱して真っ直ぐこちらに向かって接近してくる人影が一つ。何でだ、というか誰だ、と疑問に思う間もなく、人の割れた道が俺達の目の前まで繋がった。
「やぁ、おはよう。君達が『エレメントマスター』で間違いないよね?」
 堂々と現れた一人の男が、爽やかな笑顔を浮かべて声をかけてきた。
「……そうですけど」
 ソイツは、とんでもない美形だった。
 ゆるやかなウェーブを描く金髪は肩口に届くほど長く、柔和な青い目に泣き黒子が印象的な白皙の美貌。男のくせに、髪はリリィみたいに艶やかで繊細なプラチナブロンドだし、サファイアの澄んだ瞳はネルのような輝きを宿している。
 とろけるような甘いマスクには、魅了チャームが宿っていると断言できる。俺も一瞬だけ、目を奪われた。
 そんな美貌を誇っていながら、その首の下は鍛え上げられた筋肉の鎧をまとっている。傷痕どころか染み一つない白い肌は、不気味なほどに綺麗で、人というより彫刻像が動いているような印象だ。白い筋肉美を飾りたてる黄金のプレートメイルと真紅のマント姿は、正に芸術品。
「初めまして、僕はファルキウス。剣闘士団『スターライトスパーダ』の筆頭剣闘士プリンシパルを務めている――んだけど、その顔を見ると、僕のことは全く知らないようだね」
 あはは、と苦笑を浮かべる様も、何とも絵になっている。おまけに、赤い唇から紡がれる声も麗しいテノールボイス。この顔と声で愛を囁かれたら、スパーダの女性は一発で落ちるだろう。
「いえ、その名前には聞き覚えがあります。確か、スパーダで一番人気の剣闘士ですよね」
 スパーダに住んでいれば、剣闘の話題は自然と耳に入る。この国における剣闘ってのは、日本でいうプロ野球とサッカーとアイドルを一つに合わせたくらいに圧倒的な人気を誇っているのだから。
 そんなスパーダ剣闘界のトップに君臨する選手の名前くらいは、いくら俺でも聞いたことはあった。勿論、顔までは知らなかったが、こうして本人を前にすれば納得せざるをえない。
 ともかく、このファルキウスさんからは特に敵意のようなものは感じられない。とりあえず、馬から降りて俺も挨拶の一つでもしよう。
「『エレメントマスター』のクロノです。それで、貴方のようなスター選手が、俺達に何の用でしょうか?」
「ふふ、そんなに固くならないでほしいな。今は君の方が有名なくらいじゃないか、イスキアの英雄さん」
 泣きじゃくる赤ん坊でも一発で泣きやむんじゃないかというほどの穏やかな笑顔を浮かべながら、ファルキウスさんが俺の肩に気安く手を置いた。
 悪魔のローブ越しでも、その掌が本当に剣を握ったことがあるのか疑わしいほどに柔らかな感触が伝わる。
「ランク5冒険者と筆頭剣士プリンシパル、どちらが上ということもないだろう。敬語は必要ないし、僕のことは、気軽にファルって呼んでほしいな」
 いや、それはちょっと……ここは少し妥協させてもらおう。漢方蟻力神
「ありがとう、ファルキウス」
「ふふ、今はそれでもいいかな。それじゃあ、僕はクロノ君と呼ばせてもらうよ」
 屈託のない笑みで、真っ直ぐに俺の目を見つめてくるファルキウス。全くドキっとしない辺り、俺はノーマルなのだと安心できる。
「ああ、それで、こうしてやって来たのは、本当にただの挨拶さ。これから共に戦う『グラディエイター』の仲間としてね」
 なるほど、特に裏はないようだ。
 そう納得しかけたのだが、ファルキウスは俺の肩から手を離すどころか、そのままスルリと腕を滑り込ませて何とも自然に肩を組む姿勢に変わっていた。一瞬の早業、コイツ、手慣れてやがる。
「でもね、黒き悪夢の狂戦士ナイトメア・バーサーカーなんて恐ろしげな二つ名を持つ君のことは、前から気になっていたんだ。悪魔のような男だと、噂では聞いていたけれど――」
 ほとんど体が密着状態。俺よりほんの数センチだけ低いくらいの高身長だから、顔も近い。ついでに、仄かに花のような甘い香りも漂ってくる。お上品な香水の匂いだ。
「驚いたよ、こんなに綺麗な男ヒトだったなんて。特に、この黒髪。アヴァロン王族よりも黒くて、暗くて、でも艶やかで、羨ましくなるほどに、魅力的だよ」
 ファルキウスの空いている方の手が、俺の毛先を優しく撫でた。
 思わず飛び退く。
「少し、離れてくれないか」
「初心なんだね。そういうところも、可愛いよ」
 背筋がゾっとした。割と本気で。
 脳裏によぎったのは、いつだったか、街中で姉貴がチャラい男にナンパされているところに遭遇したシーン。軽薄な美辞麗句を並べ立てるチャラ男を、心の底から軽蔑した眼差しを向ける姉の姿が印象的だった。
 まぁ、あの場は俺が一声かけると、チャラ男は「すんません、今マジでこれしかないんで勘弁してください」と、財布の中から二千円札を投げ捨てて遁走していき、事なきを得たのだが。
 軟派なナンパ男を一発で退散させる強面の俺が、まさか口説かれる側になるとは……異世界って、こんなに恐ろしい場所だったのか。
「ははは、ただの冗談さ。けど、少し馴れ馴れしすぎたかな、ごめんね」
 一歩後ずさりながらも余裕の微笑みで謝るファルキウス。だが、その青い目が結構マジに見えるのは、俺の気のせいだろうか。気のせいだと信じたい。
「ところで、そちらの可愛らしい妖精のお嬢さんが、僕のことを睨みながらピカピカ光っているのは、どうしてかな?」
 振り返り見れば、メリーの鞍の上で仁王立ちになって「うぅー」と威嚇しているリリィの姿が。
「クロノ、この人も危ないよ! 近づいちゃダメ!」
 それには全く同感である。
 しかしながら、あまり邪見にするわけにもいかないビッグネームでもある。それなりに仲良くしておきたいところだ。あくまでも、適度に距離を置いて。近づきすぎると怖い。
「すまん、ちょっと警戒しているだけだから」
「気にしてないよ、悪いのは僕だからね」
 やはり爽やかに笑いながら、ファルキウスはメリーの元まで歩み寄り、睨みつけるリリィへと手を差し出した。
「すまなかったね、可愛い妖精さん。僕はファルキウス、よろしくね」
「リリィなの。クロノに触っちゃメっ! だからね!」
 釘を刺しつつ、リリィは差し出されたファルキウスの白い指先を握って握手した。
「女性の嫉妬ほど怖いものはないからね、心得たよ」
 何とか無事にリリィと自己紹介を交わした彼は、次に隣に控えるフィオナへ視線を移す。
「私のことはお構いなく」
 そう言って小さくノーと手をふるフィオナ。これほどの美男を前にしても、興味の欠片もないとばかりの態度だ。
「魔女のお嬢さんは、クールなんだね」
 いえ、ただの天然です。
 肩をすくめる、というリアクションさえバッチリ決めてみせるファルキウスに、俺は心の中でそう突っ込んでおいた。
「それにしても、面白い面子のパーティだよね。僕は生粋の剣闘士だけど、冒険者ともそれなりに交流はあるんだ。君達は始めて見る構成だよ」
 呪いの武器を使う黒魔法使いと、魔女と妖精だからな。俺だって同じ構成パーティなんて見たことない。まぁ、呪いの武器を使うヤツは少数だが一定数いるし、魔女も格好だけなら誰でもできる。だが、リリィのような半人半魔の妖精はそうそう見つからないだろう。
「戦ったら面白そうだけど、無理に舞台へは誘わないよ」
 どこぞの金髪剣士のように戦闘狂ってわけではないようだ。ちょっと一安心である。
「ああ、でもそういえば、クロノ君だけは、上がったことがあるんだよね。それも、大闘技場グランドコロシアムのアリーナに」
「知ってたのか」
「見事なファイトだったようだね。君のお蔭で、僕のファンが少し減ったよ」
 全く嫌味を感じさせない笑顔は、本当に気にしていないのだろう。冗談一つとっても、いちいち様になる。
「そうだ、良かったら今度選手として招待するよ。一度は舞台に上がったのだから、その気がないってわけじゃあ――」
「いや、遠慮させてもらう」
 呪いの武器が欲しいだけだったからな。正直、強敵と戦いたいわけでも、人気が欲しいわけでもないからな。剣闘の舞台に上がるには、あまりに危険すぎる。
「残念、是非お手合わせ願いたかったんだけど。君となら絶対に良いファイトができる、そう確信している」
 気が付けば、またファルキウスの立ち位置が近かった。ええい、その麗しい目で見つめるな。VVK

