「おお! タロー殿! しばらくぶりですな!」
その日は妖精郷に面白い客が訪ねてきた。
しかしその姿を見た瞬間から、ナイトさんとクマ衛門は臨戦態勢を解こうとしない。
まぁ気持ちはわかるけどね。絶對高潮
俺の前には黒髪の青年が丁寧に頭を下げ、顔を上げると爽やかに笑っていた。
「お久しぶり! スケさん元気してた?」
「はっはっは! 当然ですとも! 体の頑丈さだけが取り柄ですからな!」
爽やかに笑うスケさんはいつかの人間形態である。
ハイタッチしつつ再会を喜び合っている俺達だったが、さっそくスケさんは一点を見つめたまま動きを止めていた。
このスケさん、さっそく俺のそば控えていたナイトさんに気が付いたらしい。
そして目をキラキラさせて詰め寄っていた。
「おお! これはお美しい! またこのような方と知り合っていようとは! どこの勝ち組ですかタロー殿!」
「……あーいや、色々あってね、つーか勝ち組?」
勝組だったのか俺?
……いや、主の家が云々と三日に一度会えればいい位だし、かと言ってお隣というほど家も近くないし。
セーラー戦士に至っては滅多に顔も見せてくれないし。
妖精郷にいるのにトンボと女王様以外は怖がって近づきもしないし……あれ? なんか泣けてきたな。
「うん、そだね……。こんな美人が近くにいるんだから、勝ち組……かもね?」
「はっはっは! なぜか悲壮感が漂っていますぞ!」
俺のがっかり感を笑い飛ばすスケさんはさっそくナイトさんに向き直って、コホンとせきばらいする。
身構えるナイトさんに、これはどうやら今回もいってみるらしい。
「それではさっそく……私の裸体に興味はありませんか?」
その瞬間、スケさんはナイトさんの正拳をもろに顔面に食らって、床に沈んだ。
「……今のは仕方ない」
「すいません、本能的に怖気が走ったもので」
俺は自業自得な結果にうむと頷く。
そしてナイトさんの容赦ない一言は、鼻血をたらすスケさんにドスドス刺さっていた。
しかしすぐに復活するスケさんはやはりさすがである。
「い、いやぁ。あなたの周りの女性は毎回痛烈ですな! まさか来て早々血を流すことになろうとは思いもよりませんでしたよ!」
ここ数十年で初めてだと漏らしていたが、竜が血を流すとは何気にすごいことだったようだ。
「で? さっきの文句は?」
そして一応さっきのひどい文句を吟味しつつ確認しておくと、スケさんは元気に答えてくれた。
「あれですか! いえね、色々考えてみたんですがいい案が浮かびませんでね。考えに考えて一周回って性的に落ち着いたというわけなんですが」
「多分その考えた台詞の大半が今の奴よりましだと思う」
「そうですか! はっはっは! 次はまた頑張りましょう!」
うむ、ぶれない男、スケさん。
変態的思考がなければ爽やかな竜なのである。
「所でお前さん何しに来たんじゃ?」
とりあえずお茶を出してくつろいだ後、落ち着いた空気を見計らって質問したのはカワズさんだった。美人豹
すると会うのは初めてなスケさんは、大喜びでカワズさんの手を掴んで握手をする。
「おお! あなたは噂のカワズ殿ですな! タロー殿からお噂はかねがね!
なんでもTシャツにくっついている所を根性で生きながらえたとか! 潰れても生きているとは、竜の私としても見習いたい生命力ですな! 私、竜の谷から参りました*****と申すもの! タロー殿もいることですし、フレンドリーにスケさんとおよびください!」
「……わしはいったいお前さん方の間でどんなことになっとるんじゃよ?」
初耳のエピソードを聞かされて、すぐさま俺の方に視線を向けられても困るんだけど。
もっともそこはすべて俺のせいなので甘んじて受けよう。
「実際はもっとすごいだろ? カワズさんがホントの黄泉蛙なんだから。まぁそれはいいじゃない。スケさんさっそく例の物を」
「もちろんですとも! では早速……!」
ジト目のカワズさんを振り払い、さっそく本題に入る。
スケさんはすかさず持ってきていた荷物に手を突っ込むが。
しかしそこでスケさんははたと言葉を止めた。
「先に妖精郷を観光という……「却下で」そうですか。残念です……」
ものすごく無念そうなスケさんだが、こればかりは納得してもらおう、決定事項だ。
さて彼がわざわざ持ってきてくれたものは、地図だった。
そこには大きな大陸が描かれているが、お手製のものらしく手書きである。
「これがこの大陸の地図ですね。そしてこの赤い部分を見てもらいたい」
指示された場所にはなにか川のようなものが赤く書き加えられていた。
そしてカワズさんにはそれが何を示しているのかはわかるだろう。
張り出されたそれを、興味深そうに眺めて、カワズさんは「ほほう」と感心して唸っていた。
「これは……ラインじゃな。お前さん方が調べたモノかな?」
「その通り。このたび足を運ばせていただいたのは他でもない、現状の報告です。まだまだ完全には程遠いですが、この地図は我々がいただいた探知機でラインを調べ、パソコンを設置した場所を記したものですよ」
スケさん達にはパソコンと一緒にライン探索用の探知機を渡してある。
それがなくては配ってもあまり意味がないからだ。
この地図を見ると、かなり活用してくれているようでなによりだった。
「ふむ、よくもまぁこんな地図を作れたもんじゃのぅ、大したもんじゃ」
「何をおっしゃる、カワズ殿。我ら竜は空を生きる種族、この程度造作もないことですとも。
しかしです、現在までに配った場所はまぁ主に山の手が多い」
こんこんと張り出された地図を叩くスケさんが言うように、ライン上にペケ印がいくつか見える。そして現在調べられているラインとペケ印はアルヘイムの比較的内陸部に集中していた。
俺達が配ったものもそうだし、スケさん達が配ったとしても彼らの交友関係ではやはりそうなってしまうのも仕方がないだろう。
「そこで、そろそろ魚介に手を出してもよかろうかと」
そうスケさんの言葉を引き継いで俺が言うと。
「ほぅ……それで海に?」
カワズさんの目がきらりと輝いた。
それに俺は重々しく頷いて肯定した。超級脂肪燃焼弾
「うん、それでスケさんも一緒に来ないかって誘ったのが昨日の事なわけよ」
「すぐさま馳せ参じましたけども?」
「……? ということは、また遠出をするという事か、ならどこがいいかの?」
すぐに理解を示したカワズさんの実にいい質問に俺達は鼻息を荒くした。
「そのふりを待っていたよ! カワズさん!」
「ご注目ください!」
すかさずビジっと二人して指差した先にはアルヘイムではない、人間の国寄りの小さな漁村があった。
「ここ!」
「海! 最高じゃないですか!」
だが指の先にある村を確認したカワズさんの顔はははんと物知り顔をしていたのである。
俺達の顔がこわばる、どうやらカワズさんは知っているらしい。
「……ああ、そうじゃの確かにいいところじゃ」
「海の何がそんなにいいのですか?」
そこにナイトさんが不可解そうな顔をして尋ねてきたが、俺とスケさんはごく平然と対応して見せた。
「あーいや。べつにぃ? ただおいしい魚が食べられるかな? なんて。ね、ねぇ? スケさん?」
「そそそうですとも! いやぁ海の幸は初めてで私も楽しみにしておるのですよね? タロー殿?」
「?」
だが、なにか不自然さを感じているらしいギャラリーに俺達はさらに言葉を重ねた。
「あー……えーっと妖精の方々ってヘルシーだしねぇ!」
「ええ! 竜に至っては、料理以前に丸焼きが基本ですからな!」
「ここは一つ、手料理のバリエーションを増やさねばなるまいよと!」
決して知り合いに女の子がいるんだからこういうイベントも織り交ぜて行っちゃった方がいいんじゃないのとかそんなことはない。
あくまで俺達は純粋に食のバリエーションを増やしたいだけで。
「……お前さんら、少しは下心を隠す努力をするべきじゃないかの?」
カワズさんからありがたいご指摘をいただいたが、確かに自分でももう少しポーカーフェイスを学んだ方がいいと思った。
俺達が指示した場所、そこは一年中暖かく、バカンスが楽しめるという砂浜で有名な場所なのだった。SUPER FAT
BURNING
2012年9月17日星期一
2012年9月13日星期四
人馬騎士、始動
ぐおんぐおん、と音を立て工房の天井を這うレールの上をクレーンの滑車が走り回る。
そこから鎖で吊り下げられた、鎧の一部らしき金属塊を幻晶甲冑(シルエットギア)に乗った鍛冶師が押し出してゆく。勢いのついた金属塊に轢かれそうになった誰かが、一揃えの罵声をあげながらも慌しく走り去っていった。御秀堂養顔痩身カプセル第3代
ライヒアラ騎操士学園にある騎操士学科の工房。
いまや銀鳳騎士団(ぎんおうきしだん)の基地と化したその場所は、新型機の完成へと向けて熱気で溢れかえっていた。
簡易な秘匿の覆いはすでに取り去られ、最新鋭の人馬型幻晶騎士(シルエットナイト)・ツェンドルグが工房のど真ん中を堂々と占拠している。通常の機体よりも巨大なことが災いし、完成が近づくにつれて押し込めたままの作業が困難になってきたのだ。
巨体に比して上半身は細身で、軽量に見える。その額には突き出た一本の角が見られ、他にも伝説上の馬に関係した意匠が随所に施されていた。
対して下半身は巨大で、重厚だ。脚部など一つ一つが幻晶騎士の胴回りほどの太さを持ち、見ただけで尋常ならざる出力のほどを知ることができよう。
それらが接続される腰にあたる部分は、幾重にも重ねられた装甲板で覆われた巨大な塊といった見た目だ。
実は、ツェンドルグは外見以外にも通常の幻晶騎士と異なる要素を抱えている。
操縦席、魔力転換炉(エーテルリアクタ)、そして魔導演算機(マギウスエンジン)。それらをあわせた“心臓部”と呼ばれる部位――それらは全て、この“下半身”に搭載されているのだ。
複座式となった操縦席、2基搭載することになった魔力転換炉、果ては容量を増やすために大型化した魔導演算機まで、もはや人型の内部に積めるものではなくなったためである。当然、ツェンドルグの大きさゆえの余裕があったからこそ成しえたことだが。
そこで上半身と分散して積む方式にならなかったのは、主に機構の複雑化を防ぐためのものだ。結果として上半身は戦闘機能に特化しつつ、軽量なものとして仕上がっていた。
筐体は完全に組みあがり、すでに外装(アウタースキン)も過半まで取り付け終わっている。さほどの時をおかずして動作試験へと入ることであろう。
近づくことすら躊躇われそうな異様な機体を創り上げてゆく先輩たちの姿を横目に見ながら、新米鍛冶師たちは黙々と自分の作業を進めていた。
当初は見るもの全ての珍しさに興奮し、果てはツェンドルグと対面した際には仰天のし過ぎで倒れていた彼らも、次々に課せられる訓練と作業をこなしてゆくうちにどんどんとスレ始めていた。
最近ではさっさと幻晶甲冑の製作方法を習い覚え、自分たちが使う分は勝手に作っていたりする。慣れとは恐ろしいものである。
彼らが作っている普及型の幻晶甲冑・モートリフトは大雑把な作りゆえ細かい作業こそ苦手だが、発する力はドワーフ族すら軽く超える。幻晶騎士の部品のような大きなものを取り扱う作業には高い適正を見せていた。
最初は見知らぬ機械に奇異の視線を送っていた新入生たちも、しばしの時間が過ぎる頃にはその便利さにすっかりとはまっていたのだった。
荷物を運び槌を振るい、作業に勤しむ彼らの間を縫って一人の騎操士(ナイトランナー)が何かを探して歩いていた。
やや長めに広げた金髪、長身痩躯にわざわざ紅く染めた革鎧を身につけている。銀鳳騎士団2番中隊隊長ディートリヒ・クーニッツだ。
彼は工房内を一通り見回すと、ふむ、と一息ついて近くで作業をしていた新米鍛冶師へと声をかける。
「君たち、団長(エルネスティ)を見なかったかい?」
ディートリヒの問いかけに、新米鍛冶師たちはそろって首を横に振った。銀鳳騎士団長、エルネスティは色々な意味で目立つ。来ればすぐに気付くはずである。
「ついでにあの双子もおらず、と。教室はもう出たようだしどこに行ったんだろうね、うちの団長様は。……何もしでかしていなければいいけどね」
無情にも、彼の心配は的中することになる。
人馬騎士・ツェンドルグの完成を目前にした銀鳳騎士団。鍛冶師たちはその作業にかかりきりであり、騎操士たちも自身の訓練に、後輩の指導にと多忙な日々を送っている。
そんななか、設計を終えた騎士団長様は些か手持ち無沙汰な状況にあった。
ここで思い出して欲しい、彼はツェンドルグの設計以外にも様々なものを作っていたということを。
幼馴染と3人でゆっくりと作り進めてきたとある新型装置。彼はその動作試験を行うべく、こっそりと恐るべき事件を起こしていたのであった。
晴れ渡る空と穏やかな陽射し。ピクニックに丁度良いであろうまばらな木々の合間を、重量感溢れる足音をたてて歩く巨人がいる。
同系統でありながら周囲の深緑から浮きに浮いたヴィヴィッドなグリーンの色合い、ピンピンに突き立った刺々しい飾りをつけた鎧の形状。あまりにも怪しげな風体をしたこの巨人は実習用の幻晶騎士・ラーパラドスだ。動かしているのはエルネスティである。
その足元をちょこちょことついて歩くのは幻晶甲冑、アーキッドとアデルトルートが動かすモートルビートだ。
ここはライヒアラ学園街より少々の距離を離れた人気のない森の中。いくら魔獣の危険があるからといって、少々仰々しさに過ぎる装備をもって彼らは散歩を楽しんでいた。
しばらく進むと森の中に開けた場所が見えてくる。以前は決闘級魔獣でも居たのかもしれない、ぽっかりと空いた広場がそこにあった。
エルは抱えていた荷を降ろし、ラーパラドスに膝立ちの駐機姿勢をとらせる。キッドとアディは早速荷を広げ、中に詰め込まれた奇妙な筒状の装置をラーパラドスへと取り付けていった。
人一人が両手で抱えるほどの太さの筒。それが数本、ラーパラドスの肩と腰周りに設置される。二人は固定器具をしっかりと組み付けたのを確認すると、操縦席に座ったエルへと手を上げた。
「エルー、取り付け終わったぜ。しかしこれはなんというかさぁ……」
「こっちも大丈夫だよー。ねぇー、なんていうかねぇ……」
二人は作業を終えると、ラーパラドスから離れてその全身を確認していた。
元々の無駄に刺々しい外見に、さらに謎の筒を複数生やしたラーパラドス。その姿はいっそシュールとさえいえる領域に達している。
秘密の保持とは別の意味で、彼らはこの場所に誰もいないことを感謝していた。
「さぁてあとは仕上げを御覧じろ、少し離れていてくださいね」
操縦席に座ったエルはそんなことを気にしていないのか、それともあえて無視しているのか。
ともあれ彼はラーパラドスを立ち上がらせると、謎の装置を起動させていた。
途端、“筒”の前面から大量の空気を吸い込む独特の音が響きだす。突然の奇妙な音に驚いたのか、周囲の森から鳥が一斉に逃げていった。
離れたところからキッドとアディが見守る中、ラーパラドスは僅かに身を沈めるとそのまま走りはじめた。結晶筋肉(クリスタルティシュー)が躍動し、全高10mにも上る巨体が軽やかに疾走する。しばしの後にはラーパラドスは十分な速度に到達していた。
ここからが試験の本番である。エルは不敵な笑みを浮かべると、操縦桿の周りに増設したスイッチを一斉に押し込んだ。
瞬間、世界が切り替わる。
“筒”の内部は漏斗を二つ合わせたような形状になっている。前半には大気を圧縮する魔法術式(スクリプト)が紋章術式(エンブレム・グラフ)として用意され、吸入・圧縮された大気が細くくびれた中央部分へと集められる。
後半部では圧縮された大気の塊へと次なる魔法、爆炎の魔法がかけられる。さらに魔法術式には、それによって発現した爆発に指向性を持たせる部分が記述されている。
圧縮大気推進(エアロスラスト)を応用した圧縮大気の炸裂、さらに爆炎の魔法による爆発、二つを合わせて発生する高速の噴流を利用した反動推進器。それがこの筒――マギジェットスラスタの原理だ。
最初に発生したのは眩い朱の光、機体背後に長く伸びる炎の尾。
次に発生したのは劈(つんざ)くような轟音。
目覚めを告げられたマギジェットスラスタは全くの遅滞なく、猛然とその本性を剥き出しにした。
すでに圧縮を経た大気の塊が連続して爆発膨張し、強烈なジェット噴流による反動がラーパラドスへと圧倒的な加速を与える。
いやそれはすでに加速などと生易しいものではなく、“吹き飛ばした”と表現するほうが正しいような状態だった。
「お、おおおぉぉぉぉぉぉう!? フゥゥゥゥッルパァァゥワァァァァーーー!?」
製作者であるエル自身の予測すらはるかに凌駕する激烈な推進力により、ラーパラドスが明らかに異常な加速を始める。
エルの小柄な体へと強烈な慣性がかかり、それに対抗するために必死になるあまり彼は十分に装置を制御できていなかった。その間にもマギジェットスラスタは自身に記述された術式に忠実すぎるほどに従い、狂ったように推力を吐き出し続けてゆく。
どこまでも続く加速の中、小さな気流の乱れが一瞬だけラーパラドスの機体を浮き上がらせた。御秀堂 養顔痩身カプセル
少しだけ崩れた姿勢、僅かに浮き上がった体。本来ならばすぐに重力が地面へ戻してくれるはずである。しかしラーパラドスに装着された魔物は、その圧倒的な推力を以って重力に打ち勝ってしまった。
エルは慣性の方向が僅かにずれたことに焦るが、彼の対処を待たずして機体は自由な空へと離陸を始めていた。空力的な特性など一切考慮しない、ただ爆発的な推進力のみに支えられた飛翔。
機体が嵐にもまれる木の葉のように吹き飛びそうになるのを、エルが全力を振り絞ってなんとか制御する。ただ彼をして、空中分解しないだけで精一杯だった。
眩い炎を引き連れて空へと向かうラーパラドスはさながら流星の逆回しである。エルの悲痛な状況とは別に、謎の感動を伴うその光景にキッドとアディはあんぐりと口を開けたまま見入っていた。
爆発的に始まった事態はやはり突然に終了した。
余裕のないエルに代わり、魔導演算機が自身の仕事を忠実に実行したのだ。急激な魔力(マナ)の消費に対し、魔力貯蓄量(マナ・プール)が枯渇する寸前に安全装置(リミッター)が作動して機器への魔力供給が強制的に停止される。
直後、ラーパラドスを持ち上げていた炎の雄叫びが唐突に停止した。同時に推進力を失った機体は、空気抵抗と重力に導かれるまま落下を始める。
「ウワァァァァァァいっぱーーーっつ!?!!!」
皮肉にもマギジェットスラスタが停止したことによって、エルは機体を制御する余裕を取り戻していた。
勢いはともかく、高度が上がりすぎる前に推進器が止まったことは不幸中の幸いであっただろう。瀕死の機体はなんとか分解することなく地面に帰り着く。しかしそれはただ着地しただけであり、有り余る勢いはほとんど衰えてはいなかった。
ブレーキをかける機体の両足から猛烈な火花が舞い散り、地面が鑢(やすり)のごとく外装(アウタースキン)を削り取る。
このままではすぐに脚部が限界を迎える、そう悟ったエルはとっさに機体を前方へと投げ出した。前転の要領でラーパラドスが地面を転がる。ご自慢のトゲトゲ鎧がボキボキに折れ砕け、取り付けたマギジェットスラスタまで吹っ飛んでいたがエルにそんなことを気にする余裕はなかった。
そのままおよそ数百mを転がったラーパラドスはようやく勢いを緩めると、大の字に倒れ伏して停止したのだった。
「…………エル君、生きてるかな?」
「はっ!? いや今のはまずいだろ! 助けに行くぞ!!」
キッドとアディが正気を取り戻したのは、あたりが静けさを取り戻してから、しばらくしてのことだった。
「ゲホッ、ゲホ、だ、駄目です!! この装備は駄目です!! 駄目々々です!!!! 却下!! ……はしませんが作り直しです!!」
目を回して気絶していたエルが、息を吹き返してまず言い放ったのがこれである。
ラーパラドスは人型こそ留めていたものの、鎧のほとんどがひしゃげるわ飾りは折れるわと威圧的だった姿はもはや見る影も無い。足の装甲はガタガタに削れているし、摩擦熱で一部の部品が溶接してしまっている。これだけの事故を起こしてエルが気絶だけで済んだのは、偏に日頃の訓練と彼の能力の賜物であった。一般人は真似をしないでください。
そんな彼であっても、さすがにここまで惨憺たる結果が出ては余裕など見せれるはずもなく。珍しく大荒れのエルを、幼馴染が慌ててなだめにかかっていた。
「しかし危なかったな。スラスタを止めるのがもう少し遅かったら星になってたぜ、エル」
「…………違います、“止まった”んです」
「え?」
「あまりにも魔力をドカ喰いしすぎて、魔力貯蓄量の大半を一気に燃やし尽くして、挙句勝手に止まったんです!! ええそうです、駄目です、完全に失敗です!!」
「え、エル君落ち着いて! はいはい、どうどう」
半ば錯乱状態にあるエルを、アディが力づくで強制停止する。彼はしばらくもがいていたが、やがて静かになった。
背後を振り返れば、そこには地面が抉れた跡が長く続いている。二人は改めて、エルとラーパラドスが無事であったことに長い安堵の吐息をついた。
「ねぇエル君、これはやめとかない? いくらなんでも危ないわよ」
アディは心底心配といった表情を隠しもしていないが、残念なことに腕の中のエルが顔をあげたとき、彼の表情はいつもの――つまりは製作の熱意に燃えたものとなっていた。
「失敗は失敗で仕方ないとして……もう少し段階を経て実験しなければいけません。まずは術式の規模と出力の関係について検証が必要ですね。そして状況に合わせて変更できるように新たな制御機構も噛まさないと。魔力の消費も問題ですが、これはしばらくは出力と一緒に抑えることでもたせましょうか……いや、機体側で対策をしてしまえばなんとかなるかな?」
彼の脳裏では新たな図面が出来上がりつつあるのだろう、あわや大事故を起こしかけたというのに一切躊躇しないエルの様子にキッドとアディは二人して天を仰いだ。まさに処置なしである。
エルはしばらくはそうしてうんうんと唸っていたが、唐突にいいことを思いついたとばかりに二人へと振り返る。
「ちなみに、二人も乗ってみますか?」
「乗るかっ!!」「いーや!!」
わかりきった答えが、森の中に木霊していった。
その後、うっかりとズタボロになったラーパラドスに乗って戻ってきたエルをみて、銀鳳騎士団の全員がすわ敵襲かと臨戦態勢と相成ったのは余談である。
工房の一角に、いかにも急造された感じの机と椅子が設置されている。机の上にはこれまた急ぎで作られたのだろう、乱雑な字で“騎士団長”と書き殴られた立て札が置かれていた。
その席にちょこんと腰掛けながら、エルは恐る恐るといった感じで周囲を見回した。
「……僕はここにいなくちゃいけませんか?」
「おう、すわっとれ団長様」
