そのひとはしばし黙り込んだ後、ややあって静かな声で言った。
もう少し、詳しく話を聞かせてくれないか、と。
「いい店だな」
「でしょう?」
奇異と好奇の視線がちらちらこちらにやってくるのを感じつつ、目の前の人物の言葉に椋は笑って頷いた。老虎油
現在の、いつものようにクラリオンの厨房に立つ椋の前には、今日偶然出会った人形売りがゆったりと座っていた。カラカラとグラスの氷を揺らしつつゆっくりと中身に口をつけていく様には、妙に気品のようなものが感じられる気がする。
そこまで相手を眺めて思考したところで、未だに彼女、だと思うが正直自信がないこの相手の、名前すら聞いていなかったことに椋は気づいた。
椋自身、まだちゃんと相手に名乗っていない。「どういうことなのかもう少し詳しく話を聞きたい」、そんな今までにない反応をこの相手が返してきたせいで、若干焦ってしまっていたようだった。
声だけ聞けば少年そのもののような声で喋る、妙にたたずまいの落ち着いた静かな人。
椋が口を開こうとしたまさにそのタイミングで、カラン、と軽やかにまた店のドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませーって、あ。クレイ」
「……リョウ?」
中に入ってきたのは、ここ一ヶ月強の間にすっかりクラリオンの常連になってくれてしまった友人クレイの姿だった。若干目の前の相手への出鼻をくじかれてしまいつつ声を上げる椋に、なぜかクレイはひどく怪訝な顔をした。
多分さっきまでずっとみんなに言われてたことと、同じようなこと考えてるんだろうなあ、と。
そんなことを椋が思う間に、つかつかとクレイは椋たちの方に向かって歩みを進めてくる。
「……おまえの新しい客か?」
店内での第一声と同じ怪訝を宿す声は、傍から見れば確かにそれなりに怪しい、全身すっぽり枯葉色のローブとフードで覆い隠してしまっている人形売りを指してのものだ。
既に何度目かも知れないやりとりに慣れてしまったのか、ふっとフードの奥からどこか楽しげな声が聞こえる。
「きみにはいい友人が多いんだな、リョウ君」
「いやあの、さっきから何度もすみませ、……リョウ君?」
謝りかけて、告げていないはずの名を当然のように彼女に呼ばれたことに気づく。
またひとつ、フードの奥で笑ったような空気があった。
「つい先ほど、彼が呼んでいただろう? ああ、しかし初対面も同然の私がいきなり君の名を呼ぶのは失礼だったかな。気分を害したなら申し訳ない」
「いや? 別に俺のことは、リョウでもミナセでも、好きに呼んでくれて構わないよ」
「そうか? ではリョウ君と。そう呼ばせてもらうことにするよ」
どうも聞きなれない不思議な響きの名だが、君という存在にはしっくりくる名前だな、と。
また、グラスを揺らしつつフードの奥から楽しげな声がする。一方何が面白くないのか、明らかにこの相手が不審に見えるせいか、再度口を開いたクレイの口調は非常にとげとげしかった。
「……あんたは? リョウに何の用だ」
「クレイ」
それは下手に子どもに向ければ、それだけで子どもが泣きだしそうな声であり視線だった。
いや、クレイが怪しむのは椋も分かるのだ。何しろこの相手は全く顔が見えない性別も定かでない、しかも誰も(たぶん)彼女のことを知らない。人目の多い王都などという場所にいる以上、正規の手続きは踏んで、この国に入っているのだろうが。
感覚としては分からなくもない。ないのだが、結局そんなものを全てすっ飛ばして「可能性」が勝ってしまった結果がこれなのだ。
彼女からしてみれば確実にいわれもない、クラリオンの同僚たちや常連の冒険者たち以上に鋭い追及の声にはさすがに椋も困った。この滅茶苦茶なまでの頑なさは、もはや言うまでもなくジュペスの一件が関与しているのだろう。
もう少しこっちも話が聞きたいからって、このひとここに連れてきたのはさすがに失敗だったかな、それにしてもさすがにここまで来ると逆に鬱陶しいぞクレイ、などとさりげにひどいことを思う椋をさておき。
またしても、フードの奥から聞こえてきた声は一切の揺らぎがなかった。