2015年5月11日星期一

本の呪縛と安らぎと

「あ、そういえば……進化の実、羊から貰ってるんだった」

 俺は、ギルドからまず出た瞬間にそれを思い出した。
 すっかり忘れてた……。まあ、黒龍神の件や、アルトリアさんのこともあって、慌ただしかったってのもあるけど……。新一粒神

「図書館で調べたり、馬を買ったりするよりも、まず進化の実だよな」

 進化の実の凄さを一番知っているのは、俺だと思う。
 サリアも進化したわけだから、凄いことは知ってるだろうけど、俺はそれ以上に進化の実の凄さを知っているし、感謝している。何度俺はあの実に助けられたことか……。
 だからこそ、魔王なんかとは比べ物にならないほど、今の俺にとって、重要なものだった。
 幸い、俺は道具屋にもともと用事があった。
 それは、回復薬なんかを作ったりするための道具が欲しかったからだ。

「ちゃんとした道具や、ビンが必要だからなぁ」

 クレバーモンキーは、そのビンすら自作してたわけだから凄い。

「えっと……おお、道具屋、意外と近いじゃん」

 ガッスルから貰った簡単な地図を見てみると、ギルドからそれほど遠くない位置に道具屋の場所が示されていた。

「よし、んじゃまずは道具屋からだな」

 そう決めた俺は、早速道具屋に向けて歩き出した。
 道中、ロリコンのオッサンが、お菓子食べてる女の子を見て、息を荒げていたけど気にしない。あ、兵隊さん。あそこに犯罪者がいますよ。
 しかし……ガッスルたちの話を聞くまで気にもしなかったが、よく周りを見てみれば、ジーパン姿の人とか結構いるな。地球とのギャップがなさ過ぎて、違和感を感じなかったんだろう。
 他にも、地球で普通にありそうな服を着てる人もいるし。
 勇者、少しは自重しろ。
 そんなことを思いながら向かっていると、すぐに道具屋にたどり着いてしまった。

「ここか」

 たどり着いた道具屋は、変った建物というわけでもない。ごく普通の店屋さんだった。
 ドアを開けて入ると、見たこともない道具がずらりと並んでいた。

「おや? お客さんかい?」

 不思議な道具の数々に驚いていると、おばちゃんが奥から出てきた。

「あ、どうも。ガッスルの紹介で来ました」
「ははは。そうかい。好きなだけ見ていきな」

 おばちゃんは笑いながらそういうと、また店の奥に引っ込んでいった。
 ……いや、放置されても困るんですけど!?
 そこらじゅうにある道具のほとんど俺知らないよ!?

「仕方ない……見てみるか」

 商品には、商品名と値札が張り付けてあるので、名前とかからどういった道具なのか想像しよう。
 最悪、スキルの『上級鑑定』使えばいいし。

「えっと……これは?」

 そう言いながら、初めに手にしたものは、よく分からない白い球体だった。
 値段は100Gである。

「お手頃価格だな。それで、名前は?」

 名前を確認してみる。

『ただの玉』

「おいコラ店主!」

 玉って! ただって! 一体何に使うんだよ!
 いや、決めつけるのは早い。ただの玉って名前でも、何かしらの効果があるかもしれないじゃないか。
 そう自分に言い聞かせ、スキルを発動させてみた。

『ただの玉』……本当にただの玉。猫の遊び道具にもなり、魔物にぶつければ魔物の気を引ける……かもしれない。

「チクショウ、本当にただの玉だ……!」

 期待した俺が馬鹿だったよ!
 最近、期待を裏切られる機会が多い気がする。主に、ガッスルとか、エリスさんとか……。
 いきなりツッコミどころしかない商品に疲れたが、すぐに気を取り直す。

「んじゃ、この壺は?」

 次に目に留まったモノは、妙な雰囲気のある壺だった。美人豹
 何というか、錬金ができそう。
 もしかしたら、そういう道具なのかもしれない。
 結構な値段で、10万Gもする。それだけ貴重なのだろうか?
 今度は、名前を確認せず、そのままスキルを発動させ、確認した。

『幸せの壺』……持ち主が幸せになれる気がする壺。売れれば、店主は幸せに。

「兵隊さああああああん!」

 詐欺だ! ここに悪徳商売してる人がいます!
 こんな店が存在してていいの!? つか、それ以上に、ガッスルはなんつー店を紹介してくれてるんだよ!
 あれか? 何も知らない新人が痛い目を見て、それを教訓にできるから紹介したのか!? もしそうなら、悪質すぎる!
 もはや、この店に対する信用は地に落ちていた。
 しかし、よく周りを見てみれば、まともな商品も確かにある。
 例えば、『異世界の紙』と書かれた商品は、この世界に召喚された勇者が編み出した製紙法で作られており、地球のモノよりは品質で劣るが、それでも羊皮紙とは比べ物にならない使いやすさを誇っていた。
 値段も100枚で500G。安いのか高いのかよく分からないが、極端じゃない分、まだましだろう。
 他にも、魔法石というアイテムを使って作られた、『魔導式カメラ』というものもあった。おそらく、このカメラのアイデアも、勇者のうちの誰かが伝えたんだろう。
 ギルドのヤツで、盗撮するって言ってたけど、これでしてたのか……。
 まだまだ俺の知らないものが多くあったが、いつまでも見ていては時間がもったいないので、俺は再び必要な道具を探した。
 すると、特に苦労することなく、欲しいモノはすぐに見つかった。

