路地裏にその扉がひっそりと佇んでいるのを確認し、帝国の騎士グレアム=ベルトランはほっと息をついた。
「良かった。今日は、あったか」
思わずそんな声が漏れる。
今から七日前、昼時の街中の見回りにかこつけてこの扉の元にやってきたとき、扉は既に消えていた。RU486
今回が初めてでは無く、何度かあったことから、この街の誰かが『使って』いるのだろう。
自分のあずかり知らぬ、別の客がいるということは気に入らないが、そこに文句を言うわけにもいかない。
とにかく今日は自分が使う。
そう考えながら、扉に手を掛けて開く。
そして、グレアムの耳に十四日ぶりに軽やかな鈴の音が響き、扉が開く。
その音を聞きながらグレアムは扉をくぐる。
グレアムが踏み込むのは、閉ざされた地下の部屋。
その部屋は窓一つ無いにも関わらず昼日中のように明るく、暖炉も無いのに冬を感じさせぬほどに温かい、不思議な部屋。
「いらっしゃいませ。ヨーショクのネコヤへようこそ! 」
グレアムが入ってくると同時に、料理を運んでいた魔族の少女が笑顔で歓迎の意を表す。
「ああ、適当に座らせてもらうぞ」
その少女に返事を返し、グレアムは適当な席に座る。
「すまないがメニューを」
「は~い!ただいま! 」
座ると同時に少女を促してメニュー……この店で出せる料理をまとめた本を持ってくるよう頼む。
「それじゃあ、お決まりになりましたらおよび下さいね」
「ああ」
少女が仕事に戻ったのを見送りつつメニューを開き、何を食べるかを考える。
(……やはり陸の食べ物よりは海の食べ物だな)
メニューに載っている料理は豊富で、どれも美味なのは分かっているが、まずグレアムの目が行くのは海の幸……
魚や貝にクラーコ、シュライプといったものを使った料理である。
(……故郷にいた頃は毎日肉が良いなどと思っていたのだがな)
メニューを眺めながら、少しだけ懐かしく思う。
グレアムの故郷は、数十年前に帝国に飲み込まれた港町であった。
毎日ひっきりなしに他の東大陸の港やはるか西大陸から交易船が訪れ、人々が行きかっていた、潮の匂いがする街。
そこの代々の騎士の家であったグレアムの生家では毎日、魚の類が食卓に上っていた。
幼かったグレアムは交易品として運ばれてくる肉の方が好きだったが、こうして海など欠片も見当たらぬ帝国の内地に住み、毎日肉とダンシャクの実を食べる生活をしていると、無性に魚が食いたくなる。
更に帝国では都たる帝都ですら海の魚は貴重品で、騎士試験(帝国では騎士試験を突破すれば誰であっても騎士に叙せられる)を突破したばかりで大した俸給を貰っていないグレアムには手が出ない代物だった。
だからこそ、海の幸を使った料理をグレアムの手に届く程度の金額で酒付きで出してくれる異世界の料理屋は、グレアムにとって貴重な憩いの場であった。
(さて頼むのはフライか、グラタンか、ピラフか……いや、パスタか)
異世界食堂のメニューは、海の幸を使った料理を使った料理だけでも何種類もある。
上質な軍装を纏い剣を佩いた、グレアムより腕の立ちそうな騎士が好んで食べる油で揚げた料理。
どこかの平民の娘が好んで食べている、シュライプと王国風の騎士のソースを使った料理。
帝国風のドレスを纏った砂の国の貴族らしき娘が好む西大陸風の米を使った料理。
そして、海の幸だけではなく、様々な味付けを施された王国風の麺を使った料理。
グレアムは毎回悩みどころである。どの料理を頼むかであわせる酒も変わってくるのでなおさらだ。
(よし……今日は白い葡萄酒と麺だな)
「すまない。注文を頼む」
しばし悩み、頼むものを決めたグレアムは給仕を呼ぶ。
「はい。ご注文はお決まりですか? 」
「ああ、今日は白いワインを瓶で。それと、麺……そうだな、まずは魚介のジェノベーゼを頼む」
選んだのは、香しい香草の風味を持つ、緑の麺料理。
「はい。少々お待ちください」
「うむ」
注文を受けて、厨房に向かう給仕の娘を見送りながら、グレアムはゆったりと背もたれにもたれかかりながら待つ。
辺りから聞こえるのは、この店を訪れる客たちの声。
あるものは席を同じくした他の客と朗らかに会話を交わし、またあるものはグレアムのようにじっと目当ての料理が来るのを待っている。
その種族は様々で、来るたびに驚かされる。
(それだけ、ここの料理が美味ということか……)
その気持ちは分からないでもない。
彼自身、半年前にここを見つけてからは扉が現れるドヨウになるたびに日参しているのだから。