「そう怖い顔をせずとも、私はただ彼の話がもう少し聞きたくてここにいるだけだよ。私はレンシア・フロース。あちこちを旅しながら、自作の人形を売り歩いて暮らしている、人形細工師だ」
「女の身で一人旅、か。感心できるものではないな」
「え、」
「そうかい? 慣れてくるとこれも意外に楽しいものだよ」
思わずあげかけた声は、彼女の楽しそうな声にかき消された。とりあえず今の会話の流れで判明したが、目の前のこのフードの人物、レンシア・フロースという名の女性らしい。
クレイのおかげというべきかせいというべきか、目の前の人物に対する疑問が一気に二つとも解消されてしまった。「私(I)」と「あなた(YOU)」で完結してしまう会話には名前が要らない、ということを奇妙に実感することになってしまった椋であった。
それにしてもなぜ、クレイは彼女を女性だと端から断定できたのだろうか。
物腰の柔らかさや人々のいなし方などから確かに椋もこのひとが女性ではないかと考えてはいたが、確定の手段がなく、なおかつ当たっていても外れていても失礼な質問になってしまうためにどうにも言いだせなかったのだった。
「で? リョウ。おまえはいったい何をして、そんな人物と知り合ったって言うんだ」
「さっきからなんでそう刺々しいんだよ。おまえは俺の保護者か」
「そうされたくないなら、もう少しおまえは色々なことに対する自覚を強く持て。俺は先日のような騒動をもう起こしたくないだけだ」
「……はいはい」
思わずぼそりと呟いた言葉は、しれっとざっくり一刀両断された。まったくもって鋭さの減退しないクレイの視線に、椋は苦笑するしかない。
しかし純粋に誰であろうと「凄い」と思えるようなものが創れるような人間に、悪い人などいない気がするのだが。そんなことを言えば今度こそクレイが烈火のごとく怒りだしそうなので、その思考は口には出さずに留めておいた。
そもそも椋は、この目の前のフードの人を信じたいから信じただけだ。
ひょんな話の流れで名前が分かったこの奇妙な人形細工師、レンシア・フロースを。
「そういうあなたは? 名前を伺っても?」
「……クレイだ」
「俺の友人で、ここもひいきにしてくれてるんだよ」
物凄く言いたくなさそうに、全ては名乗らないクレイの声に重ねて注釈する。椋を思っての行動であることは非常によく分かるのだが、なぜかそれが妙に子どもっぽくも見えるのはなぜなのだろうか。
まあそれもこれも結局俺のせいかーなどと思う椋をさておき、相変わらず不機嫌と怪訝と不審を隠そうともしない目で、クレイはレンシアのほうを見た。
「あんたは、こいつがヘンだってことを知っててここにいるのか?」
「いや、だからおまえ、クレイ、あのな」
「ほう、リョウ君はヘンなのか。随分と面白いことをいきなり切り出してくる御仁だとは思ってはいたが」
「……」
本当に椋の内心など知らず、ただ己のペースで相手に滔々と質問をぶつけていくクレイと、そんなクレイの言葉にまたしても楽しそうにフードの奥で笑うレンシアである。
もはや言葉で応えを返せず、げんなりと椋はひとつため息を吐いた。しかもクレイの追及の目線は、レンシアの言葉を受けてさらに鋭く怪訝さを増したものになった。
「で? おまえは何をしたんだ」
その上でのこの言葉である。この場合の「面白いこと」というのがクレイの中では即座に「無茶なこと」「普通はあり得ないこと」として変換されただろうことは想像にまったくもって難くない。
実際ここ数日、あちこちに無茶ぶりをしに回っていた椋には反論らしい反論もできない。痛いまでの追及の緑色に彼はさらにため息を重ねた。麻黄
「……仕方ないだろ。義手の話してまともに取り合ってくれたの、レンシアさんが初めてだったんだから」
「リーでいいよ、リョウ君。まあ、確かに驚いたが、あのときの君の妙な視点と着目の仕方には納得ができたよ。おかげでね」
二人分の剣呑な空気に反して、レンシア改めリーの声はやはり妙に楽しそうだ。まったくもって、先ほどからクレイの追及の的になっている人物とは思えない気楽さである。