「あった。えっと……乳鉢と乳棒。それに、空き瓶を……とりあえず10個でいいか」

 進化の実を育てるために、一応プランターとジョウロ、それと麻袋に入れられた土を買うことにした。
 一通り欲しいモノを選んだ俺は、奥に引っ込んだオバサンを呼んだ。

「すみません、お会計いいですか?」
「おや? もう決まったのかい?」
「ええ、まあ」

 返事が多少雑になってしまうのは、いろいろとこの店のことを知ってしまったからだろう。
 何か話すわけもなく、淡々と俺は会計を済ませた。値段は3000Gだったが、高いのか安いのか相変わらずわからない。
 まあ、今のところ金には困ってないからいいんだけどさ。
 店から出ると、再び賑やかな風景が俺の目に飛び込んできた。

「さて、次はどうするかな?」

 正直、馬を買うにしても、それは最後がいいだろう。
 今買ったら、いろいろ邪魔そうだしな。

「なら図書館か」

 魔王のことや勇者のこと、魔法の本なんかもあれば、それも見てみたいと思った。
 次の行先も決まった俺は、ガッスルから貰った地図を確認しつつ、図書館へと足を向けた。



「んー……デカい」

 俺が図書館にたどり着いての第一声は、その一言だった。
 俺の目の前には、地球の有名な美術館を思わせる、巨大な建物があった。
 ステンドグラスや時計台もあり、綺麗な見た目でとても街に映えていた。

「ここが王立図書館ね」

 これだけ大きければ、魔法の本とかいくらでもありそうだな。
 そんなことを思いつつ、図書館に足を踏み入れると、中も綺麗で、とてつもない数の本棚に、ビッシリと並べられた本が目に入った。
 図書館に入場料などは存在しないが、その代わり、本は貸し出していないそうだ。
 単純に本を一般公開しているだけらしい。
 それぞれの本には、すべて盗難防止の魔法がかけてあり、図書館から一歩でも持ち出そうとすれば、強制的に本が元あった本棚の位置まで転移させられるそうだ。魔法ってスゲー。
 ただ、受付のようなものもないので、読みたい本があれば、自分で探さなくてはいけないらしい。
 なので、俺も自分で探してみたが、本が多すぎて、途中から自分が何をしているのか分からなくなったよ。
 でも、そんな苦労をしたおかげで、気になる本をいくつか見つけることができた。
 それらの本を抱え、俺は図書館内の席に座る。
 意外なことに人は一人もおらず、だだっ広い図書館を一人で占拠する形となった。

「よし、んじゃまずはこれから読むか」陰茎増大丸

 そう言いながら俺が広げた本は、『勇者と魔王』という、そのまんま過ぎて題名がそのまま内容という本だった。
 歴史書のように、難しい内容ではなく、子供向けの物語のようなものなのだが、一応の確認を込めて持ってきたのだ。
 ……まあ、結局無駄だったんですけど。
 何故なら、この物語の内容は、人間側のいいように曲解されており、魔族が絶対的悪として描かれていたからだ。
 俺が求めてるのは、もっと公平に、第三者的視点で描かれたものだった。
 ま、そもそもそんなことを物語に求めてた俺がおかしいんだけど。
 そんなことを思いながら、他の勇者と魔王関係のことが書かれた本を読み漁っていった。
 だが、それでも俺の求めている内容はなかった。
 どの本もすべて、魔王が悪で、勇者が正義となっているのだ。
 もしかしたら、それが真実なのかもしれない。
 でも、黒龍神の過去を見た今では、俺はとてもじゃないが、そうは思えなかった。

「上手くいかねぇな……」

 思わずそう呟く。
 しかし、そんな中でも一つだけおかしなことがある。
 歴史書の中に登場する勇者は、最終的に魔王を討伐した後、全員が平和に暮らしたと書いてあるのだ。
 勇者アベルの日記を読んだ俺は、それが信じられない。
 あの日記の内容が本物なら、勇者は国によって殺されているはずだ。

「……勇者を召喚した国は、勇者を殺しただなんて死んでも記録に残したくないんだろうな」

 ふとした拍子にそんな記録が勇者たちに知られれば、賢治たちが逃げ出したりするからな。殺される運命をわざわざ受け入れるヤツはいないだろう。

「仕方ない……魔王のことは諦めよう」

 少なくとも、本による魔王に関する情報と、勇者に関する情報を俺は信用しないことにした。

「ま、気を取り直して、他の本でも見ますか」

 そう言いながら広げた本は、俺たちのステータスについて、書かれた本だった。
 今まで俺は、ステータスのことをゲームや漫画から得た知識を頼りに、自分で納得していたが、詳しく調べれば、違うかもしれない。
 なので、この本を持ってきたのだ。
 しかし、書かれている内容は、ほとんど俺の認識と変わらなかった。
 それでも、魅力の部分だけは、俺の認識と少し違っていた。
 今まで俺は、魅力は容姿の良さを表しているモノだと思っていた。もちろん、実際そうでもあるのだが、それだけじゃない。
 なんと、その人の身に纏う雰囲気も、魅力の一つらしい。
 だから、容姿が悪くても、人を惹きつける何かがあるのなら、その人の魅力は高いことになる。
 よく、カリスマ性があるとかいうが、それもこの魅力が関係しているのだ。
 ……あれ? ということは、魅力が空欄状態だったりした俺はどうなんでしょうか? 人を惹きつける要素すらなかったということ?
 軽くそんなことにへこんだが、すぐに復活した。
 何故なら、今から読む本は、魔法のことが書かれた本だからだ。気にならないわけがない。
 わくわく気分で広げた本の題名は、『魔法を使うには?』というモノだった。
 読み進めてみると、魔法というそのものからの説明があった。
 簡単にまとめると、魔法は魔力というエネルギーを消費することで、世界に直接干渉できる力……らしい。
 魔法を発動させる条件としては、魔力が必要なことと、イメージする力が重要なんだとか。
 そのイメージを固定しやすくするために、詠唱というモノが存在し、詠唱破棄や、無詠唱といった技術を持つ魔法使いは、それが自然にできている一流の魔法使いらしい。
 ……おかしくね? 俺、まったくイメージせずに魔法を使いまくってたんですけど。
 だから、サリアとの戦闘のときに、自分の真上に大量の水を落とすような醜態をさらしたんだよ? だってどんな魔法か知らねぇんだもん。
 おそらくだが、俺が魔法を使えていた理由は、もう習得済みの状態で手に入れたため、イメージするという工程が必要じゃなくなったんだろう。……うわぁ。
 そんなことを思っていると、突然頭の中に無機質な声が響いた。