「お待たせしました!お酒とお料理をお持ちしました! 」
そして、待ち望んでいた料理が届けられる。
美しく形が整った、葡萄酒の入った緑の瓶と、緑色の麺料理。
「それじゃあ、ごゆっくりどうぞ! 」
「ああ、そうさせてもらおう」
給仕の娘の言葉を聞き流しながら、グレアムは早速とばかりに料理を食べ始める。
(まずは……酒だ)
瓶を封じている木製の栓をそっと抜き、華奢な脚つきの硝子製の杯に、酒を注ぐ。
緑色の瓶からあふれ出すのは、かすかに黄色を帯びた、白い酒。
それが注がれると同時に香しい葡萄酒の香りがグレアムの鼻をくすぐる。中絶薬
(うむ、よき香だ)
まずはその香りをひとしきり楽しみ、それから口へと運ぶ。
広がるのはほんの少しだけ甘みを帯びた、酸味と酒精。
異世界で飲む雑味の混じらぬそれはは、瓶一本で銀貨二枚だと言う値段を越える上質な葡萄酒の味がした。
(これが帝国で出回ったら、向こうの酒商人の商売がなりたたんな)
騎士であっても商売にはそれなりに通じている交易都市の生まれとして、そんな考えがふとよぎる。
値段の割に、異常に質の良い店。
入り口があのように不便なつくりの『扉』で無ければ、今頃もっと流行っていただろう。
(さてと、冷める前にこちらにも手をつけるか)
ひとしきり酒を味わったところで、料理の方にも手を伸ばす。
鮮やかな緑の香草を刻み、新鮮で上質な油で和えたソースをまぶした麺料理。
その料理には具材として、ごろごろと大ぶりな海の幸が踊っている。
(まずは、麺だ)
グレアムはフォークをそっと麺に刺しこみ、巻き取る。
ソースによって緑に染まった麺が、天井からの光を受けて、鮮やかに映える。
その美しさと香りにごくりと唾をひとつ飲み……口へと運ぶ。
(うむ、この味!これこそが麺の良さだ!)
堅すぎず、さりと柔らかすぎない茹で上がりの麺にはいくつもの味付けが複雑に絡み合っている。
具材として使われている、魚や貝、クラーコやシュライプの旨み。
緑色のソースに使われている香草の香りと香ばしい炒った豆の味。
そしてそれらを引き締めるトガランの辛み。
それらが一つにまとまることで、ジェノベーゼは完成された一皿の麺料理となっている。
(うむ、うむ……)
その味にグレアムは無言となり、無心に食べ続ける。
麺を巻き取って口に運び、時折り麺に混じりこんだ、具材を食べる。
何口か食べるごとに葡萄酒を一口飲んで爽やかな風味を楽しむ。
グレアムとて、若い男である。
そんな風に食べていれば、あっという間に皿の上のジェノベーゼは、尽きた。
(ふう……まずはこんなところだろうか)
とりあえず人心地ついたグレアムはそっと腹の上をなぜた。
(さて……)
無論、この麺料理一皿では、グレアムの、働き盛りの若者の胃袋が満足しようはずも無い。
グレアムは再びメニューを開いた。
(次は、どれに手を出すか……)
目に写るのは、この店の様々な料理の数々。
グレアムはそっとメニューに手を当てて指差しながら、次に頼むメニューを決めるのであった。
ハンバーグ
西大陸の東端に海の国と称される一つの国がある。
その国は沿岸にある都と、人間や獣人、魔族などが住む無数の小さな島々からなっている。
島々……海国諸島は島ごとに様々なものが住み、色々なものが取れるがそれぞれの島から得られる恵みの量は決して多くない。
それゆえに古くから島々で取れるものの交換……交易が頻繁に行われ、同時に海を渡る航海術が磨かれてきた。
その歴史は現在にも大きな影響を与え、西大陸の海国といえば、魔族との戦いを終えて平和になった東大陸との交易により大いに栄える貿易国家である。
そんな、無数にある島々には無論、知性ある生き物が住むのに適さず、人のいない島もある。
近くの島で親父からもらった小さな船を財産に独り立ちし、魚を取って干物を作り暮らしている若い漁師、ロウケイがアルテに先導されてやってきたのはそんな島のひとつであった。
「あのさ……」
「なに?」
まだ、昇ってからそう時間がたっていない朝日を受けて、遠慮がちに尋ねるロウケイに、振り向いたアルテ……
ほっそりとした身体に南方の砂の国の民のような褐色の肌と海色の髪と瞳、そして魚の下半身を持つ、南の海から来たという人魚まあめいどの少女は振り向いて、いまいち表情の動かぬ真顔で聞き返す。
「いや、そのさ……本当にここ? 」
その海のように澄んだ瞳に見つめられ、頬を赤らめながらロウケイはしどろもどろになる。