「ああ、君がいたほうが気が引き締まる気がするしね」
「そうだな、団長というものはもっとこう、どっしりと構えていればいいさ」
周りを取り囲むのは言わずもがな、いつもの面々である。
ドワーフ族の鍛冶師と十分に体を鍛えた騎操士たちだ。彼らは威圧感を放つ仁王立ちでもって物理的にエルを席に留めていた。
「みんなして非道(ひど)い……」
「てめぇから目ぇ離すとまた何しでかすかわかんねぇだろが!」
恨みがましい目つきで、エルは傍らにある機体を見上げた。
そこにあるのはボロボロになったラーパラドスの姿だ。悲惨な大事故に見舞われたラーパラドスは自力歩行こそ可能だったが、限りなく大破に近い判定を受けて現在使用を厳禁されている。主に騎士団長に対して。
そして動作試験といいながら幻晶騎士1機を大破に追い込んだエルは騎士団のほぼ全員から“お説教”をくらい、こうして“騎士団長のお仕事”をやることと相成っているのだ。
「大丈夫ですよ、僕だってちゃんと反省しています。ほら、こうして改善案の設計だって仕上げてありますし」
「やっかましわ! それのどこが反省してるってんだ!! しばらく大人しくしとれ!!」
当然とばかりにどこからともなく設計書を取り出したエルに、親方がひったくるようにそれを取り上げる。
異質な才と、溢れるほどの熱意を持つ彼らの騎士団長。魔獣に突っ込み幻晶騎士に突っかかりと基本的に常識から外れた行動しか取らない上に、これまた桁外れの能力でそれを成し遂げるものだから誰も彼を止めはしなかった。
それが失敗したときはどうなるか――当然のように大惨事を引き起こしたエルに、全員が頭を抱えたのは言うまでもない。
「むぅ、いいですわかりました。しばらくは簡単なお手伝いをしています」
せっかく改善案を仕上げたというのに、とエルは不満げではあったが事故を起こした手前さすがにバツが悪かったのか、大人しく手伝いを始めていた。
「……さっさとツェンドルグを仕上げるか。アレの動作調整にはいりゃあ、坊主も暇なんぞと言ってられやぁしねぇだろ」
今のところ彼らはそれ以上の対処の方法を持っていなかった。呆れつつも親方は再び気合を入れなおすのだった。
そうして、しばらくは何事もなく日々がすぎていた。
最初は警戒していた団員たちも、そのうちに自らの忙しさに埋もれて注意が薄れてゆく。
その間隙を縫うようにして、第二の事件は近づいていたのだった。
「あ、エドガーさんちょっと待ってください」
「ん?」
いつものように後輩の訓練に向かおうとしたエドガーを呼び止める声がある。
聞き覚えのある、鈴を鳴らすような声に振り向くとそこには予想通りエルの姿があった。
いつもと違うのは両手で抱えるようにして大量の短剣を持っていることだ。エルはそのうち1本をついと差し出す。
「これを」
「短剣……? 珍しいな、銀製なのか」
エドガーが受け取ったその剣は、装飾に凝った形状をした儀礼用と思われるものだった。
刃渡りは短く、その上材質は銀製だ。銀は金属ではあるが鋼鉄よりははるかに強度に劣り、あまり武器に向いた素材ではないとされている。これも純粋な武器として使うには心もとないだろう。
「一応武器として使えなくはないですけど用途は少し違います。それで、ちょっとこちらへきてください」
彼が疑問を差し挟む前に、エルは1機のカルダトアへと向かってゆく。
エドガーは訝しげな様子を隠せなかったが、行けばわかるだろうとばかりに後を追った。
たどり着いた先は何の変哲も無いカルダトアの操縦席だ。エドガーはアールカンバーを失ってからは主にカルダトアに乗っているため、彼にとってもすっかり見慣れた場所である。
エドガーはエルの指し示すままシートに着き、手馴れた様子で機体の起動準備に取りかかった。終極痩身
固定帯を締め、操縦桿と鐙(あぶみ)の位置を整える。続いて休眠状態にある魔力転換炉の出力を駆動状態まで高めるため、出力調整のレバーを操作する。
異常が起こったのは、その時だった。
いつもならばレバーの動作にあわせて炉が発する振動の高まりが伝わってくるはずである。だが今は周囲からエーテルを取り込むための吸気機構の唸りも全く聞こえず、炉は休眠状態のままだ。
起動の失敗、それなりに幻晶騎士を動かしてきた経験を持つエドガーにとっても初めて遭遇する異常事態だった。
さすがの彼も焦りを感じたが、努めて冷静に起動手順を繰り返す。しかし何度やっても結果は同じだった。どうやっても炉は目覚めず、機体を動かすことができない。
繰り返すごとに焦りが増してゆくが、そこで彼は開いたままの胸部装甲に乗ったエルが、にやにやと笑みを浮かべていることに気付いた。
「……エルネスティ、もしかしてお前が何か細工をしたのか?」
小さく手を叩く少年の姿は、言外にそれが正解であることを伝えている。
お叱りを受けたエルのちょっとした意趣返しである。彼はひとしきり喜んだ後、腕を組んで睨みつけるエドガーに小さく頭を下げた。
「うん、ごめんなさい。そんなに怒らないでください、いまから仕掛けを教えますから。
足元を見てください、スリットがありますよね? そこに先ほど渡した短剣を刺し込んで下さい」
憮然とした面持ちのまま、それでもエドガーは言われるままに短剣をスリットへ刺し込んだ。銀の短剣が根元まで埋まったときに、カキッ、という何かが噛み合った音がし、さらにいくらかの仕掛けが動作する音が続く。
間もなく座席の下からは力強い唸りが聞こえてきた。感じ慣れた幻晶騎士の心拍音、魔力転換炉が出力を上げ、駆動状態へと移ったのだ。
「これは、炉が目覚めたのか!? 先ほどは全く動かなかったというのに……いや、待て、そうかエルネスティ。つまりこの短剣は“鍵”なんだな?」
「正解です。言いましたよね? 幻晶騎士を奪われないように仕掛けを用意すると。これがその仕掛け……名付けて紋章式認証機構(パターンアイデンティフィケータ)です」
クスクスと小さく笑い続けるエルを相手にエドガーは両手を上げた。
「エルネスティ……本当にびっくりしたぞ。悪戯もいいがもう少し穏やかなものにしてくれ、心臓に悪い。で、どういう仕組みだこれは。まさかどんな剣を刺し込んでも動くというわけじゃないんだろう?」
「勿論、その短剣でなければこのカルダトアはピクリとも動きませんよ。それは剣の形をしていますが、内部にはとある紋章術式を“鋳込んで”あります。
そしてこのスリットの内部にはそれと対応する紋章術式があります。正しい組み合わせでなければ炉は目覚めず、ついでに魔導演算機も動きません」
炉から魔力の供給が行われず、さらに動作をつかさどる魔導演算機が反応しないとなれば幻晶騎士を動かすことができない。
さらに魔法術式を使っているのが曲者だ。実際に魔法を発生させるための術式とは違ったものなのだろう、その論理構造を推測だけで解くことは極めて困難である。
つまりは“鍵”であるこの銀の短剣を奪われない限り、このカルダトアを奪われることはなくなるということだ。
「ちなみに鍵を銀の短剣にしたのは何か意味があるのか?」
「いえ、単に僕らが銀鳳騎士団だから、それに因んだだけです。それに紋章術式を刻むのには少し面積が必要でしたので、でもただの板では味気ないですしね。少し洒落てみました」
エドガーが銀の短剣を抜き去ったところ再び炉が休眠状態に移行し、魔導演算機も全く反応を返さなくなる。彼は唸りながらも慎重に短剣を鞘に戻した。
紋章式認証機構、幻晶騎士の盗難を防止するこの装置は公表されるやいなや爆発的に普及し、以後全ての幻晶騎士に導入されることになる。
その際に“銀製の短剣を用いる”形式自体も踏襲されていき、事実上の標準として受け継がれていった。
やがて“銀の短剣”自体が騎操士の身分を表す代名詞として定着してゆくことになるが、それはしばし後の時代の話である。
紋章式認証機構が一通りの機体に行き渡ると、次は様々な選択装備が出来上がってきた。
ツェンドルグの開発にめどが立ち、さらに新人たちも十分に慣れてきたことで余裕ができてきたためだ。
エルの思いつきだけでなく鍛治師や果ては騎操士が思いついたものまで様々なものを試作したために、それを装着したカルダトア部隊はなかなかに混沌とした有様になっていた。
ライヒアラ騎操士学園にある幻晶騎士用の訓練場では、出来上がった装備をつけた機体がそれぞれに動作試験を行っている。
その中には、エドガーとヘルヴィの操るカルダトアの姿もあった。
「エドガー、準備はいい? それじゃあ真正面からいくわよ!」
向かい合う両機のうち、ヘルヴィが操るカルダトアが剣を振り上げる。片手の構えであるが、真正面を捉えたきれいな姿勢だ。
対するエドガーが操るカルダトアは頷いたのみで、その場から動こうともしていなかった。
ヘルヴィが乗るのは素のままのカルダトアだが、エドガーの機体には見慣れぬ装備が取り付けられていた。背中から両肩の周囲までを覆う追加装甲。様々な形状の装甲板を補助腕と似た機構で組み合わせてつなげた防御装備――可動式追加装甲(フレキシブルコート)、その試作品である。
飾り気のない金属を組み合わせた装備だが、元々無骨なカルダトアに合ってどこか落ち着いた雰囲気を放っている。
了解を受けてヘルヴィ機はそのままエドガー機へと斬りかかってゆく。
勿論、訓練用の刃引きの剣を使用している上に打ち込み自体も全力ではない。ややゆっくりとした動きの、まっすぐで素直な打ち下ろし。
あからさまに頭部を狙った攻撃に対し、操縦席に乗るエドガーはしばらく幻像投影機(ホロモニター)を睨みつけていたが、十分に間合いを計ると増設されたスイッチを素早く叩き、新装備を起動させていた。
予め登録したいくつかの動作パターンに従い、可動式追加装甲が微かな動作音とともに頭部と肩の上側を護る配置へと変形、移動する。
ヘルヴィ機の剣がいくらかの傾斜をつけて配置された装甲に当り、火花を散らしながらその表面を滑った。強化魔法が発動している可動式追加装甲はびくともせず、その防御力を見せ付ける。
「なかなかね。次はもう少し強く打ってみる?」
「待て……ああ、結構な魔力を消費している。試作だからか? それともこれは思いのほか大喰らいだったりするのか。
防御能力自体は十分だが使い方に癖が強いな……。ああ、待たせたな。他の方向からの打ち込みも一通り試すぞ」
強化魔法を追加することにより防御力を得ている可動式追加装甲はどうしても魔力の消費が大きくなる。そのため攻撃を長く受け止めることよりも受け流すことを重視していた。展開のパターンも傾斜をつけた形が多くなっている。
うまく動いていることに気をよくしたヘルヴィが再び構えを取る。いかに防御用装備を使用してのことだとはいえ、幻晶騎士同士で攻撃を打ち込むのである、聞きようによっては恐ろしい意味を含む台詞だが二人ともさして気にした風はなかった。
エドガーもヘルヴィも、互いが“上手くやる”ことを疑ってはいない。ある種の信頼関係ともいえるだろう。
最初は試しながら進んでいた攻撃も、しばらくの後には模擬戦さながらの打ち合いとなっていたのだった。
打ち込みと防御を続ける2機から少し離れた場所では、紅い幻晶騎士が物言わぬ標的と対峙していた。
紅い幻晶騎士――グゥエールは見たところ何かしらの装備を追加したように見えない。カルダトアとは違い、こちらは外付け式の装備を使っているのではない。
「さて、ではゆくぞ!」
気合一閃、ディートリヒの操縦に従いグゥエールが殴りかかるようにしてその腕を突き出す。
おかしなことにその拳は当てるべき標的とはまったく離れた場所で振るわれていた。腕が突如伸びるようなこともなく、当然標的まで届くことはない。先ほどの気合はなんだったのだろうか、それはただ空しく響くばかりかと思われた。
ディートリヒは意味もなくそんな行動を取ったわけではない。
突き出された腕が最高速に達した瞬間、拳の下側、籠手の部分に設置された金属塊が勢いよく射出される。金属塊は円錐を2つ底面で張り合わせたような形状で、拳よりはやや小さいものだ。
最初は勢いのまま飛び出したそれは、空中で自力での加速を始める。後半部分で圧縮大気を連続で炸裂させ、その反動を利用しているのだ。よく見ればその後端からはワイヤーが伸び、籠手の内部へと続いているのがわかる。
自力で加速する打突武器、つまりワイヤーアンカーと同様の機構を持つ装備である。
十分な速度を持った金属塊が重い音を立てて的へと突き刺さり、簡単な金属製の覆いを被せられた標的がガクガクとゆれる。それなりの重量を持った金属塊の衝撃は小さなものではなかった。
だがこの武器の真価はここから発揮される。
着弾を確認したディートリヒが操縦桿に増設されたトリガーを押し込む。グゥエールの腕の内部に追加された“装置”は命令を受け、本体からの魔力の供給を受けると自身に定められた術式に従い戦術級魔法(オーバード・スペル)を発現させた。
金属線と銀線神経(シルバーナーヴ)を編みこんだワイヤー、それは魔力を伝えるとともに、通常の金属としての性質を備えている。つまりは“導電性”だ。
発生したのは電撃魔法、天の雷に匹敵する電撃がワイヤーを通じて標的へと伝わってゆく。無理矢理に膨大な電流を通された標的が発熱し、火花が散り弾けた。
大型化したワイヤーアンカーと魔導兵装(シルエットアームズ)を組み合わせた直接電撃兵装――“ライトニングフレイル”それがこの武装の名前だ。
「うわぁ、なんともえげつない代物だね。中々に好みだよ」
エルネスティが提案した選択武装、その一つであるライトニングフレイルは中でも一風変わった装備だった。超級脂肪燃焼弾
可動式追加装甲や背面武装(バックウェポン)のような外付けではなく内蔵型なのである。これまでに魔導兵装を内蔵した機体は存在していない。
その理由は魔導兵装の構成にある。
魔導兵装とはその本体たる術式を紋章術式により構成している。たいていは銀板に術式を写したものであり耐久性に欠けている。その上、戦術級魔法に対応した紋章術式は相当に嵩張るのである。
大型でもろい部品、そんなものを機体に内蔵したのではかなりの弱点を抱え込むことになってしまう。それは格闘兵器である幻晶騎士にとって望ましいことではなかった。
さらには電撃系の魔法は炎系に比べて複雑になる傾向があり、つまりそれは紋章術式がより大規模になるということだ。乱暴な話をすれば撃ち出せば飛んでいく炎に比べ、電撃にはそれを敵へ誘導するための術式が必要になるからだ。
しかるにライトニングフレイルはそれを物理的な方法で解決した。ワイヤアンカーの存在だ。導電体である金属製のワイヤーを先んじて目標に打ち込むことにより電撃を誘導する。そうして術式の中から誘導に関する部分を丸々省いたのである。
こうして魔導兵装がいくらか小型化されたとはいえ、やはりそのまま内蔵するにはいくらかの問題があった。それを何とか為しえたのは、元々防御を重視して大型の装甲を備えたグゥエールだからこそだ。例えばカルダトアではかなり大規模な換装作業が必要になり、あまり実用的ではないだろう。
「さすがに少々腕の動きが重いが……装備を隠しておけるのは魅力だね」
ライトニングフレイル、つまりは内蔵型装備の最大の利点は外見では判別しづらい点にある。さらには魔導兵装部分を含めて強靭な腕の装甲で守っているため、手持ち式に比べれば破壊される危険が少ない。
格闘戦の間合いで不意を突いて発動する強力な電撃兵装。実に性質の悪い装備なのである。
ライトニングフレイルに限らず、他にも内蔵型の装備は考案されていた。それらの多くは失敗に終わるが、そこで得た反省を踏まえて最終的に彼らは装甲と巧妙に一体化した装備群を考案するに至る。
外に追加する武装と内部に乗せる武装。かつてテレスターレが幻晶騎士の形を大きく変えたときのように、次は魔導兵装の形も変化を迎えていくのであった。
アーキッドとアデルトルートの双子は、狭く暗い空間にいる。
身じろぎもできないほどではないが、自由さを感じるには足りない広さ。キッドはシートの背もたれに深く身を沈めると、閉じていた目を開いた。
彼は前方からの薄ぼんやりとした光のなかに彼の妹の背中を確認して、問いかけた。
「炉の出力は安定……魔導演算機のとっかかりもいけてる、そっちはどうだ?」
空間は斜め前へと細長く続いている。アディがいる場所はキッドより一段低い場所、足元の前方あたりだ。
「大丈夫、問題ないわよ。教えてもらったとおり結晶筋肉の制御、イメージして、式を当てはめて、まとめて……いけるわ」
彼女は強く握り締めていた操縦桿を放すと、身を起こして大きく息をついた。
キッドが座っているのは一般的な幻晶騎士で使われている背もたれのあるシートだが、アディの場所は違っている。まるで馬に乗るかのようにシートは足の間にあり背もたれがない。
唯一馬と違っている点は、前方の左右に操縦桿が設置されているために前傾姿勢をとる必要がある点だろうか。つまりそれは、地球でいうところのバイクのライディングポジションをとっているのである。
「みんな痺れを切らしてるだろうしさ、そろそろ動かしてやろうぜ」
キッドの言葉が終わる前に、空間に低いうなりが満ちてゆく。最初は軽いものだったが徐々に大きく、一旦は空間を揺るがすほどに高まったそれは再び収まり、ある程度のところで安定した。
「よし、確認始めるぞ。えっと、なんだ。まず出力……1番炉、2番炉出力安定。出力配分はこの目盛りだから、安全圏内ってことだな」
「魔導演算機応答よーし! 結晶筋肉のテンションも大丈夫……よし、ツェンちゃん目を開けなさーい!!」
それに応じて彼らの前方にある淡い光を放っていた壁が眩しく発光を始める。いや、眩しく感じたのは気のせいであり、彼らの目が先ほどまでの暗闇に慣らされていたためだ。
その壁――幻像投影機には工房内部の光景が映し出されていた。不安と期待を半々にした鍛治師たち、そして何かあったときのために待機しているカルダトア部隊まで、その詳細がはっきりと見て取れる。
「うーん、やっぱし不安そうね。でーも! いっくわよー!!」
「おう、んじゃ足回りは任せたぜ」
アディは再び操縦桿を握り締めると、鐙に加える力を徐々に強めていった。
“ツェンドルグ”が立ち上がる。
2基搭載した魔力転換炉が恐るべき勢いで吸排気を繰り返し、全身の装甲が擦れあい、がしゃがしゃと騒音を立て始める。
馬が座り込む姿勢から、結晶筋肉が収縮する甲高い音を響かせて脚が動き始める。強大な打撃にも似た重量音を立て、1本、2本と大地を踏みしめた脚が巨大な筐体を持ち上げにかかった。
その動きは力強く、周囲の不安など歯牙にもかけない。エルネスティがくみ上げた基礎制御術式もさることながら、モートルビートを動かすことにより十分に結晶筋肉の制御方法を体得していた双子は、危なげなくそれを制御しきっていた。
ツェンドルグの機体を固定していた鎖が、じゃらじゃらと耳障りな音を立てて外れてゆく。
外から支えられることなく、ツェンドルグはついに4本の脚でしっかりと立ち上がりきっていた。
「おお、ガキども、やりやがったぜ……」
その様子を見ていた親方を始めとした鍛治師の間から、感嘆の声が漏れ出でる。
製造途中の出力の問題も大きな不安であったが、さらに人馬型という異常極まりない機体を果たして本当に制御できるものかという疑念が晴れずにいたのだ。同時に複座形という前代未聞の操縦方法への不安もあった。
今回ばかりは双子に既存の幻晶騎士に関する知識がないことが幸いしている。エルネスティという異常な存在の常識をそのまま教わった二人は、方法さえわかれば難なくそれを為して見せたのだ。超級脂肪燃焼弾
そこから鎖で吊り下げられた、鎧の一部らしき金属塊を幻晶甲冑(シルエットギア)に乗った鍛冶師が押し出してゆく。勢いのついた金属塊に轢かれそうになった誰かが、一揃えの罵声をあげながらも慌しく走り去っていった。御秀堂養顔痩身カプセル第3代
ライヒアラ騎操士学園にある騎操士学科の工房。
いまや銀鳳騎士団(ぎんおうきしだん)の基地と化したその場所は、新型機の完成へと向けて熱気で溢れかえっていた。
簡易な秘匿の覆いはすでに取り去られ、最新鋭の人馬型幻晶騎士(シルエットナイト)・ツェンドルグが工房のど真ん中を堂々と占拠している。通常の機体よりも巨大なことが災いし、完成が近づくにつれて押し込めたままの作業が困難になってきたのだ。
巨体に比して上半身は細身で、軽量に見える。その額には突き出た一本の角が見られ、他にも伝説上の馬に関係した意匠が随所に施されていた。
対して下半身は巨大で、重厚だ。脚部など一つ一つが幻晶騎士の胴回りほどの太さを持ち、見ただけで尋常ならざる出力のほどを知ることができよう。
それらが接続される腰にあたる部分は、幾重にも重ねられた装甲板で覆われた巨大な塊といった見た目だ。
実は、ツェンドルグは外見以外にも通常の幻晶騎士と異なる要素を抱えている。
操縦席、魔力転換炉(エーテルリアクタ)、そして魔導演算機(マギウスエンジン)。それらをあわせた“心臓部”と呼ばれる部位――それらは全て、この“下半身”に搭載されているのだ。
複座式となった操縦席、2基搭載することになった魔力転換炉、果ては容量を増やすために大型化した魔導演算機まで、もはや人型の内部に積めるものではなくなったためである。当然、ツェンドルグの大きさゆえの余裕があったからこそ成しえたことだが。
そこで上半身と分散して積む方式にならなかったのは、主に機構の複雑化を防ぐためのものだ。結果として上半身は戦闘機能に特化しつつ、軽量なものとして仕上がっていた。
筐体は完全に組みあがり、すでに外装(アウタースキン)も過半まで取り付け終わっている。さほどの時をおかずして動作試験へと入ることであろう。
近づくことすら躊躇われそうな異様な機体を創り上げてゆく先輩たちの姿を横目に見ながら、新米鍛冶師たちは黙々と自分の作業を進めていた。
当初は見るもの全ての珍しさに興奮し、果てはツェンドルグと対面した際には仰天のし過ぎで倒れていた彼らも、次々に課せられる訓練と作業をこなしてゆくうちにどんどんとスレ始めていた。
最近ではさっさと幻晶甲冑の製作方法を習い覚え、自分たちが使う分は勝手に作っていたりする。慣れとは恐ろしいものである。
彼らが作っている普及型の幻晶甲冑・モートリフトは大雑把な作りゆえ細かい作業こそ苦手だが、発する力はドワーフ族すら軽く超える。幻晶騎士の部品のような大きなものを取り扱う作業には高い適正を見せていた。
最初は見知らぬ機械に奇異の視線を送っていた新入生たちも、しばしの時間が過ぎる頃にはその便利さにすっかりとはまっていたのだった。
荷物を運び槌を振るい、作業に勤しむ彼らの間を縫って一人の騎操士(ナイトランナー)が何かを探して歩いていた。