『スキル≪無詠唱≫を習得しました』

 …………。

「……っふ~……」

 まぁたやっちまったよ……。
 流石、称号に自重知らずがあるだけあるな。なんも知らない俺が、いきなり一流クラスのスキルを身に着けちまった……。
 交番の落し物中に、自重って届いてないかなぁ。
 遠い目をしながら、割と本気でそんなくだらないことを考える俺。
 しかし、もう俺が普通の人間じゃないことは理解しているので、結構早い段階で立ち直ることができた。
 そのあとは、それぞれの属性別に分かれた魔法の本を、初級編から上級編、そして最上級編までを俺は読んでいった。流石に煉獄属性の魔法の本はなかったけどね。
 そんな中で、意外だったのが、空間魔法のことについて書かれた本がなかったことだ。
 アイテムボックスのこともあるし、本はあると思ってたんだけどな。
 なので、俺が読むことができた属性の本は、基本属性である火、水、風、土、雷、氷、光、闇だ。
 読んでみた本で、俺の火、水、土属性、そして闇属性の本に書かれていた魔法の全ては、俺の知識の中にある魔法と同じだった。
 だから、それらの属性の本を読み終えた時、俺は自分が使える魔法を完全に把握できていた。空間魔法を除いてだが。絶對高潮

「よし。これで、初めて使った魔法の二の舞にはならないぞ」

 消費魔力しか今まで分かっていなかったが、効果や威力まで詳しく書いてあったのだ。
 ただ、俺が使う魔法は、威力が桁違いなので、そこは当てにしていないが……。
 こうして、火、水、土、闇属性の魔法の本を読み終えた俺は、残りの無、風、雷、氷、光属性の魔法の本も読んでみることにした。
 今は使えないが、いつか使えるようになるかもしれないし、もし相手にこれらの属性を使うヤツがいれば、対応できると思ったからだ。
 火や水は、攻撃力が高そうな魔法が多いが、風や雷は、どちらかといえば、応用のききそうな、万能系統の魔法が多かった。そう言った意味では、風、土属性が使いやすいのだろう。
 何気に、無属性魔法が応用の幅が広かった。身体強化や、単純にモノを浮かせたり、直接攻撃する手段は少ないが、使い方によっては非常に強力だと俺は思う。
 とにかく、俺は全ての属性の魔法の本を読み終えてしまった。時間も、地球のころの俺では考えられないほど早く読み終わったと思う。これも、進化の恩恵か?

「ふぅ……終わったぁ!」

 背伸びをしながら、そう言った瞬間だった。

『【無属性魔法:極】を習得しました。【風属性魔法:極】を習得しました。【雷属性魔法:極】を習得しました。【氷属性魔法:極】を習得しました。【光属性魔法:極】を習得しました。称号【魔導の極致】を習得しました。全属性魔法を最高状態で習得したことを確認。よって、スキル【合成魔法】、【多数展開】、【魔法創造】、【刻印魔法:極】、【陣形魔法:極】を習得しました』

 そんな無慈悲な声が、再び頭に響いた。

「…………」

 おかしいなぁ。目から血涙が止まらないのは何故だろう?
 いや……ね? おかしくね? 俺、本読んでただけなんだぞ? それでコレだよ?
 もしかして、俺って気軽に本すら読めないわけ? 読むたびにこれの二の舞? え、呪い?
 もう、ツッコむ気力がほぼ残っていない俺だったが、なんとかその少ない気力を振り絞り、習得したスキルや魔法を確認していく。
 ただ、無、火、水、風、土、雷、氷、光、闇属性の魔法は、確認しなくてもなんとなく分かるので、それ以外を確認していく。

『無詠唱』……詠唱せずに、魔法を使用することができる。
『魔導の極致』……全属性魔法を極めたものに送られる称号。魔法の攻撃力が2倍になる。
『合成魔法』……違う属性同士や、同じ属性同士の魔法を合成させ、強力な魔法を生み出すことができる。
『多数展開』……属性に縛られることなく、同時に多数の魔法を使用することができる。
『魔法創造』……今までにない、自分だけの魔法を創り出すことができる。創り出した後は、無詠唱で発動できる。創り出す前は、より明確なイメージが必要となり、名前も決める必要がある。
『刻印魔法:極』……剣やアクセサリーなどに、魔法を刻み込むことができる。
『陣形魔法:極』……魔法陣を用いた、強力な魔法を使うことができる。

「ダ~メだこりゃ、手におえねぇ……!」

 俺は、まだまだ人間からかけ離れていくようです。



「……」

 図書館からでた俺は、精神的に疲れていた。
 どーしよ、俺。何目指す? 勇者? それとも魔王? 今なら、どっちもイケる気がする。それこそ、コンビニに行くくらいの気分で。ハハ、まじヨユー。
 どんよりとした気分のまま、街を歩いていると、いつの間にか広場のような場所に着ていた。

「……うーん、賑わってるなぁ」

 おそらく魔法か何かの力が働いている噴水を中心に、周囲には数多くの露店が立ち並んでいた。
 美味しそうな匂いを立ち昇らせる店や、ド派手なインパクト抜群の巨大な絵画を売る人。様々な人が、そこで売ったり買ったりしている。Xing霸 性霸2000

「そう言えば、昼飯食べてなかったな」

 図書館にいたせいで、時間がよく分かっていなかったが、気づけばお昼を過ぎていたのだ。それでも、お昼を過ぎる程度の時間以内に、多くの本を読んだ俺は異常だと思う。

「なんとなく、人が多いこの広場で食べたくないな……」

 今の俺の気分は、賑やかな広場で食べるより、落ち着いた店内で食べたかった。
 そんなことを思いながら、広場を歩いていると、ふと視界に一つの店が映りこんだ。
 他の露店のように、しっかりとした屋台があるわけでもなく、お客さんも一人もいない。
 ただ、地面にシートを広げて、絵画らしきものを売っているだけだった。
 地球のころの俺は、人並み程度にしか芸術には興味がなかったのだが、何故か、その店に俺は自然と足が向いていた。
 店には、一人の女の子が座っている。それも、犬の耳が生えた女の子だ。おそらく店主だろう。耳、触ってみたい……。
 俺より少し年下くらいで、顔だちは可愛らしいのだが、今はそんな顔も沈んでいた。
 俺が店の前まで来ると、女の子は顔を上げる。

