「ルーク! その方が、噂の婚約者殿ね? 噂に違わず美しい方ね!」
ダークレッドのドレスに身を包んだ、いつもと同じく快活な王女の姿に、ルークは微笑んで頷いた。
王女は、美しく光に煌めく黄金の髪にルビーの髪飾りを付けた、蜂蜜色の瞳を持つ、女性ながらにして王位継承権第一位の貴人である。老虎油
「そうだろう。セリーヌと言うんだ」
ルークが笑みを浮かべて気安く返している隣で、セリーヌは礼を取るよりも、少し呆然とした様子でブリジット・ヴェルルーニを見つめていた。
どうやら、小さな声で喋る楚々とした人という印象でも抱いていたようだ。黙って座っている姿だけ見れば、確かにそれも頷ける。
しかも、王女、と聞くと誰でも自然と、そういう大人しい女性を思い浮かべてしまうだろう。
ところが、実際のブリジット王女は少しも大人しくもなければ、小さな声でぼそぼそ喋るような真似は絶対にしない。誰にでも毅然と対する、女性らしい事よりも武術に長けた、溌剌として男っぽく力に満ち溢れている人である。
その、洞察力と決断力には、現王よりも王たるに相応しいとさえルークに思わせる事もあるほどだった。
「セリーヌ。こちらのブリジット・ヴェルルーニ王女殿下は、次代の国王陛下、女王になられる方だ」
セリーヌの、想像していたのとまったく違う王女の姿に、驚いているのが良く分かるのを面白く思いながら紹介した。
すると、セリーヌが言葉を発する前に、ブリジットが眉を顰めてルークを軽く睨んで来た。
「そういう事を、軽々しく口にしないように。お父様には確かに私しか子供は居ないわ。でも、女王の即位には反対の声が多い事を知っているでしょうに……隣国に留学中の従兄弟を押す声が強いのを、あなたが知らないとは言わせないわよ」
「君の従兄弟? ああ、そう言えばそんなのも居たな。……王族であるのを良い事に、ならず者達とつるんでは悪さばかりしていたロクデナシが。……それで、あんまり民を泣かす物だから、とうとう押え切れない噂になってしまい、慌てた父親の王弟が罰を与える事もせず、留学と言う都合の良い理由を付けて隣国にほとぼりが冷めるまで逃がしたのだったな……そんな屑を、メイナードは王として承認など絶対にしないぞ。この私が、君の女王即位を望んでいるんだ。誰が邪魔出来る物か。今、ロバート陛下が就かれている席は、そのまま君の物になるんだ。これは、決定事項だ」
ロバート国王陛下は、側妃を何人娶っても構わない立場にありながら、王妃一人しか後宮に召していない王である。
しかも、その王妃はブリジット王女を儲けた後から体調を崩してしまい、完全に復調するに至らず今となっている。病弱となれば、当然次の御子など望めるわけもなく、王には現在ブリジット王女しか子供はいない。
重臣も貴族達もこの事態を憂慮し、何度も王に側妃を後宮に召し上げるようにと上奏した。
次の子供が望めないからと王妃の廃位までは訴えないが、側妃は次代を安定させる為には必要だとしつこいほどに説いた。しかし、臣下の声を良く聞く王が、それに関してだけは首を縦に振る事はなかった。
王妃の父である老伯爵ですら、王子を産めない娘に情けを掛けなくても良いとまで言って王を説得した。
老伯爵はそこそこの領地は持つが大貴族とは呼べない人である。だが、娘が王妃となってもヴェルルーニ家の外戚として権勢を得ようとは考えない、清廉な欲の薄い人物だった。
その証拠に、重職に就く要請はすべて断り、王都を離れて領地に下がっている。息子達も同じく領地で暮らし、彼らも父親同様王宮での職を求めるような真似はしていない。
ロバート王が即位され王妃を決めるとなった時、多くの貴族が我先にと争うようにして己の娘や縁者の娘を推薦した。
数多く寄せられたそれに、しかし、王は意中の存在を見出す事はなかった。乾いた笑みを浮かべ 『政略結婚なのだから誰でも良い』 と宰相とルークの父に丸投げした。
推薦された者に意中の相手がいないからと、好きに国を探し回って気に入る相手を探して結婚するような、恋愛婚は王には許されていない。
それが、家格の釣り合う貴族の令嬢ならば許されるだろうが、王に貴族の令嬢の内に意中の相手が居ないとなれば、貴族達の持ってきた相手の誰かと、心の伴わない政略婚をするしかないのである。