またしても何とも言えない顔で黙り込んでしまったクレイにとりあえず炒め物を、表情は相変わらず見えないがどうにも面白げなリーにはサラダを出してみる。コトリと皿を置く音に、改めてクレイは顔を上げた。
上げたと思えば、ほとほと訳が分からなそうな顔でこちらの名を呼んできた。
「……リョウ」
「うん?」
「……ギシュ?」
「あぁ」
クレイにはそこから説明が必要だったことを、彼の反応を見て椋も思いだした。
この世界には魔術があるゆえに、「失ったものの代替」としての機械や装具品といったものの需要がほぼ皆無なのである。それは奇しくもかつて、椋が礼人に向かって何気なく口にした言葉の内容をそのままなぞっていた。
口は災いのもと、とはよく言うが。それなりに言葉の失敗は、したこともある椋であるが。
ここまで言わなければよかったと、過去の自分を殴りたくなったのも最近では珍しいことでもない。残念なことに。
「ジュペスのなくした、腕の代わりのことだよ」
「!?」
そんな言葉に弾かれたように、クレイがほぼ限界まで目を見開いた。代替としての「言葉」すら存在していないことを明示する彼の反応に、椋は曖昧に笑うしかなかった。
ふわりと、そこでリーもまた静かに笑ってこちらに頷いてくる。彼の反応も無理はないだろう、と。
「この国は、魔術が随分発達しているものな。そういうものに対する絶対的な必要性が、他国よりも更に少ないのも当然だ。……ということは結局、そんな言葉を当然のように知っているリョウ君こそがおかしいということにしかならないな」
首をかしげたときにちらりと見えた彼女の表情は、どこか悪戯っ子のような軽やかさでやはり笑っていた。
肩をすくめるしかない椋である。リーさんがそういうの面白がってくれる人でよかった、などと暢気なことを考える椋の目前を、また一段階低くなったクレイの声がリーへと向かって通り過ぎていった。
「レンシア・フロースとやら」
「いちいちそれでは長いだろう、リーと呼んでくれ。何だ? クレイ君」
「……こいつから言われたことを、口外してはいないだろうな」
「そんなことをするより、彼の話を聞いてみるほうがよほど楽しそうに思えたからな」
「……ならいい」
心底やれやれとばかりにため息を吐いたクレイの様子に、リーが去ったあとのクレイの行動が至極想像できてしまった椋であった。これは確実に怒られる。おまえは学習能力がないのかと、言われてもおかしくないことをしたのは椋自身分かっている。分かっていてやったといったら、またそれはそれで余計にたちが悪いと怒られるのがオチだろうが。
そんな思考への駄目押しのように、笑ったままのリーの声がクレイへ続いてきた。
「まあ確かにこんなことは、あまり大声で人前で喋るようなものではないな」
そんな言葉を口にしつつ、彼女は袖口から取り出した何かをひどく無造作に中空に放った。ほんのわずか一瞬、薄荷か何かに似たような匂いがするりと鼻腔を抜けていったような気がした。
思わず左右を見回す。当たり前だが何もない。この場にそんな洒落たものなど置いていないし、そもそもこの世界に放りこまれてからハッカの、ガムに良くあるあの匂いを嗅いだのは初めてのことだった。
フード越しにもかかわらず何となく得意げに見える目の前の相手へと、椋は問いを投げた。
「リーさん今、何した?」
「別に一切、身体に害はないから安心してくれていい。私たちの声に、適度に雑音を入れるようにしただけだよ」
全く何でもないことのように、何でもないわけがない事をのたまうリー。
その言葉に先に反応したのは、クレイの方だった。
「声に、……雑音?」
「もし必要だというなら、お近づきのしるしに一つ差し上げようか」
「おいおいリーさん、今リーさんと商売の話しようとしてるの俺でしょう?」
「……リョウ。つくづく思うがおまえは、簡単に他人を信用しすぎだ」
酒のせいかそれとも元々の性格なのか、リーの調子はどこまでも一定は越えずに楽しげだ。
そんな彼女のテンションに乗っかって笑って見せれば、クレイが頭の痛そうな顔で額を押さえてげんなりした声を出した。結果的に彼女がこんな人だったのだから別にいいじゃないかと思う椋は、おそらく確実に破滅的なまでに甘い。
