後に第二次アントリム戦役と呼ばれる一連の戦闘は、ひとまずアントリム子爵軍の完勝で幕を閉じた。
フランドル大将軍は優れた手腕を発揮して味方の撤退を援護したが、それでもおよそ半数近い兵力が失われた。SEX DROPS
唯一の救いは負傷者こそ多いものの、死者の数が少ないことであろうか。
兵力で圧倒的に劣るアントリム軍としては、ハウレリア軍が組織として機能しなくなり無力化されることを優先しなくてはならなかったのは止むをえまい。
それでももっとも損害を出した魔法士部隊は壊滅で、生き残りを集めても部隊として機能しないほどに戦力が落ち込んでいた。
今後後方で負傷者や逃亡した兵たちを再編することができれば、どうにか七割程度まで兵力は回復するであろうが、戦争が始まった今、それをするだけの余裕は残されていなかった。
ハウレリア軍が十倍の戦力で攻め込みながら敗北した、その事実が今は何よりも重いものであった。
百万の罵倒と処罰を覚悟しつつ、フランドルはなお粛然と退却の指揮を執り続けた。
「――――信じられん」
目を疑いたくなる光景に、戦場を眺めていた男たちは絶句した。
彼らもアントリム軍が善戦するであろうとは予測していた。
そして援軍として派遣されたブラットフォード子爵と連合軍ごと、いっしょに壊滅してくれるというのが一番望ましい結末だったのである。
まさか援軍が到着する前に敗北するどころか勝利してしまうなど、彼らの想像の埒外のことであった。
しかし彼らのすべきことは変わらない。
むしろ急ぐ必要がある、と男たちは判断した。
「一大事でございます。アントリム子爵軍は援軍の到着を待たず、わずか一日にして壊滅いたしました。一刻も早く街道を封鎖しなければ明後日にもハウレリア軍が現れましょう」
使者の言葉を聞いたアランは顔面を蒼白にさせた。
もしかしたら、もしかしたらバルドならばハウレリアを相手にひと泡吹かせてくれるのではないかと期待していた。
そうすれば自分もやましいことに手を染めることなく、引き続き繁栄のお零れにあずかり続けることができたというのに……。
「もはや躊躇していてはお命にかかわりますぞ!」
良くも悪くも小心者であるアランは、最初からバルドを見捨てることもなかったが、自分の命が危険にさらされてなお義理を果たせるほどの度胸もなかった。
「や、止むを得ん。これもマウリシア王国のためだ」
そうだ、このままハウレリア軍の乱入を許せば王国の存続にかかわる。
そう自己正当化し、明日にはマティス・ブラットフォードが援軍を引き連れてやってくることをアランは故意に無視した。
それが誘導された決断であるとも知らずに。
フォルカーク領からアントリム領へ向かうモルガン山系の街道をコティングリー街道と言う。
その半ばほど行ったところに、地盤の弱い堆積層で形作られた渓谷がある。
火山灰の白い地層を露出させたそこは、かつて幾度も崩落事故を引き起こし、交通の障害をなってきた。
アントリムが孤立した辺境であったころは省みられなかった危険ではあるが、急速に発展するアントリム領からの流通の増大とともに、新たな街道の整備が望まれるようになり、予算と時が許せばコンクリートによる法面の工事が予定されていたそこに、男たちはいた。
「――――厄介なことになったものだ」
主君の計画とは全く異なる事態が発生したことについて、男たちも困惑を隠せずにいる。
そもそもがアントリムをはじめとした辺境領主軍の壊滅と王室直轄の王国軍の疲弊による発言力の増大、あるいはハウレリアと連動した謀反を画策していた主君にとって、緒戦においてまさかアントリム軍が勝利するという予定はなかった。
しかしそうなった以上、さらに戦果を拡張されたり功績をあげられたりしては困る。
否、今でもすでにアントリム子爵は功績をあげすぎていた。
宿敵ハウレリア王国を向こうに回して十倍以上の敵を破る。
まるで神話の世界の英雄譚のような活躍というほかない。この功績に報いるには陞爵をもってしても足らないことだろう。