その王妃の選定が宰相とルークの父に任されたと知った貴族達は、二人の下に、自分の勧める者を是非にと言っては、連日押しかけて騒ぎ立てた。
宰相は、どの家の娘を選んでも外戚となって煩い事になりそうだと頭を抱え、ルークの父は押しかけてくる者すべてを無視した。
そして王に推薦したのが、知性と品位を充分に備え、その上欲も薄い伯爵家の娘だった。母が伯爵家と懇意にしているという事で知った令嬢を見た瞬間、父は王妃となるのは彼女しか居ないと思ったそうだ。
伯爵は娘を王妃とするのはかなり躊躇ったが、父が説得を重ね、終には伯爵も令嬢も折れた。そして、王と伯爵令嬢は顔を合わせ、そのまま恋に堕ちたというわけだった。
宰相もこの結果には大いに満足し、貴族達は 『結局メイナード公の推薦する娘なのか!』 と歯噛みしながらも公然と抗議するような真似は出来ず、王と令嬢の挙式は世界が知るほど盛大に行なわれた。
王妃となった伯爵令嬢は中流貴族出身者であるが、宰相とリディエマ一の権勢を誇る大貴族メイナードの当主が後見するのだ。王妃を蔑ろに出来るような貴族は存在せず、王子を望めないと皆が知るようになるまで、国王夫妻は側妃の問題に煩わされる事なく平穏に暮らしていた。
しかし今、その平穏が崩され側妃の問題が幾ら取り沙汰されようとも、王の王妃のみを愛する心に変わりはなかった。
リディエマは、滅多に立つ事は無いのだが、女王が立っても良い国である。
王位継承権は王女にも与えられるのだ。
王はその事を持ち出し、 『王女一人しか子が無くとも、その子が健康であり、無事に女王として立てば何の問題も無い!』 と王子を望む者達の声を完全に退け、側妃問題を終わりにしようとした。
すると、側妃はどうあっても受け入れてもらえないと思った重臣の一部が、今度は女王が滅多に立たないと言う事を、過剰に取り上げ始めたのだ。
側妃をどうしても容認できず、自身の王子を諦めるのなら、王弟の息子を押すと宣言し、ブリジットを時期王として確定する事に異議を唱え始めたのだ。
王には歳の近い弟が一人おり、その王弟にはブリジットと歳の近い息子が一人居る。
しかし、ルークが見るところ、現在王室に王となれる資質のある人間はブリジットしか存在しない。王弟の息子など相手にならず、健康状態にまったく問題なく、ブリジットほど優れている女性に対し、女性の何が駄目なのか、ルークにはさっぱり分からなかった。
国王陛下自身も実子であると言うことを抜きにしても、そう見ている。
どんな反対があろうと、屑共に国を荒らさせて面倒を増やさせない為にも、その背中を守ってブリジットを女王とするのに躊躇いはなかった。
「……相変わらずの、強気だわね。……でも、そう上手く行くかしら? 叔父様が、私とそのロクデナシを結婚させて、次代の王にしようと貴族達に働き掛けていると言うのに……」
ブリジットは今年二十五歳になるが、まだ婚約者も定めていない。話は降るようにあるのだが、どの相手にも乗り気になれないとして断っているのだ。王族の女性としては極めて珍しい行いに周囲は気を揉んでいたが、本人はいつかどうにかなるだろうと至って気楽にしていた。
そこを、王弟である叔父が利用しようと画策しているのだ。
王にしつこく上奏し、機嫌を損ねるような真似をして、ブリジットから強引に王位継承権一位を奪うよりも、二人を結婚させて、王女から夫となった息子に自主的に継承権一位を譲らせる。そして後には王に。
これなら、ロバート王も反対できず、すべてが円満に解決し、国が荒れる事はない。そう、自分の側に付き、息子を押してくれる貴族達と話しているのはルークも知っている。
しかし、ブリジットの性格からしてロクデナシの従兄弟と気が合うとは思えず、王弟がどれ程画策しようとそんな話は成立しないだろうと放置していた。
「……君が、そのロクデナシとどうしても結婚したいと言うなら、それに関しては反対しないが……王位をロクデナシに、と言うのには……たとえ、ヴェルルーニ王家が崩壊するような事になったとしても、賛成しないだろうな」