が、これも椋の性分である。今更どうしようもないことだった。
「それに関しては全く私も同意見だよ、クレイ君」
「なに?」
「リーさん?」
などと考えていたら、若干予想外の方向からクレイの言葉への援護射撃が来た。思わず目を開いたのは椋もクレイも同じことで、しかしやはり目線の先のリーは楽しげな、そしてどこか妙に落ち着いて穏やかな雰囲気を崩さない。
女性にしては低い、少年のものと確実に声だけでは間違える声はゆるやかに続きを紡いだ。
「私はこの国のものではないし、この国で普遍的な職業に就いているわけでもない、さらには恰好までがこれだ。私のような人間を見たら、まず怪しいと思うのが先決だろう?」
私自身、クレイ君の反応こそが普通だと思うよ。
あっけらかんとそんなことまで口にして、彼女は笑う。どうも反応に困ってしまい、椋は軽く頬をかいた。何というか、肯定にも否定にも困るような言葉である。
一方、クレイはふっとひとつ息をついて言った。
「そう思うのなら、せめて顔くらいこちらに見せたらどうだ」
「本当に君は真っ直ぐな男なんだな、クレイ君」
ここまであからさまな敵意にも近いものを向けられつつ、何でこの人は笑っていられるのだろう、と。
微妙に不思議になりつつ何となく展開を見守っていた椋の目の前で、不意に袖口から顔を出したびっくりするほどに白い手が、そのフードに指先をひっかけた。
「正直あまり、他人に見せて気持ちの良いものではないんだが」
ふわりと、ひどく自然な動作でリーの頭部からフードが取り去られる。
光にさらされたその相貌に、またわずかに椋は彼女に向かって目を見開くことになった。
その瞬間、言葉を失ったのは椋たちだけではなかった。
さりげなくを装いながら、やはり意識は確実にこちらに向けていたのだろう。クラリオンの客たちも、にわかに騒ぎを止めていた。
フードを取り去ったあとに出てきたのは、半分の整った顔と半分の真っ白な、ひどく不気味なのっぺらぼうの仮面だった。
真っ白な肌と、少し切れ長な新緑色の瞳と薄い唇、涼やかに整った顔立ちが見えるのは左半分だけだった。もう半分は完全に、無表情で、無機質な異様なまでに白い仮面が覆ってしまっていた。
何もない左半分がなまじ整っているだけに、右半分を覆う仮面はより不可解なものであるように映る。
言葉を続けられない椋たちに、わずかにリーは困ったように笑った。
「若気の至りというやつでね。少し色々無茶をして、最終的に外せなくなってしまったんだ」
「……」
「言ったろう? 目にして気持ちの良いものではないと」D9 催情剤
「あ、いや、少し驚いただけで、……それだけで十分失礼か。ごめん、リーさん」
椋もまた苦笑しつつ、彼女へ謝罪の言葉を向け軽く頭を下げる。下手に奇妙に取り繕おうとするよりも、素直に謝ってしまった方が良いだろうと思っての行動だった。
一方のクレイもまた、深々とリーへと向かって首を垂れる。
「すまなかった」
「そう畏まらないでくれ。君たちが謝るようなことはなにもないよ、クレイ君。リョウ君も」
「いや、俺たちが失礼したのに変わりはないからさ。そこはちゃんと謝らせてよ」
「気にしなくていい、いつものことだ。君たちの言葉を受けてフードを下ろしたのは私自身なのだしね」
「しかし」
何とも申し訳ない椋たちに対し、あくまでリーはあっさりした、さばさばと拘りのない様子を変えない。彼女はある意味椋の予想に違わず、何とも変わった不思議な人物だった。
しかし彼女が気にしなかろうとも、無礼を働いてしまった椋たちはそうもいかない。
まだ何事かを言い募ろうとするクレイにふっと左側だけで笑って、改めてリーは厨房側の椋を片目で見上げてきた。
「それならリョウ君。この店で一番のお勧めの酒と、料理を一品ずつもらおう」
勿論、君たちのおごりでね。
最後の一言は、どこか悪戯っぽいウィンクつきだった。外れないという右側の仮面が、何とも勝手ながらもったいなく思われてしまうくらいの楽しげな、違う感情による淀みの一切ない明るい笑い方だった。
彼女がそうしたいというよりも、椋とクレイのわだかまりを解くための申し出であることは確認するまでもない。