「そう……見つけたときは持ち合わせが無かったから、だめだった。ロウケイのお陰。感謝する」
そんなロウケイにアルテは重々しくうなづく。
その顔は自信に満ちていて、美しい。
女といえば地元の漁村のたくましい女しか知らぬロウケイにはいささか刺激が強すぎるほどに。
ロウケイがアルテと知り合ったのは、3日前の嵐の日のことである。
あの日、荒れる波にさらわれて船から放り出され、死に飲み込まれそうになっていたロウケイはアルテに助けられた。
嵐をものともしない人魚の泳ぎで沈んでいくロウケイを船のへりまで運び、水の神(本人が言うには青の神だそうだが)に祈りを捧げて波を止めて見せた。
その後、嵐がやんだ後は人が住む島まで運んでもらい、ロウケイは辛くも死から逃れた。
当然ロウケイは感謝したし、その美しさとやさしさ惚れたりもした。
自分にできる事ならどんなお礼でもする、そう言ったりもした。
……例えその礼として要求されたのが『銀貨10枚』という色々な意味で台無しな代物だったとしても、ロウケイにとってアルテは命の恩人であり、大切な人となっていたのだ。
その後、約束は約束としてアルテに銀貨10枚……駆け出しの漁師にはそこそこの金だが命の対価にはだいぶ安い金を渡した後、ロウケイは尋ねた。
一体何に使うのか、と。威哥王三鞭粒
ロウケイとてこの世界のこと全てを知っているわけではないが、人魚が人間のように金で買い物をするなんて話は聞いたことが無かった。
人魚に限らず、人の姿に近くとも魔物と呼ばれるような種族は普通、貨幣を『価値あるもの』と考えないのだ。
だが、この自称南の海から来た人魚は違った。
どうやら彼女の故郷では、人魚は『青の神を信じるもの』として人間たちとも普通に交流していたらしく、貨幣の価値もちゃんとわかっていた。
とはいっても修行の旅として出てきた北の海では、人魚は青の神を奉じず、また人間と交わろうともしないので普通に考えると使い道は無いらしい。
……ただ一つの用途を除いて。
そして、唯一つの用途に使うため、アルテはロウケイを案内していた。
「この先の森の中にある」
「そうなんだ……森の中? 」
アルテの言葉に、ロウケイは首をかしげ、水面の下に沈むアルテのヒレを見る。
ゆらゆらと水の中で揺れるそれは魚のような尾。
水中を泳ぐには最適だろうが、陸上を歩くのはいかにも向いていない。
「問題ない……ん」
そんなロウケイの疑問を察したアルテは青の神に祈る。
偉大なる六色の神を奉じる神官の、奥義とでもいうべき祈りによりアルテの脚が変じる。
魚のようなヒレが見る見るうちに人間のそれへと変じ……脛から下は蒼い鱗と鉄でも引き裂けそうな爪が生えた脚へと変わったのだ。
「ええっ!?」
「青の神に祈れば龍の脚が手に入る……翼とかはまだ無理だけど」
驚くロウケイに、少しだけ胸をはってアルテが言う。
優秀な青の神の神官でもあるアルテの、龍の脚を手に入れる祈り。
修行のため、陸の民との交流を行うために身に着けた技である。
「行こう。遅くなると、人が多くなる」
目の前の光景に驚いているロウケイを促しつつ、手を取って上陸する。
そして、やや強引にアルテは森の中を突き進み、その場所へとたどり着く。
「……ついた」
そしてアルテはその扉の前にたどり着く。
かつて、故郷で見出したのと同じ、黒い猫の絵が描かれた扉。
「行く」
ロウケイの手を取り、扉を開く。
チリンチリンと響く鈴の音を聞きながら、アルテとロウケイは扉をくぐった。
「いらっしゃい……おや、お久しぶりですねアルテさん」
朝の早い時間に訪れた客がここ最近見かけなかった少女であることと、その少女が見慣れぬ少年を連れていたことに少しだけ驚きながら尋ねる。
「久しぶり。注文、いい? 」
そんな店主に挨拶を返しつつマイペースなアルテは早速とばかりに注文してもよいか尋ねる。
「はい。大丈夫ですよ。いつもどおり……っと、そちらさんの分はどうしましょう? 」
アルテが頼む料理はいつも同じなのでその確認だけと考えつつ、店主は今日はいつもと違う連れがいることに気づく。
いつもの、アルテより若干年上であろう女性ではなく、日焼けした黒髪の少年。
この店では初めて見る客である。
「うん。デミグラスハンバーグ、ライスで2人分」
そんな店主の考えを知ってか知らずか、アルテはいつもの料理を注文する。
食べなれた海の魚ではなく、陸の獣の肉を焼いた、柔らかな料理。
竜の脚を手に入れる祈りを覚えた後同じ神官の先輩に『ご褒美』として連れて行ってもらえるようになってから、アルテはずっとこれの虜であった。