にやり、と笑んで答えると、ブリジットはこちらを軽く睨んで嫌そうに言った。
「私だって、あんな男と結婚なんてお断りよ。叔父様は、王位争いの事だけ考えて、ほとぼりがさめたと判断して呼び戻すつもりのようだけど、一生隣国に置いて置けば良いと思うわ……でも、もし私が叔父様に負けて結婚を承諾すれば、あなたは王家を見捨てるのね。あなたにとって、王家は恐れる必要も無い存在、と言うわけね……まったく、何でも持っているから、何でも思い通りになると思っている。怖い物知らずの困った男だわ……」
王家への敬いが感じられないルークの言動に、怒るのではなく、ぼやくように返しているブリジットを、何故かセリーヌが目を輝かせて見ていた。
胸の前で両手を重ね合わせて握り、じいっと嬉しそうに食い入るように見つめているのに、ルークが怪訝に思うと同時に、ブリジットもその視線に気付いてセリーヌに目を向けた。
「どうしました? 私の顔に何か?」
「え、あ、いえ……失礼致しました!」
問われてセリーヌがはっとし、慌てて頭を下げるのに、ブリジットは軽く首を振った。
「夜会用の、こういう化粧はあまり好きでないから、おかしな所があるのでしょう? 遠慮せずにどうぞ」
「とんでもない事です! 王女様は、とても美しい方です!」
ぶんぶん、と音がしそうなほど激しく頭を振って言い募るセリーヌに、ブリジットは面白そうに笑った。威哥十鞭王
「あなたのような美しい方にそんな事を言われても、今一つ信用ならないわ。正直に言ってくれたので良いわよ。何故、そんなに嬉しそうに私を見ているの? 私はこれでも女よ。公爵を袖にして私を望まれても、あなたを妃に迎えることは出来ないのよ」
「なっ! そ、そのような事は、考えておりませんっ! ただ、あの……」
真っ赤になって首を振り、次いで困ったように目を彷徨わせたセリーヌに、ブリジットはなおも問うた。
「ただ?」
「王女殿下は、公爵様の幼馴染みと伺いましたが……」
「そうよ。物心付いた頃からの付き合いで、結婚の話も出たのだけど……こんな、何年友人として付き合っても何を考えて居るのか良く分からない男は嫌だったから、断ったの。だから、どんな噂があろうとも、私のことは気にしなくて良いわよ。臣下としては信頼できるけど、男としては、全然全くそんな気持ちなんてないから」
そう、ブリジットがきっぱりと答えると、セリーヌはますます嬉しそうな顔をしてブリジットを見つめた。
その表情は、しかし、どう見てもブリジットがルークに想いを抱いていない事を喜んでいる、といった物には見えず、ルークはセリーヌの考えている事が分からなかった。心中で、首を傾げるばかりである。
「王女殿下……あの、少しだけ、非礼をお許しくださいますか?」
小さく問うたセリーヌに、ブリジット怪訝な顔をした物の頷いた。
「少し、なら……えっ?!」
頷いたと同時にセリーヌはブリジットに抱き付くようにして、その身を抱き締めていた。
突然の行いに、ブリジットが驚いて目を丸くする。ルークも、まさかそんな事をするとは思わず、ぎょっとした。
王女とルークが話しているという事で、残っている面々のほとんどがこちらを見ていた為、大広間にはざわめきが起こるほどだった。
しかし、当のセリーヌはそんな外野になどまったく頓着せず、喜びの笑顔でブリジットを抱き締めていた。
「幼馴染みの王女殿下にとっても、何を考えているのか分からない、訳の分からない男なんですね……なんでも思い通りになると思い込んでいる、困った人間なのですね……良かった。良かった。私だけが、そう思っているのかと思って……公爵だからそれで当たり前なのだと、みんなと同じように思わなければならないとどんなに思っても無理で、違う事ばかり思ってしまう自分がおかしいのかと辛かったのです。……あなた様のそのお言葉に、救われました。……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます、王女殿下!」
ブリジットの肩口に顔を埋めるようにして思いを語るセリーヌに、抱き付かれた当初は驚いた顔をしていたブリジットだったが、その内容に、優しい目をしてセリーヌの背を撫で、労わるようにぽんぽんと軽く叩いた。