椋としても、これから一緒に色々と話をさせてもらうためにも非常にありがたい申し出である。彼もまたリーへと笑って、すぐに頷いて見せた。
「了解。もしエビ平気なら、今日すごく珍しいのが入ってるからそれ持ってくるよ」
「エビか。ずいぶん口にしていないな。楽しみだ」
「な、クレイ。クレイもそれがいいよな?」
「……わかった」
やや大仰なため息とともに、その口の端には苦笑をのせてクレイもまた頷く。軽く頬杖をついて椋たち二人を楽しげに見やるリーの、左とは対照的に右側の仮面は当然ながら一切動くことはない。
すべてを拒絶するように真っ白なそれは、おおよそ彼女の手が創り出す人形たちともほど遠い奇妙で不可思議で不可解なものだった。
どこでそんなものとこの人に関連ができたんだろう、若気の至りってどんなものだったんだろうか。
思いつつ、口に出すことはせずにオーダーを厨房へと椋は伝えた。料理は今日依頼を終えて帰ってきたばかりのパーティが手土産にとくれた巨大エビの蒸し焼き、酒はこの間入ったばかりの新作で、客からの評判も非常によいウィスキーの水割りだ。
余裕さえあればむしろ椋のほうが飲み食いしたい代物であるが、そんなことは無論、今ここでは口には出さない。
「随分、話がそれてしまったな」
またひとつリーが笑い、小さく肩をすくめた。あくまでも自分のペースを崩さない彼女の様子に、そのすぐ横のクレイが何か奇妙なものでも見るかのような顔を向けているのがどことなくおかしい。
しみじみこの人がこういう人で良かったと思いつつ、再度彼女の言葉に椋は頷いた。
「さっきも言った通り、少し事情があって義手が創りたいんだ。でもさっきのクレイの反応から見ても分かるように、この国にはそもそも、そういうものの需要が全然なくてさ」
「それこそ言っておくが、知っているおまえの方が異常だ、リョウ。そもそも腕や足が失われるような異常事態など、そう簡単に起こるものではないぞ」
「あー、そこはもう俺だから、で流していいから。な」
「……おまえの行く末が、本気で心配になってくるな」
「俺自身、さっぱり予測なんてできてないよ」
深いため息とともに向けられるクレイの言葉に、軽く肩をすくめて椋は応じた。本当に自分がどこに行こうとしているのか未だにまったく分からない、と思う。
未だに、というよりも、自分のできる限りのことをしようと足掻き始めたが故に余計に分からなくなっているのかもしれない。何しろ椋が持つものは、この場所からしてみれば結構に片っ端から生粋の「異端」でしかない。
それらがうまい方向に転がってくれることを祈りつつ、またも逸れかけた話を椋は戻すことにした。面白そうな表情で、椋たちのやり取りを見守っていたリーへと視線を向ける。
「で、さ。義手を必要としてるのは、今年で十五になる奴なんだ」
「十五? 随分若いんだな」
「そうなるまで、俺についていた騎士見習いだからな」
わずかに驚いたように眉を上げたリーに、クレイが淡々と、さりげなく椋が伏せた情報を続けた。
これにはむしろ、椋の方が驚いてしまった。思わずクレイの顔を見やれば、先ほどの椋の行動をそのままなぞるかのように、しれっと肩をすくめて返される。
クレイの中でのリーへの警戒レベルが下がったのか、それとも。
詳しいことはよく分からないが、ひとまずはある程度のジュペスに関する情報の公開はクレイに許してもらえた、らしかった。
なるほどな。リーがひとつ頷きを返してくる。
「立ち居振る舞いからそうではないかと思ってはいたが、やはりクレイ君はこの国の騎士なのか。そしてリョウ君が義手を探してやっている相手は、君の関係者だと」
「ああ。元々こいつの無茶は、俺が原因を作ったようなものだ」
「そんなことはないだろう。私はまだ君たちと知り合って幾分もないが、それでもリョウ君が飛びぬけておかしい、自分の思考でしか行動しない御仁であることは理解できるぞ」
「おーい、リーさん、ざっくりひどいこと言ってるよね?」
「リョウ、残念ながら否定してやれる要素が俺には見当たらん」
「ひでっ」
少し大仰に嘆いて見せれば、次には三人分の穏やかな笑いがその場に開いた。