やや長めに広げた金髪、長身痩躯にわざわざ紅く染めた革鎧を身につけている。銀鳳騎士団2番中隊隊長ディートリヒ・クーニッツだ。
彼は工房内を一通り見回すと、ふむ、と一息ついて近くで作業をしていた新米鍛冶師へと声をかける。
「君たち、団長(エルネスティ)を見なかったかい?」
ディートリヒの問いかけに、新米鍛冶師たちはそろって首を横に振った。銀鳳騎士団長、エルネスティは色々な意味で目立つ。来ればすぐに気付くはずである。
「ついでにあの双子もおらず、と。教室はもう出たようだしどこに行ったんだろうね、うちの団長様は。……何もしでかしていなければいいけどね」
無情にも、彼の心配は的中することになる。
人馬騎士・ツェンドルグの完成を目前にした銀鳳騎士団。鍛冶師たちはその作業にかかりきりであり、騎操士たちも自身の訓練に、後輩の指導にと多忙な日々を送っている。
そんななか、設計を終えた騎士団長様は些か手持ち無沙汰な状況にあった。
ここで思い出して欲しい、彼はツェンドルグの設計以外にも様々なものを作っていたということを。
幼馴染と3人でゆっくりと作り進めてきたとある新型装置。彼はその動作試験を行うべく、こっそりと恐るべき事件を起こしていたのであった。
晴れ渡る空と穏やかな陽射し。ピクニックに丁度良いであろうまばらな木々の合間を、重量感溢れる足音をたてて歩く巨人がいる。
同系統でありながら周囲の深緑から浮きに浮いたヴィヴィッドなグリーンの色合い、ピンピンに突き立った刺々しい飾りをつけた鎧の形状。あまりにも怪しげな風体をしたこの巨人は実習用の幻晶騎士・ラーパラドスだ。動かしているのはエルネスティである。
その足元をちょこちょことついて歩くのは幻晶甲冑、アーキッドとアデルトルートが動かすモートルビートだ。
ここはライヒアラ学園街より少々の距離を離れた人気のない森の中。いくら魔獣の危険があるからといって、少々仰々しさに過ぎる装備をもって彼らは散歩を楽しんでいた。
しばらく進むと森の中に開けた場所が見えてくる。以前は決闘級魔獣でも居たのかもしれない、ぽっかりと空いた広場がそこにあった。
エルは抱えていた荷を降ろし、ラーパラドスに膝立ちの駐機姿勢をとらせる。キッドとアディは早速荷を広げ、中に詰め込まれた奇妙な筒状の装置をラーパラドスへと取り付けていった。
人一人が両手で抱えるほどの太さの筒。それが数本、ラーパラドスの肩と腰周りに設置される。二人は固定器具をしっかりと組み付けたのを確認すると、操縦席に座ったエルへと手を上げた。
「エルー、取り付け終わったぜ。しかしこれはなんというかさぁ……」
「こっちも大丈夫だよー。ねぇー、なんていうかねぇ……」
二人は作業を終えると、ラーパラドスから離れてその全身を確認していた。
元々の無駄に刺々しい外見に、さらに謎の筒を複数生やしたラーパラドス。その姿はいっそシュールとさえいえる領域に達している。
秘密の保持とは別の意味で、彼らはこの場所に誰もいないことを感謝していた。
「さぁてあとは仕上げを御覧じろ、少し離れていてくださいね」
操縦席に座ったエルはそんなことを気にしていないのか、それともあえて無視しているのか。
ともあれ彼はラーパラドスを立ち上がらせると、謎の装置を起動させていた。
途端、“筒”の前面から大量の空気を吸い込む独特の音が響きだす。突然の奇妙な音に驚いたのか、周囲の森から鳥が一斉に逃げていった。
離れたところからキッドとアディが見守る中、ラーパラドスは僅かに身を沈めるとそのまま走りはじめた。結晶筋肉(クリスタルティシュー)が躍動し、全高10mにも上る巨体が軽やかに疾走する。しばしの後にはラーパラドスは十分な速度に到達していた。
ここからが試験の本番である。エルは不敵な笑みを浮かべると、操縦桿の周りに増設したスイッチを一斉に押し込んだ。
瞬間、世界が切り替わる。
“筒”の内部は漏斗を二つ合わせたような形状になっている。前半には大気を圧縮する魔法術式(スクリプト)が紋章術式(エンブレム・グラフ)として用意され、吸入・圧縮された大気が細くくびれた中央部分へと集められる。
後半部では圧縮された大気の塊へと次なる魔法、爆炎の魔法がかけられる。さらに魔法術式には、それによって発現した爆発に指向性を持たせる部分が記述されている。
圧縮大気推進(エアロスラスト)を応用した圧縮大気の炸裂、さらに爆炎の魔法による爆発、二つを合わせて発生する高速の噴流を利用した反動推進器。それがこの筒――マギジェットスラスタの原理だ。
最初に発生したのは眩い朱の光、機体背後に長く伸びる炎の尾。
次に発生したのは劈(つんざ)くような轟音。
目覚めを告げられたマギジェットスラスタは全くの遅滞なく、猛然とその本性を剥き出しにした。
すでに圧縮を経た大気の塊が連続して爆発膨張し、強烈なジェット噴流による反動がラーパラドスへと圧倒的な加速を与える。
いやそれはすでに加速などと生易しいものではなく、“吹き飛ばした”と表現するほうが正しいような状態だった。
「お、おおおぉぉぉぉぉぉう!? フゥゥゥゥッルパァァゥワァァァァーーー!?」
製作者であるエル自身の予測すらはるかに凌駕する激烈な推進力により、ラーパラドスが明らかに異常な加速を始める。
エルの小柄な体へと強烈な慣性がかかり、それに対抗するために必死になるあまり彼は十分に装置を制御できていなかった。その間にもマギジェットスラスタは自身に記述された術式に忠実すぎるほどに従い、狂ったように推力を吐き出し続けてゆく。
どこまでも続く加速の中、小さな気流の乱れが一瞬だけラーパラドスの機体を浮き上がらせた。御秀堂 養顔痩身カプセル
少しだけ崩れた姿勢、僅かに浮き上がった体。本来ならばすぐに重力が地面へ戻してくれるはずである。しかしラーパラドスに装着された魔物は、その圧倒的な推力を以って重力に打ち勝ってしまった。
エルは慣性の方向が僅かにずれたことに焦るが、彼の対処を待たずして機体は自由な空へと離陸を始めていた。空力的な特性など一切考慮しない、ただ爆発的な推進力のみに支えられた飛翔。
機体が嵐にもまれる木の葉のように吹き飛びそうになるのを、エルが全力を振り絞ってなんとか制御する。ただ彼をして、空中分解しないだけで精一杯だった。
眩い炎を引き連れて空へと向かうラーパラドスはさながら流星の逆回しである。エルの悲痛な状況とは別に、謎の感動を伴うその光景にキッドとアディはあんぐりと口を開けたまま見入っていた。
爆発的に始まった事態はやはり突然に終了した。
余裕のないエルに代わり、魔導演算機が自身の仕事を忠実に実行したのだ。急激な魔力(マナ)の消費に対し、魔力貯蓄量(マナ・プール)が枯渇する寸前に安全装置(リミッター)が作動して機器への魔力供給が強制的に停止される。
直後、ラーパラドスを持ち上げていた炎の雄叫びが唐突に停止した。同時に推進力を失った機体は、空気抵抗と重力に導かれるまま落下を始める。
「ウワァァァァァァいっぱーーーっつ!?!!!」
皮肉にもマギジェットスラスタが停止したことによって、エルは機体を制御する余裕を取り戻していた。
勢いはともかく、高度が上がりすぎる前に推進器が止まったことは不幸中の幸いであっただろう。瀕死の機体はなんとか分解することなく地面に帰り着く。しかしそれはただ着地しただけであり、有り余る勢いはほとんど衰えてはいなかった。
ブレーキをかける機体の両足から猛烈な火花が舞い散り、地面が鑢(やすり)のごとく外装(アウタースキン)を削り取る。
このままではすぐに脚部が限界を迎える、そう悟ったエルはとっさに機体を前方へと投げ出した。前転の要領でラーパラドスが地面を転がる。ご自慢のトゲトゲ鎧がボキボキに折れ砕け、取り付けたマギジェットスラスタまで吹っ飛んでいたがエルにそんなことを気にする余裕はなかった。
そのままおよそ数百mを転がったラーパラドスはようやく勢いを緩めると、大の字に倒れ伏して停止したのだった。
「…………エル君、生きてるかな?」
「はっ!? いや今のはまずいだろ! 助けに行くぞ!!」
キッドとアディが正気を取り戻したのは、あたりが静けさを取り戻してから、しばらくしてのことだった。
「ゲホッ、ゲホ、だ、駄目です!! この装備は駄目です!! 駄目々々です!!!! 却下!! ……はしませんが作り直しです!!」
目を回して気絶していたエルが、息を吹き返してまず言い放ったのがこれである。
ラーパラドスは人型こそ留めていたものの、鎧のほとんどがひしゃげるわ飾りは折れるわと威圧的だった姿はもはや見る影も無い。足の装甲はガタガタに削れているし、摩擦熱で一部の部品が溶接してしまっている。これだけの事故を起こしてエルが気絶だけで済んだのは、偏に日頃の訓練と彼の能力の賜物であった。一般人は真似をしないでください。
そんな彼であっても、さすがにここまで惨憺たる結果が出ては余裕など見せれるはずもなく。珍しく大荒れのエルを、幼馴染が慌ててなだめにかかっていた。
「しかし危なかったな。スラスタを止めるのがもう少し遅かったら星になってたぜ、エル」
「…………違います、“止まった”んです」
「え?」
「あまりにも魔力をドカ喰いしすぎて、魔力貯蓄量の大半を一気に燃やし尽くして、挙句勝手に止まったんです!! ええそうです、駄目です、完全に失敗です!!」
「え、エル君落ち着いて! はいはい、どうどう」
半ば錯乱状態にあるエルを、アディが力づくで強制停止する。彼はしばらくもがいていたが、やがて静かになった。
背後を振り返れば、そこには地面が抉れた跡が長く続いている。二人は改めて、エルとラーパラドスが無事であったことに長い安堵の吐息をついた。
「ねぇエル君、これはやめとかない? いくらなんでも危ないわよ」
アディは心底心配といった表情を隠しもしていないが、残念なことに腕の中のエルが顔をあげたとき、彼の表情はいつもの――つまりは製作の熱意に燃えたものとなっていた。
「失敗は失敗で仕方ないとして……もう少し段階を経て実験しなければいけません。まずは術式の規模と出力の関係について検証が必要ですね。そして状況に合わせて変更できるように新たな制御機構も噛まさないと。魔力の消費も問題ですが、これはしばらくは出力と一緒に抑えることでもたせましょうか……いや、機体側で対策をしてしまえばなんとかなるかな?」
彼の脳裏では新たな図面が出来上がりつつあるのだろう、あわや大事故を起こしかけたというのに一切躊躇しないエルの様子にキッドとアディは二人して天を仰いだ。まさに処置なしである。
エルはしばらくはそうしてうんうんと唸っていたが、唐突にいいことを思いついたとばかりに二人へと振り返る。
「ちなみに、二人も乗ってみますか?」
「乗るかっ!!」「いーや!!」
わかりきった答えが、森の中に木霊していった。
その後、うっかりとズタボロになったラーパラドスに乗って戻ってきたエルをみて、銀鳳騎士団の全員がすわ敵襲かと臨戦態勢と相成ったのは余談である。
工房の一角に、いかにも急造された感じの机と椅子が設置されている。机の上にはこれまた急ぎで作られたのだろう、乱雑な字で“騎士団長”と書き殴られた立て札が置かれていた。
その席にちょこんと腰掛けながら、エルは恐る恐るといった感じで周囲を見回した。
「……僕はここにいなくちゃいけませんか?」
「おう、すわっとれ団長様」
「ああ、君がいたほうが気が引き締まる気がするしね」
「そうだな、団長というものはもっとこう、どっしりと構えていればいいさ」
周りを取り囲むのは言わずもがな、いつもの面々である。
ドワーフ族の鍛冶師と十分に体を鍛えた騎操士たちだ。彼らは威圧感を放つ仁王立ちでもって物理的にエルを席に留めていた。
「みんなして非道(ひど)い……」
「てめぇから目ぇ離すとまた何しでかすかわかんねぇだろが!」
恨みがましい目つきで、エルは傍らにある機体を見上げた。
そこにあるのはボロボロになったラーパラドスの姿だ。悲惨な大事故に見舞われたラーパラドスは自力歩行こそ可能だったが、限りなく大破に近い判定を受けて現在使用を厳禁されている。主に騎士団長に対して。
そして動作試験といいながら幻晶騎士1機を大破に追い込んだエルは騎士団のほぼ全員から“お説教”をくらい、こうして“騎士団長のお仕事”をやることと相成っているのだ。
「大丈夫ですよ、僕だってちゃんと反省しています。ほら、こうして改善案の設計だって仕上げてありますし」
「やっかましわ! それのどこが反省してるってんだ!! しばらく大人しくしとれ!!」
当然とばかりにどこからともなく設計書を取り出したエルに、親方がひったくるようにそれを取り上げる。
異質な才と、溢れるほどの熱意を持つ彼らの騎士団長。魔獣に突っ込み幻晶騎士に突っかかりと基本的に常識から外れた行動しか取らない上に、これまた桁外れの能力でそれを成し遂げるものだから誰も彼を止めはしなかった。
それが失敗したときはどうなるか――当然のように大惨事を引き起こしたエルに、全員が頭を抱えたのは言うまでもない。
「むぅ、いいですわかりました。しばらくは簡単なお手伝いをしています」
せっかく改善案を仕上げたというのに、とエルは不満げではあったが事故を起こした手前さすがにバツが悪かったのか、大人しく手伝いを始めていた。
「……さっさとツェンドルグを仕上げるか。アレの動作調整にはいりゃあ、坊主も暇なんぞと言ってられやぁしねぇだろ」
今のところ彼らはそれ以上の対処の方法を持っていなかった。呆れつつも親方は再び気合を入れなおすのだった。
そうして、しばらくは何事もなく日々がすぎていた。
最初は警戒していた団員たちも、そのうちに自らの忙しさに埋もれて注意が薄れてゆく。
その間隙を縫うようにして、第二の事件は近づいていたのだった。
「あ、エドガーさんちょっと待ってください」
「ん?」
いつものように後輩の訓練に向かおうとしたエドガーを呼び止める声がある。
聞き覚えのある、鈴を鳴らすような声に振り向くとそこには予想通りエルの姿があった。
いつもと違うのは両手で抱えるようにして大量の短剣を持っていることだ。エルはそのうち1本をついと差し出す。
「これを」
「短剣……? 珍しいな、銀製なのか」
エドガーが受け取ったその剣は、装飾に凝った形状をした儀礼用と思われるものだった。
刃渡りは短く、その上材質は銀製だ。銀は金属ではあるが鋼鉄よりははるかに強度に劣り、あまり武器に向いた素材ではないとされている。これも純粋な武器として使うには心もとないだろう。
「一応武器として使えなくはないですけど用途は少し違います。それで、ちょっとこちらへきてください」
彼が疑問を差し挟む前に、エルは1機のカルダトアへと向かってゆく。
エドガーは訝しげな様子を隠せなかったが、行けばわかるだろうとばかりに後を追った。
たどり着いた先は何の変哲も無いカルダトアの操縦席だ。エドガーはアールカンバーを失ってからは主にカルダトアに乗っているため、彼にとってもすっかり見慣れた場所である。
エドガーはエルの指し示すままシートに着き、手馴れた様子で機体の起動準備に取りかかった。終極痩身
固定帯を締め、操縦桿と鐙(あぶみ)の位置を整える。続いて休眠状態にある魔力転換炉の出力を駆動状態まで高めるため、出力調整のレバーを操作する。
異常が起こったのは、その時だった。
いつもならばレバーの動作にあわせて炉が発する振動の高まりが伝わってくるはずである。だが今は周囲からエーテルを取り込むための吸気機構の唸りも全く聞こえず、炉は休眠状態のままだ。
起動の失敗、それなりに幻晶騎士を動かしてきた経験を持つエドガーにとっても初めて遭遇する異常事態だった。
さすがの彼も焦りを感じたが、努めて冷静に起動手順を繰り返す。しかし何度やっても結果は同じだった。どうやっても炉は目覚めず、機体を動かすことができない。
繰り返すごとに焦りが増してゆくが、そこで彼は開いたままの胸部装甲に乗ったエルが、にやにやと笑みを浮かべていることに気付いた。
「……エルネスティ、もしかしてお前が何か細工をしたのか?」
小さく手を叩く少年の姿は、言外にそれが正解であることを伝えている。
お叱りを受けたエルのちょっとした意趣返しである。彼はひとしきり喜んだ後、腕を組んで睨みつけるエドガーに小さく頭を下げた。
「うん、ごめんなさい。そんなに怒らないでください、いまから仕掛けを教えますから。
足元を見てください、スリットがありますよね? そこに先ほど渡した短剣を刺し込んで下さい」
憮然とした面持ちのまま、それでもエドガーは言われるままに短剣をスリットへ刺し込んだ。銀の短剣が根元まで埋まったときに、カキッ、という何かが噛み合った音がし、さらにいくらかの仕掛けが動作する音が続く。
間もなく座席の下からは力強い唸りが聞こえてきた。感じ慣れた幻晶騎士の心拍音、魔力転換炉が出力を上げ、駆動状態へと移ったのだ。
「これは、炉が目覚めたのか!? 先ほどは全く動かなかったというのに……いや、待て、そうかエルネスティ。つまりこの短剣は“鍵”なんだな?」
「正解です。言いましたよね? 幻晶騎士を奪われないように仕掛けを用意すると。これがその仕掛け……名付けて紋章式認証機構(パターンアイデンティフィケータ)です」
クスクスと小さく笑い続けるエルを相手にエドガーは両手を上げた。
「エルネスティ……本当にびっくりしたぞ。悪戯もいいがもう少し穏やかなものにしてくれ、心臓に悪い。で、どういう仕組みだこれは。まさかどんな剣を刺し込んでも動くというわけじゃないんだろう?」
「勿論、その短剣でなければこのカルダトアはピクリとも動きませんよ。それは剣の形をしていますが、内部にはとある紋章術式を“鋳込んで”あります。
そしてこのスリットの内部にはそれと対応する紋章術式があります。正しい組み合わせでなければ炉は目覚めず、ついでに魔導演算機も動きません」
炉から魔力の供給が行われず、さらに動作をつかさどる魔導演算機が反応しないとなれば幻晶騎士を動かすことができない。
さらに魔法術式を使っているのが曲者だ。実際に魔法を発生させるための術式とは違ったものなのだろう、その論理構造を推測だけで解くことは極めて困難である。
つまりは“鍵”であるこの銀の短剣を奪われない限り、このカルダトアを奪われることはなくなるということだ。
「ちなみに鍵を銀の短剣にしたのは何か意味があるのか?」
「いえ、単に僕らが銀鳳騎士団だから、それに因んだだけです。それに紋章術式を刻むのには少し面積が必要でしたので、でもただの板では味気ないですしね。少し洒落てみました」
エドガーが銀の短剣を抜き去ったところ再び炉が休眠状態に移行し、魔導演算機も全く反応を返さなくなる。彼は唸りながらも慎重に短剣を鞘に戻した。
紋章式認証機構、幻晶騎士の盗難を防止するこの装置は公表されるやいなや爆発的に普及し、以後全ての幻晶騎士に導入されることになる。
その際に“銀製の短剣を用いる”形式自体も踏襲されていき、事実上の標準として受け継がれていった。
やがて“銀の短剣”自体が騎操士の身分を表す代名詞として定着してゆくことになるが、それはしばし後の時代の話である。
紋章式認証機構が一通りの機体に行き渡ると、次は様々な選択装備が出来上がってきた。
ツェンドルグの開発にめどが立ち、さらに新人たちも十分に慣れてきたことで余裕ができてきたためだ。
エルの思いつきだけでなく鍛治師や果ては騎操士が思いついたものまで様々なものを試作したために、それを装着したカルダトア部隊はなかなかに混沌とした有様になっていた。
ライヒアラ騎操士学園にある幻晶騎士用の訓練場では、出来上がった装備をつけた機体がそれぞれに動作試験を行っている。
その中には、エドガーとヘルヴィの操るカルダトアの姿もあった。
「エドガー、準備はいい? それじゃあ真正面からいくわよ!」
向かい合う両機のうち、ヘルヴィが操るカルダトアが剣を振り上げる。片手の構えであるが、真正面を捉えたきれいな姿勢だ。
対するエドガーが操るカルダトアは頷いたのみで、その場から動こうともしていなかった。
ヘルヴィが乗るのは素のままのカルダトアだが、エドガーの機体には見慣れぬ装備が取り付けられていた。背中から両肩の周囲までを覆う追加装甲。様々な形状の装甲板を補助腕と似た機構で組み合わせてつなげた防御装備――可動式追加装甲(フレキシブルコート)、その試作品である。
飾り気のない金属を組み合わせた装備だが、元々無骨なカルダトアに合ってどこか落ち着いた雰囲気を放っている。
了解を受けてヘルヴィ機はそのままエドガー機へと斬りかかってゆく。
勿論、訓練用の刃引きの剣を使用している上に打ち込み自体も全力ではない。ややゆっくりとした動きの、まっすぐで素直な打ち下ろし。
あからさまに頭部を狙った攻撃に対し、操縦席に乗るエドガーはしばらく幻像投影機(ホロモニター)を睨みつけていたが、十分に間合いを計ると増設されたスイッチを素早く叩き、新装備を起動させていた。
予め登録したいくつかの動作パターンに従い、可動式追加装甲が微かな動作音とともに頭部と肩の上側を護る配置へと変形、移動する。
ヘルヴィ機の剣がいくらかの傾斜をつけて配置された装甲に当り、火花を散らしながらその表面を滑った。強化魔法が発動している可動式追加装甲はびくともせず、その防御力を見せ付ける。
「なかなかね。次はもう少し強く打ってみる?」
「待て……ああ、結構な魔力を消費している。試作だからか? それともこれは思いのほか大喰らいだったりするのか。
防御能力自体は十分だが使い方に癖が強いな……。ああ、待たせたな。他の方向からの打ち込みも一通り試すぞ」
強化魔法を追加することにより防御力を得ている可動式追加装甲はどうしても魔力の消費が大きくなる。そのため攻撃を長く受け止めることよりも受け流すことを重視していた。展開のパターンも傾斜をつけた形が多くなっている。
うまく動いていることに気をよくしたヘルヴィが再び構えを取る。いかに防御用装備を使用してのことだとはいえ、幻晶騎士同士で攻撃を打ち込むのである、聞きようによっては恐ろしい意味を含む台詞だが二人ともさして気にした風はなかった。
エドガーもヘルヴィも、互いが“上手くやる”ことを疑ってはいない。ある種の信頼関係ともいえるだろう。
最初は試しながら進んでいた攻撃も、しばらくの後には模擬戦さながらの打ち合いとなっていたのだった。
打ち込みと防御を続ける2機から少し離れた場所では、紅い幻晶騎士が物言わぬ標的と対峙していた。
紅い幻晶騎士――グゥエールは見たところ何かしらの装備を追加したように見えない。カルダトアとは違い、こちらは外付け式の装備を使っているのではない。
「さて、ではゆくぞ!」
気合一閃、ディートリヒの操縦に従いグゥエールが殴りかかるようにしてその腕を突き出す。