「あ……い、いらっしゃいませ!」

 すると、沈んでいた表情を消して、元気な挨拶をくれた。
 女の子の様子を観察しながら、商品である絵も見てみる。

「!」

 これは……。
 俺は、そこに並べられた絵に思わず魅入ってしまった。
 派手さがあるわけでもない。何か、変わった画風なわけでもない。
 ハッキリ言えば、大きな特徴があるわけではないのだが、並んでいる絵の全てが俺には魅力的に見えた。
 水を飲む鳥の絵、談笑する人の絵、夕焼けに染まるこの街の絵、夜空の絵……どれも、日常の中にある、些細なことを題材にした絵だった。
 ここに来た時見た、ド派手な絵を売っている人のところには多くの人が並んでいたが、ここは一人もいない。
 それが俺には不思議だった。
 だって、ド派手な絵……あれ、何描いてあるのか分からなかったんだもん。ピカソは、きちんと絵を描ける上で、あの独創的な絵を描き上げて、人々を感動させていたけど、あの絵からは俺は何も感じなかった。
 まあ、ピカソの絵ですら、教科書で見たりして、凄いなと思った程度だし、そもそもそんなハッキリとした芸術的感性が俺にはあるとも思えないので、何とも言えないのだが。

「これ、全部君が描いたのかい?」

 思わずそう訊いてしまった。
 すると、女の子はいきなり訊かれたことに驚いたのか、少し目を開いた後、すぐに「はいっ!」と答えた。
 スゲー……。俺、絵とか全然描けないぞ。見た感じ俺より年下なのに……。
 とにかく、俺は女の子の絵に感動した。
 この世界に来て、初めて興味を持った絵だしぁ……一枚、買っていくか。
 そう思った俺は、中でも一番心惹かれた、夕焼けに染まる街の絵を買うことに決めた。

「この絵、いくらかな?」
「え? えっと……1000Gです」

 うーん……絵だから、余計に相場が分からない。高いのか? 安いのか?
 どちらにせよ、好きで買うわけだから、いくらだろうが、後悔はしないと思った。

「じゃあ、この絵をください」
「あ……あ、ありがとうございます!」

 女の子は、感極まった様子で、俺から1000Gを受け取ると、丁寧に絵を包装してくれた。
 また今度、額縁買わなきゃな。
 そんなことを考えていると、包装が終わった絵を、俺に渡してくれた。

「ありがとう」

 絵を受け取ると、俺はすぐにアイテムボックスに仕舞う。傷ついたら嫌だし。

「あ、ありがとうございましたっ!」

 店を後にしようとすると、女の子は立ち上がって、お辞儀をしてきた。
 スゲー喜ばれてるけど、そんなに売れてなかったのかな? いい絵なのにな。
 なんとなく納得できないまま、俺は休憩できる店を探すことにした。

「中々ないなぁ……」

 広場から離れて、俺は休憩できそうな店を探していた。
 だが、道沿いにある店は、どこもお客さんでいっぱいで、とてもじゃないが、ゆっくりできそうではなかった。昼時だしね。
 あまりにも見つからないので、俺は少し人が少ない場所に行ってみることにした。
 それは、思い出したくないが、ギルドに来た直後、あの恐ろしいホモ集団に襲われた場所だったりする。
 あそこ周辺は、人気がなかったので、そこを中心的に探せば、一軒くらい見つかるだろう。
 しかし、意外なことに、案外あっさりと人気の少ない店が見つかった。九州神龍

2015年5月8日星期五

神殺し達

戦いの前の空気。肌を刺す緊張感と、死が近くにあるという重苦しさ。
 冒険者たちが集まって暖を取る焚火の明かりに照らされながら、大きく息を吸って、吐く。そんな空気が、肌に纏わり付く。
 胸の辺りがキリキリと痛む。締め付けられるような、小さな針でチクチクと刺されているような。MMC BOKIN V8
 周囲の冒険者たちを見やる。十代後半の若者たちばかり。中には、もっと若い子供のような冒険者も居る。それは別段珍しい事ではない。
 だが、どうやら俺の周りの参加者たちは、大規模戦闘が初めて――もしくは慣れていないのかもしれない。そう考え、もう一度息を大きく吸って、吐く。
 これから戦う。ゴブリンと。沢山の冒険者たちと一緒に。沢山のゴブリンと戦う。殺し合う。
 沢山の仲間が居る事に安心する者も居れば、沢山のゴブリンに恐怖を抱く者も居る。若くて血気盛ん故に参加したのだろうが、作戦直前になって怖くなっているのだろう。
 昔の自分を見ているようだ、とポケットの中のエルメンヒルデの縁ふちをなぞる。

『どうした?』
「緊張している」
『……堂々と言うような事か?』

 ゴブリンだなんて戦い慣れている。何度も戦った。何匹も殺した。平原で、洞窟で、森の中で、街中で。
 だからといって、怖くない訳がない。特に、これから一緒に戦う――背中を預けるべき仲間が緊張している状況に、俺にもその緊張が伝播している。
 空を見上げると燦々と輝く太陽が、もうすぐ中天へと昇る。作戦決行まであと僅か。
 参加者の数は、俺のような接近戦しかできない冒険者が約五十。魔術師や射手が約三十。魔術都市オーファンから出て、約一キロほど南の位置に俺達は陣取っている。
 ここならゴブリンがオーファンに直接危害を加えるのは難しいし、オーファンの防壁からゴブリン達の動きも見える。何か動きがあったら狼煙で知らせる手はずになっている。
 そしてゴブリンは――。

「絶景かな、絶景かな」
『どこがだ。気持ち悪い』

 視線の先、開けた草原の真ん中で、土色のゴブリンの集団が一塊になっている。距離としては、一キロほど離れているかもしれない。目を細めないと確認できないくらいには、距離が開けている。
 今は、今朝方からあの辺りへ撒いてあるオークや野生動物の肉を貪り食っている事だろう。それはあたかも一つの生物のようで、嫌悪感すら感じさせられる。住処に持って帰ろうとしないあたり、それなりの知性はあってもやはり野生だな、と思ってしまう。
 その数、二百匹以上。おそらく二百五十匹近いだろう。こちらは八十人程なので、一人あたりノルマは三匹だ。
 よくもまぁ、あんなに集まったものだと思う。
 そして、同時に裏で何かが動いているようにも感じてしまう。
 ゴブリンには群れる習性があるが、ここまでの数が一纏まりになって行動する事は無い。単純に、数が増えれば強力なのかもしれない。だが、数が増えれば纏める者――指揮官頭が必要になる。
 ゴブリンに慣れた冒険者なら気付いているはずだ。二百五十匹ものゴブリンが集まる異常性に。