ひとしきり笑った後、完全に見計らったタイミングで料理と酒が二人の元へと運ばれてくる。椋の合図があるまで少し待っていてくれた同僚たちの気遣いに感謝しつつ、そろそろ何となく気になってきた自身の空腹については、ひとまず無視を決め込むことにした。
それにしても巨大なエビの切り身である。元のエビが到底一人で食べきれるような大きさではなかったので(何しろ身の詰まっている部分だけで三メートルくらいあったのだ)現在のリーとクレイに出されているのもその切り身と殻の一部だけなのだが、それでも軽く三十センチくらいはありそうだ。そしていい匂いだった。
手慣れた綺麗な手つきで身を切り分けていきつつ、わずかにリーは目を細めた。さり気にクレイにも取り分けてやりながら、首をかしげる。
「しかし十五歳の騎士見習い、か。ならば義手は見栄えより機能性を重視した方が、その少年には相応しいのかな」
半ば独り言のように呟きつつ、蒸し焼きを口にして切れ長の目をリーは見開いた。すぐにふわりとその視線が料理に向かって弛んだところを見ると、どうやらこの料理、リーにとっては相当の当たりだったらしい。
あきらかに厨房奥からこちら側に向けられている複数の視線にぐっと親指を立ててやれば、我が意を得たりとばかりにガッツポーズをする複数人の動きがちらっと見えた。
だが料理を出されたもう一方、クレイはと言えば、エビを口にするどころかナイフとフォークを手に取ることすらせずにリーをただ凝視している。
「機能性、と言ったか?」
「ああ。何かおかしいことでも?」
「機能性、……動く、のか? 魔具が装着者の意思で、自由自在に動かせると?」
怪訝と理解不能の詰められたクレイの視線に、ただわずかに首をかしげるだけでリーはあっさりと応じている。挺三天
さらりと可能と告げられたそれは、人形が何がしかの魔術によってかわいらしく踊りまわっていた光景を目にしていた椋にはまだ予想できないこともないものだった。しかし当然のことながら、それがとんでもない、不可解なことであることには椋もまた、変わりはない。
何しろ現代においてもそれは、今もまだ多くの思考錯誤が繰り返されている分野なのだ。
下拵えの手を止め、ひょいとリーの方へ向かって椋はわずかに身を乗り出した。
「それに関しては、俺ももう少し詳しく聞きたい。何をすればどれくらい、どんなふうにどうやってどこが動かせるのか、装着者の負担に関してはどうなのか、とかさ」
椋の知る「人の意思」で動く機械には、多くの機械が操縦者側にもまた接続されていたうえに、ごく細かな動き、自然な曲がり方や自然な外見などといったものにはまだ随分と遠かった。さらに自分の言葉と思考の結果で、はたと椋は思い当たる。まだ椋たちは、リーと金額について、代金、謝礼についての話を一切交わしていないのだ。
いざとなればヨルドたちに泣きつけば何とかしてもらえそうな気もしなくもないが、どうもそれでは色々と恰好がつかないにもほどがある。
内心少し青くなる椋をさておき、リーは料理へ向ける手を止めて軽く、顎へと手を当てた。
「ふむ。その少年には、魔術の才能はあるのかい?」
「え?」
「詳しいことは分からんが、奴は魔術師にも転向できるらしいとは聞いたことがある」
暢気で思考の遅い椋の代わりに、彼女の質問にはクレイが応じた。元々椋が知らなかった情報でもあるので、少しの驚きも持ってクレイの言葉にはそうなのか、と頷く。
剣の腕も、魔術の腕も確実に並以上。しかしジュペスから話を聞くに、まだまだ自分より上の人間は数多くおり、だからこそ一刻も早く己が場に戻り、鍛錬を、修練を再開したいのだと、先に進みたいのだと彼は言っていた。
彼の言う「先」が何を指すのか、青空の色をしたあの目が何を見据えているのかを椋は知らない。相変わらずジュペスに関して、一切の確信など持ててはいない。
しかし何を知らずとも、妙な椋個人の思考が入っているとしてもジュペスの復帰を願っている気持ちには決して、偽りはない。
クレイの言葉を受け、少し何か考え込むように左目を閉じてリーは黙り込んでいる。その姿勢や雰囲気は妙に、この国、この場所で椋が一番よく知る人物、ヘイのそれによく似ていた。