そうして、ルークには何とも言えない嫌そうな目を向けてきた。
「結婚相手を見たい、とは思っていたけど……やっぱりあなたみたいな男が円満な結婚なんて無いわよねぇ。……彼女が気に入ってるのは本当みたいだけど、嫌がってるのをごり押しして奥方に迎えるとしか、見えないわね。……まったく。そんな事をしたら、彼女が可哀想でしょうが! 少しは、相手の事も考えてあげなさいよね!」
最後ははっきりとセリーヌを庇ってルークを怒鳴り付けて来たのに、片眉をひょいと上げてその顔を見返すと、セリーヌは抱擁を解いて目を丸くしていた。
「貴族の家同士の事情を考えた政略婚など、当たり前の事だろうに……それを、そんなに怒られても、正直困るのだが……」
「当たり前の事でも、やりようがある筈よ。貴方は、絶対に彼女に碌な事をしていない。……本当に、おかしな男に目を付けられて、気の毒に。私で何か力になれる事があれば良いのだけど……」
そう言って、ブリジットは幼馴染みであるルークを容赦なく悪と決め付け、優しくセリーヌの手を取ると両手で包み込むようにして握った。
どうやら、ずいぶんと気に入ったようだ。良い展開である。
「勿体無い、お言葉です。王女殿下」
手を握られたセリーヌは、とても感激した様子で、少し涙ぐんでさえいた。
「公の場でなければ、ブリジットと名で呼んだので良いわ。ルークもそうしてるのよ。……私には、ルークの結婚を反故に出来るような力は無いけど、話を聞くくらいなら出来るわ。いつでも、遠慮せず王宮に訪ねて来なさい。逃げ場所ともなってあげるわ。あなたの事は、無条件で通すようにと伝えておくから。……一人で我慢して泣いていては駄目よ」
「王女様。ありがとうございます! ありがとうございます!」
何度も深々と頭を下げて、感謝を示すセリーヌを、ブリジットはすっかりお姉さんのような目で見ていた。
まさか、こんなにも早く良好な関係が築かれるとは思っていなかったが、セリーヌの人徳だろうとルークは満足した。
政略婚を理由にしても、自分の行いが強引過ぎる事など、今更言われるまでもなく分かっている事なので、己をすっかり悪人にされていても、特に気を悪くしたりはしなかった。
それどころか、ブリジットが自分から進んでセリーヌの助けとなってくれる事に感謝しつつ、二人の遣り取りを口を挟まず見つめた。
「結局、陛下のお心が、公爵家から動かれる事はありませんでしたわね。当然の結果ではありますが……少し騒ぐくらいで、あの事業があなたから奪えるのでしたら、我が家がとっくに騒いでおりましたわ。……当主も後継者も物事をきちんと把握出来ない愚か者揃いで、あの三家は先がありませんわね」
涼やかな声に視線を向けると、栗色の髪を美しく結い上げた琥珀の瞳の魅惑的な美女が、微笑みを浮かべて立っていた。
「カトリーヌ! そうだな、君が率いるダリュー家が対抗として出てきていれば、私に任されることは無かったかもしれないな」
「そのお言葉。お世辞でも嬉しいですわ」
麗しく微笑むカトリーヌ・ダリュー伯爵令嬢も、セリーヌを紹介しておきたい一人だった。
彼女はルークより二歳年上である。それでも結婚どころか、婚約者さえ決めていない。ブリジットと同じく、どうするつもりなのだと周囲をやきもきさせている人物なのだが、あと数年は独りでいると堂々と言い放ち、両親を苦笑いさせている。
早婚の貴族に於いては、立派な行き遅れの歳であるのだが、これまたブリジットと同様に結婚の申し込みは後を絶たない。しかし彼女は、それを喜びもせず、男が寄って来過ぎて鬱陶しいとの理由で、夜会には滅多に姿を見せないほどである。その為、これまでは紹介する機会が無かったのだ。
伯爵家の後継者である彼女は、その美貌以上に、今すでに父当主よりも伯爵家の事業を上手く仕切っている才媛としても有名である。
そして、幼い頃からルークの気の合う親友だった。
互いが遠慮なく好きな事を言い合う関係であるからこそ、両家の親達は結婚の話を進めようとしたのだが 『親友であり、結婚相手ではない』 と二人揃って同じ事を言った為、その話は消えたのだ。