「最近、面倒事ばかりに巻き込まれてる気がする」

 三ヶ月くらい前は一角鬼オーガが田舎の村に突然現れた。二週間ほど前は、魔神の炎を使う黒いオーク。
 今回は、二百匹以上のゴブリンの集団だ。面倒事だとしか言いようがない。そして、その面倒事に自分から関わっているのだからどうしようもない。
 宗一と阿弥はどうして居るだろうか? そう思い、魔術師たちが集まっている一角へ視線を向ける。
 アルバーナ魔術学院からは七人の生徒が参加してきている。宗一と阿弥、それにフランシェスカ嬢の姿も確認した。先程、宗一と阿弥が先頭になってアルバーナ魔術学院の生徒たちは合流してきた。
 二人はこんな事には慣れたもので、堂々というか、どこか余裕が感じられた。他の五人は傍目にも判るほど緊張していたが。貴族の坊ちゃん嬢ちゃんだ、こんな大きな戦いに参加するのは初めてなのだろう。
 魔神が健在の頃は珍しくない規模の戦いだが、参加していたのは戦いを生業なりわいにする冒険者や騎士団だった。貴族の学生なんて、親に守られていたんだろう。
 ちなみに、挨拶はしていない。向こうは俺の事に気付いていないはずだ。
 エルメンヒルデに言わせれば、俺は人が悪いらしい。自覚はある。

「大丈夫か?」
「ぅ、ええ。はい」

 隣で蒼い顔をした冒険者に声を掛ける。
 年の頃は十代半ばだろうか。宗一と同年代に見える。まぁ、宗一の方が童顔というか年齢よりも幼く見えるだけなのだが。
 この一年で美青年になりやがって。前見た時より少し身長は伸びていたが、同年代の男達よりは少し低かったのを思い出す。
 後でからかってやろう。
 昔から男らしくありたいと言っていたのに、この一年で中性的な顔立ちになって。昔から可愛いと称する容姿だったが、ソレに磨きがかかっていた。
 阿弥の方は堂々としたもので、宗一よりも男らしく思えた。宗一と一緒に魔術学院生徒の先頭を歩き、胸を張ってまっすぐ前を見ていた。
 力強く、硬い意志を感じさせる視線は昔のまま。エルメンヒルデと二人で変わってないなぁ、と同時に呟いてしまったほどだ。
 そんな宗一達と同年代の冒険者。こんな大規模戦闘は初めてなのだろう、緊張していて今にも吐きそうだ。威哥王三鞭粒

「安心しろ。魔術師があの集団に魔術を打ち込んで、俺達は討ち漏らしを狩る。簡単な仕事だ」
「……判ってる。けど……」

 それでも怖いのだろう。
 昔は俺も、俺達もそうだったと思い出す。懐かしい気持ちを感じながら、ポケットからメダルエルメンヒルデを取り出す。

「おい、少年。名前は?」
「えっと……ロブ。ロベリアーノ」
「良い名前だな、ロベリアーノ。ロブ。それに、ビビってるお前ら。こいつをよく見てろ」

 そう言って、エルメンヒルデをピン、と指で弾く。
 そして、クルクルと回るメダルを掴み取る。

「表だ」

 手の平を開けると、宣言通りに表。
 それだけではない。もう一度、メダルを指で弾く。手で掴む。

「表だ」

 繰り返す。
 何度も、何度も。何度でも、表を出し続ける。
 そうやっていると、何かズルをしている。イカサマだ、と言う声が上がる。
 だから今度は、周囲の連中に表か裏かを選ばせてから指で弾く。周囲の要望に応え、表と裏を出し続ける。
 以前フランシェスカ嬢に見せたように、表と裏のどちらかを見極めてメダルを掴み取っているだけなのだが、これが意外と気付かれない。

「次は表でっ」
「おう、出るといいな」

 そう言って弾き、メダルエルメンヒルデを弾く。出た目は、表。
 歓声が上がる。

「お前らは運が良い。これだけ、メダルの裏表を当てられ続けるんだからな」

 歓声が止む。静まり返る。

「だから大丈夫だ。お前らは死なない。生き残る」

 エルメンヒルデをポケットに仕舞う。
 手品は終わり。青い顔をしていた冒険者たちの瞳に、今はもう恐怖は無い。
 それでいい。今の俺に出来る事なんて、この程度だ。この程度の“手品”が限界なのだ。

「ゴブリンごときにビビるなよ? ゴブリンを殺す事より、生き残る事を考えろ。周りの仲間の背中を守れ。そうすりゃ、誰も死なずに帰れるさ」
『随分と、饒舌な事だな』

 どこか嬉しそうなエルメンヒルデの声に肩を竦めて応える。
 別に、特別何かを思っている訳じゃない。誰にも死んでほしくないだけだ。
 名前を知っている訳じゃない。ただ今日、肩を並べて、同じ戦場で戦うだけだ。そんな人は、この異世界に来てから何人も居た。そして、死んでいった人たちも。
 だから、死んでほしくない。魔神は討伐された。これから世界は平和になる。だというのに、こんな下らない戦いで死んでほしくない。
 そう思うのは、当たり前の事だろう。そして何か出来る事があるなら、不安を取り除ける方法があるなら、死ぬ確率を下げる手段が一つでもあるなら、俺は何かをしたい。何もしないままではいたくない。

「当たり前の事を、当たり前にやればいい。そうすれば、周りの皆が助けてくれる。人間は、一人じゃ弱いんだ」

 エルメンヒルデへ向けた言葉に、若い冒険者たちが返事を返す。
 その事が少し可笑しくて、口元を緩めてしまう。

『レンジ』

 視線が集まっているので返事をする訳にもいかず、ポケットの中のエルメンヒルデの縁ふちを軽く撫でて応える。

『…………それでいい。ずっとそのままでいてくれ』

 なんだそりゃ、と。
 活気付く若い冒険者たちを見ながら、一つ息を吐く。
 このままでいいなら、ずっとこのままだ。のんべんだらりと、のんびりと、ゆっくりと、異世界生活を満喫していこう。
 空を見上げると、そろそろ作戦が始まる時間である事を太陽が教えてくれる。
 宗一達は大丈夫だろうか?
 一瞬そう思い、思考を切り替える。宗一も阿弥も、俺より強い。俺が心配するより、むしろ俺が心配される側だ。
 やるべき事をやろう。この戦いを少しでも早く終わらせるために。
 宗一達が、子供たちがあまり戦わなくて済むように。

 戦いが始まった時点で、勝負はついていた。
 冒険者魔術師と魔術学院の魔術師による一斉攻撃。人間など数人は飲み込めそうな火の玉や、オークの巨体すら貫きそうな氷の矢。大気の歪みが見て取れるほどに圧縮された空気の弾丸。
 それが一斉にゴブリンの一団に叩き込まれた。爆発し、血飛沫が舞い、耳障りな絶叫が俺の耳まで届く。
 それが開戦の合図。最初の攻撃で数十匹のゴブリンが死に、残った連中が俺達を敵と認識する。威哥王
 鬨の声を上げながらこちらに接近してくる。そこに第二射。今度は射手たちにより矢の雨が降らされる。それによりさらに数十匹のゴブリンが地に伏せる。第三射は、再度魔術師達による魔術攻撃。――のはずだった。
 ゴブリン達とこちらの距離はまだある。だが、第三射が始まらない。