何となく湧いてくる笑いをかみ殺した椋の前で、ややあってからふわりと、リーは切れ長の目を開いた。
そうして口の端をきゅっとつり上げる。――笑う。
「ならば確実に「動く」ものを創ることは可能だ。詳細な動きに関しては、義手としての魔具の方向性や装着者との相性、魔力の循環法などという、技術と装着者の問題になってくる」
「本当に?」
「奴の腕が、……戻せる、のか?」
「君たちが、そしてその少年が望むというなら」
「本当、に、か」
「ああ。私は決して、自分の仕事に嘘はつかない」
椋たち二人分の問いに力強く頷き、柔らかくリーは左側だけの表情で笑う。不気味なのっぺらぼうの右側の仮面すらどこか自信ありげに見えたのは、それこそリーの魔具師としての自信や矜持といったものの表れなのかもしれない。
うっかりその笑みに引き込まれそうになって、しかしいざ「可能」となれば一番の大事となってくる事柄に改めて椋は思い当たった。彼女がこれを「仕事」として受けようとしてくれている以上、きちんと仕事としてこちらも契約を成立できるような立場でいなければならない。
ウィスキーを楽しみつつ、料理も静かにきれいに、しかもさっさと平らげていくリーを改めて椋は呼んだ。
「リーさん」
「うん?」
「ここまで色々聞いておいて申し訳ないんだけど、そっちの提示金額によっては、俺たちはリーさんには制作を頼めないと思う」
「ああ。それについてはいくつか、交換条件に応じてくれさえすればそれで私は構わないよ」
「えっ?」
予想の斜め上にもほどがあるような言葉が、あまりにあっさりとリーからは返ってきた。思わず目前の彼女を凝視するも、素知らぬ顔で料理と酒を楽しむリーには何の妙な他意があるようにも見えない。
他意どころか、面白そうな表情を相変わらず崩そうともせずに彼女はこんな言葉を続けてまで来るのだ。
「それより、本当にその少年の義手を創るとするなら、その子のもう少し詳細な身体的な情報が欲しいな。君なら知っているかな、リョウ君」
「それより、ではないだろう。……本気で言っているのか? それとも、到底こちらが不可能な交換条件でも、突き付けてくるつもりか」
「まさか。そんな無粋で、真剣そのものの君たちを踏みにじるようなことはしないよ。それに私は自分の仕事に嘘はつかない。さっきも言ったはずだ」
「い、いや、でも」
「君たちのような面白い人物と知り合えて、そんな珍妙な依頼が受けられるという時点で私には十分だよ」
「正気の沙汰では、ないぞ。そんなものは」
「なくて構わないさ。君たちが私の懐を、気にする必要などないよ。私はただ、私が楽しむことさえできればそれでいいんだ」
幸い、そんな無茶ができるくらいの持ち合わせは手許に常に在るからね。
本当なのか嘘なのか、全くわからない見通せないような不可思議な言葉を吐いてリーはまた楽しそうに笑う。自分が楽しければそれでいい、その言葉に妙な引っ掛かりを覚えるのはおそらく、いつもヘイが同じようなことを、折に触れて椋に向かって当然のように妙に威張って言い放つからだ。
いや、だが、しかし、でも。椋の脳内を駆け巡る逆接は止まない。
詳しく見たことはないが、義手というのは基本的に一本いくらぐらいする代物だった? どんなに小さいものでも二十万は下らない、大きいものになれば普通に桁が変わるようなものだったような気がする――。
リーは椋をヘンだと言い笑うが、どうやらこのレンシア・フロースという人間もまた、とんでもなく変で無茶苦茶な人間であるらしい。
もはや二の句を継げない椋とクレイに、いつの間にか最後のひときれになっていたエビの切り身をフォークに刺してリーは肩をすくめた。
「度を過ぎた道楽ものでもなければ、いつまでもあてもない旅など、できるものではないさ」
この世界の魔具師って、皆が皆こんな無茶苦茶に金銭感覚の狂っためちゃくちゃな人たちばっかりなのか、と。VIVID XXL
最初の無茶を吹っかけているのは自分であるにもかかわらず、ついつい思わずにはいられない椋なのであった。
没有评论:
发表评论