カトリーヌはルークと結婚してメイナードの奥方として納まるよりも、自分が継ぐ事となるダリュー家を己の力でより発展させ、その姿を見てみたいと考える野心家だった。その野心にルークとの結婚を利用しない考えが、気に入っている。
リディエマでは女王の戴冠が可能であるのと同じく、爵位を女性が継承する事も認められている。基本は男が継ぐとなっている為、もちろんこれもあまりある事ではないのだが、当主がそれを決め国王の許可も得られた場合は認められるのである。
ダリュー家も王と同じく娘を一人しか儲ける事が出来なかった。
メイナードもルークが一人というように、貴族は後継者を生む正妻には一般市民の血を入れず、貴族の中でのみ婚姻を繰り返して来た為、建国から長い年月が経った今では血が弱ってしまっているのか、子供を多く儲けられる家が少なくなっていた。
愛人として一般市民を囲う事は多く見られたが、愛人の子が後継者となり血を繋いでいく事は滅多に無いのである。
もし、貴族の正妻に娘しかおらず愛人に息子が居たとしても、娘の方が後継者として選ばれるのが貴族の家なのだ。故に、貴族の家にはまったく繋がりの無い新しい血が入る事は皆無に近かった。
ところが近頃では、貴族の血を持たない富裕な商人の娘を正妻として娶り、財力と新しい血を家に入れ、何の権利も与えられない愛人の子ではなく、正式な子供を多く儲けたいと考えを変える貴族がちらほら現れている。
元々貴族に一般市民との婚姻を禁じる法律などなく、代々の方針として貴族同士の婚姻を選んでいたに過ぎないのだ。
そこに、家の存続と言う重大事を突き付けられ、子孫を絶やすか血を混ぜるかの選択を迫られた場合、方針を変更し混ぜる方を選ぶ者が多くなるのは、当然だろうとルークは思う。
ルークとて、市井の民にこれぞと思う存在が居れば、一族がどう思おうとも娶っただろう。
しかし、セリーヌ以外は、本当に誰をどれだけ見ても結婚相手としては惹かれる者など無く、駄目だったのだ。
貴族の男の多くが結婚相手にと望む、美貌も知性も財力も兼ね備えたカトリーヌでさえ、生涯の伴侶とは考えられなかった。
そのカトリーヌは、微笑みを浮かべたまま琥珀の瞳をセリーヌに向けた。
今日まで紹介する機会を持てずに来たのだが、こちらもブリジットと同じくルークの婚約者にずいぶんと興味を持っていた。
『あなたの理想は見つからないわ。きっと、歳を取ってから諦めて冷え切った政略婚をするか……縁戚から養子を迎えるかのどちらかですわね』 と、カトリーヌはルークの結婚相手への望みを知ると、きっぱりとそう言ってばっさりと切ってしまった。
その言葉に反論の言葉が出なかった通りに、これまで一向に見つからずにいた者が、ここに来て見つかったのだ。
先日王宮で顔を合わせた際に、婚約したと伝えると、早く顔を見てみたいですわ、と我が事のように興奮し、どのような人物だと詳しく訊いてきた。
ここで声を掛けて来たのは、自分と話したいと言うよりも、間違いなくセリーヌを間近で見たいが為だろう。セリーヌはカトリーヌが嫌うような人間ではないと言いきれるので、ブリジットのように親しくなってくれればありがたいと思う。
「初めまして。カトリーヌ・ダリューと申します。……メイナード公とは事業の取引相手として、また友人として親しくお付き合いをさせて頂いております」
優雅な所作で礼をし挨拶をしたカトリーヌに、セリーヌは両手で口を覆って目を見開いていた。
「カトリーヌ伯爵令嬢様……だなんて……まさか、ご本人様にお目に掛かる事が出来るなど夢のようです! 初めまして。セリーヌ・リンディと申します!」
物凄く感激した様子で頬を薔薇色に染め、勢いよく頭を下げたセリーヌの過剰な返礼に、頭を下げられたカトリーヌも驚いていたがルークも訳が分からなかった。
「……セリーヌはカトリーヌの事を知っているのか?」
ずいぶんと嬉しそうな様子に問うと、セリーヌは顔を上げて大きく頷いた。田七人参
「カトリーヌ様をご存じない貴族の娘など誰もいません! リディエマ一の大学を男性を押えて首席で卒業された才媛。事業の才も素晴らしく、幾つも会社を興しては弱者を差別無く雇って下さる方としても有名です。私の憧れの方です!」