「なんだ?」

 周囲の冒険者たちも、何かあったのかと魔術師や射手たちが集まる方向へ視線を向ける。
 しかし、人が多すぎてとても見えない。
 そうこうしているうちにも、ゴブリン達は接近してくる。こちらの接近職の数よりも多い。まだ二百匹近くは居るだろう。
 段々と近づいてくる。そうすると、周囲から焦りの声が上がり始めてしまう。

『何かあったな』
「――だから、魔物討伐の仕事は嫌いなんだ」

 宗一と阿弥は大丈夫だろうか?
 自問するが、答えは無い。今はただ、何事もない――ただ作戦に不備があっただけだと祈ろう。

『くるぞ。もう、魔術や弓の援護は望めん距離だ』
「判ってるよ」

 鉄のナイフを抜き、手の中でクルリと回す。
 乱戦になったら神殺しの武器エルメンヒルデを頼るつもりなので、これでいい。金に困っている訳ではないが――やはり、大きな戦いの時は一番信頼できる相棒を使いたい。
 そうこう考えているうちに、ゴブリンの表情が確認できるくらいの距離まで接近される。腰を僅かに落とし、ナイフを握る手に力を込める。
 それと同時に西――俺から見て左側から爆発。炎の魔術だろう。視線を向けると黒煙が上がっている。
 予想外の方向からの衝撃に、慌ててオーファンの方へ振り返る。何か異変があったら上がる手筈になっている狼煙は……無い。

「ちっ」
『来るぞっ』

 エルメンヒルデの声に正面を向き、突っ込んできた最初のゴブリンの一撃を避け、喉へナイフを突き立てる。
 そのまま、そのゴブリンを盾として後ろから迫ってきていたロングソードの一撃を受ける。血飛沫が顔を濡らす。
 そして、後から向かってきていたゴブリンの圧力に押され、後ずさる。乱戦に飲み込まれてしまう。
 隣にいた若い冒険者の姿は無い。俺と同じように乱戦に飲み込まれたか、それともゴブリンの波に押し潰されたか。それを心配する余裕が無い。
 俺を無視して両脇を抜け、前へ前へと進むゴブリンの一匹を捕まえ、首を裂く。
 約二百匹。単純に四倍の戦力差だ。いくら相手がゴブリンとはいえ、正面からやり合っては勝負にもなりはしない。

「エルメンヒルデっ」

 名を呼ぶが、顕現する翡翠の魔力は酷く弱々しい。
 舌打ちをして、魔力で創られた長剣を握る。刀身は翡翠色とは全く違う銀色。鉄の剣とほとんど変わりがない。軽くて丈夫で切れ味が良い。ただそれだけの武器だ。鉄のナイフを鞘に納め、両手で長剣を握る。
 その長剣を一閃し、正面に迫っていたゴブリンの胴を裂く。|足が止まり、腸ハラワタが溢れ出る。しかしそれは一瞬で、後続のゴブリンに踏み潰されてしまう。
 これだから乱戦は嫌いなのだ。内心で舌打ちどころか憎しみの言葉すら吐きながら、更に長剣を振るう。
 それに、肉体の異世界補正も酷く弱い。解放クリアされた制約は七つの内の一つだけか。

「阿弥達は無事か!?」
『それよりも、自分の心配をしろっ』

 突撃の勢いが弱まり、周囲を囲まれる。
 ……冗談抜きで、傍に誰も居ない。その状況に、背筋に冷たい汗が流れる。
 周囲から響く剣戟の音に、誰かが戦っているのだろうと予想する。取り敢えず、最初の突撃で全滅はしていないようだ。

「くそったれッ」

 毒づく。
 後ろに何匹いるか判らないが、眼前には三匹のゴブリン。
 しかし、その三匹が飛び掛かってくるよりも早く、爆音。そして絶叫。
 ゴブリンの甲高い、耳障りな声ではない。野太い、獣のような、怪獣のような絶叫。更にもう一度爆音が響いた。

「――――」
『オーガだと?』

 それと同時に、戦斧を振り上げて飛び掛かってきた一匹のゴブリンを切り捨てる。
 油断も隙もあったモノじゃない。MaxMan
 その一瞬で、視線だけを先ほどの絶叫の主――身の丈五メートルほどもある一角鬼オーガへ向ける。
 オーガ特有の一本角が生えた頭部は無く、膝を突いて崩れ落ちる所だった。

『オーガを二発か。阿弥もやるな』
「相変わらずデタラメだなっ」

 ゴブリンを牽制しながら、エルメンヒルデの声に耳を傾ける。
 オーガ級のバケモノを相手にするなら、俺はチートの制約を五つは解放クリアしなければならないというのに、向こうはたった二発の魔術だけで済むのだから笑えない。
 折角異世界に召喚されるんだから、俺も魔法を使いたいとか女神様にお願いすればよかったと思う。
 とりあえず、阿弥の無事は確認できてほっとする。オーガを二発で沈めれる魔術師なんて、少なくともこの場には阿弥くらいだ。魔術学院の生徒に阿弥並みの天才が居れば別だが、女神様のチート並みの魔力を持つ魔術師がそうごろごろ居られても困る。

「俺も、魔法とか使えるようにお願いすればよかったなッ」
『…………』

 ショートソードを持ったゴブリンと鍔迫り合い、左手で鉄のナイフを抜いて腹へ突き刺す。
 その一撃でゴブリンの動きが止まり、不意を狙って背後から斬りかかってきた一撃を銀色の剣で受ける。そのまま後退り、何かに躓つまづいて体勢を崩してしまう。
 そのなにかをクッションにするようにして倒れ、剣をつっかえ棒のようにして胸に突き立てる。
 これで何匹仕留めただろうか? そう考えると同時に、左手にヌルリとした感触。ゴブリンの血かとも思ったが、違う。
 隣を見ると、人の死体が横たわっていた。先ほど躓つまづいたのは、この少年だったのだろう。見覚えのある顔だ。先ほど話した――確か、ロブ。

『レンジ』
「判ってるさ」

 起き上がろうとした俺を狙ったゴブリンを一閃。胴を両断する。
 チート異世界補正の効果が上がる。神殺しの武器エルメンヒルデの切れ味が増す。銀色の刀身に翡翠の模様が奔る。