おかしなことにその拳は当てるべき標的とはまったく離れた場所で振るわれていた。腕が突如伸びるようなこともなく、当然標的まで届くことはない。先ほどの気合はなんだったのだろうか、それはただ空しく響くばかりかと思われた。
ディートリヒは意味もなくそんな行動を取ったわけではない。
突き出された腕が最高速に達した瞬間、拳の下側、籠手の部分に設置された金属塊が勢いよく射出される。金属塊は円錐を2つ底面で張り合わせたような形状で、拳よりはやや小さいものだ。
最初は勢いのまま飛び出したそれは、空中で自力での加速を始める。後半部分で圧縮大気を連続で炸裂させ、その反動を利用しているのだ。よく見ればその後端からはワイヤーが伸び、籠手の内部へと続いているのがわかる。
自力で加速する打突武器、つまりワイヤーアンカーと同様の機構を持つ装備である。
十分な速度を持った金属塊が重い音を立てて的へと突き刺さり、簡単な金属製の覆いを被せられた標的がガクガクとゆれる。それなりの重量を持った金属塊の衝撃は小さなものではなかった。
だがこの武器の真価はここから発揮される。
着弾を確認したディートリヒが操縦桿に増設されたトリガーを押し込む。グゥエールの腕の内部に追加された“装置”は命令を受け、本体からの魔力の供給を受けると自身に定められた術式に従い戦術級魔法(オーバード・スペル)を発現させた。
金属線と銀線神経(シルバーナーヴ)を編みこんだワイヤー、それは魔力を伝えるとともに、通常の金属としての性質を備えている。つまりは“導電性”だ。
発生したのは電撃魔法、天の雷に匹敵する電撃がワイヤーを通じて標的へと伝わってゆく。無理矢理に膨大な電流を通された標的が発熱し、火花が散り弾けた。
大型化したワイヤーアンカーと魔導兵装(シルエットアームズ)を組み合わせた直接電撃兵装――“ライトニングフレイル”それがこの武装の名前だ。
「うわぁ、なんともえげつない代物だね。中々に好みだよ」
エルネスティが提案した選択武装、その一つであるライトニングフレイルは中でも一風変わった装備だった。超級脂肪燃焼弾
可動式追加装甲や背面武装(バックウェポン)のような外付けではなく内蔵型なのである。これまでに魔導兵装を内蔵した機体は存在していない。
その理由は魔導兵装の構成にある。
魔導兵装とはその本体たる術式を紋章術式により構成している。たいていは銀板に術式を写したものであり耐久性に欠けている。その上、戦術級魔法に対応した紋章術式は相当に嵩張るのである。
大型でもろい部品、そんなものを機体に内蔵したのではかなりの弱点を抱え込むことになってしまう。それは格闘兵器である幻晶騎士にとって望ましいことではなかった。
さらには電撃系の魔法は炎系に比べて複雑になる傾向があり、つまりそれは紋章術式がより大規模になるということだ。乱暴な話をすれば撃ち出せば飛んでいく炎に比べ、電撃にはそれを敵へ誘導するための術式が必要になるからだ。
しかるにライトニングフレイルはそれを物理的な方法で解決した。ワイヤアンカーの存在だ。導電体である金属製のワイヤーを先んじて目標に打ち込むことにより電撃を誘導する。そうして術式の中から誘導に関する部分を丸々省いたのである。
こうして魔導兵装がいくらか小型化されたとはいえ、やはりそのまま内蔵するにはいくらかの問題があった。それを何とか為しえたのは、元々防御を重視して大型の装甲を備えたグゥエールだからこそだ。例えばカルダトアではかなり大規模な換装作業が必要になり、あまり実用的ではないだろう。
「さすがに少々腕の動きが重いが……装備を隠しておけるのは魅力だね」
ライトニングフレイル、つまりは内蔵型装備の最大の利点は外見では判別しづらい点にある。さらには魔導兵装部分を含めて強靭な腕の装甲で守っているため、手持ち式に比べれば破壊される危険が少ない。
格闘戦の間合いで不意を突いて発動する強力な電撃兵装。実に性質の悪い装備なのである。
ライトニングフレイルに限らず、他にも内蔵型の装備は考案されていた。それらの多くは失敗に終わるが、そこで得た反省を踏まえて最終的に彼らは装甲と巧妙に一体化した装備群を考案するに至る。
外に追加する武装と内部に乗せる武装。かつてテレスターレが幻晶騎士の形を大きく変えたときのように、次は魔導兵装の形も変化を迎えていくのであった。
アーキッドとアデルトルートの双子は、狭く暗い空間にいる。
身じろぎもできないほどではないが、自由さを感じるには足りない広さ。キッドはシートの背もたれに深く身を沈めると、閉じていた目を開いた。
彼は前方からの薄ぼんやりとした光のなかに彼の妹の背中を確認して、問いかけた。
「炉の出力は安定……魔導演算機のとっかかりもいけてる、そっちはどうだ?」
空間は斜め前へと細長く続いている。アディがいる場所はキッドより一段低い場所、足元の前方あたりだ。
「大丈夫、問題ないわよ。教えてもらったとおり結晶筋肉の制御、イメージして、式を当てはめて、まとめて……いけるわ」
彼女は強く握り締めていた操縦桿を放すと、身を起こして大きく息をついた。
キッドが座っているのは一般的な幻晶騎士で使われている背もたれのあるシートだが、アディの場所は違っている。まるで馬に乗るかのようにシートは足の間にあり背もたれがない。
唯一馬と違っている点は、前方の左右に操縦桿が設置されているために前傾姿勢をとる必要がある点だろうか。つまりそれは、地球でいうところのバイクのライディングポジションをとっているのである。
「みんな痺れを切らしてるだろうしさ、そろそろ動かしてやろうぜ」
キッドの言葉が終わる前に、空間に低いうなりが満ちてゆく。最初は軽いものだったが徐々に大きく、一旦は空間を揺るがすほどに高まったそれは再び収まり、ある程度のところで安定した。
「よし、確認始めるぞ。えっと、なんだ。まず出力……1番炉、2番炉出力安定。出力配分はこの目盛りだから、安全圏内ってことだな」
「魔導演算機応答よーし! 結晶筋肉のテンションも大丈夫……よし、ツェンちゃん目を開けなさーい!!」
それに応じて彼らの前方にある淡い光を放っていた壁が眩しく発光を始める。いや、眩しく感じたのは気のせいであり、彼らの目が先ほどまでの暗闇に慣らされていたためだ。
その壁――幻像投影機には工房内部の光景が映し出されていた。不安と期待を半々にした鍛治師たち、そして何かあったときのために待機しているカルダトア部隊まで、その詳細がはっきりと見て取れる。
「うーん、やっぱし不安そうね。でーも! いっくわよー!!」
「おう、んじゃ足回りは任せたぜ」
アディは再び操縦桿を握り締めると、鐙に加える力を徐々に強めていった。
“ツェンドルグ”が立ち上がる。
2基搭載した魔力転換炉が恐るべき勢いで吸排気を繰り返し、全身の装甲が擦れあい、がしゃがしゃと騒音を立て始める。
馬が座り込む姿勢から、結晶筋肉が収縮する甲高い音を響かせて脚が動き始める。強大な打撃にも似た重量音を立て、1本、2本と大地を踏みしめた脚が巨大な筐体を持ち上げにかかった。
その動きは力強く、周囲の不安など歯牙にもかけない。エルネスティがくみ上げた基礎制御術式もさることながら、モートルビートを動かすことにより十分に結晶筋肉の制御方法を体得していた双子は、危なげなくそれを制御しきっていた。
ツェンドルグの機体を固定していた鎖が、じゃらじゃらと耳障りな音を立てて外れてゆく。
外から支えられることなく、ツェンドルグはついに4本の脚でしっかりと立ち上がりきっていた。
「おお、ガキども、やりやがったぜ……」
その様子を見ていた親方を始めとした鍛治師の間から、感嘆の声が漏れ出でる。
製造途中の出力の問題も大きな不安であったが、さらに人馬型という異常極まりない機体を果たして本当に制御できるものかという疑念が晴れずにいたのだ。同時に複座形という前代未聞の操縦方法への不安もあった。
今回ばかりは双子に既存の幻晶騎士に関する知識がないことが幸いしている。エルネスティという異常な存在の常識をそのまま教わった二人は、方法さえわかれば難なくそれを為して見せたのだ。超級脂肪燃焼弾
2012年9月11日星期二
異世界に来ました
太一が最初に感じたのは、ほほを撫でる優しい風。ここ最近は縁遠かった、自然のかおりを含んだものだ。
特に何か変な事にはなっていないらしい。突如襲ってきた不可思議な現象も、どうやら無事に終わったようだ。絶對高潮
恐らくあれはドッキリだったんだろうなあ。流石はテレビ、変なとこに金かけやがる。
太一が現象に対する考察はそんなところだ。一五才の知識と人生経験ではその程度が限界だ。最も、長く生きていれば分かるようなものでも無いのだが。
……そんなことを考えられる程度には冷静になってきた思考。そして、掛けられた重さと温もりに気付く。
それを確かめるべく目を開けると。
目をぎゅっと強く閉じ、制服を握り締めた奏が、太一に寄りかかっていた。
何だか良い香りがする。奏って柔らかいんだなー……等と不謹慎な思考に駈られる彼を責めないで欲しい。太一も健全な男子高校生。思春期真っ只中なのだから。
「……奏?」
太一の声にぴくりと肩を揺らし、恐る恐る目を開ける奏。
これまでに無い至近距離で視線が交わる。
不安げだった奏の表情が、少しずつ驚愕に染まり。
「何どさくさに紛れて抱きついてるのよっ!」
「理不尽ッ!?」
突き飛ばされた。
視界が空転したおかげ?で、赤く染まった奏の頬に気付かなかったのは、幸か不幸か。いつもならそれに突っ込むイケメンは、側にはいない。
その違和感に気付いたのは、お互い以外が視界に飛び込んできたからだ。
「……」
なんだこれは。
そんな一言すら出てこない光景に、言葉を失う太一と奏。
晴れた青空は親しみなれた空そのもの。そこにぽっかりと浮かぶ白い雲もまた然り。
違和感の正体は、三六〇度の大パノラマで広がる光景。
見渡す限り、地平線まで伸びる大草原。
日本に住んでいて、地平線など拝む機会があるだろうか。いや無い。
むしろ、地球上を探したところでこれと同じ光景に出会える地域は一握りだろう。もちろん、太一と奏にはこんな景色に見覚えはない。
これが旅行なら、想定を上回る壮大さに感動で言葉を奪われるだろう。だが今二人が言葉を失っているのは、予想の斜め上を行く展開に思考がストップしてしまっているからだ。
「なあ奏」
「何」
「俺の顔殴ってくれ。どうやら立ったまま寝てるらしい」
「それなら私の頭を先に叩いて。今すぐ起きたいから」
普段の何気ないやり取りも、阻むものの一切無い開けた土地に、吸われて消える。
辺りを一度見渡して気付いてしまっている。ここには、太一と奏しかいないことに。それを認めたら終わりな気がして、二人は再び黙り込んだ。
呆然としたまま顔を落とせば、地面に生える草は見慣れないものばかり。近所の空き地に生える雑草とは毛色が全く違う。土の色は変わらない。が、掘り起こした土の中から顔を見せたのは、凡そ見たこともない虫だった。
太一の脳裏に、考えたくない仮定が生まれる。頭から振り払おうにも、こびりついて離れない。
今の太一は挙動不審そのものだ。いつもならそんな太一にぐだぐだと突っ込みを入れる奏も、気付いていて黙っている。太一の尋常じゃない表情を見てしまったからだろう。
どれだけ、そうしていただろうか。電波など届くはずの無い携帯の時間は、一八時を回っている。約一時間、こうしていたらしい。
「太一」
「ん?」
掛けられた声に思った以上に平静に答えられた自分を心の中で褒める太一。
「座ろう? あそこに良さげな石があるよ」
奏が指す指先を追っていくと、なるほど椅子にするにはちょうど良い石がいくつか。地べたに座っているより余程いいだろう。
側に転がっている学生鞄を拾って、二人並んで歩く。
平素の太一と奏からすれば考えられない程に近い距離感だが、いきなり見知らぬ土地に放り出された不安がそうさせるのだ。またそれを茶化す余裕などあるはずがない。
こんな所でも、一人ではない、というのはかなり頼もしい。二人でいれるからこそ、ここまで落ち着いていられるのだ。
向き合う形で腰を下ろした太一と奏。少しして、奏が太一の横に座り直した。他にも石はいくつかあるのだから、それは不安の現れと言える。そして、そんな事にすら気付けない二人の心理もまた。
「これ、何だと思う?」
太一が切り出した問いに、奏は首を左右に振った。
「分からない。分かりたくもない……」
「そりゃそうだ」
努めて出した明るい声が虚しく散る。
「太一は?」
「え?」
「太一は、どうなの?」
「……」
色々はしょった問い掛けだが、その意図が分からない訳じゃない。
一度小さく吸って吐く。多分だけど、と前置きし、太一は視線を地面に向けた。
「ここは、地球じゃない」
「……」
奏からの返事はない。
それは目を逸らしていた現実。認めてしまえば、もう戻れないような気がして。
しかし、無知な子供の振りで現実逃避は出来ないくらいには、太一も奏も大人に近かった。
「……どうしよう?」
「人、探してみるか」
「見渡す限り草しかないわよ? 宛が外れたら?」
「そこまで責任取れねえよ。ここで待ってて人が一切通らなかったら?」
「……それも責任取れないわね」
留まるのも躊躇われ、動くのも躊躇われる。視界に映る景色はどこまで行っても同じ。地図なんてあるはずもないし、運良く持っていたとして。今どちらを向いているのか、どちらに歩けばいいのか、方角すら分からない。
八方手詰まりである。
何も出来ないという現実を突きつけられ、途方に暮れる太一と奏。こういう時にかけられるのが追い討ち。所謂泣きっ面に蜂である。
がさりと草が揺れる音。そして何だが不穏な気配。振り返った二人が見たのは……鋭く長い牙を生やした、人の倍は背の高い馬だった。
ざり、と前足が地面を掻く。踏ん張る場所を作っているかのような動作。
濃い紫の毛並みはつやつやと太陽の光を反射している。
彼我の距離は凡そ一〇メートル。まだ多少距離はある。
逃げるしかない―――
頭でそう分かっていても、身体が一切言う事をきかない。
「何だ、ありゃ……」
「私に聞くな」
「もしかして、結構ヤバげ?」
「いや……もしかしないでしょ、コレは」
相手からの明らかな害意というものに、太一も奏も今まで触れることなく生きてきた。
今向けられているのは、殺気。捕食者が獲物を狙う目。とでも言えばいいのだろうか。
例えるなら、小型のバス程もある巨大な生き物が、鋭い牙を剥いて剣呑な空気を向けてきている。
そう考えれば、その恐ろしさは少しは伝わるだろう。
ぶるるる―――そんな粗い鼻息が、二人の耳朶を強烈に叩く。
こんな巨大な生き物が、ここまで近づくのに一切気付かないとは。この見晴らしのいい草原で、一体どれだけ注意散漫だったのだろうか。
地球で似たような場所を探すとすれば、アフリカのサバンナが筆頭だ。あそこに生息するライオンやハイエナ、ジャッカルなどの肉食動物の名前は、動物に別段詳しくなくても聞いた事くらいはあるだろう。そして、それがどれほど危険なのかも、体験はしていなくとも知識としては知っていた。
まして、ここは地球じゃない。そういう仮定を否定できなかったはずではないのか。
このような危機が発生する可能性を、考えてしかるべきではなかったのか。
太一は、全く周りが見えていなかったことに舌打ちする。
どう考えてもこれはまずい。
生き延びるビジョンが一切見えてこない。
姿は馬。太一が知る限り、馬は人間とは比べ物にならないほどの長距離を、世界最速の人間の倍に達する速さで走る事が出来る。彼らと張り合うなら最低でも原付バイク。この状況で逃げ切るならオフロードバイクや四駆のSUVが欲しい。どう考えても、徒歩で競っていい相手ではない。美人豹
太一と奏が知る馬よりも明らかに巨大だが、それでも彼らよりは確実に速いだろう。いや、この状況では自分達の常識に囚われるべきではない。
ちらりと横の奏を見る。
最悪、彼女だけでも逃がそうか―――
出た結論は、自分が囮になるという事。
奏を見知らぬ世界に放り出すことになる。
もしかしたら、ここで死んでしまったほうが楽なのかもしれない。
それでも、この親友を死んでも生かす、という気持ちに変わりは無い。
生きてさえいれば、きっと何か救いはあるはずだ。奏は強い。見る限り、今まで出会ってきた女友達の誰よりも。きっと彼女なら、こんな訳の分からない世界でも生き延びてくれるだろう。そして、彼女だけでも、地球に戻れればいい。
そのためにも、まずは時間を稼がなければ。一呑みで終わり、なんてことは無いだろう。太一を捕食している間を使えば、奏は逃げられるはずだ。願わくば、ゆっくり喰ってくれれば。
そこまで考えて、今更ながら身震いした。
踊り食いした事はあるが、される立場になるとは考えていなかった。どのような苦痛が待っているのか、想像すら出来ない。
そのまま、にらみ合うこと数瞬。
太一と奏は動けない。
紫の馬は動かない。
そんなこう着状態の中、太一にははっきりと見えた。馬が両足をぐっと畳み、身体中に力を込めるその瞬間を。
ダウッ!
地面を蹴っただけとは思えないほどの音と共に、馬が一気にトップスピードとなって迫ってきた。
速い。ただの馬とは思えない。
「くそっ!」
太一の行動は、考えてのものじゃなかった。
「うらあああああっ!!」
横で硬直している奏に抱きつき、全ての力を足に込めて思いっきり跳んだ。
奏の色々やわらかいところが太一に密着し、太一の左手は彼女のお尻を思いっきり掴んでいるのだが、この際それを痴漢と責めるのは筋違いだ。当の太一も、そんな感触を楽しむ気持ちは一切無い。
間一髪で飛びのいた場所を馬が高速で駆け抜ける。その余波を受けて、太一と奏は三メートル程転がった。
下が地面で助かった。これがアスファルトだったら……いや、考えるのは止めた。
二〇メートル程走っていって止まった馬が、ゆっくりとこちらに向き直ったからだ。
「た……太一……」
驚きに染まった顔で太一を見上げる奏。震えてはいないようだ。突然の出来事に驚いた、というのが正しいか。
「第一回は凌いだか……さぁて、次はどうするかなぁ?」
余裕ぶってみたものの。
打開策などあろうはずがない。ショットガンでもあれば少しは違ったかもしれないが、あんなもの触った事も無いし、ましてや射撃の知識も腕も無い。せいぜいエアーガンでサバイバルゴッコが関の山だ。例え都合よくショットガンを持っていたとして、銃火器の実射経験など持っていない太一に、まともに扱える自信は無い。
馬がゆっくりと近付いて来る。
あれだけ隙だらけな歩き方なのに、太一も奏も動く事が出来ない。
あの馬がどれ程の速度で走れるかを、たった今身をもって知ったばかりなのだ。
こちらが背を向けて走り出した瞬間に、あの馬も一気にスピードを上げるだろう。自殺行為に等しいとしか思えず、逃げたいのに逃げれない。
もちろん、ここでただ馬と睨みあっていても事態の好転などありえない。
ただ死の瞬間を先延ばしにしているだけだ。
先ほどと同じ程度まで近づいてきた馬が、そこで歩みを止めた。じっと二人を見据える目は、先ほどのように殺気に染まっているばかりではない。
太一と奏には想像もつかない事だが、馬が抱いているのは嗜虐心。弱いものを虐げて愉悦に浸る、あまり趣味の良いとはいえない感情だ。
そんな事とは露ほども思い至らない太一たちにとっては、ただ恐怖を上塗りされる地獄の時間が続く。
ややあって。
太一は、己の考えを奏に伝えた。
「俺が囮になる。奏はその隙に逃げろ」
「え? ダメよ。何言ってんの、死んじゃうじゃない」
「分かってるんなことは。でもこのままじゃ二人とも死んじまうだろ」
「それは……でもダメよ。囮なら私がやる。太一が逃げて」
「それこそダメだっての。お前、ちょっとは男に華持たせろよ」
「嫌」
「いやって子供じゃねえんだから。じゃあどうすんだよ」
「嫌よ!」
思いのほか強い否定の言葉に、太一は思わず目を見開いて、馬から視線を外した。
奏が、顔を真っ赤にして怒りに顔を染めていた。
怒りを視線と表情で訴えるものの……打開策を口に出来るわけでもない。
ただ精一杯、自分の気持ちを太一に伝える。奏に出来るのはそれだけだ。
「……もう、それしかないんだよ」
分かっている。そんな事は。
どちらかが囮になることで、二人とも死ぬしかない状況から、どちらかは生き残る可能性が出てくるのだから。
お互いに譲れない視線が交錯する中。
ドン、と地面を強く叩く音が、二人の意識をかき乱した。
思わぬ放置プレイを喰らっていた馬が、自分に意識を向けさせるため、大地を叩いたのだ。
どうやらイライラしているらしく、鼻息が荒くなっている。
決断するなら、ここしかない。
「じゃあな、奏」
「あっ」
未だへたり込んでいる親友の頭をぽふぽふと撫でてから、太一は馬に向かって駆け出した。
「こらあ悪趣味な馬野郎! これでも……喰らえっ!!」
走る途中で見つけた石を素早く拾い上げ、その助走でもって思い切り投げつけた。
全力で放った石。元来の運動神経とそのセンスのよさで、野球未経験者にしては見事と言うしかない速度とコントロールで石が飛ぶ。
ガツ、と鈍い音を立てて、石が馬の首元に当たった。
ストライク。
この状況で、我ながら見事だ、と褒めずにはいられない成果だ。
しかし。当然というかなんというか、一切効いた様子は無い。
ちょっとは効いてくれてもいいじゃないか、とごちる。それでも、馬の意識を太一一人に出来たのは狙う最低限の成果。それを達成できただけでもよしとするべきなのだろう。
馬の鋭い目が一直線に太一を睨む。もう五メートルと離れていない。今更ながらに、凄まじいプレッシャーを感じる。
この期に及んで膝が笑っている。
何だかんだ怖いのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だ。
それは偽りの無い本音である。
しかし同時に後悔も無い。
こうする事で、奏が助かるかもしれない。
その可能性に至った瞬間、ずっと考えていたのだ。
後はこいつが、太一をゆっくり味わえばいいだけの話。これ以上は太一の及ぶところでなく、運の要素もかかってくる。SUPER FAT BURNING
もう犀は投げられた。
後は野となれ山となれ、の心構えで、太一はやけっぱちになって叫ぶ。
「オラどうしたクソ馬! とっとと来いよ! その図体は飾りか!?」
人間の言葉を理解するとは思わない。
しかし、言葉のニュアンスからバカにされている事位は理解する知能を持っているのだろう。
腹立たしげにいなないた馬の眼光が一際鋭くなった。
命を賭けて挑んだ『生』への執着。
それが自分のものではなく、大切な親友を想っての行動が幸いしたのか。
天は、太一と奏を見捨てはしなかった。
ゴバッ!!