アントリム子爵の係累であるコルネリアス伯爵家、そして密接な関係にあるブラットフォード子爵家やランドルフ侯爵家の影響力の増大は、とりもなおさず主を中心とした守旧派貴族の没落を意味していた。
もちろんそんなことがあってはならない。
過ぎた英雄は英雄らしく、死して名誉だけを貪ればよいのだ。蒼蝿水
「――穿槍」
「――水流」
「――爆炎」
不可視の槍に穴を穿たれ、水流に浸食されてとどめに爆発呪文(エクスプロードスペル)を食らって、もともともろい地層が耐えられるはずがなかった。
「念のため対岸も崩しておくか」
たちまち渓谷は次々と崩落する土砂によって埋め尽くされ、その巨大な質量は人と物の侵入を完全に阻害した。
今や完全にアントリム子爵領はマウリシア王国から孤立した陸の孤島と化したのであった。
「これでまずひと月以上は街道を通れまい。あとは――――」
しかしアントリムを孤立させただけでは足りない。
万が一にもバルドが生き残ってしまっては結局その功績を一人占めすることになるからだ。
歴史上でもかつてない寡兵での大勝利という功績は、伯爵どころかコルネリアス領と合わせ将来の侯爵に陞爵する可能性があった。
結果としてバルドは新たな十大貴族の一員として、王国の権力者に並ぶはずであった。
当然バルドが十大貴族の仲間入りを果たすからには、一人の十大貴族がその資格を失うということである。
その一人に主君がならないという保障はどこにもないのだ。
「――――速(と)くハウレリア王国に伝えよ。アントリムは不運な事故により孤立せり、と」
確かにハウレリア軍の先鋒は敗北した。
しかしハウレリアにはさらに倍する兵力が顕在であり、敗走した先鋒も兵力の全てを失ったわけではない。
アントリムが孤立無援になったと知れた場合、彼らがどうのような判断をするかなど容易に予想することができた。
いかにアントリムが手強いと承知していても、国家としての体面上放置することは威信の低下を招くことは確実である。
せめてアントリムを占領すれば、損害の大きさや緒戦の敗北はともかくとして、体裁を繕うことは可能なのだ。
「せめて美しく散れ。たとえどんな手段を用いても、貴殿はここで散ってもらわなくてはならぬ」
万が一、事が露見した場合にはアランに罪をかぶらせる準備はできている。
全てはアランが保身のために、流れの傭兵を雇って街道を封鎖したということで決着するはずであった。
アランが受け取った手紙も、実は印章の押されていない非公式なものばかりでいくらでも言い訳の効くものであった。
どの糸をたぐろうとしても、決して主君までは辿りつくことはない。
どれほど状況的に疑わしくても、証拠がなければ裁けぬのが上級貴族という立場であった。
「奴も哀れな男よ。身に過ぎた野望など持たねば命だけは全うできたものを」
男たちはたとえ事が露見しなかったとしても、将来の禍根となりかねぬアランを生かしておくつもりは毛頭なかった。
マティス・ブラットフォード子爵がアラン・フォルカーク准男爵領に到着するのが遅れたのにはわけがある。
十年以上にも及ぶ平和は、貴族から戦争への備えを致命的に減退させていた。
ブラットフォード家はもともと武門の家柄であっただけに、十分な装備と練度を維持していたが、マティスに与えられた貴族はその対極にあったのである。
ただでさえ少ない兵力、そして金のかかる装備を投入しても相手は遥かに兵力に勝るハウレリア王国軍。
そうなれば平和ボケした貴族軍が士気もあがらず動員も遅くなるのは自明の理というものであった。
「貴様らそれでも王国貴族かっ!」
マティスは一向にやる気のない周辺貴族に、血管がぶち切れんばかりに激高した。
事実逆らったら殺されかねない、というマティスの切れっぷりを見なければ、今でも軍は集まらず無為に時間を過ごしていたかもしれない。
「――明日までだ。明日までに五百名耳を揃えて連れてこい、もし連れてこなければ――卿に決闘を申し込むからそう思え」