「なるほど……カトリーヌは、セリーヌが好む要素ばかりを持った女という訳か……」
男の貴族達が誰もが妻にと望む有名人なのだ。貴族の娘達の間でも有名であってもおかしくない。
それに、確かにカトリーヌは勤勉なセリーヌが関心を持つに値する女だ。歳が離れている上に、マートル子爵家とダリュー伯爵家では家格に大きな差があるので面識は無かっただろうが、憧れの人として敬っているのは頷けた。
「はい! いつかそのお姿を拝見したいと願っていましたが、このように美しい方とは……本当にすべてが素晴らしい方です!」
自分には向けられる事の無い、キラキラと光輝く瞳で嬉しそうに見つめられているカトリーヌに、非常に面白く無い物を感じた。こんなに明るいセリーヌを見たのは初めてだと思っていると、セリーヌから一心に見つめられているカトリーヌが、コロコロと鈴を転がすように笑った。
「なんと可愛らしいお嬢様でしょう。ご自分の婚約者と親しく付き合っていると言った女に、そんなに嬉しそうな目をして憧れているなど……初めてですわ」
「え?」
きょとんとしてセリーヌが首を傾げるのに、カトリーヌの好意的な笑みがますます深まった。
「ルークの傍に居る女性にわたくしがこう挨拶いたしますと、大抵の女性は表面だけはわたくしに世辞を言い取り繕いながらも、陰では醜くわたくしを睨んできますの。……友人と断っているのに信用して下さらない。わたくし、そういう女性が好きになれないのですわ。わたくしが、もしルークに気持ちがあるなら、とっくに結婚しておりますもの。……ですが、この先も経営者としてルークとの付き合いは絶つ訳には参りません。それが、奥方にいつも関係を疑われ、睨まれていたのでは息が詰まります。……ルークがようやく見つけた奥方となる方が、あなたのような方で良かったですわ。わたくしは、お二人の家庭に波風を立てるような真似だけは絶対に致しませんわ。仲良く致しましょうね」
「……はい。……勿体無いお言葉です……」
笑顔の申し出に、それまでの明るさが消え、困った様子で小さく頷くのに、今度はカトリーヌが首を傾げた。
「お嫌、ですか?」
「いいえ! とんでもないです。ありたが過ぎるお言葉です。嫌だなどとそのような……」
慌てて首を振るセリーヌだったが、それでも困った様子が消えないのに、ますますカトリーヌが不思議そうな顔をすると、ブリジットが横から言った。
「彼女はルークと楽しく婚約している訳ではないようだから……奥方と言われても、言葉が返しにくいのよ」
「楽しくない婚約……と言う事は、王女。この男、結婚に納得していない彼女を、無理矢理傍に置いているの?」
カトリーヌはブリジットと自分と同じく親しい。ルークを指差し、砕けた物言いで訊いてもブリジットはまったく気にせず、頷いて見せた。
「そういう事。円満恋愛婚なんて程遠い、家の事情による政略婚ですって。……それでも、メイナード程の大家に嫁げるとなれば、普通は喜ぶ物だと思うのだけど、彼女はどうやら違うようなのよね」
「無理矢理。メイナード公ともあろう方が無理矢理ですって!……ふふふふ……この男の財力にも権勢にも靡かないなんて、あなた素晴らしいわ!」
「きゃっ!」
楽しげに目を輝かせたカトリーヌに、思い切り抱き付かれてセリーヌが驚いて声を上げる。
それでも構わず抱き締めて、カトリーヌは機嫌よく笑っていた。
「ルークの財力にも権力にも媚を売らない女性が貴族の内に居たなど驚きですわ。……どんなに探しても一生掛かっても見つからないと思っていましたのに、……探せば居るものなのですね」
「……それは、カトリーヌ様も同じなのではないでしょうか? お二人がご結婚されるとのお話は、多くの者が耳にしておりました。ですが、お断りされたと窺っております……カトリーヌ様も、財力や権力などどうでも良いとお考えであるから、そうなされたのではありませんか?」
セリーヌを見ながら感心しているカトリーヌに、セリーヌは小さく首を傾げて問うていた。