轟音と共に襲った強烈な突風に、馬がたたらを踏んだ。
太一は抗う事すら出来ずに地面を転がる。
勢力の強い台風の突風が、巨大なトラックを横倒しになぎ払う事故を引き起こすのを太一も知っている。今それに等しい風が馬を襲ったのだ。
そんな強力な風にちっぽけな人間では抵抗など出来るはずも無く、ごろごろと数メートル転がって太一は止まった。
「え……?」
その風が吹いてきたほうを見る。遥か数十メートル離れたところに、三人の人影。そして、そこから一人が猛烈な速さでこちらに迫ってきていた。
「ごらあ! 見つけたぞ馬野郎!!」
腹の底に響く怒声と共に迫ってきたのは、身長二メートルはあるかという大柄な男。
全身を覆う筋肉の鎧と、禿げ上がった頭がこれでもかという位の威圧感を放っている。
一〇秒もかからずに馬の元に辿り着いた大男が、両手で上段に構える巨大な剣を一気に振り下ろす。馬が一歩飛びのくと同時、地面が土を巻き上げて吹き飛んだ。
「急に逃げ出したと思ったら、今度は旅人を襲ってるだあ!? どんだけ節操ねぇんだてめえは!!」
その場に立ったまま、少し離れた場所に立つ馬に向けて剣を振り上げる。その距離では切っ先を精一杯伸ばしても三メートル程届かない。斬撃そのものは目で捉えるのも難しいほどに速く力強いが、無駄ではないか……。
と思ったが、そうでも無かったらしい。剣閃をなぞるように放たれたのは、風圧。馬の右胴が切り裂かれ、血飛沫が舞う。
太一の常識を遥かに超越した場所で行われるありえないやり取り。
驚きすぎてマヌケ面になってしまっているが、本人は気付かない。
大男が再び馬に飛び掛ったところで、ハッとする。大男が太一をちらりと見て、そして視線を更に右に向けた。その視線を追えば、同じく呆然とへたり込んでいる奏の姿。
剣を振るだけでカマイタチのような現象を引き起こせる大男と、小型のバスのような巨大な馬の化け物。
あんなのの闘いに巻き込まれたらひとたまりも無い。思いもよらぬ闖入者に命を救われた太一は、自分の命と引き換えに助けようとした奏の元に近寄る。
「奏っ!」
「太一!」
素早く奏に駆け寄り、その手を引いて立ち上がらせる。そして、二人で大男と化け物馬を見た。
人間離れしたパワーとスピードで、人外の戦いを繰り広げている。見る限り、大男が若干押しているようにも見える。パワーそのものは馬のほうが強いのだろうが、その巨大な身体が災いしている。大男からすれば、でたらめに剣を振っても射程圏内なら当たるような状況だ。事実、致命傷こそ無いものの、馬の身体あちこちから出血しているのが見て取れる。
「誰なの?」
「知らねえよ。でもラッキーだ。離れるぞ、巻き込まれたらヤバい」
返事の代わりに頷いて、太一と奏は走り出す。
その先にはいつの間にいたのか、弓に矢を携えた青年が立っていた。あの大男に比べればひょろい印象を受ける。しかしそれは柔和な顔立ちと温厚そうな表情がそうさせているのだろう。鍛えられた腕を見れば、彼がここに酔狂でいるのではないと教えている。
「良かった、間に合ったね。もう大丈夫だよ」
「あん……貴方は?」
思わず警戒してぶしつけな言葉を使おうとしてしまったが、何とかギリギリで訂正する太一。それを見て、青年は気を悪くした様子も無く、むしろ安堵したように頬を緩めた。
彼にこちらを害す気はなさそうだ。でなければ、矢の先は馬ではなく太一たちを狙っているはずだ。
何より彼は、あの大男と共にいた三人組のうちの一人なのだから。
そんな考えは蜂蜜にガムシロップをミックスして砂糖を振りかけるが如く甘いものだが、今の太一と奏にはそれを知る由は無い。
「僕はあそこの筋肉だるまの仲間さ。信じて、というのも酷だろうけど、君たちをどうにかするつもりはないよ」
「誰が筋肉だるまだこの優男! 聞こえてねぇとでも思ってんのか!?」
青年の思いもよらぬ毒舌と、これだけ距離が開いていて、尚普通の会話を聞き止める大男の聴覚に、太一も奏も驚いた。
愉快げに青年は笑って、弓を引き絞った。
「聞こえるように言ったんだよ。 右八!」
「後で覚えてろ! 任せた!」
詰りながら会話とは器用だな、と思う太一たちの気持ちなど露知らず。青年は少しだけ狙いを定めなおし、矢を放った。
ひう、と空気を裂く音と共に、鏃が銀糸となって空中に線を描く。
矢が放たれてから数えて丁度八秒。矢が、馬の右後ろ足を貫いた。
馬のいななきが、聞いた事も無い悲鳴となった。
途端に遅くなる馬の動き。隙有りとばかりに大男が剣を何度もたたきつける。刃が何度も当たっているのだが、あの毛皮は思った以上に防御力が高いらしく、打撃攻撃になってしまっている。
「やっぱり堅いな黒曜馬は。ミスリルの矢を使って正解だったね」
「こくようば?」
ああ、と青年が頷いた。
「あの化け馬の名前だよ。この近辺では最も凶暴な魔物なんだ。馬のクセに肉食だしね」
あの矢高かったから後で回収しないと―――とごちる青年。どうやら彼にとって……いや、この世界の人々にとっては、それは常識らしい。
しかし。
太一と奏にとっては、聞き流してはならない単語が聞こえたのは気のせいではない。気のせいだと思いたいというのが本音ではあるのだが。
彼は確かに「魔物」と言った。
ゲームや漫画の世界でなら聞きなれた単語。空想の世界に存在する、主人公や物語の世界の人々を虐げる存在。そして時折、人と心を交わして仲良くもなったりする存在。
総じて人間を遥かに上回る身体能力を持ち、高位になれば様々な術を駆使して主人公を苦しめる典型的な障害となる存在だ。
「でも、もう終わりだよ。ほら」
青年の言葉で我に返る。彼の視線は、馬の化け物ではなく―――黒いローブをまとい、杖を掲げている少女へ向いていた。
彼女はそこでなにやら口を小さく動かし続けている。超級脂肪燃焼弾
そして、太一と奏は、自分たちがビックリ箱の中に放り込まれたのだと、今更ながらに思い知った。
少女が杖を天に突き上げると、その先に生まれたのは火の玉。少女の身体ほどもある大きな火の玉はやがて五つに分裂し、そのオレンジ色の輝きを鮮やかに瞬かせている。
「何……あれ……」
奏がやっとの思いで声を振り絞る。
それに対し、青年が不思議そうな顔をした。
「え? 何って魔術だよ。……ああそうか。彼女ほどの魔術師には早々出会えるものでもないからね」
いや、そういう事ではない。
二の句が告げずに唖然とする。
魔物に魔術。
自分達が置かれている状況があまりといえばあまりな事に、もう言葉も無い。
ファンタジーな世界にいるという事実を受け入れきれていない太一と奏のリアクションを、初めて見た強力な魔術に驚いているのだと勘違いした青年が、解説をしてくれた。
「彼女はこの地域では五本の指に入る実力派の魔術師だよ。あ、そうそう。彼女に向かって小さいとかそういう言葉は厳禁だよ。あれでも二五歳だからね」
どうみても小学生にしか見えない。が、もう驚かない。
これまでに突きつけられた事実が想定外過ぎて、見た目と年齢が合致しない、という程度は些細にしか思えなかったからだ。
「……聞こえてる」
「聞こえるように言ったからね」
可憐な声と共にキッと少女……もとい女性が青年を睨むが、彼は肩を竦めてニコニコと受け流すばかりだ。
「黒曜馬の後は……貴方を焼く。こんがり」
「僕を焼いても美味しくないよ。それにホラ。彼らを巻き込んじゃうよ?」
「……ずるい」
「いいから仕事してね」
もう一度青年を睨むと、少女は視線を黒曜馬に戻した。その視線は驚くほど冷徹で、太一と奏はごくりと唾を飲んだ。
『フレイムランス!!』
反響する声と共に、五つの火の玉が槍へと姿を変えた。少女の声を聞いて、大男が思いっきり後ろに跳ぶ。
炎の槍は先ほどの矢に近い速さで飛び……ミスリルの矢で機動力を大幅に削られ、大男の攻撃で体力も奪われていた黒曜馬には避ける術も無かった。
炎の槍は五本とも見事に化け馬の胴に突き刺さり、そして轟音と共に爆発した。
熱をともなった突風が、周囲の草を焼きながら太一と奏を襲った。あまりの威力に唖然とする二人。爆発の余波だけで並の人間なら火傷で死んでしまう。が、そうはならなかった。
青年がどこからか取り出した布で彼らを素早く包むと、その中では驚くほどに熱を感じない。周囲の草を焼くほどの熱なのに、何故なのか。
少し考えて、これは魔法の道具ではないかと思い至る。RPGゲームでも、炎のダメージ軽減や、最高級品では炎のダメージを吸収などの効果がある装備品があった。魔法や魔物がいるこの世界ならば、そんな道具があっても特に不思議ではない。
布をはためかせていた風が収束し、青年が布を取り払った。そこには、消し炭となった化け馬の遺骸と、それを中心に焦げた大地。
太一と奏、後ろの青年を中心にそこだけ残った草から、どれほどの威力だったのかは推して知るべしだ。
炎を防ぐ布に包まれていたのは太一と奏の二人だけだったから、青年はあの熱風をまともに受けたはずだ。それなのに汗ひとつ掻かずに平然としている青年が、ニコニコと笑みを湛えているのが、とても印象的だった。
特に何か変な事にはなっていないらしい。突如襲ってきた不可思議な現象も、どうやら無事に終わったようだ。絶對高潮
恐らくあれはドッキリだったんだろうなあ。流石はテレビ、変なとこに金かけやがる。
太一が現象に対する考察はそんなところだ。一五才の知識と人生経験ではその程度が限界だ。最も、長く生きていれば分かるようなものでも無いのだが。
……そんなことを考えられる程度には冷静になってきた思考。そして、掛けられた重さと温もりに気付く。
それを確かめるべく目を開けると。
目をぎゅっと強く閉じ、制服を握り締めた奏が、太一に寄りかかっていた。
何だか良い香りがする。奏って柔らかいんだなー……等と不謹慎な思考に駈られる彼を責めないで欲しい。太一も健全な男子高校生。思春期真っ只中なのだから。
「……奏?」
太一の声にぴくりと肩を揺らし、恐る恐る目を開ける奏。
これまでに無い至近距離で視線が交わる。
不安げだった奏の表情が、少しずつ驚愕に染まり。
「何どさくさに紛れて抱きついてるのよっ!」
「理不尽ッ!?」
突き飛ばされた。
視界が空転したおかげ?で、赤く染まった奏の頬に気付かなかったのは、幸か不幸か。いつもならそれに突っ込むイケメンは、側にはいない。
その違和感に気付いたのは、お互い以外が視界に飛び込んできたからだ。
「……」
なんだこれは。
そんな一言すら出てこない光景に、言葉を失う太一と奏。
晴れた青空は親しみなれた空そのもの。そこにぽっかりと浮かぶ白い雲もまた然り。
違和感の正体は、三六〇度の大パノラマで広がる光景。
見渡す限り、地平線まで伸びる大草原。
日本に住んでいて、地平線など拝む機会があるだろうか。いや無い。
むしろ、地球上を探したところでこれと同じ光景に出会える地域は一握りだろう。もちろん、太一と奏にはこんな景色に見覚えはない。
これが旅行なら、想定を上回る壮大さに感動で言葉を奪われるだろう。だが今二人が言葉を失っているのは、予想の斜め上を行く展開に思考がストップしてしまっているからだ。
「なあ奏」
「何」
「俺の顔殴ってくれ。どうやら立ったまま寝てるらしい」
「それなら私の頭を先に叩いて。今すぐ起きたいから」
普段の何気ないやり取りも、阻むものの一切無い開けた土地に、吸われて消える。
辺りを一度見渡して気付いてしまっている。ここには、太一と奏しかいないことに。それを認めたら終わりな気がして、二人は再び黙り込んだ。
呆然としたまま顔を落とせば、地面に生える草は見慣れないものばかり。近所の空き地に生える雑草とは毛色が全く違う。土の色は変わらない。が、掘り起こした土の中から顔を見せたのは、凡そ見たこともない虫だった。
太一の脳裏に、考えたくない仮定が生まれる。頭から振り払おうにも、こびりついて離れない。
今の太一は挙動不審そのものだ。いつもならそんな太一にぐだぐだと突っ込みを入れる奏も、気付いていて黙っている。太一の尋常じゃない表情を見てしまったからだろう。
どれだけ、そうしていただろうか。電波など届くはずの無い携帯の時間は、一八時を回っている。約一時間、こうしていたらしい。
「太一」
「ん?」
掛けられた声に思った以上に平静に答えられた自分を心の中で褒める太一。
「座ろう? あそこに良さげな石があるよ」
奏が指す指先を追っていくと、なるほど椅子にするにはちょうど良い石がいくつか。地べたに座っているより余程いいだろう。
側に転がっている学生鞄を拾って、二人並んで歩く。
平素の太一と奏からすれば考えられない程に近い距離感だが、いきなり見知らぬ土地に放り出された不安がそうさせるのだ。またそれを茶化す余裕などあるはずがない。
こんな所でも、一人ではない、というのはかなり頼もしい。二人でいれるからこそ、ここまで落ち着いていられるのだ。
向き合う形で腰を下ろした太一と奏。少しして、奏が太一の横に座り直した。他にも石はいくつかあるのだから、それは不安の現れと言える。そして、そんな事にすら気付けない二人の心理もまた。
「これ、何だと思う?」
太一が切り出した問いに、奏は首を左右に振った。
「分からない。分かりたくもない……」
「そりゃそうだ」
努めて出した明るい声が虚しく散る。
「太一は?」
「え?」
「太一は、どうなの?」
「……」
色々はしょった問い掛けだが、その意図が分からない訳じゃない。
一度小さく吸って吐く。多分だけど、と前置きし、太一は視線を地面に向けた。
「ここは、地球じゃない」
「……」
奏からの返事はない。
それは目を逸らしていた現実。認めてしまえば、もう戻れないような気がして。
しかし、無知な子供の振りで現実逃避は出来ないくらいには、太一も奏も大人に近かった。
「……どうしよう?」
「人、探してみるか」
「見渡す限り草しかないわよ? 宛が外れたら?」
「そこまで責任取れねえよ。ここで待ってて人が一切通らなかったら?」
「……それも責任取れないわね」
留まるのも躊躇われ、動くのも躊躇われる。視界に映る景色はどこまで行っても同じ。地図なんてあるはずもないし、運良く持っていたとして。今どちらを向いているのか、どちらに歩けばいいのか、方角すら分からない。
八方手詰まりである。
何も出来ないという現実を突きつけられ、途方に暮れる太一と奏。こういう時にかけられるのが追い討ち。所謂泣きっ面に蜂である。
がさりと草が揺れる音。そして何だが不穏な気配。振り返った二人が見たのは……鋭く長い牙を生やした、人の倍は背の高い馬だった。
ざり、と前足が地面を掻く。踏ん張る場所を作っているかのような動作。
濃い紫の毛並みはつやつやと太陽の光を反射している。
彼我の距離は凡そ一〇メートル。まだ多少距離はある。
逃げるしかない―――
頭でそう分かっていても、身体が一切言う事をきかない。
「何だ、ありゃ……」
「私に聞くな」
「もしかして、結構ヤバげ?」
「いや……もしかしないでしょ、コレは」
相手からの明らかな害意というものに、太一も奏も今まで触れることなく生きてきた。
今向けられているのは、殺気。捕食者が獲物を狙う目。とでも言えばいいのだろうか。
例えるなら、小型のバス程もある巨大な生き物が、鋭い牙を剥いて剣呑な空気を向けてきている。
そう考えれば、その恐ろしさは少しは伝わるだろう。
ぶるるる―――そんな粗い鼻息が、二人の耳朶を強烈に叩く。
こんな巨大な生き物が、ここまで近づくのに一切気付かないとは。この見晴らしのいい草原で、一体どれだけ注意散漫だったのだろうか。
地球で似たような場所を探すとすれば、アフリカのサバンナが筆頭だ。あそこに生息するライオンやハイエナ、ジャッカルなどの肉食動物の名前は、動物に別段詳しくなくても聞いた事くらいはあるだろう。そして、それがどれほど危険なのかも、体験はしていなくとも知識としては知っていた。
まして、ここは地球じゃない。そういう仮定を否定できなかったはずではないのか。
このような危機が発生する可能性を、考えてしかるべきではなかったのか。
太一は、全く周りが見えていなかったことに舌打ちする。
どう考えてもこれはまずい。
生き延びるビジョンが一切見えてこない。
姿は馬。太一が知る限り、馬は人間とは比べ物にならないほどの長距離を、世界最速の人間の倍に達する速さで走る事が出来る。彼らと張り合うなら最低でも原付バイク。この状況で逃げ切るならオフロードバイクや四駆のSUVが欲しい。どう考えても、徒歩で競っていい相手ではない。美人豹
太一と奏が知る馬よりも明らかに巨大だが、それでも彼らよりは確実に速いだろう。いや、この状況では自分達の常識に囚われるべきではない。
ちらりと横の奏を見る。
最悪、彼女だけでも逃がそうか―――
出た結論は、自分が囮になるという事。
奏を見知らぬ世界に放り出すことになる。
もしかしたら、ここで死んでしまったほうが楽なのかもしれない。
それでも、この親友を死んでも生かす、という気持ちに変わりは無い。
生きてさえいれば、きっと何か救いはあるはずだ。奏は強い。見る限り、今まで出会ってきた女友達の誰よりも。きっと彼女なら、こんな訳の分からない世界でも生き延びてくれるだろう。そして、彼女だけでも、地球に戻れればいい。
そのためにも、まずは時間を稼がなければ。一呑みで終わり、なんてことは無いだろう。太一を捕食している間を使えば、奏は逃げられるはずだ。願わくば、ゆっくり喰ってくれれば。
そこまで考えて、今更ながら身震いした。
踊り食いした事はあるが、される立場になるとは考えていなかった。どのような苦痛が待っているのか、想像すら出来ない。
そのまま、にらみ合うこと数瞬。
太一と奏は動けない。
紫の馬は動かない。
そんなこう着状態の中、太一にははっきりと見えた。馬が両足をぐっと畳み、身体中に力を込めるその瞬間を。
ダウッ!
地面を蹴っただけとは思えないほどの音と共に、馬が一気にトップスピードとなって迫ってきた。
速い。ただの馬とは思えない。
「くそっ!」
太一の行動は、考えてのものじゃなかった。
「うらあああああっ!!」
横で硬直している奏に抱きつき、全ての力を足に込めて思いっきり跳んだ。
奏の色々やわらかいところが太一に密着し、太一の左手は彼女のお尻を思いっきり掴んでいるのだが、この際それを痴漢と責めるのは筋違いだ。当の太一も、そんな感触を楽しむ気持ちは一切無い。
間一髪で飛びのいた場所を馬が高速で駆け抜ける。その余波を受けて、太一と奏は三メートル程転がった。
下が地面で助かった。これがアスファルトだったら……いや、考えるのは止めた。
二〇メートル程走っていって止まった馬が、ゆっくりとこちらに向き直ったからだ。
「た……太一……」
驚きに染まった顔で太一を見上げる奏。震えてはいないようだ。突然の出来事に驚いた、というのが正しいか。
「第一回は凌いだか……さぁて、次はどうするかなぁ?」
余裕ぶってみたものの。
打開策などあろうはずがない。ショットガンでもあれば少しは違ったかもしれないが、あんなもの触った事も無いし、ましてや射撃の知識も腕も無い。せいぜいエアーガンでサバイバルゴッコが関の山だ。例え都合よくショットガンを持っていたとして、銃火器の実射経験など持っていない太一に、まともに扱える自信は無い。
馬がゆっくりと近付いて来る。
あれだけ隙だらけな歩き方なのに、太一も奏も動く事が出来ない。
あの馬がどれ程の速度で走れるかを、たった今身をもって知ったばかりなのだ。
こちらが背を向けて走り出した瞬間に、あの馬も一気にスピードを上げるだろう。自殺行為に等しいとしか思えず、逃げたいのに逃げれない。
もちろん、ここでただ馬と睨みあっていても事態の好転などありえない。
ただ死の瞬間を先延ばしにしているだけだ。
先ほどと同じ程度まで近づいてきた馬が、そこで歩みを止めた。じっと二人を見据える目は、先ほどのように殺気に染まっているばかりではない。
太一と奏には想像もつかない事だが、馬が抱いているのは嗜虐心。弱いものを虐げて愉悦に浸る、あまり趣味の良いとはいえない感情だ。
そんな事とは露ほども思い至らない太一たちにとっては、ただ恐怖を上塗りされる地獄の時間が続く。
ややあって。
太一は、己の考えを奏に伝えた。
「俺が囮になる。奏はその隙に逃げろ」
「え? ダメよ。何言ってんの、死んじゃうじゃない」
「分かってるんなことは。でもこのままじゃ二人とも死んじまうだろ」
「それは……でもダメよ。囮なら私がやる。太一が逃げて」
「それこそダメだっての。お前、ちょっとは男に華持たせろよ」
「嫌」
「いやって子供じゃねえんだから。じゃあどうすんだよ」
「嫌よ!」
思いのほか強い否定の言葉に、太一は思わず目を見開いて、馬から視線を外した。
奏が、顔を真っ赤にして怒りに顔を染めていた。
怒りを視線と表情で訴えるものの……打開策を口に出来るわけでもない。
ただ精一杯、自分の気持ちを太一に伝える。奏に出来るのはそれだけだ。
「……もう、それしかないんだよ」
分かっている。そんな事は。
どちらかが囮になることで、二人とも死ぬしかない状況から、どちらかは生き残る可能性が出てくるのだから。
お互いに譲れない視線が交錯する中。
ドン、と地面を強く叩く音が、二人の意識をかき乱した。
思わぬ放置プレイを喰らっていた馬が、自分に意識を向けさせるため、大地を叩いたのだ。
どうやらイライラしているらしく、鼻息が荒くなっている。
決断するなら、ここしかない。
「じゃあな、奏」
「あっ」
未だへたり込んでいる親友の頭をぽふぽふと撫でてから、太一は馬に向かって駆け出した。
「こらあ悪趣味な馬野郎! これでも……喰らえっ!!」
走る途中で見つけた石を素早く拾い上げ、その助走でもって思い切り投げつけた。
全力で放った石。元来の運動神経とそのセンスのよさで、野球未経験者にしては見事と言うしかない速度とコントロールで石が飛ぶ。
ガツ、と鈍い音を立てて、石が馬の首元に当たった。
ストライク。
この状況で、我ながら見事だ、と褒めずにはいられない成果だ。
しかし。当然というかなんというか、一切効いた様子は無い。
ちょっとは効いてくれてもいいじゃないか、とごちる。それでも、馬の意識を太一一人に出来たのは狙う最低限の成果。それを達成できただけでもよしとするべきなのだろう。
馬の鋭い目が一直線に太一を睨む。もう五メートルと離れていない。今更ながらに、凄まじいプレッシャーを感じる。
この期に及んで膝が笑っている。
何だかんだ怖いのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だ。
それは偽りの無い本音である。
しかし同時に後悔も無い。
こうする事で、奏が助かるかもしれない。
その可能性に至った瞬間、ずっと考えていたのだ。
後はこいつが、太一をゆっくり味わえばいいだけの話。これ以上は太一の及ぶところでなく、運の要素もかかってくる。SUPER FAT BURNING
もう犀は投げられた。
後は野となれ山となれ、の心構えで、太一はやけっぱちになって叫ぶ。
「オラどうしたクソ馬! とっとと来いよ! その図体は飾りか!?」
人間の言葉を理解するとは思わない。
しかし、言葉のニュアンスからバカにされている事位は理解する知能を持っているのだろう。
腹立たしげにいなないた馬の眼光が一際鋭くなった。
命を賭けて挑んだ『生』への執着。
それが自分のものではなく、大切な親友を想っての行動が幸いしたのか。
天は、太一と奏を見捨てはしなかった。
ゴバッ!!