「かかか、必ずや明日までに……!」
マティスにとってバルドはただ救援しなければならない味方というだけではない。
命を預け合った戦友の息子であり、問題のありすぎる娘が王太子妃の座を射止めることができた恩人でもある。
その恩に報いるためにも、ひとつ槍働きしようと沸々と戦意を滾らせていたマティスは味方の戦意のなさに歯噛みしたい思いであった。
「全く――いっそ我が領だけで出発したほうが良かったかもしれん」
戦意のない味方が時として敵よりも厄介な足手まといになるということをマティスは知っている。
だからといって戦理からすれば、兵力の逐次投入もまた犯してはならない過ちであることも事実であった。勃動力三体牛鞭
ハウレリア軍の先鋒がおよそ二万を超えることを考えれば、ブラットフォード軍だけで突入しても圧倒的な兵力差に飲み込まれる可能性も決して低くはない。
まさに血の涙を流す忍耐を重ねてマティスは兵の参集を待ったのである。
にもかかわらず――――。
「崖が崩れただああああ?」
顔面を冷や汗で濡らしたアランに向かってマティスは吠えるようにそう叫んだ。
「昨日土地の者から連絡を受けまして……もともと地盤の緩いところで幾度か崩落した場所でもあり……」
「当然復旧作業は開始しているのだろうな?」
マティスの問いにアランは見苦しいほど取り乱して弁解した。
「ひ、非常に大規模な崩落でひと月以上は復旧にかかりそうに思われましたので、皆様の到着を待って指示を仰ごうと思いまして……」
「ひと月だと?」
直感的にマティスはアランの言葉に疑問を抱いた。
なるほど崩落が多い場所であったのかもしれないが、ひと月も復旧にかかるような事故があればこれまで主要街道として使われ続けているのはおかしい。
過去にない規模の崩落が、今この時期に発生したのは果して偶然と言えるのか?
この貧層な小男は自分が助かりたいがために、あえて崖を崩落させたのではあるまいか。
「半月でなんとかしろ」
「はっ?」
何を言われたのか理解できずに間抜けな顔を晒すアランにマティスは宣告した。
「これより我がブラットフォード軍はモルガンの山を越える。残る諸侯軍と協力して半月でアントリムへ馳せ参じよ。できぬ場合はこのマティス・ブラットフォードの名に懸けて貴様の首を刎ね飛ばす。誓って刎ね飛ばすからそう思え」
マティスは完全に本気であった。
これ以上味方に足を引っ張られて冷静でいることは不可能であり、立ちふさがる障害は実力でこれを排除する覚悟をマティスは固めた。
かつては騎士団で名をはせ、戦役では悪鬼のごとく恐れられたマティスの本気の殺気を受けて耐えられるほどアランの精神は強固なものではありえなかった。
「は、はは、はひ……」
まるで壊れた首振り人形のように、アランはブンブンと首を縦に振り続けた。
「――疫病だあ?」
ウェルキンは全く予想していなかった報告を受け素っ頓狂な声をあげた。
「はい……先週から発生した疫病のためにガラクの村は封鎖されている、と」
「あのくそ爺いめ……いやらしい手を!」
アントリムの援軍に派遣したはずの騎士団は疫病の流行という思わぬ障害に立ち往生を余儀なくされていた。
実際にガラクの村からは紫斑の出た村民が続出しており、これを完全に無視することは出来なかったのである。
おそらくは何らかの毒物を領民に使用したのだろうとウェルキンは予想していたが、その悪辣な手口には唾を吐きかけたい思いであった。
正直なところ国王ウェルキンと宰相ハロルドは予想を遥かに超えて腐敗していた王国の内情に頭を痛めている。
もともと賭けの要素が大きかった今回の戦争であるが、今やその賭けの比率(リスク)は跳ねあがり、ハイリスクハイリターンの典型のような状況にあった。
ハウレリア王国という外敵の登場で、国王に反抗的な勢力は簡単にあぶりだされたのだが、予想以上に反抗する貴族が多いために、戦争の遂行に一部障害が生じているのだ。