「そうですわね。ルークの持っている権力や財力には興味がありませんわ。……ですが、興味は無くとも、魅力的な物である事は理解しておりますわ。わたくしは欲深な女です。どうでも良い物などとは思っておりませんわ。……それを、あなたは魅力的な物とすらまったく思っていらっしゃらないご様子。その目。本心からわたくしとルークが結婚していれば良かったのに、と思われていますね。……ふふふ……本当に可愛いですわ」
面白そうに笑っているカトリーヌは、セリーヌのように財や権力に興味が無い女ではない。
それどころか、興味のあり過ぎる女だ。
だが、単純に結婚して、夫の物を貰うのではなく、自分で築いたり奪ったりするのが好きなのだ。
こんな考えの女なのだ。おそらく夫に選ぶのは、家に力が無く己の邪魔をしない、大人しくて礼儀正しい男ではないだろうかと思う。
正直、カトリーヌと言うのは自分を見ているような気持ちにさせられる女なのだ。カトリーヌの方もそう思っているだろう。
だから、ルークは結婚など考えられないと言い、カトリーヌの方も同じ思いで同じ事を言ったのだろうと思う。自分と同じ存在が生涯の伴侶など、息が詰まるに決まっている。友人でいるのが最良である。
「ルークを愛しているのでもなく、その持つ物に何の興味も無いとなれば、こんな、何を考えているのか分かりにくい男との政略婚など怖ろしいだけでしょう。ですが、散々に言っていますが、ルークはそんなに甲斐性の無い悪い男では無いと思いますので、自ら望んで迎えたあなたを、不幸にする事はないかと思いますわ。……なんでも力になれるとまでは、はっきりお約束出来ませんが、いつでもわたくしを訪ねていらっしゃいませ。遠慮などしなくてよろしいですわ。今日からあなたとわたくしは友人です。あなたが幸せになれるよう、少しでもお手伝い出来ればと思いますわ」
「ありがとうございます! そうなのですか。カトリーヌ様でも、何を考えているのか分かりにくいのですね……公爵様は、ずいぶんと不思議な方なのですね」
ブリジットと同じような事を述べ、セリーヌの両手を包み込むようにして握り笑みを向けるカトリーヌに、セリーヌは感謝を示して深々と礼をすると、しみじみとした様子で言ってルークを見た。
その目に嫌悪が浮かんでないのは良いが、言葉には納得出来なかった。
「私の何が分かりにくいと言うんだ」
特別、複雑怪奇な行動を取った覚えなどない。常に無表情でいる訳でもなく、嫌な事は嫌だと示し、嬉しい時には笑っている。会話もきちんと交わしていると思うが、それなのに、セリーヌのみならず親しい相手には概ね 『分かりにくい人間』 と評価されているように思う。正直、不満だった。
「行動が……」
口を噤んで逃げず、もごもごと遠慮しつつもセリーヌが言うのに、ルークが言葉を返す前にブリジットが笑って同意した。
「そうなのよね! 確かに悪い男とは言わないけれど、何でも楽に手に入ると思ってるからか、行動が突飛過ぎるのよね。……おかげで、周りの人間は驚かされてばかりだわ。何もしないつもりなのかしら、と思っていると、いきなり前触れもなく動いて事態を動かす……本当に、訳の分からない男だわ」
腕を組んで頷きながら言っているブリジットに、カトリーヌが賛同するが、ルークとしては納得出来ない。
「王女やカトリーヌにはそう見えるのかもしれないが、私としては考えて動いた結果がそれだ。何もおかしな事などしていないぞ」
不満を述べるが、しかし、親友達から同意を得られる事はなかった。
親友達のように大きく主張する事はなかったが、セリーヌもブリジット達の方が正しいと思っている様子がしっかりと伝わってくる。
確かに、セリーヌに関してだけは、考えた通りの行動とは言えない事を何度もしているな、とも思う。
そこを訳が分からないと言われれば、それは仕方が無いので、それ以上の反論は控えた。
正直、口ではカトリーヌやブリジットには叶わないのだ。あまり余計な事は言わず、黙っていた方が良いに決まっていた。印度神油
何にせよ、信頼する二人がセリーヌの味方になってくれた事は、大変満足できる喜ばしい事だった。
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