轟音と共に襲った強烈な突風に、馬がたたらを踏んだ。
太一は抗う事すら出来ずに地面を転がる。
勢力の強い台風の突風が、巨大なトラックを横倒しになぎ払う事故を引き起こすのを太一も知っている。今それに等しい風が馬を襲ったのだ。
そんな強力な風にちっぽけな人間では抵抗など出来るはずも無く、ごろごろと数メートル転がって太一は止まった。
「え……?」
その風が吹いてきたほうを見る。遥か数十メートル離れたところに、三人の人影。そして、そこから一人が猛烈な速さでこちらに迫ってきていた。
「ごらあ! 見つけたぞ馬野郎!!」
腹の底に響く怒声と共に迫ってきたのは、身長二メートルはあるかという大柄な男。
全身を覆う筋肉の鎧と、禿げ上がった頭がこれでもかという位の威圧感を放っている。
一〇秒もかからずに馬の元に辿り着いた大男が、両手で上段に構える巨大な剣を一気に振り下ろす。馬が一歩飛びのくと同時、地面が土を巻き上げて吹き飛んだ。
「急に逃げ出したと思ったら、今度は旅人を襲ってるだあ!? どんだけ節操ねぇんだてめえは!!」
その場に立ったまま、少し離れた場所に立つ馬に向けて剣を振り上げる。その距離では切っ先を精一杯伸ばしても三メートル程届かない。斬撃そのものは目で捉えるのも難しいほどに速く力強いが、無駄ではないか……。
と思ったが、そうでも無かったらしい。剣閃をなぞるように放たれたのは、風圧。馬の右胴が切り裂かれ、血飛沫が舞う。
太一の常識を遥かに超越した場所で行われるありえないやり取り。
驚きすぎてマヌケ面になってしまっているが、本人は気付かない。
大男が再び馬に飛び掛ったところで、ハッとする。大男が太一をちらりと見て、そして視線を更に右に向けた。その視線を追えば、同じく呆然とへたり込んでいる奏の姿。
剣を振るだけでカマイタチのような現象を引き起こせる大男と、小型のバスのような巨大な馬の化け物。
あんなのの闘いに巻き込まれたらひとたまりも無い。思いもよらぬ闖入者に命を救われた太一は、自分の命と引き換えに助けようとした奏の元に近寄る。
「奏っ!」
「太一!」
素早く奏に駆け寄り、その手を引いて立ち上がらせる。そして、二人で大男と化け物馬を見た。
人間離れしたパワーとスピードで、人外の戦いを繰り広げている。見る限り、大男が若干押しているようにも見える。パワーそのものは馬のほうが強いのだろうが、その巨大な身体が災いしている。大男からすれば、でたらめに剣を振っても射程圏内なら当たるような状況だ。事実、致命傷こそ無いものの、馬の身体あちこちから出血しているのが見て取れる。
「誰なの?」
「知らねえよ。でもラッキーだ。離れるぞ、巻き込まれたらヤバい」
返事の代わりに頷いて、太一と奏は走り出す。
その先にはいつの間にいたのか、弓に矢を携えた青年が立っていた。あの大男に比べればひょろい印象を受ける。しかしそれは柔和な顔立ちと温厚そうな表情がそうさせているのだろう。鍛えられた腕を見れば、彼がここに酔狂でいるのではないと教えている。
「良かった、間に合ったね。もう大丈夫だよ」
「あん……貴方は?」
思わず警戒してぶしつけな言葉を使おうとしてしまったが、何とかギリギリで訂正する太一。それを見て、青年は気を悪くした様子も無く、むしろ安堵したように頬を緩めた。
彼にこちらを害す気はなさそうだ。でなければ、矢の先は馬ではなく太一たちを狙っているはずだ。
何より彼は、あの大男と共にいた三人組のうちの一人なのだから。
そんな考えは蜂蜜にガムシロップをミックスして砂糖を振りかけるが如く甘いものだが、今の太一と奏にはそれを知る由は無い。
「僕はあそこの筋肉だるまの仲間さ。信じて、というのも酷だろうけど、君たちをどうにかするつもりはないよ」
「誰が筋肉だるまだこの優男! 聞こえてねぇとでも思ってんのか!?」
青年の思いもよらぬ毒舌と、これだけ距離が開いていて、尚普通の会話を聞き止める大男の聴覚に、太一も奏も驚いた。
愉快げに青年は笑って、弓を引き絞った。
「聞こえるように言ったんだよ。 右八!」
「後で覚えてろ! 任せた!」
詰りながら会話とは器用だな、と思う太一たちの気持ちなど露知らず。青年は少しだけ狙いを定めなおし、矢を放った。
ひう、と空気を裂く音と共に、鏃が銀糸となって空中に線を描く。
矢が放たれてから数えて丁度八秒。矢が、馬の右後ろ足を貫いた。
馬のいななきが、聞いた事も無い悲鳴となった。
途端に遅くなる馬の動き。隙有りとばかりに大男が剣を何度もたたきつける。刃が何度も当たっているのだが、あの毛皮は思った以上に防御力が高いらしく、打撃攻撃になってしまっている。
「やっぱり堅いな黒曜馬は。ミスリルの矢を使って正解だったね」
「こくようば?」
ああ、と青年が頷いた。
「あの化け馬の名前だよ。この近辺では最も凶暴な魔物なんだ。馬のクセに肉食だしね」
あの矢高かったから後で回収しないと―――とごちる青年。どうやら彼にとって……いや、この世界の人々にとっては、それは常識らしい。
しかし。
太一と奏にとっては、聞き流してはならない単語が聞こえたのは気のせいではない。気のせいだと思いたいというのが本音ではあるのだが。
彼は確かに「魔物」と言った。
ゲームや漫画の世界でなら聞きなれた単語。空想の世界に存在する、主人公や物語の世界の人々を虐げる存在。そして時折、人と心を交わして仲良くもなったりする存在。
総じて人間を遥かに上回る身体能力を持ち、高位になれば様々な術を駆使して主人公を苦しめる典型的な障害となる存在だ。
「でも、もう終わりだよ。ほら」
青年の言葉で我に返る。彼の視線は、馬の化け物ではなく―――黒いローブをまとい、杖を掲げている少女へ向いていた。
彼女はそこでなにやら口を小さく動かし続けている。超級脂肪燃焼弾
そして、太一と奏は、自分たちがビックリ箱の中に放り込まれたのだと、今更ながらに思い知った。
少女が杖を天に突き上げると、その先に生まれたのは火の玉。少女の身体ほどもある大きな火の玉はやがて五つに分裂し、そのオレンジ色の輝きを鮮やかに瞬かせている。
「何……あれ……」
奏がやっとの思いで声を振り絞る。
それに対し、青年が不思議そうな顔をした。
「え? 何って魔術だよ。……ああそうか。彼女ほどの魔術師には早々出会えるものでもないからね」
いや、そういう事ではない。
二の句が告げずに唖然とする。
魔物に魔術。
自分達が置かれている状況があまりといえばあまりな事に、もう言葉も無い。
ファンタジーな世界にいるという事実を受け入れきれていない太一と奏のリアクションを、初めて見た強力な魔術に驚いているのだと勘違いした青年が、解説をしてくれた。
「彼女はこの地域では五本の指に入る実力派の魔術師だよ。あ、そうそう。彼女に向かって小さいとかそういう言葉は厳禁だよ。あれでも二五歳だからね」
どうみても小学生にしか見えない。が、もう驚かない。
これまでに突きつけられた事実が想定外過ぎて、見た目と年齢が合致しない、という程度は些細にしか思えなかったからだ。
「……聞こえてる」
「聞こえるように言ったからね」
可憐な声と共にキッと少女……もとい女性が青年を睨むが、彼は肩を竦めてニコニコと受け流すばかりだ。
「黒曜馬の後は……貴方を焼く。こんがり」
「僕を焼いても美味しくないよ。それにホラ。彼らを巻き込んじゃうよ?」
「……ずるい」
「いいから仕事してね」
もう一度青年を睨むと、少女は視線を黒曜馬に戻した。その視線は驚くほど冷徹で、太一と奏はごくりと唾を飲んだ。
『フレイムランス!!』
反響する声と共に、五つの火の玉が槍へと姿を変えた。少女の声を聞いて、大男が思いっきり後ろに跳ぶ。
炎の槍は先ほどの矢に近い速さで飛び……ミスリルの矢で機動力を大幅に削られ、大男の攻撃で体力も奪われていた黒曜馬には避ける術も無かった。
炎の槍は五本とも見事に化け馬の胴に突き刺さり、そして轟音と共に爆発した。
熱をともなった突風が、周囲の草を焼きながら太一と奏を襲った。あまりの威力に唖然とする二人。爆発の余波だけで並の人間なら火傷で死んでしまう。が、そうはならなかった。
青年がどこからか取り出した布で彼らを素早く包むと、その中では驚くほどに熱を感じない。周囲の草を焼くほどの熱なのに、何故なのか。
少し考えて、これは魔法の道具ではないかと思い至る。RPGゲームでも、炎のダメージ軽減や、最高級品では炎のダメージを吸収などの効果がある装備品があった。魔法や魔物がいるこの世界ならば、そんな道具があっても特に不思議ではない。
布をはためかせていた風が収束し、青年が布を取り払った。そこには、消し炭となった化け馬の遺骸と、それを中心に焦げた大地。
太一と奏、後ろの青年を中心にそこだけ残った草から、どれほどの威力だったのかは推して知るべしだ。
炎を防ぐ布に包まれていたのは太一と奏の二人だけだったから、青年はあの熱風をまともに受けたはずだ。それなのに汗ひとつ掻かずに平然としている青年が、ニコニコと笑みを湛えているのが、とても印象的だった。
2012年9月7日星期五
チラリズム
ベルンハルト三世は書類の山に印を押し続けていた。
さもなくば国家運営に支障をきたすものばかりだった。
貴族同士の揉め事の調停、堤防作りの許可、関税をめぐってのホルディアとの交渉……国王の判断が必要な案件に小さいものなどないが、最近で一番大きいものは国賓魔術師マリウス=トゥーバンに関する事だった。
文章では様々な表現を用いているが、早くお披露目をやれと強硬的な色が強い国が多かった。
(ワイバーンの群れを蹴散らしたなど、半信半疑なのであろうな)
伝説の英雄と語り継がれている者達に匹敵する実力者。
人間の歴史とは不思議なもので、数百年に一度くらいの割合でそういった者は登場している。
その事を知らぬ者は各国の上層部にいるはずがないのに、いざ自分達の番となったら誰も簡単には信じようとしないのだ。Motivator
そんな人のあり方に滑稽さを感じつつも、ベルンハルト三世は無理からぬ事だとも考えていた。
彼自身、実際に目で見ていなければ信じていたとは思えない。
他国の外交戦略ではないかと疑っていた可能性の方が遥かに高かった。
規格外の存在は滅多に現れないから規格外なのだが、滅多に現れないからなかなか信じられないのだ。
しかしマリウスというカードはフィラートにとって両刃の剣に等しい。
諸外国への牽制になる反面、手を組む為の要因にもなり得る。
気をつけねばマリウスだけ生き残ってフィラートは滅ぶ、という事にもなりかねない。
ベルンハルト三世はその事を充分考慮した上でマリウスの取り込みを図ったのだ。
マリウスを有効利用する為の一番は娘、ロヴィーサとの婚姻である。
幸いにもマリウスは「ロヴィーサが気に入ったらしい」とエマから報告を受けているし、彼自身同意見だった。
最悪の可能性はこの国を貪り尽くす寄生虫と変貌する事であったが、今のところそんな素振りは見られない。
そしてロヴィーサへの態度を見れば一目瞭然と言えた。
本人は隠せているつもりのようだし、今の段階だと大貴族がうるさいので迂闊に口に出来ないが。
ベルンハルト三世は印を押し続けながらうるさい大貴族について考える。
隣国のランレオと違い、立派な功績をあげれば誰でも貴族になれるのがこの国の習わしである。
しかしクーパー公爵家のように伝統と歴史と血統を重んじる、と言うよりも固執する大貴族はいくつか存在する。
この手の家に限って豊富な財力と人脈を持っているので厄介だった。
だが一番面倒なのは、この連中の愛国心が本物だという事だ。
何かにつけて伝統や血統について口にし、場合によっては王家にも異を唱える事は辞さない輩の集まりだが、フィラートという国への想いは誰にも負けていない。
彼らは建国王初代ベルンハルトを心の底から敬慕しているし、自分達の祖先がその助けをした事を何より誇りに思っている。
敵対国であるランレオはフィラートと違ってアドラー家当主以外は血統を重んじる国風だから、彼らのような人間は上手くやれただろうに。
(全く、世の中とはままならぬものだ)
ため息をこぼしつつ印を押す。
マリウスというカードを効果的に切る機会について考える。
アイテム袋の再開発に挑戦したいと言ってると聞いたので許可を出しておいたが、そんな簡単に出来るものなのだろうか。
一瞬浮かんだ考えをすぐに打ち消した。
ワイバーンの群れとて簡単に倒せる存在ではないし、ルーカス、ニルソンだって人間ならば簡単に勝てる相手ではないはずだ。
(マリウスにはあらゆる常識は通じんと見ておいた方がいい……)
そう思ってはいても何かにつけて常識的な考えが浮かんでしまうのが、人間という生き物の悲しさなのかもしれない。
と考えていると扉を遠慮がちに叩く音が聞こえた。
「入れ」
単調な作業の繰り返しにいささか飽きがきていたので、ベルンハルト三世は気分転換になる事を期待して即座に入室許可を出した。
「失礼いたします」
一礼して入室してきたのは侍従の一人と、アイテム袋開発に取り組んでいるはずのマリウスだった。
(何事だ? まさかもう成功したのか?)
ベルンハルト三世にとってはそれが一番非常識な事だった。
一礼して去る侍従を尻目に早速問い質すと、何とヌンガロに魔法を込めたら破砕してしまうという。
あまりにも信じがたい事だったが、目の前で実際に見せられると信じるしかなかった。
(あ、ありえんだろう……)
ヌンガロを破壊するのは不可能でないと歴史が証明している。
しかし、それはあくまでも破壊する為の攻撃魔法を浴びたらのはずだ。
その前提条件を根本から覆す存在が目の前にいた。
「レイモンド殿からうかがったのですが、ヌーグというものの製造を国家事業で行っているとか」
製造に携わりたいという申し出にベルンハルト三世は考え込んだが、それはほんの二秒程度の事だった。
ヌーグ製造は国家事業の柱の一つであるが、だからこそマリウスの参加には意義が見い出せると判断したのだ。
「許可しよう。マリウス殿が作るなら一際丈夫なヌンガロが出来るかもしれぬ」
ヌーグは約一か月をかけてじっくり魔法をしみこませ、ヌンガロへと仕上げていく。
この工程で生地の魔法抵抗力は落ちてしまうのだが、その分魔法を付加させやすくなるのだ。
マリウスの超常的な魔法威力なら一日程度にまで短縮出来るかもしれないし、より丈夫なものが出来るかもしれない。蒼蝿水(FLY D5原液)
そうなると利益も大きくなる。
ヌーグすら破砕してしまうのであればお手上げなので、若干の不安は残るのだが。
「ありがとうございます」
「仮にしくじったところで問題はあるまい。ヌーグすら破砕してしまうのはさすがに困るがな」
ヌーグはその性質故に対魔法防御素材として重宝され、フィラートの特産品の一つに数えられる。
例えマリウスには効果がないにせよ。
「気をつけます」
とマリウスは冗談と受け取れないような事を言ってから退出しようとした。
ベルンハルト三世はそこを呼び止め、気になっていた点について尋ねた。
「マリウス殿、婦人達からお誘いでもあったかな」
マリウスの体からわずかではあるが、複数の香水の匂いが漂っている事をベルンハルト三世は気づいていたのだ。
マリウスは頷くと簡単に事態の説明をした。
「なるほど、離間の計にしては稚拙すぎるが、それでもそんな狙いを持った者達がいるのは理解した」
危うく引っかかるところでした、と苦笑するマリウスにベルンハルト三世は不安を覚えた。
散々注意したはずなのに、という思いはぐっと堪えた。
「マリウス殿が知らぬのは無理ないが、一度に複数の女性に親愛表現を返すのは最悪の一手だぞ。貴族階級相手では特にな」
予想外の言葉にマリウスは目を白黒させる。
ボロを出さぬようにあまり人と接触してこなかったし、エマとロヴィーサはそういう事を教えるのは後回しにしてきたのだろう。
それらが裏目に出た事にマリウスは気づいたのだ。
そんな様子を見た国王は小さく唸った。
(マリウスがこの国の風習をまだ十全に理解してないと見ての手。となるとバーナードやアシュトンではあるまい。恐らくはウィルスンあたりか)
貴族娘達は何も知らず、マリウスという男と親交を持てたら将来は明るいと吹き込まれただけだろう。
何一つ嘘は言っていない。
ベルンハルト三世が知っている限り、ウィルスンとはそういう男である。
「気をつけていても知識がなければ対処出来ない。そんな攻め方をしてくるとみるべきであろうな」
「とすると下手したら、先程のは私がどの程度風習を理解しているか、様子見にすぎないという可能性も?」
「その通りだ。むしろそちらの方が可能性が高いな」
頭の回転は遅くないのだな、と思いながらベルンハルト三世は頷いた。
沈黙が二人の間を訪れる。
ターリアント語の習得が遅れていれば、それはそれでマリウスが侮られる事になっていたのは火を見るより明らかだ。
(どうするか……風習に関する説明を急がせるか?)
急いで詰め込んだところでどの程度覚えられるか不明だが、そこは二週間前後でターリアント語を習得したマリウスの能力にかけるしかないか。
そう結論を出す直前、マリウスがふと提案してきた。
「あの、遠慮しなくていいのならば、何とかなるかもしれませんが」
「遠慮……? どういう意味かな?」
マリウスが周囲に遠慮した生活をしているのは百も承知だが、どういう意図で言い出したのかとっさに把握出来なかった。
「魔法を使えば相手の狙いなどを読めるのですよ。ご婦人方などでしたら、こっそりと発動させれば」
「ま、まさか……」
ベルンハルト三世は自身の声が震えるのを自覚した。
心臓の鼓動が大きくなり、悪寒が走る。
それなのに汗は止まらない。
マリウスが言いたい事を理解したが為に。
「まさか……まさか、使えるのか? サイコメトリーを……」
最早伝説の彼方に消えたとされる精神系魔法「サイコメトリー」。
かのクラウス=アドラーさえ使えなかったという、ある意味で禁断の魔法。
ベルンハルト三世は何度も生唾を飲み込みながら、恐る恐ると切り出した。
「ええ。後、リードシンクもです。言う機会がなかったので黙っていたのですが」
サイコメトリーは物体はもちろん、人の過去さえ探れる恐るべきの魔法だ。levitra
同等の効果を持つ「月女神の涙」を所有しているからこそ、ベルンハルト三世はその凶悪な威力を知悉している。
そして特級魔法「リードシンク」は人間ではかの「賢者」メリンダ=ギルフォードしか使えなかったという、伝説を超えた神話クラスの魔法。
相手の思考を読み取れるという、まさに神の力のような魔法だった。
魔法は術者の力量で効力は変わる。
すなわち、マリウスがその気になれば誰も隠し事は出来ないという事だ。
マリウスが嘘をついているという風にはとても見えない。
何をそんなに驚いているのか、という顔をしているからだ。
だが、一国の王の矜持として他人の言葉を丸呑みにする訳にもいかない。
「マリウス殿、もしよければ余が何を考えているのか試しに読んではくれぬか」
出来ればあまり強力な効果がなければいいという、ベルンハルト三世のささやかな願いは一瞬で潰えた。
「えと。私を上手い具合に利用して、大貴族の力を削ぐ。出来ればロヴィーサ様と結婚して欲しい。強硬姿勢を取ってきている諸外国への対抗にもなってもらえればありがたい。それから……」
「もういい!」
ほとんど悲鳴に近い絶叫で、続きを制止する。
ベルンハルト三世はマリウスがいかにこちらに気を遣っていて、仲よくしようとする意志を持っていたのかを思い知った。
上手い具合に利用していこうという野心は木端微塵に砕け散り、是が非でも仲よくしてもらわねば、と哀願する気持ちでいっぱいになっていた。
「リードシンク」ならば別にマリウスに悪意も敵意も持っていない事も分かったはずだ、というのがベルンハルト三世にとっての救いだった。
マリウスの態度が魔法を使う前と少しも変わっていないのを見てとり、自分の考えが間違えてはいないと確信した。
荒くなった息を必死で整えようとする。
そしてそんな一国の王をマリウスは半ば同情を込めて見ていた。
(やっぱり精神系魔法を使えるって言ったのは失敗だったかな。でも他に対策なんて思いつかんし、いつかはバレていただろうし……)
精神魔法はどちらかと言えばおまけ扱いに近くて、ゲームでもあまり人気はなかった。
そうでなくても自分の過去を見通せる魔法など、薄気味悪いという認識でもおかしくない。
(洗脳魔法も使えるって言ったら心臓麻痺起こしそうだな)
マリウスは冗談抜きにして思った。
「マリウス殿。出来れば自衛行為以外で使用するのは慎んでいただきたいのだが……」
恐る恐る、懇願するような目で見てきた王を安心させようと大きく頷いた。
「元よりそのつもりです。仲よく出来そうな方には使う必要を感じません」
露骨に胸をなでおろした王に一礼し、マリウスは退出した。
ある程度の信頼関係は築けているのだった。福源春
さもなくば国家運営に支障をきたすものばかりだった。
貴族同士の揉め事の調停、堤防作りの許可、関税をめぐってのホルディアとの交渉……国王の判断が必要な案件に小さいものなどないが、最近で一番大きいものは国賓魔術師マリウス=トゥーバンに関する事だった。
文章では様々な表現を用いているが、早くお披露目をやれと強硬的な色が強い国が多かった。
(ワイバーンの群れを蹴散らしたなど、半信半疑なのであろうな)
伝説の英雄と語り継がれている者達に匹敵する実力者。
人間の歴史とは不思議なもので、数百年に一度くらいの割合でそういった者は登場している。
その事を知らぬ者は各国の上層部にいるはずがないのに、いざ自分達の番となったら誰も簡単には信じようとしないのだ。Motivator
そんな人のあり方に滑稽さを感じつつも、ベルンハルト三世は無理からぬ事だとも考えていた。
彼自身、実際に目で見ていなければ信じていたとは思えない。
他国の外交戦略ではないかと疑っていた可能性の方が遥かに高かった。
規格外の存在は滅多に現れないから規格外なのだが、滅多に現れないからなかなか信じられないのだ。
しかしマリウスというカードはフィラートにとって両刃の剣に等しい。
諸外国への牽制になる反面、手を組む為の要因にもなり得る。
気をつけねばマリウスだけ生き残ってフィラートは滅ぶ、という事にもなりかねない。
ベルンハルト三世はその事を充分考慮した上でマリウスの取り込みを図ったのだ。
マリウスを有効利用する為の一番は娘、ロヴィーサとの婚姻である。
幸いにもマリウスは「ロヴィーサが気に入ったらしい」とエマから報告を受けているし、彼自身同意見だった。
最悪の可能性はこの国を貪り尽くす寄生虫と変貌する事であったが、今のところそんな素振りは見られない。
そしてロヴィーサへの態度を見れば一目瞭然と言えた。
本人は隠せているつもりのようだし、今の段階だと大貴族がうるさいので迂闊に口に出来ないが。
ベルンハルト三世は印を押し続けながらうるさい大貴族について考える。
隣国のランレオと違い、立派な功績をあげれば誰でも貴族になれるのがこの国の習わしである。
しかしクーパー公爵家のように伝統と歴史と血統を重んじる、と言うよりも固執する大貴族はいくつか存在する。
この手の家に限って豊富な財力と人脈を持っているので厄介だった。
だが一番面倒なのは、この連中の愛国心が本物だという事だ。
何かにつけて伝統や血統について口にし、場合によっては王家にも異を唱える事は辞さない輩の集まりだが、フィラートという国への想いは誰にも負けていない。
彼らは建国王初代ベルンハルトを心の底から敬慕しているし、自分達の祖先がその助けをした事を何より誇りに思っている。
敵対国であるランレオはフィラートと違ってアドラー家当主以外は血統を重んじる国風だから、彼らのような人間は上手くやれただろうに。
(全く、世の中とはままならぬものだ)
ため息をこぼしつつ印を押す。
マリウスというカードを効果的に切る機会について考える。
アイテム袋の再開発に挑戦したいと言ってると聞いたので許可を出しておいたが、そんな簡単に出来るものなのだろうか。
一瞬浮かんだ考えをすぐに打ち消した。
ワイバーンの群れとて簡単に倒せる存在ではないし、ルーカス、ニルソンだって人間ならば簡単に勝てる相手ではないはずだ。
(マリウスにはあらゆる常識は通じんと見ておいた方がいい……)
そう思ってはいても何かにつけて常識的な考えが浮かんでしまうのが、人間という生き物の悲しさなのかもしれない。
と考えていると扉を遠慮がちに叩く音が聞こえた。
「入れ」
単調な作業の繰り返しにいささか飽きがきていたので、ベルンハルト三世は気分転換になる事を期待して即座に入室許可を出した。
「失礼いたします」
一礼して入室してきたのは侍従の一人と、アイテム袋開発に取り組んでいるはずのマリウスだった。
(何事だ? まさかもう成功したのか?)