「これで二つだ。クソッタレ」

 クソッタレ、ともう一度心中で呟く。
 誰かを巻き込まなければ、誰かを犠牲にしなければ……俺は戦えない。
 その事実が、ただただ重い。制約が『仲間の死』によって解放クリアされる。
 周囲のゴブリンへ視線を向ける。俺を警戒してか、数に任せて襲ってくる事は……今のところは無い。

『やはり変だ』
「あん?」
『オーガが倒され、これだけ仲間が殺されて。それでもゴブリンに怯えが無い』

 銀剣を一閃し、ゴブリンの首を斬り飛ばす。先程までとは違い、抵抗無く骨まで断ち斬り、皮の防具も斬り裂ける。
 最初からこれだけ――いや、制約を完全に解放クリアできていれば、あの少年は死なずに済んだのだろうか?
 そう考え、息を吐く。余計な思考だ。今はただ、生き残る為に剣を振る。それ以外は、雑念でしかない。
 周囲を囲んでいたゴブリンに視線を向ける。何故か、オーガが倒されても怯え無かったゴブリンが一歩下がる。

「――っるぁ!!」

 型も何も無い、ただ乱暴に振り下すだけの一撃。
 防ごうとしたロングソードを砕き、肩から脇に掛けて両断する。
 無防備な背中から襲い掛かってきたゴブリンを、勘だけを頼りに銀剣の柄で殴りつける。骨が砕ける感触。肉の温もり。内臓の脈動。それが腕に伝わり、気色が悪い。
 振り返り、左手に持った鉄のナイフを額に突き立てる。
 更に背後からゴブリンが飛び掛かってくる。振り返り――剣を振る前に木の矢に打ち落とされた。

「無事か!?」
「ああ、なんとかな」

 援護してくれたのは、いつぞやのエルフ。
 射撃組は別の場所に集まっていたはずだが……これだけの乱戦だ。作戦は瓦解したも同じか。中絶薬

「どうして第三射からの援護が途絶えた?」
「突然オークやオーガが召喚された。勇者は、魔族の相手をしている」
『魔族だと? 何故魔族が……』
「ゴブリンを集めたのも、そいつか」
「そう言っていた。勇者を誘き出して討つためだと」

 随分とお粗末な作戦だ。
 魔物を召喚できるなら、中級か上級魔族だろう。だが、頭の方はよろしくないようだ。
 勇者を倒したいならゴブリンやオーガではダメだ。宗一が勝てないと、そう思えるような大物を連れてこなければ。例えば――魔王のような。
 そう思った瞬間、ここら一帯の地面に特大の魔方陣が刻まれた。
 下を向く――緋色の魔力は阿弥の色。ソレで編まれた魔法陣は、煌々と輝いている。

「な、んだ!?」
「力加減が難しいね、本当に」
「なに!?」

 隣のエルフが珍しく慌てている。
 英雄の力。大魔導師の魔術。最初から使っていれば、犠牲なんか出なかっただろう。
 だがそうしたら、冒険者たちは微々たる稼ぎしか得られなかった。おそらく、ギルドからも魔術学院からもあまり手出しをしないように言われていたはずだ。
 しかしその結果、沢山の犠牲が出た。あの少年も――ロブも、死んでしまった。

『レンジ』
「判っている」

 次の瞬間には、地面から切っ先が鋭い木の根が飛び出し、周囲に溢れていたゴブリンを残らず串刺しにした。
 地面から突き出した木の根に足を、胸を、両腕を、頭を。様々な個所を貫かれ絶命する。
 本当にアイツ、ゴブリンなんてものともしないな。俺が必死に殺し合っていた相手を、ただの一瞬で全滅させる。
 これが神殺し。英雄の力。――女神から与えられたチート異世界補正。妬ましいほどに、強力な力。
 俺には無い。沢山の人を、命を守れる力。
 様々な場所から歓声が上がる。生き残りは沢山いるようだ。……良かったと思う。

『後は魔族か』
「そうだな」

 まぁ、そちらも宗一が居るなら大丈夫だろう。
 串刺しにされたゴブリンのオブジェを素通りしながら魔術師組が待機していたはずの場所へ足を向ける。
 どうしてか、俺の後ろをエルフが付いて来る。

「なんだ?」
「何処へ行く?」
「……魔族というのを、一度見ておこうかと思ってね」

 もう、何も出来る事は無いだろう。
 それでも、見届けておきたかった。この戦いの結末を。魔族の顔を。
 魔族。アーベンエルム大陸に住む、知性ある魔物。人間の言葉を解す、人間以上に賢いとすら言われる存在。
 連中は、よほどの事が無ければ魔族の住む大陸から出てくる事は無い。以前イムネジア大陸に現れた時は、王都を半壊させていった。俺達が召喚されて直ぐの頃、人間側の希望を潰すのが目的だとか言っていた。
 だが今回は? 勇者――宗一を誘き出す為と言っているようだが、誘き出してどうする? ただの魔族が、魔王でも召喚するのか? そんな事、実力的に不可能だ。
 なら。

「なるほど」

 さらに、魔物が召喚される。何も無い空間が揺らぎ、輪郭を持ち、色が顕れ、一つの形と成る。
 オーガ。黒い、オーガ。通常のオーガよりも一回り以上も大きなソレが、召喚される。
 そのオーガには見覚えがあった。見覚えと言うよりも、似たような感じの魔物をつい最近討伐した。――黒いオーク。アレと、似たような感覚を覚える。
 貫かれたゴブリンには目もくれず、駆け出す。黒いオーガの拳が振り上げられた。
 その肩が魔術で吹き飛ばされるが、無傷。皮膚が固いのか、魔術に耐性があるのか。前者なら俺でも厄介だな、と。駆けながら思考する。

「エルメンヒルデ」
『ああ』
「力を貸してくれ」
『……喜んで、だ。ご主人様』

 だから一体、そんな言葉は何処で覚えてくるんだ?
 その敬称に頬を引き攣らせながら、銀剣を翡翠の魔力に戻す。そして――手に、翡翠色の神剣を握る。
 翡翠色の刀身に、黄金の柄。いつの間にか併走していたエルフの視線がその剣に向く。

「お前……」
「なに。何処にでもあるただの剣だ」
『私のような武器が、どこにでもあってたまるか』
「剣じゃ――ただの武器じゃないな。相棒だ」
『…………』

 駆ける。先程よりも、更に早く。
 オーガの拳が振り下ろされる。それが地面に叩き付けられるよりも早く、翡翠色の神剣を投擲。脇腹に突き刺さる。
 痛覚はあるのか、絶叫が上がる。剣を投擲した俺にオーガの、宗一の、魔族の、今まさにオーガに潰されそうになっていた阿弥の、そして周囲を囲んでいた冒険者たちの視線が向く。

「恥ずかし」
『……もう少し、気の利いた言葉をだな。まったく』

 だがこれで――。

『これで、制約は五つ解放クリアだ』RU486

 戦える。