一気に討伐に踏み切るには反抗勢力の数と結束が強すぎた。
とはいえ、好転していることもないわけではない。福源春
戦争という非常事態が発生したために、行政における王権の優位が確立したことから、財政や司法においても国王の影響力は増大していた。官僚たちは今頃悪夢を見ている思いであろう。
また戦争による利害の得失から、国王に積極的に協力しようという貴族も大変な数にのぼっている。
戦争の特需と戦後の利権を睨んだ平民商家に至っては言うまでもあるまい。
もちろんウェルキンはハウレリア王国への対抗手段も打っていないわけではなかった。
すでにバルドがアントリムに赴いたときから輸出用の穀物の取引価格を釣りあげていたのみならず、サンファンやノルトランドからの輸入価格まで釣りあげたために、ハウレリア国内では食糧不足が顕著なものとなりつつあった。
戦場での兵士は通常の人間の倍の食糧を消費する。
同行する軍馬はさらに食糧の四倍以上の飼葉が必要で、補給にかかる負担はただでさえ莫大なものなのだ。
食糧価格の高騰で、ハウレリア王国の戦争遂行能力は確実に減衰されているはずであった。
実際に戦争が長期化すれば、あっという間にハウレリア王国は根をあげるだろう。
勝利をあげることさえできればマウリシア王国はかつてない政治的安定と、経済的繁栄を手に入れるに違いなかった。
「お父様! アントリムに送った騎士団が足止めされているというのは本当ですの?」
もうひとつ、頭の痛い問題がこれである。
バルドを将来的に中央に取りこむために娘レイチェルとの縁組を画策したわけだが、とうの娘はとっくに男に対して本気になってしまったらしかった。
基本的に子煩悩であるウェルキンとしては、娘の涙を見るのは心の底からつらかったのである。
「すまんがそのとおりだ。すでにマティスが援軍を率いて向かっているから問題はないと思おうが……」
「マティス様が率いる兵はいかほどですか?」
「――――四千というところかな」
「ハウレリア軍は二万を揃えているというのにですか!」
レイチェルは女の身であるとはいえ、攻撃三倍の法則くらいは常識として知っている。
いかにバルドとはいえ、援軍を合わせても四分の一で勝負になるとは到底思えない。もしかすると今頃命を危機に晒しているかもしれないと思うとレイチェルはとても平静ではいられないのだった。
「いくらあの男でも真っ向から野戦を挑んだりはしないだろう。ガウェイン城は兵さえいればそれなりに堅い城だ。今日明日にどうこうなる心配はない」
この時点でウェルキンはバルドが籠城して時間を稼ぐものと思い込んでいた。
兵力差を考えればそれはごく当たり前の認識なのだ。
「で、でも騎士団の到着が遅れればどうなるかわからないのでしょう?」
やるせなさそうに瞳を潤ませるレイチェルに、ウェルキンはただ必死になだめるしかなかった。
王族としての役割を心得、ほとんど我がままらしい我がままも言ったことのない娘である。
そのレイチェルがこうして戦争に口出しすること自体が本来ならありえない。
そうした当たり前の自制が効かないほどにレイチェルはバルドに惚れこんでいるのだろう。
ことによればこの控えめな娘にとっては初恋なのかもしれぬ。
とんだ男を見こんでしまったものだ。
「――――深刻そうなところ申し訳ありませんが……」
宰相のハロルドがやってきたのはそのときであった。
最近の激務で疲れているせいもあるだろうが、心なしか目が虚ろで背中が煤けているようにも感じられる。
「いったい何があった、ハロルド?」
鉄面皮で信頼厚い腹心の様子がおかしいことにウェルキンはすぐに気づいた。
「まさか! バルド様の身に何か?」
最悪の予感にレイチェルは顔を蒼白にしてハロルドに詰め寄るが、ハロルドは何か諦めたような悟り顔で優しくレイチェルに微笑んだ。花痴
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