「はいよ。少々お待ちください」
注文を受け、店主は奥の厨房に引っ込む。
「さ、座ろう」
それを見届けた後、アルテは適当な席に座る。
「えっと、ここは……? 」
アルテに従い座りながら、ようやく事態に頭が追いついたロウケイはアルテに尋ねる。
先ほど、アルテの脚が竜の脚に変わったと思ったら、森の中に不自然な扉があり、そこをくぐった先は、なぞの部屋。
はっきり言ってわけがわからなかった。
「ここは、異世界食堂」
そんなロウケイに、アルテは淡々とその場所について教える。
「デミグラスハンバーグが食べられる場所」
……あくまで彼女にとっての認識だが。
それから待つことしばし。
「お待たせしました!デミグラスハンバーグをお持ちしました! 」
脚が出ている、ずいぶんとしっかりした仕立ての服を着た少女がアルテとロウケイの前にそれを置く。
鮮やかな色のかりゅうとや東大陸で食べられているというだんしゃく、小さな黄色い粒の野菜に彩られた黒い皿の中央に置かれた、平たく丸められ、上から赤黒い汁を掛けられ、上に焼いた卵がのせられた、肉。
ロウケイが普段余り口にすることは無い、陸の獣の肉を細かく刻み、まとめたものだろう。三鞭粒
熱せられた鉄の皿の上に置かれたそれはじゅうじゅうと音を立てている。
傍らに置かれているのは、いかにも上質であることをうかがわせる、器に盛られた純白の飯。
「へえ……」
その、肉が焼ける音と匂いに、ロウケイはごくりとつばを飲む。
「えっとこれ……」
尋ねようとしたところで、早速とばかりにアルテがナイフとフォークを手に『でみぐらすはんばぁぐ』とやらを食べているのを見て、ロウケイは色々聞くことをあきらめる。
「おいひい。たべればわきゃるはず」
もごもごと肉を咀嚼しながら、アルテはロウケイに大事なことを伝える。
「……うん、ありがとう」
その独特の間合いに慣れてきたロウケイは、己も食べ始めることにする。
「……あ、結構柔らかいんだね」
アルテに習い、使い慣れぬナイフとフォークを手にしたロウケイはまず肉を切り分ける。
よく磨かれた、金属製のナイフで切るくらいだから結構硬いのではと思っていたそれは予想以上に柔らかく、あっさりと切れる。
この柔らかさならば、おそらくロウケイが使い慣れた箸でも十分食べられるほどではと思えるほどだった。
「それじゃあ……」
それから、一口分に切った肉をフォークで口に運ぶ。
そしてかみ締め……
「……えっ!? 」
そのおいしさに驚いた。
普段食べなれぬ、陸の獣の肉。
その肉は獣くささの無い、上質な肉だった。
かみ締めるたびに、肉の中にたっぷりと含まれた肉汁が溢れ、口の中に広がる。
そしてその肉汁が上から掛けられた、甘酸っぱい風味を持つ汁と交じり合い……
(こ、これは……ご飯が欲しくなる!)
傍らに置かれた飯を手に取り、フォークでかっ込む。
(おお!これはすごいな!)
ほんのりと甘い、ねっとりとした米の淡い風味が、肉汁と汁の風味と出会うことで、すばらしい味になる。
はんばぁぐそれだけでも十分うまいが、米と一緒に食べるはんばぁぐはまた別格であった。
「……卵の黄身もあわせるといい」
その味に魅了され、盛大にハンバーグとライスを食べ進めるロウケイに、アルテが先達としてアドバイスする。
ロウケイがこっちを見たのを確認し、アルテは先輩から教わった食べ方を伝える。
そう、陸の獣の肉の味に、複雑な味のソース、それに火が通りきっていない卵の黄身の柔らかな味が加わり、更に味が高まるのだ。
「……本当だ。卵が加わるともっとおいしいや」
そんな言葉と共にアルテに向けられる、笑顔。
それはアルテに、不思議と満足感をもたらした。
それから、二人は大いに食べ、店を後にする。
「アルテが銀貨を欲しがったのは、あの店に行くためだったんだね」
海に戻る途中、ロウケイに尋ねられ、アルテはこくりと頷く。
「そう」
その答えを聞き、かすかに頬が熱くなるのを感じながら、ロウケイは先ほどから考えていた提案をする。
「それじゃあさ、また今度、時々でいいから僕と一緒に行かないか?そのときの御代は、僕が出すから 」
「いいの? 」
その提案に、アルテは少しだけ首をかしげながら、聞き返す。天天素
「もちろんだよ」
そんなアルテに、精一杯の勇気を振り絞ったロウケイは、笑顔で答えた。
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