ベルンハルト三世にとってはそれが一番非常識な事だった。
一礼して去る侍従を尻目に早速問い質すと、何とヌンガロに魔法を込めたら破砕してしまうという。
あまりにも信じがたい事だったが、目の前で実際に見せられると信じるしかなかった。
(あ、ありえんだろう……)
ヌンガロを破壊するのは不可能でないと歴史が証明している。
しかし、それはあくまでも破壊する為の攻撃魔法を浴びたらのはずだ。
その前提条件を根本から覆す存在が目の前にいた。
「レイモンド殿からうかがったのですが、ヌーグというものの製造を国家事業で行っているとか」
製造に携わりたいという申し出にベルンハルト三世は考え込んだが、それはほんの二秒程度の事だった。
ヌーグ製造は国家事業の柱の一つであるが、だからこそマリウスの参加には意義が見い出せると判断したのだ。
「許可しよう。マリウス殿が作るなら一際丈夫なヌンガロが出来るかもしれぬ」
ヌーグは約一か月をかけてじっくり魔法をしみこませ、ヌンガロへと仕上げていく。
この工程で生地の魔法抵抗力は落ちてしまうのだが、その分魔法を付加させやすくなるのだ。
マリウスの超常的な魔法威力なら一日程度にまで短縮出来るかもしれないし、より丈夫なものが出来るかもしれない。蒼蝿水(FLY D5原液)
そうなると利益も大きくなる。
ヌーグすら破砕してしまうのであればお手上げなので、若干の不安は残るのだが。
「ありがとうございます」
「仮にしくじったところで問題はあるまい。ヌーグすら破砕してしまうのはさすがに困るがな」
ヌーグはその性質故に対魔法防御素材として重宝され、フィラートの特産品の一つに数えられる。
例えマリウスには効果がないにせよ。
「気をつけます」
とマリウスは冗談と受け取れないような事を言ってから退出しようとした。
ベルンハルト三世はそこを呼び止め、気になっていた点について尋ねた。
「マリウス殿、婦人達からお誘いでもあったかな」
マリウスの体からわずかではあるが、複数の香水の匂いが漂っている事をベルンハルト三世は気づいていたのだ。
マリウスは頷くと簡単に事態の説明をした。
「なるほど、離間の計にしては稚拙すぎるが、それでもそんな狙いを持った者達がいるのは理解した」
危うく引っかかるところでした、と苦笑するマリウスにベルンハルト三世は不安を覚えた。
散々注意したはずなのに、という思いはぐっと堪えた。
「マリウス殿が知らぬのは無理ないが、一度に複数の女性に親愛表現を返すのは最悪の一手だぞ。貴族階級相手では特にな」
予想外の言葉にマリウスは目を白黒させる。
ボロを出さぬようにあまり人と接触してこなかったし、エマとロヴィーサはそういう事を教えるのは後回しにしてきたのだろう。
それらが裏目に出た事にマリウスは気づいたのだ。
そんな様子を見た国王は小さく唸った。
(マリウスがこの国の風習をまだ十全に理解してないと見ての手。となるとバーナードやアシュトンではあるまい。恐らくはウィルスンあたりか)
貴族娘達は何も知らず、マリウスという男と親交を持てたら将来は明るいと吹き込まれただけだろう。
何一つ嘘は言っていない。
ベルンハルト三世が知っている限り、ウィルスンとはそういう男である。
「気をつけていても知識がなければ対処出来ない。そんな攻め方をしてくるとみるべきであろうな」
「とすると下手したら、先程のは私がどの程度風習を理解しているか、様子見にすぎないという可能性も?」
「その通りだ。むしろそちらの方が可能性が高いな」
頭の回転は遅くないのだな、と思いながらベルンハルト三世は頷いた。
沈黙が二人の間を訪れる。
ターリアント語の習得が遅れていれば、それはそれでマリウスが侮られる事になっていたのは火を見るより明らかだ。
(どうするか……風習に関する説明を急がせるか?)
急いで詰め込んだところでどの程度覚えられるか不明だが、そこは二週間前後でターリアント語を習得したマリウスの能力にかけるしかないか。
そう結論を出す直前、マリウスがふと提案してきた。
「あの、遠慮しなくていいのならば、何とかなるかもしれませんが」
「遠慮……? どういう意味かな?」
マリウスが周囲に遠慮した生活をしているのは百も承知だが、どういう意図で言い出したのかとっさに把握出来なかった。
「魔法を使えば相手の狙いなどを読めるのですよ。ご婦人方などでしたら、こっそりと発動させれば」
「ま、まさか……」
ベルンハルト三世は自身の声が震えるのを自覚した。
心臓の鼓動が大きくなり、悪寒が走る。
それなのに汗は止まらない。
マリウスが言いたい事を理解したが為に。
「まさか……まさか、使えるのか? サイコメトリーを……」
最早伝説の彼方に消えたとされる精神系魔法「サイコメトリー」。
かのクラウス=アドラーさえ使えなかったという、ある意味で禁断の魔法。
ベルンハルト三世は何度も生唾を飲み込みながら、恐る恐ると切り出した。
「ええ。後、リードシンクもです。言う機会がなかったので黙っていたのですが」
サイコメトリーは物体はもちろん、人の過去さえ探れる恐るべきの魔法だ。levitra
同等の効果を持つ「月女神の涙」を所有しているからこそ、ベルンハルト三世はその凶悪な威力を知悉している。
そして特級魔法「リードシンク」は人間ではかの「賢者」メリンダ=ギルフォードしか使えなかったという、伝説を超えた神話クラスの魔法。
相手の思考を読み取れるという、まさに神の力のような魔法だった。
魔法は術者の力量で効力は変わる。
すなわち、マリウスがその気になれば誰も隠し事は出来ないという事だ。
マリウスが嘘をついているという風にはとても見えない。
何をそんなに驚いているのか、という顔をしているからだ。
だが、一国の王の矜持として他人の言葉を丸呑みにする訳にもいかない。
「マリウス殿、もしよければ余が何を考えているのか試しに読んではくれぬか」
出来ればあまり強力な効果がなければいいという、ベルンハルト三世のささやかな願いは一瞬で潰えた。
「えと。私を上手い具合に利用して、大貴族の力を削ぐ。出来ればロヴィーサ様と結婚して欲しい。強硬姿勢を取ってきている諸外国への対抗にもなってもらえればありがたい。それから……」
「もういい!」
ほとんど悲鳴に近い絶叫で、続きを制止する。
ベルンハルト三世はマリウスがいかにこちらに気を遣っていて、仲よくしようとする意志を持っていたのかを思い知った。
上手い具合に利用していこうという野心は木端微塵に砕け散り、是が非でも仲よくしてもらわねば、と哀願する気持ちでいっぱいになっていた。
「リードシンク」ならば別にマリウスに悪意も敵意も持っていない事も分かったはずだ、というのがベルンハルト三世にとっての救いだった。
マリウスの態度が魔法を使う前と少しも変わっていないのを見てとり、自分の考えが間違えてはいないと確信した。
荒くなった息を必死で整えようとする。
そしてそんな一国の王をマリウスは半ば同情を込めて見ていた。
(やっぱり精神系魔法を使えるって言ったのは失敗だったかな。でも他に対策なんて思いつかんし、いつかはバレていただろうし……)
精神魔法はどちらかと言えばおまけ扱いに近くて、ゲームでもあまり人気はなかった。
そうでなくても自分の過去を見通せる魔法など、薄気味悪いという認識でもおかしくない。
(洗脳魔法も使えるって言ったら心臓麻痺起こしそうだな)
マリウスは冗談抜きにして思った。
「マリウス殿。出来れば自衛行為以外で使用するのは慎んでいただきたいのだが……」
恐る恐る、懇願するような目で見てきた王を安心させようと大きく頷いた。
「元よりそのつもりです。仲よく出来そうな方には使う必要を感じません」
露骨に胸をなでおろした王に一礼し、マリウスは退出した。
ある程度の信頼関係は築けているのだった。福源春
2012年9月5日星期三
ステラ、決する
「なん、だと!?」
一度下がった剣士が輝きを纏って戻ってきた。
牽制でイオが放った一撃を明らかに先程までとは違う速度を持ってかわし、そのまま走りがけに脇腹にその剣が走る。SPANISCHE FLIEGE D6
腹筋を締め、何度も弾いたようにやり過ごす筈の一撃は、しかし鮮やかに巨人の身を斬り裂き、血を流させた。
「斬れる!」
「ナバール、どんな魔法よそれ!私も後ろ行ってもらってくる!」
「ははは、響それは無理だ。これには特殊な触媒がいるからな!ここは大人しく私の援護をしておけ!」
響が後ろに行こうとするのをナバールは止める。
「うううう、そんな奥の手があるなら早く使いなさいよ!!キラキラしてて何か綺麗だし~」
「どんどん行くぞイオ!」
元々、速さではナバールが圧倒している。流麗な体術で硬質化された身を自在に使うのがイオの戦法とは言え、サイズの違うヒューマンで速さも優れる彼女が相手では完全な回避など出来ない。攻撃が確実にダメージに繋がるならこれまでの図式は反転する。
付かず離れずの距離を保って徹底的に魔将イオにまとわりつきながら次々に斬りつける一方的な展開だった。
響にまで手が回らず彼女は攻撃し放題、ナバールを追うもそのスピードに翻弄されて何度となく斬りつけられていた。
治っていくよりも、傷が深く残っていく。但しこのままでは致命傷には至らない。最初につけた脇腹はもう癒えてしまっているし、狙うとしたら失血による戦闘力低下までになる。流石に首や胸、腹などは中々狙わせてもらえない。
響の攻撃も両手持ちで浅く引き斬る、筋肉で止められない攻撃に切り替えている。裂くことを目的にして先の二の舞にならないよう留意している。
だがその展開の中、攻撃をパリィすることも受け止めることもほぼ無くなった騎士が一人、呆然とした顔で戦況を見ていた。
「……あれは、ローズサイン?嘘だろう?どうして、彼女にあんな……」
何かに気付いたのかベルダは後方のウーディを振り返る。
彼の王子たる地位を知るウーディは問い詰めるようなベルダの行動に目を逸らすことしか出来なかった。
ウーディ以外の仲間は知らない、ベルダの王子たる地位。それ故に彼は普通の人の知らない特殊な情報に触れる機会も多い。その中に今、有利を作り出しているナバールの変化の原因があった。
薔薇の欠片(ローズサイン)。
見た目はコイン程度の大きさの土くれ。実際には凄まじい効力を持つマジックアイテムの一つ。
使い捨てで、使用すると首筋に真紅の薔薇を模した紋様が浮かぶ。名前の由来でもある。
効果は単純。生命の根源を糧にして力を無理矢理に引き出す。生まれてから死ぬまでにゆっくりと消耗していく、決して回復しない力を貪るように食い散らかし、使用者に限界を超えた力を与える。
効果時間はその者が死ぬまで。決して長い時間ではない。つまり、使用者は決して現状で得られない力を得る代わりに死を決定付けられる。
「あんなもの、策だって?ナバール、貴女は……」
純粋な剣士である彼女に発動させることは出来ない。ベルダにはそこまでわかっている。ウーディかチヤが協力したのだということにも考えが至る。
(恐らくはウーディ。チヤだったらあんなにはしゃいで応援はしないだろう。あいつ、響殿と俺を守る為とでも言う心算か!?)
確かに状況は誰の犠牲も無く乗り切れる局面では無かった。
だが責任全てを一人に背負わせて死を強制するなどベルダには到底容認できない。地位を偽り騎士として一行に加わる彼は、王族として持つべき考え方をまだ完全に身につけてはいない。犠牲は時に必要になるという事実は政治において避けては通れないもの。
実際、ローズサインの効果は絶大だ。現状においてもあれだけ苦戦していたイオも防戦一方になったし、かつては四倍の祝福をハンデにして一騎打ちに勝った逸話まである。
「あ、ナバール!駄目、その攻撃はっ」
響の注意が彼女に届いたかどうか。空中に跳ね上がったナバールが剣を真っ直ぐ振り下ろし魔将の腕を捕らえ、そして剣は腕の半ばまで進んで、止まる。
「もらったぞ!」
イオが剣を食い込ませた腕を締め、反対の腕で強烈なアッパーをナバールに放つ。
「まだだ!!」
空中で右手で振った剣の背に左腕を置き身を預けるように力を加える。一度は半ばで止まった剣がイオの体を蹴って加速した彼女の勢いを加えられ骨を、残りの肉を断ち切った。
迫る下からのアッパーに、何と拳に足をかけて加えられた力の方向に自ら飛んで威力を殺すナバール。
腕を飛ばされて悲鳴一つあげず、拳も止めなかったイオ。しかしながら見てわかる程に汗を流していて、地に落ちた己が腕を見てようやく表情を歪ませる。
これまでで一番の血飛沫が起きる。
「恐ろしいな、白い女。ナバールと言ったか。攻撃が来るとわかって、それでも貪欲に腕を取りにくるとは。しかも私の拳を蹴って威力を殺す。剣の鬼か、お前は」
「魔将に鬼と呼ばれるか。悪くないな。腕の斬り方はわかった。防ぐ腕が無くなれば首も撥ね易い」
不敵に笑い、血の付いた剣を払う。最早剣まで淡い輝きが包み、彼女が内から放つ白いオーラはどんどん強くなっていく。輝くオーラは端々で鱗粉が舞い散るように消えていく。
「人の世にも私の知らぬ魔法があるのだな。正直、心底驚いている」
「何、私も驚いているよ。こうまでしても圧倒は出来ない貴様の力にな。流石は四つの腕の巨人族。私達でいう天才か」
「……私は元々二つの腕しかない普通のギガントだよ。お前が今落としたのは本来の私の腕ではないのさ」
イオはナバールからの賞賛に語って返す。
「蜘蛛に襲われた時、私は親友を救えなかった。満身創痍で撃退した後、残った奴の腕を持ち帰り、私は自分に移植した。上手く動くようになるまでも相当な時間を要したがな」
「それは、失礼。済まないが終わりにさせてもらうぞ、お前の他に女狐とかもいるんだろう?四人の魔将最弱で貴様なんだ。手間取っていられん」
ナバールの体から出る光がピークを超えて少しずつ弱まっている。
自覚があるのか無いのか、彼女は再び攻撃を始める。
「私が最弱?ふむ、君達はどうも妙な固定観念でもあるようだな。どうして弱い将軍から戦線に出るのだ。私は戦闘であれば魔将で最強だ。一対一で私に勝てる魔将などいない」
ナバールの猛攻に、イオは防御する場所を限定して硬質化を高めたのか傷を少しずつ浅く済ませている。そこら中から血が吹き出る光景は、イオの劣勢が続くかに見えるが現状は少し彼が立て直しつつある。SPANISCHE FLIEGE D5
「それは、朗報だな!貴様を討てば我らは大きく前進できる!!」
最強の言葉に怯むことも無い。ナバールは全力で魔将イオを討ちにかかる。
拳の連撃を捌きながら、剣を手にした腕に力を込めて少しずつ全力の一撃に適した間合いに体を移動させていく。
その作業の最中、ナバールは一度ステップで身を翻す。約束組手の如く、イオの目論見通りに動かされている感覚を覚え、嫌ったからだった。
(いけない!ナバールは、気づいていない!?)
その一連の攻防を複雑な気持ちで見ていたベルダはナバールの様子から次の魔将の攻撃に彼女が対応できないかもしれないと危惧する。
ベルダは攻撃を受ける機会が多いからか、相手の呼吸を読む事に優れていた。
今回はナバールが流れを嫌って下がることまでイオが含んで動いていた。
「っ、蹴り!?」
そう。イオはこれまでで一度も使ってこなかった蹴りを攻撃に入れてきた。
拳よりも間合いは広く、ナバールがいる場所は安全圏ではない。射程圏内である。
間合いの外に逃れたという意識の空白に巨体に似合わない十分に速度の乗った蹴り。回避は無理だ。
「油断はいかんな!」
「まったくだ!」
放たれた蹴りに横から突っ込む影が一つ。
イオの思惑に気付いたベルダがフォローに動いた。真正面からでは防御は危険な一撃だが、蹴り足を横から攻撃してずらす位なら何とか叶う。ベルダの判断は正しかった。
思わぬ障害に蹴りの方向がずれ、当然体全体もバランスを崩してしまう。ナバールの目が攻め時に輝く。
「殺った!!」
イオの足と入れ替わりに彼に迫るナバール。光の粉を散らしながらの所作は全てが舞いの如く美しい。
彼女の狙いを正確に読み取ったイオは体を支える手を残したまま二つの腕で首を守る。
「邪魔はさせない!今なら反撃も出来ないでしょう!?」
響がその腕の一つに強引に切りつけて体ごと叩きつけて動かす。切り落とすまで至らなくとも首を守る腕を一つ減らす事は可能だった。
「響、ありがとう!!」
残る一つの腕を掻い潜って、ナバールの剣がイオの首を突く。
「ぬううう!ぐっ!!」
撥ねることは出来なかった。腕を掻い潜って突きを放つのが精一杯だった。
だが彼女の剣は首を確かに貫いた。剣までも包んでいた白い輝きは既にナバールの身を薄く守るのみ。
残る力で首を裂こうと横方向に力を入れる白い女剣士。
動かない。
首を貫いた剣が微塵も動かなかった。
「見事。まさかこれほどまでにやるとは。つくづく君たちを侮った非礼を詫びよう」
「……貴様、その身体は」
イオの薄紫の皮膚が、真っ黒に染まっていた。
「この戦いで、まさか私の全力を見せる相手に会えるなど思いもしなかった」
黒の巨人の言葉にナバールは背筋を走る悪寒を感じる。両手で無理に力を加えて確かに喉元を貫いた剣を横に払う。剣が、折れた。
構わずに響とベルダに目配せしてイオから距離を取る。追撃は無い。
首に刃を残したまま、巨人は立ち上がる。
「……冗談でしょう?ここから第二段階だ、なんて言う?」
響の言葉が掠れている。今までで十分実力の及ばない相手が、更に強力になる。これだけ絶望を誘う状況も無い。
「馬鹿な、あの状態のナバールを全力を出さずに相手にするなんて」
ベルダの言葉も悔しげで、絶望を孕んだものだった。
「すまぬな」
静かに構えるイオ。
「ウーディ!!!!!!!」
イオの言葉をナバールの絶叫が打ち消して一帯に響き渡る。
はっと我に返ったウーディが用意していた術を素早く展開する。
「チヤ、高速移動します。フォローを!」
「は、はい!」
前に突き出して開いた手を手前に戻すと同時にぐっと握り込む。その目は響とベルダを捉えていた。ナバールの姿は見ていない。
「えっ」
「うあっ」
響、ベルダ両名が何かに引っ張られるようにウーディの元へ引き寄せられる。
彼は目を閉じる。決意の為に。
敵に予想外の事態は起きたが、彼女との念話で既に予測していた未来を受け入れる。
見開かれたウーディの瞳はただグリトニアの英雄が通った道を見据えていた。多少は兵が戻り塞いでいるとはいえ、一番防御の薄い場所に違いない。
杖を掲げる。
「ちょ、ウーディ?」
響の言葉を無視する。
それどころか術を発動させてチヤの支援をも加え、かつてないレベルの高速で戦場を突き進み離脱していく。
「え、ウ、ウーディさん!ナバールさんがまだ!」
「チヤ、絶対に支援を切らせてはいけませんよ」
「ウーディ!何をしてるの!」
「ベルダ様、勇者殿を押えていて下さい。少しの間で構いません」
誰の意見も聞かず。
ウーディはナバールとの約束を守ってパーティを戦闘区域から離脱させるべく全力で魔法を行使した。パーティを包む優しい緑色のエリアに触れた魔族の兵たちは切り刻まれ、悲鳴と一緒に倒れ行くそれは本当に全力で。響を迎えようと前線に出てきつつあった王国の残軍と合流して尚、半ばまでその勢いを衰えさせることは無く。
術が解けた瞬間に彼は言葉も発する事無く無言で気絶してしまった。
一方。
ナバールの絶叫の意味を悟ったイオは追撃を命じた。だが相当なスピードで戦線を越えていくパーティに対してはきわめて難しい命令で、忠実に命令に従った者は無惨に膾(なます)にされ、放たれた弓は折られ、魔法は避けられたり防がれた。
「ウーディ殿、本当に感謝する」
「これはお前の作戦か」Motivator
苦渋に満ちた顔でイオは目の前に残ったヒューマンの女に問いかけた。
「ああ、そうだ。私の切り札は少し物騒なのでな」
言うと同じくしてナバールは折れた剣を構える。身体から満ちていた輝きはもう虚ろにその残りカスを散らすだけになっていた。
「最早戦えるようには見えないが、それでも続けるのか」
巨人の言葉は嘆息として場に響く。
「当然だ。まだ全てを出し切っていないのだからな!」
ナバールの目はむしろこの状況でも輝きを強めている。折れた剣を握り締めてイオまでの距離を駆け進む。
「玉砕を願うか!」
「私の命など、どの道戦場で無慈悲に無価値に散るだけしかなかったのだ!!その私が死ぬ場所を決め、死ぬ意味を得て、何より気の置けない友の記憶に残って逝ける!剣の鬼が死ぬには勿体無い程の晴れ舞台だよ!!」
「なっ」
イオは、真っ直ぐ放った拳をナバールが回避して懐に入り込んでくると考えていた。その予測が完全に裏切られた事に思わず声を出す。
彼女は、魔将の拳に身を貫かれた。誰の目にも致命傷とわかる勝負を決める一撃。背から拳を生やしたナバールにこれ以上何が出来るのか。
血を吐いた女の口が口角を上げる。
「来たれ死炎」
「っ!?」
絶命の直前、ナバールの呟きはイオの耳に届かなかったが。
一瞬で周囲に広がった青い炎が彼の視界を覆う。徐々にナバールと彼を囲むように収束していく炎は全てを塵に変えていった。
目が覚める鮮やかな空の青、では無い。
黄昏の後に見る、暗く淀んだ蒼色だ。
「これは、これはっ!?」
命を犠牲にする系統の魔法だと、イオは思い至る。彼女が剣士であったから意識から抜けていた可能性だった。魔法を扱う二人がいなくなった以上、ナバールの選択肢に魔法は無いとどこかで決め付けていた。
極めて密度の高い蒼色の炎球がナバールの骸と、黒の巨人を包み込む。
今にも弾けそうに表面を張りつめさせながら大きさを縮め、場にはイオの絶叫だけが響く。ひときわ大きくなった彼の叫びに呼応したのか、蒼炎は変化した。
大きく輝いたかと思うと、次の瞬間一気に大爆発を引き起こしたのだ。
爆発は広範囲に及び、周囲の魔族や撤退を目指すヒューマンをも巻き込んでいく。
一帯を支配する轟音と戦場を焼く炎。
二つが消えた時、焦げた大地には一つの黒い塊が残っていた。
イオ、であった物。
蹲るような形で溶けた肉体は大きな石のようにも見える。
その石にどこからか現れた青い肌の女性が手を触れた。
魔族、であろうがその顔には特徴的であるはずの角が無い。ほっそりとした外見に最低限の部位を隠す過激な衣装。
つまらなそうな目で黒い塊を見ている。
「イオ、起きなさいよ。死んでないんでしょ?」
「……」
「こっちは”奈落”の補修もあるんだからさっさとしてよ。あまりにもキレイに決まったとは言え、手入れはしっかりしないと。ほら、起きろ!」
彼の生存を微塵も疑わない様子で黒い石を蹴り飛ばす魔族の女性。機嫌が悪いようだ。
智樹に焼かれた腕が響の目の前で再生したあの光景が、全身で再現された。
「やってくれおったわ、あの女」
「……やっぱり生きてた。貴方を殺すのも相当の手間ね。……帰りましょう、色々と報告もあるし」
「ああ、先に行っていてくれ」
「あ、そう。じゃ歩いてきなさい。せっかく迎えに来てあげたのにつれないこと」
「……ナバール、か。その名、覚えておこう」
一人のヒューマンを貫いた腕を感慨深く見つめるイオ。彼女の姿は何処にも無い。肉体は愚か剣も防具も、全て塵になった。
「あ、そうそう。リミア王国への電撃作戦は失敗よ」
「何!?」
予想外の言葉にイオが言葉を荒げる。ナバールという女の行動には予想外もあったが、全体の作戦としてはほぼ上手く進行していた筈だった。
一番確実だと思っていた部分の失敗に声を出してしまうのは無理からぬことだ。
「貴方が不細工な石になってる間に予想外の事が幾つかあったのよ。で、向こうは失敗。後で把握出来ている範囲で教えてあげる」
「あの化け物どもが失敗か?」
「そう、今なら私と貴方で殺せるレベルに弱ってるわ。一体何があったのか、私もあっちに同行してたら見れたのに」
「信じられん」
「世の中何が起こるかなんてわからないってことじゃない? 私だって最後の最後でこれじゃあ、面白くないわよ。こんな事になるならグリトニアの勇者、殺しておけば良かった。あっちは指輪の効果が覿面。一気に雑魚になっていたのよね」
既に空を飛んでいた彼女も不機嫌を隠さず顔に出して、やや投げやりにイオの独白のような言葉に答えた。その後は先の言葉どおり、一人でステラ砦に戻っていく。
まだ完全ではないのか身体を引き摺りながら、兵に連絡を出してヒューマンの残党始末を命じイオは女性の後を追って砦に戻る。K-Y
こうして、今回のステラ砦の攻略戦は終わった。
ヒューマンに大きな傷跡を残して。
世界が少しずつ、動き出していく。
一度下がった剣士が輝きを纏って戻ってきた。
牽制でイオが放った一撃を明らかに先程までとは違う速度を持ってかわし、そのまま走りがけに脇腹にその剣が走る。SPANISCHE FLIEGE D6
腹筋を締め、何度も弾いたようにやり過ごす筈の一撃は、しかし鮮やかに巨人の身を斬り裂き、血を流させた。
「斬れる!」
「ナバール、どんな魔法よそれ!私も後ろ行ってもらってくる!」
「ははは、響それは無理だ。これには特殊な触媒がいるからな!ここは大人しく私の援護をしておけ!」
響が後ろに行こうとするのをナバールは止める。
「うううう、そんな奥の手があるなら早く使いなさいよ!!キラキラしてて何か綺麗だし~」
「どんどん行くぞイオ!」
元々、速さではナバールが圧倒している。流麗な体術で硬質化された身を自在に使うのがイオの戦法とは言え、サイズの違うヒューマンで速さも優れる彼女が相手では完全な回避など出来ない。攻撃が確実にダメージに繋がるならこれまでの図式は反転する。
付かず離れずの距離を保って徹底的に魔将イオにまとわりつきながら次々に斬りつける一方的な展開だった。
響にまで手が回らず彼女は攻撃し放題、ナバールを追うもそのスピードに翻弄されて何度となく斬りつけられていた。
治っていくよりも、傷が深く残っていく。但しこのままでは致命傷には至らない。最初につけた脇腹はもう癒えてしまっているし、狙うとしたら失血による戦闘力低下までになる。流石に首や胸、腹などは中々狙わせてもらえない。
響の攻撃も両手持ちで浅く引き斬る、筋肉で止められない攻撃に切り替えている。裂くことを目的にして先の二の舞にならないよう留意している。
だがその展開の中、攻撃をパリィすることも受け止めることもほぼ無くなった騎士が一人、呆然とした顔で戦況を見ていた。
「……あれは、ローズサイン?嘘だろう?どうして、彼女にあんな……」
何かに気付いたのかベルダは後方のウーディを振り返る。
彼の王子たる地位を知るウーディは問い詰めるようなベルダの行動に目を逸らすことしか出来なかった。
ウーディ以外の仲間は知らない、ベルダの王子たる地位。それ故に彼は普通の人の知らない特殊な情報に触れる機会も多い。その中に今、有利を作り出しているナバールの変化の原因があった。
薔薇の欠片(ローズサイン)。
見た目はコイン程度の大きさの土くれ。実際には凄まじい効力を持つマジックアイテムの一つ。
使い捨てで、使用すると首筋に真紅の薔薇を模した紋様が浮かぶ。名前の由来でもある。
効果は単純。生命の根源を糧にして力を無理矢理に引き出す。生まれてから死ぬまでにゆっくりと消耗していく、決して回復しない力を貪るように食い散らかし、使用者に限界を超えた力を与える。
効果時間はその者が死ぬまで。決して長い時間ではない。つまり、使用者は決して現状で得られない力を得る代わりに死を決定付けられる。
「あんなもの、策だって?ナバール、貴女は……」
純粋な剣士である彼女に発動させることは出来ない。ベルダにはそこまでわかっている。ウーディかチヤが協力したのだということにも考えが至る。
(恐らくはウーディ。チヤだったらあんなにはしゃいで応援はしないだろう。あいつ、響殿と俺を守る為とでも言う心算か!?)
確かに状況は誰の犠牲も無く乗り切れる局面では無かった。
だが責任全てを一人に背負わせて死を強制するなどベルダには到底容認できない。地位を偽り騎士として一行に加わる彼は、王族として持つべき考え方をまだ完全に身につけてはいない。犠牲は時に必要になるという事実は政治において避けては通れないもの。
実際、ローズサインの効果は絶大だ。現状においてもあれだけ苦戦していたイオも防戦一方になったし、かつては四倍の祝福をハンデにして一騎打ちに勝った逸話まである。
「あ、ナバール!駄目、その攻撃はっ」
響の注意が彼女に届いたかどうか。空中に跳ね上がったナバールが剣を真っ直ぐ振り下ろし魔将の腕を捕らえ、そして剣は腕の半ばまで進んで、止まる。
「もらったぞ!」
イオが剣を食い込ませた腕を締め、反対の腕で強烈なアッパーをナバールに放つ。
「まだだ!!」
空中で右手で振った剣の背に左腕を置き身を預けるように力を加える。一度は半ばで止まった剣がイオの体を蹴って加速した彼女の勢いを加えられ骨を、残りの肉を断ち切った。
迫る下からのアッパーに、何と拳に足をかけて加えられた力の方向に自ら飛んで威力を殺すナバール。
腕を飛ばされて悲鳴一つあげず、拳も止めなかったイオ。しかしながら見てわかる程に汗を流していて、地に落ちた己が腕を見てようやく表情を歪ませる。
これまでで一番の血飛沫が起きる。
「恐ろしいな、白い女。ナバールと言ったか。攻撃が来るとわかって、それでも貪欲に腕を取りにくるとは。しかも私の拳を蹴って威力を殺す。剣の鬼か、お前は」
「魔将に鬼と呼ばれるか。悪くないな。腕の斬り方はわかった。防ぐ腕が無くなれば首も撥ね易い」
不敵に笑い、血の付いた剣を払う。最早剣まで淡い輝きが包み、彼女が内から放つ白いオーラはどんどん強くなっていく。輝くオーラは端々で鱗粉が舞い散るように消えていく。
「人の世にも私の知らぬ魔法があるのだな。正直、心底驚いている」
「何、私も驚いているよ。こうまでしても圧倒は出来ない貴様の力にな。流石は四つの腕の巨人族。私達でいう天才か」
「……私は元々二つの腕しかない普通のギガントだよ。お前が今落としたのは本来の私の腕ではないのさ」
イオはナバールからの賞賛に語って返す。
「蜘蛛に襲われた時、私は親友を救えなかった。満身創痍で撃退した後、残った奴の腕を持ち帰り、私は自分に移植した。上手く動くようになるまでも相当な時間を要したがな」
「それは、失礼。済まないが終わりにさせてもらうぞ、お前の他に女狐とかもいるんだろう?四人の魔将最弱で貴様なんだ。手間取っていられん」
ナバールの体から出る光がピークを超えて少しずつ弱まっている。
自覚があるのか無いのか、彼女は再び攻撃を始める。
「私が最弱?ふむ、君達はどうも妙な固定観念でもあるようだな。どうして弱い将軍から戦線に出るのだ。私は戦闘であれば魔将で最強だ。一対一で私に勝てる魔将などいない」
ナバールの猛攻に、イオは防御する場所を限定して硬質化を高めたのか傷を少しずつ浅く済ませている。そこら中から血が吹き出る光景は、イオの劣勢が続くかに見えるが現状は少し彼が立て直しつつある。SPANISCHE FLIEGE D5
「それは、朗報だな!貴様を討てば我らは大きく前進できる!!」
最強の言葉に怯むことも無い。ナバールは全力で魔将イオを討ちにかかる。
拳の連撃を捌きながら、剣を手にした腕に力を込めて少しずつ全力の一撃に適した間合いに体を移動させていく。
その作業の最中、ナバールは一度ステップで身を翻す。約束組手の如く、イオの目論見通りに動かされている感覚を覚え、嫌ったからだった。
(いけない!ナバールは、気づいていない!?)
その一連の攻防を複雑な気持ちで見ていたベルダはナバールの様子から次の魔将の攻撃に彼女が対応できないかもしれないと危惧する。
ベルダは攻撃を受ける機会が多いからか、相手の呼吸を読む事に優れていた。
今回はナバールが流れを嫌って下がることまでイオが含んで動いていた。
「っ、蹴り!?」
そう。イオはこれまでで一度も使ってこなかった蹴りを攻撃に入れてきた。
拳よりも間合いは広く、ナバールがいる場所は安全圏ではない。射程圏内である。
間合いの外に逃れたという意識の空白に巨体に似合わない十分に速度の乗った蹴り。回避は無理だ。
「油断はいかんな!」
「まったくだ!」
放たれた蹴りに横から突っ込む影が一つ。
イオの思惑に気付いたベルダがフォローに動いた。真正面からでは防御は危険な一撃だが、蹴り足を横から攻撃してずらす位なら何とか叶う。ベルダの判断は正しかった。
思わぬ障害に蹴りの方向がずれ、当然体全体もバランスを崩してしまう。ナバールの目が攻め時に輝く。
「殺った!!」
イオの足と入れ替わりに彼に迫るナバール。光の粉を散らしながらの所作は全てが舞いの如く美しい。
彼女の狙いを正確に読み取ったイオは体を支える手を残したまま二つの腕で首を守る。
「邪魔はさせない!今なら反撃も出来ないでしょう!?」
響がその腕の一つに強引に切りつけて体ごと叩きつけて動かす。切り落とすまで至らなくとも首を守る腕を一つ減らす事は可能だった。
「響、ありがとう!!」
残る一つの腕を掻い潜って、ナバールの剣がイオの首を突く。
「ぬううう!ぐっ!!」
撥ねることは出来なかった。腕を掻い潜って突きを放つのが精一杯だった。
だが彼女の剣は首を確かに貫いた。剣までも包んでいた白い輝きは既にナバールの身を薄く守るのみ。
残る力で首を裂こうと横方向に力を入れる白い女剣士。
動かない。
首を貫いた剣が微塵も動かなかった。
「見事。まさかこれほどまでにやるとは。つくづく君たちを侮った非礼を詫びよう」
「……貴様、その身体は」
イオの薄紫の皮膚が、真っ黒に染まっていた。
「この戦いで、まさか私の全力を見せる相手に会えるなど思いもしなかった」
黒の巨人の言葉にナバールは背筋を走る悪寒を感じる。両手で無理に力を加えて確かに喉元を貫いた剣を横に払う。剣が、折れた。
構わずに響とベルダに目配せしてイオから距離を取る。追撃は無い。
首に刃を残したまま、巨人は立ち上がる。
「……冗談でしょう?ここから第二段階だ、なんて言う?」
響の言葉が掠れている。今までで十分実力の及ばない相手が、更に強力になる。これだけ絶望を誘う状況も無い。
「馬鹿な、あの状態のナバールを全力を出さずに相手にするなんて」
ベルダの言葉も悔しげで、絶望を孕んだものだった。
「すまぬな」
静かに構えるイオ。
「ウーディ!!!!!!!」
イオの言葉をナバールの絶叫が打ち消して一帯に響き渡る。
はっと我に返ったウーディが用意していた術を素早く展開する。
「チヤ、高速移動します。フォローを!」
「は、はい!」
前に突き出して開いた手を手前に戻すと同時にぐっと握り込む。その目は響とベルダを捉えていた。ナバールの姿は見ていない。
「えっ」
「うあっ」
響、ベルダ両名が何かに引っ張られるようにウーディの元へ引き寄せられる。
彼は目を閉じる。決意の為に。
敵に予想外の事態は起きたが、彼女との念話で既に予測していた未来を受け入れる。
見開かれたウーディの瞳はただグリトニアの英雄が通った道を見据えていた。多少は兵が戻り塞いでいるとはいえ、一番防御の薄い場所に違いない。
杖を掲げる。
「ちょ、ウーディ?」
響の言葉を無視する。
それどころか術を発動させてチヤの支援をも加え、かつてないレベルの高速で戦場を突き進み離脱していく。
「え、ウ、ウーディさん!ナバールさんがまだ!」
「チヤ、絶対に支援を切らせてはいけませんよ」
「ウーディ!何をしてるの!」
「ベルダ様、勇者殿を押えていて下さい。少しの間で構いません」
誰の意見も聞かず。
ウーディはナバールとの約束を守ってパーティを戦闘区域から離脱させるべく全力で魔法を行使した。パーティを包む優しい緑色のエリアに触れた魔族の兵たちは切り刻まれ、悲鳴と一緒に倒れ行くそれは本当に全力で。響を迎えようと前線に出てきつつあった王国の残軍と合流して尚、半ばまでその勢いを衰えさせることは無く。
術が解けた瞬間に彼は言葉も発する事無く無言で気絶してしまった。
一方。
ナバールの絶叫の意味を悟ったイオは追撃を命じた。だが相当なスピードで戦線を越えていくパーティに対してはきわめて難しい命令で、忠実に命令に従った者は無惨に膾(なます)にされ、放たれた弓は折られ、魔法は避けられたり防がれた。
「ウーディ殿、本当に感謝する」
「これはお前の作戦か」Motivator
苦渋に満ちた顔でイオは目の前に残ったヒューマンの女に問いかけた。
「ああ、そうだ。私の切り札は少し物騒なのでな」
言うと同じくしてナバールは折れた剣を構える。身体から満ちていた輝きはもう虚ろにその残りカスを散らすだけになっていた。
「最早戦えるようには見えないが、それでも続けるのか」
巨人の言葉は嘆息として場に響く。
「当然だ。まだ全てを出し切っていないのだからな!」
ナバールの目はむしろこの状況でも輝きを強めている。折れた剣を握り締めてイオまでの距離を駆け進む。
「玉砕を願うか!」
「私の命など、どの道戦場で無慈悲に無価値に散るだけしかなかったのだ!!その私が死ぬ場所を決め、死ぬ意味を得て、何より気の置けない友の記憶に残って逝ける!剣の鬼が死ぬには勿体無い程の晴れ舞台だよ!!」
「なっ」
イオは、真っ直ぐ放った拳をナバールが回避して懐に入り込んでくると考えていた。その予測が完全に裏切られた事に思わず声を出す。
彼女は、魔将の拳に身を貫かれた。誰の目にも致命傷とわかる勝負を決める一撃。背から拳を生やしたナバールにこれ以上何が出来るのか。
血を吐いた女の口が口角を上げる。
「来たれ死炎」
「っ!?」
絶命の直前、ナバールの呟きはイオの耳に届かなかったが。
一瞬で周囲に広がった青い炎が彼の視界を覆う。徐々にナバールと彼を囲むように収束していく炎は全てを塵に変えていった。
目が覚める鮮やかな空の青、では無い。
黄昏の後に見る、暗く淀んだ蒼色だ。
「これは、これはっ!?」
命を犠牲にする系統の魔法だと、イオは思い至る。彼女が剣士であったから意識から抜けていた可能性だった。魔法を扱う二人がいなくなった以上、ナバールの選択肢に魔法は無いとどこかで決め付けていた。
極めて密度の高い蒼色の炎球がナバールの骸と、黒の巨人を包み込む。
今にも弾けそうに表面を張りつめさせながら大きさを縮め、場にはイオの絶叫だけが響く。ひときわ大きくなった彼の叫びに呼応したのか、蒼炎は変化した。
大きく輝いたかと思うと、次の瞬間一気に大爆発を引き起こしたのだ。
爆発は広範囲に及び、周囲の魔族や撤退を目指すヒューマンをも巻き込んでいく。
一帯を支配する轟音と戦場を焼く炎。
二つが消えた時、焦げた大地には一つの黒い塊が残っていた。
イオ、であった物。
蹲るような形で溶けた肉体は大きな石のようにも見える。
その石にどこからか現れた青い肌の女性が手を触れた。
魔族、であろうがその顔には特徴的であるはずの角が無い。ほっそりとした外見に最低限の部位を隠す過激な衣装。
つまらなそうな目で黒い塊を見ている。
「イオ、起きなさいよ。死んでないんでしょ?」
「……」
「こっちは”奈落”の補修もあるんだからさっさとしてよ。あまりにもキレイに決まったとは言え、手入れはしっかりしないと。ほら、起きろ!」
彼の生存を微塵も疑わない様子で黒い石を蹴り飛ばす魔族の女性。機嫌が悪いようだ。
智樹に焼かれた腕が響の目の前で再生したあの光景が、全身で再現された。
「やってくれおったわ、あの女」
「……やっぱり生きてた。貴方を殺すのも相当の手間ね。……帰りましょう、色々と報告もあるし」
「ああ、先に行っていてくれ」
「あ、そう。じゃ歩いてきなさい。せっかく迎えに来てあげたのにつれないこと」
「……ナバール、か。その名、覚えておこう」
一人のヒューマンを貫いた腕を感慨深く見つめるイオ。彼女の姿は何処にも無い。肉体は愚か剣も防具も、全て塵になった。
「あ、そうそう。リミア王国への電撃作戦は失敗よ」
「何!?」
予想外の言葉にイオが言葉を荒げる。ナバールという女の行動には予想外もあったが、全体の作戦としてはほぼ上手く進行していた筈だった。
一番確実だと思っていた部分の失敗に声を出してしまうのは無理からぬことだ。
「貴方が不細工な石になってる間に予想外の事が幾つかあったのよ。で、向こうは失敗。後で把握出来ている範囲で教えてあげる」
「あの化け物どもが失敗か?」
「そう、今なら私と貴方で殺せるレベルに弱ってるわ。一体何があったのか、私もあっちに同行してたら見れたのに」
「信じられん」
「世の中何が起こるかなんてわからないってことじゃない? 私だって最後の最後でこれじゃあ、面白くないわよ。こんな事になるならグリトニアの勇者、殺しておけば良かった。あっちは指輪の効果が覿面。一気に雑魚になっていたのよね」
既に空を飛んでいた彼女も不機嫌を隠さず顔に出して、やや投げやりにイオの独白のような言葉に答えた。その後は先の言葉どおり、一人でステラ砦に戻っていく。
まだ完全ではないのか身体を引き摺りながら、兵に連絡を出してヒューマンの残党始末を命じイオは女性の後を追って砦に戻る。K-Y
こうして、今回のステラ砦の攻略戦は終わった。
ヒューマンに大きな傷跡を残して。
世界が少しずつ、動き出していく。
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